経営哲学

2008年1月18日
17日ニュヨークの株価は5パーセントに当たる300ドル以上の下げを記録した。
とどめを知らぬ混乱劇の末の大幅下落。

それがマネーゲームでの投機資金の争いでの急落の範囲内の問題ならいいが、
根本の世界の基軸通貨ドルの信用問題から派生してるとならばコトである。

中央銀行に当たるFRBバーナンキ議長は17日の議会で証言。
大幅な追加利下げを表明。
景気の低迷が続くと予測し、景気刺激策の必要性を認め財政出動、雇用対策、減税策を連動するようにも
求めた。
病弊への初期対処と対応は早い資本主義国の盟主。

差の第一の盟主国はどうか。福田内閣初の通常国会が今日から開催される。
前内閣の安倍の選んだ大臣で運営されてる真の福田内閣ではない。
政治の優柔不断がここに収斂象徴されている。

暫定処置がきれるガソリン問題が10年延長できるのか。
可決できなければガソリンは25円も安くなる。
他方道路財源2兆円以上の道路財源の確保が出来なくなる。
日切れ法案は他に30件以上もある。

5年の任期が切れる日銀の総裁新任問題もある。
空席になる危険は参議院の状況から十二分にある。

憲法問題では恒久法を目指すことで形骸化する憲法となろう。
このことは日を改めて触れたい。
もたつき迷走が世界の動きにとりの子さている。
国の経営者の国家理念たる福田総理の施政方針演説が聞きたい。

三人集まれば人は派閥を作る。
ボランテアとか友好団体ではミス越しても問題は生じないが
社会的活動をしてる企業組織ともなれば事はそうはいかない。

利益追求と企業発展の理念の下に社員が集っているはずだからである。
よっていかに有るべきか。
創業者の理念の実現のもと理想の組織を目指す。

集団を維持するため係りを編成し、
売上増と利益増をめざし効率的な日々を目指して運営するのが常である。

経営者の個人的思考が如実に現れるので悩み煩悶格闘して述べられてるのが社是である。
ところで娑婆なる世界の日常の中に得体の知れない人間が生きていく。
創業者理念が捻じれる動きが生じ媚び遍く者が出てくる。
経営者の人をみるレンズが曇ってくる。

企業を悪罵する裏言葉で隠語の自転車創業は何も資金繰りだけを言うものではない。
社員の重要ポストに有るものの定着率もファクターにあろう。

その人たちが生かされてこそ企業の将来がある。
小規模会社は複雑なる身分にあるが要の正社員は少なくそのポストの人が辞めるのは芳しくない。。
企業とは人である。
経営の神様が行き着いた結論だ。

NHKラジオ深夜便16日早朝4時は平野次郎学習院の教授にある勝手のNHK解説委員の
松下幸之助との真々庵(しんしんあん)での印象が述べられた。
京都・東山を借景にした松下の息の残る名園・真々庵。

社名製品から松下、ナショナルが消え、パナソニックニで勝負に出る。
丁度のタイミングのいい凄い企画放送である。
リスナーの少ない深夜早朝がいけない。

庭の景観を見ながらの二人の思い出の対話の懐古。

樹種の上は伸んでるが下草の芝を払ってある。
足元がシッカリしてるのが経営哲学との名言。

ネーミングの重要さはペンパートン退役軍人のはじめたコカコーラが
いつのまにか一人歩きし始めたコカコーラからコークの愛称になったことが総てである。

名称変更への迷惑はライバル社のペプシコーラのこともありいろいろと表したが、
結果会社もコークとしたことで総てが示されている。

いまでもコーク、ペプシの両者は民主、共和の陣営に分かれて大統領選で火花を散らしている立役者。
どちらがどちらかって?
ニュースを見ていればチラリッと見えてますよ。
イジワル??
・・・ダメ!・・・
名映画を楽しむ気持ちでみれば人生楽し。

あの名画シェーンの最終場面で去り行くアランラッドに迎い・・叫ぶ。
「シェー〜〜ン・・カン・・バック!」
だれもが一押しのアメリカ文化のA級映画である。

ところがどうだ。

そのとき名場面をコマ送りでビデオで見るがいい。
ロッキー山脈の麓を・・・
ナント!なんと!南都雄二!(ねたフルスギマ〜ス)
自動車が何題と無く走って去るではないか。
電信柱さえある。
車は何台か、を語り合うようなものが
コークとペプシとのお話に持ち出したわけだ。
映画や小説の結論をシャベルバカがいるが親の顔が見てみたい。

松下幸之助の真語真髄
「これが言いたかったのだ」上甲晃/松下政経塾元塾頭の記録からの掲載。

 その時、松下幸之助は腰に手を当てたまま立ちつくし、冬景色の庭をじっと見ていた。
真々庵の庭園はあくまでも静まり返っていた。

かなりの時間、沈黙が続いた。
やがておもむろにつぶやくように話した。

「わしが言いたかったことの究極はこれや。これがまとまったら、いつ死んでも悔いがない」。

 それまでの半年間、ほとんど一日の休みもなく朝から晩まで、推敲に推敲を重ねてきた
『人間を考える』を一冊の本にほぼまとめあげた瞬間の一言である。

推敲の仕事をつきっきりで手伝ってきた江口専務(PHP研究所)は、その言葉に強く打たれた。
そして松下幸之助の命がけの、魂込めての最後の大仕事であったことをその瞬間に初めて知り、
それまでのおさだまりな自分の対応の仕方を大いに恥じたという。

 人間が人間自身の本質を正しく把握することこそ、平和で幸福な社会を作りあげていく基本であると考えた
松下幸之助。
生涯の仕事として今までの学説や宗教などの枠に一切とらわれずに
「新しい人間観の提唱」のまとめに取りかかった。

 20数年間考え続けてきた、その最後の推敲の半年間で通読した回数は、60回を超えた。
部分的に読み上げたものは400〜500回になった
だろうと、江口専務は振り返る。
松下幸之助は最後の最後まで徹底して考え抜いたのである。

 松下幸之助は、経営はもとよりあらゆる活動の根本に「人間」を置いた。
「人間は本来、偉大であり、すばらしい本質を持っている」との人間観を基本にしていた。

だからお互いに学び合い、生かし合い、助け合うことの大切さを常に求め続けていた。

人間が争い、殺し合い、いがみ合うのは、本来人間に与えられている偉大なる天与の本質を
正しく認識していないからだとした。
人間の本質を正しく、そして深く、素直に認識し、実践すれば、平和で幸福な社会を実現できる、
これがPHP活動の根本思想であろう。
松下政経塾出身の政治家は元の民主党党首を始め政治の世界にも張り巡らされている。

 松下政経塾が創設されて以来、松下幸之助は塾長として塾生を指導する時に、「人間の本質を研究することを最優先してほしい」と言い続けて
いた。いかなる政治の仕組みや制度政策も、その根本において、人間にとって果たして本当に望ましい姿はいかにあるべきかの視点がなければ正
しいとは言えないと教えた。

 政治改革の論議が熱く続いている
。だが本当に「人間観」のある議論はあるだろうか。
縦のものを横に並べ変えたところで、左のものを右にしただけで、物事が良くなるような浅薄な改革論議も少なくない。

実際のところ、論議する人たちの一体何人の頭の中に、人間とは何かという問いに対する答えがあるだろうか。

 どんなに立派なスローガンを掲げても、その根底において、そこに住む人間にとって本当の幸せとは何か、どうすればその地域に住む人たちが
心の底から生きる喜びを感じられるか、その人間研究がなければ地域は良くならない。
「人間の本質を踏まえた、より良い社会のあり方に深く思
いを致すことのできる政治家」を育てたい、松下幸之助はそう願ったのだ。

いまその松下経営のせいしんが世界に飛出す。
が、そこにはナショナルも松下も冠を表示したものは無く
ニューヨーク帰りに幸之助の描いたパナソニックがあるのみである。

さいは投げられた。
会社は創業者のものではない。
社会的な中で存在している。
改革への苦難の道が始まる。

私は独裁者にはなりたくない。
支配はしたくない。
出来れば援助したい。
ユダヤ人も黒人も白人も、人類はお互いに助け合うべきである。
他人の幸福を念願してこそ生きるべきである。
お互い憎み合ったりしてはならない。
世界には人類を養う富がある。
人生は自由で楽しいはずである。
貧欲は人類を毒し、憎悪は憎悪をもたらし、悲劇と流血を招く。
 思想だけがあって感情のない人間はダメである。
知識よりも思いやりこそが必要である。
思いやりがないと暴力だけが残る。
兵士諸君、犠牲になってはいけない。
独裁者の奴隷になってはいけない。
愛を知らぬ者だけが憎しみ合うのだ。
人生はもっともっと美しいものである。
ハンナ、聞こえたかい・・・。    (「独裁者」ラストの演説より)

「淀川長治の証言 チャップリンのすべて」 : 毎日新聞社

 あの「独裁者」(1940年作)はヒトラーがポーランドに侵入したときに作った。
かかるときにヒトラーを叩きつける映画を命がけで作ったチャップリン。

しかもサイレントを守りとおしたチャップリンがついにトーキーに本格的に乗り出して、
しかも理髪店のやさしいユダヤ人とヒトラー、このふたりの声をチャップリンひとりで、
そのふたりをこわいろでやってのけたばかりか、

「独裁者」のラストはヒトラーに扮したチャップリンがヒトラーとまさに反対の名演説をやってのけた。]
(淀川長治:同本の巻頭言{チャップリンの本を心をこめて」より)

栗原貞子の祈り
生ましめんかな
 
こわれたビルディングの地下室の夜だった。
原子爆弾の負傷者達は
ローソク一本ない暗い地下室を
うずめていっぱいだった。
生まぐさい血の臭い 死臭。
汗くさい人いきれ うめきごえ
その中から不思議な声がきこえてきた。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。

マッチ一本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう。
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と「私が産婆です、私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重症者だ。
かくてくらがりの地獄の底で
新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は
血まみれのまま死んだ。

生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも

栗原貞子 : 作 : 「生ましめんかな」 :
 『中国文化』創刊号(1946年3月号)

新しき生命を宿してる目出度き社員がいる。
どう包み込んで困難なる作業を社会的に支えきれるのか。
我が娘よりも多くの年齢が下の若き妻、職業婦人の不安をいかに共同化していけるのか。
めでたさも ちゅぐらいなり おらがはる
ばんかんのよろこびをもって新しき生命を迎えたい社会としたいものである。

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