七草・松の内

2008年1月8日
まだ正月気分が抜けない。
松の内とはよく言ったもので10日頃まではこの気の緩みが続くのなのかも知れない。
年神様も日神様のようにそこいらあちこちにおられ、、鏡餅にすべてが宿っている訳だ。

ブロガーのこの人の本性に焼酎くれ=飲み助=のんたくれの潜在的DNAが潜んでいたとは
お釈迦様さえしらなかったろう。
昨日の日曜日のことだ。

午前様どころか深夜を越え一番鳥を聞くまでニシタチを徘徊していた。
しっぺ返しはくるもので二日酔い状況で仕事で辛い。

昼間は暖かくお日さまもあったが六日深夜から降り出した雨は約6時間ぐらい後の朝方にはあがりなんか神様の戒めの雨。
お陰さまで傘無しの雨の中の明け方の移動。
ジンケリーの「雨に唄えば」の状態で寒くはないゆえ丁度良かった。
リズム感が体に宿り、音感教育にかけてるのにリズムは若者とは違えど弾んでの大虎。

日本人の脱亜入欧の象徴は鹿鳴館で代表されるが下々には文部省唱歌でリズム感を涵養された。
明治以降に日本語で書かれた歌の歴を辿った
唱歌史の裏面に光を当てた人がいる。

カメラータ・トウキョウからCDを出した藍川由美である。。
ほんとうの唱歌史でお話を掘り起こしトークで内容に触れたことが日経紙に出ていた。

和歌の伝統に則(のっと)り初句と結句に伴奏和声を施さないで編曲した「海ゆかば」
は明治13年海軍軍楽隊エッケルトがつくった。
このときからNHKが昭和12年、信時 潔に作曲を依頼した同名の国民唱歌まで22曲がCDに治められている。

教科書で習った歌を東京文化会館で先月末にリサイタルが藍川由美により開催された。

明治政府の音楽教育が富国強兵と一体で構想され、体育と徳育を重視した結果
唱歌と軍歌に厳格な線を引くことが出来なくなった。

「春の小川」「故郷」は岡野貞一の曲になる。
一方で「水師営の会見」「橘中佐」を作曲した

「君が代」もドイツ人エッケルトの編曲で歌い継がれている実態がある。
君が代法制化で現場の混乱が裁判沙汰まで表面化しているが案外根拠を辿れば今日の混乱が
可笑しいことにもきずくはずだ。
血に塗られた戦争の悲劇の体験追記憶から今だ脱却しきれない部分があるからだ。
また政治にその復古調の基本的思考が場面場面で惹起するからだ。

軍艦行進曲中間部に「海ゆかば」を引用した背景が語り尽くされ。
埋もれた事実の数々を自らの歌で浮き彫りにした。

カラオケの選曲は二人が同世代ゆえ気楽で、どうしても懐古調の軍歌ともなる
時代にとり残された追体験の最後の世代だ。

他方ビートルズに端をもとめ初期フォーク、あるいは、ロック世代。
もちろんハワイアンモ。ジャズもレゲー調以外はほとんどの音楽の洗礼を単純に受けた。

国内に流れるものは誰でも知ってる状況での最後の世代でもあるわけだ。
正月気分は鏡開きというぜんざい会がないと七草粥だけでは脱出できない気分と
急遽、飲める派にになり、年老いてからの下戸からの脱出になったようだが、始末の悪い一番の焼酎くれらしい。

臭いのは加齢臭の老人病だけでなくどうやら焼酎の匂いが済み突き出しだしたのかもしれない。
おおっ!バッカスの神々よ!
その宿りし
おおらかなる酒の精霊。
われに幸運を授けよ。

飲んたくれに丁度いいリズムの軍歌のリズムの成り立ちはあの敗戦処理の体験が無ければ
歓喜を持って迎え入れられたのかもしれない。
♪日月月火水木金!♪

抒情歌と軍歌が作成の段階で同一人物であるからして理解しがたき精神構造。
岡野貞一の生き様こそその一番の頂点にあったのかもしれない。
それにしても初期民主主義の時代で排除された軍誇調リズムが染み付いてる戦争の残滓に驚きの捻を禁じえない。

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