Merry Christmas

2004年12月24日 読書
一年が終わろうとしているようだが私には何のことやら
サッパリのイブである。
いろいろな一年があったようである

「ひどい1年が終わりに近づき、ほっとしている」。
国連のアナン事務総長にしてこのようである。

イラク戦争を「違法」と指摘し、米軍によるイラク・ファルージャ総攻撃の自制を呼び掛けたりしたため、米国の怒りを買い、系統的な 組織だった逆襲を浴びているようだ。

米議会や米英メディアから集中砲火を浴び非難にさらされている。

国連がフセイン政権下のイラクで行った人道支援事業を巡る巨額不正疑惑では、

国連幹部の収賄疑惑が浮上、独立調査委員会が来年1月末、中間報告を公表する。

自分の長男が同事業に関連して不正な報酬を受け取ったとされる疑惑などについては「調査中の段階」としている。

独裁化の政権と付き合うには、キック・バックもふくめ、やらねば進まぬものが合ったんであろう。
当然保険として息子を抱きこむワ〜な

政治ほどやらせ、泳がせを含め裏深き物はない。
酔っ払いのほうがまだ当てになる話である。

幻の焼酎といえば今やその域になってる入手しにくい「百年の孤独」をはじめとする焼酎。私の知る限りは40社ある。

幻の焼酎と言えば・・・「金のまほろを」??ですよ。
NHK「わかば」は宮崎と神戸が舞台。

で宮崎が舞台になるのは 川端康成原作の「たまゆら」以来。昭和 40年のことである。

たまゆらは川端の書き下ろし。たまゆらの取材の為に川端康成は九州を訪れた。

昭和39年11月16日宮崎空港から宮崎観光ホテルへ向かう途中、タクシーから見た大淀川の夕映えの美しさに川端はいたく感動、

宮崎滞在予定は2,3日の計画を15日も宮崎で過ごす。

二人は川べりに立って夕映えのなかにつつまれて夕映えをながめた
夕映えは大川の水面にもひろがって来ていた
静かな水の色が夕映えのなかへふくらんで あたたかく溶け合っているようだった。
 「たまゆら」より
  橘公園 にはたまゆらの記念碑がある。

たまゆらが放映され、多くの新婚旅行に沸いた当時と
、今の環境は全くと言って良い程違う。

オットト〜酩酊気味。元に戻そう。

NHK「わかば」で 「金のまほろば」を試飲して
「ひさしぶりにいい焼酎に出会った」
          と言っていた。

わかばは宮崎のお土産に10年ものの「金のまほろば」をよく買って帰る。

金のまほろばカートンに記載されている村上酒造の住所は
飫肥6丁目10−2 村上家は飫肥6丁目。

飫肥はま〜るく出っ張ったふちを酒谷川が回っている、
この住所では飫肥郵便局を酒谷川と行き当たったあたりとなる。

さ〜探しましょうか。マップもって

わかばはさらに詩子の創った村上酒造のWebPageの紹介もしていた

これでは「つちのこ」さがしです
実ワ〜実話・の・週間実話。

「金のまほろば」も村上酒造もドラマの世界で〜〜す
 「金のまほろば」はドラマの中の架空の焼酎。

劇中で西郷輝彦の読んでる新聞が「宮崎日報」とありましたが、
ドラマ用に作られたものド〜エ〜〜ス。実在しなく同じこと
 
言葉がいろいろと言われてる。
 「わかば」で宮崎ことば指導を担当してるのは
宮崎市出身の女優 上原由恵

 本名有働由恵 ’59.4.6生まれ 体重 46kg
身長 155cm  ナンカ逆じゃないと。
 
芸能座小沢昭一座長 から オペラハウス榎雄一郎主宰をへて現在である。
  
「生きているうちが花なのよ、死んだらそれまでよ党宣言」で
横浜映画祭新人賞受賞

「ラブレター」「釣りバカ日誌5」「美味しんぼ」等々 の映画に出演
舞台 お江戸の恋の唄  しみじみ日本乃木大将(芸能座)
雪国(新橋演舞場)  おもしろい女(芸術座)噂の二人(地人会)  
だりやめはシチョりゃっとじゃろかい。

まだ「よだき〜」「のさん」「たまろか」がでてね〜ごたるがドンげなっちゃろかい。

こうなったら だマッチョらんど。

「わかば」効果?芋焼酎、相次ぎ増産体制

芋焼酎といえば鹿児島のイメージが強いが、ブームの拡大に伴い、宮崎の酒造会社でも芋焼酎生産を急拡大させている

雲海酒造(宮崎市、中島勝美社長)、霧島酒造(宮崎県都城市、江夏順行社長)といった大手メーカーが相次ぎ増産に乗り出し、出荷量は2けた増を記録

全国的な芋焼酎需要を隣県鹿児島と2県で支える構図がつよまろうとしている

霧島酒造の江夏社長の弁
 「宮崎、鹿児島の芋焼酎メーカーの中で、当社が販売量ナンバーワンになった」

同社の04年3月期販売量は2万8500キロリットル(前年比8000キロリットル増)

隠れた「赤霧島」の販売が「黒霧島」のヒットにつながった?
芋の比率は9割を超える

今後は都城市での新工場建設を含む投資を進め、06年度に4万5000キロリットル生産できる体制をめざす。
 
追従するのは芋焼酎「日向木挽」の雲海酒造。
宮崎県高岡工場(高岡町)の増設を進めており来年2月に生産能力を2倍に引き上げる

ダンロップをぶっちぎりで制したタイガー・ウッズにして
  「こ:び・き・」
と言わせせしめたほど。

神楽酒造(高千穂町、佐藤公一社長)も同県西都市で新工場建設を予定、私の「岩の鶴」を吸収してしまったようである。
岩倉酒造の「月の中」はどうにか残るようだ「つる」「かめ」は秘酒

初年度(06年10月―07年9月)に芋焼酎「天孫降臨」を3600キロリットル製造する。

酒のない世に生きたい二日酔い明日は帰ってきたくなり。
今宵はイブ

きよしこの夜 

星はひかり 

救いのみ子は 

まぶねの中に

ねむりたもう 

いとやすく

1818年のクリスマスイブ、ドイツ国境に近いオーストリアの
山村で、この歌は誕生。

原作詞者は、村の教会の助任司祭だったヨーゼフ・モーア(1792〜1848)

学校教師で教会のオルガニストをしていたフランツ・グルーバー(1787〜1863)が曲をつけた

日本では、由木康(1896〜1985)の訳詞で広く知られる。
出身地ですって。音楽のことなら鳥取県デスよ。

由木は1896、西伯郡上道(あがりみち)村(現:境港市)で
足立正の次男として生まれた。

父の正は、養良高等小学校校長であり郷土史家として著名人。
 生後間もなく同じ上道の由木虎松の養子となる、

 キリスト教会堂は由木虎松の 隣家にあって伯父の藤本与喜(ともよし)の自宅。

父の宣教活動のため、鹿児島、神戸、対馬などに次々と転居。
小学校を6回、中学校を2回も転校。

 関西学院大学在学中に「日曜学校唱歌集」を出版。大正5年に大学を卒業。神戸聖書学校に入学。その後、50年間にわたり牧師

、戦後の賛美歌の改訂作業で「きよしこの夜」の賛美歌など100余りの作詞(翻訳)をした。 

いずれも新しい感覚と新鮮な表現にあふれ、我が国賛美歌作者の
第一人者。

賛美歌109番

Silent night, holy night!

All is calm, all is bright,

Round yon virgin mother and child!

Holy infant so tender and mild,

Sleep in heavenly peace

Sleep in heavenly peace!

どちらさまも
    Merry Christmas!

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