金の鯱瓦泳ぐ天守閣を持つ佐土原城
2006年1月9日NHKの世界遺産の放映にはまだ見ぬ世界各国の至宝に感動の連続である。
宮崎にも埋もれていた国宝級の史跡、人間国宝が今年の注目となるやも知れぬ。
新成人に沸く新宮崎市に高岡、田野町とともに佐土原町が加わった初めての行事である。
新宮崎市では唯一の城下町が佐土原町である。
佐土原城跡が昨年国指定史跡となり、町民も城にまつわる文化財講座や展示会に興味を示しはじめている。
佐土原城は一般には知られていないが歴史好事家は垂涎の的の秘密を秘めている。
一躍脚光を浴びるようになったのは9年前の発掘調査からである。
それより全国の城郭研究家が注目する城の一つとなった。
地元紙から引用してご紹介しますと次のとおり。
本丸跡の発掘調査で天守台の石垣が出土。
ここまではふつうのことである。
ところが金ぱくを施した鯱ほこ瓦をはじめ、桐きりや菊の紋が刻印された鬼瓦なども見つかった。
こうした遺構・遺物は日向史を書き換える可能性を秘めたものである。
桐や菊紋は豊臣秀吉が権力の象徴としたもので、1591(天正十九)年に使用禁止令を出す一方、
特別な城に限ってこの紋瓦を使うことを認めた。
それは近畿・中国に配した直属の武将たちの城であり、徳川家康を包囲する関東周辺の城だった。
その流れでみれば、佐土原城は薩摩押さえの城と位置付けられる、
石垣は、秀吉配下の技術者集団でなければ築けなかった高度の技術であったともいう。
金ぱくの鯱ほこ瓦も安土桃山時代のもので、豊臣政権の崩壊とともに消滅。
佐土原は飫肥、米良、薩摩三街道の結節点にある。
その地を見下ろす丘陵に高さ十メートルと推定される二層の天守がそびえ、最上層には黄金色に輝く一対のしゃちほこがあった。
その風景を思い描くだけでも限りない歴史ロマンをかき立てられる。
伊東氏崩壊後 薩摩分家が領主で、辺境の山城にすぎないと思われた佐土原城が実は「秀吉の城」であり、
薩摩本家に備える前線基地であったという新説が持ち上がり、関係者に衝撃を与えた。
もっとも、文献研究の立場から異論もある。
1603(慶長八)年に城内をくまなく巡検した記録には天守のことが全く書かれていないことなどから、秀吉時代には天守がなかった可能性もあるとの指摘だ。
石垣の状況などから、天守は二度築かれ、いずれも破壊されたとみている町。、
今のところ城郭考古学上も文献上も仮説の域を出ない。
佐土原城、中でも天守をめぐる歴史はミステリーに包まれている。
その謎を解き明かすために、本格的な発掘調査を新宮崎市が引き継げるかどうか。
津村宮崎市長に戸敷佐土原町長が有力候補として立候補した。
成り行きしだいでは一挙にすすむやも知れない。
我が師匠が今日来て言われるには、太陽光のエネルギー普及にこの人をあげられ期待される。市長選での津村危うし。
9年前の発掘は天守台跡の北東側1/4にとどまっている。
山城を構成する松尾丸や南ノ城など他の主要施設は手付かずのままだ。
国指定史跡は保存計画を立て、管理報告書をまとめなければならない。
現状では不確定な部分が多く、どこをどう保存修復すべきなのか、その歴史的意義は何なのか、仮説から一歩を進めることが難しい。発掘はその欠けた所を補う重要な作業である。
佐土原城の歴史的評価は、もとより「秀吉の城」であったかどうか、という点だけで決まるものではない。
中世から戦国時代を経て江戸末期まで、一貫して日向史の中核的な役割を果たしてきた、
その長い歴史の不明部分を実証的に埋めていくことが大切だ。
私の説は3つばかりある。
神話の海幸・山幸をよりどころとした景行天皇の皇宮の由緒あるところゆえとみる。
実際は本城があった都於郡であるが本城をここに移していた。
島津の伊東制覇の真の狙いは皇族の発祥地たる海幸の皇宮のあったこの地・都於郡の制圧での権威付けにあるとの説を私がとっているからである。
皇宮跡となれば百姓の出の出自に悩む「秀吉の城」があっても不思議ではない。
次は小田原の北条征伐後の九州制覇の豊臣軍大将の豊臣秀長
が島津三兄弟との戦に勝利し、ここに天下統一がなったところ故とみる仮説を立ててみた。
その恩顧が大阪城炎上の西軍総大将は真田幸村等でなくこの佐土原島津家が努めた事実もあるからだ。
昭和になっても皇族貴子降嫁はこの島津家である。
歴史作家・城雪穂に書いてもらいたい歴史小説のネタとしてゆづってもよい。
建物の国宝級のお話はこれぐらいにして次は
人間国宝のお話である。
鵜戸神宮が琵琶の起源は先日1/5かいた。
源氏、平家の盛衰を伝える平家物語。
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色
盛者必衰のことわりをあらわす。」。
病魔で倒れNHKで復帰の高座に三平師匠がかけ忘れられない噺。
うら寂しい音色。物語の伴奏楽器として生まれたのが平家琵琶だ。
三平師匠はベラ〜ンとこの琵琶の部分も演じてた。
琵琶の起源はペルシャで奈良時代に中国から渡ってきた。
平安中期、寺にかかわる盲僧が弾き始め、琵琶法師と呼ばれた。
現在、わが国では
平家琵琶、
盲僧琵琶、盲僧が経文を唱えるときの
楽琵琶、雅楽で用いる
薩摩琵琶は地方で派生した
筑前琵琶も同じである。
の五種がある。
永田法順さん(70)=延岡市・長久山浄満寺住職=は、檀家回りを今も続けている琵琶法師。
琵琶法師は全国で永田さん一人だけになった。
盲僧琵琶は携帯しなければならないため、楽琵琶などに比べると小型。
筑前琵琶の系統で笹琵琶とも呼
小さいながら高音を出せるのが特徴の一つ。
音楽を奏でるのが主目的ではなく、経文や祭文を唱えるときの伴奏楽器なので、力強く撥はねることができる
。永田さんは二歳のとき緑内障を患い失明、十二歳で仏門に入った。指から血の出るほど厳しく基本を習った。
その永田さんのCD、写真集などをセットした全集が、文化庁主催の二〇〇五年度芸術祭賞レコード部門で大賞を受賞した。「琵琶盲僧・永田法順を記録する会(川野楠己代表)」の制作。受賞の理由は優れた音楽性、民俗学的な希少価値。
永田さんは薬師寺管長が礼遇するほどの人格者。
古希祝いの演奏会で、国立民俗博物館名誉教授たちが「次は人間国宝に」の声を上げたという。
武満徹作曲に取り入れるなど琵琶が見直されてきている時代でもあるらしい。
なにも中国の12樂坊に東洋音楽を求める必要もない。
昨日から快晴の宮崎。70KWの太陽光発電の建設は続く。
最後まで有難うございます。
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宮崎にも埋もれていた国宝級の史跡、人間国宝が今年の注目となるやも知れぬ。
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佐土原城跡が昨年国指定史跡となり、町民も城にまつわる文化財講座や展示会に興味を示しはじめている。
佐土原城は一般には知られていないが歴史好事家は垂涎の的の秘密を秘めている。
一躍脚光を浴びるようになったのは9年前の発掘調査からである。
それより全国の城郭研究家が注目する城の一つとなった。
地元紙から引用してご紹介しますと次のとおり。
本丸跡の発掘調査で天守台の石垣が出土。
ここまではふつうのことである。
ところが金ぱくを施した鯱ほこ瓦をはじめ、桐きりや菊の紋が刻印された鬼瓦なども見つかった。
こうした遺構・遺物は日向史を書き換える可能性を秘めたものである。
桐や菊紋は豊臣秀吉が権力の象徴としたもので、1591(天正十九)年に使用禁止令を出す一方、
特別な城に限ってこの紋瓦を使うことを認めた。
それは近畿・中国に配した直属の武将たちの城であり、徳川家康を包囲する関東周辺の城だった。
その流れでみれば、佐土原城は薩摩押さえの城と位置付けられる、
石垣は、秀吉配下の技術者集団でなければ築けなかった高度の技術であったともいう。
金ぱくの鯱ほこ瓦も安土桃山時代のもので、豊臣政権の崩壊とともに消滅。
佐土原は飫肥、米良、薩摩三街道の結節点にある。
その地を見下ろす丘陵に高さ十メートルと推定される二層の天守がそびえ、最上層には黄金色に輝く一対のしゃちほこがあった。
その風景を思い描くだけでも限りない歴史ロマンをかき立てられる。
伊東氏崩壊後 薩摩分家が領主で、辺境の山城にすぎないと思われた佐土原城が実は「秀吉の城」であり、
薩摩本家に備える前線基地であったという新説が持ち上がり、関係者に衝撃を与えた。
もっとも、文献研究の立場から異論もある。
1603(慶長八)年に城内をくまなく巡検した記録には天守のことが全く書かれていないことなどから、秀吉時代には天守がなかった可能性もあるとの指摘だ。
石垣の状況などから、天守は二度築かれ、いずれも破壊されたとみている町。、
今のところ城郭考古学上も文献上も仮説の域を出ない。
佐土原城、中でも天守をめぐる歴史はミステリーに包まれている。
その謎を解き明かすために、本格的な発掘調査を新宮崎市が引き継げるかどうか。
津村宮崎市長に戸敷佐土原町長が有力候補として立候補した。
成り行きしだいでは一挙にすすむやも知れない。
我が師匠が今日来て言われるには、太陽光のエネルギー普及にこの人をあげられ期待される。市長選での津村危うし。
9年前の発掘は天守台跡の北東側1/4にとどまっている。
山城を構成する松尾丸や南ノ城など他の主要施設は手付かずのままだ。
国指定史跡は保存計画を立て、管理報告書をまとめなければならない。
現状では不確定な部分が多く、どこをどう保存修復すべきなのか、その歴史的意義は何なのか、仮説から一歩を進めることが難しい。発掘はその欠けた所を補う重要な作業である。
佐土原城の歴史的評価は、もとより「秀吉の城」であったかどうか、という点だけで決まるものではない。
中世から戦国時代を経て江戸末期まで、一貫して日向史の中核的な役割を果たしてきた、
その長い歴史の不明部分を実証的に埋めていくことが大切だ。
私の説は3つばかりある。
神話の海幸・山幸をよりどころとした景行天皇の皇宮の由緒あるところゆえとみる。
実際は本城があった都於郡であるが本城をここに移していた。
島津の伊東制覇の真の狙いは皇族の発祥地たる海幸の皇宮のあったこの地・都於郡の制圧での権威付けにあるとの説を私がとっているからである。
皇宮跡となれば百姓の出の出自に悩む「秀吉の城」があっても不思議ではない。
次は小田原の北条征伐後の九州制覇の豊臣軍大将の豊臣秀長
が島津三兄弟との戦に勝利し、ここに天下統一がなったところ故とみる仮説を立ててみた。
その恩顧が大阪城炎上の西軍総大将は真田幸村等でなくこの佐土原島津家が努めた事実もあるからだ。
昭和になっても皇族貴子降嫁はこの島津家である。
歴史作家・城雪穂に書いてもらいたい歴史小説のネタとしてゆづってもよい。
建物の国宝級のお話はこれぐらいにして次は
人間国宝のお話である。
鵜戸神宮が琵琶の起源は先日1/5かいた。
源氏、平家の盛衰を伝える平家物語。
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色
盛者必衰のことわりをあらわす。」。
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うら寂しい音色。物語の伴奏楽器として生まれたのが平家琵琶だ。
三平師匠はベラ〜ンとこの琵琶の部分も演じてた。
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平安中期、寺にかかわる盲僧が弾き始め、琵琶法師と呼ばれた。
現在、わが国では
平家琵琶、
盲僧琵琶、盲僧が経文を唱えるときの
楽琵琶、雅楽で用いる
薩摩琵琶は地方で派生した
筑前琵琶も同じである。
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永田法順さん(70)=延岡市・長久山浄満寺住職=は、檀家回りを今も続けている琵琶法師。
琵琶法師は全国で永田さん一人だけになった。
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。永田さんは二歳のとき緑内障を患い失明、十二歳で仏門に入った。指から血の出るほど厳しく基本を習った。
その永田さんのCD、写真集などをセットした全集が、文化庁主催の二〇〇五年度芸術祭賞レコード部門で大賞を受賞した。「琵琶盲僧・永田法順を記録する会(川野楠己代表)」の制作。受賞の理由は優れた音楽性、民俗学的な希少価値。
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生めよ増やせよ!は国家目標で繁栄の基礎であったゆえ大和の国建国以来の少子化でマスコミの社説は踊っている。
戌年なんだそうな。安産の祈りの神の犬である。
いぬ派ネコ派に分かれてのペットブーム。
犬と猫をあわせたペットの数は2400万匹以上とペットフード工業会の調査がある。、
子供の0〜14歳までの数より3割以上多い。
その後もさらに子供の数は減る傾向にある。「ペット優位」はますます進行している。
確かに、犬や猫を家族の一員としてかわいがっている人は多い。
ペット連れで入れるカフェやレストランも出てきている。
モーターショウにペット対策をした専用車は非ガソリン車と同じように注目を浴びた。
ペットを対象とした健康保険ビジネスさえあるらしい。。
年賀状にもペットの写真を印刷したものがでまわった。
ペットブームは少子化と裏腹の現象なんであろうか。
新聞によると平安時代の歴史書「大鏡」には、死んだ愛犬の法要を依頼された僧の話を書き、
「枕草子で一条帝の寵愛を受けた「命婦のおとど」という名の猫が登場する。そうだ。
五位の位をもらい、雌猫でも殿上人の扱いとペンは喝破する。
犬将軍にいたっては笑止、極めたり。
人間が犬を飼いならした時期は縄文・弥生犬もいるぐらいで1万5000年以上前にさかのぼる。
昨年末には犬ゲノムが完全解読され、人間との共通点がわかってきた。
心臓病やがん、糖尿病など、人間と同じ病気にもかかるそうだ。
犬をモルモットにしての人間の病気解明にも役立つ訳で何処までも忠犬を貫き通しているようである。
予測される残酷と騒ぐやからの筋違いの声なんか無視すればいい。
いぬ派ネコ派にはどうも軍配が上がりそうでネコはどこまでも具合が悪い。
地球面積比7対3の生命の源たる海になるともっと読み取れる。
海の生物に注目するとCO2増大による地球環境破壊がみえてくる。
「クラゲがたくさん捕れる年は大雪あり」。先人の知恵である。
「ことわざから読み解く天気予報」(南利幸、NHK出版)によると、
クラゲが多いのは海水温が高いため。海上には水蒸気もたっぷりある。そこに冬の寒気が流れ込むと、多量の水蒸気を材料に雪雲が発達して例年より多くの雪を降らせる
この自然法則通り、日本海側では夏場につづいたクラゲの大量発生に続いて大雪が猛威を振るっている訳だ。
、直径が最大2メートルにも及ぶエチゼンクラゲが日本海で大量発生したニュース。
平年より海水温が高い状態が続いているせいか、冬になっても、しぶとく沿岸部に居座っている
そこへ記録的な大雪。地域によっては、すでに積雪が3、4メートルにも。
除雪も追いつかず、雪は大歓迎のはずのスキー場が休業に
漁業もクラゲのせいで大打撃を受けた。
先人の知恵ではクラゲ大発生時には、直後にタイが豊漁になったことがあったと説く。
苦あれば楽アり。
大雪で人命事故さえ数多く報道されている。
改革・地方自立の小泉政治で除雪もままならぬ予算なんであろう。
先人の知恵は政治が生かしてこそ安全安心の生活が保たれる。
雪による被害が増えてるのは何も大雪に起因するものだけではない
市場原理主義の政治の貧困である。
刺客に斬られたり、旧守派のレッテルで斬られた田舎派の政治家はどうしているのか。
動静が報じられない。マスコミジャックの恫喝せいじである。
その先鋒と目をつけられた亀井静香
亀井節は政治の基本たる演説が魅力でありワン・フレーズの小泉に対峙する。
新聞によるとこうである。
東京都内で開かれた新党日本の幹事長、荒井広幸を励ます会でのあいさつ。
「朝のこない夜はない。私がいま座っている衆院本会議の席は、かつて中野正剛が座っていたんです。東条(英機・首相)の独裁内閣に抗議して、中野と三木武吉、鳩山一郎の3人が頑張っていた。
結局、三木は小豆島に身をひそめ、鳩山は軽井沢にこもり、中野は割腹自殺したが、いま割腹しても世の中がよくなるわけではない。必ず私たちの時代がくる。荒井君は筋を通す男だ。
人間100回うそを言えば、それが本当になるような世の中であっては、絶対ならない。われわれは筋を通してきた。いつか国民が支持するときがくるだろう」
いつもの絶叫調でなく、しみじみとした語り口だったそうだ。
戦争継続に弁論で戦った唯一の演説の中野正剛はつとに有名。
会場には国民新党の綿貫民輔代表(前衆院議長)らも姿を見せていた。
衆参議員数は新党日本が2人、国民新党が6人の小所帯同士、郵政対立で自民党を追われた。
平沼赳夫元経済産業相、野田聖子元郵政相ら郵政離党組も似た境遇だ。
亀井が小泉を東条になぞらえ、中野正剛の悲劇を持ち出す気持ちはよく理解できる。
いわゆる翼賛選挙が行われたのは、小泉が生まれた年の1942年4月30日だった。
すでに政党はない。日米開戦から半年、
東条によって戦争協力の翼賛政治協会が組織され、選挙も仕切った。推薦を蹴って戦い、当選した旧政党人は中野、三木、鳩山ら少数である。
三木は
「戦局の先は見えた。友人として言いたい。幕末の桂小五郎のように、当分の間、女のひざを枕に、酒でも呑(の)んで韜晦(とうかい)(本心を隠すこと)することをすすめる。そうでないと、君は吉田松陰のあとを追う結果になる。バカバカしいじゃないか」
と忠告したが、中野は聞き入れず、東条と刺し違えるように自決した。戦後、三木、鳩山には出番がめぐってくる。
その三木が仕上げた保守合同に反対し、自民党結党に参画するのを拒んだのは吉田茂、佐藤栄作、橋本登美三郎の3人だった。やはり亀井らと同じあたり、議場の片隅に座っていた時期がある。
9年後、佐藤は政権に就いた。大勢に抗して戦い、どんな形の出番を迎えるかは人さまざまだろう。
吉田松陰、中野正剛は歴史に名を刻んだ。厳冬の今日を思わせる。
亀井らが描く政治スタイルは、そう平坦な道のりではなさそうだ。
市場原理主義・効率化の荒波の中で田舎派政治家の健闘を祈りたい。
宮崎には義務教育延長の文部大臣であった中山以外に自民党政治家は誰も当選していない。
効率化でなく義理人情の政治家たる旧守派の牙城である。
もっとも市町村合併で44は31市町村で効率運用は目指している。
効率化と政治はかみ合わせて運用すのが政治の要諦である。
太陽光発電は地球環境との共存プレー。
天気に笑い雨に泣く。優しき自然派の自活エネルギーの平和の施設。シティー派政治家小泉に設置してあげたい。
そうすれば「もったいない!」肌で理解できよう。
オイル一滴ない国の生活基盤の基礎たる神より賜りしエネルギー
政治家に是非設置してほしいものである。
ジャパン野球に協力しない松井・井口何を考えている。
王監督に従わぬ井口!
二人を大リーガーに育てた祖国の恩を忘れたのか!
マナーの塊たる野球に汚点を残す金儲け主義がここまで極まれり。「勝ち組」「負け組み」に異論アり。
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いぬ派ネコ派に分かれてのペットブーム。
犬と猫をあわせたペットの数は2400万匹以上とペットフード工業会の調査がある。、
子供の0〜14歳までの数より3割以上多い。
その後もさらに子供の数は減る傾向にある。「ペット優位」はますます進行している。
確かに、犬や猫を家族の一員としてかわいがっている人は多い。
ペット連れで入れるカフェやレストランも出てきている。
モーターショウにペット対策をした専用車は非ガソリン車と同じように注目を浴びた。
ペットを対象とした健康保険ビジネスさえあるらしい。。
年賀状にもペットの写真を印刷したものがでまわった。
ペットブームは少子化と裏腹の現象なんであろうか。
新聞によると平安時代の歴史書「大鏡」には、死んだ愛犬の法要を依頼された僧の話を書き、
「枕草子で一条帝の寵愛を受けた「命婦のおとど」という名の猫が登場する。そうだ。
五位の位をもらい、雌猫でも殿上人の扱いとペンは喝破する。
犬将軍にいたっては笑止、極めたり。
人間が犬を飼いならした時期は縄文・弥生犬もいるぐらいで1万5000年以上前にさかのぼる。
昨年末には犬ゲノムが完全解読され、人間との共通点がわかってきた。
心臓病やがん、糖尿病など、人間と同じ病気にもかかるそうだ。
犬をモルモットにしての人間の病気解明にも役立つ訳で何処までも忠犬を貫き通しているようである。
予測される残酷と騒ぐやからの筋違いの声なんか無視すればいい。
いぬ派ネコ派にはどうも軍配が上がりそうでネコはどこまでも具合が悪い。
地球面積比7対3の生命の源たる海になるともっと読み取れる。
海の生物に注目するとCO2増大による地球環境破壊がみえてくる。
「クラゲがたくさん捕れる年は大雪あり」。先人の知恵である。
「ことわざから読み解く天気予報」(南利幸、NHK出版)によると、
クラゲが多いのは海水温が高いため。海上には水蒸気もたっぷりある。そこに冬の寒気が流れ込むと、多量の水蒸気を材料に雪雲が発達して例年より多くの雪を降らせる
この自然法則通り、日本海側では夏場につづいたクラゲの大量発生に続いて大雪が猛威を振るっている訳だ。
、直径が最大2メートルにも及ぶエチゼンクラゲが日本海で大量発生したニュース。
平年より海水温が高い状態が続いているせいか、冬になっても、しぶとく沿岸部に居座っている
そこへ記録的な大雪。地域によっては、すでに積雪が3、4メートルにも。
除雪も追いつかず、雪は大歓迎のはずのスキー場が休業に
漁業もクラゲのせいで大打撃を受けた。
先人の知恵ではクラゲ大発生時には、直後にタイが豊漁になったことがあったと説く。
苦あれば楽アり。
大雪で人命事故さえ数多く報道されている。
改革・地方自立の小泉政治で除雪もままならぬ予算なんであろう。
先人の知恵は政治が生かしてこそ安全安心の生活が保たれる。
雪による被害が増えてるのは何も大雪に起因するものだけではない
市場原理主義の政治の貧困である。
刺客に斬られたり、旧守派のレッテルで斬られた田舎派の政治家はどうしているのか。
動静が報じられない。マスコミジャックの恫喝せいじである。
その先鋒と目をつけられた亀井静香
亀井節は政治の基本たる演説が魅力でありワン・フレーズの小泉に対峙する。
新聞によるとこうである。
東京都内で開かれた新党日本の幹事長、荒井広幸を励ます会でのあいさつ。
「朝のこない夜はない。私がいま座っている衆院本会議の席は、かつて中野正剛が座っていたんです。東条(英機・首相)の独裁内閣に抗議して、中野と三木武吉、鳩山一郎の3人が頑張っていた。
結局、三木は小豆島に身をひそめ、鳩山は軽井沢にこもり、中野は割腹自殺したが、いま割腹しても世の中がよくなるわけではない。必ず私たちの時代がくる。荒井君は筋を通す男だ。
人間100回うそを言えば、それが本当になるような世の中であっては、絶対ならない。われわれは筋を通してきた。いつか国民が支持するときがくるだろう」
いつもの絶叫調でなく、しみじみとした語り口だったそうだ。
戦争継続に弁論で戦った唯一の演説の中野正剛はつとに有名。
会場には国民新党の綿貫民輔代表(前衆院議長)らも姿を見せていた。
衆参議員数は新党日本が2人、国民新党が6人の小所帯同士、郵政対立で自民党を追われた。
平沼赳夫元経済産業相、野田聖子元郵政相ら郵政離党組も似た境遇だ。
亀井が小泉を東条になぞらえ、中野正剛の悲劇を持ち出す気持ちはよく理解できる。
いわゆる翼賛選挙が行われたのは、小泉が生まれた年の1942年4月30日だった。
すでに政党はない。日米開戦から半年、
東条によって戦争協力の翼賛政治協会が組織され、選挙も仕切った。推薦を蹴って戦い、当選した旧政党人は中野、三木、鳩山ら少数である。
三木は
「戦局の先は見えた。友人として言いたい。幕末の桂小五郎のように、当分の間、女のひざを枕に、酒でも呑(の)んで韜晦(とうかい)(本心を隠すこと)することをすすめる。そうでないと、君は吉田松陰のあとを追う結果になる。バカバカしいじゃないか」
と忠告したが、中野は聞き入れず、東条と刺し違えるように自決した。戦後、三木、鳩山には出番がめぐってくる。
その三木が仕上げた保守合同に反対し、自民党結党に参画するのを拒んだのは吉田茂、佐藤栄作、橋本登美三郎の3人だった。やはり亀井らと同じあたり、議場の片隅に座っていた時期がある。
9年後、佐藤は政権に就いた。大勢に抗して戦い、どんな形の出番を迎えるかは人さまざまだろう。
吉田松陰、中野正剛は歴史に名を刻んだ。厳冬の今日を思わせる。
亀井らが描く政治スタイルは、そう平坦な道のりではなさそうだ。
市場原理主義・効率化の荒波の中で田舎派政治家の健闘を祈りたい。
宮崎には義務教育延長の文部大臣であった中山以外に自民党政治家は誰も当選していない。
効率化でなく義理人情の政治家たる旧守派の牙城である。
もっとも市町村合併で44は31市町村で効率運用は目指している。
効率化と政治はかみ合わせて運用すのが政治の要諦である。
太陽光発電は地球環境との共存プレー。
天気に笑い雨に泣く。優しき自然派の自活エネルギーの平和の施設。シティー派政治家小泉に設置してあげたい。
そうすれば「もったいない!」肌で理解できよう。
オイル一滴ない国の生活基盤の基礎たる神より賜りしエネルギー
政治家に是非設置してほしいものである。
ジャパン野球に協力しない松井・井口何を考えている。
王監督に従わぬ井口!
二人を大リーガーに育てた祖国の恩を忘れたのか!
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日向市民の底力
2006年1月7日隠そうにも隠せないものがあり困っている。
田舎モンで身分卑しきものが困るのは貧相で恥かしい「言葉」
ゆえにどうにも相手の見えぬ電話は怖い。
言霊がいるならいくらでもお賽銭をあげ、奉らん!
70KWを今日も現場施工を少数精鋭で進めている。
一度に21軒にも匹敵する太陽光発電所である。
使う部材も打ち合わせ準備も半端じゃない。
パネルの枚数も半端ジャ〜ない。
「10日に10トン車と4トン車で現地に届けたい」とのご宣託。
「チョィト待って!何回かに分けられまいか」
積み下ろしに相当の時間経費がかかる。
経費で物言うとすすまぬゆえの私流の値切りのお話なのだ。
忠実に運ぶだけがこの方の仕事ゆえ出来るハズもない相談。
出来ぬ相談であることを承知で渋る返事の自分がおかしくてたまらない。
この値切りは本当は辛い。
仕事分担が良くわからないからだ。
積み下ろしの2人を6000円の日当を私が負担することで決着。
通常はこれで商談成立で終わりのハズがこの2代目若社長さん
はここから先が並ではない。
日向市の歴史に造詣が深い。
流石に歴史家石川恒太郎を生みしところ日向市の地である。
幕末の殉教者を存知であった。
かってこのブログに書いたんであるが数年前ゆえ詳細の名を忘れてたがこの方すらすらといわれる。
「確か・・黒田藩の・・・」
細島湾に小さく突き出したところの半島に立派な志士たちの墓碑がある。
これは土地の人たちの気心を示すお話で死を哀れみ建立したもの。
委細はこうである。
寺田屋事件は明治維新までの歴史を大きく遅らせた事件であった。
1862年(文久2年)の4月勤皇の志士は倒幕挙兵の準備で京都・伏見の寺田屋に集合した。
ここを上京していた島津久光が急襲させる。
薩摩藩脱藩勤皇の志士8名はその場で惨殺。
坂本竜馬はお竜の機転で難を逃げることが出来た。
他藩の志士も捕らえられそれぞれの藩に預けとなった。
薩摩藩預かりは、
秋月黒田藩・海賀宮門、肥前・中村主計,但馬・千葉郁太郎。
3人は瀬戸を経由して細島港入り口・御鉾ヶ浦近くの高島で密かに殺されてしまった。
維新の小説に必ず描かれてる挿入部分で西郷隆盛と久光のしっくり行かない原因の一つにあげられる。
ところでこの方には宮崎弁それも県北特有の訛り、イントネーションがない。
「・・・・け」さらに語尾があがる
流暢なるしゃべりで上品である。
宮崎の方言は、藩政時代の歴史と大きく関わっている。
江戸時代には、宮崎全体を治める領主がいなく5つの藩の分割統治。
幕府直轄の天領地があちこちにあった。
宮崎中心地も天領地であった。
この各藩の領地と方言の分類地域を比較してみれば、その境界がほぼ一致している
宮大の岩本実 教授の「宮崎県方言区画図」と照らすとそっくり藩政と同じである。
2004年9月27日より半年間放映されたNHK朝の連続テレビ小説で「わかば」が宮崎を舞台として放送された
宮崎県が舞台となるのは昭和40年の「たまゆら」(川端康成)、から久々のこと、
ところでロケは6箇所、西都市まで。県北はなし。
よってそのことばはない。
宮崎ことば指導は宮崎出身女優の上原由恵 があたった。
言葉の達人小沢昭一が座長を務める芸能座の所属であったゆえ洗練された宮崎弁が飛び交ってた。
この方テレビに限らず、映画でも活躍「ラブレター」「釣りバカ日誌5」「美味しんぼ」などに出演
「生きているうちが花なのよ、死んだらそれまでよ党宣言」(ATG制作・横浜映画祭で新人賞を受賞している。
「ノサン」山には「ヨダ木〜」が生えちょる。
は黒木博知事が諫めた言葉。
「のさんねぇー」
「いっちゃがいっちゃが」
「そんげな心配つまらんとよ。」(南田洋子)
「そう! いっちゃが! いっちゃが!」 (田中裕子)
「がんたれ」 (西郷輝彦)
どちらかと言うと鹿児島のことばかも知れぬゆえ出身地たるこの方が使うと郷に入ったもの。
「てげてげ」
「じゃぁじゃぁ」
「よだきい」
宮崎を代表する?この独特のことばがどこで出たかは知らない。
「よだきい」に代表される県民性であるがこれは宮崎特有でもないようで案外使えるようだ。
実は、「ヨダキイ」と言う言葉は、もともと京都で使われていた言葉なんだそうな。。
源氏物語に
「公に仕ふる人ともなくて、こもり侍れば、よろずうひうひしうよだけくなりにて侍る」( 訳:宮中などに従える人もいなくて、閉じこもっていたら、すべてのことに勝手が分からないので、いやだなぁという気持ちになってしまいました。)とあるように、
貴族が使っていた言葉。
現在は、宮崎の他、兵庫県の一部や大分、鹿児島、広島、鳥取で使われている言葉。
これは使える。
明治初期の廃藩置県の際、宮崎と札幌以外は総てかってのお城に県庁が置かれた。
藩政の支配体制をそのまま鞍替えしたに過ぎなかった。
宮崎の他県に比して生活基盤の立ち遅れの悲劇はここに発している。
高速鉄道・高速道路はまったくすすまず、県北・延岡と県都・宮崎は旧態依然の片道一車線で結ばれてるのみ。
モータリゼーションの波を平行して乗り切る政治力も英知ももなかったのも県民がまとまってないからである。こうなら世界芸術で県民性を高めようと諸政策が持たれる。
ベオグラード国立美術館展がきょうから開催された。
「フランス近代絵画展―知られざるルノワールの物語」である。
2003年3月ユーゴスラヴィアから国名を変更し、新たに民主国家として出発したセルビア・モンテネグロ。
首都ベオグラード
長年にわたりバルカン半島、東欧を襲う度重なる戦火に晒されてきたがベオグラード国立美術館のコレクションはそうした苦難の歴史の中でも守り続けられ、人びとに安らぎと勇気を与え続けてきた。
老朽化した美術館建物の改修にあわせ
ひろしま美術館を立ち上がり会場として日本全国7都市を巡回。
コレクションの内容は、バルビゾン派からエコール・ド・パリにいたるフランス近代絵画の流れをほぼ網羅。
特にルノワールとドガのコレクションは、ルノワールの身近に接したモデルや家族の愛らしい肖像、
ドガがその抜群のデッサン力を見せる踊り子たちなど、小品ながら両巨匠の特徴を示す珠玉の作品群。
、モネの《ルーアン大聖堂》、ピサロの《テアトル・フランス広場》など、それぞれの画家の代表作が含まれている。
、ルノワール晩年の力作「水浴する女性」は、1996年の盗難によりダメージを受け、その後修復によって甦った作品。
ところで本家の芸術の都のパリ・ルーブル美術館。
1日ではとても見れない収蔵物であるが、
お目当てはモナリザとビーナス
古代ギリシャ彫刻の傑作「ミロのビーナス」のための新展示
室をつくる計画を進んでいる。
オープンは1年後の2007年初めの予定。
「モナリザ」と並んで日本人観光客が多く訪れるビーナス像は、現在の2倍の広い部屋でより快適な鑑賞が可能になる。
「ミロのビーナス」は1820年にギリシャのメロス島で地中から偶然発見され、その後、フランス国王ルイ18世が同美術館に寄贈した。
紀元前2世紀ごろつくられたとされるが、作者は不詳。
上半身と下半身が、美しさの比率である
「黄金比(1対1.6)」を有していることで知られる。
出会い系をやってみたがイメージ作業にはこれがつきまとう。
どうにも好々爺の域に達してる新年のようである。
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田舎モンで身分卑しきものが困るのは貧相で恥かしい「言葉」
ゆえにどうにも相手の見えぬ電話は怖い。
言霊がいるならいくらでもお賽銭をあげ、奉らん!
70KWを今日も現場施工を少数精鋭で進めている。
一度に21軒にも匹敵する太陽光発電所である。
使う部材も打ち合わせ準備も半端じゃない。
パネルの枚数も半端ジャ〜ない。
「10日に10トン車と4トン車で現地に届けたい」とのご宣託。
「チョィト待って!何回かに分けられまいか」
積み下ろしに相当の時間経費がかかる。
経費で物言うとすすまぬゆえの私流の値切りのお話なのだ。
忠実に運ぶだけがこの方の仕事ゆえ出来るハズもない相談。
出来ぬ相談であることを承知で渋る返事の自分がおかしくてたまらない。
この値切りは本当は辛い。
仕事分担が良くわからないからだ。
積み下ろしの2人を6000円の日当を私が負担することで決着。
通常はこれで商談成立で終わりのハズがこの2代目若社長さん
はここから先が並ではない。
日向市の歴史に造詣が深い。
流石に歴史家石川恒太郎を生みしところ日向市の地である。
幕末の殉教者を存知であった。
かってこのブログに書いたんであるが数年前ゆえ詳細の名を忘れてたがこの方すらすらといわれる。
「確か・・黒田藩の・・・」
細島湾に小さく突き出したところの半島に立派な志士たちの墓碑がある。
これは土地の人たちの気心を示すお話で死を哀れみ建立したもの。
委細はこうである。
寺田屋事件は明治維新までの歴史を大きく遅らせた事件であった。
1862年(文久2年)の4月勤皇の志士は倒幕挙兵の準備で京都・伏見の寺田屋に集合した。
ここを上京していた島津久光が急襲させる。
薩摩藩脱藩勤皇の志士8名はその場で惨殺。
坂本竜馬はお竜の機転で難を逃げることが出来た。
他藩の志士も捕らえられそれぞれの藩に預けとなった。
薩摩藩預かりは、
秋月黒田藩・海賀宮門、肥前・中村主計,但馬・千葉郁太郎。
3人は瀬戸を経由して細島港入り口・御鉾ヶ浦近くの高島で密かに殺されてしまった。
維新の小説に必ず描かれてる挿入部分で西郷隆盛と久光のしっくり行かない原因の一つにあげられる。
ところでこの方には宮崎弁それも県北特有の訛り、イントネーションがない。
「・・・・け」さらに語尾があがる
流暢なるしゃべりで上品である。
宮崎の方言は、藩政時代の歴史と大きく関わっている。
江戸時代には、宮崎全体を治める領主がいなく5つの藩の分割統治。
幕府直轄の天領地があちこちにあった。
宮崎中心地も天領地であった。
この各藩の領地と方言の分類地域を比較してみれば、その境界がほぼ一致している
宮大の岩本実 教授の「宮崎県方言区画図」と照らすとそっくり藩政と同じである。
2004年9月27日より半年間放映されたNHK朝の連続テレビ小説で「わかば」が宮崎を舞台として放送された
宮崎県が舞台となるのは昭和40年の「たまゆら」(川端康成)、から久々のこと、
ところでロケは6箇所、西都市まで。県北はなし。
よってそのことばはない。
宮崎ことば指導は宮崎出身女優の上原由恵 があたった。
言葉の達人小沢昭一が座長を務める芸能座の所属であったゆえ洗練された宮崎弁が飛び交ってた。
この方テレビに限らず、映画でも活躍「ラブレター」「釣りバカ日誌5」「美味しんぼ」などに出演
「生きているうちが花なのよ、死んだらそれまでよ党宣言」(ATG制作・横浜映画祭で新人賞を受賞している。
「ノサン」山には「ヨダ木〜」が生えちょる。
は黒木博知事が諫めた言葉。
「のさんねぇー」
「いっちゃがいっちゃが」
「そんげな心配つまらんとよ。」(南田洋子)
「そう! いっちゃが! いっちゃが!」 (田中裕子)
「がんたれ」 (西郷輝彦)
どちらかと言うと鹿児島のことばかも知れぬゆえ出身地たるこの方が使うと郷に入ったもの。
「てげてげ」
「じゃぁじゃぁ」
「よだきい」
宮崎を代表する?この独特のことばがどこで出たかは知らない。
「よだきい」に代表される県民性であるがこれは宮崎特有でもないようで案外使えるようだ。
実は、「ヨダキイ」と言う言葉は、もともと京都で使われていた言葉なんだそうな。。
源氏物語に
「公に仕ふる人ともなくて、こもり侍れば、よろずうひうひしうよだけくなりにて侍る」( 訳:宮中などに従える人もいなくて、閉じこもっていたら、すべてのことに勝手が分からないので、いやだなぁという気持ちになってしまいました。)とあるように、
貴族が使っていた言葉。
現在は、宮崎の他、兵庫県の一部や大分、鹿児島、広島、鳥取で使われている言葉。
これは使える。
明治初期の廃藩置県の際、宮崎と札幌以外は総てかってのお城に県庁が置かれた。
藩政の支配体制をそのまま鞍替えしたに過ぎなかった。
宮崎の他県に比して生活基盤の立ち遅れの悲劇はここに発している。
高速鉄道・高速道路はまったくすすまず、県北・延岡と県都・宮崎は旧態依然の片道一車線で結ばれてるのみ。
モータリゼーションの波を平行して乗り切る政治力も英知ももなかったのも県民がまとまってないからである。こうなら世界芸術で県民性を高めようと諸政策が持たれる。
ベオグラード国立美術館展がきょうから開催された。
「フランス近代絵画展―知られざるルノワールの物語」である。
2003年3月ユーゴスラヴィアから国名を変更し、新たに民主国家として出発したセルビア・モンテネグロ。
首都ベオグラード
長年にわたりバルカン半島、東欧を襲う度重なる戦火に晒されてきたがベオグラード国立美術館のコレクションはそうした苦難の歴史の中でも守り続けられ、人びとに安らぎと勇気を与え続けてきた。
老朽化した美術館建物の改修にあわせ
ひろしま美術館を立ち上がり会場として日本全国7都市を巡回。
コレクションの内容は、バルビゾン派からエコール・ド・パリにいたるフランス近代絵画の流れをほぼ網羅。
特にルノワールとドガのコレクションは、ルノワールの身近に接したモデルや家族の愛らしい肖像、
ドガがその抜群のデッサン力を見せる踊り子たちなど、小品ながら両巨匠の特徴を示す珠玉の作品群。
、モネの《ルーアン大聖堂》、ピサロの《テアトル・フランス広場》など、それぞれの画家の代表作が含まれている。
、ルノワール晩年の力作「水浴する女性」は、1996年の盗難によりダメージを受け、その後修復によって甦った作品。
ところで本家の芸術の都のパリ・ルーブル美術館。
1日ではとても見れない収蔵物であるが、
お目当てはモナリザとビーナス
古代ギリシャ彫刻の傑作「ミロのビーナス」のための新展示
室をつくる計画を進んでいる。
オープンは1年後の2007年初めの予定。
「モナリザ」と並んで日本人観光客が多く訪れるビーナス像は、現在の2倍の広い部屋でより快適な鑑賞が可能になる。
「ミロのビーナス」は1820年にギリシャのメロス島で地中から偶然発見され、その後、フランス国王ルイ18世が同美術館に寄贈した。
紀元前2世紀ごろつくられたとされるが、作者は不詳。
上半身と下半身が、美しさの比率である
「黄金比(1対1.6)」を有していることで知られる。
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仕事始め
2006年1月6日またもや3連休になるんだそうな。
よって大企業は10日の初出勤が多いようである。
瑞穂の国は明治5年(1872)に大陰暦から世界標準の太陽暦(グレゴリオ暦)に改暦を強要された。
平成の今でも自然界に生きる農業では太陰暦で生きている。
農業の事始めにあたる旧暦1月15日の「小正月」に行われていたのが成人式。
連休をつくるという何とも無粋な理由で9日に繰上げゆえ3連休なのである。
旗日はサラリーマン社会にあわせてあったのではなく、
瑞穂の国の第一次生産物を効率化するために作られた先人の知恵の集積文化であった。
西の氏神様が午前中人事不省に陥っり、午後には永眠という。
これで計画は大きく変わる。
異常寒波は老人の生命さえ奪ってる。
南国に見たこともなき景色が出現し、豪雪地帯の苦悩を知る。
新雪の重みは、一立方メートル当たり百キロ前後だという。
ザラメ雪になると五百キロ近くになるから、家屋が潰される自己が報じられている。
改革の続行は市場原理にあわせたもので地方は閉塞しきり、
予算減で安藤知事の賀詞交換会の言葉「安全安心」が脅かされている。
「公」とは何か見つめ直さねば田舎たる、農業国が危ない。
小泉政治の根幹を成す「官から民へ」「努力したものが報いられる社会」は尤もに聞こえ政治的対立者が誰もいない状況を作った。
そこには夥しい現実的風潮の「勝ち組・負け組」が、経済活動の結果として報道されてるとおりである。
姉歯や史上最大のバブル期を凌ぐ利益決算である。
「乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない」(集英社新書)橋本治は容赦なくペンは剣より強しを縦横無尽に振り回した。
「従うべき理論が存在しなくなって、どう生きて行けばいいのかが分からなくなった日本人は、『勝ったか、負けたか』の結果で判断するしかなくなった」
隠れた日中戦争ノモンハン戦争を暴いたときよりペン先は鋭い。
市場原理優先、官から民へ、小さくて効率的な政府、痛みを伴う改革、規制緩和……。
ワンフレーズで政治の王道たる演説が消えた。
小泉政治がこうした世の中のムードにマッチしていたのは間違いない。
小泉劇場と評する言葉さえ定着した。
時代の変革で、一連の改革はこの国が混沌から抜け出すためには避けて通れぬ道だったやもしれない。
だが、「経済効率」「金もうけ」がもてはやされる風潮がもたらしたものは何だったのかということだ。
結論に至るプロセスや、具体的な中身の議論がなく仕事が進められる。
「スピード」「効率化」で組織はメチャクチャ下請会社は成立しない。
それが社員にも蔓延してしまっている。
これではいけない。より質の高いモラルの確立である。
官には効率化、民には公共性を求めることによって、官でも民でもない、公(おおやけ)を追求する。あるいは官であれ、民であれ、守らなければならない公の精神の矜持である。
官と民だけでない。「公と私」の尺度もあるはずなのに、日本は「私」ばかりが優先されてきたのではないか。との反省作業である。
保険会社の研究所が、「寒波が日本経済を六千六百億円押し上げる」と計算高いことをいった。
南の国の住人さえどうにもしっくり来ない儲け話は薄ら寒くなる。
5日は「小寒」、「寒の入り」である。
この日から15日後の「大寒」を経て、「立春」の前日である「節分」までの約1カ月間が「寒中」あるいは「寒の内」となる。つまり一年中で最も寒い時期ということだ
新聞が教えてくれる。
「寒に雨が降ると夏は雨が降らない」
「寒の内に雪がたくさん降るとその年は豊年」
「寒の内よく凍れば豊作のしるし」といった具合に、
寒中にはその年の天候や作物の実りを占うことわざや俗信が多い。「寒の9日目に降る寒九の雨は世の中によい」というのもその一つ。
冷害に苦しんだ東北地方などでは今も寒だめしに取り組んでいる人が各地にいるという。官より良く当たるらしい。
寒の1カ月には次の1年365日が凝縮されている−−そう人々は信じたのである
12月の平均気温は戦後最低を記録したと気象庁は発表した。
積雪も全国106カ所で12月の記録が更新された
ことわざでは寒中の大雪や寒さはその年の好天や豊作の兆しだ。
つらい寒さは新しい年の幸運をふくらませてくれるらしい。
農業に携わる人だけではない、
自然と格闘してる私共太陽光発電もそうである。
日向での4KWの契約が成立。
昨年まいたタネの収穫、実りである。
寒中に幸あり。
70KWの太陽光発電建設に今日から着手。
雪フルなかの仕事始めで現場は早仕舞い。それでも現場が遠いゆえ夕方のご帰還であった。
CO2削減・地球環境を守るの大命題は地道な努力の積み重ね。
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よって大企業は10日の初出勤が多いようである。
瑞穂の国は明治5年(1872)に大陰暦から世界標準の太陽暦(グレゴリオ暦)に改暦を強要された。
平成の今でも自然界に生きる農業では太陰暦で生きている。
農業の事始めにあたる旧暦1月15日の「小正月」に行われていたのが成人式。
連休をつくるという何とも無粋な理由で9日に繰上げゆえ3連休なのである。
旗日はサラリーマン社会にあわせてあったのではなく、
瑞穂の国の第一次生産物を効率化するために作られた先人の知恵の集積文化であった。
西の氏神様が午前中人事不省に陥っり、午後には永眠という。
これで計画は大きく変わる。
異常寒波は老人の生命さえ奪ってる。
南国に見たこともなき景色が出現し、豪雪地帯の苦悩を知る。
新雪の重みは、一立方メートル当たり百キロ前後だという。
ザラメ雪になると五百キロ近くになるから、家屋が潰される自己が報じられている。
改革の続行は市場原理にあわせたもので地方は閉塞しきり、
予算減で安藤知事の賀詞交換会の言葉「安全安心」が脅かされている。
「公」とは何か見つめ直さねば田舎たる、農業国が危ない。
小泉政治の根幹を成す「官から民へ」「努力したものが報いられる社会」は尤もに聞こえ政治的対立者が誰もいない状況を作った。
そこには夥しい現実的風潮の「勝ち組・負け組」が、経済活動の結果として報道されてるとおりである。
姉歯や史上最大のバブル期を凌ぐ利益決算である。
「乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない」(集英社新書)橋本治は容赦なくペンは剣より強しを縦横無尽に振り回した。
「従うべき理論が存在しなくなって、どう生きて行けばいいのかが分からなくなった日本人は、『勝ったか、負けたか』の結果で判断するしかなくなった」
隠れた日中戦争ノモンハン戦争を暴いたときよりペン先は鋭い。
市場原理優先、官から民へ、小さくて効率的な政府、痛みを伴う改革、規制緩和……。
ワンフレーズで政治の王道たる演説が消えた。
小泉政治がこうした世の中のムードにマッチしていたのは間違いない。
小泉劇場と評する言葉さえ定着した。
時代の変革で、一連の改革はこの国が混沌から抜け出すためには避けて通れぬ道だったやもしれない。
だが、「経済効率」「金もうけ」がもてはやされる風潮がもたらしたものは何だったのかということだ。
結論に至るプロセスや、具体的な中身の議論がなく仕事が進められる。
「スピード」「効率化」で組織はメチャクチャ下請会社は成立しない。
それが社員にも蔓延してしまっている。
これではいけない。より質の高いモラルの確立である。
官には効率化、民には公共性を求めることによって、官でも民でもない、公(おおやけ)を追求する。あるいは官であれ、民であれ、守らなければならない公の精神の矜持である。
官と民だけでない。「公と私」の尺度もあるはずなのに、日本は「私」ばかりが優先されてきたのではないか。との反省作業である。
保険会社の研究所が、「寒波が日本経済を六千六百億円押し上げる」と計算高いことをいった。
南の国の住人さえどうにもしっくり来ない儲け話は薄ら寒くなる。
5日は「小寒」、「寒の入り」である。
この日から15日後の「大寒」を経て、「立春」の前日である「節分」までの約1カ月間が「寒中」あるいは「寒の内」となる。つまり一年中で最も寒い時期ということだ
新聞が教えてくれる。
「寒に雨が降ると夏は雨が降らない」
「寒の内に雪がたくさん降るとその年は豊年」
「寒の内よく凍れば豊作のしるし」といった具合に、
寒中にはその年の天候や作物の実りを占うことわざや俗信が多い。「寒の9日目に降る寒九の雨は世の中によい」というのもその一つ。
冷害に苦しんだ東北地方などでは今も寒だめしに取り組んでいる人が各地にいるという。官より良く当たるらしい。
寒の1カ月には次の1年365日が凝縮されている−−そう人々は信じたのである
12月の平均気温は戦後最低を記録したと気象庁は発表した。
積雪も全国106カ所で12月の記録が更新された
ことわざでは寒中の大雪や寒さはその年の好天や豊作の兆しだ。
つらい寒さは新しい年の幸運をふくらませてくれるらしい。
農業に携わる人だけではない、
自然と格闘してる私共太陽光発電もそうである。
日向での4KWの契約が成立。
昨年まいたタネの収穫、実りである。
寒中に幸あり。
70KWの太陽光発電建設に今日から着手。
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剣の聖地の宮崎の神社
2006年1月5日一度だけ神の子となるお正月 ーせきやんー
正月三が日の主な県内の神社・仏閣への初詣は24カ所で1008000人。
全国では9373万人。昨年より407万人多く、記録の残っている1974年以降では最多。
大みそかから元旦にかけての雨の宮崎でその影響などで前年比で四千人減ったらしい。ほぼ平年並みでいい。
?宮崎神宮で、前年と同じ23万人。
?都農町の都農神社12万3000人(前年比1万3000人増)
?鵜戸神宮12万人(同2000人増)。
初日の出の参拝は雨の影響で3万5500人と前年よりも9800人減少。
宮崎市一ツ葉海岸は400人(同5600人減)、
えびの市えびの高原は2万人(同4000人減)
堀切峠。道の駅「フェニックス」は、500人で200人増。
天候に恵まれた二、三日は、各行楽地が家族連れやカップルでにぎわった。今年から年明け以降もイルミネーションを点灯している同市のフローランテ宮崎は、8600人(同1600人増)と大きく入場者数を伸ばした。
ニュースが漏れ聞こえる。横田めぐみさんの拉致状況が明らかになった。
この武士の支配した国に土足では入り込み同胞を拉致。
それもいたいけない女子中学生の横田めぐみを。
年末年始チャンバラ劇をやっていたが、時代考証がおかしい。
師匠の座る床の間の垂れ幕「鹿取陰流」とか書いてある。「香取」なるあの流派のことだ。
日本剣豪譚を述べてみたい。
鵜戸の社殿西側、鵜戸山は聖地なのである。
このご時世ゆえ道路を二本も抜いてしまって見向きもされない。
剣道が廃れ義務教育年数さえ変える心乱れる国難はここにきわまれりである。
古来、鵜戸山は両部神道で西の高野山と称される修験道場であった
そもそも剣の流派その心根を伝える琵琶法師も鵜戸神宮に由来する。
仏教伝来と同じ頃、11歳で鵜戸窟に流された祐教礼師が伝来した琵琶を読弾しながら、地神陀羅尼経を九州各地に伝えたのが薩摩琵琶の始めとして琵琶楽の発祥地とされている。
仏を作って魂いれず。
観光県を目指した黒木博・岩切章太郎の心の内実なき失敗作であった。
訪れた人の誰がそれを認識しよう。
誰も知らされないからである。
剣聖・相馬四郎義元が参篭して剣法を覚り一流をはじめて念流と名付けた。
足利中葉の頃、鵜戸に参篭し剣法の奥義を極めた
愛州(あいす)移香が陰流をここではじめたことから剣法発祥の地と称されている聖地・鵜戸。
聞きなれぬ愛州氏は三重県度会郡南勢町の花岡城の城主で愛州氏一族が治めた。宮崎にはなじまぬ氏の名。
剣道日本一の外山先生にも長らく会っていない。
流派を大別すると概ね次のようである。
1)神道流系統
飯篠長威斎家直を始祖とし、利根川河口に近い鹿島・香取の辺りを中心に伝わる流派。
直系は「天真正伝香取神道流」として伝わり、分かれとして、
「鹿島神流」「神道一心流」「一羽流」「微塵流」「霞流」など。
、剣豪・塚原ト伝はこの流派、それを始祖とする「鹿島新当流」は
青森に伝わって「ト伝流」
また、鹿児島に伝わって今も残る「示現流」
明治維新を成し遂げた剣法。
2)陰流系統
愛州移香の陰の流にはじまり、上泉信綱の「新陰流」から分かれて、「疋田陰流」「神後流」「心陰流」
高名なのは柳生石舟斎宗厳(むねよし)にはじまる
「柳生新陰流」は子の宗矩(むねのり)が徳川将軍家の剣術指南役で大変有力な流派となる、
、兵庫助利厳(としよし)は尾張の徳川家に仕え名古屋を中心にその流派を広げる。
上泉信綱からの分かれでは他に、丸目蔵人佐長恵より始まる「タイ捨流」。
奥山公重の流れから山田光徳の「直心影流(じき)」。
野中成常から福井嘉平の「神道無念流」。
そして小説「宮本武蔵」にも登場する槍の「宝蔵院流」等が生まれた。市内霧島町の野中数十段はあらゆる武術を極められてる。あの四国橋本知事の奥さんはこの方の妹君。
3)一刀流系統
伊藤一刀斎の弟子、小野次郎左衛門忠明に始まる流派で、柳生新陰流と共に、江戸の徳川将軍家の剣術指南となったため栄えた流派。
ここからは「溝口派一刀流」「甲源一刀流」などが出、
「中西派一刀流」の祖、中西子定(たねさだ)の子、
中西子武(たねたけ)によって竹刀や面・小手・胴などの防具が考案され、それまでの木刀を使った
形による剣術から革命的な変化をもたらし、この流派が盛んになる。
この中西派一刀流から出た千葉周作が「北辰一刀流」の祖、弟の定吉の道場で坂本龍馬が塾頭を務める。
そして同じく中西派の一刀流を学んだ山岡鉄舟がはじめたのが「一刀正伝無刀流」。
「小野派一刀流」という呼び名は、兄弟弟子から「唯心一刀流」というような流派も生まれているので
名付けられたというのがこのブログの方のご推察で小野忠明にちなんだ命名。
「小野派一刀流」も「一刀正伝無刀流」も、今に伝わる流派。
一刀流、特に小野派一刀流については、笹森順造の書いた「一刀流極意」という本に詳しい。
鵜戸山のある日南海岸周辺には山幸彦・海幸彦の神話の里。、
山幸の彦火々出見尊が海浜に建てた産屋で生まれた鵜葺草葺不合尊が鵜戸神宮の主祭神。
鵜戸さんは、古来、安産・産育・漁業・航海の守護神として人々の崇敬を集め、多くの行事が行われてきた。
岩屋に渡る反橋は三六枚の板で作られ、金剛界三十六尊に、橋を渡る本人が一尊となって三十七尊と一体となり、この橋から裸足になる風習があり、子供は嘘をつくと目が眩んで渡れないとか、不浄の者、邪心のある者などは橋を渡ることを恐れた。
幼き頃恐怖でわたるのが怖かったものである。
世間の時代背景の教養に吉川英治や芥川賞作家五味康介 柴田錬三郎 村上元三 池波正太郎を読むこと。いまに引き継がれてる津本陽の作品群に馴染んでいたからでもある。
この国において武蔵は初めてふさわしいと、小説家吉川英治が書いた岡山県大原町にわざわざ訪ねたのも剣豪宮本武蔵の生誕地で熊本の臨終の地武蔵塚のことを先般日記に書いたのも時代の子故である。
正月3日大河ドラマの新撰組をリメイク報道していたが冒頭の子供のチャンバラ遊びは毎日やっていた。
学校の生き帰りには先生に隠れベルトに日本刀の刀ならぬ棒切れを必ず、差していた
廃刀令以前の明治時期の様相の環境で幼児期を過ごした。
娯楽の殿堂の映画はチャンバラ映画全盛期であった環境がそれを男っぷりと評させてる世間体もあった。
「ナント!野蛮な!」教育ママには怒られそうである。
全国津々浦々の団塊の世代の男子供の子供の社会が眼前としてあった。
ままごとは女の子、男はなんて〜たってチャンバラをやらなきゃ〜幼児期ではない。
「ドケェイ〜どけい〜い寄らばきるぞ〜」
何が拉致だ〜い。武士の魂が許さぬぞ!
松の内巫女は日向路駆けぬけり。−せきやんー
明日は第26回宮崎女子ロードレース大会。
シモンも走る。
走春。春は近い。
神々は何処に鎮座なさるか。
氏神様の訃報を知る。
市川雷蔵の妖剣、怪刀でも借りるか。
70KWの太陽光発電建設に明日から着手。
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正月三が日の主な県内の神社・仏閣への初詣は24カ所で1008000人。
全国では9373万人。昨年より407万人多く、記録の残っている1974年以降では最多。
大みそかから元旦にかけての雨の宮崎でその影響などで前年比で四千人減ったらしい。ほぼ平年並みでいい。
?宮崎神宮で、前年と同じ23万人。
?都農町の都農神社12万3000人(前年比1万3000人増)
?鵜戸神宮12万人(同2000人増)。
初日の出の参拝は雨の影響で3万5500人と前年よりも9800人減少。
宮崎市一ツ葉海岸は400人(同5600人減)、
えびの市えびの高原は2万人(同4000人減)
堀切峠。道の駅「フェニックス」は、500人で200人増。
天候に恵まれた二、三日は、各行楽地が家族連れやカップルでにぎわった。今年から年明け以降もイルミネーションを点灯している同市のフローランテ宮崎は、8600人(同1600人増)と大きく入場者数を伸ばした。
ニュースが漏れ聞こえる。横田めぐみさんの拉致状況が明らかになった。
この武士の支配した国に土足では入り込み同胞を拉致。
それもいたいけない女子中学生の横田めぐみを。
年末年始チャンバラ劇をやっていたが、時代考証がおかしい。
師匠の座る床の間の垂れ幕「鹿取陰流」とか書いてある。「香取」なるあの流派のことだ。
日本剣豪譚を述べてみたい。
鵜戸の社殿西側、鵜戸山は聖地なのである。
このご時世ゆえ道路を二本も抜いてしまって見向きもされない。
剣道が廃れ義務教育年数さえ変える心乱れる国難はここにきわまれりである。
古来、鵜戸山は両部神道で西の高野山と称される修験道場であった
そもそも剣の流派その心根を伝える琵琶法師も鵜戸神宮に由来する。
仏教伝来と同じ頃、11歳で鵜戸窟に流された祐教礼師が伝来した琵琶を読弾しながら、地神陀羅尼経を九州各地に伝えたのが薩摩琵琶の始めとして琵琶楽の発祥地とされている。
仏を作って魂いれず。
観光県を目指した黒木博・岩切章太郎の心の内実なき失敗作であった。
訪れた人の誰がそれを認識しよう。
誰も知らされないからである。
剣聖・相馬四郎義元が参篭して剣法を覚り一流をはじめて念流と名付けた。
足利中葉の頃、鵜戸に参篭し剣法の奥義を極めた
愛州(あいす)移香が陰流をここではじめたことから剣法発祥の地と称されている聖地・鵜戸。
聞きなれぬ愛州氏は三重県度会郡南勢町の花岡城の城主で愛州氏一族が治めた。宮崎にはなじまぬ氏の名。
剣道日本一の外山先生にも長らく会っていない。
流派を大別すると概ね次のようである。
1)神道流系統
飯篠長威斎家直を始祖とし、利根川河口に近い鹿島・香取の辺りを中心に伝わる流派。
直系は「天真正伝香取神道流」として伝わり、分かれとして、
「鹿島神流」「神道一心流」「一羽流」「微塵流」「霞流」など。
、剣豪・塚原ト伝はこの流派、それを始祖とする「鹿島新当流」は
青森に伝わって「ト伝流」
また、鹿児島に伝わって今も残る「示現流」
明治維新を成し遂げた剣法。
2)陰流系統
愛州移香の陰の流にはじまり、上泉信綱の「新陰流」から分かれて、「疋田陰流」「神後流」「心陰流」
高名なのは柳生石舟斎宗厳(むねよし)にはじまる
「柳生新陰流」は子の宗矩(むねのり)が徳川将軍家の剣術指南役で大変有力な流派となる、
、兵庫助利厳(としよし)は尾張の徳川家に仕え名古屋を中心にその流派を広げる。
上泉信綱からの分かれでは他に、丸目蔵人佐長恵より始まる「タイ捨流」。
奥山公重の流れから山田光徳の「直心影流(じき)」。
野中成常から福井嘉平の「神道無念流」。
そして小説「宮本武蔵」にも登場する槍の「宝蔵院流」等が生まれた。市内霧島町の野中数十段はあらゆる武術を極められてる。あの四国橋本知事の奥さんはこの方の妹君。
3)一刀流系統
伊藤一刀斎の弟子、小野次郎左衛門忠明に始まる流派で、柳生新陰流と共に、江戸の徳川将軍家の剣術指南となったため栄えた流派。
ここからは「溝口派一刀流」「甲源一刀流」などが出、
「中西派一刀流」の祖、中西子定(たねさだ)の子、
中西子武(たねたけ)によって竹刀や面・小手・胴などの防具が考案され、それまでの木刀を使った
形による剣術から革命的な変化をもたらし、この流派が盛んになる。
この中西派一刀流から出た千葉周作が「北辰一刀流」の祖、弟の定吉の道場で坂本龍馬が塾頭を務める。
そして同じく中西派の一刀流を学んだ山岡鉄舟がはじめたのが「一刀正伝無刀流」。
「小野派一刀流」という呼び名は、兄弟弟子から「唯心一刀流」というような流派も生まれているので
名付けられたというのがこのブログの方のご推察で小野忠明にちなんだ命名。
「小野派一刀流」も「一刀正伝無刀流」も、今に伝わる流派。
一刀流、特に小野派一刀流については、笹森順造の書いた「一刀流極意」という本に詳しい。
鵜戸山のある日南海岸周辺には山幸彦・海幸彦の神話の里。、
山幸の彦火々出見尊が海浜に建てた産屋で生まれた鵜葺草葺不合尊が鵜戸神宮の主祭神。
鵜戸さんは、古来、安産・産育・漁業・航海の守護神として人々の崇敬を集め、多くの行事が行われてきた。
岩屋に渡る反橋は三六枚の板で作られ、金剛界三十六尊に、橋を渡る本人が一尊となって三十七尊と一体となり、この橋から裸足になる風習があり、子供は嘘をつくと目が眩んで渡れないとか、不浄の者、邪心のある者などは橋を渡ることを恐れた。
幼き頃恐怖でわたるのが怖かったものである。
世間の時代背景の教養に吉川英治や芥川賞作家五味康介 柴田錬三郎 村上元三 池波正太郎を読むこと。いまに引き継がれてる津本陽の作品群に馴染んでいたからでもある。
この国において武蔵は初めてふさわしいと、小説家吉川英治が書いた岡山県大原町にわざわざ訪ねたのも剣豪宮本武蔵の生誕地で熊本の臨終の地武蔵塚のことを先般日記に書いたのも時代の子故である。
正月3日大河ドラマの新撰組をリメイク報道していたが冒頭の子供のチャンバラ遊びは毎日やっていた。
学校の生き帰りには先生に隠れベルトに日本刀の刀ならぬ棒切れを必ず、差していた
廃刀令以前の明治時期の様相の環境で幼児期を過ごした。
娯楽の殿堂の映画はチャンバラ映画全盛期であった環境がそれを男っぷりと評させてる世間体もあった。
「ナント!野蛮な!」教育ママには怒られそうである。
全国津々浦々の団塊の世代の男子供の子供の社会が眼前としてあった。
ままごとは女の子、男はなんて〜たってチャンバラをやらなきゃ〜幼児期ではない。
「ドケェイ〜どけい〜い寄らばきるぞ〜」
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地球環境をCO2から守る
2006年1月4日コメント (1)「おめでとうございます」も照れくさいお正月。
お見えいただく方々にどうにもお顔が直に向けられないのは苦しき年越しであったゆえ。
はたまた新年早々変わりに南まで現場調査に行っていただいた方々に申し訳ないゆえ。
年明けから多忙で社会の厳しさを年頭から思い知らされている。
市場原理主義なる言葉のマジックの美辞麗句が横行してる世相。
金だけで物事の価値をはかる世の中。
負け組みに分類されるものには人格のかけらさえ認めようともしない価値観。
罵声が飛び交えば品位の一つも見られられない。
その国の人々を見るにはその国の政治を見ればわかる。との格言がある。
「越前屋お前も悪じゃのう〜」」と武士さえ金で支配する構造を江戸庶民のときから私共はあざ笑いしとしてねずみ小僧次郎吉ら義民に喝采した。
そこまでして金儲けするの!の庶民哲学である。
江戸時代に町人たちが、経済力でわが世の春を謳歌していても、武士のように尊敬を受けることはなかった。
「武士は食わねど高楊枝」なんである。
「金儲けの何が悪い」がホリエモンを生み出しレコード大賞のプレゼンターに起用するデレクターの感覚は元々の日本人の特性ではない。
もともと貧乏人を軽蔑し、金持ちをもてはやすのは、本来の日本人の特性ではない
「日本人の基盤」である品性に触れて、その定義を「目の前にあるものを取りに行かないこと」との哲学を矜持する民族である。
数学者藤原正彦は『国家の品格』(新潮新書)でそのとこを科学的に解き明かした。
そこで述べられてる「やせ我慢の精神」につながる武士道のひとつだろう。
それも団塊の世代との二極分化のようだ。
ジーンズを持っている人が約3倍に増え、自宅にシャワー室を望む人は6割を超えた
。好きな言葉で増えたのは「自然」「出会い」「個性」。
嫌いな言葉は「猛烈」「がまん」「汗」。
あの金科玉条の団塊の世代の言葉は忌み嫌われる。
老後を支えるものとして「趣味」をあげた人が6割に増えた。一方、地域活動やボランティアの参加者は減った。
自分らしさにこだわり、好きなことに打ち込むが、他者への関心は薄い。そんな姿が浮かび上がる。
歴史は繰り返される。換言するならば過ちは繰り返される。
60年を循環の規準で唱える人もいる。(私ジャン!)
愚かなることだが愚行・蛮行を繰り返す知恵なき政治家どもである。
急速に軍事国家の様相を深めるわが国。
国是たる平和の灯も消えかかってる寸前。
世界に唯一誇れる平和憲法も制定60年にして余命いくばくもない。
夕刊ディリーの1月1日号が延岡お大師さんならぬ恵比寿さんから届いた。
輝きまして新市町村スタート!と何面にもわたり天体ショウーの写真がちりばめられている。
新生・・美郷町(みさとちょう)のスタートである。
リング・アンドロメダ・オリオン・・・宇宙が手に取るようにわかる。
昴中小屋天文台では日本で唯一巨大スクリーンでいつでもそれらが見れる。
夜でなくていい画期的システムである。
恵比寿さん何を隠そうここを設計して管理してきた天文台長なのだが、新聞では来たばかりの方が天文台長となっている。
そのことに触れても「いいがね・・・」と取り合おうともしない孤高の武士の気まがえ。
施工したのはボランテア価格での施工費の私共・アパデン宮崎。昨年3月のことであったか。
もちろん記事にはない隠れ話。かの地に3日も宿泊しての難関工事であった。
生き残り策を求める苦悩する日本。
理科年表は国立天文台編である。
このデータブックが創刊されたのは1925年(大正14年)。
戦中戦後3年だけ中断があるが、80年を超えて毎年刊行されてきた超ロングセラーだ。
2006年版(平成18年版)が発行された
教科書や科学記事の基礎資料にもなり信頼されている自然と科学を網羅した世界にも例を見ないデータブック
一番多いときで約9万部を発行してたが
それが約4万部を発行、実買は3万部台という。
CO2の問題が地球規模で発生してる割にはどうにも教育の問題を象徴している。
大雪や厳しい寒気などの気象、地震・津波や火山の噴火、天体のデータなど実社会に一番必要なる分野のはずであるのに。
知的好奇心の衰退、理科離れ、活字離れの表れだろうか。
経済産業省は「CO2地中封じ込め」を発表した。
、東南アジア支援で経済産業省は来年度、地球温暖化対策に有力な手法と期待される二酸化炭素(CO2)の地中封じ込めの業化を東南アジアで支援していくことを決めた。
約4億円の予備調査費で、日本企業の進出を本格的に後押しする。
対象となるのは、東南アジアで天然ガスを採掘するときに地下から出てくるCO2を回収し、地中に埋める事業。
事業地の選定などにかかる予備調査費を補助し、2010年にも事業化できるよう支援する。
企業は、削減したCO2排出量を売ることで、約100億円規模と見込まれる事業費を回収する。
天然ガス採掘に伴うCO2を地下約1キロに埋め戻す手法は、排出量取引を見越してアルジェリアなどですでに行われているが、日本企業が乗り出すのは初めて。
対象地としては、天然ガス採掘が盛んなインドネシアやマレーシアなどが見込まれている。
CO2を高圧で地中に注入し、地層内に封じ込める方法については、12月10日までカナダ・モントリオールで開かれた京都議定書の第1回締約国会議(COP・MOP1)で、
「2100年までに必要とされるCO2削減量の15〜55%をまかなえる」とする「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」報告書が提出され、技術の有効性が示された。
これを受け、COP・MOP1では、地中封じ込めで削減できた
CO2排出量を、国際的な排出量取引市場で売買するための体制を整備していくことが決まった。
米国では、火力発電所から排出されるCO2を地中に封じ込める“次世代”発電所計画が進められるなど、世界的にCO2封じ込めの開発が活発になっている。
御用始の日に東京に参上した方からの吉報。
現地調査にもいっていただき順調なる滑り出し。
年始に来ていただいた職人さんに涙が出るほどのやる気がみなぎる。スタッフ総出でのベストをつくさん!
日本初の太陽光発電の建設が短期間でいよいよ着工サル。
規模も宮崎一。
CO2増大から来る地球環境の悪化を少しでも阻止してみせる。
ドンキホーテと言われようとも死しても初志貫いてみせる。!
アパデン宮崎に神々のご加護を祈らん!
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江戸時代に町人たちが、経済力でわが世の春を謳歌していても、武士のように尊敬を受けることはなかった。
「武士は食わねど高楊枝」なんである。
「金儲けの何が悪い」がホリエモンを生み出しレコード大賞のプレゼンターに起用するデレクターの感覚は元々の日本人の特性ではない。
もともと貧乏人を軽蔑し、金持ちをもてはやすのは、本来の日本人の特性ではない
「日本人の基盤」である品性に触れて、その定義を「目の前にあるものを取りに行かないこと」との哲学を矜持する民族である。
数学者藤原正彦は『国家の品格』(新潮新書)でそのとこを科学的に解き明かした。
そこで述べられてる「やせ我慢の精神」につながる武士道のひとつだろう。
それも団塊の世代との二極分化のようだ。
ジーンズを持っている人が約3倍に増え、自宅にシャワー室を望む人は6割を超えた
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あの金科玉条の団塊の世代の言葉は忌み嫌われる。
老後を支えるものとして「趣味」をあげた人が6割に増えた。一方、地域活動やボランティアの参加者は減った。
自分らしさにこだわり、好きなことに打ち込むが、他者への関心は薄い。そんな姿が浮かび上がる。
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そのことに触れても「いいがね・・・」と取り合おうともしない孤高の武士の気まがえ。
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CO2の問題が地球規模で発生してる割にはどうにも教育の問題を象徴している。
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対象地としては、天然ガス採掘が盛んなインドネシアやマレーシアなどが見込まれている。
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「2100年までに必要とされるCO2削減量の15〜55%をまかなえる」とする「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」報告書が提出され、技術の有効性が示された。
これを受け、COP・MOP1では、地中封じ込めで削減できた
CO2排出量を、国際的な排出量取引市場で売買するための体制を整備していくことが決まった。
米国では、火力発電所から排出されるCO2を地中に封じ込める“次世代”発電所計画が進められるなど、世界的にCO2封じ込めの開発が活発になっている。
御用始の日に東京に参上した方からの吉報。
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この国の行方
2006年1月3日今日も一日中曇り気味ではあるが風もなく穏やかな一日ではあった。
宮崎には燦燦と太陽の恵みが常に付きまとってるのが一年中であるのでどうにも似使わない正月風景ではある。
自分の意見を持たない忠実なる仲間の戌年にふさわしい年の明けである。
憲法が生まれて60年になる年。
昨年は「愛」の年で括られた年であったが果たしでそうであったか。
乗りもの、食べもの、建物、そして子供、みんな危険に晒された年で憲法が生かされていない。
それに対する政治の取り組みは的確でなく、戦後60年の制度疲労・綻びが目だった。そこで沸き起こったのが憲法改正。
そうでなく憲法を生活に生かす取り組みの政治的行動に期待を持ちたい。
では誰が9月で退陣する小泉の後の政治の勤めを果たすのか。
昨年の戦後60年。憲法60年は転換の年数という。
政治の波動、転生輪廻を主眼に新聞での岩見隆夫の筆致から拾ってみたい。
キーマンは誰か。権力機構からして9月の自民党総裁選の有力候補をみればいい。
第一は4人があげられる。年末元秘書の犯罪者の名を明かさなかった、麻生太郎外相は一歩遅れをとったはずだが、マスコミ操作で逃げ切った感がある。
よって安倍晋三官房長官、谷垣禎一財務相、福田康夫元官房長官の4人がまず、俎上にのせられる人たちだから、別格扱いとし、
将を射んとすれば馬を射いよ!により次の10人に注目したい。
?青木幹雄(自民党参院議員会長・71歳)
小泉改革に釈然としないものを感じながら、小泉政権を支え続け、一時は郵政花道論を進言した稀有な実力者だ。影響力低下を言われるが、依然参院のドン、小泉末期にどんな采配を振るか。橋本派解体の第一犯。またしても森派からからの総理なのか。
?小沢一郎(前民主党副代表・63歳)
9月の民主党代表選に向け、動きをはじめたと報じられた。
稀代の策士、最後の勝負どきが近づいた。民主党のため、日本のための大義名分に沿う道のりはそう生やさしくない。
?加藤紘一(元自民党幹事長・66歳)
だれもキーマンとみていない。だが、アンチ小泉路線、生きずまった非市場原理主義の理論武装は加藤をおいてない。
刺客で反主流は無き今それが重要な意味を持つ年だ。
タカ派政治家のみの中で唯一の平和主義者。
?神崎武法(公明党代表・62歳)
長年の与党暮らしの疲れが目立つ。しかし、右寄り風潮のなか、ゲタ(公明党票の自民支援)の威力のみせどころだ。
?竹中平蔵(総務相・54歳)
口達者の才覚がどこまで政治を動かせるか、最後の実験場になる。
?二階俊博(経済産業相・66歳)
表の竹中、裏の二階。チルドレンメーカー。
ポスト小泉でだれを担ぐ。
?山崎拓(前自民党副総裁・69歳)
「年明けまで思考停止」と言うところが、次の仕掛けをにおわせる。小泉離れ、離れ具合が気になるのだが。
?前原誠司(民主党代表・43歳)
<郵政の小泉>の向こうを張って、<××の前原>といきたい。
タカ派が民族運動と相なれば瓢箪から駒。
?森喜朗(前首相・68歳)
安倍、福田、中川秀直(政調会長・61歳)、町村信孝(前外相・61歳)と総裁候補、準候補を4人も内に抱え、ここは気配りだけでなく、ダンビラを振るわなければなるまい。
?小泉純一郎(首相・63歳)
いろいろと説明責任が残っている。田舎切捨て、シティーボーイのかっこいい退き方に注目。
自民、民主両党の幹事長がないのは、2人とも従来の幹事長イメージと違っていて、キーになるかどうか不明だからだ。
憲法も風前の灯。周期の中からの波動と呼び解く人さえいる。誰?私のことか。なぁ〜んだ。
文明のシステムがはらむ長短さまざまな波動は、あながち現代の文明にも無縁ではない。
たとえば景気の変動にもいくつかのサイクルがある。
製品在庫にかかわる周期3〜4年の短期循環、
生産設備の変動にからむ約10年周期の中期循環、
建設投資にかかわる約20年周期の長期循環である
さらに技術革新から生まれる約60年の超長期波動は、コンドラチェフ長波といわれる。エコノミストの中には、今年はそれらのサイクルがすべて重なって上向きに転ずる年だという見方がある。
目出度きお正月にはやっぱりその手の開運話が楽しい。
だが、いつまでも運命の循環論にはしゃいでいるわけにはいかない。
平成新時代の新しき宮崎の幕開け。
市町村数は44から35へ。そしてこのあと2月20日に北方、北浦町が延岡市に
同25日に東郷町が日向市に、
さらに3月20日須木村が小林市に合併、本年度中に31市町村になる。
南郷、西郷、北郷村が美郷町(みさとちょう)がスタート。
1889(明治二十二)年の発足以来、117年にわたってなじんできた名前が抹消された。
何の因果か丁度、太陽光発電の仕事を施工している最中である。
ほかに新宮崎市、都城市もスタートした。
都城でも太陽光発電所を建設している途中でもある。
この摩訶不思議なことが起こってるのが神の悪戯か。
宮崎と都城市が横と縦に大きく膨らんで、隣り合わせになった
清武町と三股町がそれぞれ独自に残った。
西米良村が孤高の火をともして残ったのとはまったく違う異様なる行政区域を感ずる。
真新しい宮崎県地図を前に、新しい時代の胎動を感じる。
まずはしっかりと地に足をつけ、誰もまだ見たことのない
2006年を自らの手で切り開いていくことである。
国も地方も拝金思想の市場原理主義の荒波にもまれている。
新たなる田舎からの収奪体制の完成がつくらてるに過ぎない。
失われ行く伝えられた慣習、文化はどうしても守り抜くしか生き残ることは出来ない。
師匠の唱えるエネルギーの自活できる量の確保である。
自然負荷の無いエネルギー・太陽光発電の普及を急ぎたい。
わがアパデン宮崎にどう生かしきれるのか。
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宮崎には燦燦と太陽の恵みが常に付きまとってるのが一年中であるのでどうにも似使わない正月風景ではある。
自分の意見を持たない忠実なる仲間の戌年にふさわしい年の明けである。
憲法が生まれて60年になる年。
昨年は「愛」の年で括られた年であったが果たしでそうであったか。
乗りもの、食べもの、建物、そして子供、みんな危険に晒された年で憲法が生かされていない。
それに対する政治の取り組みは的確でなく、戦後60年の制度疲労・綻びが目だった。そこで沸き起こったのが憲法改正。
そうでなく憲法を生活に生かす取り組みの政治的行動に期待を持ちたい。
では誰が9月で退陣する小泉の後の政治の勤めを果たすのか。
昨年の戦後60年。憲法60年は転換の年数という。
政治の波動、転生輪廻を主眼に新聞での岩見隆夫の筆致から拾ってみたい。
キーマンは誰か。権力機構からして9月の自民党総裁選の有力候補をみればいい。
第一は4人があげられる。年末元秘書の犯罪者の名を明かさなかった、麻生太郎外相は一歩遅れをとったはずだが、マスコミ操作で逃げ切った感がある。
よって安倍晋三官房長官、谷垣禎一財務相、福田康夫元官房長官の4人がまず、俎上にのせられる人たちだから、別格扱いとし、
将を射んとすれば馬を射いよ!により次の10人に注目したい。
?青木幹雄(自民党参院議員会長・71歳)
小泉改革に釈然としないものを感じながら、小泉政権を支え続け、一時は郵政花道論を進言した稀有な実力者だ。影響力低下を言われるが、依然参院のドン、小泉末期にどんな采配を振るか。橋本派解体の第一犯。またしても森派からからの総理なのか。
?小沢一郎(前民主党副代表・63歳)
9月の民主党代表選に向け、動きをはじめたと報じられた。
稀代の策士、最後の勝負どきが近づいた。民主党のため、日本のための大義名分に沿う道のりはそう生やさしくない。
?加藤紘一(元自民党幹事長・66歳)
だれもキーマンとみていない。だが、アンチ小泉路線、生きずまった非市場原理主義の理論武装は加藤をおいてない。
刺客で反主流は無き今それが重要な意味を持つ年だ。
タカ派政治家のみの中で唯一の平和主義者。
?神崎武法(公明党代表・62歳)
長年の与党暮らしの疲れが目立つ。しかし、右寄り風潮のなか、ゲタ(公明党票の自民支援)の威力のみせどころだ。
?竹中平蔵(総務相・54歳)
口達者の才覚がどこまで政治を動かせるか、最後の実験場になる。
?二階俊博(経済産業相・66歳)
表の竹中、裏の二階。チルドレンメーカー。
ポスト小泉でだれを担ぐ。
?山崎拓(前自民党副総裁・69歳)
「年明けまで思考停止」と言うところが、次の仕掛けをにおわせる。小泉離れ、離れ具合が気になるのだが。
?前原誠司(民主党代表・43歳)
<郵政の小泉>の向こうを張って、<××の前原>といきたい。
タカ派が民族運動と相なれば瓢箪から駒。
?森喜朗(前首相・68歳)
安倍、福田、中川秀直(政調会長・61歳)、町村信孝(前外相・61歳)と総裁候補、準候補を4人も内に抱え、ここは気配りだけでなく、ダンビラを振るわなければなるまい。
?小泉純一郎(首相・63歳)
いろいろと説明責任が残っている。田舎切捨て、シティーボーイのかっこいい退き方に注目。
自民、民主両党の幹事長がないのは、2人とも従来の幹事長イメージと違っていて、キーになるかどうか不明だからだ。
憲法も風前の灯。周期の中からの波動と呼び解く人さえいる。誰?私のことか。なぁ〜んだ。
文明のシステムがはらむ長短さまざまな波動は、あながち現代の文明にも無縁ではない。
たとえば景気の変動にもいくつかのサイクルがある。
製品在庫にかかわる周期3〜4年の短期循環、
生産設備の変動にからむ約10年周期の中期循環、
建設投資にかかわる約20年周期の長期循環である
さらに技術革新から生まれる約60年の超長期波動は、コンドラチェフ長波といわれる。エコノミストの中には、今年はそれらのサイクルがすべて重なって上向きに転ずる年だという見方がある。
目出度きお正月にはやっぱりその手の開運話が楽しい。
だが、いつまでも運命の循環論にはしゃいでいるわけにはいかない。
平成新時代の新しき宮崎の幕開け。
市町村数は44から35へ。そしてこのあと2月20日に北方、北浦町が延岡市に
同25日に東郷町が日向市に、
さらに3月20日須木村が小林市に合併、本年度中に31市町村になる。
南郷、西郷、北郷村が美郷町(みさとちょう)がスタート。
1889(明治二十二)年の発足以来、117年にわたってなじんできた名前が抹消された。
何の因果か丁度、太陽光発電の仕事を施工している最中である。
ほかに新宮崎市、都城市もスタートした。
都城でも太陽光発電所を建設している途中でもある。
この摩訶不思議なことが起こってるのが神の悪戯か。
宮崎と都城市が横と縦に大きく膨らんで、隣り合わせになった
清武町と三股町がそれぞれ独自に残った。
西米良村が孤高の火をともして残ったのとはまったく違う異様なる行政区域を感ずる。
真新しい宮崎県地図を前に、新しい時代の胎動を感じる。
まずはしっかりと地に足をつけ、誰もまだ見たことのない
2006年を自らの手で切り開いていくことである。
国も地方も拝金思想の市場原理主義の荒波にもまれている。
新たなる田舎からの収奪体制の完成がつくらてるに過ぎない。
失われ行く伝えられた慣習、文化はどうしても守り抜くしか生き残ることは出来ない。
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太陽光発電所
2006年1月2日Uターンラッシュのため4日東京での会議に出るには今日出発する方と打ち合わせ。
太陽光発電所も日本で最初となるといろいろと事前打ち合わせが発生する。
それにしては我がスタッフ陣には緊張感が欠けている。
昨日から現地に行く予定がヅメンがなくいけない。今日も連絡するもすすまぬ。
CO2や地球環境に対する認識不足である。
先日のニュースが面白い。私共が行ってる言葉がそのまま使われているのである。
ようやく汚い電気ときれいな電気が認知されてきたことになる。
“汚い”電気買いません、排出CO2に上限…環境省
環境省は来年度、東京・霞が関の庁舎で使う電力を購入する際、発電時に出る二酸化炭素(CO2)の量に上限を設け、その基準を超えた電力業者を入札に参加させないことを決めた。
電力生産の段階でCO2排出抑制を狙う。今後、他省庁や自治体などにも導入を呼びかけていく方針だ。
環境省は、庁舎で使う電気の事業者を年度ごとに入札で決めている。
発電に伴うCO2排出は水力や原子力ではほとんどないのに対し、火力発電所では同じ電力量を作る際に多くのCO2が排出される。
火力でも、天然ガスや石油に比べ石炭を燃やすとCO2は多く出るが、石炭は安いため、昨年度の使用量は1990年度比で約2・8倍に増えており、電力量当たりのCO2排出量は全体で増えているのが現状だ。
電力販売については、東京電力など既存の電力10社以外の特定規模電気事業者が、一定基準以上の電気を使う消費者に販売できる電力自由化が進んでいる (読売新聞) - 12月25日
さ〜て師匠のメールを見るとあちこちにこのことが触れてある。
平成17年度「太陽光発電新技術等フィールドテスト事業」の公募に係る 共同研究先の決定について
平成17年7月14日
独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO技術開発機構)は、> このたび平成17年度「太陽光発電新技術等フィールドテスト事業」の公募に係> る共同研究先を採択決定しました。
平成17年3月28日〜5月16日の公募期間に提出された応募案件から、新規共 同研究先 388箇所、17,104kWを決定しました。(>
> http://www.nedo.go.jp/informations/koubo/171125_3/171125_3.html
平成17年度「太陽光発電新技術等フィールドテスト事業」の2次1期公募に係る 共同研究先の決定について
平成17年11月25日
独立行政法人 ・・ このたび平成17年度「太陽光発電新技術等フィールドテスト事業」の2次1期公> 募に係る共同研究先を 採択決定しました。
> 平成17年8月23日〜9月30日の公募期間に提出された応募案件から、新規共同研究先 165箇所、6,304kWを決定しました。
双方合わせて、申し訳ないが、たったの 2万3494Kw だ。
NEF事業を見てみる。16年度申し込み総計 61,467件とある。
これが 平均3Kwとしても18万4221Kwだ。
この予算が56億円だった。 8倍ほどだね。
この前の年が5400件ほどだ。17年度予算は26億円 だ。
このトレンドなら多くても8万件ほどか・・・。
24万Kwほどの設置量になるだろう。
NEDO事業のほぼ10倍だ。予 算が足りなくて漏れた人に応募申込の補欠繰上げを出している。
https://www.solar.nef.or.jp/system/hoketsu/FMPro?-db=solar_hoketsu_wdb.fp5&-format=shh_auth.html&-lay=all&-findAny
国は98億円もの資金をつかって2万3494Kwの設備を導
入させ、片や26億円で24万Kwの設備が設置される。
ならば、この98億円を一般家庭向けに使ったら?
240万Kwの設備が出来たという計算も成り立つ。
設備容量としては原 発2基分以上だ。
但し、設備稼働率からするとこの5分の1ほどだけどね。
さて、九州電力が宮崎県木城町に作った揚水発電所(これは、綾の照葉樹 林に不細工な送電鉄塔を引かせてしまったとんでもない代物)これは太陽光発電と同じ様にピーク対応電源なんだけど、この予算がなんと2300億円。
これだけで太陽光発電で40万Kw分ほどだ。
一軒当たりKwあたり10万円出せば、一般市民は喜んで協力するだろう。
5倍だの200万Kwのピーク対応の発電所が出来る。
国にしても電力企業にしてもとんでもなくお馬鹿な金の使い方をしているように思えるけど、如何でしょう?
さて、さらに面白い話を付け加えておこう。
NEDO事業に関するものだ。
貴方が儲かっている企業の社長さんだとして考えてほしい。
貴方は年間3500万円ほどの税金を納めねばならない。
さて、この国に税金を納めてもとんでもないことに使われると言う気もしている。
そうは言っても脱税は出来ない。ばれたら大変。信用も失うし・・・。
そこに実に美味しい話があるという。
何々、環境に貢献してさらに節税ま出来ると言う。
100Kwの太陽光発電を設置すると7000万円ほどだという。うん、NEDOと言う所に申し込むと半分出すと言う。ならば3500万か・・・。
これで年間100000Kwhの電気が作れる。
それがですよ。2年で元が取れるんですよ。ええ、どういう事だ?
はあ、3500万のうちの95%は今年限りの時限措置で特別減価償却とかでその分だけ税金納めなくてもいいんですよ。それじゃ何かい?3325万円くれるってのと同じなのか?
そう言うことです。納める税金は175万で良いんですよ。そりゃ、何かい。もしわしが納める税金があと150万少ないと25万で済むのかい?そう言うことです。
やるやる、そりゃ、やるぞ! で、年間150万円分の電気が壊れるまで 自分のものになるのか?差し引きすれば来年は国に税金を出す必要は無いのか!こりゃ美味しいね〜。
ま、これがNEDOのフィールドテスト事業なんですな。
企業は儲かることしかしませんよ。だから、大規模なものは難しいのです。
でも、太陽光発電は面積で発電量って決まるんです。大規模な工場に一箇所に1000Kw付けても200軒の家に5Kw載っても同じだけの発電量なんですよ。
この国では所得格差がどんどん拡がります。地方は崩壊し、都市は栄えます。若者は希望を失っています。果たして彼らが老人たちを養うことは可能でしょうか・・・。
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CO2や地球環境に対する認識不足である。
先日のニュースが面白い。私共が行ってる言葉がそのまま使われているのである。
ようやく汚い電気ときれいな電気が認知されてきたことになる。
“汚い”電気買いません、排出CO2に上限…環境省
環境省は来年度、東京・霞が関の庁舎で使う電力を購入する際、発電時に出る二酸化炭素(CO2)の量に上限を設け、その基準を超えた電力業者を入札に参加させないことを決めた。
電力生産の段階でCO2排出抑制を狙う。今後、他省庁や自治体などにも導入を呼びかけていく方針だ。
環境省は、庁舎で使う電気の事業者を年度ごとに入札で決めている。
発電に伴うCO2排出は水力や原子力ではほとんどないのに対し、火力発電所では同じ電力量を作る際に多くのCO2が排出される。
火力でも、天然ガスや石油に比べ石炭を燃やすとCO2は多く出るが、石炭は安いため、昨年度の使用量は1990年度比で約2・8倍に増えており、電力量当たりのCO2排出量は全体で増えているのが現状だ。
電力販売については、東京電力など既存の電力10社以外の特定規模電気事業者が、一定基準以上の電気を使う消費者に販売できる電力自由化が進んでいる (読売新聞) - 12月25日
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平成17年度「太陽光発電新技術等フィールドテスト事業」の公募に係る 共同研究先の決定について
平成17年7月14日
独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO技術開発機構)は、> このたび平成17年度「太陽光発電新技術等フィールドテスト事業」の公募に係> る共同研究先を採択決定しました。
平成17年3月28日〜5月16日の公募期間に提出された応募案件から、新規共 同研究先 388箇所、17,104kWを決定しました。(>
> http://www.nedo.go.jp/informations/koubo/171125_3/171125_3.html
平成17年度「太陽光発電新技術等フィールドテスト事業」の2次1期公募に係る 共同研究先の決定について
平成17年11月25日
独立行政法人 ・・ このたび平成17年度「太陽光発電新技術等フィールドテスト事業」の2次1期公> 募に係る共同研究先を 採択決定しました。
> 平成17年8月23日〜9月30日の公募期間に提出された応募案件から、新規共同研究先 165箇所、6,304kWを決定しました。
双方合わせて、申し訳ないが、たったの 2万3494Kw だ。
NEF事業を見てみる。16年度申し込み総計 61,467件とある。
これが 平均3Kwとしても18万4221Kwだ。
この予算が56億円だった。 8倍ほどだね。
この前の年が5400件ほどだ。17年度予算は26億円 だ。
このトレンドなら多くても8万件ほどか・・・。
24万Kwほどの設置量になるだろう。
NEDO事業のほぼ10倍だ。予 算が足りなくて漏れた人に応募申込の補欠繰上げを出している。
https://www.solar.nef.or.jp/system/hoketsu/FMPro?-db=solar_hoketsu_wdb.fp5&-format=shh_auth.html&-lay=all&-findAny
国は98億円もの資金をつかって2万3494Kwの設備を導
入させ、片や26億円で24万Kwの設備が設置される。
ならば、この98億円を一般家庭向けに使ったら?
240万Kwの設備が出来たという計算も成り立つ。
設備容量としては原 発2基分以上だ。
但し、設備稼働率からするとこの5分の1ほどだけどね。
さて、九州電力が宮崎県木城町に作った揚水発電所(これは、綾の照葉樹 林に不細工な送電鉄塔を引かせてしまったとんでもない代物)これは太陽光発電と同じ様にピーク対応電源なんだけど、この予算がなんと2300億円。
これだけで太陽光発電で40万Kw分ほどだ。
一軒当たりKwあたり10万円出せば、一般市民は喜んで協力するだろう。
5倍だの200万Kwのピーク対応の発電所が出来る。
国にしても電力企業にしてもとんでもなくお馬鹿な金の使い方をしているように思えるけど、如何でしょう?
さて、さらに面白い話を付け加えておこう。
NEDO事業に関するものだ。
貴方が儲かっている企業の社長さんだとして考えてほしい。
貴方は年間3500万円ほどの税金を納めねばならない。
さて、この国に税金を納めてもとんでもないことに使われると言う気もしている。
そうは言っても脱税は出来ない。ばれたら大変。信用も失うし・・・。
そこに実に美味しい話があるという。
何々、環境に貢献してさらに節税ま出来ると言う。
100Kwの太陽光発電を設置すると7000万円ほどだという。うん、NEDOと言う所に申し込むと半分出すと言う。ならば3500万か・・・。
これで年間100000Kwhの電気が作れる。
それがですよ。2年で元が取れるんですよ。ええ、どういう事だ?
はあ、3500万のうちの95%は今年限りの時限措置で特別減価償却とかでその分だけ税金納めなくてもいいんですよ。それじゃ何かい?3325万円くれるってのと同じなのか?
そう言うことです。納める税金は175万で良いんですよ。そりゃ、何かい。もしわしが納める税金があと150万少ないと25万で済むのかい?そう言うことです。
やるやる、そりゃ、やるぞ! で、年間150万円分の電気が壊れるまで 自分のものになるのか?差し引きすれば来年は国に税金を出す必要は無いのか!こりゃ美味しいね〜。
ま、これがNEDOのフィールドテスト事業なんですな。
企業は儲かることしかしませんよ。だから、大規模なものは難しいのです。
でも、太陽光発電は面積で発電量って決まるんです。大規模な工場に一箇所に1000Kw付けても200軒の家に5Kw載っても同じだけの発電量なんですよ。
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お正月風景
2006年1月1日苦難の年が明けた。
新年明けましておめでとうございます。
ま〜あ・・「営業せきやんの憂鬱」とのブログゆえ
パワーを分け与えるにはどうにも縁遠いやも知れぬ。
愚痴が明日のパワーの性格ゆえこのブログは生きる糧であり、力。少しは趣を変えた明るきものにするのに心がけたい。
世界配信されてるニューイヤー・コンサートを聞きながらゆえ実に心地よい。
マリス・ヤンソンスの魔法の棒に操られ、
シュトラウスの世界にひきづられる。
狙いをつけろ、春の声、外交官、ことづけと素人のわたしでさえ耐えられる短編曲として大変わかりやすく、その芸術が披瀝される。女性賛美はパリ博覧会の1867に発表されたが不評だったというが哀愁溢れていて日本人にはわかりやすい。
同じく屈指の傑作といわれる芸術家の生活の方がなじみは時間がかかろう。民族性は実に複雑怪奇。
2005年は終わり、新たな年がはじまったわけで
2006年が良い年になるか、ならないかはすべて私自身
そう私次第!
しっかり自分のこの手で!すばらしい「未来」をつかんだブログとしたい。
総てをなくしての出発ゆえなにもないものがら何が誕生するのが、
総てが夢、輝ける未来なのだ
年が明けた。
未来は今、もう既にわたしの手の中にある
過去を振り返らず、古い物事にとらわれず、ただ参考踏み台として・・・・
そうでないと幸せは逃げ新たな希望や未来はやって来ない
穢れは初詣で洗い流し未来に希望を賭け一直線。
犬年は忠孝の国大和の国の年。組織建て直しの年にふさわしい。
桃太郎の犬、西郷隆盛の愛犬ツン、忠犬ハチ公、棒に当たった犬・・・・、
安産の申し子の犬は少子化で苦しむ大和を救える年。
その犬と人間の歴史を語り継ぐお話は1959年昭和34年の1月14日、
第三次越冬隊が上陸、15頭のうちの2頭、タローとジローの元気な姿を確認し1年越しの劇的な対面を果たし生命の尊さを反省せた、
1983(昭和58)年、映画「南極物語」で感動話は大和人を改めて認識させた。
犬と大和人は縄文時代からの付き合いのある仲間であるゆえ奏させるのであろう。
そのタローは、札幌市の北海道大学付属博物館、ジローは東京都上野の国立科学博物館を、それぞれ奥津城として剥製になって鎮座している。
東京タワー入り口手前右手に「南極観測ではたらいたカラフト犬の記念像」というタロージローを含めた犬の像が建っている。
大阪・大浜公園にもある。
生命に対する無頓着は大和の国が始めて経験する人口減
崩壊しかけた国家・地域社会の状況である。
CO2の地球環境変化とも相まって正月風景もピュンーと吹く風もなく大きく変わっている.
童謡「お正月」の風情は毎日がお正月状況である。
幼少期の西都は千切り大根をしながらの正月でもあった。
たこ揚げやけんか駒、はねつきで遊ぶ子供たちの歓声が身を切るような冷たい風をついて響き渡り、藁を燃やして暖をとった。
「団塊の世代」の子供のころの正月の記憶はそんなふうだった。
今、ウキウキとした子供の頃の感動は無い。
下着を新しきして朝風呂の感動は、いにしえのかなた。
「遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動(ゆる)がるれ」。
後白河法皇が『梁塵秘抄』に収めたこの今様には浮き浮きする躍動感がある
時代を超越した大和の正月風景の急激なる変化。滅び行く大和の正月。
子供たちの声が遠ざかる年明けである。
それに追い討ちをかける制度改悪がある。
慣れ親しんだ9年間の義務教育、さえ延長幅1〜2年で政府・与党は決めた。
理由は 幼稚園―小学校の区分による環境の変化が学力のばらつきを招いているため、
幼稚園を義務教育に含め、一貫した学習体系を構築するのが狙い何だそうな。
さらに、幼児教育を無償にすることで、少子化対策を強化する面を強調する。
1月に召集される通常国会に提出する予定の教育基本法改正案で義務教育の9年間規定を削除し、2009年度以降の義務教育延長の実現を目指す。
義務教育をめぐっては、集団生活になじめない児童が騒いで授業が混乱する「小1問題」が起きているそうだ。さらに成績格差が拡大する問題も指摘されている。
これでは幼児期の人格形成期の成長が心配である。
遊びの中から人格は作られる。子供は地域のものである。
躾教育は家庭の問題で学校の場ではなかろう。
いつの世も変わらぬ普遍の原理が子育てのはずである。
歴史的な出来事少子化が拍車をかけたのであろう。
幕末に来日した英国の外交官、オルコックは街にあふれる子供たちが奔放に遊び回るこの国の風景に接して
「子どもの王国」と呼んだという。
受験戦争や消費ブームなど戦後社会の変化がもたらした分析が必要であるはずだ。
中央教育審議会(文部科学相の諮問機関、鳥居泰彦会長)では、05年1月にまとめた幼児教育に関する答申で、
「幼小一貫教育の検討」を掲げた。
政府・与党内には、このほか、
〈1〉幼稚園の1〜2年保育を義務教育とする
〈2〉義務教育の枠内で、「幼小一貫校」を創設し、普通の幼稚園か一貫校かを選べるようにする――としている。
大人のみが楽しむ正月風景なんであろう。
老齢国家にあわせた環境なんであろうや。
太陽光発電の宮崎一の施設にに取り組んでるためお正月も返上で唯一人格闘している。
ラジオ深夜便の今朝の幸せ論は慈恵医大日野原重明理事長の第1回目で今夜も楽しみである。
満足していれば休みは要らないわたしのお正月なのである。
ウィーンからのプレゼントは唯一のお年玉で有り難く全身に染み渡り心地よい。
なんとなくいい年の予感がしてくる。
新年明けましておめでとうございます。
本年もご愛顧をお願いいたします。
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愚痴が明日のパワーの性格ゆえこのブログは生きる糧であり、力。少しは趣を変えた明るきものにするのに心がけたい。
世界配信されてるニューイヤー・コンサートを聞きながらゆえ実に心地よい。
マリス・ヤンソンスの魔法の棒に操られ、
シュトラウスの世界にひきづられる。
狙いをつけろ、春の声、外交官、ことづけと素人のわたしでさえ耐えられる短編曲として大変わかりやすく、その芸術が披瀝される。女性賛美はパリ博覧会の1867に発表されたが不評だったというが哀愁溢れていて日本人にはわかりやすい。
同じく屈指の傑作といわれる芸術家の生活の方がなじみは時間がかかろう。民族性は実に複雑怪奇。
2005年は終わり、新たな年がはじまったわけで
2006年が良い年になるか、ならないかはすべて私自身
そう私次第!
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総てをなくしての出発ゆえなにもないものがら何が誕生するのが、
総てが夢、輝ける未来なのだ
年が明けた。
未来は今、もう既にわたしの手の中にある
過去を振り返らず、古い物事にとらわれず、ただ参考踏み台として・・・・
そうでないと幸せは逃げ新たな希望や未来はやって来ない
穢れは初詣で洗い流し未来に希望を賭け一直線。
犬年は忠孝の国大和の国の年。組織建て直しの年にふさわしい。
桃太郎の犬、西郷隆盛の愛犬ツン、忠犬ハチ公、棒に当たった犬・・・・、
安産の申し子の犬は少子化で苦しむ大和を救える年。
その犬と人間の歴史を語り継ぐお話は1959年昭和34年の1月14日、
第三次越冬隊が上陸、15頭のうちの2頭、タローとジローの元気な姿を確認し1年越しの劇的な対面を果たし生命の尊さを反省せた、
1983(昭和58)年、映画「南極物語」で感動話は大和人を改めて認識させた。
犬と大和人は縄文時代からの付き合いのある仲間であるゆえ奏させるのであろう。
そのタローは、札幌市の北海道大学付属博物館、ジローは東京都上野の国立科学博物館を、それぞれ奥津城として剥製になって鎮座している。
東京タワー入り口手前右手に「南極観測ではたらいたカラフト犬の記念像」というタロージローを含めた犬の像が建っている。
大阪・大浜公園にもある。
生命に対する無頓着は大和の国が始めて経験する人口減
崩壊しかけた国家・地域社会の状況である。
CO2の地球環境変化とも相まって正月風景もピュンーと吹く風もなく大きく変わっている.
童謡「お正月」の風情は毎日がお正月状況である。
幼少期の西都は千切り大根をしながらの正月でもあった。
たこ揚げやけんか駒、はねつきで遊ぶ子供たちの歓声が身を切るような冷たい風をついて響き渡り、藁を燃やして暖をとった。
「団塊の世代」の子供のころの正月の記憶はそんなふうだった。
今、ウキウキとした子供の頃の感動は無い。
下着を新しきして朝風呂の感動は、いにしえのかなた。
「遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動(ゆる)がるれ」。
後白河法皇が『梁塵秘抄』に収めたこの今様には浮き浮きする躍動感がある
時代を超越した大和の正月風景の急激なる変化。滅び行く大和の正月。
子供たちの声が遠ざかる年明けである。
それに追い討ちをかける制度改悪がある。
慣れ親しんだ9年間の義務教育、さえ延長幅1〜2年で政府・与党は決めた。
理由は 幼稚園―小学校の区分による環境の変化が学力のばらつきを招いているため、
幼稚園を義務教育に含め、一貫した学習体系を構築するのが狙い何だそうな。
さらに、幼児教育を無償にすることで、少子化対策を強化する面を強調する。
1月に召集される通常国会に提出する予定の教育基本法改正案で義務教育の9年間規定を削除し、2009年度以降の義務教育延長の実現を目指す。
義務教育をめぐっては、集団生活になじめない児童が騒いで授業が混乱する「小1問題」が起きているそうだ。さらに成績格差が拡大する問題も指摘されている。
これでは幼児期の人格形成期の成長が心配である。
遊びの中から人格は作られる。子供は地域のものである。
躾教育は家庭の問題で学校の場ではなかろう。
いつの世も変わらぬ普遍の原理が子育てのはずである。
歴史的な出来事少子化が拍車をかけたのであろう。
幕末に来日した英国の外交官、オルコックは街にあふれる子供たちが奔放に遊び回るこの国の風景に接して
「子どもの王国」と呼んだという。
受験戦争や消費ブームなど戦後社会の変化がもたらした分析が必要であるはずだ。
中央教育審議会(文部科学相の諮問機関、鳥居泰彦会長)では、05年1月にまとめた幼児教育に関する答申で、
「幼小一貫教育の検討」を掲げた。
政府・与党内には、このほか、
〈1〉幼稚園の1〜2年保育を義務教育とする
〈2〉義務教育の枠内で、「幼小一貫校」を創設し、普通の幼稚園か一貫校かを選べるようにする――としている。
大人のみが楽しむ正月風景なんであろう。
老齢国家にあわせた環境なんであろうや。
太陽光発電の宮崎一の施設にに取り組んでるためお正月も返上で唯一人格闘している。
ラジオ深夜便の今朝の幸せ論は慈恵医大日野原重明理事長の第1回目で今夜も楽しみである。
満足していれば休みは要らないわたしのお正月なのである。
ウィーンからのプレゼントは唯一のお年玉で有り難く全身に染み渡り心地よい。
なんとなくいい年の予感がしてくる。
新年明けましておめでとうございます。
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乙酉(きのととり)
2005年12月31日午後より小雨が煙る大晦日の日に久しぶりにTVを瞬時のチャンネル変更の連続で眺めてみた。
年越し風景の定番の紅白歌合戦の司会に民放の視聴率男・みのもんたが型破りの進行をしていた。
昨年、史上初めて視聴率40%を割り込みプライドを投げ捨てた起死回生策。
世論に晒され苦悩する姿のNHKの自殺行為か、起死回生の妙案であったか。指標たる視聴率は2日が発表される。
関係者、業界の事情通は沸き立っている事であろう。
まさかビデオ・リサーチ社に手は回すまいに。
愛読している好青年のナナさんのブログからは大層評判が悪かったのを感じ取る。双希さんにはご挨拶さえ頂いた。申し訳ない。
少なくとも若者は捉えていないようだ。
流動の彷徨を歌で感じる。
aiko、渡辺 美里、一青 窈、山崎まさよしにみられる語りかける歌い方が現代を映してるのであろう。
歌い修めの「トリ」が滅び行く日本の原風景を歌う演歌でなく2年ぶりのS M A Pが象徴的。
天童よしみに納得し小林幸子の豪華衣装に芸人の悲哀さえ感じ47回出場の北島三郎の笑顔に落ち着きを感じる古き世代。
稲作民族の滅び行く情景でもあるんであろう。
ただ救われるのは始めて見聞きした「グループ魂」のリズム感、ノリが出来ること。みのもんたの急場乗り切りにも好感をもつ。
人気脚本家の宮藤官九郎(35)率いるバンド何だそうな。
きわどい演出でタブーを冒した!?ボーカルの阿部サダヲ(35)が間奏時に審査員席の琴欧州に
「CMとか出てますよね?ヨーグルトは?」と問い掛け、琴欧州は迷わず司会のみのもんたの冒頭アドリブ「ヨウ!ブルガリア」を受け「ブルガリア」とやりNHKだよ大丈夫?と立川談志顔負けのライブ感の技術は凄い!不快に感じない感覚は矜持してる。
WaTのパフォーマンス中にマイクが倒れると、
「ごめんね、初出場なのに」とフォロー。
白組司会の山本耕史が前川清の紹介を「山川…」と間違えると、「やっちゃったね〜」と突っ込むみのもんた流の愛の手、
過去には「仮面舞踏会」を「仮面ライダー」、都はるみを「美空」とやってしまった司会者がいたが、それに負けず劣らずのダメ出し記録になった事だろう。
フリーアナ梶原しげるが来年司会者として後を継げればNHK改革もみのもんたも本物。
ただ番組改変の中でプロジェクトXやETVなどの名物番組が消えるのは惜しい。
大宅荘一のテレビ論「一億総白痴」を知ってるゆえ政治的陰謀を感ずる。
教育チャンンネルでETVの零戦ニ欠陥アリ、山田風太郎の記憶を続けて見れたのはいい。
格闘技を二局が裏番組でぶっつけていた。
TBS・毎日系「K―1」、フジテレビ・関西系「PRIDE」
大阪らしく合間に矢沢栄吉を登場させる試行も曙の無様さにかき消された。
山本キッドvs須藤元気で何とか面目を保った。
男祭りはその点坂口VS吉田をメインにポテンションを出し続けていた。勝利した山本、吉田に哲学の差がでていた。
年越しの時は恐るべし。人は流動する。
公募で選ばれた「今年の漢字」は「愛」。
なんと皮肉な事の一年であったことか。
特異な出来事に事欠かない1年だったが私にもこれまでで最大の屈辱。何故にこうなったのかわからぬ。
吉良上野介の心境で風呂桶での発見劇は情けなし。
ゴルバチョフのソ連邦崩壊寸前劇の状態。
いつもこの団体交渉でのつる仕上げはたまらない。
昨日延岡に集金の同行を頼むも「大分に里帰り」とウソを言ってこの場にはいる人の煽動を感じる。
その後の7時間にもわたる激論は雨後の地固めになれば幸い。
良くも悪くも総てはこの人にあるが誰も気付いてない。
武士が闊歩した戦乱の世であれ、平成の世であれトップを敬ざるして馬鹿にしきっていてその組織は他の組織に滅ぼされていく。
厳しき世知辛い本質がわかっていないし、世渡りは出来ない。
元請から手玉にとられているのを見抜けない薄ら馬鹿。
○百万以上を値切られかすみとられてる構造からきてるのである。
絞死したる○○○の教訓さえかみ締めなくてこれでは亡霊さえ浮かばれまい。
勝ち組負け組みに完全に区分けられてる社会的構造である
正当なる労働評価がされてないことから来る年越しの苦難となっているのに気付かない。
今日の事態の原因たる起因。どこに問題があったのか。
1ヶ月の売上金にからむ事からである。
平然としてるのでは救いがない。
刑事事件を我慢してる私の心情がわかっていない。
名監督仰木死しては尊しイチローの恩義である。
誰もが内向きな自己愛に走れば「相手を倒して勝つ」ことだけが優先され、偏狭なナショナリズムが横行してる世相そのもの。
中国の反日暴動や日中、日韓のナショナリズム対立の互いの根っこが似ているのと同じ状況。
干支の『乙酉(きのととり)』は大転換の年で、直近は1945年だ。
想像以上の大転換があちこちで見られた戦後60年、国連創設60年、ポーツマス100年であった。
日露100年で返え得れぬ北方領土の4島は無策外交の小泉政治の象徴。
年去り年来たつて今年も暮れてゆく。
どちら様もよいお年をお迎えられてる事でしよう。
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年越し風景の定番の紅白歌合戦の司会に民放の視聴率男・みのもんたが型破りの進行をしていた。
昨年、史上初めて視聴率40%を割り込みプライドを投げ捨てた起死回生策。
世論に晒され苦悩する姿のNHKの自殺行為か、起死回生の妙案であったか。指標たる視聴率は2日が発表される。
関係者、業界の事情通は沸き立っている事であろう。
まさかビデオ・リサーチ社に手は回すまいに。
愛読している好青年のナナさんのブログからは大層評判が悪かったのを感じ取る。双希さんにはご挨拶さえ頂いた。申し訳ない。
少なくとも若者は捉えていないようだ。
流動の彷徨を歌で感じる。
aiko、渡辺 美里、一青 窈、山崎まさよしにみられる語りかける歌い方が現代を映してるのであろう。
歌い修めの「トリ」が滅び行く日本の原風景を歌う演歌でなく2年ぶりのS M A Pが象徴的。
天童よしみに納得し小林幸子の豪華衣装に芸人の悲哀さえ感じ47回出場の北島三郎の笑顔に落ち着きを感じる古き世代。
稲作民族の滅び行く情景でもあるんであろう。
ただ救われるのは始めて見聞きした「グループ魂」のリズム感、ノリが出来ること。みのもんたの急場乗り切りにも好感をもつ。
人気脚本家の宮藤官九郎(35)率いるバンド何だそうな。
きわどい演出でタブーを冒した!?ボーカルの阿部サダヲ(35)が間奏時に審査員席の琴欧州に
「CMとか出てますよね?ヨーグルトは?」と問い掛け、琴欧州は迷わず司会のみのもんたの冒頭アドリブ「ヨウ!ブルガリア」を受け「ブルガリア」とやりNHKだよ大丈夫?と立川談志顔負けのライブ感の技術は凄い!不快に感じない感覚は矜持してる。
WaTのパフォーマンス中にマイクが倒れると、
「ごめんね、初出場なのに」とフォロー。
白組司会の山本耕史が前川清の紹介を「山川…」と間違えると、「やっちゃったね〜」と突っ込むみのもんた流の愛の手、
過去には「仮面舞踏会」を「仮面ライダー」、都はるみを「美空」とやってしまった司会者がいたが、それに負けず劣らずのダメ出し記録になった事だろう。
フリーアナ梶原しげるが来年司会者として後を継げればNHK改革もみのもんたも本物。
ただ番組改変の中でプロジェクトXやETVなどの名物番組が消えるのは惜しい。
大宅荘一のテレビ論「一億総白痴」を知ってるゆえ政治的陰謀を感ずる。
教育チャンンネルでETVの零戦ニ欠陥アリ、山田風太郎の記憶を続けて見れたのはいい。
格闘技を二局が裏番組でぶっつけていた。
TBS・毎日系「K―1」、フジテレビ・関西系「PRIDE」
大阪らしく合間に矢沢栄吉を登場させる試行も曙の無様さにかき消された。
山本キッドvs須藤元気で何とか面目を保った。
男祭りはその点坂口VS吉田をメインにポテンションを出し続けていた。勝利した山本、吉田に哲学の差がでていた。
年越しの時は恐るべし。人は流動する。
公募で選ばれた「今年の漢字」は「愛」。
なんと皮肉な事の一年であったことか。
特異な出来事に事欠かない1年だったが私にもこれまでで最大の屈辱。何故にこうなったのかわからぬ。
吉良上野介の心境で風呂桶での発見劇は情けなし。
ゴルバチョフのソ連邦崩壊寸前劇の状態。
いつもこの団体交渉でのつる仕上げはたまらない。
昨日延岡に集金の同行を頼むも「大分に里帰り」とウソを言ってこの場にはいる人の煽動を感じる。
その後の7時間にもわたる激論は雨後の地固めになれば幸い。
良くも悪くも総てはこの人にあるが誰も気付いてない。
武士が闊歩した戦乱の世であれ、平成の世であれトップを敬ざるして馬鹿にしきっていてその組織は他の組織に滅ぼされていく。
厳しき世知辛い本質がわかっていないし、世渡りは出来ない。
元請から手玉にとられているのを見抜けない薄ら馬鹿。
○百万以上を値切られかすみとられてる構造からきてるのである。
絞死したる○○○の教訓さえかみ締めなくてこれでは亡霊さえ浮かばれまい。
勝ち組負け組みに完全に区分けられてる社会的構造である
正当なる労働評価がされてないことから来る年越しの苦難となっているのに気付かない。
今日の事態の原因たる起因。どこに問題があったのか。
1ヶ月の売上金にからむ事からである。
平然としてるのでは救いがない。
刑事事件を我慢してる私の心情がわかっていない。
名監督仰木死しては尊しイチローの恩義である。
誰もが内向きな自己愛に走れば「相手を倒して勝つ」ことだけが優先され、偏狭なナショナリズムが横行してる世相そのもの。
中国の反日暴動や日中、日韓のナショナリズム対立の互いの根っこが似ているのと同じ状況。
干支の『乙酉(きのととり)』は大転換の年で、直近は1945年だ。
想像以上の大転換があちこちで見られた戦後60年、国連創設60年、ポーツマス100年であった。
日露100年で返え得れぬ北方領土の4島は無策外交の小泉政治の象徴。
年去り年来たつて今年も暮れてゆく。
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メール
2005年12月30日今日から年越しの準備たる未払い金や借用金で東奔西走。
昨日まで南の件で忙殺。
今頃から動いたんではうまくいくはずもない。
師匠からのメールに励まされる。
歴史と人間、現状分析から的確に未来を抉り出している。
太陽光・風力発電トラスト」運営委員、○○です。
勤勉であった産業資本社会の担い手は、其の前の時代に育てられた農民の 子達。彼らは、実にまじめに良く働きました。でも、其の子供たちは既に その基本的な姿勢を失っています。
http://www.book-navi.com/daijiten/zatu-sa.html
ひところ3Kと言えば、きつい、きたない、きけんな仕事を指したが、それ では現代の3Kとは何か?
現代は高齢社会まっ盛りである。現在65歳以上の人口は約6人に1人と言わ れ、このままいけば15年後には約4人に1人の割合になる。
お年寄りにとっ ての3Kとは、経済、健康、孤独であるという。言い換えれば、低金利時代 の年金生活、年々衰える体力、親の面倒を見たがらない子供たち、という ことになろうか。
とネットに書く人もいます。
でも、老人たちは自分の育った時代の常識でものを考えます。しかし、そりゃ、無理でしょう。まじめにものも言わずに与えられた仕事を黙々とこなすそうした人間は既に少数派。
一体、彼らに何を求めるのか・・・。
そう言う連中に老人の面倒を見ろといってもそれは無理と言うもの。生産の無い所に消費などある訳は無いで しょう。
そう言う時代を私たちは迎える。それなのに其の前の時代の考え方と仕組みで動かそうと言うのだからどうしたって無理があるのです。
しかし、彼らの言う不満にも一理はあります。フェアーではない。全面的に首肯、出来ぬものの 言い分が不当だとまでは言えないでしょう。が、
しかし、其の言い分を一部認めても今の仕組みでは破綻することは確かです。
何にしろ生産することは必要です。消費をするつもりなら・・・。では、 ここでいう生産とは何か・・・。それは、太陽エネルギーの流れを人間の文明圏へと導き入れる事です。
かつて、この国では何処でも行われていたこと。田に水を導きいれ、苗を植え、草取りをし、秋には刈り入れをする。そして、その恵みに感謝する秋祭りが村の神社で行われかした。
秋の夜長には神に感謝する神楽が舞われ、それが地域に育まれた文化でした。次ぎの世代に引き継ぐこと。
連綿と続く人間の営み。それが、この地上で人間がずっとこのかた千年以上も続けてきた生活だったのです。
こうした生活を日本人はつい最近までしていました。高度経済成長が始まる其の頃まで・・・。
親の世代は、子供たちを育てながらそうした日々の生産活動を続け、其の 姿を見ながら子供たちは育ち、人とは額に汗して働くものだと言う産業社会を支える勤勉さを身に付けてお店へと成長しました。そして、彼らはその地から都市部へと戦後、それも高度経済成長の時期を通して 地域から流れ出し産業資本の勤勉な労働者となり、日本の繁栄を支えてきました。
一方で、其の分、田舎で持続可能であった地域を支えるべき人が居なくなってしまいました。残されたのは親の世代と出て行く機会を失った人たち。
そして時間が過ぎると共に高齢化社会は進みました、途中、補助金で底上げをしましたが、流れを変えることは出来ませんでした。そして、今、最も地域を支えねばならない人々が、居なくなってしまいました。
なのに、都市はその育ててくれた田舎を捨て去ることを選ぼうとしています。産業資本は国内ではなく海外にその人的資源を求めるようになりました。
成功者の二代目となった世代は、親の世代の働く工場内に囲い込まれた姿を見ることが出来ませんでした。価値を生み出すこととは何かを学ぶ機会を奪われてしまったのです。生産の現場は見えなくなり生活の場は消費だけしかなくなったのです。
ですから、消費者運動と言うものだけが戦後の社会運動の中心でした。生産の現場では労働組合運動と・・・。
19世紀に始まった地球からの収奪。エネルギー資源としての化石燃料を 掘り出し、使い捨てにしてしまう私たちのこんな文明の有り様は持続可能 な訳はありません。なのに、それが、当然のこととして動き続ける社会。
そして、その化石燃料を使うことが当然な仕組みで動く都市に多くの人たちが住いしています。
片や、この国では、最も豊かな自然エネルギーに恵まれている中山間地域が今、崩壊の危機にさらされているのです。
必要なのは、問題となっている化石燃料をそのエネルギー基盤とするその在り方から変えると言うことでしょう。
まず、それだけはすべきことです。それだけでこのままでいく破局までの時間的な余裕を手に入れられます。それが出来れば未来を変えるいろんなことを試すことが出来るでしょう。
それをやったからと言って人類全体として失うものは無いのですから、やった方が良いのです。やらなければ人類は未来を失います。でも、そうしたことが必要だと言う危機感が、若い世代には残念ながら有りません。
そうした危機に関しての感性が摩滅しているようです。豊かなのは当然なのです。だって実際にそうなんですから・・・。おじいちゃんの世代、お父さんの世代、みんな、そういう豊かさを求めてひたすら働いてきたのです。
彼らはその問題を知った所で、諦め顔で云うかもしれません。やっても変わらないと・・・。
やっても変わらない?なら、やってみようではないか。やらなければ変わ りようが無いのだから・・・。 このまま縮こまって待っていても類としての私たちは、死を迎えるだけに終わってしまいます。それって勿体無い
でしょう?
と言っても分かりそうに無いのだけどれど・・・。
では、何処でそれは実現され得るのでしょうか?
勿論、人工的に作られ化石燃料を使 い、資源を周縁部から取り入れることで成り立っている都市では不可能です。
それが可能なのは、実は、今、崩壊の危機に瀕しているバイオマス資源が 豊かで、小水力など自然エネルギーの可能性も高い中山間地にあります。
ただ、ここは産業化して行う大規模経営には向きませんでした。まだ、それは見えていません。
ただ、都市にはまだなだ権力が有ります。そこにいる人々の欲望がそれを支えています。 それは一気には変わることはありません。でも、田舎が この国でやっておくべきことはあります。
その可能性を拓く事です。次に時代を用意しておくことです。来年はそうした年にしたいものです。
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勤勉であった産業資本社会の担い手は、其の前の時代に育てられた農民の 子達。彼らは、実にまじめに良く働きました。でも、其の子供たちは既に その基本的な姿勢を失っています。
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ひところ3Kと言えば、きつい、きたない、きけんな仕事を指したが、それ では現代の3Kとは何か?
現代は高齢社会まっ盛りである。現在65歳以上の人口は約6人に1人と言わ れ、このままいけば15年後には約4人に1人の割合になる。
お年寄りにとっ ての3Kとは、経済、健康、孤独であるという。言い換えれば、低金利時代 の年金生活、年々衰える体力、親の面倒を見たがらない子供たち、という ことになろうか。
とネットに書く人もいます。
でも、老人たちは自分の育った時代の常識でものを考えます。しかし、そりゃ、無理でしょう。まじめにものも言わずに与えられた仕事を黙々とこなすそうした人間は既に少数派。
一体、彼らに何を求めるのか・・・。
そう言う連中に老人の面倒を見ろといってもそれは無理と言うもの。生産の無い所に消費などある訳は無いで しょう。
そう言う時代を私たちは迎える。それなのに其の前の時代の考え方と仕組みで動かそうと言うのだからどうしたって無理があるのです。
しかし、彼らの言う不満にも一理はあります。フェアーではない。全面的に首肯、出来ぬものの 言い分が不当だとまでは言えないでしょう。が、
しかし、其の言い分を一部認めても今の仕組みでは破綻することは確かです。
何にしろ生産することは必要です。消費をするつもりなら・・・。では、 ここでいう生産とは何か・・・。それは、太陽エネルギーの流れを人間の文明圏へと導き入れる事です。
かつて、この国では何処でも行われていたこと。田に水を導きいれ、苗を植え、草取りをし、秋には刈り入れをする。そして、その恵みに感謝する秋祭りが村の神社で行われかした。
秋の夜長には神に感謝する神楽が舞われ、それが地域に育まれた文化でした。次ぎの世代に引き継ぐこと。
連綿と続く人間の営み。それが、この地上で人間がずっとこのかた千年以上も続けてきた生活だったのです。
こうした生活を日本人はつい最近までしていました。高度経済成長が始まる其の頃まで・・・。
親の世代は、子供たちを育てながらそうした日々の生産活動を続け、其の 姿を見ながら子供たちは育ち、人とは額に汗して働くものだと言う産業社会を支える勤勉さを身に付けてお店へと成長しました。そして、彼らはその地から都市部へと戦後、それも高度経済成長の時期を通して 地域から流れ出し産業資本の勤勉な労働者となり、日本の繁栄を支えてきました。
一方で、其の分、田舎で持続可能であった地域を支えるべき人が居なくなってしまいました。残されたのは親の世代と出て行く機会を失った人たち。
そして時間が過ぎると共に高齢化社会は進みました、途中、補助金で底上げをしましたが、流れを変えることは出来ませんでした。そして、今、最も地域を支えねばならない人々が、居なくなってしまいました。
なのに、都市はその育ててくれた田舎を捨て去ることを選ぼうとしています。産業資本は国内ではなく海外にその人的資源を求めるようになりました。
成功者の二代目となった世代は、親の世代の働く工場内に囲い込まれた姿を見ることが出来ませんでした。価値を生み出すこととは何かを学ぶ機会を奪われてしまったのです。生産の現場は見えなくなり生活の場は消費だけしかなくなったのです。
ですから、消費者運動と言うものだけが戦後の社会運動の中心でした。生産の現場では労働組合運動と・・・。
19世紀に始まった地球からの収奪。エネルギー資源としての化石燃料を 掘り出し、使い捨てにしてしまう私たちのこんな文明の有り様は持続可能 な訳はありません。なのに、それが、当然のこととして動き続ける社会。
そして、その化石燃料を使うことが当然な仕組みで動く都市に多くの人たちが住いしています。
片や、この国では、最も豊かな自然エネルギーに恵まれている中山間地域が今、崩壊の危機にさらされているのです。
必要なのは、問題となっている化石燃料をそのエネルギー基盤とするその在り方から変えると言うことでしょう。
まず、それだけはすべきことです。それだけでこのままでいく破局までの時間的な余裕を手に入れられます。それが出来れば未来を変えるいろんなことを試すことが出来るでしょう。
それをやったからと言って人類全体として失うものは無いのですから、やった方が良いのです。やらなければ人類は未来を失います。でも、そうしたことが必要だと言う危機感が、若い世代には残念ながら有りません。
そうした危機に関しての感性が摩滅しているようです。豊かなのは当然なのです。だって実際にそうなんですから・・・。おじいちゃんの世代、お父さんの世代、みんな、そういう豊かさを求めてひたすら働いてきたのです。
彼らはその問題を知った所で、諦め顔で云うかもしれません。やっても変わらないと・・・。
やっても変わらない?なら、やってみようではないか。やらなければ変わ りようが無いのだから・・・。 このまま縮こまって待っていても類としての私たちは、死を迎えるだけに終わってしまいます。それって勿体無い
でしょう?
と言っても分かりそうに無いのだけどれど・・・。
では、何処でそれは実現され得るのでしょうか?
勿論、人工的に作られ化石燃料を使 い、資源を周縁部から取り入れることで成り立っている都市では不可能です。
それが可能なのは、実は、今、崩壊の危機に瀕しているバイオマス資源が 豊かで、小水力など自然エネルギーの可能性も高い中山間地にあります。
ただ、ここは産業化して行う大規模経営には向きませんでした。まだ、それは見えていません。
ただ、都市にはまだなだ権力が有ります。そこにいる人々の欲望がそれを支えています。 それは一気には変わることはありません。でも、田舎が この国でやっておくべきことはあります。
その可能性を拓く事です。次に時代を用意しておくことです。来年はそうした年にしたいものです。
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忙中閑・・・・。
2005年12月29日またしても行動予定が変わってくる。
緊急事態発生である。
南に3人で飛ぶ。
年越し行事は総てパーだ、
旅立つ前の争闘。
何故に仕事に絡まぬ。
誰が呼んだか総揃い。
ない袖は触れない。
この数日南詣。
私に資金繰りのその時間をくれないではないか。
自分のポジションをはたさないからである。
なのに支払いの仕事には固執して頑として譲らない資金を回収してきたものさえいる。
全体調整がいるのがお金。
我が通じては配れない責任者唯一の公平な神の仕事。
一番やりたくないが、やりぬかねばならぬ最高で最大のもの。
おかれてるポジションでそのこと一つまるっきり違う。
資金手あての仕事を遣り上げてのことの上できるものである。
総合的視野がいる。
固執する人のため、私から貴重な時間が逃げた。
外の人間に知れたため組織の名誉が逃げた。信用のガタ落ち。
その事がわからないのか・・・なんか、こうなるとワザとなのかと疑いたくもなる。
トップを立てない組織はこのきびしき世相からは生き残れない。
所詮、個人的な人生観や、愛社精神の差であろう。
いやはやドウシヨウモナイ。
エンタツ・アチャコ風の言い回しの天才的語法。話術。
メチャクチャでゴザイマシュル。
優しさ溢れる社会世相であった頃の緊急避難術を笑い飛ばして教えた話法。今に思えば芸術の域なんであった二人の漫才。
左に生命の母たる慈悲の風景・大太平洋のエメナルド・グリーンがつづく。
その向こうのハワイには勝ち組さんが悠々の時を過ごしている。
大景観をみて勇気がわく。
これが日向人。
・・・・・
総揃いの発注者と対峙して
・・・・・
難関を宿題を持って突破!
・・・・
さ〜あ出番である!
歓び勇み急いで連絡する。・・・
勇気奮い足させてくれるのは外人のみ。
奇声が上がるほどのよろこび。!
ところで部内の反応はまるっきり逆。規律の弛緩!
支払い遅延での怒りがあるからであろう。
わからぬではないがそのように私を追い込んでるのは何故か。
・・4ヶ所の工事費を払わぬところに何故にいこうとせぬ。
また9回裏の挽回策がわからぬのであろうや。
気楽なる立場にあるのは実に楽である。
夜唯一の時間を利用して年越し行事にまい進しようとすると
あり難き大先輩。唯一心癒せる人。この人のみである。
有り難き人。それにしては非常事態の時間である。
親身ある熱意のこもったご指導を頂く。
そのお客さんらと協議してる時間のため遅れていくとダメだし。
ソリャ〜そうだ。時間を守らぬものは信用できない。
辛き年越しになりそう。
これでは責任が果たせ用もない。
唯一残された明日の自分の仕事が出来る時間にかけよう。
果たして一日にしてローマはなるのか。
年賀状どこでもない。
その年賀状の作成で3人に2人がパソコンで年賀状を作成していることがパイロットコーポレーションのアンケート結果。
パソコンから電子メールなどの電子年賀状を送る人も多く、手軽に個性を表現できるパソコン利用が加速している実態が浮き彫り。
アンケートによると、「今回出す年賀状のタイプ」(複数回答)で「パソコン利用」との回答が前年比12・1ポイント増の67・8%と、
26回目の調査で初めて3分の2を超え、大差の首位。
2位は「その他」の17・3%だが、パソコンや携帯電話による電子メールや動画などという回答が大部分。
また、「できれば年賀状を出したくない相手」(同)のトップは「取引先等」(32・1%)。
前年首位だった「会社等の上司」(31・8%)はわずかな差ながら2位に。
急いで準備せねば。
いつもこの時間のないギリギリのやり方であった。
それにしても工事日程がギリギリにしても足らない。
どうしたモンであろう。
どこをどうすればよいのか。
忙中閑アリ。深夜散策。
元気いただくブログからテレビ・ドラマを教えてもらう。
2時間半は私の時間にないので3分で有り難い。
・・・・
「河井継之助〜駆け抜けた蒼龍〜」を視て、凄い人だったのだとおもった。勘三郎さんの思い入れが伝わるような・・とある。
当代位置の名優がどう演じたんであろうm理事の国づくりの群像
国トリにしてそうである。
総てはスタッフの準備如何による。
緻密なる日々工程の確立。
滅私奉公の職長が立てられやの如何である。
儀を見てせざるは勇なきなり
太陽光発電の増加こそが平和な正月風景を永久に続かせる。
地球生存環境維持の唯一の持続可能エネルギー。
年越し休暇・年始休暇はありえない。
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緊急事態発生である。
南に3人で飛ぶ。
年越し行事は総てパーだ、
旅立つ前の争闘。
何故に仕事に絡まぬ。
誰が呼んだか総揃い。
ない袖は触れない。
この数日南詣。
私に資金繰りのその時間をくれないではないか。
自分のポジションをはたさないからである。
なのに支払いの仕事には固執して頑として譲らない資金を回収してきたものさえいる。
全体調整がいるのがお金。
我が通じては配れない責任者唯一の公平な神の仕事。
一番やりたくないが、やりぬかねばならぬ最高で最大のもの。
おかれてるポジションでそのこと一つまるっきり違う。
資金手あての仕事を遣り上げてのことの上できるものである。
総合的視野がいる。
固執する人のため、私から貴重な時間が逃げた。
外の人間に知れたため組織の名誉が逃げた。信用のガタ落ち。
その事がわからないのか・・・なんか、こうなるとワザとなのかと疑いたくもなる。
トップを立てない組織はこのきびしき世相からは生き残れない。
所詮、個人的な人生観や、愛社精神の差であろう。
いやはやドウシヨウモナイ。
エンタツ・アチャコ風の言い回しの天才的語法。話術。
メチャクチャでゴザイマシュル。
優しさ溢れる社会世相であった頃の緊急避難術を笑い飛ばして教えた話法。今に思えば芸術の域なんであった二人の漫才。
左に生命の母たる慈悲の風景・大太平洋のエメナルド・グリーンがつづく。
その向こうのハワイには勝ち組さんが悠々の時を過ごしている。
大景観をみて勇気がわく。
これが日向人。
・・・・・
総揃いの発注者と対峙して
・・・・・
難関を宿題を持って突破!
・・・・
さ〜あ出番である!
歓び勇み急いで連絡する。・・・
勇気奮い足させてくれるのは外人のみ。
奇声が上がるほどのよろこび。!
ところで部内の反応はまるっきり逆。規律の弛緩!
支払い遅延での怒りがあるからであろう。
わからぬではないがそのように私を追い込んでるのは何故か。
・・4ヶ所の工事費を払わぬところに何故にいこうとせぬ。
また9回裏の挽回策がわからぬのであろうや。
気楽なる立場にあるのは実に楽である。
夜唯一の時間を利用して年越し行事にまい進しようとすると
あり難き大先輩。唯一心癒せる人。この人のみである。
有り難き人。それにしては非常事態の時間である。
親身ある熱意のこもったご指導を頂く。
そのお客さんらと協議してる時間のため遅れていくとダメだし。
ソリャ〜そうだ。時間を守らぬものは信用できない。
辛き年越しになりそう。
これでは責任が果たせ用もない。
唯一残された明日の自分の仕事が出来る時間にかけよう。
果たして一日にしてローマはなるのか。
年賀状どこでもない。
その年賀状の作成で3人に2人がパソコンで年賀状を作成していることがパイロットコーポレーションのアンケート結果。
パソコンから電子メールなどの電子年賀状を送る人も多く、手軽に個性を表現できるパソコン利用が加速している実態が浮き彫り。
アンケートによると、「今回出す年賀状のタイプ」(複数回答)で「パソコン利用」との回答が前年比12・1ポイント増の67・8%と、
26回目の調査で初めて3分の2を超え、大差の首位。
2位は「その他」の17・3%だが、パソコンや携帯電話による電子メールや動画などという回答が大部分。
また、「できれば年賀状を出したくない相手」(同)のトップは「取引先等」(32・1%)。
前年首位だった「会社等の上司」(31・8%)はわずかな差ながら2位に。
急いで準備せねば。
いつもこの時間のないギリギリのやり方であった。
それにしても工事日程がギリギリにしても足らない。
どうしたモンであろう。
どこをどうすればよいのか。
忙中閑アリ。深夜散策。
元気いただくブログからテレビ・ドラマを教えてもらう。
2時間半は私の時間にないので3分で有り難い。
・・・・
「河井継之助〜駆け抜けた蒼龍〜」を視て、凄い人だったのだとおもった。勘三郎さんの思い入れが伝わるような・・とある。
当代位置の名優がどう演じたんであろうm理事の国づくりの群像
国トリにしてそうである。
総てはスタッフの準備如何による。
緻密なる日々工程の確立。
滅私奉公の職長が立てられやの如何である。
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卓見
2005年12月28日南に二人を頼み、しばしの時間を利用して全体を見てみると、取扱説明書がないなど不備が目立ち、対応する。
まったく年越しの行事がしてない。
大家さん宅に午後3時過ぎに行く。
知人と共の行動。
この人たちの時間のムダな過ごし方。
職種の差。
歳末風景の厳しき時間。
九電申請図を何度となくのやり取り。OK!
名古屋とのやり取り。
いまだ平面図がない愚かさ。
この膨大なる図面の中からおこす余裕の時間はない。
誰がやり抜くのか。
一目最短90日かかる工事期間なのに日にちはない。
経験からくる瞬時の工程組立である。
わりまし工事費さえ要る。
秀吉の墨俣城じゃ〜あるまいにやれるはずがない。
そのことは誰も知らない。出来ない。気にかけない。
烏合の衆の口先人間のみ。
気を回すことができるのは私一人。
先を見ることができる人は辛い。
責任感ある人は生きられない。
いい決め場所の感じがする。
スタッフ次第である。
指導の仕方次第である。
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まったく年越しの行事がしてない。
大家さん宅に午後3時過ぎに行く。
知人と共の行動。
この人たちの時間のムダな過ごし方。
職種の差。
歳末風景の厳しき時間。
九電申請図を何度となくのやり取り。OK!
名古屋とのやり取り。
いまだ平面図がない愚かさ。
この膨大なる図面の中からおこす余裕の時間はない。
誰がやり抜くのか。
一目最短90日かかる工事期間なのに日にちはない。
経験からくる瞬時の工程組立である。
わりまし工事費さえ要る。
秀吉の墨俣城じゃ〜あるまいにやれるはずがない。
そのことは誰も知らない。出来ない。気にかけない。
烏合の衆の口先人間のみ。
気を回すことができるのは私一人。
先を見ることができる人は辛い。
責任感ある人は生きられない。
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串間往還
2005年12月27日見積もり原案を早朝までかけ作り上げ総予算をにらむ。
年明けの仕事受注の下準備。
この時期は寝る時間さえコントロールしなければ生きてはいけない。それでも残事業が追いかけてくる。
市内で防水の工事の打ち合わせをして都城、串間と4人旅。
このご時勢の時期ゆえ決定的な一日の時間なのにどうしようもない。多忙さを忘れ腹を決める。
串間を夕方出たゆえ開通したばかりのアオシマバイパスを難なく過ぎて後で気付く。
「これなーに?」
宮崎市内から運動公園を抜け、青島をやりこして山間の1KMぐらいを過ぎると視界がパノラマ上に開ける。
・・・宮崎の顔たる・・・掘り切り峠なのである。
国定公園にも指定されてる名勝地。
新バイパスはその掘り切り峠の僅か手前を大きくカーブするところが入り口で
この地を通過しなくなる。
昭和35年頃から新婚さんカップルの半数近い40万組ぐらいがこの地を訪ねたはずである。
道路はラッシュで数珠繋ぎ。生活者としては相い矛盾していた。
それが道路ラッシュもない今になってこれだもの。悲願のといわれてもピンとこない。3拾7〜8年も前のことである。
営業トーク集をアップロードせよ!と命を請けてるが
骨子はできたので披瀝したい。
太陽光発電の営業「電車男」状態にならんやも知れぬ。(笑)
こんな時間にお客さんである。
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年明けの仕事受注の下準備。
この時期は寝る時間さえコントロールしなければ生きてはいけない。それでも残事業が追いかけてくる。
市内で防水の工事の打ち合わせをして都城、串間と4人旅。
このご時勢の時期ゆえ決定的な一日の時間なのにどうしようもない。多忙さを忘れ腹を決める。
串間を夕方出たゆえ開通したばかりのアオシマバイパスを難なく過ぎて後で気付く。
「これなーに?」
宮崎市内から運動公園を抜け、青島をやりこして山間の1KMぐらいを過ぎると視界がパノラマ上に開ける。
・・・宮崎の顔たる・・・掘り切り峠なのである。
国定公園にも指定されてる名勝地。
新バイパスはその掘り切り峠の僅か手前を大きくカーブするところが入り口で
この地を通過しなくなる。
昭和35年頃から新婚さんカップルの半数近い40万組ぐらいがこの地を訪ねたはずである。
道路はラッシュで数珠繋ぎ。生活者としては相い矛盾していた。
それが道路ラッシュもない今になってこれだもの。悲願のといわれてもピンとこない。3拾7〜8年も前のことである。
営業トーク集をアップロードせよ!と命を請けてるが
骨子はできたので披瀝したい。
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君の瞳に乾杯。!
2005年12月26日軍事国家に傾斜を早める経済体質ゆえに戦争のための入体験ではないが経営状態は匍匐前進の状態である。
匍匐といえば我が県も綾、都農、そしてついに五ヶ瀬にワイナリーがオープンした。と地元紙が伝えている。
五ケ瀬町や雲海酒造などが出資する第三セクター五ケ瀬ワイナリーが五ケ瀬町桑野にオープン。連休の日が、初蔵出しだった。
手にしたワインは「雪の麗峰」。
ブドウ生産から醸造まで一貫して町内で行われた「100%五ケ瀬町産」のワイン。
雪の麗峰は「ブラックオリンピア」を原料に造られた甘口の白ワイン。
うっすらピンクがかった色で控えめな甘さと適度な酸味。
都農の食用キャンベルを使ったワインに比べるとより上質な味わいが楽しめる。
七千五百本を町内限定で販売。知人を使わないと手にいらない。
葡萄のオリンピアは大粒の新品種のぶどうとして、東京オリンピックの開催の年に命名された。
育成が難しく「幻のぶどう」になってしまうかもしれないと言われた時期もあった品種。
生産量はやって間もないのでまだごくわずか。
このブラックオリンピア、見た目は巨峰に似てるが巨峰よりピオーネに近い味わい
通常のオリンピアより甘みが濃厚で、まるで「ハチミツぶどう」
糖度は18〜20度にも達する黒色品種の最高峰の「秀品」
「雪の麗峰」にふさわしい。
五ケ瀬ワイナリーの営業時間は
午前十時から午後五時まで。年内は二十九日で終了。年明けの一月四日に再開する。問い合わせは
同ワイナリーTEL0982(73)5477。
ところが地球を覆う温暖化の凶器CO2が安定成長を許さない状況にある。
ニュースは伝える。
異常気象 変わる?ワイン産地 温暖化で“北上”
地球温暖化の影響で、ワイン産地の世界地図が将来、塗り替えられそうだという。
今後、五十年で地球の気温が平均二度上昇すると、フランスのボルドーやイタリア・トスカーナ地方の
キャンティなどにとって代わって、英国南部やドイツ北部がワインの有力産地になるというのだ。
実際、英国のスパークリングワインがフランス・シャンパーニュ産のシャンパンをおさえ品評会で賞を受けるなど、“異変”が起きている。と杉浦美香は現地レポートを書いた。
米国・南オレゴン大のグレゴリー・ジョーンズ博士らは、英ハドレイセンターの気候モデルを使用して、世界二十七産地のワインの出来具合を分析。
今月、「気候変化と世界のワインの品質」と題した論文を発表した。
それによると、一九五〇−九九年の過去五十年間に気温が平均一・二六度上昇。
ブドウの収穫産地の多くが、温度上昇の恩恵を受けていたという。
二〇〇〇−四九年の五十年では、気温が平均二・〇四度上昇。仏ボルドー地方やシャンパーニュ地方
、伊トスカーナ地方は糖分の含有量が高くなり、酸味を失ったりアルコール度数が増すなど味に影響が出るという。
ジョーンズ博士は産経新聞の伝えるところ
「短期でみればボルドーでは熱波で今年などはワインのあたり年になっているが、長期では、温度だけでみるとワインの適地がドイツ北部や英国南部に移る可能性がある。ワイン産地は、生き残るため工夫しなければならなくなるだろう」と指摘する。
この予測はすでに現実になっている。
英ガーディアン紙によると、温暖化に危機感をもった仏・シャンパーニュ地方のワイナリーが英国のスパークリングワインに関心を寄せ、英南部サセックスやケントでの栽培を検討しているという。
世界五十カ国以上が参加し、ワイン品評会としてもっとも歴史が長い「インターナショナル・ワイン&スピリッツ・コンペティション」では今年、サセックスのスパークリングワインが金賞をとった。
英国の雑誌「フィッチ?」が催した専門家による目隠しテストでも、シャンパンではなく英国のスパークリングワインが選ばれたという。
日本でも温暖化の影響もあり、標高の高い長野県がワイン王国・山梨県のお株を奪う勢いだ。
今年の国産ワインコンクールで欧州系品種赤の部門で、金賞をとった七銘柄中六銘柄が長野県産のブドウを使っていた。
長野県中信農業試験場の茂原泉部長は「標高七〇〇メートルの塩尻が今は赤ワイン用ブドウ栽培に最適だが、温暖化が進むと岩手や青森、北海道が最適地になる可能性がある。今後、県内でも山地で栽培するなど温暖化について考える必要がある」と話している。
ワイン造りを証明する最も古いものがメソポタミアの先住民のシュメール人が残した約6000年前のものと思われるロール・シール(roll seal ワインの壷などの口を粘土で塞ぎ、その上に刻印をする丸い大理石などの棒)が発見されている。
このようにヨーロッパではワイン造りの歴史は数千年の歴史がある、
日本でワイン造りが始まったのは明治時代の初めからで、百数十年の歴史。
ぶどう品種は北アメリカを原産地とするヴィティス・ラブルスカ(アメリカ系ぶどう)とカスピ海と黒海に挟まれたコーカサス地方(現在のグルジア共和国)を原産地とするヴィティス・ヴィニフェラ(ヨーロッパ系ぶどう)に二分される。
ヴィティス・ラブルスカが生食ぶどうやジュース用ぶどうに多く利用されているのに対し、
ヴィティス・ヴィニフェラは「ワインを造るぶどう」を意味し、約150品種がワイン醸造によく使われている。
歴史的に名声を獲得したワイン産地には、それぞれの土地の気候と土壌にぶどう品種が適応している。
ボルドー地方のカベルネ・ソーヴィニヨン、メルロー、ソーヴィニヨン・ブラン、セミヨン、
ブルゴーニュ地方のピノ・ノワール、シャルドネ、
ドイツのリースリング、
北イタリア・バロロのネビオロ、
スペイン・リオハのテンプラニーリョなどがあります。
これらの品種のなかで優良なワインができる品種を高貴品種と呼び、特にカベルネ・ソーヴィニヨン
、メルロー、シャルドネは世界のワイン産地で栽培、醸造に成功しており、日本でも栽培されている。
日本では日本の気候に適応した甲州種が鎌倉時代から栽培されていた。
国産ワイン誕生
日本のワイン造りの歴史は明治維新になってから。
明治政府は殖産興業政策の一環として、ぶどう栽培・ワイン醸造振興策を加えた。
当時、日本は米不足でしたから、米からの酒造りは節減したい意向が強かったのです。
政府はヨーロッパ、アメリカからぶどう苗木を輸入し、山梨県をはじめ各地でぶどう栽培とワイン醸造を奨励。
明治7年(1874年)には甲府の山田宥教(ひろのり)、詫間憲久(のりひさ)がワイン醸造を試みている。
。明治10年(1877年)秋、ワイン醸造法習得のため、日本人として初めて土屋龍憲(りゅうけん)、高野正誠(まさなり)の二人が本場フランスに留学。
帰国後、この二人に加えた宮崎光太郎は国産最初のワイン会社「大日本山梨葡萄酒会社」でワイン造りに努力。
明治34年(1901年)には神谷伝兵衛が茨城県牛久でワイン醸造を開始し、
越後高田の川上善兵衛は明治24年(1891年)に岩の原葡萄園を開設し、日本の風土に適したぶどうの品種改良に情熱を傾けた。
昭和2年(1927年)にマスカット・ベリーAを交配し、日本のぶどう栽培とワイン造りに大きな貢献。
明治37年(1904年)小山新助が山梨県に登美葡萄園の造成を開始して、この葡萄園は後に鳥井信治郎が買収している。
70KWは今日から棟代わり。
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五ケ瀬町や雲海酒造などが出資する第三セクター五ケ瀬ワイナリーが五ケ瀬町桑野にオープン。連休の日が、初蔵出しだった。
手にしたワインは「雪の麗峰」。
ブドウ生産から醸造まで一貫して町内で行われた「100%五ケ瀬町産」のワイン。
雪の麗峰は「ブラックオリンピア」を原料に造られた甘口の白ワイン。
うっすらピンクがかった色で控えめな甘さと適度な酸味。
都農の食用キャンベルを使ったワインに比べるとより上質な味わいが楽しめる。
七千五百本を町内限定で販売。知人を使わないと手にいらない。
葡萄のオリンピアは大粒の新品種のぶどうとして、東京オリンピックの開催の年に命名された。
育成が難しく「幻のぶどう」になってしまうかもしれないと言われた時期もあった品種。
生産量はやって間もないのでまだごくわずか。
このブラックオリンピア、見た目は巨峰に似てるが巨峰よりピオーネに近い味わい
通常のオリンピアより甘みが濃厚で、まるで「ハチミツぶどう」
糖度は18〜20度にも達する黒色品種の最高峰の「秀品」
「雪の麗峰」にふさわしい。
五ケ瀬ワイナリーの営業時間は
午前十時から午後五時まで。年内は二十九日で終了。年明けの一月四日に再開する。問い合わせは
同ワイナリーTEL0982(73)5477。
ところが地球を覆う温暖化の凶器CO2が安定成長を許さない状況にある。
ニュースは伝える。
異常気象 変わる?ワイン産地 温暖化で“北上”
地球温暖化の影響で、ワイン産地の世界地図が将来、塗り替えられそうだという。
今後、五十年で地球の気温が平均二度上昇すると、フランスのボルドーやイタリア・トスカーナ地方の
キャンティなどにとって代わって、英国南部やドイツ北部がワインの有力産地になるというのだ。
実際、英国のスパークリングワインがフランス・シャンパーニュ産のシャンパンをおさえ品評会で賞を受けるなど、“異変”が起きている。と杉浦美香は現地レポートを書いた。
米国・南オレゴン大のグレゴリー・ジョーンズ博士らは、英ハドレイセンターの気候モデルを使用して、世界二十七産地のワインの出来具合を分析。
今月、「気候変化と世界のワインの品質」と題した論文を発表した。
それによると、一九五〇−九九年の過去五十年間に気温が平均一・二六度上昇。
ブドウの収穫産地の多くが、温度上昇の恩恵を受けていたという。
二〇〇〇−四九年の五十年では、気温が平均二・〇四度上昇。仏ボルドー地方やシャンパーニュ地方
、伊トスカーナ地方は糖分の含有量が高くなり、酸味を失ったりアルコール度数が増すなど味に影響が出るという。
ジョーンズ博士は産経新聞の伝えるところ
「短期でみればボルドーでは熱波で今年などはワインのあたり年になっているが、長期では、温度だけでみるとワインの適地がドイツ北部や英国南部に移る可能性がある。ワイン産地は、生き残るため工夫しなければならなくなるだろう」と指摘する。
この予測はすでに現実になっている。
英ガーディアン紙によると、温暖化に危機感をもった仏・シャンパーニュ地方のワイナリーが英国のスパークリングワインに関心を寄せ、英南部サセックスやケントでの栽培を検討しているという。
世界五十カ国以上が参加し、ワイン品評会としてもっとも歴史が長い「インターナショナル・ワイン&スピリッツ・コンペティション」では今年、サセックスのスパークリングワインが金賞をとった。
英国の雑誌「フィッチ?」が催した専門家による目隠しテストでも、シャンパンではなく英国のスパークリングワインが選ばれたという。
日本でも温暖化の影響もあり、標高の高い長野県がワイン王国・山梨県のお株を奪う勢いだ。
今年の国産ワインコンクールで欧州系品種赤の部門で、金賞をとった七銘柄中六銘柄が長野県産のブドウを使っていた。
長野県中信農業試験場の茂原泉部長は「標高七〇〇メートルの塩尻が今は赤ワイン用ブドウ栽培に最適だが、温暖化が進むと岩手や青森、北海道が最適地になる可能性がある。今後、県内でも山地で栽培するなど温暖化について考える必要がある」と話している。
ワイン造りを証明する最も古いものがメソポタミアの先住民のシュメール人が残した約6000年前のものと思われるロール・シール(roll seal ワインの壷などの口を粘土で塞ぎ、その上に刻印をする丸い大理石などの棒)が発見されている。
このようにヨーロッパではワイン造りの歴史は数千年の歴史がある、
日本でワイン造りが始まったのは明治時代の初めからで、百数十年の歴史。
ぶどう品種は北アメリカを原産地とするヴィティス・ラブルスカ(アメリカ系ぶどう)とカスピ海と黒海に挟まれたコーカサス地方(現在のグルジア共和国)を原産地とするヴィティス・ヴィニフェラ(ヨーロッパ系ぶどう)に二分される。
ヴィティス・ラブルスカが生食ぶどうやジュース用ぶどうに多く利用されているのに対し、
ヴィティス・ヴィニフェラは「ワインを造るぶどう」を意味し、約150品種がワイン醸造によく使われている。
歴史的に名声を獲得したワイン産地には、それぞれの土地の気候と土壌にぶどう品種が適応している。
ボルドー地方のカベルネ・ソーヴィニヨン、メルロー、ソーヴィニヨン・ブラン、セミヨン、
ブルゴーニュ地方のピノ・ノワール、シャルドネ、
ドイツのリースリング、
北イタリア・バロロのネビオロ、
スペイン・リオハのテンプラニーリョなどがあります。
これらの品種のなかで優良なワインができる品種を高貴品種と呼び、特にカベルネ・ソーヴィニヨン
、メルロー、シャルドネは世界のワイン産地で栽培、醸造に成功しており、日本でも栽培されている。
日本では日本の気候に適応した甲州種が鎌倉時代から栽培されていた。
国産ワイン誕生
日本のワイン造りの歴史は明治維新になってから。
明治政府は殖産興業政策の一環として、ぶどう栽培・ワイン醸造振興策を加えた。
当時、日本は米不足でしたから、米からの酒造りは節減したい意向が強かったのです。
政府はヨーロッパ、アメリカからぶどう苗木を輸入し、山梨県をはじめ各地でぶどう栽培とワイン醸造を奨励。
明治7年(1874年)には甲府の山田宥教(ひろのり)、詫間憲久(のりひさ)がワイン醸造を試みている。
。明治10年(1877年)秋、ワイン醸造法習得のため、日本人として初めて土屋龍憲(りゅうけん)、高野正誠(まさなり)の二人が本場フランスに留学。
帰国後、この二人に加えた宮崎光太郎は国産最初のワイン会社「大日本山梨葡萄酒会社」でワイン造りに努力。
明治34年(1901年)には神谷伝兵衛が茨城県牛久でワイン醸造を開始し、
越後高田の川上善兵衛は明治24年(1891年)に岩の原葡萄園を開設し、日本の風土に適したぶどうの品種改良に情熱を傾けた。
昭和2年(1927年)にマスカット・ベリーAを交配し、日本のぶどう栽培とワイン造りに大きな貢献。
明治37年(1904年)小山新助が山梨県に登美葡萄園の造成を開始して、この葡萄園は後に鳥井信治郎が買収している。
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MD開発は国を滅す。
2005年12月25日SP・LPなどと言ってると年齢がばれよう。
スピカーはサクラの三菱、アンプはマランツ、チュナーはビクターなどと選んだものだ。
師匠は今を謳歌する今井美樹のお父さんで高鍋のイマイ電気であった。
今井美樹ちゃんは中学生で「おじちゃん!こんばんわ〜」と陸上競技部の帰りに肢体のままの姿でのお帰りであった。
この人は実に大バケしたものである。
スッカリ大バケし変わりきった技術大国の日本の生活用品の中で音楽の機械ほど変わったものはない。
ウオークマンなるものでさえ新技術の前に陳腐化している。
今では性能が良すぎるための規制があるほどだから雲泥の差。
「MD」もそうであろう。この小さき中に納まってる音響の素晴らしさ。
ところで一年間の予算が発表され80兆円。
いつも注目されるのは防衛費。
「共同開発」の関係経費30億円を含めMD関連で1399億円を計上。
防衛予算が0・9%減額される中でMD関係費が前年度比16・8%アップした。
ここに耳慣れぬものがある。
「MD」共同開発 である。
新聞も毎日のみ書きあの朝日紙でさえ触れていない。
国民に知らせない防衛問題。これがマスコミの実態である。
ミサイル防衛=MDシステムの日米共同研究を来年度から共同開発に移行させる方針を決めた。
クリスマス・イブの思わぬプレゼントで24日の安全保障会議と臨時閣議での政府の方針である。
MDと言えば、昨年度から海上配備型のスタンダードミサイル3(SM3)と地上配備型のパトリオット3(PAC3)の整備を進めている。
共同開発するのは、SM3の性能を大幅にアップさせ、2015年以降の配備を目指す次世代型の迎撃ミサイルだ。
次世代型のMDの共同開発を決めたことは、将来にわたる日本の防衛の一翼をMDシステムが担うことを意味する。
防衛政策が大きな転換点を迎えたともいえる。
MDの共同研究は、1998年の北朝鮮のテポドンミサイル発射を契機に本格的にスタートした。
技術研究の進展により四つの分野で開発段階に踏み出すが、日本側はミサイル先端部のセンサーを保護するノーズコーンなど、米側は標的を直撃して破壊するキネティック弾頭などを担当する。
MDシステムの構築は、日米の連携強化と情報共有が前提となる。
北朝鮮から日本に向けて弾道ミサイルが発射されたら、米国の偵察衛星から情報を受け、日米で共有するシステムで10分以内に迎撃しなければならない。
在日米軍再編で米空軍横田基地(東京都)に航空自衛隊の航空総隊司令部を移転させ「統合運用調整所」を設けたのも、MDシステムを瞬時に動かすのが狙いだったわけだ。
政府はMDシステムが専守防衛の装備だという。だとしたら近隣の国々にも懸念を抱かせないよう十分説明しなければならない。
その前に、MDシステムの整備・開発など新たな防衛力整備のあり方が国民の十分な理解を得ているかを検証すべきことであろう。
軍事技術が発達し、日米の連携も緊密かつ複雑化している。防衛機密に属する部分もあるが、高度に専門化している防衛の現状を政府が国民にていねいに説明しなくて何がシビリアン・コントロール=で文民統制であろう。
軍は必ず暴走するのは歴史が証明している。
その経済体質から好戦的にならざる得ない。
どこかで戦争を継続していないとその国の経済は疲弊する経済である。
MDの共同開発を進めるにあたって政府は官房長官談話を発表した。この中で共同開発されるMDの武器輸出3原則の緩和措置に懸念が持たれていることについては
「武器供与の枠組みを今後米国と調整し、厳格な管理の下に供与する」と述べている。平和国家の理念はきちんと守ってもらいたい。
有事法制が整備され、国民の防衛問題に対する意識を押さえ込む体制がすすんでいる。
政府は次世代ミサイルの共同開発を機に、武器技術だけでなく、武器そのものも米国に供与する道を開いた。
産業界からの「武器輸出三原則」緩和求める超えに屈したのである。
中曽根康弘首相(当時)が技術供与を武器輸出三原則の例外にすることを決めた経緯はあった。
「米側は当時から日本と武器の共同開発を行いたいと打診していた」との政治家の証言もある。
しかし日本は共同開発の前提となる武器輸出の解禁には踏み込まなかった。その意味で、今回の措置は20年以上かけて米側の意向に応えたものといえる。
二十四日に発表した官房長官談話は、武器輸出三原則を堅持すると強調した。よくもこの欺瞞を述べられるものである。
小泉、宮沢が小泉後継に安部を推薦する裏付けがここにある。
戦闘機などは多国間の国際共同開発が主流となる中、
「三原則で参加できない日本の企業は最先端の技術に取り残される」(防衛産業幹部)として、三原則の大幅緩和を求める声も産業界には強いという。死の商人の社会的認知である。
いよいよ産軍複合化の経済に傾斜をはじめたシグナルが出た。
憲法9条は民主党でさえ改悪を推進しようとしている。
政治的には既に改憲されている。
MD開発は国を滅ぼす。
生活するにはエネルギー問題の解決がまずは基本であろう。
厳冬で電気使用量が記録的になった、
言われてきた夏場のピーク時カットどころではなくなった。
自然エネルギーの太陽光発電の普及が急がれる。
70KWの建設が佳境を迎えている。
今日も休日返上で取り組んでいただいている。
平和利用の国内経済体制を構築し、不況を脱却することこそが
MD体制に楔を打ち込むことである。
何度も繰り返そう。MD開発は国を滅ぼす。
実にほしくないクリスマスプレゼントである。
よりによってこんな日に。
それが権力の常套手段のカモフラージュである。
平和な生活に浮かれてる場合ではない。
それでも今日は・・・・
Merry Chirstmas!!
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スピカーはサクラの三菱、アンプはマランツ、チュナーはビクターなどと選んだものだ。
師匠は今を謳歌する今井美樹のお父さんで高鍋のイマイ電気であった。
今井美樹ちゃんは中学生で「おじちゃん!こんばんわ〜」と陸上競技部の帰りに肢体のままの姿でのお帰りであった。
この人は実に大バケしたものである。
スッカリ大バケし変わりきった技術大国の日本の生活用品の中で音楽の機械ほど変わったものはない。
ウオークマンなるものでさえ新技術の前に陳腐化している。
今では性能が良すぎるための規制があるほどだから雲泥の差。
「MD」もそうであろう。この小さき中に納まってる音響の素晴らしさ。
ところで一年間の予算が発表され80兆円。
いつも注目されるのは防衛費。
「共同開発」の関係経費30億円を含めMD関連で1399億円を計上。
防衛予算が0・9%減額される中でMD関係費が前年度比16・8%アップした。
ここに耳慣れぬものがある。
「MD」共同開発 である。
新聞も毎日のみ書きあの朝日紙でさえ触れていない。
国民に知らせない防衛問題。これがマスコミの実態である。
ミサイル防衛=MDシステムの日米共同研究を来年度から共同開発に移行させる方針を決めた。
クリスマス・イブの思わぬプレゼントで24日の安全保障会議と臨時閣議での政府の方針である。
MDと言えば、昨年度から海上配備型のスタンダードミサイル3(SM3)と地上配備型のパトリオット3(PAC3)の整備を進めている。
共同開発するのは、SM3の性能を大幅にアップさせ、2015年以降の配備を目指す次世代型の迎撃ミサイルだ。
次世代型のMDの共同開発を決めたことは、将来にわたる日本の防衛の一翼をMDシステムが担うことを意味する。
防衛政策が大きな転換点を迎えたともいえる。
MDの共同研究は、1998年の北朝鮮のテポドンミサイル発射を契機に本格的にスタートした。
技術研究の進展により四つの分野で開発段階に踏み出すが、日本側はミサイル先端部のセンサーを保護するノーズコーンなど、米側は標的を直撃して破壊するキネティック弾頭などを担当する。
MDシステムの構築は、日米の連携強化と情報共有が前提となる。
北朝鮮から日本に向けて弾道ミサイルが発射されたら、米国の偵察衛星から情報を受け、日米で共有するシステムで10分以内に迎撃しなければならない。
在日米軍再編で米空軍横田基地(東京都)に航空自衛隊の航空総隊司令部を移転させ「統合運用調整所」を設けたのも、MDシステムを瞬時に動かすのが狙いだったわけだ。
政府はMDシステムが専守防衛の装備だという。だとしたら近隣の国々にも懸念を抱かせないよう十分説明しなければならない。
その前に、MDシステムの整備・開発など新たな防衛力整備のあり方が国民の十分な理解を得ているかを検証すべきことであろう。
軍事技術が発達し、日米の連携も緊密かつ複雑化している。防衛機密に属する部分もあるが、高度に専門化している防衛の現状を政府が国民にていねいに説明しなくて何がシビリアン・コントロール=で文民統制であろう。
軍は必ず暴走するのは歴史が証明している。
その経済体質から好戦的にならざる得ない。
どこかで戦争を継続していないとその国の経済は疲弊する経済である。
MDの共同開発を進めるにあたって政府は官房長官談話を発表した。この中で共同開発されるMDの武器輸出3原則の緩和措置に懸念が持たれていることについては
「武器供与の枠組みを今後米国と調整し、厳格な管理の下に供与する」と述べている。平和国家の理念はきちんと守ってもらいたい。
有事法制が整備され、国民の防衛問題に対する意識を押さえ込む体制がすすんでいる。
政府は次世代ミサイルの共同開発を機に、武器技術だけでなく、武器そのものも米国に供与する道を開いた。
産業界からの「武器輸出三原則」緩和求める超えに屈したのである。
中曽根康弘首相(当時)が技術供与を武器輸出三原則の例外にすることを決めた経緯はあった。
「米側は当時から日本と武器の共同開発を行いたいと打診していた」との政治家の証言もある。
しかし日本は共同開発の前提となる武器輸出の解禁には踏み込まなかった。その意味で、今回の措置は20年以上かけて米側の意向に応えたものといえる。
二十四日に発表した官房長官談話は、武器輸出三原則を堅持すると強調した。よくもこの欺瞞を述べられるものである。
小泉、宮沢が小泉後継に安部を推薦する裏付けがここにある。
戦闘機などは多国間の国際共同開発が主流となる中、
「三原則で参加できない日本の企業は最先端の技術に取り残される」(防衛産業幹部)として、三原則の大幅緩和を求める声も産業界には強いという。死の商人の社会的認知である。
いよいよ産軍複合化の経済に傾斜をはじめたシグナルが出た。
憲法9条は民主党でさえ改悪を推進しようとしている。
政治的には既に改憲されている。
MD開発は国を滅ぼす。
生活するにはエネルギー問題の解決がまずは基本であろう。
厳冬で電気使用量が記録的になった、
言われてきた夏場のピーク時カットどころではなくなった。
自然エネルギーの太陽光発電の普及が急がれる。
70KWの建設が佳境を迎えている。
今日も休日返上で取り組んでいただいている。
平和利用の国内経済体制を構築し、不況を脱却することこそが
MD体制に楔を打ち込むことである。
何度も繰り返そう。MD開発は国を滅ぼす。
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聖夜
2005年12月24日Christmas,Xmasの解釈ほど千差万別のものはない。
宗教行事を社会慣習化しているからである。
それもイスラム教は見向きもせず欧米のキリスト教のみ取り入れの国ゆえだからである。
それが商魂たくましい金が総ての拝金思想が跋扈してる世相と絡まってるからなおさらである。政治家は経済のグローバル化と呼ぶ。
のんびりとメリー・クルスマス!といってる場合でもない。
いつもの如く薀蓄をブログから拾ってみると次のようである。
新約聖書には、イエスの誕生日に関する記述は無くさらに12月25日は真実味に欠けている。聖書中の記述からして、一般には10月1日か10月2日が誕生の日と推測されている。
ロシア正教会などの東方正教会とコプト正教会は1月7日(ユリウス暦の12月25日に当る)に降誕祭を祝うが、ブルガリアの正教会ではグレゴリウス暦の12月25日に執り行う。
キリスト教圏では、クリスマスには主に家族と過ごし、クリスマスツリーの下にプレゼントを置く。
プレゼントを贈る気持ちである「愛」の日でもあるらしい。ただし、そもそもクリスマスは太陽神崇拝など異教に由来するものであり、聖書の中にキリストの誕生を祝うという概念は存在しない。
取り扱い的には基本的にイエス・キリストの誕生を祝うキリスト教の記念日・祭日で12月25日である。
クリスマス・イヴとして祝うのはユダヤ教に由来する。
ユダヤ教では日没を一日の境目としているので12月24日夕刻から朝までをクリスマス・イヴとして祝う。
クリスマス=Christmas の語源は、「キリストのミサ」Christ + masにある。
Xmas=X’masではなく後のほうは誤記である。
Xmasの表記は、ヘブライ語のメシア(油注がれた者)のギリシャ語訳である「キリスト」の原表記「Χριστος」の頭文字をそのままとってXを「Christ」を表す略記としたものであるが、正式な場では避けられる。
フランス語では「Noёl」ドイツ語では「Weihnachten」といい、日本語では、降誕祭、聖誕祭ともいう。
世紀頃の東ローマ帝国小アジアの司教、キリスト教の教父聖ニコラウスの伝説を起源とするが、史実ではないと言われる.
「聖ニコラス」は英語で「セント・ニコラス」。オランダ語では「シンタ・クラース」。
オランダ語の「シンタ・クラース」が、英語で訛って、
「サンタ・クロース」。
ある日ニコラウスは、貧しさのあまり、娘を身売りしなければならない家の存在を知った。ニコラウスは真夜中にその家を訪れ、屋根の上にある煙突から金貨を投げ入れる。このとき暖炉には靴下が下げられていたため、金貨は靴下の中に入っていたという。
この金貨のおかげで娘の身売りを避けられた」という逸話が残されている。
靴下の中にプレゼントを入れる風習も、ここから来ていると思われる。
それが世界的に広まったのはこれが面白い。
「聖ニコラウスの訪問」という詩を剽窃したのはニューヨークの神学者と称するクレメント・クラーク・ムーアで1822年のことである。
これがきっかけとなり、サンタクロース物語は世界中に広まったというのが現在までの定説。
http://www1.ttcn.ne.jp/~fujiyan/manhattan/chelsea/visit_st_nick.htm
日本などで広く認知されているサンタクロースは赤い服を着ているが、これはもともとカトリック教会の祭服の色に由来している。
ところで1931年にコカ・コーラ社が宣伝に用いるために画家のハッドン・サンドブロムに依頼して自社のコーポレートカラーである赤い服を着せたものが世界中に広まったともされる。
ともかく「愛」の日は大切のようで、国家さえ危うくしてる状況のようである。
サンタクロースの活躍がユーミンの曲ではないが期待される。
1996年人口調査の15歳以下の子供は人口の32%である。
このときの世界の総人口が58億人であるから18億6000万人であると推測される。しかし、イスラム教、ヒンズー教、ユダヤ教、仏教を信じる家の子供たちは、サンタクロースの活動対象外とされているので、「サンタクロースの活動」対象人口は全こども人口の15%である2億7800万人の子供に絞られる。
キリスト教国における一世帯平均こども数は2.57人/世帯なのでサンタ活動対象世帯数はおよそ、1億800万世帯である。
子供の数はその国の未来を指し示す。
建国以来初めてのことが日本におきた。新聞記事からである。
日本はすでに人口減少時代に突入していることが、厚生労働省がまとめた平成十七年人口動態統計の年間推計で明らかになった。今年一年間の日本人の出生数は死亡数より一万人少なく、その分だけ人口が減っているからだ。
国内の日本人の人口が自然減を記録するのは明治三十二年に統計を取り始めてから初めてのことだという。
厚労省はこれまで、人口減は平成十九年に始まるとの予測をもとに年金制度などを組み立ててきたが、人口減少社会は政府予測より二年も早く到来していたことになる。
推計によると、今年の年間出生数は昨年より四万四千人減の百六万七千人で過去最低となり、毎年二百七十万人近くが生まれていた昭和二十二−二十四年の四割にも満たない。死亡数の方は四万八千人増の百七万七千人で、昭和二十二年に次いで多かった。
人口減加速化の背景には、少子化の進行に加え、二、三月のインフルエンザの流行も要因として考えられる。
ただし、年によって変動が大きいインフルエンザの流行を差し引いても、社会の高齢化に伴う死者数の増加傾向は避けられず、来年以降も人口減少は一段と進行する見通しだ。
少子化社会白書によると、日本の人口が一億に減るのは二〇五〇年で、そのときの中位数年齢(人口を年齢順に並べて数え、真ん中にあたる年齢)は五十三歳と推定されている。
過去に一億人規模の人口だったのは昭和四十二年で、当時の中位数年齢は三十歳だった。日本は今後、よく言えば「成熟した社会」、悲観的に考えれば「勢いのない社会」に突き進んでいくことを覚悟しなければならない。
勢いを失うことなく成熟への移行を果たすためには、若い夫婦が子供を産み育てることに魅力を感じ、同時に性別や年齢にかかわりなく、働く意欲のある人が働ける社会が実現できるよう、政府も企業も地域社会も工夫していく必要がある。と新聞は書く。
日本の1人の女性が生涯に産む子供の数である合計特殊出生率(出生率)が、74年から人口を維持するために必要な水準である2・08を下回り続け、04年は過去最低の1・29にまで落ち込んでいるそうだ。
私は生命を宿す女性がバカになれ!と言いたい。
死をも招く出産ほど怖いものはない。
こ利口なるものがそれの挑戦しようや。
甲斐性ない男の社会での復権である。
ようは働く環境である。
70KWの太陽光発電の工事も二棟目の終盤と思われる。
私は現場にもいけず、南の準備でおおわらわ。
設計士がほしい。姉歯三でも誰でもいいから器具庫の図面がほしい。パネル平面もしかり。時間がないのである。
これでは聖夜の余裕はない。
私以外の皆様方・・・
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宗教行事を社会慣習化しているからである。
それもイスラム教は見向きもせず欧米のキリスト教のみ取り入れの国ゆえだからである。
それが商魂たくましい金が総ての拝金思想が跋扈してる世相と絡まってるからなおさらである。政治家は経済のグローバル化と呼ぶ。
のんびりとメリー・クルスマス!といってる場合でもない。
いつもの如く薀蓄をブログから拾ってみると次のようである。
新約聖書には、イエスの誕生日に関する記述は無くさらに12月25日は真実味に欠けている。聖書中の記述からして、一般には10月1日か10月2日が誕生の日と推測されている。
ロシア正教会などの東方正教会とコプト正教会は1月7日(ユリウス暦の12月25日に当る)に降誕祭を祝うが、ブルガリアの正教会ではグレゴリウス暦の12月25日に執り行う。
キリスト教圏では、クリスマスには主に家族と過ごし、クリスマスツリーの下にプレゼントを置く。
プレゼントを贈る気持ちである「愛」の日でもあるらしい。ただし、そもそもクリスマスは太陽神崇拝など異教に由来するものであり、聖書の中にキリストの誕生を祝うという概念は存在しない。
取り扱い的には基本的にイエス・キリストの誕生を祝うキリスト教の記念日・祭日で12月25日である。
クリスマス・イヴとして祝うのはユダヤ教に由来する。
ユダヤ教では日没を一日の境目としているので12月24日夕刻から朝までをクリスマス・イヴとして祝う。
クリスマス=Christmas の語源は、「キリストのミサ」Christ + masにある。
Xmas=X’masではなく後のほうは誤記である。
Xmasの表記は、ヘブライ語のメシア(油注がれた者)のギリシャ語訳である「キリスト」の原表記「Χριστος」の頭文字をそのままとってXを「Christ」を表す略記としたものであるが、正式な場では避けられる。
フランス語では「Noёl」ドイツ語では「Weihnachten」といい、日本語では、降誕祭、聖誕祭ともいう。
世紀頃の東ローマ帝国小アジアの司教、キリスト教の教父聖ニコラウスの伝説を起源とするが、史実ではないと言われる.
「聖ニコラス」は英語で「セント・ニコラス」。オランダ語では「シンタ・クラース」。
オランダ語の「シンタ・クラース」が、英語で訛って、
「サンタ・クロース」。
ある日ニコラウスは、貧しさのあまり、娘を身売りしなければならない家の存在を知った。ニコラウスは真夜中にその家を訪れ、屋根の上にある煙突から金貨を投げ入れる。このとき暖炉には靴下が下げられていたため、金貨は靴下の中に入っていたという。
この金貨のおかげで娘の身売りを避けられた」という逸話が残されている。
靴下の中にプレゼントを入れる風習も、ここから来ていると思われる。
それが世界的に広まったのはこれが面白い。
「聖ニコラウスの訪問」という詩を剽窃したのはニューヨークの神学者と称するクレメント・クラーク・ムーアで1822年のことである。
これがきっかけとなり、サンタクロース物語は世界中に広まったというのが現在までの定説。
http://www1.ttcn.ne.jp/~fujiyan/manhattan/chelsea/visit_st_nick.htm
日本などで広く認知されているサンタクロースは赤い服を着ているが、これはもともとカトリック教会の祭服の色に由来している。
ところで1931年にコカ・コーラ社が宣伝に用いるために画家のハッドン・サンドブロムに依頼して自社のコーポレートカラーである赤い服を着せたものが世界中に広まったともされる。
ともかく「愛」の日は大切のようで、国家さえ危うくしてる状況のようである。
サンタクロースの活躍がユーミンの曲ではないが期待される。
1996年人口調査の15歳以下の子供は人口の32%である。
このときの世界の総人口が58億人であるから18億6000万人であると推測される。しかし、イスラム教、ヒンズー教、ユダヤ教、仏教を信じる家の子供たちは、サンタクロースの活動対象外とされているので、「サンタクロースの活動」対象人口は全こども人口の15%である2億7800万人の子供に絞られる。
キリスト教国における一世帯平均こども数は2.57人/世帯なのでサンタ活動対象世帯数はおよそ、1億800万世帯である。
子供の数はその国の未来を指し示す。
建国以来初めてのことが日本におきた。新聞記事からである。
日本はすでに人口減少時代に突入していることが、厚生労働省がまとめた平成十七年人口動態統計の年間推計で明らかになった。今年一年間の日本人の出生数は死亡数より一万人少なく、その分だけ人口が減っているからだ。
国内の日本人の人口が自然減を記録するのは明治三十二年に統計を取り始めてから初めてのことだという。
厚労省はこれまで、人口減は平成十九年に始まるとの予測をもとに年金制度などを組み立ててきたが、人口減少社会は政府予測より二年も早く到来していたことになる。
推計によると、今年の年間出生数は昨年より四万四千人減の百六万七千人で過去最低となり、毎年二百七十万人近くが生まれていた昭和二十二−二十四年の四割にも満たない。死亡数の方は四万八千人増の百七万七千人で、昭和二十二年に次いで多かった。
人口減加速化の背景には、少子化の進行に加え、二、三月のインフルエンザの流行も要因として考えられる。
ただし、年によって変動が大きいインフルエンザの流行を差し引いても、社会の高齢化に伴う死者数の増加傾向は避けられず、来年以降も人口減少は一段と進行する見通しだ。
少子化社会白書によると、日本の人口が一億に減るのは二〇五〇年で、そのときの中位数年齢(人口を年齢順に並べて数え、真ん中にあたる年齢)は五十三歳と推定されている。
過去に一億人規模の人口だったのは昭和四十二年で、当時の中位数年齢は三十歳だった。日本は今後、よく言えば「成熟した社会」、悲観的に考えれば「勢いのない社会」に突き進んでいくことを覚悟しなければならない。
勢いを失うことなく成熟への移行を果たすためには、若い夫婦が子供を産み育てることに魅力を感じ、同時に性別や年齢にかかわりなく、働く意欲のある人が働ける社会が実現できるよう、政府も企業も地域社会も工夫していく必要がある。と新聞は書く。
日本の1人の女性が生涯に産む子供の数である合計特殊出生率(出生率)が、74年から人口を維持するために必要な水準である2・08を下回り続け、04年は過去最低の1・29にまで落ち込んでいるそうだ。
私は生命を宿す女性がバカになれ!と言いたい。
死をも招く出産ほど怖いものはない。
こ利口なるものがそれの挑戦しようや。
甲斐性ない男の社会での復権である。
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年末風景
2005年12月23日お恥かしい。今日から3連休であることが抜けていた。
「何の日が知ってますか」と聞かれても答えようがなく一瞬のたじろぎ。
空港に見送りに行くが多いこと。
世間様は既に年末年始休暇で動いてるようである。
成田空港は出国ラッシュでこのご時世で年末年始「最多」になるとのおみ通し
23日の成田空港ではこの日だけで約4万9000人が出発。
成田国際空港会社によると、年末年始(12月22日〜1月9日)の利用客数は、過去最多の前年より約2万4000人多い約143万8000人に上る見通しだという。
帰国のピークは1月4日の見込みなんだそうな。
連休なんかまったくない状態。
昨日の仕事の流れで早速議論が先鋭化してる私である。
まずは基本となるパネル配置のヅメン作成である。
名古屋とのやり取りも熱が行ってきたし当然かかわってきた○○サンとも同じである。
どうにもこれがすすまない。
能力からして無理でない作業であるが、仕事に対するパッションが湧かないようである。
この仕事に社運をかけてることの一致点が見られぬようだ。
耐震強度偽装事件の影響ではあるまいに新聞にある川柳みたい。
「ナマズより怖い1級建築士」
「鉄骨をケチって罪のなすり合い」
他社のお話ではないのだ。
これではひさしを貸して母屋を取られよう。
まるで国技たる相撲の燦燦たる状況と同じである。
相撲道を外国人に教えられ
仕事に賭ける情熱が見受けられない。
眼光紙背徹する見抜く力である。
たとえばこうである。
NHKは民営化せず 首相「他の改革を検討」
権力が意図版恐れるのは真の情報の流出である。
ヒットラー政権は反面教師として歴史に生かしていかなければならない。
ゲッペルス宣伝相の言う「ウソも百編いえば本当になる」
とマスメデアの本性を伝えるものがある。
小泉首相は二十二日夜、首相官邸での与党幹部との懇談で、NHK改革について「NHKは民営化しないという閣議決定がある。自民党内でもいろいろな意見はあるが、閣議決定を踏まえ議論することはいいことだ」と述べ、民営化せずに改革を検討すべきだとの考えを表明した。
首相発言は、NHKを特殊法人として維持する方向で検討する考えを示したもので、大きな影響を与えよう。
政府は平成十三年十二月に閣議決定した特殊、認可法人の整理合理化計画で、NHKについては特殊法人の組織形態を維持するとしていた。
首相は懇談後、記者団に対しても「閣議決定でNHKは特殊法人とするという方針がある。民営化ではない、ほかの改革が議論されるのではないかという話をした」と重ねて述べた。
懇談には自民党の武部勤幹事長、公明党の神崎武法代表、草川昭三副代表らが出席。草川氏が「自民党にはNHKの民営化を考える会があるが、与党としての勉強会もつくってもらいたい」と要望したのに対し、首相が発言した。と新聞は伝える。
権力の本性を垣間見る思いである。
仕事感も同じでなければならぬ。
流れの中での自分のポジションの確立である。
共同作業ゆえそれができないとすすまない。
年末休暇を控えての旗日ゆえ、どうにも気勢が上がらない。
勤労日本の労働感の変遷を感じ取らねば組織の危機はますであろうに。
CO2増加の影響が海水上昇を招き北極の冷たき空気の張り出しとあいまって大雪をもたらしている。
寒冷化で道路状況が悪い。
今日はそいで途中より休み!
太陽光発電の普及!急がねばならない。
昨日22日は冬至であったそうな。
これからは日射量が増えていく太陽光のエネルギーの季節。
太陽光発電の世界では春の到来である。
冬至を表す言葉に
「冬至冬中(ふゆなか)冬始め」がある。
暦の上では冬至は冬の真ん中だが、厳しい寒さの始まるのはこれからという意味。
今年は既にあちこちで記録的な降雪に見舞われた。しかし、寒さの本番はこれからというのだから気が重い
にっくきは・・・・・CO2!
ガンバ!せきやん。
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空港に見送りに行くが多いこと。
世間様は既に年末年始休暇で動いてるようである。
成田空港は出国ラッシュでこのご時世で年末年始「最多」になるとのおみ通し
23日の成田空港ではこの日だけで約4万9000人が出発。
成田国際空港会社によると、年末年始(12月22日〜1月9日)の利用客数は、過去最多の前年より約2万4000人多い約143万8000人に上る見通しだという。
帰国のピークは1月4日の見込みなんだそうな。
連休なんかまったくない状態。
昨日の仕事の流れで早速議論が先鋭化してる私である。
まずは基本となるパネル配置のヅメン作成である。
名古屋とのやり取りも熱が行ってきたし当然かかわってきた○○サンとも同じである。
どうにもこれがすすまない。
能力からして無理でない作業であるが、仕事に対するパッションが湧かないようである。
この仕事に社運をかけてることの一致点が見られぬようだ。
耐震強度偽装事件の影響ではあるまいに新聞にある川柳みたい。
「ナマズより怖い1級建築士」
「鉄骨をケチって罪のなすり合い」
他社のお話ではないのだ。
これではひさしを貸して母屋を取られよう。
まるで国技たる相撲の燦燦たる状況と同じである。
相撲道を外国人に教えられ
仕事に賭ける情熱が見受けられない。
眼光紙背徹する見抜く力である。
たとえばこうである。
NHKは民営化せず 首相「他の改革を検討」
権力が意図版恐れるのは真の情報の流出である。
ヒットラー政権は反面教師として歴史に生かしていかなければならない。
ゲッペルス宣伝相の言う「ウソも百編いえば本当になる」
とマスメデアの本性を伝えるものがある。
小泉首相は二十二日夜、首相官邸での与党幹部との懇談で、NHK改革について「NHKは民営化しないという閣議決定がある。自民党内でもいろいろな意見はあるが、閣議決定を踏まえ議論することはいいことだ」と述べ、民営化せずに改革を検討すべきだとの考えを表明した。
首相発言は、NHKを特殊法人として維持する方向で検討する考えを示したもので、大きな影響を与えよう。
政府は平成十三年十二月に閣議決定した特殊、認可法人の整理合理化計画で、NHKについては特殊法人の組織形態を維持するとしていた。
首相は懇談後、記者団に対しても「閣議決定でNHKは特殊法人とするという方針がある。民営化ではない、ほかの改革が議論されるのではないかという話をした」と重ねて述べた。
懇談には自民党の武部勤幹事長、公明党の神崎武法代表、草川昭三副代表らが出席。草川氏が「自民党にはNHKの民営化を考える会があるが、与党としての勉強会もつくってもらいたい」と要望したのに対し、首相が発言した。と新聞は伝える。
権力の本性を垣間見る思いである。
仕事感も同じでなければならぬ。
流れの中での自分のポジションの確立である。
共同作業ゆえそれができないとすすまない。
年末休暇を控えての旗日ゆえ、どうにも気勢が上がらない。
勤労日本の労働感の変遷を感じ取らねば組織の危機はますであろうに。
CO2増加の影響が海水上昇を招き北極の冷たき空気の張り出しとあいまって大雪をもたらしている。
寒冷化で道路状況が悪い。
今日はそいで途中より休み!
太陽光発電の普及!急がねばならない。
昨日22日は冬至であったそうな。
これからは日射量が増えていく太陽光のエネルギーの季節。
太陽光発電の世界では春の到来である。
冬至を表す言葉に
「冬至冬中(ふゆなか)冬始め」がある。
暦の上では冬至は冬の真ん中だが、厳しい寒さの始まるのはこれからという意味。
今年は既にあちこちで記録的な降雪に見舞われた。しかし、寒さの本番はこれからというのだから気が重い
にっくきは・・・・・CO2!
ガンバ!せきやん。
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心ある方。ちから貸してください
滝に飛び込む思い。
2005年12月22日鹿児島では大正10年来の12センチの降雪を記録したそうである。
観測依頼初めてつまり新記録。宮崎もご多分に漏れない。
お国の発表では暖冬が今年の冬ではなかったのか。
秋がなくいきなりの冬将軍が居座る。状況。
どこから来ているのか。ニュースでは解き明かそうとはしてくれない。総資本を構成する電力資本の影が見え隠れする。
私はCO2が地球環境を変えてる「温暖化」にあるとかねがね書いてきた。
温暖化とは何も暖かくなることばかりではない。
CO2の異常なる増加からくる異常気象総体のことである。
「9時から30分間のみのアポ」
昨日夕方の打診があった。
必死で見積もりの積み上げ。
睡眠時間は殆んどない。
説明に参上するお客さんは朝4時にはお目見えになっておられた。
朝5時40分には事務所を出て南に向かう。
それが驚いた。市内は降雪状態は無いが山陰等に降雪をみる。
畑地とか田んぼとか屋根の上などに雪が見受けられる。
均等に寝静まってる間の白きお客さんであったはずだ。
杉山とか竹林とかにはみれない。
無機物と有機物との差異。生命あるものは追っ払っているのか。
苛酷な自然環境である。
ラッシュ状態と約束の時間を考慮して途中で、車を捨て電車での移動を敢行。
かって大勢の人がいたであろう駅は無人で廃屋状態。
門川とかと違いコミュニティーとしての機能さえない駅舎は哀れ。
山茶花や低木椿にびっしりと白き雪。
みられぬ環境に童心で見とれる。
南国の椿にかかる白きもの。
人里はなれに姿現し。
北国に作家や文学者が出て南に育たぬのが理解できる。
現場では切った張ったの丁々発止。
この方の進め方に抜かりはない。
ついに内諾命令が出る。
これからは私の出番。スワッ〜大変である。
ヅメンを求め都城に飛び。構造計算書ヅメンを借りる
アイス・バーン状態の中の山越え。
危険に慎重でないとこれ以上の難題は抱えられない。
現場班からの交通事故のニュースに驚く。
それでもどうしようもできない。
クギ付けの仕事であった。
完全に資金繰りの仕事はできない。
70KWも頼んだまま。
総てをこれにかけてきたのである。
なににたとえようや。
滝つぼに飛び込む思いである。
そういえば三大名滝に対しての宿題を背負ってたのに気付いた。
もちろんCO2に起因する異常寒波で凍ったままなんだそうな。
三大名滝をブログだったかひろってみる。
?袋田の滝 高さ:120m 幅:73m
[茨城県久慈郡大子町]
「四度の滝」のアザナで呼ばれる「袋田の滝」。
名前の由来は滝の流れが4段に落下することからとも、その昔西行法師が絶賛したともいわれている。
「四季に一度ずつ来てみなければ真の風趣は味わえない」
水しぶきがキラキラ輝く夏、厳しい寒さに真っ白に凍結してる現在でも、圧倒的な存在感と様々な姿で観る者を魅了する滝。
アクセス
・電車の場合
JR上野駅⇒水戸駅:JR特急スーパーひたちで72分
JR水戸駅⇒袋田駅:JR水郡線で83分
茨交県北バス「滝本」行きバスで15分、「滝本」下車徒歩10分
・車の場合
常磐自動車道那珂ICから国道118号線を北上、50分
?華厳の滝 高さ:97m 幅:7m
[栃木県日光市]
毎秒約3トンの水が轟音をとどろかせながら滝壷に吸い込まれていく華厳の滝。
ぞっとするほどの迫力を持つこの滝に、魅せられる人は今も昔も後を絶ちません。
今から約百年前、藤村操という、哲学を学ぶ17歳の青年がこの滝壷に身を投じた。彼が残した遺書『厳頭の感』には
「萬有の眞相は唯一言にしてつくす。曰く【不可解】」。
この言葉に影響を受け、華厳の滝に飛び込む青年が多くいたそうだ。この滝に、青年たちは何を見たのでしょうか‥?
アクセス
・電車の場合
JR東京駅⇒宇都宮駅:JR新幹線やまびこで51分
JR宇都宮⇒日光駅:JR日光線で44分
東武バスで「湯元温泉」行き、または「中禅寺温泉」行きで50分、「中禅寺温泉」下車徒歩3分〜5分
・車の場合
日光宇都宮道路清滝ICより第二いろは坂経由、中禅寺湖方面へ20分
?那智の滝 高さ:133m 幅:13m
[和歌山県東牟婁郡那智勝浦町]
一段の滝では日本一の落差を誇る那智の滝。原生林を切り裂くように落下していく水は、荘厳で潔い雰囲気。日本三大神滝のひとつに数えられている。
滝そのものが御神体。
誰もが神聖な気持ちになる気高い滝。
先日19日より、正月のライトアップに備え試験点灯が行われ、暗闇に浮かび上がった青岸渡寺三重の塔と那智の滝。
午後5時すぎに照明が点灯。時間の経過とともに暗闇の中に那智の滝が青白い幻想的な姿を現し、朱色の三重の塔が夜空に浮かび上がった。
ライトアップは初詣で客を楽しませるため1989年の大みそかに始まった。
これらの事の一つ一つから自然のパワーを頂いている。
困難を何とかクリアーしつつある。
日本で初のハイブリッド・太陽光発電所を施工してみせる との
一念は岩をも通す信念で白装束で臨んだ意気込み。
それが、天に通じ僅か30分のアポを8名の経営者全員集合を掛けていただく3時間の大議論の末、大逆転劇につながった。
4日連続のこの地詣。
決め手は大阪やバッテリー福岡と方々からの詳しき説明のたわもの。それを集合したこの方のご努力。
昨日の焦燥ぶりの状態はまるでない。
光り輝く夢溢れる未来がある。
日本一の素晴らしき仕事を仕上げて見せよう。
困難はこれからで仕上げの苦しみと喜びが待ち構えている。
太陽光発電の普及で地球環境を守る。
お楽しみはこれからである。
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温暖化とは何も暖かくなることばかりではない。
CO2の異常なる増加からくる異常気象総体のことである。
「9時から30分間のみのアポ」
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苛酷な自然環境である。
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[茨城県久慈郡大子町]
「四度の滝」のアザナで呼ばれる「袋田の滝」。
名前の由来は滝の流れが4段に落下することからとも、その昔西行法師が絶賛したともいわれている。
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水しぶきがキラキラ輝く夏、厳しい寒さに真っ白に凍結してる現在でも、圧倒的な存在感と様々な姿で観る者を魅了する滝。
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自然の反逆
2005年12月21日仕事の職域を尊称して○○マンと呼ぶ。
企業戦士なる言葉の裏に同業種として○○マンがあった。
時代を映す言葉でもあり、時代の寵児でもあり、変遷がある。
国鉄マン、郵政マン、銀行マンIT時代の先駆をなした電通マン
その電通マンの生みの親は高速道で誰しもが丁度よいとこでお世話になる宮原インターの出である。
日本広告株式会社は明治34年7月、光永星朗が起こして電通として今日に至っている。
ひのもとの、ひごのひかわの、ひうち石
ひびにひとふた、ひらうひちびと
氷川町宮原は、このように古くから開けていた地区である。
この氷川町野津・宮原の地に1866年7月26日に生を受けたる光永喜一
生家は造酒業を営む名家。徳富蘇峰の父の一敬の共立学舎に学ぶ。
一敬は幕末の開明家。横井小南の弟子。
光永星朗は横井小南の孫弟子としての薫陶を受けている。
数奇な運命の中に社風を作り上げ、通信広告業の仕事を作り上げた先駆の人
東奔西走なら私も負けてはいない。
串間に飛び、2○を超える大型案件の見積もり提出に同行する。
確かなる手ごたえの中に次の地に向かう。
危機一髪で読み違えをしていた、第一番目の提出者ではなかったのである。
その後日向に移動して目的地で電話を受ける。
「覚悟はできてますか。」
大幅なる値切りの提示がある。
相当のそぎ落とし予算で即決見込みをつくる。
恐ろしきダウン金額の申し入れ。
関係者の緊急なる連絡で大枠承知を頂く、
電光石火で、バック・データーは後付。
予算は大丈夫なんであろうか。
帰りは汽車の利用。このスローライフの移動時間のみが生きてる証。
ただ移動をしながらきずいてる事もあった。
落葉樹たるケヤキやクヌギの落葉の仕方が確かに変である。
新聞で見かけてた通りである。
「今年はケヤキが不気味な枯れ方をしています」と東京近郊のこと。
「葉が縮れたまま散らない」とある。くすんだ茶色の葉が枝先で絡まり合い、素人目にも様子がおかしい。
ケヤキの巨樹がある立川市の国営昭和記念公園。
樹木医の川原淳によると、専門家の間でも話題になり始めたところだという。
異変に気づいたのは春先で、花が例年になく多く咲いた。夏には緑の葉が茶色に変わり、秋には縮み出した。
「病気ですか」と心配する来園者もいた。
関東地方だけではない。
京都府立植物園でも今年はケヤキの葉がよじれ、枯れが目立った。
名古屋市の東山植物園では、カエデやモミジは例年通りだったのに、ケヤキだけ十分に色づかないまま秋を終えた。
山陰や九州でも同様の例が見られた。
「ケヤキの葉が枯れたまま落ちない現象は十数年前からあるが、今年は特にひどい」。
植物の生態に詳しい国立科学博物館の萩原信介。
病虫害ではないようだが、葉と枝を切り離す離層という部位が十分に育たず、北風に吹かれても古い葉が枝から落ちない。
ケヤキは古名を槻(ツキ)と言う。
万葉集にも歌われ、戦国時代にはお城の造営に使われた。
現代では公園や街路でおなじみで、「けやき通り」や「けやき平」はあちこちにある。
地球温暖化のせいかどうか原因はまだ不明だ。
米国の思惑もあって人類共通の温暖化対策がうまく進まない。
しびれを切らしたケヤキが身を挺して何か警告しているのだろうか。
太陽光発電は自然の命ずるままの営業が丁度いい。
それにしても多忙すぎる毎日である。
太陽光発電所建設マンと実に長ったらしい名を楽しんでいる。
省略スピーィディ化のなかでの自然への反発。
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ひのもとの、ひごのひかわの、ひうち石
ひびにひとふた、ひらうひちびと
氷川町宮原は、このように古くから開けていた地区である。
この氷川町野津・宮原の地に1866年7月26日に生を受けたる光永喜一
生家は造酒業を営む名家。徳富蘇峰の父の一敬の共立学舎に学ぶ。
一敬は幕末の開明家。横井小南の弟子。
光永星朗は横井小南の孫弟子としての薫陶を受けている。
数奇な運命の中に社風を作り上げ、通信広告業の仕事を作り上げた先駆の人
東奔西走なら私も負けてはいない。
串間に飛び、2○を超える大型案件の見積もり提出に同行する。
確かなる手ごたえの中に次の地に向かう。
危機一髪で読み違えをしていた、第一番目の提出者ではなかったのである。
その後日向に移動して目的地で電話を受ける。
「覚悟はできてますか。」
大幅なる値切りの提示がある。
相当のそぎ落とし予算で即決見込みをつくる。
恐ろしきダウン金額の申し入れ。
関係者の緊急なる連絡で大枠承知を頂く、
電光石火で、バック・データーは後付。
予算は大丈夫なんであろうか。
帰りは汽車の利用。このスローライフの移動時間のみが生きてる証。
ただ移動をしながらきずいてる事もあった。
落葉樹たるケヤキやクヌギの落葉の仕方が確かに変である。
新聞で見かけてた通りである。
「今年はケヤキが不気味な枯れ方をしています」と東京近郊のこと。
「葉が縮れたまま散らない」とある。くすんだ茶色の葉が枝先で絡まり合い、素人目にも様子がおかしい。
ケヤキの巨樹がある立川市の国営昭和記念公園。
樹木医の川原淳によると、専門家の間でも話題になり始めたところだという。
異変に気づいたのは春先で、花が例年になく多く咲いた。夏には緑の葉が茶色に変わり、秋には縮み出した。
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関東地方だけではない。
京都府立植物園でも今年はケヤキの葉がよじれ、枯れが目立った。
名古屋市の東山植物園では、カエデやモミジは例年通りだったのに、ケヤキだけ十分に色づかないまま秋を終えた。
山陰や九州でも同様の例が見られた。
「ケヤキの葉が枯れたまま落ちない現象は十数年前からあるが、今年は特にひどい」。
植物の生態に詳しい国立科学博物館の萩原信介。
病虫害ではないようだが、葉と枝を切り離す離層という部位が十分に育たず、北風に吹かれても古い葉が枝から落ちない。
ケヤキは古名を槻(ツキ)と言う。
万葉集にも歌われ、戦国時代にはお城の造営に使われた。
現代では公園や街路でおなじみで、「けやき通り」や「けやき平」はあちこちにある。
地球温暖化のせいかどうか原因はまだ不明だ。
米国の思惑もあって人類共通の温暖化対策がうまく進まない。
しびれを切らしたケヤキが身を挺して何か警告しているのだろうか。
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