栄冠は君に輝く

2004年4月21日 音楽
4月12日よりいよいよ最後の国の補助金が出る形での
太陽光発電システムの設置レースが開始された。

このレースの厳しさは金メダリストの我が宮崎のきゅうちゃんこと
高橋尚子のローマのレースの夢、断念どころではない。

地球環境を守るためのやりやすい国のお墨付きがなくなるからである。
とかくお上に弱い国民性ゆえ国の呪縛から解放されたら大変なことに
なる。

補助金を出し始めて12年目になり普及しきったので
補助金を打ち切るとの事である。

それもしみったれの昨年の二分の一の1KWあたり、
4万5千円をである。

普通3KWが標準設置であるので27万であったのが、13万5千円になる。
たまったもんじゃあない。

然し国の補助は補助、お客さんにアピールしやすい。
さぁ〜スタートである。

昨日から取り掛かった佐土原町のお客さん24枚3KWの工事が
今日終了した。

新メンバーでよく遣り上げたものだ。
4月より来た若大将の齋○さんの功績大である。

18歳の新卒の岩○さんもがんばりやさん。
師匠の○藤さんの鍛え方しだいである。
10年後の姿がみてみたい。

さて、来年のことも視野に入れての営業となろう。
そのときは税制で行くしかないのであろうか。

太陽光発電機器の基準取得額の7%の税額控除である。
初年度30パーセントの特別償却控除の選択。
このどちらかの選択で節税が出来る。

なお、先日書いたが、我がAPAは日本一に挑戦する。
NEDOの日本で始めてのことを実施するのである。
そこでの節税策のことである。

つまり、520万以上の設備については3年間固定資産税の課税標準額を6分の5の額として減じる制度である。

このことの実現を目指し、いよいよその前段の工事に明日から取り掛かる。

実はこの方の実家に3,6KWの太陽光発電システムの工事を
明日から開始するのである。

此れで、2件目。
おそらくここまでは確実に宮崎でもトップに立っていることであろう。

ところが此れからが大変であろう。
夜8時に4KWの契約を頂いた。

いたいた、平成の武士、武士道精神ここにあり!を決めておられる方。
自衛隊にお勤めである。

失礼な質問をしてみた。
『イラクに行けとの命令が出たらどうしますか』

歯に着せぬ妻の立場からの即断の回答である。

「死んでも遣り抜いてほしい。家族は拍手で送り出します。」

「タダ、こんな時代であり、テレビもあるでしょうから、元気で、とか、言わざる得ないのでしょうか」

ご主人曰く

「日ごろ、税金泥棒とか言われているので、名誉挽回!働いてきて見せます」

その潔さに脱帽!久しぶりに武士道の潔さ、控えめ、慎ましさを
垣間見て心地よかった。

池波正太郎、か藤沢修平の読後感の爽やかさである。

映画で言うなら山田洋二監督の会心作アカデミー・ノミナートの
「たそがれ清兵衛」を観た直後みたいな
日本人夫婦の姿が目の前にあった。

仕事をしながらこんな一言を聞けて、ほんと役得である。
過半、「本音としては行きたくないです。』と聞いたことがある。

昨年12月のときのお客さんである。

では、聞くが
「あなたの仕事はなんですか?」と。

此れは持論である、
「イラク派遣は間違いである。」とはまったく矛盾しない。

個々人の仕事に対する責任感は、武士道でなければならぬ。
あまりにもの無責任が蔓延しており、精神が疲弊している。

敷島の 大和心を人問わば  朝日に匂ふ山桜花.

本居宣長の絶唱こそ今に伝わる日本人の生きた論、
日本の象徴を花に託しての心情の吐露、

日本男児ここにあり!!にまで開花する。
実はこの感動は二度目。リメイクであった。

今日はナント凄い日であろう。

今朝10時のお客さんで懐かしき青春の感動のシーンに出会っていたのである。

昭和48年ごろの日本は社会的混乱をまだ引きずっていた。
早朝の県庁正面には、まさに黒山の人だかり。優に3000人は入る。

その先頭を繰るのは身の丈何尺の大男とおもいきや、
一寸法師の県庁土木部管理課長の後藤○高ではないか。

罵声が飛びかい、人にもまれ、背広もクチャクチャでただ黙々と
信念を通した。

敵ながら天晴れ!大勢の仲間には悪かったがそのときの光景は
忘れない。

鉄道員とか苦い米などの映画はどのような心境で見られたろう。
このシベリヤ抑留者の生死をさまよった方。

今日の今日まで知らなかった無礼者の私。
青年行動隊、責任者を任じていた私ががこのストやぶりの隊長には
興味・・・侮蔑と悪意を持ったものである。

もちろん雲の上の人いわゆるお偉いさんゆえ、
その後も会話が届くはずもない。

監査委員とか要職での活躍ぶりは見聞きしていたがそのままになっていた。

それがどうだ。表札を見て驚いた。

あの時の老成からしてもうこの世で会える人とは思っても見
なかったがどうだ。

82歳で矍鑠たるモノ。自転車で通っての英会話中とのことである。
まだつずく奥様のご看病を必死でなさっている優しさ。

その庵も社会的養殖をされたには思えぬみすぼらしさ。
お金はたくさんあるのに・・

完全に参ったのは、、私が叙勲はどうでしたでした?
と訪ねたときの返事。

「父は人を差別するくらいのある叙勲は拒否してました。」

この高潔な人格!どこかの皇室反対の政党のハズなのに
チャッカリ叙勲受賞者に聞かせたい!

父は仕事ばかりで父が遊んでくれた記憶もなく、
家庭孝行はまったくする暇もなかったです。

こうなったら気持ちいい寅さん啖呵ダ、エェイ!

「たいしたもんだよ蛙のションベン見上げたもんだよ屋根屋のふんどしって」

「イヨッ!いっこう!」

私は実に恥ずかしい、あながあったらはいりたい。!
お姉さん!あなかして。

懐かしい寅さんきてくれ!

満 男 「人間は何のために生きているのかな」

寅次郎 「何て言うかな、ほら、
      あー生まれてきて良かったなって思うことが何べんかある                            だろう、
      そのために人間生きてんじゃねえのか」

   そうよ、人生は賭よ。

今日のお二方と出会えて百万巻の書を読んだよりの教訓を受けた。
未熟な恥ずかしい自分を鏡に照らされだされた。

ある記念館が善意で建てられ、運営される美談である。
シベリヤ抑留中、独学で作曲した戦場の幻の曲。

大陸より引き上げてきて驚いた。自分の作曲した曲ではないか。
その数奇で奇異な強運の持ち合わせ者・・・の

吉田正記念館がオープンする。
国民栄誉賞の作曲家「異国の丘」のいや、小百合の「寒い朝」のあの作曲家である。

玉置宏の司会の日曜日正午は「一週間のご無沙汰でしたのロッテ歌のアルバム」殆ど吉田正であった。

いつでも夢をはレコード大賞に選ばれてるハズ。
有楽町で会いましょう、潮来笠、だれよりも君を愛す。。。

茨城県日立市にオープンする吉田正音楽記念館のことである
5階建てで800平方メートル。見て聴ける記念館のようだ。

27日橋幸夫、吉永小百合をはじめ門下生が集うそうだ、
入場無料がいい。ヨウ!えどっこ!

これじゃだまって帰えれねぇ!万札一枚おいてぇやら!
おっとっと・・・おねぇちゃん!おつり!・・

こりゃ・・・・おれって・・・・ダメだ!

    くつずく)もあります。
疲れたでしょ…
こちらは軽快なあの曲の復活のお話。
芸術歌曲に限らず唱歌、歌謡曲など多岐にわたる大和心を極める

ソプラノ歌手藍川由美が古関裕而の曲を復活させた。
国内では著作権が絡むので逆輸入とのウィーンで録音である。

なんたって高校生の夏、球児の応援歌、栄冠は君に輝くがいい。
暁に祈る/露営の歌 喜びも悲しみも幾歳月・・・

戦前前後に国民を勇気ずけてきた。
早稲田、慶応の応援歌もそうである。

このジャケットの目玉は未発表の北原白秋の「垣の壊れ」。
ウイーン・フィルの主席チエロのドレシャルである。

長崎の鐘はどうこなされたか。
ウイーンのツアッペル・ムジーク社の制作カメラータ・トウキョウが
逆輸入・ほ・し・い・

ウイーンと言えば、大観覧車。あの、第三の男の旧友との場面である。
死んだはずの友人は生きていたのである。・・・・
  ・・・・・・
ウイーンはヨハン・シュトラウス1ヨハン・シュトラウス1世の
生誕200年で大賑わいのはず。

ワルツ王の名声をほしいままにしているのは息子たるシュトラウス2世あの美しき青きドナウはいいナ〜ナンカうきうきする。

これまで存在が薄かった父1世の再評価である。
男女が寄り添い、踊るは当時は煙たがられた。

ワルツは所詮田舎者の曲であった。
ヨハン・シュトラウス1世は根気ズ欲演奏を繰り返し、貴族社会に受け入れられ今日の興隆を招いた第一の功労者である。

ヨハン・シュトラウス1世の縁の下の努力の再評価は自分を照らしてみていて、二重写しにオーバーラップして、涙ぐましい。

昼間は明日よりの工事の足場の現場確認を済ませ、迷子気味での鉄骨屋さんに行き、多忙を極めた。

夜、10時に帰社して、山拓さんに13枚パネルの協議で12時に帰社。
日記を書いている。

これじゃあ、頼まれた申請書の作成はおぼつかない。
がんばれ営業せきやん。
  ・・・・登場した皆さん!・・・・
  栄冠は君に輝く。

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