給料日

2005年3月10日
二月は逃げる、三月は去る、早いもので給料日。それを何とか逃げ切る。もちろ私には給料はない。

6月30日の約束手形の処置に往生した。システムを覚えればなんテェ〜ことはないのに苦慮した。

前には{ショウ}一月{ゴ}五月{ク}九月の引越しはしないほうがいい。に果敢に挑戦せざるハメに追い込まれた。

部屋からスト−ブの炎が一日中消えた。
騙されちゃいけない。週末はひどい寒波のようである。

雨の予測が当たらず、高鍋パネル工事を延期し、エネ・パックの研修に行ってもらった。

総売上と支払い給与を説明したが細かな資料なしではチョット乱暴な話ではある。
信頼で結ばれてるゆえ多くの言葉は要らない。

大分より、仕事の依頼の第一号。飛び上がらんが如きの喜び。
まだ一度も会ったかともないのに早速のことである。

人間は信頼できるものである。
今日返済約束の50万は実行されず、苦しんでいるのを忘れる如きである。
苦あれば楽あり。天国と地獄。

睡眠時間の要らなかったのに11時過ぎには睡魔がくる不思議な体調になっている。
自律神経の回復がなされてるのは秘薬「七葉胆」効果なんであろうか。

発送確認のTRLを頂いた。
どうしても女難解消は出消えぬようである。
ビジネス会話でしかない。

感情だけでなくIT指数ではどのようになるのか

ダボス会議主催する世界経済フ−ラムがITの普及度を順位付けした世界IT報告書を昨日発表。
調査対象104ヵ国で日本は前回12位から8位に躍進。トップ・テン入り。

企業の研究開発への投資
研究グル−プ間の連携などの4項目でトップ。
政府のIT政策の優先度で2位
電子政府サ−ビス8位

半面改善も明らかになる。
行政手続き57位
融資の受けやすさ56位
家庭向け電話料金55位

アジアの躍進国・中国は41位だが前回に比べ10ランクをあげた。
新聞記事から読み取れる順位は次のとおり。
?シンガポ−ル
?アイスランド
?フインランド
?
?米国
?香港
?日本
15台湾
24韓国
27マレ−シア

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懺悔の行脚

2005年3月9日
飽食の時代の最大関心事は健康になるのであろう。
本来、平和があっての自己の存在であるはずだが政治的人間の存在を否定続けてきた国会意思の貫徹により、本末転倒で毎日を生きてる人間を作り出してきた結果である。

国家体制維持の手法が国家形態意識をきわめて欠落させた矛盾である。軟弱なる民族ナショナル制が偏見なる民族制を高揚させ、街宣車の日常を生み出した。

思想的揺さぶりは言論機関を手始めに教育機関を制覇した。
東大一辺倒に変節させ、若き情熱をその方向に誘導させた。

しかし経済至上主義の政治構造は多くのひずみを生み出してくる。
今日の社会的事件の諸現象はひとえにこの社会構造に由来する。

さて青春時代の残滓を青き香りと楽しみながらも健康人たる面々は4人そろって一路都城へ。

お会いした、敬愛する人は何を勘違いしてるのか今までの物売りと勘違いしている。これではいたたまれない。

延岡からこの距離を移動して会えたのは僅かに唯一この人のみである。

宮崎は南北に長い地理的特徴にあり、南に90KM西に走って60KMで鹿児島と分ける霊峰霧島連山を背景にした都城にいたる。
壮大なるボランテア行為!

この社会に経済的思考・考慮なしに生きてる組織はありえないし、存在するはずがない。

拝金主義の終末的状況下で存在するはずがない。
行動の修了時に考えたのであるが壮大なる時間のムダを痛く感じ取った。

責任での注文はいかにも不順なる、目的。
どうにも義理と人情は生活の邪魔やも知れぬ。

行動中に流れる曲は心地よくひばり、バタヤン。戦前ナツメロの大月みやこ。
ノスタルジ−で車窓をみれば40年前の変わらぬ自己を見出しえる。

変わったものと変わらぬもの。
変節したのを思想とか行動パタ−ンとかで追尾してもまったく同じ。
4人のメンバ−が入れ替わってるだけ。

オールナイトニッポンの局の看板番組で、元祖・深夜放送のリスナーでもあったんであろう。

体制ない文化での結節した否定の対象でもあったがとにかく聞いた。今で言う癒しの時間であったのだろう。

この日記のアクセスの第一たるニッポン放送である。
社長は同じ五十代の、亀渕昭信。「カメちゃん」である。パーソナリティーを務めていたころ(昭和40−48年)
ビートルズ全盛時代で新しい音楽・社会への欲求の圧倒的青春群像。車内での話は止まらない。

同じ人気パーソナリティーだったアンコーこと斉藤安弘アナとリリースした「水虫の唄」が大ヒットした。

テレビは一家に一台の時代で、チャンネル権などない学生は深夜放送にかじりついた。

思想改革の本丸電波を聞きながら社会改革なるあい矛盾は弁証法との出会いで解決対立物の統一であり、螺旋状的発展である。

最も落ちこぼれ受験生グル−プに分けられて層であったやも知れぬ。
ラジオを若者のメディアとして確立させたのは良しきにつれ、悪しきにつれこの二人の力だった、

受験戦線の脱落者は社会改革の運動の連鎖の波に明け暮れた。

50万貸し金で、ようやく熱く語れた。
まずは議論お昼の行動が生きてるのやも知れぬ。

高鍋の難関工事に着工。無事に終了を祈る。
明日の天候は悪く先行き黒らし。

一昨夜の行動をとった人がドデカイ事をしてくれた。
工事依頼をしてくれたのである。
私の如難をカバ−してくれ、仕事仲間たる百万の援軍の差である。

すぐに昼に現地調査。明日より工事である。
天候に左右されず、収入の読める仕事はいい。

材料持ちも前出しなしであるゆえ、資金繰りがいい。
何とか食いつないでいける矢も知れぬ。

明日は給料日。必死の姿勢が足りないのかも知れぬ。
生活する辛さとグル-プの維持に呻吟する。
また同じことが始まっている。

「やさしさがなければ恋ができず女は語れぬ」とかの布袋様の会話をしたものである。

宮崎では観音様は北に常に鎮座なさる。
妄想が青春してる。
活動の原点青春バンザイ!

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今日の春風の暖かきこと。春風を体ごと感じると急激な変化であることに気づく。水ぬるむ頃。

さあ〜水辺のセリ、ナズナ、などの緑成分をとる季節。この季節南国でさえ緑の野菜はカンランなるものだけが野菜類。

食は目からで緑が目にいらず、せりは味噌汁にも唯一の緑として使ったとの記憶。

タンパク源たる蜆とり。山村にはアサリはなかった。
毎日に繰り返しのこの何日で春・3月の到来。

俗曲の〈梅は咲いたか桜はまだかいな〜〉には〈浅蜊(あさり)とれたか 蛤(はまぐり)はまだかいな〉の文句もある。

今日何でもそうだがアサリもご多分にもれず年間を通じて流通しているが、季語で言うなら春で旬だからである。

自然破壊でなくなってる風景の遠浅の浜のあちこちがこの陽気でにわかに賑わおうがそこで取れたものは地産池消、
ほとんどが輸入。

貿易統計では国内の年間消費量9万トンの約4割が「北朝鮮産」。
だが何でだろう。店頭でその表示は見かけない

北朝鮮産の流通には謎がある。いったん国内の干潟で蓄養されて国産に変身の裏ワザ。というより荒ワザ。?

新聞を続けると船舶油濁損害賠償保障法が改正、施行され、船主責任保険に未加入の100トン以上の外国船は日本の港に入れなくなる。

北朝鮮には未加入船が多く、アサリ輸入の大幅減も予想されるが、中国船が北に寄って積んで来るのが迂回処置という見方もあることはアサリに限らない。

あの万景峰号も保険未加入だ。日経紙は「宣言なき対朝制裁」の見出しをつけた。

睡眠時間0で一日を千客万来。
最後の方は夜半2時30分過ぎの異常なる生活時間。
春風駘蕩なる優雅な時間は私にはない。

日向の電気工事と温水器工事。。ただし、IH工事は部材の差し替えで済んでいない。
こんなに行ってたら赤字工事である。

手形割引でどうにも絡まれてる。割りびいて考えてくれない。とのオジン・ギャグでは怒れるわ〜
 
〈南セントレア市〉のように消え行く話しもあろう。
政治がそうだもの。相談しただけ。わたしだって経済的に考えよう。

金額70万が3万と10万の割引料の差があればどうゆう態度をとるのか、お許しあれ!

12時過ぎての来訪はやめてくれ!
有り難くも迷惑である。

私にも自由な時間があってしかるべきである。

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お恥ずかしき

2005年3月7日
昨日の福岡へスケジュ−ルの様子を聞いてみると一喝!
「何が!科学的にか!。車は走ったぞ〜。予報?聞いてあきれるわ〜」

私「あ〜の〜福岡環状は午前中,全面交通止め・・・だったとのニュ−ス・・でした・・が・・」

「確かに!しかし高速は走れた!市内の積雪もチェ−ンなしではしれた!」

私「高森峠は積雪で・・・走れ・・なか・・った・・」

「チェ−ンなしで走れた!」

穴があったらは入りたい!全身汗ビッショリ。
異常寒波に必要以上の警戒心がいけなかったのか。

儀を見てせざるはいうなきなり。
いろんな人が出入りする。

暴力までふるい、間違った情報を正当化する太陽光発電の営業わずか1ヶ月生がいる。

わずか1ヶ月の経験である。
傍若無人の態度が横行する下克上の世界。

詐欺師まがいと手が出るやつ。
まだ詐欺師のほうがIQは高い。

どちらもただ耐え忍ぶしかない。
取りまとめ役の辛さはひたすら我慢!。

全員の生活を背負っている故である。
暴力事件二度目。ひたすら責任ある立場ゆえガマンしかない。

我ら全員で掴みえた真実をたかが1ヶ月生に無残に反故にされる侮辱がどこにあろう。

真実を掴みえるまでにどれほどの労苦が費やされたのも知らずに
なんと短絡な。

104パイロットを仲間にむかいいれ、無理やり引きとどめ、
全区長を訪問し、該当者を福岡とつめ地元の役所に行き、多方面から考えて這いずり回った。・・・そして真実を掴んだ。

一言がどれだけ重いかも知らずに、何様のつもりか。
話にならぬ。どうにも政治の世界の暴力性が生活全般に押し寄せてきている。

ウソがまかり通るものに私は決して妥協しない。
低レベルでもウソは容赦しない。

先輩も後輩もない。ただ狂気が支配し、蔓延してる社会。
学ぶ姿勢のないやつに、太陽光発電に携わる資格はない。
去れ!守銭奴!ひたすら辛抱しかないのに1ヶ月では無理であろう。

行き成り殴る喧嘩作法も知らぬ馬鹿野郎。
法社会での厳しさひとつ知らぬ、愚か者。
私も身軽な立場で過ごしたい。

男を落としてまでこんな立場!や〜〜めた。
くそ!どこまでも去勢されてる、手も出せない情けないやつ。
いつからそうなった!・・ソレデイイ・・国家レベルなら。

殴られて・・オオイタ・・までこられるトリニ−タの方。
スケジュ−ルを書かれることを期待します。

時間があれば、やってみたいです!
サポ−タ-気楽が肝心のようです。

日向2件目パネル工事も終了。こちらは順調である。
全国展開の所長さんと会えた。またかねてよりアポを求めた方にも名詞をいただけた。これからである。

右テンプルは旧石器人ゆえ何とか、耐ええたがやっぱり、少しの歪みを生じてるようであり、どうにも噛みあわせが悪い感じがするし、少しのパンチ・ドラッカ−。あのくらいでは倒れるやわではない。クソッタレエメ!

傷害事件!司直の手は借りぬ。大きな借りである。
借りたものは返さねば人間ではない。

文章はその人を表す。情けなき爺である。

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小さく卑猥

2005年3月6日
どうにも朝6時の電車で延岡・それから車で福岡に向かわなかったゆえ機嫌が悪く一日中不貞寝。風邪も治ったようであるが後頭部の鈍痛は、奥歯の脹れからの菌の進入であろう。

売薬で抗生物質を求めたが販売できないと拒否された昨日の結果ゆえでもあろう。
細菌をやっつけきれないほどの体力が弱ってるのか。

この状態は仕事を性格に取り仕切る判断に欠けよう。
戦わず前にまず逃げよ!携帯はこちらの用件が伝わるものでなくあくまでも他人の仕事の押しつけ。

でらぬ、知らぬが肝心。営業マンにない態度に徹すること。
危険に近寄らぬこと。依然書いた距離である。

ライフ・スタンスという言葉がある。
野生動物などと対峙するときに、最低限これだけ離れていれば安全と言われる距離のことだ。

神社を訪れるときにもこれは存在する。
よく訪れよく拝み、そして禁足地とされる部分には決して入らない。
これは神社に訪れる者の最低限のルールである。

なぜなら、神社=神域とは人の祈りをエネルギーとして力を蓄える反面、その中心部分は人が直接踏み込むこと、つまり人の穢れに弱い。

人の祈りが無くなったため力付きたり、むやみに訪れる観光客によって穢れにより悪いものへと姿を変える無惨な神社が増えている。

だまっとれば穢れず、病にもならぬ。
久しぶりの風邪であったが、思い当たるフシばかりだ。

医食同源をわかっていての偏食。
なるべくしてなった病気。自戒とせねば。助けるもの一人いない状況をわからねば。生きてはいけぬ。

私どもは今から始めるべき組織。0からのスタ−ト。
焦点を定めてかからねば、その程度の会社にしかならぬ。

いつから小さく卑猥になったのか。
返さぬ借金と、押し寄せる借金申し込み。

そりゃ〜一日限りでもそうなるわ。
大きく、そして詳細に。明日は日向のパネル工事。

工事金をまったくいただいてないがどうなるんであろう。
もっと真面目になってくれ!恐ろしくなってくる。

春遠からじ。サム!

約束の反故

2005年3月5日
異常寒波にスケジュ−ルが狂ってきそう。
この寒さの中新たに昨日ご相談に来られたので新メンバ-で加わっていただき早速日向でのパネル工事。
寒風の中完了。

明日に備え英気を蓄えようとしていたが、電話や来客でそうもできぬ。

責任者たる沼田さんには実に面食らう。
25万を下げてきた。

恥も外聞もない。
担当をやめさせてまでそれでは納得がいかない。

大分からの電話では気持ちよく値下げに応じた。
気合が合わずして危険な仕事はできない。

九州の尾根を越えての福岡行きを止める進言をすれど聞く耳を持たない。

約2年ぶりに打ち上げに成功したH2ロケットも気象用である。米国の老朽化したもので借用してたのでようやくひまわり後継機ができた。

実はこの人北郷の昴天文台で軌道に乗るまでの総てを捕らえてたのである。

5時が一時間遅れの6時すぐになり、見事に3段目までの切り離しを映像として捕らえていたのである。

原テ−プは報道機関に送られたようだがこの人たちの努力が映像としてテレビ化ニュ−スされたはずである。

気象予測のデ−タ−を作ってる人、科学者なのである。
ほとんどがボランテアの人。

気象予測は膨大な費用を賭け私どもに天気予報として予知の情報を流す。どう使うかは国民にある。

よく山の遭難事故を「無謀なる」として流すが、自然を相手に無謀でないものはない。予知をできるや否やの差であろう。

その異常なる天候にどう立ち向かうかである。
福岡を中心にあちこちの道路が寸断している。

何もこの日に福岡にいく必要はなかろう。
日を改めればいい。計画を練り直せばいい。

特攻隊精神はそう、むやみやたらに出すべきでない。
いそがばまわれ!裏切りも自然ゆえ許されよう。

明日はどうなることやら。
異常寒波には雪を知らない国では、予測をオ−バ−にしてるのだろうか・

NHKラジオ深夜便

2005年3月4日
一日遅れの更新として書くのはその日の夜に書くのとずいぶんと違ってくる。

記憶は常に美しく直接的には思考の混乱もあり、感情があらわになる。

人間は考える葦であると言った哲学者もかっていた。
遅れの日記のしてもそうで、その言葉の意味を理解する。

とりわけ情報化社会にはコメンテェ-タ−なる解釈者がおり、自分の意見がもてなくなっている。

マスコミは所詮支配者がおり、一部の者にしかその国家のカラクリがわからぬものとの類だ。
品のない国家に小泉の登場で相成っている。

妻のいない国家元首がどこにいよう。
そのことひとつ人の上に立つ資格はない。

秘書たる飯島が恐怖政治を操る。
ほとんどが追放され遠避けられてるのが小泉恐怖政治の本質ではないか。

政治は王道。すべての規範であらねばならぬ。
然るに今日の球は何であろう。

リアルになるのが日記のはずでやはり遅れは良くない。
ただし、失敗も起こらないよさもある。
それでは生身の人間の所業の生き様たる面白さは伝わらない。

PCのない岸本旅館で遅れが生じて
風邪気味の体調不完全も手伝って、のことでなおさら。

取捨選択をしないと多忙さかまけて皆見えなくなってくるのではいかんともしがたい。

1時30分過ぎまでの来客。この体調の中をである。くわばら、くわばら。

大分からの仕事依頼は大きい。
NEFの締め切りが近づいている。

このことを当面の処置目標である。
仕事を取らねば食えないであろう。
体裁をなさねば会社組織ではなかろう。

雑務と連絡に忙殺され見えなくなる。
福岡からの電話はただただ癒しの時間。
明日の福岡行きは大雪で動けそうにもない。

厳しさの中の探求者は書きもれの二人。
道元禅師というとすぐに永平寺が頭に浮かぶが、京の都の貴族の御曹司として誕生され宇治木幡(うじこはた)山荘で少年時代を過ごす。、出家ののち比叡山にいる。、

市中の建仁寺、
さらには宋国から帰朝後、越前に身を寄せるまでの、実に四十年余り京とその周辺で生活されている。

亡くなったのも俗弟子である覚念(かくねん)の京の屋敷だった。

だから京都のあちこちに道元禅師ゆかりの史跡が残る。
 四条大橋東端の四条駅から京阪電車に乗り深草駅で降りる。東へ十分ほど歩くと日蓮宗宝塔寺に着く。

このあたり一帯に藤原氏の菩提寺である極楽寺があったといわれていて、今は地名だけが残っている。
 宝塔寺で頂ける「深草山しおり」の一文。

 「道元禅師が寛喜三年(一二三一)に曹洞宗の基を開いた安養院は、この極楽寺の塔中別院であり、また仁治三年(一二四二)
、叡山遊学中の蓮長法師(日蓮聖人)が道元禅師を訪ね、曹洞の奥義を学ばれたという旧跡・観音導利興聖宝林寺(嘉禎二年、
一二三六年建立)も、当時付近にあったと伝えられています」

 この時、禅師四十三歳、日蓮二十一歳。
まさしく一期一会、最初で最後の出会いだった。

なぜ京都でないのか。輝く王事、権力の地でなく深山の越前・永平寺なのか。
雲水生活での弟子の教育。

育てる教育が第一義で出家主義人間狂句の本質を考えた。
永平寺信義できっさ、きっ飯、作法。先輩に対する態度
座禅座り方。お客に対する態度。

洗面洗滌、洗い方。口臭に困った中国修行のときの経験。楊枝の使い方。
身だしなみ、振る舞い。イギソク仏法

日常的継続
堕落し野生化した人間

参禅の体験ツア−ができる。
まずは座禅である。

起床は・・・ナント!朝の3時。洗面洗滌して座禅堂
結跏趺坐

沈黙を守る3目道場
食堂、便所、浴室

音を立てず、沈黙。少しの量、桶いっぱいの水を使わない。
自分の問題である。

ジキ堂
味噌汁もすするでなく、カンで食べる。ス−プもかんで食べるといい。

カタコトの音。上げ下ろし両手で持つがポイント
苦しき均整は形、所作,合掌
これらはマナ−の結晶

目をつぶり不安である現代人の所業に気づくはずである。姿勢、呼吸、沈黙、雑念、妄想
自分を考える。輝きを増す。考える我あり。

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NHKラジオ深夜便

2005年3月3日
この何日かキッチリ4時に目が覚める。
なりっぱなしのNHKラジオ深夜便漬けである。

4時から昨日に続き親鸞と道元を二回にわたり放送した。
敬愛する先哲を聞き覚えてる限りで書き記したい。

お話頂いたのは国際日本文化研究センター山折哲雄所長
昨日は同時代の二人の差を無理して出していた感じがする。

道元は決断の早さ。早熟の天才。2年で比叡山を下りる。
可能性があるとすれば修行せねばならぬ。

親鸞はじっ魂たる師・法然に使えきる。
歎異抄第2条「山に仏法はない。」
それでも山に残る。

すべて阿弥陀如来念仏を唱えた結果地獄はなく後悔しない。
救済を信ずる。
絶対随順で師弟は絶対無垢ついていき学ぶ生き方。

あえて違いを大きく区別する二人の考え方であるがそらは自力と他力である。
道元の「自力の生き方」と親鸞の「他力の生き方」の訳がのっている著書で学べばわかろう。

親鸞の『教行信証』名 日本の名著 6 親鸞 -中公バックス-
著編者 伊藤 整
出版社 中央公論新社
刊行日 1999.05
ISBN 4-12-400396-X

「教行信証」とか「現代(語)訳 正法眼蔵」

道元に関しては『正法眼蔵』でチェツク

書名 日本の名著 7 道元 -中公バックス-
著編者 玉城 康四郎責任編集
出版社 中央公論新社
刊行日 1983.08
ISBN 4-12-400397-8

道元は疑問を持ち山を下りる。
建仁寺のミョウゼン禅師中国にわたる。
どうにも師を尊敬してない。

東大寺のグソク会の発行する今の特権的パスポ−トを求める師匠
菩薩会の並のパスポ−トでいいという道元。修行に行くのである。

テンドウゼンジを去り、中国各地を回り、師匠たるニョジョウ禅師に出会う。
信心ダツラク真の師匠に出会える。

心と体は透明人と仏の体験でニョジョウ禅師から悟った。ミョウゼンを語らず。弱気ショジョウ。
ぶっぽにせいしとして使える。

永平寺を開きニョジョウ禅師

親鸞は法然の厳しき暖かさ随順の姿。
釈迦と達磨は同じ。禅の仏

中国も日本も発展しているが共通の中で本質は同じである。
「正法眼蔵」で変わらない本質を突く。

世界宇宙本質は何か。本質の追求。世の中とは、自然とは
では自分とは何か。
哲学の基本

教行信証7人の僧。
7高僧

インド・・ドンラン・ドウシャン・ゼンドウ
中国・・・リュジュ・テンジン・
日本・・・ゲンシン・ケンクウ(法然)

浄土真宗は阿弥陀如来が集大成。歴史的にとかれ吟味され包まれ歴史的に決まった。

追放される親鸞の対談から

「愚禿」 でしょう。 愚禿というのはすごい名前ですよね。 「やくざ親鸞」 と名乗ったようなものでね。

これはその時代の後鳥羽上皇と慈円というふたりの俗界と宗教界の大立者が親鸞らを流罪にしたことへの、 ものすごい抗議ですね。

後鳥羽上皇は自分の侍女を取られたことへの嫉妬に駆られたに違いないけれど

慈円の方は、 自分は四度座主をつとめた宗教界の大立者で、 学問はあるし、 歌はうまい

自分しか偉い者はないと思っていた。 それが、 自分の一番かわいがっていた弟子の親鸞を法然に取られたというものすごい恨みがあったと思うんですね。

それに対して親鸞は痛烈な怒りをもって、 時の上皇に厳しい非難の言葉を投げつける。 それは日本の宗教者に例がないですね。

変わらざる親鸞の『教行信証』正法信州阿弥陀如来。
本質的認識は歴史的認識

現場の道元。
歴史哲学の親鸞。

親鸞のランはどんらんのランからとり、ゲンシンのしんからとった。

名を変えると人格が変わる。
自覚における脱日本浄土信仰の志の高さが感じられる国際感覚

道元哲学文学歴史が希薄になっている。崩壊している。
国際感覚で集める工夫。
人類の歴史の問い。

人文科学の課題。生産お金キチンと答えずんだろうか。そもそも人間とはなにか。

自己とは何か。とく鍵は親鸞と道元にある。
さまざまに当てはめる。本質が哲学的に流れ出す。

これまでのことを解説書風に起こしたのを変えてみたい。

親鸞は比叡山を二十九歳で下りて法然の門に入る。
それ以後数年の間に三度名前を変えている。

綽空が最初で、 それから善信、 最後に親鸞。
越後に流されるころは親鸞と名乗っていた。

 その名前の付け方の心理的な背景について憶測を哲学会の重鎮・梅原猛との対談での言葉である。


綽空は道綽の綽と源空の空です。 そうすると中国浄土教と日本の源空の浄土教の組み合わせになる。
善信の善は善導の善と信は源信の信ですね。

どちらも中国仏教と日本浄土教の組み合わせなんです。
 最後になってインドの天親と中国の曇鸞からとった親鸞というのが出てくる。

日本人の名前がそこで消えるわけですね。 ですからどうも、 親鸞は最終的に自分の名前を親鸞と決めた時に初めて、
俺は源信と源空から離陸したんだという自覚ができていったのではないでしょうか。

これまでは昨日でそして今日が二日目。
京都西トウインに道元入滅の碑
松原通り東に親鸞入滅
歴史の街たる京都。

歎異抄第6条
9歳で入山20年29歳で山を下りる。
念仏弾圧で流される。

越後直江津の西50分のコタの浜に上陸。
流人で日立の国イナダの西念寺
教行信証完成さす。

築波の山。東山に似ており望郷の念。
弟子捨ての平等主義阿弥陀に対する誓い。
真言宗だけ人間汝みな同じ。

我一人。深い狭義。
如来との垂直道元の 「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷 (すず) しかりけり」 と春夏秋冬を歌った言葉、

これは川端康成がノーベル文学賞をもらったとき、 ストックホルムで演説をしたとき、 冒頭で引用した。

日本人の美意識はこういうものだと宗教者は著書より行であるという人と、 自分の教えを伝えるには著書であるという、 著書に執念をかけた人の二つのタイプ

どっちが偉いとは言えない。
行基というのは著書を持たない。 念仏の空也、

それに一遍もそう。 法然もそちらへ入る。
 法然の 『選択集』 は、 弟子に手伝わせて口述筆記を行なった。 だが親鸞は自分一人で書いた。

あれほど自分の本に執着した人はない。
手紙もたくさん書いて、 いろいろ経文も書いた

親鸞と道元を一度に書くこと自体が土台無理。
じつにすすまない。

日向に走り、約束手形をいただく。
正直言って・・困るナ〜
当座がないと割り引けないもの。

東郷町、西郷町と走ろうとするも引き返し、
工事現場に向かう。

施工方法を研究して次回からの反省材料にしたい。

高鍋町で矢野としお元町議に会う。
月日の速さに驚く。80歳と言う。

俺は一体何をしていたのであろう。
気持ちはいまだ20代となんらの変化もないが、対象者を見て
老いを感じる。

文字数が尽きた。親鸞と道元。そして日蓮。
鎌倉期に花開いた仏教はその開祖にあたる純粋な教義から800年を経て変わることなき光を放っている。

組織の維持発展の見本である。

旧暦

2005年3月2日
3月弥生。風邪を拗らせそうで、PCもお休みで一日遅れの更新。昨日を思い出し書いている。

仕事探しで、電話で夕方4時に応じてもらえた。不思議である。
すぐに夕方を返上して屋根寸とり。

なんと高鍋・新山の小倉家は新町長の最後の提督の血たる小沢家と親戚と言われる。わからぬものだ。
温情がなせるDNAを受け継がれておられる。

この3日間風呂に入ってない。限度が何日か知らないがかなりの規模で不衛生状態が進展していよう。
私にとってはまだギネスものではない。後何日かではあるが。

冒険家ならいざ知らず、営業マンとしては失格状態。よって香水で誤魔化している。
睡眠と栄養の贅沢病が風邪と信じて疑わない私は二つが欠け続けたゆえのノドの炎症、セキの症状で久しぶりを楽しんでいる。

12時頃床につき、三時のナツメロでおきることをここんとこすごしている。
湯冷めを避け、早期の万全の状態を作らんがためである。
今日は昨日に続き二回目、たまたま二回を聞いた。書きよどめねばならぬ。

ヨットでの海洋横断は堀江兼一 のリサイクルヨットで太平洋横断 ... に尽きるが世間相場。
マーメイド号にすっかりヨットの名を奪われた感であったが、こんな人も居たんである。

昭和17年生まれの松村健二けんじ大阪南太平洋協会。
阪大の大学院卒の履歴にないドラマチックな人生観を感じる。

ノルウェ−をヨットで出発し、アフリカ、カリブ、パプア・ラバウルをへてヨ;ツトのたびを終えた。

ラバウルでは戦争の10万占領軍の日本軍で不安であったが、日の丸で歓待された。

それ以降すっかりパプア・ファン

98年パプア大津波。早速現地に飛ぶ。
パプア島ヒサノラグ−ンの現地で復興に当たる。

10人で3ヵ月使える公衆便所
密封の土の穴バナナの皮推薦の便器を置く。

土のバクテリアが老廃物。大小便を自然に返す。

このパプアの経験を元に広島県安芸太田町に
21世紀方丈庵を建てる。

800年前の方丈記の作者鴨長明に学んでの生活である。
1M×3M=3.3ヘイホウメ-トル

鴨長明は牛舎2台で家屋ごと引越ししたと方丈記に記す。
松本健二は200万の組み立てハウスとしいぇ再現している。

ラジオ深夜便は二日続けてこの時間からすべてを聞いてしまっている。
中野正行アナもいい。

広島安芸太田町には太平洋国から10年で100人が田舎に来た。
加計町は戦後も先般を逃れた後に政治家としても活躍した軍人・源田実を生んだとこ。
私には鉄道新設の昭和45年ごろの加計線路である。加計町は合併し高野大和筒が村の合併。

ここにも住処を持たれる。
囲炉裏があり、自然で暖を取る。
座って半畳寝て一畳・・・21世紀方丈庵である。
キットも販売されよう。キットお約束。

その後に住まいである神戸大震災に遭う。
東灘区であった。

公園の木をみて木一本の家を建てるコアラハウス
神戸大震災でのナガタ避難所には消防団の「火を使うな!」のふれが回る。
火を使えない。1月の寒さの中である。

この地区の責任者たる校長先生にしては粋なこと
自家火を使うことを認め合う。
そのことで暖が取れた。

砂を暖め袋に詰める。砂湯たんぽは厳しき環境の中での睡眠を誘ったことであろう。
サスガ!年寄り!七輪を所持していた。

山のごとくの七輪用の薪が積み上げられ、安心を与えた。
麻に夕方の弁当が渡されパサパサ。七輪を使い葱をいれおじや。食欲を助けた。
火がなければ心は温かくならない。
ホスピタルの発祥・発展が火の発見ともあったが納得。

勾玉ヒメちゃぶ台は商品化された大震災のおかげ?
パソコンや熱燗と用途多様。

炭は2時間ぐらいの命。一酸化炭素は窓の開け閉めで解消したい。
湿度で安全は大丈夫。練炭は24時間使うので注意したい。
部屋の空気管理が必要である。
ロ−テク時代とハイテク時代の共存。

この会は資金作りとして各種の行事をやっている。
旧暦カレンダ−の作成販売は独演場。

太陰太陽暦は強制エコ暦である。
月星潮の干満の記入がある。

沖縄では今もそうである。
農リツ暦、農暦こよみの別称

時間管理は自然に限る。
西都に集金にいき、日延べ。

矢崎や○○社と回る。なんと!この会社にさえ流言蜚語は回っている。

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月始め

2005年3月1日
3月1日。4箇所にあるカレンダ−が一斉に替わった。
パソコンの横にあるカレンダ−がいやがおうにも気になる。

時の人たる鹿内美津子女史の隠れ勤めるボストン美術館の印象派名画コレクションだからである。

オ−ギュスト・ルノア−ルのブ−ジブアルのダンスが表紙を飾っている新日本石油謹呈のもの。
ブ−ジブアルはパリのセ−ヌ川のほとり。

中学時代から見つづけたこの絵。
女性のほうは画家ユトリロの母となるシュザンヌ・バ−アラドン女性の白い服と男性の青黒い服の対象。

麦藁帽子にサンダルと気取りのないカジュアルさの男性ととフアッションを楽しむ女性。

美術の女子先生・山本先生のいじめられなきながらの授業を思い出す。
未発達の頭脳のためであった。

その頭脳であるが前頭部の海馬は退化せず逆に成長し、右は鬱で左が躁状態という話をNHK・ラジオ深夜便の4時半ごろからやっていた。
医学部の教授がNHKのテレビでの話を含め説明していた。

3時からの昭和20年代のナツメロに集中していたせいもあり、4時からのパプア島の1998年津波支援の話や
海軍10万人が侵略していた戦時の爪あと残るラバウルの話に集中しすぎていたのである。

とくに深夜便の中で感慨深げになったことに寝台列車二本の廃止があった。

乗り継ぎで「あさかぜ」(東京〜博多)、「さくら」(東京〜長崎)を利用したことがある。

大阪発の同じ区分けの「彗星」(大阪〜鹿児島)に乗り継ぐためでもあった。

個室寝台や食堂車を兼ね備えたこれらは昭和31年から走り続けた。ちょうど日本の高度成長時期に重ねあうことができる。

実はウソついてます。ランク下の急行・・高千穂(東京〜宮崎)が普通の乗り物でした。

特急は急行と比較して料金が・・・・・
よって27時間もかけて疲れきって急行高千穂に乗ってました。

ベットは三段で実に狭まぐるしかったが旅の見知らぬ人との会話で、夜を明かす魅力があった。
列島は全員が仲間意識で働きぬいてる熱気があった。

「あさかぜ」戦後初の寝台特急としてのビジネスをささえた歴史をもつ。

ブルートレインの名称はずいぶん後からついてきたネ−ミングと思う。当時はそう呼んでなかった。

30パ−セントの乗車率で廃止なら仕方ない。
新幹線。飛行機の旅行が主流。

ヨ−ロッパ諸国をつなぐ列車のたびは風情がある。
言葉の不自由を乗り越え話し出す。
スピ−ド化にない旅情からくる人間的感情の豊かさは育たぬであろう。民族に未来はあるのか。

日向の工事にいくも元請さんの説明不足や誠実な対応がないために工事できずに帰ってくる。1軒は初めてご協力の方で終了。

宮崎の現地説明のため延岡の方も社長さんが都城に行かれたため帰られる。辛いのはお互い様である。ガマン!比べ。

花○サンに仕事依頼。なんか謀略じみている。
ゆワイタ−の所長はいい。サンヨ−は不在。

中野さんは今年初めて来る。。黒木さんも来る。
なんらの侘びひとつなく、人間性を疑う。
オ−ル電化の研究をふかめる。。

たよりの甲斐さんも2〜3月を通じてはじめて付き合う。
性格には2回目。さすがに交流が深い人脈。

どうなることやら。少しずつ動き始めている。テェカ!

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オベンチャラ。

2005年2月28日
早くも2月が終わる。
書き漏らしたことに2・26事件と27日の1年3か月ぶりの[H2Aロケットの成功]のことがあった。

パソコンのないところでの外泊のため日記の更新も遅れて追いついた状況であったためである。

今日はどうにも良くないことばかりで、このようなこともあろう。
ロケットの成功から学び生かしてゆきたい。

H2Aは二十八万点の部品からなるそうだが、いずれプロジェクトXでその詳細が映像化されるのを期待しよう。
数多くの仲間が一つに向かい成功に導いたわけである。

太陽光発電の普及もそうである。
数多くの経過を経て各、お客さんの自宅に設置できるわけである。

なんでもそうだがお客さんとの営業がすべてを決めることになる。

私どもは施工を中心にその部署を受け持つ。
いわゆる、下請けでの工事会社である。

どうにも利益部分にあやかれないそんな役割であるが誠心誠意いい仕上がりを目指して早朝より遅くまで取り組む。

上手くいって当たり前。
危険な屋根の上の作業で夏は70度以上冬は寒風の中でも施工する。

お客さんもさることながら、元請さんしだいで職人さんの指揮もずいぶんと違う。
そこにはお互いの感謝の念がほしい。

しかるに今日の出来事は難であろう。
一方的な電話で後は受け付けず、電話にも出ない。

施工費にあるのか仕事振りにあるのか皆目つかめぬ。
よってお話し合いに自宅に出向いた。

自宅から出てこようともせず、実に苦労してお話ができ必死の弁解、説明をした。

「私一人では決められないので・・」

引き際も肝心。あくまで、よそ様のおうちである。
佐〜手、どんな結論になるのやら。

愛読さていただいてる方の日記でほほえましく、元気が出てきた。
まるっきしサッカ−はダメであったが新聞記事に目をやるこのごろ。

トリニ−タね〜・・・オット!へた打つとまた今日の二の舞。
ガンバレ!トリニ−タ。

ガンバレ!ホリエモン!

ゴマスリ!営業。

「スイスの海軍省」「ソ連の文化省」というのがあった。

ソ連の高官がスイスの高官に

「貴国に海軍省ができたんですって?」と聞く。

これに対しスイス高官は

「お国に文化省があるのと同じですよ」。

辛辣なる言葉やりとりより、オベンチャラがいいに決まっている。

いい年こいていまだ苦手な分野である。

pcのオモイコト。。ドウナットルンネン!ま〜いいっか!

ワンクリック!オベンチャラで・・お願いします。
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先ほど久しぶりにNHKのT/Vをみたが、スマトラの津波を旅行者が多方面から撮っていた。

神戸大震災の1600倍なるパワ−が30万人もの被害者をもたらした惨状である。

自然の猛威は何をわれらに訴えようとしているのか。
CO2による地球環境の激変である。

今朝の寒さはなんだ!
温暖化でなく温暖化がもたらすさまざまな気象の変化である。

田植えの前の準備で田起こしでのトラクタ−が動き出し、白きサギがその後を付きまとっている風景は
ずいぶん前と変わらぬ風景である。

日向の太陽光発電の工事を日曜日返上でお願いする。
パネル・パワコンは届いておらず基礎的工事のみ。
逼迫状態のようである。

それもシャ−プのみではある。
なぜか。実は内緒のことを書く。

シャ−プは実に汚いやり方である。
「台風で水が入りましたので、パワコンを取替えに来ました。」
実際の話である。

シャ−プのパワコンデショナ−は欠陥品であったのだ。

私どもには何ひとつの説明なしでの密かなるクレ−ム処置!それもうそをついてである。

液晶分野での多忙さが太陽光発電にしわ寄せしてるとしたら大変だ。新聞記事からである。

先日大型液晶TV新工場建設を発表した。
 シャープの町田勝彦社長が三重県の亀山工場敷地内に第2工場を建設すると発表した。

投資額は1500億円。06年10月の稼働を目指すという。

第2工場は、「第8世代」と呼ばれる世界最大
(縦横2メートル超)のガラス基板を採用する。

つまり超大型化。新工場の主力製品は、45インチや52インチの液晶テレビだ。
 これまで大型の薄型テレビといえば、“プラズマ”の方がコストや技術面で有利とされ主流だった

。町田社長は「材料費などが大幅に削減できそう。価格競争力でも負けない」と強調。

「ソニーがプラズマからの撤退を検討しているように、市場では液晶の優位性が高まってきている。
そもそも液晶は大型化できないといわれていたので、プラズマがあったのです。
テレビだけのプラズマに対し、液晶は汎用性が高いのでシャープに勝算はあると思います」との意見もある。

32インチの液晶テレビを生産している亀山工場では、「稼働率が期待ほど伸びなかった」。
死角はないのか。

 リスクは2つ。第1に市場拡大の鈍化だ。
「狭い日本の住宅で、40インチ、50インチというほど大型化が進むのか。シャープが考えているほど市場は立ち上がらないでしょう」

 第2のリスクは予想以上の価格下落だ。韓国メーカーの攻勢もあり、昨年1年間で液晶テレビの価格は30%程度下がったが、
年頭の経営者たちの予想下落率は20〜25%だった。

シャープは06年度の液晶事業の売上高目標を従来の1兆円から9500億円に下方修正している。この状況は今年も変わっていない。

「とはいえ、バブルで疲弊した90年代、新しい設備投資に消極的だったことが、韓国勢に負けた理由。

再びその失敗を繰り返さないためにも、リスクはあっても投資しなければなりません」

 韓国サムスンとソニーの合弁会社は、今年、第7世代(第8世代よりひと回り小さい)の液晶パネル用としては世界最大規模という工場を稼働させる。激化する薄型テレビ戦線は常に走り続けなければ勝ち目はない。

北郷の日本一の画面は液晶でもプラズマでもない。
なにも二つに収斂されているわけでもない。

太陽光発電の第一人者のシャ−プがこのような状態で、クレ−ム処置を静かに解消しようとの姑息な手段では心もとない。

高鍋町は最後の提督の孫・小沢を選択したようである。
お祝いの言葉ねぇ〜

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秘薬ミニタリス

2005年2月26日
鹿児島/川内よりのお客さん。IHと電気温水器の工事をしてほしいとの以来内容である。

本人さんとご兄弟さんの与信を作る。お客さんのご了解をいただいたら、まずは、クレジットの審査からである。

千客万来。どうも本筋とは違うが仕事は問わない状態。
必死の仕事探しに違う筋の仕事では困る。

冬虫夏草の大家のお二人をセッテング。
会話から勝負ありで高原大学は国立であり、成教授の存在感が違う。

なにがビジネスにいたるやも知れぬ。
明日からの二縣分の部材が到着してるのでチェック。

夕方スタッフは降りてくる。
明日は休日返上し、日向での太陽光発電の工事を決める。

二日目の甲斐さん参上は会話は弾む。
どうやら、おしゃべり相手としてのみの存在がいいのかもしれない。

睡眠が十分に取れだしたのは、体質改善が進んでるからであろうか。
七葉胆は確実なる、体質の改善を促しているのか。

お話からはどうにも冬虫夏草の薬効もすごいものである。
虫の死がいに生えてくるすべてが冬虫夏草で700種以上になる。

シネンシスとミニタリスに区分けされるが薬効のあるコルドセピンを含んでいる最大のものは蚕。
蚕にはアミノサンも多く含まれている。
桑の葉に秘密があるやも知れぬ。

薬と言えばバイアグラなる秘薬が中年の脚光を浴びた。
中国産でいうとイリュウで売り出されているが、実は主なる成分にこの冬虫夏草がある。

殿方よ!落ちこまれルナ!せいきの改春剤があるんですぞ!
改春剤ゆえせいきの大発見!と座布団ももらえぬ下らぬシモネタ。

効用は足腰の衰えから、C形肝炎となれば漢方の雄。
大学の実験にもかなう。

非衛生な生産過程もチェックされ万難を排しての配給体制である。
玄米の菌床に湿度、菌床の温度管理で60パ−セントが育つ。

私の場合は末期ガンにボランテアで利用している。
薬事法もあり、そう簡単には書き留めることができない。

あくまでも健康管理のお話である。

あなたのお仕事は・・・この人のおうちに太陽光発電を設置していただくようにもなっている。

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北郷のよる

2005年2月25日
岸本旅館は北郷町唯一の宿泊施設。ふすまを取り除くと8畳の間が4部屋も続く広さ。
それを取り囲む長き廊下は宮崎版松の廊下ではないか。

華やかりし頃の隆盛ぶりが偲ばれる。
道路網の整備、モ−タ−リゼ−ション化は偏狭の地からの日帰りを実現させたが宿泊業を衰退させた。

木造総二階建ての建物は古めかしいどこでなく「八つ墓村」のセットを思い出させるほどである。
一本刀土俵入りの駒方茂平と二階にいるオタカの場面そのもの。

それにしても襖ひとつの開け閉めでこんなにも変化する住宅のすばらしさは現代団地族のマイホ−ムには取り入れてない。

教育問題がとり立たされているが、この地域には無縁であろう。子供駆け込みの看板一つ見ない。
その子供がいないといえばそれまでだが。
コレイジョウノブラックはない。
現代人はビジネス風がいいのかもしれない。

昨日は配線工事の準備と巨大スクリ−ンの基礎工事で終了した。
途中、銀行もないため、宮崎銀行のある日之影に降りた。

行ったでなく、降りたのである。
日之影は良くなずけたものだ。山峡の合間にある。

クロサワ映画の志村喬もこの町で青春時代を過ごした。
鉱山生活での父との関係からである。

日之影駅・温泉。駅舎が温泉である。そりゃきになりますわ〜
列車を降りればすぐ湯けむり。

浴室からは五ヶ瀬の清流が見える。
この清流が英国人ハンタ−にしてフライ・フィツシングを日本に初めて経験させることとなった。発祥の地

小さい頃慣れ親しんだ擬似ハリによる釣りである。
菜の花の頃は黄色とか季節により擬似ハリの色を変えると良くつれた。

動物性タンパク質の唯一の補給形態でもあった。
育った山間の地まで鮮魚は届かない時代。

いたってのどかな物流形態が世間を覆っていた。
隔世の感の24時間コンビニ。

貪欲な資本は金の匂いがしないのか、このあたりにはそれさえ無縁である。

泉質はほんの少な目の明礬湯程度だが雰囲気がカバ−してくれる。
露天風呂からは列車がすぐ下に見える。

・・・チュ〜ことは列車からは至近距離で私の粗末なものが丸見えではないか。
慌てて視界から消える程の湯船に隠れる。人様に晒すべき誇れる一物ではない。
                                                
昭和46年であったか、この駅が終点であった。
国鉄の指揮は下関に総本部があった。

田中角栄の肝いりでできた鉄道建設公団もしかり。
下関・大和町から滋賀県湖西線や全九州を指揮、司った。

日之影線の難関は三田井のトンネル。
いえ!工事後の地域の渇水補償である。

35年前の仕事の記憶が鮮明に残る日之影駅。
今、静かにメ−カ−の方と静かに湯船に感慨深げ。
悠久のときは流れる。

「御幣」なる天保年間よりある焼酎が今夜のダレヤメにご指定。
これもなんか記憶にある焼酎である。
チビリとやりながら将棋を指した最高のひととき。

山中ゆえ見えぬように、天文台と観察室をつなぐケ−ブル6本を被覆した。

削岩機でコンクリ−トを破壊ケ−ブルを埋設してうまく隠した。
明日からスクリ−ンの工事を残してで終了。

昨日の手も切れんばかりの寒さと違い今日は温暖な気温。
雨上がりの雲海を従えての山頂は実に痛快。

道路管理のあり方ね悩んだ日でもあった。
早朝現場に向かうと臨時の交通止め。

甲斐建設はまるで法事国家での交通規制の仕方を知らない。
無理強いに全面交通止めを突破する。

まるで話しにならぬのである。
夜は9時過ぎに山を降りる。

峰峰を走るのを、六峰街道と呼ぶ。ス−パ−林道のことであろう。
それが走りも走ったりのところでの道路決壊。

元の天文台のところまで戻る。
この地点に前面交通止め、道路決壊の表示板がいろう。

農協で銀行を聞くと20〜2・3才の若きお嬢さんが
「すぐそこです」と諸塚・椎葉を教えてくれる。

感覚がまるで違う。
ここの人たちののんびりさは理解できない。

鈍行列車で明日に備える。
職人さんはもう一泊。

引き返し疲れきっての運転しっぱなしのメ−カ−の方。
北郷の飯屋にいる。

ところがどうだ。!わがスタッフと偶然のであい。
ここには秘密がまるでない。
もちろん娯楽施設もそうである。

それにしては集落放送局があるIT先進地域であるという。

田舎ですむには心構えがいるようである。

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耳川風景。

2005年2月24日
ロマンを語るにには、満点の夜空に変わるものはない。
恋人同士よ。デ−トは夜ですよ。

古代ギリシャの人々や、アラビアンの人々はそこに瞬く星星を見て多くの話を作り、星をつなぎ合わせ壮大なるスケ−ルの形にして星座として、描いた。

星座を知らずしてヨ−ロッパ神話は語れない。
常識、知識人の基礎的な素養である。

宮崎・・・否!全国一の日本一のの天文台が宮崎の地に完成しようとしている。

マスコミ報道は三月初めになろう。
NHK、夕刊ディリ−、宮日新聞と報道が続こう。

「頭上に注意!・・星がおちてきます。」
オ−ソン・ウエルズばりの虚言がまかり通るやもしれぬ。

日本一の施設ができた暁のお話である。

巨大スクリ−ンに映し出される施設建設の仕事をするために
今朝は、7時前出発。

高鍋で資材の調達をして、標高1000m、距離にして100K彼方の
北郷・中小屋昴天文台にむかう。

えもいえぬ、独特の天文台の半球状の建物には「昴」の文字がが揮毫されている。

それも片島港がいい。
最初の宮崎の生み出した社会党代議士なのでくぁる。

初代天皇・神武を生み出した日向の地は天孫降臨の神話に包まれ根っからの保守的地域。
なんらの代わり映えさえしない。
新幹線も、高速道路もなんにもなくとも不満ひとつこぼさない県民性。政治不在のまさに熊襲の住む血である。

耳川を沿いを川の流れに逆らって県道51号を一路北郷へ向かう。
耳川沿いは失われた風景が連なる。

センタ−ラインがある改良された道路は走りやすかろう。
東郷町山陰は先輩のふるさと。塩月さんに会いたいものである。

まさに山紫水明の地。
小石の川原が蛇行した川に沿ってあちこちにある失われた原風景。

かって河川砂利は骨材としてあちこちで採取されたが、河床が下がるとの国家意思により、採取されなくなり
全面禁止がこの豊かな風景を守った。

国家は強制力を兼ね備え持つ。
美しき風景を国家と業者の争闘の産物として残った。

尾鈴連山は牧水の西端の地へと向かう。
中国の奇岩、奇風景の日本版。中国の吉林風景は日本の原風景。そぼ降る雨がちょうどいい。

赤いパラソルに合羽を着た白い犬。
四万十川沿いと似てることであろう。

市町村合併にあたり、自然財産たる四万十の冠を被せた市町村名が誕生したことからその悠久の流れの尊さがわかろうと言うものだ。

川の蛇行なんともいえぬ美しさ。

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システム販売

2005年2月23日
小林のパネル工事完了。
夕方に○菱サンに電気温水器の明日の部材を取りに行く。

今年初めてでもあり、会話が弾む。
暖かい励ましをいただく。

甲斐さん昨日はじめてみる。
ノ−トパソえお持っていくはいいが、マウスは今日の講習会場で使いたい。

13:からと19:からとセット・トップ・ボックスの説明会。
いくら待てども持ってこず。慌てて準備。
器械の設定変えで急遽飛んできてもらう。

説明会でかって知ったる人。杉田さんではないか。
よくもこんな会にくるわ−

夜は23時過ぎまで実にご熱心なことである。
私にはまったく無縁。これではダメである。

黒木さんも今年初めてお会いする。
夜もお目見えになる。
この人のパワ−には驚く。

明日は早朝早く100KM彼方の北郷に向かうため24時には睡眠につこうとすると甲斐さんからの電話。

一日中何度となく電話するも返事しないくせに寝入りばなである。迷惑千万!非常識を疑う。

ゲン直しに福岡にTELするも応答なし。
実に健全。どうにも仕方ない日。

いいこと探しで考えてみると・・・
あった!京セラパネルの説明会のご案内のファックスがきていた。3月9日福岡で開催されると言う。

三菱、シャ−プ、サンヨ−を扱っていたがこれで4大パネルすべての業者となれる。バンザイ!待てば海路の日よりあり。

あわてない。アワテナイ!
ゆっくりも経営の極意のようである。

国防のありかた

2005年2月22日
今日の政治ニュースはブッシュとシラクが会談したのがトップ。
混沌とする世界の流れは大欧州の誕生と中国を中心に回ろう。

国会がその行く末を議論し国民に判断を提供してくれない以上われらから国家を語るしかない。
国家は民族の防衛を大一義に存在するのに異論はなかろう。

古代ギリシャ、ローマ、大航海時代のスペイン、大英帝国
軍事力を背景に他国を侵略し国土を拡大し富を得た。

近代においても二極崩壊後にそれがまかり通っている。
国連中心主義と、こともあろうに同盟国の同意もないままに突っ走るアメリカの姿が二重写しになる。

私には軍隊なしでの防衛を信ずるがそれでは現実政治は語れない。
平和国家作りは別に論ずることとしたい。

軍隊が庶民を守ろうとしない歴史的事実はあるにせよ存在してる事実からの議論である。
土俵に上らねば相撲は取れない。

60年安保は知らずとも70年安保には積極的に関わった。
そして35年。信じられぬ程の変化である。新聞を右手にしてから考えてみる。

19日、ワシントンでは新たなる日米防衛問題について「共通戦略目標」に合意した。
日米の外務・防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(2プラス2)の共同発表文書である。

96年、アジア太平洋の平和と安全を主眼に日米安保共同宣言(同盟再定義)は冷戦終結とソ連崩壊後のことであった。
今回の作業は、約10年ぶりの同盟戦略の見直しにあたる。

中国と台湾の問題が盛り込まれ、朝鮮半島の平和的統一、ロシアの役割、東アジア共同体構想などの地域メカニズムにも触れているのが特徴だ。

また同盟の目標を地域・世界レベルに分けてとらえ、日米安保体制の枠外での災害支援や国際平和協力などでパートナーシップを
強化する方向もうたっている。

日本の安全は地勢学上まずは、一衣帯水たる中国、朝鮮半島に向けなければならない。
韓国との関係はW杯の共同開催を経て、ヨン様で雪解けが進んでいる。

北朝鮮は核保有をちらつかせ六ヶ国協議のテーブルに着くと昨日議長国中国に表明した。
しかし日本外交の本来は中国に向けられるべきである。

中国が3月5日から開く第十期全国人民代表大会で、「反国家分裂法」の草案を審議し、可決する準備を進めている。
国家分裂活動を阻止するための国内法という。

果たしてそうか。
詳細はわからないが、この法律は中国の台湾への武力行使に法的根拠を与え、台湾海峡の緊張を高めるだけでなく、日本を含む周辺国にも脅威となる危険性を秘めている。

台湾の陳水扁総統が、台湾の現憲法を全面改正し、任期中の2008年に新憲法を施行するという方針を示したことを「法による独立」と警戒し、法には法でとの処置であろう。

中国は92年、国内法で「領海法」を制定し、日本の固有の領土である尖閣諸島をも一方的に中国の領土とした

以後、同諸島への中国人の不法侵入が増えたことは国家の意思の現れである。その延長が先日の不法侵入の潜水艦事件でもある。

この国の誰もが腹のそこに持つ中華の国を忘れてはならない。
備えあれば憂いなし。

巨費を投じて推進されるミサイル防衛(MD)システムの整備を推進する際、米軍とのデータのリンクなどの連携がどうなるのか。
向けられるべきミサイルはどこを向いているのか。

日本にとっては安全保障上の重要な問題であるとともに、集団的自衛権の行使という憲法とのかかわりも出てくる。
聞こえくる改憲論議はそこまでは見越してないはずである。

 在日米軍に協力する自衛隊の役割や任務分担も、戦略目標を抜きには考えられないが、その際、おのずから協力の範囲に限度があることはいうまでもない。

在日米軍の再編は、米軍の世界的な変革・再編に伴うものだ。
よって「共通戦略目標」を掲げるなどして再編の論点を整理したわけだ。

在日米軍の兵力構成の見直しや沖縄などの基地の町の負担軽減を打ち出した。

本格的な再編協議はこれからだが、米陸軍第1軍団司令部(ワシントン州)のキャンプ座間(神奈川県)への移転

横田基地(東京都)の米第5空軍司令部とグアムの第13空軍司令部の統合とともに、
横田基地の航空自衛隊との共同使用が取りざたされている。

米軍は、どういう事態を想定して陸軍の司令部機能を置く意向なのか。

在日米軍基地の使用目的を「極東の平和と安全の維持」としている日米安保条約の6条との関係が論議を呼んだが、今後、この問題をどう整理するのか。

東京都が返還を求めてきた横田基地は、米軍と空自が共用する見通しだ。

首都圏上空の「横田空域」が、米軍管理下にあることに主権国家としてのプライドはないのか。

現実的に考え、たとえ共用だとしても、管制の主導権は日本側が明確に握り、民間航空機にも開放されなければならない。

 普天間飛行場については日米特別行動委員会(SACO)最終報告の着実な実施をうたったが、そこに盛り込まれた代替ヘリポートの着工のめどはたっていない。

所詮軍隊は気ままなもので出たとこ勝負。
計画性はなく決定事項なんて簡単に反故にしよう。

イラク・サマアから引き上げるオランダ軍なきあとの災害救助隊たる自衛隊の行く末に似てる。

守るべきもの何一つなき私ほど防衛問題はよくわかる。
小林にパネルを上げた。絶好の天気。

福岡よりの天女の声に青春期を思い浮かべる。
いつまでたっても成長途上の爺でみっともなくお恥ずかしい。

すきあり!日ごろの努力が平和を維持する。
防衛問題の基本であろう。

物を知るにはこれを愛せねばならぬ。物を愛するにはこれを知らねばならぬ。哲学者たる西田幾太郎の言葉である。

改正9条を知ってからも生きなえるのもいやである。

ワン・クリック!
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マスコミの事情

2005年2月21日
soraさんの2/20「戦い方と守り方」の最初からの前段の部分。読ましていただきました。
「う〜〜ん・・参った。」大変な人生訓をいただきました。

今後の私の生き方・考え方の基本といたします。
どうも有難うございました。今後とも江戸前の考え方教えてください。

秋田のめりさん!お元気になられたようで、でもまだ不安定のようですね。
術後ゆえ安静しかありません。
然るべきときにショックな出来事。

学業は体力回復後もぜひ続けてくださいね。
いろんな知恵があるはずです。

だってかの地、秋田は岩波書店のシンボル・マ-クたる労働者文学「種蒔く人」の発祥の地その血受け継いでますもの。

フランスのバルビュスから学んだ小牧近江、金子洋文らのノーベル文学賞・平和賞に匹敵する先哲を生んだ地。

辛さに転向して財界人となる薄っぺらな人生とは大違いの人々の土地柄。今日はそれであなた様が元気になられるように書いて見ます。

数十年前、宮崎より出向きました。土崎のお墓の記念碑をお参りしました。

保存会の会長さんは県会議員も勤めた人でした。
画集を出版された折には、いただきましたが、人間的対応ができてませんでした。ゆるしてください。

何しろ二つの仕事の掛け持ちで九州どころか全国飛び回っていましたので訃報に線香さえあげえませんでした。

かってあなた様にも秋田のメッセージを差し上げてましたがどうも着いてないようでした。

さ〜て九州から爺が見守ってますのでお元気になられることでしょうヨ。

今日はすっきりの青空でしたよ。お裾分けしましょう。
お元気にしてくださいね。

宮崎はガルビッシュに関係なく早速の球春。
昨日2万人がマリン・スタジアムに集い春を楽しんだ。

ソフトバンクと巨人戦である。
ダイエーのほうが耳当たりがいい。

今年から監督の代名詞は入らないのか知らん?
王・ソフトバンク・・なんか・しっくり・・

野球界の球団名の変遷は社会の隆盛を反映している。
たとえば宮崎でキャンプ中の新球団の南海→ダイエー→ソフト・バンクを見ればわかる。

鉄道からストアーそしてITとオーナーが変わっている。
ところで連続でのホリエモンの視点からの野球界である。

1963年、産経新聞及びフジテレビは国鉄球団に出資し、事実上経営の肩代わりを行った。
両社に文化放送、ニッポン放送を加えた4社は関係者に働きかけ神宮第二球場の整備を行う事で、神宮球場の国鉄球団による使用を認めさせる。

1965年より国鉄球団の本拠地は日本テレビが中継権を独占する後楽園球場から神宮球場に移る。
今日フジテレビによる試合中継となっている。

1965年5月10日に産経新聞は国鉄球団を正式に買収。シーズン途中異例のチーム名変更。
サンケイスワローズと改め、フジサンケイグループによるプロ野球チームが誕生。

翌1966年に当時産経新聞で連載され、かつフジテレビで放送されていた漫画「鉄腕アトム」にあやかって、
チーム名をサンケイアトムズと改称。

1969年に水野と転向でも同じ過去を持つ旧知の南喜一が経営するヤクルト本社に球団を譲渡した。
成績の低迷と球団経営も悪化。水野成夫の後を受けた鹿内信隆はグループ事業の見直しを断行したことによる。

譲渡後もフジテレビやニッポン放送、文化放送との優先中継権は残り、関係は継続。

1998年、フジテレビは再びヤクルト球団の株式の約20%を第三者割当により取得。業務提携を行い、関係を強化した。

水野成夫と南喜一、水野については昨日ふれた。。
一族のことで漏れは西武百貨店の社長で参議院議員さきがけの幹事長水野誠一は長男。

南喜一は石川の人。第一回普選法の立候補者に堂々と名を連ねる
徳田球一、山本縣蔵,杉浦啓一、南喜一が労農派の立候補者

弟は1923(大正12).9.1関東大震災の際に9・3に逮捕され、5日に虐殺された。

河合義虎・吉村光治(南喜一の弟)・北島吉蔵・山岸実司・・加藤高寿・近藤広造・鈴木直一、の7名。

アナーキスト系の平沢計七らも亀戸警察署で虐殺された。
これを「亀戸事件」と云う。

父は連隊長で自らも陸軍学校の出身の大杉栄・伊藤野江も同様である。

弟の事件を契機に南喜一は全財産を処分してその道に走り頭角を現し衆議院議員の立候補者に名を連れる。

翻訳家、国策パルプを経てクロレラ研究所を設立。ヤクルトに発展する。

今日のゴミの主原因たるビンのヤクルトをプラスチックに変え業界全体に波及させた張本人。

老域での文章は冴え「ガマの聖人」で艶エッセーは絶品。吉行淳之介との対談集はいい。

たとえば「浮世草紙」は集英社からでており、小沢昭一、柳や三亀松、淀川長治、三遊亭円生らとの中で光っている。

まったく同一人物とは思えない人生の不可思議で波乱万丈。艶の達人・南喜一「ガマ聖人」

亀戸事件は後の満州国の参議になる甘粕が実行し、指揮をしたのは米騒動の時に警視として民衆弾圧に当たり、後特高制度の生みの親であり、転進して読売新聞社長になる正力松太郎である。

見込まれたのが「たかが選手・・」の東大生時代5000円着服除名の共産党員たるナベツネ・渡辺恒夫。

サンケイ、読売なるジャーナリズムの前進には、このように戦争の傷跡が残滓として残る。
問題はどこまで清算しているかである。

1978年、大洋ホエールズ株式の約45%を保有するコクドが福岡野球を買収し、西武ライオンズが発足。
コクドは野球協約の関係で大洋球団株を放出せざるを得なくなる。
ニッポン放送が約30%、東京放送(TBS)が約15%をそれぞれ引き受ける。

1960年以来大洋球団は東京放送と深い関係にあった。、
1975年にテレビの独占中継権は金銭関係で日本教育テレビ(NET。現在のテレビ朝日)に移る。

1978年ラジオの巨人主催試合の中継権に絡む読売新聞社・ラジオ日本と在京3局との係争関係で、TBSラジオが抜け駆けして読売陣営に鞍替えした。

報復処置としてニッポン放送が大洋球団とラジオ独占中継権を獲得した。

1979年以降大洋球団とニッポン放送・フジテレビとの関係が深まった。

フジテレビがヤクルトスワローズを運営する株式会社ヤクルト球団に

ニッポン放送が横浜ベイスターズを運営する株式会社横浜ベイスターズにそれぞれ出資している。

2000年に横浜ベイスターズのマルハ保有球団株式を譲渡するに当たり、ニッポン放送がそれを筆頭株主として受け入れる計画。

野球協約で同一企業、あるいはその関連会社が球団の経営をすることを禁じていた影響でそれを断念。
東京放送が代って球団のメインスポンサーになった。

楽天は日向でキャンプ中。新球団は宮崎でそれぞれ再出発中である。

小林でのパネル工事を完工。
明後日は春一番が吹きそうで非常に危険である。

仕事を求めての勇み足。どこに落とし穴があるやら。
お〜怖いは、同業者!。もっと大〜きくな〜れ!

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アクセス・カウンタ−が気になりますか。?
100の質問プロ−フィ−ルを書こうとしてたら出ていた。

私のアクセス・カウンターは検索でのヒットが大半でわざわざのアクセスはそうない。老人の戯言に誰が付き合いましょうぞ!

よってアクセス対策で増やそうとするならマスコミ用語についていくことである。或いはセックス記事を話題にするかである。

「ホリエモン」が若者のキ−ワードのようである。
ノーネクタイで通し、独身で、馬主で果敢なる挑戦は金で買えないものはない!と実にかっこいい。

実態はどうだか。高値で公開益を手にし、今回のマスコミへの進出。しかしながら、狙いが甘いわ〜ほかの報道機関ならいざ知らず、

政治を仕切っている森元総理を含めこんなに躍起になってなかったものを。逆鱗に触れた。

政治が動き証券業法の改正の異常なるスピードでその深刻さがわかろうというものよ。
作戦参謀がいないのではないのか。

ニッポン放送はその設立趣旨から異色企業。
ザ・ニッポンである。

近年は「新しい歴史教科書」を提唱し一衣帯水の国々とのトラブリ・メーカーであるのはなぜか。
いまだにその設立趣旨を貫き通うとしている。

ニッポン放送はもともと財界のマスコミ対策として設立され、当時財界の「青年将校」と呼ばれた経団連専務理事の鹿内信隆が実務の中心となって開局したラジオ局である。

その後、テレビ免許申請を巡って各方面と競合するが、鹿内は同じ財界系であった文化放送の水野成夫社長と協議して改めて共同で免許を申請した。
これが現在のフジテレビジョンである。

ニッポン放送は文化放送と共にフジテレビへ資本と人材を送り込んで開局させた。まさにフジテレビの生みの親である。

このフジテレビ開局と前後して、産経新聞社を水野が引き受ける事となり、鹿内も役員に就任した。

水野が仕事の中心を産経に移すと、鹿内は後を受けるかの如くフジに主軸を移した。

1968年水野は産経新聞社の経営に失敗して体調が悪化
。鹿内が支配、水野に替わってフジサンケイグループの舵取りをする事となる。

水野成夫 は戦前は日本共産党の幹部たる中央委員。投獄され、転向した。

労働組合つぶしで名をはせた「三田村労研」の三田村四郎、共産党委員長を務めた佐野学、戦後早大教授になる鍋山貞親、右翼の重鎮になる田中清玄らとともに、戦前の共産党弾圧に際して特高警察の拷問に屈して転向、大量転向、共産党の破壊に走った裏切りの血を持つ。

読売のドンであった渡辺恒雄も共産党員でその人生帰線は水野に酷似。読売に即入社と、遠回りしただけである。

渡辺は、三田村から活動資金5千円を預かり、ネコババして戦前に共産党を抜けた。、

水野成夫はのち、軍部に取り入り、軍用製紙工場の払い下げなどの手厚い援助を受け、国策パルプを設立。

93年に十條製紙と山陽国策パルプとが合併してできた現在の日本製紙である。

文化放送社長としては、娯楽番組中心の編成、良心的ドラマ番組、探訪番組の打ち切り、保守財界人の宣伝、政府批判番組の禁止、反対者の配転、組合潰しなどをすすめ、「財界のマスコミ対策のチャンピオン」と称せられる。

戦争翼賛に対する反省から、毎日、朝日、読売などの大手全国紙が権力に対する追及も辞さない姿勢を示すなかで、財界による「はっきりした保守新聞」の要望があった。

フジテレビと文化放送の社長だった水野が全国紙となった産経新聞を手中に収めることにより、テレビ、ラジオ、新聞が連携した、巨大メディアを財界の御用メディアにすることが出来たのである。

首相池田の国会施政方針演説。

「新聞、ラジオ、テレビ等は、家庭、学校、社会の三つを通じ、人つくりの環境を整える最も強力な手段となりつつあります
。最近におけるテレビの普及は、このことを決定的にしたものといっても過言ではありません。私は、これら言論機関の
責任者が社会教育の先達者であるとの誇りと責任を持って、人つくりに一そうの力を尽くされるよう期待するものであります
。」(1963.1.23)

鹿内はカセットテープの普及に着目してニッポン放送サービスを設立。
音楽テープを販売し、のちにビデオソフトにも進出。

レコード会社・キャニオンレコードを設立して音楽業界に進出
。これらは現在のポニーキャニオンとなり、有力な子会社としてニッポン放送の屋台骨を支えた。

27日発売の「週刊文春」で、かつてフジサンケイグループを支配した鹿内一族の近況が報じらてる。

85年には長男・春雄氏が後を継いたが、わずか3年後にゴルフ場で急死。

信隆氏の次女の夫で興銀行員であった宏明氏が 信隆の婿養子に入り、三代目を襲名。

だが、その独裁的な経営手法に耐えかねた羽佐間重彰や 日枝久が先頭に立ち、92年宏明は産経新聞会長・グループ会議議長を解任され、グループを追放された。

 それから12年半。クーデターの旗振り役、日枝久がフジサンケイグループを事実上支配している。

 そして今月4日、宏明氏夫妻は所有していたニッポン放送株のほぼ全てをついに手放した。

同誌の試算では、売却益は百数十億円。宏明一家は、昨年春頃から活動拠点をロンドンに移していると、同誌は報じている。
 
 一方、同誌によると故・春雄の「悲劇の未亡人」、元NHKアナの美津子が昨年田園調布の豪邸を手放した模様だ。

”鹿内家の内情に詳しい人物”は「バブル期は10億とも20億ともいわれた豪邸を5億円程度で売却し、それでもなお借金が相当残っているだろう、」と話す。

 春雄が美津子との結婚前に前妻との間でもうけたA君は、信隆夫人の英子に育てられたという。

誘拐を恐れた英子夫人は当時10歳だったA君を箱根・彫刻の森美術館の敷地内にある鹿内邸に連れていき、何年も小学校に通わせなかったという。

現在東京の私大二部に箱根から新幹線のグリーン車で通っているA君を、日枝氏側近がフォローしているという。

日枝が「春雄は善、宏明は悪」という大義名分でクーデターを行ったことによるものだ、と同誌は報じ、「A君は産経新聞に入社が決まっているらしい」というフジテレビ関係者の話を紹介している。

ニッポン放送株の取得を巡って世間を賑わせているライブドアが、今回の一連の動きに絡み、今度はフリーペーパーの発刊を検討している。

サンケイグループの産経新聞への経営関与にも色気を持っており、かねてから準備を進めている日刊の経済新聞発刊計画の足がかりにしたい考えと言う。

ちなみにフリーペーパーの先にある、ライブドアによる日刊の経済新聞は「東京経済新聞」という名称になることがすでに決定していて(商標登録済み)、当初は昨年中に発刊に漕ぎ着ける計画だったと言われている。

先日のAERAでのインタビューでは「東京経済新聞」の計画に触れており、「市場が独占状態だからこそ、参入の余地がある。日経と同じロゴでそっくりな題字を作りますよ。見分けのつかない人がかなり買ってくれるでしょう」

ホリエモンたる堀江貴文の「日経新聞の牙城を崩す」という野望の実現をめざす事は成功するのかどうか。どのような紙面になるのか、フリーペーパーの発刊が待ち遠しい

こうなってくると、筆頭株主たる村上世彰が代表の「M&Aコンサルティング(俗に村上ファンド)」 (16.6%) 、の動きが天下分け目を制する。

関が原における、秀吉の甥っ子小早川秀秋である。
危うし!ホリエモン!

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厳冬の末の春。

2005年2月19日
二十四節気の一つで「雨水」意味は温かさに雪や氷が解けて雨水として降り注ぐ日。

暦の説くとおり全国的に天候が悪い。
宮崎もそうで、内業たる事務所改善に努める

どうやら、オ−ナ−も喜ばれる改善ができたように思え資金を絞りに絞ってのスタ−トが切れたようである。

4件の発注もでき3月に向け準備万端。パワコンの二台を待つのみ。

仕事における文字通りの晴耕雨読。
ラジオでの細川護煕の昨夜のお話でもあった。

午後に晴れるが楽天とジャイアンツの試合が中止になりガックリ。

農耕民族の待ちわびてた日で、昔から、農耕の準備を始めるのは雨水が目安とされて来た。

天文学的には、太陽が天球上の黄経330度の点を通過する時。
また、この日に雛人形を飾附けると良縁に恵まれるとされている。

女性の活躍が目立つ。
第1回ワールドカップ(W杯)女子ゴルフの国別対抗戦の、南アフリカ・ジョージの13日の最終日

宮里藍(19)と北田瑠衣(23)がペアを組んだ日本が通算3アンダー、289で優勝し、初代女王となった。

男子のW杯では、02年12月に丸山茂樹と伊沢利光で組んだ日本が優勝している

 フィギュアスケートの四大陸選手権最終日は19日、江陵国際アイスセンターで女子の自由があった。

、ショートプログラム(SP)1位の村主章枝(ダイナシティ)が自由でも117.22点を獲得して1位となり、計178.66点で2季ぶり3度目の優勝を果たした。

SP2位の恩田美栄(東海学園大)は計166.80点で2位に入った。

SP9位の中野友加里(早大)はジャンプのミスが響き11位、在日3世で韓国代表として出場した金彩華(京都醍醐ク)は14位だった。

前の失敗に懲りて、必要以上に用心することを〈羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く〉という。

〈蛇にかまれて朽ち縄に怖(お)じる〉〈舟に懲りて輿(こし)を忌む〉も同じ例えだ

同様なことわざは世界の各地にあるそうだ。
必要以上の用心は例が少なくないのだろう。鈍感は困るが、過敏も同じ。

世界選手権代表の座をかけた戦いで、先に滑った恩田がパーフェクトな演技を披露。
わずかなミスも許されない状況に追い込まれた村主章枝。

 3回転―2回転の連続ジャンプを皮切りに、10度のジャンプを無難にこなした。

伸びのあるスパイラルと高度なスピンで得点を稼ぐ。
黒い衣装に身を包み、情念を秘めたカルメンを演じた。

「ホッとしました。世界選手権に行けるようになって良かった」

 ジャンプの改良に取り組んできた。
昨年12月の全日本選手権では3位になったものの、ジャンプのミスが目立ち、世界選手権の代表決定を先送りされた。

「ジャンプが決まったのは、上出来。でもそれが目標ではない。作品の出来としては7割くらい」。満足せずに、さらなる飛躍を目指す。

蘇っり女王を射止めた村主章枝。
ゴルフとフギュアでの驚異的粘りでの優勝。

あきらめず、生まずたゆまず。若人が教えてくれる。

明日は九州でも最後の寒波襲来と言う。
梅の水戸の偕楽園は3000本は長期に渡っての梅祭りで賑わおう。

さぁ格好をつけての出発である。
キ−ワ−ドは若さと新しさ・斬新さ

新しき酒は新しき皮袋に盛れ!


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