開発の執念
2005年11月30日70年前のに3年間にもわたり日本人の心を追い求めていたドイツ人がいた。
ブルーノ・タウトである。
桂離宮をして「涙が出るほどに美しい」と言わしめした。
タウトを偲ぶには彼がてがけた日本の住宅としては、唯一現存するものを見るのが速い。
熱海駅より徒歩8分で熱海市春日町8−37に着く。
RC造擁壁内の地下室がタウトの設計によるものである。
「旧日向別邸」であるが日向=宮崎でなく、アジア貿易で財を成した日向利兵衛の旧邸である。
その後、かっての日本カーバイトの保養所として利用されてきた。
熱海の海岸は地中海のコートダジュールと比較される絶景の地である。
熱海の名所といえば、お宮の松に伊豆山神社、梅園に錦ケ浦と相場は決まっている。
錦ケ浦は市街地から離れた熱海きっての景勝地。約二キロにわたって、入り組んだ断崖が続いている。
兜岩、碁盤岩、烏帽子岩など奇岩も多い。
紺碧の海に浮かぶ初島の眺めは素晴らしい。
昨年11月に熱海市の所有となり先月より一般に公開され始めた。
海を面した前述した高台に配したいわゆる借景の日本の美を表現している。
照明の優しさ、竹や桐を豊富に使用し、和と洋の融合が図られた見事な造りである。
ところで日本カーバイドは宮崎・延岡の日本窒素肥料株式会社延岡工場を前身とする。
また日本カーバイト工業 は富山県に残滓を残している。
コッペル1号 富山県魚津市村木町1−21 村木小学校
コッペル2号 富山県滑川市上小泉行田 行田公園
D51 260 富山県滑川市東福寺野字不水掛41 東福寺野自然公園SLハウス
D51 165 富山県西砺波郡福光町宮脇町5297 福光公園
1052 富山県砺波市花園町1ー32 チューリップ公園
9628 富山県富山市本丸1−62 富山城址公園
C11 217 富山県高岡市古城1 高岡古城公園
ナンカ宮崎・富山の接点である。
「国境の山から流れて来る川が二派に分かれて海に注ぐ、そこで水俣の名がある」と徳富蘆花は記す。
薩摩との国境から流れて来た二本の川が交わりそして二派に分かれ八代海に注ぐ、その様から水俣の名前が生まれたようである。
また徳富蘇峰、徳富蘆花を生んだ地でも有名である。
創業者野口は鹿児島県伊佐郡大口村(現大口市)に曽木電気株式会社を設立して発電事業をはじめその余った電力を利用して熊本県葦北郡水俣(現、水俣市)に日本カーバイド商会を設立した。明治38年のことである。
実は先ほど この12月で終了するNHKプロジェクトX第184回 11月29日放送再放送をみた。
・・・京セラの稲盛氏を中心にすえて、太陽光発電のことをプロジェクトXで放送した。(昨夜)で、今夜と言うか、明日の午前1時半から再放送 がある。・・・とのメールを師匠より頂いたからである。
番組は「太陽に懸けろ」〜住宅エネルギー革命〜の副題の如きであった
平成5年住宅用太陽光発電を開発した京都セラミックスのお話である。
経営のカリスマ稲盛和夫は薩摩の人、示現流の如き開発への挑戦であった。世のため人のためとの開発ポリシーで挑戦しての太陽光発電パネウの開発までの記録であった。
降り注ぐ太陽光で電力を作ると決意したのが49年3月。
シャープより木村健次郎を招聘して開発に拍車がかかった。
パネルについてはリボン方式で取り組んだがドイツからの多結晶の見本を見て方式を買え大きい発電量をも得た。
稲盛和夫は苦闘30年を経て誇らしげに芸術品と語るが言いえて妙である。
挫折に怯まず、揺り動かし突き動かしたのは「世のためによかった。」の言葉に象徴されるビジネスに賭ける夢の実現である。
太陽電池はいまや26万世帯に設置されている。
開発までには幾多の苦労があった。
今では販売に苦労している。
525枚の設置準備でもおおわらわ。
都城から小林と走り回る。
23じのご帰還。明日は朝7時から太陽電池のお客様講習会とのこと。
アクセスは200近くあるのですがクリックがまったくなく
60位に転落しました。どうか・・・・・
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ブルーノ・タウトである。
桂離宮をして「涙が出るほどに美しい」と言わしめした。
タウトを偲ぶには彼がてがけた日本の住宅としては、唯一現存するものを見るのが速い。
熱海駅より徒歩8分で熱海市春日町8−37に着く。
RC造擁壁内の地下室がタウトの設計によるものである。
「旧日向別邸」であるが日向=宮崎でなく、アジア貿易で財を成した日向利兵衛の旧邸である。
その後、かっての日本カーバイトの保養所として利用されてきた。
熱海の海岸は地中海のコートダジュールと比較される絶景の地である。
熱海の名所といえば、お宮の松に伊豆山神社、梅園に錦ケ浦と相場は決まっている。
錦ケ浦は市街地から離れた熱海きっての景勝地。約二キロにわたって、入り組んだ断崖が続いている。
兜岩、碁盤岩、烏帽子岩など奇岩も多い。
紺碧の海に浮かぶ初島の眺めは素晴らしい。
昨年11月に熱海市の所有となり先月より一般に公開され始めた。
海を面した前述した高台に配したいわゆる借景の日本の美を表現している。
照明の優しさ、竹や桐を豊富に使用し、和と洋の融合が図られた見事な造りである。
ところで日本カーバイドは宮崎・延岡の日本窒素肥料株式会社延岡工場を前身とする。
また日本カーバイト工業 は富山県に残滓を残している。
コッペル1号 富山県魚津市村木町1−21 村木小学校
コッペル2号 富山県滑川市上小泉行田 行田公園
D51 260 富山県滑川市東福寺野字不水掛41 東福寺野自然公園SLハウス
D51 165 富山県西砺波郡福光町宮脇町5297 福光公園
1052 富山県砺波市花園町1ー32 チューリップ公園
9628 富山県富山市本丸1−62 富山城址公園
C11 217 富山県高岡市古城1 高岡古城公園
ナンカ宮崎・富山の接点である。
「国境の山から流れて来る川が二派に分かれて海に注ぐ、そこで水俣の名がある」と徳富蘆花は記す。
薩摩との国境から流れて来た二本の川が交わりそして二派に分かれ八代海に注ぐ、その様から水俣の名前が生まれたようである。
また徳富蘇峰、徳富蘆花を生んだ地でも有名である。
創業者野口は鹿児島県伊佐郡大口村(現大口市)に曽木電気株式会社を設立して発電事業をはじめその余った電力を利用して熊本県葦北郡水俣(現、水俣市)に日本カーバイド商会を設立した。明治38年のことである。
実は先ほど この12月で終了するNHKプロジェクトX第184回 11月29日放送再放送をみた。
・・・京セラの稲盛氏を中心にすえて、太陽光発電のことをプロジェクトXで放送した。(昨夜)で、今夜と言うか、明日の午前1時半から再放送 がある。・・・とのメールを師匠より頂いたからである。
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平成5年住宅用太陽光発電を開発した京都セラミックスのお話である。
経営のカリスマ稲盛和夫は薩摩の人、示現流の如き開発への挑戦であった。世のため人のためとの開発ポリシーで挑戦しての太陽光発電パネウの開発までの記録であった。
降り注ぐ太陽光で電力を作ると決意したのが49年3月。
シャープより木村健次郎を招聘して開発に拍車がかかった。
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稲盛和夫は苦闘30年を経て誇らしげに芸術品と語るが言いえて妙である。
挫折に怯まず、揺り動かし突き動かしたのは「世のためによかった。」の言葉に象徴されるビジネスに賭ける夢の実現である。
太陽電池はいまや26万世帯に設置されている。
開発までには幾多の苦労があった。
今では販売に苦労している。
525枚の設置準備でもおおわらわ。
都城から小林と走り回る。
23じのご帰還。明日は朝7時から太陽電池のお客様講習会とのこと。
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危急存亡のとき
2005年11月29日午前3時にご帰還、これを書いている。ここんとこまったくの睡眠時間がない。それにしては実にハードな日々。加えて神経消耗戦でクタクタ。揉め事を持ち込まないでほしい。
朝120KM先の北郷町まで走り、工程管理の協議。実に即お金にならないことばかりで大変である。
帰りの15時ころ入郷の地の西郷村レイクランドで遅き昼食。宿泊所の下見を兼ねてである。
西都を経て国富町に夕方現場検査で電気が来てないことの解消をして20時過ぎに鹿児島に向け出発。深夜に夕食。
昨夜も早朝まじかの4時に寝て今朝6時起床。なかまの会社のパネル運びに参加した。
もともと我がアパデン宮崎がやってた工事の元請さん。
この会社に仕事をとられたのである。
それなのにお人よしは人材派遣で人助。まるでバカみたい。
おまけに朝、富士通に派遣してるはずの人が事務所におられる。
是では無断欠勤。職場放棄である。
またもや元請けをしくじろうというのか。
注意すれど食ってかかってくる。
是では始末におえない。
何が正義で誰がトラブルを持ち込んでくるのやら。
身を粉に働いても一丸となってなければ進歩はない。
一人自己犠牲ではもうどうにもならぬ。
とにかく多忙である。
2日の日之影の職人手配を負え、明日の延岡の職人手配を終えた。
夕方の電気手配といい、多忙が重なりすぎている。
仕事の配分の適正化に勤めねばならぬ。
太陽光発電業界はあるいみ戦場よりきつい状況である。
全員が一丸とならねば生きてはいけない。
そこで負けた軍隊ほど良く学ばねばならぬ。
つぎに挽回を図るための準備である。
太平洋戦争時のあるいは2,26事件のときの日本軍隊は
二つに派閥があり負けて行ったのである。皇道派と統制派である。ブログから書くとこうである。
終戦時は統制派(阿南・東条ら、小磯国昭は和平派)が継戦派でそれと仲の良い海軍軍人・外務省が同じく継戦派
海軍の岡田と米内らと旧皇道派(荒木貞夫・真崎甚三郎)と文官が和平派であった。
この頃の近衛内閣は信頼を失っており陸軍の赤化と共産革命をおそれて昭和天皇に奏上するが無視される。
もはや組織崩壊の様相を呈し末期症状という感じである。
陸軍は海軍よりも情報網そのものは良かった。基本的に海外で和平工作をしたのは殆ど陸軍軍人。
ヤルタ会談の内容は陸軍のスパイより入手済みだったが暗号解読をおそれ工作員が直接日本に運ぶことにした。
この時中立のソ連にシベリア鉄道をNKVD(のちのKGB)から提供され工作員が列車に乗ったところを殺害され暗号文を奪われる。
書き換えられた暗号はそのまま日本にわたり陸軍はソ連参戦のヤルタの密約を知らずに強気発言を繰り返す事になる。
そして何も知らない海軍は不安を覚え陸軍より早く組織的に戦後の準備を始めた。
マリアナ・レイテで壊滅し米軍に勝てない事はわかっても海軍は建造中を含めれば紙面の上では1個艦隊を編成できた。
艦隊が全滅していなかったのに降伏論は唱えづらい状態。
それに対し太平洋という決戦のしづらい戦場で全力の発揮できない陸軍が本土決戦で挽回を狙うという戦略のズレは戦後の身の振り方に対する行動を代える結果繋がるものはあった。
今朝の様は何であろう。
このような状況では人心が離れてるのを証明したようなもの。
ならばいかようにして稼ぐというのか。
もうコリゴリである。
首を切ろうとしてるとの発言にいたっては言語道断。
180度違う誤解にはいい加減にしろ!
もう我慢ができない。
この状態で維持運営ができるはずがない。
どうしたら生きていけるというのか。
レベルの低き議論には付き合ってる暇もない。
どう仕事をこなしていくのか。
日にちがない。危急存亡のときの手綱さばきが問われている。
問われているのは危機管理能力である。
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帰りの15時ころ入郷の地の西郷村レイクランドで遅き昼食。宿泊所の下見を兼ねてである。
西都を経て国富町に夕方現場検査で電気が来てないことの解消をして20時過ぎに鹿児島に向け出発。深夜に夕食。
昨夜も早朝まじかの4時に寝て今朝6時起床。なかまの会社のパネル運びに参加した。
もともと我がアパデン宮崎がやってた工事の元請さん。
この会社に仕事をとられたのである。
それなのにお人よしは人材派遣で人助。まるでバカみたい。
おまけに朝、富士通に派遣してるはずの人が事務所におられる。
是では無断欠勤。職場放棄である。
またもや元請けをしくじろうというのか。
注意すれど食ってかかってくる。
是では始末におえない。
何が正義で誰がトラブルを持ち込んでくるのやら。
身を粉に働いても一丸となってなければ進歩はない。
一人自己犠牲ではもうどうにもならぬ。
とにかく多忙である。
2日の日之影の職人手配を負え、明日の延岡の職人手配を終えた。
夕方の電気手配といい、多忙が重なりすぎている。
仕事の配分の適正化に勤めねばならぬ。
太陽光発電業界はあるいみ戦場よりきつい状況である。
全員が一丸とならねば生きてはいけない。
そこで負けた軍隊ほど良く学ばねばならぬ。
つぎに挽回を図るための準備である。
太平洋戦争時のあるいは2,26事件のときの日本軍隊は
二つに派閥があり負けて行ったのである。皇道派と統制派である。ブログから書くとこうである。
終戦時は統制派(阿南・東条ら、小磯国昭は和平派)が継戦派でそれと仲の良い海軍軍人・外務省が同じく継戦派
海軍の岡田と米内らと旧皇道派(荒木貞夫・真崎甚三郎)と文官が和平派であった。
この頃の近衛内閣は信頼を失っており陸軍の赤化と共産革命をおそれて昭和天皇に奏上するが無視される。
もはや組織崩壊の様相を呈し末期症状という感じである。
陸軍は海軍よりも情報網そのものは良かった。基本的に海外で和平工作をしたのは殆ど陸軍軍人。
ヤルタ会談の内容は陸軍のスパイより入手済みだったが暗号解読をおそれ工作員が直接日本に運ぶことにした。
この時中立のソ連にシベリア鉄道をNKVD(のちのKGB)から提供され工作員が列車に乗ったところを殺害され暗号文を奪われる。
書き換えられた暗号はそのまま日本にわたり陸軍はソ連参戦のヤルタの密約を知らずに強気発言を繰り返す事になる。
そして何も知らない海軍は不安を覚え陸軍より早く組織的に戦後の準備を始めた。
マリアナ・レイテで壊滅し米軍に勝てない事はわかっても海軍は建造中を含めれば紙面の上では1個艦隊を編成できた。
艦隊が全滅していなかったのに降伏論は唱えづらい状態。
それに対し太平洋という決戦のしづらい戦場で全力の発揮できない陸軍が本土決戦で挽回を狙うという戦略のズレは戦後の身の振り方に対する行動を代える結果繋がるものはあった。
今朝の様は何であろう。
このような状況では人心が離れてるのを証明したようなもの。
ならばいかようにして稼ぐというのか。
もうコリゴリである。
首を切ろうとしてるとの発言にいたっては言語道断。
180度違う誤解にはいい加減にしろ!
もう我慢ができない。
この状態で維持運営ができるはずがない。
どうしたら生きていけるというのか。
レベルの低き議論には付き合ってる暇もない。
どう仕事をこなしていくのか。
日にちがない。危急存亡のときの手綱さばきが問われている。
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史上最大の好景気
2005年11月28日どうにも合点がいかないことがある。
私だけであろうか。
では質問してみます?
?日本の企業で一番儲かってる企業は?
?世界で一番儲かってる国はどこ?
トヨタであり、アメリカと答えるのが殆んどではないでしょうや。
世界で言うと外貨準備高世界一は中国なのである。
中華の国はその政治体制からして一衣帯水のわが国は特に脅威である
政冷経熱ゆえなおさら、首脳同士が会話さえできない状況である。
銀行業界はバブル期を上回り、史上最高益は三菱銀行=三菱UFJフィナンシャル・グループである。
最終利益が7117億円でトヨタ5705億円を抜いてトップとなった。
新聞から記事を拾って書いてみる。
大手6グループ合計の連結最終利益は1兆7290億円。
これで90年代以降、漂っていた金融システム不安は収束した。
忘れてならないのは膨大な社会的、経済的コストが払われてのことである。
ゼロ金利とそれに続く量的緩和で預金や市場調達による資金コストは急減した。超低金利政策の結果である。収支のバランスハどうなったか。福井俊彦日本銀行総裁試算では93年からの10年間で低金利によって失われた家計の利子収入は154兆円に昇る。
また、公的資金による資本増強が経営体力の低下した銀行を下支えした。3大メガバンクの資本のうち15〜29%が公的資金である。
経営立て直しが優先し、銀行の本来業務の金融仲介機能が停止状態にあり、、不良債権処理や貸し渋りはデフレ要因ともなった。
このように銀行の横暴振りがありながら、景気拡大は続き、内閣府の試算だと実際の国内総生産(GDP)が潜在GDPを下回るGDPギャップは解消している。供給側からの景気押し下げ圧力はなくなっ
たと判断できる。全国消費者物価も10月には前年比横ばいと、マイナス圏から脱出した。
銀行はこうした経済状況の大きな変化を踏まえ、発想を全面的に転換すべきだ。
まず預金者に報いることだ。この先、景気を長持ちさせる上で個人消費の役割は大きい。家計の利子収入増はプラスに働く。そのためにも、量的緩和政策にピリオドを打つことが必要だ。
銀行の再生は国民に負担を強いる形で達成された。
中国の経済計画を立案する国家発展改革委員会のシンクタンクの報告書の中で、中国は潤沢な外貨準備を活用した還流基金を創設し、十三の隣国に中長期の借款を供与して社会インフラ施設の整備支援を提言している。
しかも、借款の半分は、中国企業による設備と技術の購入にあてる“ひも付き契約”を求めており、
同筋は「自国の産業支援と資源エネルギー獲得が目的。
援助と輸出、投資を一体化し、貿易投資を強化している」との見方を示している。
中国輸銀の昨年の輸出額は前年比33%増の約917億元(約1兆2800億円)で、基金が実現すれば、近隣諸国への影響力拡大は必至だ。
日本や米国などのODA供与とは、OECD(国際経済協力開発機構)開発援助委員会(DAC)に属する先進国が、一定の所得水準以下の開発途上国に有償、無償の援助を行うと同時に、軍事転用を防ぐため援助国もDACの審査を受ける。
中国はODA被援助国であって通常のODAはできないが、北朝鮮などアジアやアフリカ諸国に無償援助を行うなど、中国版「ODA」の供与実績を重ねてきた。
中国の外貨準備高は今年六月末で7159億ドルだが、1220億ドルの香港を含む合計は8379億ドルで、8340億ドルの日本を抜いて実質世界一となった。
巨額の対米貿易黒字を稼ぐ一方、人民元の対ドル上昇を抑えるため人民元を売ってドルを買う市場介入を続ける中国は、五年後に外貨準備高が約1兆2000億ドルになるとも試算される。
政府系金融機関の統廃合の調整が進む日本でも、外貨準備と輸銀を武器に経済外交を強める中国の手法は、国益に沿う貿易・投資の機能をもつ国際協力銀行の改革のあり方をめぐって、論議を呼びそうだ。
銀行ばかりでない。阪神もそうである。
経常益、4社で過去最高に=関西私鉄5社の中間決算
*関西私鉄大手5社の2005年9月中間期の連結決算が25日、出そろった。阪急ホールディングス 、阪神電気鉄道 、近畿日本鉄道 、京阪電気鉄道 の4社で経常利益が中間期としては過去最高を更新。
南海電気鉄道も過去最高には届かなかったものの、前年同期比55.2%増と大幅に伸びた。コスト体質の改善策がようやく成果を上げてきたといえそうだ。
主力の運輸業は、下落傾向にあった5社合計の運輸収入が前年比0.7%増、輸送人員も同0.3%増である。
景気先取りの資産運用でも同じである。
オークションとはラテン語で「増加」を意味するauctioが語源だそうだ
美術品や骨とう品などの競り市で世界各地で大盛況にあるそうだ。
世界的な金余りで政策担当者の心配事はインフレになっている。日本だけがデフレの呪文に金縛りだ。
政府は日銀に圧力をかけてカネのばらまき政策を続けろと言う。土地ファンドや株、絵画の急騰はそのおかげだ。しかし、預金金利はゼロ同然。目端の利くものだけが大もうけする世の中になってきた
きっかけは昨年5月、ニューヨークでピカソの「パイプを持つ少年」が史上最高の1億416万ドル(約113億円)で落札された。それでいっぺんに熱っぽくなった
日本のオークション市場はまだ小さいが、昨年は148億円の売り上げとなり、前年の4割増しだったという。梅原龍三郎の「裸婦扇」が2億7000万円、安井曽太郎の「立像」が2億4000万円で落札された。いずれも高値更新。今年も好調だ
ニューヨークでは、現代美術が人気らしい。中国人、インド人、ロシア人、アラブ人などが、それぞれのルーツにつながる美を求めている。新興のいわゆるエマージング・マーケットで財をなした人々だ。
ファンドマネジャーや不動産業者がのしてきたのも特徴らしい
美術品も土地や株式の値動きと無縁ではない。絵画相場は株価に半年遅れで連動するという。株でも
うけた資金を絵画に投じるケースが多いせいだ。あたりを見回すと、値上がりは絵画にとどまらない
スペイン、フランス、英国、米国では住宅が高騰している。金も18年ぶりの高値だ
日本のオークション市場はまだ小さいが、昨年は148億円の売り上げとなり、前年の4割増しだったという。梅原龍三郎の「裸婦扇」が2億7000万円、安井曽太郎の「立像」が2億4000万円で落札された。いずれも高値更新。今年も好調だ
世界的な金余りである。世界の心配事はインフレになっている。日本だけがデフレの呪文に金縛りだ。政府は日銀に圧力をかけてカネのばらまき政策を続けろと言う。土地ファンドや株、絵画の急騰はそのおかげだ。しかし、預金金利はゼロ同然。目端の利くものだけが大もうけする世の中になってきた。
儲からない仕事ばかりやってるのがアパデン宮崎。
200KM走破して利益「0」である。
九電連係に11時着を目指し北郷まで走る。
トンボ返りで九電で申請書を出す。
国富町では現場事務所の配線工事。
そのあとだしジャンケンの書類である。
富士通の方はうまくいっているのであろうか。
23時まで太陽光発電工事の社長さんとお話。
どうにも利益体質に弱いのが工事会社である。
史上最大の好景気はどこえやら。
利益率の向上をめざし、常に改善の姿勢が試されている。
アクセスは200近くあるのですがクリックがまったくなく
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?日本の企業で一番儲かってる企業は?
?世界で一番儲かってる国はどこ?
トヨタであり、アメリカと答えるのが殆んどではないでしょうや。
世界で言うと外貨準備高世界一は中国なのである。
中華の国はその政治体制からして一衣帯水のわが国は特に脅威である
政冷経熱ゆえなおさら、首脳同士が会話さえできない状況である。
銀行業界はバブル期を上回り、史上最高益は三菱銀行=三菱UFJフィナンシャル・グループである。
最終利益が7117億円でトヨタ5705億円を抜いてトップとなった。
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大手6グループ合計の連結最終利益は1兆7290億円。
これで90年代以降、漂っていた金融システム不安は収束した。
忘れてならないのは膨大な社会的、経済的コストが払われてのことである。
ゼロ金利とそれに続く量的緩和で預金や市場調達による資金コストは急減した。超低金利政策の結果である。収支のバランスハどうなったか。福井俊彦日本銀行総裁試算では93年からの10年間で低金利によって失われた家計の利子収入は154兆円に昇る。
また、公的資金による資本増強が経営体力の低下した銀行を下支えした。3大メガバンクの資本のうち15〜29%が公的資金である。
経営立て直しが優先し、銀行の本来業務の金融仲介機能が停止状態にあり、、不良債権処理や貸し渋りはデフレ要因ともなった。
このように銀行の横暴振りがありながら、景気拡大は続き、内閣府の試算だと実際の国内総生産(GDP)が潜在GDPを下回るGDPギャップは解消している。供給側からの景気押し下げ圧力はなくなっ
たと判断できる。全国消費者物価も10月には前年比横ばいと、マイナス圏から脱出した。
銀行はこうした経済状況の大きな変化を踏まえ、発想を全面的に転換すべきだ。
まず預金者に報いることだ。この先、景気を長持ちさせる上で個人消費の役割は大きい。家計の利子収入増はプラスに働く。そのためにも、量的緩和政策にピリオドを打つことが必要だ。
銀行の再生は国民に負担を強いる形で達成された。
中国の経済計画を立案する国家発展改革委員会のシンクタンクの報告書の中で、中国は潤沢な外貨準備を活用した還流基金を創設し、十三の隣国に中長期の借款を供与して社会インフラ施設の整備支援を提言している。
しかも、借款の半分は、中国企業による設備と技術の購入にあてる“ひも付き契約”を求めており、
同筋は「自国の産業支援と資源エネルギー獲得が目的。
援助と輸出、投資を一体化し、貿易投資を強化している」との見方を示している。
中国輸銀の昨年の輸出額は前年比33%増の約917億元(約1兆2800億円)で、基金が実現すれば、近隣諸国への影響力拡大は必至だ。
日本や米国などのODA供与とは、OECD(国際経済協力開発機構)開発援助委員会(DAC)に属する先進国が、一定の所得水準以下の開発途上国に有償、無償の援助を行うと同時に、軍事転用を防ぐため援助国もDACの審査を受ける。
中国はODA被援助国であって通常のODAはできないが、北朝鮮などアジアやアフリカ諸国に無償援助を行うなど、中国版「ODA」の供与実績を重ねてきた。
中国の外貨準備高は今年六月末で7159億ドルだが、1220億ドルの香港を含む合計は8379億ドルで、8340億ドルの日本を抜いて実質世界一となった。
巨額の対米貿易黒字を稼ぐ一方、人民元の対ドル上昇を抑えるため人民元を売ってドルを買う市場介入を続ける中国は、五年後に外貨準備高が約1兆2000億ドルになるとも試算される。
政府系金融機関の統廃合の調整が進む日本でも、外貨準備と輸銀を武器に経済外交を強める中国の手法は、国益に沿う貿易・投資の機能をもつ国際協力銀行の改革のあり方をめぐって、論議を呼びそうだ。
銀行ばかりでない。阪神もそうである。
経常益、4社で過去最高に=関西私鉄5社の中間決算
*関西私鉄大手5社の2005年9月中間期の連結決算が25日、出そろった。阪急ホールディングス 、阪神電気鉄道 、近畿日本鉄道 、京阪電気鉄道 の4社で経常利益が中間期としては過去最高を更新。
南海電気鉄道も過去最高には届かなかったものの、前年同期比55.2%増と大幅に伸びた。コスト体質の改善策がようやく成果を上げてきたといえそうだ。
主力の運輸業は、下落傾向にあった5社合計の運輸収入が前年比0.7%増、輸送人員も同0.3%増である。
景気先取りの資産運用でも同じである。
オークションとはラテン語で「増加」を意味するauctioが語源だそうだ
美術品や骨とう品などの競り市で世界各地で大盛況にあるそうだ。
世界的な金余りで政策担当者の心配事はインフレになっている。日本だけがデフレの呪文に金縛りだ。
政府は日銀に圧力をかけてカネのばらまき政策を続けろと言う。土地ファンドや株、絵画の急騰はそのおかげだ。しかし、預金金利はゼロ同然。目端の利くものだけが大もうけする世の中になってきた
きっかけは昨年5月、ニューヨークでピカソの「パイプを持つ少年」が史上最高の1億416万ドル(約113億円)で落札された。それでいっぺんに熱っぽくなった
日本のオークション市場はまだ小さいが、昨年は148億円の売り上げとなり、前年の4割増しだったという。梅原龍三郎の「裸婦扇」が2億7000万円、安井曽太郎の「立像」が2億4000万円で落札された。いずれも高値更新。今年も好調だ
ニューヨークでは、現代美術が人気らしい。中国人、インド人、ロシア人、アラブ人などが、それぞれのルーツにつながる美を求めている。新興のいわゆるエマージング・マーケットで財をなした人々だ。
ファンドマネジャーや不動産業者がのしてきたのも特徴らしい
美術品も土地や株式の値動きと無縁ではない。絵画相場は株価に半年遅れで連動するという。株でも
うけた資金を絵画に投じるケースが多いせいだ。あたりを見回すと、値上がりは絵画にとどまらない
スペイン、フランス、英国、米国では住宅が高騰している。金も18年ぶりの高値だ
日本のオークション市場はまだ小さいが、昨年は148億円の売り上げとなり、前年の4割増しだったという。梅原龍三郎の「裸婦扇」が2億7000万円、安井曽太郎の「立像」が2億4000万円で落札された。いずれも高値更新。今年も好調だ
世界的な金余りである。世界の心配事はインフレになっている。日本だけがデフレの呪文に金縛りだ。政府は日銀に圧力をかけてカネのばらまき政策を続けろと言う。土地ファンドや株、絵画の急騰はそのおかげだ。しかし、預金金利はゼロ同然。目端の利くものだけが大もうけする世の中になってきた。
儲からない仕事ばかりやってるのがアパデン宮崎。
200KM走破して利益「0」である。
九電連係に11時着を目指し北郷まで走る。
トンボ返りで九電で申請書を出す。
国富町では現場事務所の配線工事。
そのあとだしジャンケンの書類である。
富士通の方はうまくいっているのであろうか。
23時まで太陽光発電工事の社長さんとお話。
どうにも利益体質に弱いのが工事会社である。
史上最大の好景気はどこえやら。
利益率の向上をめざし、常に改善の姿勢が試されている。
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建築センス
2005年11月27日民主国家のメール・マークのマスコミの発達度には疑問がある。
視聴率争いや共同ニュース方式で金太郎飴の如きの同じニュ−スが蔓延し、席巻してくるからである。
裏返しとして風評被害的要素を持ち合わせているからだ。
「姉歯」秀次なる名前は瞬間的に日本人トップの知られた名となっているであろう。
ことの本質は2000年、建築基準法が改正され、建物の確認検査業務が民間に開放されたことにあるのではないのか。
金本位の社会現象がまかり通る社会において許認可業務の民営化ほど危険なものはない。
民営化の権化たる小泉の言うなにがなんでも民営化の結末である。
交通違反キップさえ民営させる国家がどこにあろう。
躍起になって安定社会に戻すのは政治の責任でいい。
<耐震偽造>武部自民幹事長が冷静な対応求める
自民党の武部勤幹事長は26日、北海道釧路市で講演し、姉歯建築設計事務所による耐震データ偽造問題について
「悪者捜しに終始するとマンション業界がつぶれ、不動産業界もまいってくる。景気がおかしくなるほどの大きな問題」と、冷静な対応の必要性を示し、
さらに「安全性の問題と悪者捜しは別」と強調した。
かくして無責任なる国家の誕生である。
弁護できるものがあるとすれば心情的わかるな〜というところだけだ。私も毎日味わっている下請けの苦悩である。
元請の要請で「他の会社のところに仕事を回す」と威圧を掛けられれば生きていかねばならぬのでやむ得まい。
ところがマスコミの餌食で新聞に書きたいほど書かれる。
"・・・・責任の一端は(イーホームズにも)ある"とまでも言う.完全に開き直っている
"コストを抑えるのは業界の常識"とまでいいきる.
これら姉歯へのインタビューでの発言から感じ取れるのは、この業界で"なぜオレだけが"と言っているようにも取れる.氷山の一角ということなのか.姉歯の言っていることが本当だとすると、全国のマンション業界全てに広がる可能性がある.
馬鹿なこといってるんじゃない。
死にものグルイで生きてる下請け業者の苦悩実情がまるでわかっていない。
人には言うなよ、語るなよである。
NHKはタイムリーな放送をした。
建築設計の基本のお話である。
日曜新美術館での時間に山根基世とはなが建築家の草分け吉村順三に触れた。宮崎で言えば日高是一に置き換えられる人と同じである。
朝と夜20時に二度までも見た。
安宅関の勧進帳を8チャンネルにあわせての忙しき久しぶりのテレビであった。
建築屋のその精神は奈良国立美術館に昇華している。
吉村の指導のもと平尾寛が奈良公園を考慮して建築した。
働く場としては日本財団ビルに見て取れる。
中学生で建築に応募し老成ぶりに、藤森照信東大教授は感嘆している。
建築は図面でなく感性である。
理屈でなくその場で感じ取る光、風、風景たる道である。
スタッフであった奥村昭雄が学んだものである。
大きさは最小限で家主の住まいたる家を質素で気持ちいいものにする。心地いいもの
同級生たる画家東山魁夷の住居も彼の手になる。
建築の基本である3尺が基準を2尺スケールにして吉村尺と呼ばれたほどである。
私共アパデン宮崎も太陽光発電を設計するにつけ調和を基本にする。
何も経済性のみでは設置を決める必要はない。
デザイン力のアップがなければ止めたがいい。
あの美術の殿堂・ルーブルにガラスの玄関が物議をかもした時期があったが何の違和感もなく世界の美術ファンを招き入れているほどにマッチしてきている。
耐震は目には見えぬためにおかしなことが発覚してきている。
耐震基準満たさない建築が「優秀賞」 業界団体が選定 - 社会
疑惑の東京都江東区のマンション「グランドステージ住吉」ヒューザー。
なんと全国住宅建設産業協会連合会の優秀事業賞を受賞していた。なぜ??
「姉歯」は珍しき姓名つえ「ナイト探偵スクープ」なる大阪局のテレビで追求した番組がかって放映された。
系図をたどれば先祖さんは東北のほうである。
朽ちぬらん 姉歯の橋も あさなあさな
浦かぜ吹きて 寒き浜辺に 能因
この橋は「岩手の湘南」とも言われる陸前高田市で広田湾に注ぐ気仙川に架かっている。
紛らわしいのは宮城県栗原郡金成町にある有名な歌枕「姉歯の松」がありその近くにも姉歯の橋なる小川にかかる小さな橋がある。
陸前高田市史には「姉妹高田より出たりと言う。能因の歌海浜近き橋を詠せる時は疑らくは今の今泉川に渡せる橋ならんか。
今泉川昔より寛永の頃までは高田村の中を流れて海に注ぎけると言へり。
人の旅立ちをば橋辺りまで送る事なれば 彼の姉が都への首途彼の橋まで送て柳條を綰ねたりしを後に姉歯の名に因みて其の橋をも斯く称せしや」とある。今泉川は現気仙川である。
古きを訪ねて新たらしきを知る。いい機会であった。
太陽光発電を設置してデザインのアップ。
「姉歯」を教訓にして災いを転じて福となしたい。
ささやかなる建築業界にも身をおくアパデン宮崎でもある。
負けた軍隊ほど良く学ぶ。組織を再編して再出発である。
情報は世界を制し、生死与奪権さえ持ってるマスコミ社会。
どこか納得の行かない国に一気に突き進んでいる気配がする。
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裏返しとして風評被害的要素を持ち合わせているからだ。
「姉歯」秀次なる名前は瞬間的に日本人トップの知られた名となっているであろう。
ことの本質は2000年、建築基準法が改正され、建物の確認検査業務が民間に開放されたことにあるのではないのか。
金本位の社会現象がまかり通る社会において許認可業務の民営化ほど危険なものはない。
民営化の権化たる小泉の言うなにがなんでも民営化の結末である。
交通違反キップさえ民営させる国家がどこにあろう。
躍起になって安定社会に戻すのは政治の責任でいい。
<耐震偽造>武部自民幹事長が冷静な対応求める
自民党の武部勤幹事長は26日、北海道釧路市で講演し、姉歯建築設計事務所による耐震データ偽造問題について
「悪者捜しに終始するとマンション業界がつぶれ、不動産業界もまいってくる。景気がおかしくなるほどの大きな問題」と、冷静な対応の必要性を示し、
さらに「安全性の問題と悪者捜しは別」と強調した。
かくして無責任なる国家の誕生である。
弁護できるものがあるとすれば心情的わかるな〜というところだけだ。私も毎日味わっている下請けの苦悩である。
元請の要請で「他の会社のところに仕事を回す」と威圧を掛けられれば生きていかねばならぬのでやむ得まい。
ところがマスコミの餌食で新聞に書きたいほど書かれる。
"・・・・責任の一端は(イーホームズにも)ある"とまでも言う.完全に開き直っている
"コストを抑えるのは業界の常識"とまでいいきる.
これら姉歯へのインタビューでの発言から感じ取れるのは、この業界で"なぜオレだけが"と言っているようにも取れる.氷山の一角ということなのか.姉歯の言っていることが本当だとすると、全国のマンション業界全てに広がる可能性がある.
馬鹿なこといってるんじゃない。
死にものグルイで生きてる下請け業者の苦悩実情がまるでわかっていない。
人には言うなよ、語るなよである。
NHKはタイムリーな放送をした。
建築設計の基本のお話である。
日曜新美術館での時間に山根基世とはなが建築家の草分け吉村順三に触れた。宮崎で言えば日高是一に置き換えられる人と同じである。
朝と夜20時に二度までも見た。
安宅関の勧進帳を8チャンネルにあわせての忙しき久しぶりのテレビであった。
建築屋のその精神は奈良国立美術館に昇華している。
吉村の指導のもと平尾寛が奈良公園を考慮して建築した。
働く場としては日本財団ビルに見て取れる。
中学生で建築に応募し老成ぶりに、藤森照信東大教授は感嘆している。
建築は図面でなく感性である。
理屈でなくその場で感じ取る光、風、風景たる道である。
スタッフであった奥村昭雄が学んだものである。
大きさは最小限で家主の住まいたる家を質素で気持ちいいものにする。心地いいもの
同級生たる画家東山魁夷の住居も彼の手になる。
建築の基本である3尺が基準を2尺スケールにして吉村尺と呼ばれたほどである。
私共アパデン宮崎も太陽光発電を設計するにつけ調和を基本にする。
何も経済性のみでは設置を決める必要はない。
デザイン力のアップがなければ止めたがいい。
あの美術の殿堂・ルーブルにガラスの玄関が物議をかもした時期があったが何の違和感もなく世界の美術ファンを招き入れているほどにマッチしてきている。
耐震は目には見えぬためにおかしなことが発覚してきている。
耐震基準満たさない建築が「優秀賞」 業界団体が選定 - 社会
疑惑の東京都江東区のマンション「グランドステージ住吉」ヒューザー。
なんと全国住宅建設産業協会連合会の優秀事業賞を受賞していた。なぜ??
「姉歯」は珍しき姓名つえ「ナイト探偵スクープ」なる大阪局のテレビで追求した番組がかって放映された。
系図をたどれば先祖さんは東北のほうである。
朽ちぬらん 姉歯の橋も あさなあさな
浦かぜ吹きて 寒き浜辺に 能因
この橋は「岩手の湘南」とも言われる陸前高田市で広田湾に注ぐ気仙川に架かっている。
紛らわしいのは宮城県栗原郡金成町にある有名な歌枕「姉歯の松」がありその近くにも姉歯の橋なる小川にかかる小さな橋がある。
陸前高田市史には「姉妹高田より出たりと言う。能因の歌海浜近き橋を詠せる時は疑らくは今の今泉川に渡せる橋ならんか。
今泉川昔より寛永の頃までは高田村の中を流れて海に注ぎけると言へり。
人の旅立ちをば橋辺りまで送る事なれば 彼の姉が都への首途彼の橋まで送て柳條を綰ねたりしを後に姉歯の名に因みて其の橋をも斯く称せしや」とある。今泉川は現気仙川である。
古きを訪ねて新たらしきを知る。いい機会であった。
太陽光発電を設置してデザインのアップ。
「姉歯」を教訓にして災いを転じて福となしたい。
ささやかなる建築業界にも身をおくアパデン宮崎でもある。
負けた軍隊ほど良く学ぶ。組織を再編して再出発である。
情報は世界を制し、生死与奪権さえ持ってるマスコミ社会。
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行動スタイル
2005年11月26日連日の泊り込みもあったり師匠、○○さんと23時過ぎまで議論をしていたりでここんとこ、まったく自分の時間がない。
仕事は順調に行ってるのであろうや。
静かなる見直しの時間が必要である。
多忙の連続であるがお金になってないボランチア的仕事のみではないのか。
午前中ひたすら職人さんからの連絡待ち、
書類を書いてもらう。スグには仕事に入れないといわれる。これではなにをしてるやもしれない。
午後もそうだ。
現場事務所の配線工事の依頼を受けてたがお聞きしていた住所が全然違うため、2時間以上もムダ。
現場案内する私としては、現地の町を離れ違う町に行くためパニック。
ましてや現地の入り口を間違ったがため、右往左往。やってられない。現地案内できない俺ってまるでバカそのもの。
冷徹に考えるにつけ。住所の違いは申請書を作成するときから少しの疑問を私は呈していたのである。
おかしいのは畑地帯のドマンナカのハズなのに郵便局がある。
「そんなとこに郵便局があるはずがない。」
その場で強く主張しなかったがために、何故か郵便局が描かれてしまった。
ただこの時点で同行した○○さんに同意を求めてるが同行したこの人何にも意見を言わなかった。
全体的に私の指導ミスなんであろうや。
いやはや午前中家がなかったハズなのに夕方には完成していた。
木下藤吉朗の墨俣の三日城どこの騒ぎではない。
大手ゼネコンのプレハブ現場事務所
わたしどもアパデン宮崎もこれでいいのかもしれない。
仕事依頼を頂いたのは元請の社長さん。懇意にしていただいている大変ありがたい方である。
先日もメールのやり取りをしている。
○○社長さんのお声を、かけて頂いて以来、人生が明るくなりました。
流石に百戦錬磨を詰まれてこられた豊富なる経験と培われた人脈。
さらにパソコン苦手世代のはずなのに縦横無尽にパソコンを操られる先進性。
人間何か一つ勝つものがあるはずなのにどこを探しても出てきません。
ご無礼なお願いがあります。
今後とも他社の社長さんとしてでなく、師匠さんとしてお付き合いをさせてください。
人生50にして素晴らしき方に出会い毎日が励まされる思いです。
「負けんぞ!」師匠にいつかは、誉めてもらえるようになる所存ですのでご指導、ご鞭撻を賜れますようあらためてよろしくお願いいたします。
ご指導いただいた件ですが大変紛らわしいのでくだんのお電話であったことでしょう。
まずは広辞苑とかネット辞典からは社会実情とは違っております。
相撲で言う番付があるとすれば特約店がいわば上位で代理店が隠したのイメージの説明です
特約店=製造会社または販売会社と特別に契約を結んだ販売店
代理店=一定の会社などの委託を受けて、その取引の代理を行う店・会社代理商の営業所
ところが社会事実は違います。
代理店はメーカーの資本で作られた直結の販売店
特約店は販売を伸ばすために作られた代理店が作った組織です。
特約店は資本がつながっていないため契約金などを納めさせられます。
他に似た組織としてサービス店があります。
サービス店=修理、メンテをするメーカー直結の修理会社。
特約販売店とか優良販売店なる紛らわしい名称もあるようです。
化粧品関係に多いのかと思われます。
品物の金額、メーカーのやり方にもより、名称の使い分けが違う嫌いもあるようです。
雑学のせきやんをお認め頂いてるのであるのなら有り難い、
TEL頂いたことに対して話ベタゆえメールにして送った次第。
このような仲でお付き合いをさせていただいている。
月曜日から富士通の現場に派遣することが決まりテンヤワンヤ。
途中「一抜けた!}のものもアリ、補充の人選探しとどうしようもない。
兎にも角にも職人さんの仕事探しのための仕事のみしており,個人宅を回り営業してることがない。
応援いただいてる方も個別を回ってくれない。
土日は会える確率が高い稼ぎ時のはずの個別宅訪問なのに誰も回っていない。
どうすれば経営改善が図れるか、みんなで考えるべきであるハズなんだが理想に過ぎないようである。
土日は仕事!
営業アップを考えるならどこの営業会社でもやってる常識。
休日の変更でやるしか営業の実績を上げる手立ての方向はない。
それが変更できないでいる。
任せてある!はこうなってくると逃げのの経営である。
これでは経営改善はできない。
どうしているの?せきやん!
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静かなる見直しの時間が必要である。
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書類を書いてもらう。スグには仕事に入れないといわれる。これではなにをしてるやもしれない。
午後もそうだ。
現場事務所の配線工事の依頼を受けてたがお聞きしていた住所が全然違うため、2時間以上もムダ。
現場案内する私としては、現地の町を離れ違う町に行くためパニック。
ましてや現地の入り口を間違ったがため、右往左往。やってられない。現地案内できない俺ってまるでバカそのもの。
冷徹に考えるにつけ。住所の違いは申請書を作成するときから少しの疑問を私は呈していたのである。
おかしいのは畑地帯のドマンナカのハズなのに郵便局がある。
「そんなとこに郵便局があるはずがない。」
その場で強く主張しなかったがために、何故か郵便局が描かれてしまった。
ただこの時点で同行した○○さんに同意を求めてるが同行したこの人何にも意見を言わなかった。
全体的に私の指導ミスなんであろうや。
いやはや午前中家がなかったハズなのに夕方には完成していた。
木下藤吉朗の墨俣の三日城どこの騒ぎではない。
大手ゼネコンのプレハブ現場事務所
わたしどもアパデン宮崎もこれでいいのかもしれない。
仕事依頼を頂いたのは元請の社長さん。懇意にしていただいている大変ありがたい方である。
先日もメールのやり取りをしている。
○○社長さんのお声を、かけて頂いて以来、人生が明るくなりました。
流石に百戦錬磨を詰まれてこられた豊富なる経験と培われた人脈。
さらにパソコン苦手世代のはずなのに縦横無尽にパソコンを操られる先進性。
人間何か一つ勝つものがあるはずなのにどこを探しても出てきません。
ご無礼なお願いがあります。
今後とも他社の社長さんとしてでなく、師匠さんとしてお付き合いをさせてください。
人生50にして素晴らしき方に出会い毎日が励まされる思いです。
「負けんぞ!」師匠にいつかは、誉めてもらえるようになる所存ですのでご指導、ご鞭撻を賜れますようあらためてよろしくお願いいたします。
ご指導いただいた件ですが大変紛らわしいのでくだんのお電話であったことでしょう。
まずは広辞苑とかネット辞典からは社会実情とは違っております。
相撲で言う番付があるとすれば特約店がいわば上位で代理店が隠したのイメージの説明です
特約店=製造会社または販売会社と特別に契約を結んだ販売店
代理店=一定の会社などの委託を受けて、その取引の代理を行う店・会社代理商の営業所
ところが社会事実は違います。
代理店はメーカーの資本で作られた直結の販売店
特約店は販売を伸ばすために作られた代理店が作った組織です。
特約店は資本がつながっていないため契約金などを納めさせられます。
他に似た組織としてサービス店があります。
サービス店=修理、メンテをするメーカー直結の修理会社。
特約販売店とか優良販売店なる紛らわしい名称もあるようです。
化粧品関係に多いのかと思われます。
品物の金額、メーカーのやり方にもより、名称の使い分けが違う嫌いもあるようです。
雑学のせきやんをお認め頂いてるのであるのなら有り難い、
TEL頂いたことに対して話ベタゆえメールにして送った次第。
このような仲でお付き合いをさせていただいている。
月曜日から富士通の現場に派遣することが決まりテンヤワンヤ。
途中「一抜けた!}のものもアリ、補充の人選探しとどうしようもない。
兎にも角にも職人さんの仕事探しのための仕事のみしており,個人宅を回り営業してることがない。
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土日は会える確率が高い稼ぎ時のはずの個別宅訪問なのに誰も回っていない。
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休日の変更でやるしか営業の実績を上げる手立ての方向はない。
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憂国忌
2005年11月25日文化の秋を思わせるにふさわしき憂国忌
人生は複雑である。
複雑なるものを簡単にするのは暴力よりほかにあるはずがない。
絞死で去ったNPO法人の中心人物の残滓が離れない。
自分自身と周りへの暴力的なるこの世からの去り方である。
自分自身への課題の問い詰めで去れない者がここにいる。
罪滅ぼしでの地球環境の改善にまい進している。
その様はセルバンテスがドンキホーテとしてパンチョとともに風車に向かって喜劇を演じてるが如くである。
グローバリズムなる利益本位の凶暴なる牙が世界を席巻してるのに背いてる滑稽なる姿である。
既に相撲で言う死に体なのやも知れぬ。初黒星の日の朝青龍の燃え盛るものではない。
死に別れと生き別れを考える場合にどちらが酷か。
諦めるという思考能力を持ち合わせているホスピタルゆえおのずとどちらに分があるかは自明の理
それは芸術作品に洋の東西を問わず昇華する。
名画「第三の男」のハリー・ライムは死んだハズなのに異国の地に生きていた。であり、松本清張の原作をテレビ放映したなかに戸籍のない男が国際を法浪するストリーであった
のを彷彿する作品があった。
このことからしても明らかだ。
友人知人を失い続け、打たれ強くはなっている。どうにもすすり泣くのに弱い。
忽然と姿を消した小市民の平和なる家庭・家族。
国家形成の最小単位のつながりである。
家族らはどのように変わらず生きているか。
国家権力なるものの暴力的断罪がまかり通る限り常識ある社会は安寧であろう。
憂国忌はこの時期チョッピリでも哲学的になれる人間らしさにふさわしき問題提起の日である。
敬愛するブログの方のように・・・優雅にひと時を見直すのもいい。・・・上野でやっている「北斎展」へ行ってきた。噂通り凄い混みようであった。 国立博物館所蔵のばかりでなく、海外からのお里帰り、他の美術館からの貸し出しを含めて、300点近い作品の展示である。///
私が左陣営に身を置き模索してるとき衝撃が走ったのが1970年の今日この日であった。
軍隊の本拠地・市ヶ谷のバルコニーから三島由紀夫が自衛隊将士に投げかけた断腸の叫びである。
それはマスコミを通じた全国民に対する問いであり、全世界に発信すれことも計算されての天才三島の 憂国の叫び出あった。
「われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へと落ち込んでゆくのを見た」、
バルコニーからの「檄」の断末魔の叫びに結びつく。
語彙にかける私はこのとき「檄」なる言葉を知った。
人類史における文明間の接触は、数千年間つづいてきたがいずれ同根で「コーランか剣か」の二者択一によって行われてきた。
聖書が鉄砲とともに伝来したのは、歴史の一挿話ではなく本質そのもの。
食うか食われるかの世界で、文明間の力学関係から文化がまぬがれていると思いこむのは稚戯にすぎない。
鶴の新聞が毎日届けられてるので証明されている通りである。
この組織の持つ文化性と本質的暴力性は政権与党としても欺瞞に満ち溢れてる
文化が宗教の座を占めようとする現代特有の、現象ににすぎない。
かつては自分自身の信仰を受けいれるにさいして、「しからずんば死」を決定しなければならなかった
しまばらの歴史であり、都城地区のかくれ念仏である。
「日本人は自己の宗教的感情を祖国の観念に転化する国民であり、現人神=天皇こそはかかる観念のシンボルにほかならない・・・・」(フィリップ・ラブロ)
バッハ は奏でる“マタイ受難曲=ペテロの否認” 第39曲 アリア 「憐れみたまえ、わが神よ」
ペンの力の才能を借りて、アンドレ・マルローは仏・文化省大臣まで勤めた。
1958年、ド・ゴール大統領のもとにフランス第五共和国が成立したとき、フランスはアンドレ・マルロー
を特使として日本に派遣し、国交を樹立した。
今日の日露100年プーチン訪日とはずいぶんと違う手法にお気付きのはずである。にほんが世界で一番輝いていたときである。
小津監督の作品群に見て取れ時代で、封切られている「夕日が丘三丁目」?Or{三丁目の夕日}がちょうどいい。
その時、偉大なる使者は、日本人の知識階級の聴衆を集めた講演席上において次のように提唱した。
「西欧全体にたいしてフランスは日本の精髄のたらんとするものであります」と。
仏国大使・マルローはこう言ったのだ。
日本の精髄について全世界が甚だしい無知のなかにいるということを高らかに謳いあげたのである。
欧州一の歴史ある国を感嘆させたものである。
「日本は中国の一遺産ではない。なぜなら日本は、愛の感情、勇気の感情、死の感情において中国とは切り離されているから。騎士道の民であるわれわれフランス人は、この武士道の民のなかに、多くの似かよった点を認めるようにつとむべきであろう。かつ、真の日本とは、世界最高の列のなかにあるこの国の12世紀の偉大な画家たちであり、隆信(藤原)であり、この国の音楽であって、談じてその版画に属するものではない」と。
「鉄の琴に合わせて歌われたその歌は、死者の歌、英雄の歌、深淵なるアジアのもっとも深淵なる象徴の一つにほかならない!」と。
それがどうであろうアングロサクソンの守銭奴化した世界秩序に巻き込まれ消えうせている底浅き国。
培われてきた世界唯一の男系皇室のいとも簡単なる変更。
憲法改正の現実化との薄っぺらな現代日本人。
そのころでさえまだ指導者にヒンがあった。道をわきまえていた。列強からサゲすがれながらも。
三島の「檄」
「日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくしてなんの軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ・・・・」
死を賭してまでその復活を振起しなければならなかったこの「日本」、幻視者・三島の心中にあってはすでに死に絶えていた「祖国」は、逆にフランスにあっては、いまや最も理解されうる一概念である点に思いをいたさなければならないであろう
『一個の民族にとって、嵐のなかで最も確かな星とはみずからの使命にたいする忠誠である』
日本には、日本でなくしては果たしえない使命というものがあるはずです。それは日本民族がその建国の始めよりして連綿と培ってきたなにものかであるはずです。これに飽くまで忠実であろうとする民族意思のうえに国の統一と再建がなされねばなりません。
大阪より雲上人のお方を向かえ、レクチャーを受けた。
工法一つかえるにしろこのエネルギーを使う世界企業の真髄を見る思いで怖く身が震える。
身に余る光栄なる畏怖心。
それにしても器の差がこんなにあるものか。
「耐震」誤魔化しの情けない職人のおはなしにも及ぶ。
この国の行く末をも語った。
日ごとの精進が問われている。
廉価の太陽光発電の普及。
ようやく太陽光発電525枚パネル=70KWの架台が決まる。
施工はアパデン宮崎!堂々と粛々と名誉ある工事に取り組む。
三島由紀夫の憂国のパワーを頂きながら。
ガンバ!せきやん。
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人生は複雑である。
複雑なるものを簡単にするのは暴力よりほかにあるはずがない。
絞死で去ったNPO法人の中心人物の残滓が離れない。
自分自身と周りへの暴力的なるこの世からの去り方である。
自分自身への課題の問い詰めで去れない者がここにいる。
罪滅ぼしでの地球環境の改善にまい進している。
その様はセルバンテスがドンキホーテとしてパンチョとともに風車に向かって喜劇を演じてるが如くである。
グローバリズムなる利益本位の凶暴なる牙が世界を席巻してるのに背いてる滑稽なる姿である。
既に相撲で言う死に体なのやも知れぬ。初黒星の日の朝青龍の燃え盛るものではない。
死に別れと生き別れを考える場合にどちらが酷か。
諦めるという思考能力を持ち合わせているホスピタルゆえおのずとどちらに分があるかは自明の理
それは芸術作品に洋の東西を問わず昇華する。
名画「第三の男」のハリー・ライムは死んだハズなのに異国の地に生きていた。であり、松本清張の原作をテレビ放映したなかに戸籍のない男が国際を法浪するストリーであった
のを彷彿する作品があった。
このことからしても明らかだ。
友人知人を失い続け、打たれ強くはなっている。どうにもすすり泣くのに弱い。
忽然と姿を消した小市民の平和なる家庭・家族。
国家形成の最小単位のつながりである。
家族らはどのように変わらず生きているか。
国家権力なるものの暴力的断罪がまかり通る限り常識ある社会は安寧であろう。
憂国忌はこの時期チョッピリでも哲学的になれる人間らしさにふさわしき問題提起の日である。
敬愛するブログの方のように・・・優雅にひと時を見直すのもいい。・・・上野でやっている「北斎展」へ行ってきた。噂通り凄い混みようであった。 国立博物館所蔵のばかりでなく、海外からのお里帰り、他の美術館からの貸し出しを含めて、300点近い作品の展示である。///
私が左陣営に身を置き模索してるとき衝撃が走ったのが1970年の今日この日であった。
軍隊の本拠地・市ヶ谷のバルコニーから三島由紀夫が自衛隊将士に投げかけた断腸の叫びである。
それはマスコミを通じた全国民に対する問いであり、全世界に発信すれことも計算されての天才三島の 憂国の叫び出あった。
「われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へと落ち込んでゆくのを見た」、
バルコニーからの「檄」の断末魔の叫びに結びつく。
語彙にかける私はこのとき「檄」なる言葉を知った。
人類史における文明間の接触は、数千年間つづいてきたがいずれ同根で「コーランか剣か」の二者択一によって行われてきた。
聖書が鉄砲とともに伝来したのは、歴史の一挿話ではなく本質そのもの。
食うか食われるかの世界で、文明間の力学関係から文化がまぬがれていると思いこむのは稚戯にすぎない。
鶴の新聞が毎日届けられてるので証明されている通りである。
この組織の持つ文化性と本質的暴力性は政権与党としても欺瞞に満ち溢れてる
文化が宗教の座を占めようとする現代特有の、現象ににすぎない。
かつては自分自身の信仰を受けいれるにさいして、「しからずんば死」を決定しなければならなかった
しまばらの歴史であり、都城地区のかくれ念仏である。
「日本人は自己の宗教的感情を祖国の観念に転化する国民であり、現人神=天皇こそはかかる観念のシンボルにほかならない・・・・」(フィリップ・ラブロ)
バッハ は奏でる“マタイ受難曲=ペテロの否認” 第39曲 アリア 「憐れみたまえ、わが神よ」
ペンの力の才能を借りて、アンドレ・マルローは仏・文化省大臣まで勤めた。
1958年、ド・ゴール大統領のもとにフランス第五共和国が成立したとき、フランスはアンドレ・マルロー
を特使として日本に派遣し、国交を樹立した。
今日の日露100年プーチン訪日とはずいぶんと違う手法にお気付きのはずである。にほんが世界で一番輝いていたときである。
小津監督の作品群に見て取れ時代で、封切られている「夕日が丘三丁目」?Or{三丁目の夕日}がちょうどいい。
その時、偉大なる使者は、日本人の知識階級の聴衆を集めた講演席上において次のように提唱した。
「西欧全体にたいしてフランスは日本の精髄のたらんとするものであります」と。
仏国大使・マルローはこう言ったのだ。
日本の精髄について全世界が甚だしい無知のなかにいるということを高らかに謳いあげたのである。
欧州一の歴史ある国を感嘆させたものである。
「日本は中国の一遺産ではない。なぜなら日本は、愛の感情、勇気の感情、死の感情において中国とは切り離されているから。騎士道の民であるわれわれフランス人は、この武士道の民のなかに、多くの似かよった点を認めるようにつとむべきであろう。かつ、真の日本とは、世界最高の列のなかにあるこの国の12世紀の偉大な画家たちであり、隆信(藤原)であり、この国の音楽であって、談じてその版画に属するものではない」と。
「鉄の琴に合わせて歌われたその歌は、死者の歌、英雄の歌、深淵なるアジアのもっとも深淵なる象徴の一つにほかならない!」と。
それがどうであろうアングロサクソンの守銭奴化した世界秩序に巻き込まれ消えうせている底浅き国。
培われてきた世界唯一の男系皇室のいとも簡単なる変更。
憲法改正の現実化との薄っぺらな現代日本人。
そのころでさえまだ指導者にヒンがあった。道をわきまえていた。列強からサゲすがれながらも。
三島の「檄」
「日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくしてなんの軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ・・・・」
死を賭してまでその復活を振起しなければならなかったこの「日本」、幻視者・三島の心中にあってはすでに死に絶えていた「祖国」は、逆にフランスにあっては、いまや最も理解されうる一概念である点に思いをいたさなければならないであろう
『一個の民族にとって、嵐のなかで最も確かな星とはみずからの使命にたいする忠誠である』
日本には、日本でなくしては果たしえない使命というものがあるはずです。それは日本民族がその建国の始めよりして連綿と培ってきたなにものかであるはずです。これに飽くまで忠実であろうとする民族意思のうえに国の統一と再建がなされねばなりません。
大阪より雲上人のお方を向かえ、レクチャーを受けた。
工法一つかえるにしろこのエネルギーを使う世界企業の真髄を見る思いで怖く身が震える。
身に余る光栄なる畏怖心。
それにしても器の差がこんなにあるものか。
「耐震」誤魔化しの情けない職人のおはなしにも及ぶ。
この国の行く末をも語った。
日ごとの精進が問われている。
廉価の太陽光発電の普及。
ようやく太陽光発電525枚パネル=70KWの架台が決まる。
施工はアパデン宮崎!堂々と粛々と名誉ある工事に取り組む。
三島由紀夫の憂国のパワーを頂きながら。
ガンバ!せきやん。
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異常なる日
2005年11月24日朝、オゾン装置工事の下工事にご案内し、後は職人さんに託した。昨日打ち合わせの、部材決定の資料をメ−カーさんにお渡しした。
UMKの照明工事、延岡と3ヶ所の工事があるのに休む人もありそれさえ知らず、連絡ミスでドタバタ。
この繰り返しでやる気無し。それでもパン1個買う時間もなくよる6時過ぎ要約パン1個食する。
餌切れ状態の中、悩み相談さえ飛び込んでくるイイカゲンさにつき合わされる。
まったくレベルひくく辛い。
国富町で協議。
向う3ヶ月間に渡り、連続の勤務を強いられるゆえ、条件、一日単価は厳しい。
考慮して決めたいがその余裕はない。
バイオマス講習会に出た。
オリンピア工業なる全国一の工場があることを認識させられた。先日キャタビラ日本一もあった事もあり、宮崎も満更でもない。
合間に資金繰りや貸付と参加者の中で忙しきのは私だけ。
長年注目していた文化本舗の代表の○○さんと名刺交換。
オゾン工事も難航のようである。
よる8時までエネパック講習。
23時近くまで夜飯抜きで議論交流。梁山泊状態である。
まったくリズムない数日で悲鳴をあげている。
悲鳴をあげてるのはこの国そのものかもしれない.
法事国家とは不思議なる国。ナンカおかしい。
建物強度偽造から全国あちこちのホテルが営業を止めている。
取り壊しの建物も出てきた。
あいては目に見えない自然現象の地震予測に対してである。
確かに偽造は安全を蔑ろにし、その想定どうりのゆれがきたら
たちどころに崩壊で被害が拡大するやもしれない。
だったら料金を安くするなりしてお客さんが納得する形で利用させる妙案で運営したらいい。
知らない間の不法行為はどうなるのであろう。
だったら知らされた後の処理もあっていいハズ。
国家赤字で悩み、ギリギリで生きてる国としての土性骨の貧乏の根性は微塵も見受けられない。
芸術的建物はどうなるのか。
取り壊されるかもしれない「都城市民会館」のブログがある。
都城という雅な風景をイメージさせる街は、鹿児島県との県境に近い日向の国、宮崎県の西南にある。
人口約13万人の島津発祥の地。
県庁所在地以外で10万の人口を越えるのは珍しい都市である。
菊竹清訓の設計した扇を開いたような、異型ともいえる都城市民会館のことである。
菊竹清訓は、DOCOMOMO100選にも選定された、自宅の「スカイハウス」(1958)や島根県のホテル「東光園」(1964)、「出雲大社庁の舎」(1963)などで知られる戦後の建築界を築いてきた建築家。
川添登や黒川記章らと共同で提唱した「メタポリズム」理論も、建築界や社会に大きな影響を与えた。
この市民会館は1966年竣工。
時を経て構造や設備など、変わらない部分と、変えていく部分を分けるというメタポリ実践の好例ともいえる。
菊竹清訓には、1973年発行の「1956-1970菊竹清訓作品と手法」
(美術出版社刊)という素晴らしい作品集があるが、この都城市民会館については、あの特異な形には触れずに、メタポリに関わる設備や光・空気といったことに終始して論じていて興味深い。当時の菊竹の意気込みといってもいいのだろう。
さてこの建築は、松井源吾(構造)、井上宇市(設備)、粟津潔(色彩)、伊藤隆道(アルミ緞帳)、NHK総合技術研究所(音響)、それに施工は鹿島建設という、当時の建築界やアートの世界の第一線で活躍していた技術陣やアーティストの総力によって建てられ、約40年近くに渡って都城の風景を創りあげてきた。
牧歌的な街に突然舞い降りたような、ライター磯達雄さんの言うコンクリートと鉄の「キメラ」(日経アーキテクチャー050110号)に市民は驚いたようだが、これもメタポリズム理論にのっとって生まれた形態で、今ではなくてはならない景色として定着している
この建築が取り壊されるかもしれないという。
都城市は新しい文化ホールを建設中でそれに伴って取り壊す検討をしている。市では、市民会館管理運営対策プロジェクトチームを作り、2003年には市民にその是非を問うアンケートなどを実施してきた。
調査の結果は、「そのまま存続、コンバージョンをして使い続ける」を併せると52,4パーセントで「解体する」をやや上回った。公表されている資料を読むと、存続については今や都城市のランドマークとなっており、長年市民に親しまれてきたという意見が多い。市は迷っているようだ。
今回新たにその是非を問うアンケートが為され、ある市民からDOCOMOMOに存続支援の要請があった。締め切りの9月15日直前だったので大勢の人に情報を伝えられなかったが、DOCOMOMOからとこのブログの方個人はこの建築を保存・活用していくことの大切さを市に伝えた。
存続か否か、最終決定をするという12月までまだ時間がある。・・
この会館での披露宴に何回か出たが人生出発の起点になった人々はいったいどのような人生を送られてきたのか。
安寧なる穏やかな人生であったなら、よかったとひたすら祈っている。
波乱万丈なる人生は週末を迎えているがもう少し耐えてみようと日々精進している。
それにしてもかなり無理をしているが、もう少し、
いま少し、もう少しがんばらねばならぬ。ガンバ!
<都城市の市民からのメッセージ>
都城市民会館はデザインの優れた大型建築作品です。
都城に残された最後の有名建築物です。
みんなが気付かないうちに、シンボルやランドマークになっていました。
昭和41年に菊竹清訓氏の設計により建てられたものです。
パリのポンピドーセンターにも菊竹清訓氏の作品として市民会館の模型が展示されています。
イタリアの建築学の教科書にも菊竹清訓氏の作品として市民会館の写真が掲載されています。
日本の残したい建築物100選にも市民会館の写真が掲載されています。
今、都城市の財政改革の一環で、古い、雨漏りする、維持費が掛かるということで取り壊されようとして
います。
何とかこの建物を50年、100年と残していきたい気持ちでいっぱいです。
再生させる道を考えてください。
例えば、市民会館が菊竹清訓氏のアート作品なので、そのまま美術館に転用したら!
市では、島津久厚氏より重要な島津家資料を約1万点寄贈頂いているので、現在の美術館は、島津家資料
館として模様替えする。
そうする事により、新規に島津家資料館を建設する必要がなくなる。
市民会館も長期保存と活用が出来る。
島津家資料館を新設する一方で、市民会館を取り壊すのは理不尽と思います。
改修費用は、島津家資料館を建設する費用と同程度と考える。15億円ぐらい?
ほかに都城市民会館を救ういいアイデアがあれば!知恵を下さい。
いやはや、早とちり、昨日のことは三洋でなく他社であった。
間違いは仕方ない状態でもある。少し時間がほしい。
♪♪
大黒摩季のワン・フレーズを口ずさむ
♪こんないそがしい人ジャ〜〜♪
ラッ・ラ〜・ラ〜ラ〜・ラ・ラ〜・
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まったくリズムない数日で悲鳴をあげている。
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法事国家とは不思議なる国。ナンカおかしい。
建物強度偽造から全国あちこちのホテルが営業を止めている。
取り壊しの建物も出てきた。
あいては目に見えない自然現象の地震予測に対してである。
確かに偽造は安全を蔑ろにし、その想定どうりのゆれがきたら
たちどころに崩壊で被害が拡大するやもしれない。
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知らない間の不法行為はどうなるのであろう。
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芸術的建物はどうなるのか。
取り壊されるかもしれない「都城市民会館」のブログがある。
都城という雅な風景をイメージさせる街は、鹿児島県との県境に近い日向の国、宮崎県の西南にある。
人口約13万人の島津発祥の地。
県庁所在地以外で10万の人口を越えるのは珍しい都市である。
菊竹清訓の設計した扇を開いたような、異型ともいえる都城市民会館のことである。
菊竹清訓は、DOCOMOMO100選にも選定された、自宅の「スカイハウス」(1958)や島根県のホテル「東光園」(1964)、「出雲大社庁の舎」(1963)などで知られる戦後の建築界を築いてきた建築家。
川添登や黒川記章らと共同で提唱した「メタポリズム」理論も、建築界や社会に大きな影響を与えた。
この市民会館は1966年竣工。
時を経て構造や設備など、変わらない部分と、変えていく部分を分けるというメタポリ実践の好例ともいえる。
菊竹清訓には、1973年発行の「1956-1970菊竹清訓作品と手法」
(美術出版社刊)という素晴らしい作品集があるが、この都城市民会館については、あの特異な形には触れずに、メタポリに関わる設備や光・空気といったことに終始して論じていて興味深い。当時の菊竹の意気込みといってもいいのだろう。
さてこの建築は、松井源吾(構造)、井上宇市(設備)、粟津潔(色彩)、伊藤隆道(アルミ緞帳)、NHK総合技術研究所(音響)、それに施工は鹿島建設という、当時の建築界やアートの世界の第一線で活躍していた技術陣やアーティストの総力によって建てられ、約40年近くに渡って都城の風景を創りあげてきた。
牧歌的な街に突然舞い降りたような、ライター磯達雄さんの言うコンクリートと鉄の「キメラ」(日経アーキテクチャー050110号)に市民は驚いたようだが、これもメタポリズム理論にのっとって生まれた形態で、今ではなくてはならない景色として定着している
この建築が取り壊されるかもしれないという。
都城市は新しい文化ホールを建設中でそれに伴って取り壊す検討をしている。市では、市民会館管理運営対策プロジェクトチームを作り、2003年には市民にその是非を問うアンケートなどを実施してきた。
調査の結果は、「そのまま存続、コンバージョンをして使い続ける」を併せると52,4パーセントで「解体する」をやや上回った。公表されている資料を読むと、存続については今や都城市のランドマークとなっており、長年市民に親しまれてきたという意見が多い。市は迷っているようだ。
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この会館での披露宴に何回か出たが人生出発の起点になった人々はいったいどのような人生を送られてきたのか。
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都城市民会館はデザインの優れた大型建築作品です。
都城に残された最後の有名建築物です。
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昭和41年に菊竹清訓氏の設計により建てられたものです。
パリのポンピドーセンターにも菊竹清訓氏の作品として市民会館の模型が展示されています。
イタリアの建築学の教科書にも菊竹清訓氏の作品として市民会館の写真が掲載されています。
日本の残したい建築物100選にも市民会館の写真が掲載されています。
今、都城市の財政改革の一環で、古い、雨漏りする、維持費が掛かるということで取り壊されようとして
います。
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市では、島津久厚氏より重要な島津家資料を約1万点寄贈頂いているので、現在の美術館は、島津家資料
館として模様替えする。
そうする事により、新規に島津家資料館を建設する必要がなくなる。
市民会館も長期保存と活用が出来る。
島津家資料館を新設する一方で、市民会館を取り壊すのは理不尽と思います。
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風雲急を告げる
2005年11月23日何故に旗日か調べる必要があるのか勤労感謝の日。
この日さえあちこち飛び回る。
人材を変えねばこのままの態勢では私の時間はない。
組織がのたれ死ぬ前に人材の確保であり、工事のお話をした。
営業ができず工事準備要員になっている。
見直しである。大断行が必要な時期の胸突き八丁。
営業体制強化で夜もお話をした。
名古屋から架台メーカーの方と半日間の技術指導である。
わざわざのお出ましにもかかわらず、対応者の人材にかける。
失礼なる態度では進歩はない。
大企業もいずれ同じなんであろうか。
三洋電機の事がマスコミの餌食である。
ところが逆境を逆手に取る息吹をネット・ニュースで見た。
元気が出るニュースで三洋グループ・ガンバレ!と声援したくなる。
元気はあらゆるところから頂いている。海外からもある。
ブログで英文が読み解くのが時間がかかりYAHOOO翻訳機を使うときがある。
ホストコンピューターにつながりたちどころに翻訳してくれる。
小型端末をインターネットで接続して音声翻訳するシステムは研究レベルで開発されている。
携帯に組み込まれればいいのにと思っていた。
電話端末だけの翻訳システムは困難だった。
それが携帯サイズの音声翻訳機をNECがシステム開発に成功した。
携帯電話などの小型端末に搭載すれば、日本語、英語双方向で会話を“同時通訳”できるシステムをNECが初めて開発したとのことである。実用化もまじかであろう。
起死回生のヒット商品となろう。
発表では自動翻訳機能付き携帯電話のソフトとして数年後の実用化を目指す。とある。
12月7日から都内で開かれる「C&Cユーザーフォーラム&iExpo2005」で披露されるそうだ。
ネットニュースの読売の伝えるところから引用すると仕組みはこうである。
素早い翻訳と小型化に成功したのは、端末内のICチップ(縦横約9ミリ)に三つの中央演算処理装置(CPU)を収納したことが大きい。三つのCPUを同時に働かせることで、声紋などから、一つ一つの母音、子音の判読、連続する単語列の認識、確率の高い言葉の並び方の決定などを瞬時に実行することが可能になった。一つのCPUのデータ処理量が減り、低消費電力にもつながった。
早く世に出ろ改善策。
牛歩の如くの進め方もあろう。
いずれにしろ事は急がれる。
異常なる毎日で休息が必要であるがその時間がない。
営業強化で生き残る。
ことは風雲急をつげているからだ。
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この日さえあちこち飛び回る。
人材を変えねばこのままの態勢では私の時間はない。
組織がのたれ死ぬ前に人材の確保であり、工事のお話をした。
営業ができず工事準備要員になっている。
見直しである。大断行が必要な時期の胸突き八丁。
営業体制強化で夜もお話をした。
名古屋から架台メーカーの方と半日間の技術指導である。
わざわざのお出ましにもかかわらず、対応者の人材にかける。
失礼なる態度では進歩はない。
大企業もいずれ同じなんであろうか。
三洋電機の事がマスコミの餌食である。
ところが逆境を逆手に取る息吹をネット・ニュースで見た。
元気が出るニュースで三洋グループ・ガンバレ!と声援したくなる。
元気はあらゆるところから頂いている。海外からもある。
ブログで英文が読み解くのが時間がかかりYAHOOO翻訳機を使うときがある。
ホストコンピューターにつながりたちどころに翻訳してくれる。
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携帯に組み込まれればいいのにと思っていた。
電話端末だけの翻訳システムは困難だった。
それが携帯サイズの音声翻訳機をNECがシステム開発に成功した。
携帯電話などの小型端末に搭載すれば、日本語、英語双方向で会話を“同時通訳”できるシステムをNECが初めて開発したとのことである。実用化もまじかであろう。
起死回生のヒット商品となろう。
発表では自動翻訳機能付き携帯電話のソフトとして数年後の実用化を目指す。とある。
12月7日から都内で開かれる「C&Cユーザーフォーラム&iExpo2005」で披露されるそうだ。
ネットニュースの読売の伝えるところから引用すると仕組みはこうである。
素早い翻訳と小型化に成功したのは、端末内のICチップ(縦横約9ミリ)に三つの中央演算処理装置(CPU)を収納したことが大きい。三つのCPUを同時に働かせることで、声紋などから、一つ一つの母音、子音の判読、連続する単語列の認識、確率の高い言葉の並び方の決定などを瞬時に実行することが可能になった。一つのCPUのデータ処理量が減り、低消費電力にもつながった。
早く世に出ろ改善策。
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2005年11月22日YAHOOで明暗のニュース。
米ゼネラル北米9工場を閉鎖し、3万人をリストラすると言う。
NYでは鹿児島・熊本・宮崎協同で焼酎の試飲会を開催したそうである。
空前の焼酎ブームが沸き起こっている。
焼酎はかって下級の酒であった。
1970年ころの当時の宮崎県内では県北・延岡では宴会は酒でまだ焼酎と思しきものは愛飲されてなかった。
東京出張の折には焼酎がまったく入手不可能ゆえバッグに忍ばせて思いリュュクをさらに重くしたものである。
それが状況が一変している。
かつて焼酎は暑さに弱く、仕込んでも酸敗や腐敗がしばしば起こっていた。
酒のなりそこないを蒸留したようであった。
わたしの幼き記憶のころでさえ「ドブロク酒」でまだそのような状態であった戦後のことだ。
我が家では味噌を作るのに麹菌を買ってきた。
似たようなものであろう。
そのとき麹菌は見た記憶がある。
菌糸は、違ってたのであろうか。
なんか菌の入ってる袋の川内菌のイメージがあるのであるが違ってたのであろうか。
焼酎が劇的に旨くなったのは大正時代という。
現代焼酎の父「川内源一郎」の存在なくして語れ得ない。
もともと生家はヒロシマの醤油屋である。
ゆえに麹やもろ味には慣れ親しんできたわけである。
今の大阪大学で醗酵学を修得して明治42年=1909年に26歳で焼酎蔵元に派遣サル。
酒造りは一麹、二にモト酒母、三に造りといわれる。
ところが清酒と同じ黄色麹が使われていた。
寒冷地の清酒に向く黄麹がここの焼酎に合うわけがない。
南国には南国の麹である。
そこで沖縄の泡盛に使われる黒麹に着目、醸造したし、
仕込みやすくやや辛口の旨い焼酎を醸し出した。
「ハイカラ焼酎」の誕生である。
大正12年黒麹の中に白い点を発見。
培養してみると突然変異で生まれた黒麹のアルピノ=白子である。
それで焼酎を造ると黒麹に比べ口当たりも柔らか。
新しき菌の発見である。
川内菌=アスベルギルス カワチ キタハラと命名
昭和6年種麹屋川内源一郎商店の誕生である。
ところが育ててきた麹屋と競合する。
そこで白麹は朝鮮半島や満州に送られ自らもその地で焼酎を作った。
韓国のマッコリや中国のコウリャン酒は川内菌が今でも使われている。
どうりで日本の味がするはずである。
そこから逆輸入。
日本の焼酎文化を変えたわけである。
ところが成果をみずして急逝。
現在の川内源一郎商店の社長山本正明に引き継がれた。
九大で醗酵学を修め数奇な縁で川内の長女昌子と結ばれる。
甘く切れ味のいい焼酎の黒菌を発見しクロ焼酎に火をつけた。「黒麹NKニュークロ」と呼ばれる菌である。
黒麹で仕込まれる芋焼酎の殆んどがこのNKが使われている。
川内源一郎商店が扱う焼酎陽の種菌は全国シェアーの80パーセントを超えている。
今飲まれたダレヤメのバンシャクもそうなんですヨ!
私はお別れの焼酎である。
ご冥福をお祈りいたします。
北郷で現場協議。そこから延岡。
門川から都城に向かう途中、延岡の恵比寿様からお電話を頂いた。
鹿児島からの帰りで都城の食事処の紹介の要請。
いけすの川太郎を推薦し待ち合わせ。
狭まばれた交友関係の中での充実しきっている。
どうにも瞼がゆれている。何も列車の振動での画像のブレではない。
どうにも疲れの蓄積のようだ。
寂しさはどうにもカバーできないがどうしても無理なら捨て去るが言い。ところが都城の出会いは空振り。
川太郎は満員でお断り。
さりとて長崎より帰りし仲間二人とはすれ違い。野尻という。
お通夜ゆえ行き違いは仕方ない。
ただ、宮崎駅まで迎えに来ていただいていた。感謝である。
多忙はまだまだつづく。
23日は名古屋より太陽光発電架台メーカーの方がわざわざ525枚のパネルの技術指導を頂くためにご來所される。
24日は行事のめじろ押し。
オゾン工事の着工、14時からバイオマス・システムの説明会。16時にはエネパックについて本社からこられ説明会。大阪からは○○課長さんがNEDOの現場協議でお目みえになる。
延岡の冷房工事もある。
又、毎日10人の職人さんを派遣せよ!との命令の仕事の打ち合わせ。
県内一の方の要請はきつい。お話は絶対なる命令である。
命ながらえよ〜。ゆっくりゆっくり
私はまだまだしぶとく生きる。
ありがとう。!さようなら。
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米ゼネラル北米9工場を閉鎖し、3万人をリストラすると言う。
NYでは鹿児島・熊本・宮崎協同で焼酎の試飲会を開催したそうである。
空前の焼酎ブームが沸き起こっている。
焼酎はかって下級の酒であった。
1970年ころの当時の宮崎県内では県北・延岡では宴会は酒でまだ焼酎と思しきものは愛飲されてなかった。
東京出張の折には焼酎がまったく入手不可能ゆえバッグに忍ばせて思いリュュクをさらに重くしたものである。
それが状況が一変している。
かつて焼酎は暑さに弱く、仕込んでも酸敗や腐敗がしばしば起こっていた。
酒のなりそこないを蒸留したようであった。
わたしの幼き記憶のころでさえ「ドブロク酒」でまだそのような状態であった戦後のことだ。
我が家では味噌を作るのに麹菌を買ってきた。
似たようなものであろう。
そのとき麹菌は見た記憶がある。
菌糸は、違ってたのであろうか。
なんか菌の入ってる袋の川内菌のイメージがあるのであるが違ってたのであろうか。
焼酎が劇的に旨くなったのは大正時代という。
現代焼酎の父「川内源一郎」の存在なくして語れ得ない。
もともと生家はヒロシマの醤油屋である。
ゆえに麹やもろ味には慣れ親しんできたわけである。
今の大阪大学で醗酵学を修得して明治42年=1909年に26歳で焼酎蔵元に派遣サル。
酒造りは一麹、二にモト酒母、三に造りといわれる。
ところが清酒と同じ黄色麹が使われていた。
寒冷地の清酒に向く黄麹がここの焼酎に合うわけがない。
南国には南国の麹である。
そこで沖縄の泡盛に使われる黒麹に着目、醸造したし、
仕込みやすくやや辛口の旨い焼酎を醸し出した。
「ハイカラ焼酎」の誕生である。
大正12年黒麹の中に白い点を発見。
培養してみると突然変異で生まれた黒麹のアルピノ=白子である。
それで焼酎を造ると黒麹に比べ口当たりも柔らか。
新しき菌の発見である。
川内菌=アスベルギルス カワチ キタハラと命名
昭和6年種麹屋川内源一郎商店の誕生である。
ところが育ててきた麹屋と競合する。
そこで白麹は朝鮮半島や満州に送られ自らもその地で焼酎を作った。
韓国のマッコリや中国のコウリャン酒は川内菌が今でも使われている。
どうりで日本の味がするはずである。
そこから逆輸入。
日本の焼酎文化を変えたわけである。
ところが成果をみずして急逝。
現在の川内源一郎商店の社長山本正明に引き継がれた。
九大で醗酵学を修め数奇な縁で川内の長女昌子と結ばれる。
甘く切れ味のいい焼酎の黒菌を発見しクロ焼酎に火をつけた。「黒麹NKニュークロ」と呼ばれる菌である。
黒麹で仕込まれる芋焼酎の殆んどがこのNKが使われている。
川内源一郎商店が扱う焼酎陽の種菌は全国シェアーの80パーセントを超えている。
今飲まれたダレヤメのバンシャクもそうなんですヨ!
私はお別れの焼酎である。
ご冥福をお祈りいたします。
北郷で現場協議。そこから延岡。
門川から都城に向かう途中、延岡の恵比寿様からお電話を頂いた。
鹿児島からの帰りで都城の食事処の紹介の要請。
いけすの川太郎を推薦し待ち合わせ。
狭まばれた交友関係の中での充実しきっている。
どうにも瞼がゆれている。何も列車の振動での画像のブレではない。
どうにも疲れの蓄積のようだ。
寂しさはどうにもカバーできないがどうしても無理なら捨て去るが言い。ところが都城の出会いは空振り。
川太郎は満員でお断り。
さりとて長崎より帰りし仲間二人とはすれ違い。野尻という。
お通夜ゆえ行き違いは仕方ない。
ただ、宮崎駅まで迎えに来ていただいていた。感謝である。
多忙はまだまだつづく。
23日は名古屋より太陽光発電架台メーカーの方がわざわざ525枚のパネルの技術指導を頂くためにご來所される。
24日は行事のめじろ押し。
オゾン工事の着工、14時からバイオマス・システムの説明会。16時にはエネパックについて本社からこられ説明会。大阪からは○○課長さんがNEDOの現場協議でお目みえになる。
延岡の冷房工事もある。
又、毎日10人の職人さんを派遣せよ!との命令の仕事の打ち合わせ。
県内一の方の要請はきつい。お話は絶対なる命令である。
命ながらえよ〜。ゆっくりゆっくり
私はまだまだしぶとく生きる。
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最悪の日
2005年11月21日都城・のもとホール華館で涙も枯れ果てて考えた。
華やかりし20〜30代のころと違いこの歳になると訃報が飛び込んでくる。
50歳代は理由はないが「漠然とした不安」に襲われ付きまとわれている。
なにも芥川龍之介ばかりにまつわり付いてるわけではないのだ。
今朝4時に起床し長崎行きの人選を考えている。
結局○○さんと○○さんが行き私が残ることとした。
大事な契約があるのに託したのである。
私といえば私共が進めてきた延岡700坪の開店祝賀祝いと市内における仕事の履行をにらんでのことである。
お祝いに駆けつける役割を担わされた。
これが実に不思議なのである。
誰かが仕掛けたとしか思えないことが襲ってきた。
電話である。「NEDO仕様の三洋パネルが廉価で入手できる」という。
ハンドルを握っておられるメーカーのお偉いさんも、うちのパネルも出血で出そうといわれる・
早速前回見積もりあわせをされたNPO法人の方々に知らせることとした。
ところが誰も電話が通じない。
宮大教授が会長さんでもあり連絡したがこれまた通じない
何か怪しき異変である。
延岡に着き、開店挨拶を済ませ太陽光発電10KWを確認すると2,6KWが二台のパワコン数値である。
この天候にして3,8KW〜4,2KWないと納得できない。
1次側を確認するとナント109Vもある。
これでは自動制御が働き十分に発電しない。
明日九電と協議することとした。
延岡のこの時期の風物詩は市内中心部を流れる五ヶ瀬川の鮎やな。
水郷の町にふさわしく街の中心部にヤナがある。
ミソ焼き、塩焼きそれぞれ3匹とせごし、アユ飯、味噌汁、何故か地鶏焼き〆て3500円。
キャ〜〜イ!痛い出費だが太陽光発電出力アップの技術料とすれば安いもの。
昨日朝、職人さんを国富の現場に連れて行き仕事をしないのに6000円払ったもの。
休んでる人もおりながらの出費は納得いかない。
ところで、時代の要請のないころの太陽光発電。
宮崎での太陽光発電を初期に立ち上げた人。
10日の日であったか都城まで行き会えず、お母さんと会話して大根葉のミソ汁の食材を頂いたものである。
あの時あっとけばこのようなことにはならずに済んだハズである。
仕事で議論しているので自分を強くせめる。辛い。
私が追い込んだのでの責任であるのか。
所詮仕事ではないのか。
パネルが非常に安いので私は手を引いた。
はじめての敗北である。完全なる白旗。
それが昨夜の訃報であったのである。絞死。
自らの首にかけるときの心境は察しもつかぬ。
いや!、否!毎日薄はくを踏む思い。よ〜〜くわかる。
この年代は常に背負っている。
あさの電話をかけまくったときには既にこの世にはいなかったのである。
神の啓示であったのか。
ハンドルをお願いしてる人を新富町の医院に連れて行く。
左手が痺れていて、動かない。長嶋茂雄状態なのである。
長き診察の末にヨカッタ!頭脳部からきているのではなかった。
小康にまずはめでたし!としておこう。
永き仮通夜をおえ曙ときの帰還。
北方領土がどうなってるやも知れない。
返せ!北方領土。
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50歳代は理由はないが「漠然とした不安」に襲われ付きまとわれている。
なにも芥川龍之介ばかりにまつわり付いてるわけではないのだ。
今朝4時に起床し長崎行きの人選を考えている。
結局○○さんと○○さんが行き私が残ることとした。
大事な契約があるのに託したのである。
私といえば私共が進めてきた延岡700坪の開店祝賀祝いと市内における仕事の履行をにらんでのことである。
お祝いに駆けつける役割を担わされた。
これが実に不思議なのである。
誰かが仕掛けたとしか思えないことが襲ってきた。
電話である。「NEDO仕様の三洋パネルが廉価で入手できる」という。
ハンドルを握っておられるメーカーのお偉いさんも、うちのパネルも出血で出そうといわれる・
早速前回見積もりあわせをされたNPO法人の方々に知らせることとした。
ところが誰も電話が通じない。
宮大教授が会長さんでもあり連絡したがこれまた通じない
何か怪しき異変である。
延岡に着き、開店挨拶を済ませ太陽光発電10KWを確認すると2,6KWが二台のパワコン数値である。
この天候にして3,8KW〜4,2KWないと納得できない。
1次側を確認するとナント109Vもある。
これでは自動制御が働き十分に発電しない。
明日九電と協議することとした。
延岡のこの時期の風物詩は市内中心部を流れる五ヶ瀬川の鮎やな。
水郷の町にふさわしく街の中心部にヤナがある。
ミソ焼き、塩焼きそれぞれ3匹とせごし、アユ飯、味噌汁、何故か地鶏焼き〆て3500円。
キャ〜〜イ!痛い出費だが太陽光発電出力アップの技術料とすれば安いもの。
昨日朝、職人さんを国富の現場に連れて行き仕事をしないのに6000円払ったもの。
休んでる人もおりながらの出費は納得いかない。
ところで、時代の要請のないころの太陽光発電。
宮崎での太陽光発電を初期に立ち上げた人。
10日の日であったか都城まで行き会えず、お母さんと会話して大根葉のミソ汁の食材を頂いたものである。
あの時あっとけばこのようなことにはならずに済んだハズである。
仕事で議論しているので自分を強くせめる。辛い。
私が追い込んだのでの責任であるのか。
所詮仕事ではないのか。
パネルが非常に安いので私は手を引いた。
はじめての敗北である。完全なる白旗。
それが昨夜の訃報であったのである。絞死。
自らの首にかけるときの心境は察しもつかぬ。
いや!、否!毎日薄はくを踏む思い。よ〜〜くわかる。
この年代は常に背負っている。
あさの電話をかけまくったときには既にこの世にはいなかったのである。
神の啓示であったのか。
ハンドルをお願いしてる人を新富町の医院に連れて行く。
左手が痺れていて、動かない。長嶋茂雄状態なのである。
長き診察の末にヨカッタ!頭脳部からきているのではなかった。
小康にまずはめでたし!としておこう。
永き仮通夜をおえ曙ときの帰還。
北方領土がどうなってるやも知れない。
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世も明けぬ国
2005年11月20日この国は天照大神の日の本のくに。
おんな、なしでは日もあけぬ国。
華やかなりしは大和なでしこ。
今日のスポーツ界のおんなの活躍は言いえて妙、
?高橋尚子
わが宮崎のローカル・スカイネット航空の元専属の高橋尚子。
まさにQちゃんは宇宙人である。
「歓喜の抱擁、チームQ」の文字が祝福で躍っている。
本日の東京国際女子マラソン にまさに奇跡が起こった。
前日まで肉離れで歩けないほどの体調なのにシドニー五輪女子マラソン金メダルの高橋尚子(ファイテン)が2年ぶりのマラソンで復活優勝した
10年来の師弟関係だった小出義雄佐倉AC代表から独立し、6月に結成された新体制での初マラソン。
支えたスタッフが凄い!
3月にUFJ銀行を退職した西村孔トレーナーをはじめ 逆境をチームQ全員で乗り越えた。
このお涙劇には涙腺の弱い私はひたすら涙でテレビニュースを見た。
強力なる組織・・・アパデン宮崎にほしきもの。
? 浅田真央(15)
あわれもない肢体 を銀板で披露するには体型美で劣る日本人は不利である。
そのハンデイーを乗り越えた16歳の天才。
パリでのフィギュアスケートのグランプリ(GP)シリーズ第4戦、
女子で15歳の浅田真央(グランプリ東海ク)がフリーに出場。
、前日のショートプログラム(SP)に続いて1位となり、合計182・42点で初優勝した。
シニアにデビューした浅田真はGP出場2戦目での快挙。
日本女子として今季初のGPシリーズ優勝を飾った。
トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を成功させるなど堂々たるもの。
昨季の世界選手権2位のサーシャ・コーエン(米国)が175・12点で2位。
SP3位と出遅れた元世界女王の荒川静香(プリンスホテル)はフリーは2位だったが、173・30点で3位。
?中村美里(16)
柔道の講道館杯全日本体重別選手権が19日、女子7階級を千葉ポートアリーナであった。
48キロ級は16歳の中村美里(東京・渋谷教育学園渋谷高)が、4連覇を狙った世界選手権(9月、カイロ)代表の北田佳代(ミキハウス)を決勝で降し初制覇。
63キロ級は上野順恵(三井住友海上)が世界選手権銀メダリスト谷本歩実(コマツ)を決勝で退け、2年連続3回目の優勝を果たした。
70キロ級は岡明日香(コマツ)が2連覇。
世界選手権で銀メダルを獲得した52キロ級の横沢由貴(三井住友海上)は2位、同78級の中沢さえ(淑徳大)は3位
女子48キロ級決勝は延長にもつれ込んだ。
2分54秒。背負い投げや巴投げをしのいだ中村は
「早く攻めないと体力がなくなってしまう」。
北田が右小外刈りを狙ったところを逆に左大内刈りで効果を奪った。同級で6年ぶりの高校生女王が誕生した瞬間である。
持ち味は組み手の強さとバランスの良さ。
「格闘技をやってみたかった」と東京・八王子市立東浅川小3年から始めた柔道。
高校時代に谷亮子(トヨタ自動車)を破ったこともある福見友子(筑波大)との3回戦を延長も含め10分間戦い抜いて優勢勝ちし、波に乗った
インターハイ、全日本ジュニアはいずれも2位。
初めてのシニア大会でいきなりの優勝
ヤワラちゃん田村亮子=谷亮子の指定席も危なくなってきたのか
?宮里藍(20)
ゴルフ・大王製紙エリエールレディスオープン最終日(20日・エリエールGC松山=6460ヤード、パー72)
首位から2打差の3位タイでスタートしボギーなしの7バーディー、通算12アンダーで大会連覇。賞金ランキングでもトップになった。
今季6勝目、ツアー通算12勝目(アマ1勝を含む)。
賞金1440万円を獲得して2年連続で獲得賞金1億円を突破。
賞金ランクでは不動裕理を逆転、約61万円差でトップに立った。
宮里は次週の最終戦を欠場するため、賞金女王争いは最終戦での不動の結果次第となった。
1打差でトップを走っていた同組の高又順(韓国)が13番でダブルボギー。
、宮里は14番ホールから3連続で6〜9メートルのバーディーパットをねじ込んだ。
「あなたには神様がついている」。
16番の難しいラインを読み切った宮里に、高が思わずうなったという。
番外?タイガー・ウッズ
ダンロップ・フェニックスは宮崎の季節の風物詩にもなった。
誰もが タイガーの参戦を待っている。
愛飲してる焼酎「木挽き」はすっかり有名になった。
今年は横尾要との プレーオフとなり、それを制し大会2連覇、
タイガー・ウッズには笑顔が良く似合う。
トロフィーを手に喜ぶ写真がほほえましい。
ダンロップ・フェニックス最終日の20日・(宮崎県フェニックスCC=6907ヤード、パー70)米ツアー賞金王のタイガー・ウッズ(米国)が通算8アンダーの272で並んだ横尾要とのプレーオフを制し、大会2連覇を達成。優勝賞金は4000万円。
単独首位で出たウッズは72とスコアを落としてプレーオフに持ち込まれたが、4ホール目でバーディーを奪い、バーディーパットを外した横尾を退けた。
2打差の3位はジム・フューリク(米国)。
尾崎将司は29位、深堀圭一郎は43位。
?せきやん
日曜日の今日ももちろん仕事。
70KWの太陽光発電所建設のため奔走。
明日から長崎とのスケジュール調整に難儀。
700坪の改装を9月から取り組み終えた延岡のオープン は21日の月曜日。
オゾン工事の下工事や雨戸井工事も急がれている。
宿題のスタッフとの協議さえ整わぬ。
ストレスためずにガンバレせきやん!
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?高橋尚子
わが宮崎のローカル・スカイネット航空の元専属の高橋尚子。
まさにQちゃんは宇宙人である。
「歓喜の抱擁、チームQ」の文字が祝福で躍っている。
本日の東京国際女子マラソン にまさに奇跡が起こった。
前日まで肉離れで歩けないほどの体調なのにシドニー五輪女子マラソン金メダルの高橋尚子(ファイテン)が2年ぶりのマラソンで復活優勝した
10年来の師弟関係だった小出義雄佐倉AC代表から独立し、6月に結成された新体制での初マラソン。
支えたスタッフが凄い!
3月にUFJ銀行を退職した西村孔トレーナーをはじめ 逆境をチームQ全員で乗り越えた。
このお涙劇には涙腺の弱い私はひたすら涙でテレビニュースを見た。
強力なる組織・・・アパデン宮崎にほしきもの。
? 浅田真央(15)
あわれもない肢体 を銀板で披露するには体型美で劣る日本人は不利である。
そのハンデイーを乗り越えた16歳の天才。
パリでのフィギュアスケートのグランプリ(GP)シリーズ第4戦、
女子で15歳の浅田真央(グランプリ東海ク)がフリーに出場。
、前日のショートプログラム(SP)に続いて1位となり、合計182・42点で初優勝した。
シニアにデビューした浅田真はGP出場2戦目での快挙。
日本女子として今季初のGPシリーズ優勝を飾った。
トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を成功させるなど堂々たるもの。
昨季の世界選手権2位のサーシャ・コーエン(米国)が175・12点で2位。
SP3位と出遅れた元世界女王の荒川静香(プリンスホテル)はフリーは2位だったが、173・30点で3位。
?中村美里(16)
柔道の講道館杯全日本体重別選手権が19日、女子7階級を千葉ポートアリーナであった。
48キロ級は16歳の中村美里(東京・渋谷教育学園渋谷高)が、4連覇を狙った世界選手権(9月、カイロ)代表の北田佳代(ミキハウス)を決勝で降し初制覇。
63キロ級は上野順恵(三井住友海上)が世界選手権銀メダリスト谷本歩実(コマツ)を決勝で退け、2年連続3回目の優勝を果たした。
70キロ級は岡明日香(コマツ)が2連覇。
世界選手権で銀メダルを獲得した52キロ級の横沢由貴(三井住友海上)は2位、同78級の中沢さえ(淑徳大)は3位
女子48キロ級決勝は延長にもつれ込んだ。
2分54秒。背負い投げや巴投げをしのいだ中村は
「早く攻めないと体力がなくなってしまう」。
北田が右小外刈りを狙ったところを逆に左大内刈りで効果を奪った。同級で6年ぶりの高校生女王が誕生した瞬間である。
持ち味は組み手の強さとバランスの良さ。
「格闘技をやってみたかった」と東京・八王子市立東浅川小3年から始めた柔道。
高校時代に谷亮子(トヨタ自動車)を破ったこともある福見友子(筑波大)との3回戦を延長も含め10分間戦い抜いて優勢勝ちし、波に乗った
インターハイ、全日本ジュニアはいずれも2位。
初めてのシニア大会でいきなりの優勝
ヤワラちゃん田村亮子=谷亮子の指定席も危なくなってきたのか
?宮里藍(20)
ゴルフ・大王製紙エリエールレディスオープン最終日(20日・エリエールGC松山=6460ヤード、パー72)
首位から2打差の3位タイでスタートしボギーなしの7バーディー、通算12アンダーで大会連覇。賞金ランキングでもトップになった。
今季6勝目、ツアー通算12勝目(アマ1勝を含む)。
賞金1440万円を獲得して2年連続で獲得賞金1億円を突破。
賞金ランクでは不動裕理を逆転、約61万円差でトップに立った。
宮里は次週の最終戦を欠場するため、賞金女王争いは最終戦での不動の結果次第となった。
1打差でトップを走っていた同組の高又順(韓国)が13番でダブルボギー。
、宮里は14番ホールから3連続で6〜9メートルのバーディーパットをねじ込んだ。
「あなたには神様がついている」。
16番の難しいラインを読み切った宮里に、高が思わずうなったという。
番外?タイガー・ウッズ
ダンロップ・フェニックスは宮崎の季節の風物詩にもなった。
誰もが タイガーの参戦を待っている。
愛飲してる焼酎「木挽き」はすっかり有名になった。
今年は横尾要との プレーオフとなり、それを制し大会2連覇、
タイガー・ウッズには笑顔が良く似合う。
トロフィーを手に喜ぶ写真がほほえましい。
ダンロップ・フェニックス最終日の20日・(宮崎県フェニックスCC=6907ヤード、パー70)米ツアー賞金王のタイガー・ウッズ(米国)が通算8アンダーの272で並んだ横尾要とのプレーオフを制し、大会2連覇を達成。優勝賞金は4000万円。
単独首位で出たウッズは72とスコアを落としてプレーオフに持ち込まれたが、4ホール目でバーディーを奪い、バーディーパットを外した横尾を退けた。
2打差の3位はジム・フューリク(米国)。
尾崎将司は29位、深堀圭一郎は43位。
?せきやん
日曜日の今日ももちろん仕事。
70KWの太陽光発電所建設のため奔走。
明日から長崎とのスケジュール調整に難儀。
700坪の改装を9月から取り組み終えた延岡のオープン は21日の月曜日。
オゾン工事の下工事や雨戸井工事も急がれている。
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心の迷路
2005年11月19日北方領土返還はどうにも戦略ミスで終わりそうである。
日露通商より100年・わが国の指導者たちは明治の英傑にお恥かしくないのであろうか。
国益の最たるものに、この対応では滅んでいくばかりである。
何故に交渉は相手があるのに我比の見極めで進めぬのか。
郵政選挙のときが最高のタイミングであったのだが歪曲化して自民党大勝となった。
政治をもってして国民をこれほどまでに愚弄するものはなかった。
政治的未成熟な日本人はこっとり騙され投票した。
国益たる北方四島のことを語った政治家はいなかった。
まあ〜大地の鈴木宗男だけであったんであろうか。
一人では政治勢力は果たせない。
ましてや事件を起こしては身を引くべきである。
ロシアでは国民を巻き込んでいる。
ネットニュースからである。
サハリンで北方領土返還反対集会
インタファクス通信によると、北方領土を管轄するロシア極東・サハリン州の州都ユジノサハリンスクで19日、プーチン大統領の訪日を前に、北方領土返還反対集会が開かれ、300人以上が参加した。
州議会の超党派会派「ロシアのクリールのために」などが主催。
「クリール(千島)はロシア固有の領土だ」
「第2次大戦の結果を覆すな」などのプラカードを掲げ、大統領の立場を支持する決議を採択した。
我が国のマスコミからこのようなニュースは聞いたことがない。
あちこちに見られてきた「北方四島返還」のスローガンさえ今は見ることもなくなっている。
朝の7時には依頼した電気職人さんがお目見えになる、
予定より1時間早いので聞いてみると常識たるご返事。
「現場に8時に着きたいので時間を早めました。」との事。
我が職人に聞かせたいものである。
これぞ!これが基本姿勢ぞ!真の職人である。
国富に勇んで案内した。
その後の病院では面会謝絶をくぐり抜けての面談。
医療機関の厳重なる管理をかいくぐり、医者さえ巻き込んでの念願成就。これぞ営業マンである。
小泉の進める政治手法の綻びは見えるが
わが職人集団の改善はできぬでいる。
北郷の仕事を聞いて何日たつというのか。
これでは仕事は逃げる。
一向に現場を見ることができないでいるのでごうを煮やし飛んでいった。
高所恐怖症を押し殺し、瓦をはぎ現場確認。
やはり準備されてきている基礎部材ではダメである。
早速変更せねばならない。
もうこの状況が続く限り改善はできぬ。
現場と営業のコミュニケなくして企業の繁栄はない。
心の師・事業主の師匠を訪ねるがコンペであった。
営業力のある○○さんはハンドルをお願いして本来の仕事を奪っている。
今日の全ては職人のすべきこと。休んでいるものさえいる。
これでは生き残れない。
明日は延岡に私も向かう。
どうにもならぬ気配を感じている。
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日露通商より100年・わが国の指導者たちは明治の英傑にお恥かしくないのであろうか。
国益の最たるものに、この対応では滅んでいくばかりである。
何故に交渉は相手があるのに我比の見極めで進めぬのか。
郵政選挙のときが最高のタイミングであったのだが歪曲化して自民党大勝となった。
政治をもってして国民をこれほどまでに愚弄するものはなかった。
政治的未成熟な日本人はこっとり騙され投票した。
国益たる北方四島のことを語った政治家はいなかった。
まあ〜大地の鈴木宗男だけであったんであろうか。
一人では政治勢力は果たせない。
ましてや事件を起こしては身を引くべきである。
ロシアでは国民を巻き込んでいる。
ネットニュースからである。
サハリンで北方領土返還反対集会
インタファクス通信によると、北方領土を管轄するロシア極東・サハリン州の州都ユジノサハリンスクで19日、プーチン大統領の訪日を前に、北方領土返還反対集会が開かれ、300人以上が参加した。
州議会の超党派会派「ロシアのクリールのために」などが主催。
「クリール(千島)はロシア固有の領土だ」
「第2次大戦の結果を覆すな」などのプラカードを掲げ、大統領の立場を支持する決議を採択した。
我が国のマスコミからこのようなニュースは聞いたことがない。
あちこちに見られてきた「北方四島返還」のスローガンさえ今は見ることもなくなっている。
朝の7時には依頼した電気職人さんがお目見えになる、
予定より1時間早いので聞いてみると常識たるご返事。
「現場に8時に着きたいので時間を早めました。」との事。
我が職人に聞かせたいものである。
これぞ!これが基本姿勢ぞ!真の職人である。
国富に勇んで案内した。
その後の病院では面会謝絶をくぐり抜けての面談。
医療機関の厳重なる管理をかいくぐり、医者さえ巻き込んでの念願成就。これぞ営業マンである。
小泉の進める政治手法の綻びは見えるが
わが職人集団の改善はできぬでいる。
北郷の仕事を聞いて何日たつというのか。
これでは仕事は逃げる。
一向に現場を見ることができないでいるのでごうを煮やし飛んでいった。
高所恐怖症を押し殺し、瓦をはぎ現場確認。
やはり準備されてきている基礎部材ではダメである。
早速変更せねばならない。
もうこの状況が続く限り改善はできぬ。
現場と営業のコミュニケなくして企業の繁栄はない。
心の師・事業主の師匠を訪ねるがコンペであった。
営業力のある○○さんはハンドルをお願いして本来の仕事を奪っている。
今日の全ては職人のすべきこと。休んでいるものさえいる。
これでは生き残れない。
明日は延岡に私も向かう。
どうにもならぬ気配を感じている。
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ある電気やさん
2005年11月18日車のシヨッピングの為に待ち合わせをするとき、花ヶ島自動車街のどこの車屋さんかわからなくなるので茶色の建物の三洋電機さん建物前が待ち合わせの目印で40数年利用してきた。
それが11月より忽然と消えた。
移転先は大橋地区とのことであり、ベスト電器のだだっ広い跡であろうと思っていた。
ところが宮崎商業高校の正門前の南という。
当然新築ビル建てと思いきやそれらしきものがない。
それが倉庫利用をしていた跡である。
あの天下のメーカーさんがマッサカ・・・と思っていたら、
井植氏ら歴代3社長退任へ、業績悪化で引責…三洋電機とのネットニュースが先日流れた。
過日、NHKのアナウンサー野中もとよがトップで物議をかましていた。
世界実業界女リーダー順位の日本人1位に輝いた。
それが運営を巡り経営陣と野中もとよとの不協和音が流れた。
NEDO物件でサンヨーパネルの発注を掛けたらつっけんどんな対応。
「手に入りません」鹿児島支店である。
殿様商法で、大丈夫かいなと思っていた矢先で驚いた。
大阪府守口市が本社で岐阜県の長良川にほど近い工場が三洋電機である。
太陽電池パネルの「ソーラーアーク」でつとに有名になった。
02年4月1日にオープンしたが自己投資してどうなってるというのと不思議であった。
HPでは高らかと宣言していた。
全長315メートル、最高部の高さ37メートル。全体は船の形をしている。大洪水による人類滅亡の危機を救った「ノアの方舟」の伝説になぞらえ、21世紀の環境問題に立ち向かう人類の英知の象徴として名付けたと誇らしげ。
カラ元気は危ない。
私は太陽光発電を普及してるが利益は薄利で常に貧乏である
もともと出力不足の欠陥パネルとの汚名を着せられたパネルの集合したものではある。
無償交換で返品されたもの。
どこかに過信とスキがあったのである。
私共アパデン宮崎にも思い当たるものがあるのでよくわかる。
戦後生まれで三洋電機は若い企業である。
三洋=松下は誰でも知っている。
創業者井植歳男が焼け跡から一代で総合家電メーカーに築き上げたのである。
三洋電機が世に出て今年で58年。そのうち、創業者がかかわったのは22年,二代目の社歴はそれに倍する49年。
創業者井植歳男は松下幸之助夫人むめの弟。
自転車用の発電ランプを幸之助より譲り受け、敗戦の暗闇に10人余の町工場が出発点である。
それがグループで8万人となり、国の内外でそれぞれ4万人
社名・三洋の名の由来はこうである。
当初から海外への雄飛を志し、太平洋、大西洋、インド洋をまたにかけようと名付けられたのである。
ラジオ、洗濯機で基本路線を確立した。
松下電器産業の端緒となったソケット製造を始めるに当たって、夫人の弟の歳男に白羽の矢が立ち淡路島から参加したのである。
三代目井植敏雅社長は18日の決算発表の席上、事業の選択と集中により、これまでの「総合家電メーカー」から「環境・エナジー先進メーカー」に移行していく。
総合家電からの撤退である。
さらに三井住友銀などに最大3000億円増資、AVなど4事業リストラまた総額2000―3000億円規模の第三者割当増資を盛り込んだ中期経営計画を発表。
三洋電機 の株価はようやく300円を回復した
経営不振のAV、半導体、白物家電、金融の4事業を構造改革事業と位置づけ、抜本的なリストラ策を実行し、V字回復を目指すとしている。
中期経営計画では、総合家電メーカーからの脱却を表明。
冷蔵庫など白物家電やテレビ事業を大幅に縮小し、総合家電メーカーから撤退すると発表した。
太陽電池といった環境関連事業に集中して生き残りを図る得意分野である二次電池などのパワーソリューション事業、産業機械や業務用空調の冷熱・コマーシャル事業、デジタルカメラや携帯電話などのパーソナルモバイル事業の3事業をコア事業と位置づけ、集中投資するとした。
シャープ、京セラ、三菱、三洋の太陽光発電のパネルメーカーに決着ありの間は否めない。
二代目井植敏・代表取締役兼取締役会議長(73)のほか、近藤定男取締役副会長(67)と桑野幸徳取締役相談役(64)も退任する。
桑野は昭和三十八年、三洋電機入社、太陽電池を中心に研究開発畑を歩みんできた人である。
血の出る改革をとげ、再シュツパツ。
この大企業さえこうなのである。
屋内配線工事の仕事依頼である。アリガタイ事。
連絡を取り受注した。ところがどうだ。
あすの現場仕上げで、ダブリ調整ができない。
職人さん探しである。
八方手をつくし、どうにか元請をしくじらずに済みそうである。
社内の○○さんの友人の力を借りていただいたおかげさまである。
本当にあり難い。
委託で出費がかさむが致し方ない。
ところで、うちの職人さんは休むんだそうな。
私に報告はなくどうなっているのやら、サッパリわかっていない。
断末魔の叫びをあげている。
まったく組織の態をなしてない。
これでは戦争は戦えない。
戦い抜ききれる組織ではない。
三洋さんのお話どこでない。
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移転先は大橋地区とのことであり、ベスト電器のだだっ広い跡であろうと思っていた。
ところが宮崎商業高校の正門前の南という。
当然新築ビル建てと思いきやそれらしきものがない。
それが倉庫利用をしていた跡である。
あの天下のメーカーさんがマッサカ・・・と思っていたら、
井植氏ら歴代3社長退任へ、業績悪化で引責…三洋電機とのネットニュースが先日流れた。
過日、NHKのアナウンサー野中もとよがトップで物議をかましていた。
世界実業界女リーダー順位の日本人1位に輝いた。
それが運営を巡り経営陣と野中もとよとの不協和音が流れた。
NEDO物件でサンヨーパネルの発注を掛けたらつっけんどんな対応。
「手に入りません」鹿児島支店である。
殿様商法で、大丈夫かいなと思っていた矢先で驚いた。
大阪府守口市が本社で岐阜県の長良川にほど近い工場が三洋電機である。
太陽電池パネルの「ソーラーアーク」でつとに有名になった。
02年4月1日にオープンしたが自己投資してどうなってるというのと不思議であった。
HPでは高らかと宣言していた。
全長315メートル、最高部の高さ37メートル。全体は船の形をしている。大洪水による人類滅亡の危機を救った「ノアの方舟」の伝説になぞらえ、21世紀の環境問題に立ち向かう人類の英知の象徴として名付けたと誇らしげ。
カラ元気は危ない。
私は太陽光発電を普及してるが利益は薄利で常に貧乏である
もともと出力不足の欠陥パネルとの汚名を着せられたパネルの集合したものではある。
無償交換で返品されたもの。
どこかに過信とスキがあったのである。
私共アパデン宮崎にも思い当たるものがあるのでよくわかる。
戦後生まれで三洋電機は若い企業である。
三洋=松下は誰でも知っている。
創業者井植歳男が焼け跡から一代で総合家電メーカーに築き上げたのである。
三洋電機が世に出て今年で58年。そのうち、創業者がかかわったのは22年,二代目の社歴はそれに倍する49年。
創業者井植歳男は松下幸之助夫人むめの弟。
自転車用の発電ランプを幸之助より譲り受け、敗戦の暗闇に10人余の町工場が出発点である。
それがグループで8万人となり、国の内外でそれぞれ4万人
社名・三洋の名の由来はこうである。
当初から海外への雄飛を志し、太平洋、大西洋、インド洋をまたにかけようと名付けられたのである。
ラジオ、洗濯機で基本路線を確立した。
松下電器産業の端緒となったソケット製造を始めるに当たって、夫人の弟の歳男に白羽の矢が立ち淡路島から参加したのである。
三代目井植敏雅社長は18日の決算発表の席上、事業の選択と集中により、これまでの「総合家電メーカー」から「環境・エナジー先進メーカー」に移行していく。
総合家電からの撤退である。
さらに三井住友銀などに最大3000億円増資、AVなど4事業リストラまた総額2000―3000億円規模の第三者割当増資を盛り込んだ中期経営計画を発表。
三洋電機 の株価はようやく300円を回復した
経営不振のAV、半導体、白物家電、金融の4事業を構造改革事業と位置づけ、抜本的なリストラ策を実行し、V字回復を目指すとしている。
中期経営計画では、総合家電メーカーからの脱却を表明。
冷蔵庫など白物家電やテレビ事業を大幅に縮小し、総合家電メーカーから撤退すると発表した。
太陽電池といった環境関連事業に集中して生き残りを図る得意分野である二次電池などのパワーソリューション事業、産業機械や業務用空調の冷熱・コマーシャル事業、デジタルカメラや携帯電話などのパーソナルモバイル事業の3事業をコア事業と位置づけ、集中投資するとした。
シャープ、京セラ、三菱、三洋の太陽光発電のパネルメーカーに決着ありの間は否めない。
二代目井植敏・代表取締役兼取締役会議長(73)のほか、近藤定男取締役副会長(67)と桑野幸徳取締役相談役(64)も退任する。
桑野は昭和三十八年、三洋電機入社、太陽電池を中心に研究開発畑を歩みんできた人である。
血の出る改革をとげ、再シュツパツ。
この大企業さえこうなのである。
屋内配線工事の仕事依頼である。アリガタイ事。
連絡を取り受注した。ところがどうだ。
あすの現場仕上げで、ダブリ調整ができない。
職人さん探しである。
八方手をつくし、どうにか元請をしくじらずに済みそうである。
社内の○○さんの友人の力を借りていただいたおかげさまである。
本当にあり難い。
委託で出費がかさむが致し方ない。
ところで、うちの職人さんは休むんだそうな。
私に報告はなくどうなっているのやら、サッパリわかっていない。
断末魔の叫びをあげている。
まったく組織の態をなしてない。
これでは戦争は戦えない。
戦い抜ききれる組織ではない。
三洋さんのお話どこでない。
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食欲の秋
2005年11月17日何も江戸っ子だけでなくとも、お祭りには参加したい
ボージョレ・ヌーボーが解禁され21時間たって爺々もご相伴にあやかることになった。
フランス中部ボージョレ地方の新酒をボジョレーと呼ぶ。
今年は日本をはじめ、経済成長著しい中国、インドなどアジア諸国でもブーム。
ボージョレ地方に近い仏中部リヨンの国際空港の二万四千平方メートルの倉庫にはトラック約八百台で新酒が運び込まれ続けているという。
今年は天候に恵まれ、専門家は一致して「最高級」との折り紙をつけている。
酷暑の影響でブドウの成熟が早く、最良年とされた2004年より甘みが少なく、通常は約一カ月が賞味期間の新酒だが
「六カ月後でも十分においしさを味わえる本格的ワインに仕上がった」と高い評価となっているそうだ。
ソムリエ的舌味感は皆無ゆえ、飲み心地はどうにも書けない。
瓶の解説書から読みとめることは残しとこう。
beaujolais nouveau2005
ドメーヌ・デ・ブェルシェール ボジョレーヌーボォー2005
言えることはピアドールを飲み直したほどでわかろうというものだ。
それでは小規模生産者パスカル・バルダッシュに悪い。
ラサシャール村でドメーヌのオーナー兼造り手の農園主である。
ドメーヌのぶどう畑は平均樹齢40年、昼夜の寒暖さが大きく北風からも守られ南向き斜面と絶妙の地何だそうな。
グラスから見ると申し分ない色、フレッシュで香り高いワインの出きは認める。
ドメーヌとはぶどうの栽培から醗酵、ボトリングまでを一貫して行う造り手のこと。
メルシャンの空輸のお陰で至福の時間が持てた。
750mlアルコール分15パーセント
フランスでは青年層のワイン離れの影響でワインの消費量が落ちており、昨年のボージョレ地方のワイン百リットルの価格が百六十−百七十ユーロ(1ユーロ=約百四十円)だったのに対し、今年は百四十六ユーロと過去最低の価格。
「このままではいくつかのブドウ栽培農場が閉鎖になる」(FDSEA)と危機感を募らせている。
天候異変で秋のない今年で食欲の秋も駆け足である。
ワイン事情も複雑であるが海の恵みも煮たようなる事情がある。
ジョイフルでマグロ丼を520円で食した。。
サイコロ状に刻んであり、海苔とワサビと山の幸を絡ませてこれは美味い。
トルコが大西洋まぐろ類保存国際委員会が認めた枠を超える協定無視。
東部大西洋のクロマグロは資源の枯渇が心配されるほどの捕獲量
国際協定をを無視しての漁獲をし、その多くが日本に輸出されている。
トルコは2003年に3300トンの漁獲を揚げ、1457トンを日本に輸出。
トルコには国別漁獲枠が認められてなくその他の国の総枠1146トンの一部のみの権利しかないが
一国のみで総枠を超えている。
2004年に日本へは3900トンが輸出されている。
日本の枠は2950トンなので、それさえ超える輸出量である。
リビアからは1000トンが日本に輸出されている。
どうにもマグロ丼の味がほの悲しくなってきた。
そうなれば量産化の道しかない。
「香りマツタケ、味シメジ」
その中でもホシシメジは高級キノコ。人工栽培が難しかった。
三重県四日市市タカラバイオの楠キノコセンターの薄ぐらい山林の環境の中で4000本のビンに140日間で出荷出きる人工栽培に成功した。
天然ものは1Kg4万円なのに、これは価格は一万円
マツタケの量産化も数年後実現しそうである。
世界三代珍味のキャビアはチョウザメの卵を塩漬けにしたもの。
岩手県釜石市のダイサンセクター・サンロック
2003年よりキャビアの販売を始めた。
年間70kgで1kg14万円。
天然ものはロシア・カスピ海であるが乱獲、環境汚染で漁獲量は激減。
ちなみにトリフ、フォアグラが三大珍味・いずれも食してみたが添え物程度ではないのか。
キャビアについては宮崎県小林市でも食せる。
漁獲国 輸出国 03年 04年
リビア リビア 437 579
リビア 韓国 25
リビア マルタ 32
リビア トルコ 16
計 462 627
トルコ トルコ 1457 2951
トルコ スペイン 961
計 1457 3951
単位トン
メーカーの方からの経営指導を頂いた。
ごもっともな事である。
採算ラインの回復はどう自己請けの太陽光発電を増やすかである。
また採算ラインに乗せるための経営努力が求められている。
組織の態をなしてない、現状をどう結論出すのか。
ミスの修正ができぬでは生きてはいけない。
泣いて馬食を斬るどころではない。
どう難局を切り抜けるのか。
義理と人情だけでは解決がつかぬ。
胸突き八丁である。
バカにつける薬はどこに売っているのであろう。
何故に異常事態を察知できぬのか。
やはり出きえぬお話なのか。
師匠の論文は知事まで届くのか、
経験からするとありうるお話ではないが
改革の中身がわかるような気がしてくる。
食欲の秋はどうにも不健康なる食欲の秋になりそうである。
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ボージョレ・ヌーボーが解禁され21時間たって爺々もご相伴にあやかることになった。
フランス中部ボージョレ地方の新酒をボジョレーと呼ぶ。
今年は日本をはじめ、経済成長著しい中国、インドなどアジア諸国でもブーム。
ボージョレ地方に近い仏中部リヨンの国際空港の二万四千平方メートルの倉庫にはトラック約八百台で新酒が運び込まれ続けているという。
今年は天候に恵まれ、専門家は一致して「最高級」との折り紙をつけている。
酷暑の影響でブドウの成熟が早く、最良年とされた2004年より甘みが少なく、通常は約一カ月が賞味期間の新酒だが
「六カ月後でも十分においしさを味わえる本格的ワインに仕上がった」と高い評価となっているそうだ。
ソムリエ的舌味感は皆無ゆえ、飲み心地はどうにも書けない。
瓶の解説書から読みとめることは残しとこう。
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ドメーヌ・デ・ブェルシェール ボジョレーヌーボォー2005
言えることはピアドールを飲み直したほどでわかろうというものだ。
それでは小規模生産者パスカル・バルダッシュに悪い。
ラサシャール村でドメーヌのオーナー兼造り手の農園主である。
ドメーヌのぶどう畑は平均樹齢40年、昼夜の寒暖さが大きく北風からも守られ南向き斜面と絶妙の地何だそうな。
グラスから見ると申し分ない色、フレッシュで香り高いワインの出きは認める。
ドメーヌとはぶどうの栽培から醗酵、ボトリングまでを一貫して行う造り手のこと。
メルシャンの空輸のお陰で至福の時間が持てた。
750mlアルコール分15パーセント
フランスでは青年層のワイン離れの影響でワインの消費量が落ちており、昨年のボージョレ地方のワイン百リットルの価格が百六十−百七十ユーロ(1ユーロ=約百四十円)だったのに対し、今年は百四十六ユーロと過去最低の価格。
「このままではいくつかのブドウ栽培農場が閉鎖になる」(FDSEA)と危機感を募らせている。
天候異変で秋のない今年で食欲の秋も駆け足である。
ワイン事情も複雑であるが海の恵みも煮たようなる事情がある。
ジョイフルでマグロ丼を520円で食した。。
サイコロ状に刻んであり、海苔とワサビと山の幸を絡ませてこれは美味い。
トルコが大西洋まぐろ類保存国際委員会が認めた枠を超える協定無視。
東部大西洋のクロマグロは資源の枯渇が心配されるほどの捕獲量
国際協定をを無視しての漁獲をし、その多くが日本に輸出されている。
トルコは2003年に3300トンの漁獲を揚げ、1457トンを日本に輸出。
トルコには国別漁獲枠が認められてなくその他の国の総枠1146トンの一部のみの権利しかないが
一国のみで総枠を超えている。
2004年に日本へは3900トンが輸出されている。
日本の枠は2950トンなので、それさえ超える輸出量である。
リビアからは1000トンが日本に輸出されている。
どうにもマグロ丼の味がほの悲しくなってきた。
そうなれば量産化の道しかない。
「香りマツタケ、味シメジ」
その中でもホシシメジは高級キノコ。人工栽培が難しかった。
三重県四日市市タカラバイオの楠キノコセンターの薄ぐらい山林の環境の中で4000本のビンに140日間で出荷出きる人工栽培に成功した。
天然ものは1Kg4万円なのに、これは価格は一万円
マツタケの量産化も数年後実現しそうである。
世界三代珍味のキャビアはチョウザメの卵を塩漬けにしたもの。
岩手県釜石市のダイサンセクター・サンロック
2003年よりキャビアの販売を始めた。
年間70kgで1kg14万円。
天然ものはロシア・カスピ海であるが乱獲、環境汚染で漁獲量は激減。
ちなみにトリフ、フォアグラが三大珍味・いずれも食してみたが添え物程度ではないのか。
キャビアについては宮崎県小林市でも食せる。
漁獲国 輸出国 03年 04年
リビア リビア 437 579
リビア 韓国 25
リビア マルタ 32
リビア トルコ 16
計 462 627
トルコ トルコ 1457 2951
トルコ スペイン 961
計 1457 3951
単位トン
メーカーの方からの経営指導を頂いた。
ごもっともな事である。
採算ラインの回復はどう自己請けの太陽光発電を増やすかである。
また採算ラインに乗せるための経営努力が求められている。
組織の態をなしてない、現状をどう結論出すのか。
ミスの修正ができぬでは生きてはいけない。
泣いて馬食を斬るどころではない。
どう難局を切り抜けるのか。
義理と人情だけでは解決がつかぬ。
胸突き八丁である。
バカにつける薬はどこに売っているのであろう。
何故に異常事態を察知できぬのか。
やはり出きえぬお話なのか。
師匠の論文は知事まで届くのか、
経験からするとありうるお話ではないが
改革の中身がわかるような気がしてくる。
食欲の秋はどうにも不健康なる食欲の秋になりそうである。
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どうする。
2005年11月16日内閣不一致は国会騒乱の原因でもあり、時の政権も倒れたものだ。
日露100年、21日から北方領土返還を目指した交渉が始まろうとしている。
国民はどうにもカヤの外。マスコミさえ触れようとしない。
これで4島返還ができるはずがない。
強気の官房長官は確かに国益を代表しているが、外務大臣との見解の違いは何であるのか。
官房長官と外務大臣のこの不協和音は閣内不一致ではないのか。
総理の指導力が問われる。
ネット・ニュースでは次のように報道されている。
<安倍官房長官>ロシア高官の共同声明不要論に不快感
安倍晋三官房長官は16日の記者会見で、プーチン大統領の訪日を前にロシア政府高官が「共同声明を出す必要性はない」と北方領土問題で進展がないことを示唆したことについて「受け入れることはできない。日露両国が首脳会談の準備作業を行っている中、このような発言を行ったのは極めて遺憾だ」と述べ、不快感を示した。
<日ロ首脳会談の共同声明断念 領土問題で隔たり>
麻生太郎外相は16日午後、韓国釜山でロシアのラブロフ外相と会談し、21日に東京で行われる日ロ首脳会談での合意を目指していた北方領土問題をめぐる共同声明などの政治文書について「日ロ双方の領土問題に対する原則的立場が隔たっている」として、作成は断念せざるを得ないとの認識で一致した。日ロ首脳の公式訪問の際に政治文書の署名が見送られるのは極めて異例で、領土問題をめぐる溝の深さを示した形だ。
リホチコ大統領補佐官(外交担当)は15日、日本の報道機関と会見。小泉首相との会談終了時に署名が計画されている共同声明について、「首脳会談のたびに声明を出すのは実利的ではなく、必要性もない」と語った。
今回、ロシア側は領土問題では強硬姿勢で臨む方針だ。
「共同声明不要」との同補佐官の発言は、共同声明が発表できない異例の事態をちらつかせ、日本側に妥協を迫る狙いがあるとみられる。日本側は北方四島の帰属問題を解決し、平和条約を締結する」とした東京宣言(93年)などの確認を盛り込みたいとみられるが、困難が予想されそうだ。
さらにこの状態は日本国の体をなしていないのではないのか。
日露領土問題の官房長官は支持するがアジア諸国との友好問題でも突っ張っていては親父殿・晋太郎もさぞ泣いていることであろう。そういえば身長のサイズさえ親父殿と比ベルト全然スケールが低い。
政治スタイルにそれが反映しているようではかなわない。
<日中外相会談>「日程合わず」と中止 中国側が消極姿勢
外務省がアジア太平洋経済協力会議閣僚会議に合わせて調整していた麻生太郎外相と中国の李肇星外相の会談が見送りとなった。同省筋は「日程が合わなかった」と説明するが、中国側は小泉純一郎首相の靖国神社参拝に反発し、一貫して消極的な姿勢を示していた。APEC中の首脳会談も行われない見通しだ
その原因はかたくなな政府にある。
たしかに他国の干渉やも知れぬがあの中曽根でさえ隣国には敬意を表した。
総理就任に際しても隣国を訪問してアメリカ詣でで順位を決めていた。
そのところに対する政府の変化への批判が隣国との中をより不安定にさせている。
一衣帯水の国との経熱政冷の状況覇なんであろう。
小泉政権になって以来この異常状態がつづいている。
許している国民も何をしているんであろう。
<安倍官房長官>中国外相発言に反発 靖国参拝
安倍官房長官は16日の記者会見で中国の李外相が小泉首相の靖国神社参拝について「ドイツ指導者がヒトラーやナチスの追悼施設を参拝したら欧州の人々はどう思うか」と批判したことに対し、「首相は国のために殉じた方々のご冥福をお祈りするためにお参りしているのであって特定の人物に対してではない」と強く反発した。
アジア太平洋経済協力会議(APEC)閣僚会議は16日に終了し、日本が中国に要請していた会議期間中の外相会談は実現しなかった。
18、19日のAPEC首脳会議開催に合わせた日中首脳会談も行われない見通しだ。
10月17日の小泉首相の靖国参拝後、中国は町村外相(当時)の訪中を拒否するなど、日中間の政治レベルでの接触を避けている。今回、日本政府内では、麻生外相と李肇星・中国外相は初対面であるため、中国側が外相会談に応じることを期待する声もあった。しかし、中国側は結局、厳しい対日姿勢を崩さなかった。
これに関連し、安倍官房長官は16日、都内での講演で、APECでの日中首脳会談について、「成熟した国同士の関係は、お互いの違いを認め合う関係であり、感情的にならず首脳間で話をすることが大切だ。中国の事情で(首脳会談が)開催されないのは残念だ」と述べ、中国政府の対応を批判した。
ところでブッシュが日本に来ていたのである。
どうにも報道機関の伝えるエネルギーが弱いのではないのか。
早速のお土産はナント狂牛病のお肉のようで京都では抗議デモさえにもなっている。
年内輸入再開の方針伝達 首相、米国産牛肉で
小泉純一郎首相は16日に京都迎賓館で行われた日米首脳会談で、懸案の米国産牛肉の輸入再開問題について、「内閣府食品安全委員会の正式な答申を受けて、政府がしかるべき措置を取る」と言明、年内輸入再開の方針を伝えた。
ブッシュ米大統領は、中国について「今後大きなプレーヤーとなる」と分析し「日米関係が良ければ中国も対日関係、対米関係を強化しようと思うのではないか」指摘。小泉首相は日中関係の現状について「いくつか問題があるが、自分が首相に就任してからも、いろいろな分野で強化されている」との認識を示した。
大統領は、牛肉輸入再開問題について「議会などの関心が非常に強い」と指摘。
首相は「できるだけ早期に日米間で双方向の牛肉貿易を再開したいと希望している」と応じ、食品安全委プリオン専門調査会の答申案で年内の輸入再開に道筋が付いたことを説明した。
こんなことなら下々も乱れます。
何とか資金手当てはシタが足りない。
恥かしき給料遅配に減額では管理者能力が問われます。
これでは倒れるやも。
弁明したいが恥ずべき内部事情でお話ににもならぬ。
ま〜役に立つ、サッカーからの知識でもためておくとしよう。
愛読させていただいてるブログからの転記である。
トリニティが、商標の問題があってトリニティとオオイタをあわせたトリニータになったとはまったく知りませんでした。
右脳が、背番号01のGK の岡中勇人 の左右の手、両足の如く ピリピリ反応しています。
トリニティはキリスト教神学論の神・イエス・聖霊の三位一体なんだって。
それはチーム、企業、自治体の三位一体なんだって。
な〜〜んか小泉さんの三位一体改革みたいで監督 シャムスカ就任とともに連勝したみたい。
背番号10 のマグノ アウベスの炎のゴ〜〜〜ル。
サボッテいてサポが抜けたのではゴ〜〜〜〜ルはおぼつきませんヨネ。
ブッシュも京都で鳥インフルエンザのお話をしているようである。
インフルエンザの流行の最初の記述は紀元前のヒポクラテスが起源.
世界的大流行の代名詞はスペインかぜで世界で2500万人もの死者が出たこの規模並みの危険性が今、心配されている。昔、この病気の原因は星の影響とされた。
で、影響、インフルエンスという意味の言葉がイタリアで病名に使われた。
それがインフルエンザの名の起こりだそうな。
今、影響が怖いのは星ならぬトリ。東南アジアでは鶏から人に感染、60人以上の死者が出た。
ウイルスが人から人へ感染する新型に変身する危険も実証されてきている。
治療薬の備蓄確保は来年度中だそうな。
鳥は怖いがトリニータは・・
ワン・クリック!よろしく!
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日露100年、21日から北方領土返還を目指した交渉が始まろうとしている。
国民はどうにもカヤの外。マスコミさえ触れようとしない。
これで4島返還ができるはずがない。
強気の官房長官は確かに国益を代表しているが、外務大臣との見解の違いは何であるのか。
官房長官と外務大臣のこの不協和音は閣内不一致ではないのか。
総理の指導力が問われる。
ネット・ニュースでは次のように報道されている。
<安倍官房長官>ロシア高官の共同声明不要論に不快感
安倍晋三官房長官は16日の記者会見で、プーチン大統領の訪日を前にロシア政府高官が「共同声明を出す必要性はない」と北方領土問題で進展がないことを示唆したことについて「受け入れることはできない。日露両国が首脳会談の準備作業を行っている中、このような発言を行ったのは極めて遺憾だ」と述べ、不快感を示した。
<日ロ首脳会談の共同声明断念 領土問題で隔たり>
麻生太郎外相は16日午後、韓国釜山でロシアのラブロフ外相と会談し、21日に東京で行われる日ロ首脳会談での合意を目指していた北方領土問題をめぐる共同声明などの政治文書について「日ロ双方の領土問題に対する原則的立場が隔たっている」として、作成は断念せざるを得ないとの認識で一致した。日ロ首脳の公式訪問の際に政治文書の署名が見送られるのは極めて異例で、領土問題をめぐる溝の深さを示した形だ。
リホチコ大統領補佐官(外交担当)は15日、日本の報道機関と会見。小泉首相との会談終了時に署名が計画されている共同声明について、「首脳会談のたびに声明を出すのは実利的ではなく、必要性もない」と語った。
今回、ロシア側は領土問題では強硬姿勢で臨む方針だ。
「共同声明不要」との同補佐官の発言は、共同声明が発表できない異例の事態をちらつかせ、日本側に妥協を迫る狙いがあるとみられる。日本側は北方四島の帰属問題を解決し、平和条約を締結する」とした東京宣言(93年)などの確認を盛り込みたいとみられるが、困難が予想されそうだ。
さらにこの状態は日本国の体をなしていないのではないのか。
日露領土問題の官房長官は支持するがアジア諸国との友好問題でも突っ張っていては親父殿・晋太郎もさぞ泣いていることであろう。そういえば身長のサイズさえ親父殿と比ベルト全然スケールが低い。
政治スタイルにそれが反映しているようではかなわない。
<日中外相会談>「日程合わず」と中止 中国側が消極姿勢
外務省がアジア太平洋経済協力会議閣僚会議に合わせて調整していた麻生太郎外相と中国の李肇星外相の会談が見送りとなった。同省筋は「日程が合わなかった」と説明するが、中国側は小泉純一郎首相の靖国神社参拝に反発し、一貫して消極的な姿勢を示していた。APEC中の首脳会談も行われない見通しだ
その原因はかたくなな政府にある。
たしかに他国の干渉やも知れぬがあの中曽根でさえ隣国には敬意を表した。
総理就任に際しても隣国を訪問してアメリカ詣でで順位を決めていた。
そのところに対する政府の変化への批判が隣国との中をより不安定にさせている。
一衣帯水の国との経熱政冷の状況覇なんであろう。
小泉政権になって以来この異常状態がつづいている。
許している国民も何をしているんであろう。
<安倍官房長官>中国外相発言に反発 靖国参拝
安倍官房長官は16日の記者会見で中国の李外相が小泉首相の靖国神社参拝について「ドイツ指導者がヒトラーやナチスの追悼施設を参拝したら欧州の人々はどう思うか」と批判したことに対し、「首相は国のために殉じた方々のご冥福をお祈りするためにお参りしているのであって特定の人物に対してではない」と強く反発した。
アジア太平洋経済協力会議(APEC)閣僚会議は16日に終了し、日本が中国に要請していた会議期間中の外相会談は実現しなかった。
18、19日のAPEC首脳会議開催に合わせた日中首脳会談も行われない見通しだ。
10月17日の小泉首相の靖国参拝後、中国は町村外相(当時)の訪中を拒否するなど、日中間の政治レベルでの接触を避けている。今回、日本政府内では、麻生外相と李肇星・中国外相は初対面であるため、中国側が外相会談に応じることを期待する声もあった。しかし、中国側は結局、厳しい対日姿勢を崩さなかった。
これに関連し、安倍官房長官は16日、都内での講演で、APECでの日中首脳会談について、「成熟した国同士の関係は、お互いの違いを認め合う関係であり、感情的にならず首脳間で話をすることが大切だ。中国の事情で(首脳会談が)開催されないのは残念だ」と述べ、中国政府の対応を批判した。
ところでブッシュが日本に来ていたのである。
どうにも報道機関の伝えるエネルギーが弱いのではないのか。
早速のお土産はナント狂牛病のお肉のようで京都では抗議デモさえにもなっている。
年内輸入再開の方針伝達 首相、米国産牛肉で
小泉純一郎首相は16日に京都迎賓館で行われた日米首脳会談で、懸案の米国産牛肉の輸入再開問題について、「内閣府食品安全委員会の正式な答申を受けて、政府がしかるべき措置を取る」と言明、年内輸入再開の方針を伝えた。
ブッシュ米大統領は、中国について「今後大きなプレーヤーとなる」と分析し「日米関係が良ければ中国も対日関係、対米関係を強化しようと思うのではないか」指摘。小泉首相は日中関係の現状について「いくつか問題があるが、自分が首相に就任してからも、いろいろな分野で強化されている」との認識を示した。
大統領は、牛肉輸入再開問題について「議会などの関心が非常に強い」と指摘。
首相は「できるだけ早期に日米間で双方向の牛肉貿易を再開したいと希望している」と応じ、食品安全委プリオン専門調査会の答申案で年内の輸入再開に道筋が付いたことを説明した。
こんなことなら下々も乱れます。
何とか資金手当てはシタが足りない。
恥かしき給料遅配に減額では管理者能力が問われます。
これでは倒れるやも。
弁明したいが恥ずべき内部事情でお話ににもならぬ。
ま〜役に立つ、サッカーからの知識でもためておくとしよう。
愛読させていただいてるブログからの転記である。
トリニティが、商標の問題があってトリニティとオオイタをあわせたトリニータになったとはまったく知りませんでした。
右脳が、背番号01のGK の岡中勇人 の左右の手、両足の如く ピリピリ反応しています。
トリニティはキリスト教神学論の神・イエス・聖霊の三位一体なんだって。
それはチーム、企業、自治体の三位一体なんだって。
な〜〜んか小泉さんの三位一体改革みたいで監督 シャムスカ就任とともに連勝したみたい。
背番号10 のマグノ アウベスの炎のゴ〜〜〜ル。
サボッテいてサポが抜けたのではゴ〜〜〜〜ルはおぼつきませんヨネ。
ブッシュも京都で鳥インフルエンザのお話をしているようである。
インフルエンザの流行の最初の記述は紀元前のヒポクラテスが起源.
世界的大流行の代名詞はスペインかぜで世界で2500万人もの死者が出たこの規模並みの危険性が今、心配されている。昔、この病気の原因は星の影響とされた。
で、影響、インフルエンスという意味の言葉がイタリアで病名に使われた。
それがインフルエンザの名の起こりだそうな。
今、影響が怖いのは星ならぬトリ。東南アジアでは鶏から人に感染、60人以上の死者が出た。
ウイルスが人から人へ感染する新型に変身する危険も実証されてきている。
治療薬の備蓄確保は来年度中だそうな。
鳥は怖いがトリニータは・・
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平和の願いの塔
2005年11月15日民主主義国家ゆえ使われなくなった言葉がある。
降嫁もその一つであろう。
天皇家から庶民階級の家柄に嫁に行くことである。
報道ネタのないマスコミがこことぞばかりに一斉に報道した。
紀宮のご成婚の日であった。
宵闇迫らんとする夕方に、宮崎市内を一望する「平和台」に佇んでいる。
資金繰りでこのに近辺の在住の方にお会いしての帰りである。
南十字星を背景に立つ異様なる暗がりの塔。
18時からキッチリにライト・アップ一瞬に華やいだ塔が忽然と姿を現した。
戦後GHQにより、禁止された「八紘一宇」の文字がクッキリと浮かんでいる。
「八紘」は四方と四隅つまり世界・天下のこと、「宇」は家天下を一つの家のようにすること。
太平洋戦争の「大東亜共栄圏」の建設を意味し、日本の海外侵略を正当化するスローガンとして用いられた。
この時点で紀宮のご成婚は記憶になくまったくの偶然である。
末永きご多幸をお祈りした。
平和の塔名を変えた八紘一宇の塔は日本書紀「八紘をおほひて宇(いへ)とせむ」からきている。
私共の世代は八紘台と呼んでいた。建設後からの呼び名らしい。
戦後は「平和の塔」と改称されたが、「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」が正式名称で、通称「八紘一宇の塔」と呼ばれた。
神武天皇が大和に東征するまでの皇居と伝えられる皇宮屋(こうぐや)の北方の丘の大地である。
紀元2600年の記念事業として昭和14年5月に着工、昭和15年11月に竣工した。
この時期を代表する彫刻家日名子実三(1893〜1945年:大分臼杵出身)出身の設計による。
これではご愛読いただいてハズのうどんさんがお喜びにならないので私共の観光協会のHPを参考にして記すとこうである。
サッカーのサポーターなる人々が着用してる応援グッズのユニホームの左上の変な鳥(?)のことである。
アレは何なのか。うどんさんにお伺いしたいものである。(笑い)
日名子実三は日本サッカー協会(JFA)のシンボルマーク「八咫烏(やたがらす)」の製作者、でも知られている。
八咫烏(やたがらす)は、神話に出てくる鳥、神武天皇が東征の時に熊野から大和に入る吉野の山中にて、道に迷われ、その際に天の神が道案内としてつかわした鳥何だそうな。
これは、日本に初めて近代サッカーを紹介した中村覚之助に敬意を表し、その出身地である和歌山県那智勝浦町にある熊野大社の八咫烏をデザインした物との事。(えっへん!)(エバッテラ〜アホみたい・・ウェキペデアにアルジャァ~ン)
ところで塔であるが御幣を四方からみたイメージモデルをもとに設計施工された。
基柱の高さは礎石から120尺(1尺は約3メートル)塔の
高さ37m、基部面積1070平方m、敷地9900
苑地設計:林学博士 田村剛
基柱設計 模型 日名子実三
模型による仕様設計 南省吾
施工 大林組
着工 昭和14年05月20日
定礎 昭和15年04月03日
竣功 昭和15年11月15日
正面中央には秩父宮殿下の御染筆を拡大した「八紘一宇」の文字。
基柱の四隅には民族の結束と向上をあらわす篝火台がおかれ、
その下には武人・工人・農人・魚人として仮の姿を見せた神霊(荒御魂・和御魂・幸御魂・奇御魂)が配されている。
約30メートル手前から拍手を打つといわゆる鳴き龍(日光の東照宮「鳴き龍」)と言うの如き反響音がある極めつくされた技がある。
塔を製作するにあたり日名子実三氏は昭和13年秋頃より約二ヶ月間、宮崎県下の高千穂、美々津、西都原等を見て回り、構想を得たそうだ。
外形は神事に用いるご幣を象徴しており、そのひとつひとつは宮崎神宮の御楯の形である。
塔の四隅に基柱四魂像を配置、正面の扉は西都原の鬼の巌屋を形どり、全体の段々は高千穂町に多い段々畑や、神武天応お船出の地、美々津(日向市)にある立磐神社境内にある天皇腰掛岩を表現し、皇子原(高原町)の玉垣などを取り入れ、ている。
スペインのガルデーの建築物を超えるものがある日本の誇る一大建築モニューメント。
「八紘一宇」という言葉は、神武天皇が橿原で即位された時の勅語の一節「八紘を掩いて宇と成さんこと亦よからずや」という建国の理想からきている。
GHQ司令部は昭和20年12月、「八紘一宇」という語の公文書における使用を一切禁止。
日本を侵略戦争にかりたてた世界征服思想とした。
観光協会のHPにはこう書いてある。
礎石に使用された1789個の石材は「宮崎県や郡市町村を区域とする公的団体。道府県及び道府県を区域とする公的団体。樺太庁、朝鮮総督府及び各道、台湾総督府及び各州庁、南洋庁、関東州の
公的団体、満州国各省、及び同区域に在住の日本人会、支那各地、独伊其の他帝国大公使館、領事館所在地日本人会、大陸又は太洋上に挺身奉公中の郷土部隊」に提供を依頼したもので、それぞれに提供者の名前が彫り込まれている。
世界中からの切石がらなっている。
「侵略の象徴」とされた塔が復活してきているのは時の政治情勢。
復元と保存の機運が起こり37年になって「荒御魂」像が、40年には「八紘一宇」の文字が復元された。
「もはや戦後ではない」の言葉を生んだ昭和39年の東京オリンピックの聖火リレーはこの「平和台=八紘台公園」がスタート地点となっている。
正面厳室の入口は、西都原古墳の石室をかたどったもので、
扉には神武天皇が東征のため美々津から船出する模様が描かれている。
このレリーフももちろん日名子実三の作品。
日向にはこのエピソードの記念碑「日本海軍発祥之地」の碑があり、これも日名子の造形である。
市内夜景が一望できるこの地にも太陽光発電所を建設できないものか。
平和の塔をバベルの塔やスペイン・ガルヂィーにはなりえないものか。
バツグンのアペール効果があるはずである。
65年前全国の勤労隊が無償奉仕でこの大地を切り開き、この塔を作り上げた。
純粋無垢の国家への忠誠、国家の繁栄を祈念してのことだ。
時代は変われどその精神は受け継がれていいハズだ。
形を変えたエネルギー問題の解決の糸口としての巨大太陽光発電所を子の地に建設するのである。決して無謀なるお話ではあるまい。
朝の8時の太陽光発電オール電化のお話ははキャンセルになり夕方に変更。結局は幻になった。
本日お昼前、宮崎第一級のパネル520枚=70KWの太陽光発電所建設の受注に成功したのもここにお導き頂いたごりやくの後付なのか。工事の安寧をお祈りした。
偶然に、まったくの自然にこの地を訪れた不思議の平和の願いの
塔。
再度紀宮ご成婚のいやさかのご多幸を祈った。
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降嫁もその一つであろう。
天皇家から庶民階級の家柄に嫁に行くことである。
報道ネタのないマスコミがこことぞばかりに一斉に報道した。
紀宮のご成婚の日であった。
宵闇迫らんとする夕方に、宮崎市内を一望する「平和台」に佇んでいる。
資金繰りでこのに近辺の在住の方にお会いしての帰りである。
南十字星を背景に立つ異様なる暗がりの塔。
18時からキッチリにライト・アップ一瞬に華やいだ塔が忽然と姿を現した。
戦後GHQにより、禁止された「八紘一宇」の文字がクッキリと浮かんでいる。
「八紘」は四方と四隅つまり世界・天下のこと、「宇」は家天下を一つの家のようにすること。
太平洋戦争の「大東亜共栄圏」の建設を意味し、日本の海外侵略を正当化するスローガンとして用いられた。
この時点で紀宮のご成婚は記憶になくまったくの偶然である。
末永きご多幸をお祈りした。
平和の塔名を変えた八紘一宇の塔は日本書紀「八紘をおほひて宇(いへ)とせむ」からきている。
私共の世代は八紘台と呼んでいた。建設後からの呼び名らしい。
戦後は「平和の塔」と改称されたが、「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」が正式名称で、通称「八紘一宇の塔」と呼ばれた。
神武天皇が大和に東征するまでの皇居と伝えられる皇宮屋(こうぐや)の北方の丘の大地である。
紀元2600年の記念事業として昭和14年5月に着工、昭和15年11月に竣工した。
この時期を代表する彫刻家日名子実三(1893〜1945年:大分臼杵出身)出身の設計による。
これではご愛読いただいてハズのうどんさんがお喜びにならないので私共の観光協会のHPを参考にして記すとこうである。
サッカーのサポーターなる人々が着用してる応援グッズのユニホームの左上の変な鳥(?)のことである。
アレは何なのか。うどんさんにお伺いしたいものである。(笑い)
日名子実三は日本サッカー協会(JFA)のシンボルマーク「八咫烏(やたがらす)」の製作者、でも知られている。
八咫烏(やたがらす)は、神話に出てくる鳥、神武天皇が東征の時に熊野から大和に入る吉野の山中にて、道に迷われ、その際に天の神が道案内としてつかわした鳥何だそうな。
これは、日本に初めて近代サッカーを紹介した中村覚之助に敬意を表し、その出身地である和歌山県那智勝浦町にある熊野大社の八咫烏をデザインした物との事。(えっへん!)(エバッテラ〜アホみたい・・ウェキペデアにアルジャァ~ン)
ところで塔であるが御幣を四方からみたイメージモデルをもとに設計施工された。
基柱の高さは礎石から120尺(1尺は約3メートル)塔の
高さ37m、基部面積1070平方m、敷地9900
苑地設計:林学博士 田村剛
基柱設計 模型 日名子実三
模型による仕様設計 南省吾
施工 大林組
着工 昭和14年05月20日
定礎 昭和15年04月03日
竣功 昭和15年11月15日
正面中央には秩父宮殿下の御染筆を拡大した「八紘一宇」の文字。
基柱の四隅には民族の結束と向上をあらわす篝火台がおかれ、
その下には武人・工人・農人・魚人として仮の姿を見せた神霊(荒御魂・和御魂・幸御魂・奇御魂)が配されている。
約30メートル手前から拍手を打つといわゆる鳴き龍(日光の東照宮「鳴き龍」)と言うの如き反響音がある極めつくされた技がある。
塔を製作するにあたり日名子実三氏は昭和13年秋頃より約二ヶ月間、宮崎県下の高千穂、美々津、西都原等を見て回り、構想を得たそうだ。
外形は神事に用いるご幣を象徴しており、そのひとつひとつは宮崎神宮の御楯の形である。
塔の四隅に基柱四魂像を配置、正面の扉は西都原の鬼の巌屋を形どり、全体の段々は高千穂町に多い段々畑や、神武天応お船出の地、美々津(日向市)にある立磐神社境内にある天皇腰掛岩を表現し、皇子原(高原町)の玉垣などを取り入れ、ている。
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正面厳室の入口は、西都原古墳の石室をかたどったもので、
扉には神武天皇が東征のため美々津から船出する模様が描かれている。
このレリーフももちろん日名子実三の作品。
日向にはこのエピソードの記念碑「日本海軍発祥之地」の碑があり、これも日名子の造形である。
市内夜景が一望できるこの地にも太陽光発電所を建設できないものか。
平和の塔をバベルの塔やスペイン・ガルヂィーにはなりえないものか。
バツグンのアペール効果があるはずである。
65年前全国の勤労隊が無償奉仕でこの大地を切り開き、この塔を作り上げた。
純粋無垢の国家への忠誠、国家の繁栄を祈念してのことだ。
時代は変われどその精神は受け継がれていいハズだ。
形を変えたエネルギー問題の解決の糸口としての巨大太陽光発電所を子の地に建設するのである。決して無謀なるお話ではあるまい。
朝の8時の太陽光発電オール電化のお話ははキャンセルになり夕方に変更。結局は幻になった。
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節水で生活改善
2005年11月14日離婚のときのエネルギーは結婚のときよりも何倍もかかると識者は唱える。
仕事を見つけることは仕上げることの何倍もいるといえば同じ立場の人は共感していただけよう。
ところでエネルギーでいうならば、事業資金の確保は艱難辛苦を極める最たるものである。
述べてきた全てのことの比どころではない。
うまくいってた資金計画が同じ会社の人の要因でオジャンとなれば顔面蒼白どこではない。自分の良心への呵責と支払いを待ってる立場の人との板ばさみで、胃も腸もねじ切れんがばかりに痛む
生きてることがこれほども辛いものかと狂わんが如き打ち叫ぶ。
年間3万人を超える自殺者は資金繰りが埋まらぬことから生命を絶って身の潔しを立てる。
わたしもその一人にカウントされていても仕方ない状況下にある。
東奔西走仕事を頂に回っている。仕事のパイを増やす努力をしてるものと知らぬ間に増えてるパイの配分にあやかろうとしてる比率が月日を重ねるごと増えている。
全て私の双肩にかかっている。
先月スタッフ不足で長崎に一人旅立ち3,2KWの太陽光発電工事を仕上げてきた。
その内容たるや、よし!これが一番いい方法である。
なにも辛きエネルギーが要ることに執着してる場合ではない。
楽しくなければ仕事でもないが、かといって辛いことなくして仕事でもない。
資金難で迷惑をかけてまでして、やるべきものであろうか。
しっかりした管理能力が問われている。
大先輩からの便箋4枚に書き連ねられた叱責の愛情にただひたすらひれ伏す。
あちこちにご迷惑をかけての必死の日常である。
午後4じ,くだんの方と新規の会社にご案内する。
ところが面接問題は繰り上げで営業展開のお話となる。
それから4時間以上のメーカーの方からのレクチャー・
なんか商売変えしようかな〜。節水器具のお話である。
目から鱗、何もエネルギーの根源たる石油資源の問題の電気の節約だけでないことがわかった。
水源地再工事費は13億5千万を要するという。これに佐土原、清武が合併してくる。
トン450円の佐土原とみやざきの330円の現行水料金の安いこと
合併後はどうなっていくのかは、はっきりしている。
換言すれば料金の値上げが見えている。
台風で断水が続いたが僅か1万トン足りなかっただけなのにあの騒ぎ。
一日8万トン必要なのが現状である。
13億トンの総使用量からすれば、不足断水はなかったハズなんである。
これから生じてくる水不足は飲み水でなく、水洗の使用量なのである。
上下水道で見たときの経済効果を考えればわかることである
ヒロシマでトン700円、岡山も同じ。京都大阪は400円長崎は480円
国富町は水源地やり直しに20億円もかける。
考えねばならぬのは、節水である。
大便で15リットル、小便で5リットルが現行である。
これは9リットル、3リットルにできるのである。
水流と時間の関係なのである。
そのバランスをうまくとるのが節水の秘訣。
フラッシュ・バルルブの操作しだいなのである。
「もったいない」の思想を現場に生かすのみ。
この器具を取り付けイニシャル・コストとランニング・コストを推し量れば済むこと。
いや〜その結果は凄く、15〜40パーセントの節約になる。
さらに燃料費の節約にもなるんである。
この社長さんには心より敬服している。
何とか共同行動で共存共栄できないものか。
取り組まれる商品郡がお客さん本位の省エネもの。
先を見通し時代にマッチしている。
ローソンは既に改善積み、早速調べたものである。
生活の見直しは何もお金のそのものばかりではないである。
総合的なるエネルギー使用の見直しは急務である。
否!わが社の資金調達は風雲急を告げている。
予測してた収入予定があろうことか集金が済んでいて、気力をなくしている。
これでは解決はおぼつか無い。
どうやればムチがいるのか。
月末で全て解決するんであるが日にちが間に合わず、手腕が問われている。
仕事にほれろ!人のほれろ!己のたちばにほれろ!
挫け、放棄していては、お話にもならぬ。猛省である。
好意で携帯は動き出し、あすは8時から太陽光発電のお客さんのご紹介を頂き、わざわざ宮崎にお出ましになる。
一人ではナイジャン!
自分をかわいがり、仲間を信じていきよ!
せきやんさん!ガンバ!
天国よいとこ?
私に良く似た寅さんの原型たるTV・ソングは私の応援歌。
なにも水前寺清子のみが応援歌ではない。
♪
空が泣いたら 雨になる
山が泣くときゃ 水が出る
オレが泣いても 何にも出ない
意地が涙を 泣いて 泣いて 泣いてたまるかよ ー、オオオオ・オ・オ・
通せんぼ
海は涙の 貯金箱
川は涙の 通り道
栓をしたとて 誰かがこぼす
愚痴とため息 泣いて 泣いて たまるかよー、オオオ オ・オ・オ・
骨にしむ
♪♪
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仕事を見つけることは仕上げることの何倍もいるといえば同じ立場の人は共感していただけよう。
ところでエネルギーでいうならば、事業資金の確保は艱難辛苦を極める最たるものである。
述べてきた全てのことの比どころではない。
うまくいってた資金計画が同じ会社の人の要因でオジャンとなれば顔面蒼白どこではない。自分の良心への呵責と支払いを待ってる立場の人との板ばさみで、胃も腸もねじ切れんがばかりに痛む
生きてることがこれほども辛いものかと狂わんが如き打ち叫ぶ。
年間3万人を超える自殺者は資金繰りが埋まらぬことから生命を絶って身の潔しを立てる。
わたしもその一人にカウントされていても仕方ない状況下にある。
東奔西走仕事を頂に回っている。仕事のパイを増やす努力をしてるものと知らぬ間に増えてるパイの配分にあやかろうとしてる比率が月日を重ねるごと増えている。
全て私の双肩にかかっている。
先月スタッフ不足で長崎に一人旅立ち3,2KWの太陽光発電工事を仕上げてきた。
その内容たるや、よし!これが一番いい方法である。
なにも辛きエネルギーが要ることに執着してる場合ではない。
楽しくなければ仕事でもないが、かといって辛いことなくして仕事でもない。
資金難で迷惑をかけてまでして、やるべきものであろうか。
しっかりした管理能力が問われている。
大先輩からの便箋4枚に書き連ねられた叱責の愛情にただひたすらひれ伏す。
あちこちにご迷惑をかけての必死の日常である。
午後4じ,くだんの方と新規の会社にご案内する。
ところが面接問題は繰り上げで営業展開のお話となる。
それから4時間以上のメーカーの方からのレクチャー・
なんか商売変えしようかな〜。節水器具のお話である。
目から鱗、何もエネルギーの根源たる石油資源の問題の電気の節約だけでないことがわかった。
水源地再工事費は13億5千万を要するという。これに佐土原、清武が合併してくる。
トン450円の佐土原とみやざきの330円の現行水料金の安いこと
合併後はどうなっていくのかは、はっきりしている。
換言すれば料金の値上げが見えている。
台風で断水が続いたが僅か1万トン足りなかっただけなのにあの騒ぎ。
一日8万トン必要なのが現状である。
13億トンの総使用量からすれば、不足断水はなかったハズなんである。
これから生じてくる水不足は飲み水でなく、水洗の使用量なのである。
上下水道で見たときの経済効果を考えればわかることである
ヒロシマでトン700円、岡山も同じ。京都大阪は400円長崎は480円
国富町は水源地やり直しに20億円もかける。
考えねばならぬのは、節水である。
大便で15リットル、小便で5リットルが現行である。
これは9リットル、3リットルにできるのである。
水流と時間の関係なのである。
そのバランスをうまくとるのが節水の秘訣。
フラッシュ・バルルブの操作しだいなのである。
「もったいない」の思想を現場に生かすのみ。
この器具を取り付けイニシャル・コストとランニング・コストを推し量れば済むこと。
いや〜その結果は凄く、15〜40パーセントの節約になる。
さらに燃料費の節約にもなるんである。
この社長さんには心より敬服している。
何とか共同行動で共存共栄できないものか。
取り組まれる商品郡がお客さん本位の省エネもの。
先を見通し時代にマッチしている。
ローソンは既に改善積み、早速調べたものである。
生活の見直しは何もお金のそのものばかりではないである。
総合的なるエネルギー使用の見直しは急務である。
否!わが社の資金調達は風雲急を告げている。
予測してた収入予定があろうことか集金が済んでいて、気力をなくしている。
これでは解決はおぼつか無い。
どうやればムチがいるのか。
月末で全て解決するんであるが日にちが間に合わず、手腕が問われている。
仕事にほれろ!人のほれろ!己のたちばにほれろ!
挫け、放棄していては、お話にもならぬ。猛省である。
好意で携帯は動き出し、あすは8時から太陽光発電のお客さんのご紹介を頂き、わざわざ宮崎にお出ましになる。
一人ではナイジャン!
自分をかわいがり、仲間を信じていきよ!
せきやんさん!ガンバ!
天国よいとこ?
私に良く似た寅さんの原型たるTV・ソングは私の応援歌。
なにも水前寺清子のみが応援歌ではない。
♪
空が泣いたら 雨になる
山が泣くときゃ 水が出る
オレが泣いても 何にも出ない
意地が涙を 泣いて 泣いて 泣いてたまるかよ ー、オオオオ・オ・オ・
通せんぼ
海は涙の 貯金箱
川は涙の 通り道
栓をしたとて 誰かがこぼす
愚痴とため息 泣いて 泣いて たまるかよー、オオオ オ・オ・オ・
骨にしむ
♪♪
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大化の改新
2005年11月13日カッターシャツにネクタイの昨日は車の中の暑いこと。
それが今朝から急に寒くなりました。
ようやく枯葉の舞い散る季節がやってくるのでしょうか。
京都の紅葉の美しさが今一であるニュースを昨日朝見た。
この百年で4度上がった事や寒さが襲来してないこと雨の量が少ないことを研究者は揚げていた。
〈わが歩む落葉の音のあるばかり 杉田久女〉。
落ち葉を歩くと、カサリ、というかすかな音は、人のつぶやきにも似ていると新聞が書いた。
強い風に吹かれて一斉に転がるときには、無数の風車のように、かしゃかしゃと鳴る。と続ける。
枯葉舞い散る季節の到来もマジか。
枯葉は越路吹雪がいい。
そりゃ〜ピアフやイブ・モンタンはフランス語で異国を感じて情緒溢れ出でる本場仕込み。
1921(大正10)年の10月13日、フランスのシャンソン歌手、俳優のイヴ・モンタンが誕生。
イタリア・モンスマーノに生まれたが、2歳の時にファシズム政権を逃れてマルセイユへ。
1944年にはパリ・ムーランルージュなどで舞台に立ち、
1946年の映画「枯葉/夜の門」で歌った主題歌「枯葉」は後に世界的なスタンダード・ナンバー「枯葉」。
「枯葉をかき集めるのはシャベル 思い出もそして未練も/北風はそれらを運んでゆく 忘却の冷たい夜へ」。詩人ジャック・プレベールが作詞した」の翻訳の一節だ。
「あのころ 人生はもっと美しく 陽はもっと燃えさかっていた」
この詞は知らなくとも、この季節に「枯れ葉よ……」の印象的なメロディーを思い起こす人は私のみではあるまい。
プレベールとの共作が多いジョセフ・コスマが、第二次大戦が終わった1945年に作曲した。
やがてイブ・モンタンの歌で世界に広まった。
ジュリエット・グレコが世に出た曲としても知られている。
コスマは、100年前、ハンガリーのブダペストで生まれた。
移ろいゆく人生を「枯葉」として哀切な旋律に結晶させこの季節を現した。
食べ物が又、旬で出回る季節。
立冬の女生き生き両手に荷 岡本眸
両手のものは 白菜か、大根かなど勝手に想像する、店頭にあるといっても、やはり冬こそ似合う
漬物はすっかり店で買うものになった昨今だが、かつてはこの季節、どこの家庭でも漬け込みを始めた。
それぞれのぬかみそがあった。
鍋の季節の到来でもある。白菜は鍋に欠かせない。
大根も同じでふうふうやるのがこたえられない
「暮しの手帖」別冊の最新号で30年前の同誌の特集
「どうして大根の葉を棄てるの」を再録している。
「あんなにおいしいものを、平然と棄てているのは、なんとももったいないことです」
ソリャ〜そうだ。昨日都城で頂いた間引きした大根葉の味噌汁は最高であった。
日本の最高の歴史ニュース。
歴史の年号覚えで最初に来るのは645年の大化の改新ではないのか。1192の鎌倉幕府が次に出てくる。
その大化の改新の蘇我入鹿邸の遺構が明日香で発掘された。
甘樫丘東麓遺跡 は蘇我入鹿邸の建物跡でそこから出土した。
大化の改新で暗殺された飛鳥時代の大豪族、蘇我入鹿の邸宅「谷(はざま)の宮門(みかど)」の可能性のある5棟の建物跡が、奈良県明日香村川原の甘樫丘東麓(あまかしおか)遺跡で出土したと、奈良文化研が13日、発表した。
建物が甘樫丘に入り込んだ谷を大規模に造成して建てられ、焼けた壁土なども見つかったことが、「日本書紀」の記述と一致した。
古代の豪族支配を象徴する蘇我氏と、国家の大改革を導いた大化の改新の実像に迫る一級の資料。
現場は甘樫丘の東麓で、入鹿暗殺の舞台となった飛鳥京跡の西約600メートルの地点。
蘇我氏が建立した日本最古の寺、飛鳥寺からは南西に約600メートルの位置。
約730平方メートルを発掘したところ、建物5棟分の柱穴と長さ12メートル以上の塀の跡が見つかった。
1棟は幅10・5メートル、奥行き3・6メートルの規模で、直径20〜30センチの柱穴が並んでいた。
柱筋に沿った溝(深さ20〜30センチ、幅80センチ)には、7世紀前半の土器や、焼けた土や炭が埋まっていた。
これらの建物は倉庫などとみられ、母屋にあたる主要な建物は、さらに東側にあると予想される。
現場のすぐ南の斜面でも1994年の調査で、焼けた壁土や建築部材、土器が出土していた。
「日本書紀」には、644年11月に「蘇我大おお臣おみ蝦えみ夷しと、子の入鹿は家を甘樫丘に並べ建てる。大臣の家は上の宮門、入鹿の家は谷の宮門という」という記述があり、翌645年6月に入鹿が暗殺された翌日、蝦夷が自邸と入鹿邸に火を放って自害したと書かれている。
現地見学会は16日午前10時〜午後3時。
和田萃(あつむ)京都教育大教授(古代史)の話
「大化の改新は強大な権力を持っていた蘇我氏が滅び、天皇家が律令体制を固める契機となった古代国家最大の政争。
その舞台の一つが発見されたのは、歴史の解明に結びつく非常に重要な成果だ」
4・5世紀,地方の豪族を制圧し大和王権(大和朝廷)が全国を統一。
6世紀の中頃に日本に仏教が伝わる。
この時,都は奈良県の飛鳥。
聖徳太子は蘇我氏とともに仏教を広め,大王(天皇)を中心とした国家建設を目指す。
この理想は7世紀に継承され,大化の改新や壬申の乱を経て律令国家の完成へとつながっていく。
百済の聖明王から仏像がおくられたが、天皇は,これをまつるべきかどうか迷って大臣の蘇我氏に預ける。
蘇我氏はさっそく家に持ち帰り,別邸を寺に造りかえる。
やがて,国内に疫病がはやり始め,蘇我氏と対立していた大連の物部氏は
「仏などまつったから古来の神々が怒ったのだ」と言って寺を焼き払い,仏像を池に投げ捨ててしまう。」
74年,一人の聡明な子が誕生。
馬小屋の前で生まれたと伝えられる廐戸皇子,後の聖徳太子。
蘇我氏の血を引く廐戸皇子は,蘇我氏と物部氏との対立の渦に巻き込まれる。
587年,蘇我氏と物部氏は総力を挙げて戦う。
はじめ戦上手な物部軍に押されていた蘇我氏と廐戸皇子連合軍でしたが,廐戸皇子が四天王に祈り,そのご加護もあって勝利します。これで実質的な権力を握った蘇我氏は,推古天皇をたて,その摂政を聖徳太子とする。
聖徳太子は603年に冠位十二階を,翌年憲法十七条を出して国の政治を整えていく。また,外国とも積極的に交流し遣隋使を派遣して大陸の文化を取り入れる。
22年,聖徳太子が亡くなると,蘇我氏は大王と同等かそれ以上の力を持つようになる。
蘇我氏は大陸や朝鮮半島からの渡来人たちと深くつながり,新しい知識や技術をいち早く取り入れ,革新的な考えで政治を進める。
乙巳の変・大化の改新
国の政治の先行きを心配した中臣鎌足は中大兄皇子に蘇我氏打倒の策を相談。
645年6月12日,雨の飛鳥板蓋宮では皇極天皇が朝鮮からの使者と会談その席に蘇我入鹿も同席。
中臣鎌足や中大兄皇子は一気に蘇我入鹿を惨殺。
「わたしにどんな罪があるというのだ。」と叫んで入鹿は息絶えたと言う。
中大兄皇子は皇極天皇に「入鹿は大王一族を滅ぼそうと企てていた。」と説明し,すぐさま甘樫丘の蘇我氏邸を包囲,入鹿の父蝦夷は館に火を放ち自害したため,ここに蘇我氏は滅ぶ。
大化の改新は飛鳥時代に発布された改新之詔(みことのり)に基づく政治的改革。
天皇の宮を飛鳥から難波宮 (大阪) に移し、蘇我氏など飛鳥の豪族を中心とした政治から天皇中心の政治への転換点となった。
大化改新は NHK、で05年放送された。
組織を考えるとき、わからないでもない。
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それが今朝から急に寒くなりました。
ようやく枯葉の舞い散る季節がやってくるのでしょうか。
京都の紅葉の美しさが今一であるニュースを昨日朝見た。
この百年で4度上がった事や寒さが襲来してないこと雨の量が少ないことを研究者は揚げていた。
〈わが歩む落葉の音のあるばかり 杉田久女〉。
落ち葉を歩くと、カサリ、というかすかな音は、人のつぶやきにも似ていると新聞が書いた。
強い風に吹かれて一斉に転がるときには、無数の風車のように、かしゃかしゃと鳴る。と続ける。
枯葉舞い散る季節の到来もマジか。
枯葉は越路吹雪がいい。
そりゃ〜ピアフやイブ・モンタンはフランス語で異国を感じて情緒溢れ出でる本場仕込み。
1921(大正10)年の10月13日、フランスのシャンソン歌手、俳優のイヴ・モンタンが誕生。
イタリア・モンスマーノに生まれたが、2歳の時にファシズム政権を逃れてマルセイユへ。
1944年にはパリ・ムーランルージュなどで舞台に立ち、
1946年の映画「枯葉/夜の門」で歌った主題歌「枯葉」は後に世界的なスタンダード・ナンバー「枯葉」。
「枯葉をかき集めるのはシャベル 思い出もそして未練も/北風はそれらを運んでゆく 忘却の冷たい夜へ」。詩人ジャック・プレベールが作詞した」の翻訳の一節だ。
「あのころ 人生はもっと美しく 陽はもっと燃えさかっていた」
この詞は知らなくとも、この季節に「枯れ葉よ……」の印象的なメロディーを思い起こす人は私のみではあるまい。
プレベールとの共作が多いジョセフ・コスマが、第二次大戦が終わった1945年に作曲した。
やがてイブ・モンタンの歌で世界に広まった。
ジュリエット・グレコが世に出た曲としても知られている。
コスマは、100年前、ハンガリーのブダペストで生まれた。
移ろいゆく人生を「枯葉」として哀切な旋律に結晶させこの季節を現した。
食べ物が又、旬で出回る季節。
立冬の女生き生き両手に荷 岡本眸
両手のものは 白菜か、大根かなど勝手に想像する、店頭にあるといっても、やはり冬こそ似合う
漬物はすっかり店で買うものになった昨今だが、かつてはこの季節、どこの家庭でも漬け込みを始めた。
それぞれのぬかみそがあった。
鍋の季節の到来でもある。白菜は鍋に欠かせない。
大根も同じでふうふうやるのがこたえられない
「暮しの手帖」別冊の最新号で30年前の同誌の特集
「どうして大根の葉を棄てるの」を再録している。
「あんなにおいしいものを、平然と棄てているのは、なんとももったいないことです」
ソリャ〜そうだ。昨日都城で頂いた間引きした大根葉の味噌汁は最高であった。
日本の最高の歴史ニュース。
歴史の年号覚えで最初に来るのは645年の大化の改新ではないのか。1192の鎌倉幕府が次に出てくる。
その大化の改新の蘇我入鹿邸の遺構が明日香で発掘された。
甘樫丘東麓遺跡 は蘇我入鹿邸の建物跡でそこから出土した。
大化の改新で暗殺された飛鳥時代の大豪族、蘇我入鹿の邸宅「谷(はざま)の宮門(みかど)」の可能性のある5棟の建物跡が、奈良県明日香村川原の甘樫丘東麓(あまかしおか)遺跡で出土したと、奈良文化研が13日、発表した。
建物が甘樫丘に入り込んだ谷を大規模に造成して建てられ、焼けた壁土なども見つかったことが、「日本書紀」の記述と一致した。
古代の豪族支配を象徴する蘇我氏と、国家の大改革を導いた大化の改新の実像に迫る一級の資料。
現場は甘樫丘の東麓で、入鹿暗殺の舞台となった飛鳥京跡の西約600メートルの地点。
蘇我氏が建立した日本最古の寺、飛鳥寺からは南西に約600メートルの位置。
約730平方メートルを発掘したところ、建物5棟分の柱穴と長さ12メートル以上の塀の跡が見つかった。
1棟は幅10・5メートル、奥行き3・6メートルの規模で、直径20〜30センチの柱穴が並んでいた。
柱筋に沿った溝(深さ20〜30センチ、幅80センチ)には、7世紀前半の土器や、焼けた土や炭が埋まっていた。
これらの建物は倉庫などとみられ、母屋にあたる主要な建物は、さらに東側にあると予想される。
現場のすぐ南の斜面でも1994年の調査で、焼けた壁土や建築部材、土器が出土していた。
「日本書紀」には、644年11月に「蘇我大おお臣おみ蝦えみ夷しと、子の入鹿は家を甘樫丘に並べ建てる。大臣の家は上の宮門、入鹿の家は谷の宮門という」という記述があり、翌645年6月に入鹿が暗殺された翌日、蝦夷が自邸と入鹿邸に火を放って自害したと書かれている。
現地見学会は16日午前10時〜午後3時。
和田萃(あつむ)京都教育大教授(古代史)の話
「大化の改新は強大な権力を持っていた蘇我氏が滅び、天皇家が律令体制を固める契機となった古代国家最大の政争。
その舞台の一つが発見されたのは、歴史の解明に結びつく非常に重要な成果だ」
4・5世紀,地方の豪族を制圧し大和王権(大和朝廷)が全国を統一。
6世紀の中頃に日本に仏教が伝わる。
この時,都は奈良県の飛鳥。
聖徳太子は蘇我氏とともに仏教を広め,大王(天皇)を中心とした国家建設を目指す。
この理想は7世紀に継承され,大化の改新や壬申の乱を経て律令国家の完成へとつながっていく。
百済の聖明王から仏像がおくられたが、天皇は,これをまつるべきかどうか迷って大臣の蘇我氏に預ける。
蘇我氏はさっそく家に持ち帰り,別邸を寺に造りかえる。
やがて,国内に疫病がはやり始め,蘇我氏と対立していた大連の物部氏は
「仏などまつったから古来の神々が怒ったのだ」と言って寺を焼き払い,仏像を池に投げ捨ててしまう。」
74年,一人の聡明な子が誕生。
馬小屋の前で生まれたと伝えられる廐戸皇子,後の聖徳太子。
蘇我氏の血を引く廐戸皇子は,蘇我氏と物部氏との対立の渦に巻き込まれる。
587年,蘇我氏と物部氏は総力を挙げて戦う。
はじめ戦上手な物部軍に押されていた蘇我氏と廐戸皇子連合軍でしたが,廐戸皇子が四天王に祈り,そのご加護もあって勝利します。これで実質的な権力を握った蘇我氏は,推古天皇をたて,その摂政を聖徳太子とする。
聖徳太子は603年に冠位十二階を,翌年憲法十七条を出して国の政治を整えていく。また,外国とも積極的に交流し遣隋使を派遣して大陸の文化を取り入れる。
22年,聖徳太子が亡くなると,蘇我氏は大王と同等かそれ以上の力を持つようになる。
蘇我氏は大陸や朝鮮半島からの渡来人たちと深くつながり,新しい知識や技術をいち早く取り入れ,革新的な考えで政治を進める。
乙巳の変・大化の改新
国の政治の先行きを心配した中臣鎌足は中大兄皇子に蘇我氏打倒の策を相談。
645年6月12日,雨の飛鳥板蓋宮では皇極天皇が朝鮮からの使者と会談その席に蘇我入鹿も同席。
中臣鎌足や中大兄皇子は一気に蘇我入鹿を惨殺。
「わたしにどんな罪があるというのだ。」と叫んで入鹿は息絶えたと言う。
中大兄皇子は皇極天皇に「入鹿は大王一族を滅ぼそうと企てていた。」と説明し,すぐさま甘樫丘の蘇我氏邸を包囲,入鹿の父蝦夷は館に火を放ち自害したため,ここに蘇我氏は滅ぶ。
大化の改新は飛鳥時代に発布された改新之詔(みことのり)に基づく政治的改革。
天皇の宮を飛鳥から難波宮 (大阪) に移し、蘇我氏など飛鳥の豪族を中心とした政治から天皇中心の政治への転換点となった。
大化改新は NHK、で05年放送された。
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有馬さまのお陰
2005年11月12日酔っ払いジャ〜あるまいし、わざわざファツクスまで寄越しておいて、なんたる壮大なる期待とムダ。
純なるものは生きてはいけない社会のようである。
さも融資をするかのごときで、日にちを賭け審査ごと装い要約パスしたのに金融詐欺機関であったとはどうにも恐れ入る。
許可番号や電話がまったく違う詐欺集団。
都消費者担当官とお話し、ネット検索で判明、確定した。
それはいいとして、後ろ向きの仕事では事態はすすまない。
大忙しで宮崎に帰るも後、こちからの太助舟はまったく無しの足引っ張りのみ。
これじゃ〜ドロ舟で沈むわイナ〜。
全て後ろ向きの後処理の仕事。
パイを広げる作業に誰もなんら参画してなく、それを待ってるのが大きく増えてるんジャ〜
行き着くところは、決まっている。
ムチを体に入れ又来た道を取って返す。宮崎より都城へ。
仲立ちさんとかのお宅に伺う
オーナーの名は有馬、島原の領主と同じではないか。
この島原の地は、鎌倉幕府から肥前国高来郡有馬庄地頭に任じられた藤原氏を祖とする有馬氏が領していた。
室町期になると隣接する松浦氏、波多氏、草野氏、志佐氏・田比良(田平)氏らと戦い、その領地を拡大していく。
その後、竜造寺氏の勃興とともに一時衰退するも、島津氏の九州制覇の動きに同調して竜造寺勢を自領から追い落とすことに成功した有馬晴信が領地を旧に戻す。
一方、鹿児島に上陸したイエズス会の宣教師ザビエルらの布教活動で、九州は急速に宗徒を増やし戦国大名の中にも浸透し、多くのキリシタン大名が誕生した。
有馬晴信も天正8年に受洗しキリシタン大名となっている。
豊後の大友宗麟、同じ肥前国藤津郡、彼杵郡を領していた大村純忠らとともに天正遣欧少年使節団をローマに送ったことは歴史に名高い。
島津側について竜造寺隆信を自刃に追い込み旧領を回復した晴信は、秀吉が島津征伐の軍を九州に向けると秀吉に服しその領地は安堵され、関ヶ原の戦いでは東軍に与し生き延びた。しかし、その晴信も「岡本大八事件」で長崎奉行暗殺の計画が暴露され徳川幕府により領地を没収され甲斐に配流された。島原の地は改めて晴信の子直純に与えられる。「大八事件」で天領および有馬領にキリシタン禁止令が出されると、直純は徹底的に領内のキリシタン弾圧にあたった。その後(1614年)加増され日向延岡5万3千石に移封される
有馬晴純(1483〜1566)は有馬家全盛の時の当主。
2男純忠を大村氏、3男直員を千々石氏、4男盛を松浦氏、5男諸経を志岐氏と、近隣の有力者に入嗣させた。
島津と手を組み竜造寺を征服し絶頂を極めた。
好事魔多し。波乱万丈の人生はこれから。
1609年、ポルトガル船を長崎で焼き討ちにし、その恩賞を得る際、本多正純の家臣岡本大八の詐欺にあい、この件の調査中に長崎奉行暗殺計画が露見し、領地没収、
甲斐都留に配流され、その後自刃した
1582年には大友宗麟や大村純忠とともに、天正遣欧使節を派遣
かのキリスタン大名・有馬晴純の一生なのである。
有馬直純(1586〜1641)は晴信長男。2代目藩主。
徳川家康に近従していたため、特別に父の旧領地を下賜され、
1614年、1.3万石加増され、わが日向延岡5.3万石に移封。
その後この系統は、1688年、4代藩主清純のとき、領内不行届により、いったん領地を没収されるが、同年越後糸魚川5万石を与えられ
、1695年、越前丸岡5万石に移封明治期を迎える。
波乱万丈はよく似ている。
兵糧攻めの極めつけは、携帯止め攻勢。
これで動きが取れない。
幾多の複合難関を突破しての難行である。
酔っ払いの元の西都生まれゆえ、やも得ぬのか。
日本清酒の発祥の地は 宮崎県・西都市の酒元地区との説がいわれている。。
神武以前4代の記紀からのお話ゆえ故事来歴の最高たるもの。。
ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの間に子供が3人なされたが、母乳が足りなかったので、母乳を補うために甘酒を作って飲ませた。それが残って発酵し、日本清酒になったと言う。
日本書紀に記されており、西都の都萬神社にも、境内の石碑などにそのような記録が書かれている。
日本清酒発祥の地としては、島根県平田市、奈良県大和郡山市が著明。
コノハナサクヤヒメの伝承からルーツを日向のここに求めるのも致し方ないこと。
酒元という地名も残滓としてある。
聖教新聞12日目、強固なる組織には実に肖りたい。
人数は増えるが私の仕事が増えるのみで資金的手立ては何にもない。
これでは酩酊運転で、免許取り消しは確実。
マナー違反が判明しているがその処置如何では波乱万丈のチリモミリョウの世界になろう。
藁をもつかむ状況では目先で解決してしまう。
有馬さまは30日まで日延べで収めていただきあり難い・
どうにか現状整理が済んだのみで問題の資金の件はなんら解消していない。あすは地獄の状態。
パワーをいただける便りを頂いた。
早速江戸からの早飛脚での歌舞伎舞台のお知らせ。
日向の霊験あらたかなる目の神様「生目神社のご祭神・景清」
「俊寛」と確かに似通ってる部分もありがちで楽しき舞台であったんであろうな〜。
景清は[誇り高く、里人からは慕われていたようですね。]
とありますが、日向にいる盲目の父を訪ね来る場面のその舞台が宮崎にあるわけです。
景清廟とともに何らかの文化遺産として計られないものか。
[日向嶋景清]ねぇ〜〜意味深である。
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さも融資をするかのごときで、日にちを賭け審査ごと装い要約パスしたのに金融詐欺機関であったとはどうにも恐れ入る。
許可番号や電話がまったく違う詐欺集団。
都消費者担当官とお話し、ネット検索で判明、確定した。
それはいいとして、後ろ向きの仕事では事態はすすまない。
大忙しで宮崎に帰るも後、こちからの太助舟はまったく無しの足引っ張りのみ。
これじゃ〜ドロ舟で沈むわイナ〜。
全て後ろ向きの後処理の仕事。
パイを広げる作業に誰もなんら参画してなく、それを待ってるのが大きく増えてるんジャ〜
行き着くところは、決まっている。
ムチを体に入れ又来た道を取って返す。宮崎より都城へ。
仲立ちさんとかのお宅に伺う
オーナーの名は有馬、島原の領主と同じではないか。
この島原の地は、鎌倉幕府から肥前国高来郡有馬庄地頭に任じられた藤原氏を祖とする有馬氏が領していた。
室町期になると隣接する松浦氏、波多氏、草野氏、志佐氏・田比良(田平)氏らと戦い、その領地を拡大していく。
その後、竜造寺氏の勃興とともに一時衰退するも、島津氏の九州制覇の動きに同調して竜造寺勢を自領から追い落とすことに成功した有馬晴信が領地を旧に戻す。
一方、鹿児島に上陸したイエズス会の宣教師ザビエルらの布教活動で、九州は急速に宗徒を増やし戦国大名の中にも浸透し、多くのキリシタン大名が誕生した。
有馬晴信も天正8年に受洗しキリシタン大名となっている。
豊後の大友宗麟、同じ肥前国藤津郡、彼杵郡を領していた大村純忠らとともに天正遣欧少年使節団をローマに送ったことは歴史に名高い。
島津側について竜造寺隆信を自刃に追い込み旧領を回復した晴信は、秀吉が島津征伐の軍を九州に向けると秀吉に服しその領地は安堵され、関ヶ原の戦いでは東軍に与し生き延びた。しかし、その晴信も「岡本大八事件」で長崎奉行暗殺の計画が暴露され徳川幕府により領地を没収され甲斐に配流された。島原の地は改めて晴信の子直純に与えられる。「大八事件」で天領および有馬領にキリシタン禁止令が出されると、直純は徹底的に領内のキリシタン弾圧にあたった。その後(1614年)加増され日向延岡5万3千石に移封される
有馬晴純(1483〜1566)は有馬家全盛の時の当主。
2男純忠を大村氏、3男直員を千々石氏、4男盛を松浦氏、5男諸経を志岐氏と、近隣の有力者に入嗣させた。
島津と手を組み竜造寺を征服し絶頂を極めた。
好事魔多し。波乱万丈の人生はこれから。
1609年、ポルトガル船を長崎で焼き討ちにし、その恩賞を得る際、本多正純の家臣岡本大八の詐欺にあい、この件の調査中に長崎奉行暗殺計画が露見し、領地没収、
甲斐都留に配流され、その後自刃した
1582年には大友宗麟や大村純忠とともに、天正遣欧使節を派遣
かのキリスタン大名・有馬晴純の一生なのである。
有馬直純(1586〜1641)は晴信長男。2代目藩主。
徳川家康に近従していたため、特別に父の旧領地を下賜され、
1614年、1.3万石加増され、わが日向延岡5.3万石に移封。
その後この系統は、1688年、4代藩主清純のとき、領内不行届により、いったん領地を没収されるが、同年越後糸魚川5万石を与えられ
、1695年、越前丸岡5万石に移封明治期を迎える。
波乱万丈はよく似ている。
兵糧攻めの極めつけは、携帯止め攻勢。
これで動きが取れない。
幾多の複合難関を突破しての難行である。
酔っ払いの元の西都生まれゆえ、やも得ぬのか。
日本清酒の発祥の地は 宮崎県・西都市の酒元地区との説がいわれている。。
神武以前4代の記紀からのお話ゆえ故事来歴の最高たるもの。。
ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの間に子供が3人なされたが、母乳が足りなかったので、母乳を補うために甘酒を作って飲ませた。それが残って発酵し、日本清酒になったと言う。
日本書紀に記されており、西都の都萬神社にも、境内の石碑などにそのような記録が書かれている。
日本清酒発祥の地としては、島根県平田市、奈良県大和郡山市が著明。
コノハナサクヤヒメの伝承からルーツを日向のここに求めるのも致し方ないこと。
酒元という地名も残滓としてある。
聖教新聞12日目、強固なる組織には実に肖りたい。
人数は増えるが私の仕事が増えるのみで資金的手立ては何にもない。
これでは酩酊運転で、免許取り消しは確実。
マナー違反が判明しているがその処置如何では波乱万丈のチリモミリョウの世界になろう。
藁をもつかむ状況では目先で解決してしまう。
有馬さまは30日まで日延べで収めていただきあり難い・
どうにか現状整理が済んだのみで問題の資金の件はなんら解消していない。あすは地獄の状態。
パワーをいただける便りを頂いた。
早速江戸からの早飛脚での歌舞伎舞台のお知らせ。
日向の霊験あらたかなる目の神様「生目神社のご祭神・景清」
「俊寛」と確かに似通ってる部分もありがちで楽しき舞台であったんであろうな〜。
景清は[誇り高く、里人からは慕われていたようですね。]
とありますが、日向にいる盲目の父を訪ね来る場面のその舞台が宮崎にあるわけです。
景清廟とともに何らかの文化遺産として計られないものか。
[日向嶋景清]ねぇ〜〜意味深である。
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島原復活
2005年11月11日企業活動をするに当たっては世界を見据えてのこととなる。
グローバル化が世界をお覆いつくしてしまってる感が否めない。
太陽光発電のパネルさえ世界需要の関係で入荷が大変である。
ここにもご多分の事例が惹起している。
今朝5じに長崎に向かって出発したが地域経済もその波に飲まれてる。
宮崎内に見られる地域の拠点の町の中心部に人影がまばら。
小林のアーケード街のシャッターの閉まってることの多さ。
モーターリゼンション化で郊外大型店化で移転もあるが概ね総人口の減少化のせいであろう。
長崎も同じ状況である。どこでも同じ状況で悩み解決策を模索していよう。
解決策はどこにあるのか。
大事なのは、おらが国さの意識の矜持であろう。
地域で取れたものは地域で消費する地産地消なる思考であろう。
特に送り届ける際の負荷のかかるエネルギーはこの地域エネルギー管理が一番手っ取り早い。
地域経済の枠組み作りの最高が解決策になるやも知れない。
市町村の合併が進んでるのがその前段の役を果たしてるならいい。
役場や市町村のリーダーにその思考があるや無しやは疑わしい。
その枠組みを考えるのがリーダーの資質である。
その地域のワク内は群雄割拠した戦国時代の藩政ぐらいでもいいのかもしれない。
中世の九州は京の都には遠いゆえ天下盗りには無縁であった
九州に覇を唱える戦いの断片のある時期に、
大友宗麟、伊東、島津、竜造寺,有馬=島原が割拠してた時期があった。
何代か遡る作業の中で必ず行き着く
11月11日の日は早起きでサッカーの日をお祝いされた方もおられたようでもある。
長崎・島原では本家復活の記念碑序幕式であった。
島原市の名の由来は旧島原城=浜の城跡=中央公園にある。
その公園に記念碑が立った。
島原氏は中世島原半島の有馬を拠点に覇を立てた有馬氏の一族である。
島原純茂、純豊父子はその祖である。佐賀の竜造寺に与したゆえ1584年沖田の戦いで故郷を追われた。
島原の名前は残ったが松倉、高力、松平の居城となり島原城=森岳城となり、島原氏の記憶は一切きえた。
420年の歳月が流れての今日なのである。
神奈川県在住の純豊の末裔、島原弘之
先祖の供養にこの日を迎えたのである。その胸中いかほどばかりか計り知れない。
島原フェリー・ターミナルはそぼ降る小雨。
神は全てお見通しなのか。
歴史は文化そのごの経済さえ形づくる。
有明町と島原は来年1月合併し新島原市となる。
天草四郎の悲劇の原城はここにも登城しない。
松倉藩政の時代であったと記憶する。
島原フェリー・ターミナルより僅かに数キロ南だが、いまだ見てない。
為政者は町並みを城移築とともに街の中心さえ変えた。
農民一揆では様にならぬゆえキリスタン一揆と置き換えた歴史の捏造であろう。
私がここに無理やり泊されるのなんかの因縁めいている。
最終フェリーをやり過しこの日も宿泊。
ナントなれば太陽光発電の仕事がうまくいき、小長井町のご紹介者にご挨拶に入ったスケジュールがオーバー時間となった故である。
仕事がうまくいき、終わりはどうでも由と開き直り宿泊である。
太陽光発電を補完するバックアップ・バッテリー機器の納入をも決めていただいた。
全てを良しとせねばならない。
精神を込めた島原復活が果たされた日。
市民は殆んど知らないのであろう。
シマバラの雨は涙雨なのかもしれない。
これではシマバラの起爆剤にはならない。
民主主義時代は舵取りが難しい。
地産地消の思考はなにもそこで取れるものをそこで食べようでは
地域パワーにはならない。
地域エネルギーさえ見据えた地域の復活、中心地の再建なのである。
太陽光発電エネルギーがその根底となろう。
エネルギー問題は人を地域を変ええるパワーを持つ。
ドイツで実証された環境立国にお手本がある。
ことは危険なる地球環境ゆえ急がねばならぬ
危急存亡のときを地球存亡のときと読み替えてもいい。
ネット環境さえない島原で足止め。
普賢さまの呼びかけの言霊に答えなかったからであろう。
精神的島原復活の今日という日にここにいる不可思議さ
奇妙なる縁を感じている。
何かゾクゾクとしてくる。
いい機会を得たのやも知れない。
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グローバル化が世界をお覆いつくしてしまってる感が否めない。
太陽光発電のパネルさえ世界需要の関係で入荷が大変である。
ここにもご多分の事例が惹起している。
今朝5じに長崎に向かって出発したが地域経済もその波に飲まれてる。
宮崎内に見られる地域の拠点の町の中心部に人影がまばら。
小林のアーケード街のシャッターの閉まってることの多さ。
モーターリゼンション化で郊外大型店化で移転もあるが概ね総人口の減少化のせいであろう。
長崎も同じ状況である。どこでも同じ状況で悩み解決策を模索していよう。
解決策はどこにあるのか。
大事なのは、おらが国さの意識の矜持であろう。
地域で取れたものは地域で消費する地産地消なる思考であろう。
特に送り届ける際の負荷のかかるエネルギーはこの地域エネルギー管理が一番手っ取り早い。
地域経済の枠組み作りの最高が解決策になるやも知れない。
市町村の合併が進んでるのがその前段の役を果たしてるならいい。
役場や市町村のリーダーにその思考があるや無しやは疑わしい。
その枠組みを考えるのがリーダーの資質である。
その地域のワク内は群雄割拠した戦国時代の藩政ぐらいでもいいのかもしれない。
中世の九州は京の都には遠いゆえ天下盗りには無縁であった
九州に覇を唱える戦いの断片のある時期に、
大友宗麟、伊東、島津、竜造寺,有馬=島原が割拠してた時期があった。
何代か遡る作業の中で必ず行き着く
11月11日の日は早起きでサッカーの日をお祝いされた方もおられたようでもある。
長崎・島原では本家復活の記念碑序幕式であった。
島原市の名の由来は旧島原城=浜の城跡=中央公園にある。
その公園に記念碑が立った。
島原氏は中世島原半島の有馬を拠点に覇を立てた有馬氏の一族である。
島原純茂、純豊父子はその祖である。佐賀の竜造寺に与したゆえ1584年沖田の戦いで故郷を追われた。
島原の名前は残ったが松倉、高力、松平の居城となり島原城=森岳城となり、島原氏の記憶は一切きえた。
420年の歳月が流れての今日なのである。
神奈川県在住の純豊の末裔、島原弘之
先祖の供養にこの日を迎えたのである。その胸中いかほどばかりか計り知れない。
島原フェリー・ターミナルはそぼ降る小雨。
神は全てお見通しなのか。
歴史は文化そのごの経済さえ形づくる。
有明町と島原は来年1月合併し新島原市となる。
天草四郎の悲劇の原城はここにも登城しない。
松倉藩政の時代であったと記憶する。
島原フェリー・ターミナルより僅かに数キロ南だが、いまだ見てない。
為政者は町並みを城移築とともに街の中心さえ変えた。
農民一揆では様にならぬゆえキリスタン一揆と置き換えた歴史の捏造であろう。
私がここに無理やり泊されるのなんかの因縁めいている。
最終フェリーをやり過しこの日も宿泊。
ナントなれば太陽光発電の仕事がうまくいき、小長井町のご紹介者にご挨拶に入ったスケジュールがオーバー時間となった故である。
仕事がうまくいき、終わりはどうでも由と開き直り宿泊である。
太陽光発電を補完するバックアップ・バッテリー機器の納入をも決めていただいた。
全てを良しとせねばならない。
精神を込めた島原復活が果たされた日。
市民は殆んど知らないのであろう。
シマバラの雨は涙雨なのかもしれない。
これではシマバラの起爆剤にはならない。
民主主義時代は舵取りが難しい。
地産地消の思考はなにもそこで取れるものをそこで食べようでは
地域パワーにはならない。
地域エネルギーさえ見据えた地域の復活、中心地の再建なのである。
太陽光発電エネルギーがその根底となろう。
エネルギー問題は人を地域を変ええるパワーを持つ。
ドイツで実証された環境立国にお手本がある。
ことは危険なる地球環境ゆえ急がねばならぬ
危急存亡のときを地球存亡のときと読み替えてもいい。
ネット環境さえない島原で足止め。
普賢さまの呼びかけの言霊に答えなかったからであろう。
精神的島原復活の今日という日にここにいる不可思議さ
奇妙なる縁を感じている。
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