嗚呼フランス
2007年5月11日「相撲はインテリのスポ−ツではない。」
「京都もどこが刺激的なのか理解できない。」
04年の中国訪問中とはいえサルコジの発言には品位が無い。
3400万円もかけた当選祝いの家族旅行もそうだ。
それも大富豪の借り上げのヨット。
予定を切り上げ一泊二日で急遽エリ−ゼ宮パリへ。
あわてようが見えてくる。
貧相さに悲しくなるではないか。
新渡戸稲造は武士道をニュ-ヨ−クでなくこのフランスで出版してれば
帝王学の一歩が貧乏人であろうとわかっていたであろう。
庶民でさえその武士階級の一部をまね、粋で日常を生きていた。
武士は食わねど高楊枝
宵越しの金は持たネェ
身の丈に生きる
ハンガリ−の貴族の子には精神的なグッと腹に据えることができぬ程度の人間らしい。
父の代で母国ハンガリ−を逃れ
幼少時の離婚環境の中、パリ大を出て弁護士・政治家とフランス・ドリ−ムを実現。
ただ超エリ−トコ-スたる仏国立行政学院出身者に自虐的で常に劣等感に苛まされていたらしい。
身の程の哲学を知らぬお人のようだ。
ただ、他のライバルトひとつだけ違っていたこと。
マスコミのカメラワ−クを常に気にしていたこと。
43歳でトップになった英ブレアを見習ったメデア戦略である。
アメリカに対比される仏国
何が違うのか。
日本の吉田茂の策った全面講和か片面講和か。
いずれにせよ大戦後の生き方はそれぞれの国が選択せざる得なかった。
ドゴ−ルは第5共和制で過去の指導部と対決、決別し、巨大な権限を大統領に集中させた。
それも直接選挙で選ぶ手法である。
それだけの慎重に指導者を育成し権力継承を伝統として成功してきた。
ドゴ−ル 1958〜69
ポンピド−1969〜74
ジスカ−ル1974〜81
ミッテラン1981〜95
シラク 1995〜07
ポンピド、ジスカ−ルは懐刀。シラクは秘蔵っ子
野党ミッテランにしろドゴ−ルに挑み続けることで政治手腕を磨いていった。
新顔が躍進して世界を驚かしてきたアメリカと基本的に違う。
次期アメリカ大統領も元職の大統領・副大統領とも立候補しない政権の継続が疑問視される。
権力の空白期間でもある。
それも野党民主党の優位が伝えられる。
このことに何の戦略も無い安倍政権はどこの国も見放し
ブッシュ・ブレ−ンのほとんどが政権から逃げ出してるのに今だブッシュ一辺倒。
フランスはドゴ−ルの秩序が引っくり返った。
前例の無い権力継承であった。フランスは欧州を代表する移民国家である。
自由平等博愛の国家理念は肌の色人種の違いを乗り越えて
誰も同じ共和国市民とみなす。国是が暗黙にある。
これからは、競争重視の市場経済グロ−バル経済。
「良く働けばよく稼げる」
政府依存から自助努力へ意識改革
高福祉型社会の見直し。
社会のクズは放水で一掃する
仏国が嫌いなら一斉に立ち去るべきだ
全てのフランス国民の大統領になる。
500万人のイスラム教徒はどうするのか。
学校現場でイスラム化が強行される。
医療現場では酷いものだ。
米外交に追従すべきでないが7割を占める。
出自は複雑で移民二世で母がユダヤ系だが、仏国屈指の親米派。
パリ政治学院に学んだが英語の成績が悪く卒業を逃がした。
シラクは米国留学の経験があり米語が話せるのに隠してきたのとは対照的である。
ボドレ−ルからランボ−こよなくフランス語を愛してる日本人。
日本人絵描きはパリに渇望しモンパルナッスに憧れ渡航の夢を果たせず他界したものか。
わが、黒岩敏郎をはじめとして。
パリに死した藤田嗣治は幸せもの。
読売新聞社はフランスの至宝の美術品の展覧会の日本展示を10日発表した。
オルセ−美術館の日本分館みたいなもの。
期間は09年から11年にかけてである。
ア−ルヌボ−展覧会
ドガ展覧会、
マネ展覧会
現在も六本木新国立でモネの展覧会を催している。
パリ・ロダン美術館
パリのロダン美術館は5月16日から9月9日
「ロダンと日本の夢」展
浮かび上がる芸者花子、荻原守衛らとの交流
オーギュスト・ロダン(1840〜1917年)の日本にまつわるデッサンや彫刻など174点を集めた企画展
ロダンは100年前に、芸術と自然との関係や浮世絵を通して日
本に強い関心と夢を抱き続けた。
当時、ロダンと交流のあった日本人の姿も浮かび上がる。
ロダンは晩年の約10年間、花子(本名・太田ひさ)という日本人女性との交流を続けた。
07年にムドンでロダンに会い、浮世絵2点を贈った。
ロダンは雑誌『白樺』のメンバーたちとも交流があり、
白樺は10年、ロダン特別号を発行して浮世絵21点をロダンに贈り、ロダンもブロンズ像3体を返礼している。
これは宮崎県木城・新しき村に展示されたこと武者小路実篤の著書で読んだ記憶がある。
「マダム・ロダン像」は白樺美術館に常設で展示
『ロダン夫人』 25.3cm
『巴里ゴロツキの首』 8.8cm
『或る小さき影』 31.5cm
大原美術館にある。
ロダン美術館にはロダンに贈られた荻原の著書『彫刻真髄』も残っており、同展でも展示される。
「ロダンは自然のとらえ方で日本の芸術家たちに親しいものを感じていた。
モネは南仏の自宅に日本庭園を造園し、ロダンもわが庭園を日本風とした。
宮日パピルス・ホ−ルでは宮崎日向の人・佐々木敦子(42)の個展が催されている。
パリに20数年住み、初めて故郷宮崎での展示会。
敬愛する江国滋の娘香織の作品「ホテルカクタス」のカバ−を飾ってるのは佐々木のパリの一コマ。
佐々木敦子(42)は顔の輪郭からして異邦人。
日向かぼちゃジャない!
鰐淵春子と島田陽子をあわせもち、あご、首のところはシャガ−ルの女
立ち振る舞いからして日向の職人さんの娘さんではない。
なぜにこのようなる異邦人の顔壮があったものや。
自画像を描いてもパリそのものであろう。
宮崎の人・末原晴人生誕百年記念作品展が山形屋で開催され二度のパリ訪欧の作品が光っていた。
オペラ座で「ニラミ」をきかした人歌舞伎の人もいる。
どこまで歌舞いてきたのであろう
柳沢健は明治生まれの外交官、こよなくフランスを愛した
「言葉」
われはこの良き
仏蘭西語を愛す。
滑らかなる波をはらみて
飛沫ゆく情熱を真実を
移民排斥強硬派で自身がハンガリ−系なのに・・・
イスラム傾向にも反対する。
洋の東西を問わず恵まれぬ環境から才能と努力で地位を得た人の仲には弱者を深く思いやる人がいるものだ。
自分並みの努力をしない人の怠惰が許せない人もいるようだ。
自身がダブル不倫で再婚。それも家庭ぐるみで付き合ってたモデル出身という。
大統領選・当選にそばにいなかったらしい。
豪華旅行はどうもそこいらの目くらまし=カムフラ−ジュやも知れない。
市場主義や競争社会は立場の弱い人を置き去りにする非情なる部分を含んでいる。
日本の小泉政治の5年のこの状態が得た教訓である。
経済学は血も涙も無い学門と喝破したのはフランス作家フロ−ベル
わが寛容なる外交官はそれでもフランスを愛した。
市場原理主義を知らなかったシラクまでは少なくとも知る限りはそうであった。
「京都」で世界一の「品位の塊」・皇室同席で「相撲」を見せてやるか。
雅子妃のサ−ヤは相撲好き、われらが幼き頃と同じように出身地から部屋、まで諳んじてるそうだ。
日本は桜パリは百万本のバラがよく似合う。
「薔薇」と漢字で書いて罰せられるなら罰金を払ってでも書くと言った歌詠みがいる。
花ビラの重なり、棘までが目に浮かび、「バラ」より心になじむ。
「憂鬱」も「ゆううつ」ではなんか感じが違う。
串という字を蒲焼と無筆よみとの古川柳
看板は無筆のため絵で書いた江戸の思いやり。
華麗の「麗」王冠のような鹿の角が浮かぶ。
「轢」死になぜ楽が含まれてるのか哲学好きのフランス人に問うて見ればいい。
パリ行ったモンネ♪♪
「・・・オカシンと・バカ・・と違う?」
バカとちがいますネン
パ−でんネン!
「どうシタン?」
・・・・
「い・い・な・さ・ぁ・い・」
資金が江戸から
・・・期日ですねん。
「もぅこの金亡者!サルコジじゃぁあるまいに。」
えぇ。。さるこじき・・でございます・
「ほんと どうシタン?」
ええドジデ、どうジダンだ踏んだか・・
・・・ジャンジャン
真夏日でやられた・・・
嗚呼ム−ランジュ−ルのはねぐるま
・・・・・・・・
カンカン踊りと言わぬ情なし せきやん
バスチュ−ユでフランスを罵倒し
カルチェラタンでコカコ−ラとマクドナルドをほおばって
コンコルドでサルコジの右傾の勝利を祝い
そぞろ歩きのシャンゼリゼ
左にエッフェルが微笑み
セ−ヌは足元で囁いている
かなたに見てる凱旋門
フランス 日本
面積 54万7000? 37万7900?
人口 6310万人 1億2777万人
GDP 2兆2306ドル 4兆3669ドル
GDP
1/当り3万5156? 3万5650?
成長率 2,1パ−セント 2,2パ−セント
失業率 9,0パ−セント 4,1パ−セント
日本からの輸出8200億円
機械類26,0パ−セント
乗用車25,6
電気
機器 14,3
その他34,1
フランスからの輸入8700億円
ワイン等飲料13,3
機械類11,1
皮製品 7,2
その他68,4
投資額は1010億円
オランダ
イギリス、
ドイツ
フランス
「京都もどこが刺激的なのか理解できない。」
04年の中国訪問中とはいえサルコジの発言には品位が無い。
3400万円もかけた当選祝いの家族旅行もそうだ。
それも大富豪の借り上げのヨット。
予定を切り上げ一泊二日で急遽エリ−ゼ宮パリへ。
あわてようが見えてくる。
貧相さに悲しくなるではないか。
新渡戸稲造は武士道をニュ-ヨ−クでなくこのフランスで出版してれば
帝王学の一歩が貧乏人であろうとわかっていたであろう。
庶民でさえその武士階級の一部をまね、粋で日常を生きていた。
武士は食わねど高楊枝
宵越しの金は持たネェ
身の丈に生きる
ハンガリ−の貴族の子には精神的なグッと腹に据えることができぬ程度の人間らしい。
父の代で母国ハンガリ−を逃れ
幼少時の離婚環境の中、パリ大を出て弁護士・政治家とフランス・ドリ−ムを実現。
ただ超エリ−トコ-スたる仏国立行政学院出身者に自虐的で常に劣等感に苛まされていたらしい。
身の程の哲学を知らぬお人のようだ。
ただ、他のライバルトひとつだけ違っていたこと。
マスコミのカメラワ−クを常に気にしていたこと。
43歳でトップになった英ブレアを見習ったメデア戦略である。
アメリカに対比される仏国
何が違うのか。
日本の吉田茂の策った全面講和か片面講和か。
いずれにせよ大戦後の生き方はそれぞれの国が選択せざる得なかった。
ドゴ−ルは第5共和制で過去の指導部と対決、決別し、巨大な権限を大統領に集中させた。
それも直接選挙で選ぶ手法である。
それだけの慎重に指導者を育成し権力継承を伝統として成功してきた。
ドゴ−ル 1958〜69
ポンピド−1969〜74
ジスカ−ル1974〜81
ミッテラン1981〜95
シラク 1995〜07
ポンピド、ジスカ−ルは懐刀。シラクは秘蔵っ子
野党ミッテランにしろドゴ−ルに挑み続けることで政治手腕を磨いていった。
新顔が躍進して世界を驚かしてきたアメリカと基本的に違う。
次期アメリカ大統領も元職の大統領・副大統領とも立候補しない政権の継続が疑問視される。
権力の空白期間でもある。
それも野党民主党の優位が伝えられる。
このことに何の戦略も無い安倍政権はどこの国も見放し
ブッシュ・ブレ−ンのほとんどが政権から逃げ出してるのに今だブッシュ一辺倒。
フランスはドゴ−ルの秩序が引っくり返った。
前例の無い権力継承であった。フランスは欧州を代表する移民国家である。
自由平等博愛の国家理念は肌の色人種の違いを乗り越えて
誰も同じ共和国市民とみなす。国是が暗黙にある。
これからは、競争重視の市場経済グロ−バル経済。
「良く働けばよく稼げる」
政府依存から自助努力へ意識改革
高福祉型社会の見直し。
社会のクズは放水で一掃する
仏国が嫌いなら一斉に立ち去るべきだ
全てのフランス国民の大統領になる。
500万人のイスラム教徒はどうするのか。
学校現場でイスラム化が強行される。
医療現場では酷いものだ。
米外交に追従すべきでないが7割を占める。
出自は複雑で移民二世で母がユダヤ系だが、仏国屈指の親米派。
パリ政治学院に学んだが英語の成績が悪く卒業を逃がした。
シラクは米国留学の経験があり米語が話せるのに隠してきたのとは対照的である。
ボドレ−ルからランボ−こよなくフランス語を愛してる日本人。
日本人絵描きはパリに渇望しモンパルナッスに憧れ渡航の夢を果たせず他界したものか。
わが、黒岩敏郎をはじめとして。
パリに死した藤田嗣治は幸せもの。
読売新聞社はフランスの至宝の美術品の展覧会の日本展示を10日発表した。
オルセ−美術館の日本分館みたいなもの。
期間は09年から11年にかけてである。
ア−ルヌボ−展覧会
ドガ展覧会、
マネ展覧会
現在も六本木新国立でモネの展覧会を催している。
パリ・ロダン美術館
パリのロダン美術館は5月16日から9月9日
「ロダンと日本の夢」展
浮かび上がる芸者花子、荻原守衛らとの交流
オーギュスト・ロダン(1840〜1917年)の日本にまつわるデッサンや彫刻など174点を集めた企画展
ロダンは100年前に、芸術と自然との関係や浮世絵を通して日
本に強い関心と夢を抱き続けた。
当時、ロダンと交流のあった日本人の姿も浮かび上がる。
ロダンは晩年の約10年間、花子(本名・太田ひさ)という日本人女性との交流を続けた。
07年にムドンでロダンに会い、浮世絵2点を贈った。
ロダンは雑誌『白樺』のメンバーたちとも交流があり、
白樺は10年、ロダン特別号を発行して浮世絵21点をロダンに贈り、ロダンもブロンズ像3体を返礼している。
これは宮崎県木城・新しき村に展示されたこと武者小路実篤の著書で読んだ記憶がある。
「マダム・ロダン像」は白樺美術館に常設で展示
『ロダン夫人』 25.3cm
『巴里ゴロツキの首』 8.8cm
『或る小さき影』 31.5cm
大原美術館にある。
ロダン美術館にはロダンに贈られた荻原の著書『彫刻真髄』も残っており、同展でも展示される。
「ロダンは自然のとらえ方で日本の芸術家たちに親しいものを感じていた。
モネは南仏の自宅に日本庭園を造園し、ロダンもわが庭園を日本風とした。
宮日パピルス・ホ−ルでは宮崎日向の人・佐々木敦子(42)の個展が催されている。
パリに20数年住み、初めて故郷宮崎での展示会。
敬愛する江国滋の娘香織の作品「ホテルカクタス」のカバ−を飾ってるのは佐々木のパリの一コマ。
佐々木敦子(42)は顔の輪郭からして異邦人。
日向かぼちゃジャない!
鰐淵春子と島田陽子をあわせもち、あご、首のところはシャガ−ルの女
立ち振る舞いからして日向の職人さんの娘さんではない。
なぜにこのようなる異邦人の顔壮があったものや。
自画像を描いてもパリそのものであろう。
宮崎の人・末原晴人生誕百年記念作品展が山形屋で開催され二度のパリ訪欧の作品が光っていた。
オペラ座で「ニラミ」をきかした人歌舞伎の人もいる。
どこまで歌舞いてきたのであろう
柳沢健は明治生まれの外交官、こよなくフランスを愛した
「言葉」
われはこの良き
仏蘭西語を愛す。
滑らかなる波をはらみて
飛沫ゆく情熱を真実を
移民排斥強硬派で自身がハンガリ−系なのに・・・
イスラム傾向にも反対する。
洋の東西を問わず恵まれぬ環境から才能と努力で地位を得た人の仲には弱者を深く思いやる人がいるものだ。
自分並みの努力をしない人の怠惰が許せない人もいるようだ。
自身がダブル不倫で再婚。それも家庭ぐるみで付き合ってたモデル出身という。
大統領選・当選にそばにいなかったらしい。
豪華旅行はどうもそこいらの目くらまし=カムフラ−ジュやも知れない。
市場主義や競争社会は立場の弱い人を置き去りにする非情なる部分を含んでいる。
日本の小泉政治の5年のこの状態が得た教訓である。
経済学は血も涙も無い学門と喝破したのはフランス作家フロ−ベル
わが寛容なる外交官はそれでもフランスを愛した。
市場原理主義を知らなかったシラクまでは少なくとも知る限りはそうであった。
「京都」で世界一の「品位の塊」・皇室同席で「相撲」を見せてやるか。
雅子妃のサ−ヤは相撲好き、われらが幼き頃と同じように出身地から部屋、まで諳んじてるそうだ。
日本は桜パリは百万本のバラがよく似合う。
「薔薇」と漢字で書いて罰せられるなら罰金を払ってでも書くと言った歌詠みがいる。
花ビラの重なり、棘までが目に浮かび、「バラ」より心になじむ。
「憂鬱」も「ゆううつ」ではなんか感じが違う。
串という字を蒲焼と無筆よみとの古川柳
看板は無筆のため絵で書いた江戸の思いやり。
華麗の「麗」王冠のような鹿の角が浮かぶ。
「轢」死になぜ楽が含まれてるのか哲学好きのフランス人に問うて見ればいい。
パリ行ったモンネ♪♪
「・・・オカシンと・バカ・・と違う?」
バカとちがいますネン
パ−でんネン!
「どうシタン?」
・・・・
「い・い・な・さ・ぁ・い・」
資金が江戸から
・・・期日ですねん。
「もぅこの金亡者!サルコジじゃぁあるまいに。」
えぇ。。さるこじき・・でございます・
「ほんと どうシタン?」
ええドジデ、どうジダンだ踏んだか・・
・・・ジャンジャン
真夏日でやられた・・・
嗚呼ム−ランジュ−ルのはねぐるま
・・・・・・・・
カンカン踊りと言わぬ情なし せきやん
バスチュ−ユでフランスを罵倒し
カルチェラタンでコカコ−ラとマクドナルドをほおばって
コンコルドでサルコジの右傾の勝利を祝い
そぞろ歩きのシャンゼリゼ
左にエッフェルが微笑み
セ−ヌは足元で囁いている
かなたに見てる凱旋門
フランス 日本
面積 54万7000? 37万7900?
人口 6310万人 1億2777万人
GDP 2兆2306ドル 4兆3669ドル
GDP
1/当り3万5156? 3万5650?
成長率 2,1パ−セント 2,2パ−セント
失業率 9,0パ−セント 4,1パ−セント
日本からの輸出8200億円
機械類26,0パ−セント
乗用車25,6
電気
機器 14,3
その他34,1
フランスからの輸入8700億円
ワイン等飲料13,3
機械類11,1
皮製品 7,2
その他68,4
投資額は1010億円
オランダ
イギリス、
ドイツ
フランス
鎮魂5・11
2007年5月11日付属小、西池小、区域内で子ども会ソフトボ−ル監督として17年続けて指導した。
ここでベスト3の順位を取れば中央地区大会に参加できる。
小戸小、宮崎小、潮見小併せて中央地区子ども会。
ただ、その時は気づかなかったが、少子化と危険競技にソフトボ−ルが指定され
環境はどんどん悪化していった時期である。
大塚区域では盛んであったが、単位子ども会でチ−ムを編成するのも酷になり町内ごとに組み替えてチ-ムをつくった。
夏休みが大会なので暑い盛り。
練習は実に困難を極めた。
グラウンド確保に塾通いとの連立。
朝起きない子は迎えにまわる。
六年生は少年期一年生はまだ幼児。
これを一つにしてチ-ムプレイをさせるのだから想像を絶することが生じる。
練習日は土日と一日おき。
それが大会が近づいてくると毎日。土日なんぞ朝昼晩とやる。
仕事との板ばさみ。
その小学校内には供養碑はなかった。
断じて否である
グラウンドは感謝の場
始まりと終わりは整備してから、ピョコンと可愛いお辞儀をみんながした。
供養塔があれば絶対手を合わせてたハズだ、
先生に案内していただきお話を聞いた。やはりそうであった。
付属小に移転して2年目であった。
ただ、付属のグランドの隣の道にあったという。
まったく知らなかった。地域の父兄も含め。
付属と通常校と同じ地域に小学生が二種類存在してるわけだ、
「お宅のお子様は付属ですか、西池ですか?」
すました会話にどことなく感じるおかしなもの。
教育の難しさを感じたものであった。
ただ、チ−ムでは一丸。辛いものがあった。
今日5/11の地元紙宮日「くろしお」
シュルシュルと空気を裂く金属音。
引率の先生の「伏せなさい」の声。それしか記憶にない。
ガラスの破片などで血だらけになりながら、どうやって家にたどり着いたかも。
しかし、鮮明に覚えていることが2つある。
転げ落ちた道路脇の溝からはい出したとき、10メートルほど先を集団下校していた妹の姿が消えていた。
そして生まれて間もない弟を抱いて家の玄関で出迎えた母の口から出た妹を気遣う一言。
「てるちゃんはどうしたね」。
神奈川県茅ケ崎市の徳丸昭弘さん(72)は、62年前の悪夢の一瞬をずっと胸に焼き付けて生きてきた。
あの日―1945(昭和20)年5月11日。
宮崎市中津瀬町で集団下校していた小学生を米軍機の直撃弾が襲い、幼い命が散った。
宮崎男子師範付属国民学校(現宮大付属小)の12人。
その中に徳丸さんの二つ違いの妹・瑛子(てるこ)さんがいた。
遺体は見つからず、戻ってきたのは片方の靴とランドセルの一部だけ。
徳丸さんは成人して宮崎を離れたが、あの日の光景を忘れることはできなかった。
今年もまた、太平洋戦争が残した悲しみの日が巡ってきた。
それを前に今月7日、宮大付属小の「いとし子の供養碑」前で「5・11」を伝え、語り継ぐ集いが開かれた。
徳丸さんも帰省、妹、一緒に亡くなった子どもたちに花を手向けた。
そして胸の痛みを絞り出すように、あの日のことを児童たちに語って聞かせた。
「あんな悲惨なことが二度とあってはならない。命の重みをかみしめて生きてほしい」。
62年の時空を超え、きょうは平和の大切さを心に刻む日でもある。
山下陽君のお母さん山下久子さんの尽力を付属小が受け入れたものだろう。
7歳から13歳の12名は爆風とともに微塵もなくまさに
消えたことであろう。
経験があるからだ。
友人黒田は失恋の痛みでダイナマイトを体にくくり自裁した
お通夜でお棺をのぞくも何もない。
「黒田ヤンは・・・」
奇声を発するバカなせきやんの声に一同いっせいに悲しみの涙声が起きる。
「バカッ!せきやん・・・」
爆死はなんいも残らない。
先生に導かれ、校門入って左すぐソバお花がいっぱいだ。
あらたに設けられた石盤の12名のナを一人一人読んだ。
右から男の子6名
8番目に徳丸瑛さん8歳・・碑には子の字はがなかった。
もうたまらない。
泣いた。涙が止まらなかった。
案内の先生も涙ぐんでおられる。もらい泣き。
17年間このあたりの子はみんなせきやんの子であった。
永久に安らぐよう供養塔に誓います
平和の道しるべ
平和への道
いとし子への道
ちっちゃいチッチャイ碑が
世界に向けて叫んでいる。
「痛い!」
「この轟音!なんの音だ?」
一瞬12名がふっ飛んで消えた。
国内焦土作戦は
男の子6名女の子仲良し6名を消した。12名である。
鬼畜米英!バカッたれ!
国内無差別計画は司令官はカーチス・E・ルメイの作戦。
「高いところから爆弾を落とすのではなくて、1500メートルの高度で焼夷弾を落として、全部焼き払う」
時を経て、1964年暮に日本にやって来た。
日本政府が招待し、彼に勲章をあげるため。
それも勲一等旭日大綬章である。
日本の航空自衛隊の創設に功績があったというのがその理由、
ただ、こんなことがあっていいのか。
ルメイ自身がいう。
「もし戦争に負けていたら私は戦犯になっただろう。幸いにして、我々は戦争に勝った。だから、戦犯にならなかった」
その仲介をした当時の防衛庁長官が純一郎の父、小泉純也
アメリカヘの小泉純一郎の弱さというのは父親譲りのものであ
る。
授与させた総理は安倍の大叔父佐藤栄作。岸の弟である。
憲法改正に執念を持つ長州のDNA。
1965年2月、アメリカ空軍が当時の北ベトナムを爆撃
結果はアメリカがベトナムに敗北する。
今日のイラクの泥沼が酷似。
果たしてベトナムでの時の司令官は
・ま・た・も・や・カーチス・E・ルメイ。
その後のキュ−バ攻撃案。
鬼畜ルメイ!
バカにつける薬はない。
偏狭なる愛国主義者のせきやん??
何とでも言え!
非戦闘要員ではないのは明らかのいたいけなる12名
12名の付属小のせきやんの子供を返せ!ルメイ!
ここでベスト3の順位を取れば中央地区大会に参加できる。
小戸小、宮崎小、潮見小併せて中央地区子ども会。
ただ、その時は気づかなかったが、少子化と危険競技にソフトボ−ルが指定され
環境はどんどん悪化していった時期である。
大塚区域では盛んであったが、単位子ども会でチ−ムを編成するのも酷になり町内ごとに組み替えてチ-ムをつくった。
夏休みが大会なので暑い盛り。
練習は実に困難を極めた。
グラウンド確保に塾通いとの連立。
朝起きない子は迎えにまわる。
六年生は少年期一年生はまだ幼児。
これを一つにしてチ-ムプレイをさせるのだから想像を絶することが生じる。
練習日は土日と一日おき。
それが大会が近づいてくると毎日。土日なんぞ朝昼晩とやる。
仕事との板ばさみ。
その小学校内には供養碑はなかった。
断じて否である
グラウンドは感謝の場
始まりと終わりは整備してから、ピョコンと可愛いお辞儀をみんながした。
供養塔があれば絶対手を合わせてたハズだ、
先生に案内していただきお話を聞いた。やはりそうであった。
付属小に移転して2年目であった。
ただ、付属のグランドの隣の道にあったという。
まったく知らなかった。地域の父兄も含め。
付属と通常校と同じ地域に小学生が二種類存在してるわけだ、
「お宅のお子様は付属ですか、西池ですか?」
すました会話にどことなく感じるおかしなもの。
教育の難しさを感じたものであった。
ただ、チ−ムでは一丸。辛いものがあった。
今日5/11の地元紙宮日「くろしお」
シュルシュルと空気を裂く金属音。
引率の先生の「伏せなさい」の声。それしか記憶にない。
ガラスの破片などで血だらけになりながら、どうやって家にたどり着いたかも。
しかし、鮮明に覚えていることが2つある。
転げ落ちた道路脇の溝からはい出したとき、10メートルほど先を集団下校していた妹の姿が消えていた。
そして生まれて間もない弟を抱いて家の玄関で出迎えた母の口から出た妹を気遣う一言。
「てるちゃんはどうしたね」。
神奈川県茅ケ崎市の徳丸昭弘さん(72)は、62年前の悪夢の一瞬をずっと胸に焼き付けて生きてきた。
あの日―1945(昭和20)年5月11日。
宮崎市中津瀬町で集団下校していた小学生を米軍機の直撃弾が襲い、幼い命が散った。
宮崎男子師範付属国民学校(現宮大付属小)の12人。
その中に徳丸さんの二つ違いの妹・瑛子(てるこ)さんがいた。
遺体は見つからず、戻ってきたのは片方の靴とランドセルの一部だけ。
徳丸さんは成人して宮崎を離れたが、あの日の光景を忘れることはできなかった。
今年もまた、太平洋戦争が残した悲しみの日が巡ってきた。
それを前に今月7日、宮大付属小の「いとし子の供養碑」前で「5・11」を伝え、語り継ぐ集いが開かれた。
徳丸さんも帰省、妹、一緒に亡くなった子どもたちに花を手向けた。
そして胸の痛みを絞り出すように、あの日のことを児童たちに語って聞かせた。
「あんな悲惨なことが二度とあってはならない。命の重みをかみしめて生きてほしい」。
62年の時空を超え、きょうは平和の大切さを心に刻む日でもある。
山下陽君のお母さん山下久子さんの尽力を付属小が受け入れたものだろう。
7歳から13歳の12名は爆風とともに微塵もなくまさに
消えたことであろう。
経験があるからだ。
友人黒田は失恋の痛みでダイナマイトを体にくくり自裁した
お通夜でお棺をのぞくも何もない。
「黒田ヤンは・・・」
奇声を発するバカなせきやんの声に一同いっせいに悲しみの涙声が起きる。
「バカッ!せきやん・・・」
爆死はなんいも残らない。
先生に導かれ、校門入って左すぐソバお花がいっぱいだ。
あらたに設けられた石盤の12名のナを一人一人読んだ。
右から男の子6名
8番目に徳丸瑛さん8歳・・碑には子の字はがなかった。
もうたまらない。
泣いた。涙が止まらなかった。
案内の先生も涙ぐんでおられる。もらい泣き。
17年間このあたりの子はみんなせきやんの子であった。
永久に安らぐよう供養塔に誓います
平和の道しるべ
平和への道
いとし子への道
ちっちゃいチッチャイ碑が
世界に向けて叫んでいる。
「痛い!」
「この轟音!なんの音だ?」
一瞬12名がふっ飛んで消えた。
国内焦土作戦は
男の子6名女の子仲良し6名を消した。12名である。
鬼畜米英!バカッたれ!
国内無差別計画は司令官はカーチス・E・ルメイの作戦。
「高いところから爆弾を落とすのではなくて、1500メートルの高度で焼夷弾を落として、全部焼き払う」
時を経て、1964年暮に日本にやって来た。
日本政府が招待し、彼に勲章をあげるため。
それも勲一等旭日大綬章である。
日本の航空自衛隊の創設に功績があったというのがその理由、
ただ、こんなことがあっていいのか。
ルメイ自身がいう。
「もし戦争に負けていたら私は戦犯になっただろう。幸いにして、我々は戦争に勝った。だから、戦犯にならなかった」
その仲介をした当時の防衛庁長官が純一郎の父、小泉純也
アメリカヘの小泉純一郎の弱さというのは父親譲りのものであ
る。
授与させた総理は安倍の大叔父佐藤栄作。岸の弟である。
憲法改正に執念を持つ長州のDNA。
1965年2月、アメリカ空軍が当時の北ベトナムを爆撃
結果はアメリカがベトナムに敗北する。
今日のイラクの泥沼が酷似。
果たしてベトナムでの時の司令官は
・ま・た・も・や・カーチス・E・ルメイ。
その後のキュ−バ攻撃案。
鬼畜ルメイ!
バカにつける薬はない。
偏狭なる愛国主義者のせきやん??
何とでも言え!
非戦闘要員ではないのは明らかのいたいけなる12名
12名の付属小のせきやんの子供を返せ!ルメイ!