過去、現在・・・

2007年4月14日
憲法9条改正につながる「国民投票法案」が衆議院を通過した
参院では夏に半数の議員が改選されるので、法案を継続審議にはできない。
成立か廃案しかない。

世論を見渡すと、憲法改正は猪突の感じがしていよう。
どうしても緊急に改正すべきだと考えている論点は、いまのところない。
郵政選挙の衆議院の議席で決められたこと。
参院は法案を廃案にしたうえで、参院選で憲法を争点にして選挙をすべきである。
それからでも遅くはない。

昨夜のテレビで「爆笑問題」大田総理の提案。
「日米関係を白紙にする。」
激論が通じたろうか。
バラエティ−で報道するのも一考のようでわかりやすい。
ブログを書くのに参考とせねば。

来日中の温家宝首相には安倍内閣の本質が見抜けたのか
靖国、尖閣列島のガス油田等は避けてある。
ちょうど日本が歩いてきた道のりに似たる指導者。

昭和35年池田隼人の示した所得倍増計画は順調に進んだ。
もう一歩の8年目近くの昭和42年ごろ成長の負の遺産たる公害問題が生じた。
中国を見てると、このころの日本の状況に直面している。

テレビ時代の幕開け、昭和30年代は、映画もまだ健在。
メロドラマの松竹、時代劇の東映、青春アクションの日活、文芸路線の大映、サラリーマン喜劇の東宝。
こんなふうに映画5社が自社カラーを打ち出して作品を作っていた。
東映大映は社会的ステ−タスたろ野球球団を持っていた。
張(本勲)さんは巨人でなく東映フライヤ−ズ。
大映には山内がいた。・・・

宮崎の片田舎の日清日露に従軍した明治のお爺ちゃん袈裟輔助は農業勤労一筋。
映画スタ−を働きもしないで食ってる「河原こじき」と最大限の差別用語で蔑視していた。
社会全体がそんな目で見ていた。
明治生まれの親父はより以上そうであった。
大一族の長男家を守り抜く苦労があったのであろう。

節約貧乏でレジャ−に縁がないゆえなおさら映画館の「中には」足を運べなかった。
映画館の外で音声だけを聞くのである。家の手伝いの合間ゆえのきわどい時間を見出しての豊かな時間。
農作業が休止の雨のときなどが多かった。

ゴム合羽以前は棕櫚(シュロ)や藁(ワラ)材料のいわゆる蓑(みの)、かさ。手に鍬(クワ)もってとなる。
夜なべで作ったるもの。安藤広重の作品群や富嶽三拾六景などに出てくるいでたち。
なんという生活環境であったのか。
昭和20〜30年代である。

あの幼児期の時間は思い出の数からして流暢に時間が流れ、時が長かったもんだ。
「切れる」などとんでもない現象のゲンダイの人々。
嫁もいる教壇に立つ息子にしてそうで困ったもんだ。

情操教育と感謝の心。基本が体験で、できてない。
食の基本たる農業生産に従事すればいい。
ただ、教育環境として警鐘をなせる放置された環境であった。

「松竹3羽がらす」と謳われたのが
高橋貞二、佐田啓二、鶴田浩二。
揃って芸名に「二」の字。
高橋は木下恵介監督の「楢山節考」で国際映画祭の主演男優賞を受賞するが34年、佐田は38歳、39年共に自動車事故死
最近の中井貴一の佐田に似すぎているコト。

鶴田の俳優人生のスタートは高田浩吉の劇団。
芸名も高田の「田」と「浩」をもらったもの。
その師匠の縁で昭和23年松竹入り、歌える映画スター第1号

テレビは他の家で見せていただいた。
毎日では恥ずかしいのでロ−テションを組んで見せていただく。

ル−ト66、ロ−ハイド、名犬ラッシ−・・・
大人から子供向け番組までアンメリカの借り物。
夢で会いましょうなどが登場してくる。
玉置宏司会の「ロッテ歌のアルバム」が始まったのは昭和33年。
歌謡界も新旧交代の時期がきていた。
私が明治大正を持ちネタでカラオケで歌うのはこのころの経験。

もうひとつ、面白い現象は何もかも「3づくし」といえる時代であったこと。
何だったんだろう。

その代表格が昭和30年に人気を得る美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみの「3人娘」。
また、お笑いの方でテレビ初の公開コメディー「お笑い三人組」が31年。
♪アッハツハツ、♪ウッフッフッ♪エッヘッヘッのオッホホの
アハッハッのハァおれたちゃぁ、お笑い三人組♪
一竜斎貞鳳、江戸屋猫八、三遊亭金馬
これもテレビを買わないゆえ他所ンチで見た。

いまのデレクタ−*に見てほしい。
品があったバラエティ-番組。
シャベリが字幕として大きく出るいまのテレビは何だ!

 ほぼ、時を同じくしてロカビリーブーム。
日劇のウエスタンカーニバルが33年に始まって「ロカビリー3人男」
平尾昌晃、ミッキー・カーチス、山下敬二郎。

次いで、そのウエスタンカーニバルから
「3人ひろし」
守屋浩、水原弘、井上ひろしが生まれてくる。

文芸春秋5月号P163に中国引揚者同士の苦労話に五木寛之VS数学者藤原正彦(父は新田次郎)の対談がある。
五木  三人ひろしのひとり、
藤田  守屋浩、水原弘、井上ひろし
五木  そうそう、なんでもご存知なんですね。

雨に咲く花がある。戦後井上ひろしが歌いヒットした。
青江三奈のジャズのフィ-リングでブル−スを歌う独特の声でこれもよかった。
元は佐藤千夜子の歌。関種子も歌っていた。

雨に咲く花
高橋掬太郎 作詞
池田不二男 作曲

およばぬことと 諦めました
だけど恋しい あの人よ
儘になるなら いま一度
一目だけでも 逢いたいの

別れた人を 思えばかなし
呼んでみたとて 遠い空
雨に打たれて 咲いている
花がわたしの 恋かしら

はかない夢に すぎないけれど
忘れられない あの人よ
窓に涙の セレナーデ
ひとり泣くのよ 咽ぶのよ

 昭和33年といえば、プロ野球界に大スターが登場。
そう、で〜〜す。長嶋茂雄!。ミスタ−ジャイアンツ!。
六大学の「立教三羽がらす」杉浦忠、本屋敷錦吾、長嶋茂雄
長嶋が巨人に入団し、3番、サード、背番号3の3ずくしで颯爽とデビュー。

社会的によく使われた言葉が「三種の神器」テレビ、冷蔵庫、洗濯機。
 昭和35年に入ると、プロボクシングの世界でもスターが誕生。

これが「フライ級三羽がらす」
ファイティング原田、海老原博幸、青木勝利。

芸能誌「平凡」「明星」も盛んに取り上げ、このあたりからスポーツ紙と芸能誌みたいなものが合体し始める。
 
歌謡界でよく使われる「ご三家」といえば
橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦
の「青春ご三家」が初代と思われがちですが、実は
三橋美智也と三波春夫、村田英雄の「日本調ご三家」こそ元祖。

 付け加えるならば当時の芸能界では、芸名に「三」の文字を入れると縁起がよい、みたいなこともありました。
歌の世界だけでも
、三橋美智也、三波春夫、三沢あけみ、三船浩、三田明……と枚挙にいとまがないほど。
 
昭和30年代「3づくし」の1番手は美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみの「3人娘」。
3人主演の東宝映画「ジャンケン娘」
公開されたのが30年の11月。
 映画は大ヒットし、そのあと「ロマンス娘」「大当り三色娘」3人が顔を揃えたのはこの3作だけ。

温家宝首相がきのうの国会演説で「氷」を例に挙げたのもうなずける。
新聞から引用する。
昨年秋の安倍首相の中国訪問が氷を割る旅ならば、
今度の私の訪日は氷を解かす旅になることを願っている、

 なるほど、その部首を用いた漢字はどれも寒々としている。
中国文化史の学者、阿辻哲次著「部首のはなし」中公新書

「にすい」は氷の表面にできた「ひきつれ」
冷たい。凍てつく、凄まじい。凋(しぼ)む。
冬もまた、にすいの仲間である。
ただ、にすいには、おいそれと解かすわけにはいか
ない「凛」という字もある
日本人の武士道にもつながる品格である。

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