やらねばならぬ

2004年12月4日
やらねばならぬやらねばならぬ目的に向かってやらねばならぬ
仏教学者の鈴木大拙の言葉が今日の宮日紙を飾っていた

ひとは自分の身の上にに興ったことはすべて自分で受け止めていかねばならぬ
うまくいかないことをいくら嘆いてもうまくいくようにはならない

手をこまねいているのでなく美味くいくように工夫と努力を自分自身がしなければならない
この世を生きていくためには自分のことを自分でするしかない

つらく苦しくとも頼れるのは自分である
いくら愚痴ってもなんら解決するわけではない

そうなってくるとこの愚痴日記は存在価値がなくなる
何とか生き抜くしかないゆえに愚痴るのである。

小泉総理は女性天皇を認める発言をした
皇室典範の改廃がいずれ議論に上ろう。

奈良飛鳥の斑鳩の里から装飾かわらが発掘された
法隆寺の伽藍を飾っていた装飾かわらである。

装飾かわらの歴史や法隆寺の火災焼失論争に白黒がどうやらつくようである
コツコツと努力発掘されたのは39歳の新進気鋭の平田文芸調査委員

ロマンのとびらを開けてくれた。
平田政彦10才のとき五色塚古墳を見てから一途に考古学へ

1991年称徳女帝が弓削の道鏡に会いに行くときに泊まったとされる
飽波宮跡を発見

中宮寺。法輪寺の発掘にも取り組んだ
今後見据えてるのは住宅団地となっている、聖徳太子が住んだ斑鳩の宮正殿

なんたる心意気や!その意気やよし!

天皇とは天界のもろもろの中心たる北極星を指した称号だそうだ
橘豊日皇子{用明天応}と穴穂部間人皇后の間に生まれた聖徳太子
19歳で推古天皇の皇太子となり王道を歩く

歴史を面白くないようにしたのは暗記点数主義からである
無理強いに年号を覚えることに何の意味があろう。

忘れられないのが607年の大化の改新は記憶に残る
法隆寺の建設はどうも逆のような気がする。

蘇我氏が政治を牛耳り天皇家さえないがしろにして毒殺さえありの不安定でで乱れていた。
607年建立の本堂は残り若草伽藍が670年焼失と言うことになったわけである
法隆寺の柱は594年との鑑定があった事もうらずけされた

推古朝は蘇我氏と聖徳太子の二頭政治であったのか
法隆寺に対する馬子の法興寺{飛鳥寺}

仏教を中心にすえた政治をしたことについては両者とも仁の政治家では会ったのに
歴史の評価はまったく違う。

歴史は常に作られる。
残り少なき個人史であるが、人生を定めるには難関が横たわり常に頓挫する

何が足りないのか
あまりにもの、挑戦課題が多すぎるからのようだ。

血気はやるのは日向の地では目立ちすぎるようである
スポーツの世界なら大成するのやも知れぬ

宮崎の星たる柔道の王者井上康生が父とともに宮崎で再出ぱつを県民に誓ったのは流石の意気込み!最重量級がいい。

阪神の15歳!辻本腎人は日向人の血を引いていたとは知らなかった。
母・瑠理子は日南市の山元敏勝さん74歳の長女である、

山元敏勝さんは日南医療法人愛○会の理事長
辻本家は阪神大震災の際は4ヶ月を日南市で過ごした
これで鬼に金棒!私も俄仕込みのトラきちとなろう。

広島の高鍋高の矢野投手は自由契約選手となっている
お役人さんのお父さんもさぞ心配であろうが、
暖かく応援してあげたい。

自由か〜いまさら仕方ない。
ひたすら・・やらねばならぬ

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