なおらい
2006年4月5日奇怪なり。実に奇怪なり。
中古パネルがついにアパデン宮崎の倉庫に収まった。
大雨の中延岡に向かう。
急展開してくれるであろうとお天道様に祈り7時30分に出発
現場9時工事着工を目指してである。
どう考えても無茶なる工程。
「ままよ。こんなこともあるわいな〜。」
かなりのひしゃくれた心境で一路延岡へ。
それが国道10号線を走らず、尾鈴山系の下の裏道を走っていると雲の状況が違ってくる。ドス黒宮崎と違い白い。
延岡のある北の方向の状況には青空さえみえ隠れする状況が生まれる。
「スワ〜ッこりゃ〜神様の思し召し!」
早速、後方宮崎に連絡して全員の参加となる。
現地を探し当てて屋根に上り、強風で吹き飛びそうの中作業。
パネルを下ろしてる隣接地の舗装ライン作業がいったりで
終了際には小雨交じりとなったりのアクシデントの中午前中には終了。
ところが帰りにはトラックの荷崩れ、前輪のパンクが加わりの
やはりお祓いををしないと家の一部となりし、ものには宿ってるものがいるようである。
ミズからが生み出したる憑き物をを呼び起こしてしまったようだ。
夜にナオライでお神酒を上げる。
大阪からのお客さんとともにである。
ところで今日の地元紙にお寒い記事
県内最大の繁華街、宮崎市の通称ニシタチを草創期から支え、老朽化で存続が取りざたされていた大衆飲食店街「安兵衛小路」が
閉鎖することが決まった。
各店舗を営む入居者たちと不動産の新オーナーとの間で4日までに話がまとまった。
49年にわたり、酔客を温かく迎えた名物横町の赤ちょうちんは28日に伝統の灯を消す。
安兵衛小路所有者と売買契約を結んだ同市内の不動産業者が昨年9月、入居6店舗に退去を通告した。
今年2月には、市内の飲食業者が新たに安兵衛小路を買い取り、存続を求めていた6店舗側の代理人弁護士と交渉。
5月に引き渡すことで合意した。跡地はテナントビルになるという。
1957(昭和32)年に開設された安兵衛小路は、昭和40年代には21店舗が入居。立ち飲みする客が出るほどにぎわい、
ニシタチの草創期を支えた。老朽化した現在は電気火災の恐れがあり、店主も60―90歳代と高齢化した。
安兵衛小路組合長の谷中洋子さん(64)は閉鎖を「時代の流れと受け止めている」と話すが、寂しさは隠し切れない様子。
6、7人で満席になる各店舗では、客が肩を寄せ合いながら談笑するのが日常だった。
谷中さんは「皆すぐに打ち解け、肩書や名前も関係なかった。心と心の通い合う場だった」と振り返る。
「泣いたり笑ったり、お客さんは神様でなく身内のような存在だった。お金でつながっていたわけじゃない」とも。
利用者の思い入れは強く、存続を望む署名には3500人以上が協力した。
「店にはお客さんのボトルがたくさん残っている。お茶のみでもいいので閉店までに顔を出してほしい」と入居6店舗は呼び掛
ける。新テナントに安兵衛小路の名前だけでも残ることが最後の希望という。
文化のわからないこの国は常にあくなき利益の追求。
どこもかしこも 金太郎飴に似た状況となろう。嘆かわしい。
アクセスカウンター111111の達成予測は8日となろう。
ブロガー若子さんに射止めていただくことになるんであろうや。
訪れていただいた皆様!
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延岡のある北の方向の状況には青空さえみえ隠れする状況が生まれる。
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閉鎖することが決まった。
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49年にわたり、酔客を温かく迎えた名物横町の赤ちょうちんは28日に伝統の灯を消す。
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今年2月には、市内の飲食業者が新たに安兵衛小路を買い取り、存続を求めていた6店舗側の代理人弁護士と交渉。
5月に引き渡すことで合意した。跡地はテナントビルになるという。
1957(昭和32)年に開設された安兵衛小路は、昭和40年代には21店舗が入居。立ち飲みする客が出るほどにぎわい、
ニシタチの草創期を支えた。老朽化した現在は電気火災の恐れがあり、店主も60―90歳代と高齢化した。
安兵衛小路組合長の谷中洋子さん(64)は閉鎖を「時代の流れと受け止めている」と話すが、寂しさは隠し切れない様子。
6、7人で満席になる各店舗では、客が肩を寄せ合いながら談笑するのが日常だった。
谷中さんは「皆すぐに打ち解け、肩書や名前も関係なかった。心と心の通い合う場だった」と振り返る。
「泣いたり笑ったり、お客さんは神様でなく身内のような存在だった。お金でつながっていたわけじゃない」とも。
利用者の思い入れは強く、存続を望む署名には3500人以上が協力した。
「店にはお客さんのボトルがたくさん残っている。お茶のみでもいいので閉店までに顔を出してほしい」と入居6店舗は呼び掛
ける。新テナントに安兵衛小路の名前だけでも残ることが最後の希望という。
文化のわからないこの国は常にあくなき利益の追求。
どこもかしこも 金太郎飴に似た状況となろう。嘆かわしい。
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