宮崎で一、二の都市の宮崎・延岡と首長選挙戦が終わり明日が投票日。
いずれの候補者もサンシュは小粒でピリリとは行かない。
城下町は資本の集積地でもあり、その日南・高鍋に逸材を輩出してはいるがその地でないゆえであろうか。
高鍋で学者ぶるな!はこの地に20年生活した私の半生の経験則でもある。
先哲たちも綺羅星の如し。
ケネディーにして世に知らしめた上杉鷹山をはじめ明治天皇の侍従長を務めた秋月種樹
最後の海軍司令官小沢を生み、ロシア皇太子襲撃の大津事件の最高裁長官三好退蔵、孤児の父石井十次
あげつらうには紙面が尽きない。
四哲之碑は城下町の上級武士が住んでいた高鍋町筏(いかだ)小路にある。
図書館のところの古風な門構えの鈴木馬左也の旧邸宅跡である。
2男黒水長平(1852〜1915)は地方の産業育成、とくに養蚕業の育成に生涯をささげ、児湯郡地方養蚕業の礎を築いた。また石井十次の活動のよき理解者でもあった。
3男・秋月左都夫はオーストリア特命大使、教育界、読売新聞社長、京城日報社長を歴任した。その間、第一次世界大戦後のパリ講和会議では全権顧問をつとめ、太平洋戦争末期には、吉田茂らと早期の講和を図ったが、1945(昭和20)年6月戦争の行方を見ずに没した。
文久元年(1861)2月24日、鈴木馬左也は高鍋藩家老の父秋月種節(たねよ)と久子の四男として、生を受けた。
明治元年(1868)、激動の明治維新は、当時八歳の馬左也にとっても大変な時期であった。
同年2月5日長兄弦太郎は、獄中の感染によってわずか二五歳で病死した。前年、高鍋藩江戸藩邸にかくまった薩摩藩士を救出に赴く途中、幕府に囚われたのが原因であった。
6月9日には実母久子が四五歳で急逝、8月26日には母方の大叔父鈴木翔房(たかふさ)が七五歳で没し、その養子衞房(もりふさ)も戊申の役に加わり、27歳で戦死した。
翌2年4月2日、馬左也は鈴木家再興のため、戦死した衞房の養子となり同家を継いだのである。
その父も明治10年6月23日、西南戦争の西郷軍に幽閉され、獄中の病によって六四歳で病没した。
種節は、旧高鍋藩士の西郷軍への参戦に対し、逆賊になると反戦論を唱えたためであった。
かくして幼少の馬左也は、大義のために死んでいった父兄親族を目の当たりにしたのである
馬左也は9歳で養子となり、13歳まで明倫堂に学んだ。
馬左也は東大を卒業して、内務省、農商務省参事官を務めた。
1896(明治29)年、住友家に招かれ、住友本店の副支配人、別子鉱業所の支配人となり、おりしも社会問題化していた同銅山の煙害問題では、製錬所を四阪島に移し、その近代化をはかった。1904(同37)年、第3代住友総理事となり、住友の経営を銅山を軸にして鉱業、金属工業、林業、化学工業、機械、電力、銀行、倉庫などの総合的な経営組織としてつくりあげた
。1921(大正10)年には総本店を住友合資会社にして、全事業を統括し、わが国の代表的な財閥の1つに成長させた。
ホリエモン、や宮崎の明日投票の首長選挙立候補者の志のなささには呆れるばっかりだ。
とくに本県との関係では、初代総理の広瀬宰平が着目した本県の資源開発、椎葉と富高(現日向市)を結ぶ耳川筋の林業と電源開発を重視し、以後同社がこの地域の開発に深くかかわることになった。
後年のことではあるが諸塚−椎葉間の100万円道路はその具体的なあかしである。
また東北大学鉄鋼研究所、大阪府立図書館の創設などにも貢献している。
1922(同11)年病気のため辞任し、同年兵庫県御影で没した。62歳であった。高鍋町竜雲寺墓地に葬られた。
永井 哲雄はこのように紹介している。
深夜 、師匠からのメール
農村が崩壊しつつある。
産業資本に良い所取りされてしまった地域社会 が壊れちゃうんだ。ただね。この国の農地の生産力で支えられるのは6000万人が限界だろうな。
良いではないか。もう田舎は都市のために生きることなど考えるべきではない。
自給力さえ保てればいいだろう。それすら出来ないことが怖い。
自給できる以上に作れば自分勝手な都市に買い叩かれるだけだのだから ・・・。とつづく長いもの。
感ずるところ資本の蓄積は多くの人材を輩出した紛れもない事実はある。
「住友回想記」は川田順の著書。
川田は戦前の住友本社で常務理事まで務めた経済人であり、佐佐木信綱に師事した著名な歌人だった。
いかにも軟らかな筆で財閥本社の雰囲気を描く。
住友本社は関西屈指の人材集団だった。
俳人山口誓子が人事部の大部屋で仕事する光景がある。
「定家忌や勤め休まず川田順」(誓子)が誇らしげに紹介される。
川田は住友退社後、短歌の弟子である京大教授夫人、俊子とめぐり合う。27歳の年齢差のふたりを描く「虹の岬」(辻井喬)は清冽な恋の物語だ。
回想記の解説は川田の部下で短歌の弟子でもあった日向方斉が筆をとった。
住友金属会長になり関経連会長を務めた日向もまた、少しだが小説に登場する。
「官僚たちの夏」(城山三郎)で通産省の行政指導に抵抗するS金属社長の「日暮」がそれだ。
40年前の実話だが、いまならもっと共感を集めていたろう。
日向と同じ1931年に住友に入社した源氏鶏太はサラリーマン小説を量産し東京の兄の影響を受け文庫本で殆んど読んだ。
死語になった感のある「重役」がしばしば現れる源氏の作品は「英語屋さん」はじめ社内に取材した話も多い。
時流れ、ホリエモンに代表されるヒルズ族の盛衰が関心を呼ぶ。
しかしかっての財閥の持つ人材的余裕は現代の拝金思想にまみれた新興財閥集団にはない。
いわんや政治家においてもや。
昨日は串間に走り、今日は都城。
工事部隊は535枚パネルの電気工事の仕上げに奮闘中。
もちろん明日の日曜日も返上である。
地球環境を守りぬく気概には休日はない。
地球環境を守るためわずかな時間を割いて深夜書いてまして
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城下町は資本の集積地でもあり、その日南・高鍋に逸材を輩出してはいるがその地でないゆえであろうか。
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四哲之碑は城下町の上級武士が住んでいた高鍋町筏(いかだ)小路にある。
図書館のところの古風な門構えの鈴木馬左也の旧邸宅跡である。
2男黒水長平(1852〜1915)は地方の産業育成、とくに養蚕業の育成に生涯をささげ、児湯郡地方養蚕業の礎を築いた。また石井十次の活動のよき理解者でもあった。
3男・秋月左都夫はオーストリア特命大使、教育界、読売新聞社長、京城日報社長を歴任した。その間、第一次世界大戦後のパリ講和会議では全権顧問をつとめ、太平洋戦争末期には、吉田茂らと早期の講和を図ったが、1945(昭和20)年6月戦争の行方を見ずに没した。
文久元年(1861)2月24日、鈴木馬左也は高鍋藩家老の父秋月種節(たねよ)と久子の四男として、生を受けた。
明治元年(1868)、激動の明治維新は、当時八歳の馬左也にとっても大変な時期であった。
同年2月5日長兄弦太郎は、獄中の感染によってわずか二五歳で病死した。前年、高鍋藩江戸藩邸にかくまった薩摩藩士を救出に赴く途中、幕府に囚われたのが原因であった。
6月9日には実母久子が四五歳で急逝、8月26日には母方の大叔父鈴木翔房(たかふさ)が七五歳で没し、その養子衞房(もりふさ)も戊申の役に加わり、27歳で戦死した。
翌2年4月2日、馬左也は鈴木家再興のため、戦死した衞房の養子となり同家を継いだのである。
その父も明治10年6月23日、西南戦争の西郷軍に幽閉され、獄中の病によって六四歳で病没した。
種節は、旧高鍋藩士の西郷軍への参戦に対し、逆賊になると反戦論を唱えたためであった。
かくして幼少の馬左也は、大義のために死んでいった父兄親族を目の当たりにしたのである
馬左也は9歳で養子となり、13歳まで明倫堂に学んだ。
馬左也は東大を卒業して、内務省、農商務省参事官を務めた。
1896(明治29)年、住友家に招かれ、住友本店の副支配人、別子鉱業所の支配人となり、おりしも社会問題化していた同銅山の煙害問題では、製錬所を四阪島に移し、その近代化をはかった。1904(同37)年、第3代住友総理事となり、住友の経営を銅山を軸にして鉱業、金属工業、林業、化学工業、機械、電力、銀行、倉庫などの総合的な経営組織としてつくりあげた
。1921(大正10)年には総本店を住友合資会社にして、全事業を統括し、わが国の代表的な財閥の1つに成長させた。
ホリエモン、や宮崎の明日投票の首長選挙立候補者の志のなささには呆れるばっかりだ。
とくに本県との関係では、初代総理の広瀬宰平が着目した本県の資源開発、椎葉と富高(現日向市)を結ぶ耳川筋の林業と電源開発を重視し、以後同社がこの地域の開発に深くかかわることになった。
後年のことではあるが諸塚−椎葉間の100万円道路はその具体的なあかしである。
また東北大学鉄鋼研究所、大阪府立図書館の創設などにも貢献している。
1922(同11)年病気のため辞任し、同年兵庫県御影で没した。62歳であった。高鍋町竜雲寺墓地に葬られた。
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40年前の実話だが、いまならもっと共感を集めていたろう。
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地球環境を守る。
2006年1月27日小泉改革はついに聖域たる皇族にまで手をつけ皇室典範の今国会改正には執念を燃やしているという。
培われてきた世界唯一の大和民族の歴史に深い論議もなく国のあるべき姿の根本にかかわる課題をなぜ、それほど急ぐのか。
佐藤栄作、吉田茂に継ぐ長期政権もたそがれ時を過ぎたさいごの国会である。
やるべきは改革のレールを引き継ぐこと、それだけでいい。
皇室行事の新嘗祭などに参加してその神秘性触れても電気が暗いので明るくしたらとかの開かれた皇室論を唱える改革の旗手の底浅い民族性は小泉の持つ底浅さとして知る人ぞ知る話。
市場原理主義の経済運営はホリエモンに象徴されるこの経済制度の持つ宿阿が顕著化して極端なる拝金思想を早めた。
夕暮れどきには夕暮れどきの仕事がある。
どうであろう。息の長いエネルギー問題の端緒をつけて幕を引いたら如何なものか。
太陽光発電の新技術や風力発電の培われてきたシゼンエネルギーの新基軸を打ち出すことである。
歴史を紐解けば、製粉や揚水などの実用のために風車を作る話が出てくるのは7世紀のイランのことで、水力の利用に比べればそう古い時代ではない。
後にオランダの低地の排水に盛んに風車を使うようになるヨーロッパ。、
初めて風車の記録が現れるのは12世紀
季節によって風の定まらぬ日本で、風車を動力にする奇想”が力を得なかったのも当然だろう。
だが21世紀も迎えて6年目、地図の上に「風車」の記号が新たに登場する。
高齢化社会を迎えて激増する「老人ホーム」のマークと同時デビューである
新記号は国土地理院が全国の小中学生から募集した約12万点の中から選ばれたデザイン。
3枚羽根の風車のデザインは心もち左右を非対称にしたことで回転しているさまを表したようだ
記号が発表されたその日、横浜では三菱重工で完成した回転径92メートル、高さ116メートルの国内最大の風車発電設備の試験運用が始まった。
地図記号が登場するのもそのはず、昨年3月ですでに全国の発電用風車は924基、発電能力は約93万キロワットで、今年は120万キロワット以上になるという
クリーンエネルギーの決め手とされる風力発電だが、生態系や景観
との調和などを懸念する声もある。
この問題の解決策は地域環境の日本一の兵庫県豊岡市で学べばよい。
昭和46年自然の野生のコウノトリが日本で最後に姿を消したことからが出発点。
平成14年8月、豊岡盆地に実に31年ぶりに1羽の野生のコウノトリが飛来した。この鳥は平成12年頃から安住の地を探すかのように日本各地を移動しこの地に飛来してきたもの。
それが昨年2005年9月24日に、豊岡市で5羽の飼育コウノトリを放鳥、そのうちの1羽が、2006年1月20日から遠距離を移動し始めた。
美しき日本の風景の復活である。
国の特別天然記念物に指定されているコウノトリは両翼を広げると2mにもなる大形・白色の鳥で、絶滅が危惧されている世界的にも希少鳥。
近縁種にはヨーロッパで85万羽以上が分布していると推測されているシュバシコウがいる。
コノトリとの共生をシンボルに、棲める環境が、私たち人間にとっても安全で安心な豊かな環境であるとの認識のもと、失われた自然や環境を見つめ直し、環境創造型農業の推進や水田、河川の自然再生、里山の整備等の取り組みが進められているからだ。
平成13年、コウノトリの郷公園前の転作田がビオトープ化され、トンボやカエル、ドジョウ、水生昆虫など、豊かな生物の棲息空間が確保された。以降、サギやカルガモなどの水鳥がすみだし、コウノトリの餌場としての可能性が高まってきた。
この取り組みは平成15年度に「コウノトリと共生する水田づくり事業」として引き継がれ、地元農家の協力で、転作田ビオトープとして、地域の人たちの環境学習の場としても活用されている。
そのほか、円山川水系の自然再生整備や営巣木となるマツ林の育成なども行われ、野生復帰のための環境づくりは地域をあげての取り組みとなっている
是には皇族の支援も現地視察等でおこなわれている。
今年の歌会始の笑みで読まれた歌。
秋篠宮さま
人々が笑みを湛へて見送りしこふのとり今空に羽ばたく
同妃紀子さま
飛びたちて大空にまふこふのとり仰ぎてをれば笑み栄えくる。
コウノトリの野生復帰を進めていく上で、農地は重要なステージとなる。
農業従事者たちは「鳥と農業との共存」をテーマに新しい可能性を探ってきた。
結果、農産物の安全・安心ブランド化が推進され、有機栽培や減農薬栽培が地域に広がってきているそうだ。
現在、農産物の低農薬ブランド「コウノトリの舞」は地元スーパーの店頭に並び、買い物客らの興味をひいているという。
今後の展開に期待が膨らむ。
清浄な土地にしか住めないというコウノトリ。
清浄な土地をつくる農業は人間にとっても安全な環境の基本。
古くて新しい農業の推進である。
私の言う日本一の地域全体の環境問題を取り組んでいる豊岡市
は古来からのこの地域の人々の知恵であったようだ。
今日のニュースで兵庫県豊岡市のことが報じられている。
250年以上前の江戸時代中期に作られたとみられる「押し花」や「押し葉」の植物標本約70点が、見つかった。
現存する押し花としては、国立国会図書館が所蔵する1800年前後のものをさかのぼって国内最古とみられ、「花をめでる日本の文化史を考える上で、貴重な資料となる」と専門家。
出所は豊岡市が保管する旧豊岡藩主・京極家の古文書
標本は昨年10月、市史料整理室の研究者が、市内の寺で、
旧豊岡藩主・京極家の古文書からを分類中に発見。
保存状態は極めていいという。
誰の手になるものか。
5代目藩主・高永の正室で、歌人として知られる梅寿院(1718〜97年)が詠んだ和歌とともに保管されていた。
桜・梅・ツツジの花やカエデやクズの葉などその種類は豊富。
押し花を挟み込んでいた和紙に書かれた記述によると、採取場所は同家の江戸屋敷の庭が中心で、中には京都南禅寺、近江西行寺などで採取されたものもあったそうだ。
江戸時代の園芸植物を知る上で貴重な資料になることでしょう。
押し花は女性の精細さ。
流石に忠臣蔵の大石蔵之助の妻りくを生んだ地である。
地球環境を守るため
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培われてきた世界唯一の大和民族の歴史に深い論議もなく国のあるべき姿の根本にかかわる課題をなぜ、それほど急ぐのか。
佐藤栄作、吉田茂に継ぐ長期政権もたそがれ時を過ぎたさいごの国会である。
やるべきは改革のレールを引き継ぐこと、それだけでいい。
皇室行事の新嘗祭などに参加してその神秘性触れても電気が暗いので明るくしたらとかの開かれた皇室論を唱える改革の旗手の底浅い民族性は小泉の持つ底浅さとして知る人ぞ知る話。
市場原理主義の経済運営はホリエモンに象徴されるこの経済制度の持つ宿阿が顕著化して極端なる拝金思想を早めた。
夕暮れどきには夕暮れどきの仕事がある。
どうであろう。息の長いエネルギー問題の端緒をつけて幕を引いたら如何なものか。
太陽光発電の新技術や風力発電の培われてきたシゼンエネルギーの新基軸を打ち出すことである。
歴史を紐解けば、製粉や揚水などの実用のために風車を作る話が出てくるのは7世紀のイランのことで、水力の利用に比べればそう古い時代ではない。
後にオランダの低地の排水に盛んに風車を使うようになるヨーロッパ。、
初めて風車の記録が現れるのは12世紀
季節によって風の定まらぬ日本で、風車を動力にする奇想”が力を得なかったのも当然だろう。
だが21世紀も迎えて6年目、地図の上に「風車」の記号が新たに登場する。
高齢化社会を迎えて激増する「老人ホーム」のマークと同時デビューである
新記号は国土地理院が全国の小中学生から募集した約12万点の中から選ばれたデザイン。
3枚羽根の風車のデザインは心もち左右を非対称にしたことで回転しているさまを表したようだ
記号が発表されたその日、横浜では三菱重工で完成した回転径92メートル、高さ116メートルの国内最大の風車発電設備の試験運用が始まった。
地図記号が登場するのもそのはず、昨年3月ですでに全国の発電用風車は924基、発電能力は約93万キロワットで、今年は120万キロワット以上になるという
クリーンエネルギーの決め手とされる風力発電だが、生態系や景観
との調和などを懸念する声もある。
この問題の解決策は地域環境の日本一の兵庫県豊岡市で学べばよい。
昭和46年自然の野生のコウノトリが日本で最後に姿を消したことからが出発点。
平成14年8月、豊岡盆地に実に31年ぶりに1羽の野生のコウノトリが飛来した。この鳥は平成12年頃から安住の地を探すかのように日本各地を移動しこの地に飛来してきたもの。
それが昨年2005年9月24日に、豊岡市で5羽の飼育コウノトリを放鳥、そのうちの1羽が、2006年1月20日から遠距離を移動し始めた。
美しき日本の風景の復活である。
国の特別天然記念物に指定されているコウノトリは両翼を広げると2mにもなる大形・白色の鳥で、絶滅が危惧されている世界的にも希少鳥。
近縁種にはヨーロッパで85万羽以上が分布していると推測されているシュバシコウがいる。
コノトリとの共生をシンボルに、棲める環境が、私たち人間にとっても安全で安心な豊かな環境であるとの認識のもと、失われた自然や環境を見つめ直し、環境創造型農業の推進や水田、河川の自然再生、里山の整備等の取り組みが進められているからだ。
平成13年、コウノトリの郷公園前の転作田がビオトープ化され、トンボやカエル、ドジョウ、水生昆虫など、豊かな生物の棲息空間が確保された。以降、サギやカルガモなどの水鳥がすみだし、コウノトリの餌場としての可能性が高まってきた。
この取り組みは平成15年度に「コウノトリと共生する水田づくり事業」として引き継がれ、地元農家の協力で、転作田ビオトープとして、地域の人たちの環境学習の場としても活用されている。
そのほか、円山川水系の自然再生整備や営巣木となるマツ林の育成なども行われ、野生復帰のための環境づくりは地域をあげての取り組みとなっている
是には皇族の支援も現地視察等でおこなわれている。
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秋篠宮さま
人々が笑みを湛へて見送りしこふのとり今空に羽ばたく
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飛びたちて大空にまふこふのとり仰ぎてをれば笑み栄えくる。
コウノトリの野生復帰を進めていく上で、農地は重要なステージとなる。
農業従事者たちは「鳥と農業との共存」をテーマに新しい可能性を探ってきた。
結果、農産物の安全・安心ブランド化が推進され、有機栽培や減農薬栽培が地域に広がってきているそうだ。
現在、農産物の低農薬ブランド「コウノトリの舞」は地元スーパーの店頭に並び、買い物客らの興味をひいているという。
今後の展開に期待が膨らむ。
清浄な土地にしか住めないというコウノトリ。
清浄な土地をつくる農業は人間にとっても安全な環境の基本。
古くて新しい農業の推進である。
私の言う日本一の地域全体の環境問題を取り組んでいる豊岡市
は古来からのこの地域の人々の知恵であったようだ。
今日のニュースで兵庫県豊岡市のことが報じられている。
250年以上前の江戸時代中期に作られたとみられる「押し花」や「押し葉」の植物標本約70点が、見つかった。
現存する押し花としては、国立国会図書館が所蔵する1800年前後のものをさかのぼって国内最古とみられ、「花をめでる日本の文化史を考える上で、貴重な資料となる」と専門家。
出所は豊岡市が保管する旧豊岡藩主・京極家の古文書
標本は昨年10月、市史料整理室の研究者が、市内の寺で、
旧豊岡藩主・京極家の古文書からを分類中に発見。
保存状態は極めていいという。
誰の手になるものか。
5代目藩主・高永の正室で、歌人として知られる梅寿院(1718〜97年)が詠んだ和歌とともに保管されていた。
桜・梅・ツツジの花やカエデやクズの葉などその種類は豊富。
押し花を挟み込んでいた和紙に書かれた記述によると、採取場所は同家の江戸屋敷の庭が中心で、中には京都南禅寺、近江西行寺などで採取されたものもあったそうだ。
江戸時代の園芸植物を知る上で貴重な資料になることでしょう。
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崖っぷち
2006年1月26日個人に冠を被せて呼ばれるほど名誉なことはあるまい。
司馬遼太郎の各種著作を評して司馬史観と呼び思想まで純化した。
明治期のノスタルジーに浸ってるわけでもなく、先哲の国を憂える生き方をひたすら賛辞する。
その人にして京都の新聞社時代の先輩記者を称え街道をゆくの「壱岐・対馬の道」で詳しく紹介している。
対馬出身の青木幸次郎という人である。
どんな仕事でも天下の一大事のように熱中する人だったそうだ。
生涯妻帯せず、結婚し子供をもうけた同僚を「もはや救いがたい」とののしる人だったそうな。
司馬著作では、陋巷(ろうこう)に窮死すべきものだった」とこの先輩を書く。
陋巷とは狭く汚い町といった意味なんだそうな。
実際さまざまな雑誌や新聞の編集に当たったあと、一間きりのアパートで一人亡くなったそうだ。
どうにも是は見逃せない
先日満身創痍とブログに記したが、腰を痛めた。
10KW75枚のパネル工事が済んでる現場の電気工事の遅れを挽回するため
昨日の階段を利用して屋上まで資材運びに熱中したからであろう。
今朝は6時30分にはエネパック運搬を急遽頼まれて現場に向かう。
痛い腰を忘れ作業に従事。
この酷使がさらに悪化を極めた。
3F作業現場では恐怖心と身体的なる苦痛とに精一杯の時間であった。
狂信的なる太陽光発電の普及も限界のようでもある。
1500枚200KWの巨大パネル。
着工したが華々しさのかげに悩みは大きい。
基礎工事の問い合わせで作業もとまりそうである。
太陽光発電の普及はどうにも廉価設置で生活を見通すと、先行きは暗い。
新聞記事から似たようなことを抜粋する。
旧態依然とした原発推進型の「あの手、この手」のさまざまな画策
原発批判が一般化するなか、通産省・資源エネルギー庁は、その対応策のひとつとして、原発関連施設がある14道県にそれぞれ1億円を一括交付する制度の創設を決めた。
「ばらまき予算」だが、その批判をかわすために、IT(情報技術)関連の研修や町おこし事業などに活用してもらう支援制度とし、具体的な交付金の使途は、定番の方法、地方自治体などが地域住民からアイデアを公募し、有識者らが参加する審査会などで決定する、といういつものやり方をとる。
これまで原発建設やその後の増設、あるいは地元批判を抑え込むために、国は「電源開発促進対策特別会計法」などに基づき、年間に計約1700億円を原発施設がある自治体にばらまいている。
今後は、原発などに隣接する県についても助成金の名目で制度を創設する方針だ。
原発施設のある地域のインフラ整備などを図る「原子力発電施設等立地地域の振興に関する特別措置法案」が2000年12月1日の臨時国会最終日に駆け込み成立した。
電源3法による従来の交付金に加え、新たな財政的援助を可能にする法案で、原発自体の議論を棚上げしたうえでの無理やりの特別措置法成立になった。
原発立地の地元自治体には、すでに電源開発促進税法など、いわゆる電源3法に基づいて年間約1000億円の交付金が計上されているが、支給額や期間が限られていることから、地元自治体から新たな振興策を要望する声が上がっていた。
原発への「逆風」も強まったことから、「目の前にカネをぶらさげて、食いつかせて従わせる」という旧態依然の手法を持ちだし、原発関連施設の周辺地域で補助金の上乗せをして原発の増設や高速増殖炉の稼働、プルサーマル計画への移行の同意などを図るのがねらい。来年度の経費として33億円を見込んでいる。
地球温暖化対策で世界の風力発電20%の伸び
2004年の1年間に世界各地で新設された風力発電施設の発電規模は、ベルギーに本部を置く世界風力エネルギー協会(GWEC)のまとめによると、前年から20%増え、大型原発7基分に匹敵する計797万6000キロワットに上った。
原発離れや地球温暖化対策もあって、スペインとドイツでは約200万キロワットも増えた。これに対し、日本はその10分の1足らずの19万キロワット弱で、遅れが目立っている。
2004年末での総発電規模はドイツの1663万キロワットが最大で、日本は87万4000キロワットとドイツのほぼ20分の1にとどまった。
万博はエコ公園 巨大ソーラーパネル設置
「地球に優しい公園」を目指します−。大阪府吹田市の万博記念公園で、公園では日本最大級となる太陽光発電用のソーラーパネルの設置工事が進められている。三月上旬に使用が始まり、最大で毎時約二百キロワットの発電を行う。化石燃料を使わないクリーンな電力で地球環境に優しく、災害時には非常用電源としても活用できるため、環境、防災の両面からの効果が期待されている。
同公園を整備、運営する日本万国博覧会記念機構などが設置。ソーラーパネルは幅約二百七十メートル、縦約六メートルと巨大なもので、公園南側の斜面に取り付けられる。
現在公園で使用されている電力は毎時約二千九百キロワット(エキスポランドは除く)で全体の約7%の発電量をまかなえる。
ソーラーパネルは半永久的に使用でき、一年間で約六百万円の電気代の節約となる。
ソーラーパネルで得られた電力は通常、施設の機器や園内の照明などに利用されるが、大地震など緊急時には公園東端の「大阪府北部広域防災拠点」に電力の供給が可能。
また、公園に府民が避難してきた場合には、非常用の電源としても活用できる。
同機構の清水勝弘事業部長(52)は「地球に優しい公園をめざし、万一の災害時には府民の役に立つような利用法を考えたい」と話している。
(産経新聞) - 1月26日
ナンテェことはない今度着工してる規模と同じではないか。
200KW!1500枚パネル!
やるぞ!太陽光発電の普及促進!
とめるぞ!CO2による地球環境の破壊!
地球環境を守るため
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司馬遼太郎の各種著作を評して司馬史観と呼び思想まで純化した。
明治期のノスタルジーに浸ってるわけでもなく、先哲の国を憂える生き方をひたすら賛辞する。
その人にして京都の新聞社時代の先輩記者を称え街道をゆくの「壱岐・対馬の道」で詳しく紹介している。
対馬出身の青木幸次郎という人である。
どんな仕事でも天下の一大事のように熱中する人だったそうだ。
生涯妻帯せず、結婚し子供をもうけた同僚を「もはや救いがたい」とののしる人だったそうな。
司馬著作では、陋巷(ろうこう)に窮死すべきものだった」とこの先輩を書く。
陋巷とは狭く汚い町といった意味なんだそうな。
実際さまざまな雑誌や新聞の編集に当たったあと、一間きりのアパートで一人亡くなったそうだ。
どうにも是は見逃せない
先日満身創痍とブログに記したが、腰を痛めた。
10KW75枚のパネル工事が済んでる現場の電気工事の遅れを挽回するため
昨日の階段を利用して屋上まで資材運びに熱中したからであろう。
今朝は6時30分にはエネパック運搬を急遽頼まれて現場に向かう。
痛い腰を忘れ作業に従事。
この酷使がさらに悪化を極めた。
3F作業現場では恐怖心と身体的なる苦痛とに精一杯の時間であった。
狂信的なる太陽光発電の普及も限界のようでもある。
1500枚200KWの巨大パネル。
着工したが華々しさのかげに悩みは大きい。
基礎工事の問い合わせで作業もとまりそうである。
太陽光発電の普及はどうにも廉価設置で生活を見通すと、先行きは暗い。
新聞記事から似たようなことを抜粋する。
旧態依然とした原発推進型の「あの手、この手」のさまざまな画策
原発批判が一般化するなか、通産省・資源エネルギー庁は、その対応策のひとつとして、原発関連施設がある14道県にそれぞれ1億円を一括交付する制度の創設を決めた。
「ばらまき予算」だが、その批判をかわすために、IT(情報技術)関連の研修や町おこし事業などに活用してもらう支援制度とし、具体的な交付金の使途は、定番の方法、地方自治体などが地域住民からアイデアを公募し、有識者らが参加する審査会などで決定する、といういつものやり方をとる。
これまで原発建設やその後の増設、あるいは地元批判を抑え込むために、国は「電源開発促進対策特別会計法」などに基づき、年間に計約1700億円を原発施設がある自治体にばらまいている。
今後は、原発などに隣接する県についても助成金の名目で制度を創設する方針だ。
原発施設のある地域のインフラ整備などを図る「原子力発電施設等立地地域の振興に関する特別措置法案」が2000年12月1日の臨時国会最終日に駆け込み成立した。
電源3法による従来の交付金に加え、新たな財政的援助を可能にする法案で、原発自体の議論を棚上げしたうえでの無理やりの特別措置法成立になった。
原発立地の地元自治体には、すでに電源開発促進税法など、いわゆる電源3法に基づいて年間約1000億円の交付金が計上されているが、支給額や期間が限られていることから、地元自治体から新たな振興策を要望する声が上がっていた。
原発への「逆風」も強まったことから、「目の前にカネをぶらさげて、食いつかせて従わせる」という旧態依然の手法を持ちだし、原発関連施設の周辺地域で補助金の上乗せをして原発の増設や高速増殖炉の稼働、プルサーマル計画への移行の同意などを図るのがねらい。来年度の経費として33億円を見込んでいる。
地球温暖化対策で世界の風力発電20%の伸び
2004年の1年間に世界各地で新設された風力発電施設の発電規模は、ベルギーに本部を置く世界風力エネルギー協会(GWEC)のまとめによると、前年から20%増え、大型原発7基分に匹敵する計797万6000キロワットに上った。
原発離れや地球温暖化対策もあって、スペインとドイツでは約200万キロワットも増えた。これに対し、日本はその10分の1足らずの19万キロワット弱で、遅れが目立っている。
2004年末での総発電規模はドイツの1663万キロワットが最大で、日本は87万4000キロワットとドイツのほぼ20分の1にとどまった。
万博はエコ公園 巨大ソーラーパネル設置
「地球に優しい公園」を目指します−。大阪府吹田市の万博記念公園で、公園では日本最大級となる太陽光発電用のソーラーパネルの設置工事が進められている。三月上旬に使用が始まり、最大で毎時約二百キロワットの発電を行う。化石燃料を使わないクリーンな電力で地球環境に優しく、災害時には非常用電源としても活用できるため、環境、防災の両面からの効果が期待されている。
同公園を整備、運営する日本万国博覧会記念機構などが設置。ソーラーパネルは幅約二百七十メートル、縦約六メートルと巨大なもので、公園南側の斜面に取り付けられる。
現在公園で使用されている電力は毎時約二千九百キロワット(エキスポランドは除く)で全体の約7%の発電量をまかなえる。
ソーラーパネルは半永久的に使用でき、一年間で約六百万円の電気代の節約となる。
ソーラーパネルで得られた電力は通常、施設の機器や園内の照明などに利用されるが、大地震など緊急時には公園東端の「大阪府北部広域防災拠点」に電力の供給が可能。
また、公園に府民が避難してきた場合には、非常用の電源としても活用できる。
同機構の清水勝弘事業部長(52)は「地球に優しい公園をめざし、万一の災害時には府民の役に立つような利用法を考えたい」と話している。
(産経新聞) - 1月26日
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錬金術
2006年1月25日拝金思想が世間を席巻している。
ライブドア問題がよりその傾向を社会に振りまいている。
グローバル経済なる世界標準化は一層その勢いを増している。
実態を超えた株式分割は錬金術としてモラル破壊を生み出している。
江戸期の行き方論たるサムライ,農耕民族たる生き方論には不浄な、不労取得的な金は取得しなかった。
株の大衆化はマネー・ゲームの最たるもの
バブルがはじけて以降、長い不況の中で多くの株が安値で推移し、資金運用にも困り七転八倒した日本経済。
今日はライブドア株のみで午後僅かの時間のみの取引にもかかわらず、10億をこえた、
155円は137円?の終値。
日経平均 15651.00円(2.11円高)
15651.00円─15849.52円
出来高 21億4720万株
東京株式市場は小幅続伸。
市場関係者によると、米国株の上昇や下落一巡感を好感し、日経平均は一時200円を超す上げ幅を記録した。
ザラ場では3営業日ぶりの1万5800円台回復となった。
しかし、後場にはライブドア株式が強制捜査後初めて寄り付き、短期売買が活発化。
ライブドア株式に市場の関心が移り、全体に様子見ムードが広がった。日経平均はきょうの安値で引けた。
696円だったライブドアの株価は25日の終値で137円
ネット取引を1日に何度も繰り返すデイトレーダーなどの個人投資家は1〜2円のリザヤとり。
東証1部の騰落数は、値上がり995銘柄に対し値下がり585銘柄、変わらず88銘柄だった
7営業日ぶりに取引時間中に売買が成立した。ライブドア株は、上場廃止の可能性があることを投資家に注意喚起する監理ポストに割り当てられたばかりだが
価純資産倍率(PBR)をみると、ライブドア株の場合、172円でPBR1倍となる。
つまり、ライブドアの純資産を1株当たりにすると172円
17日から24日、取引無し。の後の激しい動き。
さあ〜〜どうなるのか。
北海道拓殖銀行の束の株券=紙切れがある。
ライブ株も単なる紙切れに過ぎない株券となるのか。
悩みは尽きないことであろう。
生活の格言がいろいろあるが株の世界の格言は是が法則に乗っ取った経験則ゆえかなり信憑性を持つ。
悩み煩悶する欲との戦いゆえ売り買いが胃袋をいためるので指標がいる。
一日の値幅制限いっぱいに動くストップ高は
馬券の世界の夢の万馬券に匹敵する。
ではその格言を列記していよう。
戦前の相場格言に
『大回り三年小回り三月(みつき)、三月またがりの六十日』というのがある
小回り三月、大回り三年 .
総てを盛り込んだ順当なものである。
アタマとシッポは呉れてやれ
当たり屋と言われた頃から曲がりだし
当たり屋に付け、
曲がり屋に向かえ あつものにこりて ...
疑わしいときは何もするな
売り買いは三日待て
売りは早かれ、買いは遅かれ ...
見切り千両、損切り万両
麦わら帽子は冬に買え
虫の好かぬ株は買うな ...
高値おぼえ、安値おぼえは損のもと ..
. 事故に売り無し
三月またがりの六十日
噂で買え、事実で売れ
それぞれ含蓄のあるものだがいちいち説明の時間もない。
国家議員先生に告ぐ。
放送・通信融合 ライブドア事件議論せよ
それが株式全体の不信に広がったのは、情報技術(IT)などを手がける新興企業の代表格であるだけでなく、株式の分割など経営手法でも、先導役を果たしてきたからだ。
ライブドアとの連想から売られた銘柄は多い。
、市場の信頼回復に努めるためである。
ライブドアの根幹は錬金術の粋。
分割それに合わせて、株価さえ上がれば他社の買収で業容は拡大し、経営者の報酬も増える「株価至上主義」が、健全な市場をゆがめたことへの反省の機運をどう作るかである。
現場で電気屋さん。携帯もなく作業服は気持ちがいい。
西の75枚の壮観なる光景は一昨日の535枚には及ばないもののこれも凄い。
電気工事の部材を急遽運び込む。
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ライブドア問題がよりその傾向を社会に振りまいている。
グローバル経済なる世界標準化は一層その勢いを増している。
実態を超えた株式分割は錬金術としてモラル破壊を生み出している。
江戸期の行き方論たるサムライ,農耕民族たる生き方論には不浄な、不労取得的な金は取得しなかった。
株の大衆化はマネー・ゲームの最たるもの
バブルがはじけて以降、長い不況の中で多くの株が安値で推移し、資金運用にも困り七転八倒した日本経済。
今日はライブドア株のみで午後僅かの時間のみの取引にもかかわらず、10億をこえた、
155円は137円?の終値。
日経平均 15651.00円(2.11円高)
15651.00円─15849.52円
出来高 21億4720万株
東京株式市場は小幅続伸。
市場関係者によると、米国株の上昇や下落一巡感を好感し、日経平均は一時200円を超す上げ幅を記録した。
ザラ場では3営業日ぶりの1万5800円台回復となった。
しかし、後場にはライブドア株式が強制捜査後初めて寄り付き、短期売買が活発化。
ライブドア株式に市場の関心が移り、全体に様子見ムードが広がった。日経平均はきょうの安値で引けた。
696円だったライブドアの株価は25日の終値で137円
ネット取引を1日に何度も繰り返すデイトレーダーなどの個人投資家は1〜2円のリザヤとり。
東証1部の騰落数は、値上がり995銘柄に対し値下がり585銘柄、変わらず88銘柄だった
7営業日ぶりに取引時間中に売買が成立した。ライブドア株は、上場廃止の可能性があることを投資家に注意喚起する監理ポストに割り当てられたばかりだが
価純資産倍率(PBR)をみると、ライブドア株の場合、172円でPBR1倍となる。
つまり、ライブドアの純資産を1株当たりにすると172円
17日から24日、取引無し。の後の激しい動き。
さあ〜〜どうなるのか。
北海道拓殖銀行の束の株券=紙切れがある。
ライブ株も単なる紙切れに過ぎない株券となるのか。
悩みは尽きないことであろう。
生活の格言がいろいろあるが株の世界の格言は是が法則に乗っ取った経験則ゆえかなり信憑性を持つ。
悩み煩悶する欲との戦いゆえ売り買いが胃袋をいためるので指標がいる。
一日の値幅制限いっぱいに動くストップ高は
馬券の世界の夢の万馬券に匹敵する。
ではその格言を列記していよう。
戦前の相場格言に
『大回り三年小回り三月(みつき)、三月またがりの六十日』というのがある
小回り三月、大回り三年 .
総てを盛り込んだ順当なものである。
アタマとシッポは呉れてやれ
当たり屋と言われた頃から曲がりだし
当たり屋に付け、
曲がり屋に向かえ あつものにこりて ...
疑わしいときは何もするな
売り買いは三日待て
売りは早かれ、買いは遅かれ ...
見切り千両、損切り万両
麦わら帽子は冬に買え
虫の好かぬ株は買うな ...
高値おぼえ、安値おぼえは損のもと ..
. 事故に売り無し
三月またがりの六十日
噂で買え、事実で売れ
それぞれ含蓄のあるものだがいちいち説明の時間もない。
国家議員先生に告ぐ。
放送・通信融合 ライブドア事件議論せよ
それが株式全体の不信に広がったのは、情報技術(IT)などを手がける新興企業の代表格であるだけでなく、株式の分割など経営手法でも、先導役を果たしてきたからだ。
ライブドアとの連想から売られた銘柄は多い。
、市場の信頼回復に努めるためである。
ライブドアの根幹は錬金術の粋。
分割それに合わせて、株価さえ上がれば他社の買収で業容は拡大し、経営者の報酬も増える「株価至上主義」が、健全な市場をゆがめたことへの反省の機運をどう作るかである。
現場で電気屋さん。携帯もなく作業服は気持ちがいい。
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工期内完成
2006年1月24日契約条項の最たるものの一つに工事期間がある。
工期内完成が、元請と下請けの唯一の信頼。
異常な進捗チェックが注文内容に警告があったときの私の出番。
西の現場には外注を入れようとした。
担当者は我彼の力関係を省みず「惰性」で工期を読み私の助言意見を無視した。
その誤りに気付き先週月曜日、業者と現地視察した。
工期遅れを取り消そうとしたが「二日で終わる」として聞き入れず工期を誤るミスを重ねてるようだ。
大失敗!である
先日書いたばかりが実行されてない。
失敗には「ハインリッヒの法則」というのがあるそうだ。
一件の重大事故の裏には二十九件の軽微な事故があって、その背後にはヒヤリとするような三百件が潜んでいるという。
だから、日ごろの「仮想演習がすべてを決める」と先日引用した畑村さんの言葉が書き連ねられる。
新聞記事が解決策を指し示している。
企業は「成功マニュアル」を完備して、もっぱら前例を踏襲する。
すると柔軟性を欠き、想定外の事態にはうまく対処できない。
失敗学の発想は逆で、過去の失敗例に向き合って将来に生かすこと。
ノーベル化学賞を受賞した島津製作所の田中耕一さんが典型例。
コンピューターは人間に指示されたことしかできない。
銀行の決済システムなど社会のあらゆるシステムのつくるのも使うのも人間だ。人が動けば間違いが起こる。
驚くべきは、もし人の悪意が悪知恵を駆使したら、一体どんなことが起こせるのか空恐ろしい
人は間違うというごく当たり前の事実がどこかで見逃されていたのである。
それを管理する側のワキの甘さが露呈してしまったわけである。
ちょっと空気がよどんではいなかったのか。
災いを転じて福となす。
どうにも逃げられない針のむしろ。
つらい!生きる価値がないほどに・・・・
精神的にも肉体的にも、非常につらい。
つらいんだけれども、なんというか、楽しさをみいだし、
太陽光発電の普及に賭ける。
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工期内完成が、元請と下請けの唯一の信頼。
異常な進捗チェックが注文内容に警告があったときの私の出番。
西の現場には外注を入れようとした。
担当者は我彼の力関係を省みず「惰性」で工期を読み私の助言意見を無視した。
その誤りに気付き先週月曜日、業者と現地視察した。
工期遅れを取り消そうとしたが「二日で終わる」として聞き入れず工期を誤るミスを重ねてるようだ。
大失敗!である
先日書いたばかりが実行されてない。
失敗には「ハインリッヒの法則」というのがあるそうだ。
一件の重大事故の裏には二十九件の軽微な事故があって、その背後にはヒヤリとするような三百件が潜んでいるという。
だから、日ごろの「仮想演習がすべてを決める」と先日引用した畑村さんの言葉が書き連ねられる。
新聞記事が解決策を指し示している。
企業は「成功マニュアル」を完備して、もっぱら前例を踏襲する。
すると柔軟性を欠き、想定外の事態にはうまく対処できない。
失敗学の発想は逆で、過去の失敗例に向き合って将来に生かすこと。
ノーベル化学賞を受賞した島津製作所の田中耕一さんが典型例。
コンピューターは人間に指示されたことしかできない。
銀行の決済システムなど社会のあらゆるシステムのつくるのも使うのも人間だ。人が動けば間違いが起こる。
驚くべきは、もし人の悪意が悪知恵を駆使したら、一体どんなことが起こせるのか空恐ろしい
人は間違うというごく当たり前の事実がどこかで見逃されていたのである。
それを管理する側のワキの甘さが露呈してしまったわけである。
ちょっと空気がよどんではいなかったのか。
災いを転じて福となす。
どうにも逃げられない針のむしろ。
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ナスカの美郷町。
2006年1月23日久しぶりに現場に来て第一に感じたこと。
残る電気工事の残事業を見て、工期からして焦りを感じる。
しかし美しい。
九州山地の偏狭な山間に突如現れる光景
二つの瓦屋根の平屋建物に535枚のパネルがのると騒然としている。
偏狭な山間に忽然と現れる風景。
世界七不思議のナスカの地上絵ではないか。
ここを全国に報道したい。
政府の失政隠しにホリエモン逮捕を利用し国民を欺く虚報をやめ
ここを放映して日本のエネルギー事情を全国民に覚醒させたい。
丁度いいことがある。
宇宙航空研究開発機構(JAXA)のH2Aロケットを19日に打ち上げたが陸域観測技術衛星「だいち」のデータを利用し、ペルー・ナスカの地上絵の詳細な分布図を作成する計画を山形大の坂井正人助教授(文化人類学)らが進めている。との新聞報道がある。
「世界の七不思議」と言われる地上絵が描かれた目的を解明するためで、分布図を基に、世界遺産に登録された地上絵の保存計画も提案する方針だ。
地上絵はペルー南海岸のナスカ台地(東西約20キロ、南北約10キロ)とその周辺にある。
紀元前200年〜紀元700年ごろに作られた。
全長100メートルのハチドリや90メートルのサルなど巨大な動物や幾何学模様を描いている。
絵の制作目的には「豊穣の儀式」や「天文図を写した」など諸説ある。
坂井助教授によると、ナスカ以降のアンデス社会は文字を持たず、建物や王の墓の配置などで王朝史を記録した。ナスカの地上絵も、何かを「記録」するために台地上の特定の場所を中心に配置された可能性がある。
こうした分析には地上絵の詳細な分布図が欠かせない。
ペルー空軍が1940年代と70年代に撮影した航空写真が主な資料だったが、不鮮明な写真が多く、地上絵の全体像は判明していなかった。
「だいち」は地上にある2.5メートルの長さのものを見分ける。
同大の計画は「だいち」を活用する公募研究の一環で、10月にもデータ提供が始まる。
同大は米国の商業衛星のデータも利用しているが、「だいち」は商業衛星が撮影していない範囲も観測するため、効率よく分布図が作成できる。
坂井助教授は「分布図を分析すれば、古文書を解読するように地上絵の謎に迫れる。無計画な耕作などで破壊が進む地上絵の保全にも役立てたい」と言う。
535枚の太陽電池パネルはナフカではないか。
太陽の恵みがエネルギーに変わっていくのだ。
2010年の政府目標の半分にもない太陽光発電。
この一歩の積み上げが、大事なのである。
さらにこの偏狭な山間に巨大パネル。
町おこしに航空写真が使える!
ナスカのまちには昨年建設に携わった日本一の巨大スクリーンの
昴天文台もある。
ここにしかない巨大スクリーンでの星の世界。
さらに江戸の大火のときでさえ藩邸を唯一類焼から守り抜いた
日本一の火よけの神様のミステリー・ゾーンの社のある町。
これはいけるはずだ町おこし。
最後までのお付き合い有難うございます
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しかし美しい。
九州山地の偏狭な山間に突如現れる光景
二つの瓦屋根の平屋建物に535枚のパネルがのると騒然としている。
偏狭な山間に忽然と現れる風景。
世界七不思議のナスカの地上絵ではないか。
ここを全国に報道したい。
政府の失政隠しにホリエモン逮捕を利用し国民を欺く虚報をやめ
ここを放映して日本のエネルギー事情を全国民に覚醒させたい。
丁度いいことがある。
宇宙航空研究開発機構(JAXA)のH2Aロケットを19日に打ち上げたが陸域観測技術衛星「だいち」のデータを利用し、ペルー・ナスカの地上絵の詳細な分布図を作成する計画を山形大の坂井正人助教授(文化人類学)らが進めている。との新聞報道がある。
「世界の七不思議」と言われる地上絵が描かれた目的を解明するためで、分布図を基に、世界遺産に登録された地上絵の保存計画も提案する方針だ。
地上絵はペルー南海岸のナスカ台地(東西約20キロ、南北約10キロ)とその周辺にある。
紀元前200年〜紀元700年ごろに作られた。
全長100メートルのハチドリや90メートルのサルなど巨大な動物や幾何学模様を描いている。
絵の制作目的には「豊穣の儀式」や「天文図を写した」など諸説ある。
坂井助教授によると、ナスカ以降のアンデス社会は文字を持たず、建物や王の墓の配置などで王朝史を記録した。ナスカの地上絵も、何かを「記録」するために台地上の特定の場所を中心に配置された可能性がある。
こうした分析には地上絵の詳細な分布図が欠かせない。
ペルー空軍が1940年代と70年代に撮影した航空写真が主な資料だったが、不鮮明な写真が多く、地上絵の全体像は判明していなかった。
「だいち」は地上にある2.5メートルの長さのものを見分ける。
同大の計画は「だいち」を活用する公募研究の一環で、10月にもデータ提供が始まる。
同大は米国の商業衛星のデータも利用しているが、「だいち」は商業衛星が撮影していない範囲も観測するため、効率よく分布図が作成できる。
坂井助教授は「分布図を分析すれば、古文書を解読するように地上絵の謎に迫れる。無計画な耕作などで破壊が進む地上絵の保全にも役立てたい」と言う。
535枚の太陽電池パネルはナフカではないか。
太陽の恵みがエネルギーに変わっていくのだ。
2010年の政府目標の半分にもない太陽光発電。
この一歩の積み上げが、大事なのである。
さらにこの偏狭な山間に巨大パネル。
町おこしに航空写真が使える!
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昴天文台もある。
ここにしかない巨大スクリーンでの星の世界。
さらに江戸の大火のときでさえ藩邸を唯一類焼から守り抜いた
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新旧交代
2006年1月22日センター試験で奮闘中の50万人は青春真っ只中での何度目かの試練であろう。
思春期の頃の大人への道はいろいろある訳けだが戦後の貧乏の頃には身につけるもので感じたものだ。
それは腕時計でありカメラであった。
腕時計のリュウズを巻くと人さし指の脇腹がへこんで跡がつく。
腕を振ると半月形のおもりが回転してゼンマイを巻き上げる当時は画期的な旧式の自動巻き腕時計を所持していた。
どうして手に入れたのかは不明。
資金はアルバイトであったのであろう。
s/e/i/k/oセイコーのCMが後押しした。
今の電子式と違って、チチチチと歯車の動く音がしていて枕元から規則正しく音がしていたものだ。
なにもおじいさんの古時計のみが、チクタクと100年動いてただけではない。
修学旅行に持っていったカメラは実は借り物であった。
あの頃ステータスであったのに今では携帯電話にさえ付いている。
カメラのフィルムの装填はお手伝いをしてやったもので現像処理はプロやマニアには楽しくとも、多くの人々には面倒な作業であった。
やがて使い切りカメラが、大手を振って歩き出す。デジカメが平成七年ごろから登場すると、写真界に激震が走った。
精密機器大手のコニカミノルタ社が創業以来のカメラと写真フィルムから完全に撤退するという。
1873年創業のコニカと1928年創業のミノルタが2003年に経営統合したコニカミノルタ。
国内初のカラーフィルムを発売した会社と世界初のオートフォーカス一眼レフカメラを開発した会社という老舗カメラメーカーがタッグを組んでも、デジタル化の波には対応しきれなかったのだ。
昨年に京セラがカメラ事業から撤退、今月11日にはニコンがフィルム一眼レフ事業から事実上撤退する
コニカは日本初のカラーさくら天然色フィルムの開発メーカー
赤いランプの暗室は、写真を処理する大人の秘密の場所であった。
写っているか否かは現像してみないと分からない。
素材を生かすも殺す腕しだい。
デジタルカメラにない手作りのノスタルジーに浸る。
技術が新技術に取って代わられている。
言葉で言えばこうであろう。新聞記事からである。
小泉首相が施政方針演説の中で「志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず」という言葉を引用した。
これも、志を持つものは生活には恵まれず、屍(しかばね)が溝や谷に捨てられることもある。
それを覚悟すべきだという意味だ。
中国の『孟子』に出てくる孔子の言葉、
日本では吉田松陰が幕末の志士たちにメッセージとして与えてから広まったという。
日本人の琴線に触れるのだろう。
この精神を胸に刻んで生きてきた戦後の人たち。団塊の世代。
上方落語が風前の灯であったころ、その再興を誓ってこの道に飛び込んだ桂米朝師匠
師匠から言われたそうだ。
「末路哀れは覚悟の前やで」と。
グローバル化経済は日進月歩。
淘汰される苦難の時代がつづいている。
太陽光発電も同じである。
志を矜持してるため志士は溝壑に在るを忘れずとなるんであろうか。
先憂後楽どころのお話ではない。
生き恥を晒してまでも太陽光発電の普及に精進してみせる。
この寒さ!地球環境は危ないではないか。
化石燃料から自然エネルギーへの転換。
国家方針は原子力。
是では幕末の志士と同じ。
いつかはやられよう。
日曜日返上で延岡で電気職人はがんばっている。
資金繰りを急がねば行き詰ろう。
思考の陳腐化。新旧後退の時期が来ている。
最後までのお付き合い有難うございます
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思春期の頃の大人への道はいろいろある訳けだが戦後の貧乏の頃には身につけるもので感じたものだ。
それは腕時計でありカメラであった。
腕時計のリュウズを巻くと人さし指の脇腹がへこんで跡がつく。
腕を振ると半月形のおもりが回転してゼンマイを巻き上げる当時は画期的な旧式の自動巻き腕時計を所持していた。
どうして手に入れたのかは不明。
資金はアルバイトであったのであろう。
s/e/i/k/oセイコーのCMが後押しした。
今の電子式と違って、チチチチと歯車の動く音がしていて枕元から規則正しく音がしていたものだ。
なにもおじいさんの古時計のみが、チクタクと100年動いてただけではない。
修学旅行に持っていったカメラは実は借り物であった。
あの頃ステータスであったのに今では携帯電話にさえ付いている。
カメラのフィルムの装填はお手伝いをしてやったもので現像処理はプロやマニアには楽しくとも、多くの人々には面倒な作業であった。
やがて使い切りカメラが、大手を振って歩き出す。デジカメが平成七年ごろから登場すると、写真界に激震が走った。
精密機器大手のコニカミノルタ社が創業以来のカメラと写真フィルムから完全に撤退するという。
1873年創業のコニカと1928年創業のミノルタが2003年に経営統合したコニカミノルタ。
国内初のカラーフィルムを発売した会社と世界初のオートフォーカス一眼レフカメラを開発した会社という老舗カメラメーカーがタッグを組んでも、デジタル化の波には対応しきれなかったのだ。
昨年に京セラがカメラ事業から撤退、今月11日にはニコンがフィルム一眼レフ事業から事実上撤退する
コニカは日本初のカラーさくら天然色フィルムの開発メーカー
赤いランプの暗室は、写真を処理する大人の秘密の場所であった。
写っているか否かは現像してみないと分からない。
素材を生かすも殺す腕しだい。
デジタルカメラにない手作りのノスタルジーに浸る。
技術が新技術に取って代わられている。
言葉で言えばこうであろう。新聞記事からである。
小泉首相が施政方針演説の中で「志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず」という言葉を引用した。
これも、志を持つものは生活には恵まれず、屍(しかばね)が溝や谷に捨てられることもある。
それを覚悟すべきだという意味だ。
中国の『孟子』に出てくる孔子の言葉、
日本では吉田松陰が幕末の志士たちにメッセージとして与えてから広まったという。
日本人の琴線に触れるのだろう。
この精神を胸に刻んで生きてきた戦後の人たち。団塊の世代。
上方落語が風前の灯であったころ、その再興を誓ってこの道に飛び込んだ桂米朝師匠
師匠から言われたそうだ。
「末路哀れは覚悟の前やで」と。
グローバル化経済は日進月歩。
淘汰される苦難の時代がつづいている。
太陽光発電も同じである。
志を矜持してるため志士は溝壑に在るを忘れずとなるんであろうか。
先憂後楽どころのお話ではない。
生き恥を晒してまでも太陽光発電の普及に精進してみせる。
この寒さ!地球環境は危ないではないか。
化石燃料から自然エネルギーへの転換。
国家方針は原子力。
是では幕末の志士と同じ。
いつかはやられよう。
日曜日返上で延岡で電気職人はがんばっている。
資金繰りを急がねば行き詰ろう。
思考の陳腐化。新旧後退の時期が来ている。
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宇宙/地球(1)
2006年1月21日悪天候の中、南も九州山地のど真ん中も今日も現場は進行している熱意。頭が上がらない。
同時に3ヶ」所の工事進捗は職員の総合意志が成立してないと無理のようである。
西の現場で苦境にたたされている。
新たに生き残り策としての営業部を新設するに当たり難関も横たわる。
俗人的に個人指名をして新規の営業部員が乗り込んで来たいとの要望との調整は義理と人情を基本とする私には出来ない相談である。
ところが張本人が電話で辞めるとの申し出。
話し合いもなく一方的通告。
あらゆる総ての重圧を受けてのグループ全員の生き残り策。
泣いて馬食を斬る偽らざる心境。
苦難は続く。
それぞれがポジションをわきまえて発言すればいいのに身の程知らず。
やむ得ない。
営業の方からの宿題は太陽光発電の基本的な考え方のテキスト作成の要望である。
限られた時間での作成をして見たい。
はじめに。
地球を宇宙から眺める写真を見てその不思議さ
気の遠くなるような気持ちに誰しもなることでしょう。
実際に見た宇宙飛行士を追ってみると神父さんとかの神の使いになっておられる。
日本人最初の宇宙を旅したニュスキャスター秋山さんは通勤で自然の恵みの農業に従事しておられる。
生命の神秘、宇宙の成り立ちを考えるときにこれら先人の感ずることである。
宇宙の誕生
総てのものの構成成り立ちは元素で説明つけられる。
地球が位置している宇宙の存在自体もそうである。
宇宙の元素合成とは、我々の宇宙に存在する元素の原子核が作られた物理過程を指す言葉である。
核種合成という訳語を用いる場合もある。
宇宙に存在する元素の合成過程は大きく二つの過程、すなわちビッグバンによる初期宇宙での元素合成と恒星内部での核融合による元素合成に分けられる。
ビッグバン元素合成
宇宙のごく初期において存在した元素は水素原子核−単体の陽子−と単体の中性子だけである。
宇宙が十分に冷えてくると陽子同士が衝突して重水素が作られるようになる。
重水素に陽子が捕獲されると三重水素もしくはヘリウム3(3He)となる。
さらに陽子を捕獲してヘリウム4(4He)までは簡単に作られる。
この中で水素が最も安定であり4Heも安定であるのでこの二つの元素がたまる。
しかし質量数5の安定な元素は存在しないので宇宙の初期における元素合成はこれ以上進まない。
ごく少数この先のLi(リチウム)やBe(ベリリウム)が作られるが質量数8の安定な原子核も存在しないので
これ以上進むことはまずない。
ビッグバン理論はホーキングの出現でわれら素人にも理解しやすくしてくれた。
恒星での元素合成
一方大部分の元素は恒星の中で作られた。
恒星における元素合成のプロセスは核融合によるものと中性子捕獲によるものに大別される。
H(水素)が集まっている太陽の様な恒星のなかでは核融合がメインのプロセスとなる。
まず、Hが燃焼して4He(ヘリウム)が生成される。
He同士が二つ集まると質量数 8 の 8Be(ベリリウム)が出来るが、これは不安定なのですぐに崩壊してしまう。
しかしながら、恒星内部に He がたまっていき、十分大きな密度と温度になると、そのBeが崩壊するまでのわずかな間に第三のHeが融合して12C(炭素)を作ることが出来る(トリプルアルファ反応)。
この C は安定であるので更にCとHeが融合してO(酸素)を作ったり、OとOが融合してSi(ケイ素)とHeを作ったりするなど、その後の核反応プロセスが続いていくことが可能になる。
恒星の内部ではこれ以外にも幾つかの過程を経てFe(鉄)までの軽い元素が出来る。
それは、FeとSiは全元素の中で最も安定な元素である為、恒星の内部ではこれ以上に重い元素は合成されないからである。
それに対して鉄より重い元素は中性子捕獲によって作られる。
重元素が恒星の寿命程度の時間スケールでゆっくりと中性子捕獲を行う過程は Sプロセス(Slow Process)と呼ばれる。
巨大な恒星がその寿命を終える時、超新星爆発(supernovae)を起こす。その際の膨大な圧力や熱といったエネルギーによってU(ウラン)以上の重い核までを一度に大量に生成する。
この元素合成は一瞬でなされる為、Rプロセス(Rapid Process)と呼ばれる。中性子過剰核などの不安定核を経由する反応であるため、このプロセスの詳細なシナリオを解明するための実験が行われている。
生成された重い核の多くは不安定ですぐに崩壊して(鉄などの安定な)軽い核へと移行するが、UやPb(鉛)の様な長寿命元素は現在でも地球に存在している。
星とは
星には大きく分けて2種類ある。惑星と恒星。
星空に見える星はほとんどが恒星なのです。
恒星は太陽と同じ、自分自身で光を放つ星。
太陽と主な恒星の直径を比べてみましょう。
おおいぬ座のシリウスは、太陽の1.8倍。
おうし座のアルデバランが30倍。
オリオン座のリゲルが50倍。
白鳥座のデネブが60倍。
さそり座のアンタレスは250倍の大きさです。
また、エリダヌス座には、直径が太陽の60分の1という小さな恒星もある。
地球の誕生
6億年の地球の歴史を1週間に置き換えてみよう
百数十億年前に誕生した宇宙。
現在の時間で考えると気の遠くなるような時の流れです。
宇宙の始まりから現在までの長さをつかむため、なじみ深い時間の単位に置き換えてながめてみましょう。
地球の誕生はおよそ46億年前、これを1週間の長さに置き換えてみると以下のようになります。
『宇宙は謎がいっぱい』(的川泰宣・著、PHP文庫)
今から 曜日 時刻 内 容
46億年前 日曜 午前0時0分0秒 地球誕生
40億年前 午後9時55分 原始生命誕生
35億年前 月曜 午後4時10分 バクテリア出現
30億年前 火曜 午前10時26分 光合成をおこなう生物出現
23億年前 水曜 午後0時0分 酸素をとりこむ細菌出現
18億年前 木曜 午前6時16分 細胞に染色体をもつ生物出現
12億年前 金曜 午前4時10分 動植物の共通の祖先誕生
6億年前 土曜 午前2時5分 三葉虫など進歩した生物出現
4億年前 午前9時0分 安定したオゾン層形成
3.6億年前 午前10時51分 シダ植物繁栄、昆虫が栄える
3.1億年前 午後0時0分 両生類からハ虫類が進化
2.3億年前 午後3時36分 ハ虫類から原始的ホ乳類進化
2.1億年前 午後4時20分 恐竜の時代はじまる
1.6億年前 午後6時9分 始祖鳥出現
1億年前 午後8時21分 被子植物出現
6500万年前 午後9時38分 恐竜が大絶滅
5000万年前 午後10時11分 大型のホ乳類が出現
1400万年前 午後11時30分 原始的な霊長類ラマピテクス出現
300万年前 午後11時58分25秒 人類の祖先・
アウストラロピテクス出現
50万年前 午後11時58分54秒 原人(北京原人など)出現
3万年前 午後11時59分56秒 新人(ホモサピエンス)出現
1万年前 午後11時59分58秒 農耕がはじまる
人間が誕生して何秒も経ってないのにその又僅か200年前に化石燃料に手を染めてから地球環境が悪化しているのです。
50万人超のセンター試験挑戦者!爺に負けるな!ガンバレ!
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西の現場で苦境にたたされている。
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俗人的に個人指名をして新規の営業部員が乗り込んで来たいとの要望との調整は義理と人情を基本とする私には出来ない相談である。
ところが張本人が電話で辞めるとの申し出。
話し合いもなく一方的通告。
あらゆる総ての重圧を受けてのグループ全員の生き残り策。
泣いて馬食を斬る偽らざる心境。
苦難は続く。
それぞれがポジションをわきまえて発言すればいいのに身の程知らず。
やむ得ない。
営業の方からの宿題は太陽光発電の基本的な考え方のテキスト作成の要望である。
限られた時間での作成をして見たい。
はじめに。
地球を宇宙から眺める写真を見てその不思議さ
気の遠くなるような気持ちに誰しもなることでしょう。
実際に見た宇宙飛行士を追ってみると神父さんとかの神の使いになっておられる。
日本人最初の宇宙を旅したニュスキャスター秋山さんは通勤で自然の恵みの農業に従事しておられる。
生命の神秘、宇宙の成り立ちを考えるときにこれら先人の感ずることである。
宇宙の誕生
総てのものの構成成り立ちは元素で説明つけられる。
地球が位置している宇宙の存在自体もそうである。
宇宙の元素合成とは、我々の宇宙に存在する元素の原子核が作られた物理過程を指す言葉である。
核種合成という訳語を用いる場合もある。
宇宙に存在する元素の合成過程は大きく二つの過程、すなわちビッグバンによる初期宇宙での元素合成と恒星内部での核融合による元素合成に分けられる。
ビッグバン元素合成
宇宙のごく初期において存在した元素は水素原子核−単体の陽子−と単体の中性子だけである。
宇宙が十分に冷えてくると陽子同士が衝突して重水素が作られるようになる。
重水素に陽子が捕獲されると三重水素もしくはヘリウム3(3He)となる。
さらに陽子を捕獲してヘリウム4(4He)までは簡単に作られる。
この中で水素が最も安定であり4Heも安定であるのでこの二つの元素がたまる。
しかし質量数5の安定な元素は存在しないので宇宙の初期における元素合成はこれ以上進まない。
ごく少数この先のLi(リチウム)やBe(ベリリウム)が作られるが質量数8の安定な原子核も存在しないので
これ以上進むことはまずない。
ビッグバン理論はホーキングの出現でわれら素人にも理解しやすくしてくれた。
恒星での元素合成
一方大部分の元素は恒星の中で作られた。
恒星における元素合成のプロセスは核融合によるものと中性子捕獲によるものに大別される。
H(水素)が集まっている太陽の様な恒星のなかでは核融合がメインのプロセスとなる。
まず、Hが燃焼して4He(ヘリウム)が生成される。
He同士が二つ集まると質量数 8 の 8Be(ベリリウム)が出来るが、これは不安定なのですぐに崩壊してしまう。
しかしながら、恒星内部に He がたまっていき、十分大きな密度と温度になると、そのBeが崩壊するまでのわずかな間に第三のHeが融合して12C(炭素)を作ることが出来る(トリプルアルファ反応)。
この C は安定であるので更にCとHeが融合してO(酸素)を作ったり、OとOが融合してSi(ケイ素)とHeを作ったりするなど、その後の核反応プロセスが続いていくことが可能になる。
恒星の内部ではこれ以外にも幾つかの過程を経てFe(鉄)までの軽い元素が出来る。
それは、FeとSiは全元素の中で最も安定な元素である為、恒星の内部ではこれ以上に重い元素は合成されないからである。
それに対して鉄より重い元素は中性子捕獲によって作られる。
重元素が恒星の寿命程度の時間スケールでゆっくりと中性子捕獲を行う過程は Sプロセス(Slow Process)と呼ばれる。
巨大な恒星がその寿命を終える時、超新星爆発(supernovae)を起こす。その際の膨大な圧力や熱といったエネルギーによってU(ウラン)以上の重い核までを一度に大量に生成する。
この元素合成は一瞬でなされる為、Rプロセス(Rapid Process)と呼ばれる。中性子過剰核などの不安定核を経由する反応であるため、このプロセスの詳細なシナリオを解明するための実験が行われている。
生成された重い核の多くは不安定ですぐに崩壊して(鉄などの安定な)軽い核へと移行するが、UやPb(鉛)の様な長寿命元素は現在でも地球に存在している。
星とは
星には大きく分けて2種類ある。惑星と恒星。
星空に見える星はほとんどが恒星なのです。
恒星は太陽と同じ、自分自身で光を放つ星。
太陽と主な恒星の直径を比べてみましょう。
おおいぬ座のシリウスは、太陽の1.8倍。
おうし座のアルデバランが30倍。
オリオン座のリゲルが50倍。
白鳥座のデネブが60倍。
さそり座のアンタレスは250倍の大きさです。
また、エリダヌス座には、直径が太陽の60分の1という小さな恒星もある。
地球の誕生
6億年の地球の歴史を1週間に置き換えてみよう
百数十億年前に誕生した宇宙。
現在の時間で考えると気の遠くなるような時の流れです。
宇宙の始まりから現在までの長さをつかむため、なじみ深い時間の単位に置き換えてながめてみましょう。
地球の誕生はおよそ46億年前、これを1週間の長さに置き換えてみると以下のようになります。
『宇宙は謎がいっぱい』(的川泰宣・著、PHP文庫)
今から 曜日 時刻 内 容
46億年前 日曜 午前0時0分0秒 地球誕生
40億年前 午後9時55分 原始生命誕生
35億年前 月曜 午後4時10分 バクテリア出現
30億年前 火曜 午前10時26分 光合成をおこなう生物出現
23億年前 水曜 午後0時0分 酸素をとりこむ細菌出現
18億年前 木曜 午前6時16分 細胞に染色体をもつ生物出現
12億年前 金曜 午前4時10分 動植物の共通の祖先誕生
6億年前 土曜 午前2時5分 三葉虫など進歩した生物出現
4億年前 午前9時0分 安定したオゾン層形成
3.6億年前 午前10時51分 シダ植物繁栄、昆虫が栄える
3.1億年前 午後0時0分 両生類からハ虫類が進化
2.3億年前 午後3時36分 ハ虫類から原始的ホ乳類進化
2.1億年前 午後4時20分 恐竜の時代はじまる
1.6億年前 午後6時9分 始祖鳥出現
1億年前 午後8時21分 被子植物出現
6500万年前 午後9時38分 恐竜が大絶滅
5000万年前 午後10時11分 大型のホ乳類が出現
1400万年前 午後11時30分 原始的な霊長類ラマピテクス出現
300万年前 午後11時58分25秒 人類の祖先・
アウストラロピテクス出現
50万年前 午後11時58分54秒 原人(北京原人など)出現
3万年前 午後11時59分56秒 新人(ホモサピエンス)出現
1万年前 午後11時59分58秒 農耕がはじまる
人間が誕生して何秒も経ってないのにその又僅か200年前に化石燃料に手を染めてから地球環境が悪化しているのです。
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お〜お寒い!ホリエモンに気をつけろ
2006年1月20日コメント (1)壮絶なる時間環境と満身創痍の行動のここんとこの日々。
みぞれ模様の九州山地の現場と南の現場。
それでも職人さんが二桁以上動いている。偉いものだ。
大寒だそうでいかにもその字画からして寒そうで太陰暦で生きてきた先人の知恵の偉大さを知る。
気象協会は19日、今春の花粉飛散予報を発表した。
スギ、ヒノキの花粉飛散量は、平年より少なく、大量だった昨年の2割前後のところが多い見込み。
飛散の開始も平年並みか、遅くなりそう。
エネルギーを化石燃料に頼りCO2増大の温暖化から来る寒さゆえ当たり前のことだろう。
鼻炎の方の花粉症の方には申し訳けないが、人一人の一日の酸素の量はスギ16本分で、地球環境維持に必要だ。
スギ敵でなく地球市民・共生の立場をゆめゆめ忘れ召されるな。
生活の見直しで化石燃料を減らす努力こそが自らの虚弱なる鼻炎対策の根本である。
京都議定書の精神をどう受け止めるかである。
国家と国民のかかわりいかんである。
国家権力とマスコミの餌食の感のホリエモン騒動が経済を揺るがす騒ぎであるが
米市場で起きた「ITバブル」崩壊の悪夢を思い出した人も多かろう。
01年から翌年にかけて、エンロンなどの新興企業で不正経理が次々に暴かれ、引きずられるように相場は崩れていったことは惹起しまい。
総裁選があるので政治が働こう。
沖縄での38歳の副社長の不思議な自殺者でまく引きとよめばいい。
裏を読み違えてはならぬ。
事件の陰に必ず政治的陰謀アり。
いつでもエネルギー問題に原因があると考えれば間違いない。
太平洋戦争も松岡全権の国連脱退に対して、アメリカ頼みのガソリン・ストップが真珠湾に向かわせたエネルギー問題である。
NY原油が上昇、一時67ドル台…約4か月ぶりの高値とのニュース
67ドル台をつけたのは、昨年9月下旬以来約4か月ぶりだ。
これに先立つ通常取引の終値は前日比1・10ドル高の66・83ドルだった。
国際テロ組織の指導者ウサマ・ビンラーディンの肉声とされる録音テープがテレビ放送され、石油関連施設などへのテロ攻撃への懸念が強まった。
核開発問題を巡り、産油国イランと欧米諸国の亀裂が深まってい
ることも供給不安を誘い、買い注文が膨らんだ要因という。
さらにナイジェリア情勢の緊迫化に伴う供給不安
が相場を押し上げた。
OPEC内2位の産油国であるイランの核問題をめぐっては、シリア大統領が核開発の支持を表明したほか、イランは制裁が科された場合に対抗措置として原油輸出の減少させることを示唆する発言を行なっている。
また、世界8位の産油国であるナイジェリアでは、武装勢力の拡大を受けて石油労働者が職場放棄の可能性を示すなど、中東情勢の悪化によって供給懸念が強まっている。
化石燃料の8割近くがこれらの国頼み。
是では化石燃料が一滴もない脆弱点を持つ国の国民に知られては為政者はまずい。
国会も開会した。
1665年も続いた世界唯一の皇室の変更や教育基本法の改正
ジャーナリズムからのカモフラージュの確信犯。
小泉劇場を認知してるゆえ揉み消しは実に上手。
どのテレビもホリエモンのマスコミ・ジャックと相成ってるわけである。
生きる基本はエネルギーである。
少しくらい動揺しても、復元力は十分ある経済状態ではないか。
新聞によるとこうだ。
牛丼の吉野家ディー・アンド・シーの話はその1つの例になる。
BSE(牛海綿状脳症)のために2年前に突然、米国産牛肉が入らなくなり、牛丼を売れなくなったのだから、これほどのピンチはない。
やっと輸入が解禁されたものの、まだ部分的である。
ところが社長の安部修仁さんの表情は意外なほど明るい。
「この2年間、得難い経験ができてよかったですよ」。
多品種化路線に転じて悪戦苦闘したおかげで、
「集団として力がものすごくつきました。これはとても良い無形の財産です」
と屈託がない。
どん底を脱したとはいえ、面食らうほどのプラス思考だ。
これらから教えいただいた面を生かして生きたい。
足らざる修養、ゲス扱いからの脱却。
子日、君子不重則不威。学則不固。
主忠信。無友不如己者。過則勿憚改。
子日く、君子重からざれば威あらず。学べば固ならず。
忠信を主とし、己に如かざる者を友とするなかれ。過ちてはすなわち改むるに憚ることなかれ。
君子は常に軽薄であってはならない。さもないと人に心服されない。
学問に励んで固陋(視野がせまく、融通がきかない)を退け、なによりも自他に対する誠実・忠(誠意)と信(信義)を大切にする。
君子は友を選ぶときは必ず自分より優れた人物をえらび自分より徳の劣る者とは友つきあいをしない。
そして過ちを犯したと気付いたら即座に改める。この心がけを忘れないことだ。
一番かけてる問題やも知れない。ひたすら精進
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みぞれ模様の九州山地の現場と南の現場。
それでも職人さんが二桁以上動いている。偉いものだ。
大寒だそうでいかにもその字画からして寒そうで太陰暦で生きてきた先人の知恵の偉大さを知る。
気象協会は19日、今春の花粉飛散予報を発表した。
スギ、ヒノキの花粉飛散量は、平年より少なく、大量だった昨年の2割前後のところが多い見込み。
飛散の開始も平年並みか、遅くなりそう。
エネルギーを化石燃料に頼りCO2増大の温暖化から来る寒さゆえ当たり前のことだろう。
鼻炎の方の花粉症の方には申し訳けないが、人一人の一日の酸素の量はスギ16本分で、地球環境維持に必要だ。
スギ敵でなく地球市民・共生の立場をゆめゆめ忘れ召されるな。
生活の見直しで化石燃料を減らす努力こそが自らの虚弱なる鼻炎対策の根本である。
京都議定書の精神をどう受け止めるかである。
国家と国民のかかわりいかんである。
国家権力とマスコミの餌食の感のホリエモン騒動が経済を揺るがす騒ぎであるが
米市場で起きた「ITバブル」崩壊の悪夢を思い出した人も多かろう。
01年から翌年にかけて、エンロンなどの新興企業で不正経理が次々に暴かれ、引きずられるように相場は崩れていったことは惹起しまい。
総裁選があるので政治が働こう。
沖縄での38歳の副社長の不思議な自殺者でまく引きとよめばいい。
裏を読み違えてはならぬ。
事件の陰に必ず政治的陰謀アり。
いつでもエネルギー問題に原因があると考えれば間違いない。
太平洋戦争も松岡全権の国連脱退に対して、アメリカ頼みのガソリン・ストップが真珠湾に向かわせたエネルギー問題である。
NY原油が上昇、一時67ドル台…約4か月ぶりの高値とのニュース
67ドル台をつけたのは、昨年9月下旬以来約4か月ぶりだ。
これに先立つ通常取引の終値は前日比1・10ドル高の66・83ドルだった。
国際テロ組織の指導者ウサマ・ビンラーディンの肉声とされる録音テープがテレビ放送され、石油関連施設などへのテロ攻撃への懸念が強まった。
核開発問題を巡り、産油国イランと欧米諸国の亀裂が深まってい
ることも供給不安を誘い、買い注文が膨らんだ要因という。
さらにナイジェリア情勢の緊迫化に伴う供給不安
が相場を押し上げた。
OPEC内2位の産油国であるイランの核問題をめぐっては、シリア大統領が核開発の支持を表明したほか、イランは制裁が科された場合に対抗措置として原油輸出の減少させることを示唆する発言を行なっている。
また、世界8位の産油国であるナイジェリアでは、武装勢力の拡大を受けて石油労働者が職場放棄の可能性を示すなど、中東情勢の悪化によって供給懸念が強まっている。
化石燃料の8割近くがこれらの国頼み。
是では化石燃料が一滴もない脆弱点を持つ国の国民に知られては為政者はまずい。
国会も開会した。
1665年も続いた世界唯一の皇室の変更や教育基本法の改正
ジャーナリズムからのカモフラージュの確信犯。
小泉劇場を認知してるゆえ揉み消しは実に上手。
どのテレビもホリエモンのマスコミ・ジャックと相成ってるわけである。
生きる基本はエネルギーである。
少しくらい動揺しても、復元力は十分ある経済状態ではないか。
新聞によるとこうだ。
牛丼の吉野家ディー・アンド・シーの話はその1つの例になる。
BSE(牛海綿状脳症)のために2年前に突然、米国産牛肉が入らなくなり、牛丼を売れなくなったのだから、これほどのピンチはない。
やっと輸入が解禁されたものの、まだ部分的である。
ところが社長の安部修仁さんの表情は意外なほど明るい。
「この2年間、得難い経験ができてよかったですよ」。
多品種化路線に転じて悪戦苦闘したおかげで、
「集団として力がものすごくつきました。これはとても良い無形の財産です」
と屈託がない。
どん底を脱したとはいえ、面食らうほどのプラス思考だ。
これらから教えいただいた面を生かして生きたい。
足らざる修養、ゲス扱いからの脱却。
子日、君子不重則不威。学則不固。
主忠信。無友不如己者。過則勿憚改。
子日く、君子重からざれば威あらず。学べば固ならず。
忠信を主とし、己に如かざる者を友とするなかれ。過ちてはすなわち改むるに憚ることなかれ。
君子は常に軽薄であってはならない。さもないと人に心服されない。
学問に励んで固陋(視野がせまく、融通がきかない)を退け、なによりも自他に対する誠実・忠(誠意)と信(信義)を大切にする。
君子は友を選ぶときは必ず自分より優れた人物をえらび自分より徳の劣る者とは友つきあいをしない。
そして過ちを犯したと気付いたら即座に改める。この心がけを忘れないことだ。
一番かけてる問題やも知れない。ひたすら精進
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青い地球は誰のもの。
2006年1月19日深夜の3時過ぎまでの議論にはさすがにどうにも迷惑。
私には明日の携帯電源があがるほどの仕事とこのブログを書き始める24時が待ち遠しいのである。
さて20歳の若者3人は光輝いてるが磨かならざれば光をなさずの原石。
太陽光発電の必要性から解き明かすので時間がかかる。
お勉強会であった。
太陽光発電は万能ではない。
数十億年かけ作られた化石燃料には負ける。
太陽光発電で日本の総電力消費をまかなうためには四国の二分の一から四分の三の面積の太陽電池が必要という。
足元から見つめることから始まる。
九州=約42,000平方キロ
四国=約18,000平方キロ
宮崎の面積:7,734km2
森林 76.29% 5,894km2
農用地 9.3% 717km2
北海道=約78,000平方キロ
太陽電池は太陽の光をエネルギーに変換する効率が低いため、
相当量のパネルが必要となる。
太陽電池を今後の新エネルギーと位置付けるならば、資源寿命が豊かであること、環境へのインパクトが少ないことの理解者を
どう増やすかである。弁証法で言う量の質への転化である。
ところで愛する地球の起源は,生命とは・・、
現在、地球上で発見されている最古の岩石は、グリーンランドのイスア地方のもので、約38億年前のもの。
しかし、この岩石は、堆積岩の変成したものであった。
つまり、もともとあった岩石が浸食され堆積してできたものであった。ということは、それ以前に大地すなわち地球は、すでに存在していたということである。
したがって、地球の岩石から地球の年齢を直接測定することができない状況である。
そこで、地球の年齢は、隕石の年齢から推定されている。
隕石は太陽系起源の物質であり、各種の隕石の年齢は45.5億年付近に収束する。
アポロ計画により月面から持ち帰った最古の岩石も約46億年前のものであった。
隕石の年齢と地球の年齢が近いものであることは、次より説明されている。
ヨウ素129は放射壊変してキセノン129というガスになる。その半減期は1700万年である。
太陽系はガス雲から固体となっていったと考えられているのが、この過程に長い時間がかかると、キセノン129はこの固体に取り込まれないだろう。
しかし、隕石にも地球にもキセノン129は存在する。したがって、1億年くらいの幅(キセノン129の半減期の数倍)で、隕石も地球も誕生したと考えられる。
これらのことから、地球の誕生は約46億年前と考えられている。
ウラン鉱山から採掘した天然ウランは、濃縮過程の中で、まず核兵器や原子力発電用の燃料となる
ウラン235(U235)と、低レベル放射性廃棄物となるウラン(U238)に分離される。
高レベル放射性同位元素のU235は、全体の1%で残りは殆どがU238。
この大量に生み出されるこの金属物質を『劣化ウラン』と呼ぶ。
劣化ウラン弾というのは、決して核兵器を意図したものでは、ないといえる。
ウランと云うだけで私たちは核アレルギーになるが、天然ウランの99%は放射能のないただの金属。
核燃料となる放射性のウラン235は約1%にすぎない。
劣化ウラン鉱山などからウランを掘り尽し、廃坑にするという意味なのです。
しかし、しかし、完璧に分離できないのでウラン238にも極微量の放射性ウランが残る。1000分の1%位とか。
だから劣化ウランで作った金属そのものは危険でありません。
しかし・・・・・・・
その特性 劣化ウランは鉄の約2.5倍、鉛の約1.7倍の比重がある。
重さの代名詞は鉛、劣化ウランは、その鉛より2倍の密度がありコップ一杯の水(200g)と同じ容量とすると約4kg。
コップ一杯のチュ杯が4kgとは想像できます?。
このように容積が小さく密度が大きいのはコンパクトに利用できる利点がある。
つまり潜水服の錘には便利かなぁ・・。
用途は平和利用なら このように少量で重量があるので、飛行機のおもり部品など重量の必要な部分に利用価値はある。
ですからメッキもはげずに原型を止めている限り特に危険もなく有効な資源である。
一時PCBが絶縁体として20世紀最大の発明品といわれ、一転有害物質の元凶となったようなもの。
平和的に利用されている限り問題はない、
「オットどっこい」世の中平和的利用ばかり考える人ばかりでは、無い。困ったことです。
弾頭芯への利用 米軍部は、この特性を戦車を破壊する砲弾へ使うことを考えた。
この金属を砲弾の弾芯に利用すると強い運動エネルギーが得られ、頑丈な戦車でも貫通する。
戦車内部を跳ね回り兵士や電子機器類を破壊する。
しかも、貫通時の衝撃で高熱を発して燃焼し、戦車内の兵士を殺してしまう。
以前は、タングステンを使っていた。しかし、コストがかかる。
『劣化ウラン』なら10分の1くらいの価格ですから安い。
コストダウンを図ったのです。
廃棄物の有効利用です。
人体への影響 120ミリ砲の場合、劣化ウランの貫通体の重量は約4700グラム、30ミリ砲で約300グラム。
衝撃による燃焼(1200度で発火する)で、このうち70%〜20%が酸化ウランの微粒子となって大気中に飛散します。
厳重に密閉して永久保管すべき核のゴミを、景気良くばら撒くのですから結果は云わずともです。
いったん酸化ウランの微粒子を体内に吸い込むと肺などにたまり、放射線のつよい化学毒性により癌など健康障害を起こすと言われています。
後遺症 湾岸戦争後、帰還兵やその子供に奇病が発生していますが、これが劣化ウランの後遺症でした。
サマア帰りの自衛隊員に奇形児がなければいいと祈るのみです。
【資源】
人類は地球の資源を大量に消費している。以下は年間の消費量。
鉄 6億9500万トン
アルミニウム 2181万トン
銅 1364万1000トン
銀 1万5200トン
金 2250トン
白金 146トン
石炭 22億1,200万トン(残余年数220年)
石油 35億1,100万トン(残余年数42年)
天然ガス 22億3,300万トン(残余年数63年弱)
【食料輸入】
日本は食物の多くを海外に頼っている。
輸送の際、二酸化炭素の排出により環境負荷をかけている
もし1年間に日本が輸入している農作物と畜産物を全て国内で生産するとすると、640億立方メートルの水が必要になります
。これは日本の年間総水資源使用量877億立方メートルの2/3程度になります。
以下は食料をつくるのに必要な水の量です。
米1kg 水3600l 大豆1kg 2500l
小麦1kg 2000l トウモロコシ1kg 1900l
牛肉1kg 20700l 豚肉1kg 5900l
鶏肉1kg 4500l
【日本の海外依存度】
・食料60%
・エネルギー資源80%
・木材50%
・アルミニウム鉱石99%
・銅鉱の99%
・希少金属のほとんど
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数十億年かけ作られた化石燃料には負ける。
太陽光発電で日本の総電力消費をまかなうためには四国の二分の一から四分の三の面積の太陽電池が必要という。
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九州=約42,000平方キロ
四国=約18,000平方キロ
宮崎の面積:7,734km2
森林 76.29% 5,894km2
農用地 9.3% 717km2
北海道=約78,000平方キロ
太陽電池は太陽の光をエネルギーに変換する効率が低いため、
相当量のパネルが必要となる。
太陽電池を今後の新エネルギーと位置付けるならば、資源寿命が豊かであること、環境へのインパクトが少ないことの理解者を
どう増やすかである。弁証法で言う量の質への転化である。
ところで愛する地球の起源は,生命とは・・、
現在、地球上で発見されている最古の岩石は、グリーンランドのイスア地方のもので、約38億年前のもの。
しかし、この岩石は、堆積岩の変成したものであった。
つまり、もともとあった岩石が浸食され堆積してできたものであった。ということは、それ以前に大地すなわち地球は、すでに存在していたということである。
したがって、地球の岩石から地球の年齢を直接測定することができない状況である。
そこで、地球の年齢は、隕石の年齢から推定されている。
隕石は太陽系起源の物質であり、各種の隕石の年齢は45.5億年付近に収束する。
アポロ計画により月面から持ち帰った最古の岩石も約46億年前のものであった。
隕石の年齢と地球の年齢が近いものであることは、次より説明されている。
ヨウ素129は放射壊変してキセノン129というガスになる。その半減期は1700万年である。
太陽系はガス雲から固体となっていったと考えられているのが、この過程に長い時間がかかると、キセノン129はこの固体に取り込まれないだろう。
しかし、隕石にも地球にもキセノン129は存在する。したがって、1億年くらいの幅(キセノン129の半減期の数倍)で、隕石も地球も誕生したと考えられる。
これらのことから、地球の誕生は約46億年前と考えられている。
ウラン鉱山から採掘した天然ウランは、濃縮過程の中で、まず核兵器や原子力発電用の燃料となる
ウラン235(U235)と、低レベル放射性廃棄物となるウラン(U238)に分離される。
高レベル放射性同位元素のU235は、全体の1%で残りは殆どがU238。
この大量に生み出されるこの金属物質を『劣化ウラン』と呼ぶ。
劣化ウラン弾というのは、決して核兵器を意図したものでは、ないといえる。
ウランと云うだけで私たちは核アレルギーになるが、天然ウランの99%は放射能のないただの金属。
核燃料となる放射性のウラン235は約1%にすぎない。
劣化ウラン鉱山などからウランを掘り尽し、廃坑にするという意味なのです。
しかし、しかし、完璧に分離できないのでウラン238にも極微量の放射性ウランが残る。1000分の1%位とか。
だから劣化ウランで作った金属そのものは危険でありません。
しかし・・・・・・・
その特性 劣化ウランは鉄の約2.5倍、鉛の約1.7倍の比重がある。
重さの代名詞は鉛、劣化ウランは、その鉛より2倍の密度がありコップ一杯の水(200g)と同じ容量とすると約4kg。
コップ一杯のチュ杯が4kgとは想像できます?。
このように容積が小さく密度が大きいのはコンパクトに利用できる利点がある。
つまり潜水服の錘には便利かなぁ・・。
用途は平和利用なら このように少量で重量があるので、飛行機のおもり部品など重量の必要な部分に利用価値はある。
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一時PCBが絶縁体として20世紀最大の発明品といわれ、一転有害物質の元凶となったようなもの。
平和的に利用されている限り問題はない、
「オットどっこい」世の中平和的利用ばかり考える人ばかりでは、無い。困ったことです。
弾頭芯への利用 米軍部は、この特性を戦車を破壊する砲弾へ使うことを考えた。
この金属を砲弾の弾芯に利用すると強い運動エネルギーが得られ、頑丈な戦車でも貫通する。
戦車内部を跳ね回り兵士や電子機器類を破壊する。
しかも、貫通時の衝撃で高熱を発して燃焼し、戦車内の兵士を殺してしまう。
以前は、タングステンを使っていた。しかし、コストがかかる。
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人類は地球の資源を大量に消費している。以下は年間の消費量。
鉄 6億9500万トン
アルミニウム 2181万トン
銅 1364万1000トン
銀 1万5200トン
金 2250トン
白金 146トン
石炭 22億1,200万トン(残余年数220年)
石油 35億1,100万トン(残余年数42年)
天然ガス 22億3,300万トン(残余年数63年弱)
【食料輸入】
日本は食物の多くを海外に頼っている。
輸送の際、二酸化炭素の排出により環境負荷をかけている
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。これは日本の年間総水資源使用量877億立方メートルの2/3程度になります。
以下は食料をつくるのに必要な水の量です。
米1kg 水3600l 大豆1kg 2500l
小麦1kg 2000l トウモロコシ1kg 1900l
牛肉1kg 20700l 豚肉1kg 5900l
鶏肉1kg 4500l
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職人魂
2006年1月18日携帯のバッテリーはきょうも途中充電するはめ。
1200kgと650kgの荷おろしで急遽手配。
雨で工程の遅れが心配される。
相もかわらづの十分なる時間がない。
本当に時間がないのであろうか。
設計士の先生の事務所で4時間以上の協議。
参加者は3名。ゆえにみっちりと討議して耐震、強度計算の仕事を依頼した。
太陽光発電を施工するに当たり強度が足りうるや否やの構造計算の仕事の依頼である。
ここには言われている姉歯問題の気配は微塵もない。
かの事件は実にいい迷惑である。
職人の世界に誤魔化しはない。
先鋒の言われる料金も納得できる。工期もそうである。
いい仕事をするには料金と日程が十分にあることだ。
出費は痛いが目に見えぬところにお金を賭けるのは江戸っ子の粋である。
武士は食わねどを矜持しているが実は辛い経営である。
見直しの中で外国人の視点での美が評価されたのは侘び寂びの粋、京都の桂離宮。
世界的なドイツ人建築家ブルーノ・タウトがその美を世界に紹介した。
ナチスが政権を握りつつあったドイツを避け夫妻で来日。
滞在は三年半と短かったが、日本の文化と風土をこよなく愛したという。
筆もよく著書を残した。『ニッポン』『日本文化私観』『日本美の再発見』は今でも建築学日本人論のバイブル。
タウトの手になる建築物は相模湾を眼下に見おろす眺望抜群の急傾斜地の(旧日向別邸〉ブルーノ・タウト「熱海の家」である。
建築主はアジア貿易で活躍した実業家の日向利兵衛。
今は熱海市が管理している。
そのタウトにも師匠がいた。
小堀遠州その人である。
小堀(1579〜1674)は江戸時代初期の武人で幕府の普請奉行、茶道、建築、造園、陶芸など万般に通じた芸術家その人である。
江戸城、御所などを設計したが晩年、六十五歳で桂離宮の造営奉行を命じられた。
小堀はこのとき次の三つの条件を出し、認められて引き受けている。
一、中言助言一切ご無用のこと。
一、諸掛り費用一切お関い無きこと。
一、日限期日一切お定め無きこと。
第一に干渉するな、第二に経費を限るな、第三に期限を切るな。
この三カ条は遠州生涯の信条であり、理想だったという。
熱海の離れを設計するにあたり、タウトは同じ条件を出した。
日向利兵衛はこれを受け入れた
構造的な元請優先の主客転倒の現代とは大違い。
なんとも醜悪なご時世である。
ホリエモンはお金で人も買えると豪語した。
株式分割の錬金術で実態を超える虚勢で世の中に挑み勝ち組み。
神を恐れぬ思考方法はしっぺ返しが怖い。暗転。負け組み
姉歯問題を私共は笑えない。
同じ苦境に常にたたされている。
元請の干渉を受け入れ、費用削減、期間短縮のために、設計書を偽造したことが理解できないでもない。下請けの生きる術。
、一人のドイツ人建築家に日本人がひかれたのは、才能のすばらしさだけでなく清潔感や几帳面さにある。
武士道にもとずく庶民の日常生活そのものの再発見であった。
小泉政治のグローバル社会とか市場経済の政策が生み出してる
金が総ての勝ち組負け組みの品位のない現代社会とは無縁である。
国民の二極分化が進む我が国は、まだまだつらい改革が待っている
新たなる地方からの収奪体制である。
これ以上地方から何を盗み出さん!
競争や自助努力が求められる厳しい時代だからこそ、一方で必要なのは弱者や敗者、立場の違う相手を思いやる精神ではないか。
太陽光発電所の建設は実に手間隙かかる厄介なものである。
利益はでらず、やってはおれない・・・
でもやっってみせる。
地球環境からして立ち止まってる暇はない。
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1200kgと650kgの荷おろしで急遽手配。
雨で工程の遅れが心配される。
相もかわらづの十分なる時間がない。
本当に時間がないのであろうか。
設計士の先生の事務所で4時間以上の協議。
参加者は3名。ゆえにみっちりと討議して耐震、強度計算の仕事を依頼した。
太陽光発電を施工するに当たり強度が足りうるや否やの構造計算の仕事の依頼である。
ここには言われている姉歯問題の気配は微塵もない。
かの事件は実にいい迷惑である。
職人の世界に誤魔化しはない。
先鋒の言われる料金も納得できる。工期もそうである。
いい仕事をするには料金と日程が十分にあることだ。
出費は痛いが目に見えぬところにお金を賭けるのは江戸っ子の粋である。
武士は食わねどを矜持しているが実は辛い経営である。
見直しの中で外国人の視点での美が評価されたのは侘び寂びの粋、京都の桂離宮。
世界的なドイツ人建築家ブルーノ・タウトがその美を世界に紹介した。
ナチスが政権を握りつつあったドイツを避け夫妻で来日。
滞在は三年半と短かったが、日本の文化と風土をこよなく愛したという。
筆もよく著書を残した。『ニッポン』『日本文化私観』『日本美の再発見』は今でも建築学日本人論のバイブル。
タウトの手になる建築物は相模湾を眼下に見おろす眺望抜群の急傾斜地の(旧日向別邸〉ブルーノ・タウト「熱海の家」である。
建築主はアジア貿易で活躍した実業家の日向利兵衛。
今は熱海市が管理している。
そのタウトにも師匠がいた。
小堀遠州その人である。
小堀(1579〜1674)は江戸時代初期の武人で幕府の普請奉行、茶道、建築、造園、陶芸など万般に通じた芸術家その人である。
江戸城、御所などを設計したが晩年、六十五歳で桂離宮の造営奉行を命じられた。
小堀はこのとき次の三つの条件を出し、認められて引き受けている。
一、中言助言一切ご無用のこと。
一、諸掛り費用一切お関い無きこと。
一、日限期日一切お定め無きこと。
第一に干渉するな、第二に経費を限るな、第三に期限を切るな。
この三カ条は遠州生涯の信条であり、理想だったという。
熱海の離れを設計するにあたり、タウトは同じ条件を出した。
日向利兵衛はこれを受け入れた
構造的な元請優先の主客転倒の現代とは大違い。
なんとも醜悪なご時世である。
ホリエモンはお金で人も買えると豪語した。
株式分割の錬金術で実態を超える虚勢で世の中に挑み勝ち組み。
神を恐れぬ思考方法はしっぺ返しが怖い。暗転。負け組み
姉歯問題を私共は笑えない。
同じ苦境に常にたたされている。
元請の干渉を受け入れ、費用削減、期間短縮のために、設計書を偽造したことが理解できないでもない。下請けの生きる術。
、一人のドイツ人建築家に日本人がひかれたのは、才能のすばらしさだけでなく清潔感や几帳面さにある。
武士道にもとずく庶民の日常生活そのものの再発見であった。
小泉政治のグローバル社会とか市場経済の政策が生み出してる
金が総ての勝ち組負け組みの品位のない現代社会とは無縁である。
国民の二極分化が進む我が国は、まだまだつらい改革が待っている
新たなる地方からの収奪体制である。
これ以上地方から何を盗み出さん!
競争や自助努力が求められる厳しい時代だからこそ、一方で必要なのは弱者や敗者、立場の違う相手を思いやる精神ではないか。
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利益はでらず、やってはおれない・・・
でもやっってみせる。
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11年前
2006年1月17日11年前の地獄の記憶がマスコミに踊っている。
その影で伝えられないもっと悲劇のにおいがする問題が迫っている。
2月になると未完成の技術の「プルサーマル」計画が始動する。
日本原燃が青森県六ヶ所村で再処理工場の試験運転を開始しようとしているのだ。
原子力発電所の使用済み核燃料からプルトニウムを取り出す工程が動き出すのを前に、各電力業界がプルトニウム利用計画を公表した。
計画は、政府の原子力委員会が策定を求めていた。
プルトニウムの具体的な使途を明確にし、核疑惑を招かないようにするのが、計画の狙いだ。
青森県なども試験運転入りの前提としていた。
計画によると、取り出されたプルトニウムで新たな核燃料を作り、通常の原子力発電所で燃やす。「プルサーマル」と呼ばれる方式だ。これにより、2012年度以降、国内の原子炉16〜18基で年間5・5〜6・5トンを消費するとなっている。
新聞によるとこうである。
本操業に入ると、プルトニウム回収量は年間4トン強。
日本の電力業界は、使用済み核燃料の再処理を委託してきた英仏の再処理工場などに26トン弱のプルトニウムを保有している。
九州電力の玄海3号機は、実施に向け最短距離にあると見られている
全体が計画通りにプルサーマルが進めば、これを消費できるという無責任なバラ色の御伽噺。
問題は山済みしている。
原子力発電所が立地する自治体の理解は殆んどのところで順調に進んでいない。
利用計画にも、安全性に対する不安などでが理由で、さっそく反対の声が出ている。
とりわけ、東京電力の原子力発電所がある福島、新潟両県の反発は強い。このため、利用計画を出した電力11社のうち東電だけは、どの原子炉でプルサーマルを実施する方針か明記できなかった。
原子力委員会は、計画の公表を受けて月内に、実現に向けた取り組みは十分かどうか評価をまとめる。
現在我が国には52基の商業用原子炉が操業中であり、総発電設備容量として4574.2万kW。
2001年度の実績では、発電電力量は約3,200億kWhに達し、国内総発電電力量約9,240億kWhの約34.6%。
世界の総発電量に占める原子力発電の割合は
、2001年の実績で約16%。
原子力発電の割合の高い国としては、
フランスの約77%、
ベルギーの約58%、
ウクライナの約46%、
スウェーデンの42%、
韓国の39%等があり、日本は13位。
2003年度では、原子力発電の比率が25.7%、天然ガスが27.9%、石炭が24.0%、水力が11.2%、石油等は10.4%。
平成15(2003)年3月に資源エネルギー庁が取りまとめた
「平成15年度電力供給計画」によれば、
需用電力量は、
2007年度に8808億kWh、
2012年度に9463億kWhを見込み、
2001年度から2012年度までの年平均増加率は135%になるとして、この需要を満たす供給力を確保する計画を策定している。
供給力は、今後10年間の電源の開発及び供給力の適切な調達により、2012年度には2億1573万kWの供給力を確保する計画となっている。
これは当該年度の
最大需要電力1億9412万kWに対して、11.1%の供給予備率を有しており、安定供給が確保できる計画となっている。
1998年末時点で運転中の原発は429基(合計出力は3億6469万7000キロワット)。
日本は53基(合計出力は4524万8000キロワット)で、アメリカ(107基)、フランス(56基)に次ぐ世界第3位の「原発依存大国」。
、2010年度までの発電量比率目標を、原発45%、火力42%に置いている。
「原発はコストの面で高くつくし、今後のコスト競争力もない」という判断で、98年アメリカやオランダが、それぞれ2基と1基閉鎖、カナダでも5基が運転を休止。
国民投票で原発の全廃を決めているスウェーデンでは99年から稼働中の原発を運転停止、閉鎖する作業が開始されるなど、今後の原発計画を見直しに入っている時代に、これまでの日本では、「見直し」という基本姿勢は殆どなく、近年は東京電力柏崎刈羽原発7号機(新潟県)と九州電力玄海原発4号機(佐賀県)の2基を増設して稼働させた他、原発の新規着工も、青森県東通村や大間町で次々に行なわれはじめた。
そして高リスクなプルサーマル計画(プルトニウム混合燃料の利用)や、失敗続きの「高速増殖炉計画」などを推し進めようとしている。
温暖化防止京都会議で決まった温室効果ガス6%削減の達成に向けて「温暖化の原因となる二酸化炭素の排出が少ない原発の増設」を対策の柱に挙げながら、「原発は、二酸化炭素の排出が少ないものの、最も危険な放射性物質と放射能を排出している」ことの認識がないままに、2010年までに原発発電量を1997年比で1・5倍以上にすることを決めるという認識錯誤、判断不良の中にある。
特に滑稽なのは、耐用年数は長くて30年とされていた原発を1基60年の長期運転を容認することを決めた。
、これは単なる表向きの方針で、真の目的は、運転開始から30年近くがたつ福島第一原発1号機(東京電力)、美浜原発1号機(関西電力)、敦賀原発1号機(日本原子力発電)への「廃炉回避対策」で、寿命のきた原発をさらに「とりあえず10年間、稼働させようよ」というもの。
それは、新規立地や増設が反対運動などで困難、廃炉にする場合の費用や安全対策は極めてコスト高という側面も踏まえた上での判断。
既存の原発が今後どんどん老朽化して寿命を迎えるという状況への対応策として、「とりあえず」の泥縄策で老朽化原発の延命を決め、危険な60年稼働への道を選択した。
現在の施設の中で、将来にわたって最も危険性の高い原発および核燃料サイクル施設は、閉鎖後も放射性廃棄物の半永久的な保管管理が、高度な技術と膨大な経費と共に必要で、原発の数が増えれば増えるだけ放射能汚染という厄介な問題を抱えて、核のゴミと一緒にわれわれは、これからさらに深刻さを抱え込んで存在し続けていくことになる。
のどもと過ぎればである。11年前の神戸何処ではないことだ。
1999年9月30日午前10時半ごろ、茨城県東海村で住友金属鉱業100%出資の子会社である核燃料製造メーカー「JCO東海事業所(旧社名、日本核燃料コンバーション)」のウラン加工施設で「国内原子力史上最悪の臨界事故」が起きた。
施設のすぐ近くでは、放射線量が通常の約4000〜1万5000倍に達し、半径350メートルの周辺世帯には避難勧告が出された他、半径10キロの範囲で屋内待機が要請され、混乱した。
安全神話が完全に崩れ去った今、推進・反対・慎重という「派」を問わず、原発の推進には慎重な意見を示す動きが主流になり始めた。
、電力各社の計画があっても、10年度までに運転開始を予定している原発が動く保証はない。
自然エネルギー導入の目標値自体が低すぎる。
10年の目標値が日本は1・35%、一方EUは22%である。
中国はFITを導入して10年までに6000万kW(原発60基分)の発電を自然エネルギーで行うとしている。
日本は石油産出量ゼロのでありながら、自然エネルギーへの取り組みがあまりにも遅れている。
震災に当たって考えねばならぬのはエネルギーのことではないのか。
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その影で伝えられないもっと悲劇のにおいがする問題が迫っている。
2月になると未完成の技術の「プルサーマル」計画が始動する。
日本原燃が青森県六ヶ所村で再処理工場の試験運転を開始しようとしているのだ。
原子力発電所の使用済み核燃料からプルトニウムを取り出す工程が動き出すのを前に、各電力業界がプルトニウム利用計画を公表した。
計画は、政府の原子力委員会が策定を求めていた。
プルトニウムの具体的な使途を明確にし、核疑惑を招かないようにするのが、計画の狙いだ。
青森県なども試験運転入りの前提としていた。
計画によると、取り出されたプルトニウムで新たな核燃料を作り、通常の原子力発電所で燃やす。「プルサーマル」と呼ばれる方式だ。これにより、2012年度以降、国内の原子炉16〜18基で年間5・5〜6・5トンを消費するとなっている。
新聞によるとこうである。
本操業に入ると、プルトニウム回収量は年間4トン強。
日本の電力業界は、使用済み核燃料の再処理を委託してきた英仏の再処理工場などに26トン弱のプルトニウムを保有している。
九州電力の玄海3号機は、実施に向け最短距離にあると見られている
全体が計画通りにプルサーマルが進めば、これを消費できるという無責任なバラ色の御伽噺。
問題は山済みしている。
原子力発電所が立地する自治体の理解は殆んどのところで順調に進んでいない。
利用計画にも、安全性に対する不安などでが理由で、さっそく反対の声が出ている。
とりわけ、東京電力の原子力発電所がある福島、新潟両県の反発は強い。このため、利用計画を出した電力11社のうち東電だけは、どの原子炉でプルサーマルを実施する方針か明記できなかった。
原子力委員会は、計画の公表を受けて月内に、実現に向けた取り組みは十分かどうか評価をまとめる。
現在我が国には52基の商業用原子炉が操業中であり、総発電設備容量として4574.2万kW。
2001年度の実績では、発電電力量は約3,200億kWhに達し、国内総発電電力量約9,240億kWhの約34.6%。
世界の総発電量に占める原子力発電の割合は
、2001年の実績で約16%。
原子力発電の割合の高い国としては、
フランスの約77%、
ベルギーの約58%、
ウクライナの約46%、
スウェーデンの42%、
韓国の39%等があり、日本は13位。
2003年度では、原子力発電の比率が25.7%、天然ガスが27.9%、石炭が24.0%、水力が11.2%、石油等は10.4%。
平成15(2003)年3月に資源エネルギー庁が取りまとめた
「平成15年度電力供給計画」によれば、
需用電力量は、
2007年度に8808億kWh、
2012年度に9463億kWhを見込み、
2001年度から2012年度までの年平均増加率は135%になるとして、この需要を満たす供給力を確保する計画を策定している。
供給力は、今後10年間の電源の開発及び供給力の適切な調達により、2012年度には2億1573万kWの供給力を確保する計画となっている。
これは当該年度の
最大需要電力1億9412万kWに対して、11.1%の供給予備率を有しており、安定供給が確保できる計画となっている。
1998年末時点で運転中の原発は429基(合計出力は3億6469万7000キロワット)。
日本は53基(合計出力は4524万8000キロワット)で、アメリカ(107基)、フランス(56基)に次ぐ世界第3位の「原発依存大国」。
、2010年度までの発電量比率目標を、原発45%、火力42%に置いている。
「原発はコストの面で高くつくし、今後のコスト競争力もない」という判断で、98年アメリカやオランダが、それぞれ2基と1基閉鎖、カナダでも5基が運転を休止。
国民投票で原発の全廃を決めているスウェーデンでは99年から稼働中の原発を運転停止、閉鎖する作業が開始されるなど、今後の原発計画を見直しに入っている時代に、これまでの日本では、「見直し」という基本姿勢は殆どなく、近年は東京電力柏崎刈羽原発7号機(新潟県)と九州電力玄海原発4号機(佐賀県)の2基を増設して稼働させた他、原発の新規着工も、青森県東通村や大間町で次々に行なわれはじめた。
そして高リスクなプルサーマル計画(プルトニウム混合燃料の利用)や、失敗続きの「高速増殖炉計画」などを推し進めようとしている。
温暖化防止京都会議で決まった温室効果ガス6%削減の達成に向けて「温暖化の原因となる二酸化炭素の排出が少ない原発の増設」を対策の柱に挙げながら、「原発は、二酸化炭素の排出が少ないものの、最も危険な放射性物質と放射能を排出している」ことの認識がないままに、2010年までに原発発電量を1997年比で1・5倍以上にすることを決めるという認識錯誤、判断不良の中にある。
特に滑稽なのは、耐用年数は長くて30年とされていた原発を1基60年の長期運転を容認することを決めた。
、これは単なる表向きの方針で、真の目的は、運転開始から30年近くがたつ福島第一原発1号機(東京電力)、美浜原発1号機(関西電力)、敦賀原発1号機(日本原子力発電)への「廃炉回避対策」で、寿命のきた原発をさらに「とりあえず10年間、稼働させようよ」というもの。
それは、新規立地や増設が反対運動などで困難、廃炉にする場合の費用や安全対策は極めてコスト高という側面も踏まえた上での判断。
既存の原発が今後どんどん老朽化して寿命を迎えるという状況への対応策として、「とりあえず」の泥縄策で老朽化原発の延命を決め、危険な60年稼働への道を選択した。
現在の施設の中で、将来にわたって最も危険性の高い原発および核燃料サイクル施設は、閉鎖後も放射性廃棄物の半永久的な保管管理が、高度な技術と膨大な経費と共に必要で、原発の数が増えれば増えるだけ放射能汚染という厄介な問題を抱えて、核のゴミと一緒にわれわれは、これからさらに深刻さを抱え込んで存在し続けていくことになる。
のどもと過ぎればである。11年前の神戸何処ではないことだ。
1999年9月30日午前10時半ごろ、茨城県東海村で住友金属鉱業100%出資の子会社である核燃料製造メーカー「JCO東海事業所(旧社名、日本核燃料コンバーション)」のウラン加工施設で「国内原子力史上最悪の臨界事故」が起きた。
施設のすぐ近くでは、放射線量が通常の約4000〜1万5000倍に達し、半径350メートルの周辺世帯には避難勧告が出された他、半径10キロの範囲で屋内待機が要請され、混乱した。
安全神話が完全に崩れ去った今、推進・反対・慎重という「派」を問わず、原発の推進には慎重な意見を示す動きが主流になり始めた。
、電力各社の計画があっても、10年度までに運転開始を予定している原発が動く保証はない。
自然エネルギー導入の目標値自体が低すぎる。
10年の目標値が日本は1・35%、一方EUは22%である。
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理想都市
2006年1月16日宮崎の13時の会議にでないでいたら、南の現場の施工法が又
元に戻っている。
堂々巡りで前にすすまづ小田原評定で、怒髪天をつく怒りの内心である。
ところが、怒ってるのは私でなくお客さんのほうでこれではやってはおれない。
仕事に賭ける情熱!辛らつなる場面がある限り、ここには姉歯問題は存在せづ、フイィザーなど無縁である。
北の現場は会議であったが○○さんに託して私は都城の現場の打ち合わせ。
どうにも多忙すぎる。まだまだ分業がいる。
合間に資金繰りの件で多くの方に依頼。
有り難きスタッフ陣。
お話の中で過去の記述をそのまま再掲した
都城市は,昭和48年に市の木にケヤキを指定している。
市役所近辺には冬の景色を示す見事なケヤキ林の道路沿いである。
化石燃料社会に起因するCO2排出が地球環境を病ませ豪雪台風の異常気象を生んでいるが
このような環境が作られてるのは流石に明治維新を成し遂げたところ。
もちろん市庁舎にも太陽光発電は設置してある。
市長は全国一若い人がご在位なさっている。
古きと先人の知恵と新しき思考方法。未来に残す地球環境そして人造り。
美術館には日本に誇る地元出身の日本画家・山内多門の収集品。ここはいい。
地場産業に、加工品が多く国の生産量の90%を占める大弓や木刀,民芸調の都城家具など伝統的な職人工芸が有名なハズである。
協議の現場はそのところの学校。再掲する事情が起こった。
学校創立は1778 安永 7年 稽古所に由来する伝統あるもの。
体育館には,「香飛翰院(こうひかんいん)」という額がかかげてある。社会人でさえ解せないのが掲げてあるのがすごいものだ。「ここは学問の香り漂うところ」という意味だそうだ。
玄関には明道館学制三章というものがある。
今から200年ぐらい前に,そのころの校長坂元正衡が決めたきまりだそうだ。
これが又凄い!
学校以明人倫為本若悖倫理者不許入此門
(学校は,人倫を明らかにするを以て本と為す。若し,倫理にもとる者はこの門に入るを許さず。)
学校以礼儀為先若蔑礼儀者不許登此堂
(学校は,礼儀を以て先と為す。若し,礼儀をあなどる者は,この堂に登ることを許さず。)
学業以躬行為主若徒言無行者不許臨此席
(学業は,躬行を以て主と為す。若し,徒に言いて行う無き者は,この席に臨むを許さず。)
この教えは,今でもうけつがれていて,校風は
「人倫」「礼儀」「躬行(きゅうこう)」となっている。
ここ実は「小学校」なんであります。
ヒェ〜驚いた。
地域的にも環境が違う。
正門前の通りは「鷹部屋筋」と書いて、「たかべやんすっ」と呼ぶ。
これは鷹(たか)部屋のある筋ということを都城の方言で言っているのだ。
都之城城主・北郷讃岐守忠能が飼っていたタカを訓練する人やえさをあたえる人など、タカを養う人たちがその辺りにたくさん住んでいたといわれている。
タカは政治をしている人の「権力のあかし」。
忠能はタカを島津のとの様へのおくり物にしたり、タカ狩を好んだ。また幕府や将軍にタカをおくっていたという。
武家社会を確立した源頼朝の社会階級は1192〜1867まで695年の長き封建制社会が続いた。
富士の裾野の鷹狩りは三大敵討ちでも知られてるが頼朝の鷹狩り好きの証左でもある。
島津はこの頼朝の落とし多ね出あることは歴史通は周知のお話。
よって代々島津にも鷹好きが尾家に受け継がれたのやも知れない。
すぐ横にこの「たかべやんすっ」が通っているのは、学校を中心に領主館が建てられていたゆえである。
学校の南側道路をへだてた八幡町の小高い丘の上に「旭丘(ひのお)神社」がある。
この神社は何回か名前が変わっている。
約四百年前までは「上野別府天神」。また歴史の本に「氷室(ひむろ)天神」とも書かれている。
明治六年ごろには近くの三神社といっしょになり、現在の旭丘神社と社名がさだまる。
戦争が始まると「ぐんじんさあ(軍神様)」と呼ぶ。戦争に行く人は必ずお参りをした。
この神社には学問の神様菅原道真公も祭ってある。よってこの神様は、厄よけの神様でもある。
功雄霊神(こうゆうれいしん)という神様もまってある。この神様は京都からお連れした「じ」の神様。
昔、じの悪い岡田孫右ヱ門という人あり。
その人は、「私は、このじのために死す。神は後世の人々のために、このじにかかった者を救え」と言って亡くなったそうだ。
その後、その人の友達が「じ」で苦しんだけれど、功雄霊神にお祈りしたらなおったという。
都島町の都島公園は昔、陸軍墓地。
泣く子も黙る勇猛果敢な都城二十三連隊を鎮魂するところ。す。都島公園のおくの方に、その墓がある。
都城二十三連隊は、もともと熊本県の陸軍部隊でしたが、一九二五(大正十四)年に都城に引っこしてきたもの。
軍馬のはかもあり、馬頭観音もご在位。
明治維新を成し遂げた経済力を持った島津藩の一部をなして歴史溢れる町である。
この学校出新の方の力作新聞でも紹介された。
都城市出身のトイレ壁画デザイナー松永はつ子さんが同市天神町一号街区公園の公衆トイレに制作した壁画を、光村図書(東京都)が中学3年「道徳」教科書に写真付きで掲載した。
今年春から全国の中学校で使用される。
松永さんは、以前から同社発行の道徳教科書に
「公衆トイレの行方」と題した文章を執筆している。
改訂版では松村さんが執筆した文に加えて、淡い空色を基調に木々の間を鳥が飛ぶ構図のトイレ壁画と、制作中の松永さんを写した写真二枚が採用された。
掲載面は見開き二ページ。
文で松永さんは「なぜ公衆トイレは汚されるのだろうか」と問い掛け、
「公衆トイレに都市のすべてが凝縮されているといっても過言ではない。公衆トイレを街から失わないためにはどうしたらよいか、みんなで知恵を出し合い考えていきたい」と訴えている。
松永さんはこの明道小を卒業、姫城中1年の時に神奈川県へ転出。
大学卒業後、デザイナーになり、1974(昭和49)年から米国のニューヨーク水族館やJR横浜駅など国内外のトイレに壁画を描き続けている
生命の誕生たるに一番近い環境作りの市ゆえに子供の魂を持続されてると考察する私は単なる空想家であろか。
環境が人を作る。
明治維新を成し遂げた国はこの国を守り抜く環境との調和、人つくり。明治大正の息吹が息づいている。
太陽光発電は生活の垢を少なくする地球に優しい生きる規範でもある。
夜23時30分過ぎまだ携帯で打ち合わせをやっている。
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ところが、怒ってるのは私でなくお客さんのほうでこれではやってはおれない。
仕事に賭ける情熱!辛らつなる場面がある限り、ここには姉歯問題は存在せづ、フイィザーなど無縁である。
北の現場は会議であったが○○さんに託して私は都城の現場の打ち合わせ。
どうにも多忙すぎる。まだまだ分業がいる。
合間に資金繰りの件で多くの方に依頼。
有り難きスタッフ陣。
お話の中で過去の記述をそのまま再掲した
都城市は,昭和48年に市の木にケヤキを指定している。
市役所近辺には冬の景色を示す見事なケヤキ林の道路沿いである。
化石燃料社会に起因するCO2排出が地球環境を病ませ豪雪台風の異常気象を生んでいるが
このような環境が作られてるのは流石に明治維新を成し遂げたところ。
もちろん市庁舎にも太陽光発電は設置してある。
市長は全国一若い人がご在位なさっている。
古きと先人の知恵と新しき思考方法。未来に残す地球環境そして人造り。
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地場産業に、加工品が多く国の生産量の90%を占める大弓や木刀,民芸調の都城家具など伝統的な職人工芸が有名なハズである。
協議の現場はそのところの学校。再掲する事情が起こった。
学校創立は1778 安永 7年 稽古所に由来する伝統あるもの。
体育館には,「香飛翰院(こうひかんいん)」という額がかかげてある。社会人でさえ解せないのが掲げてあるのがすごいものだ。「ここは学問の香り漂うところ」という意味だそうだ。
玄関には明道館学制三章というものがある。
今から200年ぐらい前に,そのころの校長坂元正衡が決めたきまりだそうだ。
これが又凄い!
学校以明人倫為本若悖倫理者不許入此門
(学校は,人倫を明らかにするを以て本と為す。若し,倫理にもとる者はこの門に入るを許さず。)
学校以礼儀為先若蔑礼儀者不許登此堂
(学校は,礼儀を以て先と為す。若し,礼儀をあなどる者は,この堂に登ることを許さず。)
学業以躬行為主若徒言無行者不許臨此席
(学業は,躬行を以て主と為す。若し,徒に言いて行う無き者は,この席に臨むを許さず。)
この教えは,今でもうけつがれていて,校風は
「人倫」「礼儀」「躬行(きゅうこう)」となっている。
ここ実は「小学校」なんであります。
ヒェ〜驚いた。
地域的にも環境が違う。
正門前の通りは「鷹部屋筋」と書いて、「たかべやんすっ」と呼ぶ。
これは鷹(たか)部屋のある筋ということを都城の方言で言っているのだ。
都之城城主・北郷讃岐守忠能が飼っていたタカを訓練する人やえさをあたえる人など、タカを養う人たちがその辺りにたくさん住んでいたといわれている。
タカは政治をしている人の「権力のあかし」。
忠能はタカを島津のとの様へのおくり物にしたり、タカ狩を好んだ。また幕府や将軍にタカをおくっていたという。
武家社会を確立した源頼朝の社会階級は1192〜1867まで695年の長き封建制社会が続いた。
富士の裾野の鷹狩りは三大敵討ちでも知られてるが頼朝の鷹狩り好きの証左でもある。
島津はこの頼朝の落とし多ね出あることは歴史通は周知のお話。
よって代々島津にも鷹好きが尾家に受け継がれたのやも知れない。
すぐ横にこの「たかべやんすっ」が通っているのは、学校を中心に領主館が建てられていたゆえである。
学校の南側道路をへだてた八幡町の小高い丘の上に「旭丘(ひのお)神社」がある。
この神社は何回か名前が変わっている。
約四百年前までは「上野別府天神」。また歴史の本に「氷室(ひむろ)天神」とも書かれている。
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改訂版では松村さんが執筆した文に加えて、淡い空色を基調に木々の間を鳥が飛ぶ構図のトイレ壁画と、制作中の松永さんを写した写真二枚が採用された。
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「公衆トイレに都市のすべてが凝縮されているといっても過言ではない。公衆トイレを街から失わないためにはどうしたらよいか、みんなで知恵を出し合い考えていきたい」と訴えている。
松永さんはこの明道小を卒業、姫城中1年の時に神奈川県へ転出。
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生命の誕生たるに一番近い環境作りの市ゆえに子供の魂を持続されてると考察する私は単なる空想家であろか。
環境が人を作る。
明治維新を成し遂げた国はこの国を守り抜く環境との調和、人つくり。明治大正の息吹が息づいている。
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大正ロマン
2006年1月16日過去の日記を再掲する必要に迫られた。
都城と宮崎と工程会議を同時に迫られて対応が出来てない。
いろいろ聞かれたことにブログを見てください!と答えた故。
世界的閉塞の時代に日本だけが輝けるはずはない。「災」の一年であった。
その一切の責任は地球の為政者で征服者の責任に帰する。
自らが生み出した大量生産・大量消費の経済の負が地球環境を脅かしこの暖冬で誰しもお気づきのはずだ。
ところが世界環境会議はボイコットしたまま。
ほしい石油産出国のイラクは大儀をかなぐり捨てて侵略し支配したままである。
何が正義で何が悪なのかテロリストの冠名詞で善悪が分けられようとの乱暴な時代のメークマールがまかり通っている混沌として時代である。
わが国は守り抜いてきた理想をかなぐり捨て、わが軍をついに国外に派遣するまでになった。
しかるに来年度の国家予算は国内総生産(GDP)より累積国債総額が超過する経済政策である。
財政のほぼ半分は国債という借金である。
文化不毛の国は幻想が現実政策である。
黎明期の時代にヒントをもとめ再出発ぱつを図るしかない。
最初にわが国が輝いて時代は関東大震災までの大正時代である。
それは大正デモクラシーの波の中ではぐくまれた、
大衆の力の自覚は個人の自覚で自分で生き抜くいう点で、
明治から太平洋戦争の敗戦までの歴史の中で異彩を放っている。
政治的は浮き足立つほど輝いていた。
それは日清、日露、第一次世界大戦の勝利とそれによる国際意識の形成があった
今日の国連常任理事国復帰を前に国民には、なしのつぶてで沸かないのとは大違いである。
それはまた内面を見つめる文芸へも目が向いてきた。
人間主義を唱え新天地日向での「新しき村」を実現し県内での公演は多くの活力を与えた。
これら武者小路実篤や志賀直哉ら白樺派による楽天的な個人主義
、それに大きく影響を受けた自由主義教育運動
世界的にはレーニンらによるソビエト連邦の成立に刺激されたマルクスやエンゲルスに共産主義思想の流布といった、共産主義思想の勃興とその国家の樹立。
今の米国一極主義の無風と違った風がふいていた、
日本が大衆レベルで国際化する時代であった。
その中で花開いたのが浅草オペラであった。
大正時代の西洋音楽の大衆化に貢献した、鈴木三重吉らの
「赤い鳥」運動と、佐々紅華らを中心とした浅草オペラが喚起で迎えられた。
殊に、浅草オペラはその後のシミキンこと清水金一、や二村定一、榎本健一らに代表されるボードビル・ショーをうんだ、
昭和ジャズ、浅草オペラの手法をほぼ原型のまま踏襲している
宝塚歌劇へと発展する。
藤原義江に代表される本格的オペラ運動の原点でもある。
時代の大転換期とは不思議なもので、転換期を担う人々が、まるで神の使わせし使者のように、救世主として出現してくる。
これらの人々は、担わされた歴史的使命は露とも知らず、自由意志によって当然活動する
日本の歴史に名をとどめた人々のストーリーがそこにあることに気がつく。
遠くは義経であり、新田義貞、天草四郎、西郷隆盛らの役割である。
、
その意味で言えば、大正時代とは大衆が自身の力を自覚した時期でありる。
、
短期間で大衆が西洋文化を消化吸収し、日本的西洋文化たる和洋折衷文化を花開かせたときでもあった。
では、浅草オペラの勃興から衰退までを佐々紅華を中心に
振り返ってみよう。
作曲家佐々紅華は第3回レコード大賞受賞「君恋し」や
「祇園小唄」、プロ野球のヤクルトスワローズの応援歌にもなっている「東京音頭」の作曲者である
津島利典さんのNHKラジオ深夜便で
「東京歌劇座」の80年ぶりの復活の話を聞いた。
清島監督は正義・情熱の人で観客動員ができない映画を作る。
その点わが宮崎の黒木監督に通づるところがある。
義父・佐々紅華も戦争時期ただの一曲も曲を作らず、秩父の山奥・埼玉県寄居町に疎開永住の地として昭和7年に、池袋から2時間の現在の枕流荘[京亭]を建てすごした反骨の人
DNAは引き継がれる。
歴史を記念して東宝争議決着から50周年にしてドキュメント映画を完成させた。
「闘ふ映画人の記録−来なかったのは軍艦だけ」
そのいきさつをまとめたドキュメンタリー映画
東宝争議は戦後の労働争議を性格付けた
電産闘争、そして政治のあり方の中道路線
わが宮崎では旭化成の紛争で政治的に異風を生んだ
宮崎と名古屋を中心とする一大政治勢力である。
今日の後進県たる生活基盤未整備の道路鉄道の燦燦たる状況はひとえにこの政治に帰する。
インフラの未整備との詭弁で政治家は誤魔化す。
特にこのことが宮崎の今日の姿。
東宝争議が昭和23年8月19日に“決着”してから56年を迎える、
映画は、俳優の故花沢徳衛さんら当時の組合員や遺族へ足かけ三年にわたり行われたインタビューが中心。
誰かさんの映画手法ににてません?
現存する唯一のニュースフィルム(約十分間)や関係者から提供された写真などを挿入して、撮影所の中から見た「8月19日」を再現した96分の作品。
清島利典監督は「映像集めには苦労した。
あの時代の映画人が『暴力では文化は破壊されない』と戦車の前に立ちはだかろうとした理由を、今の若い映画人に知ってもらいたい」と話している。
飛鳥田一雄横浜市長の米軍戦車前にすわりこんだ政治家を彷彿させる。飛鳥田は明治大映画部で後輩の川島雄三に大きな影響を与えた。
江戸文化たる落語を題材にした居残り左平次の映像化「幕末太陽伝」
都会派監督川島の面目躍如たるものがある娯楽名作
フランキー堺は役者の能力の全てを開花させた
「地獄も極楽もあるもんけえー、
おいら、まだまだ生きるんでエー!」
墓標の「花に嵐のたとえもあるぞ、
サヨナラだけが人生だ」
は青森の先輩太宰をも意識してのことか。
元に戻そう。浅草オペラ華ひらく大正浪漫のことである。
田谷力三、清水金一、原信子、藤原義江等々、浅草オペラ人気歌手の1920年から1938年は録音でとして残っている。
田谷力三、の回顧にある
唾かかるほど密接な距離でのカルメン
浅草オペラと言えばあれもそうか!と多くのアレンジである。
リズムはマーチもあり実に愉快になる。
コロッケの歌のコミック調とてもオペラではないが和む。
暮らしとともに創る文化は心のよりどころとなる
外国・レシピ・コロッケ・村長さん・大工一世を風靡したはずだ
ビゼーのカルメンの悲劇の結末を下町に置き換える機転のよさ。
1917(大正6)年 伊庭孝率いる歌舞劇協会が浅草六区常盤座で彼の作になる「女軍出征」を初演、この成功から、いわゆる浅草オペラの時代が幕開けた
それから1923年大正12年 9月1日の関東大震災までの約6年半が、大正大衆文化の象徴とも言うべき浅草オペラの時代
私のカラオケの十八番はこのころの曲ばかり。堀内敬三には感謝
「君恋し」、「青空」、「アラビアの唄」「乾杯の歌」
ナレーションもいります。歌うは長州の人亡き、二村定一、
、浅草オペラからエノケンの音楽喜劇・コミックソングへ、
そしてNHK軽音楽三木鶏郎(トリロー)へと連なる。
アラビヤの歌
訳詞 堀内敬三・作曲 FRED FISHER
砂漠に陽が落ちて 夜となるころ 恋人よなつかしい 歌を歌おうよ
あのさびしい調べに 今日も涙流そう
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都城と宮崎と工程会議を同時に迫られて対応が出来てない。
いろいろ聞かれたことにブログを見てください!と答えた故。
世界的閉塞の時代に日本だけが輝けるはずはない。「災」の一年であった。
その一切の責任は地球の為政者で征服者の責任に帰する。
自らが生み出した大量生産・大量消費の経済の負が地球環境を脅かしこの暖冬で誰しもお気づきのはずだ。
ところが世界環境会議はボイコットしたまま。
ほしい石油産出国のイラクは大儀をかなぐり捨てて侵略し支配したままである。
何が正義で何が悪なのかテロリストの冠名詞で善悪が分けられようとの乱暴な時代のメークマールがまかり通っている混沌として時代である。
わが国は守り抜いてきた理想をかなぐり捨て、わが軍をついに国外に派遣するまでになった。
しかるに来年度の国家予算は国内総生産(GDP)より累積国債総額が超過する経済政策である。
財政のほぼ半分は国債という借金である。
文化不毛の国は幻想が現実政策である。
黎明期の時代にヒントをもとめ再出発ぱつを図るしかない。
最初にわが国が輝いて時代は関東大震災までの大正時代である。
それは大正デモクラシーの波の中ではぐくまれた、
大衆の力の自覚は個人の自覚で自分で生き抜くいう点で、
明治から太平洋戦争の敗戦までの歴史の中で異彩を放っている。
政治的は浮き足立つほど輝いていた。
それは日清、日露、第一次世界大戦の勝利とそれによる国際意識の形成があった
今日の国連常任理事国復帰を前に国民には、なしのつぶてで沸かないのとは大違いである。
それはまた内面を見つめる文芸へも目が向いてきた。
人間主義を唱え新天地日向での「新しき村」を実現し県内での公演は多くの活力を与えた。
これら武者小路実篤や志賀直哉ら白樺派による楽天的な個人主義
、それに大きく影響を受けた自由主義教育運動
世界的にはレーニンらによるソビエト連邦の成立に刺激されたマルクスやエンゲルスに共産主義思想の流布といった、共産主義思想の勃興とその国家の樹立。
今の米国一極主義の無風と違った風がふいていた、
日本が大衆レベルで国際化する時代であった。
その中で花開いたのが浅草オペラであった。
大正時代の西洋音楽の大衆化に貢献した、鈴木三重吉らの
「赤い鳥」運動と、佐々紅華らを中心とした浅草オペラが喚起で迎えられた。
殊に、浅草オペラはその後のシミキンこと清水金一、や二村定一、榎本健一らに代表されるボードビル・ショーをうんだ、
昭和ジャズ、浅草オペラの手法をほぼ原型のまま踏襲している
宝塚歌劇へと発展する。
藤原義江に代表される本格的オペラ運動の原点でもある。
時代の大転換期とは不思議なもので、転換期を担う人々が、まるで神の使わせし使者のように、救世主として出現してくる。
これらの人々は、担わされた歴史的使命は露とも知らず、自由意志によって当然活動する
日本の歴史に名をとどめた人々のストーリーがそこにあることに気がつく。
遠くは義経であり、新田義貞、天草四郎、西郷隆盛らの役割である。
、
その意味で言えば、大正時代とは大衆が自身の力を自覚した時期でありる。
、
短期間で大衆が西洋文化を消化吸収し、日本的西洋文化たる和洋折衷文化を花開かせたときでもあった。
では、浅草オペラの勃興から衰退までを佐々紅華を中心に
振り返ってみよう。
作曲家佐々紅華は第3回レコード大賞受賞「君恋し」や
「祇園小唄」、プロ野球のヤクルトスワローズの応援歌にもなっている「東京音頭」の作曲者である
津島利典さんのNHKラジオ深夜便で
「東京歌劇座」の80年ぶりの復活の話を聞いた。
清島監督は正義・情熱の人で観客動員ができない映画を作る。
その点わが宮崎の黒木監督に通づるところがある。
義父・佐々紅華も戦争時期ただの一曲も曲を作らず、秩父の山奥・埼玉県寄居町に疎開永住の地として昭和7年に、池袋から2時間の現在の枕流荘[京亭]を建てすごした反骨の人
DNAは引き継がれる。
歴史を記念して東宝争議決着から50周年にしてドキュメント映画を完成させた。
「闘ふ映画人の記録−来なかったのは軍艦だけ」
そのいきさつをまとめたドキュメンタリー映画
東宝争議は戦後の労働争議を性格付けた
電産闘争、そして政治のあり方の中道路線
わが宮崎では旭化成の紛争で政治的に異風を生んだ
宮崎と名古屋を中心とする一大政治勢力である。
今日の後進県たる生活基盤未整備の道路鉄道の燦燦たる状況はひとえにこの政治に帰する。
インフラの未整備との詭弁で政治家は誤魔化す。
特にこのことが宮崎の今日の姿。
東宝争議が昭和23年8月19日に“決着”してから56年を迎える、
映画は、俳優の故花沢徳衛さんら当時の組合員や遺族へ足かけ三年にわたり行われたインタビューが中心。
誰かさんの映画手法ににてません?
現存する唯一のニュースフィルム(約十分間)や関係者から提供された写真などを挿入して、撮影所の中から見た「8月19日」を再現した96分の作品。
清島利典監督は「映像集めには苦労した。
あの時代の映画人が『暴力では文化は破壊されない』と戦車の前に立ちはだかろうとした理由を、今の若い映画人に知ってもらいたい」と話している。
飛鳥田一雄横浜市長の米軍戦車前にすわりこんだ政治家を彷彿させる。飛鳥田は明治大映画部で後輩の川島雄三に大きな影響を与えた。
江戸文化たる落語を題材にした居残り左平次の映像化「幕末太陽伝」
都会派監督川島の面目躍如たるものがある娯楽名作
フランキー堺は役者の能力の全てを開花させた
「地獄も極楽もあるもんけえー、
おいら、まだまだ生きるんでエー!」
墓標の「花に嵐のたとえもあるぞ、
サヨナラだけが人生だ」
は青森の先輩太宰をも意識してのことか。
元に戻そう。浅草オペラ華ひらく大正浪漫のことである。
田谷力三、清水金一、原信子、藤原義江等々、浅草オペラ人気歌手の1920年から1938年は録音でとして残っている。
田谷力三、の回顧にある
唾かかるほど密接な距離でのカルメン
浅草オペラと言えばあれもそうか!と多くのアレンジである。
リズムはマーチもあり実に愉快になる。
コロッケの歌のコミック調とてもオペラではないが和む。
暮らしとともに創る文化は心のよりどころとなる
外国・レシピ・コロッケ・村長さん・大工一世を風靡したはずだ
ビゼーのカルメンの悲劇の結末を下町に置き換える機転のよさ。
1917(大正6)年 伊庭孝率いる歌舞劇協会が浅草六区常盤座で彼の作になる「女軍出征」を初演、この成功から、いわゆる浅草オペラの時代が幕開けた
それから1923年大正12年 9月1日の関東大震災までの約6年半が、大正大衆文化の象徴とも言うべき浅草オペラの時代
私のカラオケの十八番はこのころの曲ばかり。堀内敬三には感謝
「君恋し」、「青空」、「アラビアの唄」「乾杯の歌」
ナレーションもいります。歌うは長州の人亡き、二村定一、
、浅草オペラからエノケンの音楽喜劇・コミックソングへ、
そしてNHK軽音楽三木鶏郎(トリロー)へと連なる。
アラビヤの歌
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宴のあと。
2006年1月15日今日で松の内が明けた。
さ〜あ仕事!・・が、営々と培われてきた農耕文化の大和の国であった。
幼き頃これまでの期間にお正月のお返しを配りまわった。
後は旧正月しかない。その間顔をあわすとかっこ悪いので慌てて今日までに済ましていた。親の命令だけでなく気を配ったものだ。
生き方総てがその国の文化。
勤勉で責任感ある民族で異種なる世界的な民族と見られてもいる内々の生活習慣。
かってそれは富士山,サムライ,芸者,腹切り,着物がマスコミの発達していない頃の不思議な国ジャポンであった。
現代の外国人は浅草寺参道でそのノスタルジーに浸り日本通の観光客気取りなんであろう。
底に変化が生じている。
異変は国技館に相撲みたさに外国人が来てる事でもある。
低迷を続けていた相撲界の興行収入もどうにも外資=外国人頼みのようである。
小欲大を制する!が古来の武道たる柔道、相撲にあった
裏づけに精神修養が独特の粘り強い民族性としてあった。
少子化をはじめ大きく社会正義が変わろうとしている。
皇室さえ変更を余儀なくされようとしている。
当事者たる三笠宮は集中攻撃の悪者扱い。
グローバル経済の世界標準が生活の隅々間で勝ち組・負け組みとして入り込んでいる。
巨漢の高見山に立ち向かう小さき貴乃花、
曙・武蔵丸VS若乃花貴乃花。
悪者扱いの巨漢力士に立ち向かう半分ぐらいの体重の若貴。
あの頃の感覚が日本社会の終焉でもあったやも知れない。
全力士713人中59人が外国出身で、相撲部屋54のうち3部屋以外には外国人力士を抱え持つ。
社会の変化だけで済ますと危ないこと。
だらしない情けないが常識人の分析。
ところがどうだ、
まず相撲に対する子供の世界の激変、遊びが出来ない。
負けるのがいや!
遊んでいるとアブナイ!と親が止める
子供にすればまわし姿、褌が恥かしい。
勝負に負け残念無念!がが感覚異常となり、厳しき修行についていけず、国技を捨てるが故郷を捨てることが出来ない幼児化。
かってテニスで言われていた地元抜きのウインブルドン現象。
ビッグバンだの外資がくるだので騒がれてた現象そのもの。
世界の各国にも相撲に似たものはあった。
バイロンでは5000年前のレリーフに戦いの絵さえあるぐらいだ。インドサンスクリットしかり。
だが、相撲が宗教儀式までに昇華したのは日本的なもの。
相撲たるその場が継続するのは日本だけである。
これぞ日本理解のチャンス,好機と見るべきである。
日本社会が甘い状況で相撲取りさえ生み出せない環境。
ガマンができず、故郷にかえり、親に頼る社会機構。
47年秋、輪島vs貴乃花の同時大関昇進の関脇対決。
45年九州玉の島vs大鵬の賜杯争いに小が大に勝つ。
日本の文化は奥が深い。
余分なモンをそぎ落とす能や茶道、華道はたまた香道さえもつ。
すべてに幽玄の世界さえ漂う。
新日曜美術館須田国太郎の油絵の世界を確立した黒の芸術と同じである。
信玄の愛した窪八幡に赤白黒に雨を降らせた名画。影と影が高湿潤の空気の大和の大気を表現した。
東西の絵画との融合
闇の中から見出されたもの。
そして西洋を取り入れた。
音楽の世界のオーケストラと同じである。
ことし生誕二百五十周年のモーツァルトだ
脳卒中で昏睡状態にあるイスラエルのシャロン首相(77)のベッドで、家族がモーツァルトの曲を聞かせていることが話題を呼んでいる。「やっぱりモーツァルトはストレス解消と脳の活性化にいいらしい」。
健康志向のネタは千里を走る。
「モーツァルトを聞くと活性化するんですね」のノーベル物理学賞小柴昌俊さんのモーツァルト好きが説得力をもつ。
モーツァルトの曲を流すと、「酒づくりに効果がある」「野菜の生育にいい」との声が続く。
若者たちをオーケストラに引き寄せたのは、
漫画「のだめカンタービレ」の劇的効果だという。
「のだめ」は主人公野田恵のあだ名。「カンタービレ」は音楽用語で「歌うように」の意。
のだめは桃ヶ丘音楽大学ピアノ科の学生。楽譜を読むのは苦手でも、一度耳で聴けば完璧にその通りに弾けてしまう才能の持ち主。
雑誌に連載中の少女マンガで、楽譜を読むのが苦手なピアノ科の女子学生の破天荒な物語だ。単行本も十三巻までで五百万部も売り上げている。
一時はCDショップの棚で減らされたクラシックが戻ってきた。CD六枚組みの「クラシック・ベスト100」が六十万枚という記録的な売り上げだとか。
続いて「ピアノ100」「モーツァルト100」を含めて百万枚突破のバカ当たりらしい。
ところが近習の者から見ればいい迷惑で悪者扱い。
「世界3大悪妻」と呼ばれ評されるる女性たちさえ存在する。
それは、ソクラテス、モーツァルト、トルストイの妻ということになっている
何日か前の新聞にそのひとり、モーツァルトの妻コンスタンツェの名前があった。
作曲家の亡きあと、妻が二つに引き裂いた楽譜がロンドンの大英図書館で170年ぶりの“再会”を果たし、ひとつの楽譜に戻ったという
楽譜にはモーツァルト17歳の作品である弦楽四重奏のメヌエットなどが書き記されている。夫の没後、楽譜の断片を収集することが流行し、妻は二つに裂くことで売りに出す遺品の価値を高め
ようとしたらしい
作家の半藤一利さんは「漱石俳句探偵帖」(角川選書)の中で、ソクラテスの妻に同情を寄せている。
彫刻職人の夫が商売をそっちのけにして街で哲学を談じ、一文の稼ぎもない日々がつづけば、「ヒステリーをおこしたって、これは当然である」と
コンスタンツェの場合も子供と残された借金を抱えて貧困に苦しんだと伝えられ、楽譜切断が悪妻説を裏づけるものかどうかは分からない。ともあれ、夫の遺品を切り裂いて後味がいいはずもなく、地上のニュースにいまはどこか天の高みでほっとしていることだろう
人類の至宝のような天才作曲家にして、「夫婦仲」という組曲づくりには手を焼く。いわんや、凡才においてをや。
クサンチッペは誰の妻であったケ?。
食い散らされたグローバル経済の後の瑞穂の国の風景。
宴の後の後処理は続く。
地球の歴史とともに悠久の時間を経て作られた化石燃料が
僅200年で食いちぎられCO2で喘ぐ地球。
豪雪もCO2の影響であるのは明白である。
太陽光発電の普及でCO2から地球環境を守る。
今日も日曜日返上でパネル工事。
実にご苦労なことである。
誰でしょう!
「もったいない!」の
エネルギー問題を考慮せず生きてる人は。
地球は完全に病んでいる。
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さ〜あ仕事!・・が、営々と培われてきた農耕文化の大和の国であった。
幼き頃これまでの期間にお正月のお返しを配りまわった。
後は旧正月しかない。その間顔をあわすとかっこ悪いので慌てて今日までに済ましていた。親の命令だけでなく気を配ったものだ。
生き方総てがその国の文化。
勤勉で責任感ある民族で異種なる世界的な民族と見られてもいる内々の生活習慣。
かってそれは富士山,サムライ,芸者,腹切り,着物がマスコミの発達していない頃の不思議な国ジャポンであった。
現代の外国人は浅草寺参道でそのノスタルジーに浸り日本通の観光客気取りなんであろう。
底に変化が生じている。
異変は国技館に相撲みたさに外国人が来てる事でもある。
低迷を続けていた相撲界の興行収入もどうにも外資=外国人頼みのようである。
小欲大を制する!が古来の武道たる柔道、相撲にあった
裏づけに精神修養が独特の粘り強い民族性としてあった。
少子化をはじめ大きく社会正義が変わろうとしている。
皇室さえ変更を余儀なくされようとしている。
当事者たる三笠宮は集中攻撃の悪者扱い。
グローバル経済の世界標準が生活の隅々間で勝ち組・負け組みとして入り込んでいる。
巨漢の高見山に立ち向かう小さき貴乃花、
曙・武蔵丸VS若乃花貴乃花。
悪者扱いの巨漢力士に立ち向かう半分ぐらいの体重の若貴。
あの頃の感覚が日本社会の終焉でもあったやも知れない。
全力士713人中59人が外国出身で、相撲部屋54のうち3部屋以外には外国人力士を抱え持つ。
社会の変化だけで済ますと危ないこと。
だらしない情けないが常識人の分析。
ところがどうだ、
まず相撲に対する子供の世界の激変、遊びが出来ない。
負けるのがいや!
遊んでいるとアブナイ!と親が止める
子供にすればまわし姿、褌が恥かしい。
勝負に負け残念無念!がが感覚異常となり、厳しき修行についていけず、国技を捨てるが故郷を捨てることが出来ない幼児化。
かってテニスで言われていた地元抜きのウインブルドン現象。
ビッグバンだの外資がくるだので騒がれてた現象そのもの。
世界の各国にも相撲に似たものはあった。
バイロンでは5000年前のレリーフに戦いの絵さえあるぐらいだ。インドサンスクリットしかり。
だが、相撲が宗教儀式までに昇華したのは日本的なもの。
相撲たるその場が継続するのは日本だけである。
これぞ日本理解のチャンス,好機と見るべきである。
日本社会が甘い状況で相撲取りさえ生み出せない環境。
ガマンができず、故郷にかえり、親に頼る社会機構。
47年秋、輪島vs貴乃花の同時大関昇進の関脇対決。
45年九州玉の島vs大鵬の賜杯争いに小が大に勝つ。
日本の文化は奥が深い。
余分なモンをそぎ落とす能や茶道、華道はたまた香道さえもつ。
すべてに幽玄の世界さえ漂う。
新日曜美術館須田国太郎の油絵の世界を確立した黒の芸術と同じである。
信玄の愛した窪八幡に赤白黒に雨を降らせた名画。影と影が高湿潤の空気の大和の大気を表現した。
東西の絵画との融合
闇の中から見出されたもの。
そして西洋を取り入れた。
音楽の世界のオーケストラと同じである。
ことし生誕二百五十周年のモーツァルトだ
脳卒中で昏睡状態にあるイスラエルのシャロン首相(77)のベッドで、家族がモーツァルトの曲を聞かせていることが話題を呼んでいる。「やっぱりモーツァルトはストレス解消と脳の活性化にいいらしい」。
健康志向のネタは千里を走る。
「モーツァルトを聞くと活性化するんですね」のノーベル物理学賞小柴昌俊さんのモーツァルト好きが説得力をもつ。
モーツァルトの曲を流すと、「酒づくりに効果がある」「野菜の生育にいい」との声が続く。
若者たちをオーケストラに引き寄せたのは、
漫画「のだめカンタービレ」の劇的効果だという。
「のだめ」は主人公野田恵のあだ名。「カンタービレ」は音楽用語で「歌うように」の意。
のだめは桃ヶ丘音楽大学ピアノ科の学生。楽譜を読むのは苦手でも、一度耳で聴けば完璧にその通りに弾けてしまう才能の持ち主。
雑誌に連載中の少女マンガで、楽譜を読むのが苦手なピアノ科の女子学生の破天荒な物語だ。単行本も十三巻までで五百万部も売り上げている。
一時はCDショップの棚で減らされたクラシックが戻ってきた。CD六枚組みの「クラシック・ベスト100」が六十万枚という記録的な売り上げだとか。
続いて「ピアノ100」「モーツァルト100」を含めて百万枚突破のバカ当たりらしい。
ところが近習の者から見ればいい迷惑で悪者扱い。
「世界3大悪妻」と呼ばれ評されるる女性たちさえ存在する。
それは、ソクラテス、モーツァルト、トルストイの妻ということになっている
何日か前の新聞にそのひとり、モーツァルトの妻コンスタンツェの名前があった。
作曲家の亡きあと、妻が二つに引き裂いた楽譜がロンドンの大英図書館で170年ぶりの“再会”を果たし、ひとつの楽譜に戻ったという
楽譜にはモーツァルト17歳の作品である弦楽四重奏のメヌエットなどが書き記されている。夫の没後、楽譜の断片を収集することが流行し、妻は二つに裂くことで売りに出す遺品の価値を高め
ようとしたらしい
作家の半藤一利さんは「漱石俳句探偵帖」(角川選書)の中で、ソクラテスの妻に同情を寄せている。
彫刻職人の夫が商売をそっちのけにして街で哲学を談じ、一文の稼ぎもない日々がつづけば、「ヒステリーをおこしたって、これは当然である」と
コンスタンツェの場合も子供と残された借金を抱えて貧困に苦しんだと伝えられ、楽譜切断が悪妻説を裏づけるものかどうかは分からない。ともあれ、夫の遺品を切り裂いて後味がいいはずもなく、地上のニュースにいまはどこか天の高みでほっとしていることだろう
人類の至宝のような天才作曲家にして、「夫婦仲」という組曲づくりには手を焼く。いわんや、凡才においてをや。
クサンチッペは誰の妻であったケ?。
食い散らされたグローバル経済の後の瑞穂の国の風景。
宴の後の後処理は続く。
地球の歴史とともに悠久の時間を経て作られた化石燃料が
僅200年で食いちぎられCO2で喘ぐ地球。
豪雪もCO2の影響であるのは明白である。
太陽光発電の普及でCO2から地球環境を守る。
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タミフル!
2006年1月14日豪雪地域の皆様にはご苦労振りに涙する。
春遠からじ、シャツ一枚で過ごせるあったかさ。22度にもなっている。
これでは体調管理が危うい。風邪に注意が必要だ。
それもインフルエンザとなれば当節柄怖いお話が語られている。
人は新しいウイルスに対する免疫を持たないからだ。
12〜13日、「新型インフルエンザ早期対応に関する東京会議」にはアジアを中心に21カ国から実務レベルの専門家が参加した。新聞に詳しく報道記事がある。
高病原性の鳥インフルエンザ「H5N1型」の人への感染が、じわじわと広がっていることが報告された。
ウイルスは、人から人へ感染するものに変異し、新型インフルエンザとして猛威をふるう可能性がある。
専門家の多くが、「秒読みに入った」と警鐘を鳴らしている。
世界保健機関(WHO)が10日までに確認した「H5N1型」の感染者数は6カ国147人に上る。
そのうち半数の78人が死亡している。
たかが風邪で驚異的な死亡率。
コリャ〜怖い。
人への感染の広がりは、人から人へと容易に感染する「新型インフルエンザウイルス」出現の可能性の高まりを示す。現状は予断を許さない。
議題は「早期封じ込め」対策で、各国が早期対応マニュアルを作ることや、重要事項決定のための世界的タスクフォース(対策本部)を設立することなどで合意した。
コリャ〜ことだ。
昨年6月に茨城県で発生した弱毒型の鳥インフルエンザ(H5N2)が、いまだに制圧されない。
人の健康被害はないが、養鶏業者らが77人も感染したと見られている。
どうにも隠されてる嫌いがある。
違法な闇ワクチンを鶏に打った疑いが指摘されている上に、一部の養鶏業者が感染を調べる鶏の検体をすり替えていたことも判明した。このようなことで、強毒性ウイルスが襲来した時、適切に対処できるのか。
行政と業界の総点検が必要だ。
これでは国民は協力できない。
ブログでも風邪の悩みを見受ける。
ただ同じウイルスでもパソコンウイルスは命まではとらない。
従来型のインフルエンザも、昨冬より6週間早く流行が始まった。うがいや手洗いなどを励行し、一層の予防に努めたい。
従来型の感染者が少なければ、治療薬タミフルの備蓄も促進される
「スターアニス」をご存じの方はかなりの食通だろう。
当節料理番組ばやりでの知識をお持ちやも知れぬ。
別名は「八角(はっかく)」。
中華料理に欠かせない香辛料で、北京ダックの独特の香味の素になる。
文字通り星の形をした楽しい木の実だが、意外にも国際的な争いの種になっている。
理由は八角に含まれるシキミ酸という天然化合物にある。
抗ウイルス剤「タミフル」の合成に必要な物質なのだ。
鳥インフルエンザの流行で薬は爆発的に売れ、世界中の国々が我先にと国家備蓄に走り出した。
その裏側で、原料となる八角の確保を焦る製薬会社が、目を三角にして産地の中国内を駆け回っている。
鳥、豚、人へと複雑な感染経路をたどる恐ろしい病気の源流と、治療の鍵を握るかもしれない貴重な植物資源の在処。
絡み合う糸をほぐしてみると両端が同じ場所にあったような、不思議な気分にさせられる構図ではないか。
中国を発生源にして中国に薬アり。そこに米国が絡む。
こりゃ〜マッチ・ポンプ。
国際利権の影にブッシュあり。
グローバル経済に一括して括られる勝ち組、負け組みの経済社会の倫理観らしい。
足りない物の争奪戦は人間の性だが、人命の危機にまで銭金のにおいが漂うのは寂しい。
タミフルの製造権はスイスの製薬大手ロシュが握る。
もともと開発したのはギリアド・サイエンシズという米国の企業で、その大株主で元会長という人物が誰あろう、
ブッシュ大統領を支えるラムズフェルド国防長官だという。
株価の急上昇で資産を膨らませたと聞き、裸の北京ダックの姿が哀れに見えてきた。
それにしても・・やぁ〜怪しやなぁ〜天・地・人心
WHOは世界的大流行に至る道筋を6段階にわける。現在は、人から人への感染がほとんどない「第3段階」と位置づけられる。早期封じ込めが特に重要となるのは、人から人への感染が増加する「第4段階」だ
封じ込めには、新型の発生をいち早く検出し、その情報を世界で共有することが欠かせない。
ところが、鳥インフルエンザでは、感染者の発生がWHOに報告されるまでに2週間以上経過していた例が半数以上に上る。
新型インフルエンザの場合、発生から2〜3週間で対応策がとれないと早期封じ込めは難しい。
報告が遅れる要因として、鳥インフルエンザの流行が地方の農家で起き、人々の認識が薄いことだ。
感染に気づく専門家もいない。情報隠しの恐れもある。新型出現に備え、一般の人を啓もうしたり専門知識のある人材を増やしていくことが急務だ。かつて情報隠しが問題になった中国などの情報公開も徹底したい。
なんせ隣国ゆえ空からパスポート無しでやってくる。
靖国問題で政治的な処方ができない一衣帯水の遠〜い隣国。
封じ込めには、抗ウイルス剤や感染地域の隔離などが有効と考えられる。
その際に、人や抗ウイルス薬などの物資をどのように動員するかも課題だ。
抗ウイルス薬の確保や分配の仕方は、早めに決めておかなくてはならない。感染地域の隔離も、人権に配慮しつつ、体制を整えておく必要がある。
日本は1億3500万ドルを新型インフルエンザ対策の支援に拠出すると表明している。
その一環として50万人分の抗ウイルス薬の備蓄支援などを行う。
この備蓄先や配分の仕方は未定で、有効な配置を急いで決める必要がある。
ただ、抗ウイルス剤やワクチンは万能でない。
大事なのは地域の人材育成も含めたきめ細かい対策であり、そうした面でも日本はリーダーシップを発揮に期待したい。
あさの雨模様を尻目に強行着工。
太陽光発電工事である。
すると雨模様は解けパネル工事の初日はうまくいく。
私は内業で図面造りでイライラ。
どうにも良くない精神状態に栄養状態。加えて金欠状態。
おおいにこの季節を楽しみたい。
今夜はなべにデモするか。
風邪にかからぬが一番!
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春遠からじ、シャツ一枚で過ごせるあったかさ。22度にもなっている。
これでは体調管理が危うい。風邪に注意が必要だ。
それもインフルエンザとなれば当節柄怖いお話が語られている。
人は新しいウイルスに対する免疫を持たないからだ。
12〜13日、「新型インフルエンザ早期対応に関する東京会議」にはアジアを中心に21カ国から実務レベルの専門家が参加した。新聞に詳しく報道記事がある。
高病原性の鳥インフルエンザ「H5N1型」の人への感染が、じわじわと広がっていることが報告された。
ウイルスは、人から人へ感染するものに変異し、新型インフルエンザとして猛威をふるう可能性がある。
専門家の多くが、「秒読みに入った」と警鐘を鳴らしている。
世界保健機関(WHO)が10日までに確認した「H5N1型」の感染者数は6カ国147人に上る。
そのうち半数の78人が死亡している。
たかが風邪で驚異的な死亡率。
コリャ〜怖い。
人への感染の広がりは、人から人へと容易に感染する「新型インフルエンザウイルス」出現の可能性の高まりを示す。現状は予断を許さない。
議題は「早期封じ込め」対策で、各国が早期対応マニュアルを作ることや、重要事項決定のための世界的タスクフォース(対策本部)を設立することなどで合意した。
コリャ〜ことだ。
昨年6月に茨城県で発生した弱毒型の鳥インフルエンザ(H5N2)が、いまだに制圧されない。
人の健康被害はないが、養鶏業者らが77人も感染したと見られている。
どうにも隠されてる嫌いがある。
違法な闇ワクチンを鶏に打った疑いが指摘されている上に、一部の養鶏業者が感染を調べる鶏の検体をすり替えていたことも判明した。このようなことで、強毒性ウイルスが襲来した時、適切に対処できるのか。
行政と業界の総点検が必要だ。
これでは国民は協力できない。
ブログでも風邪の悩みを見受ける。
ただ同じウイルスでもパソコンウイルスは命まではとらない。
従来型のインフルエンザも、昨冬より6週間早く流行が始まった。うがいや手洗いなどを励行し、一層の予防に努めたい。
従来型の感染者が少なければ、治療薬タミフルの備蓄も促進される
「スターアニス」をご存じの方はかなりの食通だろう。
当節料理番組ばやりでの知識をお持ちやも知れぬ。
別名は「八角(はっかく)」。
中華料理に欠かせない香辛料で、北京ダックの独特の香味の素になる。
文字通り星の形をした楽しい木の実だが、意外にも国際的な争いの種になっている。
理由は八角に含まれるシキミ酸という天然化合物にある。
抗ウイルス剤「タミフル」の合成に必要な物質なのだ。
鳥インフルエンザの流行で薬は爆発的に売れ、世界中の国々が我先にと国家備蓄に走り出した。
その裏側で、原料となる八角の確保を焦る製薬会社が、目を三角にして産地の中国内を駆け回っている。
鳥、豚、人へと複雑な感染経路をたどる恐ろしい病気の源流と、治療の鍵を握るかもしれない貴重な植物資源の在処。
絡み合う糸をほぐしてみると両端が同じ場所にあったような、不思議な気分にさせられる構図ではないか。
中国を発生源にして中国に薬アり。そこに米国が絡む。
こりゃ〜マッチ・ポンプ。
国際利権の影にブッシュあり。
グローバル経済に一括して括られる勝ち組、負け組みの経済社会の倫理観らしい。
足りない物の争奪戦は人間の性だが、人命の危機にまで銭金のにおいが漂うのは寂しい。
タミフルの製造権はスイスの製薬大手ロシュが握る。
もともと開発したのはギリアド・サイエンシズという米国の企業で、その大株主で元会長という人物が誰あろう、
ブッシュ大統領を支えるラムズフェルド国防長官だという。
株価の急上昇で資産を膨らませたと聞き、裸の北京ダックの姿が哀れに見えてきた。
それにしても・・やぁ〜怪しやなぁ〜天・地・人心
WHOは世界的大流行に至る道筋を6段階にわける。現在は、人から人への感染がほとんどない「第3段階」と位置づけられる。早期封じ込めが特に重要となるのは、人から人への感染が増加する「第4段階」だ
封じ込めには、新型の発生をいち早く検出し、その情報を世界で共有することが欠かせない。
ところが、鳥インフルエンザでは、感染者の発生がWHOに報告されるまでに2週間以上経過していた例が半数以上に上る。
新型インフルエンザの場合、発生から2〜3週間で対応策がとれないと早期封じ込めは難しい。
報告が遅れる要因として、鳥インフルエンザの流行が地方の農家で起き、人々の認識が薄いことだ。
感染に気づく専門家もいない。情報隠しの恐れもある。新型出現に備え、一般の人を啓もうしたり専門知識のある人材を増やしていくことが急務だ。かつて情報隠しが問題になった中国などの情報公開も徹底したい。
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ただ、抗ウイルス剤やワクチンは万能でない。
大事なのは地域の人材育成も含めたきめ細かい対策であり、そうした面でも日本はリーダーシップを発揮に期待したい。
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何でもアメリカ、裏組織
2006年1月13日エエッ!明日は4月頃の季節の大気温度だって!
どうもこの気温差には驚いてしまう。
この時期の空模様も宮崎に似つかわしくない。
西風の吹く冬特有の日々が一日もない。
宮崎特産の千きり大根のめぐみはどうなるんであろう。
CO2の地球規模の温暖化から来る異常気象。
是が快適ライフの石油漬けの個々人の生活が作り出してることにあると気付くと驚きであろう。
石油を中心とする化石燃料エネルギーなくして生活はできない。
だが有限たる化石燃料。
化石燃料の枯渇。もともと一滴も無い日本。
それに依存した生活が永久に何時までも続くはずがない。
この地球が叫んでる断末魔のメッセージが異常気象である。
この地球上に住むものが作り出した生活の垢である。
CO2削減の各国の出発点は京都議定書をよりどころとする。
ところがCO2排出国NO1のアメリカとNO2の中国そして5位のインドはCO2削減国家目標のこの議定書に加わっていない。
京都議定書に準じてるのは日本だけである。
それでも地球環境問題は避けて通れない。
そこで米国の呼びかけで作られたのがAPP「クリーン開発と気候に関するアジア太平洋パートナーシップ」である。
日本、米国、中国、インド、韓国、オーストラリアの6か国が参加し第1回閣僚会議が、オーストラリアのシドニーで開催された。
新聞によると
会議は、APPを二酸化炭素(CO2)など温室効果ガスの削減を定めた京都議定書を補完するものと位置づけた。
その上で、産業分野別に専門家会合を設け、温室効果ガスの排出抑制に向けた共同技術開発を進めていくことで合意した。
協力分野は化石エネルギー、再生可能エネルギーなど8分野で、日本は鉄鋼、セメント分野で議長を務める。日本の鉄鋼、電力業界などが開発してきた省エネ・環境分野の技術を中国やインドに移転することが、協力の柱となる。
中国は米国に次ぐCO2排出国だ。総排出量は日本の3倍以上に達する。
インドも数年後には日本の総排出量を抜くのは確実だ。
だが、京都議定書は先進国に削減義務を課すのみで、中国やインドは削減義務を負わない。
中国やインドが規制の対象外で、米国も議定書から離脱したままでは、実効性のある地球温暖化対策は期待できない。
2013年以降の削減体制を話し合う「ポスト京都議定書」論議にプラスになるよう導くためにも、日本はAPPに積極的にかかわるべきだ。
APPは、中国やインドに日本の技術を広める格好の機会でもある。
日本は2度の石油ショックを経て、官民挙げてエネルギー利用効率を高めることを追求した結果、省エネ技術は国際的に極めて高い水準にある
温室効果ガスの排出などを抑制して石炭を利用しやすくする「クリーン・コール・テクノロジー」でも、日本は磯子火力発電所(横浜市)で採用するなど、先進的地位にある。
一方、中国はエネルギー利用効率が日本と比べて9倍も悪い。1次エネルギーに占める石炭の割合も7割近くに上る。窒素酸化物、硫黄酸化物の排出による酸性雨被害が疑われる地域は、中国国内の3分の1に達すると言われている。
中国は、安定した経済成長を保つためにも、エネルギー利用効率を向上させる省エネ技術の取得や環境対策の強化を迫られている。
日本の省エネ・環境技術は、東アジアの地域協力や日中、日印の2国間関係を進める上で、強力な“武器”になる。
[温暖化対策]「東アジア協力の重要な柱になる」
経済成長が著しい中国やインドを抱える東アジアで、エネルギー・環境分野の地域協力をいかに進めるか。
日本にとって戦略的に取り組むべき課題だ。
APPは産業分野ごとにエネルギー効率の向上や環境技術革新を図ることで、温暖化を食い止めるという米国の発想に基づいている。日本でも経済産業省がそうしたアプローチに賛同している。
産業ごとの技術的対策ということで京都議定書と異質だが、途上国にとっては採用しやすい手法だ。
しかも、セメントや発電、鉄鋼などで実績のある日本や米国が入っている枠組みである。
確かにCO2総量でないのでどうにもわからぬやり方ではある。
なんでもアメリカ裏組織。
京都議定書には参加せずしてアメリカの動向はどうにも解せぬ。
是で地球の支配者ぶりなんであるから地球環境問題はすすまぬのであろう。
えらいことに毎日をかけてるもんである。
ドンキホーテも何時まで装えるのやら。
朝早く設計士さん宅に伺う。
昨夜から朝の4時過ぎかけて作成したがんばりやさんと共に工程表や諸書類を協議するためである。
人の振り見て我がふりなおせ。
珍しき御仁がおられたものだ。
私にもこのようなる傍若無人ぶりがほんの少しでもあるんであろうか。
反面教師の鏡ここに極まれり。
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どうもこの気温差には驚いてしまう。
この時期の空模様も宮崎に似つかわしくない。
西風の吹く冬特有の日々が一日もない。
宮崎特産の千きり大根のめぐみはどうなるんであろう。
CO2の地球規模の温暖化から来る異常気象。
是が快適ライフの石油漬けの個々人の生活が作り出してることにあると気付くと驚きであろう。
石油を中心とする化石燃料エネルギーなくして生活はできない。
だが有限たる化石燃料。
化石燃料の枯渇。もともと一滴も無い日本。
それに依存した生活が永久に何時までも続くはずがない。
この地球が叫んでる断末魔のメッセージが異常気象である。
この地球上に住むものが作り出した生活の垢である。
CO2削減の各国の出発点は京都議定書をよりどころとする。
ところがCO2排出国NO1のアメリカとNO2の中国そして5位のインドはCO2削減国家目標のこの議定書に加わっていない。
京都議定書に準じてるのは日本だけである。
それでも地球環境問題は避けて通れない。
そこで米国の呼びかけで作られたのがAPP「クリーン開発と気候に関するアジア太平洋パートナーシップ」である。
日本、米国、中国、インド、韓国、オーストラリアの6か国が参加し第1回閣僚会議が、オーストラリアのシドニーで開催された。
新聞によると
会議は、APPを二酸化炭素(CO2)など温室効果ガスの削減を定めた京都議定書を補完するものと位置づけた。
その上で、産業分野別に専門家会合を設け、温室効果ガスの排出抑制に向けた共同技術開発を進めていくことで合意した。
協力分野は化石エネルギー、再生可能エネルギーなど8分野で、日本は鉄鋼、セメント分野で議長を務める。日本の鉄鋼、電力業界などが開発してきた省エネ・環境分野の技術を中国やインドに移転することが、協力の柱となる。
中国は米国に次ぐCO2排出国だ。総排出量は日本の3倍以上に達する。
インドも数年後には日本の総排出量を抜くのは確実だ。
だが、京都議定書は先進国に削減義務を課すのみで、中国やインドは削減義務を負わない。
中国やインドが規制の対象外で、米国も議定書から離脱したままでは、実効性のある地球温暖化対策は期待できない。
2013年以降の削減体制を話し合う「ポスト京都議定書」論議にプラスになるよう導くためにも、日本はAPPに積極的にかかわるべきだ。
APPは、中国やインドに日本の技術を広める格好の機会でもある。
日本は2度の石油ショックを経て、官民挙げてエネルギー利用効率を高めることを追求した結果、省エネ技術は国際的に極めて高い水準にある
温室効果ガスの排出などを抑制して石炭を利用しやすくする「クリーン・コール・テクノロジー」でも、日本は磯子火力発電所(横浜市)で採用するなど、先進的地位にある。
一方、中国はエネルギー利用効率が日本と比べて9倍も悪い。1次エネルギーに占める石炭の割合も7割近くに上る。窒素酸化物、硫黄酸化物の排出による酸性雨被害が疑われる地域は、中国国内の3分の1に達すると言われている。
中国は、安定した経済成長を保つためにも、エネルギー利用効率を向上させる省エネ技術の取得や環境対策の強化を迫られている。
日本の省エネ・環境技術は、東アジアの地域協力や日中、日印の2国間関係を進める上で、強力な“武器”になる。
[温暖化対策]「東アジア協力の重要な柱になる」
経済成長が著しい中国やインドを抱える東アジアで、エネルギー・環境分野の地域協力をいかに進めるか。
日本にとって戦略的に取り組むべき課題だ。
APPは産業分野ごとにエネルギー効率の向上や環境技術革新を図ることで、温暖化を食い止めるという米国の発想に基づいている。日本でも経済産業省がそうしたアプローチに賛同している。
産業ごとの技術的対策ということで京都議定書と異質だが、途上国にとっては採用しやすい手法だ。
しかも、セメントや発電、鉄鋼などで実績のある日本や米国が入っている枠組みである。
確かにCO2総量でないのでどうにもわからぬやり方ではある。
なんでもアメリカ裏組織。
京都議定書には参加せずしてアメリカの動向はどうにも解せぬ。
是で地球の支配者ぶりなんであるから地球環境問題はすすまぬのであろう。
えらいことに毎日をかけてるもんである。
ドンキホーテも何時まで装えるのやら。
朝早く設計士さん宅に伺う。
昨夜から朝の4時過ぎかけて作成したがんばりやさんと共に工程表や諸書類を協議するためである。
人の振り見て我がふりなおせ。
珍しき御仁がおられたものだ。
私にもこのようなる傍若無人ぶりがほんの少しでもあるんであろうか。
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太陽光発電事業の普及に心血を注いでいる。
昨夜は完全徹夜で資料つくりをした覇者がいる。
この一歩一歩が着工にあたり大事な作業である。
師匠からのメールに数値表示がある。
シャープ、英国で太陽電池パネルを増強=2月から110メガワットに
> http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060111-00000166-jij-biz
シャープ の町田勝彦社長は11日の記者会見で、欧州の旺盛な太陽電池需要に対応するため、2月から英国の太陽電池パネル組立工場で、生産能力を現在の年産50メガワットから110メガワットに引き上げると語った。
> http://www.sharp.co.jp/corporate/info/policy/index.html
> http://www.c-hotline.com/japanese/user3/auto_login.cfm?userId=hpshar05am
> http://www.c-hotline.com/japanese/html/shar6005arc/dl/shar060111_1.pdf
110Mwですから11万キロワット。
昨年10月31日のプレスリリースでは
葛城工場の太陽電池セルの製造ラインを増強
太陽電池の年間生産能力を世界最大の500MWに拡大
シャープは、国内外の旺盛な需要に対応するため、葛城工場(奈良県)に、太陽電池セルの製造ラインを年産85MW(メガワット)増設、2005年11月より本格稼動
これにより、葛城工場の太陽電池セルの年間生産能力は、
世界最大の500MW(メガワット)に拡大。
太陽光発電は現在、材料となるシリコン不足が懸念されていますが、一方で、欧州を中心に、補助金や電力買取りなどの普及拡大策が取られ、産業用・電力用を中心に、メガワットクラスの大規模産業物件が増加し、今後も一層の市場拡大が見込まれている。
当社では、材料を有効活用するセルの薄型化や高効率な生産体制の構築に取り組み、環境負荷物質が発生しない新エネルギーとして期待の大きい太陽光発電システムの安定供給を図ってまいります。
また、シャープは、引き続き生産能力の一層の拡充を図ると同時に、クリーンエネルギー社会の実現に貢献する「温暖化負荷ゼロ企業」の実現をめざしてまいります。
と発表しています。実に鼻息荒いですね。で、その果実としての生産電力は、残念ながら国内で使われることはありまえません。 そのコアデバイスのセルは海外へそれも英国に110Mw出て行くんですね。50万kWのピーク対応発電所が39万kWになるだけだからそう落ち込むことも無いですかね。
でも、国内でパネルになった分も日本政府の経産省の高級官僚の政策の失敗で海外へ流失してしまう。
NEDOの草の根支援事業やFT事業で設置される設備の総量って今年度分を計算してみたら
98億円もかけてるのにたったの2万6000Kw、26MWですので、後は家庭用が頼みの綱。 果たしてどれほど売れたことやら・・・。
平成16年度の総出荷量が65万8077Kwで、国内分が 27万4000Kwで海外流失分が38万8888Kwでしたので、今年度は国内分が35万Kwほどになって海外へ70万KWほど出てくのかもしれません。
実に立派な海外輸出産業です。自動車産業と同じと思われてるのかな〜?
シャープや京セラ、三菱にしたって何処の企業もエネルギーインフラ 装置の供給産業とは思っていないでしょう。
どうも政府の方々は日本のエネルギー政策の基本はまず原発!次に化石燃料!確保。
ま〜、何もしないで置くわけにはいかないから新エネルギーそ
れも企業がそれを産業化して儲けられるものにすることってのが基本的な構想です。
国民は犠牲になれというのが彼ら自民党政治家のおじさんたちと高級官僚
の発想。撃ちてし止まん。一将(省)功成って万骨(国民)枯るかな〜・
踏みつけにされてもこの国の民は国家のためにご奉公するのが正しい姿なのでしょう。
こりゃ戦前の日本の姿と何ら変わらない?
さて毎年、倍倍で生産量が増えて行ったら?どうなるでしょう。ちょっと計算してみましょう。
昨年度の総生産量が
65万Kw
今年度は
130万キロワット
2007年度 が
260万キロワット、
2008年度が560万キロワット、
2009年度が1120万キロワット、
2010年度が2240万キロワットでしょうか・・・。
2010年度目標が480万キロワットですから、このトレンドではちょっと難しいでしょうから、さらにNEDO補助金を突っ込んで、(勿論、予 算分捕りをすればなんとかなりますわ)
数値目標だけは何とかできるでしょう。
それで、電力企業は買い叩きに行かざるを得ません。
しかし、既に設置したもの諦めるでしょうから、補助
金を出してコントロールして目標値は危うく達成して何とかつじつまは合わせられるかなと言う所じゃないですか?
そして原発も安泰、環境省もそこそこ点数を稼ぐだろうし問題は何とか収 まるだろうと・・・。これが彼らが描くシナリオでしょうか・・・。
たったの3%ですよ。これなら何とかなると踏んでるでしょう。だからたっ たの3%なんです。5%だって10%だって出来るんだけどね。
そして、市民がそのリターンをちゃんと自分たちのものとして地域の中で生かすことだって出来るのに、霞ヶ関の官僚と虎ノ門あたりの天下り先のために地域や地方が踏みつけにされるままで進むんですよね。
世界の中で笑いもんにされますわな。不良資産を作られた老人世代は食い潰したままであの世へと行かれる。
後に残される若者はばかにされたままです。
哀れな子羊の群れみたいな感じです。何故、若者は怒らないのか不思議です。少子高齢化を憂うなら、出生率1.2とかでおたおたするなら何故そう言うことになるのかを問うてみるべきです。
豪雪地帯の一人世帯の老人しか居ない田舎をそのままにしてしまったこの国の明治維新に組み込まれた思想が問い直されないとね・・・。
太陽電池が安くなれば皆が買うというのは間違いです。太陽電池を買うよりも太陽電池産業の株を買ったほうが儲かりますからね。
ドイツの太陽光発電に投資したほうが得なんですからね。さて、ネットバンクでドイツの太陽光発電に投資でもしましょうかね・
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昨夜は完全徹夜で資料つくりをした覇者がいる。
この一歩一歩が着工にあたり大事な作業である。
師匠からのメールに数値表示がある。
シャープ、英国で太陽電池パネルを増強=2月から110メガワットに
> http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060111-00000166-jij-biz
シャープ の町田勝彦社長は11日の記者会見で、欧州の旺盛な太陽電池需要に対応するため、2月から英国の太陽電池パネル組立工場で、生産能力を現在の年産50メガワットから110メガワットに引き上げると語った。
> http://www.sharp.co.jp/corporate/info/policy/index.html
> http://www.c-hotline.com/japanese/user3/auto_login.cfm?userId=hpshar05am
> http://www.c-hotline.com/japanese/html/shar6005arc/dl/shar060111_1.pdf
110Mwですから11万キロワット。
昨年10月31日のプレスリリースでは
葛城工場の太陽電池セルの製造ラインを増強
太陽電池の年間生産能力を世界最大の500MWに拡大
シャープは、国内外の旺盛な需要に対応するため、葛城工場(奈良県)に、太陽電池セルの製造ラインを年産85MW(メガワット)増設、2005年11月より本格稼動
これにより、葛城工場の太陽電池セルの年間生産能力は、
世界最大の500MW(メガワット)に拡大。
太陽光発電は現在、材料となるシリコン不足が懸念されていますが、一方で、欧州を中心に、補助金や電力買取りなどの普及拡大策が取られ、産業用・電力用を中心に、メガワットクラスの大規模産業物件が増加し、今後も一層の市場拡大が見込まれている。
当社では、材料を有効活用するセルの薄型化や高効率な生産体制の構築に取り組み、環境負荷物質が発生しない新エネルギーとして期待の大きい太陽光発電システムの安定供給を図ってまいります。
また、シャープは、引き続き生産能力の一層の拡充を図ると同時に、クリーンエネルギー社会の実現に貢献する「温暖化負荷ゼロ企業」の実現をめざしてまいります。
と発表しています。実に鼻息荒いですね。で、その果実としての生産電力は、残念ながら国内で使われることはありまえません。 そのコアデバイスのセルは海外へそれも英国に110Mw出て行くんですね。50万kWのピーク対応発電所が39万kWになるだけだからそう落ち込むことも無いですかね。
でも、国内でパネルになった分も日本政府の経産省の高級官僚の政策の失敗で海外へ流失してしまう。
NEDOの草の根支援事業やFT事業で設置される設備の総量って今年度分を計算してみたら
98億円もかけてるのにたったの2万6000Kw、26MWですので、後は家庭用が頼みの綱。 果たしてどれほど売れたことやら・・・。
平成16年度の総出荷量が65万8077Kwで、国内分が 27万4000Kwで海外流失分が38万8888Kwでしたので、今年度は国内分が35万Kwほどになって海外へ70万KWほど出てくのかもしれません。
実に立派な海外輸出産業です。自動車産業と同じと思われてるのかな〜?
シャープや京セラ、三菱にしたって何処の企業もエネルギーインフラ 装置の供給産業とは思っていないでしょう。
どうも政府の方々は日本のエネルギー政策の基本はまず原発!次に化石燃料!確保。
ま〜、何もしないで置くわけにはいかないから新エネルギーそ
れも企業がそれを産業化して儲けられるものにすることってのが基本的な構想です。
国民は犠牲になれというのが彼ら自民党政治家のおじさんたちと高級官僚
の発想。撃ちてし止まん。一将(省)功成って万骨(国民)枯るかな〜・
踏みつけにされてもこの国の民は国家のためにご奉公するのが正しい姿なのでしょう。
こりゃ戦前の日本の姿と何ら変わらない?
さて毎年、倍倍で生産量が増えて行ったら?どうなるでしょう。ちょっと計算してみましょう。
昨年度の総生産量が
65万Kw
今年度は
130万キロワット
2007年度 が
260万キロワット、
2008年度が560万キロワット、
2009年度が1120万キロワット、
2010年度が2240万キロワットでしょうか・・・。
2010年度目標が480万キロワットですから、このトレンドではちょっと難しいでしょうから、さらにNEDO補助金を突っ込んで、(勿論、予 算分捕りをすればなんとかなりますわ)
数値目標だけは何とかできるでしょう。
それで、電力企業は買い叩きに行かざるを得ません。
しかし、既に設置したもの諦めるでしょうから、補助
金を出してコントロールして目標値は危うく達成して何とかつじつまは合わせられるかなと言う所じゃないですか?
そして原発も安泰、環境省もそこそこ点数を稼ぐだろうし問題は何とか収 まるだろうと・・・。これが彼らが描くシナリオでしょうか・・・。
たったの3%ですよ。これなら何とかなると踏んでるでしょう。だからたっ たの3%なんです。5%だって10%だって出来るんだけどね。
そして、市民がそのリターンをちゃんと自分たちのものとして地域の中で生かすことだって出来るのに、霞ヶ関の官僚と虎ノ門あたりの天下り先のために地域や地方が踏みつけにされるままで進むんですよね。
世界の中で笑いもんにされますわな。不良資産を作られた老人世代は食い潰したままであの世へと行かれる。
後に残される若者はばかにされたままです。
哀れな子羊の群れみたいな感じです。何故、若者は怒らないのか不思議です。少子高齢化を憂うなら、出生率1.2とかでおたおたするなら何故そう言うことになるのかを問うてみるべきです。
豪雪地帯の一人世帯の老人しか居ない田舎をそのままにしてしまったこの国の明治維新に組み込まれた思想が問い直されないとね・・・。
太陽電池が安くなれば皆が買うというのは間違いです。太陽電池を買うよりも太陽電池産業の株を買ったほうが儲かりますからね。
ドイツの太陽光発電に投資したほうが得なんですからね。さて、ネットバンクでドイツの太陽光発電に投資でもしましょうかね・
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にわか設計士。
2006年1月11日アップ・ロードしようとしたら消滅の悲哀を味わって思い起こして二度目の挑戦。
久しぶりに内業の時間のお許しを頂いた。
朝の7時前から現場の上屋工事等の打ち合わせ。
90KM南での1300からの大事な現地協議をお願いした。
結果は改造でなく新築でやると夕方ご返事を頂く。
残るも大変。各種の資料つくりに昼食の時間も15時過ぎ。
お手製のラーメンにご飯。
三階建ての鉄筋造りの建築確認のための図面はバインダー7冊にもなる。
建築年度の違いなどや増築部分もあり複雑怪奇。
ちまたの造語にもなった姉歯の言葉が飛び交う。
門外漢でも泣き泣き図面と根競べ。
基礎強度をめぐり、工法の研究である。
誰が手抜きをしてるというのか。
強度計算に向けての下資料作り。
これほどまで必死であると緊張感も心地よい。
大地震に備えるには、建物を鉄やコンクリートで固めるのがよいのか、それとも柳のように揺れを吸収する方がよいのか。
関東大震災の直後、建築界でそんな議論が起きた。
これを「柔剛論争」と言いこれについて先日触れた。、
「不安感論争」は戦後1950年代に、総ガラス張りのビルが東京や大阪に建ち始めた、
「地震が心配だ」「いやガラスの持つ不安感は芸術性を高める」と応酬である 、
不安感論争の象徴となったのは、皇居わきに建った米出版社リーダーズ・ダイジェストのビル。
ガラス面が大きく、柱が細く見える。建築学者や建設省技官らが「一度揺すってみないと安全かどうかわからない」などと盛んに批判したと建築評論家の宮内嘉久の証言がある。
設計したのは、チェコ生まれの建築家アントニン・レーモンド。
戦前と戦後に計44年間日本で暮らし、関東大震災も体験。
「地震に強い」と評された建築家には心外な非難で、晩年に出版した自伝でもなお軽井沢の吉村山荘を
憤慨しているそうである。
吉村順三と、前川國男の師である。
新日曜美術館で吉村順三のことを報道した。
建築を志す人の中で知らない人はいない。
森との調和の軽井沢の吉村山荘は聖地扱いである・
奈良の博物館と八ヶ岳の音楽堂、青山タワービル。
福岡の河庄と京都の俵屋の玄関。
吉村氏は「大震災を見て建築家を志した」と語っている。
前川国男も建物の頑丈さには終生こだわり続けた。
弘前市にいけば弘前中央高校講堂や市役所など10数件がみれる。
東大建築卒後パリでル・コルビュジェのアトリエで学ぶ。
帰国後アントニン・レモンドの事務所を経て、独立。
東京文化会館、紀伊國屋書店もこの人の手になる。
宮崎における日高是一先生みたいなものである。
それらを思いながら図面をみて資料作り。
チョッピリのアルコールもいいではないか。
、神谷傳兵衛の懇親の作「電気ブラン」がいい。
「電気ブランは発売当初は“電気ブランデー”と呼んだそうだ。明治26年(1893)頃、初代神谷傳兵衛によって誕生。
それが面白い。
もともと薬用として売られていた輸入ブランデーに、日本人の口に合う様、改良を加えたナンタるゲテもの。
ブランデー、ワイン、ジン、ベルモット、キュラソーなどをブレンドし、柔らかな口当りと豊かな香りのカクテルとした。
その処方は今なお秘伝。
ネーミングの由来を伝えている。
文明開化の風潮の中で「電気」という言葉にはハイカラなイメージがあり、当時は目新しいものは「電気○○」と呼ぶことが流行していた。
また飲み口の良い、強いお酒なので身体の芯まで心地よくピリリとしびれるように酔いが回る、との評判が生まれた。
「神谷の電気ブランデー」はいつしか昭和初期頃には親しみをこめて「電気ブラン」と呼ばれるようになる。
日の出桟橋から隅田川をのぼり、浅草で下船すると
橋のたもとでこれを傾ける。
明治の香りをかいでから浅草寺参り。
日本最初の遊園地、の花やしきはこの歳ゆえあるまいて。
伝宝院通を抜け日本唯一の講談浪曲定席木馬館か国際通りの浅草演芸場ホール
を楽しむには丁度いい。
巨大なる太陽光発電事業には建築の仕事も絡む。
見慣れぬヅメンを広げいっぱしの建築士気取り。
ホント?いや〜〜悲鳴をあげている。
最後まで有難うございます。
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三階建ての鉄筋造りの建築確認のための図面はバインダー7冊にもなる。
建築年度の違いなどや増築部分もあり複雑怪奇。
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基礎強度をめぐり、工法の研究である。
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大地震に備えるには、建物を鉄やコンクリートで固めるのがよいのか、それとも柳のように揺れを吸収する方がよいのか。
関東大震災の直後、建築界でそんな議論が起きた。
これを「柔剛論争」と言いこれについて先日触れた。、
「不安感論争」は戦後1950年代に、総ガラス張りのビルが東京や大阪に建ち始めた、
「地震が心配だ」「いやガラスの持つ不安感は芸術性を高める」と応酬である 、
不安感論争の象徴となったのは、皇居わきに建った米出版社リーダーズ・ダイジェストのビル。
ガラス面が大きく、柱が細く見える。建築学者や建設省技官らが「一度揺すってみないと安全かどうかわからない」などと盛んに批判したと建築評論家の宮内嘉久の証言がある。
設計したのは、チェコ生まれの建築家アントニン・レーモンド。
戦前と戦後に計44年間日本で暮らし、関東大震災も体験。
「地震に強い」と評された建築家には心外な非難で、晩年に出版した自伝でもなお軽井沢の吉村山荘を
憤慨しているそうである。
吉村順三と、前川國男の師である。
新日曜美術館で吉村順三のことを報道した。
建築を志す人の中で知らない人はいない。
森との調和の軽井沢の吉村山荘は聖地扱いである・
奈良の博物館と八ヶ岳の音楽堂、青山タワービル。
福岡の河庄と京都の俵屋の玄関。
吉村氏は「大震災を見て建築家を志した」と語っている。
前川国男も建物の頑丈さには終生こだわり続けた。
弘前市にいけば弘前中央高校講堂や市役所など10数件がみれる。
東大建築卒後パリでル・コルビュジェのアトリエで学ぶ。
帰国後アントニン・レモンドの事務所を経て、独立。
東京文化会館、紀伊國屋書店もこの人の手になる。
宮崎における日高是一先生みたいなものである。
それらを思いながら図面をみて資料作り。
チョッピリのアルコールもいいではないか。
、神谷傳兵衛の懇親の作「電気ブラン」がいい。
「電気ブランは発売当初は“電気ブランデー”と呼んだそうだ。明治26年(1893)頃、初代神谷傳兵衛によって誕生。
それが面白い。
もともと薬用として売られていた輸入ブランデーに、日本人の口に合う様、改良を加えたナンタるゲテもの。
ブランデー、ワイン、ジン、ベルモット、キュラソーなどをブレンドし、柔らかな口当りと豊かな香りのカクテルとした。
その処方は今なお秘伝。
ネーミングの由来を伝えている。
文明開化の風潮の中で「電気」という言葉にはハイカラなイメージがあり、当時は目新しいものは「電気○○」と呼ぶことが流行していた。
また飲み口の良い、強いお酒なので身体の芯まで心地よくピリリとしびれるように酔いが回る、との評判が生まれた。
「神谷の電気ブランデー」はいつしか昭和初期頃には親しみをこめて「電気ブラン」と呼ばれるようになる。
日の出桟橋から隅田川をのぼり、浅草で下船すると
橋のたもとでこれを傾ける。
明治の香りをかいでから浅草寺参り。
日本最初の遊園地、の花やしきはこの歳ゆえあるまいて。
伝宝院通を抜け日本唯一の講談浪曲定席木馬館か国際通りの浅草演芸場ホール
を楽しむには丁度いい。
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国家権力をものの見事に表現してる事件が昨日起きた。
混沌とした時代背景のある政治状況化ではおきるはずもない事。
今は津々浦々にまで国家目標が貫かれる状況下にあることをものの見事に証明している。
川越新富町長が収賄容疑で逮捕された。
先月、役所内の対立候補を打ち破って2期目になったばかりなのにである。
事件になってる収賄額も僅かの額で通常の貸借の範囲内ではないか。事件にしては不可解である。
国家目標たる防衛政策に一自治体の長が防衛庁本局まで行って異議を訴えたが故ではないかと訝しがる。
もちろん先日の選挙に対する反対派の告発までは行かないとしてもチクリの類があったんであろう。
このようなブログでさえチェックが入ってるのを知っておかなければならない。
法制化が整ってきているからである。
2チャンネルなるやらせのブログが小泉劇場で威力を発揮したゆえ一気呵成に管理が強められている。
過半権力に対抗して殺された国際的数字が40数人発表されてた。
これを書いてたマスコミ人のブログをみると抹消されている。
身の危険か世渡り術か。賢明な保身術。
これでないとマスコミ界を生き抜くことは出来ない状況下ががおきてるのであろう。
実に暗い世相となっている。
福岡の政治家のように自らの事件にかかわることは隠し通せるのに一介の市民は危ない!
それも国家と対峙しようものなら、首長といえどもこの結果となろう。
昨年空自5基地移転で基本合意をしたのは05年10月29日であった。
新聞によるとこうである。
在日米軍再編協議で、沖縄の負担軽減策として、米軍嘉手納基地のF15戦闘機の訓練の一部を航空自衛隊の新田原、千歳(北海道)に加え、百里(茨城県)、小松(石川県)、築城(福岡県)の計五基地に移転することで基本合意したことが二十八日、分かった。と新聞が報じた。
嘉手納基地については、年間の離着陸回数が約七万回に上り、騒音が大きいF15戦闘機に対する住民の不満が高まっていた。
このためF15の訓練の一部である数千回程度を移転して実施する見通しだ。
大野功統防衛庁長官は二十八日午前の記者会見で
「まだ決めていないが、嘉手納以外の地域でもやらせていただきたい。(嘉手納に)負担が集中しているので協力をお願いしたい」と述べた。
タッチ・アンドゴーといわれる離着陸は近辺住民の安全安心をつき崩す。
今でさえ新富町西都市瀬口などのこの地域では騒音で会話はしばし中断する。
お空のお客様がお通りなるのを待たねばならない。
24日先日の私のブログである。
ところで一年間の予算が発表され80兆円。
いつも注目されるのは防衛費。
「共同開発」の関係経費30億円を含めMD関連で1399億円を計上。
防衛予算が0・9%減額される中でMD関係費が前年度比16・8%アップした。
ここに耳慣れぬものがある。
「MD」共同開発 である。
ミサイル防衛(MD)システムの日米共同研究を来年度から共同開発に移行させる方針を決めた。
クリスマス・イブの思わぬプレゼントで24日の安全保障会議と臨時閣議での政府の方針である。
MDと言えば、昨年度から海上配備型のスタンダードミサイル3(SM3)と地上配備型のパトリオット3(PAC3)の整備を進めている。
共同開発するのは、SM3の性能を大幅にアップさせ、2015年以降の配備を目指す次世代型の迎撃ミサイルだ。
次世代型のMDの共同開発を決めたことは、将来にわたる日本の防衛の一翼をMDシステムが担うことを意味する。防衛政策が大きな転換点を迎えたともいえる。
さらにこうである。
MD 日米共同開発決定 米への“武器”輸出可能に 第三国供与は事前同意。
政府は一歩踏み込んで経済体制の変更さえ迫る勢い。
「三原則」緩和求める産業界
政府は二十四日の安全保障会議でミサイル防衛(MD)の次世代迎撃ミサイルについて、来年度から米国と共同開発に入ることを決定した。これを受け、政府は来年度予算案に開発経費として三十億円を盛り込むことも正式決定した。また、米国への部品輸出に伴い、米国から第三国への供与や目的外使用を厳格に管理するための日米間の「枠組み」を設定する方針を明記した官房長官談話も発表。
具体的には、来年四月をメドに「対米武器技術供与」に関する交換公文を改定、第三国供与などでは日本側の事前同意を義務づける。
さらに、武器技術だけでなく、武器そのものも米国に供与する道を開いた。
中曽根康弘首相が技術供与を武器輸出三原則の例外にすることを決めた。
ただ、「米側は当時から日本と武器の共同開発を行いたいと打診していた」(政府筋)が、
日本は共同開発の前提となる武器輸出の解禁には踏み込まなかった。
その意味で、今回の措置は、二十年以上かけて米側の意向に応えたものといえる。
官房長官談話は、武器輸出三原則を堅持すると強調した。
戦闘機などは多国間の国際共同開発が主流となる中、「三原則で参加できない日本の企業は最先端の技術に取り残される」として、三原則の大幅緩和を求める声も産業界には強い。
いよいよ産軍複合化の経済に傾斜をはじめたシグナルが出た。
ミサイル防衛(MD)限定ながら、日米同盟を深化させたといえるが、課題も残っている。
安倍晋三官房長官は、米国に武器輸出を可能にする措置として、昭和五十八年に締結した
「対米武器技術供与」に関する交換公文を改定する方針を示唆した。
ただ、「米側は当時から日本と武器の共同開発を行いたいと打診していた」が、
日本は共同開発の前提となる武器輸出の解禁には踏み込まなかった。
その意味で、今回の措置は、二十年以上かけて米側の意向に応じえたものといえる。12月25。(産経新聞)
世界第4位の防衛費を持つ軍事大国日本。
今は関連費に多くが使われ経済に寄与してる側面が強い。
ところでいよいよ産業軍事がからまった、軍事国家に傾斜しようとしている。
反対のはずの野党党首前原はより以上のものを政府に迫る。
翼賛政治の状況下で、一人川越新富町長のみが安穏と防衛政策を批判できるわけがない。
住民が反対してるはポーズに過ぎない。
物言えば唇寒しの包囲網が刻一刻と形成されている。
私といえば一人。午後緊迫した会議に忙殺。
防水、電気、上屋建設数種の会議に孤軍奮闘。
所詮施主さんやメーカーさんに勝てるはずがない。
主張はするが肝心なとこはすすむはずがない。
やるっきゃ〜ない中でのわが陣容はお寒いばかり。
資金の手当てをするまもなく日にちのみが過ぎたる一日。
気楽な立場は実に慣用であろう。
今年になり、では誰がこの状況に手助けをしてるというのか。
先月も含め私の管理下にない現場状況からして集金はかなり難しい。総てがうまくいくはずもない。
分業をしてこそ、私は自分のポジションが果たせるのであり、
この状況では、一向に改善できっこない。
どうしようもないではすすまぬ。明日の担当さんとの協議しだいである。
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川越新富町長が収賄容疑で逮捕された。
先月、役所内の対立候補を打ち破って2期目になったばかりなのにである。
事件になってる収賄額も僅かの額で通常の貸借の範囲内ではないか。事件にしては不可解である。
国家目標たる防衛政策に一自治体の長が防衛庁本局まで行って異議を訴えたが故ではないかと訝しがる。
もちろん先日の選挙に対する反対派の告発までは行かないとしてもチクリの類があったんであろう。
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法制化が整ってきているからである。
2チャンネルなるやらせのブログが小泉劇場で威力を発揮したゆえ一気呵成に管理が強められている。
過半権力に対抗して殺された国際的数字が40数人発表されてた。
これを書いてたマスコミ人のブログをみると抹消されている。
身の危険か世渡り術か。賢明な保身術。
これでないとマスコミ界を生き抜くことは出来ない状況下ががおきてるのであろう。
実に暗い世相となっている。
福岡の政治家のように自らの事件にかかわることは隠し通せるのに一介の市民は危ない!
それも国家と対峙しようものなら、首長といえどもこの結果となろう。
昨年空自5基地移転で基本合意をしたのは05年10月29日であった。
新聞によるとこうである。
在日米軍再編協議で、沖縄の負担軽減策として、米軍嘉手納基地のF15戦闘機の訓練の一部を航空自衛隊の新田原、千歳(北海道)に加え、百里(茨城県)、小松(石川県)、築城(福岡県)の計五基地に移転することで基本合意したことが二十八日、分かった。と新聞が報じた。
嘉手納基地については、年間の離着陸回数が約七万回に上り、騒音が大きいF15戦闘機に対する住民の不満が高まっていた。
このためF15の訓練の一部である数千回程度を移転して実施する見通しだ。
大野功統防衛庁長官は二十八日午前の記者会見で
「まだ決めていないが、嘉手納以外の地域でもやらせていただきたい。(嘉手納に)負担が集中しているので協力をお願いしたい」と述べた。
タッチ・アンドゴーといわれる離着陸は近辺住民の安全安心をつき崩す。
今でさえ新富町西都市瀬口などのこの地域では騒音で会話はしばし中断する。
お空のお客様がお通りなるのを待たねばならない。
24日先日の私のブログである。
ところで一年間の予算が発表され80兆円。
いつも注目されるのは防衛費。
「共同開発」の関係経費30億円を含めMD関連で1399億円を計上。
防衛予算が0・9%減額される中でMD関係費が前年度比16・8%アップした。
ここに耳慣れぬものがある。
「MD」共同開発 である。
ミサイル防衛(MD)システムの日米共同研究を来年度から共同開発に移行させる方針を決めた。
クリスマス・イブの思わぬプレゼントで24日の安全保障会議と臨時閣議での政府の方針である。
MDと言えば、昨年度から海上配備型のスタンダードミサイル3(SM3)と地上配備型のパトリオット3(PAC3)の整備を進めている。
共同開発するのは、SM3の性能を大幅にアップさせ、2015年以降の配備を目指す次世代型の迎撃ミサイルだ。
次世代型のMDの共同開発を決めたことは、将来にわたる日本の防衛の一翼をMDシステムが担うことを意味する。防衛政策が大きな転換点を迎えたともいえる。
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MD 日米共同開発決定 米への“武器”輸出可能に 第三国供与は事前同意。
政府は一歩踏み込んで経済体制の変更さえ迫る勢い。
「三原則」緩和求める産業界
政府は二十四日の安全保障会議でミサイル防衛(MD)の次世代迎撃ミサイルについて、来年度から米国と共同開発に入ることを決定した。これを受け、政府は来年度予算案に開発経費として三十億円を盛り込むことも正式決定した。また、米国への部品輸出に伴い、米国から第三国への供与や目的外使用を厳格に管理するための日米間の「枠組み」を設定する方針を明記した官房長官談話も発表。
具体的には、来年四月をメドに「対米武器技術供与」に関する交換公文を改定、第三国供与などでは日本側の事前同意を義務づける。
さらに、武器技術だけでなく、武器そのものも米国に供与する道を開いた。
中曽根康弘首相が技術供与を武器輸出三原則の例外にすることを決めた。
ただ、「米側は当時から日本と武器の共同開発を行いたいと打診していた」(政府筋)が、
日本は共同開発の前提となる武器輸出の解禁には踏み込まなかった。
その意味で、今回の措置は、二十年以上かけて米側の意向に応えたものといえる。
官房長官談話は、武器輸出三原則を堅持すると強調した。
戦闘機などは多国間の国際共同開発が主流となる中、「三原則で参加できない日本の企業は最先端の技術に取り残される」として、三原則の大幅緩和を求める声も産業界には強い。
いよいよ産軍複合化の経済に傾斜をはじめたシグナルが出た。
ミサイル防衛(MD)限定ながら、日米同盟を深化させたといえるが、課題も残っている。
安倍晋三官房長官は、米国に武器輸出を可能にする措置として、昭和五十八年に締結した
「対米武器技術供与」に関する交換公文を改定する方針を示唆した。
ただ、「米側は当時から日本と武器の共同開発を行いたいと打診していた」が、
日本は共同開発の前提となる武器輸出の解禁には踏み込まなかった。
その意味で、今回の措置は、二十年以上かけて米側の意向に応じえたものといえる。12月25。(産経新聞)
世界第4位の防衛費を持つ軍事大国日本。
今は関連費に多くが使われ経済に寄与してる側面が強い。
ところでいよいよ産業軍事がからまった、軍事国家に傾斜しようとしている。
反対のはずの野党党首前原はより以上のものを政府に迫る。
翼賛政治の状況下で、一人川越新富町長のみが安穏と防衛政策を批判できるわけがない。
住民が反対してるはポーズに過ぎない。
物言えば唇寒しの包囲網が刻一刻と形成されている。
私といえば一人。午後緊迫した会議に忙殺。
防水、電気、上屋建設数種の会議に孤軍奮闘。
所詮施主さんやメーカーさんに勝てるはずがない。
主張はするが肝心なとこはすすむはずがない。
やるっきゃ〜ない中でのわが陣容はお寒いばかり。
資金の手当てをするまもなく日にちのみが過ぎたる一日。
気楽な立場は実に慣用であろう。
今年になり、では誰がこの状況に手助けをしてるというのか。
先月も含め私の管理下にない現場状況からして集金はかなり難しい。総てがうまくいくはずもない。
分業をしてこそ、私は自分のポジションが果たせるのであり、
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