「111111」アクセスカウンターの記念することを予測した日が来た。記念すべきブログの日。射止めていただける方は誰か。ぜひご連絡いただきたい。
なんと今日は25度を越えたんだそうな。真夏日第一号。
黄砂の影響は少し感じたが風もない平穏な日であった。
NEDOの歯科医院の見積書を作るにあたり、建築申請書をお借りした。
自宅のエネルギー改善に向け現地をみる。
環境の素晴らしさは別に奥様の博学には驚いた。
「映画は見ましたよ慕情に旅情、雨に唄えばソリャー青春のころの映画は・・」
ところで時代背景からしての「カサブランカ」はよくぞできたる作品と太平洋戦争真っ只中には文化はひたすら鬼畜米英でくくられた時代の日本ゆえ驚いてたものである。
同じ頃製作のバーグマンの「誰がために鐘はなる」・「風とともに去りぬ」
ハリウッド映画全盛のころのものは私もほとんど見た。
未鑑賞は本で補って足りえさせた映画青年。
ところでニュースの伝えるところ
米脚本家組合は7日、過去の映画の中から優れた脚本101作品を選出した。
ハンフリー・ボガート、イングリッド・バーグマンが主演した「カサブランカ」(1942年、エプスタイン兄弟、ハワード・コッチ共同脚本)が1位に選ばれた。 
 2位以下は、「ゴッドファーザー」(72年)、「チャイナタウン」(74年)、「市民ケーン」(41年)が続いた。
「ゴッドファーザー」のフランシス・コッポラ、「アニー・ホール」(77年)が6位となったウディ・アレン、「サンセット大通り」(50年)が7位だったビリー・ワイルダー各氏は、それぞれ4本の自作が選出されている。
1930年以降に公開された作品を対象に、加盟する映画、テレビの脚本家たちが投票した。
監督や俳優だけでなく、脚本の重要性をアピールしようと初めて行われた。
アカデミー賞は逃したが、スピルバーグ監督の「ミュンヘン」は、テロをテーマに取り上げて論議を呼んだ。
1972年9月、ミュンヘン五輪選手村で起きたパレスチナのテロ組織「黒い9月」による襲撃事件を描いている
この映画では、イスラエルの選手団は2、3階にいたという設定だが、実際の現場は1階だったそうだ。
イスラエルは選手村のI棟を使っていたが、隣のH棟1階を香港の選手団から借りていた。そこが狙われた
H棟2階には、香港の蔡徳培(さいとくばい)コーチの部屋があった。蔡氏の記憶では、未明に1階で銃声がして目が覚めた。けんかかと思って、朝食を食べに行こうとドアを開けた。
廊下に黒いスキー帽をかぶり、顔を黒く塗った男が立っていた。軽機関銃を構えている
蔡氏は講道館九段の柔道家だ。驚いたが、とっさに
「グッドモーニング」という言葉が口から出た。
相手も「グッドモーニング」と答えた。
コミュニケーションが成立すると、張りつめた敵意が一気に下がった。
「何があったのか」「パレスチナとイスラエルの問題だ。おまえには関係ない」と男は言った
部屋に戻ると、窓の外に山のような人とカメラの望遠レンズが見えた。結局、テロリストはイスラエル選手9人を人質に空港に向かうが、その前に蔡氏は解放された。もし逃げたり、英語が通じなかったら殺されていたろう、と蔡氏は新聞紙上で回想している
とっさの言葉には、日ごろの胆力が出る。
この年代の方に信頼をいただくには全幅の人格が要る。
人の心を投影するハリウッド映画は人を鍛える。
三丁目の夕日のスタイルに似ているが平和戦争への向き合い方の違いがある。
映画のスケールの違いはそこから生じてるのである。
所詮小津映画での日本人の心の軌跡、驥尾を描きカメラワークで勝負するしかないのであろう。
こんなときはクロサワではダメである。
クロサワの重用した志村喬は青春期の人生形成期に宮崎・日之影で名優の人格を磨いた。
単調なる公務員のパワーの源を描いた「生きる」でその頃の宮崎人を見て取れる。
映画にはそれぞれの思いが込められている。

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