兄・・追憶・未来
2004年3月22日兄・記憶・・未来
早朝西の事務所で新築の太陽光発電、電機温水器の仕事をいただくために打ち合わせ。
その後、西都のジョイフルで先輩と協議をしていると携帯が鳴る。
数年ぶりの兄からの電話である。この手法しかなかったのであろう。
片言の会話の中、走馬灯のようにめぐる一瞬の歴史になった過去が甦る。
慟哭の瞬間。辺りかまわず、目頭を溢れくるものがとまらない。
末っ子たる小生の数いる兄貴のなか、真の親たるこの兄貴には恩の限りを受けている。
どうもこの先輩には、先日の新富の青春期の仕事の先輩の位牌、の前といい
、見苦しい場面に遭遇されお恥ずかしい次第である。
・・・・・・
・・・・・・
籾1表も運べるほどの頑丈たる自転車での通学の頃は初恋の時期でもある。、
既にドロップ・ハンドルたる軽快車が世に見え始めていた。
この兄、職人の修行中で金には無縁のはずなのにナショナルの自転車を買ってくれた、
68年ビートルズは世界のリズムを変え、羽田に来た。
昨日他界した、いかりや長助率いるドリフターズが長い時間前座を務めた。
喚く友達の仲私は無興味であった。が他方兄のプレゼントのエレキのリードギターをもつ矛盾。
人生に悩みぬく陰鬱たる日々であった。
4作でこの世を去ったジェームス・デーンの「理由なき反抗」の父の愛、将来への不安の主人公そのもの。
芥川龍之介は戦時化する世の中と自分の作品を見据え
「ボンヤリととした不安」で才能を昇華した。
ボウ弱無人ぶりは筆舌に尽くしがたし。
夜中の12時からのデンプン粉詰め、5時から新聞配達。
学生服でタバコを咥えての西都・三財のパチンコ・ホールの鶴亀ホールである。
そのころは今のパチンコは創造もできない代物。チュウリップのみで一個ずつ指でいれる程度のもの。
あさの11時頃であったであろうか。
その私の長い髪を引きずり、僅かにしかいらないその頃のドル箱をブッツける奴。
少しいたお客さんもかまわずの乱暴者、?
何も言わずそのまま立ち去った。
それが薬になったかは、知らないが、荒れていた私の青春生活の鮮明な記憶がある
多感な高校生。青春の光と影が強すぎる。
、下駄履き、黒ズボンの足口は30センチ。
サイドの割れ目の中には赤い布が見える。首までたれる長髪。
柴田翔、の「青春の挫折」や高橋和巳の「憂愁なる党派」などの政治文学に耽美するそのかげて
資本論に一人静にとりくむ革命家レーニンの心境である。
煩悶、まるでわからぬ。何故4巻のうち剰余価値が一巻にあるのか。
それで読破できないのである。4巻から読むべきであった。
山川均、高畑素之はどのように読んだのか、
宇野弘蔵その学派も知らずの経済の著作に取り組んだものである。
その頃はまだ、九州大学の教授向坂逸郎は知らない。
もちろん自宅の杉並の世界一の経済書のトーチカ図書館など知らない。
明治維新をめぐる考え方により労農派と講座派なる思考の差を熟慮した。
岩波と他に分かれての論戦はマル経の研究を世界一にたかめた。
地代論争、利潤論、・・・経済的基盤の崩壊が明治維新を生み出した。
米帝資本の日本資本の従属か、自立し、ひとり立ちした日本国家独占資本の資本主義なのか。
そこからくる、社会改革の相手たる運動論の違い。
社会党と共産党の違いをめぐり、必死で生きた。
最高学府たる東大は入試さえできない学園紛争。
フランスからの青春の正義の風が吹き荒れた。
その改革の風はモンパルナスの丘の芸術の香りでなく
カルチェラタンのセーヌ川交じりの重いものであった。
新聞配達の影での赤旗配達は既に教師にも知れていたらしい。
早熟な中、高校生であった。
社会人となり、延岡で入院中の私を見舞ってくれたのもこの兄であった。
浅間山荘にたちこもる連合赤軍の終焉で息切れしながらであった。
遠隔恋愛はどうもならない結末になろうとは思えぬ程
順調であったとの錯覚が招いた最大の悲劇。順風満帆のなかの一風の爽風。
ドン底の現在の悲劇はどうして起こったか。
あまりもの人の良さ、性格であろうか。
人を疑わぬ、幼児そのものの未熟な社会観。
それが、怨念、恨み、報復、テロの理解者では仕方ない。
相憂いながらも逆転の人生ドラマは見えてこない。
振り向くな!ふりむくな!前にしか未来はない!
どうにかなるさ〜♪
・・・・・
♪ケセラ〜セラ〜
・・・・・・・
・・・・
佐土原に契約書を返し、紹介の方を訪ねる。
5年前の太陽光発電を検討されたお客さんのようである。
青年社長と暖簾に腕押しの惚け専門官とまたもやの議論。
何時ものごとくで埒が明かぬ。
社員としてのモラルとは、なんぞや。
稼ぐ、仕事をする。言わずもがなのことが理解できないでいる低レベル。
いつまでこの収益構造を経営構造を許しえるのか!
現状維持ほど楽なものは無い。改革なくして成長なし
、
経営に胡坐をかいていては収益の改善はありえない。
将来を見越しての経営改革。
さ〜てがんばられるや。
問題の山済みで消化がやっと。
福岡の照明には追加があり、赤字になりそう。
とかく女はやり手が多い。
この手の人とは仕事が進まぬ。
次なる社長候補は女の人がいいのかもしれない。
APAの地球に優しいのキャッチフレーズに丁度良い。
感情が前に出てやりずらいが仕方ないか。
日本の状況打開とAPAの状況は八方塞りの閉塞性で似通っている。
女性の登用な〜 。苦手である。
大学卒の女性比率
フランス58
米国・・57
英国・・55
OECD・・55
ドイツ・48
韓国・・47
日本・・39
(OESD教育に関する調査)
修士課程25パーセント博士課程23パーセントでいずれをみても最低である。
短大の数字が突出しているのかもしれない。即戦力を求めるいかにも日本らしい数字である。
早朝西の事務所で新築の太陽光発電、電機温水器の仕事をいただくために打ち合わせ。
その後、西都のジョイフルで先輩と協議をしていると携帯が鳴る。
数年ぶりの兄からの電話である。この手法しかなかったのであろう。
片言の会話の中、走馬灯のようにめぐる一瞬の歴史になった過去が甦る。
慟哭の瞬間。辺りかまわず、目頭を溢れくるものがとまらない。
末っ子たる小生の数いる兄貴のなか、真の親たるこの兄貴には恩の限りを受けている。
どうもこの先輩には、先日の新富の青春期の仕事の先輩の位牌、の前といい
、見苦しい場面に遭遇されお恥ずかしい次第である。
・・・・・・
・・・・・・
籾1表も運べるほどの頑丈たる自転車での通学の頃は初恋の時期でもある。、
既にドロップ・ハンドルたる軽快車が世に見え始めていた。
この兄、職人の修行中で金には無縁のはずなのにナショナルの自転車を買ってくれた、
68年ビートルズは世界のリズムを変え、羽田に来た。
昨日他界した、いかりや長助率いるドリフターズが長い時間前座を務めた。
喚く友達の仲私は無興味であった。が他方兄のプレゼントのエレキのリードギターをもつ矛盾。
人生に悩みぬく陰鬱たる日々であった。
4作でこの世を去ったジェームス・デーンの「理由なき反抗」の父の愛、将来への不安の主人公そのもの。
芥川龍之介は戦時化する世の中と自分の作品を見据え
「ボンヤリととした不安」で才能を昇華した。
ボウ弱無人ぶりは筆舌に尽くしがたし。
夜中の12時からのデンプン粉詰め、5時から新聞配達。
学生服でタバコを咥えての西都・三財のパチンコ・ホールの鶴亀ホールである。
そのころは今のパチンコは創造もできない代物。チュウリップのみで一個ずつ指でいれる程度のもの。
あさの11時頃であったであろうか。
その私の長い髪を引きずり、僅かにしかいらないその頃のドル箱をブッツける奴。
少しいたお客さんもかまわずの乱暴者、?
何も言わずそのまま立ち去った。
それが薬になったかは、知らないが、荒れていた私の青春生活の鮮明な記憶がある
多感な高校生。青春の光と影が強すぎる。
、下駄履き、黒ズボンの足口は30センチ。
サイドの割れ目の中には赤い布が見える。首までたれる長髪。
柴田翔、の「青春の挫折」や高橋和巳の「憂愁なる党派」などの政治文学に耽美するそのかげて
資本論に一人静にとりくむ革命家レーニンの心境である。
煩悶、まるでわからぬ。何故4巻のうち剰余価値が一巻にあるのか。
それで読破できないのである。4巻から読むべきであった。
山川均、高畑素之はどのように読んだのか、
宇野弘蔵その学派も知らずの経済の著作に取り組んだものである。
その頃はまだ、九州大学の教授向坂逸郎は知らない。
もちろん自宅の杉並の世界一の経済書のトーチカ図書館など知らない。
明治維新をめぐる考え方により労農派と講座派なる思考の差を熟慮した。
岩波と他に分かれての論戦はマル経の研究を世界一にたかめた。
地代論争、利潤論、・・・経済的基盤の崩壊が明治維新を生み出した。
米帝資本の日本資本の従属か、自立し、ひとり立ちした日本国家独占資本の資本主義なのか。
そこからくる、社会改革の相手たる運動論の違い。
社会党と共産党の違いをめぐり、必死で生きた。
最高学府たる東大は入試さえできない学園紛争。
フランスからの青春の正義の風が吹き荒れた。
その改革の風はモンパルナスの丘の芸術の香りでなく
カルチェラタンのセーヌ川交じりの重いものであった。
新聞配達の影での赤旗配達は既に教師にも知れていたらしい。
早熟な中、高校生であった。
社会人となり、延岡で入院中の私を見舞ってくれたのもこの兄であった。
浅間山荘にたちこもる連合赤軍の終焉で息切れしながらであった。
遠隔恋愛はどうもならない結末になろうとは思えぬ程
順調であったとの錯覚が招いた最大の悲劇。順風満帆のなかの一風の爽風。
ドン底の現在の悲劇はどうして起こったか。
あまりもの人の良さ、性格であろうか。
人を疑わぬ、幼児そのものの未熟な社会観。
それが、怨念、恨み、報復、テロの理解者では仕方ない。
相憂いながらも逆転の人生ドラマは見えてこない。
振り向くな!ふりむくな!前にしか未来はない!
どうにかなるさ〜♪
・・・・・
♪ケセラ〜セラ〜
・・・・・・・
・・・・
佐土原に契約書を返し、紹介の方を訪ねる。
5年前の太陽光発電を検討されたお客さんのようである。
青年社長と暖簾に腕押しの惚け専門官とまたもやの議論。
何時ものごとくで埒が明かぬ。
社員としてのモラルとは、なんぞや。
稼ぐ、仕事をする。言わずもがなのことが理解できないでいる低レベル。
いつまでこの収益構造を経営構造を許しえるのか!
現状維持ほど楽なものは無い。改革なくして成長なし
、
経営に胡坐をかいていては収益の改善はありえない。
将来を見越しての経営改革。
さ〜てがんばられるや。
問題の山済みで消化がやっと。
福岡の照明には追加があり、赤字になりそう。
とかく女はやり手が多い。
この手の人とは仕事が進まぬ。
次なる社長候補は女の人がいいのかもしれない。
APAの地球に優しいのキャッチフレーズに丁度良い。
感情が前に出てやりずらいが仕方ないか。
日本の状況打開とAPAの状況は八方塞りの閉塞性で似通っている。
女性の登用な〜 。苦手である。
大学卒の女性比率
フランス58
米国・・57
英国・・55
OECD・・55
ドイツ・48
韓国・・47
日本・・39
(OESD教育に関する調査)
修士課程25パーセント博士課程23パーセントでいずれをみても最低である。
短大の数字が突出しているのかもしれない。即戦力を求めるいかにも日本らしい数字である。