山村の文化
2005年1月27日この時期の季節ものたる風邪ウンフルエンザの話を聞かぬ。
今日は雨模様の一日
このおしめりが毎年この頃の猛威をさせてない自然の摂理なんであろうか。
花粉症は昨年の30倍と言われているがとんとマスク姿はお目にかからぬ。
商魂たくましきもので24時間コンビニにはコーナーが準備してある。
「余計なこっちゃ!」
こんなことからも商売の極意を学ばねばならぬようである。
洪先生は私と同じでまったくそれがない。
ジョイフル、バードとコーヒーはしご。梯子と書くと読めないのが生活から消え行く道具ゆえ読めないのかもしれない。
漢字が読めない子が増えているそうだ。生活の中の言葉の変化もあると言う。
十日(とぅか)とか三日月(みかずき)と書かねば成らぬご時世のようである。
赤十字は小学5年生の半分が(せきじゅうじ)と読まないそうである。
抽送はフランス語で読める人は川上ソウクンとかの読みすぎ。
日経新聞小説の渡辺淳一の今朝の愛ケラの言葉。好々爺メ!
太陽光発電を扱っておられるが芥川の候補にもなっているもの書き。
話すほど楽しき共通話題。
宮崎の誇る時代物作家、城雪穂が昨年なくなられてることも話の中で知った。
昨日熊本の帰りの3人の会話の村おこしの知恵を借りる。
北郷村の村おこしに話を向けると早速お知恵をいただいた。
赤松の山にはマツタケが菌糸として存在しているはずだ。
なにも「冬ソナ」のロケ地は観光目的に行く所ではない
江原大学成教授
目指す大学も教授に合うためである。
村おこしの必死の願いを込めてである。
海のレジャー施設は相当な資金が投入されてるが山にもあっていいはずである。
畠山重篤は宮城の人。川が海に注ぐ水域を汽水と言う。
川の水と海の水が混じる合うところである。
森から発して川を下り海に至ったプランクトンにエビ子たるオキアミにイワシがきてカツオがきての食物連鎖の自然の営みのサイクルに入る。
森を恋人とすれば海が守れる。漁民の植樹を唱え全国を行脚しておられる。
高鍋の吉田組合長の熱意の持論と同じである。
ウナギ、カキこの汽水が生活の根拠地である。
有明のノリ、富山のブリ、新潟三面川のサケ
魚貝漁民がわかる人が森を守り、瑞穂の国の鎮守の森をも守る。
明治神宮は大東京にあっても悠久の森も守っている。
かの地に行くとホットトするのはなぜか
京都加茂川神社のタダスノ森は湧き出る清水とも相まって凛となる
観光周遊バスでも丁度いい。
過疎化の村はなんにも北郷村だけではない。
採後の森林を補填する人はいないと言ったら善良な人が怒るであろう。
山を捨て廃棄された家屋も見られる。
開発は山の所有権が複雑にかかわり氏子がでてきて個人でない現象
それが文明の衰退をしてきしてるのは寺田虎彦昭和10年が最初
日本人の自然観は調和が基調。生きる蓄積が詰まっている。
森とともに生きる調和はシンボルが必要である。
明治39年19万11万の南方熊楠42年9月の弁
もの作りは政治の場である
神は寂しき山村には多くの芸能で活性化し相撲とかの勝負を決めるものも残した。
よりあいを深め宇納間信仰の伝説を伝え広めよう。
平成の合併は無益である。
ワン・クリック!
http://blog.with2.net/link.php/34016
パソコンが直らぬと大変である。
今日は雨模様の一日
このおしめりが毎年この頃の猛威をさせてない自然の摂理なんであろうか。
花粉症は昨年の30倍と言われているがとんとマスク姿はお目にかからぬ。
商魂たくましきもので24時間コンビニにはコーナーが準備してある。
「余計なこっちゃ!」
こんなことからも商売の極意を学ばねばならぬようである。
洪先生は私と同じでまったくそれがない。
ジョイフル、バードとコーヒーはしご。梯子と書くと読めないのが生活から消え行く道具ゆえ読めないのかもしれない。
漢字が読めない子が増えているそうだ。生活の中の言葉の変化もあると言う。
十日(とぅか)とか三日月(みかずき)と書かねば成らぬご時世のようである。
赤十字は小学5年生の半分が(せきじゅうじ)と読まないそうである。
抽送はフランス語で読める人は川上ソウクンとかの読みすぎ。
日経新聞小説の渡辺淳一の今朝の愛ケラの言葉。好々爺メ!
太陽光発電を扱っておられるが芥川の候補にもなっているもの書き。
話すほど楽しき共通話題。
宮崎の誇る時代物作家、城雪穂が昨年なくなられてることも話の中で知った。
昨日熊本の帰りの3人の会話の村おこしの知恵を借りる。
北郷村の村おこしに話を向けると早速お知恵をいただいた。
赤松の山にはマツタケが菌糸として存在しているはずだ。
なにも「冬ソナ」のロケ地は観光目的に行く所ではない
江原大学成教授
目指す大学も教授に合うためである。
村おこしの必死の願いを込めてである。
海のレジャー施設は相当な資金が投入されてるが山にもあっていいはずである。
畠山重篤は宮城の人。川が海に注ぐ水域を汽水と言う。
川の水と海の水が混じる合うところである。
森から発して川を下り海に至ったプランクトンにエビ子たるオキアミにイワシがきてカツオがきての食物連鎖の自然の営みのサイクルに入る。
森を恋人とすれば海が守れる。漁民の植樹を唱え全国を行脚しておられる。
高鍋の吉田組合長の熱意の持論と同じである。
ウナギ、カキこの汽水が生活の根拠地である。
有明のノリ、富山のブリ、新潟三面川のサケ
魚貝漁民がわかる人が森を守り、瑞穂の国の鎮守の森をも守る。
明治神宮は大東京にあっても悠久の森も守っている。
かの地に行くとホットトするのはなぜか
京都加茂川神社のタダスノ森は湧き出る清水とも相まって凛となる
観光周遊バスでも丁度いい。
過疎化の村はなんにも北郷村だけではない。
採後の森林を補填する人はいないと言ったら善良な人が怒るであろう。
山を捨て廃棄された家屋も見られる。
開発は山の所有権が複雑にかかわり氏子がでてきて個人でない現象
それが文明の衰退をしてきしてるのは寺田虎彦昭和10年が最初
日本人の自然観は調和が基調。生きる蓄積が詰まっている。
森とともに生きる調和はシンボルが必要である。
明治39年19万11万の南方熊楠42年9月の弁
もの作りは政治の場である
神は寂しき山村には多くの芸能で活性化し相撲とかの勝負を決めるものも残した。
よりあいを深め宇納間信仰の伝説を伝え広めよう。
平成の合併は無益である。
ワン・クリック!
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パソコンが直らぬと大変である。