混沌の未来
2008年1月30日今日30日の花はカレセオダリア=きんちゃくそう
花言葉は助け合い。
ご婦人方の手提げはだれもが丸く左手に提げていたきんちゃく風。
まぁ〜風呂敷でないのが最大の女心で当時のスティータス。
気持ちのよい青空が広がっている。
三月上旬の暖かさを予報するが西風のおろしで皮膚感覚はそうでなかろう。
手をあてて
火鉢の縁(へり)の
なつかしく
政治に緊迫が続くのは為政者の国家史観、民の生活のにおい感、その未来に理念が無いからである。
民のかまどの煙が昇りたって入るや否やは大和民族の生き様の帝王学の要諦である。
人三人よれば組織であり、どうしても人の悲しき性は派閥を作る。
仲良しクラブ化する。
組織発展の阻害の一番注意せねばならぬ危ないことである。
戒め、自戒とせねばならぬ経営者の矜持せねばならぬ日常の第一である。
米国がクシャミをすれば日本が風邪を引く。
日本の米国追従はなにも共産党の看板セリフだけでなく大人なら誰でも気づいている。
モノまねの国日本が今だ続いてるのは国破れて荒廃の中に世界一、ニの大国に上り詰める
已む無い経過であった事だとひとまず自己思考形態を処理しよう。
その発端は1955年の秋財界人や学者からなる日本の使節団が米国を訪ねた事を嚆矢とする。
新聞が教える。
ある製鉄会社を視察したとき、歓迎の席に副社長が10人も現れた
経済学者の中山伊知郎が副社長職をたくさん置く理由を尋ねた
当人たちは微笑するのみで答えない。
と、横合いから若い社員が口を挟んだ。
「タイトル イズ チーパー ザン ダラー」
(称号を与えるほうが安くつくので…)
団員が書いた見聞録の一節にある。
ジョークにしても、なかなかいい度胸の社員である。
日本マクドナルドの男性店長(46)が起こした「管理職」をめぐる裁判の判決にどよめき、はやくも混乱の世論が聞かれる。
タダ少し赴きもは違う。
守銭奴そのものでのタダ働きはイヤダでは培われてきた日本の風土にかけ離れた賃労働と資本の経済学的初期の欲望の爆発の処理に過ぎない。
店長とは名ばかりで管理職の権限も待遇もなく、一般社員やアルバイトと同じように早朝から深夜まで調理や接客をしている。
管理職とみなして残業代を払わないのはおかしい
法廷の場ゆえ白黒つけねばならぬゆえの阿吽の呼吸では済ませエヌ事と鳴ったんであろう。
この時点では政治の介入はありえない。
受けてたった、東京地裁はその訴えを認め未払いの残業代など755万円の支払いを会社に命じた。
休日ゼロ、残業137時間の月もあったという。
どの企業、業界といわず、「管理職」がタダ働きをさせるための称号であってはなるまい
半世紀前でさえ、半ばジョークに聞こえた“安くつく”裏技である。
ただ、どこもかしこも訴えられた同じ形で運営されているのが常である。
裁判官の世に疎いあまりにも法治国家で裁いてる嫌いがある。
労働時間と古き因習たるサービス残業は組織維持のためにはヤムエヌ処置。
せきやんは朝の1時間ぐらいを爺の役目として便所掃除を基本に磨きをかける。
心地よき時間で一日爽やかに楽しく過ごせる。
大家族主義で生きてきた見えぬところの気配りは無学の徒ではあったが明治気質の厳父の教え。
茶道、いけばなの芯添体を初め道がある極める日本人の生活信条。
島国に飽和状態が助け合い生き抜く民族総意たる和の知恵であった。
侘びさびを文化人の教養とした
儒教をこの国にあわせ焼き直し徳や孝、仁などと生き様の道徳観を庶民階級にさえ根付かせた。
経済企画庁長官を務めたお大尽さま堺屋太一
「値段の明治大正昭和風俗史」は1980年代はじめの出版物。
此れを下敷きに生活ぶりを解説する。
著書は身近なモノやサービス200余りの価格について明治からの変遷を紹介する。
80年のガソリンは今とほぼ同じ1リットル155円。
70年代の10年で3倍に急騰した。
戦前の日本は資源不足だが人手は豊富。
モノは節約するのが正しいとされる一方、お手伝いさんなど人を多く使う家が良家とみられた。
戦後は安い石油の流入などで資源と人の価値が逆転。
大型車や全自動家電のある家に家族で住むのがあこがれになったとみる。
資源多消費・使い捨て文明が花開いた戦後日本だが、
70年代のガソリン急騰は「この石油文明が崩壊することを暗示している。
日本人の美意識と倫理観は、また間もなく変わる」と長官は予言した。
その後、実際のガソリン価格は82年を頂点に下がり、見通しは外れたかにみえた。
物価水準こそ違うものの、ここへきて予言は現実味を増してきている。
「浪費すべきは資源か人か」ではなく、
資源を大切に使い、人もきちんと育てることにある。
管理者は無償の労働のほこりの中に労働の喜びを感じ取る。
あ〜あ、まどろっこしい。
誤解を恐れずに言おう。
当然、人より見えぬ時間を含め倍働くべきである。
島国で生き抜く勤労を尊っとび、わびさびの阿吽で生き抜いてきた道徳の国だからである。
それが理解できぬでは管理者ではない。
社長は起用を間違っている。
政治が混乱して隅々まで乱れが蔓延しようとしている。
国民が為政者やリーダーから聞きたいのは、ドンナ時代がこようと新しい時代への大きな設計図ではないか。
ガソリン値下げを巡る与野党のせめぎ合いが時間の浪費にならなければよいが
明治35ねん日英同盟を結んだ日で栄光への仲間入りを果たした日であり、
破滅への道へ突き進んだヒトラーが昭和8年就任した日でもある。
さらに混沌のアジアになったガンジーが昭和23年ピストルの凶弾に倒れた日でもある。
花言葉は助け合い。
ご婦人方の手提げはだれもが丸く左手に提げていたきんちゃく風。
まぁ〜風呂敷でないのが最大の女心で当時のスティータス。
気持ちのよい青空が広がっている。
三月上旬の暖かさを予報するが西風のおろしで皮膚感覚はそうでなかろう。
手をあてて
火鉢の縁(へり)の
なつかしく
政治に緊迫が続くのは為政者の国家史観、民の生活のにおい感、その未来に理念が無いからである。
民のかまどの煙が昇りたって入るや否やは大和民族の生き様の帝王学の要諦である。
人三人よれば組織であり、どうしても人の悲しき性は派閥を作る。
仲良しクラブ化する。
組織発展の阻害の一番注意せねばならぬ危ないことである。
戒め、自戒とせねばならぬ経営者の矜持せねばならぬ日常の第一である。
米国がクシャミをすれば日本が風邪を引く。
日本の米国追従はなにも共産党の看板セリフだけでなく大人なら誰でも気づいている。
モノまねの国日本が今だ続いてるのは国破れて荒廃の中に世界一、ニの大国に上り詰める
已む無い経過であった事だとひとまず自己思考形態を処理しよう。
その発端は1955年の秋財界人や学者からなる日本の使節団が米国を訪ねた事を嚆矢とする。
新聞が教える。
ある製鉄会社を視察したとき、歓迎の席に副社長が10人も現れた
経済学者の中山伊知郎が副社長職をたくさん置く理由を尋ねた
当人たちは微笑するのみで答えない。
と、横合いから若い社員が口を挟んだ。
「タイトル イズ チーパー ザン ダラー」
(称号を与えるほうが安くつくので…)
団員が書いた見聞録の一節にある。
ジョークにしても、なかなかいい度胸の社員である。
日本マクドナルドの男性店長(46)が起こした「管理職」をめぐる裁判の判決にどよめき、はやくも混乱の世論が聞かれる。
タダ少し赴きもは違う。
守銭奴そのものでのタダ働きはイヤダでは培われてきた日本の風土にかけ離れた賃労働と資本の経済学的初期の欲望の爆発の処理に過ぎない。
店長とは名ばかりで管理職の権限も待遇もなく、一般社員やアルバイトと同じように早朝から深夜まで調理や接客をしている。
管理職とみなして残業代を払わないのはおかしい
法廷の場ゆえ白黒つけねばならぬゆえの阿吽の呼吸では済ませエヌ事と鳴ったんであろう。
この時点では政治の介入はありえない。
受けてたった、東京地裁はその訴えを認め未払いの残業代など755万円の支払いを会社に命じた。
休日ゼロ、残業137時間の月もあったという。
どの企業、業界といわず、「管理職」がタダ働きをさせるための称号であってはなるまい
半世紀前でさえ、半ばジョークに聞こえた“安くつく”裏技である。
ただ、どこもかしこも訴えられた同じ形で運営されているのが常である。
裁判官の世に疎いあまりにも法治国家で裁いてる嫌いがある。
労働時間と古き因習たるサービス残業は組織維持のためにはヤムエヌ処置。
せきやんは朝の1時間ぐらいを爺の役目として便所掃除を基本に磨きをかける。
心地よき時間で一日爽やかに楽しく過ごせる。
大家族主義で生きてきた見えぬところの気配りは無学の徒ではあったが明治気質の厳父の教え。
茶道、いけばなの芯添体を初め道がある極める日本人の生活信条。
島国に飽和状態が助け合い生き抜く民族総意たる和の知恵であった。
侘びさびを文化人の教養とした
儒教をこの国にあわせ焼き直し徳や孝、仁などと生き様の道徳観を庶民階級にさえ根付かせた。
経済企画庁長官を務めたお大尽さま堺屋太一
「値段の明治大正昭和風俗史」は1980年代はじめの出版物。
此れを下敷きに生活ぶりを解説する。
著書は身近なモノやサービス200余りの価格について明治からの変遷を紹介する。
80年のガソリンは今とほぼ同じ1リットル155円。
70年代の10年で3倍に急騰した。
戦前の日本は資源不足だが人手は豊富。
モノは節約するのが正しいとされる一方、お手伝いさんなど人を多く使う家が良家とみられた。
戦後は安い石油の流入などで資源と人の価値が逆転。
大型車や全自動家電のある家に家族で住むのがあこがれになったとみる。
資源多消費・使い捨て文明が花開いた戦後日本だが、
70年代のガソリン急騰は「この石油文明が崩壊することを暗示している。
日本人の美意識と倫理観は、また間もなく変わる」と長官は予言した。
その後、実際のガソリン価格は82年を頂点に下がり、見通しは外れたかにみえた。
物価水準こそ違うものの、ここへきて予言は現実味を増してきている。
「浪費すべきは資源か人か」ではなく、
資源を大切に使い、人もきちんと育てることにある。
管理者は無償の労働のほこりの中に労働の喜びを感じ取る。
あ〜あ、まどろっこしい。
誤解を恐れずに言おう。
当然、人より見えぬ時間を含め倍働くべきである。
島国で生き抜く勤労を尊っとび、わびさびの阿吽で生き抜いてきた道徳の国だからである。
それが理解できぬでは管理者ではない。
社長は起用を間違っている。
政治が混乱して隅々まで乱れが蔓延しようとしている。
国民が為政者やリーダーから聞きたいのは、ドンナ時代がこようと新しい時代への大きな設計図ではないか。
ガソリン値下げを巡る与野党のせめぎ合いが時間の浪費にならなければよいが
明治35ねん日英同盟を結んだ日で栄光への仲間入りを果たした日であり、
破滅への道へ突き進んだヒトラーが昭和8年就任した日でもある。
さらに混沌のアジアになったガンジーが昭和23年ピストルの凶弾に倒れた日でもある。