さくら
2004年3月26日この桜の季節程、わが国が、南北に長い国土であることを自覚させられることは無いであろう。
特に今年は、いつもの春より南に長い列島を否応無く自覚させられる。
この列島の最南端の尖閣列島(5島からなる)の魚釣島。
24日不法入国者は強制送還の早い処置でほほかぶりの問題も惹起したからだ。
慌てて地図を取り出し確認。あの大陸棚の地下資源でもめた昭和46年ごろを思い出す。
新左翼とりわけ運動目標を変えつつあった中核派は革マル派との違いを強調するプロパガンダ的に
尖閣問題を取り組んだ。
記憶は途絶・甦り時節は回る。・・尖閣が鮮烈デビューである。
桜に富士は今が一番美しい日本の誇る地球の風景。
何故、桜の咲くこの季節が・・桜はわかるが・・
其れはこうだ。
不思議なことに富士山の雪は春が一番多いとの事である。
あの富士の白い優美な輪郭がより冴え渡るからである。
世界遺産にならず残念であるが、
17日だったか「桜はまだかいな」と書いたら、翌日、福岡、宇和島で開花宣言が出た。
その後の異常なる低温が昨日25日まで続いた。
久々の宮崎晴れの日に遅まきながらの開花宣言が出た。
昨年より3日遅い。
かって詩人は・・・花の命はは短くてと苦しきことのみ多かりきと
惜しんだが地球環境まで思索をめぐらしたものか。
開花期間は地球環境におおいに関係がある。
平成元年14℃の平均温度のときは14日
平成10年は平均温度21℃で4日の命であった。
花下しがふり散ることなく、花嵐が遅く来るようにこの季節を楽しみたい。
わが民族がこんなに花を愛でるのは、農耕民族の証左であろう。
先週西都は田植えを終えた。
シーガイア付近のにあるAPA近辺の田んぼもこの2〜3日で早苗がそろい
瑞穂の国の風景に変わる躍動の季節である。
いまの生き方には好むと好まざるとにかかわらず都会の文明がのしかかっている。
250万人がよんだ19歳、20歳花のコンビの芥川賞。
「蛇にピアス」金原ひとみ「蹴りたい背中」綿矢りさの言葉使いの技はみとめるが、
内容テーマがいまいちわからない。
はっきり言おう。若い世代なにやってんだ!の一言。
金原ひとみさんの自傷癖、高校生で男と同棲・・
今では、大学を出て、社会人となった娘のいる身ではこれもつらい。
娘の耳のピアスのときには、陰湿なる戦い大喧嘩であった。
このような2作品の空虚な内容には、まじめ世代はつらい。
尤も太陽の季節の石原慎太郎の前例もある。
芸術家は早熟で、将来を見据えている。
一万円稼ぐのがどれだけのものか。バイトでもして社会参加せよ。
茶髪に、リスカ(リスト・カット)耳に穴あけ、体に彫り物・・
身体髪膚これを父母より受く。毀傷せざるは考の始なり。
との考経の教えは通じないらしい。
なにおかいわんやである。
似て非なることで5肢に不可抗力の力が加わったのは6歳のときの花の頃。
農作業のときであった。傷の多さは心の叫び、悲鳴である。
「生きる」ことは食えることの裏返しそのものであった。
農家育ちで幼少の砌から大人と同じの労働力。
牛馬を使い、田んぼ、遠い畑を管理し、責任を持って、あてがわれていた。
田畑を維持する自然との格闘は壮絶であった。
雑草の生命力にはひたすら脱帽。
諦めながらも、果敢に挑戦せねばならぬ大人の社会を一人学んだ。
川やみぞ、には、タンパク源たる魚の郡泳。
山には、グミ、すいすいぼい、さどがら。
食に貧しい時代だが、野山に食べ物があった。
自然に中で精神は痛まず必死で生きた。
この2作品に横たわる都会で暮らす傷ついた精神。
才能ある書き手の2人は読了であろうか。
確かに耽美で妖に、谷崎潤一郎は「刺青」を作品にしたが
其れは、確固たる文壇での地位評価を得てのことであった。
多感な青春期、脳みそたる人間の骨格を作る貴重な時間。
かって、若者よからだ鍛えておけと歌い、進路がわからず
孤独と周囲との違和感で追い詰められていく
虚無感、憧れと違和感の不安定な精神状況。
バブル期に幼児体験した鎖を引きずっているのであろう。
全てが煩わしく、虚しい社会は閉塞感が多すぎる。
厳しく生きてきた私ども世代からすれば、
自分で創らぬ、・稼ごうとしないのが、なまっちょろい。
そこで、農耕民族の歴史が、この時期の生活習慣たる花見に紐解くカギがあると考える。。
古くをたずねて新しきを知る。水を飲むときは井戸を掘った人を知れである。
記録では812年の、弘仁3年京都の神泉苑での花見が最古である。
貴族社会のことであり、まだ梅花の宴が盛んであったろう。
稲作民族は山桜の開花で田植えの時期を悟った。
豊作を祈願しささやかな宴を張った。
江戸で暮らす都民は庶民の生活の向上も少しすすみ花見に繰り出した。
これらが収斂されたのがお花見ではなかろうか。
江戸の半ばに今日の形の花見のその起源を求めていいだろう。
落語の「長屋の花見」で庶民の花見の状況がライブ状態で楽しめる。
勿論、この噺は明治より延々続く滑稽落語、柳派の5代目小さんに限る。
3代目小さんは漱石も熱中した名人芸。
その師匠2代目小さんは明治初期から中期に活躍した宮崎の人。
内藤藩たる日向延岡の武士で大藤楽三郎である。
よって「目黒のサンマ」とか「笠碁」(庶民は将棋で武士は碁)が得意であった。
いまの、新宿末広亭、上野鈴本、浅草、池袋演芸場にみられる寄席落語を創った。
連続5日とかででやっていたのを、その日完結噺にした。
「今日のところはこれにて・・・」にその名残りを感ずる。
郡花、飲食、群集がお花見の三要素。とはよく言ったものだ。
11世紀に稲作を技術化した琉球王朝。
その沖縄には本土の花見の状況が無いという。
お花見の無い唯一の県である。
それが、沖縄人の最も多いブラジルではお花見をやっている
シラハタ日本文化センター所長の話である。
西都原の菜の花は、24日の朝NHKで全国に放送された。
若夏の季節、花糸菜列島・・・
森羅万象に美を見いだせるのはわれらの民族のみであろう。
モノノフのごとく、這いずり回って生き抜く庶民のごとく
さぁ!花を愛で、酒を酌み交わそう。
花は桜、人は武士
若きものと老いたるものが交流できるお花見。
新しき皮袋には新しき酒を盛れ!
洋の東西を問わず先哲の知恵の格言は存する。
「さくら」は大宮高校1年生の横山葵さんの文芸社より出てる作品。
人の心の驥尾をうつにはまだ、修練を要するようであるが、早いタッチストーリー運びはいい。
おじいちゃんたちとの2世代生活が心を豊かにしてくれるであろう。
ニワトリを飼うなど昔の生活も欲しい。
地球に優しい生き方をしておられる方の3,2KWの太陽光発電所のご家族さん。
わが国の太陽光発電推進策は家庭用10kw以下のNEFと産業用の10KW以上のNEDOがある。
3月 日福岡での講習を生かすべく三菱に10KWを計画してもらうこととした。
きよう始めて、すぐに話は進んだ。4月5日に間に合わせる事に。
1月より何してた!大阪とは、話を決めていたのに・・・
パソコンの納入についてもそうだ。
支払い方法をめぐり、夕方出向く羽目で前金で解決である。
一体なにやっちょる!
毎日お花見気分ではどうにもならない。
能天気な熊さんはホントらくでいいわ〜。
APAにも満開の日がきて欲しい。
ひたすら、信用の苗を植えつけるだけである。
桜…
特に今年は、いつもの春より南に長い列島を否応無く自覚させられる。
この列島の最南端の尖閣列島(5島からなる)の魚釣島。
24日不法入国者は強制送還の早い処置でほほかぶりの問題も惹起したからだ。
慌てて地図を取り出し確認。あの大陸棚の地下資源でもめた昭和46年ごろを思い出す。
新左翼とりわけ運動目標を変えつつあった中核派は革マル派との違いを強調するプロパガンダ的に
尖閣問題を取り組んだ。
記憶は途絶・甦り時節は回る。・・尖閣が鮮烈デビューである。
桜に富士は今が一番美しい日本の誇る地球の風景。
何故、桜の咲くこの季節が・・桜はわかるが・・
其れはこうだ。
不思議なことに富士山の雪は春が一番多いとの事である。
あの富士の白い優美な輪郭がより冴え渡るからである。
世界遺産にならず残念であるが、
17日だったか「桜はまだかいな」と書いたら、翌日、福岡、宇和島で開花宣言が出た。
その後の異常なる低温が昨日25日まで続いた。
久々の宮崎晴れの日に遅まきながらの開花宣言が出た。
昨年より3日遅い。
かって詩人は・・・花の命はは短くてと苦しきことのみ多かりきと
惜しんだが地球環境まで思索をめぐらしたものか。
開花期間は地球環境におおいに関係がある。
平成元年14℃の平均温度のときは14日
平成10年は平均温度21℃で4日の命であった。
花下しがふり散ることなく、花嵐が遅く来るようにこの季節を楽しみたい。
わが民族がこんなに花を愛でるのは、農耕民族の証左であろう。
先週西都は田植えを終えた。
シーガイア付近のにあるAPA近辺の田んぼもこの2〜3日で早苗がそろい
瑞穂の国の風景に変わる躍動の季節である。
いまの生き方には好むと好まざるとにかかわらず都会の文明がのしかかっている。
250万人がよんだ19歳、20歳花のコンビの芥川賞。
「蛇にピアス」金原ひとみ「蹴りたい背中」綿矢りさの言葉使いの技はみとめるが、
内容テーマがいまいちわからない。
はっきり言おう。若い世代なにやってんだ!の一言。
金原ひとみさんの自傷癖、高校生で男と同棲・・
今では、大学を出て、社会人となった娘のいる身ではこれもつらい。
娘の耳のピアスのときには、陰湿なる戦い大喧嘩であった。
このような2作品の空虚な内容には、まじめ世代はつらい。
尤も太陽の季節の石原慎太郎の前例もある。
芸術家は早熟で、将来を見据えている。
一万円稼ぐのがどれだけのものか。バイトでもして社会参加せよ。
茶髪に、リスカ(リスト・カット)耳に穴あけ、体に彫り物・・
身体髪膚これを父母より受く。毀傷せざるは考の始なり。
との考経の教えは通じないらしい。
なにおかいわんやである。
似て非なることで5肢に不可抗力の力が加わったのは6歳のときの花の頃。
農作業のときであった。傷の多さは心の叫び、悲鳴である。
「生きる」ことは食えることの裏返しそのものであった。
農家育ちで幼少の砌から大人と同じの労働力。
牛馬を使い、田んぼ、遠い畑を管理し、責任を持って、あてがわれていた。
田畑を維持する自然との格闘は壮絶であった。
雑草の生命力にはひたすら脱帽。
諦めながらも、果敢に挑戦せねばならぬ大人の社会を一人学んだ。
川やみぞ、には、タンパク源たる魚の郡泳。
山には、グミ、すいすいぼい、さどがら。
食に貧しい時代だが、野山に食べ物があった。
自然に中で精神は痛まず必死で生きた。
この2作品に横たわる都会で暮らす傷ついた精神。
才能ある書き手の2人は読了であろうか。
確かに耽美で妖に、谷崎潤一郎は「刺青」を作品にしたが
其れは、確固たる文壇での地位評価を得てのことであった。
多感な青春期、脳みそたる人間の骨格を作る貴重な時間。
かって、若者よからだ鍛えておけと歌い、進路がわからず
孤独と周囲との違和感で追い詰められていく
虚無感、憧れと違和感の不安定な精神状況。
バブル期に幼児体験した鎖を引きずっているのであろう。
全てが煩わしく、虚しい社会は閉塞感が多すぎる。
厳しく生きてきた私ども世代からすれば、
自分で創らぬ、・稼ごうとしないのが、なまっちょろい。
そこで、農耕民族の歴史が、この時期の生活習慣たる花見に紐解くカギがあると考える。。
古くをたずねて新しきを知る。水を飲むときは井戸を掘った人を知れである。
記録では812年の、弘仁3年京都の神泉苑での花見が最古である。
貴族社会のことであり、まだ梅花の宴が盛んであったろう。
稲作民族は山桜の開花で田植えの時期を悟った。
豊作を祈願しささやかな宴を張った。
江戸で暮らす都民は庶民の生活の向上も少しすすみ花見に繰り出した。
これらが収斂されたのがお花見ではなかろうか。
江戸の半ばに今日の形の花見のその起源を求めていいだろう。
落語の「長屋の花見」で庶民の花見の状況がライブ状態で楽しめる。
勿論、この噺は明治より延々続く滑稽落語、柳派の5代目小さんに限る。
3代目小さんは漱石も熱中した名人芸。
その師匠2代目小さんは明治初期から中期に活躍した宮崎の人。
内藤藩たる日向延岡の武士で大藤楽三郎である。
よって「目黒のサンマ」とか「笠碁」(庶民は将棋で武士は碁)が得意であった。
いまの、新宿末広亭、上野鈴本、浅草、池袋演芸場にみられる寄席落語を創った。
連続5日とかででやっていたのを、その日完結噺にした。
「今日のところはこれにて・・・」にその名残りを感ずる。
郡花、飲食、群集がお花見の三要素。とはよく言ったものだ。
11世紀に稲作を技術化した琉球王朝。
その沖縄には本土の花見の状況が無いという。
お花見の無い唯一の県である。
それが、沖縄人の最も多いブラジルではお花見をやっている
シラハタ日本文化センター所長の話である。
西都原の菜の花は、24日の朝NHKで全国に放送された。
若夏の季節、花糸菜列島・・・
森羅万象に美を見いだせるのはわれらの民族のみであろう。
モノノフのごとく、這いずり回って生き抜く庶民のごとく
さぁ!花を愛で、酒を酌み交わそう。
花は桜、人は武士
若きものと老いたるものが交流できるお花見。
新しき皮袋には新しき酒を盛れ!
洋の東西を問わず先哲の知恵の格言は存する。
「さくら」は大宮高校1年生の横山葵さんの文芸社より出てる作品。
人の心の驥尾をうつにはまだ、修練を要するようであるが、早いタッチストーリー運びはいい。
おじいちゃんたちとの2世代生活が心を豊かにしてくれるであろう。
ニワトリを飼うなど昔の生活も欲しい。
地球に優しい生き方をしておられる方の3,2KWの太陽光発電所のご家族さん。
わが国の太陽光発電推進策は家庭用10kw以下のNEFと産業用の10KW以上のNEDOがある。
3月 日福岡での講習を生かすべく三菱に10KWを計画してもらうこととした。
きよう始めて、すぐに話は進んだ。4月5日に間に合わせる事に。
1月より何してた!大阪とは、話を決めていたのに・・・
パソコンの納入についてもそうだ。
支払い方法をめぐり、夕方出向く羽目で前金で解決である。
一体なにやっちょる!
毎日お花見気分ではどうにもならない。
能天気な熊さんはホントらくでいいわ〜。
APAにも満開の日がきて欲しい。
ひたすら、信用の苗を植えつけるだけである。
桜…