パリの芸術

2007年4月1日
憲法改正の前提法たる投票法案が成立しようとしている。
郵政改革で小泉内閣が得たのが現在の議席数

安倍内閣は政治信念をかけ選挙を経てからでないと
このような憲法改正につながる需要法案の提出権は本来ないはずである。

小泉政治の継承は欺瞞である。
投票有権者を18歳に引き下げての法案で民主党の案がとりこまれ
如何様になっていくのであろうか。

日本人にはいきなり18歳どうなんであろう。
世界の趨勢は18歳と示されてもいきなりは納得がいかない。
家庭内の教育を含めて20歳でやってきているからだ

16歳でバイク
18歳で車、パチンコ
20歳で選挙、喫煙、飲酒
段階的なステップを営々と踏んできたではないか。

貴乃花が20歳以下で優勝の美酒に怒られたり、
モ−ニング娘加護ちゃんが喫煙で非難を受ける筋合いもなくなってくる。

いきなり18歳投票権はどうなんであろう。
米、英、ロ、中、インド186ヶ国の9割が18歳。
しかしそれは言葉のあや、詭弁に過ぎない。
日本と同じもある。
韓国、チュニジア,カメル−ン、20歳
シンガポ−ル、マレ−シア21歳

ブラジル、キュ−バ16歳
インドネシア、ス−ダン17歳

法制度の総合的検討はなされてるのか。
憲法15条3項
「公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する
法9条 満20歳以上
民法3条  満20歳以上で,成年トナス
公選法、少年法、喫煙禁止法

生活制度はその国のきわめて文化水準を表す。
投票権なるその国の制度設計の変更はきわめて文化的問題である。
文化未熟で経済追求のみで走りきったる国。
民族にはその余裕が醸成するつつの期間。
強行採決による成就、
文化底浅き国を露呈しようとしている。

イタリア・ウフィツィ美術館の至宝の絵画が
上野・国立美術館に来ている。
3/20〜6/17まで展示。
九州からは遥かかなた文化に縁遠い。
ルネサンス絵画の宝庫ウフィツィ美術館は、メディチ家のコレクションをもとにしたヨーロッパ最古の美術館のひとつ。

その中でもキリスト国家には国家創世の意味をも含んでいるのであろう。
数少ないレオナルド・ダ・ヴィンチの若きころの名作。
受胎告知
受胎告知はキリスト教の聖典である新約聖書に書かれているエピソードの1つ。
聖告、お告げ、生神女福音とも言う。
一般に、処女マリアに天使のガブリエルが降り、
マリアが聖霊によってキリストを身ごもることを告げ、またマリアがそれを受け入れることを告げる出来事。

マリア崇敬の思想を背景として、キリスト教文化圏の芸術作品の中で繰り返し用いられるモチーフ。
受胎告知が記述されているのは、「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」

遠近法が用いられて描かれた風景
中央の山が大きく見えるのは絵画に秘められたる思いなんであろうか。
映画「ダビンチ・コ−ト」のヒットでより身近になった巨匠の作品。

レオナルド・ダ・ヴィンチの誕生日は1452年4月15日。
これを記念して、東京国立博物館表慶館にて記念コンサートが開催される

ル−ブル美術館がアラブに分館を作る。

アラブ首長国連邦はアブダイ、ドバイなど7ツの首長国
沖合に総額270億ドル「文化島」を建設する。
サヂャト(幸福)島=27平方kmには安藤忠雄ら世界有数の建築家が設計する文化施設が売り物で、フランスのルーヴル美術館の分館も誘致する。

豊富な石油マネーを生かして観光を新たな産業の柱に育成する。
012年ごろから一部の施設が稼働し、18年に完成する見通し
ちなみに、27平方kmってどの程度の面積かというと
、山手線の内側の面積が65平方km、
アブダビ人口島は、山手線の内側の約41%程度の大きさ。
山手線の内側の面積=東京ドーム1300個分で、アブダビ文化島は、東京ドーム533個分。

ルーヴル美術館やアメリカのニュ−ヨ−ク・ブッゲンハイム美術館の分館藻作られる。
ル−ブルは儲かっている。、
昨年ル−ブル日樹幹の分館を米国アトランタ・ハイ美術館に作った。
収入が85億発生してル−ブルの改修費に当てるそうだ。
ダビンチコ−ドの映画化でル−ブルに新たな観光ル−トができた。
1570円で案内のコ−スがある
ル−ブルの利益金は2002年62億円が
2006年で109億円
芸術って儲かるんだ

国立新美術館が六本木にオ−プン賑わっている。

「異邦人たちのパリ」を展示している。
芸術の都パリは、19世紀末から今日まで、フランス国内だけでなく、世界中の芸術家たちを魅了してきた。

パリに暮らす人々をモデルに人間の本質に迫ったピカソ(スペイン)やシャガール(ロシア)、モディリアーニ(イタリア)、藤田嗣治(日本)などの画家やブランクーシ(ルーマニア)、ジャコメッティ(スイス)などの彫刻家、パリの情景や風俗を写し出したブラッサイ(ハンガリー)やウイリアム・クライン(アメリカ)などの写真家たちが、パリでその才能を磨き、開花させた。

フランスが誇る近現代美術の殿堂ポンピドー・センターの所蔵作品から、近代美術史を彩る著名な芸術家たちのほか、
今もなお旺盛な活動を続ける中国や南米、アフリカ出身の現代芸術家たちの作品、約200点を紹介

近現代美術においてパリやそこでの外国人芸術家が果たした役割をふり返る展覧会。
国際都市・東京に誕生した新しい美術館で、パリが育んだ世界中の芸術家の傑作の数々がみれる。
合わせて
「大回顧展モネ 印象派の巨匠、その遺産
2007年4月7日(土)〜7月2日(月)
抽象、シュ−リアリズムに主点を当てている。
ピカソ、モイジイリ−ニが見所。

パリ・ロダン美術館
 パリのロダン美術館は5月16日から9月9日
「ロダンと日本の夢」展
浮かび上がる芸者花子、荻原守衛らとの交流

オーギュスト・ロダン(1840〜1917年)の日本にまつわるデッサンや彫刻など174点を集めた企画展

ロダンは100年前に、芸術と自然との関係や浮世絵を通して日
本に強い関心と夢を抱き続けた。
当時、ロダンと交流のあった日本人の姿も浮かび上がる。

 ロダンは晩年の約10年間、花子(本名・太田ひさ)という日本人女性との交流を続けた。

、花子は岐阜市出身の芸者で、1901年にコペンハーゲンの国際イベントに歌舞伎を取り入れた舞踊で参加、
05年にロンドンで米国人振付師、ロイ・フュラーに見いだされ、
翌06年に仏マルセイユで開かれた「植民地展」でフュラーの振り付けで踊った。
同展に来ていたロダンは花子の舞踊を一目見て夢中になった。

 当時は日本のイメージには切腹が付き物で、舞台は花子が切腹して終わるのが定番。
ロダンは花子の死を表す表情の強さ、体全体の表現の豊かさに強く引かれ、
07〜08年に花子の頭像約60点をつくり、デッサン22点を描いている。

第一次大戦が勃発した14年、ロダンはパリ南西ムドンの自宅に花子をかくまい、
花子はその後一時帰国、
17年11月再び戻ったときにはロダンが死亡した直後。
 
「当時の欧州はジャポネズムが満開で、浮世絵はロダンやモネだけでなく全欧州の芸術家を驚かせ、一方で切腹
や大胆な陰画も衝撃を与えた。ロダンは新しいものへの関心が強く、浮世絵のシンプルな線を強く尊敬し、日本を『デッサンの
大国』と見ていた」という。

 明治期の日本に広くロダンを紹介した荻原守衛(碌山)は、
画家を目指して渡欧
03年にパリで「考える人」をみて衝撃を受け、彫刻家への転身。

07年にムドンでロダンに会い、浮世絵2点を贈った。
ロダンは雑誌『白樺』のメンバーたちとも交流があり、
白樺は10年、ロダン特別号を発行して浮世絵21点をロダンに贈り、ロダンもブロンズ像3体を返礼している。
これは宮崎県木城・新しき村に展示されたこと武者小路実篤の著書で読んだ記憶がある。

「マダム・ロダン像」は白樺美術館に常設で展示

『ロダン夫人』 25.3cm
『巴里ゴロツキの首』 8.8cm
『或る小さき影』 31.5cm
大原美術館にある。

ロダン美術館にはロダンに贈られた荻原の著書『彫刻真髄』も残っており、同展でも展示される。 

「ロダンは自然のとらえ方で日本の芸術家たちに親しいものを感じていた。
モネは南仏の自宅に日本庭園を造園し、ロダンも作風に強く影響を受けていた」。

 「ロダンと日本の夢」展について、
「ロダンの日本の見方、日本との出合いを浮かび上がらせたい」としている。
ロダンが感動を受けつくった花子の像に後に米国人写真家エドワード・シュタイケンが感動して撮った写真3枚も展示される。

憧れていた日本の急激な底浅き制度変更にパリはどのように日本を見るのであろう。
親日大統領も去ろうとしている。

オペラ座で「ニラミ」をきかした人も今日には帰ってこよう。
どこまで歌舞いてきたのであろう。

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