南の国に雪が降る。
2005年1月16日標高1000メートルの中越昴天文台は北郷村の中心地宇納間地蔵の鎮座される処より六峰街道伝いに上りきったところにある。
360度のパノラマが車のみでのあっけなき苦労のみで手には入る。
南の尾鈴連山は伸びやかに日向の浜までスーッとのんでいる。
三角錘の美しき峰が若山牧水の歌に出て、名をあげた尾鈴。
すると意外なことにきずいた
牧水の坪谷の町からは尾鈴は見えないはずである。
先日坪谷の改築中の牧水生家からどれが尾鈴か確かめられず、またいぶかしく思ったことがこの地からは確かめられる。
地元の小屋を守られる方からも確認が取れた。
「尾鈴連山を見ての歌でしょう」
「正確には尾鈴山そのものは坪谷からはみえていない。」
晴天の空の西側がにわかに怪しくなる。
山の天気は変わりやすいを実演してくれている。
東側半分は青空なのにチラチラとなんかゴミが飛んでいる。
甲○さんに言うと
「とうとう乱視極まれり」
と取り合おうともしない。
ところがどうだ!晴天の日差しの中の雪なのである。
「ワッハッハッ!雪だ!雪だ!」
♪♪・・・喜び庭駆け回る♪のは何も犬だけではない。
齢50をを過ぎた爺々は犬も恥ずかしいほどの喜びよう。
「おれはもっとしとやかド」
パトラッシュさえ日本語で言ったりして。
宇納間の町には降らぬがこの地は積雪するそうである。
路面がアイスバーン化する心配で4時過ぎ急き立てられるようにお暇をいただく。
お湯のサービスをいただいてのカップ・ヌードルはじつに美味い。いつかの記憶がよみがえる。
えびの美紫師池の天然の池でのスケートは山を登って寒風のリンクに着いた。
そのときの暖かきカップヌードルの一筋の面の美味かったこと。
数に制限があり、ほとんど子や妻やら他の人々に消え私はおすそ分けのほんの一筋。
こんなに遅き昼じきはあるまいて。
それにしても食べ物はありがたい。
大地震の国内外に思いをはせた。
この地は樫の炭たる備長炭が特産。
副産物たる木酢は多様途に使える。
風呂に一滴用の薄いものとゴミの還元土の促進、
ゴミ袋をあせるカラス退治用
犬猫ションベン撃退用とお風呂用と細かな説明をいただきプレゼントされる。
百年の孤独の焼酎製造過程の「ハナタレ」みたいなものである。
ありがたくおしいただく。
巨大スクリーンがこの天文台に備われば素人天文ファンは度肝を抜くこと請け合い。
果たして町の活性化をどれだけ理解してるのであろうか。
日本一のソフト鑑賞の施設は知恵とたゆまぬ努力が生み出すもの。
ブンヤは利権構造からしか読み解かない。
一部の政党もそうである
こんなに過疎で悩み九州一のIT普及ができたのも歴代の指導者の生き残りの施策
知恵には限界がある。外部からの注入が入る。
アンテナをどんなに高くしようとも情報は入ってこない。
中心街の北側屋根の一部以外はすでに日没
それから下った隣村西郷は屋根にまだ日が指していた。
東郷町は5時を過ぎているのに屋根には日がある。
山峡の家は太陽光発電は考えもんである。
虫の知らせか道の駅を過ぎてハンドルを持つ甲○さんにハタと呼んだ。
「くるまとめてください!」
「どうしたとや!」「電話するわ〜」
「あんた運転士しちょらんとやかい止めんでいいと」
ところがどうだ!摩訶不思議にこの東郷町にいるではないか。
道の駅でたこ焼きをほおばるがその美味いこと。
気性の合うものはコレだからいい。少しの感動、神のお導き。
出発のミスも終わりよければ総てよし!
事はこうである。
13時頃の約束に11時30分頃宮崎を発っては無理な行程であろう。
高城の方と急遽の紹介の大島町に向かい自宅の件。
仕事の説明、職人さん確保の思惑も絡み時間を割いたのがいけなかった。
それにしては雪も見れいい仕事もでき、感謝。
雪やこんこん
「雪」
作詞作曲不詳(明治44年)/文部省唱歌(小2)
雪やこんこ霰(あられ)やこんこ。
降っては降ってはずんずん積る。
山も野原も綿帽子かぶり、
枯木残らず花が咲く。
雪やこんこ霰やこんこ。
降っても降ってもまだ降りやまぬ。
犬は喜び庭駈けまわり、
猫は火燵で丸くなる。
「雪やこんこん」ではなくて「雪やこんこ」。
「こんこ」の語源は、雪の降る擬音
「雪よ来う来う」が語源で、元来、雪の降るのを歓迎した歌。
「ペチカ」
北原白秋作詞・山田耕筰作曲(大正14年)
雪のふる夜はたのしいペチカ。
ペチカ燃えろよ、お話しましょ。
むかしむかしよ、
燃えろよ、ペチカ。
ペチカとは、ロシア式暖炉。
私の幼少期は囲炉裏。その囲炉裏のまわりに家族みんなが集まって、魚や昼間とった鳥を紙にくるめ灰にくべると頃よく焼き上がる。
ただ黙々と食べる。ほんの少しのお裾分けももったいなさそうに分けてはいたが、食い意地のはやってた意地悪な私。
成長期で動物性タンパク質は全く食しないのでそうなるのである。
板戸の合間や、床下の畳の隙間から吹き込んでくる寒風
外は寒くとも囲炉裏のまわりにいる家族みんなの心の温もりがあった大家族。こたつが入ってくるのはず〜と後のこと。
残り火の「オキリ」を利用してこたつにした。
誰が台とかぶせる毛布を準備するかで睨みあい。
今になって初めて、あの頃の両親や兄弟の、末っ子の私に対するまなざしの温かさがわかる。
ラジオが上方寄席とか流れてるのみの静かな火の回り。
おなご衆はその外にいるので前の者がじゃまをして煙のみでかわいそう。明治生まれの父故に男尊女卑は当然のごとく。
すごい環境であったが雪は全く知らない地域でその厳しさは全く知らない。
南の国には雪とは無縁の世界。
全てが暖かかった。
この日記も同じ地区の先輩の家に上がり込みp/cを
借りて書いているほど暖かさは続いている。
ふるさとの山にむかいていうこと無し
ふるさとの山はありがたきかな。
360度のパノラマが車のみでのあっけなき苦労のみで手には入る。
南の尾鈴連山は伸びやかに日向の浜までスーッとのんでいる。
三角錘の美しき峰が若山牧水の歌に出て、名をあげた尾鈴。
すると意外なことにきずいた
牧水の坪谷の町からは尾鈴は見えないはずである。
先日坪谷の改築中の牧水生家からどれが尾鈴か確かめられず、またいぶかしく思ったことがこの地からは確かめられる。
地元の小屋を守られる方からも確認が取れた。
「尾鈴連山を見ての歌でしょう」
「正確には尾鈴山そのものは坪谷からはみえていない。」
晴天の空の西側がにわかに怪しくなる。
山の天気は変わりやすいを実演してくれている。
東側半分は青空なのにチラチラとなんかゴミが飛んでいる。
甲○さんに言うと
「とうとう乱視極まれり」
と取り合おうともしない。
ところがどうだ!晴天の日差しの中の雪なのである。
「ワッハッハッ!雪だ!雪だ!」
♪♪・・・喜び庭駆け回る♪のは何も犬だけではない。
齢50をを過ぎた爺々は犬も恥ずかしいほどの喜びよう。
「おれはもっとしとやかド」
パトラッシュさえ日本語で言ったりして。
宇納間の町には降らぬがこの地は積雪するそうである。
路面がアイスバーン化する心配で4時過ぎ急き立てられるようにお暇をいただく。
お湯のサービスをいただいてのカップ・ヌードルはじつに美味い。いつかの記憶がよみがえる。
えびの美紫師池の天然の池でのスケートは山を登って寒風のリンクに着いた。
そのときの暖かきカップヌードルの一筋の面の美味かったこと。
数に制限があり、ほとんど子や妻やら他の人々に消え私はおすそ分けのほんの一筋。
こんなに遅き昼じきはあるまいて。
それにしても食べ物はありがたい。
大地震の国内外に思いをはせた。
この地は樫の炭たる備長炭が特産。
副産物たる木酢は多様途に使える。
風呂に一滴用の薄いものとゴミの還元土の促進、
ゴミ袋をあせるカラス退治用
犬猫ションベン撃退用とお風呂用と細かな説明をいただきプレゼントされる。
百年の孤独の焼酎製造過程の「ハナタレ」みたいなものである。
ありがたくおしいただく。
巨大スクリーンがこの天文台に備われば素人天文ファンは度肝を抜くこと請け合い。
果たして町の活性化をどれだけ理解してるのであろうか。
日本一のソフト鑑賞の施設は知恵とたゆまぬ努力が生み出すもの。
ブンヤは利権構造からしか読み解かない。
一部の政党もそうである
こんなに過疎で悩み九州一のIT普及ができたのも歴代の指導者の生き残りの施策
知恵には限界がある。外部からの注入が入る。
アンテナをどんなに高くしようとも情報は入ってこない。
中心街の北側屋根の一部以外はすでに日没
それから下った隣村西郷は屋根にまだ日が指していた。
東郷町は5時を過ぎているのに屋根には日がある。
山峡の家は太陽光発電は考えもんである。
虫の知らせか道の駅を過ぎてハンドルを持つ甲○さんにハタと呼んだ。
「くるまとめてください!」
「どうしたとや!」「電話するわ〜」
「あんた運転士しちょらんとやかい止めんでいいと」
ところがどうだ!摩訶不思議にこの東郷町にいるではないか。
道の駅でたこ焼きをほおばるがその美味いこと。
気性の合うものはコレだからいい。少しの感動、神のお導き。
出発のミスも終わりよければ総てよし!
事はこうである。
13時頃の約束に11時30分頃宮崎を発っては無理な行程であろう。
高城の方と急遽の紹介の大島町に向かい自宅の件。
仕事の説明、職人さん確保の思惑も絡み時間を割いたのがいけなかった。
それにしては雪も見れいい仕事もでき、感謝。
雪やこんこん
「雪」
作詞作曲不詳(明治44年)/文部省唱歌(小2)
雪やこんこ霰(あられ)やこんこ。
降っては降ってはずんずん積る。
山も野原も綿帽子かぶり、
枯木残らず花が咲く。
雪やこんこ霰やこんこ。
降っても降ってもまだ降りやまぬ。
犬は喜び庭駈けまわり、
猫は火燵で丸くなる。
「雪やこんこん」ではなくて「雪やこんこ」。
「こんこ」の語源は、雪の降る擬音
「雪よ来う来う」が語源で、元来、雪の降るのを歓迎した歌。
「ペチカ」
北原白秋作詞・山田耕筰作曲(大正14年)
雪のふる夜はたのしいペチカ。
ペチカ燃えろよ、お話しましょ。
むかしむかしよ、
燃えろよ、ペチカ。
ペチカとは、ロシア式暖炉。
私の幼少期は囲炉裏。その囲炉裏のまわりに家族みんなが集まって、魚や昼間とった鳥を紙にくるめ灰にくべると頃よく焼き上がる。
ただ黙々と食べる。ほんの少しのお裾分けももったいなさそうに分けてはいたが、食い意地のはやってた意地悪な私。
成長期で動物性タンパク質は全く食しないのでそうなるのである。
板戸の合間や、床下の畳の隙間から吹き込んでくる寒風
外は寒くとも囲炉裏のまわりにいる家族みんなの心の温もりがあった大家族。こたつが入ってくるのはず〜と後のこと。
残り火の「オキリ」を利用してこたつにした。
誰が台とかぶせる毛布を準備するかで睨みあい。
今になって初めて、あの頃の両親や兄弟の、末っ子の私に対するまなざしの温かさがわかる。
ラジオが上方寄席とか流れてるのみの静かな火の回り。
おなご衆はその外にいるので前の者がじゃまをして煙のみでかわいそう。明治生まれの父故に男尊女卑は当然のごとく。
すごい環境であったが雪は全く知らない地域でその厳しさは全く知らない。
南の国には雪とは無縁の世界。
全てが暖かかった。
この日記も同じ地区の先輩の家に上がり込みp/cを
借りて書いているほど暖かさは続いている。
ふるさとの山にむかいていうこと無し
ふるさとの山はありがたきかな。