今日の誕生日の花は・・・・アキノタムラソウ
花ことばは・・・・・・自然のままのあなたが好き

シソ科の野草ですが,学名は「日本のサルビア」サルビアと同属
そういえば・・・
写真はコチラ↓
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/akino-tamurasou.html
下ではマツムシソウが鳴いていそう
♪チンチロチンチロチンチロリンああ、面白い虫の声♪
この二三日夜風が涼しくなってきた。
 よく飲みて帰宅
「おーい帰ったぞー」
古き良き時代の夫婦の情
虫の音だけのよる。


蟲の戸を 叩けば妻の 灯がともる


菅直人政権が続く。
政権の陣容でゴタゴタのようだが菅のいつものこと。
人事に代わり映えは持てない。
実際の総理たる仙石が官房長官を辞めるはずがない。
一晩のトロイカ体制は仙石降ろしであったゆえのこと。

管政権には国民の慈父の信念、矜持がない。
演説を対比して松尾流に言うなら・・・

小沢は引き算一杯言いたいことがありすぎ削りながらの最後の演説
菅は主張がないゆえ足し算。何か過去から探し出しての最後の演説。

この国の地方政治の改革に実務として最初に取り組んだのは「脱ダム宣言」の
田中康夫長野知事をあげるに異論はなかろう。
旧弊の利権構造に手を突っ込んで6年間孤立無援で地方改革に実践した。
いま名古屋川村たかし市長が孤立無援の戦いをしている。

先駆した東京都の美濃部、大阪の黒田、京都蜷川虎三 とあげられるが
国民目線の改革の実績は素晴らしいが党派的な色合いが濃く改革の手の付け方が違う。

その田中康夫代議士が9/15日刊ゲンダイに投稿され小沢一郎演説を絶賛。
エドマンド・バークに通じる哲学とまで言いきる。
この国の国会演説の戦前は斉藤反戦演説などがあげられる。
小沢一郎の演説は平成最高の演説として時代史に刻まれるんであろう。

はてその人なんですが・・・
「保守主義の父」として知られる。
エドマンド・バークに『フランス革命の省察』と二つの代表的著書があげられる。

みすず書房 から著作集が刊てて『崇高と美の観念の起原』を慌てて入手して挑戦している。
WIKIを含めて概要を記録に留めたい。

エドマンド・バーク(、1729年1月12日 - 1797年7月9日)は、英国の哲学者、政治家。
1789年7月14日のバスティーユ牢獄の襲撃がロンドンの新聞紙上に報じられた7月18日、バークは既に60歳。
あの頃ゆえ老齢。
フランス革命に否定的であった。

革命はバークの予測通りロベスピエールの恐怖政治とナポレオンの軍事独裁へと突き進んだ。
また、革命熱は3世代に亘り冷却せずサイクル的にフランスを襲うとのバークの予測も、その通り
、フランス革命熱からフランス人が覚醒したのは第三共和国憲法(1875年)の制定前後からであった。

アダム・スミスは同世代人で『国富論』の“見えざる手”なる表現をもって著名、
無駄のない・合理的な摂理としての社会のエコノミー自然の成り行きはバークにとっても重要な概念であった。

バークは、人間の文明社会は、“幾世代にわたる無意識の人間の行為”で形成されたものであっても
、人間の知力で“設計”されたものではないと考え、
“幾世代にわたる無意識の人間の行為”と“神の摂理”との共同作業において
開花し発展・成長した偉大なものが文明の社会だと把握する

日本に初めてバークを紹介したのは福岡中央区鳥飼の人・金子堅太郎=日大初代学長。
宮崎秋月藩へ遊学後昌平黌へ。日露戦争においては、アメリカに渡り日本の戦争遂行を有利にすべく外交交渉・外交工作を行い宮崎の人全権小村寿太郎を援助した。
岩倉具視欧米使節団に同行した藩主黒田長知の随行員となり、団琢磨とともにアメリカに留学してルーズベルト大統領ナゾ知己が多かったゆえ。

1881年=明治14年、金子はバークの『フランス革命の省察』と『新ウィッグから旧ウィッグへ』を抄訳
『政治論略』として元老院から刊行。
自由党のルソー主義への批判が目的。
ルソーを信奉する板垣の徒・植木枝盛は、これに対して1882年、論文「勃爾咢(ボルク)ヲ殺ス」により反論。http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20100902-OYT1T00394.htm

井上毅は、この金子のバーク抄訳を読みバークに感動し、金子を伊藤博文の秘書官に任用して、明治憲法の起草に参画させた。
こうして、バークは明治憲法に影響している。

ただ明治憲法の運用は、上からの近代化を強力に推し進めるためドイツ法を範にされることになった。
その後東大法学部がドイツ憲法学に主軸をおきイギリス憲法学を排除したことによって、
コークやウィリアム・ブラックストンとともにバークも東大のカリキュラムから排除された。
ドイツ観念論やマルクス主義が主流でバークは省みられず日の目を見るのは戦後を迎えることになる。
この国で例えるなら『武士道』の新渡戸稲造に似たるモノや。

党首選は実質仙石VS小沢であった。
東大出ドイツ流仙石VS英国信奉者小沢との視点で見ると国家間の対立はかなり根深い。
この観点からの論評はない。

ロンドンとミュンヘンなどドイツの各都市に行けば解ること。
ドイツ各都市駅近辺をブラブラしてると若者が話しかける。「ドイツ語話せる?」会話を求めてくる。
ロンドンではパブでさえ黒人たる日本人は無視。
ロンドン、パリ車はボコボコ。
ワックス産業はないんだろうか?。ピッカピカはない。
ドイツではピカピカワックスが効いている。
ロンドンパリは赤信号であろうと本人任せ。
ドイツ都市では赤信号変更を待つ。
気性があっているんだろうか。
ビスマルク憲法が成立するわけだ。
明治政府からさせられたとでも言おうか。

[田中康夫 にっぽん改国] 後世に遺るべき哲学と覚悟を見た 9/15日刊ゲンダイ


「お集まりの皆様、そして国民の皆様、小澤一郎で御座います」

と語り始めた、投票直前の決意表明こそは、
18世紀の政治家にして思索家のエドマンド・バークに通じる哲学と覚悟です。

「思い起こせば、私は27歳で衆議院議員に初めて立候補した際、選挙公報にこう綴りました。『このままでは日本の行く末は暗澹たるものになる。こうした弊害を無くす為、先ず官僚政治を打破し、政策決定を政治家の手に取り戻さなければならない』と。意志無き政治の行き着く先には国の滅亡しかありません」。「私は官僚無用論を言っている訳ではありません。……
問題は政治家が、その官僚をスタッフとして使いこなし、政治家が自分の責任で政策の決定と執行の責任を負えるかどうかという事であります」。
と述べた後に、
「私は40代で偶(たま)々(たま)、国務大臣、自民党幹事長に就任するという機会が有り、国家はどう運営されているのか、その実態を権力の中枢で悉(つぶさ)に見続けて参りました。
そこで見た官僚主導の、例えば予算作りでは、各省のシェアが十年一日の如く、殆(ほとん)ど変わる事がありませんでした。官僚組織というのは、そういうものであります」
と述懐します。
2つの職務を「知事」に、そして官僚を「役人」に置き換えたなら、無論、彼の心智には及びも付かぬとは言え、僕が在任6年間、日々、痛感していた葛藤です。而(しか)して、以下の一文に改めて、日本のバークたる小澤一郎を感じたのです。

「私には夢が有ります。
役所が企画した、丸で金太郎飴の様な街ではなく、地域の特色に合った街作りの中で、お年寄りも小さな子供達も近所の人も、お互いが絆で結ばれて助け合う社会。青空や広い海、野山に囲まれた田園と大勢の人達が集う都市が調和を保ち、何処でも一家団(だん)欒(らん)の姿が見られる日本。
その一方で個人個人が自らの意見を持ち、諸外国とも堂々と渡り合う自律した国家日本。
そのような日本に創り直したいというのが、私の夢であります」。

フランス革命を否定した保守政治家、と日本では浅薄に「評価」され勝ちなバークは実は、人々の革命への要求を先取りするような、
その結果、人々が革命など必要としなくなるような賢明な政治こそ抱くべき矜恃、と看破していました。
とまれ、「記者クラブ」メディアの中で何故か産経新聞のみが全文をウェブ掲載する決意表明は、後世に遺るべき哲学と覚悟の作品なのです。


奇しくも植草ブログにも小沢演説がアップされている。


日本人は千年以上前から共生の知恵として、和の文化を築きました。われわれには共生の理念と政策を世界に発信できる能力と資格が十分にあります。
誰にもチャンスとぬくもりがある、豊かな日本を作るために、自立した国民から選ばれた自立した政治家が自らの見識と自らの責任で政策を決定し実行に移さなければなりません。
 
 そして、霞ヶ関で集中している権限と財源を地方に解き放ち、国民の手に取り戻さなければなりません。
そのため、国のひも付き補助金を順次すべて地方への一括交付金に改めます。
これにより、地方では自主的な町作りやインフラ整備が可能になります。国、地方を通じた大きな節約効果と、そして地域経済の活性化が期待できます。
また、地域での雇用が生み出され、若者がふるさとに帰り、仕事に就くこともできるようになります。
 
 国民の皆さんにご負担をお願いするのは、ここにいる皆さんがありとあらゆる知恵を絞って、できることすべてに取り組んでからでいいはずであります。
そしてそれが、昨年の総選挙で民主党と国民との約束でなかったでしょうか。
 
 官僚依存の政治に逆戻りさせるわけにはいきません。
それはとりもなおさず、政治の歴史を20世紀に後戻りさせることになるからであります。
私は代表になってもできないことはできないと正直に言うつもりであります。
しかし、約束したことは必ず守ります。
 
 こう断言できるのは官僚の壁を突破して、国民の生活が第一の政治を実行するのは、最後は政治家の志であり、改革のきずなで結ばれている皆さんとなら、長い時代の壁を突破できると信じるからであります。
そして私自身は、民主党の代表すなわち国の最終責任者として、すべての責任を取る覚悟があります。
  
 明治維新の偉業を達成するまでに多くの志を持った人たちの命が失われました。
また、わが民主党においても、昨年の政権交代をみることなく、志半ばで亡くなった同志もおります。
このことに思いをはせるとき、私は自らの政治生命の総決算として最後のご奉公をする決意であります。
そして同志の皆さんとともに、日本を官僚の国から国民の国へ立て直し、次の世代にたいまつを引き継ぎたいと思います。」

「私には夢がある」
小沢一郎氏 2010年9月14日

「日本改造計画」では、小沢は尊敬する政治家として、
大久保利通、伊藤博文、原敬、吉田茂の四人を挙げる。

そしてそのうちの三人が暗殺され、
吉田茂もボロボロなまでに批判されながら、世を去る
といった事実も指摘している。

つまり、小沢は、歴史的な仕事をする政治家は、
常に、命の危険も伴い、激しい批判にさらされることもよく分かっていた。
だから、「自分の命をかけて」という言葉を、
小沢が口にするのは、自らの仕事の危険性を、よく自覚しているからであろう。
だから小沢一郎は、マスコミの批判ぐらいでは、動じないのである。
、菅政権については、早晩、行き詰まる。
国会運営が、そもそも立ち行かない。
亀井静香が知恵を出した。
操る仙石が乗るはずがない。

小沢包囲網に火だるま状態はつづく。
延暦八年の戦いで敗北した和人は諦めなかった。
平安京遷都の七九四年、朝廷軍は再び岩手県胆沢地方に殺到した。
兵力は公称十万。
事実だとすると、当時の日本列島の推定人口の五十分の一に及ぶ空前の動員規模だ。
アテルイの指揮下、七八九年の戦いで和人朝廷軍を撃退した先住民蝦夷(えみし)だが、
八十九人が斬首され、十四の村の八百戸が焼かれるという被害を受けたと続日本紀は記す。

小沢一郎とアテルイが似ているとしたら
1-顔が恐い(大和の人々は鬼や化物と)、
2-戦術に長け勇猛果敢、
3-戦いの相手すら尊敬するほど崇高、
4-女や子供にやさしい
、5-自らの命を顧みない、
6-野山などの自然をに畏敬の念を抱いている、・・

長引く戦火を恐れたアテルイと朋友のモレは、
征夷大将軍:坂上田村麻呂に投降し京都へ。
田村麻呂は勇猛果敢な二人の助命を朝廷に嘆願するも斬首。
二人の首塚は田村麻呂が建立に力を注いだ京都の清水寺にある。
田村麻呂は清水寺で本願として祀られている。

小沢一郎がアテルイなら朋友モレは鳩山由紀夫か。
二人は征夷大将軍の菅直人の軍門に下り朝廷政府へ。
その朝廷には仙谷、前原、野田の公家や官僚共が渦巻いていて、玉座に座るネオコン様のひと声でアテルイとモレは敢えなく斬首。恐ろしいことだ。

一度負けたふりをして相手を誘い込み、左右から完膚なきまで攻撃のアテルイ戦法。
盟友平野貞夫が、小沢一郎を、古代東北の先住民・エミシの英雄アテルイに例えたことがある。
故郷は二人とも岩手県水沢。

鳩山由紀夫ツィツターに驚くべき記述がアル。

代表選挙の応援団を見ていると、官僚出身、元アナウンサー、政経塾出身、弁護士は菅総理側が多いように思う。
一方の小沢元幹事長側には一匹狼的な議員が多い。
偶然だろうか。
私には覚悟の差のような気がしてならない

以前にはこう書いていた。

一般論として聞いてください。
メディアがある人物を
「様々な危険を想定し、警察は行動を非公開にしています」
と言いながら、その人をヘリまで使い追跡しています。
ご当人や周囲の安全が心配です。
皆さんはメディアの役割と責任をどう考えますか。

板垣英憲ブログで教えていただく


14日夕、国会内の会合で、「また一兵卒として民主党政権を成功させるために頑張ってきたい」と述べている。

この言葉に対して、マスメディアの大半が「小沢前幹事長は敗れれば、側近議員を連れて党を飛び出し、政界再編に突き進むのではないかと代表選前に流れていた憶測を打ち消した」と報じていることについて、小沢前幹事長に近い筋は、次のような、まるで真逆の解説をしている。
 「『一兵卒』というのは、『何か処遇を求められても受けない』、『米国CIAに言いなりの傀儡政権には協力せんぞ』という強いメッセージだ。
『頑張りたい』というのは、『自分なりの民主党をつくりたい』という決意表明であり、菅政権は、本来の民主党政権ではないという意味である」

 ①2010年10月に召集の臨時国会冒頭に野党が菅内閣不信任案を提出した際、賛成に回る。
 ②11月の沖縄県知事選挙の後、普天間飛行場の辺野古への移設が困難になったうえに2011年度政府予算案の年内編成が難しくなった年末。
 ③2011年春、国会での予算案審議、採決がデッドロックに乗り上げたころ。衆院解散総選挙となれば、統一地方選挙とのダブル選挙もあり得る。

米国ディビッド・ロックフェラーとその走狗たちが、民主党代表選で小沢一郎前幹事長が
党を二分する「国会議員200人から支持を集めた」という事実を突きつけられて驚愕している。
このため、デイビッド・ロックフェラーは、第5東京検察審査会に「起訴相当」の議決が出るよう動きかけているという。
小沢前幹事長抹殺に狂奔しているのだ。
ディビッド・ロックフェラーが「小沢を議員辞職に追い込め」
「小沢を刑務所にぶち込め」と手下に命令



スパモニでの鳥越修太郎
「今回の代表選で一番喜んでいるのは東京地検特捜部、特捜が一部のメディアを使って小沢、悪のイメージを作るのに成功、功を奏した…」
CM明け鳥越さんがぬいぐるみになってたらどうしよう

さんざん菅直人を応援してきた記者クラブメディアは、今日からは一斉に牙をむいてきます。
小沢一郎の次は民主党本体が攻撃対象となります。
今後ヨイショするのはみんなの党、コイズミ2号、ハシモト府知事・・・・。
霞ヶ関検察を先頭と首魁にしてメディア総体清和会・・菅支持の皆さん頑張ってね

縁あって東欧からのお客様に会った時、日本の状況を知らせたらすぐに理解していただきました。
本当に危険です。
独立にも危険を伴なう茨の道ですが、長期的に見る必要がありますね。
早く独立国にならないと、骨の髄までシャブられますね、こりゃ。
それが植民地。
旧体制派の「屈米」っぷりには呆れます

石井紘基議員が亡くなって約8年。
63箱の資料はどうなったのか。
菅総理それで勝ったんだろう
進捗状況の実際のところを知りたい。
菅・小宮山両氏は故石井紘基代議士生前の資料の調査をしてと実行の進捗は聞いてない

検察裏金疑惑を暴露しようとした三井環が「菅に相談」したら翌日にしょっ引かれ、
石井紘基議員は特別会計の事を国会で質問しようとして「菅に相談」したら翌日の朝刺殺された。
そして石井議員の資料はなくなった。

代表選が終わった直後のインタビューで一番驚いたこと。
玄葉が言ったこと。
「マニフェストの見直しもお認め頂いたということ」

菅、仙谷、枝野らは、権力奪取の過程では、
小沢の現実路線にのっかっておきながら、
いざ権力を奪取すると、「政治とカネ」だとして、
後ろから仲間を鉄砲で撃つようなことをする

<拡散>代表選『党員&サポーター票結果詳細』 
各地域の有権者-投票数=棄権数に注目!
   http://ow.ly/2E91P

コロコロ総理が代わるべきでないというのは見栄の問題。
総理の任にあらざる者が長く首相を務める方がはるかに問題

それに次々と総理が代わるのは国民にも責任がある。
これから日本の政治はさらに混迷に向かい、総選挙になる。
そのときは菅総理の続投を選んだ議員には責任を取ってもらう。

担ぐ御輿は軽いほうがいい。
わっしょい!

NHK16日朝4時のニュースで知った。。
 亀井が吠えた
菅内閣は官僚に使われてはダメ。
自民党ナゾ他の野党も信頼できない。
社民党と連立して衆議院再議決の議席確保が政権維持策であるべき。
国難を救う現実策。
正論である。

『北京で18日、大規模反日デモか 公安当局、異例の警戒』
反日デモは18日午前、日本大使館に近い日壇公園をはじめとする北京市内の数カ所が集合場所として設定され、いずれも日本大使館を目的地に行進することが予定されている
小泉時代に同じコトがあった。
小泉純一郎と菅直人は何故にココまで政治軌跡が似て来るんだろう。?
中国が教えている?

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