今日の誕生日の花は・・・・カエデ
花ことばは・・・・・・遠慮
別称モミジとも言う
日本の季節にかかせない景色
クルクル舞ってヘリコブターのように飛んでいく
障子しめて 四方(よも)の紅葉を 感じをり
24日午後7時30分~
クローズアップ現代「“内定が取れない”~新・就職氷河期~」
今日はスルーいずれ触れたい
24日午後8:00~午後8:43NHKためしてガッテン
「日本伝統あの発酵食で 驚きコレステ減効果!」
それは酒の粕。
大八車に木製の樽をのせ引いて山頂の街都於郡の街、岩の鶴押川酒造に向かう。
幼子には実に酒臭くて斃れそう
卒倒常態で柄杓で酒汁を汲み
樽を満タンにする。
最後の栓がまた大変。
揺れるゆえ吹き出す防止でしっかりしめる必要が居る
栓にしても木製。
上手く閉まるハズがないではないか。
栓に油紙なり繊維類の襤褸をまいて栓をたたき込む
大八車うしろに棒を伸ばしたコスターブレーキでゆっくり坂を下る。
暴走機関車常態の映画は恐ろしくて観れない。
このときのなんどか暴走した恐ろしさのトラウマ。
牛に飼料代わりに藁に交ぜ酒粕を与えてた。
効果はこの頃の職業であった馬喰らの語りで解る。
「おうおう!毛の色がつやつやジャァー」
実は酒粕を与えると副次効果で堆肥の好いのがとれる。
ためしてガッテンの師匠は富山の人
農家の出でない。
ちょうど爺目ら世代しか苦労してない体験であるハズゆえ。
ただ小泉純一郎政治で国家が破壊されたゆえ
先進国で日本のみが異常が生じている
この状況差は三県は似通ってるハズ。
宮崎には一向宗争乱や米騒動のパワーは無い。
日向では一向宗は静かなる隠れ念仏に姿を変えた
それでも多くの犠牲者をだし、3000人ぐらいが領地逃避で隣藩に逃げた
明治16年佐賀富山宮崎は遅れて県になった似通ったル変遷を経ている。
日本の自殺率は先進国の中でダントツの1位!
同胞の死の見殺しのあまりにモノ見事さ。素晴らしさ。チキショウー。
この数年数字は三万人を超えたままでなんにもすすまないこの数年。
都道府県別の自殺率を見ると、・・・
1位秋田、2位青森、3位岩手、4位新潟、5位富山、6位宮崎、7位島根、8位山形、9位福井、10位長崎と、
やはり明治期の資本の集中があったやなしやの違いは影響している。
酒粕の威力は飼育牛を通じて知っている。
ただひとさまはこの番組で教え戴いた。
NHKラジオ深夜便25日1時~一席のみ桂南喬「妾馬めかうま」
人情噺の大ネタたっぷり楽しめた。
昨夜24日1時~の二席
桂米福 「こいがめ」
柳家さん喬 「替り目」
との比較もあったゆえか。
柳派のおもしろ系ジャンルと三遊派との違い
さらに聞いてる設定背景が深夜ゆえか。
総じて落語の時間が無くなっている。
明治生まれ昭和の大名人を見聞きしてきたゆえ
この芸に接するに肥えている。
ゆえに最近はどうにも・・CDとかでしか楽しめない。
「妾馬めかうま」は
江戸噺では「八五郎出世」
町民がお屋敷にあがる。
妹のお鶴がお殿様の手が着き男の子が生まれる。
そのお祝いでお屋敷に呼ばれた。
言葉、しきたり、生活総てが
殿さまとは雲泥の差で全く話さえ繋がらない。
顔を上げると子を抱いた殿さまの子を抱いたお鶴
はじめて兄らしく話しだす。
兄の妹おもいがほとばしる。
オチなくおわるパターンをとった南喬師匠
人情噺の大ネタを無難に一席終えた。
アンカーの遠藤ふき子が解説の三笑亭夢之助師匠に聞く
「題名の馬も出てこないしないし・・・オチもなし・・ナンカ全部途中」
「これは途中でまだ序。
この後武士に取り立てられ名字帯刀50石取り」
「岩田木蔵左右衛門カニナリ」
あるとき馬で出かける
ところが馬が暴走
同僚が言う
「岩田氏何処に行かれる・・」
「前に回って馬に聞いてくれ」
街の娘たる鶴に殿さまがお手をつけるモノだろうか。
殿さまも街に出たとき駕籠から覗いた
三代家光は年上女房ゆえお世継ぎに心配した。
於福が世継ぎのため大奥制度を敷いた。
家康はあの当時で75才の大往生
長生いきすぎるゆえに家来は先に死ぬ。
調べたら・・・「カロウシ」
ジャアンジャン!
おあとがおよろしいようで
封建制度のこの時代背景ゆえの
身分の違い。
そうであろうか。
昭和の御世でさえ
実話が残る。
「正田美智子」
皇后陛下である。
悲恋である
あとでふれる。
<1970年11月25日は特別な日である。>
その後11月25日が来るたびに・・・・
爺目の生涯を決めた語りきれないいろんな意味で衝撃的な日。
なにも爺目だけではなかったハズ、団塊の世代は皆。
否ッ!日本人だけでない。
世界が驚愕、驚いた。
いろんな意味合いで。
丁度ドクターストップの緊急入院のベッドで戦慄し、身震いした。
「どうしたらいいんだ」
「対立する側とはいえその主義に生きたいさぎよさに、また日本の平和を巡る状況がココまできてることに」
「前年の10/21国際反戦デーに刺激されてとも言う。」
「いったい憲法9条は残り得るのか。」
「自衛隊はこの影響を受けいづれ白色テロで暴走するのか。」
その後チリ・アジェンデが軍事クーデターで斃れた。
哀しかった市ヶ谷バルコニ。
怒号を挙げてた「檄」を聞こうともしない
集められた自衛隊の居合わせてた人々。
演説のその後腹を切り介錯。
そう!憂国忌
11月25日は「憂国忌」
2010年は三島由紀夫没後四十年
それぞれ政治的、思想的立場は異なるとしても、
また三島割腹なるものの意味と本質が理解できたかどうかとは関係なしに、・・・
左翼右翼と別けてる区分けがあったとしてもその立ち位置の差を超え
精神的に深い影響を受けなかった日本人はいないだろう。
前進解放を郵送で読んでいた。
中核も革マルも主張が解らぬゆえとカンパを込めて。
京大パルチザンを率いていた左翼過激派の京大助手、滝田修=川本信弘
「三島に先を越された。我々の陣営にも第二、第三の三島由紀夫を……」
国家の非常事態に
左右翼が共同歩調にある。
小沢一郎がそれを繋いでいる
日本の将来を憂える人々は売国奴が国富を売り渡してる顕著さゆえ
民族一致のため民族派に委ねて、引っ張られてる政治状況にある。
挙国一致で国難に立ち向かわん。
売国奴政治家が横行しているかである。
40年前の10月24日毎日新聞への電話。徳岡孝夫指名
「純粋な私事なんでね。恐縮ですが女性週刊誌が飛びつくスキャンダルではありません
それは保障しておきます。
毎日の腕章とカメラを持って十時にお出でいただきたい。
場所は朝お知らせいたします。
同じような電話はNHKの一人にあった。
常に完ぺきでスペアーが準備してある
切腹後の介錯にしてもそうであった。
40年前の10月25日朝お手伝いさんと話す。
家族同様のおなじ屋根に住む人との最期の会話。
「小島千賀子(新潮社編集部委員)さんにこれを渡してくれ」
小説豊饒の海4部作、完結編「天人五衰」の最終稿ー完ーであった仕事になんの落ち度もない。
楯の会の制服に軍帽で出かける。
父は高級官僚を終えてた離れに住む平岡梓。
「また訓練か」静かに見送っている。
妻瑶子は運転中の車のラジオでの市ヶ谷の事の
ニュースで異常を知る。
人の出会いは合縁奇縁
袖擦れ合うも人の縁
実に不可思議なるモノ。
避暑地でなんの面識もなく、
これから出会うことになるテニス大会が挙行されていた。
・皇太子と早大生ペア
・正田美智子と13才フランスペア
お互いが三回戦を勝ち進んで
決勝対決。
短めのスマッシュ、切り返す
拾って、返す
試合結果は
6-4
5-7
1-6
美智子ペアの優勝
この日あきれるほどヘタな皇太子であった。
二人の出会う確率は検察審査会ニジメンバーほどはないが
総参加者から計算では64分の一
8月19日はその日から1週間後になる
ラケットでポーズを取る美智子の写真を撮ったのは
皇太子であった。
それより半年前の33年2月如月興行
猿ノ助・歌衛門出演で
平賀源内作品が掛かった。
神霊矢口の渡し
銀座6丁目の小料理屋「井上」で見合い
三島由紀夫は隣の席に現れた和服の人を見た
淡い水色の着物
まるで作品春雪の綾倉聡子そのものの正田美智子。
愚かなことで壊された歌舞伎座昼の部の二人。
神霊矢口の渡しのストリー大意。
新田義峰を渡守頓兵衛=猿ノ助が狙う。
身代わりになる母お船=歌衛門。
19才で処女作が評価の流石の超エリリート三島由紀夫も
半年後に現れた恋敵が皇太子では尻込みするわー。
先の10月18日に逝った作家演出家長岡輝子は
大田区馬込三島邸宅の前向かいに住んでて親交があった。
三島の母倭文重しずえと交流があった。
三島由紀夫の相談相手でもあった。
理想の妻像を語っている。
妻をめとるに4箇条
・丸顔でかわいい
・ハイヒールを履いても自分より背が低い人
・家事才能長くあること両親を大切に。
・妻を主張乱さぬ事。
文春「橋を架ける」
古事記の東征に父に従い付いていく
ヤマトタケル・弟橘比売尊
十二単衣のまま入水で海神の怒りを静める
画家杉山寧の長女瑶子と見合いして
川端康成の媒酌で結納を終えた。
男色を言われてるが一男一女をなした。
緒方拳の主役の映画がある。
三島由紀夫を演じた「MISIMA」
観た・・ウスソキ!
未公開。
ビデオにはなったー最近のこと。
緒方は08年逝ったが07年に
神田山口書店を訪れている。
神田白山とおりの小さな店
何故か。
三島由紀夫の書いた色紙を所望してのこと
いまも大きな三島由紀夫の写真共々店頭を飾っている。
嗚呼三島由紀夫!
成仏せずこの国を叱り
怨霊となって居て欲しい。
アップしてたら飛んだ。
時間がきたゆえとりあえず急遽アップ
時間あればいずれ改稿追加したい。
薩摩のDNAのプロの書き手のブログで教えてくれること。
○HIビジョンの日走査線が1125本ゆえ。
○1947年第一回共同募金6億円集まる
翌年から赤い羽根。
○1985年(60)厚生省中高年者を「実年」
○1998年(10)中国主席江沢民初来日
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花ことばは・・・・・・遠慮
別称モミジとも言う
日本の季節にかかせない景色
クルクル舞ってヘリコブターのように飛んでいく
障子しめて 四方(よも)の紅葉を 感じをり
24日午後7時30分~
クローズアップ現代「“内定が取れない”~新・就職氷河期~」
今日はスルーいずれ触れたい
24日午後8:00~午後8:43NHKためしてガッテン
「日本伝統あの発酵食で 驚きコレステ減効果!」
それは酒の粕。
大八車に木製の樽をのせ引いて山頂の街都於郡の街、岩の鶴押川酒造に向かう。
幼子には実に酒臭くて斃れそう
卒倒常態で柄杓で酒汁を汲み
樽を満タンにする。
最後の栓がまた大変。
揺れるゆえ吹き出す防止でしっかりしめる必要が居る
栓にしても木製。
上手く閉まるハズがないではないか。
栓に油紙なり繊維類の襤褸をまいて栓をたたき込む
大八車うしろに棒を伸ばしたコスターブレーキでゆっくり坂を下る。
暴走機関車常態の映画は恐ろしくて観れない。
このときのなんどか暴走した恐ろしさのトラウマ。
牛に飼料代わりに藁に交ぜ酒粕を与えてた。
効果はこの頃の職業であった馬喰らの語りで解る。
「おうおう!毛の色がつやつやジャァー」
実は酒粕を与えると副次効果で堆肥の好いのがとれる。
ためしてガッテンの師匠は富山の人
農家の出でない。
ちょうど爺目ら世代しか苦労してない体験であるハズゆえ。
ただ小泉純一郎政治で国家が破壊されたゆえ
先進国で日本のみが異常が生じている
この状況差は三県は似通ってるハズ。
宮崎には一向宗争乱や米騒動のパワーは無い。
日向では一向宗は静かなる隠れ念仏に姿を変えた
それでも多くの犠牲者をだし、3000人ぐらいが領地逃避で隣藩に逃げた
明治16年佐賀富山宮崎は遅れて県になった似通ったル変遷を経ている。
日本の自殺率は先進国の中でダントツの1位!
同胞の死の見殺しのあまりにモノ見事さ。素晴らしさ。チキショウー。
この数年数字は三万人を超えたままでなんにもすすまないこの数年。
都道府県別の自殺率を見ると、・・・
1位秋田、2位青森、3位岩手、4位新潟、5位富山、6位宮崎、7位島根、8位山形、9位福井、10位長崎と、
やはり明治期の資本の集中があったやなしやの違いは影響している。
酒粕の威力は飼育牛を通じて知っている。
ただひとさまはこの番組で教え戴いた。
NHKラジオ深夜便25日1時~一席のみ桂南喬「妾馬めかうま」
人情噺の大ネタたっぷり楽しめた。
昨夜24日1時~の二席
桂米福 「こいがめ」
柳家さん喬 「替り目」
との比較もあったゆえか。
柳派のおもしろ系ジャンルと三遊派との違い
さらに聞いてる設定背景が深夜ゆえか。
総じて落語の時間が無くなっている。
明治生まれ昭和の大名人を見聞きしてきたゆえ
この芸に接するに肥えている。
ゆえに最近はどうにも・・CDとかでしか楽しめない。
「妾馬めかうま」は
江戸噺では「八五郎出世」
町民がお屋敷にあがる。
妹のお鶴がお殿様の手が着き男の子が生まれる。
そのお祝いでお屋敷に呼ばれた。
言葉、しきたり、生活総てが
殿さまとは雲泥の差で全く話さえ繋がらない。
顔を上げると子を抱いた殿さまの子を抱いたお鶴
はじめて兄らしく話しだす。
兄の妹おもいがほとばしる。
オチなくおわるパターンをとった南喬師匠
人情噺の大ネタを無難に一席終えた。
アンカーの遠藤ふき子が解説の三笑亭夢之助師匠に聞く
「題名の馬も出てこないしないし・・・オチもなし・・ナンカ全部途中」
「これは途中でまだ序。
この後武士に取り立てられ名字帯刀50石取り」
「岩田木蔵左右衛門カニナリ」
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ところが馬が暴走
同僚が言う
「岩田氏何処に行かれる・・」
「前に回って馬に聞いてくれ」
街の娘たる鶴に殿さまがお手をつけるモノだろうか。
殿さまも街に出たとき駕籠から覗いた
三代家光は年上女房ゆえお世継ぎに心配した。
於福が世継ぎのため大奥制度を敷いた。
家康はあの当時で75才の大往生
長生いきすぎるゆえに家来は先に死ぬ。
調べたら・・・「カロウシ」
ジャアンジャン!
おあとがおよろしいようで
封建制度のこの時代背景ゆえの
身分の違い。
そうであろうか。
昭和の御世でさえ
実話が残る。
「正田美智子」
皇后陛下である。
悲恋である
あとでふれる。
<1970年11月25日は特別な日である。>
その後11月25日が来るたびに・・・・
爺目の生涯を決めた語りきれないいろんな意味で衝撃的な日。
なにも爺目だけではなかったハズ、団塊の世代は皆。
否ッ!日本人だけでない。
世界が驚愕、驚いた。
いろんな意味合いで。
丁度ドクターストップの緊急入院のベッドで戦慄し、身震いした。
「どうしたらいいんだ」
「対立する側とはいえその主義に生きたいさぎよさに、また日本の平和を巡る状況がココまできてることに」
「前年の10/21国際反戦デーに刺激されてとも言う。」
「いったい憲法9条は残り得るのか。」
「自衛隊はこの影響を受けいづれ白色テロで暴走するのか。」
その後チリ・アジェンデが軍事クーデターで斃れた。
哀しかった市ヶ谷バルコニ。
怒号を挙げてた「檄」を聞こうともしない
集められた自衛隊の居合わせてた人々。
演説のその後腹を切り介錯。
そう!憂国忌
11月25日は「憂国忌」
2010年は三島由紀夫没後四十年
それぞれ政治的、思想的立場は異なるとしても、
また三島割腹なるものの意味と本質が理解できたかどうかとは関係なしに、・・・
左翼右翼と別けてる区分けがあったとしてもその立ち位置の差を超え
精神的に深い影響を受けなかった日本人はいないだろう。
前進解放を郵送で読んでいた。
中核も革マルも主張が解らぬゆえとカンパを込めて。
京大パルチザンを率いていた左翼過激派の京大助手、滝田修=川本信弘
「三島に先を越された。我々の陣営にも第二、第三の三島由紀夫を……」
国家の非常事態に
左右翼が共同歩調にある。
小沢一郎がそれを繋いでいる
日本の将来を憂える人々は売国奴が国富を売り渡してる顕著さゆえ
民族一致のため民族派に委ねて、引っ張られてる政治状況にある。
挙国一致で国難に立ち向かわん。
売国奴政治家が横行しているかである。
40年前の10月24日毎日新聞への電話。徳岡孝夫指名
「純粋な私事なんでね。恐縮ですが女性週刊誌が飛びつくスキャンダルではありません
それは保障しておきます。
毎日の腕章とカメラを持って十時にお出でいただきたい。
場所は朝お知らせいたします。
同じような電話はNHKの一人にあった。
常に完ぺきでスペアーが準備してある
切腹後の介錯にしてもそうであった。
40年前の10月25日朝お手伝いさんと話す。
家族同様のおなじ屋根に住む人との最期の会話。
「小島千賀子(新潮社編集部委員)さんにこれを渡してくれ」
小説豊饒の海4部作、完結編「天人五衰」の最終稿ー完ーであった仕事になんの落ち度もない。
楯の会の制服に軍帽で出かける。
父は高級官僚を終えてた離れに住む平岡梓。
「また訓練か」静かに見送っている。
妻瑶子は運転中の車のラジオでの市ヶ谷の事の
ニュースで異常を知る。
人の出会いは合縁奇縁
袖擦れ合うも人の縁
実に不可思議なるモノ。
避暑地でなんの面識もなく、
これから出会うことになるテニス大会が挙行されていた。
・皇太子と早大生ペア
・正田美智子と13才フランスペア
お互いが三回戦を勝ち進んで
決勝対決。
短めのスマッシュ、切り返す
拾って、返す
試合結果は
6-4
5-7
1-6
美智子ペアの優勝
この日あきれるほどヘタな皇太子であった。
二人の出会う確率は検察審査会ニジメンバーほどはないが
総参加者から計算では64分の一
8月19日はその日から1週間後になる
ラケットでポーズを取る美智子の写真を撮ったのは
皇太子であった。
それより半年前の33年2月如月興行
猿ノ助・歌衛門出演で
平賀源内作品が掛かった。
神霊矢口の渡し
銀座6丁目の小料理屋「井上」で見合い
三島由紀夫は隣の席に現れた和服の人を見た
淡い水色の着物
まるで作品春雪の綾倉聡子そのものの正田美智子。
愚かなことで壊された歌舞伎座昼の部の二人。
神霊矢口の渡しのストリー大意。
新田義峰を渡守頓兵衛=猿ノ助が狙う。
身代わりになる母お船=歌衛門。
19才で処女作が評価の流石の超エリリート三島由紀夫も
半年後に現れた恋敵が皇太子では尻込みするわー。
先の10月18日に逝った作家演出家長岡輝子は
大田区馬込三島邸宅の前向かいに住んでて親交があった。
三島の母倭文重しずえと交流があった。
三島由紀夫の相談相手でもあった。
理想の妻像を語っている。
妻をめとるに4箇条
・丸顔でかわいい
・ハイヒールを履いても自分より背が低い人
・家事才能長くあること両親を大切に。
・妻を主張乱さぬ事。
文春「橋を架ける」
古事記の東征に父に従い付いていく
ヤマトタケル・弟橘比売尊
十二単衣のまま入水で海神の怒りを静める
画家杉山寧の長女瑶子と見合いして
川端康成の媒酌で結納を終えた。
男色を言われてるが一男一女をなした。
緒方拳の主役の映画がある。
三島由紀夫を演じた「MISIMA」
観た・・ウスソキ!
未公開。
ビデオにはなったー最近のこと。
緒方は08年逝ったが07年に
神田山口書店を訪れている。
神田白山とおりの小さな店
何故か。
三島由紀夫の書いた色紙を所望してのこと
いまも大きな三島由紀夫の写真共々店頭を飾っている。
嗚呼三島由紀夫!
成仏せずこの国を叱り
怨霊となって居て欲しい。
アップしてたら飛んだ。
時間がきたゆえとりあえず急遽アップ
時間あればいずれ改稿追加したい。
薩摩のDNAのプロの書き手のブログで教えてくれること。
三島事件を転機に、思想状況は一変した。
本気か、そうでないかが、つまり、日頃の勇ましい言動とは裏腹に一目散に市民社会へ逃亡するものと、
いよいよ退路を断ち切って思想闘争に命を賭けるものとの「わかれ道」が、ここで一目瞭然となったからである。
特に、その後の左翼過激派の動きは、そのことを証明している。
イスラエル・ロッド空港銃乱射事件を起こした奥平某、安田某等は、滝田修が率いていた京大パルチザンの残党であり
、ほぼ同世代の青年たちであった。
彼等もまた、三島由紀夫事件に、つまり「思想命を賭ける」という事件に深い影響を受けていたはずである。
さて、三島由紀夫事件直後に、「三島追悼の夕べ」を開き、その後、正式に「憂国忌」と名付け、三島由紀夫慰霊祭と鎮魂祭を、毎年、執り行ってきたのが「三島由紀夫研究会」という組織だったらしいが、
その「三島由紀夫研究会」が、このほど、『憂国忌の四十年』(並木書房)という本を刊行した。
あまり、というより、ほとんど、文壇やマスコミは取り上げようとしないらしいが、この本に深く感銘を受けた。
思想や政治に命を賭けた者たちの記録として読むことが出来るからだ。
三島由紀夫や三島事件を、「文学」に回収することは、
三島由紀夫を「文学」に祭り上げることによって、何処にでも、掃いて捨てるはどいる小市民的な、
毒にも薬にもならない、凡庸な小説家の一人として「祭り捨てる」ことである。
これに対して、『憂国忌の四十年』が描くのは、今なお、生々しい存在として、そしてま凶しい存在として
「生き続けている三島由紀夫」であり、三島由紀夫の文学や思想に深く共鳴する「三島信者」たちのその後の人生である。
実は僕も十数年前から、この会に関係し、「憂国忌」の発起人の一人に名を連ねているのだが、そしてその関係で、毎年、顔を会わせ、それなりによく知っているのだが、
この『憂国忌の四十年』という本の多くを占めているのが、
このグループのリーダーであったらしい故「三浦重周」氏のことである。
三浦氏は、先年、憂国忌を責任者として執り行った直後、故郷の、白雪と寒風が吹き荒れる新潟港岸壁で、
三島由紀夫と同じように、切腹・自決している。
僕は、そこに至るまでに、三浦氏に、いかなる理由や事情があったかを知らないが、三浦氏の自決事件にも、何かを感得した。
文壇やマスコミが、この本を無視、黙殺して、
松本健一や平野啓一郎等の、世にもくだらない駄本(『三島由紀夫と司馬遼太郎』)や、
一夜漬けの雑学を披露しただけの座談会を持て囃すのは当然だろう。
『憂国忌の四十年』は、思想や政治に命を賭けた者たちの記録である。
すくなくともこの『憂国忌の四十年』という書物のなかには、
三島事件の「事件性」と「危険性」は、失われていない。
ここにこそ「文学」があり「思想」がある。
ここにしか「文学」も「思想」もありえない。
第四十回追悼会
『憂国忌』
――三島由紀夫を通して日本を考えようーーー
とき 11月25日 午後五時(四時開場)
ところ 九段会館大ホール
会場分担金 お一人1000円
プログラム
第一部鎮魂祭(齋主 乃木神社神職。祭主 松本徹)
第二部シンポジウム 『没後四十年 日本はここまで堕落したか』
井尻千男、遠藤浩一、桶谷秀昭、西尾幹二
○HIビジョンの日走査線が1125本ゆえ。
○1947年第一回共同募金6億円集まる
翌年から赤い羽根。
○1985年(60)厚生省中高年者を「実年」
○1998年(10)中国主席江沢民初来日
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