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親子鷹の題材は生命の受け継ぎの人間ゆえの宿命で武士道の歴史を持つ日本人にはピッタリと来るテーマ。
アニマル浜口親子が極めて目に付く。ハンマーの室伏親子はそれなりである。
親子鷹が大衆化したのは戦後世代のせきやんは巨人の星を嚆矢とする。
亀田三兄弟の亀田興毅が意外な結末で判定で世界の座に収まった。
離婚した母親にもいい意味で見返しができた。
重いパンチでセンスは認める。特筆できるのは特異のキャラでボクシングを大衆のものにした。
K-1などの新しき格闘技で斜陽であったポジションに脚光を浴びさした貢献は大きい。
ボクシングをメデアとタイアップしてここまで大衆化したのは初めてのことであろう。
勝利は初回のダウンがあるゆえ後味の悪い感じはする。
僅か1ポンドの判定の差が明暗を分けた。
逗留者と判定者を待っていたせきやんは
「オリンピック・ボクシングは審判がどう取るのであろう?」
「効果ないが手かずでどうにも不利。。」
せきやんも敗北を意識はしていたがどうにか勝った
未知の12回ラウンドをはじめて戦い抜いた亀田興毅。
初回のダウンのハンディは2ポイントか。
では何故逆転勝ちできたのか。
7回の追い込んだロープ際で唯一の得意のKO勝ちダウンでの勝利の絶好の機会のあったラウンド。
9回もいま少しであった。
12回の2分20秒過ぎチャンスがあった。
KOの機会はこの3回のみ。
僅かの差が勝利になった。あらゆる意味での勝利への執念・精神力のみでの勝利。
ホームタウン・ディシジョン(地元びいきの判定)?
亀田は古き慣習のボクシング界に風穴を開けたにもかかわらず、そこの悪しき慣習に救われたという、なんとも皮肉な勝利。
勝利の女神のみは引き寄せた。
実は日本のボクシングの歩きが今日の試合と重なる。
昭和27年日本人最初の世界チャンピオンの白井義男。
敗戦国処理でGHQ支配下にあり打ち沈んでた日本民族の尤も辛い時期であった。
戦勝国のGHQ職員が腰痛の致命傷を持つ三流ボクサーを見初めた。
アルビーンカーンと白井義男の出会い。
ただ、猛進にうtれても打ち進むのがこの頃のボクシング。
ボクシングの経験もないイリノイ大出のアルビーンカーンがコーチとなる。
基本のトレーニングばかり。
ところが4ヶ月後の試合に下馬評の高かった石森に防御ばかりだったが、チャンスを見計らって倒す。
「打たせず打つ」
「防御だけで打たねばつまらない」
堀口恒夫はピストン堀口としておぼろげながらせきやん世代の英雄。
その弟との戦いで二人のボクシングが試される。
堀口宏は一階級うえのバンタム級25年4月のことだ。
この試合に勝ち2階級制覇をはたす
25年9月ハワイに飛ぶアルビーンカーン
世界王者のマネジャー・サム一之瀬にチャンピオン・タフマリノフに挑戦状を出した。
国際社会に復帰してない今の北朝鮮の状況ゆえ、国際復帰してない日本は受け入れられない。、
変わりに条件・チャンスを与えられる。
世界ランクNBAからの挑戦資格をとること。
世界ランク入りが求められたのである。
勝ち抜いてNBAの1位になる
27年4月28日日本の占領終了。GHQが引き上げる。
チャンピオン・マリノフ5月1日訪日
白井義男にかかる国民の期待。
重圧との戦いとはじめての経験したことのない15ラウンド
背負う日本の夢
スポーツだけが子の頃の日本が世界に通用したもの。
自分のためだけ出なく、
自信と気力を日本の代表として戦えば勝機はある
闘志と自信が体内に満ち溢れてるのを感じた。
7回の厳しきフックはゴングで救われるが朗々との意識のなか、脳震盪の意識を取り戻す。
足を使う。
デフェンスでチャンスを待つ
11ラウンドから鈍るマリノフ
攻撃に転じる
敗戦で自信を失った日本人のために戦う。と奮い立たせる。
15ラウンド終了4万の群集は固唾をもって見守る。
9時16分・・・・
僅差で判定勝ち
戦争で戦った敵国同士、出会って4年。
「卵は成長し孔雀となった。この経験で私も成長した。」アルビーンカーン
素直な息子は皮を切らして肉を切る従来のボクシングを科学的にした。
ボクシングなど外国に上回るものはオリンピックのスリングの金メダル。
引き金はこの世界タイトル初の奪取にあった。
日本人初めては大きく国際舞台に動く。
職場のJHQは廃止されたが帰らない。白井義男は4連続防衛30年引退
「ありがとう」の白井の言葉に
「僕のほうだ。」
「楽しみのないのに生きがいをくれた」アルビーンカーン
ニンチショウなる病を白井との同居で日本で過ごす。46年死去
平成15年12月26年86年の生涯を終えた白井義男
皮膚の色慣習の違い言語習慣を乗り越え、互いに信頼を勝ち得たことが人生でたった一つ大いなる誇りなのである。
打たせずに打つ。スポーツである
杉並に白井と具志堅の作ったジムでその思想は実践されている。
亀田も共栄ジムのはずだ。
亀田興毅の今日の試合は白井義男のチャンピオンになった試合とナント似ていることか。
ともかくもチャンピオンである。そこいらのガキではない。
難波の闘魂ではいいかもしれないが、フェアーなスポーツの世界では通用しない。
親子鷹と家族の美談。
マスコミはこんなもんまで作ってしまう。
それでも精進して行動と言動をも相応しきものを身に着けてほしい。19歳は輝かしい。芸の世界で言う化けることだ。
大和民族の代表でもあるのだ。
お手本はあちこちにある。世界の王監督もおめでたい退院。
19歳が老練なる巧者に勝ったのは白井を含めた勝利の神の霊が宿ってただけである。
オメデトウ!
そして勇気を有難う。

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