楽しみの披瀝
2008年2月28日棺の蓋をして人生の評価定まる決算時期が近づいてくると
無用なる日々、時間は神のくれし平等なる時間の無駄使いとしか思えない。
ご愛読させて頂いてる方は海外放送を寸暇を割いて収集。
外来語の理解堅く、先の時間無き爺にとってこれほど有難きものはない。
溢れるマスコミ情報に一つ一つを対応ができない。
さらにそこから縛られてる思考形態。ブログ人にありがちな過剰なる自己警護。
自分自身にあるマスコミからの影響を実証してみれば言い。
たとえば、和泉節子
和泉流に誰が良い印象を持っていようや。
ダブルブッキング、ドタキャン差し押さえ・・・
ここ数年のマスコミの一方的に
流しつづけらる情報に慣らされてる自分の確認が出来るはずだ。
では問わん!
狂言の舞台を一度でも観たのか。
或いはニュースを見聞きできる狂言の基礎知識を有しているのか。
それがなくしての食わづもの嫌いになってる自分自身の欺まん性を恥ずべきとは思わないのか。
伝統芸能は宗家とそれを支える一派から形成されている
イスラム世界宗派に見られるアラブ、アフリカ等の部族社会で形成されている社会に似ている。
近代性を装うために協会なるものに委ね近代化などと唱えているがいずれも宗家を中心に成り立ってる
権力社会構造を特徴としている。
相撲協会がその生活日常の日々や稽古状態が晴天白日の下に晒され
驚いてるに似ている。
将来の出世を果たし一人前を目指しての弟子育成のしごきと辛い稽古は違うが
立ち入らないと解らぬ世界。
部屋によって厳しき荒稽古とヤワヤワの部屋と風潮の違いは好事家なら知っている。
実子が後を継ぎ目指して飛び込んでくるとまず迎えるのが、親子の縁切り。
親子がなくなり弟子と師匠の世界に変わる。
伝統芸能の解説書を含め何らかの形の基礎を知っている自信での
評論解説のニュースを斟酌している自身があるのか。、
繰り返すが伝統芸能は宗家とそれを支える諸芸の取り囲みのその一派で支えられている。
それら総体の狂言の世界をどれだけ知りえ、実情を飲み込んでいるのか。薄っぺらな自分に気づこう。
過剰報道の真実まで迫らない全く情報不足の事を知り恥を自覚できえよう。
初めてみた女体の不可思議さその美しさの如きである。
マスコミ週刊紙記事ニュースから租借して知識をどれだけ持ちえての評価なのか。
マスコミの毒牙に晒されてるままではないのか。
和泉流を含めた狂言の芸にどれほどの知識があるというのか。
何代続き初代は誰で或いは宗家とか取り巻き一門の基礎知識のことだ。
泉流は狂言の二代流派の一つ。
申し分の無い血族。元弥はその宗家の総領跡取。
伝承芸の父より伝えられたものを次に受け継ぐ数ある分家の元締めの大事な家元。
20世和泉流宗家の・・はずだが相克が生じている。
芸も一級品である。
ただ異端児を嫉む風潮
その総てが絡んでの宗家をめぐる権力争い。
老獪さのマスコミを利用しての分家祖父の言いがかりが文楽協会での泉家の協会追放劇まで発展。
長嶋茂雄に匹敵する野球界の貢献者野村が二度目の妻デシャバリ紗知代で評判を落としたような
もので、9世元秀の妻和泉節子をデシャバリ的にイメージさせ格好の悪者に仕立て上げた。
マスコミの格好のネタとなり、隠蔽体質の古き社会がおおっぴらかにされたのが現状である。
いまだ、騒動の立役者和泉流の野村万蔵の黒幕はマスコミには登場し得ない。
能楽24流のたとえばシテ方の金春、観世、宝生、金剛、喜多
それと狂言の大蔵、和泉の七流で女人禁制をはっきり歌ってるのは喜多流のみ。
和泉節子には長女淳子、次女淳子、元弥の順にDNAの受け継ぎがなされている。
女性初の狂言師は時代を風靡しマスコミの寵児となった淳子。
淳子が能楽協会に加盟申請しても協会は許可を出さない。
女人禁制的風潮のためだ。
揚幕もダメ。
「顔の見えるところの女は座るな!」
次女は祖父九世三宅藤十郎を継いだ。
元弥の父にも当たる19世元秀の決断で、
八世三宅藤十郎は隠居して庄一を名乗り、15歳の和泉祥子が継いだ。
自分の人生を捨てて墓石をくくらされたわけだ。
自分自身が和泉流の野村家から出て師匠の三宅藤十郎を立てたことがあるので自分一代で
三宅藤十郎をつぶせないがための処置であった。
女人皇室禁止の伝承の苦難と似たところがあるわけだ。
佐々木岳楽軒は室町の和泉流の始祖。2〜7代は近衛家の庇護をうけ、7代〜16代は尾張のの藩祖の
山脇和泉守で扶持百石。で明治期まで来、現在の状況である。
祖父の妻は歌舞伎の尾上菊枝。
和泉元秀の母。歌舞伎で初めて女の名代になった人。。
狂言「うつぼ猿」過酷で困難だが泉流の初舞台の登竜門。
イヅミ流派ではこの曲で初舞台を踏む慣わし。
落語の世界は、ひっちむづかしき狂言の解説書。
「寝床」では似たる義太夫の世界を教えてくれる。
義太夫「赤沢山伊東伝記」は玉川大学出版局からでている。
黒の表紙に書名が素敵な装丁である。
隠し文字でひらがなで書かれている小細工の凝った表紙。
黒に隠し文字のあかざわやまいとうでんき
図書館で御覧なさるがよい。
義太夫節浄瑠璃未翻刻作品集成12としてこのたび復刊され集大成として収められている。
鳥越文蔵監修義太夫節正本刊行会の獅子奮闘振りがうかがい知れる。
版本出版から400年。
1千数百に達している陰のギネスもん。
近松門左衛門古浄瑠璃と当流新浄瑠璃とに二分する定説。
500点の総てといっていいほど活字化されている。
紀海音、錦文流、西沢一風、福内鬼外、管専助六作者の全集刊行済み。
極めて少ない。
文楽と共に隆盛を極めてた。
大阪だけでなく地方にも満ち溢れていたといっても過言ではない。
宮崎山之口にも伝わり知友が会長を務め鑑賞会のご招待をいただいている。
鵜戸甚社の能楽堂では金春、観世、宝生の会、とりわけ友人が勤める宝生流を伺う。
素人も披瀝しうる。
音曲として優れている。
心を揺り動かす。
がっちした文楽と浄瑠璃
太夫三味線人形の文楽。素浄瑠璃は寝床の落語に久しい。
苦労との素所瑠璃の会は細々と宮崎の地でもつたえられている。
佐渡に渡ったときも寸暇を惜しんで楽しんだ。
悪口言いたかったらすべてを語ってからにしょう。
無用なる日々、時間は神のくれし平等なる時間の無駄使いとしか思えない。
ご愛読させて頂いてる方は海外放送を寸暇を割いて収集。
外来語の理解堅く、先の時間無き爺にとってこれほど有難きものはない。
溢れるマスコミ情報に一つ一つを対応ができない。
さらにそこから縛られてる思考形態。ブログ人にありがちな過剰なる自己警護。
自分自身にあるマスコミからの影響を実証してみれば言い。
たとえば、和泉節子
和泉流に誰が良い印象を持っていようや。
ダブルブッキング、ドタキャン差し押さえ・・・
ここ数年のマスコミの一方的に
流しつづけらる情報に慣らされてる自分の確認が出来るはずだ。
では問わん!
狂言の舞台を一度でも観たのか。
或いはニュースを見聞きできる狂言の基礎知識を有しているのか。
それがなくしての食わづもの嫌いになってる自分自身の欺まん性を恥ずべきとは思わないのか。
伝統芸能は宗家とそれを支える一派から形成されている
イスラム世界宗派に見られるアラブ、アフリカ等の部族社会で形成されている社会に似ている。
近代性を装うために協会なるものに委ね近代化などと唱えているがいずれも宗家を中心に成り立ってる
権力社会構造を特徴としている。
相撲協会がその生活日常の日々や稽古状態が晴天白日の下に晒され
驚いてるに似ている。
将来の出世を果たし一人前を目指しての弟子育成のしごきと辛い稽古は違うが
立ち入らないと解らぬ世界。
部屋によって厳しき荒稽古とヤワヤワの部屋と風潮の違いは好事家なら知っている。
実子が後を継ぎ目指して飛び込んでくるとまず迎えるのが、親子の縁切り。
親子がなくなり弟子と師匠の世界に変わる。
伝統芸能の解説書を含め何らかの形の基礎を知っている自信での
評論解説のニュースを斟酌している自身があるのか。、
繰り返すが伝統芸能は宗家とそれを支える諸芸の取り囲みのその一派で支えられている。
それら総体の狂言の世界をどれだけ知りえ、実情を飲み込んでいるのか。薄っぺらな自分に気づこう。
過剰報道の真実まで迫らない全く情報不足の事を知り恥を自覚できえよう。
初めてみた女体の不可思議さその美しさの如きである。
マスコミ週刊紙記事ニュースから租借して知識をどれだけ持ちえての評価なのか。
マスコミの毒牙に晒されてるままではないのか。
和泉流を含めた狂言の芸にどれほどの知識があるというのか。
何代続き初代は誰で或いは宗家とか取り巻き一門の基礎知識のことだ。
泉流は狂言の二代流派の一つ。
申し分の無い血族。元弥はその宗家の総領跡取。
伝承芸の父より伝えられたものを次に受け継ぐ数ある分家の元締めの大事な家元。
20世和泉流宗家の・・はずだが相克が生じている。
芸も一級品である。
ただ異端児を嫉む風潮
その総てが絡んでの宗家をめぐる権力争い。
老獪さのマスコミを利用しての分家祖父の言いがかりが文楽協会での泉家の協会追放劇まで発展。
長嶋茂雄に匹敵する野球界の貢献者野村が二度目の妻デシャバリ紗知代で評判を落としたような
もので、9世元秀の妻和泉節子をデシャバリ的にイメージさせ格好の悪者に仕立て上げた。
マスコミの格好のネタとなり、隠蔽体質の古き社会がおおっぴらかにされたのが現状である。
いまだ、騒動の立役者和泉流の野村万蔵の黒幕はマスコミには登場し得ない。
能楽24流のたとえばシテ方の金春、観世、宝生、金剛、喜多
それと狂言の大蔵、和泉の七流で女人禁制をはっきり歌ってるのは喜多流のみ。
和泉節子には長女淳子、次女淳子、元弥の順にDNAの受け継ぎがなされている。
女性初の狂言師は時代を風靡しマスコミの寵児となった淳子。
淳子が能楽協会に加盟申請しても協会は許可を出さない。
女人禁制的風潮のためだ。
揚幕もダメ。
「顔の見えるところの女は座るな!」
次女は祖父九世三宅藤十郎を継いだ。
元弥の父にも当たる19世元秀の決断で、
八世三宅藤十郎は隠居して庄一を名乗り、15歳の和泉祥子が継いだ。
自分の人生を捨てて墓石をくくらされたわけだ。
自分自身が和泉流の野村家から出て師匠の三宅藤十郎を立てたことがあるので自分一代で
三宅藤十郎をつぶせないがための処置であった。
女人皇室禁止の伝承の苦難と似たところがあるわけだ。
佐々木岳楽軒は室町の和泉流の始祖。2〜7代は近衛家の庇護をうけ、7代〜16代は尾張のの藩祖の
山脇和泉守で扶持百石。で明治期まで来、現在の状況である。
祖父の妻は歌舞伎の尾上菊枝。
和泉元秀の母。歌舞伎で初めて女の名代になった人。。
狂言「うつぼ猿」過酷で困難だが泉流の初舞台の登竜門。
イヅミ流派ではこの曲で初舞台を踏む慣わし。
落語の世界は、ひっちむづかしき狂言の解説書。
「寝床」では似たる義太夫の世界を教えてくれる。
義太夫「赤沢山伊東伝記」は玉川大学出版局からでている。
黒の表紙に書名が素敵な装丁である。
隠し文字でひらがなで書かれている小細工の凝った表紙。
黒に隠し文字のあかざわやまいとうでんき
図書館で御覧なさるがよい。
義太夫節浄瑠璃未翻刻作品集成12としてこのたび復刊され集大成として収められている。
鳥越文蔵監修義太夫節正本刊行会の獅子奮闘振りがうかがい知れる。
版本出版から400年。
1千数百に達している陰のギネスもん。
近松門左衛門古浄瑠璃と当流新浄瑠璃とに二分する定説。
500点の総てといっていいほど活字化されている。
紀海音、錦文流、西沢一風、福内鬼外、管専助六作者の全集刊行済み。
極めて少ない。
文楽と共に隆盛を極めてた。
大阪だけでなく地方にも満ち溢れていたといっても過言ではない。
宮崎山之口にも伝わり知友が会長を務め鑑賞会のご招待をいただいている。
鵜戸甚社の能楽堂では金春、観世、宝生の会、とりわけ友人が勤める宝生流を伺う。
素人も披瀝しうる。
音曲として優れている。
心を揺り動かす。
がっちした文楽と浄瑠璃
太夫三味線人形の文楽。素浄瑠璃は寝床の落語に久しい。
苦労との素所瑠璃の会は細々と宮崎の地でもつたえられている。
佐渡に渡ったときも寸暇を惜しんで楽しんだ。
悪口言いたかったらすべてを語ってからにしょう。