こころざし

2006年3月31日
高度成長期に飛躍的増えた職種はサラリーマン族であろう。
資本のおもねくまま人材は地方から都市へ流出した。
経済機構からしての収奪体制で資本の論理ある。
増殖したサラリーマン族の人気作家として源氏鶏太がいた。
東京にいる兄からの読んだ後の送付雑誌は活字に飢える田舎の少年には宝物であった
ほかに石坂洋二郎、早乙女は早乙女貢でなく、早乙女勝元
早乙女貢は曾祖父が戦前・戦中教育で逆賊・朝敵とされた会津藩士だったことから勝利者の側で書かれた歴史が矛盾に満ちたものであることで一貫して創作をしている。
早乙女勝元は平和を主題に好んで東京の下町風俗を描いた。
映画における小津安二郎作品を髣髴させるものがあった。
 江戸っ子たる勝元には江戸風景の馴染みの隅田川にかかる多くの橋のなかから、白鬚橋をとりあげて、「この橋の上から歩みをはじめた、ある貧しい恋人たちのものがたり」を美しく描いた「美しい橋」は万感迫るものがある。
源氏鶏太は「月給とは我慢料だよ」が彼の口癖だったという一節が、新聞記事にある。
雑誌編集者だった鈴木俊彦氏の著作「農と風土と作家たち」に出てくる。
昭和の初期に商業学校を卒業し、住友財閥の本拠である住友合資会社に就職する。戦後の財閥解体に伴い住友不動産の前身の新会
社に移り、総務部次長を最後に43歳で退職した。
25年のサラリーマン生活だった
なおこの住友財閥であるが、わが宮崎の人が作り上げたものである。
鈴木馬左也は宮崎県高鍋町の人。
父は高鍋藩家老秋月種節(たねよ)。母は鈴木百助の娘・久。父種節は西南戦争で西南軍を批判し旧藩倉に幽閉されて没した。
馬左也は東京帝国大学卒業後、官僚の道を歩いたが、
1896(明治29)年、住友家に招かれ、住友本店の副支配人。
1904(同37)年、第3代住友総理事となり、住友の経営を銅山を軸にして鉱業、金属工業、林業、化学工業、機械、電力、銀行、倉庫などの総合的な経営組織としてつくりあげた。
1921(大正10)年には総本店を住友合資会社にして、全事業を統括し、わが国の代表的な財閥の1つに成長させた。
高鍋には「高鍋の四哲」と慕われてる人の一人。
 水筑(みづき)家をついだ長兄弦太郎(1844〜1861)は、1867(慶応3)年、幕史に追われていた薩摩藩士を助けたことで捕らえられ、出獄後間もなく病死した。
2男黒水長平(1852〜1915)は地方の産業育成、とくに養蚕業の育成に生涯をささげ、児湯郡地方養蚕業の礎を築いた。また石井十次の活動のよき理解者でもあった。
 3男・秋月左都夫はオーストリア特命大使、教育界、読売新聞社長、京城日報社長を歴任した。その間、第一次世界大戦後のパリ講和会議では全権顧問をつとめ、太平洋戦争末期には、吉田茂らと早期の講和を図ったが、1945(昭和20)年6月戦争の行方を見ずに没した。4男が馬左也で鈴木家を継いだ。
高鍋では彼ら4兄弟を親しみをこめ「四哲」と呼んでいる。
ただ 住友総理事鈴木馬左也と源氏鶏太の接点は知る由もない。
「昔は、学歴が大きく物をいった」と源氏は書いている。
大卒ではない自分だが定年を迎えるころには課長ぐらいになりたいと思っていたとか、私がいくら一所懸命に働いても有能であっても、せいぜい係長どまりであったに違いない、などと記す。
「月給とは我慢料だよ」の背景には学歴の問題もあったのか。
経理担当が長かったが、日々の仕事を通じての実感だったのか。
サラリーマン社会の機微をよく知る人の言葉である
よその会社へ行った同期生がどんなにすごい月給をもらっていても気にならないが、同じ会社だと少しの差でも目の色が変わる、
とも言っている。
程度の差はあれ成果主義賃金は昔からあったのだ
我がアパデン宮崎も考慮せねばならぬ問題である。
いずれにせよ、矜持すべきは武士の魂。
ブログにこんなことを見つけた。

武士や士業の各名称に使われる、「士」という漢字には、語源が二つ以上あります。ちょっと驚くような説も・・・。以下に、新選
漢和辞典(小学館)からの引用をわかりやすい形で記します。
1.十と一とをあわせた字。一から十と言うことで仕事を表す。よく仕事をする人をも士という。
2.士は、男の性器が立っている形で、「おとこ」を表したものという。私の友人には女性の士業の方が多いため、語源が、1の
説であって欲しいと願うものです。
Re: 「士」の語源、2説。
はじめまして。
最近初めて拝見したのですが、色々なトリビアがあって楽しく読ませていただいています。
「士」の語源、勝手に追加トリビアですが、
「十」+「一」説は許慎の『説文解字』、「男の〜」説は郭沫若の『甲骨文字研究』が元ネタのようです。後者は、「士」は「勢
」の字の原型だとか……うーん。。
ちなみに、もう一説、
白川静先生は、「儀式に用いる鉞の刃を下にして置く形」と言ってます。

会社を窮地に追いやる経営陣には二通りあるそうだ。
ふた昔も前、旧住友銀行の会長だった磯田一郎の持説
「ばか同士が仲良くしているか、りこう同士が反目し合っているか、どちらかだ」と。
現実は千差万別で簡単に割り切れもしまいが、いくつとなく企業の盛衰を見てきた銀行家の実感であったろう
賢愚の対立であれば勝負は長引かず、企業業績を道連れの泥仕合にはなりそうもない。
賢者同士が円満ならば慶賀の至り、愚者同士が戦争していればそもそも会社の体をなさない。よくできた言葉ではある
住友における鈴木馬左也の真骨頂を見る思いである。
さ〜て年度がおわる。
「4月始まり」の手帳があることを知り早速購入した。
なるほど暦年より4月から翌年3月までの「年度」手帳の方が使い勝手がよい。進学、進級、就職、転勤、配置換えの節目に真っ白な手帳に新たな気持ちで日程を記す。
心機一転やり直しである。
先日書いた600メートル級の新東京タワー、都内墨田・台東地区にと今日ニュースでやっていた。
 NHKと在京民放キー局5社で構成する「新タワー推進プロジェクト」は、地上デジタル放送用の電波塔・新東京タワーの建設
地を東京都の墨田・台東地区とする方針を固めた。
2010年末の完成を予定しており、600メートル級の、電波塔としては世界一となる。
 2011年の地上デジタル放送完全移行に伴い、4月から始まる携帯電話やカーナビ向けの「ワンセグ」放送を確実に受信する
ためには、高層ビルによる電波障害を避けるため、東京タワー(333メートル)の約2倍の高さの電波塔が必要とされている。
 、各放送局に近いことなどから、東武伊勢崎線業平橋・押上駅周辺を建設予定地とする墨田・台東地区とする方向で各局の意見
がまとまった。
 建設費約500億円は土地を所有する東武鉄道などが負担し、テレビ局側は賃料を支払う。
江戸っ子にはまた自慢がひとつ増えたようである。
太陽光発電1500枚の仮終了で現地より、布団等が引き上げられてきた。
それにしても利益がなくチャ〜何にもならないわ〜いな。
吹き荒れてた花嵐も今日は収まり穏やかであった。
月末のおなじみの風景がなければ。

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