零の発見

2006年9月5日
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お勉強が学問的香りに昇華し認識したのはどの学年くらいであったろうか。
今日の、テレビ等の整った環境では毎日が知識の泉水に満ち溢れ感動は薄かろう。
太平洋戦争後の廃墟で育ったものは毎日が新鮮であった。
水の化学分解式であったり、 this a pencil?であったり、バッハの音楽、
谷崎潤一郎の秘め事の作品に大人をみ、石坂洋二郎、早乙女勝元の作品に早熟の青春によった。
一番は数字の「0」の発見を岩波新書で読んだときとかであろうか。
数字は冷徹無比で世の中をさえ動かす。
世論調査の数字が決定的な意味を持つ点がそうである。
安倍で総理がほぼ決まったのも数字の優位からだ。
森派は福田康夫か安倍晋三かでゆれていた。
安倍晋三自身も悩んでいた。
それが立候補の意志を固めたのは数字である。
「おやじ(晋太郎元外相)の時代は世論調査がなかったから」と漏らしたと伝え聞く。
数字の優位がなければ、安倍は他日を期し、福田康夫に譲っていたろう。
派閥全盛時代はそうだった。
派閥ではなく、世論が首相を選ぶ時代なのだ。
それに、勝ち馬に乗れ!の主義主張もないバカな政治家が拍車をかける。数はちからなり。言論の府はウソッぱち。
今日は月曜日であるが、アメリカは休日。
米国ではきょう1日おまけがある。
9月第1月曜日のレーバーデー(労働者の日)が夏休み最後の日となる
明日、5日が夏休み明けのアメリカ。
この日・4日は政治的にも重要な節目だ。
米大統領選挙ではこの日明けの世論調査で優位に立った候補が一般投票でも勝つ。
11月初めの投票まで2カ月あるが、それでも逆転した例はまず聞かない。
さすれば今日を境に、安倍、ブッシュは決定したも同然である。
自民党総裁選挙は大統領選挙とは違う。
有権者は一般国民ではなく自民党員だ。しかも投票日まで3週間もない。
が、今度の総裁選挙に限れば、大統領選挙に似ている。
最近3回の総裁交代は、いずれも現職総裁の任期半ばの退陣や死去に伴う予定外の時期に起きた。今回は小泉総裁の任期満了に伴う予定通りの選挙である
3人の候補者は大統領候補と同様に、すでに長いマラソンレースを走らされてきた気分だろう。
さて数字は決定さえ覆すパワーとなりうるか。
新聞が伝えるこちらは、数字の上からの異議申し立てで真実性を感じさせる。
国際天文学連合(IAU)が
太陽系9番目の惑星とされてきた冥王星を惑星から除外したことについて、米国の科学者らが抗議活動を繰り広げている。
IAUの決定が約1万人の会員の5%未満の出席者による投票で決まったこと
IAUの惑星の定義はあいまいで科学的ではない−などとして、来年、1000人規模の再定義会議を開くとしている。
アメリカの英雄だった発見者のクライド・トンボー。
その理由だけをとっても、冥王星の惑星としての完全な地位が維持されるべきだ」と話したそうだ。
 冥王星に向かっている米航空宇宙局(NASA)の探査機「ニューホライズンズ」の主任研究者、アラン・スターン博士も米中の科学者に冥王星存続を呼びかけたそうだが、極めて常識的行為。
「零の発見」岩波新書は60年以上も前に出版された超ロングセラー
「零の発見」と「直線を切る」の2つの数学エッセイが収録されている.
インドにおける零の発見は,人類文化史上に巨大な一歩をしるした.
エジプト,ギリシャ,ローマなどにおける数を書き表わすためのさまざまな工夫,ソロバンや計算尺の意義にもふれながら,数学と計算法の発達の跡をきわめて平明に語った,数の世界への楽しい道案内書.
今から四千年の昔に栄えた四大文明はインダス文明も含めて穀物は大麦・小麦が中心で米は無かった
劇的な変化は「アーリア人の南下」。
紀元前15世紀ごろに中央アジアのカスピ海沿岸に住んでいたアーリア人の一部がヒマラヤ山脈を越えて南のインドに移住して来たときに米作文化をもたらしたとされる。。
アーリア人が持ち込んだ新技術の米作はインダス・ガンジス川の灌漑(かんがい)を利用して急速に発展し、食糧の増産が可能となり、それに従って人口も増加して行くことになる。
大量の食料を大勢の人々に分ける必要が生じて来れば、大きな数を使って正確に計算することが要求され、
初めてインドでゼロが誕生することになる。
米作による農業革命が「0」をみつけだす。
もう一度他の角度から、「0」(ゼロ=零)なぜに、インドで生まれたか。
インドで生まれたお釈迦さまの仏教が背景にある
写経に使う「般若心経」その真髄は「空」
「色即是空、空即是色」、その「空」の概念が何もない位(くらい)に「空位」を示す「0」をもたらした
 では、この「般若心経」はなぜ写経に広く使われて来たのか。
当時の情報革命なのだ。。
お釈迦さま(ブッダ)は紀元前5世紀に生まれて悟りを開き仏教を広めた、
紀元前後ころから改革派が現れて、それまでの
仏教の教えを小乗仏教と批判して、大乗仏教を唱える。
「般若心経」はそもそも大乗派の小乗派に対する一大宣伝文
。印刷技術はまだないゆえ、写経をして伝播させた。
その大乗派の中心人物が龍樹というインドの仏教哲学者。
 龍樹は有か無かの対立する二元論であったそれまでの小乗仏教の考え方に対して、
有でもなく無でもないもう一つの存在として「空」を考えた。
今の数学では(+)プラスでもなく、(―)マイナスでもない存在は(0)ゼロとなる
(+)=有、(−)=無、(0)=空 という構造を大乗は持った。
そして空(くう)の立場から見れば有るか無いかの論争は虚しく、有も無もけんかをしないで平和に暮らそうという考えに至る。
大乗仏教が日本に伝来し定着する時代に聖徳太子が十七条憲法を制定して「和をもって尊しとせよ」を第一条にうたっている意味もここにある。 
お釈迦さまは時代を超えて龍樹を味方につけて、古い小乗仏教から新しい大乗仏教への選択をしたと考えられる。
テレビもこの宮崎でさえデジタルの変わる。
コンピュータも0と1とで動いている。
それは「0」がオフ(電気を通さない)で「1」がオン(電気を通す)であることと
、すべての数が0と1のみを使った二進法で表せる。
零の発見は今日のIT社会の基本でもある。

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