師走?
2004年12月2日12月と掛けまして・・・新幹線と解きます・・・
・・・その心は・・・・・・・あッというまに…とおり過ぎていきます
師走とはよく言ったもので飯抜きで走り回った。
昼、夜と飯抜きでも腹が減らぬ神経は完全にマヒしてるのか多忙の極みどころではない。
延岡・富山町現場で何らかのお手伝い的作業をして昼抜きで12時に延岡から門川町に向い40KWの公共事業のJVの相手とお話をした
お話は成功を納めた
延岡の西村邸のオール電化と太陽光発電の電気工事。
パネル工事は明日で通常とは進め方が違う
明日はKDDIの工事を組入れ電気屋さんが3名抜けるための苦肉の策
仕事のとりすぎで実に申し訳ないことになっている。
ウィイングの広げすげであるのか。
ここは一踏ん張りの時ではないのか。
悩みは尽きぬ。
17時ころには請求書でご指導を受け書式を購入した。
4割が現金で6割が手形
労務費の手形はないだろうよ。
日ごろの粘りがない きやんせさん!
門川でのお話は実に励みになった。
独立一発念じての起業・・思わず目頭が熱くなっていた。
「経費を使わぬこと。」
「けじめをつけること」
・・・・・
兎に角もお話の一言一言が身にしみる。
JVの書類もすべていただいた。
この世にこれほど親切丁寧な方が他に居られるのだろうか。
筆舌に尽くしがたき感動を受けた。
門川の方がなぜ?このように親切なのか前世での繋がり?
きやんせは西都市で社長さんは門川町。・・
そりゃァそうですとも
中世宮崎は西都に本城を構えた都於郡の伊東ではじまる。
伊東氏で日向は明けたんですもの。
門川の祖は伊東48城でも特別なる存在の伊東祐景を門川伊東の祖となす
何処で確認すべきかはお墓のあるところ。なんと宮崎市内にある。
妙円寺なる宮崎市生目の古刹・・・本来は法華宗本勝寺中世の石塔が1200基ある。日蓮宗の日向の歴史がたどれるところだ。
日向伝播の歴史だ、放置されてきたことで墓碑銘は苔むして読み取れないのが殆ど。
その中で門川伊東の伊東祐景あの猛将5世祐武の五輪の塔がある。
さらに祐重公とココは伊東氏の略系図が必要である。
因果応報、この関係で縁が縁を数百年後に呼んだのであろうか。
有り難き思し召し併せである。
長年の努力が実を結んでるのはコロナさんである。
ここんとこ蜜月の関係。実に有り難き。
その石橋をたたいて渡るコロナもいい加減
日向の福山通運にはリモコン部材がついてなかった。
朝の貴重な時間を潰してみたが・・
あとでつくだろうの期待も空しくついに連絡なし。
夜7時過ぎに専務はリモコンをわざわざ延岡まで持ってきてくれた
この人の誠実さに勝る人もいないであろう。
実にありがたき人脈に恵まれている。
ふるさとの山にむかいていうことなしふるさとの山はありかたきかな
この季節には宮崎に歌人が集まる
佐々木信綱 馬場あき子・・若山牧水賞の選考委員の面々である。
そのかたがたが文句なしに推薦した人
来年は牧水生誕120周年記念の年でもある
来春1月28日授賞式の若山牧水賞は茨城県谷和原村在住の米川千嘉子さんにきまった、
第5歌集になる「滝と流星」はどちらも人間が心を向けた祈る対象物である。
この二つの対比こそ受賞の原点であろう。
混沌の時代を生き抜かねばならぬものを感じる。
生き抜く規範は人が人を愛することに貫き通すことだ。
米川千嘉子は1956年千葉県野田の生になる
早稲田在学中の20歳で短歌結社「かりん」に入会会員の坂井修一{東大教授}との結婚出産を経て育児をはじめとする日常から社会情勢まで幅広い歌を詠み続けている。
かって日本には自然をそのまま神とする信仰がありましたそのことによって貧しき人々も救われていました。キリストなどの一神教は血を血が洗う歴史が命の複雑さ重さを感ずる
言葉に甘味やふくらみを感じる奥深い歌を詠みたい牧水のような愛唱生のある歌を増やしていきたい
多摩川の砂にたんぽぽさくころはわれにもおもふ人のあれかし
脚気をわずらい療養中の歌が記念碑として玉川を望む
是非訪ねてみたい。
けふもまたこころの鉦をうち鳴らし
うち鳴らしつつあくがれていく 牧水 第1歌集「海の声」
やはりこれか。
ふるさとの尾鈴の山のかなしさよ
秋もかすみのたなびきており
「幾山河」の歌は、早稲田大学在学中に中国路を旅しているときに作ったもの。足袋、酒、牧水の原点 青春 オマージュ
幾山河 こえさりゆかば 寂しさの はてなむ國ぞ けふも旅ゆく
なんか、山頭火の歌にも通ずる
分け入っても分け入っても青い山
白鳥は悲しからずや空の青海の青にも染まず漂う
これ牧水だったデスヨね。?どうにも心もとない。
宮崎の帰路は10時過ぎになり、ゆうさん、日南の方とやり過ごした
まさに師走。
・・・その心は・・・・・・・あッというまに…とおり過ぎていきます
師走とはよく言ったもので飯抜きで走り回った。
昼、夜と飯抜きでも腹が減らぬ神経は完全にマヒしてるのか多忙の極みどころではない。
延岡・富山町現場で何らかのお手伝い的作業をして昼抜きで12時に延岡から門川町に向い40KWの公共事業のJVの相手とお話をした
お話は成功を納めた
延岡の西村邸のオール電化と太陽光発電の電気工事。
パネル工事は明日で通常とは進め方が違う
明日はKDDIの工事を組入れ電気屋さんが3名抜けるための苦肉の策
仕事のとりすぎで実に申し訳ないことになっている。
ウィイングの広げすげであるのか。
ここは一踏ん張りの時ではないのか。
悩みは尽きぬ。
17時ころには請求書でご指導を受け書式を購入した。
4割が現金で6割が手形
労務費の手形はないだろうよ。
日ごろの粘りがない きやんせさん!
門川でのお話は実に励みになった。
独立一発念じての起業・・思わず目頭が熱くなっていた。
「経費を使わぬこと。」
「けじめをつけること」
・・・・・
兎に角もお話の一言一言が身にしみる。
JVの書類もすべていただいた。
この世にこれほど親切丁寧な方が他に居られるのだろうか。
筆舌に尽くしがたき感動を受けた。
門川の方がなぜ?このように親切なのか前世での繋がり?
きやんせは西都市で社長さんは門川町。・・
そりゃァそうですとも
中世宮崎は西都に本城を構えた都於郡の伊東ではじまる。
伊東氏で日向は明けたんですもの。
門川の祖は伊東48城でも特別なる存在の伊東祐景を門川伊東の祖となす
何処で確認すべきかはお墓のあるところ。なんと宮崎市内にある。
妙円寺なる宮崎市生目の古刹・・・本来は法華宗本勝寺中世の石塔が1200基ある。日蓮宗の日向の歴史がたどれるところだ。
日向伝播の歴史だ、放置されてきたことで墓碑銘は苔むして読み取れないのが殆ど。
その中で門川伊東の伊東祐景あの猛将5世祐武の五輪の塔がある。
さらに祐重公とココは伊東氏の略系図が必要である。
因果応報、この関係で縁が縁を数百年後に呼んだのであろうか。
有り難き思し召し併せである。
長年の努力が実を結んでるのはコロナさんである。
ここんとこ蜜月の関係。実に有り難き。
その石橋をたたいて渡るコロナもいい加減
日向の福山通運にはリモコン部材がついてなかった。
朝の貴重な時間を潰してみたが・・
あとでつくだろうの期待も空しくついに連絡なし。
夜7時過ぎに専務はリモコンをわざわざ延岡まで持ってきてくれた
この人の誠実さに勝る人もいないであろう。
実にありがたき人脈に恵まれている。
ふるさとの山にむかいていうことなしふるさとの山はありかたきかな
この季節には宮崎に歌人が集まる
佐々木信綱 馬場あき子・・若山牧水賞の選考委員の面々である。
そのかたがたが文句なしに推薦した人
来年は牧水生誕120周年記念の年でもある
来春1月28日授賞式の若山牧水賞は茨城県谷和原村在住の米川千嘉子さんにきまった、
第5歌集になる「滝と流星」はどちらも人間が心を向けた祈る対象物である。
この二つの対比こそ受賞の原点であろう。
混沌の時代を生き抜かねばならぬものを感じる。
生き抜く規範は人が人を愛することに貫き通すことだ。
米川千嘉子は1956年千葉県野田の生になる
早稲田在学中の20歳で短歌結社「かりん」に入会会員の坂井修一{東大教授}との結婚出産を経て育児をはじめとする日常から社会情勢まで幅広い歌を詠み続けている。
かって日本には自然をそのまま神とする信仰がありましたそのことによって貧しき人々も救われていました。キリストなどの一神教は血を血が洗う歴史が命の複雑さ重さを感ずる
言葉に甘味やふくらみを感じる奥深い歌を詠みたい牧水のような愛唱生のある歌を増やしていきたい
多摩川の砂にたんぽぽさくころはわれにもおもふ人のあれかし
脚気をわずらい療養中の歌が記念碑として玉川を望む
是非訪ねてみたい。
けふもまたこころの鉦をうち鳴らし
うち鳴らしつつあくがれていく 牧水 第1歌集「海の声」
やはりこれか。
ふるさとの尾鈴の山のかなしさよ
秋もかすみのたなびきており
「幾山河」の歌は、早稲田大学在学中に中国路を旅しているときに作ったもの。足袋、酒、牧水の原点 青春 オマージュ
幾山河 こえさりゆかば 寂しさの はてなむ國ぞ けふも旅ゆく
なんか、山頭火の歌にも通ずる
分け入っても分け入っても青い山
白鳥は悲しからずや空の青海の青にも染まず漂う
これ牧水だったデスヨね。?どうにも心もとない。
宮崎の帰路は10時過ぎになり、ゆうさん、日南の方とやり過ごした
まさに師走。