西都原
2004年4月27日朝一の電話
「オ〜おはよ。朝アイちょらんヤ〜合わせたい人が
きしょラットジャが〜」
電話の会話を第三者が聞く限り、
「いい電話ではない!怒られる!」と感じ取ることであろう。
それが、地元言葉に精通した人なら、吉報とすぐわかることであろう。
言葉や態度の乱暴さは気さくさに過ぎない。
類は類を呼ぶという時は余りいいほうに使われない。
されど、できる仕事人同士なら、職種が違おうと匂いでわかる。
類は仕事がテキパキ出来るや否やがキーワードとなる。
遅いことなら誰でも出来る。
即断即決である。
判断のキーワードはお客さんの為になってるかどうか。
唯、それだけである。
職種は違えど職人の腕のよさ悪さは乗ってる車、
持ってる道具でわかる。
パソコンのアイコンの整列状態で会社の状況も判断できる。
営業マンをみれば会社状況がわかる。
馬子にも衣装は当たらずとも遠からずで先哲の教えである。
自分の社内にある身分、立場があり限界があろうが、
出来うる限りのその場の最大の判断である。
懐に常に辞表を持っている気概、気骨である。
すぐに飛んでいき、九州地区の次長さんと面談。
隣に折られる大先輩がなんと力強いことか。
こちらの状況を天秤にかけての質問には背筋がピ〜ンと張る。
青筋がピ〜ンと張るならいいんだけど、背筋はどうも・・いけない。
ノンビリ専務さんもご登場いただき、ホント(このバカ!)有難い。
一言も発っしないんだもの。何しに来たの。・・ないものねだり。
素直,愚鈍な職人での印象なら、・・・キャラが出ていい。
ま〜ア、二人は、名?コンビ、いかほどにうっつたかは先方の判断。
後は、まな板の鯉。人事を尽くして天命を待つ。
「どうにでも、シヤガレッてんだ!}の江戸っ子、一心太助のいささかの開き直りである。
西都に請求書を出し、NEFの15年度分の未処理の対策協議は
明日までに高岡の本人の印鑑をもらってもらうことにした。
驚きであろう。
まだこんなことやっている状況なのである。
私共,APAがしでかした失態ではない。
救っているだけだ。どうにもピエロ役だけではいたたまれない。
・・・・・・
西都といえば昨日まで天皇家がおられたところ。宴の後を偵察である。
夥しく臨時の施設の残る風景でまだ撤去の作業も進んでいない。
日よけか、雨除けか知らぬが、お粗末なのか、予算のかけすぎなのか中途半端なメイン会場の後。
おそらく撤去であろう。人工造築物は、認められぬ素朴さが売りのはずだからである。
かすかな記憶に頼るが西都原は全国に先駆けた風土記の丘の指定を受けたのじゃなかったのか。
その内容は、農地利用の地元にしてみれば、不便この上ないものであった。
景観維持の事情から、電柱は一切なく、この地域特有のビニールハウス農業施設は、造れず、まったく見受けない。
しっかりと、古代古墳時代のロマンが守られてきた。
この地域特有の純情さ、素直さゆえの地元民の素顔が出ている。
営々と守られてきた、男狭穂、女狭穂の古墳群と280余基もの
古墳墓の群生はこの地元民の努力の賜物である。
律令政治の時代、=国の支配の構造は国分寺、国分尼寺で国の方針が下々に伝えられ統制された。
南九州の拠点の最南端の国分寺はこの西都原の台地の南側に
位置していた。
ここから別国的要素があった薩摩まで支配していた。
政庁本拠地に暮らす人々。近隣に比べ文化、教養の高さが忍ばれよう。
このような地域特有の生活環境から来る高い教養、道徳性。
その住民性が脈々と受け継がれゆえに古墳は伝統的財産として残ってきたのであろう。
然るにどうだ。子持ち家型埴輪が出た167号墳はナント美しく改ざんされ芝で敷き詰められている。
見るからにキッチリした形のいい古墳、・ザ・!・コ・フ・ン・
これって・・文化財保護法違反ではないのか。
在来の博物館は景観上、地下式であった。やむ得ぬことであった。
いかにお上といえど無茶は通らぬハズ。法事国家ゆえである。
ところがどうだ。げさくなビルデングの出現である。
安藤知事の実家はこの台地のしたの集落にある。
母親たる安藤千恵先生は小学生の頃の恩師。
長崎の鐘,など戦争後の長崎の状況の読み聞かせの永井博士のことは忘れられない授業の一コマ。
前知事時代に策定された施策ゆえ新知事にはむりからね事であろう。
天皇家なら、守られてきた風景も一顧だにされないのは
許されていいのか。
父親が郵便局勤めの共通をもつ佐伯孝夫と阿久悠。
佐伯孝夫の功績は戦前戦後を通して語るに足りない。
阿久悠のオマージュ。
まぶしき女優の夏目雅子の瀬戸内少年野球団は
阿久悠の幼少のノスタルジー、
彼の父は川南町であったはずだ。
少なくとも宮崎の血は流れている。
よって、共感できる人生観を秘めている。
作詞家阿久悠が産経紙「正論」欄で指摘した。かつての日本人が持っていた資質を列挙し、
「今、いくつ残っているだろうか」と記した。
挙げられた資質は次の13点。
器用▽勤勉▽正直▽優しい▽頭がいい▽きれい好き▽努力家▽愛国者▽謙虚▽忍耐強い
▽シャイ▽礼儀を重んじる▽志が高い。
西都の人の持つ人生観そのものである。
景観を中心に守られてきたものが、わずか一日の植樹祭の為に
壊されるのは、いかに天皇家のご臨席があろうとなかろうと許されるべきではない。
脈々と受け継がれたことを子孫に残す。
八百の神が宿る豊葦原の国、日向。
太古のロマンを自然に受け入れ生活している純朴な西都人。
人身を乱れさせ、風紀、生活心情を変えさすイベントの植樹祭。
これでは、かえって神のつくりしプレゼントたる地球自体が
あざ笑っていることであろう。
自然破壊者は、原点たる、西都原を尋ねるのを勧める。
古代人の叫びを聞くがいい。
癒しの瞬間に酔えることであろう。
西都原はご先祖様の生命の源である。
「オ〜おはよ。朝アイちょらんヤ〜合わせたい人が
きしょラットジャが〜」
電話の会話を第三者が聞く限り、
「いい電話ではない!怒られる!」と感じ取ることであろう。
それが、地元言葉に精通した人なら、吉報とすぐわかることであろう。
言葉や態度の乱暴さは気さくさに過ぎない。
類は類を呼ぶという時は余りいいほうに使われない。
されど、できる仕事人同士なら、職種が違おうと匂いでわかる。
類は仕事がテキパキ出来るや否やがキーワードとなる。
遅いことなら誰でも出来る。
即断即決である。
判断のキーワードはお客さんの為になってるかどうか。
唯、それだけである。
職種は違えど職人の腕のよさ悪さは乗ってる車、
持ってる道具でわかる。
パソコンのアイコンの整列状態で会社の状況も判断できる。
営業マンをみれば会社状況がわかる。
馬子にも衣装は当たらずとも遠からずで先哲の教えである。
自分の社内にある身分、立場があり限界があろうが、
出来うる限りのその場の最大の判断である。
懐に常に辞表を持っている気概、気骨である。
すぐに飛んでいき、九州地区の次長さんと面談。
隣に折られる大先輩がなんと力強いことか。
こちらの状況を天秤にかけての質問には背筋がピ〜ンと張る。
青筋がピ〜ンと張るならいいんだけど、背筋はどうも・・いけない。
ノンビリ専務さんもご登場いただき、ホント(このバカ!)有難い。
一言も発っしないんだもの。何しに来たの。・・ないものねだり。
素直,愚鈍な職人での印象なら、・・・キャラが出ていい。
ま〜ア、二人は、名?コンビ、いかほどにうっつたかは先方の判断。
後は、まな板の鯉。人事を尽くして天命を待つ。
「どうにでも、シヤガレッてんだ!}の江戸っ子、一心太助のいささかの開き直りである。
西都に請求書を出し、NEFの15年度分の未処理の対策協議は
明日までに高岡の本人の印鑑をもらってもらうことにした。
驚きであろう。
まだこんなことやっている状況なのである。
私共,APAがしでかした失態ではない。
救っているだけだ。どうにもピエロ役だけではいたたまれない。
・・・・・・
西都といえば昨日まで天皇家がおられたところ。宴の後を偵察である。
夥しく臨時の施設の残る風景でまだ撤去の作業も進んでいない。
日よけか、雨除けか知らぬが、お粗末なのか、予算のかけすぎなのか中途半端なメイン会場の後。
おそらく撤去であろう。人工造築物は、認められぬ素朴さが売りのはずだからである。
かすかな記憶に頼るが西都原は全国に先駆けた風土記の丘の指定を受けたのじゃなかったのか。
その内容は、農地利用の地元にしてみれば、不便この上ないものであった。
景観維持の事情から、電柱は一切なく、この地域特有のビニールハウス農業施設は、造れず、まったく見受けない。
しっかりと、古代古墳時代のロマンが守られてきた。
この地域特有の純情さ、素直さゆえの地元民の素顔が出ている。
営々と守られてきた、男狭穂、女狭穂の古墳群と280余基もの
古墳墓の群生はこの地元民の努力の賜物である。
律令政治の時代、=国の支配の構造は国分寺、国分尼寺で国の方針が下々に伝えられ統制された。
南九州の拠点の最南端の国分寺はこの西都原の台地の南側に
位置していた。
ここから別国的要素があった薩摩まで支配していた。
政庁本拠地に暮らす人々。近隣に比べ文化、教養の高さが忍ばれよう。
このような地域特有の生活環境から来る高い教養、道徳性。
その住民性が脈々と受け継がれゆえに古墳は伝統的財産として残ってきたのであろう。
然るにどうだ。子持ち家型埴輪が出た167号墳はナント美しく改ざんされ芝で敷き詰められている。
見るからにキッチリした形のいい古墳、・ザ・!・コ・フ・ン・
これって・・文化財保護法違反ではないのか。
在来の博物館は景観上、地下式であった。やむ得ぬことであった。
いかにお上といえど無茶は通らぬハズ。法事国家ゆえである。
ところがどうだ。げさくなビルデングの出現である。
安藤知事の実家はこの台地のしたの集落にある。
母親たる安藤千恵先生は小学生の頃の恩師。
長崎の鐘,など戦争後の長崎の状況の読み聞かせの永井博士のことは忘れられない授業の一コマ。
前知事時代に策定された施策ゆえ新知事にはむりからね事であろう。
天皇家なら、守られてきた風景も一顧だにされないのは
許されていいのか。
父親が郵便局勤めの共通をもつ佐伯孝夫と阿久悠。
佐伯孝夫の功績は戦前戦後を通して語るに足りない。
阿久悠のオマージュ。
まぶしき女優の夏目雅子の瀬戸内少年野球団は
阿久悠の幼少のノスタルジー、
彼の父は川南町であったはずだ。
少なくとも宮崎の血は流れている。
よって、共感できる人生観を秘めている。
作詞家阿久悠が産経紙「正論」欄で指摘した。かつての日本人が持っていた資質を列挙し、
「今、いくつ残っているだろうか」と記した。
挙げられた資質は次の13点。
器用▽勤勉▽正直▽優しい▽頭がいい▽きれい好き▽努力家▽愛国者▽謙虚▽忍耐強い
▽シャイ▽礼儀を重んじる▽志が高い。
西都の人の持つ人生観そのものである。
景観を中心に守られてきたものが、わずか一日の植樹祭の為に
壊されるのは、いかに天皇家のご臨席があろうとなかろうと許されるべきではない。
脈々と受け継がれたことを子孫に残す。
八百の神が宿る豊葦原の国、日向。
太古のロマンを自然に受け入れ生活している純朴な西都人。
人身を乱れさせ、風紀、生活心情を変えさすイベントの植樹祭。
これでは、かえって神のつくりしプレゼントたる地球自体が
あざ笑っていることであろう。
自然破壊者は、原点たる、西都原を尋ねるのを勧める。
古代人の叫びを聞くがいい。
癒しの瞬間に酔えることであろう。
西都原はご先祖様の生命の源である。