親と子

2007年5月5日
端午の節句に鯉のぼりを揚げるようになったのは江戸時代からだそうだ
子供の立身を願う武家が家紋を入れた旗指物や幟りを家に掲げた。
町家は、鯉の幟りを揚げるようになったのだという。

「登竜門」の故事にちなんだとの説が新聞で紹介されている。
中国の黄河中流に竜門という峡谷があり、滝のような急流をなす。
そこを登り切った鯉は竜になるという伝説があった

「鯉のぼり」は大正2年尋常小学唱歌。
「百瀬の滝を登りなば/忽(たちま)ち、竜になりぬべき
  わが身に似よや男子(おのこご)と
       そらに泳げやこいのぼり。
歌そのものは薫風が漂うようにさわやかなのだが、なぜかこの部分になるとツーンくる。

 「父の威厳 数学者の意地」数学者藤原正彦著の中で
「仰げば尊し」「身を立て名を上げ…」の所にくると決まって、感動で声が出なくなるという。
日本人のもつDNAなんであろう。
ただ、果てしなき親子の断絶は 果たしてそんなDNAも、とっくに消えてしまっているのかもしれない

市の運営する3館=科学技術館、歴史民族館、大淀川水の館はこどもの日で無料開放。
雨降りになりちょうどよい。
科学館の大盛況これはいい。
科学技術館でいえば520円の日ごろが高すぎる。
どうにも職員が多すぎる。
ボランテアがいるのであろうが、区別がつかない。
いわれてる天下りではないかと見受けられる年齢者の多いこと。

パソコン・ル−ムで4人、プラネタリュ-ムは10人ぐらいいる。
投資効果は出してあるのか。
コミュニティ−税の新税導入を構想してるゆえ苦言を書かざる得ない。

世界で三番目に広いんだそうなスクリ−ンに宮崎の空が繰り広げられる。
星座の数々に「オ−ツ!」と歓声が上がり喜ばしい。
サンテクジュペリの名は紹介なしのメルヘンチックの星の王子様に見入った。
砂漠に墜落し修理に余念がなくぞんざいな扱いで異邦人たる王子様の言葉。
「絵を描いて!」
「バラの絵・・」

「羊さんはバラを食べる?」
「・・・ああ食べるよ・・」
バラにはトゲがあるよ・・それでも食べる?
「絵を描いて・・羊さん・・」
最後には早く修理したく四角い箱のみを書く
喜んで中を見る。・・・
・・・・
「子供には見えるんだね」
・・・大人の目線と子供の目線。子育ての楽しみ方を知らなかった。
社会改革運動と週3日の夜勤の働く妻の環境のため二人子育ては戦争状態。

夜勤なのに地区の運動に没頭してて、保育所の預かり時間をはるかに過ぎてから迎えにいくと
当たり前だが、誰もいない。
「しまった!」
保母の先生が自宅に連れて帰っていただいてた。
(規則違反で大変だったろう。)
私が多忙であるのを存知の部分もあってのこと。
携帯電話なぞない時代ゆえコミュニュケが取れない。
深夜24時までには妻が帰ってきてヒステリックが見たくない。
必死で探し出すことが何度となくあった。
背中に背負いおんぶして。動くもの運ぶ機。

たまに動物園や温泉に行っても気はそぞろ。
社会改革運動のことが山程ほどありビラの原稿書きやらに費やすので
まったく家族団らんなどありゃぁしない。
子育て環境の差もあいまって反省仕切り。

そこまでして平和と民主主義の維持拡充に勤めてきた自負は慈父扱いではない。
日の丸君が代の法制化、・・
今は民族の生きる理想を指し示した憲法9条の改正が政治日程になる時代。
多忙なる人々がまったく、いなくなったからにも原因があろう。
反対運動さえおこらず、整然としている国会周辺。
祖父岸信介に比べ、らくな安倍信三

自民党の対極には抵抗する社会党があった。
自民党VS民主党みたいなお遊びごっこではなかった。
今頃の政治的状況があるとするなら、連日の国会周辺の取り巻き抗議。
「は・ん・た〜・い・」のこえが連日流れていたろう。
否!ここまでのいいたい放題の安部内閣の登場はなかったろう。

「私の内閣で憲法は改革します」
周辺は、いろんな屁理屈をつけ国民投票法案は成立する。
「ダメなもんはダメ!」頑固爺の面目若如。

家族そろって子供を祝う日々は確かにかけていた。
ではとわん!
少なくともこの平成18年ぐらいまではわれらの世代が
家庭孝行も犠牲にして直接行動とかで憲法9条を守ってきた・・
民主主義に打ち立てられた平和の世を継続してくれ!
そう甘っちょろいもんじゃぁなかった・・・

宮崎にクラッシックの花が咲く時期がやってきた。
20日間の初日は雨降りで歩行者天国での青空コンサ−トは屋内に変更。
実に残念。人数が限られてしまうし平和なひと時が限定されてしまう。
空気も空も木々も町並みもすべてに聴かせてあげたい
フルオ−ケストラでのクラッシクに浸れる時間がもったいない。
母親を中心とした親子の姿が多数見られる。

昭和23年に公布・施行された「国民の祝日に関する法律」には、
「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」とうたわれている。
「母に感謝する」というところは祝日の趣旨の急所だが、いま案外見過ごされていないだろうか

「パパ、あの先生、私のことを褒めてくださらないのよ」。
長女で女優の波乃久里子さんがそう訴えたとき、
先代の中村勘三郎さんはなだめて語ったという
「あの先生は久里子のことを娘のように思っているんだ。
父親ってものは照れくさくて子供を褒めないんだよ」
。「歌舞伎ちょっといい話」劇評家の戸板康二著に書き留めてある

「パパが先生に文句を言ってやろう」
と加勢すれば、とんだ親ばかになる。
「褒められるように芸を磨きなさい」という説教も、建前じみてよそよそしい。
苦心の名せりふだろう

「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな」(藤原兼輔)。
理性を失いがちな親ばかの哀(かな)しみを詠んだ歌である。

親子の上の世界は、落語「子別れ」円楽師匠の講座の世界にしかないのであろうか。

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