解語

2005年8月5日
旬の食べ物は有難いことに全てお客さんとこで戴いてるようである。
西瓜は小林のパネル工事の時にいただいたし葡萄は一昨日鹿児島・出水でいただいた。
処女は美味しいなどと小島功の漫画風にあり南喜一はガマのセイダンよろしく女体が食べ物という人もいるが、それさえも家庭宅配の時代とすればさもありなん。
果物にはどうにも譲れないものがある。
葡萄は誰がどういおうとキャンベルであろう。
けっして甘みのみの巨峰では葡萄ではない。ブルーAもおなじ。
葡萄の食し方は良くわからぬ。
皮を自分の持つ口内吸尽力でムシャブリつぶした最後の味覚に残る、えもいえぬすっぱみ!これこそが葡萄であろう。
林檎といえば紅玉(こうぎょく)というが如しであり、口が曲がるほどのスッパミに歯もおかしくなるほど。今では紅玉はなかなか手に入らない。
味覚を頑固にこだわるは人畜無害であるが政治はそのようにはならない。
衆議院で採決されたが参議院で反対されたので衆議院を解散する。
この難解さが小泉流には不思議でないそうである。郵政の委員会は今日採決され週明け本会議である。否決は決まった。
内閣総辞職がスジだが小泉流は総選挙では可笑しい。
月曜日の視聴率はNHKのみならず、民法が放映しよう。
かっての乱闘国会はハマコーが主役が定番であったが、アントニオ猪木になり、郵政国会ではさしずめ馳浩(はせひろし)の出番であろうか。
奥方はタレント高見恭子でお父さんは、小説家で詩人の高見順。
パイプの煙のエッセーを思い出す。
鎌倉の東慶寺は「縁切寺・駆け込み寺」として知られているがここに眠る。
岩波書店の岩波茂雄や西田哲学の西田幾多郎、和辻哲郎、鈴木大拙のほか、安部能成、小林秀雄、らさしずめ文人墓地の観を呈している。一角でタバコが供してある。
福島での中学時代から白樺派に惹かれ、東大では左翼芸術同盟に参加。コロムビア・レコード会社では、プロレタリア作家として活動するが、昭和七年治安維持法違反の容疑で検挙され、転向を余儀なくされる。
浅草ものの「如何なる星の下に」は浅草ファンのバイブル。
「高見順日記」昭和史の資料ともいえるほどの破格の扱い。 
小説家で詩人の高見順
 葡萄に種子があるように
         私の胸に悲しみがある

        青い葡萄が酒になるように
          私の胸の悲しみは喜びになれ

永井荷風とは従兄弟になる。父親は当時、福井県知事を務めていた。高見は私生児として届けられたという。25歳の時(昭和七年)に労働運動に参加して治安維持法違反で検挙されて転向を強いられた。
しかも留置中、妻に去られるという二重の苦しみを背負った人である。
半狂乱は途中までで、後は自分でなくなる。
転向とは明確なる自分の意志表現であろうが状態からして
断じてその汚名で白眼視するのは危険である。
何故か。まったく酷似体験の私が言うので間違いではない。
四面楚歌の中での状況では生きることのみしかできない。
誰が理解できよう。
そのことを思うと、この言葉には葡萄のツルに対する重み以上のものがある。
 『如何なる星の下に』で出生の秘密を探り、
『死の淵より』昭和38年に食道ガンの宣告で死を予感して書いた。昭和四十年(1965)五十八歳。
私も自制せずもう少し生きていていいのか。
『人は生まれ
     人は苦しみ
       人は死ぬ』
ビッグな仕事はそれ相応の難解なる見積もりの仕事になるが、まったく形とならぬ。これでは仕事はもらえない。
あちこちの知恵をかり、一歩ずつ進める。
夕方光が差した。
コンサルタントの社長さんに来ていただいた。
懐かしき、そして沸き起こる勇気。
年間を通じてをハードなしごとに生きたころが偲ばれる。まったくの無償なる仕事であった。
匍匐前進!戦争に生きた人々を思えば怖いもの無し!
この試練もまた楽し!
 人生は楽しいことばかりという生き方は本当に素晴らしいことなのであろうか
心の襞はえられまい。得る必要はまったくないが。
 「悲しみの涙の海に隣して
            吾がうまるべき国のあるらん」

 暉峻(てるおか)康範の作である。鹿児島・志布志の金剛寺の住職をされた。
歌の権威付けで言うと明治12年生で。京都の仏教大学後に早稲田に進みあの小泉八雲に学んだ。、真宗念仏を広めた。
父君は暉峻普瑞はもともとは岐阜市の出。市橋の江崎家の生まれ。
僧侶になるのを嫌い切腹の経験さえある。播州高砂の西秀寺のご住職から鹿児島でお西の第一号のお寺を建てた。明治9年大久保利通のお陰でお念仏を広めることができるようになった。薩摩は念仏禁止の土地で薩摩の『かくれ念仏』で有名で、山之口、三股、都城も同
暉峻康範が清沢満之先生に出遭った時に、
      「わが眼(まなこ) ひらけそむれば雨土に
         みなぎる光 そらにあおぐも」
とその邂逅をよろこんで詠まれています。
今日の経験でよくわかりえる歌である。社長さんありがとうございました。
労働科学の暉峻義等は、この普瑞師の高砂・西秀寺のお孫さん
子息が敬愛する暉峻康隆である。
この人の諸著作ほどおもしろいものはない。知的ユーモアにあふれたものである。わせだの名物教授であったことが良くわかる
志布志は宮崎・串間の隣で、同じ自然環境をなす。
大隈半島の太平洋の荒波を眺める海岸。
その荒波と同じ悲しい涙の海のなかで荒波のように押し寄せてくる。逃れられないのが世間の厳しきさま。
我妻もここの出身であった。
『人は生まれ
     人は苦しみ
       人は死ぬ』
行に示された結論は仏教の根本。
    「人生は苦なり」

「いずこにも 吾はいかまじ
         み仏のいましたまわぬ 国ぞなければ
                岡本かな子、
     なにもお寺だけに仏様はおられるのではない。
人生のどんな場面にも、いつも付いて離れぬ仏様。どれだけ、苦しい人生なれど、如来様と二人連れの人生、念仏の中に日暮させていただきましょう。寂しい人生ではありません。
市内大塚で太陽光発電を上げられる方はよくわかられる歌であろう。ノーベル賞作家・川端康成はこの歌がとけず、自殺したときにこの歌があった。
夫は岡本一平。子息は万博太陽の塔岡本太郎。バクハツだ!
死んでも死に切れぬ。

あすは小林の太陽光発電工事。段取り悪し!うまくいくはずがない。先行き真っ暗。慌てて、水道屋さんを今日頼んだ。
いらいは通じた。あすはどうなるやら。ケセラセラ。
生き抜いてやる。この環境下でも孤立無援。悲しき人生であるが暖かい人々に今日は出会え、生き抜く価値はあるようだ。
皆様のおかげです。ひたすら感謝。
季節外れの甘いものが食したい。
さくらもちの塩っぽさはみやざきの田舎生まれの野暮っぽさには丁度いい。(笑い)
この暑さ!江戸っ子が冷えモン食えるっかい!(笑い)
これでは、まるで小さんの強情灸の落語ではないか。
ただし屋根の上の70度以上の環境下では現代人の飲料ポカリ・スゥエットがいい。
芥川作家・野呂邦暢の草の剣では岩塩をなめていた記述があったなあ〜
私の場合は辛酸を嘗め尽くし、すぎてるので塩分はいらない。
かくも辛く、恥かしき人生。
どうやっていきる矜持を保てよう
お盆前、どうやら線香も台風余波で湿っぽい。

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