あれ?どうなってるの?森光子 が珍しく歌ってるではないか。
もう80歳をすぎてるはずである。まぁ〜元気いいな〜
パソコンに向き合ってるゆえ真剣に画面には見入っていない。

♪ようこそここえ〜・・ウヌゥ??これ?たしか・・さくらだ・・淳子ジャン!
画面を見るとグリ−ンの派手な衣装!文鮮明の統一教会司令塔が良くぞNHKに・・
桜田淳子・・なんか・・・こんなもんか〜わかい!!

フランク永井・・・エェッ!首吊り未遂で声がデナイハズ・・・元気でよかった。
声も変わらない。
ナンダ!このタイムスリップ状態!
まだ気づかず・・
この人-sekiyannテレビのドッキリにかかったら大変であろう。
パソコン止め画面のテレビにかじり付く。

5月21日(月)午後7:45〜8:32
後でわかったわけだが、ビッグ・ショウ−の「復刻版」=再放送
「森光子 花はいろ歌はこころ」(初回放送:1976年5月30日)

出演: 森光子、フランク永井、桜田淳子、細川たかし 

曲: 「ここに幸あり」「心のこり」「わたしの青い鳥」「よこはまたそがれ」「旅笠道中」「花言葉の唄」「東京ラプソディー」
「有楽町で逢いましょう」「国境の南」「昭和枯れすすき」「星の流れに」「朧月夜」「ゴンドラの唄」ほか(NHKホールで録画)
恥ずかしながら全て譜面なしで1から3番まで諳んじてるホント暇な奴でありました。ナツメロならお任せ。

ビッグ・ショウ−とは
1974年(昭和49年)から1979年(昭和54)まで放送されたワンマンショー形式の番組。
出演者は歌謡界のビッグな歌手にとどまらず、映画俳優、舞台人、作詞家、作曲家など、芸能界の第一線で活躍中のビッグな人物の人間性を浮き彫りにし、好評を博た。
「今も色あせることのないスーパースターたちの熱演、熱唱。 」まさにキャッチコピ−どおりである。

『朧月夜』にはもう涙腺は満杯を肥えている。
思えば遠くに着たもんだ。・・・チュ〜感じででナツメロはいけない!
フュナーレ曲は『ゴンドラの唄』ではないか。
宮崎・延岡=槇峰鉱山で少年、学生期をすごした名優・志村喬が映画のシーンで歌うのがイイ。
森繁節に勝るとも劣ぬいぶし銀。

黒沢明映画の『生きる』
雪の降る児童公園で1人ブランコに乗りながら、『ゴンドラの唄』を口ずさむシーン。  
涙は止まらない。

『朧月夜』の作詞者は長野の人、高野辰之。作曲者は鳥取の人、岡野貞一。
『春の小川』や『紅葉』でお馴染みのコンビです。

『朧月夜』(『尋常小学唱歌 第六学年用』文部省 大正3年 に発表)
 作詞 高野辰之(1876−1947)
 作曲 岡野貞一(1878−1941)

1.菜の花畠に、入日薄れ、
  見わたす山の端(は) 霞ふかし。
  春風そよふく、空を見れば、
  夕月かかりてにほひ淡し。

2.里わの火影(ほかげ)も、森の色も、
  田中の小路を たどる人も、
  蛙(かわず)のなくねも、かねの音も、
  さながら霞める朧月夜。

中国の北宋時代の詩人・蘇軾[そしょく号は「東坡」=蘇東坡
『春夜詩』の中で、春の夜の美しさを
「春宵一刻直千金、花ニ清香アリ月ニ陰アリ」と表現。
「一刻千金」というと、隅田川の桜を歌った『花』(武島羽衣作詞、瀧廉太郎作曲。明治33年発表
の3番「♪一刻千金の♪流れを何にたとうべし♪」が思い出されますが、
『朧月夜』では『花』を意識してか、蘇軾の詩を引用することなく
、日本古来の「やまとことば」をちりばめて春の宵を描いている。
「にほひ淡し」の「にほひ」は、古語で「色」や「艶、「光」のこと。
「里わ」とは、正確には「里曲」と書き、「里のあたり」のこと。
歌詞全体に柔らかい優美な雰囲気が漂い、
『春夜詩』が放つような重苦しい空気は少しもない。

高野辰之の詞によるものは(*)印

故郷(*)
春が来た(*)
春の小川(*)
朧月夜(*)
紅葉(もみじ)(*)
日の丸の旗(*)
桃太郎
夕やけ
児島高徳
三才女
豊田村の曲碑
 『朧月夜』の舞台となったのは、高野辰之の故郷である長野県下水内郡豊田村。
明治時代、この辺りでは照明用の菜種油を採るために菜の花が盛んに栽培されていた。
2番に出てくる「かねの音」は、高野の生家からほど近くにある「真宝寺」の鐘の音といわれている。
HPから
・豊田村の『朧月夜』の碑
場所:長野県下水内郡豊田村 ふるさと遊歩道
交通:JR飯山線「替佐」駅より長電バス「親川」又は「永田」行きで「永田」バス停下車、徒歩10分。
(バスは本数が少ないので注意。徒歩だと駅から約1時間)

・野沢温泉の『朧月夜』の碑
場所:長野県下高井郡野沢温泉村 「クアハウスのざわ」入口
交通:JR飯山線「戸狩野沢温泉」駅より「野沢温泉」行きバスで「野沢温泉」バス停下車、旅館組合案内所から麻釜(おがま)へ向かう道の途中、徒歩約5分。

・おぼろ月夜の館 高野辰之記念館 斑山文庫
場所:長野県下高井郡野沢温泉村
交通:「野沢温泉」バス停下車、徒歩5分。
開館時間:9:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日:毎週月曜日(祝祭日は翌火曜日)
入館料:大人 300円、小・中学生 150円(団体割引あり)
問い合わせ先:0269−85−3839

ゴンドラの唄
作詞:吉井 勇
作曲:中山晋平
唄:松井須磨子

1 いのち短し 恋せよ少女(おとめ)
  朱(あか)き唇 褪(あ)せぬ間に
  熱き血潮の 冷えぬ間に
  明日の月日は ないものを

2 いのち短し 恋せよ少女
  いざ手をとりて 彼(か)の舟に
  いざ燃ゆる頬を 君が頬に
  ここには誰れも 来ぬものを
3 いのち短し 恋せよ少女
  波に漂う 舟の様(よ)に
  君が柔手(やわて)を 我が肩に
  ここには人目も 無いものを

4 いのち短し 恋せよ少女
  黒髪の色 褪せぬ間に
  心のほのお 消えぬ間に
  今日はふたたび 来ぬものを

松井須磨子は、明治19年、長野県松代に生まれ、上京して、早稲田大学教授・島村抱月が主催する劇団「文芸協会」の俳優養成所に入る。
初公演『ハムレット』のオフィーリアで認められ,続いて『人形の家』のノラなどで成功を収め一躍、劇団のスター。

その間、妻子ある師・島村抱月と恋愛関係で、、世の非難を浴び、文芸協会から追放される。
同じく早大を追われた抱月とともに、劇団「芸術座」を結成、女座長として毎公演主役を演じた。

公演では、須磨子が劇中歌を歌うのが特色。
『復活』=『カチューシャの唄』、
『その前夜』=『ゴンドラの唄』
『生ける屍=の『さすらいの唄』
松井須磨子は、大正8年、急逝した抱月のあとを追い、『カルメン』公演中に自殺。
淫乱不貞どころか、貞女の鏡ジァン!

 これらの歌を作曲したのが、長野県から上京して、抱月の書生になっていた中山晋平。
中山晋平は、これらの作曲によって一躍有名作曲家
以後『船頭小唄』『出船の港』『東京行進曲』『東京音頭』などのヒット曲を次々と発表。
歌謡曲や民謡のほか、『舌切雀』『証城寺の狸囃子』『砂山』『てるてる坊主』などの童謡も数多く作曲した。

『ゴンドラの唄』の作詞者は、明星派の歌人として出発し、石川啄木などとともに、文芸誌『スバル』の創刊に当たった吉井勇。
吉井勇は、伯爵家の次男に生まれたが、長男が早世したため、嗣子となる。
しかし、放蕩と情痴に日々を過ごしたあげく爵位を返上し、晩年を京都で過ごした。
「人の世にふたたびあらわぬわかき日の宴のあとを秋の風ふく」(『酒ほがひ』)

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