南極

2004年4月3日 時事ニュース
春に3日の晴れなしである。
薄日の一日で明日は下り坂。最後の花日和であり、一人夜桜を見よう。

世界に類のない四季が明確な列島の国である
中国大陸と既に雨季の東南アジアの影響下で決まるわが国の天気事情

CO2の増加による地球温暖化で列島は亜熱帯気候に入っているのは植物や微動物で確認できる程である。
3/22にCO2のことを書いたら翌日新聞記事があった。

南極の観測で気球を上げる状況を見にするであろう。
現状は飛行機や気球での人力測定がほとんどである。

ところが、記事によると国立環境研究所がCO2濃度を上空10キロ付近まで遠隔測定できるという。
人力の観測から科学的観測が期待される。

大気中7300億トン(370ppm)排出

/////化石燃料63億トン/////

・・・・陸上の森林・・・14億トン吸収
・・・・海洋で・・・・・17億トン吸収
・・・・・年間・・・・・32億トン年間増加

学問に停滞無しである。台形の面積が復活した。
教育の混乱の極みである。

(上底+下底)×高さ÷2の公式を覚えたときの勉強の必要性、
少しえらくなった自尊心の気分は向学心の何たるかを知った。

化石燃料から排出されるco2量はわかっていても排出された
co2の移動・吸収の仕組みは不明である。

科学的手法の導入は地球温暖化の予測がより正確になる。

京大瀬戸臨海研究所の城山教授はco2増加が浅海生物の生長を妨げると発表した。とある。

ウニや貝など成長を妨げる浅い海は空気中と同じ程度co2濃度が上昇すると
外殻は炭酸カルシュウムからなるので溶解するのである。、

南極の観測で気球を上げる状況をテレビで見にするであろう。
飛行機や気球での人力測定が現状である。

手作業から科学的作業になる。はたしてどうか。

米国・ニュージーランド南極捜索救助隊』リサ・ホリデイ氏は言う。
・・・世界一厳しい自然環境では、単純な技術が最も優れ
「高価で新品新しいものが必ずしも優れているわけではない」と、・・・

●南極大陸の戸外でテントがない場合、風雪から身を守るには、
周りにたっぷりある雪を積み上げて中をくりぬくというのが、
今でも最善の方法だ。
単純に雪国の冬に憧れた伝統の「かまくら」である。

●海の氷の厚さを調べるためには、今でも昔ながらの氷の穴あけ器。
●約100年前に建てられた、探検家ロバート・ファルコン・スコットの最初の南極の小屋に残された器具の
コンロは、今もそのまま使われる必需品。

●大気監視装置が設置されているアライバルハイツの科学関連の
専門技術者ダン・スメイル氏が、
  「オゾン測定にはドブソン分光光度計が優れている」と賞賛する。

「これはすべてが鋳鉄製だ。まさに職人技だ。気に入っている。芸術作  品のようだし、
     技そのものだ」とスメイル氏は言う。

この装置は1950年代にジョージ・ドブソンが設計したもので、今でも標準的に使用されている。

●「この装置で問題など起きたことがない。コンピューターは全く使われていない」

●南極では、あらゆる電気機器にとって敵になるのが静電気だ。
空気が乾燥しているので、絶えず発生する。

●屋内で動き回るときは金属を軽く手で叩くことが、すぐに習慣として体に染みついてしまう。
そうしないと、激しい衝撃でひどい目に合うからだ。

●高価な装置が静電気でだめにならないように、クレアリー研究所は湿度30%に保たれ湿度調節されているている。

南極の逸話は尽くせない。

1955年(昭和30年)の南極点、ノルゥエーのアムンゼン隊に少し遅れて南極点に到達した

英国人スコット隊は帰りに遭難死亡してしまう。
アムンゼンは犬で、スコットは馬を利用したのがその成否を分けた。

南極到達レースは学校の授業でも教えられたものだ。

国民栄誉賞の1970年6大陸を制した植村直巳の
1984年(昭和59年)マッキンリーの遭難の状況であったろう。

6大陸制覇の植村直巳の事故は悲劇であった。
その後の1991年田部井淳子は世界ではじめて
女性として6大陸を制覇した。山の仲間の弔辞であった。

1955年(昭和30年)には白瀬中尉が南極に。

かって南極は英国、ニュージーランド、チリ等々の8ヶ国で領土権の主張がなされた。

アルゼンチンと英国との紛争が、惹起し1959年、12ヶ国で南極条約。

この南極条約は「科学技術のためには国境なしである。」
1956年国際地球観測年に参加した日本。

「宗谷」が1957年(昭和32年)1月29日オングル島に上陸。
昭和基地と命名。戦後10年チョイの、主食の米さえ満足にない頃の日本人に勇気を与えた。

帰りの2月28日この小型船は氷にとだされ、ソ連船「オビ号」に救出される。
東西冷戦のころであり、怖い「赤の国」は身近な逸話になった。

昭和13年に建造された時は耐氷船で15mの砕氷能力はあった。
その後、戦争終結の引き揚げ船。

31年〜37年南極観測船。海上保安庁の巡視船を経て、
今では、浜松町の日の出桟橋から出ると着く
笹川良一の「船の博物館」で静かにその姿を残している。

「宗谷」はもともとはソ連船「ボロチャエベツ」として建造された。
日独伊三国同盟によりソ連に引渡せなくなった、

いわく因縁の船であったのが、オビ号の幸いを招いたとは、私の見解。
私も当時はまだ赤旗新聞は配っていなかった。

第3次探検隊は前年残したした15犬のうち、
タロ、ジロの生存を確認。

このことは映画にもなり、見たのだが、覚えていない。兎に角、犬は国民的ニュースであった。

今は、東京タワーのキップ売り場のはとバス到着地にの近くに全犬の彫像が名残を残している。

エレバス山は3791mの活火山。近くに米国マクマール基地がある。
1000人も住んでおり、病院、果ては消防署もある。

オゾンホールは2800万平方キロでオーストリア大陸米国の3倍になっている。

英国の調査では半世紀で25度温度が上昇している。

昭和基地にあるバーの名「しのぶ」
あれ?ニシタチにもアッタジャン!

地球環境より・焼・酎・環境・・・
  バカ!よっぱらい!

阪神にまけるドリームチームより、ましだってば・・・・・
  俺を巨人の監督にしろ!
    まるでトラ状態!これじゃトラには勝てない!

この・・バカッス!  バッカスは西欧の酒の神。
    酒乱ゆえ、ひらに、ご了承アレ。アレッ?ゴマカシテナイ?

   4月5日で閉鎖されるNHKの南極便り

   http://www.nhk.or.jp/nankyoku/

佐土原電気配線図を下見して、
1300万の契約をお客さんにご了解を得る。

花満開である。電気温水器の設置と手直し、ブレーカー工事と大活躍。
やれば、凄いって!

[1月29日 南極の日]
   1957(昭和32)年1月29日

、日本の南極観測隊が南極・オングル島への上陸に成功し、昭和基地を開設しました。
 この年から翌年にかけては「国際地球観測年」で、南極大陸には日本をはじめ12か国による観測網が敷かれました

「12月14日 南極の日]
1911(明治44)年12月14日、ノルウェーの探検家・アムンゼンと4人の隊員が人類で初めて南極点に到達しました。
-
関連記念日として、4月6日は『北極の日』となっています。

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