宮沢リエ考
2004年10月30日オールド・映画ファンで日本人女優のNO1にあげるのは原節子で異論はなかろう。
外国人はイングリッド・バーグマンをあげるが如きでデートリッヒと言う人は時代の変遷で少数派となってることであろう。
この世の人とは思えぬ美貌は栗原小巻に尽きる。
宮崎での公演後に、お忍びで行動する情報が入った。
ソファレド・パリと言う生シャンソンを聞かせる店に現れると言う。
ママさんの言う通りで至福の時間を過ごしたのは忘れ得ぬ記憶。
これからの宮沢リエはこれらの先輩方の成熟した大女優を彷彿させる。
いないでしょう。見回してみるがいい。群をぬいている。
桃井かおりにしても神は啓示を与えてないでしょう。
黒木和雄監督がつぶさに語っている。
:主人公の福吉美津江に宮沢りえさんを起用した理由をおきかせください。
監督:
独立プロの場合は創ろうと決めたときに役者を誰にするかって考えるんですね。
色んな候補が挙がったんですが、一番手に上がったのが、若いプロデューサーが宮沢りえさんがいいんじゃないかと。
誰しも断られるだろうと声かけたら2日か3日してぜひやりたいとご返事を頂いて、それでもう他の女優さんにあたらないで宮沢りえさんに決めたんですね。非常に意外でした。
進んで是非やりたいとおっしゃって頂いたので。
:宮沢りえさんの印象はどうでしたか?
監督:
宮沢りえさんてのは貴乃花とのスキャンダルと『たそがれ清兵衛』観ただけで全然知らなくて、内心実は参ったなーと思ったんですね。
大変な人決まっ ちゃったと。これは現場が往生するなと。
お金がないし撮影期間が短いんで困ったなーと思ってたんですね。
その感じでお会いしたら、しとやかなおとなしい人なんで、それで意外だったんですが。原作に感動したしシナリオも感動したと。
それからですね、その時おっしゃってたんですけども広島のことを知らないんで広島に行ってみたいと。
後日聞いたんですけど、1日行って、ほとんど朝から晩まで原爆資料館のなかで資料を見たり話を聞いたりして過ごしたらしいんですね。
館長に後日聞いたんですけど、世界中の男優女優がくるけども、こんなに熱心に身を入れて聞いたり涙ぐんだりした女優は初めてだったと。
異常な熱心さだったと。
「初めてです、こういう女優さんが来たのは」
と、聞いたんですね。それ聞いたとき、2番目のショックですね。あれ、だいぶん違うぞと。
で、いよいよ撮影が始まりまして、第1日目がまずショックでしたね。とにかく福吉美津江になりきってるんですね。気持ちも体も全てなりきってるんですね。
原田芳雄さんは後輩の女優さんとやるつもりだったんですが、相手がすごい迫力持ってたもんですから2日目から顔色変わりましたね、
原田さん。ライバルという感じでりえさんを見るようになりましたね。それで、セリフはとちることなく入ってまして、現場ではリハーサルなしに全部言えるという。
トントン拍子で18日間でとりあげたんですね。初めはみんなりえちゃんとか宮沢君と言ってたんですけど、終わる頃には「宮沢さん」ですよ。
大女優と言った感じでしたね。想像力抜群で感性もすごいし、申し分ない、こんな女優見たことないっていう。素晴らしい人でしたね。
昨日ニシタチの宮崎にゆかりの有名人手形に原辰則、貴乃花、高橋尚子が加わった。
何とかして宮沢りえを加えたい物である。
彼女は実に苦労を乗り越え大きく化けた。
楽しみでしょうがない。
外国人はイングリッド・バーグマンをあげるが如きでデートリッヒと言う人は時代の変遷で少数派となってることであろう。
この世の人とは思えぬ美貌は栗原小巻に尽きる。
宮崎での公演後に、お忍びで行動する情報が入った。
ソファレド・パリと言う生シャンソンを聞かせる店に現れると言う。
ママさんの言う通りで至福の時間を過ごしたのは忘れ得ぬ記憶。
これからの宮沢リエはこれらの先輩方の成熟した大女優を彷彿させる。
いないでしょう。見回してみるがいい。群をぬいている。
桃井かおりにしても神は啓示を与えてないでしょう。
黒木和雄監督がつぶさに語っている。
:主人公の福吉美津江に宮沢りえさんを起用した理由をおきかせください。
監督:
独立プロの場合は創ろうと決めたときに役者を誰にするかって考えるんですね。
色んな候補が挙がったんですが、一番手に上がったのが、若いプロデューサーが宮沢りえさんがいいんじゃないかと。
誰しも断られるだろうと声かけたら2日か3日してぜひやりたいとご返事を頂いて、それでもう他の女優さんにあたらないで宮沢りえさんに決めたんですね。非常に意外でした。
進んで是非やりたいとおっしゃって頂いたので。
:宮沢りえさんの印象はどうでしたか?
監督:
宮沢りえさんてのは貴乃花とのスキャンダルと『たそがれ清兵衛』観ただけで全然知らなくて、内心実は参ったなーと思ったんですね。
大変な人決まっ ちゃったと。これは現場が往生するなと。
お金がないし撮影期間が短いんで困ったなーと思ってたんですね。
その感じでお会いしたら、しとやかなおとなしい人なんで、それで意外だったんですが。原作に感動したしシナリオも感動したと。
それからですね、その時おっしゃってたんですけども広島のことを知らないんで広島に行ってみたいと。
後日聞いたんですけど、1日行って、ほとんど朝から晩まで原爆資料館のなかで資料を見たり話を聞いたりして過ごしたらしいんですね。
館長に後日聞いたんですけど、世界中の男優女優がくるけども、こんなに熱心に身を入れて聞いたり涙ぐんだりした女優は初めてだったと。
異常な熱心さだったと。
「初めてです、こういう女優さんが来たのは」
と、聞いたんですね。それ聞いたとき、2番目のショックですね。あれ、だいぶん違うぞと。
で、いよいよ撮影が始まりまして、第1日目がまずショックでしたね。とにかく福吉美津江になりきってるんですね。気持ちも体も全てなりきってるんですね。
原田芳雄さんは後輩の女優さんとやるつもりだったんですが、相手がすごい迫力持ってたもんですから2日目から顔色変わりましたね、
原田さん。ライバルという感じでりえさんを見るようになりましたね。それで、セリフはとちることなく入ってまして、現場ではリハーサルなしに全部言えるという。
トントン拍子で18日間でとりあげたんですね。初めはみんなりえちゃんとか宮沢君と言ってたんですけど、終わる頃には「宮沢さん」ですよ。
大女優と言った感じでしたね。想像力抜群で感性もすごいし、申し分ない、こんな女優見たことないっていう。素晴らしい人でしたね。
昨日ニシタチの宮崎にゆかりの有名人手形に原辰則、貴乃花、高橋尚子が加わった。
何とかして宮沢りえを加えたい物である。
彼女は実に苦労を乗り越え大きく化けた。
楽しみでしょうがない。
温暖化とロシア
2004年10月29日電機業界のスリーダイヤの威光は、ソリャ〜たいしたもの。
支払条件等旧態依然。実にのんびりしている。
資金の流れはローンが通過後にメーカーに資金が来て、東京の銀行に行く、それから私共APAに来ることになるが、この流れがどうにも読めない。半月以上もかかる流暢さ。
他のローン等のジャックス等は完成工事後ノ4日目には資金はAPAに到着する。
そのお偉いさんに請求書を出しに行く。
「せきやん日記が読めんごとなった」
私の日常をチェック頂いてる。会社で密かに毎日チェックを戴いてるボロ探しとはまったく趣旨が違う。
これでは張り切らざる得ない。どうも最近の日記は愛情がこもっていない。
数字を含めたほうが格調高く、現実味が増し、説得があるのに手抜きである。
昨年の記載を見るとわかりやすいのが多いのに、痛く反省である。
その後コ○○のメーカーさんにも請求書を出す。
月末は売上高をどう確保するかで四苦八苦。請求書を出してナンボ。
お陰で集金・領収たるは他の企業、業種と違い楽である。
身銭を切っての救済等も有り、何とか仕事量を確保してるに過ぎない。
月末の多忙さはそんなものまで加わる。
本当に営業してるの一ヶ月のうち、何日であろうか。
その時間で全員を食わせる仕事を確保してきた。
逃げ出したい気持ちも正直あるができるものではない。
やってきたことである。
今年最悪の状態であった今月も何とかつじつまを合わせるまでに売上量を確保して終えよう。
12時過ぎても自由時間がない私だが、付き合って戴いてる職人さんの苦痛はいかほどか。
私ったら昼行灯ぶりは大先輩しか知らぬはず。移動中の居眠りで対処、疲労蓄積なんであろう。
ひと時の休みが必要のようだ。
明日は橘通り3丁目アゲインのキネマ舘TEL28-1162の2Fに黒木和夫監督が来る。感動を倍にじっくりと藤沢周平で癒したい。
11時からであるが休みが戴きたい物である。
気持ち悪っ!!ビックリされることであろう。
ブッシュの選挙を控え、華氏911もデイアラTEL23−2336で封切られてる。
映画を見るならココに限る。
熊本県、山鹿の八千代座でのあの豪華絢爛な天井広告とシャンデリアの下桟敷に座布団を敷いて座り映画を見るという非日常的な行為そのものに胸を躍らせたことを思い出す。
さらに、明日は時代絵巻の神武様の行列が7KMを練り歩く。
高千穂でエコキュートや電気温水器の工事を控えそれどころではない。
営業は心広く話題豊富が次の仕事に生きる。踏ん張りどころである。
楽しんでいただける営業トークを技としなければプロではない。
日記もそうである。テーマごとの課題を負わせ完結させたい。
地球温暖化からまとめてみたい。
ロシヤが京都議定書に批准するよう議会も承認を出した。
地球全人口の過半数以上になったのである。
各国の二酸化炭素の排出割合(%)
米国 23.1
EU 13.0
中国 11.5
ロシア5.9
日本 4.9
インド 4.4
カナダ 1.8
韓国 1.8
メキシコ 1.8
サウジ 1.5
豪 1.4
ウクライナ 1.4
各国の人口(百万人:2001年)
中国 1272
インド 1032
EU 523
米国 285
ロシア145
日本 127
メキシコ 99.4
韓国 47.3
カナダ 31.1
豪 19
ウクライナ 5.2
サウジ 2.5
日露戦争100年である。帝政の腐敗の象徴とされた首班ウイッテ。
ソ連崩壊後は経済改革の先駆者とプーチン政権で評価が一変。
シベリア鉄道をテコに中国への経済侵略と言う経済植民地主義の評価。
極東軍総司令官クロパトキンの主張する黄禍論、アジア主義で当時を席巻して日露の戦争に発展した。
今は地球環境での共存共栄を考えねば生きられない状況。
そこにビジネス・チャンスをどう嗅ぎ取るかのようである。
森林の吸収をロシアはカウントしてお金に変えろと言っている。
勝手に経済崩壊して、基準年がその崩壊前だから、削減義務が無い上に余剰分がたっぷりある。それが35%。それだけ外国に売ることができる。
そのうえ、エネルギー効率が悪い装置が多いので、今後経済成長しながら排出量を減らすことができる。実は、米国もその効果は大きい。
日本はそのうま味がほとんど無い。90年までに努力していた国は損し、努力していない国は、得なのだ。
少々、削減目標に差を付けたと言っても、たとえば米国は-7%で日本は -6%。EUは平均-8%と言っても、まだ日本のエネルギー効率の良さから見れば、不公平感が有る。
EUと言いながらたとえばドイツは旧東ドイツと併合したため、とくに東ドイツの経済崩壊分はロシア同様だし、
さらにエネルギー効率の悪い部分を擁しているからそれを改善すれば -20%(EU内で、ドイツが割り当てられている削減量がこの値だったと思う)も無理ではないと見られる。
とくに米国との差がわずか1%というのは、圧倒的に日本には不利。
逆説的に考えてみるとどうなるのか。
この温暖化、ロシアにとって気候変動で干ばつや多雨など被害が増える地方も出るだろうが、全体には温暖化で恩恵を受けるだろう。
シベリア・ツンドラ地帯のかなりが小麦地帯になるとしたら、そんな嬉しい話はない。自国がするのではない。
他国は非難されながら結果として努力不足で温暖化してしまう恩恵を受ける。
せっかく降って沸いてくる富を、今回の批准は受けない努力をすることを意味する。
それは、もちろん露にとって得策ではない。
森林吸収として見てみると、実はロシアの森林は効果があるが、ブラジルなどの森林は炭酸ガス吸収効果が怪しい。
そもそも成長段階の樹木は吸収効果が大きいが、育ちきったらもはや炭素固定の働きは無くなるのは当然。
たとえ昼、炭酸同化作用で炭酸ガスを吸収しても、夜間に呼吸して炭酸ガスをはき出した量とバランスする。
、ネイチャーで報告されたことが有る。ましてや枯死するようなことにでもなれば、朽ちて何になるかで吸収どころではなくなる。多くの場合は発酵して炭酸ガスを排出するだろう。
もしメタンになれば、温暖化効果は20倍ほどだから、かえって森林は温暖化に貢献することになってしまう。
この事実を根拠として、水力発電は実は温暖化効果が強いという発表すら有った。
だから、森林はきちんと整備しなくてはならないとしている。
アマゾンの森林は、たとえブラジルが2012年以降の第二期間で削減義務が発生しても、ロシアのような要求はできないことになる。
日本・欧州が温暖化ガス1?当たり40?以上(現在は10?以下)の価格で年間1億?以上購入する保証を取り付けるべきとし、
さらにロシアの森林が温暖化ガスを吸収している量は自国の排出量の5倍に当たるとし、この貢献分を日本・欧州から年間10-20億?補てんを要求。
40?/炭素?は現状で5000円程度とされることとそれほど違わない。
これが、炭酸ガス?当たりとすると、12/44倍となるから、約1000円程度となり、10?/?となる。
露が言うものもこの炭酸ガス当たりとすると非常に市場価格から言えば、非常に高い価格となる。
これを年間1億?購入せよというわけだから、価格では年間10億?=約1000億円である。
日本がこれを購入したらどうなるか。日本の年間排出量は10億?だから、10%相当になる。
支払条件等旧態依然。実にのんびりしている。
資金の流れはローンが通過後にメーカーに資金が来て、東京の銀行に行く、それから私共APAに来ることになるが、この流れがどうにも読めない。半月以上もかかる流暢さ。
他のローン等のジャックス等は完成工事後ノ4日目には資金はAPAに到着する。
そのお偉いさんに請求書を出しに行く。
「せきやん日記が読めんごとなった」
私の日常をチェック頂いてる。会社で密かに毎日チェックを戴いてるボロ探しとはまったく趣旨が違う。
これでは張り切らざる得ない。どうも最近の日記は愛情がこもっていない。
数字を含めたほうが格調高く、現実味が増し、説得があるのに手抜きである。
昨年の記載を見るとわかりやすいのが多いのに、痛く反省である。
その後コ○○のメーカーさんにも請求書を出す。
月末は売上高をどう確保するかで四苦八苦。請求書を出してナンボ。
お陰で集金・領収たるは他の企業、業種と違い楽である。
身銭を切っての救済等も有り、何とか仕事量を確保してるに過ぎない。
月末の多忙さはそんなものまで加わる。
本当に営業してるの一ヶ月のうち、何日であろうか。
その時間で全員を食わせる仕事を確保してきた。
逃げ出したい気持ちも正直あるができるものではない。
やってきたことである。
今年最悪の状態であった今月も何とかつじつまを合わせるまでに売上量を確保して終えよう。
12時過ぎても自由時間がない私だが、付き合って戴いてる職人さんの苦痛はいかほどか。
私ったら昼行灯ぶりは大先輩しか知らぬはず。移動中の居眠りで対処、疲労蓄積なんであろう。
ひと時の休みが必要のようだ。
明日は橘通り3丁目アゲインのキネマ舘TEL28-1162の2Fに黒木和夫監督が来る。感動を倍にじっくりと藤沢周平で癒したい。
11時からであるが休みが戴きたい物である。
気持ち悪っ!!ビックリされることであろう。
ブッシュの選挙を控え、華氏911もデイアラTEL23−2336で封切られてる。
映画を見るならココに限る。
熊本県、山鹿の八千代座でのあの豪華絢爛な天井広告とシャンデリアの下桟敷に座布団を敷いて座り映画を見るという非日常的な行為そのものに胸を躍らせたことを思い出す。
さらに、明日は時代絵巻の神武様の行列が7KMを練り歩く。
高千穂でエコキュートや電気温水器の工事を控えそれどころではない。
営業は心広く話題豊富が次の仕事に生きる。踏ん張りどころである。
楽しんでいただける営業トークを技としなければプロではない。
日記もそうである。テーマごとの課題を負わせ完結させたい。
地球温暖化からまとめてみたい。
ロシヤが京都議定書に批准するよう議会も承認を出した。
地球全人口の過半数以上になったのである。
各国の二酸化炭素の排出割合(%)
米国 23.1
EU 13.0
中国 11.5
ロシア5.9
日本 4.9
インド 4.4
カナダ 1.8
韓国 1.8
メキシコ 1.8
サウジ 1.5
豪 1.4
ウクライナ 1.4
各国の人口(百万人:2001年)
中国 1272
インド 1032
EU 523
米国 285
ロシア145
日本 127
メキシコ 99.4
韓国 47.3
カナダ 31.1
豪 19
ウクライナ 5.2
サウジ 2.5
日露戦争100年である。帝政の腐敗の象徴とされた首班ウイッテ。
ソ連崩壊後は経済改革の先駆者とプーチン政権で評価が一変。
シベリア鉄道をテコに中国への経済侵略と言う経済植民地主義の評価。
極東軍総司令官クロパトキンの主張する黄禍論、アジア主義で当時を席巻して日露の戦争に発展した。
今は地球環境での共存共栄を考えねば生きられない状況。
そこにビジネス・チャンスをどう嗅ぎ取るかのようである。
森林の吸収をロシアはカウントしてお金に変えろと言っている。
勝手に経済崩壊して、基準年がその崩壊前だから、削減義務が無い上に余剰分がたっぷりある。それが35%。それだけ外国に売ることができる。
そのうえ、エネルギー効率が悪い装置が多いので、今後経済成長しながら排出量を減らすことができる。実は、米国もその効果は大きい。
日本はそのうま味がほとんど無い。90年までに努力していた国は損し、努力していない国は、得なのだ。
少々、削減目標に差を付けたと言っても、たとえば米国は-7%で日本は -6%。EUは平均-8%と言っても、まだ日本のエネルギー効率の良さから見れば、不公平感が有る。
EUと言いながらたとえばドイツは旧東ドイツと併合したため、とくに東ドイツの経済崩壊分はロシア同様だし、
さらにエネルギー効率の悪い部分を擁しているからそれを改善すれば -20%(EU内で、ドイツが割り当てられている削減量がこの値だったと思う)も無理ではないと見られる。
とくに米国との差がわずか1%というのは、圧倒的に日本には不利。
逆説的に考えてみるとどうなるのか。
この温暖化、ロシアにとって気候変動で干ばつや多雨など被害が増える地方も出るだろうが、全体には温暖化で恩恵を受けるだろう。
シベリア・ツンドラ地帯のかなりが小麦地帯になるとしたら、そんな嬉しい話はない。自国がするのではない。
他国は非難されながら結果として努力不足で温暖化してしまう恩恵を受ける。
せっかく降って沸いてくる富を、今回の批准は受けない努力をすることを意味する。
それは、もちろん露にとって得策ではない。
森林吸収として見てみると、実はロシアの森林は効果があるが、ブラジルなどの森林は炭酸ガス吸収効果が怪しい。
そもそも成長段階の樹木は吸収効果が大きいが、育ちきったらもはや炭素固定の働きは無くなるのは当然。
たとえ昼、炭酸同化作用で炭酸ガスを吸収しても、夜間に呼吸して炭酸ガスをはき出した量とバランスする。
、ネイチャーで報告されたことが有る。ましてや枯死するようなことにでもなれば、朽ちて何になるかで吸収どころではなくなる。多くの場合は発酵して炭酸ガスを排出するだろう。
もしメタンになれば、温暖化効果は20倍ほどだから、かえって森林は温暖化に貢献することになってしまう。
この事実を根拠として、水力発電は実は温暖化効果が強いという発表すら有った。
だから、森林はきちんと整備しなくてはならないとしている。
アマゾンの森林は、たとえブラジルが2012年以降の第二期間で削減義務が発生しても、ロシアのような要求はできないことになる。
日本・欧州が温暖化ガス1?当たり40?以上(現在は10?以下)の価格で年間1億?以上購入する保証を取り付けるべきとし、
さらにロシアの森林が温暖化ガスを吸収している量は自国の排出量の5倍に当たるとし、この貢献分を日本・欧州から年間10-20億?補てんを要求。
40?/炭素?は現状で5000円程度とされることとそれほど違わない。
これが、炭酸ガス?当たりとすると、12/44倍となるから、約1000円程度となり、10?/?となる。
露が言うものもこの炭酸ガス当たりとすると非常に市場価格から言えば、非常に高い価格となる。
これを年間1億?購入せよというわけだから、価格では年間10億?=約1000億円である。
日本がこれを購入したらどうなるか。日本の年間排出量は10億?だから、10%相当になる。
メンテの範囲
2004年10月28日活況の景気指数を見聞きしているが、片田舎まではおよんでないようである。
ココまで不景気がサイクルをすぎてまで続くと個人事業者は青色吐息。
高城町の発電所建設・連係開始が午後2時からであった。
西屋根一面で1,6KWの発電量である。大いなる不満。
その移動地域を利用して日南のお客さんのために安久町まで飛んだ。
「施設をおろせ!」
先日会社の電話でのことであるので私にも真実はわからない。
ただ解決あるのみ。訳の負からぬクレーム処置
ここ数日の仲介者の熱意に打たれての私が判断した個人的な問題処理である。
私にしてみれば何らこの方との個人的接点はない。
太陽光発電のビジネス相手に過ぎない。
「日南まで来ていただいた方が早かったですね。」
皮肉っぽく侮蔑さえこめて
何らの感謝の言葉もなく私の心情上やりきれない。
これでも2児の母であり、車の中には60歳を過ぎた当人さんも見えた
どうやら挨拶も無しで済まされ様としておられる。
状況から察して仲介の方のみでこのままのほうが言い様だ。納得はいかない。
よくガマンできるようになった物である。仕事は人を鍛える。
この手の輩が社会を跋扈している。
日常的挨拶の乏しき社会に未来はない。
島国日本の1500年の英知は働いてはいない。
それなりの喜びでも表現していただけるなら満足も行くが、やり切れえぬ倦怠感のみ残った。ダルイ!
昨日の280万のローンもOKがいただけなかった。
そう熱意も湧かなかったので通常どうりの処理で報告した。
太陽光発電はどうもお人よし部分での嫌いがあり、ビジネスの視点が薄らいでいる
生活互助みたいな傾向をもとうとまでしている嫌いがある。
極めて私の性格から来ている危険なものであろう。
あくまでも生活をしていく上でのエネルギー部分の改良案を提示するだけである。
ビジネスそのもで常にAPAの未来がかかっている。
確かに国の補助金等も有り通常のビジネスよりより以上の携わる人々に品位が求められよう。
電機と言う特殊商品的要素も絡み本人代行部分が付きまとう。
電機の役所たる九州電力の手を借りねばならぬ。
夜は遅れてる手続き挽回で九電申請書類の本人の印かんもらいに行った。
下請けたる立場ゆえもあり、単なる押印が時間がかかりすぎる。
手続き代行者の仕事領域の広いこと。
身が持ちません!銭になりません!やってられません!
もっと郵便等を活用すべきである。
改善をしないと赤字部分であろう。
銭を稼ぐの一点で行動を作り上げた上でのすき間の仕事にしないと収支はきつくなる。
太陽光発電の仕事上やむ得ぬ物が付きまとう。
夕方にはジェツト・バスの修理依頼。
シャワー圧を上げるため菅経を大きくしたとこのお医者さん宅。
水道職人さんが明日の準備等で現場に飛んでこない。スグにスットンで来る人がである。
仕事バカのAPAの職人さんにしては極めて異常なこと。
私がやるしかない。
メーカーに構造を聞くとA,Bのタイプがあると判明。
どうやら独立型で浴槽と電機は別物のようだ。
現場の奴は電機その者が作用してないようである。
各種のリモコン、手動で試す。???
それでもジェットが作動しない??と言うことは電気配線の異常?と目安を立てる。
外のタンプラーは度重なる台風である。
高所恐怖症の限界範囲の高さを克服しての作業でモーターの復帰が確認できる。
大先輩に分電版でなく、浴槽に移動を願う。
電気の確認はできるがカンジンが動かない。
はたと考えた。??空気と水と圧力・・・一体で動くはず。
何度となく試すがリモコンに感知しないジェット軍の動き。
それが動いた!
元請さんの喜びはお客さん以上。仕事冥利に尽きる。
サービス・メンテの繰り返しではやれない。
さまざまな情報で社会は蠢いている。
日記はそうである。いろんな職種のプロの方々。
学生さんの若さから来る情熱にはパワーを頂いており、
プロには生きる知恵を頂いている。
実にさまざまな情報をお持ちでご愛読させて頂いている。
先日の夜は○○さんと行った会場はサプリメントのネット・ワークの仕事の方。たいそうなお住まい。
米国のメーカーのサプリメントである。
そのときの記憶が甦った
国際的に活躍のひらめけ!きらめけ!BOWさんの日記を参考にさせていただくとこうだ。
ヨーロッパの研究でサプリメントの利用が逆に胃腸の癌を促進しているという
考えてみれば当たり前のことだ。
科学を重んじる栄養学者ならわかることだけど。
栄養素の吸収にはそれなりのプロセスがある。
脂肪可溶性のビタミンを吸収するためには
脂肪に溶かして吸収するために、
脂肪分(コレステロールの誘導体)を分泌する機能があって
その分泌を促進する脂肪分の摂取があってこそ、
脂肪に溶けるビタミンの摂取が可能になる。
というわけで、
脂肪の摂取を抑えて、
いきなりサプリメントのような、
栄養素が凝縮された物質を送り込むのは、
ボディーブローみたいなもんだ。
一定のスパン(距離・時間)で吸収できる量は限られるので
余分な成分は一箇所に溜まることになる。
(一箇所というのは胃腸のことだけど、
「体全体」と比較して一箇所)
細胞1個あたりの栄養素にさらされる程度が
許容量を上回ってしまうと、
癌化したりしてしまうのでしょう。
何をイワンとしているかというと、
けっきょく栄養素の吸収・代謝は
食の影響が大きく左右するってことで、
お腹が空っぽだと吸収がいいかっていうと
そういうもんでもない。
特定の栄養素は
特定の機構によって摂取されたり、
食べ物の組み合わせによっては壊れやすかったり、
いろいろ複雑なのだ。
サプリメントは手軽に必要分だけ摂取できるので
魅力的なのかもしれないけれど、
そう簡単にまるく収まるかというとそうではない。
ヨーロッパ人は身をもって示してくれました。。。
ご利用は計画的に。
欧米とアジアとの違い
アジア人のカルシウム摂取は
乳製品の摂取がそれほど高くないために
欧米人のそれに比べて低いらしい。
でも吸収がいいのだそうな。
乳製品の文化に依存しないアジア人にとって
カルシウムの摂取源は大豆食品やほうれん草といった
野菜に含まれているのだが、
特にほうれん草には蓚(しゅう)酸と呼ばれる
カルシウムの吸収を妨げる成分が含まれている。
どうして吸収を妨げるかというと、
化学構造上の話になってくるので、
詳しくは避けるとして、、、
比較的、乳製品に頼らない食生活で
カルシウムの吸収が良いとなると
矛盾しているのだが
それを説明しているのが吸収する環境の違い。
カルシウムの吸収の程度は
酸性度(アルカリ性度)に依存しており
胃腸がより酸性だと吸収が良くなる。
蓚酸の阻害効果が和らぐ。
蓚酸のヒドロシキシル基のプロトンが
外れる(アルカリ性下)とキレートして
カルシウムイオンを動けなくするんですね。
あとはイオンの平衡の話も関与してくると思う。
つまり酸性化だと、陽イオンが胃腸内に豊富に存在するわけで、
陽イオンをより吸収させようというバランスを保つ力が働く。
それによってカルシウムの吸収が良くなるのかも。
実に平易でわかりやすい。聖なる医業をメンテと言うと怒られよう。
APAにもメンテの範囲があってもいいと思える。
何でも持ち込まないでほしい。
ココまで不景気がサイクルをすぎてまで続くと個人事業者は青色吐息。
高城町の発電所建設・連係開始が午後2時からであった。
西屋根一面で1,6KWの発電量である。大いなる不満。
その移動地域を利用して日南のお客さんのために安久町まで飛んだ。
「施設をおろせ!」
先日会社の電話でのことであるので私にも真実はわからない。
ただ解決あるのみ。訳の負からぬクレーム処置
ここ数日の仲介者の熱意に打たれての私が判断した個人的な問題処理である。
私にしてみれば何らこの方との個人的接点はない。
太陽光発電のビジネス相手に過ぎない。
「日南まで来ていただいた方が早かったですね。」
皮肉っぽく侮蔑さえこめて
何らの感謝の言葉もなく私の心情上やりきれない。
これでも2児の母であり、車の中には60歳を過ぎた当人さんも見えた
どうやら挨拶も無しで済まされ様としておられる。
状況から察して仲介の方のみでこのままのほうが言い様だ。納得はいかない。
よくガマンできるようになった物である。仕事は人を鍛える。
この手の輩が社会を跋扈している。
日常的挨拶の乏しき社会に未来はない。
島国日本の1500年の英知は働いてはいない。
それなりの喜びでも表現していただけるなら満足も行くが、やり切れえぬ倦怠感のみ残った。ダルイ!
昨日の280万のローンもOKがいただけなかった。
そう熱意も湧かなかったので通常どうりの処理で報告した。
太陽光発電はどうもお人よし部分での嫌いがあり、ビジネスの視点が薄らいでいる
生活互助みたいな傾向をもとうとまでしている嫌いがある。
極めて私の性格から来ている危険なものであろう。
あくまでも生活をしていく上でのエネルギー部分の改良案を提示するだけである。
ビジネスそのもで常にAPAの未来がかかっている。
確かに国の補助金等も有り通常のビジネスよりより以上の携わる人々に品位が求められよう。
電機と言う特殊商品的要素も絡み本人代行部分が付きまとう。
電機の役所たる九州電力の手を借りねばならぬ。
夜は遅れてる手続き挽回で九電申請書類の本人の印かんもらいに行った。
下請けたる立場ゆえもあり、単なる押印が時間がかかりすぎる。
手続き代行者の仕事領域の広いこと。
身が持ちません!銭になりません!やってられません!
もっと郵便等を活用すべきである。
改善をしないと赤字部分であろう。
銭を稼ぐの一点で行動を作り上げた上でのすき間の仕事にしないと収支はきつくなる。
太陽光発電の仕事上やむ得ぬ物が付きまとう。
夕方にはジェツト・バスの修理依頼。
シャワー圧を上げるため菅経を大きくしたとこのお医者さん宅。
水道職人さんが明日の準備等で現場に飛んでこない。スグにスットンで来る人がである。
仕事バカのAPAの職人さんにしては極めて異常なこと。
私がやるしかない。
メーカーに構造を聞くとA,Bのタイプがあると判明。
どうやら独立型で浴槽と電機は別物のようだ。
現場の奴は電機その者が作用してないようである。
各種のリモコン、手動で試す。???
それでもジェットが作動しない??と言うことは電気配線の異常?と目安を立てる。
外のタンプラーは度重なる台風である。
高所恐怖症の限界範囲の高さを克服しての作業でモーターの復帰が確認できる。
大先輩に分電版でなく、浴槽に移動を願う。
電気の確認はできるがカンジンが動かない。
はたと考えた。??空気と水と圧力・・・一体で動くはず。
何度となく試すがリモコンに感知しないジェット軍の動き。
それが動いた!
元請さんの喜びはお客さん以上。仕事冥利に尽きる。
サービス・メンテの繰り返しではやれない。
さまざまな情報で社会は蠢いている。
日記はそうである。いろんな職種のプロの方々。
学生さんの若さから来る情熱にはパワーを頂いており、
プロには生きる知恵を頂いている。
実にさまざまな情報をお持ちでご愛読させて頂いている。
先日の夜は○○さんと行った会場はサプリメントのネット・ワークの仕事の方。たいそうなお住まい。
米国のメーカーのサプリメントである。
そのときの記憶が甦った
国際的に活躍のひらめけ!きらめけ!BOWさんの日記を参考にさせていただくとこうだ。
ヨーロッパの研究でサプリメントの利用が逆に胃腸の癌を促進しているという
考えてみれば当たり前のことだ。
科学を重んじる栄養学者ならわかることだけど。
栄養素の吸収にはそれなりのプロセスがある。
脂肪可溶性のビタミンを吸収するためには
脂肪に溶かして吸収するために、
脂肪分(コレステロールの誘導体)を分泌する機能があって
その分泌を促進する脂肪分の摂取があってこそ、
脂肪に溶けるビタミンの摂取が可能になる。
というわけで、
脂肪の摂取を抑えて、
いきなりサプリメントのような、
栄養素が凝縮された物質を送り込むのは、
ボディーブローみたいなもんだ。
一定のスパン(距離・時間)で吸収できる量は限られるので
余分な成分は一箇所に溜まることになる。
(一箇所というのは胃腸のことだけど、
「体全体」と比較して一箇所)
細胞1個あたりの栄養素にさらされる程度が
許容量を上回ってしまうと、
癌化したりしてしまうのでしょう。
何をイワンとしているかというと、
けっきょく栄養素の吸収・代謝は
食の影響が大きく左右するってことで、
お腹が空っぽだと吸収がいいかっていうと
そういうもんでもない。
特定の栄養素は
特定の機構によって摂取されたり、
食べ物の組み合わせによっては壊れやすかったり、
いろいろ複雑なのだ。
サプリメントは手軽に必要分だけ摂取できるので
魅力的なのかもしれないけれど、
そう簡単にまるく収まるかというとそうではない。
ヨーロッパ人は身をもって示してくれました。。。
ご利用は計画的に。
欧米とアジアとの違い
アジア人のカルシウム摂取は
乳製品の摂取がそれほど高くないために
欧米人のそれに比べて低いらしい。
でも吸収がいいのだそうな。
乳製品の文化に依存しないアジア人にとって
カルシウムの摂取源は大豆食品やほうれん草といった
野菜に含まれているのだが、
特にほうれん草には蓚(しゅう)酸と呼ばれる
カルシウムの吸収を妨げる成分が含まれている。
どうして吸収を妨げるかというと、
化学構造上の話になってくるので、
詳しくは避けるとして、、、
比較的、乳製品に頼らない食生活で
カルシウムの吸収が良いとなると
矛盾しているのだが
それを説明しているのが吸収する環境の違い。
カルシウムの吸収の程度は
酸性度(アルカリ性度)に依存しており
胃腸がより酸性だと吸収が良くなる。
蓚酸の阻害効果が和らぐ。
蓚酸のヒドロシキシル基のプロトンが
外れる(アルカリ性下)とキレートして
カルシウムイオンを動けなくするんですね。
あとはイオンの平衡の話も関与してくると思う。
つまり酸性化だと、陽イオンが胃腸内に豊富に存在するわけで、
陽イオンをより吸収させようというバランスを保つ力が働く。
それによってカルシウムの吸収が良くなるのかも。
実に平易でわかりやすい。聖なる医業をメンテと言うと怒られよう。
APAにもメンテの範囲があってもいいと思える。
何でも持ち込まないでほしい。
職人技
2004年10月27日流石にトップの絡んだ調査となると張り切りが違うようだ。
屋根の実寸とりに専務、図面担当で立ち会ってるのだから、そりゃあ、りっぱだわな〜
私も「儲け!儲け!」と専務を攻め立て同じメンバーで日南・南郷町の現場にまで行ってもらった。
西都に○○○ト・クリーニングにまで行ってもらっとけば最高だったがな〜
残事業に気づくの無理からぬこと。
どうやら社長のルートが動き出してきたようである。
それも筋がいい。
中山なりあきら大臣とか松下新平代議士は、教え子、とくれば、
そりゃ〜凄いワナ〜
それに国の補助金許可書つき。将来の開けたる兆し。
こっちたら〜ローン280万をとったが、始めてのお客さんにしては、
40才過ぎなのに名刺一つ満足な渡し方が出来ない。
自分を売り込むのにテーブルになげるのはなかろう。
まったくわかってない。
それも3〜4度とボール・ペンで書き直しの名刺である。
大先輩にも同じ渡し方を見るとこの程度と思ってるフシが伺える。
なんか断りがあってもいいハズだ。
ズ〜ット付き合わねばならぬのかと思うと辛い。
社長のほうと比較すると雲泥の差がでよう。
私の役割は終わりを迎えてるようである。
利益率を上げるための改革案がいい形で実現し様としている。
まさに望んできた形である。
基礎がために時間がかかりすぎてきたがこれも雌伏3年の醸成する期間であったと納得しよう。
では足元を見るとどうか。
未来は若者の為にあり。の社風を目指すならば、どうにも心もとない。
○○の若者を引き止めることが出来ない。
これでは目指してきた物の総てが気泡に喫する。
私は何をやってきたのか。
職人集団の会社作りではなかったのか。
ようやく営業にまで気が向ける形を目指そうとしていたのこれはなんだ!
わずかな給料のすべてをお客さんルート作りに費やしてきたのも果かない物となろう。
果かないといえば、国会は党首論戦であったが二大政党のみとはいただけない。
職人技がなくては、政治には緊迫感がない。
10議席のない野党は議員立法提案さえ望めないからである。
民主も岡田では荷が重過ぎる。
せめて小沢一郎の出番でナイト格が違う。
水沢は歴史の町。
遠くは平安時代の坂上田村麻呂が登場し,阿弖流為アテルイと戦い、
後に処刑され1200年を迎えたところだ。
近世は原敬を生み、2,26事件で倒れた齊藤實、
山崎為徳は東大を去り、同志社の新島襄を助けたが若冠25歳で逝った。
箕作省吾 も優れた地理学者で「新製万国全国」「坤興図識」を著している。若くして病魔に侵され、26歳でこの世を去った
いずれも体を忘れて勉学に励みすぎた水沢気質。
高野長英は幕末の先駆者だが時の幕政に勝てなかった。
後藤新平は「鉄道・放送の父」
日本の鉄道全部を広軌(新幹線のレール幅)にした、
NHK、鉄道省それぞれの初代総裁。ボーイ・スカウト,初代総裁も勤めた。
金を残す人生は下、事業を残す人生は中、人を残す人生は上」
〜後藤新平〜
大風呂敷の異名で関東大震災下の東京を救った。
国家予算15億の頃8億を計上しようとし過半の震災で生きた。
その豪放磊落、才気煥発の経営手腕で切り盛りした
、人は石垣。人は城。人は堀。人あっての人。
社員の人望を一身に集めた男の言葉
金と事業がないと人を残せないでしょうヨ。
前二者は軽んじられているのではなく、「上」に供するものという意味でしょうヨ。
視点を転ずれば、我々の前に金と事業は既にあるでしょうか?
あるように私には思われます。
残るか否かは、人次第でしょうか。
若者の決断にかかっている。
キヅだらけの人生。
再起は望めるのか。
一敗地に塗れたからといって、それがどうしたというのだ?
すべてが失われたわけではない。」
〜ミルトン『失楽園』より
神に刃向かい、破れ、地獄の底の底の・・・底の底にまで落とされた、堕天使ラファエルが仲間を励ます時の言葉。
神の敵でさえこの心境を持ちうるのであれば、いわんや神を頼む者たちをや。
堪忍の 成る堪忍は 誰もする
成らぬ堪忍 するが堪忍
座右とすれば間違いなき人生を送れよう。
ひたすらのAPAの職人さん。
延岡エコ、ニシタチ軍鶏、急遽のフラワー・マンションそれぞれ職人は対応している。
取引関係のある方は若草通に市の5万円の店舗があるようだ。
薬効のある商品との組み併せが似合っているのかもしれない。
いい物はいい。
職人技の光る一品。
何も太陽光発電でなくって、いいのではないのかもしれない。
銭を稼ぐその一天からの境地もありか。
SORAさんは稼げてイイナ〜。
なんか稼ぎの職人技を見せてもらってるみたい。
あすの延岡のパネルあげが心もとない人数。
専務を恫喝気味。ドンゲスット?
スグにスタッフをそろえた。
この人の持ち味はこれ。
切れ味がいいのだけが職人技ではない。
技の評価は難しい。
屋根の実寸とりに専務、図面担当で立ち会ってるのだから、そりゃあ、りっぱだわな〜
私も「儲け!儲け!」と専務を攻め立て同じメンバーで日南・南郷町の現場にまで行ってもらった。
西都に○○○ト・クリーニングにまで行ってもらっとけば最高だったがな〜
残事業に気づくの無理からぬこと。
どうやら社長のルートが動き出してきたようである。
それも筋がいい。
中山なりあきら大臣とか松下新平代議士は、教え子、とくれば、
そりゃ〜凄いワナ〜
それに国の補助金許可書つき。将来の開けたる兆し。
こっちたら〜ローン280万をとったが、始めてのお客さんにしては、
40才過ぎなのに名刺一つ満足な渡し方が出来ない。
自分を売り込むのにテーブルになげるのはなかろう。
まったくわかってない。
それも3〜4度とボール・ペンで書き直しの名刺である。
大先輩にも同じ渡し方を見るとこの程度と思ってるフシが伺える。
なんか断りがあってもいいハズだ。
ズ〜ット付き合わねばならぬのかと思うと辛い。
社長のほうと比較すると雲泥の差がでよう。
私の役割は終わりを迎えてるようである。
利益率を上げるための改革案がいい形で実現し様としている。
まさに望んできた形である。
基礎がために時間がかかりすぎてきたがこれも雌伏3年の醸成する期間であったと納得しよう。
では足元を見るとどうか。
未来は若者の為にあり。の社風を目指すならば、どうにも心もとない。
○○の若者を引き止めることが出来ない。
これでは目指してきた物の総てが気泡に喫する。
私は何をやってきたのか。
職人集団の会社作りではなかったのか。
ようやく営業にまで気が向ける形を目指そうとしていたのこれはなんだ!
わずかな給料のすべてをお客さんルート作りに費やしてきたのも果かない物となろう。
果かないといえば、国会は党首論戦であったが二大政党のみとはいただけない。
職人技がなくては、政治には緊迫感がない。
10議席のない野党は議員立法提案さえ望めないからである。
民主も岡田では荷が重過ぎる。
せめて小沢一郎の出番でナイト格が違う。
水沢は歴史の町。
遠くは平安時代の坂上田村麻呂が登場し,阿弖流為アテルイと戦い、
後に処刑され1200年を迎えたところだ。
近世は原敬を生み、2,26事件で倒れた齊藤實、
山崎為徳は東大を去り、同志社の新島襄を助けたが若冠25歳で逝った。
箕作省吾 も優れた地理学者で「新製万国全国」「坤興図識」を著している。若くして病魔に侵され、26歳でこの世を去った
いずれも体を忘れて勉学に励みすぎた水沢気質。
高野長英は幕末の先駆者だが時の幕政に勝てなかった。
後藤新平は「鉄道・放送の父」
日本の鉄道全部を広軌(新幹線のレール幅)にした、
NHK、鉄道省それぞれの初代総裁。ボーイ・スカウト,初代総裁も勤めた。
金を残す人生は下、事業を残す人生は中、人を残す人生は上」
〜後藤新平〜
大風呂敷の異名で関東大震災下の東京を救った。
国家予算15億の頃8億を計上しようとし過半の震災で生きた。
その豪放磊落、才気煥発の経営手腕で切り盛りした
、人は石垣。人は城。人は堀。人あっての人。
社員の人望を一身に集めた男の言葉
金と事業がないと人を残せないでしょうヨ。
前二者は軽んじられているのではなく、「上」に供するものという意味でしょうヨ。
視点を転ずれば、我々の前に金と事業は既にあるでしょうか?
あるように私には思われます。
残るか否かは、人次第でしょうか。
若者の決断にかかっている。
キヅだらけの人生。
再起は望めるのか。
一敗地に塗れたからといって、それがどうしたというのだ?
すべてが失われたわけではない。」
〜ミルトン『失楽園』より
神に刃向かい、破れ、地獄の底の底の・・・底の底にまで落とされた、堕天使ラファエルが仲間を励ます時の言葉。
神の敵でさえこの心境を持ちうるのであれば、いわんや神を頼む者たちをや。
堪忍の 成る堪忍は 誰もする
成らぬ堪忍 するが堪忍
座右とすれば間違いなき人生を送れよう。
ひたすらのAPAの職人さん。
延岡エコ、ニシタチ軍鶏、急遽のフラワー・マンションそれぞれ職人は対応している。
取引関係のある方は若草通に市の5万円の店舗があるようだ。
薬効のある商品との組み併せが似合っているのかもしれない。
いい物はいい。
職人技の光る一品。
何も太陽光発電でなくって、いいのではないのかもしれない。
銭を稼ぐその一天からの境地もありか。
SORAさんは稼げてイイナ〜。
なんか稼ぎの職人技を見せてもらってるみたい。
あすの延岡のパネルあげが心もとない人数。
専務を恫喝気味。ドンゲスット?
スグにスタッフをそろえた。
この人の持ち味はこれ。
切れ味がいいのだけが職人技ではない。
技の評価は難しい。
思考の停止
2004年10月26日紫煙が私の指から消えた。
昨日の日記は紫煙ナシで書いてある祈念すべき物であった。
よって、いつもより以上に推敲が足りず軽薄の限りでお恥かしい次第である。
ところで、何かあるといつもの怨念が必ず起こるのである。
○○電機のお偉いさんより携帯。
「せきやんさん、日記はどうやったら出てくっと・・・パソコンをリニュアルしたらでてこん!」
ご愛読いただいてる大メーカーの方。
私の24時間を賭け生きてる姿を評価していただいてる。
他にも、ご評価いただいてる方々がおられる。
お陰で毎日200ヒットと有り難い日記となった。
「ヒトより頑張ってる物を示してみろ!」
初めて営業に食い込んで最後通牒で出る言葉は決まっている。
いろいろ会社説明してもダメで個人の問題となってくる。
「貴方はどのように生きてますか。本物の生き方をしていますか」
説明できる物としたら具体的に継続してるこの日記である。
継続はチカラナリ。
いかなることがあろうとも必ず書きつづけている。
APAの社会的評価を上げるためそれ以外に何の他意もない。誓ってそうである。
このようにして営業を拡大してきた。
もちろん私にそんな知恵があるはずがなく、若き工学部出身の方を含め会議後の実行者に過ぎない。
経過からしても私にしてみれば仕事の一環である。
但、多忙でも有り深夜に書き、精一杯生きてる証でもある。
ところが価値観の違いは如何ともしがたい。
待ったがかかった。
営業に関することをの悪口を書いたりしていてて、美味くいくはずがない。とのことだ。
情報公開の社会であることの認識の差が出てるに過ぎない。
かっての情報管理で経営状況を隠すことから生じる社会的事件までになることの多いこと。
ダイエーの再生機構での救済劇とあげれば枚挙にいとまがない。
かっての流通界のドンたる堤康二郎に五島啓太。
ミカドの肖像であったかバブル期以前に1年間連載され好評を博した。
ピストル堤に強盗啓太とその辣腕ぶりが褒め称えられた時代は終わり社会は変化した。
その康二郎の異母兄弟のコクドの西武とセゾン、西武百貨店を率いた堤兄弟がそれぞれ幕を引いた。
ワンマン経営が招いた結末。二人の談話に共通するのは情報公開を怠った。の反省の弁である。
堤清二は二束のわらじで流行作家の辻井隆のペンネームと両立させていた日本一多忙なる人でもあった。
例えれば東京都知事の石原慎太郎と同じである。
週刊誌の特集を拝見したことのかすかな記憶がある。そのヒトをもってしてもそうであった、
自由なる雰囲気の会社のほうが時代の要請なのである。若し社員の声が木霊する会社が伸びる。
未来派若者の物であり、何時の世も厳しき時代の荒波を切り拓いていくしかない。
年老いた物の責任である。
真実はただ一つ。生命体たるヒトは死ぬという事実だけである。
備えあれば憂いナシ、次に供えての日常の繰り返し
『年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず』(唐時代の詩人劉希夷)。自然界の繰り返しに比べ人間社会の激しい変化の表現。
祖が遊牧の大陸系民族と、自然に囲まれた島国の日本民族とには変化への対応に差があるのはDNAの違い。
ヒト・ゲノムが解読され塩基配列30億が総て理解された時の
01年6月のワシントンには米・英のトップがそろって記者会見した。
が日本のトップは呼ばれてさえいなかった。
官側の責任者和田昭充理化学研究所長兼科学研究センター所長の讒吟の言葉が羅列されている。
ゲノム敗北で無念さを語る。
ゲノムの研究の貢献度は米59パーセント、英国31パーセント、
日本6パーセントと完全に貢献度に差が出た。
木戸考充の孫にしてこの所長さんは明治の血が騒ぐのか。
DNAを持ち合わせてる悲しさゆえか。
私のDNAと似通っているのかもしれない。
一生懸命が一部のものの性で報われない。
私の場合はチェック者の存在。そのヒトの讒言。
兄たる、頼朝に打たれるときの義経の状態である。
頼朝のソバに使える梶原景時の讒言者の存在がよくわかる。
スパイモドキで楽しいだろうが所詮APAの発展の疎外者。
営業して仕事とってこい!金稼げ!と叫びたい。
APAにはチェック者を抱えるそんな余裕はない。
『日本人の意識変革には最低十年かかる』(石井久語録)
しかしバブル崩壊後十余年ようやく社会的大きな変化の兆しが感じられる。組織の見直しの社会化である。
社会事件的扱いはよくない中内ダイエーの半生にしろ創立者に付きまとう苦労の産物であった。
そういえばダイエーは秋季宮崎キャンプ中である。
老兵は消え行くのみは洋の東西を問わず存在する格言である。
全体のみとうしが聞かぬと感じたらそうすべきである。
今日もそうであった。役所たる九電が同行してるので雨の日の連係。
黒江発電所の完成・連携は大雨の中であった。
発電量は少ないので逆潮流の確認がしっかりと出来なく日射量不足の表示さえ出たりで手数が入った。
工事部隊は大雨の中ナント3ヶ所もの電機温水器、エコ・キュートの工事である。
霜降は10月23日であった。昼の車の移動にはクーラーが入ったのに朝夕は急に寒さがやってきている。
その前日旧暦9月9日は中国のお祝い事といえば、重陽節(別名、重九節)。
新暦の10月下旬にあたる旧暦の9月9日は、7つある重日節(1月1日、2月2日、3月3日、5月5日、6月6日、7月7日、9月9日)の中でも、
2つの最大の陽数が重なることから、一番重要な祭日とされている。
古くは、戦国時代の詩人、屈原の詩の中に、そして唐や宋の時代の有名な詩人の作品にも、
重陽の様子が数多く描かれていることから、人々がこの行事をいかに大切にしていたかが、伺える。
〈菊花茶〉9月の重陽節、門を開ければ菊の花」唐時代の詩人、王勃。
重陽節になると、人々は高いところに登ったり、菊の花を愛でたり、
ゴシュユ(ミカン科の植物)を髪に飾ったり、菊花酒や菊花茶を飲んだり、重陽菓子を食べたりして、この行事を楽しむ。
また、陝西省では、お嫁にいった娘が実家へ重陽菓子を食べに帰ったり、逆に、家から娘や外孫へ重陽菓子を贈ったりする風習が残っていて、「娘節」とも呼ばれている。
なんとも、うらやましい習慣…。日本の年末風景なりに似ている。
さわやかな秋風が菊の香りを運ぶ頃、菊花茶を飲んで、ゴシュユを髪に挿すと、魔よけになるといわれている。
ちなみに、高いところへ登ったり、重陽菓子を食べたりすると、どんどん出世していくのだそうだ。
「 秋風吹く中、詩人は菊花を思い、酒飲みは蟹に思いを馳せる」と言う。
「片手に蟹、片手に杯」は『世説新語』の歌という。
中国絵画でも、蟹と菊は、秋をあらわすのに一番よく描かれるモチーフ
私にはどちらもまだ無縁状態である。
ゆとりを持った営業には甚だ遠い状況である。
思考の停止状態をどう解消しようか。
解決案はない。
昨日の日記は紫煙ナシで書いてある祈念すべき物であった。
よって、いつもより以上に推敲が足りず軽薄の限りでお恥かしい次第である。
ところで、何かあるといつもの怨念が必ず起こるのである。
○○電機のお偉いさんより携帯。
「せきやんさん、日記はどうやったら出てくっと・・・パソコンをリニュアルしたらでてこん!」
ご愛読いただいてる大メーカーの方。
私の24時間を賭け生きてる姿を評価していただいてる。
他にも、ご評価いただいてる方々がおられる。
お陰で毎日200ヒットと有り難い日記となった。
「ヒトより頑張ってる物を示してみろ!」
初めて営業に食い込んで最後通牒で出る言葉は決まっている。
いろいろ会社説明してもダメで個人の問題となってくる。
「貴方はどのように生きてますか。本物の生き方をしていますか」
説明できる物としたら具体的に継続してるこの日記である。
継続はチカラナリ。
いかなることがあろうとも必ず書きつづけている。
APAの社会的評価を上げるためそれ以外に何の他意もない。誓ってそうである。
このようにして営業を拡大してきた。
もちろん私にそんな知恵があるはずがなく、若き工学部出身の方を含め会議後の実行者に過ぎない。
経過からしても私にしてみれば仕事の一環である。
但、多忙でも有り深夜に書き、精一杯生きてる証でもある。
ところが価値観の違いは如何ともしがたい。
待ったがかかった。
営業に関することをの悪口を書いたりしていてて、美味くいくはずがない。とのことだ。
情報公開の社会であることの認識の差が出てるに過ぎない。
かっての情報管理で経営状況を隠すことから生じる社会的事件までになることの多いこと。
ダイエーの再生機構での救済劇とあげれば枚挙にいとまがない。
かっての流通界のドンたる堤康二郎に五島啓太。
ミカドの肖像であったかバブル期以前に1年間連載され好評を博した。
ピストル堤に強盗啓太とその辣腕ぶりが褒め称えられた時代は終わり社会は変化した。
その康二郎の異母兄弟のコクドの西武とセゾン、西武百貨店を率いた堤兄弟がそれぞれ幕を引いた。
ワンマン経営が招いた結末。二人の談話に共通するのは情報公開を怠った。の反省の弁である。
堤清二は二束のわらじで流行作家の辻井隆のペンネームと両立させていた日本一多忙なる人でもあった。
例えれば東京都知事の石原慎太郎と同じである。
週刊誌の特集を拝見したことのかすかな記憶がある。そのヒトをもってしてもそうであった、
自由なる雰囲気の会社のほうが時代の要請なのである。若し社員の声が木霊する会社が伸びる。
未来派若者の物であり、何時の世も厳しき時代の荒波を切り拓いていくしかない。
年老いた物の責任である。
真実はただ一つ。生命体たるヒトは死ぬという事実だけである。
備えあれば憂いナシ、次に供えての日常の繰り返し
『年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず』(唐時代の詩人劉希夷)。自然界の繰り返しに比べ人間社会の激しい変化の表現。
祖が遊牧の大陸系民族と、自然に囲まれた島国の日本民族とには変化への対応に差があるのはDNAの違い。
ヒト・ゲノムが解読され塩基配列30億が総て理解された時の
01年6月のワシントンには米・英のトップがそろって記者会見した。
が日本のトップは呼ばれてさえいなかった。
官側の責任者和田昭充理化学研究所長兼科学研究センター所長の讒吟の言葉が羅列されている。
ゲノム敗北で無念さを語る。
ゲノムの研究の貢献度は米59パーセント、英国31パーセント、
日本6パーセントと完全に貢献度に差が出た。
木戸考充の孫にしてこの所長さんは明治の血が騒ぐのか。
DNAを持ち合わせてる悲しさゆえか。
私のDNAと似通っているのかもしれない。
一生懸命が一部のものの性で報われない。
私の場合はチェック者の存在。そのヒトの讒言。
兄たる、頼朝に打たれるときの義経の状態である。
頼朝のソバに使える梶原景時の讒言者の存在がよくわかる。
スパイモドキで楽しいだろうが所詮APAの発展の疎外者。
営業して仕事とってこい!金稼げ!と叫びたい。
APAにはチェック者を抱えるそんな余裕はない。
『日本人の意識変革には最低十年かかる』(石井久語録)
しかしバブル崩壊後十余年ようやく社会的大きな変化の兆しが感じられる。組織の見直しの社会化である。
社会事件的扱いはよくない中内ダイエーの半生にしろ創立者に付きまとう苦労の産物であった。
そういえばダイエーは秋季宮崎キャンプ中である。
老兵は消え行くのみは洋の東西を問わず存在する格言である。
全体のみとうしが聞かぬと感じたらそうすべきである。
今日もそうであった。役所たる九電が同行してるので雨の日の連係。
黒江発電所の完成・連携は大雨の中であった。
発電量は少ないので逆潮流の確認がしっかりと出来なく日射量不足の表示さえ出たりで手数が入った。
工事部隊は大雨の中ナント3ヶ所もの電機温水器、エコ・キュートの工事である。
霜降は10月23日であった。昼の車の移動にはクーラーが入ったのに朝夕は急に寒さがやってきている。
その前日旧暦9月9日は中国のお祝い事といえば、重陽節(別名、重九節)。
新暦の10月下旬にあたる旧暦の9月9日は、7つある重日節(1月1日、2月2日、3月3日、5月5日、6月6日、7月7日、9月9日)の中でも、
2つの最大の陽数が重なることから、一番重要な祭日とされている。
古くは、戦国時代の詩人、屈原の詩の中に、そして唐や宋の時代の有名な詩人の作品にも、
重陽の様子が数多く描かれていることから、人々がこの行事をいかに大切にしていたかが、伺える。
〈菊花茶〉9月の重陽節、門を開ければ菊の花」唐時代の詩人、王勃。
重陽節になると、人々は高いところに登ったり、菊の花を愛でたり、
ゴシュユ(ミカン科の植物)を髪に飾ったり、菊花酒や菊花茶を飲んだり、重陽菓子を食べたりして、この行事を楽しむ。
また、陝西省では、お嫁にいった娘が実家へ重陽菓子を食べに帰ったり、逆に、家から娘や外孫へ重陽菓子を贈ったりする風習が残っていて、「娘節」とも呼ばれている。
なんとも、うらやましい習慣…。日本の年末風景なりに似ている。
さわやかな秋風が菊の香りを運ぶ頃、菊花茶を飲んで、ゴシュユを髪に挿すと、魔よけになるといわれている。
ちなみに、高いところへ登ったり、重陽菓子を食べたりすると、どんどん出世していくのだそうだ。
「 秋風吹く中、詩人は菊花を思い、酒飲みは蟹に思いを馳せる」と言う。
「片手に蟹、片手に杯」は『世説新語』の歌という。
中国絵画でも、蟹と菊は、秋をあらわすのに一番よく描かれるモチーフ
私にはどちらもまだ無縁状態である。
ゆとりを持った営業には甚だ遠い状況である。
思考の停止状態をどう解消しようか。
解決案はない。
言霊
2004年10月25日西都市上田発電所の完成日。延岡は天日下ろしと次回現場の等の事前打ち合わせに3人。
10時の連係に対して8時30分には現地でテストを繰り返していた。
事前点検である。
西都の発電所では前回怖い思いをしている。
電気はゾンザイな扱い方では怖い!を実感したゆえゲン直し。
時間のゆとりは営業に生きる。
隣りの方に営業する余裕も生まれた。
ナント!見積OKさえでた。
会社経営の一番は営業である。
社長が今月初めについで二日目ぶりにAPAに復帰。
かって私が当たってた方を連れてきた。
こやつ!卑劣な奴。人間としては下劣極まりない、たいした人物ではない。
二枚舌。がこうも、よ〜く出来る物である。
会社に商品納入の負い目があるので社長と私共営業を量りにかけて生きている。
もちろん事務方にも愛想よしだがAPA事態には挨拶一つない。
我らだってお客さんではないのか。
APAの商品利用ブンだけでもキャンセルである。
歪な管理構造のAPAゆに何一つ環境が整ってないことの現象の一つ。
妾の子の悲哀を味わっている。
それに限らず勤務条件の総てになるとどうにもいただけない。
APAにはうら若き現代っ子もいる。
勤務条件の違いは退社に繋がる。
これでは定着しない。職人はそう簡単には育つ物ではない。
しかしながら一端お預かりした以上は一人前に仕立て上げる社会的責任がある。
職人会社の自負と信念において、時には厳しく、職人社会を叩き込む。
清武の産業開発青年隊デモ出てればその教育はいらぬ即戦力。
若者の定着は誠意ある会社にかかっている。
APAに横たわる諸問題は僅かの社歴ながら根本的に摘出しなければ繰り返される惨事のようである。
個人的にも生き様の基本から日常の総てにわたり、それが反省させられた
不義理の限りの大先輩がお見えになり、目が覚めた。
逃げ廻っていた感の人生観を開眼させてもらった。
二度目である。仏の顔も三度まで、やらねばならぬ。
この人の助けを借り事業に取り組んだのは4年前のようであった。
国家の前に挫折して、頓挫した。
借り入れが基本の資産はそのときの人々に言い様に処分されたようである、ことも判明した。
どうも騙されやすい性分のようである。
誠心誠意、努力するとの形はその人の置かれてる立場で随分と違ってくるのではなかろうか。
実はAPAの営業の職種に滅私奉公でまい進してるつもりの私であるが
身近の自分の目に留まる社員のほうが社長は信用してる嫌いがある。
努力の形として嫌いなパソコンに取り組んでみた。
日記の皆さんからパワーを頂いている。
その恩返しと、毎日を生き抜いてる証として睡眠時間を割いて夜12時からこの日記を書いている。
浅学非才の徒に文章が美味く書けるわけはない。
ひたすら毎日を誠実に生きてる証明のつもりである。
私にしてみれば営業としての信用を得る為とのかってな思い込みがある。
とこらが、当然全員がいい顔をしてる訳はなかろう。会社のパソコンである。
私とて立場が違えばそう思考するのであろうか。
私ほど騙されやすい者はいない。さらに自己犠牲の典型で破滅型とくれば完全なる危険思想なのであろう。
一家離散をも、時と場合にはやむえぬもの。との思考形態が常識人にあるはずがない。
カッコ付けの二重人格者といわれても確かに仕方ない。
小さい時から新聞配達や土方のアルバイトに明け暮れ、稼いだ金は友達との遊興費に消えた。
宵越しの金は持たない主義で生きてきた。
そのときが抜けきっていないのか。そのまんま大人になったのだろう。
振り返ってみると何時も会計係を務めていた。
ミエでもイイ格好しでもなく単なる自然なことであった。
ところが誰でもそうしたいと言われる。
それをしないから、家庭が守れている。
まず顛末を付けねば裏切りその者である。
確かにそうであるが、私にしては36計逃げるにしかづではないが、ただいまのところはどうしようもない現実がある。
、
何とかしなければならぬ焦りがある。守銭奴になって銭を稼ぐとの宣言を忘れてきたようだ。
「自分を冷静に見詰めてみろ!」
「二重人格でかっこよすぎる日常を過ごしてるのではないのか。」
「まず自分を律すること。修行である。」
「それで精一杯生きているのを認めていただけるならそれも実行しよう。」
何ができるのか。
「タバコを止めること」を誓った。
営業歩合社員での身分ゆえ、薄給どころではない。
ところがまったく歩合がない。
売上の総ては私の実績一ヶ月の結晶である。
APAが大きくなるまではと諦めていた。
給料の総てを営業経費に当てている。
給料といえるほどでもないゆえ毎月の帳尻が合ってるはずがない。
不満はストレスであったのかも知れぬ。
考えてみればお人よしの情熱家、騙されてる状況。
意見聞くときゃ頭をお下げ下げりゃ意見が通りこす不孝者
怯えの中での日常だが満足する引継ぎが進まずこれでは意味がないのではないか。
焦りが恐怖となり大きく包み迫ってくる。
ここには祖先の霊があるようだ。
思わず般若心境をつぶやいている私。
この272文字には何かがある。
無宗教の私でさえ支えである
目からうろこどころか火花が出た
総てがすっきりした。これからの人生観の変更、生き方が見えてきたゆえであろう。
久しぶりグッスリ睡眠が取れた。
ただ心のヒダは、ただれている、休養が必要である。言うと所の癒しである。
新聞記事によるとこうである。
NHK連ドラ「わかば」効果 癒しの空間、杉木立が人気−−飫肥城旧本丸跡 /宮崎【木元六男】
地元住民以外は立ち寄る人も少なかった日南市の飫肥城旧本丸跡に、観光客が詰め掛けている。
飫肥を舞台にしたNHK朝の連続テレビ小説「わかば」にたびたび登場する場所。
“杉木立の癒やしの空間”が人気を呼び、新しい観光スポットになっている。
旧本丸跡は飫肥城に2カ所ある新旧本丸跡の一つ。
樹齢100年余の飫肥杉約80本がそびえ立ち、木漏れ日の差す静かな場所。ドラマのヒロインわかばは、悩み事があるとここを訪れる。
観光客は手前の「松尾の丸」でUターンすることが多く、これまでは訪れる人はまれ。しかしドラマの放送開始後、飫肥に着くと一直線に旧本丸跡を目指す観光客が増えた。
今月から飫肥に観光案内所を常設している市観光ガイドボランティアの会の伊東正直会長(72)らによると、観光客の質問で多いのがドラマに出てくる焼酎蔵元と旧本丸跡の場所だという。
川南町の天尾洋子さん(50)ら縫製会社の女性8人のグループも15日、旧本丸跡を訪れた。「飫肥には何度か来たが、ここは初めて」「風の音がさわやかで癒やされる思い」などと話していた。
この杉林は霧島温泉の一角にあるホテルと同じぐらいの年輪がろう。
間伐して育てるみほんがここにはあり、時代を感じ癒される。
営々と営まれてきた民族の歴史を感づる。
古き良き集落に生まれしDNAを受け継いでいるゆえ、不義理の日常は
心中、苦しんできた。
素直がイイ。自分にあった生き方。
かっての自分に返らねばならぬ。
TPSなんか飛んでゆけ。
重き記憶の中にある国家、家族、身内、友人に対する恐怖感はなかなか直れるものではない。
良くぞココまで立ち直ってるとご褒美である。
あとは顛末を総てにつけること。人生はバランス・シートである。
言霊が飛んでいた。
勇気を与えてくれる
ありがとうございます。
10時の連係に対して8時30分には現地でテストを繰り返していた。
事前点検である。
西都の発電所では前回怖い思いをしている。
電気はゾンザイな扱い方では怖い!を実感したゆえゲン直し。
時間のゆとりは営業に生きる。
隣りの方に営業する余裕も生まれた。
ナント!見積OKさえでた。
会社経営の一番は営業である。
社長が今月初めについで二日目ぶりにAPAに復帰。
かって私が当たってた方を連れてきた。
こやつ!卑劣な奴。人間としては下劣極まりない、たいした人物ではない。
二枚舌。がこうも、よ〜く出来る物である。
会社に商品納入の負い目があるので社長と私共営業を量りにかけて生きている。
もちろん事務方にも愛想よしだがAPA事態には挨拶一つない。
我らだってお客さんではないのか。
APAの商品利用ブンだけでもキャンセルである。
歪な管理構造のAPAゆに何一つ環境が整ってないことの現象の一つ。
妾の子の悲哀を味わっている。
それに限らず勤務条件の総てになるとどうにもいただけない。
APAにはうら若き現代っ子もいる。
勤務条件の違いは退社に繋がる。
これでは定着しない。職人はそう簡単には育つ物ではない。
しかしながら一端お預かりした以上は一人前に仕立て上げる社会的責任がある。
職人会社の自負と信念において、時には厳しく、職人社会を叩き込む。
清武の産業開発青年隊デモ出てればその教育はいらぬ即戦力。
若者の定着は誠意ある会社にかかっている。
APAに横たわる諸問題は僅かの社歴ながら根本的に摘出しなければ繰り返される惨事のようである。
個人的にも生き様の基本から日常の総てにわたり、それが反省させられた
不義理の限りの大先輩がお見えになり、目が覚めた。
逃げ廻っていた感の人生観を開眼させてもらった。
二度目である。仏の顔も三度まで、やらねばならぬ。
この人の助けを借り事業に取り組んだのは4年前のようであった。
国家の前に挫折して、頓挫した。
借り入れが基本の資産はそのときの人々に言い様に処分されたようである、ことも判明した。
どうも騙されやすい性分のようである。
誠心誠意、努力するとの形はその人の置かれてる立場で随分と違ってくるのではなかろうか。
実はAPAの営業の職種に滅私奉公でまい進してるつもりの私であるが
身近の自分の目に留まる社員のほうが社長は信用してる嫌いがある。
努力の形として嫌いなパソコンに取り組んでみた。
日記の皆さんからパワーを頂いている。
その恩返しと、毎日を生き抜いてる証として睡眠時間を割いて夜12時からこの日記を書いている。
浅学非才の徒に文章が美味く書けるわけはない。
ひたすら毎日を誠実に生きてる証明のつもりである。
私にしてみれば営業としての信用を得る為とのかってな思い込みがある。
とこらが、当然全員がいい顔をしてる訳はなかろう。会社のパソコンである。
私とて立場が違えばそう思考するのであろうか。
私ほど騙されやすい者はいない。さらに自己犠牲の典型で破滅型とくれば完全なる危険思想なのであろう。
一家離散をも、時と場合にはやむえぬもの。との思考形態が常識人にあるはずがない。
カッコ付けの二重人格者といわれても確かに仕方ない。
小さい時から新聞配達や土方のアルバイトに明け暮れ、稼いだ金は友達との遊興費に消えた。
宵越しの金は持たない主義で生きてきた。
そのときが抜けきっていないのか。そのまんま大人になったのだろう。
振り返ってみると何時も会計係を務めていた。
ミエでもイイ格好しでもなく単なる自然なことであった。
ところが誰でもそうしたいと言われる。
それをしないから、家庭が守れている。
まず顛末を付けねば裏切りその者である。
確かにそうであるが、私にしては36計逃げるにしかづではないが、ただいまのところはどうしようもない現実がある。
、
何とかしなければならぬ焦りがある。守銭奴になって銭を稼ぐとの宣言を忘れてきたようだ。
「自分を冷静に見詰めてみろ!」
「二重人格でかっこよすぎる日常を過ごしてるのではないのか。」
「まず自分を律すること。修行である。」
「それで精一杯生きているのを認めていただけるならそれも実行しよう。」
何ができるのか。
「タバコを止めること」を誓った。
営業歩合社員での身分ゆえ、薄給どころではない。
ところがまったく歩合がない。
売上の総ては私の実績一ヶ月の結晶である。
APAが大きくなるまではと諦めていた。
給料の総てを営業経費に当てている。
給料といえるほどでもないゆえ毎月の帳尻が合ってるはずがない。
不満はストレスであったのかも知れぬ。
考えてみればお人よしの情熱家、騙されてる状況。
意見聞くときゃ頭をお下げ下げりゃ意見が通りこす不孝者
怯えの中での日常だが満足する引継ぎが進まずこれでは意味がないのではないか。
焦りが恐怖となり大きく包み迫ってくる。
ここには祖先の霊があるようだ。
思わず般若心境をつぶやいている私。
この272文字には何かがある。
無宗教の私でさえ支えである
目からうろこどころか火花が出た
総てがすっきりした。これからの人生観の変更、生き方が見えてきたゆえであろう。
久しぶりグッスリ睡眠が取れた。
ただ心のヒダは、ただれている、休養が必要である。言うと所の癒しである。
新聞記事によるとこうである。
NHK連ドラ「わかば」効果 癒しの空間、杉木立が人気−−飫肥城旧本丸跡 /宮崎【木元六男】
地元住民以外は立ち寄る人も少なかった日南市の飫肥城旧本丸跡に、観光客が詰め掛けている。
飫肥を舞台にしたNHK朝の連続テレビ小説「わかば」にたびたび登場する場所。
“杉木立の癒やしの空間”が人気を呼び、新しい観光スポットになっている。
旧本丸跡は飫肥城に2カ所ある新旧本丸跡の一つ。
樹齢100年余の飫肥杉約80本がそびえ立ち、木漏れ日の差す静かな場所。ドラマのヒロインわかばは、悩み事があるとここを訪れる。
観光客は手前の「松尾の丸」でUターンすることが多く、これまでは訪れる人はまれ。しかしドラマの放送開始後、飫肥に着くと一直線に旧本丸跡を目指す観光客が増えた。
今月から飫肥に観光案内所を常設している市観光ガイドボランティアの会の伊東正直会長(72)らによると、観光客の質問で多いのがドラマに出てくる焼酎蔵元と旧本丸跡の場所だという。
川南町の天尾洋子さん(50)ら縫製会社の女性8人のグループも15日、旧本丸跡を訪れた。「飫肥には何度か来たが、ここは初めて」「風の音がさわやかで癒やされる思い」などと話していた。
この杉林は霧島温泉の一角にあるホテルと同じぐらいの年輪がろう。
間伐して育てるみほんがここにはあり、時代を感じ癒される。
営々と営まれてきた民族の歴史を感づる。
古き良き集落に生まれしDNAを受け継いでいるゆえ、不義理の日常は
心中、苦しんできた。
素直がイイ。自分にあった生き方。
かっての自分に返らねばならぬ。
TPSなんか飛んでゆけ。
重き記憶の中にある国家、家族、身内、友人に対する恐怖感はなかなか直れるものではない。
良くぞココまで立ち直ってるとご褒美である。
あとは顛末を総てにつけること。人生はバランス・シートである。
言霊が飛んでいた。
勇気を与えてくれる
ありがとうございます。
美しき心。
2004年10月24日日曜日は稼ぎどき。日南、高岡の予定があったがキャンセル。
緊急な、お勉強の依頼の電話を受け、対応することとした。
ところが、早朝約束の時間に1時間もおくれて見えられ、
「忙しい!」には閉口。
それでも食事時間は充分とられ、しっかり昼食は私持ちである。
なのに研修場所の選定は5分と時間がない様ではどうしようもない。
現地散会後直ちに「○○スイハウス」のメーカー展示会に駆けつける。
お仕事を頂いてるメーカーさんも出店されておられるので応援。
先ほど営業研修していた方々にも現地研修のつもりで連絡した。
人間性、男と女の違いが出る。
どうにもオバチャンは苦手。
案内の携帯に対しても
「言う間がないほどいそがし〜っちゃろ!」
途中何度となく携帯がなる。こちらは接客中。
仲間内の携帯に出てる暇はない。
相手の行動一つ読めることもしない自己中心のみ。
自己研修をする意欲がどうにも違う。
お見え頂いた男の場合は丁寧な言葉で喜びを表現された。
各種のメーカーの展示会は自己勉強の格好の機会。
メモ一つとろうともせず、差し入れもナシでひたすら現地でも
苦情気味の侮蔑含みの言葉のみではチョト疲れる。
それもお客さんに応対中であろうが。話し掛けるな!
「丸い玉子も切りよで四角 ものも言いようで角がたつ 」
月末で売上がほしいのに、こんなとこにいる
そんな暇はないのにひたすらメーカーさんのために粉骨砕身のお勤め中ではないか。
これからどうなるものやら。
誰か交代してくれ!や〜〜だ〜。
ホントに地球環境の改善を標榜しての行動が取れるのであろうか。
稼ぎだけでの販売活動ではエゲツなかろう。
わがAPAの青年職人のほうが何ぼか大人で営業ができている。
必死でIHを使って揚げ物である。
なれぬ手つきがかえって誠意を感じられるお客さんたちであろう。
できる奴と出来ない奴いっしょくタンでは辛すぎる。
昨夕の新潟の災害のひどさは、会場の地震体験装置でよりいっそうその凄く怖いことを我が目で見た。
43年十勝沖地震の再現である。マグニィ・チュード「6」。
地震の強弱の表現はこれ以上はない。
マグニィ・チュード「8」とか「9」とかは存在しない。
神戸震災を受け「7」ができたのでそれを最高とする。
今回の新潟の異常さがわかろうという物だ。
驚き参ってしまったのは、日記を愛読させて頂いてるSORAさんだ。
義捐金受付先を調べ、衣類とかできることの総てを、かの忙しき人が直ちに実行されている。
上を思えば限りがないと 下を見て咲く百合の花
この美しき心を少しでも私も分け与えていただきたい。
母は強く、美しい。生きる指針、私もかくありたい。
義を見てせざるは勇なきなり!
どうにもお株を奪われてしまった。
さて私には何ができるのか。ドウスル!どうする!
すがすがしく、秋風の如く気持ちがいい。
気になる気持ちで新聞を見ると
その記事の気になること。
世界自然保護基金(WWF)は昨日、人類が地球の資源を約2割
「過剰消費」していると警告する報告を発表した。
燃料や食料などの資源を生み出すことができる陸地や海の面積を01年現在、世界の人口1人当たり1.8ヘクタールと計算。
これに対して実際に人類が消費している資源の再生に必要な面積は同2.2ヘクタールに達するという。
実際の消費が、持続可能な地球の「生産能力」を上回ったのは85年頃からで、それ以降、人類が地球資源を食いつぶす状態が続いている。
資源の過剰消費は自然界に大きな打撃を与え、陸地、海、川や湖に生息する野生動物や魚類が70年からの30年間で4割減少したという。
クロード・マルタンWWF事務局長は、
「人類は、再生可能なスピードを超える速さで自然界の資源を消費している」
と指摘し、資源の節約、環境対策、自然保護などの徹底を訴えた。
10/22 核燃料再処理総事業費は総額で42兆9000億円と原子力委試算して昨日発表した。
対象期間は02〜60年度の59年間。
経済産業省は今年1月、同様のコストを18兆8000億円とする試算を出している。
今回は従来の試算を大幅に上回る結果となっている。
原子力委員会は、核燃料サイクルのコスト比較を進めており、
すでに全量再処理する場合の費用は電力1キロワット時当たり
1.6円、直接処分の場合は同0.9〜1.1円とする試算を出した。
使用済み核燃料を再処理せずにすべてをそのまま地中に埋める直接
処分の場合は、30兆〜38兆6000億円かかると試算された。
経産省の試算は、期間が約40年間で、原子力委員会が試算に含めた核燃料の加工費などは除外されている
毎日新聞によると森林浴リラックス効果が森林総合研究所などで実証された。
森林浴には、ストレス物質の分泌を抑えたり、血圧を下げたりするなど、体全体をリラックスさせる効果があるとのことだ。
森林浴の効果が全身の生理機能の計測によって確かめられたのは世界で初めてだという。
東京で開かれる日本生理人類学会で23日、発表されるそうだ。
APAの月末の発表も怖い。
期待される発表にどうも近頃縁がない。
緊急な、お勉強の依頼の電話を受け、対応することとした。
ところが、早朝約束の時間に1時間もおくれて見えられ、
「忙しい!」には閉口。
それでも食事時間は充分とられ、しっかり昼食は私持ちである。
なのに研修場所の選定は5分と時間がない様ではどうしようもない。
現地散会後直ちに「○○スイハウス」のメーカー展示会に駆けつける。
お仕事を頂いてるメーカーさんも出店されておられるので応援。
先ほど営業研修していた方々にも現地研修のつもりで連絡した。
人間性、男と女の違いが出る。
どうにもオバチャンは苦手。
案内の携帯に対しても
「言う間がないほどいそがし〜っちゃろ!」
途中何度となく携帯がなる。こちらは接客中。
仲間内の携帯に出てる暇はない。
相手の行動一つ読めることもしない自己中心のみ。
自己研修をする意欲がどうにも違う。
お見え頂いた男の場合は丁寧な言葉で喜びを表現された。
各種のメーカーの展示会は自己勉強の格好の機会。
メモ一つとろうともせず、差し入れもナシでひたすら現地でも
苦情気味の侮蔑含みの言葉のみではチョト疲れる。
それもお客さんに応対中であろうが。話し掛けるな!
「丸い玉子も切りよで四角 ものも言いようで角がたつ 」
月末で売上がほしいのに、こんなとこにいる
そんな暇はないのにひたすらメーカーさんのために粉骨砕身のお勤め中ではないか。
これからどうなるものやら。
誰か交代してくれ!や〜〜だ〜。
ホントに地球環境の改善を標榜しての行動が取れるのであろうか。
稼ぎだけでの販売活動ではエゲツなかろう。
わがAPAの青年職人のほうが何ぼか大人で営業ができている。
必死でIHを使って揚げ物である。
なれぬ手つきがかえって誠意を感じられるお客さんたちであろう。
できる奴と出来ない奴いっしょくタンでは辛すぎる。
昨夕の新潟の災害のひどさは、会場の地震体験装置でよりいっそうその凄く怖いことを我が目で見た。
43年十勝沖地震の再現である。マグニィ・チュード「6」。
地震の強弱の表現はこれ以上はない。
マグニィ・チュード「8」とか「9」とかは存在しない。
神戸震災を受け「7」ができたのでそれを最高とする。
今回の新潟の異常さがわかろうという物だ。
驚き参ってしまったのは、日記を愛読させて頂いてるSORAさんだ。
義捐金受付先を調べ、衣類とかできることの総てを、かの忙しき人が直ちに実行されている。
上を思えば限りがないと 下を見て咲く百合の花
この美しき心を少しでも私も分け与えていただきたい。
母は強く、美しい。生きる指針、私もかくありたい。
義を見てせざるは勇なきなり!
どうにもお株を奪われてしまった。
さて私には何ができるのか。ドウスル!どうする!
すがすがしく、秋風の如く気持ちがいい。
気になる気持ちで新聞を見ると
その記事の気になること。
世界自然保護基金(WWF)は昨日、人類が地球の資源を約2割
「過剰消費」していると警告する報告を発表した。
燃料や食料などの資源を生み出すことができる陸地や海の面積を01年現在、世界の人口1人当たり1.8ヘクタールと計算。
これに対して実際に人類が消費している資源の再生に必要な面積は同2.2ヘクタールに達するという。
実際の消費が、持続可能な地球の「生産能力」を上回ったのは85年頃からで、それ以降、人類が地球資源を食いつぶす状態が続いている。
資源の過剰消費は自然界に大きな打撃を与え、陸地、海、川や湖に生息する野生動物や魚類が70年からの30年間で4割減少したという。
クロード・マルタンWWF事務局長は、
「人類は、再生可能なスピードを超える速さで自然界の資源を消費している」
と指摘し、資源の節約、環境対策、自然保護などの徹底を訴えた。
10/22 核燃料再処理総事業費は総額で42兆9000億円と原子力委試算して昨日発表した。
対象期間は02〜60年度の59年間。
経済産業省は今年1月、同様のコストを18兆8000億円とする試算を出している。
今回は従来の試算を大幅に上回る結果となっている。
原子力委員会は、核燃料サイクルのコスト比較を進めており、
すでに全量再処理する場合の費用は電力1キロワット時当たり
1.6円、直接処分の場合は同0.9〜1.1円とする試算を出した。
使用済み核燃料を再処理せずにすべてをそのまま地中に埋める直接
処分の場合は、30兆〜38兆6000億円かかると試算された。
経産省の試算は、期間が約40年間で、原子力委員会が試算に含めた核燃料の加工費などは除外されている
毎日新聞によると森林浴リラックス効果が森林総合研究所などで実証された。
森林浴には、ストレス物質の分泌を抑えたり、血圧を下げたりするなど、体全体をリラックスさせる効果があるとのことだ。
森林浴の効果が全身の生理機能の計測によって確かめられたのは世界で初めてだという。
東京で開かれる日本生理人類学会で23日、発表されるそうだ。
APAの月末の発表も怖い。
期待される発表にどうも近頃縁がない。
地球の蘇生
2004年10月23日地球環境蘇生セミナー 〜誰でもできる環境蘇生〜とくれば
鹿児島での開催にもかかわらずその環境セミナーに参加した。
聴衆者90名は13時30から17時まで熱心に半田和憲理論に聞き入った。
隣県の鹿児島は高速で片道150KM 2時間である。
高速道が2ルートもあり、実に短時間での移動である。
二階堂進、山中貞則の政治力の凄さを垣間見た。
天孫降臨の地の高千穂は宮崎県内であるが片道120KMで3時間30分である。
昨年のNEFの集計では高千穂町には8件の太陽光発電が設置されてる事がインター・ネットで公表されている。
実はこの総てがAPAの設置件数8件とピッタリと一致する。
その他オール電化工事を含めると何度となく足を運ぶが実に時間がかかる。
陸の孤島たる宮崎県はモータリゼーション化の対応がなされていない。
政治の貧困化で常に主流と反主流の対立の根が深い。
かって3000万収賄の現職知事初の逮捕の故黒木博元知事と県内一の土建業者の贈賄の故境大和との怨念の対立構造である。
突然3000万の領収書を証拠に告発させたのは江藤隆美元建設大臣の政治的動きともっぱらの噂。
この後両派は選挙のたびにあい対立して当落を繰り返す怨念の抗争を繰り返しているのである。
福田赳夫と中曽根康弘の上州戦争の比ではない。
マスコミ力の差で報道しないだけである。
両者の対立が政治的貧困をいまだ引き継いでいる。
先の参議院選挙は故黒木知事の後継者の元大臣の上杉光弘氏が34歳の新人県議松下新平氏に敗北した。
277,312票と260,621票共産党33,521票であった。
道路は政治力である。
県都と県北延岡は90KMであるが移動の時間は読めない。
この時代にである。
漱石が坊ちゃんで書いた最終章の
「サルと人間が同居している延岡へと赤シャツ先生の赴任地」
は移動時間に限りそのまま明治期まんまなのである。
この人間性の中で今日のお話をするとどうなるのか結果は見えている。
趣意書をインター・ネットでは次のように表現している
STSは、従来の科学を超え、既存の概念に因われない『ニュートラルサイエンス』に根ざし、200年ほどの間に人類が崩壊してきた地球の
生態系を取り戻し、蘇生させることを目的としています。
その為に人類は、個々の生活基盤や産業基盤の浄化から始め、正常化への抵抗現象を消し去らねばなりません。
熱帯雨林の枯渇、酸性雨、砂漠化、種の絶滅危機、悪性ウイルスの蔓延、化学物質による悪影響などは、宇宙のルールから逸脱した人間
の過ちそのものといえるでしょう。このことに目覚め、日々の生活から除いていきましょう。STSは、そのための手段を『スーパーサイ
エンステクノロジー』として具体的な形で用意しています。身体と排水を浄化する『ハーモニーウォーター』、公害を無くす各種の生活
グッズ、食糧危機を救う新農法『バイオ・クオーク』、オゾン層破壊への歯止め、未病医学への貢献に資する製品などです。そして、こ
の普及活動には、既に15,000人を越す方々に参加いただき、いまも増え続けています。
美しい地球を次世代の子供たちに継げていくための地球環境蘇生運動!
あなたも是非ご参加ください。
STSプロジェクト 代表 半田 和 憲
体験者の交流記録をネットで見る。
ここで、通常の水との違いが明らかにわかってきます。
はっきりとした形を持っているのが通常の水ですが、HWの水は結晶のない非結晶の水なのです。
この資質の違いは、氷点の差からもわかります。普通の水は0度で凍りますが、HWはマイナス5度になってもまだ溶融状態を保っています。
そのようなことで左右される水ではないのです。STSの科学は、ニュートラルサイエンスとも呼んでいますが、ニュートラルというのは中庸のこと。
どのような状況にも左右されず、常に自分の中心を保ち、宇宙と共に進化して行く。その生き方は、私たちの本来の生き方でもありますね。
他にも、永久蘇生サイクル理論というのがあります。
物質は、その生成から腐敗まで、3つの行程で終結するものだと考えられてきました。
STSの理論は、そうではなく、このサイクルは、生成、分解、合成、蘇生という非腐敗を実現できるというものです。
STSのハーモニーウォーターがよほど激烈な環境変化のない限り、腐敗することも無く体内にあっては、新生細胞を活性させる機能を持つのもこの原理の応用なのです。
この無限に回転させるプログラムで、私たちの体内から排泄された後でも、川や海を浄化し、地球を蘇生させて行くという働きが可能になるわけです。
ある田舎に住んでいる方のところでは、川上にホテルが出来たため、毎日そこから流される洗剤などで、川が汚れて空気も悪くなってしまったそうですが、
この水を家に取り付けたところ、数ヵ月後にはメダカと、翌年にはホタルが戻ってきたと言われたそうです。
この水は、単に身体にとって安全であるだけでなく、自然界から医療の分野にも、農業の分野にも、産業界にも画期的な恩恵をもたらすことが出来るのです♪
最後に、他の浄水器との大きな違いについてですが・・・活性化といえばイオン化された水、水分子の小さな水、磁気化された水等を想像しますが、
HWは従来の活性化とは根本的な相違を持ちながら、尚、通常活性水の持つ特徴(機能、基質・情報性)を含みつつ、より強度な活性度を示します。
それだけでなく、大事なことは、それらの電気分解した水や電子水、磁気を帯びた水を、私たちの先祖が飲んでいたかどうかです。
遺伝子に記憶がないものを体内に取り入れると、私たちの身体は抵抗現象を起こすようになっているのです。
そのため、何でも使い始めは良いように思えるのですが、長く使うほどに生体バランスが崩れてしまいます。
そのいい例が、牛骨粉を食べさせられた牛の狂牛病です。牛は、自分の骨を食べるようには出来ていないのです。
動物たちが私たちに警告してくれていることに、早く気づかなければいけません。HWは、生体エネルギーを持った水で、生体水(羊水・細胞水)と同じなので、生体異物反応がありません。
そのため、生体水への同化が早く、10分で全身の細胞に行き渡り、脳へは3秒で、生体水には1時間以内で同化します。
(一般の水は30時間かかります) そして、何よりもあらゆる生命体にとって、自然界や地球にとっても良いものが本物なのです。
赤ちゃんが羊水の中にいる時もこんな感じなのかな?」とか 思っているうちに、ほわわ〜んと眠くなりました。
地球を守るとは実に大変なことを始めた物である。
かってABSが入っている合成洗剤を使わず粉洗剤の運動をした。
どうにも時代の変遷を総ての意味で違ってきている。
うどんさんも聖職者として頑張っておられることだしこちらの方面だけでは負けたくないので研究はしてみたい。
山口の息子は教員をしてるはずだが頑張っているのかはわからない。
日教組の加入状況さえ聞いてはいない。
全国駆け巡った経験からどうにも時代の環境の差と納得はしている。
鹿児島では仕事中もの遊さんと昼食。
宮崎のお医者さん、延岡の先生、○菱の課長さんと挨拶できたのが
唯一の成果。
太陽光発電までが私の限界点である。
鹿児島での開催にもかかわらずその環境セミナーに参加した。
聴衆者90名は13時30から17時まで熱心に半田和憲理論に聞き入った。
隣県の鹿児島は高速で片道150KM 2時間である。
高速道が2ルートもあり、実に短時間での移動である。
二階堂進、山中貞則の政治力の凄さを垣間見た。
天孫降臨の地の高千穂は宮崎県内であるが片道120KMで3時間30分である。
昨年のNEFの集計では高千穂町には8件の太陽光発電が設置されてる事がインター・ネットで公表されている。
実はこの総てがAPAの設置件数8件とピッタリと一致する。
その他オール電化工事を含めると何度となく足を運ぶが実に時間がかかる。
陸の孤島たる宮崎県はモータリゼーション化の対応がなされていない。
政治の貧困化で常に主流と反主流の対立の根が深い。
かって3000万収賄の現職知事初の逮捕の故黒木博元知事と県内一の土建業者の贈賄の故境大和との怨念の対立構造である。
突然3000万の領収書を証拠に告発させたのは江藤隆美元建設大臣の政治的動きともっぱらの噂。
この後両派は選挙のたびにあい対立して当落を繰り返す怨念の抗争を繰り返しているのである。
福田赳夫と中曽根康弘の上州戦争の比ではない。
マスコミ力の差で報道しないだけである。
両者の対立が政治的貧困をいまだ引き継いでいる。
先の参議院選挙は故黒木知事の後継者の元大臣の上杉光弘氏が34歳の新人県議松下新平氏に敗北した。
277,312票と260,621票共産党33,521票であった。
道路は政治力である。
県都と県北延岡は90KMであるが移動の時間は読めない。
この時代にである。
漱石が坊ちゃんで書いた最終章の
「サルと人間が同居している延岡へと赤シャツ先生の赴任地」
は移動時間に限りそのまま明治期まんまなのである。
この人間性の中で今日のお話をするとどうなるのか結果は見えている。
趣意書をインター・ネットでは次のように表現している
STSは、従来の科学を超え、既存の概念に因われない『ニュートラルサイエンス』に根ざし、200年ほどの間に人類が崩壊してきた地球の
生態系を取り戻し、蘇生させることを目的としています。
その為に人類は、個々の生活基盤や産業基盤の浄化から始め、正常化への抵抗現象を消し去らねばなりません。
熱帯雨林の枯渇、酸性雨、砂漠化、種の絶滅危機、悪性ウイルスの蔓延、化学物質による悪影響などは、宇宙のルールから逸脱した人間
の過ちそのものといえるでしょう。このことに目覚め、日々の生活から除いていきましょう。STSは、そのための手段を『スーパーサイ
エンステクノロジー』として具体的な形で用意しています。身体と排水を浄化する『ハーモニーウォーター』、公害を無くす各種の生活
グッズ、食糧危機を救う新農法『バイオ・クオーク』、オゾン層破壊への歯止め、未病医学への貢献に資する製品などです。そして、こ
の普及活動には、既に15,000人を越す方々に参加いただき、いまも増え続けています。
美しい地球を次世代の子供たちに継げていくための地球環境蘇生運動!
あなたも是非ご参加ください。
STSプロジェクト 代表 半田 和 憲
体験者の交流記録をネットで見る。
ここで、通常の水との違いが明らかにわかってきます。
はっきりとした形を持っているのが通常の水ですが、HWの水は結晶のない非結晶の水なのです。
この資質の違いは、氷点の差からもわかります。普通の水は0度で凍りますが、HWはマイナス5度になってもまだ溶融状態を保っています。
そのようなことで左右される水ではないのです。STSの科学は、ニュートラルサイエンスとも呼んでいますが、ニュートラルというのは中庸のこと。
どのような状況にも左右されず、常に自分の中心を保ち、宇宙と共に進化して行く。その生き方は、私たちの本来の生き方でもありますね。
他にも、永久蘇生サイクル理論というのがあります。
物質は、その生成から腐敗まで、3つの行程で終結するものだと考えられてきました。
STSの理論は、そうではなく、このサイクルは、生成、分解、合成、蘇生という非腐敗を実現できるというものです。
STSのハーモニーウォーターがよほど激烈な環境変化のない限り、腐敗することも無く体内にあっては、新生細胞を活性させる機能を持つのもこの原理の応用なのです。
この無限に回転させるプログラムで、私たちの体内から排泄された後でも、川や海を浄化し、地球を蘇生させて行くという働きが可能になるわけです。
ある田舎に住んでいる方のところでは、川上にホテルが出来たため、毎日そこから流される洗剤などで、川が汚れて空気も悪くなってしまったそうですが、
この水を家に取り付けたところ、数ヵ月後にはメダカと、翌年にはホタルが戻ってきたと言われたそうです。
この水は、単に身体にとって安全であるだけでなく、自然界から医療の分野にも、農業の分野にも、産業界にも画期的な恩恵をもたらすことが出来るのです♪
最後に、他の浄水器との大きな違いについてですが・・・活性化といえばイオン化された水、水分子の小さな水、磁気化された水等を想像しますが、
HWは従来の活性化とは根本的な相違を持ちながら、尚、通常活性水の持つ特徴(機能、基質・情報性)を含みつつ、より強度な活性度を示します。
それだけでなく、大事なことは、それらの電気分解した水や電子水、磁気を帯びた水を、私たちの先祖が飲んでいたかどうかです。
遺伝子に記憶がないものを体内に取り入れると、私たちの身体は抵抗現象を起こすようになっているのです。
そのため、何でも使い始めは良いように思えるのですが、長く使うほどに生体バランスが崩れてしまいます。
そのいい例が、牛骨粉を食べさせられた牛の狂牛病です。牛は、自分の骨を食べるようには出来ていないのです。
動物たちが私たちに警告してくれていることに、早く気づかなければいけません。HWは、生体エネルギーを持った水で、生体水(羊水・細胞水)と同じなので、生体異物反応がありません。
そのため、生体水への同化が早く、10分で全身の細胞に行き渡り、脳へは3秒で、生体水には1時間以内で同化します。
(一般の水は30時間かかります) そして、何よりもあらゆる生命体にとって、自然界や地球にとっても良いものが本物なのです。
赤ちゃんが羊水の中にいる時もこんな感じなのかな?」とか 思っているうちに、ほわわ〜んと眠くなりました。
地球を守るとは実に大変なことを始めた物である。
かってABSが入っている合成洗剤を使わず粉洗剤の運動をした。
どうにも時代の変遷を総ての意味で違ってきている。
うどんさんも聖職者として頑張っておられることだしこちらの方面だけでは負けたくないので研究はしてみたい。
山口の息子は教員をしてるはずだが頑張っているのかはわからない。
日教組の加入状況さえ聞いてはいない。
全国駆け巡った経験からどうにも時代の環境の差と納得はしている。
鹿児島では仕事中もの遊さんと昼食。
宮崎のお医者さん、延岡の先生、○菱の課長さんと挨拶できたのが
唯一の成果。
太陽光発電までが私の限界点である。
文化とビジネス
2004年10月22日本年も残り2ヶ月余りラスト・スパートである。又正月がやってくる。
鬼が笑おうと邪気を払う気概で必死の形相である。
正月には新たな年を迎えるに当たっての未来技術特集が組まれるのが定番となっている。
山藤章二・真鍋博等のイラストをふんだんに使っての紙面づくりに早やは入っていることだろう。
これを読まないと正月気分に浸れない民族性からであろう。
そのように考えてくるとAPAの太陽光発電の販売戦略もたてやすい。
お決まりのパターンで大学教授、シンクタンク、財界人、各賞受賞作家が論文や対談形式である。
残念ながら暮らしを離れた荒唐無稽な夢物語で大体が構成されている。
ところでCO2の企業報告責任について国の決定がなされた。
環境ビジネスの未来を予測してあまる情報である。決断の時期である。この機を逃して何の会社のトップぞ!と思わせる。
資本は常に時代の要請で動く。ビジネス・チャンス!
世の動きに取り残されては生きてはいけない。花は半開、酒はほろ酔い
早速に情報収集である。
しばし休憩を利用して光文社新書の何冊かを含め読書の秋を楽しんだ。
「早稲田大学講義録」
スティグ・リッツ著は小泉竹中政策を断罪するかのごとく快刀正宗の切れ味で切り捨てる卓見である。
グローバリゼーションはアメリカだけを豊にするシステム!と論旨は
明快。
進められてる世界の政治経済学を痛烈に批判する書。
10年も続いてる不況の日本がこれを読めば理解できますよ。
著者は・・心配しなさんな!権威を信ずる人々!ノーベル経済学賞受賞者ですぞ!・・頭が高い!信用しますでしょ!日本人さん!!
「人間嫌いの言い分」永山靖生著
群から離れて自分らしく生きる生き方を標榜してる方、煩わしい世界に生きる指南の書。
APAの社員の誰とは言わぬが個別にある「ニート」「鬱」「引きこもり」の解答の書。だ〜れだ?
「江戸300藩バカ殿と名君」
東大後通産省に入省の前歴を書けば安心でしょう。
左翼的歴史観でない!と前知識が入るでしょうよ。
蘭学かぶれ、趣味に生き、時代の流れにどのように対応出来たか一目瞭然。乱世に生きるために世の中の流れを読みきれるか。自分への警鐘
「イタリヤ人の働き方」
人口5700万の国で法人登録が2000万社これでは国民全員が社長ではないか。
イタリア人の企業術が学べる世界の独創性のイタリアが作られる過程」」
日曜日の日伊協会のシンポ・ジュウムを思い浮かべた。ナ〜〜ルホド
。
考えるクセを付けてさらに見てみると見えてくるもがある。
今年は、国連の「国際コメ年」だという。
一つの作物についての国際年は初めてで、テーマは「コメは命」。
コメは世界の半数以上の人々が主食にしているが、人口増などで、将来は需要が生産量を大きく上回る見通しだという。
世界の飢餓状況は深刻で
「5秒に1人のこどもが飢餓やそれに関係する原因で
亡くなっている。」
食糧配分の不均衡の深刻さと、日本ができることの大きさとを訴えかけている。
米は何処の国でも作れるわけではない。年間降水量との関係がある。
カルフォルニア米はスプリンクラーの改良農機具で作付けしてるではないか。
米は水田で作るもの。
まだ続けるか哲学論争。私は農民出身だ。水田の子だ。
人類発祥の四大文明の地区を見るが良い。
赤外線航空写真で見ると縦横無尽に水路の跡が砂漠の中から浮かぶ上がってくるのだ。エジプトの砂漠の下である。
つまりこの地では米を中心とする作物がかつて作られていた。なぜ?砂漠に?
降水量と作物が吸い上げる水の調整が美味くいかず、
地中深い塩分をくみ上げてしまって自己崩壊したのであろう。
今の中国がそうであるのに気づかないのと同じだ。
水位の低下が著しいではないか。
わが日本は、豊葦原の千五百秋の瑞穂の国=豊葦原の国はいつまで
も毎年秋になると稲穂の波打つ豊かなよい国、と言われてきた。
すなわち新嘗祭には勤労感謝の日と
収穫された米を嘗められ天皇も食し祝う。
これは天照大神はじめ八百万の神々に収穫を感謝し、来年もまた豊穣・安寧を下さるよう祈願するお祭である。
国民も五穀豊穣を祈念し、農民に感謝する日でもある。
私の故郷では春秋の大祭があったものだ。
流石の村一の働き者の岩雄もこの日だけは休んだものだ、
記・紀の言う、高天原において地上の日本を統治せよ
と天照大神に命じられ、玉、剣、鏡の三種神器とともに斎庭の稲穂
を授けられた
嫡孫・瓊々(にに)杵(ぎの)尊(みこと)は、高千穂に天降られた。
しかし地上は物の識別ができないほど暗闇であった。
そこで瓊々杵尊は授けられた稲穂を揉み、籾にし、四周に蒔かれた。
すると俄かに天が開け、太陽も月も照るようになったという。
瓊々杵尊は西都原古墳男狭穂塚に葬られた。
科学のメスの調査中である。
毎年春には天皇はお田植え、秋には稲刈りをされる。
即位後最初の新嘗祭には、大嘗祭が行われる。
このように天皇にとり、もちろん日本にとっても、米もしくは稲は
単なる食糧ではない。
稲作は、わが国の和 協調 協力 礼 勤労 信 と
いう国民性や文化を形作る、極めて重要な意義を持っているのである。
、わが国は戦後食糧難によって食糧増産に努め、1960年には自給率80%にも達したが、20%を割った。
米国 仏国は農業大国であるが、わが国は先進国中最下位、OECD加盟28カ国中27位、今や世界第一位の食糧輸入国になっている。
食事はコンビニ弁当、ファーストフード、ファミリーレストランになり、家族揃って伝統的和食を食べる食習慣もなくなった。
日米安保後アメリカ追随の大衆消費社会化がもたらされたもの。
プラザ合意は日本のバブル経済の起因になった。問題は米である。アメリカの占領政策と農産物自由化の下、米食が激減、農民も次々と水田を手放してきた。
日本農業は今や、後継者問題を含め、壊滅的状況に至っている。
現在、わが国にはわずか三ヶ月の米備蓄しかないという。
この稲作農民と水田の減少は今後の日本に深刻な食糧危機を招き、地球温暖化も懸念される。
最大の輸入相手国アメリカにエルニーニョまたSARSのような大災害が起これば日本は一体どうなるか。
今日の日本の経済繁栄はまさに砂上の楼閣である。
世界の飢餓人口が米を一斉に食べ始めた時、日本は金さえ出せば米をいくらでも輸入できるとタカをくくっていていいのか。
アメリカに畜産飼料、麦、大豆といった基礎食糧の大半を頼っているが、過度のアメリカ依存はこの国が今後こうした食糧を「外交カード」に使いはじめるのではないかと危惧する。
そのため日本は休耕田をやめ、食料安保の観点から稲作農家の復活を考えるべきだ。
昭和30年には605万3〇〇〇戸あった日本の農家は、
平成七年には343万83〇〇〇戸に激減。
「危機管理」を言うならば軍事よりもまず食糧備蓄に真剣に取り組まなければならないのではないか。
日本文化の原点に立ち戻る必要があろう
「水」「塩」「米」をあまりにも粗末に扱いすぎる。
世界第二の森林保有国・日本
「豊葦原瑞穂の國」は一体何処へ行ったのであろうか。
かつては御飯を粗末にすると天罰で目がつぶれるとか言ったものである。先ほど専務はそれさえ知らづ残した。
社員教育はこのあたりから始めねばならぬのだろうか。
太陽光発電は自然の恵み稲作の心と同じである。
鬼が笑おうと邪気を払う気概で必死の形相である。
正月には新たな年を迎えるに当たっての未来技術特集が組まれるのが定番となっている。
山藤章二・真鍋博等のイラストをふんだんに使っての紙面づくりに早やは入っていることだろう。
これを読まないと正月気分に浸れない民族性からであろう。
そのように考えてくるとAPAの太陽光発電の販売戦略もたてやすい。
お決まりのパターンで大学教授、シンクタンク、財界人、各賞受賞作家が論文や対談形式である。
残念ながら暮らしを離れた荒唐無稽な夢物語で大体が構成されている。
ところでCO2の企業報告責任について国の決定がなされた。
環境ビジネスの未来を予測してあまる情報である。決断の時期である。この機を逃して何の会社のトップぞ!と思わせる。
資本は常に時代の要請で動く。ビジネス・チャンス!
世の動きに取り残されては生きてはいけない。花は半開、酒はほろ酔い
早速に情報収集である。
しばし休憩を利用して光文社新書の何冊かを含め読書の秋を楽しんだ。
「早稲田大学講義録」
スティグ・リッツ著は小泉竹中政策を断罪するかのごとく快刀正宗の切れ味で切り捨てる卓見である。
グローバリゼーションはアメリカだけを豊にするシステム!と論旨は
明快。
進められてる世界の政治経済学を痛烈に批判する書。
10年も続いてる不況の日本がこれを読めば理解できますよ。
著者は・・心配しなさんな!権威を信ずる人々!ノーベル経済学賞受賞者ですぞ!・・頭が高い!信用しますでしょ!日本人さん!!
「人間嫌いの言い分」永山靖生著
群から離れて自分らしく生きる生き方を標榜してる方、煩わしい世界に生きる指南の書。
APAの社員の誰とは言わぬが個別にある「ニート」「鬱」「引きこもり」の解答の書。だ〜れだ?
「江戸300藩バカ殿と名君」
東大後通産省に入省の前歴を書けば安心でしょう。
左翼的歴史観でない!と前知識が入るでしょうよ。
蘭学かぶれ、趣味に生き、時代の流れにどのように対応出来たか一目瞭然。乱世に生きるために世の中の流れを読みきれるか。自分への警鐘
「イタリヤ人の働き方」
人口5700万の国で法人登録が2000万社これでは国民全員が社長ではないか。
イタリア人の企業術が学べる世界の独創性のイタリアが作られる過程」」
日曜日の日伊協会のシンポ・ジュウムを思い浮かべた。ナ〜〜ルホド
。
考えるクセを付けてさらに見てみると見えてくるもがある。
今年は、国連の「国際コメ年」だという。
一つの作物についての国際年は初めてで、テーマは「コメは命」。
コメは世界の半数以上の人々が主食にしているが、人口増などで、将来は需要が生産量を大きく上回る見通しだという。
世界の飢餓状況は深刻で
「5秒に1人のこどもが飢餓やそれに関係する原因で
亡くなっている。」
食糧配分の不均衡の深刻さと、日本ができることの大きさとを訴えかけている。
米は何処の国でも作れるわけではない。年間降水量との関係がある。
カルフォルニア米はスプリンクラーの改良農機具で作付けしてるではないか。
米は水田で作るもの。
まだ続けるか哲学論争。私は農民出身だ。水田の子だ。
人類発祥の四大文明の地区を見るが良い。
赤外線航空写真で見ると縦横無尽に水路の跡が砂漠の中から浮かぶ上がってくるのだ。エジプトの砂漠の下である。
つまりこの地では米を中心とする作物がかつて作られていた。なぜ?砂漠に?
降水量と作物が吸い上げる水の調整が美味くいかず、
地中深い塩分をくみ上げてしまって自己崩壊したのであろう。
今の中国がそうであるのに気づかないのと同じだ。
水位の低下が著しいではないか。
わが日本は、豊葦原の千五百秋の瑞穂の国=豊葦原の国はいつまで
も毎年秋になると稲穂の波打つ豊かなよい国、と言われてきた。
すなわち新嘗祭には勤労感謝の日と
収穫された米を嘗められ天皇も食し祝う。
これは天照大神はじめ八百万の神々に収穫を感謝し、来年もまた豊穣・安寧を下さるよう祈願するお祭である。
国民も五穀豊穣を祈念し、農民に感謝する日でもある。
私の故郷では春秋の大祭があったものだ。
流石の村一の働き者の岩雄もこの日だけは休んだものだ、
記・紀の言う、高天原において地上の日本を統治せよ
と天照大神に命じられ、玉、剣、鏡の三種神器とともに斎庭の稲穂
を授けられた
嫡孫・瓊々(にに)杵(ぎの)尊(みこと)は、高千穂に天降られた。
しかし地上は物の識別ができないほど暗闇であった。
そこで瓊々杵尊は授けられた稲穂を揉み、籾にし、四周に蒔かれた。
すると俄かに天が開け、太陽も月も照るようになったという。
瓊々杵尊は西都原古墳男狭穂塚に葬られた。
科学のメスの調査中である。
毎年春には天皇はお田植え、秋には稲刈りをされる。
即位後最初の新嘗祭には、大嘗祭が行われる。
このように天皇にとり、もちろん日本にとっても、米もしくは稲は
単なる食糧ではない。
稲作は、わが国の和 協調 協力 礼 勤労 信 と
いう国民性や文化を形作る、極めて重要な意義を持っているのである。
、わが国は戦後食糧難によって食糧増産に努め、1960年には自給率80%にも達したが、20%を割った。
米国 仏国は農業大国であるが、わが国は先進国中最下位、OECD加盟28カ国中27位、今や世界第一位の食糧輸入国になっている。
食事はコンビニ弁当、ファーストフード、ファミリーレストランになり、家族揃って伝統的和食を食べる食習慣もなくなった。
日米安保後アメリカ追随の大衆消費社会化がもたらされたもの。
プラザ合意は日本のバブル経済の起因になった。問題は米である。アメリカの占領政策と農産物自由化の下、米食が激減、農民も次々と水田を手放してきた。
日本農業は今や、後継者問題を含め、壊滅的状況に至っている。
現在、わが国にはわずか三ヶ月の米備蓄しかないという。
この稲作農民と水田の減少は今後の日本に深刻な食糧危機を招き、地球温暖化も懸念される。
最大の輸入相手国アメリカにエルニーニョまたSARSのような大災害が起これば日本は一体どうなるか。
今日の日本の経済繁栄はまさに砂上の楼閣である。
世界の飢餓人口が米を一斉に食べ始めた時、日本は金さえ出せば米をいくらでも輸入できるとタカをくくっていていいのか。
アメリカに畜産飼料、麦、大豆といった基礎食糧の大半を頼っているが、過度のアメリカ依存はこの国が今後こうした食糧を「外交カード」に使いはじめるのではないかと危惧する。
そのため日本は休耕田をやめ、食料安保の観点から稲作農家の復活を考えるべきだ。
昭和30年には605万3〇〇〇戸あった日本の農家は、
平成七年には343万83〇〇〇戸に激減。
「危機管理」を言うならば軍事よりもまず食糧備蓄に真剣に取り組まなければならないのではないか。
日本文化の原点に立ち戻る必要があろう
「水」「塩」「米」をあまりにも粗末に扱いすぎる。
世界第二の森林保有国・日本
「豊葦原瑞穂の國」は一体何処へ行ったのであろうか。
かつては御飯を粗末にすると天罰で目がつぶれるとか言ったものである。先ほど専務はそれさえ知らづ残した。
社員教育はこのあたりから始めねばならぬのだろうか。
太陽光発電は自然の恵み稲作の心と同じである。
アジアの盟主 ?
2004年10月21日「人間革命」
創価学会はなんかニッポン社会の異端児的とこがある。
宮崎アニメ映画で国際化したように八百神で自然その者に神の宿るニッポンの宗教観にそぐわぬ戒律についていけないからかもしれない。
小生は転向の問題を考えるのに人間革の映画を参考にした。
画面の最初にいきなり現れる、刑務所を出た戸田城聖が、廃墟となっている東京の街々を思い出す。
戸田城聖を丹波哲郎が扮し、牧口常三郎を芦田伸介が扮した。
仲代達矢の扮する日蓮の解く「立正安国論」
「折伏」とか「広布勤行」とかの門外漢には理解しがたい言葉を克服しての視聴でもあった。
丹波哲郎扮する戸田城聖が芦田伸介扮する牧口常三郎に訴える名シーン。
戸田「先生のお考えに間違いはない。
私たちはあとに続いて実行あるのみ。・・・師弟不二です。」
牧口「師弟不二・(静かな微笑を浮かべながら)君も案外、法華経を」
戸田「いや、そんなには・・・しかし、私も一応は信者ですから」
未知なる宗教の神秘性と、広がりを感じた。
社会改革者には宗教をやってる暇はなかった。
日蓮と蒙古大襲来?ダッタカ?なる映画に比するとドキュメンタリー性はあった。
ストリー
ビルマの竪琴
1956年に一度映画化された竹山道雄の同名小説を同じ市川崑監督で再映画化。日本兵の霊を慰めるため、僧侶となってひとりビルマの
地に残る兵士の姿を描く。1945年夏。ビルマ戦線の日本軍はタイ国へと苦難の撤退を続けたていた。そんな逃避行の最中、井上小隊長率
いる部隊は、みな音楽好きで水島上等兵の弾く竪琴の音に合わせ力強く合唱していた。やがて終戦を知った彼らは投降し、ムドンに護送
されることになったが、水島だけは未だ抵抗を続ける日本軍に降伏を勧めるため隊を離れるのだが……。
創価学会はなんかニッポン社会の異端児的とこがある。
宮崎アニメ映画で国際化したように八百神で自然その者に神の宿るニッポンの宗教観にそぐわぬ戒律についていけないからかもしれない。
小生は転向の問題を考えるのに人間革の映画を参考にした。
画面の最初にいきなり現れる、刑務所を出た戸田城聖が、廃墟となっている東京の街々を思い出す。
戸田城聖を丹波哲郎が扮し、牧口常三郎を芦田伸介が扮した。
仲代達矢の扮する日蓮の解く「立正安国論」
「折伏」とか「広布勤行」とかの門外漢には理解しがたい言葉を克服しての視聴でもあった。
丹波哲郎扮する戸田城聖が芦田伸介扮する牧口常三郎に訴える名シーン。
戸田「先生のお考えに間違いはない。
私たちはあとに続いて実行あるのみ。・・・師弟不二です。」
牧口「師弟不二・(静かな微笑を浮かべながら)君も案外、法華経を」
戸田「いや、そんなには・・・しかし、私も一応は信者ですから」
未知なる宗教の神秘性と、広がりを感じた。
社会改革者には宗教をやってる暇はなかった。
日蓮と蒙古大襲来?ダッタカ?なる映画に比するとドキュメンタリー性はあった。
ストリー
ビルマの竪琴
1956年に一度映画化された竹山道雄の同名小説を同じ市川崑監督で再映画化。日本兵の霊を慰めるため、僧侶となってひとりビルマの
地に残る兵士の姿を描く。1945年夏。ビルマ戦線の日本軍はタイ国へと苦難の撤退を続けたていた。そんな逃避行の最中、井上小隊長率
いる部隊は、みな音楽好きで水島上等兵の弾く竪琴の音に合わせ力強く合唱していた。やがて終戦を知った彼らは投降し、ムドンに護送
されることになったが、水島だけは未だ抵抗を続ける日本軍に降伏を勧めるため隊を離れるのだが……。
アジアの盟主
2004年10月21日ミャンマーが揺れている。我らの世代にはビルマである。
89年軍事政権がかってに変更したに過ぎない国名でもある。
71年セイロンが憲法を制定してコスタリカになったのとは違う。
ビルマの土は赤い・・白黒映画でさえサラサラと流れ行く川面の土に不思議とテロップに流れる文字で赤きビルマの土壌を思い浮かべた。
アジア欧州会議ASEM議が7日からベトナムのハノイで開催。
国際会議は首脳外交がつきも。
ところが期間中の日中首脳会談が、見送られた。
3年にもわたり隣国との会議がないのは異常なことである。
日中首脳の相互訪問は01年10月の小泉首相の訪中以来途絶えたまま。
このため、政府はASEMと、それに続いて11月下旬にチリで開かれるAPEC、さらにラオスでの東南アジア諸国連合ASEANプラス3会議という国際会議の場をとらえて首脳会談を計画しよう。
今回の会談見送りについて、小泉首相は
「もともと予定していなかった」と強弁。
実は中国側に断られたというのが真相であろう。
胡主席も先月訪中した河野洋平衆院議長に
「当面の急務は靖国神社参拝問題を妥当に処理することだ」
と日本側の新たな対応を求めている。
中国側が「日程上の都合」として首脳会談を断った真の理由は、小泉首相が靖国神社参拝の姿勢を変えていないことへの反発にあるのは疑いの余地がない。 打開のカギは日本側にある。
、中国側の変化を期待するなら「新たな追悼施設が必要」とした福田康夫前官房長官の提言もある。
小泉首相の個人の行動が原因だとしたら、首相が知恵を出すしかない。
そのことがミャンマーの軍制回帰に後戻りしようとしてることの歯止めとなろう。
軍制はNO3のキン・ミュン首相をアジア欧州会議後に逮捕した。
アジアの政局安定の盟主は日本と中国にあることは現実政治として自明のことである。
軍制はノーベル平和賞のアウン・サン・スーチン女史の処遇を巡り自由を迫害、軟禁を繰り返している。
民族独立の英雄の実父たるアウン・サン将軍の娘
アウン・サン・スーチン女史は軍神の娘でもあり、畏怖する将校もいることであろう。
そう考えるとスー・チー女史のみにも危険が迫っている。
NO1は92年よりトップのタン・シュエ国家発展協議会{SPDS」議長
NO2は陸軍を掌握しているアウン。エイSPDC副議長で経済権益を一手に 握っている。
NO3が03年に就任したキン・ミュン首相で情報省の穏健国際派である。
その首相を解任し唯一のアウン・サン・スーチ氏の政治勢力の理解者でもあった。
政変での民主化路線の大幅な後退である。
インドネシアの総選挙で歓喜をあげたアジア民族が奈落のそこに突き落とされた。
政治は一寸先は闇がこの国では銃で実行されていく。
ビルマは大日本国が戦争の傷跡を残しているので少なからずとも責任の一端がある。
我らの祖先がしたことと「た・か・」を食ってる無責任さは経済で結ばれてるアジアゆえ許される物ではない。
映画はリアル性と創造性で現実に迫る。
ミャンマーの危機を静かに振り返るに丁度いい。
まずは宗教性の映画から。
「天平の甍」
中村賀津男の熱演で記憶に留める。原作者 井上靖のネーム・バリューも興行に大いに役立った。
先日の遣唐使の墓碑発見のニュースもあり新鮮な輝きすらする。
天平五年春、若い日本人僧、普照、栄叡、玄朗、戒融の四人が第九次遣唐使船に乗って大津浦を出航した。
留学僧に選ばれた名誉と、再び生きて日本の地を踏めるかという不安が一行を包む。
日本仏教界の確立のために黄土に渡った四人の日本人青年僧の青春と、唐の高僧、鑒真和上の二十年の歳月をかけて渡日に成功するまでの苦難
の道を社会派監督NO1の 熊井啓 が マイクを撮った。
音楽は 武満徹。他のキャストは
遣唐使の4人の層は中村嘉葎雄 (普照)大門正明 (栄叡)
浜田光夫(玄朗)草野大悟 (戒融)で田村高廣 が高僧(鑒真}を担った。 日本中国文化交流協会 の後援が気になる。
ビルマの竪琴
この映画は我らの年代は白黒映画の1956年版である。
端々で歌われる唱歌を反戦少年たる頃の私は違和感を持って聞いたが、今では美しき日本の歌として聞き入る余裕がある。
原作 竹山道雄,監督 市川崑, 脚本.和田夏十
三國連太郎, 安井昌二, 西村晃, 北林谷栄, 伊藤雄之助, 三橋達也,
それがこのように変わる1985年版のキャストである。
ビルマの竪琴
上映時間 133 分 東宝
監督: 市川崑
製作: 鹿内春雄
原作: 竹山道雄
脚本: 和田夏十
音楽: 山本直純
出演
石坂浩二 井上隊長
中井貴一 水島上等兵
川谷拓三 伊東軍曹
渡辺篤史 小林上等兵
小林稔侍 岡田上等兵
井上博一 馬場一等兵
浜村純 村落の村長
常田富士男 物売りの爺さん
北林谷栄 物売りの婆さん
菅原文太 三角山守備隊隊長
佐藤正文 鈴木上等兵
茂木繁 阿部一等兵
天平の甍ほどのビッグ・ネームではないが竹山道雄の同名小説を同じ市川崑監督で再映画化もされたが、リメーク版のほうがわかりやすかろう。
日本兵の霊を慰めるため、僧侶となってひとりビルマの地に残る兵士の姿を.描いたストリーは殆ど同じである。
木下恵介監督の
「喜びも悲しみも幾歳月」も似たような環境にあり、リメイク版がある。昭和32年1957年、松竹。が我らの世代の物だ。
木下恵介監督。有沢夫婦を高峰秀子、佐田啓二で描かれた。
神奈川県の観音崎が初々しい赴任地で石狩灯台と続いていく。
過疎ゆえの子供の教育の悩む夫婦
長男を亡くすが、勤務に就いていた有沢は、その最期の時にも立ち会うことができない。
有沢は、ただ船の安全だけを考えて過ごしてきた仕事一辺倒の生活が、このような結果になってしまったことを嘆きながらの勤務。
残った長女に救われる。
感動のラスト・シーンである。サラリー・マンものの源氏鶏太を読むが如きの木下恵介作品の真骨頂のお涙シーン。
長女は結婚後まもなくの2人は夫の赴任地(エジプトのカイロ)へ向かう。
そして乗っているこの豪華な客船を、有沢夫婦は灯台台長として勤務していた、静岡県の御前崎灯台から霧笛で見送りる。
、客船もこれに霧笛で答えるというシーンになります。
灯台の明かりと霧笛が響き会うクライマックスシーン。
「あの子はわしがとりあげたんだ。」
ここでの有沢の言葉は百万巻の書籍よりも重い人生を語り尽くしているとひしひしと感じる。。
奇遇な人生をおくっている私ゆえなおさらである。
作詞 木下 忠司
作曲 木下 忠司
歌手 若山 彰
おいら岬の 灯台守は
妻と2人で 沖行く船の
無事を祈って
灯をてらす 灯〜をてらす
夕方5時になってからアポがあるというので都城に向かった。
実際は太陽光発電の普及をしてもらえる方々との接点作り。
契約の仕事を誰もしなくて会社が成立すはずがない。
ホトホトあきれ返っている。
APAの指揮をとると宣言した社長の姿はみることが出来ない。
私の気力の低下・直営を目指すとの営業方針の変化がズバリ売上に出ている。
焦りと憤りは頂点に達している。
APAを救え!
ミャンマーの危機と同根であるので根が深い。
APAの盟主たるは誰だ!
何処からこの混乱が発生したのか。
冷静なる分析で次月を見ないと経営はおぼつかない。
89年軍事政権がかってに変更したに過ぎない国名でもある。
71年セイロンが憲法を制定してコスタリカになったのとは違う。
ビルマの土は赤い・・白黒映画でさえサラサラと流れ行く川面の土に不思議とテロップに流れる文字で赤きビルマの土壌を思い浮かべた。
アジア欧州会議ASEM議が7日からベトナムのハノイで開催。
国際会議は首脳外交がつきも。
ところが期間中の日中首脳会談が、見送られた。
3年にもわたり隣国との会議がないのは異常なことである。
日中首脳の相互訪問は01年10月の小泉首相の訪中以来途絶えたまま。
このため、政府はASEMと、それに続いて11月下旬にチリで開かれるAPEC、さらにラオスでの東南アジア諸国連合ASEANプラス3会議という国際会議の場をとらえて首脳会談を計画しよう。
今回の会談見送りについて、小泉首相は
「もともと予定していなかった」と強弁。
実は中国側に断られたというのが真相であろう。
胡主席も先月訪中した河野洋平衆院議長に
「当面の急務は靖国神社参拝問題を妥当に処理することだ」
と日本側の新たな対応を求めている。
中国側が「日程上の都合」として首脳会談を断った真の理由は、小泉首相が靖国神社参拝の姿勢を変えていないことへの反発にあるのは疑いの余地がない。 打開のカギは日本側にある。
、中国側の変化を期待するなら「新たな追悼施設が必要」とした福田康夫前官房長官の提言もある。
小泉首相の個人の行動が原因だとしたら、首相が知恵を出すしかない。
そのことがミャンマーの軍制回帰に後戻りしようとしてることの歯止めとなろう。
軍制はNO3のキン・ミュン首相をアジア欧州会議後に逮捕した。
アジアの政局安定の盟主は日本と中国にあることは現実政治として自明のことである。
軍制はノーベル平和賞のアウン・サン・スーチン女史の処遇を巡り自由を迫害、軟禁を繰り返している。
民族独立の英雄の実父たるアウン・サン将軍の娘
アウン・サン・スーチン女史は軍神の娘でもあり、畏怖する将校もいることであろう。
そう考えるとスー・チー女史のみにも危険が迫っている。
NO1は92年よりトップのタン・シュエ国家発展協議会{SPDS」議長
NO2は陸軍を掌握しているアウン。エイSPDC副議長で経済権益を一手に 握っている。
NO3が03年に就任したキン・ミュン首相で情報省の穏健国際派である。
その首相を解任し唯一のアウン・サン・スーチ氏の政治勢力の理解者でもあった。
政変での民主化路線の大幅な後退である。
インドネシアの総選挙で歓喜をあげたアジア民族が奈落のそこに突き落とされた。
政治は一寸先は闇がこの国では銃で実行されていく。
ビルマは大日本国が戦争の傷跡を残しているので少なからずとも責任の一端がある。
我らの祖先がしたことと「た・か・」を食ってる無責任さは経済で結ばれてるアジアゆえ許される物ではない。
映画はリアル性と創造性で現実に迫る。
ミャンマーの危機を静かに振り返るに丁度いい。
まずは宗教性の映画から。
「天平の甍」
中村賀津男の熱演で記憶に留める。原作者 井上靖のネーム・バリューも興行に大いに役立った。
先日の遣唐使の墓碑発見のニュースもあり新鮮な輝きすらする。
天平五年春、若い日本人僧、普照、栄叡、玄朗、戒融の四人が第九次遣唐使船に乗って大津浦を出航した。
留学僧に選ばれた名誉と、再び生きて日本の地を踏めるかという不安が一行を包む。
日本仏教界の確立のために黄土に渡った四人の日本人青年僧の青春と、唐の高僧、鑒真和上の二十年の歳月をかけて渡日に成功するまでの苦難
の道を社会派監督NO1の 熊井啓 が マイクを撮った。
音楽は 武満徹。他のキャストは
遣唐使の4人の層は中村嘉葎雄 (普照)大門正明 (栄叡)
浜田光夫(玄朗)草野大悟 (戒融)で田村高廣 が高僧(鑒真}を担った。 日本中国文化交流協会 の後援が気になる。
ビルマの竪琴
この映画は我らの年代は白黒映画の1956年版である。
端々で歌われる唱歌を反戦少年たる頃の私は違和感を持って聞いたが、今では美しき日本の歌として聞き入る余裕がある。
原作 竹山道雄,監督 市川崑, 脚本.和田夏十
三國連太郎, 安井昌二, 西村晃, 北林谷栄, 伊藤雄之助, 三橋達也,
それがこのように変わる1985年版のキャストである。
ビルマの竪琴
上映時間 133 分 東宝
監督: 市川崑
製作: 鹿内春雄
原作: 竹山道雄
脚本: 和田夏十
音楽: 山本直純
出演
石坂浩二 井上隊長
中井貴一 水島上等兵
川谷拓三 伊東軍曹
渡辺篤史 小林上等兵
小林稔侍 岡田上等兵
井上博一 馬場一等兵
浜村純 村落の村長
常田富士男 物売りの爺さん
北林谷栄 物売りの婆さん
菅原文太 三角山守備隊隊長
佐藤正文 鈴木上等兵
茂木繁 阿部一等兵
天平の甍ほどのビッグ・ネームではないが竹山道雄の同名小説を同じ市川崑監督で再映画化もされたが、リメーク版のほうがわかりやすかろう。
日本兵の霊を慰めるため、僧侶となってひとりビルマの地に残る兵士の姿を.描いたストリーは殆ど同じである。
木下恵介監督の
「喜びも悲しみも幾歳月」も似たような環境にあり、リメイク版がある。昭和32年1957年、松竹。が我らの世代の物だ。
木下恵介監督。有沢夫婦を高峰秀子、佐田啓二で描かれた。
神奈川県の観音崎が初々しい赴任地で石狩灯台と続いていく。
過疎ゆえの子供の教育の悩む夫婦
長男を亡くすが、勤務に就いていた有沢は、その最期の時にも立ち会うことができない。
有沢は、ただ船の安全だけを考えて過ごしてきた仕事一辺倒の生活が、このような結果になってしまったことを嘆きながらの勤務。
残った長女に救われる。
感動のラスト・シーンである。サラリー・マンものの源氏鶏太を読むが如きの木下恵介作品の真骨頂のお涙シーン。
長女は結婚後まもなくの2人は夫の赴任地(エジプトのカイロ)へ向かう。
そして乗っているこの豪華な客船を、有沢夫婦は灯台台長として勤務していた、静岡県の御前崎灯台から霧笛で見送りる。
、客船もこれに霧笛で答えるというシーンになります。
灯台の明かりと霧笛が響き会うクライマックスシーン。
「あの子はわしがとりあげたんだ。」
ここでの有沢の言葉は百万巻の書籍よりも重い人生を語り尽くしているとひしひしと感じる。。
奇遇な人生をおくっている私ゆえなおさらである。
作詞 木下 忠司
作曲 木下 忠司
歌手 若山 彰
おいら岬の 灯台守は
妻と2人で 沖行く船の
無事を祈って
灯をてらす 灯〜をてらす
夕方5時になってからアポがあるというので都城に向かった。
実際は太陽光発電の普及をしてもらえる方々との接点作り。
契約の仕事を誰もしなくて会社が成立すはずがない。
ホトホトあきれ返っている。
APAの指揮をとると宣言した社長の姿はみることが出来ない。
私の気力の低下・直営を目指すとの営業方針の変化がズバリ売上に出ている。
焦りと憤りは頂点に達している。
APAを救え!
ミャンマーの危機と同根であるので根が深い。
APAの盟主たるは誰だ!
何処からこの混乱が発生したのか。
冷静なる分析で次月を見ないと経営はおぼつかない。
ビジネス・チャンス!
2004年10月20日台風23号は18号の風台風と21号の雨台風を併せ持つ大型台風と予測していたが、たいしたしたことはなかった.
22号と同じコースで東にそれたこと、スピードが速く時速45KMだったことがよかったのだろう。
平年2回ぐらいの上陸回数なのに10回は40パーセント以上の上陸であるが何故なのか。
来週初めに又やってくる24号の発生を見ればわかるように
北緯10度ぐらいで発生している。
海水の対流がこのあたりになり、沖縄あたりで北に傾く。
丁度太平洋高気圧の西のヘリを北上する形となっているからだ。
地球温暖化が如実にあらわれている。
毎回のことだが、停電はどうにもいただけない。
待機していても電話が使えない。携帯のみである。
APAはシーガイヤ近辺にあるが5時間近くも停電があった。
どうにもそれが合点が行かぬ。
もっと海側の集落は停電がなかった。
台風が通過したのは丁度12時頃で台風一過、明かりが急に射してきた。
停電は8時から12時40分ぐらいまで。
13町村で1100戸とNHKの12時のニュース。
延岡・・・400戸
新富・・・200戸
高千穂・・200戸
串間日南・200戸
宮崎国富・100戸
東郷高原・・10戸
このあたりの幹線には支障があるようで電気自由化を2年後に控え早急な改善策をお願いしたいところである。
読売新聞は丁度のタイミングで記事にした。
地球環境の将来に不安、9割超…読売世論調査である。
読売新聞社が9日から11日にかけて実施した全国世論調査
(面接方式)で、将来の地球環境に不安を感じる人が9割を超えた。と報じた。
地球環境に不安「大いに」「多少は」を合わせて90%
「環境税」導入には「賛成」45%が、「反対」28%
小都市部38%大都市部では55%
「地球温暖化」62%、「化学物質による環境汚染」49%、
「オゾン層の破壊」46%
「猛暑や洪水、寒波などが増え、生活環境が悪化する」73%
、規制が必要か「必要だ」が74%で、「そうは思わない」5%
、現在の政府の環境対策を
「評価していない」「あまり」「全く」を合わせて63%、
「評価している」計29%
避難した1604世帯に比ぶればま〜あ、よしとしとこうか。
不安に感じる環境変化では、「地球温暖化」を挙げる人が最も多く、
この夏の猛暑や世界的な異常気象の広がりが、温暖化への危機感を
高めているようだ。
絶好のビジネス・チャンスである。
ところがだるい。気だるい。焦りから来ている。
受注の仕事を誰れにも期待できないからである。
日曜日の代休のつもりであったが、○藤さんは電話をしてしまった。
漏電の緊急の工事依頼のためである。
少しでも稼いでもらわないとならない。
午後には終了したようだが遊んではいない。頭が下がる。
期待に答えるすべもなくどうしてよいのやらどうしようもない。
積極的に訪問を繰り返すおばちゃんパワーがどうにも必要である。
怖いのは蠢いてるビジネスかってのネズミ講たらん
ネットワーク・ビジネスである。
上場企業でもあるアムウェイの名は余りにも有名である。
米国のネットワークビジネス業界の総売上は10兆円以上とも言われ
全米で2000万人以上の人が組織にかかわる専門的立場と言う。
日本のネットワークビジネス市場は1兆円以上と言われ、
国内では総人口の13%、1500万人との数次がある。
80年代のネットワークビジネスを悪徳ピラミッド商法と言ったが
名前を変えたネットワークビジネスを紳士、淑女のビジネスと言うのだからたまらない。
私は21世紀は「クチコミと自主性の時代」になると思っています。すでに数百万人が日本でネットワークビジネスに携わっており、
これから10年、最も注目でき,伸びるビジネスのような気がします」(株)船井総合研究所 船井幸雄
誰でもが小額の資金で大きな可能性のビジネスに参加ができる
自分のペースで自由な時間に活動できる
あなたに合った多彩な方法論、戦略がある
あなたの仕事は開拓するだけ、あとは会社がすべてを行う
学歴、性別、年齢、家柄などは必要ない!
月収5万円? 月収1000万円?選ぶのはあなた!
収入だけではない、楽しみがいっぱいのネットワークビジネスの世界
人生の成功者になる為の近道がある
確信をして、真剣に取り組めば、収入的な成功以外にも人間的な成功、成長が得られるビジネスである。
ネットワークビジネス業界には隙間ではなく、空間がある
今だから先駆者になれるチャンスがある
21世紀、ネットワークビジネス業界には壮大な可能性がある。
今後、既存の商品以外に、電気、ガス、電話、ガソリン、インターネット、携帯電話、映画、ビデオ、食料品、コンビニ、旅行、クレジットカードなどおよそ会員組織として運営できるサービスのほとんどはネットワークビジネス企業が設立されると推測されている。
そしてそんな時代はもうそこまで来ています。
その時、あなたはどうされますか?
「魚の群れがやってきてから釣り道具を買いに行きますか?腕を磨きますか?」
携帯電話で成功した人、インターネットで成功した人、不動産で成功した人、株で成功した人、突然成功できた人は一人もいません。
皆、成功する為に学習していたはずです、準備をしていたはずです。
タイミングの読み方、チャンスの掴み方、展開の仕方、情報発信の方法、人材開拓・・・・
これからやってくるネットワークビジネスの新時代の為に、今こそ決心する時です
そして大きなビジネスチャンスと運を掴んでください
チャンチャラオカシイ!販売ピラミッドが永遠なるはずがない。
太陽光発電にそのような物が成立すはずがない。
電気商品のダイヤモンド商品である。
国の補助がある、お上のお墨付きがあるのだ。品がなくっちゃ!
設置いただいた方々を廻らねば使命感に燃えて。
高級商品そのお客様である。
それにしてもAPAには抜本的改革が必要のようである。
専務!休みがあるか!
台風時期こそメンテでまわらねば!ビジネス・チャンスを覚えろ!
台風が吹き荒れると何も出来ないが、その要諦の如くである。
ビジネスはタイミング。
常道を逸した行動に接した時、感動が生まれ言葉となるのである。
お見舞いの挨拶に廻らねば、常識であろう。
チャンスを理解し皆が意識改革をして積極的に取り組むことである。
地球環境に優しくの社是の看板が泣いている。
泣かすことはどうにもいけない。
円満に事は進むが一番言いに決まっている。
意識改革は質の問題でもあるようだ。
22号と同じコースで東にそれたこと、スピードが速く時速45KMだったことがよかったのだろう。
平年2回ぐらいの上陸回数なのに10回は40パーセント以上の上陸であるが何故なのか。
来週初めに又やってくる24号の発生を見ればわかるように
北緯10度ぐらいで発生している。
海水の対流がこのあたりになり、沖縄あたりで北に傾く。
丁度太平洋高気圧の西のヘリを北上する形となっているからだ。
地球温暖化が如実にあらわれている。
毎回のことだが、停電はどうにもいただけない。
待機していても電話が使えない。携帯のみである。
APAはシーガイヤ近辺にあるが5時間近くも停電があった。
どうにもそれが合点が行かぬ。
もっと海側の集落は停電がなかった。
台風が通過したのは丁度12時頃で台風一過、明かりが急に射してきた。
停電は8時から12時40分ぐらいまで。
13町村で1100戸とNHKの12時のニュース。
延岡・・・400戸
新富・・・200戸
高千穂・・200戸
串間日南・200戸
宮崎国富・100戸
東郷高原・・10戸
このあたりの幹線には支障があるようで電気自由化を2年後に控え早急な改善策をお願いしたいところである。
読売新聞は丁度のタイミングで記事にした。
地球環境の将来に不安、9割超…読売世論調査である。
読売新聞社が9日から11日にかけて実施した全国世論調査
(面接方式)で、将来の地球環境に不安を感じる人が9割を超えた。と報じた。
地球環境に不安「大いに」「多少は」を合わせて90%
「環境税」導入には「賛成」45%が、「反対」28%
小都市部38%大都市部では55%
「地球温暖化」62%、「化学物質による環境汚染」49%、
「オゾン層の破壊」46%
「猛暑や洪水、寒波などが増え、生活環境が悪化する」73%
、規制が必要か「必要だ」が74%で、「そうは思わない」5%
、現在の政府の環境対策を
「評価していない」「あまり」「全く」を合わせて63%、
「評価している」計29%
避難した1604世帯に比ぶればま〜あ、よしとしとこうか。
不安に感じる環境変化では、「地球温暖化」を挙げる人が最も多く、
この夏の猛暑や世界的な異常気象の広がりが、温暖化への危機感を
高めているようだ。
絶好のビジネス・チャンスである。
ところがだるい。気だるい。焦りから来ている。
受注の仕事を誰れにも期待できないからである。
日曜日の代休のつもりであったが、○藤さんは電話をしてしまった。
漏電の緊急の工事依頼のためである。
少しでも稼いでもらわないとならない。
午後には終了したようだが遊んではいない。頭が下がる。
期待に答えるすべもなくどうしてよいのやらどうしようもない。
積極的に訪問を繰り返すおばちゃんパワーがどうにも必要である。
怖いのは蠢いてるビジネスかってのネズミ講たらん
ネットワーク・ビジネスである。
上場企業でもあるアムウェイの名は余りにも有名である。
米国のネットワークビジネス業界の総売上は10兆円以上とも言われ
全米で2000万人以上の人が組織にかかわる専門的立場と言う。
日本のネットワークビジネス市場は1兆円以上と言われ、
国内では総人口の13%、1500万人との数次がある。
80年代のネットワークビジネスを悪徳ピラミッド商法と言ったが
名前を変えたネットワークビジネスを紳士、淑女のビジネスと言うのだからたまらない。
私は21世紀は「クチコミと自主性の時代」になると思っています。すでに数百万人が日本でネットワークビジネスに携わっており、
これから10年、最も注目でき,伸びるビジネスのような気がします」(株)船井総合研究所 船井幸雄
誰でもが小額の資金で大きな可能性のビジネスに参加ができる
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あなたに合った多彩な方法論、戦略がある
あなたの仕事は開拓するだけ、あとは会社がすべてを行う
学歴、性別、年齢、家柄などは必要ない!
月収5万円? 月収1000万円?選ぶのはあなた!
収入だけではない、楽しみがいっぱいのネットワークビジネスの世界
人生の成功者になる為の近道がある
確信をして、真剣に取り組めば、収入的な成功以外にも人間的な成功、成長が得られるビジネスである。
ネットワークビジネス業界には隙間ではなく、空間がある
今だから先駆者になれるチャンスがある
21世紀、ネットワークビジネス業界には壮大な可能性がある。
今後、既存の商品以外に、電気、ガス、電話、ガソリン、インターネット、携帯電話、映画、ビデオ、食料品、コンビニ、旅行、クレジットカードなどおよそ会員組織として運営できるサービスのほとんどはネットワークビジネス企業が設立されると推測されている。
そしてそんな時代はもうそこまで来ています。
その時、あなたはどうされますか?
「魚の群れがやってきてから釣り道具を買いに行きますか?腕を磨きますか?」
携帯電話で成功した人、インターネットで成功した人、不動産で成功した人、株で成功した人、突然成功できた人は一人もいません。
皆、成功する為に学習していたはずです、準備をしていたはずです。
タイミングの読み方、チャンスの掴み方、展開の仕方、情報発信の方法、人材開拓・・・・
これからやってくるネットワークビジネスの新時代の為に、今こそ決心する時です
そして大きなビジネスチャンスと運を掴んでください
チャンチャラオカシイ!販売ピラミッドが永遠なるはずがない。
太陽光発電にそのような物が成立すはずがない。
電気商品のダイヤモンド商品である。
国の補助がある、お上のお墨付きがあるのだ。品がなくっちゃ!
設置いただいた方々を廻らねば使命感に燃えて。
高級商品そのお客様である。
それにしてもAPAには抜本的改革が必要のようである。
専務!休みがあるか!
台風時期こそメンテでまわらねば!ビジネス・チャンスを覚えろ!
台風が吹き荒れると何も出来ないが、その要諦の如くである。
ビジネスはタイミング。
常道を逸した行動に接した時、感動が生まれ言葉となるのである。
お見舞いの挨拶に廻らねば、常識であろう。
チャンスを理解し皆が意識改革をして積極的に取り組むことである。
地球環境に優しくの社是の看板が泣いている。
泣かすことはどうにもいけない。
円満に事は進むが一番言いに決まっている。
意識改革は質の問題でもあるようだ。
先哲の意志
2004年10月19日日本ほど不思議な国はない。よくも発見される物である。
一昨日の坂本竜馬の手紙に続き、日南市飫肥出身で、ポーツマスの旗の明治の外務大臣小村寿太郎の手紙が発見された
日露100年で来年はプーチンさんも来日する年にである。
兄従した小倉処平を西南戦争で失った教訓からか手紙をほとんど残さなかったといわれているのにである。
一方の当事者たる私からの取材を今日現在まで一切経ずして、記事にして無理やり事件に仕立てた罪深きブン屋集団。
よってゴロ新聞に過ぎぬ訳だが今朝の○日紙はその汚名を返上できる記事をトップ記事に掲げた。
新聞週間を声え高らかにうたう、まったくのウソの破廉恥極まりない
新聞がである。
ヤレバデキルジャン!公器の器とやら。
紙が貴重品で大事な時代には手紙は襖の下張りに使った。
よってこのようなことがおこるのかも知れない。
かって永井荷風作といわれている幻の発禁本「四畳半襖の下張り」を
雑誌・面白半分に掲載したことで、発行人・佐藤嘉尚と
編集人・野坂昭如が猥褻図書販売の咎で起訴されたことがあった。
それほど襖の下張りは日常にあった。
私なんぞは、年末とか夏の畳の虫干しで古き新聞を見つけ栃錦・若乃花以前の鏡里や千代の山の相撲記事とかをむさぼり呼んだ。
兄たる隆士次兄や、親代わりで面倒見てくれた親男大兄と喧嘩の末襖をを破いた時は、新聞紙しか出てこなかったものだ。
襖は密室の役割でかなり分厚く出来ていたものである。
これもNHK「わかば」がとりなした縁であろうか。
新聞によると同時期に活躍したジャーナリスト、政治家の徳富蘇峰に
あてた直筆手紙が、神奈川県二宮町の徳富蘇峰記念館の収蔵庫に保管されていることが十八日までに分かった。
徳富蘇峰・蘆花は渡辺民三郎とも交流があったことから、延岡にも訪れた。
民三郎は藩校亮天社から東京専門学校(現在の早稲田大学〉に進み徳富兄弟や山路愛山らともつきあい島崎藤村とも文通があった。
詩人修三は1903年(明36)その二男として生まれ、旧制延岡中学校を経て1921年(大10)に早稲田予科(後に英文科)に入学.
1924年(大一三)同人誌「椋櫚の葉」を作詞家として名を成す佐伯孝夫、横山青蛾、加藤憲治、村野三郎(村野四郎の兄)、寺崎浩らと創刊。この頃,修三は近くに住む西條八十のもとに詩を見てもらいに行ったという。
また、多くの流行歌を作った佐藤惣之助を中心に雑誌「詩之家」が創刊され、翌1926年(大15)に修三は同人として参加している。
宮崎に金丸桝一 本多、杉山ら有名な詩人が多いのはこの先輩の礎があるからであろう。
徳富蘇峰は熊本県生まれ。「国民新聞」を創刊し、歴史家としても名を残している。日露戦争後は、国家主義を唱え、ポーツマス条約締結に尽力した小村ら政府を擁護したため、国民の批判を浴びた
昨年オープン100年を祝った日比谷公園は歴史の生き証人でもある。
日比谷公園は1903年、日本初の都市公園としてオープン。
開園面積 161,636.66平方メートル
設計は林学博士の本多静六・東京帝国大学教授が手がけた。
1924年に完成した日比谷公園内の公会堂は浅沼稲次郎殺害の生々しさを感じたものであった。70年安保闘争の頃の思い出。
04年、日露戦争の戦勝祝賀行事の会場となったが、翌年には講和反対の群衆が集まり「日比谷焼き打ち事件」の舞台に。
23年の関東大震災では野外音楽堂が倒壊、松本楼も焼失した。
第二次大戦後、米軍に接収されるなど、幾多の激動の歴史をくぐり抜けてきた。
明治38年 1月 7日 盛大に日露戦争祝勝会が開かれる
8月 1日 日比谷公園音楽堂開堂式。軍楽隊奏楽
9月 5日 ”屈辱的条約反対”と日比谷焼打事件で騒然
支那革命・梅屋庄吉は現在の日比谷松本楼の初代経営者
松本楼の梅屋庄吉は語り告がれるべき英傑。
小泉総理はこの人の志に学べば日中改善の掛け橋となろう。
梅屋は言う。
<人は其の心を信ずるより大なるは莫く、物を信ずるよりは小なるは莫し>と自分を戒め
孫文の志を信じ、その革命運動は<天下ノ大業ナリ>
その三民主義は<救国済民ノ経典ナリ>と信じて
<富貴在心>富や尊さは心の中にある、 梅屋が好んだ言葉。
孫文との盟約・・・それは梅屋庄吉が米相場の投機に手を出して失敗、多額の負債を背負ってアモイに逃れたあと、香港の目抜き通りで写真館を経営している時であった。
孫文の恩師で医学博士のジェームス・カントリーが庄吉の写真館に出入りしていて、2人を引き合わせた。
運命の時は1895年。 孫文29歳、庄吉27歳。
若い2人は写真館の2階で語り合い革命の決意を熱く語る孫文に、
庄吉は財政支援を約束した。
以後、30年、庄吉は生涯をかけてこの約束に生きることになる。
帰国後、東京に活動写真の配給・制作会社<Mパテー紹介>を設立、
白瀬中尉の南極探検や辛亥革命の前後に自社カメラマンを派遣し、
ドキュメンタリーを完成。
さらに、自社など当時の活動写真会社を統合、
<日本活動写真株式会社>(日活)を作る。
記念碑・彫刻
昭和13年にイタリアから贈られたのがルーパ・ロマーナ像。
ローマ神話にあるオオカミに育てられた双子の兄弟の彫刻。
ほかに、米国から贈られた自由の鐘などもある。
アメリカへ贈ったポトマック河畔のサクラの返礼として贈呈されたハナミズキは米国の国花
アロヨ大統領のフィリピンは先年独立100周年を祝った。
英雄民族 ホセ・リサール とともに。
フィリピン国第一の英雄とされるホセ・リサール Jose’ Rizal は
1861年にスペイン領フィリピナスのラグーナ州カランバに生まれ
1896年12月30日にスペイン植民地政府の手によって処刑、
はや100周年。リサールは日本にも立ち寄った
明治21年国外退去で2ヶ月間日本と日本人に深く共感
東京日比谷公園に滞在祈念がある。
1896年12月30日にスペイン植民地政府の手によって処刑されてから、
はや100周年を過ぎました。リサールは日本にも立ち寄った
植民地スペイン批判で36歳で諸兄意思で小説や詩を残した。
私のはかのの十字架の上に一羽の小鳥の来るのをみたら平和の歌を歌わ
しめよ銃殺の前に妹に託した。
MI ULTIMO ADIOS わが最後の別れ
ホセ・リサール (1896)
和訳: 永井五洋 (1998年1月)
さようなら、愛する祖国、太陽に愛された地、
東海の真珠、我らが失楽のエデン!
おまえに喜んで捧げよう、この哀しくやつれた命を。
たとえもっと輝かしく、みずみずしく、華やいだ命だったとしても、
やはりおまえに捧げよう、おまえのために捧げよう。
戦場で死にものぐるいで闘い、
ためらいも後悔もなくおまえに命を捧げる人々もいるのだ。
死ぬ場所は関係ない。殉死の糸杉、勝利の月桂樹、敗北の白ゆり、
刑場か荒れ野か、戦場か苦難か、
どれも同じだ。祖国と家族のためなのだから。
わたしは死ぬのだ。この空が色づき、
闇の黒衣をおしやり、ついに一日が始まる時に。
もし、おまえの夜明けを染めるくれないが要るのなら、
日の出のその時わが血を注ぎ、まき散らすがいい。
そしてその清新な光でわたしの血を金色に輝かせてほしい。
一途な少年の日のゆめ、
血潮たぎる青年の日のゆめ、
それはいつの日か、東海の珠玉よ、
おまえの黒い瞳に涙なく、つややかな額は凛として、
表情のくもりも、恥じらうこともない姿を見ることだった。
わが生涯のゆめ、今なお燃え立つ望み、
一昨日の坂本竜馬の手紙に続き、日南市飫肥出身で、ポーツマスの旗の明治の外務大臣小村寿太郎の手紙が発見された
日露100年で来年はプーチンさんも来日する年にである。
兄従した小倉処平を西南戦争で失った教訓からか手紙をほとんど残さなかったといわれているのにである。
一方の当事者たる私からの取材を今日現在まで一切経ずして、記事にして無理やり事件に仕立てた罪深きブン屋集団。
よってゴロ新聞に過ぎぬ訳だが今朝の○日紙はその汚名を返上できる記事をトップ記事に掲げた。
新聞週間を声え高らかにうたう、まったくのウソの破廉恥極まりない
新聞がである。
ヤレバデキルジャン!公器の器とやら。
紙が貴重品で大事な時代には手紙は襖の下張りに使った。
よってこのようなことがおこるのかも知れない。
かって永井荷風作といわれている幻の発禁本「四畳半襖の下張り」を
雑誌・面白半分に掲載したことで、発行人・佐藤嘉尚と
編集人・野坂昭如が猥褻図書販売の咎で起訴されたことがあった。
それほど襖の下張りは日常にあった。
私なんぞは、年末とか夏の畳の虫干しで古き新聞を見つけ栃錦・若乃花以前の鏡里や千代の山の相撲記事とかをむさぼり呼んだ。
兄たる隆士次兄や、親代わりで面倒見てくれた親男大兄と喧嘩の末襖をを破いた時は、新聞紙しか出てこなかったものだ。
襖は密室の役割でかなり分厚く出来ていたものである。
これもNHK「わかば」がとりなした縁であろうか。
新聞によると同時期に活躍したジャーナリスト、政治家の徳富蘇峰に
あてた直筆手紙が、神奈川県二宮町の徳富蘇峰記念館の収蔵庫に保管されていることが十八日までに分かった。
徳富蘇峰・蘆花は渡辺民三郎とも交流があったことから、延岡にも訪れた。
民三郎は藩校亮天社から東京専門学校(現在の早稲田大学〉に進み徳富兄弟や山路愛山らともつきあい島崎藤村とも文通があった。
詩人修三は1903年(明36)その二男として生まれ、旧制延岡中学校を経て1921年(大10)に早稲田予科(後に英文科)に入学.
1924年(大一三)同人誌「椋櫚の葉」を作詞家として名を成す佐伯孝夫、横山青蛾、加藤憲治、村野三郎(村野四郎の兄)、寺崎浩らと創刊。この頃,修三は近くに住む西條八十のもとに詩を見てもらいに行ったという。
また、多くの流行歌を作った佐藤惣之助を中心に雑誌「詩之家」が創刊され、翌1926年(大15)に修三は同人として参加している。
宮崎に金丸桝一 本多、杉山ら有名な詩人が多いのはこの先輩の礎があるからであろう。
徳富蘇峰は熊本県生まれ。「国民新聞」を創刊し、歴史家としても名を残している。日露戦争後は、国家主義を唱え、ポーツマス条約締結に尽力した小村ら政府を擁護したため、国民の批判を浴びた
昨年オープン100年を祝った日比谷公園は歴史の生き証人でもある。
日比谷公園は1903年、日本初の都市公園としてオープン。
開園面積 161,636.66平方メートル
設計は林学博士の本多静六・東京帝国大学教授が手がけた。
1924年に完成した日比谷公園内の公会堂は浅沼稲次郎殺害の生々しさを感じたものであった。70年安保闘争の頃の思い出。
04年、日露戦争の戦勝祝賀行事の会場となったが、翌年には講和反対の群衆が集まり「日比谷焼き打ち事件」の舞台に。
23年の関東大震災では野外音楽堂が倒壊、松本楼も焼失した。
第二次大戦後、米軍に接収されるなど、幾多の激動の歴史をくぐり抜けてきた。
明治38年 1月 7日 盛大に日露戦争祝勝会が開かれる
8月 1日 日比谷公園音楽堂開堂式。軍楽隊奏楽
9月 5日 ”屈辱的条約反対”と日比谷焼打事件で騒然
支那革命・梅屋庄吉は現在の日比谷松本楼の初代経営者
松本楼の梅屋庄吉は語り告がれるべき英傑。
小泉総理はこの人の志に学べば日中改善の掛け橋となろう。
梅屋は言う。
<人は其の心を信ずるより大なるは莫く、物を信ずるよりは小なるは莫し>と自分を戒め
孫文の志を信じ、その革命運動は<天下ノ大業ナリ>
その三民主義は<救国済民ノ経典ナリ>と信じて
<富貴在心>富や尊さは心の中にある、 梅屋が好んだ言葉。
孫文との盟約・・・それは梅屋庄吉が米相場の投機に手を出して失敗、多額の負債を背負ってアモイに逃れたあと、香港の目抜き通りで写真館を経営している時であった。
孫文の恩師で医学博士のジェームス・カントリーが庄吉の写真館に出入りしていて、2人を引き合わせた。
運命の時は1895年。 孫文29歳、庄吉27歳。
若い2人は写真館の2階で語り合い革命の決意を熱く語る孫文に、
庄吉は財政支援を約束した。
以後、30年、庄吉は生涯をかけてこの約束に生きることになる。
帰国後、東京に活動写真の配給・制作会社<Mパテー紹介>を設立、
白瀬中尉の南極探検や辛亥革命の前後に自社カメラマンを派遣し、
ドキュメンタリーを完成。
さらに、自社など当時の活動写真会社を統合、
<日本活動写真株式会社>(日活)を作る。
記念碑・彫刻
昭和13年にイタリアから贈られたのがルーパ・ロマーナ像。
ローマ神話にあるオオカミに育てられた双子の兄弟の彫刻。
ほかに、米国から贈られた自由の鐘などもある。
アメリカへ贈ったポトマック河畔のサクラの返礼として贈呈されたハナミズキは米国の国花
アロヨ大統領のフィリピンは先年独立100周年を祝った。
英雄民族 ホセ・リサール とともに。
フィリピン国第一の英雄とされるホセ・リサール Jose’ Rizal は
1861年にスペイン領フィリピナスのラグーナ州カランバに生まれ
1896年12月30日にスペイン植民地政府の手によって処刑、
はや100周年。リサールは日本にも立ち寄った
明治21年国外退去で2ヶ月間日本と日本人に深く共感
東京日比谷公園に滞在祈念がある。
1896年12月30日にスペイン植民地政府の手によって処刑されてから、
はや100周年を過ぎました。リサールは日本にも立ち寄った
植民地スペイン批判で36歳で諸兄意思で小説や詩を残した。
私のはかのの十字架の上に一羽の小鳥の来るのをみたら平和の歌を歌わ
しめよ銃殺の前に妹に託した。
MI ULTIMO ADIOS わが最後の別れ
ホセ・リサール (1896)
和訳: 永井五洋 (1998年1月)
さようなら、愛する祖国、太陽に愛された地、
東海の真珠、我らが失楽のエデン!
おまえに喜んで捧げよう、この哀しくやつれた命を。
たとえもっと輝かしく、みずみずしく、華やいだ命だったとしても、
やはりおまえに捧げよう、おまえのために捧げよう。
戦場で死にものぐるいで闘い、
ためらいも後悔もなくおまえに命を捧げる人々もいるのだ。
死ぬ場所は関係ない。殉死の糸杉、勝利の月桂樹、敗北の白ゆり、
刑場か荒れ野か、戦場か苦難か、
どれも同じだ。祖国と家族のためなのだから。
わたしは死ぬのだ。この空が色づき、
闇の黒衣をおしやり、ついに一日が始まる時に。
もし、おまえの夜明けを染めるくれないが要るのなら、
日の出のその時わが血を注ぎ、まき散らすがいい。
そしてその清新な光でわたしの血を金色に輝かせてほしい。
一途な少年の日のゆめ、
血潮たぎる青年の日のゆめ、
それはいつの日か、東海の珠玉よ、
おまえの黒い瞳に涙なく、つややかな額は凛として、
表情のくもりも、恥じらうこともない姿を見ることだった。
わが生涯のゆめ、今なお燃え立つ望み、
ヨミガエリ
2004年10月18日日本シリーズ第二戦は松坂にも死角があることがわかりほっとした。「怪物」ではなく人間のなによりもの証明。
放映料1億3000万で,TBS,フジ、テレ朝,NHKの四社が全試合最後まで放映する条件で参加。
15%の視聴率のようだが正確には明日発表されるようだ。
流石に巨人戦視聴率10%と史上最低の日テレはやらない。
NHK・BSでのメジャーの試合も36打数18安打のMVPに尤も近い男が目が離せない。
ジフィルドは6割を超えてるが打点6と10では松井がうえであろう。
きょうも3,2塁打の長打を打ち、
ボストン・レッドソックスの延長12回のサヨナラ劇のホームランがなければ松井に決定してたであろう。
どうにも不運が付きまとう賞に縁が薄い「気」があるようだ。
実に豪華なメンバーでの重責を果たしている。
勝たねば野球ではない点から言えはイチローより以上の価値がある。
?ジーター
?ロドリゲス
?ジフイルド
?松井
?ウイリアムス
?ボーサーク
?シエラ
?クラク
?カント
だったか、実に豪華メンバーに松井が光っている。
同じような出来事が浮かび上がっている。
先の12日の新聞休刊日を挟んで唐の都・長安(現西安)の興味ある記事。
西安 西北大学、遣唐使「井眞成」(699〜734)の墓誌を発表
墓誌は、34.5cm四方の石板に12行171字の墓誌銘が刻まれており
井真成が開元二十四年(736)に36歳で亡くなり
、同年2月4日に「万年県」(長安南郊)に埋葬されたとあるが、西北大学の入手前、この墓誌は西安市内の工事現場で発見されたという。
なお阿倍仲麻呂が「晁衡」という中国名を名乗っていたことからも
「井眞成」が本名であるかどうかは不明。
追贈された「尚衣奉御」の官は、『大唐六典』によれば殿中省尚衣局の長官で天子の衣服を掌る従五品の官とされる。
比較的ビッグネームでは則天武后の甥の武承嗣がこの官に就いている。
原文は次のとおりの「日本」は最初に使われた物であり、さしずめ歴史の・ロゼッタ・ストーン。
贈尚衣奉御井公墓並序
贈尚衣奉御井公墓志文并序
公姓井字眞成國號日本才稱天縱故能
■命遠邦馳騁上國蹈禮樂襲衣冠束帶
■朝難與儔矣豈圖強學不倦聞道未終
■遇移舟隙逢奔駟以開元廿二年正月
■日乃終于官弟春秋卅六皇上
■傷追崇有典詔贈尚衣奉御葬令官
■即以其年二月四日窆于萬年縣滻水
■原禮也嗚呼素車曉引丹旐行哀嗟遠
■兮暮日指窮郊兮悲夜臺其辭曰
■乃天常哀茲遠方形既埋於異土魂庶
■歸於故郷
公 姓は井、字は眞成、國號は日本。才は天縱に稱(かな)ひ、故に能(よ)く命を遠邦に■し、騁を上國に馳せり。禮樂を蹈(ふ)み衣冠を襲ひ、束帶して朝に■すること、與(とも)に儔(なら)び難し。豈に圖(はか)らんや、學に強(つと)めて倦(おこた)らず、道を聞くこと未だ終へずして、■ 移舟に遇ひ、隙 奔駟に逢へり。開元廿二年正月■日を以て、乃ち官弟に終へり。春秋卅六。皇上 ■傷して、追崇するに典【=典礼】有り。詔して尚衣奉御を贈り、[葬令官■]、卽(すなは)ち其の年の二月四日を以て萬年縣の滻水■原に窆(はうむ)るは禮なり。
嗚呼、素車 曉に引きて丹旐 哀を行ふ。遠■を嗟(なげ)きて暮日に頹(たお)れ、窮郊に指(およ)びて夜臺に悲む。
其の辭に曰く、
乃(そ)の天の常を■し、茲(こ)の遠方なるを哀しむ。形は旣に異土に埋もれ、魂は故鄉に歸らんことを庶(ねが)ふ、と。
氣賀澤保規・明治大教授(中国史)による抄訳は以下の通り。
「姓は井、字(あざな)は真成、国は日本と号す。生まれつき優秀で、国命で遠く唐にやってきて、一生懸命努力した。
学問を修め、正式な官僚として朝廷に仕え、活躍ぶりは抜きんでていた。ところが思わぬことに、急に病気になり開元22年の1月に官舎で亡くなった。36歳だった。
皇帝は大変残念に思い、特別な扱いで埋葬することにした。
尚衣奉御の位を贈った。2月4日に万年県の川のほとりに埋葬した。
体はこの地に埋葬されたが、魂は故郷に帰るにちがいない」
井真成は阿倍仲麻呂(六九八−七七〇)とほぼ同世代になる。
阿倍仲麻呂は、盛唐の王維、白居易、李白と交わり、酒を酌み交わしては月に詩を捧げ、至悦の夜を過ごした
仲麻呂が帰国を試みた船は何度か難破した。
遭難の報が長安へ伝わったとき、李白は嘆じて有名な弔詩を書いた。
「日本の晁卿(仲麻呂のこと) 帝都を辞し 征帆一片
蓬壼(ほうこ)を遶(めぐ)る
明月帰らず 碧海に沈み 白雲愁色 蒼梧(そうご)に満つ」。
境涯の似通う阿倍仲麻呂は、また望郷の月の歌で知られる。
「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出(い)でし月かも」。
空海(七七四−八三五)は二人よりさらに後に生まれたが、
当時の遣唐使船は逆風の六、七月に船出している。
日本の遠洋航海術は幼稚という以上に無知だった。
船中の糧食は糒(ほしい)(干し飯)で、生水でかみくだいて食べた 馬遼太郎著『空海の風景』。
「国号日本」現在の実物資料では最古という。
七世紀後半、天武天皇は浄御原(きよみはら)令を編纂して、
「倭」にかわる国号を「日本」とされた。
同時に「大王」ではなく「天皇」を使われた。
ここに日本が誕生した。日本とは日の出るところであり、
東の方向を指していた。太陽信仰とともに西への対抗心がある。
中国大陸を強く意識したものだったのだ。
飛鳥や奈良の日本人の強い自尊心が表れている。
鈴木靖民・国学院大教授の話 遣唐使の役割、目的などは文献では
分かっていたが、同時代の生の史料が見つかったのは初めてで、
日中交流史、日本の古代文化史を具体的に想像できる第一級の史料だ。
「井」という中国姓は現在の大阪府藤井寺市一帯を本拠とした渡来系の「井上忌寸(いみき)」という一族ではないか。
一族の中でも特に優秀で、コネもあったのだろう。
死後に贈られた、皇帝の衣服を管理する役職「尚衣奉御」は従五品上(官位)に相当するが、ほぼ同じ年齢で、ともに唐に派遣された
阿倍仲麻呂は同じころ、従五品下に昇格しており、「もう一人の阿倍仲麻呂」ともいえるだろう
遣唐使
630年から二百数十年にわたって約20回計画され、実際に渡航しなかった時もあり、数え方にも諸説ある。
8世紀以降は4隻の船に合計約500人もの人員が乗船。
最澄や空海ら多くの留学僧・留学生や技術者が同乗し、最新の大陸文化を日本に持ち帰った。
唐の衰退とともに意義が薄れ、菅原道真の建議で894年、廃止。
其の大唐国(もろこしのくに)は、法式(のり)備(そなわ)り定(さだま)れる珍(たから)の国なり。常に達(かよ)うべし」。遣隋使の学問僧や学問生として渡航し、隋の滅亡と唐の誕生を目の当たりにして帰国した人たちが、こう推古の朝廷に進言して、遣唐使は始まっている『最後の遣唐使』講談社
「旅人の宿りせむ野に霜降らば我が子はぐくめ天の鶴群(たづむら)」
万葉集の歌 作者未詳、遣唐使のわが子を見送る母が詠んだという
旅人の宿りの野辺に霜が降りたら、空をゆく鶴の群れよ、私の息子をその翼で守っておくれ。「彼」も肉親の祈りを背に旅立った一人であったろう
鶴の翼にはぐくまれることなく逝ったその人も、幾夜となく、父母の面影や故郷の風景を天上の鏡に映しただろう。
今の私のように一人寂しく、故郷を偲んで。もの憂える秋である。
放映料1億3000万で,TBS,フジ、テレ朝,NHKの四社が全試合最後まで放映する条件で参加。
15%の視聴率のようだが正確には明日発表されるようだ。
流石に巨人戦視聴率10%と史上最低の日テレはやらない。
NHK・BSでのメジャーの試合も36打数18安打のMVPに尤も近い男が目が離せない。
ジフィルドは6割を超えてるが打点6と10では松井がうえであろう。
きょうも3,2塁打の長打を打ち、
ボストン・レッドソックスの延長12回のサヨナラ劇のホームランがなければ松井に決定してたであろう。
どうにも不運が付きまとう賞に縁が薄い「気」があるようだ。
実に豪華なメンバーでの重責を果たしている。
勝たねば野球ではない点から言えはイチローより以上の価値がある。
?ジーター
?ロドリゲス
?ジフイルド
?松井
?ウイリアムス
?ボーサーク
?シエラ
?クラク
?カント
だったか、実に豪華メンバーに松井が光っている。
同じような出来事が浮かび上がっている。
先の12日の新聞休刊日を挟んで唐の都・長安(現西安)の興味ある記事。
西安 西北大学、遣唐使「井眞成」(699〜734)の墓誌を発表
墓誌は、34.5cm四方の石板に12行171字の墓誌銘が刻まれており
井真成が開元二十四年(736)に36歳で亡くなり
、同年2月4日に「万年県」(長安南郊)に埋葬されたとあるが、西北大学の入手前、この墓誌は西安市内の工事現場で発見されたという。
なお阿倍仲麻呂が「晁衡」という中国名を名乗っていたことからも
「井眞成」が本名であるかどうかは不明。
追贈された「尚衣奉御」の官は、『大唐六典』によれば殿中省尚衣局の長官で天子の衣服を掌る従五品の官とされる。
比較的ビッグネームでは則天武后の甥の武承嗣がこの官に就いている。
原文は次のとおりの「日本」は最初に使われた物であり、さしずめ歴史の・ロゼッタ・ストーン。
贈尚衣奉御井公墓並序
贈尚衣奉御井公墓志文并序
公姓井字眞成國號日本才稱天縱故能
■命遠邦馳騁上國蹈禮樂襲衣冠束帶
■朝難與儔矣豈圖強學不倦聞道未終
■遇移舟隙逢奔駟以開元廿二年正月
■日乃終于官弟春秋卅六皇上
■傷追崇有典詔贈尚衣奉御葬令官
■即以其年二月四日窆于萬年縣滻水
■原禮也嗚呼素車曉引丹旐行哀嗟遠
■兮暮日指窮郊兮悲夜臺其辭曰
■乃天常哀茲遠方形既埋於異土魂庶
■歸於故郷
公 姓は井、字は眞成、國號は日本。才は天縱に稱(かな)ひ、故に能(よ)く命を遠邦に■し、騁を上國に馳せり。禮樂を蹈(ふ)み衣冠を襲ひ、束帶して朝に■すること、與(とも)に儔(なら)び難し。豈に圖(はか)らんや、學に強(つと)めて倦(おこた)らず、道を聞くこと未だ終へずして、■ 移舟に遇ひ、隙 奔駟に逢へり。開元廿二年正月■日を以て、乃ち官弟に終へり。春秋卅六。皇上 ■傷して、追崇するに典【=典礼】有り。詔して尚衣奉御を贈り、[葬令官■]、卽(すなは)ち其の年の二月四日を以て萬年縣の滻水■原に窆(はうむ)るは禮なり。
嗚呼、素車 曉に引きて丹旐 哀を行ふ。遠■を嗟(なげ)きて暮日に頹(たお)れ、窮郊に指(およ)びて夜臺に悲む。
其の辭に曰く、
乃(そ)の天の常を■し、茲(こ)の遠方なるを哀しむ。形は旣に異土に埋もれ、魂は故鄉に歸らんことを庶(ねが)ふ、と。
氣賀澤保規・明治大教授(中国史)による抄訳は以下の通り。
「姓は井、字(あざな)は真成、国は日本と号す。生まれつき優秀で、国命で遠く唐にやってきて、一生懸命努力した。
学問を修め、正式な官僚として朝廷に仕え、活躍ぶりは抜きんでていた。ところが思わぬことに、急に病気になり開元22年の1月に官舎で亡くなった。36歳だった。
皇帝は大変残念に思い、特別な扱いで埋葬することにした。
尚衣奉御の位を贈った。2月4日に万年県の川のほとりに埋葬した。
体はこの地に埋葬されたが、魂は故郷に帰るにちがいない」
井真成は阿倍仲麻呂(六九八−七七〇)とほぼ同世代になる。
阿倍仲麻呂は、盛唐の王維、白居易、李白と交わり、酒を酌み交わしては月に詩を捧げ、至悦の夜を過ごした
仲麻呂が帰国を試みた船は何度か難破した。
遭難の報が長安へ伝わったとき、李白は嘆じて有名な弔詩を書いた。
「日本の晁卿(仲麻呂のこと) 帝都を辞し 征帆一片
蓬壼(ほうこ)を遶(めぐ)る
明月帰らず 碧海に沈み 白雲愁色 蒼梧(そうご)に満つ」。
境涯の似通う阿倍仲麻呂は、また望郷の月の歌で知られる。
「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出(い)でし月かも」。
空海(七七四−八三五)は二人よりさらに後に生まれたが、
当時の遣唐使船は逆風の六、七月に船出している。
日本の遠洋航海術は幼稚という以上に無知だった。
船中の糧食は糒(ほしい)(干し飯)で、生水でかみくだいて食べた 馬遼太郎著『空海の風景』。
「国号日本」現在の実物資料では最古という。
七世紀後半、天武天皇は浄御原(きよみはら)令を編纂して、
「倭」にかわる国号を「日本」とされた。
同時に「大王」ではなく「天皇」を使われた。
ここに日本が誕生した。日本とは日の出るところであり、
東の方向を指していた。太陽信仰とともに西への対抗心がある。
中国大陸を強く意識したものだったのだ。
飛鳥や奈良の日本人の強い自尊心が表れている。
鈴木靖民・国学院大教授の話 遣唐使の役割、目的などは文献では
分かっていたが、同時代の生の史料が見つかったのは初めてで、
日中交流史、日本の古代文化史を具体的に想像できる第一級の史料だ。
「井」という中国姓は現在の大阪府藤井寺市一帯を本拠とした渡来系の「井上忌寸(いみき)」という一族ではないか。
一族の中でも特に優秀で、コネもあったのだろう。
死後に贈られた、皇帝の衣服を管理する役職「尚衣奉御」は従五品上(官位)に相当するが、ほぼ同じ年齢で、ともに唐に派遣された
阿倍仲麻呂は同じころ、従五品下に昇格しており、「もう一人の阿倍仲麻呂」ともいえるだろう
遣唐使
630年から二百数十年にわたって約20回計画され、実際に渡航しなかった時もあり、数え方にも諸説ある。
8世紀以降は4隻の船に合計約500人もの人員が乗船。
最澄や空海ら多くの留学僧・留学生や技術者が同乗し、最新の大陸文化を日本に持ち帰った。
唐の衰退とともに意義が薄れ、菅原道真の建議で894年、廃止。
其の大唐国(もろこしのくに)は、法式(のり)備(そなわ)り定(さだま)れる珍(たから)の国なり。常に達(かよ)うべし」。遣隋使の学問僧や学問生として渡航し、隋の滅亡と唐の誕生を目の当たりにして帰国した人たちが、こう推古の朝廷に進言して、遣唐使は始まっている『最後の遣唐使』講談社
「旅人の宿りせむ野に霜降らば我が子はぐくめ天の鶴群(たづむら)」
万葉集の歌 作者未詳、遣唐使のわが子を見送る母が詠んだという
旅人の宿りの野辺に霜が降りたら、空をゆく鶴の群れよ、私の息子をその翼で守っておくれ。「彼」も肉親の祈りを背に旅立った一人であったろう
鶴の翼にはぐくまれることなく逝ったその人も、幾夜となく、父母の面影や故郷の風景を天上の鏡に映しただろう。
今の私のように一人寂しく、故郷を偲んで。もの憂える秋である。
軍鶏発電所
2004年10月17日ニシタチの ビルの合間の 発電所
ホタル飛び交う 軍鶏の味
九州でも博多の中州を別にすれば西タチバナ近辺の歓楽街は九州一の規模を誇ろう。
ニシタチには中央通リ、西橘通、西銀座通りと三つの通リがある。
二つの人生を生きるのん兵衛がこよなく愛するおらが国さの自慢である。
中央通リはさしずめ車も通るので大阪は宗右衛門町。
西橘通は長崎は思案橋界隈といえようか。
ほろ酔いに丁度いいのが西銀座通リであろう。
京都の先斗町が酔客に最高の通リと思うがそこを彷彿させる。
もちろん加茂川のせせらぎがないので比較は話には成らぬわけだが、通りの幅が丁度良い。
大阪の法善寺横町といったほうが良いのかもしれない。
お地蔵様のあるブラウンカン・ビルの南隣り、銀座ビル。その前にある和風総二階建ての建物。
その屋根の上に5,0KWの太陽光発電所が完成した。APAの職人技の日曜返上の賜物。
前日からの瓦の加工の準備などを済ましてるため、僅か一日で完成である。
秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」(古今和歌集)
吹く風に秋を感じる今日この頃であるが、ナンという強風の日であったろう。
台風の余波であったのであろうか。パネル作業はかなり辛い物であった。
特殊条件により足場も無しでの状況下の作業、兎に角も無事の完成を祝いたい。
玄関のところにはせせらぎがあり、田舎の小川で撲滅した日本メダカが郡列をなし
鹿脅しが風情を添える。
小空間の豊かな自然、ゆったりと流れる時間、濃密な人と人のつながりをせせらぎの動きが持ち疲れを癒してくれる小宇宙。
そのせせらぎにホタルを飛び交わそうとの相談が相成り、
改修案である。
池の小島にはススキに紅葉したるドウダンツツジ、かかせないモミジ。柿の実もほしい。
信玄垣根にはガラミと呼ぶ山ブドウ。
既にホタルの餌のカワニラはいるので生存状態を確保できる環境たるせせらぎの小石・砂利でノリを付着させて生態系の確保を図りたい。
あくる年の五月は幽玄の光の美が堪能できよう。
ニシタチのビルの合間の発電所ホタル飛び交う軍鶏の味。−せきやんー
冒頭のざれ歌を捻った次第の説明で少し長すぎたか。
人恋しき季節はPTSの持病を持たされ抱え込んだものには注意が必要である。
ひたすら夢中に何かに打ち込むことである。
狂気の如くの行動には阿修羅のごとき様相であろう。
安らぎと癒しとノスタルジーで、かって歌った里の秋の置き換えである。
青春賛歌だが、今の私には人生の応援歌というところか。
今はもう秋 誰もいない海
知らん顔して 人がゆきすぎても
私は忘れない 海に約束したから
つらくても つらくても
死にはしないと
今はもう秋 誰もいない海
たった一つの 夢が破れても
私は忘れない 砂に約束したから
淋しくても 淋しくても
死にはしないと
今はもう秋 誰もいない海
いとしい面影 帰らなくても
私は忘れない 空に約束したから
ひとりでも ひとりでも
死にはしないと
ひとりでも ひとりでも
死にはしないと
心の思いはなかなかつたわらぬ、若さ故の情けなき、状況をただ悲嘆に暮れてる訳にも行かず、戸惑いがある。ひたすら生きるのみである。
国家のなすことさえ美味く伝わらぬことの典型は真珠湾。
新聞から借りてみる。
昭和十六年の日米開戦で最後通告の手渡しが遅れたのは、
軍部と外務省本省による工作があったからだとする研究報告が十六日の日本国際政治学会で発表された。
真珠湾攻撃が米国から「だまし討ち」と非難された原因が、
駐米日本大使館の怠慢にあったという通説の見直しを求めるもので、
米大統領から昭和天皇にあてた親電を軍部と本省が差し止めて最終電文を修正したことが通告遅れにつながったと指摘している。
兵庫県東浦町で開かれた同学会で、元ニュージーランド大使の
井口武夫・尚美学園大教授(日本外交)が発表した。
昭和天皇あてのルーズベルト大統領親電が東京電報局に届いたのは
開戦直前の十六年十二月七日正午。
井口氏は、親電の暗号が平易だったため午後三時ごろには、親電の解読を終了していたと推論。
午後五時に、十四部構成のうち駐米日本大使館への打電が保留されていた最後通告部分の「十四部」を東京電報局から発電した。
このため、「時間的には符合する」として、親電解読と最後通告修正の関連性が認められると指摘している。
十四部は電文の十三部までが打電されたあとも本省で約十五時間保留されていたが、軍部の圧力を受けた本省が大統領親電を解読し、
この内容を検討して十四部に修正を加える必要があったからだと初めて指摘。
また軍部と本省が大統領親電を解読していた根拠として次の状況を挙げる。
グルー駐日米大使が東郷茂徳外相に外相公邸で大統領親電を手渡したのは八日午前零時半。
この後、東郷外相が首相公邸で昭和天皇への上奏文を東条英機首相に
見せたのが午前二時。移動時間(十五分程度)を差し引けば、
わずか一時間十五分で昭和天皇への上奏文を外相が決裁したことになる。
井口氏は「事前に親電を解読し、要約を作成していたから可能だった」と推論する。
大統領親電が一見和平を呼びかけながら仏印からの全面撤退を要求する強硬な内容だったため、軍部の開戦決意は一層不動のものになった、と井口氏は分析している。
結局、十四部は原案で「合衆国政府が現在の態度を持続する限り今後交渉を継続するも妥結に達するを得ず」と条件付きで交渉を打ち切る内容だったが「合衆国政府の態度にかんがみ今後交渉を…」と単刀直入に交渉を打ち切る文面に修正されていた。
井口氏は「親電内容が判明した時点で修正を加えたもので最終的な通告の遅れにつながった」と指摘している。
波多野澄雄筑波大教授(日本外交史)
「軍部の圧力の有無は立証が不十分で、さらに検討が必要だ。ただ解読した大統領親電を最後通告の十四部に反映させた可能性は十分あり、通告遅れの責任を現地の日本大使館だけに押し付けるのは無理があろう」
あだうち」なんて古くさい言葉、時代小説か映画でしか出てこないだろう。
現代に存在するとしたら、それは古く遅れた社会か野蛮な社会にしかないと思われるだろう。
でも、自分の大切な人が傷つけられ、傷つけた当人がのうのうと暮らしている場合、自分には何ができるのだろうか。
ただ単にやりばのない憤りを抱えたまま、その大切な人が傷つけられていくのを黙って見ているしかないのだろうか。
それとも、形を変えて何か反撃を試みるべきなのだろうか。
アメリカは9/11を受けて、アフガン爆撃、タリバン放逐、そして暫定政権樹立という一連の行動を起こした。
これはWTCやワシントン、ペンシルベニアで亡くなった方たちの仇討ちとも取れる。少なくともブッシュが国内向けにしたのはそういう感情に訴えたことだったし、国際社会の同情も「まああんなひどいことをするやつに対しては仕方ないわな」という理解に基づくものだった。
では日本が同じことをしたら。北朝鮮の拉致問題について、同じ「仕返し」をしたら。それはおそらくだれからも理解されないだろう。
家族を拉致された親族にとっても同じこと。北朝鮮攻撃を望んではいないと思う。この違いはどこから来るのか。アメリカは唯一の超大国だから何をしても許…
ホタル飛び交う 軍鶏の味
九州でも博多の中州を別にすれば西タチバナ近辺の歓楽街は九州一の規模を誇ろう。
ニシタチには中央通リ、西橘通、西銀座通りと三つの通リがある。
二つの人生を生きるのん兵衛がこよなく愛するおらが国さの自慢である。
中央通リはさしずめ車も通るので大阪は宗右衛門町。
西橘通は長崎は思案橋界隈といえようか。
ほろ酔いに丁度いいのが西銀座通リであろう。
京都の先斗町が酔客に最高の通リと思うがそこを彷彿させる。
もちろん加茂川のせせらぎがないので比較は話には成らぬわけだが、通りの幅が丁度良い。
大阪の法善寺横町といったほうが良いのかもしれない。
お地蔵様のあるブラウンカン・ビルの南隣り、銀座ビル。その前にある和風総二階建ての建物。
その屋根の上に5,0KWの太陽光発電所が完成した。APAの職人技の日曜返上の賜物。
前日からの瓦の加工の準備などを済ましてるため、僅か一日で完成である。
秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」(古今和歌集)
吹く風に秋を感じる今日この頃であるが、ナンという強風の日であったろう。
台風の余波であったのであろうか。パネル作業はかなり辛い物であった。
特殊条件により足場も無しでの状況下の作業、兎に角も無事の完成を祝いたい。
玄関のところにはせせらぎがあり、田舎の小川で撲滅した日本メダカが郡列をなし
鹿脅しが風情を添える。
小空間の豊かな自然、ゆったりと流れる時間、濃密な人と人のつながりをせせらぎの動きが持ち疲れを癒してくれる小宇宙。
そのせせらぎにホタルを飛び交わそうとの相談が相成り、
改修案である。
池の小島にはススキに紅葉したるドウダンツツジ、かかせないモミジ。柿の実もほしい。
信玄垣根にはガラミと呼ぶ山ブドウ。
既にホタルの餌のカワニラはいるので生存状態を確保できる環境たるせせらぎの小石・砂利でノリを付着させて生態系の確保を図りたい。
あくる年の五月は幽玄の光の美が堪能できよう。
ニシタチのビルの合間の発電所ホタル飛び交う軍鶏の味。−せきやんー
冒頭のざれ歌を捻った次第の説明で少し長すぎたか。
人恋しき季節はPTSの持病を持たされ抱え込んだものには注意が必要である。
ひたすら夢中に何かに打ち込むことである。
狂気の如くの行動には阿修羅のごとき様相であろう。
安らぎと癒しとノスタルジーで、かって歌った里の秋の置き換えである。
青春賛歌だが、今の私には人生の応援歌というところか。
今はもう秋 誰もいない海
知らん顔して 人がゆきすぎても
私は忘れない 海に約束したから
つらくても つらくても
死にはしないと
今はもう秋 誰もいない海
たった一つの 夢が破れても
私は忘れない 砂に約束したから
淋しくても 淋しくても
死にはしないと
今はもう秋 誰もいない海
いとしい面影 帰らなくても
私は忘れない 空に約束したから
ひとりでも ひとりでも
死にはしないと
ひとりでも ひとりでも
死にはしないと
心の思いはなかなかつたわらぬ、若さ故の情けなき、状況をただ悲嘆に暮れてる訳にも行かず、戸惑いがある。ひたすら生きるのみである。
国家のなすことさえ美味く伝わらぬことの典型は真珠湾。
新聞から借りてみる。
昭和十六年の日米開戦で最後通告の手渡しが遅れたのは、
軍部と外務省本省による工作があったからだとする研究報告が十六日の日本国際政治学会で発表された。
真珠湾攻撃が米国から「だまし討ち」と非難された原因が、
駐米日本大使館の怠慢にあったという通説の見直しを求めるもので、
米大統領から昭和天皇にあてた親電を軍部と本省が差し止めて最終電文を修正したことが通告遅れにつながったと指摘している。
兵庫県東浦町で開かれた同学会で、元ニュージーランド大使の
井口武夫・尚美学園大教授(日本外交)が発表した。
昭和天皇あてのルーズベルト大統領親電が東京電報局に届いたのは
開戦直前の十六年十二月七日正午。
井口氏は、親電の暗号が平易だったため午後三時ごろには、親電の解読を終了していたと推論。
午後五時に、十四部構成のうち駐米日本大使館への打電が保留されていた最後通告部分の「十四部」を東京電報局から発電した。
このため、「時間的には符合する」として、親電解読と最後通告修正の関連性が認められると指摘している。
十四部は電文の十三部までが打電されたあとも本省で約十五時間保留されていたが、軍部の圧力を受けた本省が大統領親電を解読し、
この内容を検討して十四部に修正を加える必要があったからだと初めて指摘。
また軍部と本省が大統領親電を解読していた根拠として次の状況を挙げる。
グルー駐日米大使が東郷茂徳外相に外相公邸で大統領親電を手渡したのは八日午前零時半。
この後、東郷外相が首相公邸で昭和天皇への上奏文を東条英機首相に
見せたのが午前二時。移動時間(十五分程度)を差し引けば、
わずか一時間十五分で昭和天皇への上奏文を外相が決裁したことになる。
井口氏は「事前に親電を解読し、要約を作成していたから可能だった」と推論する。
大統領親電が一見和平を呼びかけながら仏印からの全面撤退を要求する強硬な内容だったため、軍部の開戦決意は一層不動のものになった、と井口氏は分析している。
結局、十四部は原案で「合衆国政府が現在の態度を持続する限り今後交渉を継続するも妥結に達するを得ず」と条件付きで交渉を打ち切る内容だったが「合衆国政府の態度にかんがみ今後交渉を…」と単刀直入に交渉を打ち切る文面に修正されていた。
井口氏は「親電内容が判明した時点で修正を加えたもので最終的な通告の遅れにつながった」と指摘している。
波多野澄雄筑波大教授(日本外交史)
「軍部の圧力の有無は立証が不十分で、さらに検討が必要だ。ただ解読した大統領親電を最後通告の十四部に反映させた可能性は十分あり、通告遅れの責任を現地の日本大使館だけに押し付けるのは無理があろう」
あだうち」なんて古くさい言葉、時代小説か映画でしか出てこないだろう。
現代に存在するとしたら、それは古く遅れた社会か野蛮な社会にしかないと思われるだろう。
でも、自分の大切な人が傷つけられ、傷つけた当人がのうのうと暮らしている場合、自分には何ができるのだろうか。
ただ単にやりばのない憤りを抱えたまま、その大切な人が傷つけられていくのを黙って見ているしかないのだろうか。
それとも、形を変えて何か反撃を試みるべきなのだろうか。
アメリカは9/11を受けて、アフガン爆撃、タリバン放逐、そして暫定政権樹立という一連の行動を起こした。
これはWTCやワシントン、ペンシルベニアで亡くなった方たちの仇討ちとも取れる。少なくともブッシュが国内向けにしたのはそういう感情に訴えたことだったし、国際社会の同情も「まああんなひどいことをするやつに対しては仕方ないわな」という理解に基づくものだった。
では日本が同じことをしたら。北朝鮮の拉致問題について、同じ「仕返し」をしたら。それはおそらくだれからも理解されないだろう。
家族を拉致された親族にとっても同じこと。北朝鮮攻撃を望んではいないと思う。この違いはどこから来るのか。アメリカは唯一の超大国だから何をしても許…
日伊に繋がる太陽光発電
2004年10月16日イタリア年というのがあるらしいがそれに因んでということもなかろうが宮崎日伊協会主催により日伊科学技術交流会が15〜16日開催された。
宮崎県立美術館のフォーラム会場には「貴金属とナノテクノロジーの開発と生活文化・芸術との接点」が主要テーマであったが
私も先般のナノテクの考え方の整理と郷里、伊東マンショに惹かれ出席した。
同時通訳が何ともおもがゆく国際会議に慣れてないのでゆっくりとした時間が流れる。
笑いを撮る場面が特に違和感を感じる。
遅れて笑うのも同じ時間の共有にしては、どうかなという感じである。
信長の頃の420年前に訪欧使節は13才の使節団・団長の伊東マンショは西都市都於郡、の生まれで8年をかけローマに使えした。
、旭化成は81年前にイタリアの化学者カザレ−博士を招聘して世界ではじめてアンモニア合成に成功した
このように宮崎とイタリアの由緒ある歴史・技術交流は私たちの知らないところで関係があった。
なにも日独伊三国同盟なるキナ臭いムッソリーニは登場しないだろうし、革命者グラムシもない時代であろうから安心である。
わが国における電気事業界、化学工業界の先駆者である、
野口 遵(のぐち したがう)は、石川の人
市役所隣りの野口記念館としてその名を残している。
1923年(大正12年)、世界で初めてカザレー式アンモニア合成法の工業化に成功し、宮崎・延岡の地に、20世紀をリードする産業基地の建設を開始して、現在の工業都市「延岡」の礎が出来た。
延岡市の初代市長である仲田又次郎氏は、翁の追懐録のなかで、
「野口 遵翁は、延岡市新興の母である」と、その偉大なる事業の
足跡を称えた。
昭和史の財閥の名に燦然と輝く人々の名に同列してる。
野口 遵
日産コンツェルン の元石油資源開発会長 鮎川義介
電力会の偉人・電力王の元東邦電力社長 松永安左エ門、
昭和電工会長 石川一郎、元伊藤忠商事会長 伊藤忠兵衛
日本化薬会長 原安三郎、
借用して記すと次のようである。
野口 遵(したがう)、工業の先駆者であり、旭化成の創立者。
明治6年金沢市に生まれ、小学校から大学まで東京に学び、明治29年、東京帝国大学電気工学科を卒業。
在学時より、国家の産業基盤を支えるものとして、水力発電に高い関心をもっており、明治39年、鹿児島県に水力発電を建設、その電力を利用して、かねてより研究を進めていたカーバイドを企業化。
さらにドイツからカーバイドを原料とした石灰窒素肥料製造技術を導入。
日本窒素肥料株式会社を設立、熊本県でカーバイドから石灰窒素、硫安にいたる一貫生産を開始した。
その後、新潟や熊本での水力発電所の建設、大阪や熊本県鏡町での工場施設などにより一応の事業基盤を確立した大正10年、翁
は欧州視察に赴き、イタリアのカザレ―博士のアンモニア合成法の特許を獲得しました。
帰国後、野口翁は、かねてより開発を進めていた五ヶ瀬川の電力を利用すべく、また、地元の強い誘致運動もあって、この延岡で
アンモニアと硫安の事業化を図ることを決定、
大正12年、生産を開始しました。これが旭化成の発祥です。
続いて、アンモニアの高度利用として「ベンベルグ」や火薬、さらには苛性ソーダやレーヨンなどの製造を始め、現在の旭化成延岡地区の基礎を築いてきました。
翁の事業意欲はとどまるところを知らず、昭和2年 大陸に進出、鴨緑江などで百数十万キロワットにおよぶ発電を行い、興南を
中心とした、肥料50万トン規模の一大コンビナートを建設しました。
しかしながら、永年の苦労がたたったのか、満州、海南島などに活躍中の昭和15年、ついに病に倒れました。そして昭和19年
1月15日、療養中の静岡県韮山において、享年72才をもって逝去されました。
多年にわたる実業界への功績に対し、昭和17年、勲一等瑞宝章が授けられています。
どうにも一般の参加者はなく私も発言したものである。
・・・・・・
思うに連れ「自転車泥棒」とか「苦い米」で心の簸だ、物悲しさは共通である。
イタリア北部のポー川流いきの水田地帯からして日本人にあうようだ。
ミニマリズムなる不必要な物は買わないも感情でよくわかる。
・・・・・・・・・
♪♪ 八と瀬のたびを 船出して 遠くローマに使えせし
海を渡りし 可憐なる 伊東マンショ名も高し
偉大なりや 伊東マンショ 嗚呼偉大なり 少年や
思わず口ずさむ、うたの披露である。
チャッカリ太陽光発電も披露しましてAPAイタリア支店が実現したら・・・さぁ〜大変だ。
仕事もちゃんとやりまして、3時間に渡り説明をした人々。
不動産の社長さんをご紹介いただいた。
宮崎県立美術館のフォーラム会場には「貴金属とナノテクノロジーの開発と生活文化・芸術との接点」が主要テーマであったが
私も先般のナノテクの考え方の整理と郷里、伊東マンショに惹かれ出席した。
同時通訳が何ともおもがゆく国際会議に慣れてないのでゆっくりとした時間が流れる。
笑いを撮る場面が特に違和感を感じる。
遅れて笑うのも同じ時間の共有にしては、どうかなという感じである。
信長の頃の420年前に訪欧使節は13才の使節団・団長の伊東マンショは西都市都於郡、の生まれで8年をかけローマに使えした。
、旭化成は81年前にイタリアの化学者カザレ−博士を招聘して世界ではじめてアンモニア合成に成功した
このように宮崎とイタリアの由緒ある歴史・技術交流は私たちの知らないところで関係があった。
なにも日独伊三国同盟なるキナ臭いムッソリーニは登場しないだろうし、革命者グラムシもない時代であろうから安心である。
わが国における電気事業界、化学工業界の先駆者である、
野口 遵(のぐち したがう)は、石川の人
市役所隣りの野口記念館としてその名を残している。
1923年(大正12年)、世界で初めてカザレー式アンモニア合成法の工業化に成功し、宮崎・延岡の地に、20世紀をリードする産業基地の建設を開始して、現在の工業都市「延岡」の礎が出来た。
延岡市の初代市長である仲田又次郎氏は、翁の追懐録のなかで、
「野口 遵翁は、延岡市新興の母である」と、その偉大なる事業の
足跡を称えた。
昭和史の財閥の名に燦然と輝く人々の名に同列してる。
野口 遵
日産コンツェルン の元石油資源開発会長 鮎川義介
電力会の偉人・電力王の元東邦電力社長 松永安左エ門、
昭和電工会長 石川一郎、元伊藤忠商事会長 伊藤忠兵衛
日本化薬会長 原安三郎、
借用して記すと次のようである。
野口 遵(したがう)、工業の先駆者であり、旭化成の創立者。
明治6年金沢市に生まれ、小学校から大学まで東京に学び、明治29年、東京帝国大学電気工学科を卒業。
在学時より、国家の産業基盤を支えるものとして、水力発電に高い関心をもっており、明治39年、鹿児島県に水力発電を建設、その電力を利用して、かねてより研究を進めていたカーバイドを企業化。
さらにドイツからカーバイドを原料とした石灰窒素肥料製造技術を導入。
日本窒素肥料株式会社を設立、熊本県でカーバイドから石灰窒素、硫安にいたる一貫生産を開始した。
その後、新潟や熊本での水力発電所の建設、大阪や熊本県鏡町での工場施設などにより一応の事業基盤を確立した大正10年、翁
は欧州視察に赴き、イタリアのカザレ―博士のアンモニア合成法の特許を獲得しました。
帰国後、野口翁は、かねてより開発を進めていた五ヶ瀬川の電力を利用すべく、また、地元の強い誘致運動もあって、この延岡で
アンモニアと硫安の事業化を図ることを決定、
大正12年、生産を開始しました。これが旭化成の発祥です。
続いて、アンモニアの高度利用として「ベンベルグ」や火薬、さらには苛性ソーダやレーヨンなどの製造を始め、現在の旭化成延岡地区の基礎を築いてきました。
翁の事業意欲はとどまるところを知らず、昭和2年 大陸に進出、鴨緑江などで百数十万キロワットにおよぶ発電を行い、興南を
中心とした、肥料50万トン規模の一大コンビナートを建設しました。
しかしながら、永年の苦労がたたったのか、満州、海南島などに活躍中の昭和15年、ついに病に倒れました。そして昭和19年
1月15日、療養中の静岡県韮山において、享年72才をもって逝去されました。
多年にわたる実業界への功績に対し、昭和17年、勲一等瑞宝章が授けられています。
どうにも一般の参加者はなく私も発言したものである。
・・・・・・
思うに連れ「自転車泥棒」とか「苦い米」で心の簸だ、物悲しさは共通である。
イタリア北部のポー川流いきの水田地帯からして日本人にあうようだ。
ミニマリズムなる不必要な物は買わないも感情でよくわかる。
・・・・・・・・・
♪♪ 八と瀬のたびを 船出して 遠くローマに使えせし
海を渡りし 可憐なる 伊東マンショ名も高し
偉大なりや 伊東マンショ 嗚呼偉大なり 少年や
思わず口ずさむ、うたの披露である。
チャッカリ太陽光発電も披露しましてAPAイタリア支店が実現したら・・・さぁ〜大変だ。
仕事もちゃんとやりまして、3時間に渡り説明をした人々。
不動産の社長さんをご紹介いただいた。
イタリア映画
2004年10月16日イタリアの巨匠ルキノ・ヴィスコンティの作品。
無防備都市 のロベルト・ロッセリーニは「カサブランカ・ガス灯」
主演の我らのイングリッド・バーグマンさえ虜にする監督で嫉妬する。
他の国の人が作るとローマの休日とか旅愁とかになるイタリアが舞台となる映画。
イタリア映画の作品群、
郵便配達は二度ベルを鳴らす
Ossessione
(1943年/イタリア/141分/白黒)
出演=クララ・カラマイ、マッシモ・ジロッティ、フアン・デ・ランダ
ジャン・ルノワールにケイン原作の仏語訳を渡されて映画化が実現した、初監督作品。イタリア北部の国道沿いで夫と軽食堂を営む
ジョヴァンナ(カラマイ)は、新しく雇われた若い放浪者ジーノ(ジロッティ)に強く惹かれる。一度駆け落ちに失敗するも、偶然
の再会を機に二人で夫を殺害するまでに至る。激しく求め合う男女の不安・嫉妬・疑念を、二大スターが見事に演じている。"ネオ
レアリズモ"という言葉を生んだ歴史的作品。
山猫
Il Gattopardo
(1963年/イタリア=フランス/187分/テクニカラー)
出演=バート・ランカスター、アラン・ドロン、クラウディア・カルディナーレ
シチリアのパルマ公爵ランペドゥーサの小説が原作。19世紀末、イタリア統一戦争の時代。貴族階級の没落を平然と眺めるサリーナ
公爵(ランカスター)と、対比的に未来に向って明るい若きアンジェリカ(カルディナーレ)とタンクレディ(ドロン)。時代の推
移とそれに背を向けて生きる者が描かれる。圧巻は大舞踏会のシーン。実際のシチリア貴族をエキストラに起用した、まさにヴィス
コンティにしか撮れない映像絵巻。
ベニスに死す
Morte a Venezia
(1971年/イタリア=フランス/133分/テクニカラー)
出演=ダーク・ボガード、シルヴァーナ・マンガノ、ビョルン・アンドレセン
トーマス・マンの同名小説が原作。主人公は小説家から大作曲家(ボガート)に変わっているが、そもそもマンはマーラーをモデル
にしたとも言われる。ベニスに静養に来た老作曲家が、ギリシア彫刻のようなポーランドの美少年(アンドレセン)に心を奪われる
。美を求める者の恍惚と苦悩、歓喜と絶望が究極の耽美主義で描かれる。重厚なマーラーの交響曲第5番が全編に使用されている映画史屈指の名作。
共同監督作品
栄光の日々
Giorni di gloria
(1945年/イタリア/70分/白黒)
レジスタンス組織からの注文を受けて作った共同監督ドキュメンタリーで、ヴィスコンティがイタリアのレジスタンス運動や戦争そ
のものを扱った唯一の作品である。1943年9月から1945年春までの映像をマルチェッロ・パリエーロと共に監督をしたが、ヴィスコ
ンティが撮ったのはカレッタの処刑やピエトロ・カルーゾの裁判のシーンと言われる。イタリア公開後、長らく失われており、1970
年に発見され、復元。日本初公開。
夏の嵐
Senso
(1954年/イタリア/121分/テクニカラー)
出演=アリダ・ヴァッリ、ファーリー・グレンジャー、マッシモ・ジロッティ
ヴィスコンティ初の歴史物。オーストリアからの解放戦争が迫る、激動のヴェネツィア。フェニーチェ歌劇場で若いオーストリア士
官(グレンジャー)に出会った伯爵夫人(ヴァッリ)はその虜となっていく。欺瞞と苦悶の果て、彼女は復讐を考え始める。歴史の
変革期、官能的な陶酔と残酷な覚醒がブルックナーの音楽を背景に描かれる。演劇的な様式美とリアリズムの融合が見事な、圧倒的
な映像美を誇る初期の傑作。
若者のすべて
Rocco e i suoi fratelli
(1960年/イタリア=フランス/177分/白黒)
出演=アラン・ドロン、レナート・サルヴァトーリ、アニー・ジラルド
イタリアで興行的に成功した最初の作品。南部からミラノに移住したパロンディ一家の5人兄弟は、それぞれ別の運命をたどる。次
男シモーネ(サルヴァトーリ)はプロボクサーを目指し、三男ロッコ(ドロン)はクリーニング店で地道に働く。娼婦ナディア(ジ
ラルド)の登場で二人の間に軋轢が生まれ、家族は崩壊し始める。ヴィスコンティのドロンへの思い入れはかなりのもので、他の俳
優では撮らなかったと語っている。
無防備都市 のロベルト・ロッセリーニは「カサブランカ・ガス灯」
主演の我らのイングリッド・バーグマンさえ虜にする監督で嫉妬する。
他の国の人が作るとローマの休日とか旅愁とかになるイタリアが舞台となる映画。
イタリア映画の作品群、
郵便配達は二度ベルを鳴らす
Ossessione
(1943年/イタリア/141分/白黒)
出演=クララ・カラマイ、マッシモ・ジロッティ、フアン・デ・ランダ
ジャン・ルノワールにケイン原作の仏語訳を渡されて映画化が実現した、初監督作品。イタリア北部の国道沿いで夫と軽食堂を営む
ジョヴァンナ(カラマイ)は、新しく雇われた若い放浪者ジーノ(ジロッティ)に強く惹かれる。一度駆け落ちに失敗するも、偶然
の再会を機に二人で夫を殺害するまでに至る。激しく求め合う男女の不安・嫉妬・疑念を、二大スターが見事に演じている。"ネオ
レアリズモ"という言葉を生んだ歴史的作品。
山猫
Il Gattopardo
(1963年/イタリア=フランス/187分/テクニカラー)
出演=バート・ランカスター、アラン・ドロン、クラウディア・カルディナーレ
シチリアのパルマ公爵ランペドゥーサの小説が原作。19世紀末、イタリア統一戦争の時代。貴族階級の没落を平然と眺めるサリーナ
公爵(ランカスター)と、対比的に未来に向って明るい若きアンジェリカ(カルディナーレ)とタンクレディ(ドロン)。時代の推
移とそれに背を向けて生きる者が描かれる。圧巻は大舞踏会のシーン。実際のシチリア貴族をエキストラに起用した、まさにヴィス
コンティにしか撮れない映像絵巻。
ベニスに死す
Morte a Venezia
(1971年/イタリア=フランス/133分/テクニカラー)
出演=ダーク・ボガード、シルヴァーナ・マンガノ、ビョルン・アンドレセン
トーマス・マンの同名小説が原作。主人公は小説家から大作曲家(ボガート)に変わっているが、そもそもマンはマーラーをモデル
にしたとも言われる。ベニスに静養に来た老作曲家が、ギリシア彫刻のようなポーランドの美少年(アンドレセン)に心を奪われる
。美を求める者の恍惚と苦悩、歓喜と絶望が究極の耽美主義で描かれる。重厚なマーラーの交響曲第5番が全編に使用されている映画史屈指の名作。
共同監督作品
栄光の日々
Giorni di gloria
(1945年/イタリア/70分/白黒)
レジスタンス組織からの注文を受けて作った共同監督ドキュメンタリーで、ヴィスコンティがイタリアのレジスタンス運動や戦争そ
のものを扱った唯一の作品である。1943年9月から1945年春までの映像をマルチェッロ・パリエーロと共に監督をしたが、ヴィスコ
ンティが撮ったのはカレッタの処刑やピエトロ・カルーゾの裁判のシーンと言われる。イタリア公開後、長らく失われており、1970
年に発見され、復元。日本初公開。
夏の嵐
Senso
(1954年/イタリア/121分/テクニカラー)
出演=アリダ・ヴァッリ、ファーリー・グレンジャー、マッシモ・ジロッティ
ヴィスコンティ初の歴史物。オーストリアからの解放戦争が迫る、激動のヴェネツィア。フェニーチェ歌劇場で若いオーストリア士
官(グレンジャー)に出会った伯爵夫人(ヴァッリ)はその虜となっていく。欺瞞と苦悶の果て、彼女は復讐を考え始める。歴史の
変革期、官能的な陶酔と残酷な覚醒がブルックナーの音楽を背景に描かれる。演劇的な様式美とリアリズムの融合が見事な、圧倒的
な映像美を誇る初期の傑作。
若者のすべて
Rocco e i suoi fratelli
(1960年/イタリア=フランス/177分/白黒)
出演=アラン・ドロン、レナート・サルヴァトーリ、アニー・ジラルド
イタリアで興行的に成功した最初の作品。南部からミラノに移住したパロンディ一家の5人兄弟は、それぞれ別の運命をたどる。次
男シモーネ(サルヴァトーリ)はプロボクサーを目指し、三男ロッコ(ドロン)はクリーニング店で地道に働く。娼婦ナディア(ジ
ラルド)の登場で二人の間に軋轢が生まれ、家族は崩壊し始める。ヴィスコンティのドロンへの思い入れはかなりのもので、他の俳
優では撮らなかったと語っている。
「わかば」と柳田国男
2004年10月15日日南市は・旧飫肥藩で旧市街地を残す街並みが街の一角をなし、
西の京都の名を成す。山紫水明の地でもある。
神のつくりし地形を凡人が文章などで表現する冒涜はないので
先人の名文章を借りたい。
飫肥郵便局前に特有の石に委ね記録にとって再現するとこうである。
・・・・・・
飫肥の町には12年ぶりに入った。
静かな川の音板橋を渡る大工所のウマの森まで以前も聞いたような
気がして
なつかしきし城跡の木立のマツ、スギは伐ってまた栽えた付近の山よりは大いに古くかって穴生役の技芸をつくしたかと思う
石垣の石の色には歴史の書よりもさらに透徹した懐古の味わいを漂わせている
山が近いからかまたはこのごろの季節ためか今朝もおおいに立っていたり水煙が幾重にも酒谷川の流れを蔽うている。
・・・・・・『海南小記』より。
前回の明治のとき来訪にして、大正9年1月時代を描き水郷の街を称えるすばらしい文章である。
瑞穂の国の全国一田植えの早いのが日南・西都で自慢ゲに季節の風物詩を見ていた。
毎年何日かづつの田植えの日が早まり記録は更新され「おらが国さの」自慢話にしていた。
それが微妙に毎年何日かづつ早まっているのが台風襲来の多さと比例して奇妙である今日この頃。
スポーツ界の記録更新なら、いざしらづ、自然界に挑む稲作技術がそうも進歩するはずがない。
なんてェことはない、自然界の温度が毎年温暖化の方向になってるからと考えれば不思議はない。
急激な地球環境の変化が起こってることの証左であろう。
ほとんどの食料を外国に頼る歪な構造の日本において
「米」は唯一の自国内でまかなわれている作物である。
気候に敏感な永年性の果樹はハッキリと南限北限が明確である。
ミカン・リンゴは作物名だけで生産県が大雑把理解出来よう。
それが変化が起ころうとしている。
独立行政法人・農業・生物系特定産業技術研究機構なるところの
研究成果が出た。
この調査結果では総ての都道府県で温暖化の影響が果樹農業にはあらわれている事が明らかにされた。
温暖化が農産物に与える影響を全国規模で調査したのは初めてでのことで、今後の積み上げに期待したい。
しかしながら、現状把握する必要も無いほどの加速度的変化がわかってるのでどう改善しているかが出来ない役所の限界を感ずるのは私だけであろうか。
NHK「わかば」は兵庫県と宮崎県を繋ぐ人生ドラマ。
両県の深い絆はここんとこの軽はずみに生じたのではない。
それが、薄っぺらな代表たる大宅荘一の言うところの「一億総白痴化」といわれるテレビで繋がったのだから世の中不思議なものがある。
兵庫・宮崎を繋ぐ人の先駆は 柳田国男。
兵庫県は福崎町(旧名・田原村)松岡の人。
幼時,生父が時代に適応できず家が貧しかったことや,生母と兄嫁の争いに発した長兄の離婚のため1885年ごろに一家離散を経験したことが,生涯“家の永続”に心を砕く契機となった。
よって、苗字は違うが、歌人井上通泰は三兄,国語学者松岡静雄は
次弟,日本画家松岡映丘は末弟。
茨城県で医院を開いていた長兄松岡鼎に引き取られ,東西日本の農村
民俗の違いを実感。
1891年,三兄の知己森鴎外の知遇を得,また桂園派歌人松浦萩坪のとこ ろに入門,田山花袋を知る。
1893年 一高に入学,
1895年 島崎藤村,
1896年 国木田独歩と親交をもつ
「文学界」に新体詩を発表、斬新な詩作で仲間を刺激。
「なぜに農民は貧なりや」という言葉に示されるように、
社会構造に対する鋭い疑問から、文学への傾倒を絶ち、農政学を志す
1879年, 宮崎八百吉編『抒情詩』に新体詩が収録さる。
1879年, 藤村の『若菜集』で,自らの詩才に見切りをつけ,
歌の別れ〉をする。
1901年明34 大審院判事柳田直平の養嗣となり、柳田家に入籍
自邸で始めたサロン的集会がやがて自然主義作家を輩出する
竜土会に発展,
1907年 イプセン会を主宰し日本文学史上に金字塔。
農商務省に就職,産業組合・農会の普及を担当するが,当時の農政理論の主流たる小農保護政策の本質が,農村を低賃金労働者の供給源とすることにあるのを見抜き,
農民を保護なしで自立できる中農に育成しなければ,農業は国の病 になると主張し,上司と対立,
1902年,法制局参事官に移される。
形は栄転であるが,農政の現場から外されたことへの憤懣は 1910年 刊行の講演集『時代ト農政』に満ちている。
1910年,内閣書記官記録課長を兼任,
1914年,貴族院書記官長となるが,議長徳川家達と衝突,
1919年,詰腹を切らされて官界を去り,
1920年,東京朝日新聞社客員となる。
1921年,国際連盟常設委任統治委員に就任,3期にわたってジュネーブ で活躍,
1923年 辞意を表明する。
1924年,東京朝日新聞社に論説委員として正式入社,
1930年 引退までに、389本の社説の2割近くが農政関連である 無署名ながら農政学者の面目とその民俗学の経世済民 の根源をみる。
農政官僚として自らの考えを容れられずに挫折した前後,折から自然主義作家として評判を高めていたかつての文学青年仲間の花袋や藤村と
一つ野原の畑を耕すことを拒否し
佐々木喜善から聞いた話を一字一句ゆるがせずに推敲・彫琢して
『遠野物語』として上梓,
日本列島先住民とみなした山人の存在に関心を示す。
このあと新渡戸稲造と郷土会を組織したり,南方熊楠と交流をもった,
「郷土研究」を創刊したことは民俗学への模索状況を示す,
1920年最も自由なる旅行の所産『海南小記』『雪国の春』
『秋風帖』には旅を学問の方法の主要な一つとした
その“ムラ”の把握の特徴が景観主義的限界とともによく
現れている。
1924年 新しい学問として民俗学の確立をめざし,「民族」を出す
とともに,自ら農民史研究を推進する。
その性格もあって一時孤立する。
1935年,その還暦を記念して開かれた日本民俗学講習会を機会に
民間伝承の会が結成,
ごく普通の百姓たる民俗学を標榜する。
戦時中にかけて日本人の信仰,とくに祖先崇拝の解明に
つとめる。
戦後は民俗学を現代科学たらしめんとして国語・社会科の 教科書編纂にかかわる。
さらに晩年,日本人のルーツや稲作渡来のコースに関心を抱き,1961年『海上の道』で大胆な仮説を提示する。
1962年 昭和37年心臓衰弱で逝去
その飫肥には電気申請で来たのである。
飫肥の入り口酒田川のほとりに小玉発電所はある。
午前中は○○○○急便の会長さんにお会いして、オール電化の工事の
見積依頼を受けた。
世界に羽ばたくまでになった前進のホープ・クリーニングからして
僅か何年にしての、この快挙には、県民栄誉賞を贈りましょう。
APAの取り組み次第では、飛躍の感触を得ることが出来た。
日南・飫肥のつながりが美味くいったのも午前中のこの取り組みが
あればこそであった。
ひたすら笠江発電所長さんのお陰である。
限りない輪の拡大を感じている。
夜は神戸に向われる、カ・フェリーの人を見送る。
どうも「わかば」付いてる一日であった。
幸せを呼び込むNHK「わかば」である。みてます?
ご利益ありそう、明日から見ようっと。
西の京都の名を成す。山紫水明の地でもある。
神のつくりし地形を凡人が文章などで表現する冒涜はないので
先人の名文章を借りたい。
飫肥郵便局前に特有の石に委ね記録にとって再現するとこうである。
・・・・・・
飫肥の町には12年ぶりに入った。
静かな川の音板橋を渡る大工所のウマの森まで以前も聞いたような
気がして
なつかしきし城跡の木立のマツ、スギは伐ってまた栽えた付近の山よりは大いに古くかって穴生役の技芸をつくしたかと思う
石垣の石の色には歴史の書よりもさらに透徹した懐古の味わいを漂わせている
山が近いからかまたはこのごろの季節ためか今朝もおおいに立っていたり水煙が幾重にも酒谷川の流れを蔽うている。
・・・・・・『海南小記』より。
前回の明治のとき来訪にして、大正9年1月時代を描き水郷の街を称えるすばらしい文章である。
瑞穂の国の全国一田植えの早いのが日南・西都で自慢ゲに季節の風物詩を見ていた。
毎年何日かづつの田植えの日が早まり記録は更新され「おらが国さの」自慢話にしていた。
それが微妙に毎年何日かづつ早まっているのが台風襲来の多さと比例して奇妙である今日この頃。
スポーツ界の記録更新なら、いざしらづ、自然界に挑む稲作技術がそうも進歩するはずがない。
なんてェことはない、自然界の温度が毎年温暖化の方向になってるからと考えれば不思議はない。
急激な地球環境の変化が起こってることの証左であろう。
ほとんどの食料を外国に頼る歪な構造の日本において
「米」は唯一の自国内でまかなわれている作物である。
気候に敏感な永年性の果樹はハッキリと南限北限が明確である。
ミカン・リンゴは作物名だけで生産県が大雑把理解出来よう。
それが変化が起ころうとしている。
独立行政法人・農業・生物系特定産業技術研究機構なるところの
研究成果が出た。
この調査結果では総ての都道府県で温暖化の影響が果樹農業にはあらわれている事が明らかにされた。
温暖化が農産物に与える影響を全国規模で調査したのは初めてでのことで、今後の積み上げに期待したい。
しかしながら、現状把握する必要も無いほどの加速度的変化がわかってるのでどう改善しているかが出来ない役所の限界を感ずるのは私だけであろうか。
NHK「わかば」は兵庫県と宮崎県を繋ぐ人生ドラマ。
両県の深い絆はここんとこの軽はずみに生じたのではない。
それが、薄っぺらな代表たる大宅荘一の言うところの「一億総白痴化」といわれるテレビで繋がったのだから世の中不思議なものがある。
兵庫・宮崎を繋ぐ人の先駆は 柳田国男。
兵庫県は福崎町(旧名・田原村)松岡の人。
幼時,生父が時代に適応できず家が貧しかったことや,生母と兄嫁の争いに発した長兄の離婚のため1885年ごろに一家離散を経験したことが,生涯“家の永続”に心を砕く契機となった。
よって、苗字は違うが、歌人井上通泰は三兄,国語学者松岡静雄は
次弟,日本画家松岡映丘は末弟。
茨城県で医院を開いていた長兄松岡鼎に引き取られ,東西日本の農村
民俗の違いを実感。
1891年,三兄の知己森鴎外の知遇を得,また桂園派歌人松浦萩坪のとこ ろに入門,田山花袋を知る。
1893年 一高に入学,
1895年 島崎藤村,
1896年 国木田独歩と親交をもつ
「文学界」に新体詩を発表、斬新な詩作で仲間を刺激。
「なぜに農民は貧なりや」という言葉に示されるように、
社会構造に対する鋭い疑問から、文学への傾倒を絶ち、農政学を志す
1879年, 宮崎八百吉編『抒情詩』に新体詩が収録さる。
1879年, 藤村の『若菜集』で,自らの詩才に見切りをつけ,
歌の別れ〉をする。
1901年明34 大審院判事柳田直平の養嗣となり、柳田家に入籍
自邸で始めたサロン的集会がやがて自然主義作家を輩出する
竜土会に発展,
1907年 イプセン会を主宰し日本文学史上に金字塔。
農商務省に就職,産業組合・農会の普及を担当するが,当時の農政理論の主流たる小農保護政策の本質が,農村を低賃金労働者の供給源とすることにあるのを見抜き,
農民を保護なしで自立できる中農に育成しなければ,農業は国の病 になると主張し,上司と対立,
1902年,法制局参事官に移される。
形は栄転であるが,農政の現場から外されたことへの憤懣は 1910年 刊行の講演集『時代ト農政』に満ちている。
1910年,内閣書記官記録課長を兼任,
1914年,貴族院書記官長となるが,議長徳川家達と衝突,
1919年,詰腹を切らされて官界を去り,
1920年,東京朝日新聞社客員となる。
1921年,国際連盟常設委任統治委員に就任,3期にわたってジュネーブ で活躍,
1923年 辞意を表明する。
1924年,東京朝日新聞社に論説委員として正式入社,
1930年 引退までに、389本の社説の2割近くが農政関連である 無署名ながら農政学者の面目とその民俗学の経世済民 の根源をみる。
農政官僚として自らの考えを容れられずに挫折した前後,折から自然主義作家として評判を高めていたかつての文学青年仲間の花袋や藤村と
一つ野原の畑を耕すことを拒否し
佐々木喜善から聞いた話を一字一句ゆるがせずに推敲・彫琢して
『遠野物語』として上梓,
日本列島先住民とみなした山人の存在に関心を示す。
このあと新渡戸稲造と郷土会を組織したり,南方熊楠と交流をもった,
「郷土研究」を創刊したことは民俗学への模索状況を示す,
1920年最も自由なる旅行の所産『海南小記』『雪国の春』
『秋風帖』には旅を学問の方法の主要な一つとした
その“ムラ”の把握の特徴が景観主義的限界とともによく
現れている。
1924年 新しい学問として民俗学の確立をめざし,「民族」を出す
とともに,自ら農民史研究を推進する。
その性格もあって一時孤立する。
1935年,その還暦を記念して開かれた日本民俗学講習会を機会に
民間伝承の会が結成,
ごく普通の百姓たる民俗学を標榜する。
戦時中にかけて日本人の信仰,とくに祖先崇拝の解明に
つとめる。
戦後は民俗学を現代科学たらしめんとして国語・社会科の 教科書編纂にかかわる。
さらに晩年,日本人のルーツや稲作渡来のコースに関心を抱き,1961年『海上の道』で大胆な仮説を提示する。
1962年 昭和37年心臓衰弱で逝去
その飫肥には電気申請で来たのである。
飫肥の入り口酒田川のほとりに小玉発電所はある。
午前中は○○○○急便の会長さんにお会いして、オール電化の工事の
見積依頼を受けた。
世界に羽ばたくまでになった前進のホープ・クリーニングからして
僅か何年にしての、この快挙には、県民栄誉賞を贈りましょう。
APAの取り組み次第では、飛躍の感触を得ることが出来た。
日南・飫肥のつながりが美味くいったのも午前中のこの取り組みが
あればこそであった。
ひたすら笠江発電所長さんのお陰である。
限りない輪の拡大を感じている。
夜は神戸に向われる、カ・フェリーの人を見送る。
どうも「わかば」付いてる一日であった。
幸せを呼び込むNHK「わかば」である。みてます?
ご利益ありそう、明日から見ようっと。
APAの未来
2004年10月14日7月14日に着工した 宮崎市新別府町の「イオン宮崎ショッピングセンター(SC)」イオンモール(千葉市、川戸義晴社長)近辺は慌ただしい。
来年四月ごろのオープンを目指し槌音高く不況風知らずである。
テナント募集説明会は7月にあったが、九州最大級となる大型SCということも有り、県内外から550人が参加した。
実は私もその一人であった。手元のボールペンはそのときのもの。
そのときの残念さもあり、この近辺に、APAの営業店舗を展望しての未来図を描いてみるのは楽しいことである。
展望としては正しい。
未来を見据えた業種にあった場所は必要である。、
残念なのは決断力が、鈍い。持ち前のAB型から来る性癖からか。
はたまた資金が無い為か。優劣つけがたい。
社長に進言するほどの計画性まで言っていないのも残念である。
正直、現在を考え資金面を考えると社長からのお叱りを受けることであろう。
、社長の所有の土地建物ゆえに家賃などの義務経費が無い現在の経営は容易い。経営状態はスコブル楽である。
誰が荒波に乗り出そうぞ!冒険は怖い。安住が楽である。
だって!宮崎人ですもの!。
活況を呈することはしないほうがいい最悪状況のAPAの活力状況。
このような状態の幹部が仕切ると発展はおぼつかない。
慟哭の涙を流すことになり、平穏がいい。
いい年こいて若者じゃああるまいし。
黙ってすごすのが最良の社員ということになる。
否!断じて否!である。
会社愛をはき違えている、やからの蔓延である。
APAへの無垢の奉仕の心根を持って、当たる犠牲的情熱。
当然異端児扱いされよう。
信念を持って訴えても歯牙にもかけない幹部には社会の流れを見極める確固たる展望を汲み取ることは出来ない。
会社発展の真情も行動も感じ取ることは出来ない。
はなから守りの姿勢の有能なるAPAの役員として収まっている。
ビジネス・チャンスということは観念上のもの。
知ってて知らないふりの頬被り。
私だって当然危険で怖い。
そこを現在を直視し、展望してみることである。
当然、自分の時間などあるわけが無い。死に物狂いの毎日である。
説明日のそのときの宮日紙。は出店へ意欲を見せ照る違憲を掲載した。
「どんな味を出せるか、(販売戦略を)考えたい」
宮崎市の服飾店経営者
「商圏が広いのが魅力。鹿児島県の一部からも集客できるのではないか」 都城市の飲食業者。
「若い世代を中心に人は集まるだろう
」 県内にも店舗網を持つメガネチェーンの担当者。
宮崎SCのコンセプトは、ファッション性とアメニティ性を併せ持つ、時間消費型のエンターテインメントシティ。
二つの核店舗を約150店舗の専門店街のモールでつなぐ。
核店舗の一つはジャスコが決まっている。
専門店街の募集業種はファッション、雑貨、書籍、CDなどの物販のほか、理美容やリラクゼーション、各種教室、託児所、アミューズ
メントなど。複合映画館が目玉の娯楽施設、シネマコンプレックス、レストラン街、フードコート、大型専門店ミューズメント施設なども入る。
ココに環境が入って何ら不思議ではない。
地球環境に優しいAPAである。
年内にはテナントの半数程度が、年明けにはほぼすべてが固まる。
九州最大の複合商業施設だけあり、年商300億円はイオン九州(福岡市)と橘百貨店(宮崎市)5割をしめるテナントが中心となる
SCの開発面積は20万7869平方?。建物は鉄骨二階建てで、
延べ床面積は10万900平方?。
このうち、大店法に基づく小売店舗の面積は6万平方?。
総合スーパーのジャスコと約150店の専門店街で形成する。
駐車台数は4070台。
営業時間は午前九時から翌午前零時。
開店予定日は来年四月中と見込まれる。
SCの従業員数は約二千人で、その七割程度を地元採用する意向。
津村重光市長は
「消費者は(福岡市などの)大都市圏に流れつつある。県都として都市間競争を勝ち抜いていくためにも、魅力が欲しい」
と大型SCの役割を説く。
周辺十三市町村でつくるイオングループSC対策会議代表の日野光幸・西都市長も
「各市町村が受けるダメージは大きく、客が流れて街はますます寂しくなる」と指摘。
谷口正春取締役営業部長は「商店街にとっては大問題。街が壊れると危ぐする。市民のためにイオンSCより魅力ある街づくりをするし
かない」と話していた。
市中心部の大型店ボンベルタ橘は同じイオングループながら対抗策として東館を中心に改装、レディースファッションビルの性格を明確にした。
橘百貨店の伊藤薫社長は
「今までいろんな準備をしてきた。後は着実に進める」
とやる気を見せる。
宮崎山形屋は昨年十一月までに、地下食品売り場などを強化、ほぼ全館をリニューアルした。また橘通を花で飾る活動などに積極的に参加し、近くの商店街との連携を強めている。
廃止される市道部分は同社の増床に合わせた活用が考えられており、市は「宮崎山形屋の増床は中心市街地活性化のために歓迎している。環境整備のために行政も支援していきたい」としている。
廃止される市道は宮崎山形屋本館と東別館に挟まれた通称
「四季通り」の一部(幅5,8メートル、延長50メートル)。
現在、工事が進められている四季通り商店街と東側のハイカラ通り商店街を結ぶ道路(幅7・5メートル、延長49メートル)が市道として新たに認定される予定。
市によると廃止される市道は同社の新館建設に伴い、車などは通らない通路としての利用などが考えられている、という。
宮崎山形屋は2006年オープンを目指して本館東側に新館建設を計画。同市新別府町に来春にも開業するイオン宮崎ショッピングセンター(SC)に対し、増床による魅力向上で対抗していく。
潰される橘通商店街と新興地との勢いの差を感じ取れる。
APAにも勢いがほしい。
若さしか活力源は無い。」
何時の世も時代は若者が切り開いてきた。
先端商品を扱ってるAPA体力をつけてドウ係っていけるのか
将来が係っている。
若き国中国の様を考えるもよし。
守りの国の先進諸国
その綻びが一挙に噴出してる。
問題が明らかになった野球界は特にそうである。
西武鉄道グループの不正の責任を取って、堤オーナーも退くという。
読売ナベツネに続きセ・パのドンがいなくなる。
ある種の伝説化した尊大さを、経営者のカリスマ性の源泉にする時代はとっくに終わっているのが世の流れ。
法律は守る。借金は返す。経営情報は公開し、丁寧に説明する。
こんな当たり前のことが、問われている。
兄弟会社○○電の精算額がでてきた。
処理しなければないのは精算する
青年社長の働きぶりは常に目標である。
私もいい意味でのライバルとして負けない奮闘をしよう
体力をつけ勝負に出る。
太陽光発電に未来をかける。
秋の夜長を滅私奉公APAに使ってみたい。
来年四月ごろのオープンを目指し槌音高く不況風知らずである。
テナント募集説明会は7月にあったが、九州最大級となる大型SCということも有り、県内外から550人が参加した。
実は私もその一人であった。手元のボールペンはそのときのもの。
そのときの残念さもあり、この近辺に、APAの営業店舗を展望しての未来図を描いてみるのは楽しいことである。
展望としては正しい。
未来を見据えた業種にあった場所は必要である。、
残念なのは決断力が、鈍い。持ち前のAB型から来る性癖からか。
はたまた資金が無い為か。優劣つけがたい。
社長に進言するほどの計画性まで言っていないのも残念である。
正直、現在を考え資金面を考えると社長からのお叱りを受けることであろう。
、社長の所有の土地建物ゆえに家賃などの義務経費が無い現在の経営は容易い。経営状態はスコブル楽である。
誰が荒波に乗り出そうぞ!冒険は怖い。安住が楽である。
だって!宮崎人ですもの!。
活況を呈することはしないほうがいい最悪状況のAPAの活力状況。
このような状態の幹部が仕切ると発展はおぼつかない。
慟哭の涙を流すことになり、平穏がいい。
いい年こいて若者じゃああるまいし。
黙ってすごすのが最良の社員ということになる。
否!断じて否!である。
会社愛をはき違えている、やからの蔓延である。
APAへの無垢の奉仕の心根を持って、当たる犠牲的情熱。
当然異端児扱いされよう。
信念を持って訴えても歯牙にもかけない幹部には社会の流れを見極める確固たる展望を汲み取ることは出来ない。
会社発展の真情も行動も感じ取ることは出来ない。
はなから守りの姿勢の有能なるAPAの役員として収まっている。
ビジネス・チャンスということは観念上のもの。
知ってて知らないふりの頬被り。
私だって当然危険で怖い。
そこを現在を直視し、展望してみることである。
当然、自分の時間などあるわけが無い。死に物狂いの毎日である。
説明日のそのときの宮日紙。は出店へ意欲を見せ照る違憲を掲載した。
「どんな味を出せるか、(販売戦略を)考えたい」
宮崎市の服飾店経営者
「商圏が広いのが魅力。鹿児島県の一部からも集客できるのではないか」 都城市の飲食業者。
「若い世代を中心に人は集まるだろう
」 県内にも店舗網を持つメガネチェーンの担当者。
宮崎SCのコンセプトは、ファッション性とアメニティ性を併せ持つ、時間消費型のエンターテインメントシティ。
二つの核店舗を約150店舗の専門店街のモールでつなぐ。
核店舗の一つはジャスコが決まっている。
専門店街の募集業種はファッション、雑貨、書籍、CDなどの物販のほか、理美容やリラクゼーション、各種教室、託児所、アミューズ
メントなど。複合映画館が目玉の娯楽施設、シネマコンプレックス、レストラン街、フードコート、大型専門店ミューズメント施設なども入る。
ココに環境が入って何ら不思議ではない。
地球環境に優しいAPAである。
年内にはテナントの半数程度が、年明けにはほぼすべてが固まる。
九州最大の複合商業施設だけあり、年商300億円はイオン九州(福岡市)と橘百貨店(宮崎市)5割をしめるテナントが中心となる
SCの開発面積は20万7869平方?。建物は鉄骨二階建てで、
延べ床面積は10万900平方?。
このうち、大店法に基づく小売店舗の面積は6万平方?。
総合スーパーのジャスコと約150店の専門店街で形成する。
駐車台数は4070台。
営業時間は午前九時から翌午前零時。
開店予定日は来年四月中と見込まれる。
SCの従業員数は約二千人で、その七割程度を地元採用する意向。
津村重光市長は
「消費者は(福岡市などの)大都市圏に流れつつある。県都として都市間競争を勝ち抜いていくためにも、魅力が欲しい」
と大型SCの役割を説く。
周辺十三市町村でつくるイオングループSC対策会議代表の日野光幸・西都市長も
「各市町村が受けるダメージは大きく、客が流れて街はますます寂しくなる」と指摘。
谷口正春取締役営業部長は「商店街にとっては大問題。街が壊れると危ぐする。市民のためにイオンSCより魅力ある街づくりをするし
かない」と話していた。
市中心部の大型店ボンベルタ橘は同じイオングループながら対抗策として東館を中心に改装、レディースファッションビルの性格を明確にした。
橘百貨店の伊藤薫社長は
「今までいろんな準備をしてきた。後は着実に進める」
とやる気を見せる。
宮崎山形屋は昨年十一月までに、地下食品売り場などを強化、ほぼ全館をリニューアルした。また橘通を花で飾る活動などに積極的に参加し、近くの商店街との連携を強めている。
廃止される市道部分は同社の増床に合わせた活用が考えられており、市は「宮崎山形屋の増床は中心市街地活性化のために歓迎している。環境整備のために行政も支援していきたい」としている。
廃止される市道は宮崎山形屋本館と東別館に挟まれた通称
「四季通り」の一部(幅5,8メートル、延長50メートル)。
現在、工事が進められている四季通り商店街と東側のハイカラ通り商店街を結ぶ道路(幅7・5メートル、延長49メートル)が市道として新たに認定される予定。
市によると廃止される市道は同社の新館建設に伴い、車などは通らない通路としての利用などが考えられている、という。
宮崎山形屋は2006年オープンを目指して本館東側に新館建設を計画。同市新別府町に来春にも開業するイオン宮崎ショッピングセンター(SC)に対し、増床による魅力向上で対抗していく。
潰される橘通商店街と新興地との勢いの差を感じ取れる。
APAにも勢いがほしい。
若さしか活力源は無い。」
何時の世も時代は若者が切り開いてきた。
先端商品を扱ってるAPA体力をつけてドウ係っていけるのか
将来が係っている。
若き国中国の様を考えるもよし。
守りの国の先進諸国
その綻びが一挙に噴出してる。
問題が明らかになった野球界は特にそうである。
西武鉄道グループの不正の責任を取って、堤オーナーも退くという。
読売ナベツネに続きセ・パのドンがいなくなる。
ある種の伝説化した尊大さを、経営者のカリスマ性の源泉にする時代はとっくに終わっているのが世の流れ。
法律は守る。借金は返す。経営情報は公開し、丁寧に説明する。
こんな当たり前のことが、問われている。
兄弟会社○○電の精算額がでてきた。
処理しなければないのは精算する
青年社長の働きぶりは常に目標である。
私もいい意味でのライバルとして負けない奮闘をしよう
体力をつけ勝負に出る。
太陽光発電に未来をかける。
秋の夜長を滅私奉公APAに使ってみたい。
太陽光発電の売り方。
2004年10月13日秋の夕日は「つるべおとし」午後6時20分はあたりは真っ暗。
お客さんが不在の中、ネコと戯れ、ひたすら待った。
ついこないだまで夕焼けでその美しさの感嘆の日々はもう無い。
変わりやすい秋の日千変万化の季節である。
かといって東北の山々の如くに全山燃える如きの紅葉は日向には無い。
紅葉の柱となるモミジやかえではあれども人知れず忍び寄る紅葉も無い。
山はうっすら黄色く色づくのが日向の紅葉である。
デンプン質が紅葉の秘密とも言うが同じ植物ゆえ
このように違いが出るのは県民性に及ぶのか。
それは確たる文学者がなく、芥川・直木賞の受賞者を出してない唯一の県もこのような自然と無縁でない。
過酷なほどの自然の変化は自然に自分の内面と向き合う。
勢い文学に目覚める。
南洋文学との違いはおかれた環境の差でそうさせるのであろう。
燦燦と太陽の溢れる国日向。今日も28どもの暑さの日中であったが
朝のひんやりとする季節が到来した。
NHK・わかばの飫肥の街の入り口の坂谷川のほとり、朱の鳥井の隣りの小玉豆腐店に太陽光発電所を僅か一日で完成させた。
この技術を毎日生かしたいが残念ながら営業の仕事が追いついていない。
見積提出との事で小林に行ったが、ナンテェ事はない立ち話でのアポ。
このようなアポで美味くいくはずが無い。
説得商品の売り方がゼンゼンダメである。
これでは契約にいたるはずが無い。
原因は私にはわかっている。
本社の責任者の方とおんなじすすめ方。
屋根寸もとらず、遠目でみた図面がすでに生きている。
お客さんに了解が取ってない。
以前の担当であった方は休日を返上してそのノウハウを伝授したものである。
もちろん奈良の研修にもにも行かれた。
ワンマンタイプで勝手にはじめられるスタイルの現在の方は、まったくそのプロセスなしに
いきなり実務を始められ、自らが進められないと納得できない
孤高の進め方。
これでは説得商品の意味が理解できていない。
魁よりはじめよ。
まず、太陽光発電と静かに対峙する事である。
高千穂の所長さんの如くである。或いわ、ジンワリとと皆で包むようにすすめられる延岡の課長さんの如くである。
昨年NEFの高千穂は8件であるがこの設置件数は私共APAが高千穂の設置した件数とピッタリ一致する。
高千穂町の総数は22件となったわけである。
記紀の天孫降臨の地とAPAはよく相性があう。
核燃再処理のコストめぐり激論 推進、反対派が対立した
先般の原子力長期計画策定会議を毎日新聞 2004年10月8日 付けによるとこうである。
国の原子力開発利用長期計画策定会議は7日、原子力発電所の使用済み核燃料をすべて再処理する核燃料サイクルの費用が、そのまま地中に埋める直接処分の最大1・8倍割高とする試算結果について論議し、妥当と評価した。
しかし、サイクル政策をやめて、直接処分に変更した場合にかかる費用の試算をめぐっては、意見が分かれた。
直接処分について技術的、経済的評価が公式にされたのは初めて。
試算によると、使用済み核燃料を全量再処理した場合のコストは全量直接処分の1・5〜1・8倍となった。
1家庭当たり、年間600〜840円の負担増となる。
策定会議で、笹岡好和・全国電力関連産業労組総連合会長は
「年間800円程度の負担なら、政策を転換させるほどではない」
と述べた。
日本生活協同組合連合会の渡辺光代理事は「巨額の費用を誰かが負担しなければならない。政策決定の際に経済性を軽視してはいけない」
と反論した。
また、再処理を中止した場合のコストは15兆〜26兆円かかるとの試算も示された。
青森県六ケ所村の再処理工場に電力業界が投資した2兆5000億円や同工場廃止費用のほかに、使用済み核燃料の貯蔵場所がなくなって原発が順次運転停止に追い込まれ、代替の火力発電建設などの費用がかかるとしている。
処理コストにこれらの政策変更コストを加えると、発電単価は直接処分が再処理を上回るという。
これに対し、九州大大学院の吉岡斉教授は
「使用済み核燃料プールが満杯となり、原発が停止される確率は極めて低い。代替として、火力発電所を新設する想定になっているが、プール拡大などの手段もある」と主張した。
伴英幸・原子力資料情報室共同代表も「政策変更コストを発電単価に含めるのはおかしい」と述べた。
一方、勝俣恒久・東京電力社長は
「火力発電の代替コストはもっとかかる可能性もある。99%出来上がっている施設(再処理工場)があるのに政策を変更する重大性を考えてほしい」と政策の維持を求めた。
策定会議は今後、経済性のほか、核不拡散など10項目について総合評価し、路線選択を決定する。
◆再処理と直接処分のコスト比較◆
全量再処理 全量直接処分
処理コスト 1.6円 0.9〜1.1円
発電コスト 5.2円 4.5〜4.7円
政策変更に伴う費用 なし 0.9〜1.5円
政策変更に伴う費用を含む発電コスト 5.2円 5.4〜6.2円
(原子力委の試算より。数字は1キロワット時当たり)
経済産業省:1世帯あたりの省エネ目安、策定へ
京都議定書の来春発効にらみ、方針 毎日新聞 10月5日付け
経済産業省は4日の総合資源エネルギー調査会(経産相の諮問機関)需給部会で、地球温暖化防止を目指す京都議定書目標を達成するため、1世帯当たりの省エネ目安を策定する方針を示した。
ロシアが批准法案を閣議決定し、同議定書の来春の発効が確実になったことを受けて、日本の温室効果ガス排出削減目標(90年比6%減)を達成するには、国民一人一人の省エネ努力を促すことが不可欠と判断した。
今年度改定する政府の地球温暖化対策推進大綱に盛り込む方針で、環境省と連携して策定していく。
省エネ目安は、年間にどのくらい省エネに取り組めばいいのかを、1世帯当たりで試算して、国民に提示する。
モデル世帯は、地域、世帯数、建物別のほか、オール電化住宅などの場合も考慮し、複数のパターンで提示する。
ロシヤのCo2の問題に対しての決断は地球環境の考え方を加速させた。
APAも備えなければならないが、
基本が理解されて無い限りどうしようも致し方ない。
営業のプロが明日から来られるという。
美味くいくはずが無い。
まずは太陽光発電の理解から始めるしかないのに、何が即戦力というのか。
職人集団に毎日仕事を入れるのがどれほど大変なことかを、置き去りにしての営業職の人数増を計ってもどうしようもない。
切っ先の鈍ったもので闘いに挑んでも、経営を圧迫するのみである。
新人さんの給料は何処から出るのか。いい気なモンである
明日は11時に日食。原始時代の先祖は大騒ぎをしてたことであろう。
札幌は40パーセント近く太陽が陰ると言う。
地球の不思議、日向では少ないのかも知れぬ。
日向は太陽の国、昼間のロマン劇はどうにも舞台がわるい。
これでは名優は満足しまい。
お客さんが不在の中、ネコと戯れ、ひたすら待った。
ついこないだまで夕焼けでその美しさの感嘆の日々はもう無い。
変わりやすい秋の日千変万化の季節である。
かといって東北の山々の如くに全山燃える如きの紅葉は日向には無い。
紅葉の柱となるモミジやかえではあれども人知れず忍び寄る紅葉も無い。
山はうっすら黄色く色づくのが日向の紅葉である。
デンプン質が紅葉の秘密とも言うが同じ植物ゆえ
このように違いが出るのは県民性に及ぶのか。
それは確たる文学者がなく、芥川・直木賞の受賞者を出してない唯一の県もこのような自然と無縁でない。
過酷なほどの自然の変化は自然に自分の内面と向き合う。
勢い文学に目覚める。
南洋文学との違いはおかれた環境の差でそうさせるのであろう。
燦燦と太陽の溢れる国日向。今日も28どもの暑さの日中であったが
朝のひんやりとする季節が到来した。
NHK・わかばの飫肥の街の入り口の坂谷川のほとり、朱の鳥井の隣りの小玉豆腐店に太陽光発電所を僅か一日で完成させた。
この技術を毎日生かしたいが残念ながら営業の仕事が追いついていない。
見積提出との事で小林に行ったが、ナンテェ事はない立ち話でのアポ。
このようなアポで美味くいくはずが無い。
説得商品の売り方がゼンゼンダメである。
これでは契約にいたるはずが無い。
原因は私にはわかっている。
本社の責任者の方とおんなじすすめ方。
屋根寸もとらず、遠目でみた図面がすでに生きている。
お客さんに了解が取ってない。
以前の担当であった方は休日を返上してそのノウハウを伝授したものである。
もちろん奈良の研修にもにも行かれた。
ワンマンタイプで勝手にはじめられるスタイルの現在の方は、まったくそのプロセスなしに
いきなり実務を始められ、自らが進められないと納得できない
孤高の進め方。
これでは説得商品の意味が理解できていない。
魁よりはじめよ。
まず、太陽光発電と静かに対峙する事である。
高千穂の所長さんの如くである。或いわ、ジンワリとと皆で包むようにすすめられる延岡の課長さんの如くである。
昨年NEFの高千穂は8件であるがこの設置件数は私共APAが高千穂の設置した件数とピッタリ一致する。
高千穂町の総数は22件となったわけである。
記紀の天孫降臨の地とAPAはよく相性があう。
核燃再処理のコストめぐり激論 推進、反対派が対立した
先般の原子力長期計画策定会議を毎日新聞 2004年10月8日 付けによるとこうである。
国の原子力開発利用長期計画策定会議は7日、原子力発電所の使用済み核燃料をすべて再処理する核燃料サイクルの費用が、そのまま地中に埋める直接処分の最大1・8倍割高とする試算結果について論議し、妥当と評価した。
しかし、サイクル政策をやめて、直接処分に変更した場合にかかる費用の試算をめぐっては、意見が分かれた。
直接処分について技術的、経済的評価が公式にされたのは初めて。
試算によると、使用済み核燃料を全量再処理した場合のコストは全量直接処分の1・5〜1・8倍となった。
1家庭当たり、年間600〜840円の負担増となる。
策定会議で、笹岡好和・全国電力関連産業労組総連合会長は
「年間800円程度の負担なら、政策を転換させるほどではない」
と述べた。
日本生活協同組合連合会の渡辺光代理事は「巨額の費用を誰かが負担しなければならない。政策決定の際に経済性を軽視してはいけない」
と反論した。
また、再処理を中止した場合のコストは15兆〜26兆円かかるとの試算も示された。
青森県六ケ所村の再処理工場に電力業界が投資した2兆5000億円や同工場廃止費用のほかに、使用済み核燃料の貯蔵場所がなくなって原発が順次運転停止に追い込まれ、代替の火力発電建設などの費用がかかるとしている。
処理コストにこれらの政策変更コストを加えると、発電単価は直接処分が再処理を上回るという。
これに対し、九州大大学院の吉岡斉教授は
「使用済み核燃料プールが満杯となり、原発が停止される確率は極めて低い。代替として、火力発電所を新設する想定になっているが、プール拡大などの手段もある」と主張した。
伴英幸・原子力資料情報室共同代表も「政策変更コストを発電単価に含めるのはおかしい」と述べた。
一方、勝俣恒久・東京電力社長は
「火力発電の代替コストはもっとかかる可能性もある。99%出来上がっている施設(再処理工場)があるのに政策を変更する重大性を考えてほしい」と政策の維持を求めた。
策定会議は今後、経済性のほか、核不拡散など10項目について総合評価し、路線選択を決定する。
◆再処理と直接処分のコスト比較◆
全量再処理 全量直接処分
処理コスト 1.6円 0.9〜1.1円
発電コスト 5.2円 4.5〜4.7円
政策変更に伴う費用 なし 0.9〜1.5円
政策変更に伴う費用を含む発電コスト 5.2円 5.4〜6.2円
(原子力委の試算より。数字は1キロワット時当たり)
経済産業省:1世帯あたりの省エネ目安、策定へ
京都議定書の来春発効にらみ、方針 毎日新聞 10月5日付け
経済産業省は4日の総合資源エネルギー調査会(経産相の諮問機関)需給部会で、地球温暖化防止を目指す京都議定書目標を達成するため、1世帯当たりの省エネ目安を策定する方針を示した。
ロシアが批准法案を閣議決定し、同議定書の来春の発効が確実になったことを受けて、日本の温室効果ガス排出削減目標(90年比6%減)を達成するには、国民一人一人の省エネ努力を促すことが不可欠と判断した。
今年度改定する政府の地球温暖化対策推進大綱に盛り込む方針で、環境省と連携して策定していく。
省エネ目安は、年間にどのくらい省エネに取り組めばいいのかを、1世帯当たりで試算して、国民に提示する。
モデル世帯は、地域、世帯数、建物別のほか、オール電化住宅などの場合も考慮し、複数のパターンで提示する。
ロシヤのCo2の問題に対しての決断は地球環境の考え方を加速させた。
APAも備えなければならないが、
基本が理解されて無い限りどうしようも致し方ない。
営業のプロが明日から来られるという。
美味くいくはずが無い。
まずは太陽光発電の理解から始めるしかないのに、何が即戦力というのか。
職人集団に毎日仕事を入れるのがどれほど大変なことかを、置き去りにしての営業職の人数増を計ってもどうしようもない。
切っ先の鈍ったもので闘いに挑んでも、経営を圧迫するのみである。
新人さんの給料は何処から出るのか。いい気なモンである
明日は11時に日食。原始時代の先祖は大騒ぎをしてたことであろう。
札幌は40パーセント近く太陽が陰ると言う。
地球の不思議、日向では少ないのかも知れぬ。
日向は太陽の国、昼間のロマン劇はどうにも舞台がわるい。
これでは名優は満足しまい。