今日の誕生日の花は・・・・ヤナギラン
花言葉は・・・・・・・・集中する
柳蘭の写真はコチラ↓
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/yanagiran.html
なんだーこれ知っている、雑草ではないかー
昭和天皇の入江侍従を叱った
「雑草という草はない」の一言が思い出される。
「だれか掃除をしたのかね」
「はいツ!雑草は総てとりのぞきました。」
「雑草という草はないよ。総てに名がある。」
夏は京で始まり京で終わる。
燃えさかり 筆太となる 大文字
中国が15日国家ごと弔意鎮魂を表した。
「えっ!」・・
「いいえ。お盆行事ではありまセん」
自国の自然災害に対してである。
ほかにも小麦輸出を止めたロシアといい
いまや地球全土の自然異変。
地球を見守る神業でしか説明つかないこと。
自然を畏怖しない現代人の生活行為へのしっぺ返し
下等国といわれる無信教の国も慄ののいてること。
流行のパワースポットはそれらを利用した商法的狙いの起源
なんでも金に換えるがグローバリズムの名で処理される。
キャンプ地宮崎
2月ミニ、3月と巨人軍がキャンプを張る。
宮崎空港に着く。
まずなにをするのか。
決まりごとがある。
全員一人漏れなく参詣。かしこずく
「宮崎神宮」
球状近くの青島神社にも勝利祈願。
憲法に言う宗教の自由の阻害ナゾとかで報じられないこと。
創価・統一教会の増長は国家民族文化を壊す。
憲法の悪用利用にある典型事例
15日はお盆
古来の先祖の霊が家に帰ってきてその霊と対話する行事に
65年前の国家犯罪に敗戦の鎮魂が加わった。
いつもこの日を自然がお膳立てする。
65年前の朝東京は朝6時で26度
2010年もご多分にもれる事なき風一つなき熱射があのひ敗戦で涙した人々の頭上にあった如くの同じ自然条件の環境
不動の変わらぬ環境の2010年夏15日。
冷房の効いた部屋を今日だけは忘れ
熱射を味わうがいい。
日本の国家は廃墟の中から始まった。
宮崎の夏が終わった。
セオリーなき商業主義で精神を形式的伝統行事を忘れ棚上げで遣ってなきゃー神は見放そう。
高校生はあらゆる場が大人に向う勉強の場の精神修行期間。
宮崎代表が熊本空港発ではいただけない。
学校運営者校長父兄会が悪い。
地理的に時間経済性からの見地からだろう。
戦(いくさ)の前の戦勝祈願の形が忘れ去られている。
65年以前のこの国の形の基本では信じられないことの日常化。
教育の基本がない
人の生き方論の基本の欠落。
教育機関がコレである。
憲法の理解のはき違え。
「宗教の自由」
の崇高さが理解出来てない。
試合内容的には宮崎延岡が勝ってた。
豪華に5点も取られ逆転を許す
県大会になかった田舎荒削りチーム。
う~~ん
延長戦敗北は生活態度の差か。
初戦説明できないことで勝ち上がった仙台。
負け試合の九死に一生を得た仙台育英。
この試合にも何かが憑いていた。
勝利の女神が微笑んだ。
一回戦緒戦も負けてての仙台の試合。
最終回痛恨の相手チームのセンタ-イージ凡フライ落球。
命拾い。
その後も続いた。
味方は続けさまのスライデイングキャッチの
プロ以上のプレー二つで勝ち残る。
神懸り。
試合に関係ないハズの要素で勝った一回戦の仙台育英。
宮崎延岡でまたもやソレが出た。
人気のサッカーと高校野球との違いはチームプレイの中味。
典型的なのは犠打。
勝利の方程式は仲間の塁を一つすすめさすが鉄則。
一点争い。
野球という競技が面白い因によこたわるもの。
豪華で派手なホームランなぞオマケ。
狙って出るものではなく自然大振りバッチングになり試合には負けよう。
監督のコーチ・スタッフ陣出番がいる。
選手も微妙なもので観客の声援が応援するゆえハッスルする。
全員野球とも言われるゆえんでもある。
人格形成、教育には野球の方がいい。
仙台育英学園の歴史は、20世紀古く初頭の1905年にさかのぼる。
1905年(明治38年)、学園創立者である加藤利吉先生は、仙台の地に私塾『育英塾』を設立。
これが現在6万人を超す東北の雄で
甲子園キップは東北高校と二校が常連
ナンコー=東北高校、ケンカの育英
偏差値万能者は馬鹿してはいけない。
いまでは東大コースさえ持つ。
宮崎代表を破ったゆえ悲願の優勝旗を目指すようエールを送る。
しかし
春の覇者・中京を破った早実は一体なんなんだろう
憲法の条項利用を履き違えてるそれぞれの指導者さえが見られる。
宗教の自由にかこつけて何もしない、指導者としてのかたわもの。
こういう輩はけじめの正月のお参りもかかわらない。
、春秋、お盆の三度の先祖の霊にぬかづくは民族存立に由来すること。
瑞穂の国は自然イカンが一年の生活を決める収穫量に関わる。
農業国家中心であったゆえ農産物の収穫量は国家経営国家経済を揺らがした。
農民たちは自然を恐れひたすら神に祈った。
何の学問的裏づけなくとも今尚科学が解き明かしてることとおんなじ所業の地球を守る繰り返される人間の仕来たり。
ゆえに暗黙に宗教的行事を認めた為政者。
生きる基本に伝統的宗教行事がある。
食事の前の「いただきます」この国の宗教的起源に意味がある。
生きとし生きるもののかたがわりの命の受け渡しで命をつないでることに感謝
他者の命を頂いての己の生命維持にある。
命は粗末に出来ない。
一生を粗末に生き抜くは勿体無い。
食事の前に
神の恵みでの神に祈る。
収穫物への感謝の差は違えど
欧州先進国も宗教は違えど皆そうスル日常生活スタイル。
それぞれの国は65年前の世界大戦のそれぞれの傷を持つ。
終戦。
ここではあえて敗戦ではない。
あれから六十余年が過ぎ、戦争の記憶は風化しつつある。
日本がアメリカと戦ったことすら知らない子どもたちがいるという。
忌まわしい過去を忘れることも、幸せな生き方といえるかもしれない。
だが。
少年時代をあの戦争の惨禍の残る中で過ごした爺目の世代にとって、
国の命令で国のために散華した当時の若者たちの心情を想うとき、
ただ“忘れた”では済ませられない、深く厳しい想いがある。
景気景気と狂奔し、豊かさの中で有頂天に騒いでいる今の日本人の姿を見たら、
今、南海の海に沈んだままの数十万体の英霊たちは、一体どのように感じるのだろうか。
戦後間もなく棟田博が書かれた『サイパンから来た列車』
短編小説の秀作。
敗戦後十年の八月十五日。
東京駅の人気のない深夜に、一台の幻の軍用列車が着き、サイパンで玉砕した英霊たちが夜明けまでの一刻、
復興した東京を見て歩くという卓抜な発想の物語。
この発想が、永年倉本聰世代を捉えていた。
戦後十年目の日本人と、戦後六十余年たった現在の日本人の生き方、心情は、それこそ極端に変わってしまった。
戦後十年目に帰還した英霊は、日本の復興を喜んだかもしれないが、あれよあれよという間に、経済と科学文明の中で己を見失って狂奔している今の日本人の姿を見たら、一体、彼らは何を想うのか。
怒りと悲しみと絶望の中で、ただ唖然と立ち尽くすのではあるまいか。
その六十余年を生きて来て、そうした変化にずっと立ち会ってきた爺目ら自身でさえ、
この急激な変量の中で唖然と立ちすくんでいるのだから、
六十余年の空白を経て浦島太郎のようにこの国に戻り
立った英霊たちの驚愕は、想像するに余りある。
これは鎮魂のドラマであり、怒りと悲しみのドラマでもある。
もう先のない爺目の世代が、一つの時代の小さな証人として遺して於かれるこの国を担う世代へのプレゼント。
意気込み気合がいい。
脚本家の倉本聰作・演出の舞台「歸國(きこく)」
この夏、各地で上演されている。
ドラマのTRSが21:00 ~ 「歸國」23:24 まで2時間半放送した。
8月14日「終戦」ドラマスペシャル
創価放送局ゆえ言葉は「敗戦」ではない。
出演はビートたけし、長渕剛ほか、小栗旬、向井理、塚本高史、温水洋一、遠藤雄弥、生瀬勝久、ARATA、堀北真希、
八千草薫、石坂浩二ら超豪華キャスト陣。
筋立て。
8月15日未明の東京駅ホーム
65年前に南洋で戦死した兵士たちの霊が、軍用列車から降り立つ。
「戦後65年、日本はあの敗戦から立ち直り、世界有数の豊かな国家として成功したんじゃなかったのか」
「俺たちは今のような空しい日本を作るためにあの戦いで死んだつもりはない」
静まり返った東京駅のホームに、ダイヤには記されていない1台の軍用列車が到着した。
そこに乗っていたのは、60余年前のあの戦争中、南の海で玉砕し、そのまま海に沈んだ英霊たちだった。
彼らの目的は、平和になった故郷を目撃すること。
そして、かの海にまだ漂う数多の魂に、その現状を伝えることだ。
永年夢見た帰国の時。
故郷のために死んだ彼らは、今の日本に何を見たのか……。
劇中の「英霊」ならずとも、こんなはずでは、と感じている人は少なくないだろう。
戦後、日本は戦争の反省に立って平和憲法を掲げ、奇跡と呼ばれた経済成長を成し遂げた。
なのに、私たちの社会は、いいしれぬ閉塞感に苛まれているように映る。
日本は昨年、戦後初めての本格的な政権交代を経験した。
55年体制からの脱皮は数多くの混乱を生んだ。
民主党政権は、政治主導という看板を掲げて舞台に立った。
事業仕分けや事務次官会議の廃止など一部で成果を上げはしたが、
まだ見えない壁の前でもがいているかのようである。
この分厚い壁とは何か、いつ作り上げられたのか。
米国の歴史家、ジョン・ダワー氏は著「昭和 戦争と平和の日本」で、
官僚制は「戦争によって強化され、その後の7年近くにおよぶ占領によってさらに強化された」
と指摘する。
同様に、日本型経営や護送船団方式など戦後の日本を支えた仕組みの多くは、
戦時中にその根を持つ。
「八月やあの日昭和を真つ二つ」(8月8日 朝日俳壇)。
この句の通り、私たちは戦前と戦後を切り離して考えていた
。だが、そんなイメージとは裏腹に、日本を駆動する仕組みは敗戦を過ぎても継続していた。
ダワー氏はこれを「仕切り型資本主義」と呼ぶ。
軍と官僚が仕切る総動員態勢によって戦争が遂行されたのと同じやり方で、
戦後も、社会は国民以外のものによって仕切られてきた。
政権交代は、55年体制が覆い隠してきた岩盤に亀裂を作ったといえるだろう。
天下り利権や省益を守ることに傾斜してしまう官僚組織、積み上がるばかりの財政赤字。
いまや、仕切り型資本主義が機能不全に陥っていることは誰の目にも明らかとなった。
外交・安全保障も同様だ。
普天間基地移設の迷走、そして日米核密約問題は、憲法9条の平和主義を掲げながら沖縄を基地の島
とし、核の傘の下からヒロシマ、長崎の被爆体験を訴えてきた戦後日本の実相と、
今後もその枠組みから脱するのは容易ではないという現実を、白日の下にさらした。
割れ目から顔を出したものは、私たちが目をそむけてきた「もうひとつの戦後」だった。
任せきりの帰結
日米安保条約改定から半世紀の今年、ドキュメント映画「ANPO」が公開される。
映像は安保改定阻止の運動が何を問おうとしたのかを追う。
銀幕で人々は語る。
「民主主義は私たちが守らなくちゃ。国は守ってくれないんだ」。
戦争の記憶が生々しかった1960年当時、日本人の多くは、平和と民主主義を自らのものにするにはどうしたらいいか、問うた。
たとえ失敗に終わろうと、歴史の主人公になろうとした一瞬があった。
だが、多くの人々が胸にかかえた問いは、その後の経済成長にかき消され、
足元に広がった空洞は物質的な豊かさで埋められた。
映画を監督した日本生まれの米国人、リンダ・ホーグランド氏は言う。
「当時の日本人の顔は今とは違う。彼らはどこから現れ、どこへ行ったのでしょう」
冷戦下、西側の一員として安全保障と外交を米国に頼り、経済優先路線をひた走るという
「昭和システム」は、確かに成功モデルだった。
だが、時代が大きく変化した後も、私たちはそこから踏み出そうとはしなかった。
「仕切り型資本主義」は「人任せ民主主義」とも言い換えられる。
任せきりの帰結が、「失われた20年」といわれる経済的低迷であり、
「顔の見えない日本」という国際社会の評判だ。
生きてるあなた
「敗戦忌昭和八十五年夏」(7月26日 朝日俳壇)。
戦後65年にあたって考えるべきは、戦争を二度と繰り返さないという原点の確認とともに
、「戦後」を問い直すことではないだろうか。
それは「昭和システムとの決別」かもしれない。
家族や地域といった共同体の崩壊や少子高齢化によって、日本社会は昭和とはまったく相貌を変えている。
グローバル化が深化し、欧州連合の拡張で国民国家の枠組みすら自明のものではなくなる一方で、
アジアでは、中国の台頭が勢力図を書き換えつつある。
昭和の物差しはもう通用しない。
「ANPO」の挿入曲「死んだ男の残したものは」谷川俊太郎作詞、武満徹作曲
こう歌う。
♪死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない ・・・♪
「政権交代」
は、小さな一歩に過ぎない。
政治主導とはつまるところ、主権者である国民の主導ということ。
過去の成功体験を捨て、手探りで前に進むのは不安かもしれない。
だが、新しい扉を開くことができるのは、今の時代に
「生きてるわたし生きてるあなた」
しかいない。
ブログともどもにこうある。
久しぶりに残すべき天声人語氏の教え。
〈戦死やあわれ/兵隊の死ぬるや あわれ……〉で知られる竹内浩三の詩「骨のうたう」
は前半と後半で調子が変わる。
半では、白木の箱で戻った「遺骨」が、戦後の故国を眺めて覚える深い嘆きがつづられる
無言の帰国をしてみると、人々はよそよそしく、戦争のことなど忘れたかのような変貌ぶりだ。
〈がらがらどんどんと事務と常識が流れ/故国は発展にいそがしかった/女は 化粧にいそがしかった〉
と続く。
浩三はルソン島で戦死している。
切ない言葉は、戦後を予言したかのような一兵卒の心の慟哭である
忘れがたい浩三の詩句を、倉本聰さんが書き、演出した劇「歸國(きこく)」の舞台に重ね合わせた。
南洋に果てた英霊たちが現代日本に立ち戻り、繁栄を垣間見る筋書きだ。
テレビのドラマを見た方もおられよう
舞台の劇は、英霊賛美に傾かず、説教臭さに染まず、重い投げかけがあった。
豊かさと交換するように人の世の絆は細り、家族が崩れていく。
故国を見た英霊たちの悲嘆は、多くの人の胸中に潜む感慨でもあろう
きょう終戦の日。
この日が盆と重なるのは、戦没者の思いが働いたかのようだ。
迎え火、送り火、精霊流し。
戦争の記憶と相まって列島の情念が一番深まるときである。
得たものと失ったものを省みるに相応しい日でもあろう
「戦争に負けるということは白いことなのだ」と故・吉村昭さんの近刊『白い道』にあった。
その「白」は今、どんな色に染まったのだろう。
めいめいが描いてきた「戦後」を問うように、65年目の夏がゆく。
「靖国問題の混乱」は密かに松平宮司らの職務を忘れた天皇家を蔑ろにした極秘のA級戦犯合祀から始まっている。
「靖国で会おう!」
310万人のさまよう英霊たちに答えねばならない。
英霊の霊の癒しどころをはや落ちつかねさせねばならない。
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「雑草という草はない」の一言が思い出される。
「だれか掃除をしたのかね」
「はいツ!雑草は総てとりのぞきました。」
「雑草という草はないよ。総てに名がある。」
夏は京で始まり京で終わる。
燃えさかり 筆太となる 大文字
中国が15日国家ごと弔意鎮魂を表した。
「えっ!」・・
「いいえ。お盆行事ではありまセん」
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自然を畏怖しない現代人の生活行為へのしっぺ返し
下等国といわれる無信教の国も慄ののいてること。
流行のパワースポットはそれらを利用した商法的狙いの起源
なんでも金に換えるがグローバリズムの名で処理される。
キャンプ地宮崎
2月ミニ、3月と巨人軍がキャンプを張る。
宮崎空港に着く。
まずなにをするのか。
決まりごとがある。
全員一人漏れなく参詣。かしこずく
「宮崎神宮」
球状近くの青島神社にも勝利祈願。
憲法に言う宗教の自由の阻害ナゾとかで報じられないこと。
創価・統一教会の増長は国家民族文化を壊す。
憲法の悪用利用にある典型事例
15日はお盆
古来の先祖の霊が家に帰ってきてその霊と対話する行事に
65年前の国家犯罪に敗戦の鎮魂が加わった。
いつもこの日を自然がお膳立てする。
65年前の朝東京は朝6時で26度
2010年もご多分にもれる事なき風一つなき熱射があのひ敗戦で涙した人々の頭上にあった如くの同じ自然条件の環境
不動の変わらぬ環境の2010年夏15日。
冷房の効いた部屋を今日だけは忘れ
熱射を味わうがいい。
日本の国家は廃墟の中から始まった。
宮崎の夏が終わった。
セオリーなき商業主義で精神を形式的伝統行事を忘れ棚上げで遣ってなきゃー神は見放そう。
高校生はあらゆる場が大人に向う勉強の場の精神修行期間。
宮崎代表が熊本空港発ではいただけない。
学校運営者校長父兄会が悪い。
地理的に時間経済性からの見地からだろう。
戦(いくさ)の前の戦勝祈願の形が忘れ去られている。
65年以前のこの国の形の基本では信じられないことの日常化。
教育の基本がない
人の生き方論の基本の欠落。
教育機関がコレである。
憲法の理解のはき違え。
「宗教の自由」
の崇高さが理解出来てない。
試合内容的には宮崎延岡が勝ってた。
豪華に5点も取られ逆転を許す
県大会になかった田舎荒削りチーム。
う~~ん
延長戦敗北は生活態度の差か。
初戦説明できないことで勝ち上がった仙台。
負け試合の九死に一生を得た仙台育英。
この試合にも何かが憑いていた。
勝利の女神が微笑んだ。
一回戦緒戦も負けてての仙台の試合。
最終回痛恨の相手チームのセンタ-イージ凡フライ落球。
命拾い。
その後も続いた。
味方は続けさまのスライデイングキャッチの
プロ以上のプレー二つで勝ち残る。
神懸り。
試合に関係ないハズの要素で勝った一回戦の仙台育英。
宮崎延岡でまたもやソレが出た。
人気のサッカーと高校野球との違いはチームプレイの中味。
典型的なのは犠打。
勝利の方程式は仲間の塁を一つすすめさすが鉄則。
一点争い。
野球という競技が面白い因によこたわるもの。
豪華で派手なホームランなぞオマケ。
狙って出るものではなく自然大振りバッチングになり試合には負けよう。
監督のコーチ・スタッフ陣出番がいる。
選手も微妙なもので観客の声援が応援するゆえハッスルする。
全員野球とも言われるゆえんでもある。
人格形成、教育には野球の方がいい。
仙台育英学園の歴史は、20世紀古く初頭の1905年にさかのぼる。
1905年(明治38年)、学園創立者である加藤利吉先生は、仙台の地に私塾『育英塾』を設立。
これが現在6万人を超す東北の雄で
甲子園キップは東北高校と二校が常連
ナンコー=東北高校、ケンカの育英
偏差値万能者は馬鹿してはいけない。
いまでは東大コースさえ持つ。
宮崎代表を破ったゆえ悲願の優勝旗を目指すようエールを送る。
しかし
春の覇者・中京を破った早実は一体なんなんだろう
憲法の条項利用を履き違えてるそれぞれの指導者さえが見られる。
宗教の自由にかこつけて何もしない、指導者としてのかたわもの。
こういう輩はけじめの正月のお参りもかかわらない。
、春秋、お盆の三度の先祖の霊にぬかづくは民族存立に由来すること。
瑞穂の国は自然イカンが一年の生活を決める収穫量に関わる。
農業国家中心であったゆえ農産物の収穫量は国家経営国家経済を揺らがした。
農民たちは自然を恐れひたすら神に祈った。
何の学問的裏づけなくとも今尚科学が解き明かしてることとおんなじ所業の地球を守る繰り返される人間の仕来たり。
ゆえに暗黙に宗教的行事を認めた為政者。
生きる基本に伝統的宗教行事がある。
食事の前の「いただきます」この国の宗教的起源に意味がある。
生きとし生きるもののかたがわりの命の受け渡しで命をつないでることに感謝
他者の命を頂いての己の生命維持にある。
命は粗末に出来ない。
一生を粗末に生き抜くは勿体無い。
食事の前に
神の恵みでの神に祈る。
収穫物への感謝の差は違えど
欧州先進国も宗教は違えど皆そうスル日常生活スタイル。
それぞれの国は65年前の世界大戦のそれぞれの傷を持つ。
終戦。
ここではあえて敗戦ではない。
あれから六十余年が過ぎ、戦争の記憶は風化しつつある。
日本がアメリカと戦ったことすら知らない子どもたちがいるという。
忌まわしい過去を忘れることも、幸せな生き方といえるかもしれない。
だが。
少年時代をあの戦争の惨禍の残る中で過ごした爺目の世代にとって、
国の命令で国のために散華した当時の若者たちの心情を想うとき、
ただ“忘れた”では済ませられない、深く厳しい想いがある。
景気景気と狂奔し、豊かさの中で有頂天に騒いでいる今の日本人の姿を見たら、
今、南海の海に沈んだままの数十万体の英霊たちは、一体どのように感じるのだろうか。
戦後間もなく棟田博が書かれた『サイパンから来た列車』
短編小説の秀作。
敗戦後十年の八月十五日。
東京駅の人気のない深夜に、一台の幻の軍用列車が着き、サイパンで玉砕した英霊たちが夜明けまでの一刻、
復興した東京を見て歩くという卓抜な発想の物語。
この発想が、永年倉本聰世代を捉えていた。
戦後十年目の日本人と、戦後六十余年たった現在の日本人の生き方、心情は、それこそ極端に変わってしまった。
戦後十年目に帰還した英霊は、日本の復興を喜んだかもしれないが、あれよあれよという間に、経済と科学文明の中で己を見失って狂奔している今の日本人の姿を見たら、一体、彼らは何を想うのか。
怒りと悲しみと絶望の中で、ただ唖然と立ち尽くすのではあるまいか。
その六十余年を生きて来て、そうした変化にずっと立ち会ってきた爺目ら自身でさえ、
この急激な変量の中で唖然と立ちすくんでいるのだから、
六十余年の空白を経て浦島太郎のようにこの国に戻り
立った英霊たちの驚愕は、想像するに余りある。
これは鎮魂のドラマであり、怒りと悲しみのドラマでもある。
もう先のない爺目の世代が、一つの時代の小さな証人として遺して於かれるこの国を担う世代へのプレゼント。
意気込み気合がいい。
脚本家の倉本聰作・演出の舞台「歸國(きこく)」
この夏、各地で上演されている。
ドラマのTRSが21:00 ~ 「歸國」23:24 まで2時間半放送した。
8月14日「終戦」ドラマスペシャル
創価放送局ゆえ言葉は「敗戦」ではない。
出演はビートたけし、長渕剛ほか、小栗旬、向井理、塚本高史、温水洋一、遠藤雄弥、生瀬勝久、ARATA、堀北真希、
八千草薫、石坂浩二ら超豪華キャスト陣。
筋立て。
8月15日未明の東京駅ホーム
65年前に南洋で戦死した兵士たちの霊が、軍用列車から降り立つ。
「戦後65年、日本はあの敗戦から立ち直り、世界有数の豊かな国家として成功したんじゃなかったのか」
「俺たちは今のような空しい日本を作るためにあの戦いで死んだつもりはない」
静まり返った東京駅のホームに、ダイヤには記されていない1台の軍用列車が到着した。
そこに乗っていたのは、60余年前のあの戦争中、南の海で玉砕し、そのまま海に沈んだ英霊たちだった。
彼らの目的は、平和になった故郷を目撃すること。
そして、かの海にまだ漂う数多の魂に、その現状を伝えることだ。
永年夢見た帰国の時。
故郷のために死んだ彼らは、今の日本に何を見たのか……。
劇中の「英霊」ならずとも、こんなはずでは、と感じている人は少なくないだろう。
戦後、日本は戦争の反省に立って平和憲法を掲げ、奇跡と呼ばれた経済成長を成し遂げた。
なのに、私たちの社会は、いいしれぬ閉塞感に苛まれているように映る。
日本は昨年、戦後初めての本格的な政権交代を経験した。
55年体制からの脱皮は数多くの混乱を生んだ。
民主党政権は、政治主導という看板を掲げて舞台に立った。
事業仕分けや事務次官会議の廃止など一部で成果を上げはしたが、
まだ見えない壁の前でもがいているかのようである。
この分厚い壁とは何か、いつ作り上げられたのか。
米国の歴史家、ジョン・ダワー氏は著「昭和 戦争と平和の日本」で、
官僚制は「戦争によって強化され、その後の7年近くにおよぶ占領によってさらに強化された」
と指摘する。
同様に、日本型経営や護送船団方式など戦後の日本を支えた仕組みの多くは、
戦時中にその根を持つ。
「八月やあの日昭和を真つ二つ」(8月8日 朝日俳壇)。
この句の通り、私たちは戦前と戦後を切り離して考えていた
。だが、そんなイメージとは裏腹に、日本を駆動する仕組みは敗戦を過ぎても継続していた。
ダワー氏はこれを「仕切り型資本主義」と呼ぶ。
軍と官僚が仕切る総動員態勢によって戦争が遂行されたのと同じやり方で、
戦後も、社会は国民以外のものによって仕切られてきた。
政権交代は、55年体制が覆い隠してきた岩盤に亀裂を作ったといえるだろう。
天下り利権や省益を守ることに傾斜してしまう官僚組織、積み上がるばかりの財政赤字。
いまや、仕切り型資本主義が機能不全に陥っていることは誰の目にも明らかとなった。
外交・安全保障も同様だ。
普天間基地移設の迷走、そして日米核密約問題は、憲法9条の平和主義を掲げながら沖縄を基地の島
とし、核の傘の下からヒロシマ、長崎の被爆体験を訴えてきた戦後日本の実相と、
今後もその枠組みから脱するのは容易ではないという現実を、白日の下にさらした。
割れ目から顔を出したものは、私たちが目をそむけてきた「もうひとつの戦後」だった。
任せきりの帰結
日米安保条約改定から半世紀の今年、ドキュメント映画「ANPO」が公開される。
映像は安保改定阻止の運動が何を問おうとしたのかを追う。
銀幕で人々は語る。
「民主主義は私たちが守らなくちゃ。国は守ってくれないんだ」。
戦争の記憶が生々しかった1960年当時、日本人の多くは、平和と民主主義を自らのものにするにはどうしたらいいか、問うた。
たとえ失敗に終わろうと、歴史の主人公になろうとした一瞬があった。
だが、多くの人々が胸にかかえた問いは、その後の経済成長にかき消され、
足元に広がった空洞は物質的な豊かさで埋められた。
映画を監督した日本生まれの米国人、リンダ・ホーグランド氏は言う。
「当時の日本人の顔は今とは違う。彼らはどこから現れ、どこへ行ったのでしょう」
冷戦下、西側の一員として安全保障と外交を米国に頼り、経済優先路線をひた走るという
「昭和システム」は、確かに成功モデルだった。
だが、時代が大きく変化した後も、私たちはそこから踏み出そうとはしなかった。
「仕切り型資本主義」は「人任せ民主主義」とも言い換えられる。
任せきりの帰結が、「失われた20年」といわれる経済的低迷であり、
「顔の見えない日本」という国際社会の評判だ。
生きてるあなた
「敗戦忌昭和八十五年夏」(7月26日 朝日俳壇)。
戦後65年にあたって考えるべきは、戦争を二度と繰り返さないという原点の確認とともに
、「戦後」を問い直すことではないだろうか。
それは「昭和システムとの決別」かもしれない。
家族や地域といった共同体の崩壊や少子高齢化によって、日本社会は昭和とはまったく相貌を変えている。
グローバル化が深化し、欧州連合の拡張で国民国家の枠組みすら自明のものではなくなる一方で、
アジアでは、中国の台頭が勢力図を書き換えつつある。
昭和の物差しはもう通用しない。
「ANPO」の挿入曲「死んだ男の残したものは」谷川俊太郎作詞、武満徹作曲
こう歌う。
♪死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない ・・・♪
「政権交代」
は、小さな一歩に過ぎない。
政治主導とはつまるところ、主権者である国民の主導ということ。
過去の成功体験を捨て、手探りで前に進むのは不安かもしれない。
だが、新しい扉を開くことができるのは、今の時代に
「生きてるわたし生きてるあなた」
しかいない。
ブログともどもにこうある。
久しぶりに残すべき天声人語氏の教え。
〈戦死やあわれ/兵隊の死ぬるや あわれ……〉で知られる竹内浩三の詩「骨のうたう」
は前半と後半で調子が変わる。
半では、白木の箱で戻った「遺骨」が、戦後の故国を眺めて覚える深い嘆きがつづられる
無言の帰国をしてみると、人々はよそよそしく、戦争のことなど忘れたかのような変貌ぶりだ。
〈がらがらどんどんと事務と常識が流れ/故国は発展にいそがしかった/女は 化粧にいそがしかった〉
と続く。
浩三はルソン島で戦死している。
切ない言葉は、戦後を予言したかのような一兵卒の心の慟哭である
忘れがたい浩三の詩句を、倉本聰さんが書き、演出した劇「歸國(きこく)」の舞台に重ね合わせた。
南洋に果てた英霊たちが現代日本に立ち戻り、繁栄を垣間見る筋書きだ。
テレビのドラマを見た方もおられよう
舞台の劇は、英霊賛美に傾かず、説教臭さに染まず、重い投げかけがあった。
豊かさと交換するように人の世の絆は細り、家族が崩れていく。
故国を見た英霊たちの悲嘆は、多くの人の胸中に潜む感慨でもあろう
きょう終戦の日。
この日が盆と重なるのは、戦没者の思いが働いたかのようだ。
迎え火、送り火、精霊流し。
戦争の記憶と相まって列島の情念が一番深まるときである。
得たものと失ったものを省みるに相応しい日でもあろう
「戦争に負けるということは白いことなのだ」と故・吉村昭さんの近刊『白い道』にあった。
その「白」は今、どんな色に染まったのだろう。
めいめいが描いてきた「戦後」を問うように、65年目の夏がゆく。
「靖国問題の混乱」は密かに松平宮司らの職務を忘れた天皇家を蔑ろにした極秘のA級戦犯合祀から始まっている。
「靖国で会おう!」
310万人のさまよう英霊たちに答えねばならない。
英霊の霊の癒しどころをはや落ちつかねさせねばならない。
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