稲作技術。
2007年5月7日宮崎はハニワの故郷、日本発祥の地
かっての日本国家はそれを承知していたフシがあり、東京オリンピック国内聖火リレ−の起点に宮崎平和台に求めた。
昭和39年9月9日。八紘一宇の塔をバックにハニワの器に、遠くギリシャからの聖火が灯された。
塔は、大分臼杵の彫刻家、日名子実三設計。
紀元2600年の昭和15年を記念に中国各地に展開していた日本陸軍部隊からの200も加えた石塔である。
いまの江平の丸三ビルにGHQは滞在、県内を支配した。
侵略戦争の象徴の祈念モニュメントがGHQ支配の10数年間を耐え良くぞ残ったものである。
秩父宮の手になる八紘一宇の文字は聖化リレ−の翌年に復活。
司法を固める4部陣の像も揃い完全に戦前の侵略のシンボルが復活している。
400個のはにわをもって、はにわ公園が平和台公園内にある。
なお、日比谷公園にあるはにわは、姉妹公園になったのを記念して昭和40年に宮崎県から東京都に贈られたもの。
「ひらがな日本美術誌」全7巻橋本治著・新潮社刊
芸術新潮に14年連載し、通史を一人で書き上げた。
モチ−フたるメインテ-マは
「埴輪はかわいい」
に象徴される。
縄文でなくいきなり古墳時代から始まってるユニ−クさ、大胆さ。問われて、「埴輪はかわいい」
「似絵は線の美しさを見ればいい。」
懐月堂安度の美術は大津絵の都市版。
横山大観はない。大胆に切り捨てる。
俵屋宗達を最高とし、完熟の向こうにあるかわいさそれを日本化したもの。をテ−マとした。。
亀倉雄策のオリンピック・ポスタ−で終わっている。
もののよしあしは、かわいさにある。
ひらがな盛衰記で今後も指し示してくれそうである。
ハニワから神武東征の船を復元した宮崎神宮氏子。。
全長12M、幅2Mのおきよ丸と名ずけ宮崎神宮鳥居をくぐるとすぐ左手に奉納されている。
はにわに基づき復元したもの。
良くぞコレで難波まであらぶる航海を乗り切ったものだ。
金鵄が飛んできて守らずして平和な航海はなかったろう。
神話は気楽に読めば実に良くできている。
積み込んだ食料は日向・美々津で調達したハズである。
蒸かした米が何日維持できたものやら。基本たる水はいかに。
まったく持って非条理のお話。
日本国家の歴史は稲作の歴史を把握すればアル意味事足りよう。
経済制度、国家機構すべてが稲作を中心に作られていたからである。
税も役人の給料も稲作が基本でそれで最初に形作られたのが古代律令国家。
稲は単なる農作物でなく貨幣の役割を果たした。大名の力はある意味、石高で見て取れる。
5/1朝日紙は国立暦民族博物館(千葉・佐倉市)平川南(古代史)館長の研究を掲げた。
平安時代の稲の品種の判明を発表したのは1999年。
それ以降、判読以来の木簡があちこちから持ち込まれた。
奈良香芝市下田東遺跡
和世種、小須流女の品種が桶の底の木簡から読み取れる。
種蒔日は、和世種3/6、小須流女3/11、7/12・7/14・7/17
田刈は5日役とある。
福島県いわき市
荒田目条理遺跡から98年に、4点の木簡が出土
古僧子、地蔵子の品種
5/10・5/17・5/23晩種日をずらして種まきの指示
品種が管理され周到な種まき刈り取りが指示されている。
江戸時代にでてくる農学書にあるものは、平安時代の品種はすべて最新の方法で管理指示されていたというのである。
金沢市・畝田ナベ田遺跡
酒流女の木簡が出土してるが小須流女は改良種と推察される。
この時期、富士・磐梯山の噴火があり改良種が研究され出回った。
するめの品種・・する=早い、め=芽と分析される。
否増=稲を増す
銘柄が高度な技術で管理刈り取りまで様式化されてる凄さ。
一般に普及していたのであろうか。
木簡は支配者の施設から出土している。
金沢は貴族、東大寺の荘園
奈良香芝市下田東は有力者の荘園。
何種類もの種籾を農民が準備できたと思えない。
これらからいえることは支配者独占の農業のあり方で一般的に行なわれてたとはいえないのではないか。
農家の出たる小生の経験では
種籾はモミ倉に俵(タワラ)で保管されていた。
星野ジャパンの60名が決まったが
宮本慎也(東京ヤクルト)、松中信彦(福岡ソフトバンク)ら五輪経験のあるベテランから、
18歳の高卒ルーキー田中将大(東北楽天)までバランスの取れた布陣。
また宮崎の人青木宣親(東京ヤクルト)やTSUYOSHI(千葉ロッテ)ら俊足巧打の選手が名を連ね、一発に頼らず確実に1点を取り、失点を防ぐという短期決戦を意識したメンバーが選考されている。
前回拒否してる松井秀喜(ヤンキース)、男を上げたイチロー(マリナーズ)、城島健司(マリナーズ)ら米大リーグ勢は只今は選考から外れている。
10月中旬ごろに30人に絞り、最終的に24人を決める予定。
野球選手を択ぶようなハデなもんでなく、一俵ごと種籾は択ぶ。
発芽しやすく一昼夜五右衛門風呂のお湯に温度管理をしながらつけた。
翌朝敷地を囲って流れる水に漬ける。
その作業を何回か繰り返す。
発芽を促すためである。
保有する田んぼの知力、水の豊富な地域かどうか、管理するもの
に合わせて品種別に漬けていた。
人間様のお風呂の後ではあったが、翌日のお風呂を準備するとき重くて五右衛門から取り出せず、難儀したものだ。
なんとなくモミのイガイガが残っていて五右衛門風呂洗いは難儀で、かといって手抜きは即、稲のにおいが付いた釜のにおいでばれたもんだ。
上がると敷地内にある小さな社の氏神様に神官さんを頼みお払い。お金がないときは神官さん抜き。
出来上がる苗田の早苗と田植え後の植え付けが不思議とドンピシャッと合う。
温度計は通常鉄板の筒に保管されて華々しく登場するわけだ。
ガラスの中の赤い水銀柱が移動するのが楽しく、奇異には感じず温度計をわざと和って中の赤いものの正体を調べたころがある。単なる絵の具程度の認識で後が大変。
当然犯人探しもあり、後で反省怖かったものだ。
みんな水銀柱と読んでたのにナンタルコト!
早苗は品種をわけ稲ワラ、二、三本で緑の部分を縛り、根っこをそろえて苗田から代掻きした田んぼにいよいよ田植えである。
田植えのときは竹篭で編んだものにそれをいれ、田んぼに運ぶ。
10人近くが待っている田んぼに苗を投げ入れる。
水面の微妙なドロドロが早苗姫にビシャッとかかる。
「コリャ〜今んとは、ワザとジャァネエェ〜・・みちょけ!」
か弱いはずのオネェサンがたの罵声が飛び交う。
端と端の畦には紐に目印をした田植え綱をもつ先輩方がいる。
一列終わるたびに次に
「ホ〜イッ!」
と掛け声で移っていく。
名誉職はさせてはくれない。
「そっとさせて!」と頼むと
「ハヨっ・・大ききなれ!」
中高とかになると田植えのしかたも変わった。
田んぼの水が水路として別に確保され、田んぼから田んぼを利用して水の確保をしなくて良くなった部分もあった。
ただ、田植えはまだ手植えだったが、
田植え紐はやめになり巨大いかの手みたいな筋引きに変わっていた。
田植えのときは学校より家の仕事優先!田植え休み。
稲作から貧富の差が生まれだと教えたのは今も存続してる山田分校の授業で試験にも出た。
日本文化はすべからず、稲作に由来している。
山間の集落の小生の庭の隅には土俵があった。
フランス新大統領サルコジは
「相撲を品位あるスポ−ツと見ない」そうだ。
シラクみたいに見たこともないはずなのに何をかイワン!。
麦文化の国は稲作文化が分かっていない。
120KGの力士同士の立会いの激突は1トンを超える
「グチャッ!」
地底から聞こえてきそうな恐ろしき立会いの音。
栃東は耐え切れず引退した。
豊作の祈願が奉納相撲で始まりの起源である。
ましてや野球も出来ないフランス人!
松井の2000安打に、金田正一が名球会入りをお祝いで届ける感動。
日本人は何でも喜び生活の楽しみに変える平和なおだやかな民族である。
力で抑えるサルコジフランスとは人間の品位が違い、似ても似つかない。
貧富の差・言われてる格差が生じたのは貯蔵できるようになった農作物たる稲作が行なわれるようになってからである。
和歌や田植え歌でしか、栽培方法なんか不明だったが、ル−ツの解明に役立とう。
PCが借り物ゆえ時間が上手くいかず困難を極めている。
かっての日本国家はそれを承知していたフシがあり、東京オリンピック国内聖火リレ−の起点に宮崎平和台に求めた。
昭和39年9月9日。八紘一宇の塔をバックにハニワの器に、遠くギリシャからの聖火が灯された。
塔は、大分臼杵の彫刻家、日名子実三設計。
紀元2600年の昭和15年を記念に中国各地に展開していた日本陸軍部隊からの200も加えた石塔である。
いまの江平の丸三ビルにGHQは滞在、県内を支配した。
侵略戦争の象徴の祈念モニュメントがGHQ支配の10数年間を耐え良くぞ残ったものである。
秩父宮の手になる八紘一宇の文字は聖化リレ−の翌年に復活。
司法を固める4部陣の像も揃い完全に戦前の侵略のシンボルが復活している。
400個のはにわをもって、はにわ公園が平和台公園内にある。
なお、日比谷公園にあるはにわは、姉妹公園になったのを記念して昭和40年に宮崎県から東京都に贈られたもの。
「ひらがな日本美術誌」全7巻橋本治著・新潮社刊
芸術新潮に14年連載し、通史を一人で書き上げた。
モチ−フたるメインテ-マは
「埴輪はかわいい」
に象徴される。
縄文でなくいきなり古墳時代から始まってるユニ−クさ、大胆さ。問われて、「埴輪はかわいい」
「似絵は線の美しさを見ればいい。」
懐月堂安度の美術は大津絵の都市版。
横山大観はない。大胆に切り捨てる。
俵屋宗達を最高とし、完熟の向こうにあるかわいさそれを日本化したもの。をテ−マとした。。
亀倉雄策のオリンピック・ポスタ−で終わっている。
もののよしあしは、かわいさにある。
ひらがな盛衰記で今後も指し示してくれそうである。
ハニワから神武東征の船を復元した宮崎神宮氏子。。
全長12M、幅2Mのおきよ丸と名ずけ宮崎神宮鳥居をくぐるとすぐ左手に奉納されている。
はにわに基づき復元したもの。
良くぞコレで難波まであらぶる航海を乗り切ったものだ。
金鵄が飛んできて守らずして平和な航海はなかったろう。
神話は気楽に読めば実に良くできている。
積み込んだ食料は日向・美々津で調達したハズである。
蒸かした米が何日維持できたものやら。基本たる水はいかに。
まったく持って非条理のお話。
日本国家の歴史は稲作の歴史を把握すればアル意味事足りよう。
経済制度、国家機構すべてが稲作を中心に作られていたからである。
税も役人の給料も稲作が基本でそれで最初に形作られたのが古代律令国家。
稲は単なる農作物でなく貨幣の役割を果たした。大名の力はある意味、石高で見て取れる。
5/1朝日紙は国立暦民族博物館(千葉・佐倉市)平川南(古代史)館長の研究を掲げた。
平安時代の稲の品種の判明を発表したのは1999年。
それ以降、判読以来の木簡があちこちから持ち込まれた。
奈良香芝市下田東遺跡
和世種、小須流女の品種が桶の底の木簡から読み取れる。
種蒔日は、和世種3/6、小須流女3/11、7/12・7/14・7/17
田刈は5日役とある。
福島県いわき市
荒田目条理遺跡から98年に、4点の木簡が出土
古僧子、地蔵子の品種
5/10・5/17・5/23晩種日をずらして種まきの指示
品種が管理され周到な種まき刈り取りが指示されている。
江戸時代にでてくる農学書にあるものは、平安時代の品種はすべて最新の方法で管理指示されていたというのである。
金沢市・畝田ナベ田遺跡
酒流女の木簡が出土してるが小須流女は改良種と推察される。
この時期、富士・磐梯山の噴火があり改良種が研究され出回った。
するめの品種・・する=早い、め=芽と分析される。
否増=稲を増す
銘柄が高度な技術で管理刈り取りまで様式化されてる凄さ。
一般に普及していたのであろうか。
木簡は支配者の施設から出土している。
金沢は貴族、東大寺の荘園
奈良香芝市下田東は有力者の荘園。
何種類もの種籾を農民が準備できたと思えない。
これらからいえることは支配者独占の農業のあり方で一般的に行なわれてたとはいえないのではないか。
農家の出たる小生の経験では
種籾はモミ倉に俵(タワラ)で保管されていた。
星野ジャパンの60名が決まったが
宮本慎也(東京ヤクルト)、松中信彦(福岡ソフトバンク)ら五輪経験のあるベテランから、
18歳の高卒ルーキー田中将大(東北楽天)までバランスの取れた布陣。
また宮崎の人青木宣親(東京ヤクルト)やTSUYOSHI(千葉ロッテ)ら俊足巧打の選手が名を連ね、一発に頼らず確実に1点を取り、失点を防ぐという短期決戦を意識したメンバーが選考されている。
前回拒否してる松井秀喜(ヤンキース)、男を上げたイチロー(マリナーズ)、城島健司(マリナーズ)ら米大リーグ勢は只今は選考から外れている。
10月中旬ごろに30人に絞り、最終的に24人を決める予定。
野球選手を択ぶようなハデなもんでなく、一俵ごと種籾は択ぶ。
発芽しやすく一昼夜五右衛門風呂のお湯に温度管理をしながらつけた。
翌朝敷地を囲って流れる水に漬ける。
その作業を何回か繰り返す。
発芽を促すためである。
保有する田んぼの知力、水の豊富な地域かどうか、管理するもの
に合わせて品種別に漬けていた。
人間様のお風呂の後ではあったが、翌日のお風呂を準備するとき重くて五右衛門から取り出せず、難儀したものだ。
なんとなくモミのイガイガが残っていて五右衛門風呂洗いは難儀で、かといって手抜きは即、稲のにおいが付いた釜のにおいでばれたもんだ。
上がると敷地内にある小さな社の氏神様に神官さんを頼みお払い。お金がないときは神官さん抜き。
出来上がる苗田の早苗と田植え後の植え付けが不思議とドンピシャッと合う。
温度計は通常鉄板の筒に保管されて華々しく登場するわけだ。
ガラスの中の赤い水銀柱が移動するのが楽しく、奇異には感じず温度計をわざと和って中の赤いものの正体を調べたころがある。単なる絵の具程度の認識で後が大変。
当然犯人探しもあり、後で反省怖かったものだ。
みんな水銀柱と読んでたのにナンタルコト!
早苗は品種をわけ稲ワラ、二、三本で緑の部分を縛り、根っこをそろえて苗田から代掻きした田んぼにいよいよ田植えである。
田植えのときは竹篭で編んだものにそれをいれ、田んぼに運ぶ。
10人近くが待っている田んぼに苗を投げ入れる。
水面の微妙なドロドロが早苗姫にビシャッとかかる。
「コリャ〜今んとは、ワザとジャァネエェ〜・・みちょけ!」
か弱いはずのオネェサンがたの罵声が飛び交う。
端と端の畦には紐に目印をした田植え綱をもつ先輩方がいる。
一列終わるたびに次に
「ホ〜イッ!」
と掛け声で移っていく。
名誉職はさせてはくれない。
「そっとさせて!」と頼むと
「ハヨっ・・大ききなれ!」
中高とかになると田植えのしかたも変わった。
田んぼの水が水路として別に確保され、田んぼから田んぼを利用して水の確保をしなくて良くなった部分もあった。
ただ、田植えはまだ手植えだったが、
田植え紐はやめになり巨大いかの手みたいな筋引きに変わっていた。
田植えのときは学校より家の仕事優先!田植え休み。
稲作から貧富の差が生まれだと教えたのは今も存続してる山田分校の授業で試験にも出た。
日本文化はすべからず、稲作に由来している。
山間の集落の小生の庭の隅には土俵があった。
フランス新大統領サルコジは
「相撲を品位あるスポ−ツと見ない」そうだ。
シラクみたいに見たこともないはずなのに何をかイワン!。
麦文化の国は稲作文化が分かっていない。
120KGの力士同士の立会いの激突は1トンを超える
「グチャッ!」
地底から聞こえてきそうな恐ろしき立会いの音。
栃東は耐え切れず引退した。
豊作の祈願が奉納相撲で始まりの起源である。
ましてや野球も出来ないフランス人!
松井の2000安打に、金田正一が名球会入りをお祝いで届ける感動。
日本人は何でも喜び生活の楽しみに変える平和なおだやかな民族である。
力で抑えるサルコジフランスとは人間の品位が違い、似ても似つかない。
貧富の差・言われてる格差が生じたのは貯蔵できるようになった農作物たる稲作が行なわれるようになってからである。
和歌や田植え歌でしか、栽培方法なんか不明だったが、ル−ツの解明に役立とう。
PCが借り物ゆえ時間が上手くいかず困難を極めている。