ポーツマス100年
2005年9月7日90KMかなたの延岡に向かう。
昨日TV台風情報で初めて潅水した繁華街山下通り、二階建て建物の軒下まで潅水した地区に電気工事に5人で向かう。
途中高鍋町を通過。
GSや電気店、タイヤ店、パチンコ店など昨日はウソの如く風林火山ヨロシク、旗指物がひらめいている。
ちなみに再来年の大河ドラマは風林火山で決まったそうな。
武田信玄の軍師山本勘助を描くという。
信玄堤は当時の土木技術の粋であり、領民を守った。
時代は変わって今はどうだ。
美々津河口も映像では凄い状況であったが平然たる状況。
明日からの太陽光発電の工事現場北郷は道路はズタズタで延岡の西・北川町からしか行けない陸の孤島。
熊本から椎葉に緊急出動の自衛隊さえ足止め。
私共はひたすら、電気工事を仕上げていった。
内外の自然の猛威は石油文明の反逆である。
メキシコ湾のジャズのふるさとはいまや水に襲われたゴースト・タウン化している。
救助もイラク戦に派遣し過ぎてままならぬ状況。
水没した救助を待つ元住宅地には肉食獣ワニさえ出没してる。
銃撃戦を交えた無秩序化さえ日常化
世界の警察を任じてる国の脆弱点を見せている。
目を転じて西海岸。イチローに象徴されるシアトルは日本企業の拠点化している。
あれから百年まえ・・この米西海岸のシアトルに上陸したのは我が宮崎の生み出したる
日露戦争の講和の全権大使の小村寿太郎外相の一行である。
ここより汽車で大陸を横断し、ニューヨークへ向かう。
ポーツマスでロシア側との困難な交渉に臨むためだ。
100年前の1905年9月6日(現地5日)、ようやく講和条約の締結にこぎつけた。
伊藤博文などの絶大なる後押しもあったが国益を第一義にした本人の努力に資するところ大である。
ポーツマス会議でのエピソードを語るにはつきない。
ロシア側は会議中フランス語を使用していた。
もちろん、日本側が誰もフランス語を習得していないからであろうという推測からである。
寿太郎は敵の戦略などを得て会議を有利に進めるため、最後までフランス語を知らずの形で通した。
会議の数日後、ロシア全権ウィッテがフランス語で挨拶した際、初めて通訳を介さずに、流暢なフランス語で話をし、ロシア側を驚かせた小村寿太郎の面目躍如。
臍をかんでるウィッテをはじめとするロシア側の悔しさ。
交渉の裏めんしである。
宮崎に帰ってきた際、大宮高校(当時の宮崎中学校)の生徒の前での訓話。
「諸君らは誠であれ」。
短いスピーチであったという。
彼の生き様を如実に表現した言葉である。その年の11月に逝去。
日南市では、1985年に日露講和条約80周年を記念し、ポーツマス市と姉妹都市を結んだ。
外務大臣時代には、日英同盟締結、関税自主権の回復等を実現した救国の郷土の偉人。
吉村昭の『ポーツマスの旗』にくわしい。
自然の人「小村寿太郎」はその弟子を任ずる桝本卯平の著作
この人はイギリスで造船業を極め日本造船会の重鎮。
第一回国際労働会議のワシントンにに日本代表として出席した。
本人のあずかり知らない所で日本の社会科学に大きな足跡を残した。そのことはいずれ触れたい。
この人は隅田川でも偲べる
隅田川を浅草桟橋めがけ昇るとき左に我が宮崎の高木兼寛の設立した聖路加病院、
右に石川島播磨重工業の跡地と船内放送の解説がある。
相生橋のたもとにある民営様式造船所発祥之地のプレートには嘉永6年ペリー来航により幕府の命により創設され昭和54年までの長い歴史が・・・謳われている。
日本推理小説の草分け江戸川乱歩の
「僕の二人の恩人の一人」に桝本卯平をあげる。
三重鳥羽造船所時代に技師長たる我が宮崎の人たる桝本卯平の薫陶を受けた。
「もしやここ播磨造船所では、否・・鳥羽造船所だったろうか」との江戸川乱歩記述がある。、
高木兼寛は陸軍軍医総監森鴎外に対し海軍総監として脚気をウイルス説を廃してビタミン不足として日清戦争を勝利に導いた日本疫学の父 麦飯男である。
米国北東部メーン州では5日100周年を称えポーツマス海軍工廠では19発の祝砲が鳴らされる祝賀ムード一色に包まれ加藤良三駐米大使が祝辞を述べた。と地元紙は伝えている。
あれから百年、今、総選挙で外交問題はほとんど争点になっていない。拉致や核などの北朝鮮問題や、日中関係についてあつく語る候補者は少ない。唯一平和が一番!の鳥飼謙二のみ。
外交は票にならないのがこの国のこれまでの選挙結果で戦術に組み込まれている選挙の知恵らしい。
「外交を政争の具にすべきでない」
という愚かしい選挙民である。
昨日のNHKの「明日をよむ」でも先ほどの筑紫哲也との国際政治学者添谷慶大教授、東大教授との対談。
そこでも話題にも上らないロシア・プーチンとの11月の北方領土返還の問題に現れている。
どうなってるこの国!
何が郵政だ!それどころではなかろう。
国政選挙を井戸端選挙にすな!
国益とはなにぞ!
エネルギー問題に全てが収斂される。
師匠の力作メールには感動!
いずれ紹介しましょう。
エネルギー問題の解決なくしてこの国の未来はない。
ポーツマス100年は何を教えているのか。
何も民族の血を覚醒するわけではないがあのときの再現でプーチンとの話に望む国策が必要であるが小泉政治に外交は望めまい。拉致問題も途中で放り投げのワン・フレーズの小泉劇場でしかない。
睡眠時間を割き書いてます。
泣くな!男だろ!(笑い)本音かも?
ブログ順位引き上げにご協力をお願いいたします。
マウス・でクリックするだけ!
九州地区ネットランキング参加!
マウス・クリック!よろしく
お願いいたします。
↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?1135184
↑ ↑
今日もワン・クリック
有難うございます。
昨日TV台風情報で初めて潅水した繁華街山下通り、二階建て建物の軒下まで潅水した地区に電気工事に5人で向かう。
途中高鍋町を通過。
GSや電気店、タイヤ店、パチンコ店など昨日はウソの如く風林火山ヨロシク、旗指物がひらめいている。
ちなみに再来年の大河ドラマは風林火山で決まったそうな。
武田信玄の軍師山本勘助を描くという。
信玄堤は当時の土木技術の粋であり、領民を守った。
時代は変わって今はどうだ。
美々津河口も映像では凄い状況であったが平然たる状況。
明日からの太陽光発電の工事現場北郷は道路はズタズタで延岡の西・北川町からしか行けない陸の孤島。
熊本から椎葉に緊急出動の自衛隊さえ足止め。
私共はひたすら、電気工事を仕上げていった。
内外の自然の猛威は石油文明の反逆である。
メキシコ湾のジャズのふるさとはいまや水に襲われたゴースト・タウン化している。
救助もイラク戦に派遣し過ぎてままならぬ状況。
水没した救助を待つ元住宅地には肉食獣ワニさえ出没してる。
銃撃戦を交えた無秩序化さえ日常化
世界の警察を任じてる国の脆弱点を見せている。
目を転じて西海岸。イチローに象徴されるシアトルは日本企業の拠点化している。
あれから百年まえ・・この米西海岸のシアトルに上陸したのは我が宮崎の生み出したる
日露戦争の講和の全権大使の小村寿太郎外相の一行である。
ここより汽車で大陸を横断し、ニューヨークへ向かう。
ポーツマスでロシア側との困難な交渉に臨むためだ。
100年前の1905年9月6日(現地5日)、ようやく講和条約の締結にこぎつけた。
伊藤博文などの絶大なる後押しもあったが国益を第一義にした本人の努力に資するところ大である。
ポーツマス会議でのエピソードを語るにはつきない。
ロシア側は会議中フランス語を使用していた。
もちろん、日本側が誰もフランス語を習得していないからであろうという推測からである。
寿太郎は敵の戦略などを得て会議を有利に進めるため、最後までフランス語を知らずの形で通した。
会議の数日後、ロシア全権ウィッテがフランス語で挨拶した際、初めて通訳を介さずに、流暢なフランス語で話をし、ロシア側を驚かせた小村寿太郎の面目躍如。
臍をかんでるウィッテをはじめとするロシア側の悔しさ。
交渉の裏めんしである。
宮崎に帰ってきた際、大宮高校(当時の宮崎中学校)の生徒の前での訓話。
「諸君らは誠であれ」。
短いスピーチであったという。
彼の生き様を如実に表現した言葉である。その年の11月に逝去。
日南市では、1985年に日露講和条約80周年を記念し、ポーツマス市と姉妹都市を結んだ。
外務大臣時代には、日英同盟締結、関税自主権の回復等を実現した救国の郷土の偉人。
吉村昭の『ポーツマスの旗』にくわしい。
自然の人「小村寿太郎」はその弟子を任ずる桝本卯平の著作
この人はイギリスで造船業を極め日本造船会の重鎮。
第一回国際労働会議のワシントンにに日本代表として出席した。
本人のあずかり知らない所で日本の社会科学に大きな足跡を残した。そのことはいずれ触れたい。
この人は隅田川でも偲べる
隅田川を浅草桟橋めがけ昇るとき左に我が宮崎の高木兼寛の設立した聖路加病院、
右に石川島播磨重工業の跡地と船内放送の解説がある。
相生橋のたもとにある民営様式造船所発祥之地のプレートには嘉永6年ペリー来航により幕府の命により創設され昭和54年までの長い歴史が・・・謳われている。
日本推理小説の草分け江戸川乱歩の
「僕の二人の恩人の一人」に桝本卯平をあげる。
三重鳥羽造船所時代に技師長たる我が宮崎の人たる桝本卯平の薫陶を受けた。
「もしやここ播磨造船所では、否・・鳥羽造船所だったろうか」との江戸川乱歩記述がある。、
高木兼寛は陸軍軍医総監森鴎外に対し海軍総監として脚気をウイルス説を廃してビタミン不足として日清戦争を勝利に導いた日本疫学の父 麦飯男である。
米国北東部メーン州では5日100周年を称えポーツマス海軍工廠では19発の祝砲が鳴らされる祝賀ムード一色に包まれ加藤良三駐米大使が祝辞を述べた。と地元紙は伝えている。
あれから百年、今、総選挙で外交問題はほとんど争点になっていない。拉致や核などの北朝鮮問題や、日中関係についてあつく語る候補者は少ない。唯一平和が一番!の鳥飼謙二のみ。
外交は票にならないのがこの国のこれまでの選挙結果で戦術に組み込まれている選挙の知恵らしい。
「外交を政争の具にすべきでない」
という愚かしい選挙民である。
昨日のNHKの「明日をよむ」でも先ほどの筑紫哲也との国際政治学者添谷慶大教授、東大教授との対談。
そこでも話題にも上らないロシア・プーチンとの11月の北方領土返還の問題に現れている。
どうなってるこの国!
何が郵政だ!それどころではなかろう。
国政選挙を井戸端選挙にすな!
国益とはなにぞ!
エネルギー問題に全てが収斂される。
師匠の力作メールには感動!
いずれ紹介しましょう。
エネルギー問題の解決なくしてこの国の未来はない。
ポーツマス100年は何を教えているのか。
何も民族の血を覚醒するわけではないがあのときの再現でプーチンとの話に望む国策が必要であるが小泉政治に外交は望めまい。拉致問題も途中で放り投げのワン・フレーズの小泉劇場でしかない。
睡眠時間を割き書いてます。
泣くな!男だろ!(笑い)本音かも?
ブログ順位引き上げにご協力をお願いいたします。
マウス・でクリックするだけ!
九州地区ネットランキング参加!
マウス・クリック!よろしく
お願いいたします。
↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?1135184
↑ ↑
今日もワン・クリック
有難うございます。