震災の日
2005年1月17日震災から十年戦後最大の悲劇の象徴に祭りあげられた扱い。
きめ細かな報道がもありいい番組もあり大変良かった。
いまにして了解できたが愛読させていただいてる日記の方で小島とか瀬戸内の取材があったがこの日の報道に繋がってくる。
報道内容で事前に漏れ政治問題化したことが縷縷あった。
沖縄返還には密約があるとの外務省蓮見事務官と記者の問題は男女の不倫の痴話話に置き換えられことの本質から歪められた。
ことを代表にあげられれば充分であろう。
民間3社をいれた4社独占のマスコミ界をどう牛耳るのか。
常に横並びは報道にチャンネルを変えても同じ内容を経験されてるはずだ。
この日の報道にあたっては前日から違う角度を当てた番組が目立った。
NHKのこの番組は誰が制作したんであろう。
将棋界を代表する神戸在住の谷川に焦点をあて描いた。
将棋ファンに限らずじっくりと見ることが出来た。
さて将棋について楽しむためにはいろいろあるが
インター・ネット将棋将棋倶楽部24
jgame将棋はgooの対戦将棋でひとりでも楽しめる。
名人は昭和12年関根金次郎が世襲から実力に名人に移行してから始まった。
将棋連盟が認定したのがタイトル戦の冠をつける。
昭和25年九段と王将
35年王位
37年棋聖
49年棋王
58年王座
63年竜王(九段は28年に十段)
全タイトル保持者
昭和32年三大タイトルの頃の升田幸三
昭和34年大山康晴
35年王位を加え4冠の大山康晴
37年棋聖を加え5冠の大山康晴
47年5冠は中原誠棋王が出来てたので全冠でない。
平成七年2月羽生善治が王座も含め七冠
将棋界もマスコミ用語に左右され7冠のタイトルを基準に話題作りが計られる。
森内・名人=毎日新聞
渡辺・竜王=読売新聞、
羽生・王位=東京新聞、
羽生・王座=日経新聞,
谷川・棋王=共同通信、
佐藤・棋聖=産経新聞
森内・王将=スポニチ
とタイトル保持者めざし一年を過ごす。
中でもA級棋士を維持するのは至難の業B級に転落してしまう。
、
他にもNHK杯早指しやケーブルテレビ銀河戦。朝日オープン日本シリーズ、達人戦がある。
女性の場合
女流名人、倉敷藤花、鹿島杯
素人将棋ファンにはこちらの方がなじみが深い。
日曜日朝の10時〜12時で幼き時の子らは秒読みのときのみ真似たものである。
「10秒前」「9秒前」特に5・4・3・2とカウントダウンされると感染してる側もハラハラドキドキ多感な子らはそこまではないにしろはやしたてられた。
7冠を制覇したときの羽生はそのころの時代の寵児
マスコミ界を賑わせた。
しかし一度の挑戦で成し遂げたのではなかった。
谷川が唯一のタイトルを譲らず阻んだのである。
丁度10年前の戦時化並みの惨状の神戸に居を構えていた谷川であった。
この日谷川は対局に向かった。
逆境のバネが誰しも勢いで勝る羽生の7冠達成を予測する下馬評の中の逆転の虎の子ののタイトル維持であった。
7冠達成はよって羽生の力を持っても一度で成しえられた物ではない。
プロ棋士谷川が小学生たる羽生に稽古をつけた経緯がある。
因縁は挑戦者羽生が早く部屋に入り上座に座り譲らない。
コレが切っ掛けとなり谷川はタイトルを羽生に明渡すこととなる。
見事なまでの心理戦
私どもの記憶にある大山正晴は別格扱いで顎鬚を蓄え異様なる升田幸三の記憶がある。
会場に早く着き対局時間にはその場にいない棋界の歴史たる事件として扱われる。小田原の鶴巻温泉元湯・陣屋、和田義盛の別邸
陣屋事件という。
50を過ぎての名人位についた米長邦夫雄
東京都の教育委員さんは教育行政に菊の紋章を求めた
園遊会で天皇に足しなめられる始末。名人の名も汚してはいけない。
人生は勝負師のごとき気迫で生きねば成らぬ。
あのドン底の中を不死鳥の如く蘇った谷川の気迫をもって生きるべきである。
国内外の地震に報道機関は千才一遇の飯の種。
どちらが大事か。自然環境と闘いながら生きてる人にウェートを置くべきであろう。
極寒の地と常温の差、自ずとわかろう。
それが解らぬはずは無い。何らかの恣意を感ずる。
それにしては新潟の報道が少ない。
目を国外のスマトラ・tunamiに向けすぎてはいまいか。
バンダ・アチェなる都市名は覚えてしまったほどだ
報道デ気づくのは人間の余地危険に対する本能の低下である。
観光の象に乗ってたら急に山に向かい走り出したゆえに象ともども助かった。
水牛は5百頭をも海岸線から山に向かい走り出した。
それに比べ引き潮にコレ幸いと海の幸を求めて海に向かう退化したホスピタル
何か将来を今を暗示してる人間の話ではないか。
震災から受けた心の傷を一生背負って生きねばならぬ。
神戸病、震災病である。辛さが良くわかる。
何を隠そうこの私がその病気に悩んでいる
PTS心理的傷の病である。
突然刹那的になり、いつ死ぬか解らぬ死生観に襲われる。
コレに対するケアーが必要なのである。
未来があるのに先が見えてこない。
生き残ったものの罪悪感
考えてもみてほしい。
誰にでも愛してる人が死んでその存在の大きいほど長く罪悪感は続く。
早く死んで両親のもとに行きたい。苛立ち、しんどかった日々。
難ンのためにコレまで積み上げてきた。
心の傷のケアーは千差万別
生きるとは・・・・
震災を考えると西田幾太郎や和辻哲郎並みの哲学者になれる。
午前中のお話は九電前に時間に遅れた。
場所を変えて仕切りなおし。ジョイフルで最初に指定をお願いしたとこ。無駄が多い。
両方の言い分を聞かねば真実は見えてこない。
いつもは大体が原因者の私であるがたまにはアドバイザーである。
共同事業の提案もあってはいいはずだがお金の執着心の個性が強いとボランテアの要素もある太陽光発電の拡大普及は進まぬ。
その中での企業維持の採算性であろう。
ゆえに「100万は儲かる」となるのである。
お客さん工事会社はたまったもんじゃぁない。
震災にあったと考えれば我慢の範囲か。
きめ細かな報道がもありいい番組もあり大変良かった。
いまにして了解できたが愛読させていただいてる日記の方で小島とか瀬戸内の取材があったがこの日の報道に繋がってくる。
報道内容で事前に漏れ政治問題化したことが縷縷あった。
沖縄返還には密約があるとの外務省蓮見事務官と記者の問題は男女の不倫の痴話話に置き換えられことの本質から歪められた。
ことを代表にあげられれば充分であろう。
民間3社をいれた4社独占のマスコミ界をどう牛耳るのか。
常に横並びは報道にチャンネルを変えても同じ内容を経験されてるはずだ。
この日の報道にあたっては前日から違う角度を当てた番組が目立った。
NHKのこの番組は誰が制作したんであろう。
将棋界を代表する神戸在住の谷川に焦点をあて描いた。
将棋ファンに限らずじっくりと見ることが出来た。
さて将棋について楽しむためにはいろいろあるが
インター・ネット将棋将棋倶楽部24
jgame将棋はgooの対戦将棋でひとりでも楽しめる。
名人は昭和12年関根金次郎が世襲から実力に名人に移行してから始まった。
将棋連盟が認定したのがタイトル戦の冠をつける。
昭和25年九段と王将
35年王位
37年棋聖
49年棋王
58年王座
63年竜王(九段は28年に十段)
全タイトル保持者
昭和32年三大タイトルの頃の升田幸三
昭和34年大山康晴
35年王位を加え4冠の大山康晴
37年棋聖を加え5冠の大山康晴
47年5冠は中原誠棋王が出来てたので全冠でない。
平成七年2月羽生善治が王座も含め七冠
将棋界もマスコミ用語に左右され7冠のタイトルを基準に話題作りが計られる。
森内・名人=毎日新聞
渡辺・竜王=読売新聞、
羽生・王位=東京新聞、
羽生・王座=日経新聞,
谷川・棋王=共同通信、
佐藤・棋聖=産経新聞
森内・王将=スポニチ
とタイトル保持者めざし一年を過ごす。
中でもA級棋士を維持するのは至難の業B級に転落してしまう。
、
他にもNHK杯早指しやケーブルテレビ銀河戦。朝日オープン日本シリーズ、達人戦がある。
女性の場合
女流名人、倉敷藤花、鹿島杯
素人将棋ファンにはこちらの方がなじみが深い。
日曜日朝の10時〜12時で幼き時の子らは秒読みのときのみ真似たものである。
「10秒前」「9秒前」特に5・4・3・2とカウントダウンされると感染してる側もハラハラドキドキ多感な子らはそこまではないにしろはやしたてられた。
7冠を制覇したときの羽生はそのころの時代の寵児
マスコミ界を賑わせた。
しかし一度の挑戦で成し遂げたのではなかった。
谷川が唯一のタイトルを譲らず阻んだのである。
丁度10年前の戦時化並みの惨状の神戸に居を構えていた谷川であった。
この日谷川は対局に向かった。
逆境のバネが誰しも勢いで勝る羽生の7冠達成を予測する下馬評の中の逆転の虎の子ののタイトル維持であった。
7冠達成はよって羽生の力を持っても一度で成しえられた物ではない。
プロ棋士谷川が小学生たる羽生に稽古をつけた経緯がある。
因縁は挑戦者羽生が早く部屋に入り上座に座り譲らない。
コレが切っ掛けとなり谷川はタイトルを羽生に明渡すこととなる。
見事なまでの心理戦
私どもの記憶にある大山正晴は別格扱いで顎鬚を蓄え異様なる升田幸三の記憶がある。
会場に早く着き対局時間にはその場にいない棋界の歴史たる事件として扱われる。小田原の鶴巻温泉元湯・陣屋、和田義盛の別邸
陣屋事件という。
50を過ぎての名人位についた米長邦夫雄
東京都の教育委員さんは教育行政に菊の紋章を求めた
園遊会で天皇に足しなめられる始末。名人の名も汚してはいけない。
人生は勝負師のごとき気迫で生きねば成らぬ。
あのドン底の中を不死鳥の如く蘇った谷川の気迫をもって生きるべきである。
国内外の地震に報道機関は千才一遇の飯の種。
どちらが大事か。自然環境と闘いながら生きてる人にウェートを置くべきであろう。
極寒の地と常温の差、自ずとわかろう。
それが解らぬはずは無い。何らかの恣意を感ずる。
それにしては新潟の報道が少ない。
目を国外のスマトラ・tunamiに向けすぎてはいまいか。
バンダ・アチェなる都市名は覚えてしまったほどだ
報道デ気づくのは人間の余地危険に対する本能の低下である。
観光の象に乗ってたら急に山に向かい走り出したゆえに象ともども助かった。
水牛は5百頭をも海岸線から山に向かい走り出した。
それに比べ引き潮にコレ幸いと海の幸を求めて海に向かう退化したホスピタル
何か将来を今を暗示してる人間の話ではないか。
震災から受けた心の傷を一生背負って生きねばならぬ。
神戸病、震災病である。辛さが良くわかる。
何を隠そうこの私がその病気に悩んでいる
PTS心理的傷の病である。
突然刹那的になり、いつ死ぬか解らぬ死生観に襲われる。
コレに対するケアーが必要なのである。
未来があるのに先が見えてこない。
生き残ったものの罪悪感
考えてもみてほしい。
誰にでも愛してる人が死んでその存在の大きいほど長く罪悪感は続く。
早く死んで両親のもとに行きたい。苛立ち、しんどかった日々。
難ンのためにコレまで積み上げてきた。
心の傷のケアーは千差万別
生きるとは・・・・
震災を考えると西田幾太郎や和辻哲郎並みの哲学者になれる。
午前中のお話は九電前に時間に遅れた。
場所を変えて仕切りなおし。ジョイフルで最初に指定をお願いしたとこ。無駄が多い。
両方の言い分を聞かねば真実は見えてこない。
いつもは大体が原因者の私であるがたまにはアドバイザーである。
共同事業の提案もあってはいいはずだがお金の執着心の個性が強いとボランテアの要素もある太陽光発電の拡大普及は進まぬ。
その中での企業維持の採算性であろう。
ゆえに「100万は儲かる」となるのである。
お客さん工事会社はたまったもんじゃぁない。
震災にあったと考えれば我慢の範囲か。