夢追い人

2005年12月20日
南に100km走り西の都城に60KM、北郷町まで120KM。
そこいらの専属運転手さんよりも走り回った一日。
ひたすらに太陽光発電の普及にかける夢とロマンのためである。
新天地での夢に賭ける人がいる。
清原も少しは利口になったみたい。
オリックス入りを仰木監督の大阪でのプレイを勧められとやっていた。38才からの夢に賭ける再出発をお祝いしたい。
欽ちゃん球団に続けとばかりに夢追い人がいる。
元オリックス監督の石毛宏典がプロを目指す若者の受け皿として作った地域密着リーグ。
四国アイランドリーグが1年目を終えた。
リーグは、四国4県に1チームずつ。
高知ファイティングドッグス、
徳島インディゴソックス、
香川オリーブガイナーズ、
愛媛マンダリンパイレーツで、半年で90試合をこなした。
入団テストを受ける選手の年齢制限は17〜24歳。
1年契約で1チームの選手数は原則25人。月給は12万円(シーズン中は食事代が別に10万円)。来季は基本給に試合出場給を加算する方針という。
 1年目の収支は赤字となる見通し。1試合平均の観客数はリーグ全体で1068人。採算ラインの800人は上回ったが、当日券(1000円)の購入者が約4割にとどまり、招待客や無料チケットの入場が多くを占めた。
スポンサー(13社)収入は当初計画の2億4000万円をクリアしたが、チケット販売の伸び悩みが赤字の原因となった。
企業スポーツが衰退する中、リーグは地域との一体感を運営の柱の一つにし、実践した。
ファン参加型の「ボールパーク構想」を打ち出し、毎試合、五回終了時に選手らとファンが交流した。
愛媛では「ヤングマン」の曲で「YMCA」を一緒に踊った。
香川では地元大学生がチアリーダーとなり、スタンドを一つにした
 特に人気だったのが試合後の選手による「お見送り」。
泥と汗が残る選手たちと握手をしてサインをもらうのだが、子どもたちが刺激を受けた。サインしてもらうと目を輝かせ、「アイランドリーグに入りたい」と誰もが夢を膨らませる。 
 4月29日の坊っちゃんスタジアム(松山市)での開幕戦。
約7000人の観客を前に
「歴史の一ページが、みなさんと共にスタートします」と石毛
言葉に身震いした人は多い。
野球をあきらめかけた若者が、夢に向かって再挑戦できる舞台があるのは素晴らしい。 
 赤字解消など2年目以降の課題は多い。しかし、旧態依然とした日本のプロ野球界に一石を投じたのは間違いない。
「リーグでの経験を忘れず、ファンを大切にしてほしい」とプロ指名を受けた人へのコメントもいい。
ファンに近い独立リーグ出身者だからこそ、その姿勢を変えないでほしい。そこにプロ野球人気復活の鍵がある
演歌歌手の山本譲二も、社会人野球クラブチーム設立の報告と説明のため、山口県庁を20日訪問した。
チーム名は「山口きららマウントG」。
日本野球連盟に加盟する同県防府市の「防府クラブ」を母体に、来年2月の発足を目指す。
総監督に山本譲二が就き、監督は元西鉄ライオンズ投手の池永正明
永久失格処分の解除で35年ぶりに復権が認められた期待を込められてのことで目頭が熱くなる。
「僕を育ててくれたのは山口県。お返しがしたい。萩本欽一さんに影響されて球団設立を決意した。デビュー戦は萩本さんのゴールデンゴールズを招いて、対戦して勝ちたい」と総監督の山本譲二
 山本総監督は下関市出身。1967年に早鞆高で夏の甲子園に出場した。この地に私は暮らしたことがある。
今日廃止が決定した50KMの高千穂線。
日之影〜高千穂間の用地買収に一人担当した青春時代。
三田井の渇水補償にも下関から現地に走った。
今はここの教育学部を出た長男がこの地で教鞭を取ってるはずで、ご縁のあるところ。
隣の広島で活躍した人もいる。かってのエース。
安仁屋宗八監督率いる安仁屋ベースボールクラブは、浦添市民球場で萩本欽一監督の茨城ゴールデンゴールズと17日対戦した。
内外野のスタンドを埋め尽くす1万4000人
萩本欽一率いるゴールデンゴールズは宮崎にもチームを結成した。
ゴールデンゴールズ宮崎である。
 宮崎の野球関係者のご努力の結果、いよいよ宮崎県初のクラブチームが始動。
 宮崎の野球界、いや九州の野球界をひっくり返すような社会人野球の活躍をしてくれよう。
瀕死の状態の私にもパワーを頂いている。
夢追い人ではなんら変わりない。
明日こそ宮崎一の太陽光発電の建設を決めてやる。
70KWを建設中であるが○○さんにご負担を掛けっぱなしである。

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再建

2005年12月19日
訳あってハンドルを持ってなくて営業をこなしている。
よっていろんな方々のお力を得ており他力のありがたさに手を合わせている。
その環境の中でたゆまず休まず職人さんの仕事を取ってきた。
その状態ゆえ常に謙虚に人に接するという姿勢であり、見えないものが見えてくる。
そのことはさらに、悪しき性格を直す副次効果をも生んでいる。
南のかなた90KMにキッチリ13時につけたのも緊急にお願いしたにもかかわらず即決で運んでいただけた。
実に感謝に耐えない。○○さんのお陰さまである
帰りは1020円で宮崎までJRである。
ポーツマス条約100年
小村寿太郎生誕150年
の案内板が立っている。
日露戦争勝利のポーツマス条約を結んだときの全権大使が日向・宮崎の人小村寿太郎外務大臣であった。
城山三郎「ポーツマスの旗」での作品に昇華した、
ところでこの駅であるがよくもハレンチなことをしている。
伊東マンショの像のことである。
歴史は為政者が書き換えるのが常だが近代史での市長・日南市民自らではいただけない。
中世日向・宮崎の地は幾多の戦いを経て伊東氏が支配してきた。
都城やえびの、加久藤そして日南串間、北は門川延岡をも含む一大勢力であった。
今日の宮崎県の範囲にほぼ近い。
勝手の支配者のお城跡にどこもかしこも県庁ができたのだが、
宮崎と札幌のみ県庁がお城の跡に無いのである
明治維新期では耳川のほとりに県庁があり、美々津県のみで現在の範囲の宮崎県は存在しなかった。
川越進をリーダーとする鹿児島からの分離運動で現在の宮崎県ができたのである。
このときの伊東氏の領地が宮崎県の地域を決めたと私は考察する。
西都市・都於郡に本城があり、48城で支配地を経営してた。
伊東マンショはこの地で生まれた。
ローマの地にも「トノクリ」の文字が読み取れる記述がある。
その後島津に攻められ落城、妻の出たる大分の大友宗麟を頼った。
伊東マンショも大分まで逃げた。
それからローマに立つのである。
ところで小田原・北条を滅ぼした秀吉は九州の支配者・島津を攻めた、
その戦の功を認め日南・飫肥の地に伊東家の領地を再興させた。
西都・大分に没落・日南で再興の伊東家の変遷である。
かって大河ドラマの「西郷隆盛」を西田敏行が演じたことがあった。
その第一回目がこの駅から報じられた。
この像をである。
NHKはつまるところ歴史の捏造に加担したことになろう。
像の碑文は言う。
「郷土が生んだ伊東マンショ13歳(天正10年正月1542年)のとき
遺欧使節主席正使として長崎を出各地において歓待を受けローマ法王にも謁見を許され8年余後に帰朝した。
このとき活版印刷機と活字。各種西洋楽器、観象観測機、測量機海図とかの文物を我が国にもたらした、
マアショは伊東家の出でその母の町の上夫人墓は藩主の墓地に眠る。
京都聚楽第で関白秀吉の前で演奏をしたといわれる古典楽器を復元し国際交流会館小村記念館展示するにあわせここに像を建設する。 平成4年3月日南市
                       田中等製作
像は高鍋町の田中さんのようであるが納入作品一覧にのっけてないのはどうにも解せない。
とにかくこの地からの像の撤去は緊急である。
過ちは正されなければならない。
土曜日着工した70KWの太陽光発電の建設がスタッフ不足で心もとない状況である。
あまりにも多くの人々が意見を持ちすぎ、組織の規律が乱れているゆえである。規律の弛緩は組織を滅ぼす。
多忙ゆえ放置していたのが今日を迎えた。
統一した行動に無かったゆえである。
分散したのががいけなかった。
離合集散は世の習い。
再度一からのやり直し。
過ちを直すことにたじろぐ事なかれ!

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団塊の世代は今日の生活環境に十二分満足している。
国内に映像=TVの放送さえ整ってない社会環境で過ごしてきたからでもある。
この世代は活字が意思伝達の唯一のものでニュースさえ映画館で1ヶ月遅れで見たものである。
漫画は子供の宝物であった。
、アニメなどのマスカルチャーは手塚治虫を我らの世代は嚆矢とする。
視聴覚文化の圧倒的優位性が川西政明にして「小説の終焉」岩波新書を書かせた。
二葉亭四迷の「浮雲」から始まった近代小説でテーマとされてきた
「私」「家」「青春」などの問題はほぼ書き尽くされ、いま小説は終焉を迎えようとしている。
百二十年の歴史が積み上げてきたその豊饒な世界を語るエッセイがこの著書。
芥川龍之介、志賀直哉、太宰治、大江健三郎、村上春樹など時代を画した作家をとりあげた
近代日本文学案内でもある。
私の終焉―最も個体的な自意識の最も個体的な行動
家の終焉―お雪は彼の奴隷で、彼はお雪の奴隷であった
性の終焉―躯に溺れる男、自我を凌駕する女
神の終焉―踏むがいい
芥川龍之介の終焉―理智の文学;
志賀直哉の終焉―自我と自由;
川端康成の終焉―日本と向き合う;
太宰治の終焉―家からの逃亡;
大江健三郎の終焉―自己(セルフ)の死と再生(リザレクション)の物語;
村上春樹の終焉―正統なき時代の正統〔ほか〕
 本県文学もその流れには抗しきれなかった。
中村地平、黒木清次らが築いた戦後文学の豊かな土壌の中で、同人誌の一部の作家たちが風圧を意識しながら小説の孤塁を守ってきた。
文学は心の軌跡で押し沈められた環境が人を作る。よって北優位で南は育ちにくい。
芥川、直木賞授賞者数で証明されている。
沈思黙考に向く北海道出身の産経「正論大賞」に決まった藤岡信勝もご多分に漏れない。
「新聞の原稿は分かりやすく」
「一つのセンテンスは短く、結論はなるべく前に」。
自虐史観の克服を訴える「教科書が教えない歴史」が多くの人の支持を得た。
相手に理解させる「言語力」にあることは間違いない。
 この秋は、昭和回帰がちょっとしたブームにある。
 映画では、「ALWAYS三丁目の夕日」、「狼少女」。
 貧しいけれど、あったかくて、家族愛のあった昭和。心が置き去りになりがちな今の世の中、そのころを懐かしむ気持ちに、なんだかうなずける気がする。
 その昭和時代を「カーテンコール」で作品にした。のは佐々部清監督。
「チルソクの夏」「四日間の奇蹟」「半落ち」いつでも弱い立場の人の味方だ
「カーテンコール」というタイトルからして「ジンワリきそう」
昭和30年代から40年代の、日本映画黄金期。たくさんの人々が、同じ夢を共有した時代である。
監督は、時代が移り変わっていく様子を描き出す。
 時代とともに失ってしまったもの。それは目に見えるものではなく、感じるものなのである。
それを、ブルースのように響く井上堯之さんのギターが教えてくれる。
 誤解しないで欲しいのは、決して後ろ向きな映画ではないということ。監督は、人間の負の部分に優しい目を向けている。
昭和の経済成長を支えてきた先輩方だけでなく、現代人を応援するかのようだ。
 それから、心に焼きつく素晴らしいシーンとともに、「許すこと」「やり直せること」を、この映画は教えてくれる。
 劇場を後にするとき、思わず「いつでも夢を」を口ずさむだろう。上村恭子さんはこのように紹介している。

テレビの世界での復活は
「むかしむかしのことじゃった・・・・」
まんが日本昔ばなし」の
常田富士男・市原悦子の復活がある。
 昔話には伝承する語り婆さ、語り爺さが要る。
現代の語り婆、語り爺は、民放で十一年ぶりに再び放送が始まった
「一九七五(昭和五十)年一月の放送から九四(平成六)年九月まで二十年間に千五百話。
最高視聴率39・8%。
スタート時から七年間、原画を描いたのが
宮崎・都城市出身の木場正彦。
美術大学で棟方志功の授業を受けて木版画の世界へ.
照明で極度の眼性疲労に陥った。
アニメ番組の裏には、そんな苦労話もある。
街角や空き地で紙芝居を見ているような懐かしさ、人としての生き方を取り戻せる喜び。大人も一緒に見たい。
日向の人が描く心優しき懐かしき田舎であった頃の日本の映像を

♪ぼうやよいこだねんねしな…」。

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南の国の雪の舞う中での屋根の上はなんとも喩えようがない。
この歳にして雪景色に殆んど縁が無い環境で過ごしたからである。
環境ほどその人の考えを左右するものはない。
なにも弁証法哲学を学ばなくとも馬齢を重ねればわかる。
そこを習得すれば夢は広がり名声さえ手に入れよう。
何の世界でも同じである。
名将・名伯楽の冠名刺で呼ばれる野球監督はそういない。
9連覇の偉業の川上哲治にしてもマスコミは取り上げようとしない。
アンチ長島の行動が汚点を残したのではないか。
春秋時代の人、孫陽は馬を見分ける名人で、伯楽と呼ばれた。
転じて、人物を見抜く眼力のある人をそう呼ぶ
一日千里を走る名馬はなかなかいないように思えるが、実は違う
千里の馬はいつでもいるのだが、その馬を見分ける眼力のある伯楽がいつの世にもいるとは限らないということだ。
仰木監督は近鉄で野茂英雄投手を1年目からエースとして起用、
オリックスでは無名の鈴木一朗外野手を「イチロー」の名でレギュラーに抜てき、今や世界の「イチロ」
イチローが仰木監督と出会ったのは入団3年目の春。前年まで一軍二軍を往復していた
千里の馬が伯楽の目にとまった。
「伯楽の一顧」=名馬が伯楽にその価値を認められることだという成語もある。
西鉄ライオンズ全盛期の二塁手。
名伯楽・三原脩の愛弟子は現代の環境に実践した。
オールスターの9年前の采配は語り草。
新聞から引用するとこうなる。
・・・・・・
9回表、全セの打席が巨人・松井秀喜選手に回った。
全パのベンチから仰木彬(あきら)監督が歩み出て投手の交代を告げた。
「ピッチャー、イチロー」に、球場がどよめく
東京ドームのオールスター第2戦である。
イチロー選手が外野からマウンドに上がったとき、
全セを率いる野村克也監督が「待った」をかけた。
「松井に代えて、代打高津(臣吾投手)」
余技で投げる野手の球に本職の打者が凡退すれば、打者の名誉が傷つく。
「おふざけは認めない」という野村采配にも一理があり、
「観客に夢を見せずして、何の球宴か」という仰木采配にも一理があろう。
名将ふたりが散らせたプロ野球観の火花は忘れがたい
ヤクルトを復活させ、ダメ虎を日本一にした野村監督は一顧だにされない。
どうにも作られたアンチ長島が原因なんであろうか。
世界の歴史を紐解くと歴代の王朝さえ変更するのが外国諸国の政治史であるが、日本の天皇家は誰も変更できなかったのが日本の皇室中心の歴史に似通った現象なんであろうか。
長島と全盛期の西鉄ライオンズとの戦いはニホンシリーズかオールスターでしか再現できなかった。。
仰木監督は福岡・東筑高校から西鉄ライオンズに入団。西鉄の黄金時代を経験している
神様仏様・稲尾和久、天才・大下弘、怪童・中西太、野武士・豊田泰光といった名選手とともに、
活躍したその当時の私共には鮮烈なるイメージは残念ながら無い。
名二塁手とだれが読んだであろうや。
用兵の妙は「仰木マジック」と呼ばれたが、勝つ技のみならず、楽しませる技の魔法使いでもあっただろう。それがオリックスを日本一に導いた。
70歳でガンとの闘いで散った。
束ねきった監督のポジションと信じる選手の偉業でもある。
これが見習うべきこと。
現場にいる元請とお話して、これまでの精算やこの現場の予算不足を説明してる最中に雑音が入る。
これでは熾烈なる交渉はできない。
「なんしょっとか。サボリマン!」「どこんおっとか!」
まるで社会構造がわかってない。
皆はお金がいるので働いてるのだ。
そのお金が元請さんから思うように出ない。
一年間の経緯もある。
きてから1〜2ヶ月の人になにがわかろうぞ!
信頼、頼りきってるのにこれである。
昨日は売上金を託してたら、私用と公用の区別がついてない。
12万のうちの5万円しか私の手元には残っていない。
今日の麹菌に当て込んでた分である。
そのお話し合いも多忙なる私の日程にあわせようとしない。
生き馬の目を抜くといわれる世知辛き世の中を生き抜く状況にはこの人には無い
その逆恨みが危険なる現場で出て隊列を乱してるんであろう。
注意して状況を説明しても
「何も作業中しなくてもいいだろう!」とのたまう。
よくもケガ無く今日の工程を終えれたものである。
チームにいるとこれは危険分子、共同作業現場には不向きで大事故につながる。
何故にこうなるのかわからぬ。
総てはチームをまとめてない私の不徳にあろう。
名将仰木監督の爪の垢でも飲ましてほしい。
鬼より怖い元請さんから、お昼のわざわざ手作りの差し入れ。
何度烈火のごとく怒られてるものやら。
それでもこのあり難き励まし。
サラリーマン社会の名将はこの人やも知れぬ。
有難うございます。
・・・・・・
名将・仰木監督!多くの夢を有難う。
ご冥福をお祈りいたしております。

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信義

2005年12月16日
資金作りで午後に一人都城に仲介者と走る。
昨日からお願いしてあったが、いざ時間が近づくと頬被り。
どのようなる明日の取り組みをされたというのか。
今日一日時間を頂いただけなのにうまくいく。
何とか年越しのメドはついた、
ところが他に書類を頂いたがおいてきぼりですすまない。
すすむのは作業着とか集金した金の自分流の自分のことのみ。
全員のチェックたるヘルメットになるとダメ。
明日からの工事金は一体どのように考えているのか。
またもや集金のことが一人歩きでひっかえとっかえよくわからぬことだ。
自立したる大人の組織は難しき理想のようである。
夜22時過ぎテレビを届けるがこれまた頬かむりで私が責任をとる不思議なお話である。
何故に私にこの時間をくれぬのか。
どうせ払う資金ゆえ事前に手をを打たぬ。
多忙すぎ順序が逆。名伯楽がほしいところである。
常識人として明日をともに見れる人は出でぬものか。
昨日もそうであったが急なる呼び出しで北郷に○○さんと走った。
17日からの工事準備もできぬのにこれである。
合間に九電に走る。
職安からの面接を緊急に受け、明日から作業に従事していただくこととした。
薄給の募集に応じていただいたが○○さんにしては早急すぎるのに不安のご注進を頂く。
作業員総数の計画をたてればわかることである。
ブルータスおまえもか!血を吐く思いの叫びが沸き起こる。
一難さって又一難。どうにも同じ穴の狢。
よからぬ事を考えてるヒマがあったら売り上げにつながるアポ取りでもできぬのか。
昨日もそのようなこと。
どうにもこうにも貧乏からくる道徳心とモラルの欠如との板ばさみ。
稼がねば払いが生じないのにウソと裏切りはいけない。
そこにたたされる私はどうなるんであろうか。
管理者能力の欠如は問われよう。
誰も彼もがこの裏切りの萌芽では立つ瀬が無い。
死をもってして潔白を示そうや。
タルペイアの岩とは古代ローマの創建期の裏切り者の女性の名がつけられた岩。
ローマ市庁舎の建つカンピドリオの丘にある大きな岩である。
裁判で偽証した者は、そこからさかさまに投げ落とされたのだ
古代ローマ文明の人類への最大の貢献はローマ法という。その最古の十二表法(紀元前450年)は偽証の刑をそう定めていたそうだ。
偽証は人が尊重すべき「信義」に反する行為とされ、ローマへの裏切り同様に憎まれたのだ。
ウソをつけばその偽証罪での追及をうける国会の証人喚問である。
姉歯秀次建築士はどうにも生贄・幕引きのポイントとされよう。
鶴のマークの○○学会と総合経営研究所の内河健のつながりが政権与党も含め色々賑している。
どうも鶴のマークのそこの会員・・・。
エスジー通商とか、それに関する記事が出てきだした。
たた報道関係が内河健の報道に及び腰なのも時の政権の鶴の祟りが怖く判るような気がする。
エスジー関係の利益の流れ先はどうなってるのか。
これで政権持つのか。とんでもない黒幕が居たものだ。
姉歯のインタビュー時の静かなる要諦はこの裏にあるのだ。
事実は小説より奇なり。
裏切りの萌芽がすぐにわかるのは余地能力なんであろうか。
全身全霊で望んでるのでスグにわかる。
再び掲げん襤褸の旗。

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平成元禄話

2005年12月15日
「時は元禄14年12月14日・・・・・」
深夜ゆえ実際は15日に朝になるわけであるが聞き慣れて耳にいい。
講談師見てきたような嘘をいい。
流れるようにとうとうとまくしたてられるとつい聞き入る。
三波春夫の「俵星げんば」でも楽しめる、
講談師、夏はお化け、冬は浪士で飯を食い・・・せきやん
話芸の雄たる講談はかっては寄席ではトリを担っていた。
世知辛き世相の中でその場を落語に取って代わられた。
盗ったほうはいいとしても取られた側はどうなるのか。
この3ヶ月の同じところの現場で○○○万以上の赤字を出しては全員火の玉の議論がいろう。
まったくの議論なしで一抜けたではたまらない。
それも私の作り上げてきたルートのお客さんを盗ってそこで仕事を続けるという。
クーデーター以上に質が悪い。
もちろん取り入るために私について悪罵とウソの連続。
コロリと行くお得意さんにも納得がいかない。
お客さんは言われる。そこの仕事を私が要らないと言ったそうな。
お客さんの現場を進める為に名古屋から技術指導を受けてる最中に何故にお客さんの仕事をしないとわたしが言うわけが無いではないか、
烈火のごとく怒っておられ着工をマジかにして積み上げてきた努力はどうなるというのか。
講談師のように喋れるわけでもないのに朴訥とのシャベリにお客さんはコロリ。
名古屋の方に宮崎地鳥を振舞うため昨夜ニシタチに出たのも
「飲みにでちょる」と理由の一つ。
天地神明に誓って言う。
自らの快楽のためニシタチに飲みにでた事は無い。
死をもってしてでもこの一年の売り上げ資金の流れに私的不正は無いといえる。
では何故支払いが遅れてるのか。
メーカーに取り入ってた人が一番知ってるはずだ。
私が工事代金の取り立てに行った友人は絞死した。
死を持って私に身の証を立てた。
同じことを今度は私がしようか。
給料は払ってない月は無い。遅配はあった。今月も起きている
ところが無収入に近い月が5月から何ヶ月つづいた。
その間の売り上げはどこにあるのか。
お客さんたるメーカーに言いたい。
トップを職人集団がないがしろにするような社会秩序を
その社会の構造作りの片棒を担いでいいのか。
何が正義で何が悪か、
私がいないとそのぶん安くなる!
よって職人と直接取引きに変える!メーカーたる神の声である。
当たり前であろう。事務処理課程が無い。その費用が要らない。
理由が作られる。
九電連係ミスが起きている。・・天にツバ吐くたぐいである。
九電連係はどこの会社も職人の仕事。!!それをやってなく元請けをしくじってきた連続ゆえ
新規の職員も配置してカバーしている最中、本末転倒、。
3ヶ月働いたが支払いはメーカーの支払いサイトの決まりから遅れる、借り入れ資金の事務処理要員がいる。
経費削減で私が勤めた。それら総体が仕事である。もちろん事務所経費もある。
3ヶ月の現場職長に総予算は伝えてある。10月末が工期であった。ではいつ終了したのか、
私は職長に引き上げるように伝えたがこれが聞き入れない、百万以上の赤字が出たのは当たり前。
アルバイトを止めることを伝えたが聞き入れない。
昨夜の請求書を見るとナント!社内一の高給取りになるではないか。
そのことの確認もあり、昨夜も電話で話した。
これらの事の私からの報告無しで職人からのみ事情徴収して
一方的決断をされたんでは私も生きてはいけない。
絞死した友人の気持ちが良くわかる。
このままではわたしも身の証をたてるための行動をしようや。
ここまで何故に追い込まれられ無ければならぬのか。
火の出るような議論である。
昨夜職人さんと電話でしか議論してない、会うのを避けられるからである。
もう何度避けている。スッポラかしておいて裏でクーデターではたまらぬ。
こちっつらは多忙すぎるのに何をしている、
電気技術は宮崎一であるからしてそれに徹すればいい、
共同歩調しかないはずだ、
私は身の証を立てる行動をとる前に原因究明たることを社会に申し立てよう。
大の大人の取るべき事ではない。
新聞によると
東京・湯島天神の男坂のすぐ下に住む講談師、一龍斎貞水師匠(66)の念願かない
男坂上の鳥居脇に高さ二メートルの石碑が建ったそうな。
石碑には「講談・高座発祥の地」と刻んである。
文化四年に、境内に住んでいた伊東燕晋が奉行所に願い出て高座の常設を許されたとある。
一龍斎貞水師匠も高座五十周年演題は「忠臣の儀」
いつの時代も、人は忠義と倫理の間で迷う
それを指し示すのが日本の文化たる講談でもある。
忠臣蔵は庶民のものだけでなく。時の権力者は忠義の物語として利用した面も否めない。
新聞から
童門冬二さんの『忠臣蔵の経営学』によると、忠臣蔵は「大名の倒産事件」であるし、浅野内匠頭がなぜワイロ政治に抵抗したかも興味深い。「仇討ち」を「忠義」に変えた赤穂方の宣伝技術がすごい。忠臣蔵は現代を映す鏡か。
その講談さらに浪曲を聞く場は限られている。
浅草の木馬館がいい。
懐かしき明治の香りがした 講談定席、東京・上野の「本牧亭」が1月10日閉場。
よって安藤鶴夫 の「巷談本牧亭」で偲ぶしかない。
復活を果たして上野広小路通りの反対側の台東区上野1−11−9 イマスサニービル1階、「本牧亭」
黒門町本牧亭講談定席となった。地下鉄電車も近くなった、
懐かしき看板も復活した。
遠藤周作さんの字による看板である。
02年7月4日新聞「本牧亭 再び」
…上野の本牧亭には遠藤周作さんが書いた看板があった。悪筆を気にして書を表に
出さない遠藤さんを、慶応大で同窓だった席亭・清水孝子さんの夫が口説いた。
池之端では場所がなくて飾れなかったが、新しい場所で12年ぶりに日の目を見た、
日本文化にはクリスチャンも信奉しているわけである。
経済活動たる太陽光発電の仕事も当然シャカイノワクで考えるしかない。
同業他社との比較での給料や勤務条件を考慮して動くことである。
今日の北郷は寒かったが着工予定日は寒波襲来が予測される。
火の神の宇納間さまの地。火の出る議論をしよう
休筆宣言を迫られてるゆえ、心もとない時間でもある。
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大事の前の・・・

2005年12月14日
大工事を成就するには事前の十分なるスタッフを整えてのぞまないと墓穴を掘ることとなろう。
仕事はその現場の完工のみでなく、継続である。信頼を勝ち取ることである。
現場100遍のの言葉があるがあらゆる角度から議論百出することも惹起しよう。それが大事である。
手続きの確認もいる。
前段階としての労災、雇用などのみえないところの官庁の確定を固めながらゆえ、手続きは多岐にわたる
実に多忙なる午後であった。
着工までにそう何日も無いゆえ余裕は無い。営業に集中していたゆえである。
県外からの技術指導でお見えの方の昨夜の合間合間を利用して仕事の進め方を伺いやりぬく自信を深めた。
誹謗中傷されてる「酒飲んでまわってる」訳ではない。
今年ただの一度も自らのために飲みにでるムダ金を使ったことは無い。
職人社長とも話せた。場を作ったが為である、
どうにかポイントの職人集団はできた。
よって南の現場の技術指導は○○さんが受けていただいた。
現地を見ながらのみが残ったからである。
昨日もそうであったが、この人がいるゆえ組織は動いている。
全員が大人の運営でやってきたのが各々のポジションを忘れるほころびが出てきている。
史上最高益というがバブル崩壊で巷には不景気経済状態が抜けきっていない。
「勝ち組・負け組」に分けるバブル崩壊後の日本社会の評価法に従えば、私共は明らかである。
命令を受けた仕事を成就するために僅かな時間を利用して東奔西走。
基本部材や基礎工事、詳細に渡り、万事OKである。
ところが好事魔多し。
相談したはずなんだが、十分なる協議が抜けていたんであろうか、内部に誤解を与えたようである。
粛々と打ち合わせをすすめ完工目標に向け、午後から段取りを始めた矢先であった。
身から出た錆と揶揄されようとも死しても初志貫くべし!と固い意志で完工に向けて多忙なる一日であった。
職人集団でも年明けをにらみ準備した。
、防水、アンカー、電気、大工瓦職人と腕利きの職人が集まっての素晴らしき仕事となるお話し合いである。
また考慮されなければならぬのは、実行予算である。
それらの人々を確保するためである。
責任施工ゆえ準備金のお話し合いもした。
一日ぐらい自分の時間で仕事をしなければ現場に対して無責任となる。
全体に目を光らせて仕上げるには相当の努力が要る。
職長さんの仕事であるが今まで私が補かんし、相い努めてきた。
クレーン車の手配。職人の配置依頼。九電に対する連係の手続き
これでは自己請け仕事を取る余裕は無い。
ところでこの現場は予算がどうにも少なすぎる。
その中でのやり繰りである。
どうにも旨く精算ができそうに無い状況である。
えぃ!や〜ァの着工・完工となろう。
やるしかない。
日にちも、何も無い中での本番を迎えようとしている。
打ち合わせは何回やろうといい。
では、誰が準備をし、進めるのか。誰が責任を取ろうとしてるのか。当然私だけだ。ただお祭りで騒いでる人の多いこと。これでは仕上がらない。
4トン車満杯の膨大なる量をどうするというのか。機械の手配が要る。人を集めなければならぬ。
さらに、そう簡単に腕利きの職人集団の編成は急にはできるわけが無い。
それでも全身全霊を賭け、やり遂げるしかない。、
気楽なものは第三者的扱いの方々だけである。
私にはそんな時間的余裕は無い。
役人的発想で打ち合わせに終始してて、どういう結果になろうというのか。すでに工程会議は終えてるではないか。これ以上の会議がどこに必要というのか。
プロジェクトXの世界の様相で時間はまったく無いのに無責任の人々の多いこと。
決して自己中ではないが、時間が無いゆえの火事場の馬鹿力である。
集いし、仲間を信じ、ひたすら誠実にやり遂げて見せる。
後は言うに任せればいい。評価はいらない。
不言実行が現場の世界。
太陽光発電所の建設は神からのプレゼントなのである。
神に誰がやり遂げたのかを評価してもらえばいい。
行動の書の陽明学の教えの生き様で生き抜いてきた。
儀をみてせざるは言うなきなり。
自分らしく誠意と責任を持って生きるのが今日までではなかったのか。
今、試練であり、自分が試されている。
一人になっても仲間とともにやり遂げて見せる。
少々の足引っ張りに挫けるわけには行かない。
もう会議をしてる時間的余裕は無い。
特殊現場から来る部材の調達から数限りない仕事がまっているのである。
安全第一。抜け目は無いのか。
総チェックの時期である。
宮崎一の太陽光発電の第一人者は絞死で今は亡き友である。
尊敬する大先輩であった。
その意志を引き継いでやりぬく。純真さも負けてはいない。
思慮深くありたいとも思いをはせる。
常に最後のいい仕事をしよう!との気概を持って。
金が総てではない。そんな「野暮」では信用されまい。
「いき」の美意識はいつか伝えられよう日本人の魂。
敬愛する大先輩の身の潔癖を明かす所業。
一生に一度しか使えない。
純粋無垢なる物を見せるのはまだ早い。
やり抜いてからである。
どんなに苛め抜かれようと、もうチョットは生きていよう。
それからでいい。
・・・・・・・
いや〜かなりの悲壮感。
肩の力抜いてみたら。せきやん。
忘れてならないのは「愛」

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朦朧の中での記憶

2005年12月13日
酩酊状態で書いている。
急なる出来事で青春してる状況下にある。
韓流が総てを席巻するウーマン・パワーの日の本の国。
その頃は総てが充実していた。
確かなる記憶に酔いしれている。
名古屋からのお客さんをしてメーカーの方と見積書を出す。
日向の現場で太平洋のキラキラと光る海を屋根の上から見下ろしている。
宮崎にしては痛い程、冷たい寒風の中を名古屋の専門官と屋根の実寸取るり。
ナンカ蘇ってくるのである。この素晴らしき光景。
心地よきすぎ、このまま屋根からおっこちそうなる雲の上のじゅうたんを歩いている感じで危険の予兆。
テレビドラマにして韓流と言うなれど私共は違っていた。
森繁ファミリーでドラマは構成されていた黄金期を共に過ごした。その後の向田邦子のドラマも含めてそうであった。
松下劇場の名の下「サボテンの花」

サボテンの花が咲く明日はしあわせがそこにあるとき
青空をいつも
・・・
写して歌うサボテンよ。

月曜20:00からの56分番組にスポンサーは松下電器で
「 光る海 」があった。
青春の彷徨は脳裏の奥深く美しき消えない残像として確かなる心象風景であった。。
この頃はサラリーマンものとして源氏鶏太で青春ものは石坂洋次郎が定番。
出演者はなんてぇたって石立鉄男(野坂孝雄役)そして
、千秋実(矢崎庄二郎役)、山本陽子(葉山和子役)、鰐淵晴子(石田美枝子役)、大坂志郎、いしだあゆみ、松山英太郎、松村達雄、加藤治子、三宅邦子、田辺靖雄、ほか 絢爛豪華なる役者で占められていた贅沢なテレビであった。
記憶が定かでない吉永小百合の石田美枝子役は映画でのこと。
原作石坂洋次郎「光る海」 脚本:池田一朗
音楽:黛敏郎 主題歌:「光る海」
吉永小百合が歌う歌がこれがいい。
♪♪
激しい日もある和む夜も
我等は若い波頭
ぶつかり合って声あげて
唄う命の美しさ
青春 青春
青春こそは光る海
あゝ 金色に光る海

心が痛めば空を見る
やさしい星はいつも言う
希望を胸にがっちりと
待とう未来の朝焼けを
青春 青春
青春こそは光る海
あゝ 金色に光る海

岸壁めがけて打ち寄せる
火花を散らす濤頭
喜びあれば悲しみも
知って嬉しい人生だ
青春 青春
青春こそは光る海
あゝ 金色に光る海
♪♪
何年ぶりであろうニシタチ。名古屋からのご利益。
様変わりしてる古きよき店。
王様のママさんの絶妙なる芸は健在で脳の奥底から堪能できた。
そぞろ歩く人々の逢瀬の中で23時過ぎ頃、ナント偶然なるライオンズの会長に会って飲みなおし。
イヤ〜あの頃のボランテア仲間はよすぎるほどの豪華メンバーであったのである。
朦朧の中でおかれてる環境の素晴らしさは、振り返ってみたときにしかわからないのやも知れない。
素晴らしき毎日にひたすら感謝の気持ちで日々これ精進。
謙虚さを矜持できるや否や。試練は続く。

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経験則的にみて社会的に異常なるマスコミが騒ぐときは必ずその問題以外のことでの政治的隠蔽がある。
姉歯問題でゆれる裏には何があったというのか。
環境問題に絞って新聞をみるとこうである。
 カナダのモントリオールで10日まで開かれていた地球温暖化防止条約の締約国会議は温暖化ガスの排出削減を決めた京都議定書の具体的なルール、組織、運営法のほとんどを決めた。
気候を安定させ、地球と文明の危機を回避する巨大なシステムが、いよいよ現実に動き出すのである。
人類史上初の、科学的な予見に基づく国際共同行動が、字面だけでなく現実化する意味は大きい。米中印の参加積み残しながらも実施される。

青森県東通村で試運転中の東北電力東通原発1号機(沸騰水型軽水炉、110万キロワット)が8日、国の最終検査を経て営業運転を開始した。国内の原発の新規稼働は1月の中部電力浜岡原発5号機(静岡県)以来で、稼働中の商業炉は54基となる。

「川内原発地下に鉄筋廃棄」保安院に内部告発

 九州電力川内原子力発電所(鹿児島県薩摩川内市)の敷地内に「合計8500トンの不用な鉄筋を埋めた」との内部告発が、経済産業省原子力安全・保安院に寄せられていたことがわかった。
 保安院は告発内容をもとに様々な事態を想定し、施設や地盤の耐震強度などを算出した結果、「安全性には問題ない」との結論に達した模様だ。内部告発は具体的かつ詳細なものだが、大量の鉄筋埋設の事実関係については、十分な調査が行われておらず、今後の焦点になりそうだ。

 川内原発は出力89万キロ・ワットの加圧水型軽水炉(PWR)を2基備えており、1号機は1979年1月、2号機は81年5月に着工。地盤の掘削やコンクリートによる埋め戻し、主要建屋の建築工事は、ゼネコン最大手の大成建設(東京都新宿区)が請け負った。

 内部告発によると、問題の鉄筋が埋められたのは81年秋から84年冬にかけて。建屋の建設に使われていた鉄筋が大幅に余ってしまったため、処理に困った大成建設の現場作業所の幹部らが相談し、掘り返した軟弱な地盤をコンクリートで埋め戻す際に、その中に廃棄することを決めたという。

 鉄筋は、注文してから建設現場に届くまでに2か月ほどかかる特注品で、九電が大成建設の報告をもとに一括注文していた。だが、1号機の着工当時、詳細図面の完成が遅れて必要量を正確に見積もれず、大成建設が九電に多めの使用量を報告。余った鉄筋が海岸沿いの資材置き場に野積みされ、激しくさび付いていったという。

 当時の経緯について、埋設作業に関与した工事関係者の一人は、「大成建設は、受け取った鉄筋の量に見合った作業費を(九電から)すでに受け取っていて、鉄筋が余ったと言い出せば、水増し発注の責任を問われる可能性もあった。だから、ひそかに埋めようという話になった」と話している。

 また、作業について、内部告発は、九電や他の工事関係者がいなくなった午後8時から翌日の早朝にかけて、下請け業者に協力させて行われたとしている。

 主な埋設場所は、1、2号機それぞれの〈1〉「原子炉建屋」の周辺〈2〉緊急炉心冷却装置(ECCS)の水源となる「燃料取替用水タンク」の下〈3〉使用済み燃料を収容する「燃料取扱建屋」の地下2〜10メートル――など。いずれも高度な耐震設計が求められる施設の真下で、〈1〉には約3000トン、〈2〉には約4000トン、〈3〉には約1500トンが埋められた。ごく一部だが、原子炉格納容器を支える充てんコンクリート内に埋めたものもあったという。

 専門家によると、鉄筋の埋設作業が乱雑な場合には、ひび割れなどの恐れが出てくるほか、想定外の鉄筋の混入で、重要構造物に関する耐震強度の計算結果が狂ってくる恐れもある。しかし、保安院では、たとえ設計図にない8500トンの鉄筋が埋められ、それが酸化してサビが浮いたとしても原発の安全には影響しないとの結論に達した模様だ。

 大量の不用な鉄筋が実際に埋まっているのかどうかは地上からの調査ではわからず、ボーリング調査などが必要だが、保安院はそれは行わない方針とみられている。

 大量の鉄筋が埋設されたとの情報について、九州電力広報部では、「2003年12月に把握したが、原発建設当時の鉄筋の管理状況や工事状況などの観点から鉄筋が埋設できるかどうかを検証した結果、大量の鉄筋を当社社員に気付かれずに埋設することは不可能であり、このような事実はないと判断した。現在、国から調査協力依頼が来ており、近いうちに調査結果を報告する予定だ」と回答。

 また、大成建設広報部でも「詳細は不明だが、同様の情報は過去に外部から指摘を受けており、社内の調査の結果、当時の施工管理状況から事実でなかったと判断した」と話している。

鳥取のウラン残土の一部搬出終了・残りの処理メド立たず
 鳥取県湯梨浜町方面地区に置かれたウラン残土について、核燃料サイクル開発機構は17日、米国で処理する約290立方メートルを同地区から搬出する作業を終えた。
 10月上旬に積み出し港の神戸港からコンテナ船で米国・シアトルへ向け出港する。
 1988年に残土の存在が明らかになって以来、初めて一部が撤去されたが、全体の9割は依然現地に残り、処理の見通しは立っていない。この日、住民側は早期全面撤去を求める申し入れ書を核燃機構に渡した。
 この日は、99年12月に住民側が岡山県の核燃機構人形峠環境技術センターに持ち込み、正門脇に置かれたままになっていた1袋を回収、現場からの最後の袋詰め残土とともに、神戸港に運ぶ大型トラックに乗せた。
 核燃機構の石村毅理事は現地で会見し、「長年の懸案だった残土の一部の撤去を完了することができた。長い時間を要してしまい、住民の方におわびを申し上げる。残りの残土については検討を続けたい」と話した。

民主党首と小泉が秘密裏に会っていた・・・・
改憲政権の翼賛政治・・・

姉歯問題のみではない。
その裏でほくそえみながら進められてる問題のほうがもっと恐ろしい。

朝に申し出のあった夜の協議は自然中止。
先ほど24時過ぎに帰り手抜きのブログ
名古屋から現地指導を頂くためにおいでいただいた。
午前中見積もりを四苦八苦で作成。
午後は狂乱の如き時間。
都城の部材が着くたった一人の倉庫保管作業。
九電苦情は4件にも昇る。
高岡は14日で17時連係。えびのは今日であった。
大塚の件で連係の苦情。
どうなってるのやら。

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ゆれるkeiei

2005年12月11日
サッカーのワールド・カップの組み合わせが昨日決まりブラジルを含むクラスで世界ランキング1位とアジアNO1ながらも15位ではどうにも分が悪い。
まあ〜2位になればよいそうなので凌ぎ抜けば決勝リーグには残れるのではとの巷の観測がある。
来年6月にしてはチョット騒ぎすぎの気が早い気もする。
野球も3月に世界大会がはじめて開催されるがメンバーの一人が空白でゴジラ・松井の名が無い。
ところで所属のヤンキースは100億の赤字経営とのことである。
あの米国人気NO1がこれでは他の球団は押して知るべし。
外見と実態の経営上の遊離はどうにも落差が大きすぎる。
スポーツの世界ならともかく地球全体の問題となればことは穏やかではない。
国連が2200億円の一年間の予算が決まらずアナン事務総長が日本に来る予定であったが来ない。
総理と会えないからであろうか。来日の目的は国連改革が進展しないため、米国日本が予算拠出を渋ってるためである。 
両国のみで国連予算の42パーセントを占めているので反対されれば成立しない瀬戸際の状態。
世界平和が揺らいでいるのと同じで、国連維持が危険な状態である。
国連分担金から
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jp_un/yosan.html

米国・・22パーセント
日本・・19.5
独国・・8.7
英国・・6.1
仏国・・6.0
伊国・・4.8
カナダ・2.8
スペイン2.5
中国・・2.0
メキシコ1.8
韓国・・1.7
他方、小泉総理は、ASEANプラス3出席のためマレーシアに出発した。
東南アジア諸国連合・日中韓(ASEANプラス3)首脳会議などに出席するためである。
だが、恒例の中国、韓国との首脳会談は予定されていない。
これではアジアのリーダーにはとても及びもつかない。
「中国と韓国とも相互依存関係が深まっている。(日中、日韓関係の悪化は)一時的なものだ」
と外交不在に暢気な総理であるが国民は支持している故仕方ないのであろうか。実に不幸な国である。
明治の国家指導者がみたらなんと嘆こう。
田中彰『明治維新と西洋文明──岩倉使節団は何を見たか』、岩波新書
有色人種で唯一G7加盟国ならびに世界第2位のGDPを誇る経済大国に成長した驕りが伺える。
この時期日本は大国主義ではなく小国主義を目指した身の丈国家運営論があったと著者は言う。
覇道=大国主義(軍力など力をもって相手を制圧する)
王道=小国主義(制止力をもって相手を制圧する)
と区分し国家論を展開して国難を乗り越えた。
資源無しで技術でしか立ち向かえない日本国家。
小国主義できらりと光る日本を恒久に志向していかねばならないのであるとしている。
小泉に進呈したいがわかるはずがない。一国の国家経営をである。
経営で言うなら高千穂線=TR全線復旧を断念が宮日紙にトップ記事。
全長50KMの全線復旧で26億円になる資金のメドが立たないためのようである。
詳しく見ると13億円であったり40億円であったりと何がなんだかわからない記事。困難ぶりがうかがい知れる。
72年まで日之影が終点であったが、高千穂まで開通した。
70年日之影、三田井の渇水補償と下関から来たものである。
熊本まで全線用地は確保してあったのにひのめをみず、頓挫した。
何故にそんなに詳しいのかって?・・・
この路線の用地担当は実は九州でただ一人、何を隠そう私が担当していたのである。
下関にある国鉄用地部である、田中角栄の知恵による鉄道建設公団。
ほかに長崎の喜々津〜浦上路線を担当した。
少なからずともさきの長崎太陽光発電工事にご縁はあったわけである。
資金難はかくも意外なる顛末を迎えるものである。
社会の最小単位たる家族経営。
年末年始をそこまでにして帰省計画で資金繰りの人もあろう。
社会の最低限の家族が集まるのはいい。
人間の証明であるのやも知れない。
「ケータイを持ったサル」正高 信男著なる本で人間に一番近いアニマルの生活を知ることに迫っている。
親子サルの毛づくろいシーンは暖かい家族を映し出していると、人間の感覚で見てる。
サルに家族はあるのか。答えは「無い」が正しいらしい。
確かにサルの親子ではある。ただし、父親は分からない。
。「普通サルはボスを中心に群れをなしている。もちろんオスがたくさんいる。メスサルは交尾期に複数のオスと交尾をおこなう。だから誰が妊娠させたかが不明で父親は分からないのです」と著者は言う。
サル社会における「家族」の定義ってそういうものだったのか。
出会い系サイトを3〜4興味半分に参加してみた。
どうなってるんであろうというほどの不倫氾濫の日本社会を見て取れる。
もちろん殆んどが詐欺まがいの虚偽の内容がほとんどではある。
、それでも興味のメールを送りビジネスが成立していることが社会の裏返しの真実でもある。
心象には単なる安定の仮面があるのみで「家族」の崩壊は当たり前の状態も見て取れる。
サル社会をみて他山の石とすれば年末年始風景の一年に一度の家族を考える場となろう。。
ティーンズの性の氾濫は大人社会に警鐘を鳴らすものでもある。
とりもなおさず、わが社の資金繰りでもある。
どこに逃げてへも終わらない。
大事を前に裏切りは時の常。
絆ありしもののみが困難に立ち向かう。
太陽光発電の宮崎一の建設を実現してみせる。
たった一人でもやりぬくしかない。
 幾山河 満身創痍を省みず、
  満天の星見上げ 雄たけびあげん1
どんなときでも愛を忘れず誠意を持って対処しよう。
時空を超えた武士(もののふ)の信念を持って。

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堤防のアリの穴

2005年12月10日
実に情けない。3ヶ月も延岡で仕事を出してたら、いつのまにやら、本末転倒の言葉使いと挨拶にも欠ける日常の態度。
ほんの少し気付いてはいたが放置していたのが増長し組織に蔓延していた。パソコン・ウイルスみたいになっていたのだ。
全員の共通事項とまでに高まってしまっていた。
驚嘆をあげてる場合ではないのだがその見事さには感心さえしている。
オーナーに飛び入りアルバイトをしていた。一日17000円稼いでいた。
それを聞き取り調査中に大声を出して食って掛かってくるとの挙に出た。ついに馬脚を現した。
自由なる雰囲気がつきあがらせる態度を生んでいた。
我が息子や娘らより若き御仁は、いつのまにやら現場主任に取り入り、はいり込み働いてる状態で雇用常態化し、その若造から頭が割れるほどの声で怒鳴られた。主客転倒である。
田中真紀子にして人間分析学があるが言いえて妙。
人間を分類するとこれ以外に無いという。
?身内と?使用人と?敵であるとシンプルだがこれが凄い卓見。
使用人から烈火のごとく怒鳴られてはしょうがない。それも我が子より年下の若造風情に。
失敗である。ここまで増長させた周りと私。
新聞に丁度書いてあった。
失敗はうっかり、惰性、動転から生じると失敗学の提唱者、畑村洋太郎さんはいう。
昨日の株価の乱高下に学ぶものは無いのか。
この多忙な中でのパソコン時代に
「○円で×個」を「×円で○個」という逆転も起こっておかしくないような気がする。
だが実際に「61万円で1株」という売り注文を「1円で61万株」と間違えてコンピューターに入力したのだと聞けば、見も知らぬ人様のことながら顔から血が引く
300億円以上の瞬時の損失である。
「うっかり」ミスで入力しても、どこかで気づく仕掛けがある。
異常な注文内容に警告が表示されたが、担当者は「惰性」で無視した。
一分二十五秒後に誤りに気づき、取り消そうとしたが「動転」して手順を誤るミスを重ねたらしい。
 失敗には「ハインリッヒの法則」というのがあるそうだ。
一件の重大事故の裏には二十九件の軽微な事故があって、
その背後にはヒヤリとするような三百件が潜んでいるという。
だから、日ごろの「仮想演習がすべてを決める」と畑村さんの言葉が書き連ねられる。
企業は「成功マニュアル」を完備して、もっぱら前例を踏襲する。すると柔軟性を欠き、想定外の事態にはうまく対処できない。
コンビニのマニアル言葉に挑戦する私としては良くわかる。
失敗学の発想は逆で、過去の失敗例に向き合って将来に生かすこと。ノーベル化学賞を受賞した島津製作所の田中耕一さんが典型例。
コンピューターは人間に指示されたことしかできない。
銀行の決済システムなど社会のあらゆるシステムのつくるのも使うのも人間だ。人が動けば間違いが起こる。
驚くべきは、もし人の悪意が悪知恵を駆使したら、一体どんなことが起こせるのか空恐ろしい
人は間違うというごく当たり前の事実がどこかで見逃されていたのである。
それを管理する側のワキの甘さが露呈してしまったわけである。
ちょっと空気がよどんではいなかったのか。
なにも書きつられてあるのはズバリ私のことで人事ではない。
作り上げたる組織もアりン子一匹で崩壊してしまう。
怨恨や恨みは無くとも反抗・暴力的態度に出る若造。さらに発展して犯罪化するのが今日のIT社会に生きる宿命であろう。
バーチャルなるゲーム感覚でしか思考できない軽薄なる世代が社会の中心に座ろうとの世相である。
組織維持のための小さいミスを見落としてたことからの反乱である。人間愛と感謝の気持ちの欠如では社会人ではない。
自由闊達なる組織運営はどうやらありえないようである。
実に下らぬ生き物である。人間てぇ〜生き物は。
機械はいいが生きてるものは非常に扱いにくい。
そうでしょう、恐妻家の御仁のご同輩!

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NHK1の夜10時から11時の「人間ドキュメント」はもっとみんなに見れる時間に放映したがいい。
今夜は無名塾を主唱する仲代達也72歳の老いとの戦いにジックリと迫った。
仲代達也いわく「人間はそう簡単には幸福になれない。」
10年前妻を亡くし自殺さえ考えたが、うつろ、むなしさの中に見出したのが3歳年上の民芸の奈良岡との競演の道の舞台「ドライブイング・デージー」であった。
金持ちのデイジーと雇われ黒人運転手フオークとのお話である。
9月より全国60箇所を半年かけて回る。
老いから来るセリフ覚えの困難さ舞台前のお話であった。
仲代達也といえばクロサワ映画の「7人の侍」や「人斬り」の勝新太郎、石原裕次郎、三島由紀夫
と競演した20代の頃の嘱望された名優を思い出す。
「人間は愛すべきもの。」極めつけの境地を教えられた。
舞台、役者は麻薬ではないのか。
私が太陽光発電の普及に賭けるのと同じである。
ここんとこ昼じきも満足に無い時間が続いている。
師匠からは独占にまつわりつく電力料金の不安の宿題が寄せられているが答える時間は無かった。
太陽光発電を普及させても所詮電力会社からの攻勢で太陽光発電からの買い上げ価格を変更・引き下げさせられようとのことである。
社会制度を時の政治権力に委ねているゆえ、起こりうる事やも知れない。
だが、私共の世代はそれに怯むことは無い。
どだい社会改革の運動は勝つことは数少ない。
負けた軍隊ほど良く学ぶものだ。ますます弱いものがスクラムを高くまとまることである。
我らの世代は、誰でもがよりよき社会を目指し社会改革の政治的人間性を帯びていた。
仕事を通じて社会貢献をして幸せを手に入れ子や孫の幸せを祈って生きてきたのが団塊の世代であった。
ところが、こうまでグローバル社会なる名のもとに金本位の社会的地位が決まる社会的常態化を誰が予測したであろう。
末期的世相の拝金思想の蔓延化である。
この国を包む社会制度の総てがほころびを見せる末期的症状である。。
アングロサクソン流のユダヤ的な金にのみ動く蔑まれた華僑的生き方が全盛の世の中である。
フリーター200万人、ニート60万人、児童虐待の相談年間3万件、
『下流社会』なる新たな階層の出現を描いた新書の発行部数が50万部を超えた。。
疎外された若者や、親の自覚が無い親の急増、格差の拡大・固定化への人々の不安といった日本の今の状況や地方都市の衰退ぶり若者の閉塞状況が社会を覆っている。
これらの社会現象、法則を解き明かすに哲学的手法がより正確性を導くことであろう。
ソクラテスの対話をおしすすめたヘーゲルの弁証法は、暗黙的な矛盾を明確にすることで発展させていく。
ヘーゲルの弁証法は、3つの段階に分けて説明される。
ある命題(テーゼ=正)と、それと矛盾する命題(アンチテーゼ=反)、もしくは、それを否定する反対の命題、そして、それらを本質的に統合した命題(ジンテーゼ=合)の3つである。
全てのものは己のうちに矛盾を含んでおり、それによって必然的に己と対立するものを生み出す。
生み出したものと生み出されたものは互いに対立しあうが同時にまさにその対立によって互いに結びついている(相互媒介)。
最後には二つがアウフヘーベンaufheben(止揚)される。このアウフヘーベンは「否定の否定」であり、一見すると単なる二重否定すなわち肯定=正のようである。
しかしアウフヘーベンにおいては、正のみならず、正に対立していた反もまた保存されているのである。
またヘーゲルは、歴史とは一つの大きな弁証法、すなわち奴隷制という自己疎外から、自由と平等な市民によって構成される合理的な法治国家という自己統一へと発展する「精神」が実現していく大きな運動だと認識した。
ヘーゲルの観念論による弁証法における観念の優位性を唯物論による物質の優位性に反転させることで、唯物弁証法(唯物論的弁証法)またはマルクス主義的弁証法が考え出された。
この弁証法を歴史の理解に応用したものが、史的唯物論(唯物史観)であり、この見方は、マルクスやエンゲルス、レーニン、トロツキーの著作に見て取ることができる。
毛沢東の矛盾論も忘れてはならない。
この弁証法は、マルクス主義者の思想の核心的な出発点となるものである。
エンゲルスは『自然弁証法』において、唯物論的弁証法の具体的な原則を三つ取り上げた。
?「量から質への転化、ないしその逆の転化」
?「対立物の相互浸透(統一)」
?「否定の否定」
これらがヘーゲルにおいても見られることをエンゲルスも認めている。1.は、量の漸次的な動きが質の変化をもたらすということをいっており、エンゲルスは例えば、分子とそれが構成する物体ではそもそもの質が異なることを述べた。
スターリン主義における弁証法的唯物論は、政治的イデオロギーの側面が非常に強かったため、だんだんと教条主義的、また理論的に破綻したものへと変わって行った。
さてこのような弁証法の手法を用いて閣下の総力たるエネルギー問題を紐解いて師匠の問題定義に答えたい。
メリクマールとなるのは???である。
太陽光発電の限りなき普及で時の権力者は無視できないエネルギーとなり中曽根の作った原子力政策を見直さざる得なくなろう。
量の質への転かである。
汚い九電電気ときれいな太陽光発電電気はそれぞれ補完しあおう。対立物の統一である。
どちらを使うかは民主主義の進展に従わざる得ない。
300年の歴史を持つドイツ民主主義の勝利たる汚い電気の原子力を放棄した国策の如きである。
地球が滅んでいく状況下での人間の英知に期待したい。
老いても挑戦する人間愛に地球の将来を託して滅私奉公の毎日である。
廉価販売で厳しき経営実態だが、太陽光発電の未来は明るい。
12月8日にイラク派兵延長を決める恐ろしき小泉政治とは無縁のへいわの象徴であり、エネルギーの基本である。
いずれ国策の中心を占めるエネルギーとなろう。
今は普及をすることである。

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12月8日

2005年12月8日
12月8日がくると記憶が鮮明に蘇る。
10数年にわたり月一の日程で県内くまなく老人施設を慰問で回った。
生のバンドを背景に戦前が殆んどの曲を選曲し懐かしき衣装をつけ芸を披露した。
10数人が唯一の3分間のために参加した。毎回総勢20数人を超えた。
130回以上を上回ったが、リーダーの勇退と私のこともあり解散した。
メンバーも鬼籍に入られてる人が多い。
私は司会進行一切を取り仕切った。
幕間には手品をやったり小話で時間をつないだ。
日曜日のロッテ歌のアルバムの司会者玉置宏の進行を目標とした。
この時期が近づくと決まって終了後、怒こられた。
何故か?時間が長すぎる。との苦情である。
同期のサクラやラバウル小唄などなどの戦時懐メロのときのイントロの時間の前説明である。
演じられる曲はいずれもイントロが随分と長く、司会の真骨頂。
・・臨時ニュースを申しあげます。・・・
米国のラジオで異邦人の来襲で大騒ぎになったオーソン・ウエルズばりの真迫をもって場内にマイク無しで響かせた。
53年前の昭和16年の12月8日の午前7時のこと。
奇しくも東京の最低気温は2・2度で同じ状況なんだったのである。
小泉の孤立したアジア外交、脱しきれない不況の風、憲法改正の政治状況と総てがナント似てることか。
館野守男アナウンサーがこれを2回繰り返した
・・臨時ニュースを申しあげます。・・・
「大本営〜陸海軍部発表!、12月8日午前6時。
  帝国陸海軍は本8日未明、
     西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」
私の司会時間ならず、暴走はここまで窮まれり。
これから3年8か月に及ぶ戦争の日々が続き、それから今年は敗戦から60年を経た。
いまなお真珠湾に沈んだ戦艦アリゾナ号からは、64年たった今も、オイルが浮かんでくる世言う。
「リメンバー・パールハバー」
怨み骨髄の「ジャップ!」と同じの憎悪の言葉である。
不思議なことにこの国とだけ外交がうまくいっている。
新聞によると
「聴きいる人々が箸を捨てた、フオークを捨てた、帽子もオーヴアも脱いだ……全員蕭然と直立し頭を垂れ、感極まつてすゝり泣く人さへあつた」。東京・神田でラジオの開戦の放送を聴く人々の姿で、「同じやうな感激の光景は全国至るところに描かれた」と、毎日紙が書いている。
日本を新たに牛耳る人々のようにとても「想定内」ではすまされないお話である。
 しかし、実際に戦端が開かれたのはこの奇襲の1時間ほど前、英領のマレー半島に日本軍が上陸した時何だそうである。
 米国の禁輸で石油調達の道を断たれた日本は、オランダ領インドネシアにある油田の確保を狙った。
そこに至るための軍事行動であり、兵力では真珠湾攻撃をしのぐ大規模な作戦。
シンガポールのリー・クアンユー元首相は開戦時、18歳の大学生。回顧録(日経新聞)で日本について書いた。
「占領時代のつらい体験を持ち、日本人の特質に潜む恐ろしい一面を知りながら、それでもいま私は日本人を立派だと思う。日本人の持つ集団の結束力や規律正しさ、知性、勤勉さ。それらすべてが日本の力のもとになっている」
その視点で工事進捗の会議を終えて我がアパデン宮崎を見る。
資金難とスケジュールに対する予算と数限りない不安が横たわっている。
スタッフを見回しての事と迫りくる不安である。
仲間の○○さんがTELで「なんかあったと?」と再電話をしてくるぐらいに凹ンでるようだ。
小説や漫画の世界ではいま、「死神」がブームであるとも新聞は伝える。
小説「死神の精度」伊坂幸太郎著(文芸春秋)が売れてるらしい。
生きていることの手応え、生の実感が希薄な時代ゆえ、死の恐怖の死神に心をひかれるのであろうかと結んでいる。
NPO法人の中心メンバーの一人を絞死で失ったゆえ身近である。
あまりにもの難題の連続と多忙さに己を見失ってるやも知れない。
歌人の斎藤史(ふみ)の歌う
、「死の側より照明(てら)せばことにかがやきて
            ひたくれなゐの生ならずやも」
悪霊がついたのか。死の側から照らしテルのやも知れない。
忙中間アリ、ご利益と工事の安全を祈願してのことである。
あんなに足げく伺うのに365段の階段のある宇納間本尊ははじめてであった。
全長寺の仁王門を抜けて目指すは杉の森に守られし鎮守の森に控えし巨樹100選 のイチイガシ、
巨樹100選では次の通りである。
 樹種:ブナ科イチイガシ
 幹周:756cm 樹高:33m
 所在:宮崎県北郷村宇納間(うなま)・宇納間神社
 指定:村天然記念物,みやざきの巨樹100選
 ところが状況が違う。
駐車場をかねた展望台はいいがなんかが違う。
ネットを開いてわかった。
・・・・「岩井川神社のイチイガシ(日之影町)」が失われて以来、カシの仲間としては県内トップの座にあった「宇納間のいちのき」が台風16号の大風で倒されてしまいました。
社叢を形成していたスギの大木が無惨になぎ倒されました。押し潰された石段も見えます。それにしても、この広い社叢の中で倒された樹は、前述の駐車場から見える範囲
その下方に見える草地は近年造成された駐車場で、神社の例祭などに利用するために造られたようです。
 駐車場が造成された場所には、以前は生い茂る樹林があったように記憶しています。そう言えば、当サイトのふるさとの紀・季・樹:熊本県一の宮町で紹介している「手野の杉」も、かつては深い森から成っていた周囲の環境が変わり、巨樹が大風の直撃を受けるようになった経緯があります。
・・・・・・
階段の上り口に鉄城山の記載がある。
岩倉親氏の全山寄贈したとの来歴。奇特な人がいたものである。
「火伏せ地蔵」名高いこの山は最近まで個人所有であったようだ
神仏混淆の形式をそのまま残している珍しい地蔵尊として知られる大分県日田郡天瀬町「高塚愛宕地蔵尊」の本家筋でもあるとの解説をご同行の方から教えてもらう。
ここの巨木推定1000年の銀杏木をはいまだ元気のご様子。鎮守の森に手をつけず畏怖を保ってるからであろう。
足腰の痛みに耐えかねるころ社殿が開ける。
奈良時代の名僧行基が一刀刻むごとに三礼をもって彫刻された霊仏で、60年に一度しかご開帳にならないらしい。
何故ここに奉られてるのか。
将軍家11代家斉のころの1802年江戸市中の大火を鎮火させ、延岡を納める内藤政つぐの江戸屋敷のみが焼けなかったが神からの地元で守らせよとのお告げがあったそうである。
旧暦の1月、6月、9月の24日が祭礼日で特に旧正月の24日の大祭日には3万人もの人出でにぎわってるそうだ。
昴天文台の工事のとき迷って聞いた店が実にいい。
そのおかみさんの優しかったことは忘れない。
記録ではこうだ。。
甲斐敦夫酒店
  酒類専門
  住所 北郷村宇納間中原
  電話 0982−62−5011
あと24日で消え行く北郷町で美郷町(misato)となる。
23日の午前中に閉村式が行われる。
偉大なるマラソン・ランナー広島兵庫・広島日出国を生んだ村が消えていく。
ドイツ・ベルリンの人間機関車ザトペックとの死闘の美談は日本人の誠実さを世界に轟かせた。
1メートル60センチに満たない小男を世界の大巨人にした。
その努力は村おこしに引き継がれている。
年2回、春と秋の六峰街道歩こう大会100人を超えるライダーを迎えてのオフロードバイク
スターランドラリーin中小屋と活性化の努力は涙ぐましい。
火の神を奉らんがためお土産を携えてこの地から降りた。

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東奔西走。

2005年12月7日
宮崎市内からは県南には90kmで県北高千穂には150kmで、へその位置は高鍋町である。
他の県との唯一の違いはこの縦長に延びた県なのに高速道路がまったく無いことである。
30年前とまったく牛歩どころかアリの一歩もすすんでない高速道路の整備状況である。
政治の貧困を痛切に感じさせられる。
瞬時の移動ができぬゆえそのことは日常生活全般にのどかなのんびりした県民性としてうっていよう。
大阪や、福岡からの技術陣の応援を頂いての太陽光発電NEDO事業の説明をした。
遥かかなたからの最長距離を移動してのことである。
集まりし人々はこの12月で終了するNHK「プロジェクトx」の世界である。
この世代がいる限りまだ日本は大丈夫だといえる。
夜に今後の協議、進捗をかね久々にニシタチの場での協議。
朝からお願いしてあった他の人との協議はそれぞれスッポかしにならざる得ない。
多忙を極める中に悠久のじかんがある人を見るにつけ自省の念にかきたてられる。
ゆっくり目標に向かって一日を終えるしかない。
携帯時代ゆえお相手さんに怒りを与えてることであろう。
明日に反省の連絡を入れることである。
仕事に完走を持たせるためである。
幼稚園児で42・195キロのフルマラソンを完走したお話を新聞で見る。
アッケラカンの完走インタビュー。
「風が気持ちよかった。ゴールできたときはすごくうれしかった。また走りたい」
大阪府四條畷(なわて)市の私立星子幼稚園の6歳の誉田海人(こんだかいと)
今月、7時間弱で走った。
我が宮崎でもいる。三股町の中学3年、福田聖伍(しょうご)
「少年の主張全国大会」で、白血病を克服した体験を発表し最高賞を受けた。
「人は必ずいつか死ぬ。だからこそ、一日一日をかみしめて生きなければならないことも学びました」
卓見である。この年齢にしていえる言葉ではない。
般若心境の悟りの境地を語ってるではないか。
残念なのは大人たち。
東京都で、管理職試験の受験者が減り続けていると言う。
受けない理由は「管理職に魅力を感じない」「自信がない」「仕事と家庭を両立したい」
なまっちょろい御仁たちに私の生き様を見せてやりたい。
だが自信をなくすこともある。
悟りえた大人を知ったときである。
この時節に田んぼでの稲藁などを燃やしてる状況を見たときだ。
「藁塚放浪記」を出版した大分県別府市の写真家藤田洋三.
「モノだけじゃ豊かになれないことに気付き始めた現代人が、藁塚のよさも認識してもらうきっかけになれば」とさり気なく語る。
稲刈り後の田に藁(わら)を積み上げた藁塚を撮り続けるひとの自然の言葉はいい。
世界で排出される温室効果ガスの半分は、森や海に吸収されずに大気にたまり続けている。
その結果を、猛暑や異常気象で実感できるほどになっているのだ。 この何日かの急激なる温度の変化はハンパではない。
太陽光発電の普及が急がれる。
久々のアルコールで朦朧となり無駄なる時間との自己矛盾をかかえながら日々反省の時を過ごさせられている。
あすは西の山中の地区までは130KMもあるのに向かうことになる。
この多忙さの中をたまったもんじゃ〜ない時間の浪費。
70KWの太陽光発電の建設打ち合わせであるのでやむ得まい。
夕方5時には宮崎より80KW西の都城。
僅かなるスタッフ陣はフル稼働。
組織はほころんではいないのか。
見直しの余裕の時間は無い。
願わくば会議を減らしてほしいお役所仕事。

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復活

2005年12月6日
一年が終わろうとしている。
各分野、各界の重大ニュースが取りまとめられてる時期であろう。
落語界での話題は三遊亭円楽(72)師が一番であった。
生死をさまよった脳梗塞入院と復帰後の活動。
変則的ながらも5月31日に、27年ぶりに東京・新宿末広亭の高座にあがった年でもあった。
事実上落語界を仕切る実力者春風亭小朝ら人気落語家が落語界活性化のために招いて実現した。 
三遊亭円生師匠が落語協会を脱退したのは、真打の芸にあった。
真打を増やそうという柳家小さんと真打の芸を大切にする三遊亭円生師匠の対立が原因であった。
寄席からは締め出されたが「落語三遊協会」を結成し独自の活動を続けていたが、翌年円生師匠はパンダが死んだ同じ日に逝去。
紙面の扱い方の大きさの差に愕然としたものであった。
「三遊協会」の落語家の大半は落語協会に復帰したものの、円楽一門だけは戻らず、その後「大日本すみれ会」、1985年に「落語円楽党」に名称変更し、現在に至っている。
円楽師の独自資金で江東区に寄席を持ったが経営は難航し手放すなど苦難は続いた。
東西線から区役所を通り抜け清澄公園近くまでゆえ足遠かった。
宮崎より何度か行ったがビル二階のこじんまりした寄席であった
円楽師は宮崎一のつなが深い噺家。
宮崎では県北と市内で宮崎落語界を立ち上げ何度と無く円楽師を迎え高座を持った。
駅前の今はブライダルビルになってるビルを定席とした。
6回目で不入りで解散した。
数限りない楽しみの中でも私は密かなる好みとする演目は「中村仲蔵」にあった。
華麗なる歌舞伎の舞台を彷彿させる話芸に酔った。
その歌舞伎界が沸いている。
文芸春秋社を興し文人の生活向上のための芥川賞・直木賞制度を設けた作家の菊池寛の名作に戯曲「藤十郎の恋」がある。
密夫の狂言の役作りに困って、茶屋の女将である人妻に恋をしかけた逸話の内容である。
作の動機は「その時の情感を知りたかったから」という。
初代藤十郎の逸話で写実重視の芸風で伝えられ知られた。
長く襲名こそなかったが坂田藤十郎が231年ぶりに上方歌舞伎の大名跡「坂田藤十郎」として復活した
25日は「歌舞伎」がユネスコの「世界無形文化遺産」に登録された。
奇しくもまったくの偶然のことであった。
京都市東山区の南座で、「吉例顔見世興行」(30日〜12月26日)を前に、出演する歌舞伎俳優の名前が記された看板を劇場正面に掲げる「まねき上げ」が行われ、人間国宝の中村鴈治郎(73)が4代目・坂田藤十郎を襲名したその日なのである。
元禄時代、江戸に市川団十郎あれば、上方に坂田藤十郎。
二人の名優が江戸の荒事、上方の和事と呼ぶ演技様式をそれぞれ確立、歌舞伎は大きく開花した。
以来、団十郎は十二代を重ねて今に至るが、藤十郎の方は長く襲名がなく、実に231年ぶりにきのう、その大名跡の舞台が京都・南座でよみがえった。
中村鴈治郎改め坂田藤十郎の襲名披露を兼ねた顔見世興行である
、数々の芸談、芸に精進したエピソードが今に伝えられている
舞台ではいつも自分の足に合わない小さな寸法の草履をはいた。「脱ぎ捨てた草履を見物衆にさらし、さても藤十郎は大きな不細工な足じゃと言われては色男の役はつとまらぬから」という
「歌舞伎隆盛のため、ますます芸道に精進いたす覚悟」と平成の藤十郎。
過去にアメリカ、カナダ、メキシコなどで公演もあり、
「これからも文化交流が大事。海外を見据え、世界に発信する形になりたい」とその目を世界に向けている大名跡「坂田藤十郎」の復活である。
これから先は愛読してるブログのマダムさん事、つべこべ草さんの領域で語るのもおこがましい。
新聞から。
同じ日映画「カラテ・キッド」シリーズで主人公の少年の空手指南役を演じた日系の米俳優パット・モリタ氏が24日、ネバダ州ラスベガスの自宅で死去したニュース。73歳の自然死とイブリン夫人が言っている。
 日本からカリフォルニア州に移民し、果物農場で働いていた両親の下に1932年に生まれた。
第2次大戦中は日系人強制収容所に入れられた。戦後、航空技師からコメディアンに転じ、キャバレーを巡業。そのあと連続テレビ映画に出演するようになり、「ハッピー・デイズ」「MASH」などで名声を博した。
 84年から始まった「カラテ・キッド」シリーズの主人公ダニエル少年の空手の先生ミヤギ役でスターの座を確立。
11作目ではアカデミー助演男優賞にノミネートされた。
連続テレビ映画の人気作「マグナム」「ベイウォッチ」などにも出演した。(時事通信) - 11月26日
NPO法人の太陽光発電のNEDOが潰れそうである。
中心人物たる絞死した○○○の意志が夜な夜な私を攻める。
太陽光発電の普及を急げ!
教えてもらわねばならぬことだらけであったのに聞くすべも無い。
NHKさえ棒にしてNPOに賭ける人もいるのにどうにも引けない。
資金がほしい。
死ぬのはたやすい。よ〜しみておけ!ここだ、遠くでなくここなのだ。
私の居場所はここなのである。
この世界ゆえ多くは書けないが昨日の営業で30KWのNEDOを工事することになろう。
どうにか舞い降りてきた神々のお陰で転機が巡ってきている。
ところが同じ昨日の夜、NO1職人さんから恐ろしき申し出がある。
そそのかされてる嫌いを感じるがやむ得ず、幸多かれと祈るのみ。
飯も食わずがんばってる私の誠意はどうやら伝わってないようである。
今日一日は拍子抜け。
いやいやお見舞いに県立病院。
病棟の方は私は知らぬのに知っていた。
流石なる病院改善闘争のメンバーたち。
仲間を忘れず知っていたんである。
人は死して名を残す。
せきやんの青春の残滓もまんざらではない。
太陽光発電を普及するための職人集団。
真打の芸にしんぱくする職人集団を構築せねばならぬ。

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不死鳥

2005年12月5日
NHKの底力を見せられる思いの昨夜22時からの番組であった。
自らの危機たる受信料問題の解決策の処方箋であり、
800兆円の瀕死の国家のことであり、われらの抱え持つ一人一人の悩みからの
再生への勇気をくれる人間の素晴らしさを謳いあげた元気をくれる番組。
「脳梗塞からの再生」
日本免疫学の第一人者=多田富雄教授の4年間の軌跡である。
身体がきわまり、日々衰える。
自殺も当然考慮した。恥かしき身体の状態ゆえである。
どっこいしぶとく生きていく。
脳梗塞の機能回復は半年間の間の訓練状況で決まるのが通説。
いまも失った言葉を取り戻すため4年間続けている。
人間の尊厳への挑戦、創造的営みを続けんがためである。
脳梗塞で死滅した神経は戻らず、新しき生まれていると科学者の目で自分を見据える冷徹さ。
そこいらの科学者たる医者の研究成果どこではない。
科学者はシェークスピアを読み文学者がアインシュタインの相対性を知れが持論である。
地球の将来を見据えての研究者が科学者たるもの。
核兵器は科学者の驕り、おろかなる行為でやってはならないものに手をつけたと真の科学者。
100年後の人類は存在してないとまで言い切る・・・・
それでも・・・地球の人類の将来を信じますか。と問われると
「だが・・・何とか希望を持って・・幸運さに賭け・・生き残らせてあげたい。」
そのためにはどうすればいいのか。
時間が無いが研究は寛容でギスギスしないですればいい仕事に行き着く。
核の恐ろしさを病の中で気付いた。
死者の訴えが聞こえてきて能を新作した
過ちは繰り返すまじ。の声が舞台に響き渡った。
能の精神が復活した。
さ〜てそこで私への問題である。太陽光発電の廉価普及を急がねばならぬ。
一昨日まで20数度の昼間気温であったが、昨日から急激なる気候の変化で吸収の尾根には雪が積もり
外気温が急激に変化した。
動ける人間は対応できようが、これでは植物群はたまらない。
温暖の地宮崎流でボャットしていたところに冷水では風邪どころか死滅しよう。
現に欧州の異常寒波では動ける人間さえ死亡している。
異常に熱すぎの気候でその残りが続いてた矢先の急激な変化これが地球温暖化なのである。
地球を覆い、漂ってるCO2ゆえにである。
世界で排出される温室効果ガスの半分は、森や海に吸収されずに大気にたまり続けている。
その結果を、猛暑や異常気象で実感できるほどになっているのだ。
昨日の宮日紙も報じている。
「みやざきの巨樹百選」に認定されている県内の名木が傷みにさらされている。
「巨樹百選」は、幹回り3メートル以上、樹齢100年を超える県内の4879本の中から、姿形に優れた樹木が、28市町村で認定された。
1992年の選定から昨年までの12年間で、国、県指定の天然記念物のスギやイチョウを含む十五本が腐れたり、枯れたりした。
気候の変化や都市化などが影響しているとみられている。
樹木医の嘆きはいかほどばかりや。
 選定からその後も樹木の状況を調査してきたのは全国巨樹・巨木林の会会員の池田隆範(57)=佐土原町下田島 。
 枯死した十五本は十四市町村に分布。
国指定天然記念物の高原町・狭野神社のスギ(高さ四十メートル、幹回り九メートル)など三本は台風で倒れた。
残り十二本は腐朽菌が繁殖していた。
 池田さんは「周囲の環境が影響している」と指摘。
温暖化などで腐朽菌が繁殖しやすくなっているほか、埋め立て工事などで水脈が変わり、水や栄養の吸収が困難になり樹木の生命力に影響しているとみている。
 県樹木医会の川崎良賢会長
「樹木は枝と同程度の距離まで根が張っており、広範囲な土地を柵などで保護するのはなかなか難しい。人や車の往来が増え、根が弱っているのは間違いない」
それにとどまらない危険な状況がある。
椎葉村松尾のタブノキ(高さ12メートル、幹回り6,2メートル)は半分枯れた状態。
、綾町北俣のホルトノキ(高さ18メートル、幹回り6,3メートル)も腐朽が進んでいる。
同じ記事が偶然にも全国紙に。 宮崎のフェニックス全滅の危機 外来の害虫食い荒らす 
昭和30年から40年代新婚さんの5割近い40万人のカップルが宮崎に来た。
東洋のナポリ、欧州のニースに例えられた。
それを象徴したのが3568本(00年)のフェニックスである。
 亜熱帯原産のヤシ科の植物で、高さ10メートル程度に成長する。
病害虫に強く、寿命が長いことから「不死鳥」を意味する名が付けられたとされる。
宮崎県内では宮崎交通創業者の岩切章太郎氏が戦前から、「日本のハワイ」のイメージづくりのため、観光地に積極的に植えたものだ。1966年に県の木に指定された。
代表的なのが日向灘を望む観光名所「堀切峠」のフェニックス
その一部も枯死寸前。記念撮影の場所の左の被害木は葉などが落下する危険があり、周囲が立ち入り禁止になっている
珍し現象で経営を市に移管して復活して賑わっている。
 南国宮崎のシンボルで「県の木」にもなっているフェニックスが、外来の害虫ヤシオオオサゾウムシに食い荒らされる被害が急速に広がっている。
県は薬剤散布や防虫ネットの設置などの対策を講じているが、高額な費用がネックになってなかなか浸透しない。
「不死鳥」の名をつけられた木だが、「数年後に県内では全滅する可能性もある」(県環境森林部)との見方が現実味を帯びてきた。
12ヶ月ゴルフが楽しめるのは宮崎だけ。
正月の総理・福田赳夫の青島コース詣では県民の誇りであった。
 日向灘を望む同県高岡町のゴルフ場、高原カントリークラブ。
現在52本のフェニックスがコースを飾る。
だが、管理担当の森重容宣さんが01年秋に着任した時にはほぼ2倍の本数だった。調べたところ、数十本が枯れかけており、手の施しようがない二十数本をすぐに伐採した。
 原因はヤシオオオサゾウムシだった。「食い荒らされて、内部が穴だらけだった」。薬剤散布を徹底し、10本程度が1年かけて元の姿に戻った。
 国内では70年代に沖縄で見つかり後撲滅されたハズ。赤褐色で体長約3センチ。フェニックスの成木にとりついて産卵する。かえった数十匹の幼虫が内部を食い荒らし、数カ月で樹齢数十年のフェニックスを枯らしてしまうという。
 その虫が98年に宮崎県日南市で確認され、以来猛威を振るっている。
 ヤシオオオサゾウムシの被害で98〜04年度に計184本が枯れた。
このうち70本は04年度分。今年度はすでに40本が枯死・完全に枯れてはいない被害も続々と報告されており、被害は急カーブで増えている。
 県が管理する約800本については、年16回の薬剤散布を行い、成虫が外部に飛び出さないよう封じ込める防虫ネットを巻いているため、対策はほぼ万全という。
 問題は、約2800本ある個人や市町村が管理するフェニックス。薬剤散布は1本当たり年6万円程度かかり、作業には高所作業車も必要になるため、大半は十分な対策が取られていない。
 有効な対策は、枯れかかっている木を早く見つけ、薬剤を散布するか伐採してヤシオオオサゾウムシが飛散しないようにするしかない。
ことは地球環境から来ている地球市民の問題である。
この惹起してる異常環境なのである。
手塚治は警鐘を鳴らし命題ともしていた。 多くの科学者、哲学・文学者などとともに。
フェニックス=「不死鳥」がその名の様に蘇るが如く、生き返って見せよう。

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おお〜寒い!

2005年12月4日
南国宮崎も日本国に襲ってきている冬将軍の影響が出そうである。
冷たい強風という急激なる気象の変化が市内にも到来。
九州山地の尾根をなす日之影町のエネパック工事が2日終了してないのであすは路面悪化を心配しての現地への出動となろう。
東北では各地で今冬初めて、まとまった雪に見舞われたようだ。
日本の上空には氷点下36度の寒気が入り込ん出いるゆえである。
地球の温暖化は勘違いがるようでなにもあったかくなるだけではない。異常気象現象を含んでいよう、欧州の異常なる寒さが襲っているのもその範疇である。
解釈するのは政治家。
政治は人為的なるもので英知で解決は可能である。
議論を深めるのは国の方向をよりよきものにせんがための知恵である。
小泉政治を選択したわが国であるがどうにも選挙の大勝利ゆえ対抗馬がいないゆえ緊張感が無い。
否!刺客が潜んでおり研ぎ澄まされた不気味な首をなでなでの緊張感の毎日のハズである。、、
、郵政民営化に反対した同僚議員らへの厳しい処罰、谷垣禎一財務相、与謝野馨経財相の消費税率アップ発言を名指しで批判するなどの強硬姿勢は自民党議員を委縮させ、活発な論議を阻害している恐れがある。
加藤紘一元幹事長は「『物言えば唇寒し』という感じが今の自民党で一番心配」と立党五十年大会で発言している。
国内の言論は総て封じきった
綻びは無く抑えている。果たしてそうか。
ほころびは国家の国際問題と成ったとき隠せない。
隣国との関係に努力が見えず不安定となっている。
流行語大賞に自民党幹事長の「小泉劇場」が選ばれた。
権力に媚ざる得ない選者の忸怩たるものを感じ取る。
「刺客」がはずされたが選挙中の再三再四の自民党からの使用禁止がここまできているのであろう。
権力構造が国内は完全に制覇されてることの証左である。
しかるに近隣諸国とのことは何一つすすんでいない。
外交不在である。
プーチン訪日の日露100年も・無・難・に終えた。北方領土返還などなんのその。
歴史の悲願なぞなんにも背負っていない。
郵政選挙中、隣国中ロの大規模な共同軍事演習が
行なわれたが、各党ともどこ吹く風
わが国の周辺では強襲上陸を想定したのにもかかわらずである。
日本は国際政治から隔離したローカル国家に成り下がったのではないか
と指摘したのは新井弘一元東独大使(国策研究会理事長)
以下新聞から斜視。
先月の韓国・釜山で開かれたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会合での
軽薄なる扱いのわが国。中国などとは首脳会議さえ開かれず、
各国首脳の反応からは、
 <コイズミ、相手にせず>
アジアでの孤立はローカル国家の道につながる恐れがある。
 小泉外交の評価をめぐっては、複雑に評価が割れている
小泉は自らをそのときの歴史上の人物に置き換えるが戦略を練ってるフシは無い。
外交戦略家でないことはだれの目にも明らかになった。
ただ、ヒトラーのゲッペレス宣伝省の如く大衆向けのアジテェターは絶品である。
郵政選挙ではほとんどが引っかかった。
よ〜く分析するが言い。
 一連の小泉発言のなかで、外交シロウトにも異様に感じられる数々。新聞でも報じられている。
先の京都での日米首脳会談のあと語った。
 「日米関係が緊密になればなるほど、中国、韓国、アジア諸国をはじめ世界各国と良好な関係を築ける」
 これには小泉にして首を切られた首相OBたちも首をかしげた。
中曽根康弘元首相は嘆いた。
 「いままでの歴代首相はアメリカと話すときに、必ずアジアに触れる。単にアメリカ一辺倒じゃなく、アジアの多元性とか、日本として主張しておくんですよ。あの発言にはそれがない。だから、中国や韓国から日本が段々見下されるようになってきた。非常に残念だ」 
宮沢喜一元首相も
 「日米関係さえよければすべてよし、という印象に受けとられたが、適当な発言とは思わない。どうしてあんなことを言ったのか」 と言う。
小泉外交への不信はきわどいところにきている。
悪しき外交の典型的なものになろうとしている。
悪しき外交を比較するには戦後最悪ゆえ、戦前との対比までさかのぼるしかない。
人類の犯した過ちの二つの大戦である。
 一つは、1933年の国際連盟脱退以来の深刻な孤立、という指摘だ。
 松岡は40年、第2次近衛内閣の外相に就任、
<大東亜共栄圏>を提唱して独伊と3国同盟を結び、日米戦争への道を進めた。
連盟総会が満州国の否認を採択したのに抗議して、松岡洋右首席全権が退場、連盟を脱退した。
 いま一つは、戦前、軍部などから<軟弱外交>と非難され、松岡も激しく批判した幣原喜重郎外相(戦後、首相)の
対米英協調主義のころに似てきた、という見方だ。
新井も、
 <幣原外交の挫折は、中国の排日運動に対して無為無策のまま、他方では米英にさえ気に入られればよいとの印象を国民に与え、ナショナリズムの反発を招いたのが原因だ> としている。
現状とのナンタル類似。
 敗戦の悲劇に至る過程で起きた幣原・松岡外交の失敗は、つまるところ米中両国とのかかわり方のまずさにあった。
いまに生きる歴史の教訓だ。
小泉は中韓との関係について、
 「(靖国参拝問題など)多少意見の違いがあっても、長い目で見れば将来理解される」)
 などと楽観論を繰り返している。
国連常任理事国立候補でのアジアからの支持の無さを気付いてないのであろうか。
 ローカル国家、と国民が感じはじめたあとでは、手遅れだ。
 連立を組む公明党の神崎武法代表も
「小泉首相がこうだと言うと自民党の皆さんが一斉に動く」
と危ぐ警鐘を鳴らした。
それほど異様な現象が起きているようだ。
現象を見ること。アパデン宮崎も他人事ではない。
昨日使者が来ている。組織の再点検を迫られた。
機密事項が抜けるのである。
痛き指摘。ユルフンが露呈してしまっている。
それでも転んでもただではおきぬ。
この若人の奮起に学ばねば成らぬ。
滑って転んでも優勝したのは織田 信成
それも エバン・ライザチェク、高橋大輔を抑えての優勝は大きい。
血筋が筋金入りの末裔なのである。
ここに強さの秘密があったのだ。
17代まえは織田信成
《関係略図》

 織田信定┳信秀┳信長┳信忠
     ┃  ┃  ┣信雄
     ┃  ┃  ┗信孝
     ┃  ┃
     ┃  ┣信行
     ┃  ┣長益
     ┃  ┣市
     ┃  ┗女子
     ┃   │
     ┃   ┝━━正信
     ┃   │
     ┣信光━信成
     ┣信次
     ┗信康

息子の名をここから頂いてるのでお助けに参られたのか。
その再来やも知れない。
 祖先の織田信長から17代目にあたり、ケガやプレッシャーには強いハズだ。1987(昭和62)年3月25日生まれの好青年。
、今季は全日本ジュニア選手権、高校総体で優勝。
1メートル63、52キロ。
女子中野友加里も優勝とNHK杯27年の歴史での男女優勝は初めてなんだそうな。
今夜はナンカいいことありそうです。
中国でラッキナンバー
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滝百選。

2005年12月3日
峻険なる島国日本はまさに神国で森と水と山の国であり、世界に比類なき滝の宝庫でもある。
滝は神が宿り神秘性の象徴で、修験者はここで神になる。
延岡より仲間とともに恵比寿の神さまがお目見えになる。
しばしの談笑のためにのみ、わざわざお目見えで感謝に耐えない
この時期ゆえ自然の素晴らしさの話で書き出しのこととなった。
1990年4月に全国一般公募により「日本の滝100選」が選出された。
講談社発行グリーンルネッサンス事務局編 でまとめられている。
、落差5メートル以上の滝が全国に2488ヶ所もあり、日本の自然景観を象徴してると誇らしげな環境庁の調査結果である。
日本列島の山脈から流れ出ている渓流をさかのぼれば、至るところに名瀑を見ることができる。
落差は誇るが滝幅が狭い美しきいわゆる日本風の滝と、落差はそれほどながら幅が広いナイアガラ風の滝とに私は大別する。
もちろん岩質と松が添えられる風景が加わり備わっていれば最高で名瀑布の称号を与えよう。
田園地帯に忽然と現れるゆえか、この百選にない不思議な話がある。
名瀑布の曾木の滝である。東洋のナイアガラはあながち誇張ではない。
霧島山系を源流とする川内川の一部をなすおそらく日本一の水量を誇る名瀑で必見である。
延岡の父旭化成の創業者野口遵は
鹿児島県大口市の曾木の滝に曽木電気株式会社を設立して発電事業をはじめその余った電力を利用して熊本県、水俣市に日本カーバイド商会を設立した。明治38年のことである。
東洋のナイアガラは雄大でこの渇水時期に見る滝でもなんら水量に変化は無い。
おそらく日本一の水量を誇っていよう。
ところが同じ自然環境化でも大分県の西南部豊後大野市緒方町の国道502号線より500m入った主要地方道緒方高千穂線沿いにある「道の駅 原尻の滝」。これは100撰になっている。
幅120メートル、落差20メートルで大分のナイアガラとも呼ばれる滝でもある
お話によると市川歌右衛門の早乙女もんど旗本退屈男の撮影地でもあったんですな〜。
悪役は月形龍之介、進藤英太郎、黒川弥太郎。はたまた大河内伝次郎書ききれない。
緒方町は「日本百選の農村景観」にも選ばれた町であり周辺にはのどかな農村風景が広がる。近くを通ったときは 立ち寄ってみたい道の駅である。
大地を這うが如きの滝を評して竜門の滝=龍門の滝と呼ばれる滝は言いえて妙。
大分県の九重町にもあり、栃木県にもあるようだ
加治木町の龍門滝は高さ46m、幅43mを誇り、鹿児島・加治木地区を美しいくみせるキャンバスである。
いずれも中国華南省にある龍門を彷彿させるという。せきやんは現地を見ているわけではない。
名前の由来は「漢土=(中国)龍門の瀑を見るがごとし」の言葉からという。
時代はその後も海音寺潮五郎や椋鳩十を生んだ土地柄か古来訪れてる人は多い。
西遊記での橘南渓の絶賛ぶりはつとに名高い。
江戸期の京都の医者で、各地を訪れて書いた紀行文「西遊記」と「東遊記」を現し当時のベストセラー
宮崎県の誇る儒学者の安井息軒も来観したぽどでもあり、全国でも稀に見る名滝の一つである。
「宮崎の4ッの滝は?との詰問」の恵比寿様先生。天文学のみならず地質にも造詣が深い。
もともと専門的電気屋さんであるが自宅にドーム天文台を持ち、日本一の巨大スクリーンの昴天文台の館長さんの称号をも併せ持たれる。
ちなみにこのスクリーン工事はわがアパデン宮崎の設置になる。
経費?ってボランテア額の施工費でしたって。
考えめぐらしながらどうにか答えた。
調べてみると間違いない。
 94  関之尾滝     
 95  矢研の滝     i
 96  むかばきの滝   
 97  真名井の滝    
恵比寿様のご選択では真名井でなく五ヶ瀬にある滝をあげられる。
相当のもんであろう。神様の言われる幻の五ヶ瀬の滝。
どちらかであろうと目星をつけた。
うのこの滝
・・落差20m、滝壷の面積5,000?の大瀑布。
柱状節理の奇岩に囲まれたその姿は幻想的。秋の紅葉もまた格別という。。
白滝・・
落差60mの滝で、特に紅葉の奥に白糸を引くように流れる姿は美しく、また、冬季には全面凍結することもあり、その氷柱・氷塊は幻想的。
冷徹なる人ゆえ総てを察していただけよう。賢明なるせきやんのブログをお読みいただいてる方々も含めてそうである。
私がモンローの「帰らざる川」と「ナイアガラ」を瞬時間違える状況下でも冷徹である。
地層のお話もそうである。
九州は高千穂から始まったのである。
その始まりが 祇園山 。
標高が1,307mあり、石灰岩の地層からはクサリ珊瑚をはじめ三葉虫などの数億年前の化石が数多く出土している。
アケボノツツジ、ミツバツツジなど春を彩る花の他、麓から見る秋の紅葉もすばらしい
この山は鹿児島の桜島や阿蘇より古く九州の地層の基本である。
三ヶ所神社、古戸野神社、桑野内神社に奉納される高千穂神楽と、一部独特の形式を持ち祇園神社に奉納される祇園神楽があります。 「木地師」に関する資料、祇園山の化石等が常設展示してあり、その他様々な展示会も定期的に行われている。
久しぶりに師匠とお話をし、活力を頂く。
夜は師匠がこられNEDO断念のお話で惨吟の思い。
死しても初志貫くべしを矜持する者としては事業断念では心苦しい。
いずれも襤褸の旗しかないが気高く掲げている。
暖かいお話の延岡・師匠といい今日は最高の日であった。
支払いを済ましたからであろうや。

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青島街道から景観を一変するのが堀切峠。これからは左に太平洋をみながら日南海岸がつづく。
堀切峠手前にはバイパス工事がすすんでいる。
昭和30年代から40年代にかけて宮崎は空前の新婚旅行ブーム、
昭和35年降嫁の島津貴子の新婚旅行をきっかけに全国年間120万の新婚カップルのうち40万が宮崎を旅行した
玄関口たる青島間までの青島街道はまんねん渋滞であった。
その当時を残してる歌にデュークエイセスの「フェニックスハネムーン」がある。
歌詞の内容に早熟の子のせきやんは恥かしくラジオのスイッチを変えたものであった。
そぼ降る雨の中を一路90kmかなたの地に向かう。
かって知ったる慣れ親しんだ光景が心地よく居眠りで天国状態。
太陽光発電NEDOの新規事業のお話で向かっている。
結果オーライ!お相手様のこともあり、多くは書けない。
この世界独特の企業秘密ゆえ総て表現すると生きてはいけない。
経緯から宮崎県最大の建設を進めることとなろう。
最初からの資料作りとなろうが必死の取り組みが急がれる。
壮大なる発電装置のパネルが居並ぶこととなろう。
ところで先日会話していたら師匠からパネルの特殊なるお話しの日経記事のお話が出た。(実際は日経と京都新聞)
これがまったくの勇み足。
マスコミのイイカゲンさである、真実の調査をせず記事にするのは日常茶飯事。まずは疑ってかからねばならぬ。
信頼性が無いのは体験から私が百も承知。
いまだ一度も取材無いのに新聞トップ記事にされた御仁であるからだ。
○○さんは太陽光発電の情報を営業ペースにのせた先駆者。
今は東京に活躍の場を移しておられる。
その方に確かめたら事実がわかってくる。
HPからは次のことのようである。
私のお友達が京セラさんに問い合わせた回答は次の通りのようです。
「京セラの球状シリコンに関する件ですが、メーカーに確認いたしました。
新聞報道発表の経緯については、今月末欧米でのIR発表に先駆けてのものです。
日経の報道内容では来年4月にでも市販されるような記事になっておりますが実際にはありえないということです。
(マスコミにありがちな)
生産ラインも確立されてなく、研究開発でようやく目処がついたという状況だそうです。
価格に関しましては、原料は確かにコストダウンできますが、製造に関わる費用の回収 分を考えれば、それほど大きく下がることは無いかもしれないということです。
いやはや、師匠がこれを読むと怒ることであろう。
マスコミの先陣を切っていた人だからである。
それが太陽光発電のNPO法人を造り心中される。
どうにも危なっかしい。
ネットでの記事はつぎのとうりであった。
京セラ、低コスト太陽電池投入へ・シリコン使用5分の1に
 京セラは原料のシリコン使用量を現行の5分の1に減らした新型太陽電池を開発、2006年度中にも出荷を始める。太陽電池の材料となるシリコン相場が半導体の在庫調整の進展などで高騰しているため、シリコンを球状にする新手法で大幅な削減を可能にした。シャープも「省シリコン」の新製品の量産を始めており、普及につながる価格引き下げ競争を呼びそうだ。

 新型品の名称は「球状シリコン太陽電池」。01年に滋賀県東近江市の専用工場で研究開発に着手し、このほど実用化にめどをつけた。 (07:02)
さて、これをどう見るか?シリコンの高騰で各メーカーさんはシリコンの厚さを薄くする技術などを駆使して頑張っていらっしゃいます。
球状シリコンも何年も前から実用化?などのニュースが流れたりもしました。ただ、今回京セラさんの方向としては新製品で進んでいくのでしょうが、来年度に一般に広く普及というのは無理なのではないでしょうか?

日之影町では電気貯蔵の商品「エネパック」の工事。
なんてぇ〜ことはないバッテリーをつなぎ合わせただけのもの。
ところでこのバッテリーに悩まされる。
太陽光発電にバッテリーを組み合わせての宮崎最大のの自然発電所なのである。この技術は確立されていない。
家庭用において全国200台で実証段階である。
設置業者たる私共アパデン宮崎で詳しく報告できるものがある。
0985ー31−5519にご連絡されることである。
メルアドは   t23vd8m@coffee.ocn.ne.jp
恐ろしきは運用の仕方である。
凄き真実に迫るデーターがあるがそれは書けない。
NEDOでは認めてないはずである。
さ〜て仕事のやり上げの見せ所。
宮崎最大の発電所を建設してみせる。
この12月からテレビCMに「エネパック」が50スポットながに
アパデン宮崎の名もあるはずだがテレビはこの数日まったく見れてない。
敬愛するつべこべ草さんみたいに「テレビ依存症である」と宣言してブログを書きたいものである。
さくじつ朝はNHKで太陽光発電のことが流れたんだそうだが、NHKは粋なことをしてくれたものである。
おくるためのおはなむけの番組であったのであろう。
夢がなければ生きていく資格は無い。
生きる基本は夢である。
自己実現の根底にはゆめがなければうまくいかない。
午前2時30分ご帰還。この数日のハードさに気が滅入っている。
この日・・・・・・・・・
せきやんの必死の生き様に神が舞い降りた。
助けてくれるものアリ。
夢を持ち続ければどうにかなる。

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燈台守

2005年12月1日
夕方不自然なことである。全員が揃っている。
忌み嫌われる夕暮れ時で人さらいが連れて行くこわ〜〜い時間と教えられたものだ。
このころは隣国の拉致は認識が無い時代ゆえファクターにはない。
「逢魔(おうま)が時」というのがこの時間であるとの解説である。
「大禍(おおまが)時」から生まれた言葉で、「暮れ方の薄暗い時刻、たそがれ」との意味という。
古来からの教えであったのであろう。耳学問で知っていたことだ。
幼きころの助け合い風潮の集落で育ったゆえ教わっていたことには言葉の裏ずけがあったのであろう。
昼と夜がまじり合う夕暮れ時は、この世と異界を結ぶ道が口をあけ、魔物が禍をもたらす、水木しげるワールドの世界。
昔の人はそう感じたらしい。
「ガモジンがつれていくど〜〜もどらんか!」と誰ともなく集落内の大人からいわれたものである。
ちなみにガモジンとはそりゃ〜〜恐ろしきもの。
全知全能の神、ゼウス神ばりのつよ〜〜い怖さを超越し、冷えつく怖さをもちえていたお話の世界であった。懐かしき正確なフレーズは「グワァモジン」末恐ろしき超ウルトラ怪物何であった。
この現象がまさにそのようである。プレッシャーで揺らいでいる。何のことであろうかはスグにきずいた
これはルール無視、やってはいけないことではないのか。
まさに闇司令塔があるようである。
「囲碁半年、将棋3カ月、マージャン2週間、オセロ5分」というのだそうだ。
ルールが簡単で、初心者でもすぐにゲームを楽しむことができるのがオセロゲームのセールスポイント。
黒白の決着付けゲームのようである。
この状況が同じようなもの。
職場の人間関係を考える上でやってはいけないことではないのか。
潮が引くが如き一人の司令塔の物言いで一糸乱れるぬ様はどうしようもない集団化してしまっている。
誰が呼び集めたのであろうか。これが実情である。
労働組合じゃあるまいに団体交渉のつもりなんであろうか。
何も知らぬこっちつらはいいバカ役バカ面に見えるんであろう。
これではどうしようもない。
さきの東京女史マラソンの高橋尚子の「オセロゲームで黒を全部、白に変えられたかのよう」という表現で喜びを表したがまさにそうである。
何か楽しそうである。自分がルールだといわんがばかりだ。
終戦直後、水戸市内の旧制中学の生徒たちが碁石を使った遊びの中から生み出したのがルーツだという。次第にルールや用具が整備され、いまや世界選手権も行われるメジャーなゲームに発展したんだそうだ。
しかしこのような活用では中心に座ってる人は大変である。
私といえば必死で金融機関と手形の割引のお話である。
資金は作るしかないがままならぬ状況である。
オレオレ詐欺の影響はキャッシュカードでは1日100万しか引き出せないシステムとなっている。
実に困ったことになっている。
ところが知恵はしぼるもの。抜け道を発見した。
振込みの手続きをかませると上限金額は関係ないのである。
いやはや土壇場に追い込まれると知恵は出るものである。
○○さんは実に偉い知恵がある。
今週はまだ4日目。そのうち今日も含め3日も北郷の地に行っている。
私以外誰がこの地に3回も行っている。このようなる連日の行動で組織を支えているのはだれいわん私がトップであろう。
もちろん一人ぼっちではない。
全員のガンバリがあればこそである。
無灯台では航行安全に支障をきたす航行できない難破船である。
誰かが光を放ち組織の将来ををさし照らさねばならぬ。
さらにどんな難関も潜り抜けねばならぬ。
舵とり役は重責、それを支えるみんながあればこそである。
一致団結!旧作映画の燈台守の心境である。

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