小正月
2008年1月9日相も変わらずミシュランの飲み屋三ツ星店の宮崎版・ニシタチを脳裏に刻むべく
徘徊している。
飲み助はそのまんまグタッ〜と寝るがブログにむかうんだから
初志貫くべしには壮絶なる凄みをも発してるのではなかろうか。
ブログに艶が無いのは、その部分もあり、ともかく時間がない中での
思考を辿る作業ゆえで御両所お願いしたいところである。
小金さえ無き中での社会探索はマルクスをはじめとする社会経済学者が
万巻の書と格闘して社会構造を見定め解析し科学とした行為の実証的な徘徊行動。
働く以外に生きるすべが無きものの社会的地位は1〜2店舗での焼酎・蔵乃介を煽れば解かる。
働くもの食うべからず。
給料日を遠く首長く待ちわび、借金で飲みまわる破滅的生活はあちこちに痕跡を残す。
宮崎ニシタチ居酒屋高砂に句碑のある山頭火を象徴的あげれるに足りる。
社会的な交換形態から生まれる貨幣が人間を支配していく課程を描いた経済の書がある。
貨幣は必ず資本を生み出し、人間をがんじがらめにして人間を凌ぎ
思想も生活様式も総て規定していく。
モノと金の交換の過程には宗教性が埋め込まれている。」
モノが金に変わるのはそう信じられてるからである。
その過程には飛躍がある。
だからその信仰が崩れると恐慌が起こる。
資本主義というガンを発見した。
サムプライズに怯える新春の株のジエッコースター的急落がそうだ。
恒例のご祝儀相場さえ容赦ない非情を醸し出している。
治療のゆくえの処方箋は明らかにしていない。
ただ、新自由主義の様相も冷静に認識できる。
社会の生じる諸事全般はそのことで解ける。
金銭で換算できるようになったため
個人がバラバラになってしまった。
この状況が社会の構造的問題である。
昨夜と違い連日ともなれば深夜までの徘徊はコストの都合で一人。
仕上げは以前と違いコンビニですましてオジャン。
そこでも考える。
深夜のコンビニにはコストパフォーマンスで店員一人
そこに車で何台か一緒にお客さんがこられるとレジはパンクしてパニック。
客に怒鳴られ深夜一生懸命仕事をしても時間給の自給は同じ、給与にも昇進にも影響しない。
労働の疎外である。
そんな環境で頑張っても変わらなければ仕事を真面目に心底からしなくなる。
すべてが資本の論理で貫かれ金銭換算が可能になった社会。
そのことが働くもの同士の個人間執念に転じかねない状況を生み出す。
三つの係り分されてる電話販売体制の仕事で修行をしている。
ある一人が係りの仕事のワク踏み外して売上の数字を血眼になりすぎる。
サラリーマン経験がないゆえ会社発展という全体的視野思考が出来ない。
何故、三つの形態が有るのかを考えず、係りのワクを踏み越える。
自分が係りを変われば済むことをそれでは給与維持の不安が起こる。
給与条件は今のままで仕事のワクのみを代えようとすることから来る混乱である。
綻びは将来の組織の破壊をあまねこう。
蟻の一穴が堤防を壊し大洪水を招くが如きである。
経済法則の諸現象が確認される社会の日常の一コマを表している。
日本民族は勇敢にかかんに企業戦士で敗戦の「0」から世界トップの生活諸条件を
計ることが出来た。
日常の社会諸式の完備からである。
キャラクター一つで商品の売れ行きさえ変わる。
社名変更キャラクターを持ちイメージアップにさえひたすら努める。
日本人が何故ペンギンがすきか。
マスコミの未発達の時代背景から来ている。
そのもとはロッテクールミントガム。
さらにその元は昭和31年の第一回南極観測隊
戦争で生き残った船を改良した輸送船「宗谷」で南極にたどり着いた観測隊と
それを眺めているペンギンの写真。
そこに極寒の未知の世界に参加した勇気ある日本人の挑戦するエネルギー
ーがペンギンの姿と心に刻み込まれた。
その記憶が遺伝かされた。
自然の猛威の南極の氷の間にはさまれ立ち往生する「宗谷」を氷砕船が助けに来てくれ
テレビがないゆえ映画ニュースでつたえた。
感動で泣いたがどこの国であるのかは記憶に残さない米ソ対立の冷戦の時代の所産であった。
この当時の「食」の保存食は餅。最高のご馳走でもある。
正月はともかく何かというとき餅をつく。
節句誕生日結婚式お葬式
田植えの始まり終わり
農作業の区切りに餅をついた。
一年で一番心待ちにしたイベントは年越しの持ちつき行事
向こう三件両隣での共同作業。
米をとぎ竈)かまど)にくべる燃料の準備。まき割り
普段忙しくて家にいない親がズットいるのも嬉しかった。
ウシや馬やヤギ、ニトリ総家族がそろい余裕があるので世話をも十分してくれる。
大いに喜んでいる最高の福が宿った時期。
子らはこの時期は持久走の時期。
中学生で5000mを息切れ切れに走るが餅で朝から調整して望んだ。
マラソンランナー、箱で駅伝の選手はどのようになっているのであろうか。・
農家で育った故慣習には強い。
あんこをつけた餅は食べない。ただし11日間はである。。
邪気を払う一番格が高いからゆえだ。
神様が下りてきている間は人間は口にしない松の内。
雑煮は千きり大根とニンジンのすまし汁
鶏肉が加わればお金持ちのうちで十二分満足させえた。
食用芋で「ネッタクリ」なる黄な粉をまぶした餅。
餅は結婚式でも出された。
真っ白な餅を食べるのは特別な日であった。
くず米を美味しく食べるため石臼で挽き粉にして練り。
雑穀を混ぜる米の粉餅。
岩手県一関市の斎藤憲子さんのお話では椎名餅という
「正月に食べたきり」
食の偽装が表面化したが、餅につく青きカビは
毒だといって包丁で削ったり叩いたりふきたりして食した。
防腐剤の混入がしてない証左である。
そういえば一年中あるもちだが何故に懐かしきカビがついていないんだろう。
賞味期限・保健所と大騒ぎとなろう。
嗚呼かびのついた餅をあぶって食したい。
資本の論理が貫徹してない田舎、大家族の家庭には暖みがあった
すべてを金で推し量る異常さが悲劇を招いている。。
徘徊している。
飲み助はそのまんまグタッ〜と寝るがブログにむかうんだから
初志貫くべしには壮絶なる凄みをも発してるのではなかろうか。
ブログに艶が無いのは、その部分もあり、ともかく時間がない中での
思考を辿る作業ゆえで御両所お願いしたいところである。
小金さえ無き中での社会探索はマルクスをはじめとする社会経済学者が
万巻の書と格闘して社会構造を見定め解析し科学とした行為の実証的な徘徊行動。
働く以外に生きるすべが無きものの社会的地位は1〜2店舗での焼酎・蔵乃介を煽れば解かる。
働くもの食うべからず。
給料日を遠く首長く待ちわび、借金で飲みまわる破滅的生活はあちこちに痕跡を残す。
宮崎ニシタチ居酒屋高砂に句碑のある山頭火を象徴的あげれるに足りる。
社会的な交換形態から生まれる貨幣が人間を支配していく課程を描いた経済の書がある。
貨幣は必ず資本を生み出し、人間をがんじがらめにして人間を凌ぎ
思想も生活様式も総て規定していく。
モノと金の交換の過程には宗教性が埋め込まれている。」
モノが金に変わるのはそう信じられてるからである。
その過程には飛躍がある。
だからその信仰が崩れると恐慌が起こる。
資本主義というガンを発見した。
サムプライズに怯える新春の株のジエッコースター的急落がそうだ。
恒例のご祝儀相場さえ容赦ない非情を醸し出している。
治療のゆくえの処方箋は明らかにしていない。
ただ、新自由主義の様相も冷静に認識できる。
社会の生じる諸事全般はそのことで解ける。
金銭で換算できるようになったため
個人がバラバラになってしまった。
この状況が社会の構造的問題である。
昨夜と違い連日ともなれば深夜までの徘徊はコストの都合で一人。
仕上げは以前と違いコンビニですましてオジャン。
そこでも考える。
深夜のコンビニにはコストパフォーマンスで店員一人
そこに車で何台か一緒にお客さんがこられるとレジはパンクしてパニック。
客に怒鳴られ深夜一生懸命仕事をしても時間給の自給は同じ、給与にも昇進にも影響しない。
労働の疎外である。
そんな環境で頑張っても変わらなければ仕事を真面目に心底からしなくなる。
すべてが資本の論理で貫かれ金銭換算が可能になった社会。
そのことが働くもの同士の個人間執念に転じかねない状況を生み出す。
三つの係り分されてる電話販売体制の仕事で修行をしている。
ある一人が係りの仕事のワク踏み外して売上の数字を血眼になりすぎる。
サラリーマン経験がないゆえ会社発展という全体的視野思考が出来ない。
何故、三つの形態が有るのかを考えず、係りのワクを踏み越える。
自分が係りを変われば済むことをそれでは給与維持の不安が起こる。
給与条件は今のままで仕事のワクのみを代えようとすることから来る混乱である。
綻びは将来の組織の破壊をあまねこう。
蟻の一穴が堤防を壊し大洪水を招くが如きである。
経済法則の諸現象が確認される社会の日常の一コマを表している。
日本民族は勇敢にかかんに企業戦士で敗戦の「0」から世界トップの生活諸条件を
計ることが出来た。
日常の社会諸式の完備からである。
キャラクター一つで商品の売れ行きさえ変わる。
社名変更キャラクターを持ちイメージアップにさえひたすら努める。
日本人が何故ペンギンがすきか。
マスコミの未発達の時代背景から来ている。
そのもとはロッテクールミントガム。
さらにその元は昭和31年の第一回南極観測隊
戦争で生き残った船を改良した輸送船「宗谷」で南極にたどり着いた観測隊と
それを眺めているペンギンの写真。
そこに極寒の未知の世界に参加した勇気ある日本人の挑戦するエネルギー
ーがペンギンの姿と心に刻み込まれた。
その記憶が遺伝かされた。
自然の猛威の南極の氷の間にはさまれ立ち往生する「宗谷」を氷砕船が助けに来てくれ
テレビがないゆえ映画ニュースでつたえた。
感動で泣いたがどこの国であるのかは記憶に残さない米ソ対立の冷戦の時代の所産であった。
この当時の「食」の保存食は餅。最高のご馳走でもある。
正月はともかく何かというとき餅をつく。
節句誕生日結婚式お葬式
田植えの始まり終わり
農作業の区切りに餅をついた。
一年で一番心待ちにしたイベントは年越しの持ちつき行事
向こう三件両隣での共同作業。
米をとぎ竈)かまど)にくべる燃料の準備。まき割り
普段忙しくて家にいない親がズットいるのも嬉しかった。
ウシや馬やヤギ、ニトリ総家族がそろい余裕があるので世話をも十分してくれる。
大いに喜んでいる最高の福が宿った時期。
子らはこの時期は持久走の時期。
中学生で5000mを息切れ切れに走るが餅で朝から調整して望んだ。
マラソンランナー、箱で駅伝の選手はどのようになっているのであろうか。・
農家で育った故慣習には強い。
あんこをつけた餅は食べない。ただし11日間はである。。
邪気を払う一番格が高いからゆえだ。
神様が下りてきている間は人間は口にしない松の内。
雑煮は千きり大根とニンジンのすまし汁
鶏肉が加わればお金持ちのうちで十二分満足させえた。
食用芋で「ネッタクリ」なる黄な粉をまぶした餅。
餅は結婚式でも出された。
真っ白な餅を食べるのは特別な日であった。
くず米を美味しく食べるため石臼で挽き粉にして練り。
雑穀を混ぜる米の粉餅。
岩手県一関市の斎藤憲子さんのお話では椎名餅という
「正月に食べたきり」
食の偽装が表面化したが、餅につく青きカビは
毒だといって包丁で削ったり叩いたりふきたりして食した。
防腐剤の混入がしてない証左である。
そういえば一年中あるもちだが何故に懐かしきカビがついていないんだろう。
賞味期限・保健所と大騒ぎとなろう。
嗚呼かびのついた餅をあぶって食したい。
資本の論理が貫徹してない田舎、大家族の家庭には暖みがあった
すべてを金で推し量る異常さが悲劇を招いている。。