忘れ霜、

2007年4月20日
今日の新聞はカラ−写真の素晴しさを西日本と宮日紙が鮮やかに伝えている。

霧島連山は冠雪。背景が真青。大パノラマ。
日向富士の高千穂の峰は真っ白。
ところどころに白きものを頂き、北に尾根が延びている。
霊峰から東に宮崎の国は日向灘まで伸びる。

霧島おろしゆえ11時で外気温20度もあるのに心地よい風が昨日に続きほんの微かに頬にかかる。
季節外れは農作物にはどうであったんであろう。

18日の山間部の季節外れの異常さを憂い書いたが技術未熟で旨くアップロ−ドしてなかった。
まだまだネット技術が追いついていない。

「アレは知識でしょう。知恵がえられるかどうかは疑問ですね。」
文芸春秋講演会での阿川弘之のパソコン評。

用は自分の体験と体感で日常を過ごすのが異常気象時代の生きる知恵といいたかった。
私のみが防寒着を着てる変な人並みであったからだ。

先人は偉いちゃんと教えていてくれる。
清明、穀雨、立夏、と続く24節季の穀雨が今日20日。

一年を24に区切り15日ごとに表現する24節季。
陰暦などは暦と四季の手記が違う場合があるので農作業が困るので用いられた。
何も俳句のためにあるわけではない。
基準は太陽の道たる黄道を24等分で名づけた。
どうにも百姓の血が抜けてたようである。

春先特有の小糠雨でなく、かといってシトシトと続く春霖でもなかった。
18日限りの冷たき雨ゆえ混乱していた。
忘れ霜は4月中あるわけである。

日経春秋氏曰く
病膏肓(こうこう)に入る
( 晋の景公が、病魔が膏と肓の間に入り、名医も治療できないという夢をみたという「左氏伝」の故事から。
誤って「病膏盲(こうもう)に入る」ともつかう。)
と教えてくれる。
作物や草木にふりそそぐぎ、芽をふかせ伸ばす雨。

あめ降って地かたまる。
ここはキザに男の粋だ
「はるさめやぬれていこうおか。」

アメリカ長崎と血のあめはどうにもいけない。
ただ歴史は殆ど血で塗られている。

財布の中に福沢諭吉に取って代わられたとはいえ、なかなか見かけない。この人も血であがなって政権に就いた、

キリストの処女受胎は上野の美術館がにぎわってるとおり。
厩(うまや)の前も同じ。

穴穂部間人皇女の体内に救世観音が井って宿したのが
聖徳太子。

肖像画は唐本御影型撰政太子像からとったもの。
天武、奈良に描かれたらしい。
あごひげはあとで付け加えられた

津田左右吉は存在の有無に疑問を投げている。
日本書紀になく厩戸(うまやど)皇子は「懐風藻」=最古の漢詩集の序文に出てくるのみ。
天平勝宝3年(751)のことだ。
推古他界(622)の131年後の事。
存在そのものさえ疑われている。
肖像画は別人?もある
推古元年、4、10皇太子のままで天皇にならないのがおかしい。
習ってきた歴史からは概ねこうであった。

用明天皇の皇子。名は厩戸(うまやど)皇子。
豊聡耳(とよとみみ)皇子
一度に10人のいう事を聞き分けたのはここらであろうや。
・上宮(じょうぐう)太子ともいう。
叔母推古天皇の摂政として内政・外交に尽力。

冠位十二階・憲法十七条を制定して集権的官僚国家の基礎をつくり、遣隋使を派遣して大陸文化の導入に努めた。
「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」を著し、法隆寺・四天王寺などを建立して仏教の興隆に尽くした。

教科書から源頼朝や足利義満なども消えていっているそうだ。
そんなモンなんである。

歴史は常に勝者が書き換える。
日本誕生、天孫降臨の歴史は昭和15年日本国論を二分した。
霧島の高千穂か熊本の酒井の日向の高千穂かである。

島津日向制圧の一番の理由が記紀に基づく歴史の書き換えにあった。
伊東が本拠地としていた都於郡こそが海幸山幸の舞台。
景行天皇の熊襲征伐の=島津の先祖・・の仮皇居あとだったからである。

霊峰にこの時期雪が積もった。
写真を見ながら歴史にひたった至福の時間。

末広亭うらに楽屋という昭和33年からある、喫茶店がある。
落語噺はここにくればいい。
出番前の師匠連にも会える。お話はそこからだ。

噺・・・・噺が出て来た・
噺の祖は・・円朝・

明治期1839年4月〜1900年8月享年62才没。江戸湯島に生まれた。
1855年16才の時、芸名を円朝とする。

新宿御苑大木戸門から新宿通りを渡り、二つ目の路地左折して、新宿一丁目公園の片隅に石碑あり

四面がビルに囲まれ、花園小学校・幼稚園の裏手にあるグランドに佇む場所。ここが円朝旧居跡。

寄席から話芸以外にも禅・茶道・華道・俳句・和歌・書画など和敬を重んじる生き方どうであったろう。

「怪談牡丹灯籠」「塩原太助一代記」「真景累(かさね)ケ淵」・・・
それが・・・・円朝の語りが、小説で再現された

三遊亭円朝の“幻の落語”が見つかった? 
長編『円朝芝居噺 夫婦幽霊』(講談社)著者・辻原登。
見つかったという落語を小説中すすめる。
発見をめぐる経緯と「円朝の落語」とを二重に楽しめる趣向。

古書店は釜利谷書店、JR阪和線南田辺駅は存在する、
教師は葛罹、(クズガカリ)
棟梁は渡邊菊治
・・・・本物らしい思わせる登場人物。・・・

「どなたか『夫婦幽霊』を高座にかけてくれたら、うれしい」
と語る辻原登。
 円朝は「牡丹灯籠」「真景累(かさね)ケ淵」など怪談ものを主に多くの創作落語を高座にかけた。口演は、当時日本に導入されたばかりの速記法によって記録され、新聞で連載された。
録音はなく活字のみが残っている。

 『円朝芝居噺――』は、辻原がかつて発表した短編に出てくる国文学者が残した遺品の中に速記録があり、起こしてみたら円朝の作品だった――という虚実ないまぜの設定で始まる。

  小説内落語「夫婦幽霊」は円朝の語り口で進む。安政の大地震の直前、幕府の御金蔵から4000両が盗まれる事件が起きる。犯人の1人を知ってしまった大工の棟梁を軸に、犯人逮捕に至る人間模様が語られる。

 「円朝が好きなので、彼がやったであろう物語を自分で書いてみたい、という子供っぽい衝動がまずあった。円朝はヨーロッパの翻案小説の影響も受けており、その要素はすでに僕の中にあるものだから、円朝の全集を繰り返し声に出して読むことで、ほぼ円朝になりきることができた」

  「物語は長い間、聞いて味わうものだったが、近代になって本のかたちで提供されるようになり、声によってわくわくする部分を失ってしまった」と、アナログ派を語る。

「小説をさかのぼってゆくと、声の問題に突き当たる。そこに新しい物語を構築しようという狙いです」

 落語を通じて声を復権しようとする試みは、盲目の落語家を描いた現代の長屋話『遊動亭円木』(99年)から取り組んでいる。

本の世界もとりわけ落語になると至福に時間。

聖徳太子3人東より御出でいただきサウナに興じる
  まっすぐに 草立ち上がる 穀雨かな。 岬 雪夫

 
 

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