消えた日記を追い求めての無駄な時間を過ごした。なんか思い出し書くのも不思議な気持ち。これも何度目かわからぬ。
自分の時間が持てない。来客は25時過ぎに帰っていきパソコンの前の与えられた時間は僅かしかない、
明日提出予定の国民金融公庫の書類をこれから作らねばならなず、完全徹夜であろう。

それに以前から読ませていただいてたナッキーさんの日記の過去記事の拾い読みがいけない。
スン〜ゴイ時間を消化。実に自分の意思に反するときが流れた一日。昼間もそうであった。100KM以北の延岡からお出ましの方から携帯。午後13時から16時過ぎまで私の忌み嫌うネットワーク・ビジネスの話。
「市民会館に来てくれ!合わせたい人がいる。」
なんてエ〜ことはない昔でいうネズミ講のビジネスではないか。
8人目には日本の人口を超えるまさにネズミ算でそれ以上は増え得ない。よって泣き寝入りの被害者に代わる。
貧乏はしてても武士は食わねどと心持は恥の文化で高きものを矜持してるつもり。
つき合いゆえ仕方なく最後までいたわけである。水の改善の機械で33万円もする。何人かを集めればタダになり、凄き利益が手に入るそうである。
主催者は隣県大分のアナウンサー・なんか地位利用ジャン!
30数年の煩いの不眠症が不思議なる漢方の力で快報に向かい無睡眠症はない。
よってコーヒーも利用し無理強いに起きている。

漢字では珈琲と書きカフェ。なんかパリ・カルチェラタン風でヨーロッパの香りがする。もし可否と古い表記書いた人は相当の通人
言文一致で「墨東綺譚」の永井荷風はそう記しその中での。
コーヒー論が面白い。
「熱いのを喫するのが本当で、氷で冷却すれば香気は全く消え失せてしまう」
その荷風を獅子文六が小説「可否道」で皮肉る。「
「永井荷風なぞはコーヒーに山盛り五ハイぐらいの砂糖を入れたというから、コーヒー・インテリとしては下の部であろう」
嗜好品たるものであり、まっさか喫茶店が完全禁煙の世相ではその本筋がわかっていない邪道である。紫煙はつき物。オユルシアレ!
一日に一杯、毎日飲む人の肝がん発生率は、飲まない人の約半分とのデーターを厚生省が示した。
心理的な効果にとどまらず、肝臓にもなにがしかの効能があるようだ。

かってこのように味覚論を書いた。
コミュニュケーションの速さはゆったりと進むべき幼児期にどのような人間形成をさせていようことか。

8割が視覚で入ってきていると言う。他は2割と言うことになる。
五感たる目・耳・触・味・臭・のアンバランスの進展。
触覚の低下は人間関係にも及ぼしている。

触れ合う遊びはテレビ・ゲームに象徴されるものに置き換えられ、おしくらまんじゅう、や、ながうまなどのふれあいはない。

集まった人数が足りないとライトに打ったらアウト!なる特別ルールを作る知恵もない。特別ルールでの草野球もない。

青少年白書での友達とはの問いかけに
「最も配慮する人」となる。わたしどもがいかにアナログな古典的なる友たる「安心」はそこに基準はない。

激辛はせんべいやスナック類にも及び味覚障害者の蔓延化である。
ゆっくりお茶を楽しむ余裕はいろんな条件から奪われている。

なお獅子文六『可否道』は、茶道と同じように、「珈琲道」もあっていいじゃないかと、解く。

ヨーロッパにコーヒーが伝わったのは古いが、、広まったのは17,18世紀。バッハの『コーヒー・カンタータ』で窺い知れる。
コーヒー好きの娘と、なんとかコーヒーをやめさせようとする父親とのユーモラスなやりとりの名曲のカンタータ。
ベートーベンも大のコーヒー好き。いつもコーヒー豆を数えて挽いていたほどだと言う。

実にほほえましいではないか。
私のミルの豆の数もここに由来する。
何個ですって?60個、60粒。

ここまでを復活してみたがなんか違ってきてるのでヤメヨット。
コーヒーの味がさめ、香りの賞味期限が切れそうでコーヒーに失礼である。

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グリーン電力証券

2005年4月16日
苦節十年とか石の上にも上にも三年とか信念を問われる言葉がある。太陽光発電の廉価設置での普及は信念である。
それも業者をかなぐり捨てた狂気じみてる普及信念である。

お日様共和国なる自然エネルギーを志向する宮崎県内の組織があり会員140名とかを豪語する。
三年前の12月に西タチで発足したと記憶している。
そのときもそうであったがそれ以来業者なるレッテルを貼られ参加を拒否されてきた。
参加呼びかけ規約に相容れないとの理由からである。
やむなく遠くで見続けていたが昨年の西都とかの学習会とかを経てようやく警戒心を少しずつ取り除いてもらえた。
13時からの宮崎大学での講演会を経て19時から22時30分過ぎまでの懇親会に参加するお許しを得、至福の時間を過ごせた。
私はこの参加の瞬間から終了までは太陽光発電の業者ではない。
会員を希望する一市民に過ぎない。
なぜか。
再生可能エネルギーを求めるのはよい地球を子供に子孫に渡そうは人類の命題である。

62億地球船号に同乗するわれらの運命は巨大氷河を前にした豪華客船タイタニックの何時間前の状況だがほとんどの人が気付かず平成の大騒ぎに酔いしれてるに過ぎない。
この地球号に未来はなく確実に沈む。すでにサンゴ礁岩盤の国ツバル等は非難が始まっている。
この地球環境を守るにはもう時間がない。
あらゆる英知を寄せ集め無策のエネルギー政策の政府に変わり
この国の生活パターンを変えないと地球があぶない!

無限の宇宙の彼方にポッカリと浮かぶ不思議なそして美しき青き星。太陽との距離、不思議な角度、それらの総体としての生きるべき環境たる空気・水・重力等の存在を唯一持つ星。
そして一部の国の地下には250年の前まで手付かずの数億年の揺籃期を経た化石燃料。

イギリスでの産業革命を経て自動車産業の隆盛を見て、
ケツノアナさえ洗浄する素晴らしきアブラ漬けの快適ライフ。
一滴も取れないアブラをジャブジャブと毎日消費している摩訶不思議さ。
家庭では二人暮しでさえ食器乾燥機が昨年一番売れた電気製品とエネルギーは使い放題。
全てを化石燃料に頼り生活をしている。ところがこの国はまったくの石油を生産できないのにである。

講義の川内宮大教授
「ゴミは固体で見えるので問題化する。大気中に吐き出されたCO2などの流体のゴミは気にしない。本当は流体のゴミのほうが怖いのではないのか。」

この教授日本一のアジテーター。実にわかりやすき講義。アパデン宮崎の営業にほしき人材!
太陽光発電を必死で廉価普及してる私でさえこれには驚いた。目からうろこ。
「30年自転車で通ってるが車の人がほとんど。健康面でいかほどのこの差が起ころうや。」
「食べ物は旬を味わうべきでおせちにスイカはいらない。」
笑ってるのは私だけ。じつにわかりやすい痛快なる時間。

日本の電力市場再編の電力自由化は消費者の選択可能な電力市場の創設と地球温暖化対策とが両立することが急務で資源小国日本の特性を考慮したジャパン・ルールが必要となる。

それは、大規模集中電源を基盤とし、分散型電源・再生可能エネルギーをどう組み合わせていくか、という問題に集約される。師匠の言うコストの高いきれいな電気と安コストの汚い電気の差別化をこうりょのうえである。
 短期的視点重視となる自由化政策と初期投資額が大きい原子力推進策は基本的に両立不可能であり
、今後も原子力推進を続けるなら世界的同意が必要となる。
一方、自然エネルギー推進のためには炭素税の導入やグリーン証書のような財政メカニズムを織り込んだ仕組みが必要である。

2007年には全ての電力が自由化に向かうスケジュール。
消費者全てが自ら望む電力の種類を選択できる市場となる。
肝心な点は、電力会社の自主的行動にゆだねられている
「余剰電力購入メニュー」という現行の買取制度を電力会社だけでなく、社会的費用として国民全員の負担による制度にすべきことである。
超党派の国会議員(自然エネルギー促進議員連盟)による「自然エネルギー発電促進法(案)」
ではドイツ型の買取制度をめざし、電力会社による発電の買取を努力義務としている。

規制緩和の流れからいって行政の介入は極力排除すべきであるが、電気事業者に対し何らかの割当を課し、グリーン電力市場を創設しないと価格的に不利な自然エネルギーの普及は望めない。
PVネットはそこのところの端歩についた。グリーン電力証書での取引を始めたのである。

エネルギー資源に乏しいわが国は現状の国策たる美しき地獄の燃料の原子力をどう扱うかを含めたた長期のエネルギー政策をどのように考えればよいのか。

電力自由化は「良いとこ取り」を増やすこととなるため、ユニバーサル・サービスという供給責任をどのように考えればいいのかを考慮する必要がある。

 電気事業分野に競争を導入することは、価格をコントロールできなくなることを意味する。アメリカで起きた送電ストップが予測される。それはコストの高い自然発電電力導入可能となるための経済措置を打ち出す必要がある。
再生可能エネルギー発電を促進していくためには、環境保全コストを全ての人が応分に負担し、脱化石燃料が促されるような財政メカニズム設計が課題と痛感。
買い上げ価格の変動があったのではせっかくのグリーン電力証書がなく。所詮電力業界の手のひらで踊ってるに過ぎない。
清原の勝ちある3ランのイッパツ!これに尽きる。
英雄待望論はつらいときに考える呈のいい逃げに過ぎない。
地道に太陽光発電を増やすしかない。
あとは人の言うに負かせよ!ヘブライ人の格言に身をゆだねよう。

師匠と決め込んだジャーナリストの如き動く人。PCのマックのLC630かデックのHiNote Ultora? で専用リュックを完備させ、いつでもどこでもので講義中をもやっていた。

小林の見積は出来てるようだが、風力発電の見積はない。
必死さでやらねば生き残れない。もう一歩ではある。
○田家のアポは無理であったようだ。再会(サイチェン!)
まだ中国語講座をやってるのであろうや。
とも遠方からくるまた楽しからずや。

「 グリーン証書発行の流れ」

 グリーン電力顧客⇔グリーン電力買取機構 ⇔ 個人発電所
                ↑ ↓    自然エネルギー
               PVネット
                      発電(自前分)               
              グリーン証書
 
              グリーン証書
               の保有業務
              発電実績を証明

世界のCO2総排出量
 
米国 56.1億トン 24.4パーセント
中国 28 億トン 12.2パーセント 
ロシア14.4    6.3パーセント
日本 11.9    5.2パーセント
インド
ドイツ
イギリス
カナダ
イタリア
韓国
メキシコ
サウジ
フランス
オーストラリア 
ウクライナ
其の他 63.9億トン 27.8パーセント

CO2排出割合  増減
産業・・98  -0.02
運輸・・20  19.5
業務・・16  36.9
家庭・・13  28.9
其他・・13   -

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辛き日々

2005年4月15日
名は体を現すと言い、日本人の道の心に通じている。相撲道、華道、茶道はわかるが果ては、香道まである。
心と体は不即不離、心身一如といいかえられよう。ようするに究極は心のバランスでの健康の保持であろう。
これらの一つを極めれば、そこいらの易者張りの生き様に役に立つやも知れぬ。

わが子に名をつけるに当たり、画数とか強い音弱い音、何冊もの名のつけ方に関する著書を読んだ。
白雲幽石は大内兵衛の著書の随想集。長男の名はその中の漢詩をみ、原文に当たり、我流に読み替え過去の歴史上の人物を調べ名ずけた。
産科医院の退院ギリギリ役所への届出も含めてどうにかの滑り込みで子に名がつき事なきをえた。

名で身を立てる職種はいろいろあるが博識の達人たる作家は我がペンネームには熱い思いがこもっているハズと、思っていたが、どうもすべてがそうでもないらしい。
どちらかといえば手軽にユーモア感覚で付けたものも多い。

直木賞は菊池寛が文筆家の生活困窮と友情から定めたものと記憶している。
芥川賞はスッキリ理解できるが直木賞?誰でフル・ネーム、作品は・・となってしまうのが常人のはず。
三十三が最初の名。年齢であった。三十五才でこれでよいか。と落ち着いた。直木三十五の誕生秘話の本人の弁を読んだことがある。前に書いた三島由紀夫の富士の宿での編集者が決めた語りのようである。

資金繰りに.苦しんでいる状況を自らが生み出し、財布に二枚の札をありがたくおしいただく。
新五千円札の女性初のお札の日銀券の肖像の樋口一葉。本名は奈津で夏子とも書く
一葉はペンネームで、達磨大師が一枚の葦の葉に乗ってインドから中国に渡ったという伝説にちなんだものと地元紙で読んだ。 
一葉は二十四年の短い生涯を借金から借金で過ごした。
大師は壁に向かって九年の厳しい座禅で、手も足もないような姿になったという言い伝えも残る。
そこで大師のように「私もおあしがない(お金がない)」としゃれたわけだ。
シーガイヤまえにある、一葉うどんを現地の地名、一ッ葉(ひとつば)うどんとは私はどうしても読めない。
いちよううどんである。四国風で営業方針は三角茶屋方式のセルフで美人ママさんのせいか値段の割りにはうまさを提供してくれる。いでたちもこのようであったのであろうか。

もう一枚は夏目漱石の旧千円札でいまだ宮崎の地では多く出回っている。
漱石は、本名は金之助。中国・晋の時代、詩人孫楚の漱石枕流の故事が由来。
「石に枕し流れに漱(くちすす)がん」と言うべきを、
「石に漱ぎ流れに枕す」と言ってしまったが孫楚は誤りを認めない。
「流れに枕するのは俗世の言に汚れた耳を洗うためであり、石に漱ぐのは俗人にかみつく
歯を磨くためだ」と強弁。誰かに似て凄き頑固者、漱石は偏屈者という意味のペンネーム。

明治期の文語調から言文一致の現代文にした二葉亭四迷。
文士志望を知った父に「くたばってしまえ」と怒鳴られたのを、そのまま使った。なお、本名は長谷川辰之助これでは目立たない。。

迷惑をかけてるが私自身の給料は出そうもない。
国民金融公庫通称コッキンにいった。限りなき好意を受けての面談。
一昨日の財団はじつに大らかであったが流石にお役所の銀行で手厳しい。
宮銀○口さんは経営のあり方まで含め懇切丁寧な指導でずいぶんと違う
NHKラジオでのジャズを解説するイガイヤイガイの藤岡琢也と同じ姓で優しき言葉の中に刺す言葉を含んでいる。
給料が出てないなどとのところを読まれたらおそらくアウトになろう。この稿を担当さん読んでたら片目読みにしてください!

貧すれば鈍すまだまだ恥を矜持し、気高く武士は食わねど・・で生きて生きたい。
ロンドンの下町の貧乏育ちがペ〜ソス溢れた名優名監督のチャップリンとなった如く人生の肥やしとしたい。;「町の灯」だったか、年老いた男が盲目のバレリ−ナに微笑みささやく。
;「人生は素晴らしい、大事なのは勇気と感動である。」
どん底で人間の表裏が見えてくるのは私の心の襞になるのか

人生最大の苦渋で生きるのがいやなほどの経験を封筒に託して手渡し涙した。来月はこの徹は踏まぬ。
もちろん明日からの週末はない。

コリャ!我が事務所の守り神たる越の寒梅かえせ!
職人さんの世界はこうでなくっちゃ〜と臍をかむ。

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NHKラジオ深夜便の朝4時〜5時を聞いてきた。なかたのりおの名を聞いて数学者とわかる人は受験生の余裕があった人。
NHKの教育番組の名物講師をしていたのを知ってるからだ。
この話を書きたいが後日にしたい。時間が1時間しかない。

実は私にはこれまでズ〜ッと睡魔がこなかった。伝説的な不眠症。ナポレオンの3時間睡眠の上にあったほどだ。
それが、先月より愛飲の(代金未払いの・・バカッ)中国の秘薬そのせいで10時には睡魔が来て朝4時起床。
ナント驚くなかれ!不眠症の完治なんである。不治の病にどうにもことごとく効く。オット!医師法違反になりそう。よくなるやも知れないとか健康食品と書かねばならぬが法治国家。
兎角建前の国でまぁ〜まぁ〜の仲裁人が立ち入る寛容な国。
戦争なく60年も平和を保ってきた秘訣はそこにありそのような国がこの地球のどこにあろう。民族の英知である。
ところがどうにもここんとこの急激なタカ派色の政治。

ところで中国のことでご教示いただいたわからぬ語彙の類だがブログがある。大変勉強になった。
つまるところエネルギー問題に収斂,帰納せればいいとといっていい。手前味噌になるが太陽光発電の廉価普及である。

日本はくすぶってきた尖閣諸島の問題についに火をつけた尖閣である。
社会改革運動華やかりしころの70年代にも噴出していた尖閣問題。前衛を気取る中核の前進紙は前日尖閣を書いた
自社などの政治諸派は明確なる政治指針をしめせえず、解決を引き延ばしてきたのが今日の状況である。

地球誕生とともに尖閣の地下の化石燃料は数十億年眠ってきたのである。十月とうかの羊水に眠るがごとく生命を保ってた。
大陸棚で見れば、中国であり、そこから移動し日本列島を形成しているわが国から見れば尖閣は日本のものであろう。
海底資源の所有権は話し合いのうえの開発が基本であるべき。

中国の世情はにわかに危ない。デモは国家転覆も孕んで暴徒化してる臨国。
この時期に歴史認識の欠片もない小泉はガス田の試掘権を民間会社に与える手続きに入った。

中国による一方的なガス田開発に対抗するのが目的とのせつめいである。今時の日本人 は隣国の国々ほどの民族性を持った愛国心にかけている。一億総白痴化と言った大宅壮一なるジャーナリストがいたが。(映子のオヤジさん。)キナ草さはあっても偏狭なるナショナリズムにかける弱腰。な平和な大衆。

ところが権力のあまねくところ人々は蠢き合い歴史が作られてきた。過ぎ去った過去はノスタルジーに過ぎない。しかし民族的行動でみると過ちは繰り返してはならない。

歴史を検証し追い求める者は文学者や哲学者、象牙の塔の研究者の課題とすればいい。
私どもは生きてる生身。稼ぎ暮らさねばならぬ。
暮らしの中心たる持続可能な社会の基本はエネルギー問題に尽きる。

歴史を見るにつれ尖閣問題もコペルニクス的大転換を図るしか方法はない。そのキーワードはエネルギーでいい。
本質を解決するには現実問題として権力者にあまねくしかない。
権力には政治力を始めいろいろあるが宗教が歴史を決めてきた経過がある。しかし秘書飯島が糸引く政治に民族の合意はない。
ズバリ日本のアキレスケンを言うならアブラとレアメタル。

なぜか。国家で備蓄してる鉱物だからである。
つまり是がナイト日本国は立ち行かなくなる。

石油任せの車社会でさらに全ての産業構造はアブラ漬け。しかしながらアブラ一滴取れない。この摩訶不思議な国の毎日の生活。
アブラの出入りの行方はだいたいわかるが技術立国の基本は希少金属である。パソコン、携帯電話、液晶テレビなどに不可欠でハイテク産業の根幹である。

ところでそれはどこから調達しているのか。
中国からなのである。
国家備蓄品の中国産の多いこと。
果たして政冷経熱はいつまで続くか。
私の愛飲の品は中国国家のルートの民間外交の力で入手している。この組織のように民間外交ほど国家に貢献してるものはない。関係者のご努力には敬意を表するばかりである。
隣国ほど大切なものはない。

中国依存比率レアメタル類
バリウム・・・93・・パソコンモニタ-+
レアアース・・91・ハ+-ドデスクドライブ。携帯電話
アンチモン・・87・・・鉛蓄電池
タングステン・79・・・超硬合金
インジュム・・59・・・液晶テレビ。太陽電池
ゲルマニュム・59・・・ペットボトル
ビスマス・・・52・・・ヒュ-+ズ自動消火器
ストロンチュム42・・・ブラウン管
モンブリテン・28・・・耐熱ステンレス鋼
バナジュム・・20・・・高張力特殊鋼

一日が48時間あればいいのに。
どうにも時間が足りない。

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評決或いは評判

2005年4月13日
1970年は街頭デモの最後の残り火が70年安保、沖縄返還で燃えさかった。その35年前に「ディスカバー・ジャパン」と社会改革の価値観を個人主義価値観で置き換え日本の再発見に向けたさせた。その広告を手がけたは藤岡和賀夫。
1927年兵庫県生れ。東京大学法学部卒。電通PR局長を経て、八七年フリーのプロデューサー。
キャッチ・コピーはなにも糸井重里に一人帰するものではない。
さらに大衆心理や、流通、市場分析まで及ぶその道の草分け。
学問に昇華させた感をおぼゆるのは私一人か。

 日本の広告史を画したキャンペーン「モーレツからビューティフルへ」(70年)、「ディスカバージャパン」(70〜77年)、「いい日旅立ち」(79〜82年)などをつぎつぎとプロデュース。 広告の文化価値を確立。
テレビのテレビスペシャルやシンポジウム・ブームのパイオニア。

84年のベストセラー『さよなら、大衆。』(PHP研究所)は、成熟消費社会における少衆化現象、「感性革命」を摘出。“少衆・大衆論争”を巻き起す、企業の多品種少量販売戦略の理論的支柱

「モーレツはいわば王道として世の中を罷り通っていた……私にはそれがいやでいやでしょうがなかった」
この人の手がけた広告は、「国鉄は話したい」にかぎらず、すべて意見広告。

「モーレツからビューティフルへ」がゼロックスの広告だったことを知らずとも鮮明なイメージは誰もが覚えている。

 マスとして一括りにされてきた人々の意識下にあるもう一つの生き方への欲求を、代って言葉にした。
その延長上に位置したのが『さよなら、大衆。』。

「総企業対総消費者という構図が、そのままこの国の大衆消費社会の理解だった……大衆は、そんな構図からは消え去りたかったのだ」。

これからの大衆は「感性」を共有する「少衆」としてまとまる、との考え方は、そのまま稲増龍夫の市場分析「棲み分け理論」に受け継がれている。

これからの「生活再編」は何によってもたらされるのか。
「一人一人の『教養』(考える力)によって静かに、深く、そして着実に進行している」と藤岡。
「残したい日本の風景」のキャンペーンに取り組む。
里山や散居村など絶滅のおそれのある日本の原風景を紹介する。
私に言わせるならば資本の食いちぎった残骸の風景への惜別、鎮魂歌。

「年年歳歳、花相似たり」というが、花の咲く舞台は確実に移ろい、失われていく。神宮での出来事。
話を聞かずしての罵声はどうにも共通項。どのような時間が流れたのか。察するのも胸が痛む。誰かが食いちぎった残像。

池波正太郎の「人斬り半次郎」の描く中村半次郎は維新後の陸軍少々桐野利秋
京在日記,会津戦記、鎮台進言書、時勢論を残している。
京在では坂本竜馬暗殺の日のことが触れられてるが、研究し尽くされてはいない。また上田藩で薩摩砲術指南の赤松小三朗暗殺の下りは真拍迫る凄さがある。幕府軍仕官の意向があったゆえの二人係による暗殺。人斬り。土佐の岡田以蔵の悲惨さはない。
その粗野なイメージは西南の役を伝える浮世絵にも描かれた。

その粗野なイメージは西南の役を伝える浮世絵にも描かれた。
1677(明治十)年の西南の役を伝える浮世絵に、県内の場面が多数描かれていた宮崎の遊郭で桐野利秋が大暴れ。
従軍記者の電報を基に在京の絵師たちが描いた木版画。
佐土原城が陥落、延岡城に入城の西郷隆盛と、史実にない場面を、表情豊かに芝居がかって描いている。

綾町・酒泉の杜の骨董の館永井文庫が51組153枚を所蔵。
「綾蔵春まつり」の十日、初公開。当時の東京の庶民の目で、西南の役を見詰めている。

自者と他者の違い、落差には責任感の視点から問われなければならない。他者に迷惑をかけての将来はない。

知らぬ間の評決がされてるのではどうにももどかしい。
権謀術の海千山千がまかり通る太陽光発電の世界に生き残れるか。ここんとこが山場の胸突き八丁。
宮銀、国金と周り遅まきの決断。トップ不在の組織は呈をなしていないゆえ。図太い神経、骨太でなければ生きられぬ。
それにしては如何様に生きていくのか。

名人戦将棋の3年越しの対決の緒戦は羽生4冠が名人森内を福島の地で制した。さらに、34歳で900勝の新記録。確実なる復活。
次は伊勢神宮の三重県。

勝てば官軍、評判は後でついてくる。ホリエモンの傲慢さを寸分デモ見習わねばならぬようだ.修羅での評決を受けるよう邁進せねばならぬ。

熊本の連携が本日終了、日向の二件、木城、西都は10日に終えた。野尻をやり過ごすわけには、行かぬが所詮間に合わぬ事後処理。
転ばぬ先の杖とか言うが余裕があってイイワ〜な〜。
全てにいえるが終わったことは取り返しがつかぬ。
平常人は誰でも二の足を踏むのが人生哲学。
幕末をリードした水戸学、陽明思想など乱世のものである。
さらに言えばここは日向ぞ!大過なくの国。
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深い事情

2005年4月12日
韓国、中国で反日感情が噴出している。
キーワードはなにも靖国、教科書、竹島、尖閣だけではない。

アナン国連事務総長が先月、包括的な国連改革案を発表し日本の常任理事国入りを示唆した事に端を発する

ところが、米国、ロシア、中国の3カ国がこぞって拡大に消極的。
そこで常任理事国入りの日本スケジュールはドイツ、ブラジル、インドと組み改革案を決議案を作成する。
担当大使に北朝鮮と渡りあった中山恭子元内閣参与を任命。
小泉唯一の人財の外交カードをきった訳だ。

簡単なことであろう。金はらッテル奴が強かろう
国連経費の日本の分担金比率は過去一番であった
不況つづきで米国の22%に次いで19%。中国は2%にすぎない。

イギリスのメデアが国連改革について世界23カ国の2万3000人を対象世論調査を実施。
その中で安保理の新常任理事国としてふさわしい国として56%がドイツを、そして次に54%が日本を支持した。

ところが中国ではインターネットの反対署名は1000万人分を超えた。署名活動も北京など大都市のほか、保定、鄭州など地方都市でも行われた。運動を扇動しているのはサッカーアジア杯で観客に反日ブーイングをさせたグループ

運動の主体となっている若い世代が、自分たちを「憤青」(怒れる若者たち)と自任。反対の感情は日本人攻撃の投石騒ぎに発展
反日運動という排外的民族主義の外衣の下に現体制への不満や批判が渦巻いていると新聞での解説である。
近隣国からの反対はつきものだ。

出遅れでも、歴史認識問題に解決の道筋をつけておかなければならない。常任理事国入りは単純な算術ではなく、日本の外交総力が問われているのでまるで人ごとの小泉政治では無理である。
武士はただ一人の綿貫ネェ〜

主にアジアでの支援金のODAの技術協力は05年度予算で1507億円と、外務省の無償資金協力予算の
1765億円。これが10以上の官庁で実施し、国民をカムフラージュ

もらってる中国、韓国にその認識はなく,はらッテル日本人は誰も知らないみたいな状況。
国の借金は700兆になってるのに、なにが支援だ!
だいたい、なんに使われてるかもわからない者さえある。

世界全体で年間1060万人が5歳未満で死亡し、妊娠・出産に伴って死亡する女性は年間53万人
世界の年間出産件数1億3600万件のうち330万件は死産で、生まれた赤ちゃんのうち400万人は生後28日以内に死亡している
そのトップのくにはどこか。まア〜人口対策と中華の国は切り捨てるだろから釈迦に説法。
使うべきとこに使ってこそ生きる金。ODAてエ〜そうでしょうヨ!

福岡を中心にして活動するベルポ会はその中国から友好のシンボルとされている。
お礼で取り扱いの中国の品々にその全てが象徴されている。

人間と動物は多くの自然治癒力があるが胚糖体大豆イソフラボンを摂取すと言いと読んだことがある。
その効能は何よりも私が証明している。
宿阿の不眠症が完治状態。10時に睡魔が襲い4時起床。今書いているのがそれだ。今朝はサム〜イ!テンションあげよっト!

春の唄 ♪
作詞 喜志邦三 作曲 内田 元

♪ラララ 紅い花束 車に積んで
春が来た来た 丘から町へ
すみれ買いましょ あの花売りの
可愛い瞳に 春の夢

♪♪ラララ 空はうららか そよそよ風に
春が来た来た 町から町へ
ビルの窓々 みな開かれて
若い心に 春が来た♪♪

胚糖体なるものがよくわからぬが、凄い含有量の薬事法での健康食品。法は書き方ひとつで犯罪になるのでイソップ童話で語るしかない。

会社事情もある意味それが必要なのかもしれない。
大阪よりお目見えになり現地調査。TOTOの資料を集める。
元請さんに伺うが不在。

兄からの自己反省の強力なる暗示。
エゴ、自分の都合のいいのみの人生を猛者さる。

隣国とのトラブル状況の解決法と同根。
どうにも宗教の世界観の域のようである。

最下位に喘ぐ巨人状態。阪神にさえ負けてヤラ〜
5回の満塁弾、金本か〜ほしい人材である。
苦しいな〜ランナーに出た以上簡単には死ねない。
観客は大勢見ており、恥の大儀もある。 
まだかなぐり捨てるわけにはいかない。

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無念!

2005年4月11日
夜9時過ぎに、来客との打ち合わせを終え、神宮に走ると霧雨の絹糸ぎみの雨。ほほを伝うは涙雨。
さくらもこれで終えようが、今年のサクラほど、つらくさいてるさくらもなかろう。見方心構えで風景も天国と地獄。
ひとの心象心理は複雑怪奇。
オーラがでてる人のパワーには、怪しささえ感じるほどではどうしようもない。

午前中の時間はまったくない。
約束を急に果たそうとノスケジュール調整はむりがある。

営業をしていただく方々にアポなしで時間を汲まねばならぬ辛さったらありゃしない。

ヒエ〜!悲鳴をあげたい。
これでは進まぬ。エコを持ち出す際も立ち会う暇もない。

ところが三○さんより新築の話をいただく
外回りを始めた方もいい話をもっつてくる。

延岡、○村先生と千客万来はてんてこ舞い。
福岡の手配をする。部材のハッチュ。

も一息で凄いものになる。
時間がなさ過ぎるのは、計画のなささでもある。
与えられたポジションは試練を与えられていることでもある。

なぜ生きているのかのつまるところの結論と同じである。
何が何でもやりぬく気力。

役割は天賦の役割。都合のいいことばかりでは致し方なく、悪いものから取り組むべし。

おこりうるものに真正面から取り組むこと。
そこに人間的成長も起ころうと言うものだ。

大きくなれば信用がつき話も進む。
心からの理解者でナイト時間がかかる。
しょってる大きさ小ささで使う時間の無駄と有意義。

遽しき

2005年4月10日
どうにも日記に取り組む時間さえとれない。一日遅れの朝である。ほんの少しだけ1時間だけ自由の時間の12日のあさ10日のことを書く微妙さもまた楽しきである。

きめ細かなものにするには師匠と決め込んだジャーナリストの如き動くPCのマックのLC630かデックのHiNote Ultora? で専用リュックを完備させ、いつでもどこでもの体制が必要であると痛感。

10日の朝6時9分発の特急にちりんで一路延岡にむかう。さらに筑紫のくにを車でめざす。
田舎ではJRとか電車の言葉はいまだに定着していないとの私見。

ではなんといってるか今だ田舎では汽車なのである。
田舎では車がないと生活はほぼ成り立たぬ。
国道10号線が昭和45年ごろと同じでなんら交通事情の体系は微動だに変わらぬ交通無策。

それに比して福岡のこの状況変化は何であろうか。
手塚治が描いた近未来の社会がここに存在している。

一定のリズムがゴットン、ゴッツトン心地よい
人為的な機機械音は不快を伴うが羊水の原点音のごとくチャッツプンちゃっつぷんとよくにているやも知れぬ
。車音の騒音では閉口この上もない。
感覚は恐ろしいもので嗜好品たる紫煙とSUNTORY・BOS・PRESSO全体をコーヒー豆が覆っているパッツケージがいい。
ブロンソンよろしく或いはマッツカーサーを彷彿させるキセルをグーッツとくわえたワンポイントの心を和ませること。
嗜好品はこれでなくっつちゃ。

川南、都農初代神武のお船出の地美々津から濃霧。
この地は分岐点であるようだ。

♪♪さ霧消ゆる湊江(みなとえ)の
舟に白し、朝の霜。
ただ水鳥の声はして
いまだ覚(さ)めず、岸の家。

烏(からす)啼きて木に高く、
人は畑に麦を踏む。
げに小春日ののどけしや。
かえり咲(ざき)の花も見ゆ。

嵐吹きて雲は落ち、
時雨(しぐれ)降りて日は暮れぬ。
若(も)し燈火(ともしび)の漏(も)れ来ずば、
それと分かじ、野辺)の里。

情景の移ろい車窓の両脇の朝霧の凄さについ口ずさむ。
歴史的にも大友VS島津。西郷軍VS政府軍とこの地で分けあっつた。
メロデーは凄い彼方にあるものだ。

海にむかっつて、はいつくばっつて家々がむらだっつている。
鎌倉稲村ガ崎の海に向かう高台に文人がこぞっつて集い、くらし、た姿がこの地にもうかがい知れる。
国道10号が丘の上を走り、一直線に北に伸びるにそっつて鉄路も伸びる。
風景は車では味わえぬ趣きで佇んでいる。
この霧では、高千穂、高森峠は抜けきれるか。
まつたくの濃霧。視界不良。日向駅付近もまっつたくの濃霧。
昨日は29度もあっつた言うがこの気にしての異常気象に驚く光景である。お日様は早くも15度ぐらいに位置している。

延岡から相乗りさせていただき一路福岡。
アクロス福岡。会議のみのビルが存在している大都会。
会場費は幾らかかると言うのか。
もっつたいない。が駐車場地下4階を持つ便利さのため選定されるのが都会人。われらの常識は非常識が都会なんである。

研修はじつに楽しく、黙想してて聞いていたが睡魔が正直押し寄せてはいた。

その後西区に空を飛ぶ感覚で飛んでいく。都市高速はまさに手塚治の30年代に描いたとしがそこにある。

ドームをやり過ごし、お客さんたるお家内では歓待を受ける。
ウナギ、百年の孤独の秘酒さえ封切られる。

4KWの太陽光発電の契約が決まる。オール電化も完成である。
風呂、階段と改造もしていただく。

熊本により、午前1時に延岡につく。あさの5時までの時間稼ぎを経てようやく11日のあさ7時まえ宮崎駅。

山○さん宅で工事費を借用させていただき、風呂改造の知恵を借りる。唯一のシンクタンク。

スイスの海軍省・ソ連の文化省という。
ソ連の高官がスイスの高官に
「貴国に海軍省ができたんですって?」と聞く。
これに対しスイス高官は
「お国に文化省があるのと同じですよ」。

この職人さんを遣り上げた方は百戦錬磨。
言葉一つ一つが、重く含蓄がある。
孤立無援の身なれば厚き人情にも頼りっつぱなし。
人生を教えるにはこの人の喋り方をすればいい。
歳時記にある今日は何の日を見ていたら次の記述があった。

初の集団就職列車が上野に到着(1939)
 1939年のこの日午前6時56分、秋田からの高等小学校を卒業した 584人の少年を乗せた列車が、東京・上野駅に到着した。これが集団就職列車の初めといわれる。

戦後のものかと、思い込んでいた集団就職列車は戦前からであつた、あくない資本の集中から来る利潤を生み出す装置の始動である、詰まるところ環境破壊の要因である。
  
昭和30年友を30k近く離れた高鍋の駅で見送った。懐かしきオールデイズ。
次郎物語、にあんちゃんの映画世界を彷彿、ダブラセテイル。

来客である。

久留米

2005年4月8日
春は曙、ようよう白ろうなりて・・・と古来書いた人がいた。
まさか、わが巨人軍を次に掲げようとは。

○巨人6ー4中日●
これぞ野球界の歴史上の最高の9人 巨人が逆転で本拠地初勝利。上原は川上ケンシンとの同級生対決を制した。
あの小久保が今季1号となる通算8本目の満塁弾。三回1死満塁。2―3のフルカウントごのアーチ。
値千金。ついにでた!真打のご登場。投手以外は誰でも4番!の豪華メンバー。
さらに今日のニュースから会社運営を考える。

三洋電機は創業者の井植歳男の孫の井植敏雅副社長(42)を社長に据えた。
さらに社外取締役に元NHKアナの野中ともよ(50)が就任。
井植敏会長(73)は代表取締役にとどまる。太陽光発電パネルは救世主なのに。

あのミニ・クーパーの名門自動車メーカーのMGローバーがついに倒産してしまった。
この車は二代にわたり私の愛車であった。燃費消費量がよかったし
、ロンドン、パリに一番似合う風景が忘れららづに、愛用したものだ、中国の企業さえ拾わぬようでは仕方ない。

今日のこれらのニュースには私どもの太陽光発電事業の今後を占う上で参考になることしきり。

福岡より夕方お目見えになる。集金があったはずだが私は文無しで武家の情けで無言のお許し、7実に申し訳ないことであった。

ナント久留米にお母さんが健在のようである。早速IHクッキング・ヒーターを設置されるよう進言。
歌手として独特の領域の松田聖子とは同じ高校生であったとか伺ったことがあるお嬢さん社長。

久留米はなにもツツジと独特の風合いの久留米絣と決め付けられるものではない。
勉学の地でもある。久留米医専はその倍率以上に歴史の重みがある。真木和泉は漢方・蘭ぽう医工藤謙同と親しく、外国の事情にも通じ久留米の医学刷新に盡し久留米藩医学館の生みの親

この国を形作った明治の維新の立役者を生んだ県である。
久留米?ナニッ?薩長土肥で佐賀で肥前とか久留米藩は維新には関係ないハズ。
であろうか。尊王攘夷の御旗は吉田松陰と真木和泉につきる。
勉学のはじめは水戸にあり。いずれもそこで学んで開花した。

久留米の水天宮は全国水天宮の総本山。東京の水天宮さんもここの末裔。この水天宮の22代神官が真木和泉、
なぜに維新の思想をリードし得たのか

福岡県久留米市瀬ノ下町で生を受け
藩校明善堂で学び、江戸・水戸に遊学し尊皇攘夷を唱える。
帰藩後藩政改革の建白をして執政・有馬監物らの排斥を図るが失敗。蟄居中に「大夢記」「義挙三策」などを著し、尊穣実践に理論的根拠を。文久2年(1862)、脱藩。
島津久光の挙兵上洛を機に倒幕挙兵を図るが、寺田屋騒動で捕らえられた。
翌年、許されて上洛。尊穣派の中心人物として活動。
8月18日の政変後、七卿に従って西下し、その後は萩藩の尊穣派とともに行動した。
元治元年(1864)久坂玄瑞、来島又兵衛らと上洛して”禁門の変”を主導し、敗れて京都天王山で同志16人とともに自刃した。辞世句
大山の峰の石根いわねに埋めにけり
わが年月
志と顛末と名声の歴史的取り扱いが西南戦争で西郷に恂じたわが日向の偉人小倉処平とダブル。

なぜかこの地は日向と結えあえるお殿様の有馬家の領地であるからであろうか。

キリシタン大名として名を成した晴信の時に全盛時代。
葬儀中のローマであるが、かの地へ天正訪欧使節の伊東マンショと供に、有馬ジュリアンを4人の一人に加えさせた。

九州・筑後国・久留米は関ヶ原の戦までは、毛利家の所領地。その毛利氏は関ヶ原の戦で敗れ、除封された。

有馬豊氏が関ヶ原の戦功で久留米藩を立藩し、筑後国・久留米へに入り始祖とする。

関が原の戦では、東軍に組した。関ヶ原の戦で東軍となった豊臣大名は、論功で倍増以上の加増を受けたが、
その後は理由を構えて改易となっている家が多い。そんな中で、有馬家は移封をしながらも明治まで家を守った。

久留米から移封で宮崎はは延岡藩に1814年に5万3千石で着任1691年に越後糸魚川に移封。1695年越前丸岡藩。と転地。まるでサラリーマンの先駆をなしつき物の転勤が如きを見る想い。

久留米つつじの元祖は三代家光の花殿様時代に霧島つつじを改良したもの。その代表花たる錦光花を祖としてるといえよう。
霧島ツツジを人工的に種子を播いて、沢山の変り物を育てる技術で飛躍的に改良された幕末の頃。
取り組んだのは、久留米藩の武士(御馬廻役、三百石取り)の坂本元蔵。
霧島に熱中した坂本元蔵は、沢山の色、花型、枝変りを根気でやり遂げた。
固有名詞としては明治27年に赤司廣楽園の久留米榔燭誌に由来する。

久留米カスリは井上伝の伝えたもの。
天明8年(1788年)通外町の米屋の娘で、この地方の婦女子の教育たる機織りを習う習慣通り育つ、
生来器用で幼にして木綿機にたけ 常に研究を重ねついには「加寿利」を考案した。井上家に嫁いで「;久留米原古賀織屋おでん大極上御誂」の商標で売出し好評を博し
た作業場を設け多くの子女を養成、招かれては近郊に出張教授するなど久留米絣の発展に尽くし明治2年(1869年)82才で死去

女性の近代産業への脱皮へ力強い実践者を19世紀の封建時代を考え合わせると驚嘆に値する
ベルポで活躍される今日のお客様の如きで、女子優位の先駆をなす。この方の血筋ではなかろうな。

東芝創始者田中久重、ブリジストン・タイヤ創始者石橋正二郎
27歳での夭逝の青木繁を生み、坂本繁二郎もこの地。
競輪の中野浩一、坂口征二をうんだ勝負士の地でもある。

三百年前は筑後川を千歳川と呼んでいた
戦後の初期民主教育のわれらには兄弟の兄たちの影響もあり軍国教育が沁み残っている。
軍艦千歳の威風をスケッチした。筑後川は別名千歳川。その名を取って命名されたもの

いつよりの千歳かわかぬ千歳川始めも果てもなき名なりけり

敗戦の色濃い、戦局を一挙に挽回せんと威風堂々と死に地に向かう姿と指揮官は宮崎は高鍋の人たる小沢治三郎を思うと今の状況の私とダブリ感涙。

全てが私の元にくる。昨日の西都九電工の職員が即今日、違う形で伝えそれを鵜呑みにする輩もおり、あって話そうと懇願するのに約束を平然と破り私を攻める。ソンナノアリ?

午前2時近くまでお客さん。資金繰りひとつ進まない中多忙すぎる。メールにて太陽光発電の師匠より厳しき指導。詰め込み教育!実に勉強になる。ちなみに授業料無料。

お医者さまたるNacky先生さえ、医者にかかると読むとホッとする記述。癒しの名文章である。
タスケテクレ!だれも久留米〜
負けてたまるか孤軍奮闘の真木和泉がパワーをくれる。

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主流なるもの。

2005年4月7日
大メーカーさんは流石に打てば響くで、動くのが早い。
100kw太陽光発電設置の報告に早速、お客さん宅訪問。
これが一流企業と三流の差、入手情報・即ビジネスである。

それに比べ知りえた情報で人間的にどうかと思える使い方。
影で利用するだけでビジネスでもなんでもないただ、チクル類の人々がいる是は怖い、怖い。。

かって新車を買うと傷をつける輩がいた。何の利益も生み出さない単なる愉快犯。
人間の奥底に潜む悪の成熟度でみるなら泥棒のほうがよっぽど人間性がいい。
下衆、外道、人間の皮をかぶった獣にしか過ぎない。

憎まれ役は得意だが、そうまで恨まれる覚えはない。
げに恐ろしきは人の恨み。恨み情念は恐ろしい。

これではうかつに情報は教えられない。
考えるにつれここまで出来るものであろうか。
病的な連続の仕打ちに尾羽枯れ果て、飛び立つ勇気さえ奪う非道なる行為。

身から出たさびだけでは終わらないだろう。
告発して身の証を証明セルしかない。
いやはや百万騎、転じて刃を向けらるればこれほど怖いものはない。

歴史で今の職種を考えてもそうである。
生き残り策を生じたるもののみが残った。

毎日教えをこいでいる日記がある。最高の職種たる医業のつれずれの端々に興味深い。
先日の処方箋の書き方。ウン!うん!と頷いて開陳される医療業界の情報を租借、帰納ている。

この医業でもそうである。かって明治期以前はこの先生の職種は主流でなく異端である。先駆をなしたる橋本佐内や高野長英等々それぞれ為政者の手で殺害された。
あくまで天下王道を歩いていたのは漢方であった。

新政府が成立するや全てが欧化政策。医業もその波にさらされた。
時の医業の主流たる漢方業界とのせめぎ合いで漢方勢力は負けた。医師法が定められ漢方治療は「医師法違反!」で処罰。
完全に立場が入れ替わった。

吉益東洞、森道伯らの激動期の漢方の名医は困窮時代にそれどれの内職で切り抜け、名著を残した。

一貫堂医学で、森道伯が晩年に至って臨床体系を完成したところの、三大証の分類と五処方の運用。
三大証とは?血証体質、臓毒証体質、解毒証体質をいい、?血証体質には通導散臓毒証体質には防風通聖散、解毒証体質には年齢によって柴胡清肝湯、荊芥連翹湯、竜胆瀉肝湯をあてていえう。

体質と疾病との因果関係を明らかに掌握することができ問診や触診をしなくても、その患者の既往病および将来罹患すべき疾病を予知することができる。

NHK深夜便を眠りながら聞いていたが感じたことを書き記すとこうであろうか。
曲直瀬道三(まなせどうさん)1507〜1594

安土桃山時代の医学者。明から帰国した名医・田代三喜に入門して、李朱医学を修得。京都で国内初の医学塾「啓迪院(けいてきいん)」を開設。

随・唐風の古い治療方法に頼っていた当時、病人の症状を診察して適切な治療方法を選択する、実証医学的な手法を取り入れた人物として知られる。

将軍足利義輝の侍医として厚遇を受け、毛利元就を往診するなど全国で活躍。晩年には、その教えを簡潔にまとめた「啓迪集」を編纂するなど、後継者育成に尽力した。

その医業術は 二代目道三の曲直瀬玄朔に受け継がれ代々医業に挺した生活を送った一族。

汚名を受けての挽回策は普通の営業の何倍のエネルギーが要る。ここんとこ身に沁み込んでいる。

熊本の工事は基本的にやり直しのほうがいいようである。
夕方大変な話で持ちきり。防戦はつらい。

身の覚えのない守勢。太陽光業界は実に狭くチリモミリョウの世界。主流と本流でのせめぎあい。

中には大人物も居られ隣国からのお土産はTHISの1カートン。
この不安定なる四角にブルーと濃い群青色は最高の嗜好品のデザイン。

法徳寺は韓国北部の高麗時代の1300年前の名刹。
自然発火か山火事で焼けた。異常乾燥が原因らしい自然の猛威のしっぺ返しが大陸では顕著。報道されたとは思えないが、どうにもその視点からの国策はないゆえか。

四季があり、水の困らぬ国にはわからぬ異常な気象が隣国では日常化してることの証左である。

自然派の主流に太陽光発電を据え置くことは、今に主流となろう。
師匠からのメールを読ましていただく。
主流になりえる、太陽光発電の、きれいな電気と汚い電気!
国の買い取り補償でエネルギー問題の主流に躍り出たい。
福岡での工事も入りそうである。

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逆転

2005年4月6日
これですよ!これ!この醍醐味こそ、ザ・ベースボール!延長での選手会長ヨシノブの価値ある一発!

逆転、突き放しこれぞサッカーにない野球の楽しみ。
ザマーミロ!テンダ。トリニータさん?(そこにふるな!)
上品さに欠けてます。うどんさんにお里が知れると嫌われます・・スミマセン(汗)

実は正直、この三連敗で精神は臥せっておりました。
宮崎キャンプで鍛えなおしていたんですけど。・・・

5月を早めに鯉に3ッものご馳走をやってては、どうしようもない。宮崎では早めのこいのぼりが早苗に、甍の屋根をバックにと浮かぶこの季節は世界に誇れる日本の原風景。鯉も勢いづくわな〜。

清原4番で決まり!大船に乗っておりました。毎日がオールスターをみてるようなもの。
後世の野球ファンはうらやましがるでしょう。凄いメンバーですもの。

清原はあと8本で生涯500本ホームラン。
長島、田淵、大杉を超え、王、野村、門田、山本、落合、張本、衣笠の次まできた。
落合が510本、8月には抜き去り、歴代5位は射程距離。怪我に泣くなと祈るばかり。

記録が取れれば、チームも勢いが出よう。連敗があればこそ、逆境バネが働く。
チームゆえ勢いがつけばなんテェことはない。
大リーグで4番を打つゴジラが二試合連続のアーチを含む猛打賞
影響してないはずはない。

私どもにも逆転が出そうである。
信じられない話をしてきた。

100KWの太陽光発電計画である。
NEFの補助などを説明し、大枠のご了解をいただく。
宮崎一の太陽光発電所を私どもの手で建設できるやも知れない。驚きと興奮!まさに大逆転!

パワーをいただき、佐土原町をまわる。
確かなる感触を得た。好転してくると是である。
天国と地獄の繰り返し。神を求めたくもなる。

実に苦しき日々が続く。昨日パネル工事の現場の電気工事を終える。細分化した力を何とかまとめえてのチームプレイに徹したい。

逆転は何も野球の世界だけでなく太陽光発電の仕事でも出来えぬ事はない。

全てにわたり言えることである。
ようは日々怠らぬ、たゆまぬ努力。
地球環境を守る大命題に従えばなんてェことはない。

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二十四節気・清明

2005年4月5日
地域一面の田んぼは満々との水が張られ稲穂が植わってるが水のみが視野に入るまさに水田とは言いえて妙、よく言ったもの。
瑞穂の国は二十四節気で呼びあらわし、今日は清明。この日から穀雨までの期間である。

桜は満開、草木の花が咲き始め、物がすがすがしく明るく美しく、清朗の気が溢れて来る頃を言う。三月節とも言うそうだ。

天文学的には、天球上の黄経15度の点を太陽が通過する時。
この日の前日は「寒食」といい、火気を用いない冷たい物を食べる習慣があったそうな。ソレガ、ピッタシだから驚き。

高島暦便覧には「万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれるなり」と記されている。

さまざまな花が咲き乱れ、お花見シーズンになる。この日に近い旧暦の4月1日は衣替え。

中国で清明節は祖先の墓を参り、草むしりをして墓を掃除する日。よって「掃墓節」。
また春を迎えて郊外を散策する日であり、「踏青節」とも呼ばれた。

『白蛇伝』で許仙と白娘子が出会ったのも清明節でにぎわう杭州の郊外。映画では水上勉原作で小柳ルミ子の姿態に酔ったものだ。

また清明節前に摘んだ茶葉を「明前」、清明から穀雨までの茶葉を「雨前」、穀雨以後の茶葉を「雨後」という。
中国で茶は清明節に近ければ近いほど上級とされている。
さすれば新富で注しいただいたお茶は道理で甘露。
最高の贅沢であったわけだ。初物は東向いて笑え!

七十二候で清明の期間の七十二候は以下の通り。

初候
玄鳥至(げんちょう いたる) : 燕が南からやって来る(日本)
桐始華(きり はじめて はなさく) : 桐の花が咲き始める(中国)
次候
鴻雁北(こうがん きたす) : 雁が北へ渡って行く(日本)
田鼠化為{如/鳥}(でんそ けして うずらと なる) : 熊鼠が鶉になる(中国)
末候
虹始見(にじ はじめて あらわる) : 雨の後に虹が出始める(日本・中国)

前後の節気から順に春分 → 清明 → 穀雨となる。
二十四節気
立春 雨水 啓蟄 春分 清明 穀雨
立夏 小満 芒種 夏至 小暑 大暑
立秋 処暑 白露 秋分 寒露 霜降
立冬 小雪 大雪 冬至 小寒 大寒
清明(せいめい)は二十四節気の1つ。

清明が仕事を呼び込んだ。月見が丘で屋根寸とり。
大家さんからの明日の予約行動。

昨日のご注意を受け熊本の件で朝はてんてこ舞い。
井上邸のパネル工事。心配をよそに3人で上げきる。

清明はその名のとうり実にすがすがしい。

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宗教心

2005年4月4日
権力のあまねくところ人々は蠢き合い歴史が作られる。
過ぎ去った過去はノスタルジーに過ぎない。

追い求める者は文学者や哲学者、象牙の塔の研究者の課題とすればいい。
持続可能な社会の基本はエネルギー問題に尽きる。

歴史を見るにつれコペルニクス的大転換を図るしか方法はない。
そのキーワードはエネルギーでいい。

本質を解決するには現実問題として権力者にあまねくしかない。
権力には政治力を始めいろいろあるが宗教が歴史を決めてきた経過がある。

大ヨーロッパ、大欧州がアメリカと拮抗する力となっている。
指導権をめぐりフランス、乗り遅れた大英帝国と優劣がつき始めている。

63億の民のうちカトリック信者は10億人を超える。アメリカ、イギリス 、フランス、ソ連を含め国連常任理事国のほとんど国々の宗教であるゆえその影響力は計り知れず、、世界語たる言語の英語の存在に似ている。

その頂点はイタリア人占めてきたことにこの国の成り立ち起源までさかのぼることができよう。もうひとつの権力国であるイタリア。全ての道はローマに続く。の支配者の遺産であろうか。

 ところで巨星落つ!の訃報。84歳で死去したローマ法王ヨハネ・パウロ2世.

「第264代に当たる現ヨハネ・パウロ2世はポーランド出身で、1522年選出のオランダ出身のアドリアーノ6世以来
456年ぶりにイタリア人以外から選ばれた」ローマ法王。

ヒロシマ・ナガサキの人類の地獄の兵器を現地で見聞きし、「核」の絶対反対の立場を貫いた平和の使途であった。

「宗教と政治」とのテーマに取り組み、自ら政治問題に関与した「闘う法王」。そして少年を育てるやさしさ。

織田信長時代の訪欧使節の責任者は若干15歳の少年であった。
その伊東マンショの遺徳により、ローマ正史記載の表現を借りれば西都の「トノクリ」の少年たちも法王に会った。都於郡のわたしの同級生の息子も含まれている。

なぜこうも業績を残せたのか新聞から拾ってみると成長過程の環境にあった。辛酸をなめた故国ポーランドの歴史の裏返しである。

1920年のポーランド南部に生まれ、幼い時に母親が死去した。その後、妹や兄、父を次々に失った。
世界大恐慌、ナチスの台頭、ドイツ軍侵攻、独ソ戦開始も含めて、ポーランドが歴史の荒波にもまれた時代の全てを経験した。

人間の尊厳と生命の大切さを訴え続けた背景に、こうした悲しみの時代への心の痛みがあることは想像に難くない。

法王として初めてユダヤ教のシナゴーグ(礼拝所)やアウシュビッツ強制収容所の跡地を訪問した。
第二次大戦時のユダヤ人大虐殺(ホロコースト)に対し、カトリック教会は見て見ぬふりをしたのではないかという反省と謝罪の気持ちを表した。カトリック教会の歴史的な問題点を率直に問い直し、ユダヤ人や南米先住民への迫害を謝罪する一方で、異宗教間の交流や東西キリスト教の和解を訴えた。

 戦争の恐ろしさと悲惨さを知り尽くしていた法王は、91年の湾岸戦争や03年のイラク戦争を批判した。また、人間の尊厳を軽視する政治体制への批判を繰り返し、寛容の精神に基づく社会改革や変革を求めた稀有の人。

 ポーランドの自主管理労組運動の精神的支柱として、同国の社会主義政権が崩れるきっかけを作った
これが「ベルリンの壁」の崩壊につながり、ソ連・東欧社会主義体制の大崩壊へと発展。
こうした世界政治の激動は、法王の存在抜きでは決して語れないものである。

 その一方で、「資本主義は勝利者となり得るか」と現代経済の在り方に疑問を呈し、
グローバリゼーションについては「途上国の貧困を招いた」と批判。

 政治問題では革新的な立場を取り、従来の教会の枠にとらわれない、カトリック的世界観の変革と拡大を打ち出し、人間の生命に関する倫理問題では保守的路線を貫き、妊娠中絶や安楽死に反対し、エイズ予防のコンドームの使用にも反対した。

法王の生きた時代は激しい殺りくと戦争が繰り返された。人間の価値がおろそかにされ、暴力がまかり通った。荒れ狂う時代の流れに、声高ではなく、静かに、穏やかに異議を唱え、命の大切さを訴えた法王は、カトリックのみならず平和を求める人々の間で大きな存在感を持っていた。

ザビエルの鹿児島上陸が1549年。
今年のセンバツの球史に奇妙なことが起こった。

優勝戦は愛工大名電たい創部3年目の鹿児島神村学園。
日本一元気な名古屋その元気のもとは三つ
世界に通用する利益が一兆円の唯一の巨大企業、トヨタ自動車の隆盛が第一。
環境博の「愛・地球博」。
それに合わせた中部国際空港。
国際線と国内空港を有機的につなぐ日本初のハブ(拠点)空港。

三拍子そろえば活気づくのも当然でイチロー、ジャイアンツの工藤の母校の愛工大名電の4年連続8回目の出場で獲得した初の栄冠。春の女神の粋な采配のこと。江戸前の如し!

昨春の創部三年目での愛媛の済美の再現を逃したザビエルの国の涙はヨハネ・パウロ2世にささげる涙やったやも知れぬ鹿児島。

日曜日は飛び込み営業。大家さん、青島で次の営業ができよう。
今日の甲子園はラジオで聞いた。雀荘の昨日戴いた仕事は管理人との会話の違いでできなくなった。失言放言は怖い。

三○の課長さんから熊本の件でご注意を受ける。ひたすら低頭。

夜久しぶりのメンバーとの議論。小林からお越しの方の仕事の行くへはわからない。

情報戦に負けては太陽光発電の仕事にはありつけない。○○ハウスに出向くが不在。

昨日の宮崎神宮境内のサクラの花を背景にした五穀豊穣の願いを込めた流鏑馬の行事を見逃し、今日の新聞で知った。

鎌倉以来の狩装束と神事の祈りは日本の宗教。
何もナショナルセンターたる組織を持たなくてもこの民族には宗教心はみな矜持している。

ワン・クリック!
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続き

2005年4月3日
全てにわたり効率化グローバル化では人間のツイの住処は定まらない。

エネルギーの観点から政治を市町村合併を考えればたやすいことである。
わたしの師匠たるエネルギー問題に体を張り、地球環境を国地方の施策にいかそうとの汚い電気・きれいな電気の言葉の創始者と話せばすぐに理解できることである。

悩める政治家先生もその門をたたけばいい。
自治体合併の考え方も定まろうと言えよう。

この青き実に不思議な宇宙に浮かぶ地球。
全て太陽があればこそ存在してきた。
しかしその地球からSOSが発せられている。
環境破壊で持続可能なる飛行が止まるやも知れない。
100年持たないのではなかろうか。
この不思議な宇宙船の同乗たるご同輩。
維持管理に大いに悩み、子々孫々までこの宇宙船地球号を
残そうではないか。

エネルギーの源泉たる太陽光発電しか、解決策はない。
ドイツに学べ!先哲の英知に学べ!
明治期を立ち上げた岩倉全権訪欧のやり直しである

ドイツのエネルギー施策を取り入れるしかない。
滋賀県の試行策をもう一歩進めることである。

きれいな電気を大事にして、汚い電気との差別化を図ることである。地球にいいことしよう。そんな市町村合併をめざせば平成の大合併は大成功と後人は100年前の私どもを評価しよう。

平成をリードするのは小泉政治では限界である。
鳥取の知事と宮城の知事のどちらかがかっての信長たちの為政者のように中央を政治を担うことである。

第二の大合併はこの人々仕切ってもらいたい。
政治の王道はひとえに共同作業である。

平成の大合併

2005年4月3日
先ほど午前三時半に帰ってきまして、書いておりますがどうにもアップ・ロードができず、困ってしまってる。p/c音痴にはどうやら日記を書く資格もないらしい。

NHKの日曜討論は市町村合併。 「平成の大合併」により右往左往の市町村。毎日が枕を高く寝れてはいまい。
福岡県知事麻生渡、小嶋善吉静岡市長、ニセコ町長逢坂誠二、西尾基督大教授、新藤宗之千葉大教授
自治省は来ていない。参加者選定に当たっては賛否の意見からして当然選択されているようである。いかにもNHKらしい。

合併特例法が期限切れを迎え、期限いっぱいの31日までに都道府県に合併を申請した合併しても地獄、自立も地獄の当該市町村。
2006年3月末までに全国の市町村数は1822に再編される。

市町村数は3232に比べ1410減少(減少率43・6%)。
市町村の内訳は670市、1994町、568村から
来年3月末には777市、 847町、198村となる。

市町村合併を開始した、99年4月以降に発足した自治体と、来年3月までの合併予定分を合わせると、
新たに誕生する自治体は566(編入を含む)。日本列島の地図は約40年ぶりに大きくかわる。

本県は六つの枠組みで成功し、現行の四十四市町村が三十一に収斂される。
全国が半減するのに比べると、達成感の失敗は否めない。

再編後も「人口1万人未満」の小規模自治体は計488(99年3月末は1533)、
うち1000人未満は22(同47)。

4月1日施行の新合併特例法で、こうした自治体などを対象にさらに合併を推進する国の方針があり、一難去ってまた一難。

延岡、日向、宮崎、都城市といった中核市は周囲の住民合意を取り付けたが、高齢・少子、人口過疎など硬直化の著しい児湯、南那珂、西臼杵郡は最終的にはまとまらなかった。県図はまだら模様で、地域力の格差はさらに広がる。

県南、北郷町の議会のように住民の非難の目にさらされても政治姿勢を貫く信念を持った7人のサムライ議員も出てきた。

全国で再編後も「人口1万人未満」の小規模自治体は計488(99年3月末は1533)、
うち1000人未満は22(同47)。

 大合併は、市町村への財政支援策が盛り込まれた改正特例法が施行され、99年4月の兵庫県篠山市に初適用。市町村数は04年3月末で3132、今年3月末で2521に減ったわけだ。

 3月末までに都道府県に合併を申請すれば優遇措置が受けられたため、ぎりぎりまで駆け込み申請が続き、4月1日から来年3月までの1年間に699減る。

新聞によると 99年3月末と比較した市町村数の減少率は、86から23に集約される広島が最も高く73・3%。次いで愛媛(71・4%)、長崎(70・9%)、大分や新潟など計20県で50%を超える。市町村数が最少になるのは富山の15。一方、最小は大阪の2・3%で、東京も2・5%。神奈川などを含め大都市圏で減少率が低い。全国気象風にいうなら西高東低といえよう。

合併特例債は新規事業費の95パーセントを債権が発行でき
その内容たるや70パーセントが国負担。是までのハコ物行政の最後的仕上げのアダ花にしか過ぎない。
賢い自治体ほど使わないのが、自治体経営の行き詰まりを防ぐほうである。
自治体の15年の借金金額は198兆円!
特別会計分はこの数字には入ってないので、破綻状態の姿は現れてこない。さすがの補助金漬けの日曜日の寝ぼけ眼の住民も真実を知れば怒ろう。よってNHKは政治的圧力で数字を出さなかったのであろう。合併はこのあたりから地方自治の理念を絡ませ始めるべきである。

県内の市町村合併は地域で偏り、中核市と弱小自治体が二極化する結末となった。果たして政治が十分機能したのか。

70万静岡市長は職員減らしをはじめとする成果に胸を張り、ニセコ町長は分権、広域化、少子化の田舎の悩みに手段は合併のみか!と地方自治の言論を今後も現地で実践する。5センチ積雪のときの除雪を10センチで除雪の公共道路として維持管理し、減じた財政で合併せず、自立運用に当たる。

是までの高度成長期に見られてきた、合併は中心部を失い「過疎に拍車が掛かる」との全国の状況を見てきての田舎を守り抜くサムライ町長。

県北の北郷村は合併の中で住民自治を守ろうとあえいでいる。
役場での拘束時間の最長者は町長と言う具合であり、スバル天文台をも復活させ、生き残りに賭けるサムライ町長。

光り輝く将来像が描けるわけでもないが、これらの首長はこの狭き日本で都市のみが生き残ろうとする平成の合併の次を読んでるからであろう。

そこには地球のエネルギーをどうするかの視点での簡単な生き残りプランで解決できる視点が欠落している。

 北郷町の七議員はリコールを突き付けられるようだが、地球エネルギーの視点から名誉ある自立の政治論を説けばいい。
考えとも見ればいい。
今は若きシテ故人となった企画係長の手になる44市町村の唯一の「太陽光発電設置者の補助制度」は燦然とと輝いているではないか。宮崎唯一のエネルギー政策で地球を守る。子孫によい国を渡すためである。そこを訴えての自立策で十分である。

「よい国をこどもにわたそう!」は何も江藤派のキャッチフレーズだけである必要はない。「団結ガンバロ!」が社会党系から始まり、みんなのものになったではないか。

左翼の中でも共産党系は組合集会でさえ当初はこの「団結ガンバロウ!」をやらなかった。社会党との差を表したかったためである。いまや自民党の集会でもやっている。

一割自治体に甘んじながら余分な財政出動でエネルギー問題を考え、激務で倒れた親子に渡る奉仕の実践者の志で、7議員も住民に訴えるべきだ。

何もそのツケを国民に回されるのは皮肉な現象である。とマスコミに揶揄される必要はない。
政治たるもの最高の王道である。まさに男子の本懐。

 政治は「社会的富の再配分」と定義する論もある。
その基盤はすべて公平性、の一点である。

良いとこ取りは通用すべくもなく、低成長の成熟国家ではなおさらだ。その象徴は新潟にある。

新潟県山古志村の名前が消えた。合併したからである。昨年十月の大地震で壊滅的な被害を受けあの地域である。
田中角栄の生誕の地である。

その名が全国的に知られたのは永田町の補助金行政の象徴であったからである。

また闘牛の町としても名を残している。
かっての民俗学の、宮本常一の、過疎克服のプランで生まれた自立施策である。
村の伝統である闘牛をよみがえらすことなどを提案しているひとつの実践。

しかし宮本は無念さを感じていたという。開発型にならされた村に、伝統を重んじ、土地の人たち自身の力で自立する活力を見出せず絶望感でいっぱいになったと告白している。

開発型にならされた村に、伝統を重んじ、土地の人たち自身の力で活力を取り戻すという、宮本流プランを持ち込む難しさを感じていたからだろう。

補助金漬けは人間の魂をも奪った。ニセコの叫びは合併しなかったハコ者行政のツケを明らかにしない、宮崎の市町村でいずれ、明らかになろう。

はじめの合併アリ!この指止まれ!ではかなわない。
西都の吹山ダムは佐土原の飲料水供給をも計画され相応の財政負担をみて計画されていたが、宮崎との合併でこちらの計画さえ断念せざる得ない状況を生んだ。

施策は同じ県であったはず。どこに調整能力を果たしたと言えるのであろうか。

これでは市町村合併のその先にある県の合併たる道州制もいとも簡単に実施されてしまう。そのときの憲法ははどのようなモノか。戦慄さえおぼゆる合併の本質。

食糧事情

2005年4月2日
迫る危険のトラウマは自然の猛威が再度襲っていることからか。
スマトラでの29日のM8,7、昨夜の福岡M4の揺れ戻しである。
寺田寅彦は「災難は忘れたころにやってくる」とたゆまぬ自然の猛威の警戒の言葉を残したがけだし名言。

新年度は人為的なガソリン価格上昇とともに幕開けした。
自賠責の29780円は2150円、国民年金13580円で280円
雇用保険0,7が0,8パーセントとそれぞれの値上げ。
私には縁のないペイオフ解禁

個人情報保護法は第三者や目的外使用の変更。情報関係には社内へ私用パソの持ち込み禁止。

メキシコとのFTA発行は自動車の輸出拡大とオレンジや豚肉の輸入を増やそう。
高速道では二人乗りバイクが走る馬鹿な改正。
県の産廃税新設ではトン1000円、焼却施設搬入は800円。
考えるにつれ収入と支出のアンバランスが拡大する。

県内厚生年金会館は6施設が318全国売却のあおりを受け閉鎖。県内44市町村は31となる。

仕事がないのにズルズルしていてはこれらの諸現象さえ知らぬに等しい。
考えてみるにつけどうにも逃げ出した甲斐さんの描いた全てのシナリオ。
先日のカレー・ライス案と同じである。どうにかしなければ。

1950年代までの日本は、八割が農村人口、山田分校日高校長先生でさえ分校の端の公舎の裏の畑を耕す半農の生活。

高度経済成長期に都市部へ人口が集中、「消費者」が登場。
農政の課題は、食料供給に絞られる。中央卸売市場体制、規模拡大、そして産地間競争。農作物は食べ物から「商品」に変わった。

「商品」に慣れた国民の多くは、食や農の知恵、生産現場への思いを忘れた。 競争相手が世界に広がり、安い外国産に生産性で劣勢に立つ国内農業。

米国の推し進めるグローバル化はそれに向かない農業をも襲った。
「経済的な価値がなければ作れない」という悲劇的な状況。
耕作放棄地の増大、過疎化、適応できない農業や地域社会は荒廃化が進んだ。

コメの消費は年々落ち込む。1人当たりの年間消費量は、ピーク時1962年(昭和三十七)年度の118キロから、2000年度の65キロまで半減。
瑞穂の国の日本人はもはや「主食はコメ」と言えない民族になりつつある。

「食の外部化やパン、めん類との競合、高齢化による個人消費の落ち込みなどが背景にある」
国内食糧自給率が40 %(カロリーベース)でも不自由を感じない
どこにもそんな国はないが政治の貧困はまったくの焦りもない。

コメ離れの背景は、社会の変化がすべてマイナスに作用している結果でもある。
「肉体労働から頭脳を酷使するオフィスワークへと労働の質が変わった。核家族、共働きが増え、
コメに代わって手軽にカロリーがとれる食品も豊富になった」

 日本型食生活を捨て、どこの国でもない中途半端な食に生きる日本人。食にひ弱になってしまった民族の未来はどこにあろう、

「国民全員が毎日、もう一杯多くご飯を食べれば、生産調整(減反)面積は半減する」という試算を食糧庁が発表した。

1億2700万人が毎日、茶わん一杯を食べたときの精米重量は255万トン。
それを反収で割ると、作付面積は49万ヘクタール。
現行の減反面積101万ヘクタールの約半分に相当する。

コメの年間需要量は、2001年に900万?台を回復、
この十年間で約100?減少した。
十年後、さらに815万?にまで低下する可能性があるとの試算がある。 

コメの年間需要量は、2001年に900万?台を回復したが、この十年間で、乱高下を繰り返しながら約100万?減少した。
一粒から1500粒が実る米。

一人当たり消費量が62年をピークに下がり続けるのに対し、技術革新や機械化などにより、戦後のコメ反収は飛躍的にアップ。作っても作っても足りない時代から、作れば作っただけ余る
社会に劇的に変わった。

 緊急避難的に始まった生産調整(減反)は、はや三十年が経過。〇二年は減反目標面積が過去最大の101?まで拡大。

 本県には約1万7000?が割り当てられた。水田面積の約四割でコメが作れない。    

今日の繁栄は、複数の偶然が重なった危うい足場に成り立つ。
(1)工業輸出が順調
(2)農業地帯で大規模な干ばつなどがなかった
(3)世界を巻き込む戦争を回避できた。

工場の海外移転が相次ぎ、工業力は地盤沈下、イラクの煽りでテロの火種がくすぶる。
異常気象が安定する保証もない。

稲作など豊富な穀物栽培が可能な東アジアに対し、緯度が高く寒い欧州では、牛乳や肉食が自然に発達した。
地域ごとの食生活は、気候風土に順応し、必然的に形成されてきた。
戦後の日本はそれを無視し、官民挙げて脂肪などを多量摂取する食へ移行。
一億人規模でここまで激変した民族はない。

日本食は米を中心とする。それはヒトの食性ともよく調和している。文化の概念を取り除き、動物としてのヒトを洗い出すと
、草食動物だけが持つ咀嚼能力、でんぷん分解酵素・アミラーゼの高活性に行き当たる。

「必要なのはでんぷんであり、タンパク質、脂肪はそれほど必要ではないということ」

 食や運動習慣などのひずみが生み落とす糖尿病も急増。
人口は、約四十年前の3万人余から690万人になった。予備軍も含めると1370万人。総人口の一割強にも及ぶ。

 平均寿命が急伸した一方、生活習慣病で命を落とす割合は六割を超えた。治療費七兆五千億円は
、医療費全体の32%を占める。暮らしや国財政を圧迫する深刻な事態を招いている。

ジョイフルは県内に45店舗を有する。
県内の利用者数は昨年、延べ605万人。全県民が五回以上、来店した計算。

 国民栄養調査では外食率は男性が20%、女性が14%。
農林水産省の調査は、
「30代以下で外食の頻度が高く、40代が最少。50代から60歳以上になると再び回数が増える」
 
 共働き世帯の増加、生活の二十四時間化、個食化、肉中心になった献立の欧米化、
食を楽しむ意識の広がり。食の外部化が定着した過程は、生活様式の変化がたどった軌跡でもある。

世界人口約六十億人のうち、8億人は慢性的な栄養失調に苦しむ。毎年、日本人口に等しい1億人が増え、

国内農地面積(約480万ヘクタール)を超える約600万ヘクタールの農地が砂漠化などで地球上から消える。

年四兆円の農産物や畜産物などを輸入し、消費者の多様な選択を可能にした日本。自給率は1965(昭和四十)年度の73%から十年間で54%まで急落。工業輸出と引き換えに、食糧輸入を選んだ。

「40%」という数字は、日本が何を守り、何を捨ててきたか、
と表裏一体の関係にある。

世界一の肥満は成人の30パーセント過体重を加えると60パーセント年間30万人タバコの40万とおなじ。

15歳以上の過体重者は20パーセント。30〜60歳代で3人に1人。小中では20年で倍増。国民栄養調査の1300万1000万

「人の命を支える食は土が育てる。ゆえに人はその土とともにある」
中世に生まれた「身土不二」は「地産地消」に連なる、身体と土は一つだとする東アジアの思想。

ケツの穴さえ洗わす快適さは、はたしてどうか。
田んぼ買うなら口減らせ!
価値観の見直し。社と同じである。

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水事情

2005年4月1日
国富町の病院二件の営業のみではどうにも将来がおぼつかない。
エイプル・フルーならよいのであるが。

国富町の大坪の一本桜は八代小中学校の西の茶畑に塚を形成して高さは15メートル、幹周り3.17メートル樹齢150年と言われ、大地の精霊を飲み込み大きくそびゆる。
その根元の石碑「庚申塔」は330年前の寛文13年(1673年)に建てられたと記す。

この地は綾川総合開発の灌漑事業が昭和35年〜45年県内の魁となった。
それでも森林59パーセント耕地19パーセントと自然の富には恵まれられぬ地域ゆえの国富の何に託されてるのやも知れぬ。

灌漑農業の穀物のヘクタール当たり収量は、2000〜4000キログラム。氾濫原耕作では800キログラム。

世界の食糧の約40%は全耕地の17%を占める灌漑地で生産されている。
インド、中国、米国、パキスタンの4カ所で世界中の灌漑地の半分以上を占め、生産量上位10カ国で世界の灌漑地の3分2を占めている。

 灌漑農業や工業用水等での利用により、半世紀で水使用は3倍。

西アジア地域では、アムダリア川、シルダリア川の水を灌漑に利用され、アラル海は面積が約1/3、塩分濃度が上昇して魚が住めない海と言う。

アメリカ中西部にあるオガララ帯水層は日本の7〜8倍もある巨大な地下湖。
、年間75,000tの水が揚水され30年間で水位が平均2m低下し、一部では30mも低下している。

地下水の汲み上げは地盤沈下等の問題を惹起している。
地下水の過剰汲み上げをやめれば、世界の穀物生産は1億6千万トン減少し、60億の人類のうち4億8千万人の食料が不足する。

中国、エジプト、インド、インドネシア、パキスタンなど多くの国々は食糧生産の半分以上を灌漑地に依存している。
今や水は土地以上に希少化している状況が顕著化している。

「点滴灌漑」で水使用量を30〜70%減少させ、作物単収を20〜90%増加させる技術での農業全体の確立は急務である。

昨年8,18の日記を再掲する。
我が県の年降水量は2,400mmを超え、多雨だが、梅雨期や台風期に集中するため季節的な偏りが大きく、干ばつも発生する。

安定的な畑地営農のためには、水源の確保が不可欠であるのを昨日都城で感じた。

我が県には32,500haの畑地が広がっている
そのほとんどが火山灰土壌の特殊土壌地帯のうえに、多くの畑作地帯は安定した水源を持たず安定的な畑作経営が困難な状況にあル事をも都城でよく理解できる。

畑地かんがい施設が整備された地区では、農業用水の安定供給により、施設野菜や花、茶などの水を活用
した収益性の高い作物への転換が進み、全国有数の優良農業地帯となっていた。

 大規模畑作の産地づくりや施設園芸、新品目の導入が進み、我が県の食料供給基地としての地位をさらに高めるため、県央から県西部に広がる広大な畑地帯たる一ッ瀬大地では、畑地かんがい施設がすすんだ。

雨水に頼った農業から脱して農業用水が確保されている。
また、日照りによる干害、霜による被害を防止でき、安定した農作物の栽培により収益性の高い農業が可能となっいている。

天神ダムは伊東領たる田野地区の畑地を潤し、また水源確保のためのダム である。

我が国で使用される年間水量約900億立方メートルのうち、農業用水が約3分の2を占めている。

農業用水の約95%が稲作などに用いられる「かんがい用水」である。

日向の人々は、水田稲作が盛んとなっていった弥生時代から、農業用水を確保しようと今日に至る
約2000年にわたり、その開発と保全に尽 してきた。

一ッ瀬川からの農業用水を確保した児玉久ヱ門は西都市の偉人である。
内藤藩には藤江監物・図書父子の御用金横領の汚名をかぶり農業用水を完成させた。

鋳物時代の改革は生活そのものの見直しである。
生活の改善は電気が欠かすことのできないエネルギー資源である。

我が県では、山間部の割合が高く、豊富な降水量を生かして、
水力発電所が数多く建設されており、九州地方の電力供給の重要な一翼を担っている。

ダムが建設されると、ダム近郊に発電所が装備され、発電がなされる。そのためダムの個数と発電所の個数はほぼ同数である。

管理種別 発電所数

宮 崎 県 ・・・・・・・・9
市町村(第3セクターを含む) 3
九州電力(株)・・・・・・ 27
その他の事業所・・・・・・ 6
合  計・・・・・・・・・45

食料をつくるのに必要な水の量。

  米1kg       水3600l  大豆1kg       2500l
  小麦1kg       2000l  トウモロコシ1kg   1900l
  牛肉1kg      20700l  豚肉1kg       5900l
  鶏肉1kg       4500l

石油上昇が続いている。
需要が増えているのにつけ、サウジ、等の政治不安である。

イラクをはじめとするブッシュの作り出したる失政であろう。
5〜10パーセントは危険要因による上乗せ分、リスク・プレミアムと見られる。

世界経済が高いツケを払わされている。
電力10社合計の7月の販売電力量は、前年同月比12・5%増の
775億3600万キロワット時だった。

昨年の冷夏の反動と今年夏の記録的猛暑の影響とみられるが、その割には過去最高だった2002年8月の833億7300万キロワット
時に及ばず、背景に省エネ意識の高まりなどがありそうだ。

 夏の日中の電力需要は、エアコン用が3割前後を占めるといわれ、1日の瞬間的なピークに当たる最大電力は気温の変化に左右される。

都内で気温39・5度となった7月20日、東京電力は最大電力の更新が確実とみていたが、結果は過去最高を大きく下回った。

 原因として省エネ意識の高まりに加え、今年の夏は高気温でも湿度が比較的低く、エアコンの使用割合があまり高くならない点を指摘する声がある。・・フムフム。確かに。

新聞は世相を映す鏡・・思わずウンウンと頷いている。
肝心のCO2の問題までは発展していないマスコミの限界。

その点、環境から見つめる記事もある。

水田10アールあたり1日に6.1トンの水が蒸発し気化熱として 
361万7300キロカロリーの熱量が奪われる。

冷房能力に換算すると6〜9畳エアコンの80台に相当する。
草創期の太陽光発電の会社の一コマ。

神よりのプレゼントたる自然エネルギーを上手く生かした生活。
現代生活を支えてる主エネルギーは子や孫の世代には枯渇してる状況が生まれかなない。

石油
1兆160億バレル可能採掘年数43年
石炭
石炭9842億トン可能採掘年数212年
天然ガス
14兆7849億m3可能採掘年数62年

日本の海外依存度
石油99.7パーセント
石炭
97.7パーセント
天然ガス
96.6パーセント
原子力・・ウラン
100パ^セント

なにも地球温暖化のCO2削減とか省エネとかゴミ、綺麗な水とかだけでなく、地球に存在する総ての生態系問題も絡めた地球ネットワークで考えるしか解決の道はない。

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ひたすら陳謝

2005年3月31日
水をはったる一面の田んぼに紅く大きな太陽が6時10分ごろから映えてくる
思わず手を合わせる威容、エネルギーを頂く。
誰でも右に倣い!←{ならい、吉田 なつめさん}模倣ではなくナチュラルに。
宗教感は多忙なるビジネスマンそれぐらいが丁度ど良い。

熊本は隣県であるが高速道路網の整ってるやいなやを往復路の差で思い知らされた。
小林から熊本は一気に着いたが帰りは高森、延岡、門川を経て20時に帰着。
行きはよいよい帰りは怖い。延岡〜宮崎間は建設槌音さえ感じない政治の貧困。

のんびりが良いなんて流暢なことは言ってはおれない。季節はビジネス時間でも感じられる。
高速の移動中でも小林〜加久藤間の白きこぶしの街路樹に春の息吹を感じるがこの畑地地帯には、春なお遠き状況。
帰りの桜の2〜3分咲きの阿蘇、北川と、どこかで春が生まれている。

肌寒さの中の汗っかきでソフト・クリームさえほおばる休息の高千穂焼酎トンネル休憩所。
国鉄高千穂〜高森間開通予定のトンネルの跡地利用である。

完全に用地買収上は両地はつながつている。工事をしなかっただけである。
なぜにくわしきって?当事者そのものだからである。用地図を管理してたその人だからである。

日之影〜高千穂は何とか工事ができて開通式には一人臨んだ。苦き若き思い。
私は国鉄の建設用地部でこの路線を一人担当し渇水補償でかの地に立っていた。
手がけた仕事のこのような利用は耐えられない。
若きみめ売るわし売店のオニタカ嬢に当時の年齢を差し替えてみた爺である。

この高地一帯には迎春の兆しはない。住んでる地域の環境がやはり良い。
春真っ盛りで初夏さえ感じる。

夏 は き ぬ  作詞者 佐々木信綱  
        作曲者 小山作之助

1 卯の花の におうかきねに
時鳥(ほととぎす) 早もき鳴きて
しのび音(ね)もらす
夏はきぬ
 
2 五月雨の そそぐ山田に
早乙女が 裳裾(もすそ)ぬらして
玉苗(たまなえ)植うる
夏はきぬ
 
3 橘の かおる軒ばの
窓ちかく ほたるとびかい
おこたり諌(いさ)むる
夏はきぬ
 
4 楝(おうち)散る 川辺の宿の
門(かど)遠く 水鶏(くいな)声して
夕日涼しき
夏はきぬ
 
5 五月やみ ほたるとびかい
水鶏(くいな)鳴き 卯)の花さきて
早苗植えわたす
夏はきぬ

 口語、文語調が楽しめる明治29年5月「新編教育唱歌集(五)」カラである。 
昨年の5月5日の日記。時間にまだ余裕があったころ。

生命の誕生たるに一番近いゆえに子供なんであろか。
まだその子供はおろか、生物体はまったくなかったがようやく
地球が誕生した、

地球の誕生したての頃の大気には80%以上のCo2があった。、
現在は0.036%に減少している。
藻、シダがCo2を消化し酸素を出した。

この様に炭素は光合成反応や化学合成反応によって、大気圏から海洋、地上圏へと、さらに永久固定されながら地球に埋まった。

このようにして地球は形成され、産業革命以来、それも利用して、
われらの快適な生活を享受してくれている。

太古時代の大気に80%もあったCo2が固定化された。
その一部が現在我々が利用している石炭・石油の化石燃料である。

だからこれを燃やせば、自然の循環作用を超えて、
Co2の大気含有量が増えて行くのはあたりまえである。

より良い暮らしを目指して猛烈に生きていたのにCo2から
シッペ返しを食らっている。

所謂温暖化なのである。この様なCo2の固まりに頼るのは滑稽である。
21世紀は環境の世紀と云われるのここまで視野に入れてのことで
なければならない。
化石燃料の代替は自然エネルギーしかないと思われる。

日本の一次エネルギーの自給率は20%弱で80%以上が
海外依存している。

他方化石燃料は40年後に枯渇する予測がある。
イラクでの人質問題は自己責任3人の無責任論が
この日記の方々からも噴出した。

それは日本の一次エネルギーの自給率は20%弱で80%以上が
海外依存を知っての国民の素直な意見であろう。

しかし、日本国内の需給の安全保障をいくら議論しても
意味がない事になる

世界のエネルギーの需給の安全保障を確保することが問題なのである。
もちろん、自然エネルギーへの転換をリードすることである。

1億5000万キロメートルのかなたから地球に降り注ぐ太陽エネルギー。
1平方メートル当たり約1キロワットの出力に相当するという。

地球の断面積を考えると毎時127兆キロワットとなる。、
これは世界の年間エネルギー消費量の石油換算80億トンにあたり、電力換算約93兆キロワットになる。

この巨大なエネルギーが毎時、地球に降り注いでいるのだ。
先日の新聞報道である。

国内最大の太陽光発電完成 CO2300トン削減

 発電出力が1000キロワットを超える国内最大の太陽光発電システムが、茨城県つくば市の産業技術総合研究所つくばセンターに完成。

 研究所内に電力を供給するとともに、太陽電池パネルに単結晶シリコン型など4種類の材質を使い、性能比較などエネルギー技術の実証・評価をを行うのが狙い。

 使われている太陽電池パネルの面積は合計で約6500平方メートルに達し、、サッカーグラウンド一面分に相当する広さ。

二酸化炭素(CO2)排出量が、年間で約300トン削減できる見込みという。 太陽電池パネル約5600枚。

発電出力は844キロワットで、これに既存の設備を加え、
出力が1000キロワットを超えた。

年間に一般家庭約300世帯の年間電気使用量に相当する約100万キロワット時の電力を供給。

国内太陽光発電システムの市場規模は約250億円で、
2010年度には1兆円市場。

太陽光発電技術の進化が市場をつくりだした、日本の知恵である。経済は先のみ通しが必要である。

マニファクチャ選挙であろうが2大政党に地球環境の視点はない。
・・・日向のくに・・・日のいずる国の言葉の復活は選挙の争点でもいい

地球環境の問題を視野に入れた政策を見れぬのはさびしい。
国の行方を決めるのが選挙であるべきだ。

スイス・ローザンヌに位置するスイスIMDは
企業環境に関する国家競争力順位を毎年発表している。

89〜93年日本はトップを走りつづけた。
01年には26番目、02年は30番目までになった。

今朝の朝日紙から転載。

スイス国際経営開発研究所IMD

?米国・・・・・・1
?シンガポール・・4
?カナダ・・・・・6 
?オーストラリア・7 
?アイスランド・・8 
?香港・・・・・10 
?デンマーク・・・5
?フインランド・・8 
?ルクセンブルグ・2
?アイルランド・11 
?台湾・・・・・17
?マレーシア・・21
21ドイツ・・・・20 
22英国・・・・・19 
23日本・・・・・25
24中国・・・・・29
特許付与件数、外貨金準備高、中等教育普及率、寿命の長さ、でトップ
研究開発費2番目
経済状況は17で25から順位を上げている。
政府の効率性37、位ビジネスの効率性37位、インフラの整備度2位
323項目を指数化
企業家精神の広がり、法人税率の高さ、
大学教育が競争経済のニーズに適合してないは58番目

発電所数

宮 崎 県・・・・9
市町村(3セク含む) 3
九州電力(株)・・ 27
その他の事業 ・・ 6
合  計  ・・・45

石油上昇が続いている。

青い地球は誰のもの!

お客さん本位での陳謝の一日、九電熊本、お客さん、延岡、門川と後始末。…
権威を誇ってきたお歴々の失脚振りの中でNHK海老原会長の引き際は実に茶番で哀れを誘う滑稽さ、さえあった。

地方局は知らぬ顔で活気がある。これぞ報道人の土性骨。サムライである。

三回にわたって夕方6時10分から環境問題をとりあげた。
昨日は北川町のとある工場を報じていた。

そして今日は太陽光発電を中心とした未来エネルギーであった。
宮崎県は2108時間の太陽光が降り注いだ全国一の県。

王ソフトバンクの本拠地たる市民の杜球場の付帯施設の太陽光発電から解き明かしNHKの性格上、伏せてはあったが、ソーラー猫なる8万台も売れた商品名の小橋川砥氏社長んとこの商品にも触れていた。ラジオ、ネオンサインにも応用するとのことでもあり宮崎しるしの元気印はいい。

買取の保証がない電気制度の不安定さを報じていたがいささか気になるところでもある。普及がとまらなければいいが・・・

10年前に600万を300万で設置した外山興子、変なパネルンの大きさである。??シャープ、サンヨー、三菱、京セラでもなき大きなパネル?ソーラー・レックス?アメリカ?

延岡に住む小笹義春宅はどうにもサンヨーパネルであっただろう。10年前で200万は?がつく。毎月5874円の振込みでは毎年20万売り上げも含めて?である。

どうにもオーバートーク気味でいささかの疑問もあった。
いずれにせよ県の環境政策の発表にあわせた行政と報道機関の奇妙な同時の報道は気色が悪い。

環境を報道できるようになっただけでも大きな前進であり、
クレームはやめておこう。企画者にまずは花丸。

業者にまかせっきりの設置価格の問題点は報道されず、国としてのエネルギー政策の無策を言ってるようなもので、是はいただけない。

きれいな電気と汚い電気の先にある業者間の生き様も少しは触れてほしいものである。

悪徳一発儲けて退散トンズラの危険な業界であることは優等生NHKにはわかろうと言うのが所詮無理であろう。

家の基本は壁でも風呂場でもない。屋根である。ここに一発旗揚げ業者が跋扈する危ない業界であることも触れてほしい。

悪貨は良貨を駆逐すると言うが、この世界にはどうにも通用してない。

くれぐれもお客さん本位の業者に出会えられることを祈るのみである。この手のお客さんは人がいいので乗せられる傾向をただただ懸念する。

経済効果のないものには話しに乗らないこと。
警告を発するものである。
さらに自己犠牲で設置するものであってはいけない。

サービスに払うお金が増えているといると言う。
総務省の「家計調査」の「財・サービス区分でみた消費支出の特徴」という項目である。

そこでは、各世帯のこづかい、贈与金、仕送り金などを除いた消費先を「耐久財(自動車、家具、家電など)」
「半耐久財(主に衣料品)」
「非耐久財(食料、光熱・水道など)」
「サービス」
に分類して、それぞれの占める割合を示している。

それによると、昨年2003年の「財」と「サービス」の割合は、
「財」が58.1%、
「サービス」が41.9%で、ほぼ6対4の割合で「財」がやや多い。

現在のところ、日本人は「サービス」より「モノ」に多くお金を払っていることになる。

しかし、明らかに「サービス」への支出が増えていることがわかる。
15年前の1988年には、
「サービス」への支出はわずか36.8%。その後一貫して、
「サービス」消費は増えつづけ、現在の水準に達したのである。

「タダ」から新しいビジネスへ

「財」のうち、自動車、家電などの「耐久財」と、
食料など生活必需品が多い「非耐久財」はほぼ横ばいか、微減となっている。

ここ数年の「デジタル景気」などに表れているように、耐久財では新しい技術が登場して消費者の購買意欲をそそる。

一方食料品などは先進経済国となった現代では、消費に占める割合はすでに下がりきっていて、あとは世帯あたりの人数が変わらない限りそれほど変動しない。

消費に占める割合が下がったのは、「半耐久財」で、そのほとんどを衣料品が占める。

では日本人は衣服を買わなくなったのか、というとそうではない。
家計調査年報ではそれぞれの財・サービスごとの実質金額指数、すなわち値段の推移を示しているが、

それによると、「デフレ」が顕著となった1992年(平成4年)ころから、「非耐久財」や「サービス」の値段がゆるやかに下降傾向にあるのに対して、

「半耐久財」は急速に低下し、2003年には1992年の7割程度まで落ち込んでいる。
衣類だけがどんどん値下がりしてしまったのである。

逆に、耐久財は15年前から一貫して値上がりしている。
デフレが始まって以降もその傾向は変わらない。
次々と高額な新製品が登場しているゆえか。。

そして、サービスだ。
サービスの「価格」そのものは、1992年以降はゆるやかに下降傾向にあるが、世帯の消費に占める割合は上がりつづけている。

つまり、比較的安価ないろいろのサービスに、人々がお金を払うようになってきたのである。

インターネット接続料や携帯電話通話料といったIT関連の支出、高齢化に伴う医療費や介護サービス料の高騰など、
新しいビジネスは「サービス」を伴うものばかりだ。

今後もこれまで「タダ」と思われていたことに付加価値を見出して、新しいビジネスを生み出す動きが活発化するだろう。
社会は、確実に次のステップに進んでいる。

それはなにか。環境である。また問題化しはじめたエネルギー問題である。

どうにも今後の大きな争点になるだろうし、政治の究極的課題となろう。

現に今日からガソリン価格は引き上げられた。それは何を意味してるかを冷静に考えるときである。

生活を見直し見つめるときがきている。
その先には昨日決められた憲法調査会の改憲を含む未来の日本の姿さえ見えてくる。

選挙の争点にしたら日本には大きな変革の嵐が起きよう。
太陽光発電から胆を発した政治改革が視野に見えてくる。

文部大臣中山と相戦う絶体絶命の代議士候補鳥飼謙二の政策に取り入れれば蟻が巨像を倒すことも夢ではない。

JAが決めていた政治が安藤VS牧野、松下新平VS上杉、都城の全国最年少市長の誕生と政治地殻の変動がこの保守の地で4度も続けさまに起きた。単に上杉派VS江藤派だけでは説明で気はしまい。

平和憲法を守ることはこのあたりから考えたらいい。
太陽光発電は平和でなければ成り立たない施設である。

タイヨウ党{・こう・と読む}の新党旗揚げ!ザブトン三枚!
パクリじゃないよね〜〜。自作でしょう?

お〜〜い!あすは熊本に懺悔のたび。大丈夫なの?
今日の田野町のトビコミ営業が基本にある限り光は見えてきた。

光ある限り太陽光発電には未来はある。
1時30分過ぎまで青春した。書生の議論ほどいいものはない。

毎度目からうろこ。何をしてきたんであろう。
ガンバレ!ニッポン!

Nackyせんせいの情の厚さにサムライ魂をみる。
片目だけの喜びには私も悔しさで一杯。
こんなお医者様が増えれば心配はない。
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