予測された通りのマスコミ・ジャックある。つまり、3人のイラクの
邦人誘拐一色で他のニュースが伝わってこない。 

5日実施のインドネシア総選挙の結果、12日投票の韓国の総選挙は一切ないのである。

アジアの盟主足らん経済大国日本はインドネシアの総選挙費用だけで約3500万ドル約40億円の無償資金援助に20名を派遣する等大きな貢献を行ったのに報道は一切無しとは何事か。

インドネシアの広大な国土、約1億3000万人の有権者数と
32万の投票所、選挙準備期間を勘案すると、選挙実施のための物質的、技術的な困難は極めて大きなものであったとの理由による大判振る舞いのようだ。ヨォツ!お金持ち!

太平洋戦争勃発に伴い、日本は英領マレー連邦に侵攻開始。
マレーのトラこと山下将軍のシンガポール の銀輪部隊の勇士を民主教育の下でも子供ながらに描いた。インドネシアもおなじである。

インドネシアは当時、蘭領インド、蘭印といわれていた植民地化であった。後の歴史に言う東インド会社での植民地支配である。

帝国日本は石油資源地として、掌握する必要にかられ他の南方諸地域より力を注いだ。

マライとスマトラとジャワとボルネオとセレベスは日本帝国の領土と昭和18年5月の御前会議で決定した。

当初の日本は、インドネシアの救国の闘志スカルノあるいはハッタを蘭、英国の政治犯から解放し、歓迎された、

軍国支配の日本は次第に馬脚を現し、集会の自由、結社の自由も禁止 政治的言論、行動、扇動の禁止国旗の掲揚とインドネシア国歌を禁止しオランダ政権の時よりも後退しインドネシア人の自治は否定された。

● 独立の父?スカルノ時代(20年間)

太平洋戦争終結後、スカルノは大統領に就任
強大な大統領権限の国に改組し、独裁政治を敷いた。

国軍と共産党の微妙なバランスの上に成立。
1963年のマレーシア連邦結成を「新植民地主義の陰謀」と非難
共産圏に接近し国内でも共産党にテコ入れして均衡を崩す。

1965年10月1日早朝急成長する共産党と国軍との対立が頂点に、
国軍内の左派勢力が6将軍1士官を殺害するクーデター未遂事件
(9月30日事件)が惹起。

スハルト率いる治安秩序回復作戦司令部は共産党の解体に乗り出し
3ヶ月の間に約50万人に達する大虐殺。
1966年3月、スハルトに大統領権限を委譲 

 ●開発の父?スハルト時代(ゴルガル党)(32年間)

「新秩序(オルデ・バルー)」は、「反共」「開発独裁」でスカルノ時代とはがらりと違った。
スハルトの政治組織「ゴルガル党」の基盤は磐石であった。

原油産出国たるスハルトは二度のオイルショックを切り抜けた。
1973年の原油産出国オペックの5倍値上げ、
79年イラン革命(バーレブイ王制からホメイニ師のイスラム共和国の建国)

アメリカはイラクを支援し軍事的に圧力をかけ、このイランの国作りを妨害したのはナント皮肉なことか。

しかしながら、このオイルショックで苦しむアジア通貨の危機で
スハルトは1998年5月21日に辞任を表明、32年の長期政権の幕を引く。

   ●民主政治の父?ハビビ時代(ゴルガル党)

スハルトから突然政権を受け継いだ副ハビビ大統領、スハルト派を追
い、政治犯釈放、言論自由化、東ティモールからの撤兵

スハルト時代に禁じられていた新党結成が解禁、3の政党が200以上に.
注目は政治の蚊帳(かや)の外のイスラム勢力の政党結成。

ところが皮肉なことに、これらのことにより、失脚。
ソ連邦崩壊の立役者ゴルバチョフみたいである

民族覚醒党(PKB)」 
 保守系イスラム団体「ナフダトゥール・ウラマ (NU)」

国民信託党 (PAN)」
改革派イスラム団体「ムハマディア」のアミン・ライス議長
一時は国民のオピニオン・リーダーと見られた
都市イスラム層に近い与党ゴルカルとの提携を模索

「ムハマディア」総裁アミン・ライスの国民信託党(PAN)

開発統一党 (PPP) などイスラム勢力が政治的発言力を強化。

与党ゴルカルはKKN(汚職・癒着・縁故)議員を追放、イメージ刷新を図り、7月の総裁選では、ハビビ大統領が支持基盤のICMI勢力を後押しし、腹心アクバル・タンジュン国家官房長官を勝たせたため、

退役将校グループが反発して離脱、正義統一党を結成。
こうしてゴルカルも国軍偏重から脱却し、ICMIを通じてイスラム勢力に接近。

 東ティモールやイリアンジャヤで、反政府暴動が発生。
北スマトラのアチェ地方でも8月に独立運動を弾圧するための

「軍事作戦地区(DOM)」指定が解除されると、国軍による過去の虐殺なども明るみに出、国軍に対するテロさえ発生

8月30日には東ティモールの独立の是非を問う住民投票が行われ、78.5%の圧倒的多数で独立が承認。

併合維持派が独立派住民への攻撃を強化、事態を収拾できないインドネシア政府は国際的非難にさらされ、9月12日に国連多国籍軍の受け入れを余儀なくされる。

10月の国民協議会の不信任を受けたハビビ大統領は、次期大統領選への出馬を断念。10月20日に行われた同選挙では、イスラム系中道会派が擁立したグス・ドゥルがメガワティを破り、大統領に就任。

●放癖のツケ「?アブドゥルラフマン・ワヒド (通称グス・ドゥル)(民族覚醒党(PKB)、)、

1999年6月7日、、総選挙結果
▲闘争インドネシア民主党 (PDI-P)(得票率33.7%)……メガワティ党首率いる民族主義政党 (旧インドネシア民主党闘争派)。
イスラム色が薄く、一般庶民、華人、キリスト教徒、ヒンドゥー教徒らの支持が強く、国軍との距離も近い。

▲ゴルカル党(得票率22.4%)……スハルト政権下の与党。
▲民族覚醒党 (PKB)(得票率12.6%)……
ナフダトゥール・ウラマのグス・ドゥル議長が総裁。
▲開発統一党 (PPP)(得票率10.7%)……イスラム系既存野党。
スハルト退陣後、イスラム色を前面に押し出した。
▲国民委託党 (PAN)(得票率7.1%)……アミン・ライスが率いる近代主義イスラム政党。

2001年7月のMPRでグス・ドゥルが大統領を罷免されるというお粗末さを露呈。韓国や小泉とかに似てる!ご注意あれ。

 ●女権の確立?メガワティ(闘争民主党)

副大統領から昇格したスカルノの長娘メガワティは、
中道保守路線で国民生活を安定させることに成功、

しかし、アチェ独立紛争では2003年5月19日に反政府勢力の掃討のための本格的軍事作戦を発動させるなど、タカ派的側面も持っている。

また、世界的な反テロの流れの中、イスラム過激派を徹底的に取り締まれないという弱点も露呈。

彼女の政権は、インドネシアをどういう方向へ導いていくか、
今回の総選挙の結果がまたれる。
  ・・・・・
人類の起源ジャワ原人は100万〜65万年前この国から始まった。
その後中国に渡り60万年前の北京原人となった。

20万年前、原人(ホモ・エレックス)はホモ・サピエンスとなった。
10万年前、火の発見は、エネルギーにめざめ、4万年前クロマニヨン人の出現である。
  ・・・・
米ソの冷戦時代を経て、オイル・ショックを乗り切った陣営と
低廉な域内エネルギーで合理化を怠ったソ連圏では国の崩壊。

アメリカが唯一の地球の盟主となった。
力でねじ伏せる新たな植民地時代の幕開けである。

民主主義たる自慢の選挙制度はそのアメリカのアキレス腱。
韓国、インドネシアの選挙でアジアはゆれる。

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