田野町。

2006年4月13日
実に奇怪なる日
大学教授をお相手に14時の約束をこともあろうに午前10時と約束をたがえ田野町内の開発区域内・巨大キャンバスに着く。
日向時間どころのさだかの沙汰ではない。
ザ〜ット20000平米を超える巨大なるキャンバスは誰もいない。熊本の竜田町の九州測量専門学校は唯一であったが
上条勝久建設大学長の肝いりでのこの誘致大学。
それも、つわものどもの夢のあとだれもいないキャンバスは異常なる光景で政治の貧困を象徴している。
もったいないの極めつけ。
この巨大キャンバスに一人居残る教授は博士号さえあるお方。
お話をしていただける名誉に浴した。
小泉改革の悲哀が出てる状況であろうや。
建設需要の激減の要素からの先行き悲観の風景なんであろう。
この過ちゆえ時間をもてあそび、昭和シェル開発の太陽光発電パネルの工場がここにあるはずで探し回るがこれがない。おかしい。
来年2月の売り出しはどうすうるんの。!
役場の方の教えていただきほかの敷地内で工場を見た。
期待のパネルやいかに。
この4月より田野町は宮崎市に編入された。
合併特例区なる真新しき看板はどうにも痛々しい。
ロビーガラスケースがひときわ目立つ。
小村寿太郎の背広。異様なるいでたちのポーツマスの旗である
桐の金糸の文様の軍服。
ひときわにぎやかのはアテネにおける長島ジャパン。!
全メンバーの成田でのサインは気迫がある。
広島カープの小さき巨人・の木村拓也はこの地の人。
アカヘル・ファンはご記憶にあろう。
2004年7,16横浜球場は歓喜に酔いしれた。
木村拓也の1000試合出場にミラクルがおきた。
9回代打でバッタ・ボックスにスックと立ったのは木村拓也その人。
神様の宿ったバットが振られると白い球は吸い込む世にスタンドを越えた。ホームランである。
血染めのグリップ記念のバットがガラスケースから田野町民にどれだけの勇気をくれたものか。
この地名物の大根のごときバットをとっくと眺められ肝に銘じられよ!。
この地で生命を受けた偉人に湯地幸平がいる。
田野町筑地原に明治3年に産声を上げ田野町一の出世を遂げた。
桐の金糸が全身を飾る軍服は権威に畏怖する台湾総督府長官の制服である。
昭和6年に63歳で逝去した。
この地田野は明治維新をやり遂げた薩摩藩領・
その歴史の皮肉を演じた人がこの人。史実はこうである。
新政府軍の壮絶なる戦いの相手は忠実なる徳川の臣、それも京都所司代として皇族を守る会津藩主
松平容保。
会津藩の悲劇は白虎隊で全てが語られよう。
薩摩軍を中心とする新政府軍は会津との戦いを終え終結としたほどである。
函館五稜郭の戦いは燃え尽きる前の命の炎の最後の高まりに過ぎなかった。
その会津福島の知事を務めたのが湯地幸平なのである。
巨大キャンバスが響いたのか夜10時に再び田野町ジョイフル
30万坪にのぼる土地資金確保のお話である。
この時間私はいったい何にやであろう。
4時過ぎに辞去しこれを書いている。
こんな時間のない生活状況でいい仕事ができるはずがない。

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