後進県の根源
2008年2月22日ワッハッハッハツと笑いで誤魔化す。
朝ブログアップを中途ゆえイヤイヤしていると電話で中断。
ところが・・・中断後に・・アップ・・しようと・・消えている!
多忙どころではなく、ブログに向き合う時間が無い。
それでも瞬間の時間を見つけている。
久々の曇り空から察して雨が近い。
一雨ほしいところに神の干天の慈雨がこよう。
涙雨でなく雨降って地固まるとしたいものだ。
歴史はいずれか、そのことを差し示してくれる。
「棺のふた閉めて評価定まる」はなにも政治家だけではない。
市井の庶民の一生でもある。
そのように日々生きている。
日本史や世界史が選択であったことには驚いた。
必修でないとのことだ。
日本史の履修が問題になったときの報道でさえ、そのことを知りえなかった。
敬愛する方の2月15日付ブログで教えていただき驚いたというわけだ。
サンケイグループらの焦りが安倍普三ら極右的政治体質の政治家を国家運営の中枢としようとの
必死の足掻きをようやく理解できた次第だ。
此れは右翼左翼どころの問題外で、教育の危機である。
杉並公立中では塾講師が担当する有料の授業が始まった。
週三回で1万8千円。
四回で2万四千円。
民間出身の校長「さらに伸びる生徒を伸ばす機会」と公言している。
「批判するなら対案を出してほしい」
強者の論理が義務教育の現場でまかり通る。
教育の機会均等などの国家理念などどこにも無い。
公立小中の選択制で定員の倍以上の学校と一クラスしかない中学校が出てきている。
25が休廃校、7校がこの4月加わる。
憲法26条「・・・・ひとしく教育を受ける権利を有する。」
4割が私立中、何たる格差であろうか。
ガソリン国会の隠れた問題であり、道路特定財源の欺まん性に宮崎の東国原知事は目を瞑る。
所詮権力者の補完政治勢力に過ぎない。
この家にあなたはすんではいない。
という言葉短しくりかえし責む。
牧水賞のうたを世相の解釈に置き換えれ試み楽し。
その国の国家形態を基本に、暮らしてる社会やその土地々の過去現在未来を知らねば生身の人々の思考形態は理解できない。
存在が意識を決定するという哲学的命題の基本はなにも学問的問題でなく生活感覚から導き出される常識程度の教養に過ぎなかろう。
住んでいる国家形態の生活環境があって個々人の生活環境の差がその人の考え方大きく左右する。
それは政治的階層分けとなり、自分の立つ位置の、政治的立場となり、支持政党にも繋がる。
今の歴史の混迷皮肉を見るがいい。
世界の警察を自認する為政者のナラズ者世界支配のブッシュのことだ。
現在も部族支配にあるのが石油産油国に多く見られ欧米の近代国家観の倫理では推し量れない、
いわゆる民主主義を強いているというわけだ。
石油資源効果がもたらす経済繁栄で富の分配が生活環境に満足行く形で都合よく言っているので、王族支配の「民主主義」の国家運営には大衆の政権へのはっきりとした不満は表面化していない。
よって欧米民主主義は押しつけの何者でもないとなる。
イラクがフセイン追放後に混乱が起きてるのは薄っぺらなブッシュの占領政策にしかなかったイラク国家の歴史が考慮されてなかった証左だ。
もっともうまくいった戦争終了後の占領支配に米国当局は日本支配をあげる。
後の米国民俗学の草分け、ベネジェクト女史にして「菊と刀」でこの東洋の不思議なる国をキッチリ分析し、最高司令官にたくした。
この著書に示す占領政策は日常の日本国民の総てをこまなく記しこれ以上は無い一コマが描かれている。
一度も訪れてないのに驚くほどの日本人の日常が分析され、今でもそのとおりに生きているのには、まさに「笑える」。
良くぞ、ここまでのニンヤリの苦笑いだ。
飛来の空港の飛行機タラップのマドロスパイプをくわえ両手を腰にやってるラフなスタイルのマッカサーに
日本国家より抑圧されていた国民は解放軍と沸きに沸いた。。
3ヶ月後、神たる天皇と並んでの支配・被支配者を歴然とさせる二人の並んだ写真の見事さが国民の前に示される。
イラクの宗教、部族の支配統治形態、その民族の基本部分さえ把握されてない初歩的ミスのイラク戦争。。
偏差値時代的に言えば体育会的ブッシュのイラク政策ゆえに生じてる混乱である。
もっとも変化は生じようとしている。
28年間もホワイトハウス支配のブッシュ親子、クリントンの馴れ合いを拒否してる
老獪なるこの国は世界を見る眼は敏感でそろそろ黒人大統領でもいいのではないのか。
小原=オバマ庄助さんと言うユックリズムを選出しようとしている。
この国が改革を常時掲げねばならぬ問題はここに潜んでいる。
焼け野原から出発したこの国は先進国一、二の経済大国で、1500兆円もの金融資産がる。
戦後日本を鳥瞰図的に俯瞰すれば、吉田茂が形作り、池田隼人の所得倍増、田中角栄の列島改造で今日の経済生活状況を形成している。
宗教政党にその重要なるイスを渡した支配者自民党は劇的に経済政策の変更を行っている。
経済を牽引してきた内需の建設業=土建国家からの必死の足掻きの脱却方向である。
都市と地方との明らかなる偏在する経済状況を助長する政策を遂行した。
小泉・竹中の列島生活破壊で義理人情さえなく非道なる兼ねに追われる拝金主義剥き出しのグローバル化のの美名の名の各位差政策の実施であった。
自民党支配の原動力であった土建業的国家体質からの脱却である。
ガソリン国会の本質はここにある。それは演じる人さえ変化登場させ、いまや自民党は
司令塔ではなく代役が露払いを務める。
翼賛政治の前兆を見るに材料は毎日提供される。
管直人と東国原知事との対談はその象徴たるできごと。
この後進県にあって、輝いていた時期があった。
瀬戸山・小山と二代続いて建設大臣を送り出した昭和40年代のこと。
その後、昨年末他界した江藤建設大臣まで大臣輩出は止まっていた。
決定的道路事情の遅れはそこから発している政敵貧困。
田中角栄土建政治の渦中であったからでその恩恵に浴することが出来なかったからである。
それは生活インフラ全般にもおよび信じられない道路事情として後進性を見て取れる。
暴動が起きなかったのはこの県のひたすらなる「県民性」。
「テニャオカ」「のさん」「だれた」「テゲテゲ」・・・
「宮崎をどんげかせんといかん!」はとても宮崎県民ではない異邦人。
笛吹けどそう簡単にはピエロの踊りは見られないハズ。
それがすこしずつ・・踊らにゃ〜〜となりつつ・・・あるから不思議なものだ。
宮崎の一部に唯一アル県の西部の大動脈である、高速道は実質的に高速道ではない
なぜならば基点の小林までは一般道路のほうが早く着く笑いもの。
45年ルート決定
キリシマの東側を支持しての宮崎に!の悲願であった。
ただ当初計画とは大きくそれて現在大きな問題となっている。
明治維新で日本を作った鹿児島は異論を唱えた。
西回りの高速道路である。
現在完成している八代から西海岸線ををへた九州縦貫道と並列で走ってる高速道路と二本もある。
新幹線もおなじルートを営業線として走り出した。
いやはやこれが政治である。
我田引水をこのとき使わずしていつ使おう。
キリシマ山麓、かっての西岳町。
交通の要所を荒襲(アラソ)という。
山を回る路線と、都城からきたものとがぶつかり合うところ。
・・・・
都城の荒襲をを通さないと承知しないらしい。
熊襲の中でも特に荒っぽい。
そんな山ん中、通しといてなんにになる。
・・・・・
我田引水と批判。
この県は政治的に巧みであるのは維新史実を紐解けば驚くほどの事実が出てくる。
大久保利通が紀尾伊坂で惨殺で逝ったことが何よりもの事実。
DNAは引き継がれている。
「国土の将来を考えるのが政治家。」
「道路は総て政治路線だ。」
38年前の出来事である。
産業資本があるやなしやで高度資本主異議に暮らす人の運命は決まろうとの弊害は格差そのもの何者でもない。
資本の蓄積なくして生活の向上はありえない。
高速道路などの生活インフラが格差の生じる資本主義社会が持つ宿悪である。
宮崎は封建制の頃から全国唯一の5藩の小藩分権で統治され、資本蓄積がなされなかった。
九州で唯一の外様大名でない大名が延岡・内藤藩として存在。
谷家には国民的歌人・若山牧水の財政援助者として生活を支えた記録ともども大判小判が多数発見されてもいる。
高速道路が無いゆえその延岡も陸の孤島。
孤立の経済的貧弱が銀行を例にあげられる。
04年の支店17店舗は14店舗と減少。
従業員数は270人が171人までになる地盤沈下。
産業資本を集積するインフラの高速道路は延岡再生の起爆剤となろう。
宗太郎峠は大分宮崎を遮断し、国道10号線や鉄路日豊本線の支障の地形。
資本主義社会に生きるものとしての経済原則の基本的理解無しに高速道路問題は議論する資格も無い。
その地域の歴史の推移の理解なくして論者の薄っぺらさは小学生程度の内容でしかない。
生活者の視点無き青二才の机上の空論。
書をすてて街に出よう。
学問を象牙の塔としていては改革され独立行政法人になった自立の精神さえ感じ取れない。
歴史の履修なくして郷土愛も何も無い。
左右翼などと政治的立場で論じきれないのが後進県宮崎の高速道路の問題である。
軽薄なる高速道路論は現地を訪問した管直人さえ、政治の光無き現状と嘆いて見せた。
決して政治家のカムフラージュやリップサービスで出た言葉でない。
真の政治家の民の声無き声を知る政治の差し伸べる暖かい声でもある。
春よ来い!
朝ブログアップを中途ゆえイヤイヤしていると電話で中断。
ところが・・・中断後に・・アップ・・しようと・・消えている!
多忙どころではなく、ブログに向き合う時間が無い。
それでも瞬間の時間を見つけている。
久々の曇り空から察して雨が近い。
一雨ほしいところに神の干天の慈雨がこよう。
涙雨でなく雨降って地固まるとしたいものだ。
歴史はいずれか、そのことを差し示してくれる。
「棺のふた閉めて評価定まる」はなにも政治家だけではない。
市井の庶民の一生でもある。
そのように日々生きている。
日本史や世界史が選択であったことには驚いた。
必修でないとのことだ。
日本史の履修が問題になったときの報道でさえ、そのことを知りえなかった。
敬愛する方の2月15日付ブログで教えていただき驚いたというわけだ。
サンケイグループらの焦りが安倍普三ら極右的政治体質の政治家を国家運営の中枢としようとの
必死の足掻きをようやく理解できた次第だ。
此れは右翼左翼どころの問題外で、教育の危機である。
杉並公立中では塾講師が担当する有料の授業が始まった。
週三回で1万8千円。
四回で2万四千円。
民間出身の校長「さらに伸びる生徒を伸ばす機会」と公言している。
「批判するなら対案を出してほしい」
強者の論理が義務教育の現場でまかり通る。
教育の機会均等などの国家理念などどこにも無い。
公立小中の選択制で定員の倍以上の学校と一クラスしかない中学校が出てきている。
25が休廃校、7校がこの4月加わる。
憲法26条「・・・・ひとしく教育を受ける権利を有する。」
4割が私立中、何たる格差であろうか。
ガソリン国会の隠れた問題であり、道路特定財源の欺まん性に宮崎の東国原知事は目を瞑る。
所詮権力者の補完政治勢力に過ぎない。
この家にあなたはすんではいない。
という言葉短しくりかえし責む。
牧水賞のうたを世相の解釈に置き換えれ試み楽し。
その国の国家形態を基本に、暮らしてる社会やその土地々の過去現在未来を知らねば生身の人々の思考形態は理解できない。
存在が意識を決定するという哲学的命題の基本はなにも学問的問題でなく生活感覚から導き出される常識程度の教養に過ぎなかろう。
住んでいる国家形態の生活環境があって個々人の生活環境の差がその人の考え方大きく左右する。
それは政治的階層分けとなり、自分の立つ位置の、政治的立場となり、支持政党にも繋がる。
今の歴史の混迷皮肉を見るがいい。
世界の警察を自認する為政者のナラズ者世界支配のブッシュのことだ。
現在も部族支配にあるのが石油産油国に多く見られ欧米の近代国家観の倫理では推し量れない、
いわゆる民主主義を強いているというわけだ。
石油資源効果がもたらす経済繁栄で富の分配が生活環境に満足行く形で都合よく言っているので、王族支配の「民主主義」の国家運営には大衆の政権へのはっきりとした不満は表面化していない。
よって欧米民主主義は押しつけの何者でもないとなる。
イラクがフセイン追放後に混乱が起きてるのは薄っぺらなブッシュの占領政策にしかなかったイラク国家の歴史が考慮されてなかった証左だ。
もっともうまくいった戦争終了後の占領支配に米国当局は日本支配をあげる。
後の米国民俗学の草分け、ベネジェクト女史にして「菊と刀」でこの東洋の不思議なる国をキッチリ分析し、最高司令官にたくした。
この著書に示す占領政策は日常の日本国民の総てをこまなく記しこれ以上は無い一コマが描かれている。
一度も訪れてないのに驚くほどの日本人の日常が分析され、今でもそのとおりに生きているのには、まさに「笑える」。
良くぞ、ここまでのニンヤリの苦笑いだ。
飛来の空港の飛行機タラップのマドロスパイプをくわえ両手を腰にやってるラフなスタイルのマッカサーに
日本国家より抑圧されていた国民は解放軍と沸きに沸いた。。
3ヶ月後、神たる天皇と並んでの支配・被支配者を歴然とさせる二人の並んだ写真の見事さが国民の前に示される。
イラクの宗教、部族の支配統治形態、その民族の基本部分さえ把握されてない初歩的ミスのイラク戦争。。
偏差値時代的に言えば体育会的ブッシュのイラク政策ゆえに生じてる混乱である。
もっとも変化は生じようとしている。
28年間もホワイトハウス支配のブッシュ親子、クリントンの馴れ合いを拒否してる
老獪なるこの国は世界を見る眼は敏感でそろそろ黒人大統領でもいいのではないのか。
小原=オバマ庄助さんと言うユックリズムを選出しようとしている。
この国が改革を常時掲げねばならぬ問題はここに潜んでいる。
焼け野原から出発したこの国は先進国一、二の経済大国で、1500兆円もの金融資産がる。
戦後日本を鳥瞰図的に俯瞰すれば、吉田茂が形作り、池田隼人の所得倍増、田中角栄の列島改造で今日の経済生活状況を形成している。
宗教政党にその重要なるイスを渡した支配者自民党は劇的に経済政策の変更を行っている。
経済を牽引してきた内需の建設業=土建国家からの必死の足掻きの脱却方向である。
都市と地方との明らかなる偏在する経済状況を助長する政策を遂行した。
小泉・竹中の列島生活破壊で義理人情さえなく非道なる兼ねに追われる拝金主義剥き出しのグローバル化のの美名の名の各位差政策の実施であった。
自民党支配の原動力であった土建業的国家体質からの脱却である。
ガソリン国会の本質はここにある。それは演じる人さえ変化登場させ、いまや自民党は
司令塔ではなく代役が露払いを務める。
翼賛政治の前兆を見るに材料は毎日提供される。
管直人と東国原知事との対談はその象徴たるできごと。
この後進県にあって、輝いていた時期があった。
瀬戸山・小山と二代続いて建設大臣を送り出した昭和40年代のこと。
その後、昨年末他界した江藤建設大臣まで大臣輩出は止まっていた。
決定的道路事情の遅れはそこから発している政敵貧困。
田中角栄土建政治の渦中であったからでその恩恵に浴することが出来なかったからである。
それは生活インフラ全般にもおよび信じられない道路事情として後進性を見て取れる。
暴動が起きなかったのはこの県のひたすらなる「県民性」。
「テニャオカ」「のさん」「だれた」「テゲテゲ」・・・
「宮崎をどんげかせんといかん!」はとても宮崎県民ではない異邦人。
笛吹けどそう簡単にはピエロの踊りは見られないハズ。
それがすこしずつ・・踊らにゃ〜〜となりつつ・・・あるから不思議なものだ。
宮崎の一部に唯一アル県の西部の大動脈である、高速道は実質的に高速道ではない
なぜならば基点の小林までは一般道路のほうが早く着く笑いもの。
45年ルート決定
キリシマの東側を支持しての宮崎に!の悲願であった。
ただ当初計画とは大きくそれて現在大きな問題となっている。
明治維新で日本を作った鹿児島は異論を唱えた。
西回りの高速道路である。
現在完成している八代から西海岸線ををへた九州縦貫道と並列で走ってる高速道路と二本もある。
新幹線もおなじルートを営業線として走り出した。
いやはやこれが政治である。
我田引水をこのとき使わずしていつ使おう。
キリシマ山麓、かっての西岳町。
交通の要所を荒襲(アラソ)という。
山を回る路線と、都城からきたものとがぶつかり合うところ。
・・・・
都城の荒襲をを通さないと承知しないらしい。
熊襲の中でも特に荒っぽい。
そんな山ん中、通しといてなんにになる。
・・・・・
我田引水と批判。
この県は政治的に巧みであるのは維新史実を紐解けば驚くほどの事実が出てくる。
大久保利通が紀尾伊坂で惨殺で逝ったことが何よりもの事実。
DNAは引き継がれている。
「国土の将来を考えるのが政治家。」
「道路は総て政治路線だ。」
38年前の出来事である。
産業資本があるやなしやで高度資本主異議に暮らす人の運命は決まろうとの弊害は格差そのもの何者でもない。
資本の蓄積なくして生活の向上はありえない。
高速道路などの生活インフラが格差の生じる資本主義社会が持つ宿悪である。
宮崎は封建制の頃から全国唯一の5藩の小藩分権で統治され、資本蓄積がなされなかった。
九州で唯一の外様大名でない大名が延岡・内藤藩として存在。
谷家には国民的歌人・若山牧水の財政援助者として生活を支えた記録ともども大判小判が多数発見されてもいる。
高速道路が無いゆえその延岡も陸の孤島。
孤立の経済的貧弱が銀行を例にあげられる。
04年の支店17店舗は14店舗と減少。
従業員数は270人が171人までになる地盤沈下。
産業資本を集積するインフラの高速道路は延岡再生の起爆剤となろう。
宗太郎峠は大分宮崎を遮断し、国道10号線や鉄路日豊本線の支障の地形。
資本主義社会に生きるものとしての経済原則の基本的理解無しに高速道路問題は議論する資格も無い。
その地域の歴史の推移の理解なくして論者の薄っぺらさは小学生程度の内容でしかない。
生活者の視点無き青二才の机上の空論。
書をすてて街に出よう。
学問を象牙の塔としていては改革され独立行政法人になった自立の精神さえ感じ取れない。
歴史の履修なくして郷土愛も何も無い。
左右翼などと政治的立場で論じきれないのが後進県宮崎の高速道路の問題である。
軽薄なる高速道路論は現地を訪問した管直人さえ、政治の光無き現状と嘆いて見せた。
決して政治家のカムフラージュやリップサービスで出た言葉でない。
真の政治家の民の声無き声を知る政治の差し伸べる暖かい声でもある。
春よ来い!