心象風景
2005年1月24日TV番組の「知ってるつもり」?ではあるまいし、思い込みと身近な事前情報は大きな判断ミスを生じる
心理学的には何というのであろうか。
決起した源頼朝追討の平家が富士川で鳥の羽音で思わぬ敵襲来と総くずれになるが如きである。〜〜ベンセン粛々夜河を渡る〜〜
平家追討の実行者は義経に一人担わせるが形成不利な戦いの総て勝利するがほとんど奇襲でこのことを利用してるやも知れぬ。
中国の戦略書に勝るとも劣らない新戦法は心理戦での事前の策の勝利であったと言っても過言ではない。
後世の軍略家が評価しない隠れた義経像である。
その後の蒙古到来のときでさえ{われこそは〜〜成和源氏の流れをくみ〜〜と素性を名乗りッて戦いは始まったに対して宣戦布告なしの卑怯な戦いとさげすまされてるからである。
今だ「リメンバー、パール・ハーバー」の業をを背負ってる国の如きである。
腹に据えて懸かるとは実際は簡単ではない
今朝のことであるが大変な思い違いをいたし、冷や汗もんであった。
事前に吹き込まれていた情報の延長で眼前に現れた現象を判断したからである。
考え合わせればヤブから蛇を出すようなもの。
実にソソッカしい!ッたらありゃしない。
顔面真っ青、恥ずかしい
備えがまったくしてないことの気付いた。
危機管理は大事なものである。
跋扈するオレオレ詐欺も被害者が国会議員まで出てくると未遂に終わったとは故大胆不敵、相当な組織的背景を考え合わせることができる。
国家レベルの危機管理は村山内閣当時の神戸大震災の未熟な対応で露呈した。
救世主は現れるものである。
佐々淳行は初代内閣危機管理室長で今日のテロ,北朝鮮など国家的政策の基本を作った信念の人。当時の私にはにっくき敵。
昨年は映画にもなった昭和45年の浅間山荘事件の総指揮を取った御仁である。
総ての番組を中断して現場からの四六時の放映は始めて?のことであった。
小泉内閣を動かす実力者で現代の怪僧ラスプーチンたる飯島勲も手練手管でなく憂国で国家に使えるべきである。
佐々さんは私の私淑した佐々弘雄教授のご子息?一族になるはずである。
さらには信長家臣団の佐々成政の末裔で勇猛果敢な武将の遺伝子を受け継いでいるはずだ。
ゆえに世渡りたる姑息な生き方が出来ず、秀吉にして熊本に領地換え。かの地で滅ぼされてしまう。
同じ勇猛果敢で職人気質でもシズヶ岳7本槍の福島正則や加藤清正じゃ生き残った。
血筋、家柄が良すぎ百姓上がりの秀吉の川下には立てぬとの気負いではなかろうか。
そのところも盟友の前田利家は時代々の立場をわきまえ乗り切ったのを考え合わせると自我意識と一族の繁栄とのバランス・シートの欠如と片付けられるのであろうか。
秀吉が覇権をかけた織田家の家臣団の長の柴田勝家との戦いでも
佐々は柴田を撰んだ。前田もそうであったが病気を理由に戦列から上手く逃げ去る。
そりゃそうであろう。
秀吉がサルと呼ばれ信長の家臣でもなく百姓ををしていたころ
佐々、前田は信長の家臣であったし、柴田はすでに織田家の重鎮・家老であった。
身分差別激しき頃に信長の徹底した能力主義の凄さに驚かれることであろう。
政治家に求められる決断はそのようなもであらねばならぬ。
西都市の市長選で日野光幸が新人橋田和美に大差で敗れた。
日向、日南、都城に続き現職が敗れたのだ。
西都原の発掘は間に合わなかった。
重鎮上杉参議院議員に新人松下新平が勝利したことも含めると厚き保守の地宮崎で変革を嫌う県民性の流れの変化を感じる
それは日本全体に覆い被ってるボンヤリとした不安の表れではないのか。
変わらなければ衰退し滅ぶのみは歴史の指し示すところ。
コレまで宮崎での政争の町は高鍋と串間と政治馬喰リョウの雀蓮の定説であり限定されていた。
定席のポストがこの地では2期と首長が勤まらない。
「高鍋で学者ぶるな!」
考えてみれば串間は櫛間であり、高鍋の飛び地の高鍋領地。
絶対保守の宮崎の地の政治的異端の地であった。
高鍋にはついに議長職を投げ出して小沢浩一(57)が立つ
最後の海軍指揮官・小沢の孫である。
家業の仕出し弁当にも敬礼をして食べる面持ちであったのを懐かしく思い出す。
尾崎敏弘(69)は高鍋信金尾崎一郎御曹司。県農政部長を務めた。
妻たる実家の酒販店で出前の届けもする気さくな飾らぬ気質の人。
椎葉憲一(57)木材業は国政選挙さえ立候補の経験があるはず。
木城温泉源、西都温泉、小丸ダムとか読売紙櫛○記者ともどもの記憶がある。
泡○と書くと選挙妨害になるのであろうか。
「事実上二人の一騎打ちの戦い」だっておかしい筈である。
いずれの方々とも面識があり、選挙の行方が気にかかる。
任情では政治は出来ぬ。
夜10時過ぎにお客様からの電話。
「今帰ったが宜しければ太陽光発電の話を聞きたい。」
昼に屋根を目測するがどうにも合点が行かぬ。
25センチと30センチで瓦寸での全体を見るが尺間法の窓枠数と距離が合わぬ。
よって革靴にダブル背広で二階屋根に登り屋根寸とり。
特殊瓦で30センチと32センチである。
オットットッオ〜〜っとあんた高所恐怖症じゃなかったんじゃあ〜^^
男は気合っ!成せばなる。必死の思いは天にも通ず。
北は広く南は狭い太陽光発電泣かせの特殊屋根に何とか設計を組んだ。
仕込み充分で契約に至らぬはずはない。12時過ぎおいとました。
夜9時過ぎの訪問は初めてのこと。
こんなことは絶対常識ではない。
あくまで私はやんわり日にちの延長を電話では伝えたつもりである。
ご注意あれ!深夜にわたる太陽光発電は正常ではありません!
お客様のご依頼があればこそ日曜、休日深夜をいとわず私はご要請には答えます。
明日は肥後の国。佐々が一時期治めた国である。
なにも加藤清正一人に名をなさせるものではないはずだ
雨模様で日程は不安定である。憂国の士、佐々家の涙雨。
ワン・クリック
http://blog.with2.net/link.php/34016
心理学的には何というのであろうか。
決起した源頼朝追討の平家が富士川で鳥の羽音で思わぬ敵襲来と総くずれになるが如きである。〜〜ベンセン粛々夜河を渡る〜〜
平家追討の実行者は義経に一人担わせるが形成不利な戦いの総て勝利するがほとんど奇襲でこのことを利用してるやも知れぬ。
中国の戦略書に勝るとも劣らない新戦法は心理戦での事前の策の勝利であったと言っても過言ではない。
後世の軍略家が評価しない隠れた義経像である。
その後の蒙古到来のときでさえ{われこそは〜〜成和源氏の流れをくみ〜〜と素性を名乗りッて戦いは始まったに対して宣戦布告なしの卑怯な戦いとさげすまされてるからである。
今だ「リメンバー、パール・ハーバー」の業をを背負ってる国の如きである。
腹に据えて懸かるとは実際は簡単ではない
今朝のことであるが大変な思い違いをいたし、冷や汗もんであった。
事前に吹き込まれていた情報の延長で眼前に現れた現象を判断したからである。
考え合わせればヤブから蛇を出すようなもの。
実にソソッカしい!ッたらありゃしない。
顔面真っ青、恥ずかしい
備えがまったくしてないことの気付いた。
危機管理は大事なものである。
跋扈するオレオレ詐欺も被害者が国会議員まで出てくると未遂に終わったとは故大胆不敵、相当な組織的背景を考え合わせることができる。
国家レベルの危機管理は村山内閣当時の神戸大震災の未熟な対応で露呈した。
救世主は現れるものである。
佐々淳行は初代内閣危機管理室長で今日のテロ,北朝鮮など国家的政策の基本を作った信念の人。当時の私にはにっくき敵。
昨年は映画にもなった昭和45年の浅間山荘事件の総指揮を取った御仁である。
総ての番組を中断して現場からの四六時の放映は始めて?のことであった。
小泉内閣を動かす実力者で現代の怪僧ラスプーチンたる飯島勲も手練手管でなく憂国で国家に使えるべきである。
佐々さんは私の私淑した佐々弘雄教授のご子息?一族になるはずである。
さらには信長家臣団の佐々成政の末裔で勇猛果敢な武将の遺伝子を受け継いでいるはずだ。
ゆえに世渡りたる姑息な生き方が出来ず、秀吉にして熊本に領地換え。かの地で滅ぼされてしまう。
同じ勇猛果敢で職人気質でもシズヶ岳7本槍の福島正則や加藤清正じゃ生き残った。
血筋、家柄が良すぎ百姓上がりの秀吉の川下には立てぬとの気負いではなかろうか。
そのところも盟友の前田利家は時代々の立場をわきまえ乗り切ったのを考え合わせると自我意識と一族の繁栄とのバランス・シートの欠如と片付けられるのであろうか。
秀吉が覇権をかけた織田家の家臣団の長の柴田勝家との戦いでも
佐々は柴田を撰んだ。前田もそうであったが病気を理由に戦列から上手く逃げ去る。
そりゃそうであろう。
秀吉がサルと呼ばれ信長の家臣でもなく百姓ををしていたころ
佐々、前田は信長の家臣であったし、柴田はすでに織田家の重鎮・家老であった。
身分差別激しき頃に信長の徹底した能力主義の凄さに驚かれることであろう。
政治家に求められる決断はそのようなもであらねばならぬ。
西都市の市長選で日野光幸が新人橋田和美に大差で敗れた。
日向、日南、都城に続き現職が敗れたのだ。
西都原の発掘は間に合わなかった。
重鎮上杉参議院議員に新人松下新平が勝利したことも含めると厚き保守の地宮崎で変革を嫌う県民性の流れの変化を感じる
それは日本全体に覆い被ってるボンヤリとした不安の表れではないのか。
変わらなければ衰退し滅ぶのみは歴史の指し示すところ。
コレまで宮崎での政争の町は高鍋と串間と政治馬喰リョウの雀蓮の定説であり限定されていた。
定席のポストがこの地では2期と首長が勤まらない。
「高鍋で学者ぶるな!」
考えてみれば串間は櫛間であり、高鍋の飛び地の高鍋領地。
絶対保守の宮崎の地の政治的異端の地であった。
高鍋にはついに議長職を投げ出して小沢浩一(57)が立つ
最後の海軍指揮官・小沢の孫である。
家業の仕出し弁当にも敬礼をして食べる面持ちであったのを懐かしく思い出す。
尾崎敏弘(69)は高鍋信金尾崎一郎御曹司。県農政部長を務めた。
妻たる実家の酒販店で出前の届けもする気さくな飾らぬ気質の人。
椎葉憲一(57)木材業は国政選挙さえ立候補の経験があるはず。
木城温泉源、西都温泉、小丸ダムとか読売紙櫛○記者ともどもの記憶がある。
泡○と書くと選挙妨害になるのであろうか。
「事実上二人の一騎打ちの戦い」だっておかしい筈である。
いずれの方々とも面識があり、選挙の行方が気にかかる。
任情では政治は出来ぬ。
夜10時過ぎにお客様からの電話。
「今帰ったが宜しければ太陽光発電の話を聞きたい。」
昼に屋根を目測するがどうにも合点が行かぬ。
25センチと30センチで瓦寸での全体を見るが尺間法の窓枠数と距離が合わぬ。
よって革靴にダブル背広で二階屋根に登り屋根寸とり。
特殊瓦で30センチと32センチである。
オットットッオ〜〜っとあんた高所恐怖症じゃなかったんじゃあ〜^^
男は気合っ!成せばなる。必死の思いは天にも通ず。
北は広く南は狭い太陽光発電泣かせの特殊屋根に何とか設計を組んだ。
仕込み充分で契約に至らぬはずはない。12時過ぎおいとました。
夜9時過ぎの訪問は初めてのこと。
こんなことは絶対常識ではない。
あくまで私はやんわり日にちの延長を電話では伝えたつもりである。
ご注意あれ!深夜にわたる太陽光発電は正常ではありません!
お客様のご依頼があればこそ日曜、休日深夜をいとわず私はご要請には答えます。
明日は肥後の国。佐々が一時期治めた国である。
なにも加藤清正一人に名をなさせるものではないはずだ
雨模様で日程は不安定である。憂国の士、佐々家の涙雨。
ワン・クリック
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