区切り
2004年10月12日逐次小林方面の場所の電話がある、ジョイフルに午後二時小林にスットンでいった。
3,OKWの発電所のローンを専務が作成している。
ようやく私以外にも仕事をとれることが初めて生じようとしている。
どうやら身を引いてよい時期がきているようだ。
「もういいでしよう!」
黄門様が印籠を出される8時40分頃かもしれない。
さらに同席いただいた森林業の方も自宅に取り付けていただく
確約を頂いた。
集金に回りどうにか目標の額に達することが出来た。
九電に高岡の発電所の60アンペアに増アン申請を出し
15日に工事との事である。
ロビーで主婦の方に食いついていると19時30分にジョイフルで話をしようと言うことになる。
コロナの責任者の方が吉報持って来所しておられた。
職人の長たる齊○さんが対応してくれていた。
喜びが面構えから伝わってくる。
太陽光発電工事とエコキュウート工事の依頼である。
表現出来ようもなく、どうしてよいかわからぬ喜び。
先だってはセキスイ○○○の第一下請けに推挙いただき既に何箇所か完工をしている。
雌伏2年、ココまでくるには平坦な道ではなかった。
当初はまったく仕事をいただける立場に無かった。
お百度まいりの毎日ながら何ら功を奏することは無かった。
ただひたすらに努力した結果このような事になってきている。
ご婦人二人の方とジョイフルで話をすすめる。
どうやら真剣にオール電化工事に取り組んで頂くこととなった。
その後、宇都なる私より度重なり、32万円もの借金がありながら、借用書無しの私のやり方ゆえのためか、横柄なる態度には呆れた。
僅か、1ッ月なのに○○○万以上ものAPAからの収入がありながら、私の借金を返さず、ふんぞり返っている。
「土下座してあやまろか。」
「詫びたじゃねぇか!」と恫喝気味。
これには許せない。おもわずところかまわぬ大声が出る。
このような悪党もいるんである。これが指導者として研修して生計を維持してるというのだから、生きてるのが辛くなる。
口八丁・・実に恐ろしき社会。これらの輩が底辺では蠢いている。
沈思黙考なる時間はゴルフに消え、カスしかないようである。
読書の秋、人気の作品に比してみると自分の日記の可笑しさに気づく。
句読点がまるでなっていないこと。
読者が選ぶ私の好きな岩波文庫の1〜4位に入ってるのは
漱石の作品である。
それらは、?こころ?坊ちゃん?猫である。
じゃ〜?はだ〜れと言うことになる。
そうです。詩人で少年時代のノスタルジーに浸れる作品である。
確かな子供の頃の記憶が次々とエッセー風に引き出されていく。
繰り返しゆっくりと子供の頃の遊びが時間が流れていくのが心地よい。
?は中勘助の銀の匙である。
ストリー
なかなか開かなかった古い茶箪笥の抽斗から見つけた銀の匙。
伯母さんの限りない愛情に包まれて過ごした日々。
子ども自身の感情世界を素直に描き出し、未曾有の秀作として漱石に
絶賛された作品。
99年刊岩波文庫のワイド版で読める。
ネットで調べて見た。1885年、東京に生まれる。小説家、詩人。
東京大学英文科で夏目漱石の教えを受ける。道理でこうだ。
自己の幼年時代を浮彫りにした処女作「銀の匙」は、1913年
「東京朝日新聞」に連載され、漱石から
「子どもの世界の描写として未曾有のものである」という賛辞を受けた。
49年、童話集『鳥の物語』は、雁、鳩、ひばりなどの小鳥との語らいがメルヘンの世界へ大人をいざなう好編。
『中勘助全集』全16巻がある。1965年没。
読点が極めて少ない。引用部分には一度もそれが見出せない。
まったく無い。
作品はインター・ネットでも詠める。
人気投票21位の太宰の人間失格とは好対照である。
ココまで句点がいるのかとの程の、読点大サービス。
ご覧あれ。次の如くである。
まったく、その子供の笑顔は、よく見れば見るほど、何とも知れず、・・
どだい、それは、笑顔でない。この子は、少しも笑ってないのだ。
中勘助の銀の匙の自由に任せまったくの自然を思わせるのにたして、 この文章の技術・極意、太宰の文章ココに極まれりである。
人生の区切りも、かくありたいものである。
3,OKWの発電所のローンを専務が作成している。
ようやく私以外にも仕事をとれることが初めて生じようとしている。
どうやら身を引いてよい時期がきているようだ。
「もういいでしよう!」
黄門様が印籠を出される8時40分頃かもしれない。
さらに同席いただいた森林業の方も自宅に取り付けていただく
確約を頂いた。
集金に回りどうにか目標の額に達することが出来た。
九電に高岡の発電所の60アンペアに増アン申請を出し
15日に工事との事である。
ロビーで主婦の方に食いついていると19時30分にジョイフルで話をしようと言うことになる。
コロナの責任者の方が吉報持って来所しておられた。
職人の長たる齊○さんが対応してくれていた。
喜びが面構えから伝わってくる。
太陽光発電工事とエコキュウート工事の依頼である。
表現出来ようもなく、どうしてよいかわからぬ喜び。
先だってはセキスイ○○○の第一下請けに推挙いただき既に何箇所か完工をしている。
雌伏2年、ココまでくるには平坦な道ではなかった。
当初はまったく仕事をいただける立場に無かった。
お百度まいりの毎日ながら何ら功を奏することは無かった。
ただひたすらに努力した結果このような事になってきている。
ご婦人二人の方とジョイフルで話をすすめる。
どうやら真剣にオール電化工事に取り組んで頂くこととなった。
その後、宇都なる私より度重なり、32万円もの借金がありながら、借用書無しの私のやり方ゆえのためか、横柄なる態度には呆れた。
僅か、1ッ月なのに○○○万以上ものAPAからの収入がありながら、私の借金を返さず、ふんぞり返っている。
「土下座してあやまろか。」
「詫びたじゃねぇか!」と恫喝気味。
これには許せない。おもわずところかまわぬ大声が出る。
このような悪党もいるんである。これが指導者として研修して生計を維持してるというのだから、生きてるのが辛くなる。
口八丁・・実に恐ろしき社会。これらの輩が底辺では蠢いている。
沈思黙考なる時間はゴルフに消え、カスしかないようである。
読書の秋、人気の作品に比してみると自分の日記の可笑しさに気づく。
句読点がまるでなっていないこと。
読者が選ぶ私の好きな岩波文庫の1〜4位に入ってるのは
漱石の作品である。
それらは、?こころ?坊ちゃん?猫である。
じゃ〜?はだ〜れと言うことになる。
そうです。詩人で少年時代のノスタルジーに浸れる作品である。
確かな子供の頃の記憶が次々とエッセー風に引き出されていく。
繰り返しゆっくりと子供の頃の遊びが時間が流れていくのが心地よい。
?は中勘助の銀の匙である。
ストリー
なかなか開かなかった古い茶箪笥の抽斗から見つけた銀の匙。
伯母さんの限りない愛情に包まれて過ごした日々。
子ども自身の感情世界を素直に描き出し、未曾有の秀作として漱石に
絶賛された作品。
99年刊岩波文庫のワイド版で読める。
ネットで調べて見た。1885年、東京に生まれる。小説家、詩人。
東京大学英文科で夏目漱石の教えを受ける。道理でこうだ。
自己の幼年時代を浮彫りにした処女作「銀の匙」は、1913年
「東京朝日新聞」に連載され、漱石から
「子どもの世界の描写として未曾有のものである」という賛辞を受けた。
49年、童話集『鳥の物語』は、雁、鳩、ひばりなどの小鳥との語らいがメルヘンの世界へ大人をいざなう好編。
『中勘助全集』全16巻がある。1965年没。
読点が極めて少ない。引用部分には一度もそれが見出せない。
まったく無い。
作品はインター・ネットでも詠める。
人気投票21位の太宰の人間失格とは好対照である。
ココまで句点がいるのかとの程の、読点大サービス。
ご覧あれ。次の如くである。
まったく、その子供の笑顔は、よく見れば見るほど、何とも知れず、・・
どだい、それは、笑顔でない。この子は、少しも笑ってないのだ。
中勘助の銀の匙の自由に任せまったくの自然を思わせるのにたして、 この文章の技術・極意、太宰の文章ココに極まれりである。
人生の区切りも、かくありたいものである。
知識で地球を蘇生!
2004年10月11日さ〜あて、連休3日目の感動の日を、何から記していけばよいのやら。
パリーグ天王山・ダイエー対ライオンズの福岡対決となると我らの年代はどちらを応援してよいかわからない。
名勝負を評して・・手に汗を握る・・の形容詞をつける。
福岡を拠点に九州中、燃え滾っていのだろうか。
20度を越えている。22時16分劇的な試合は終了した。
悔しくてこの時間に書店に行き、文芸春秋を買った。
芥川・直木賞を創設して文士仲間を救った菊池寛の興した文芸春秋。
11月号の表紙はNHK「わかば」の飫肥を彷彿させ一面の菊の花が満開でこぼれるが如くで港の街を見下ろしている。
10月号の銀のお月とは趣を異にして描いているが何時も楽しみな大和の国の雑誌の表紙である。
いずれも秀作一服の名画である。
賢明な日記の諸君ご覧あれ。!表紙から詠める得な雑誌だ。
文芸春秋11月号といえば歴史に残る不滅の金字塔を打ち立てた昭和49年11月号の記憶は鮮明である。
立花隆の「田中金脈の追求」?と児玉隆也「越山会の女王」?題名はいずれも記憶によるので正確ではない。
今でもこの国の持つ異常性は外圧から事は始まる。外で認められて、始めて気づき、認める傾向をもつ民族である。
外国人記者クラブで会見してこの雑誌記事に答えてから2ヵ月後、
正確には48日後、改造内閣から15日後に退陣。2年後には逮捕と繋がっていく。
政治は数、圧倒的な力を誇った今太閤と評された田中角栄の退陣の嚆矢となった。
明日から始まる国会の最大焦点、「日歯連一億円疑惑」の最大派閥・元総理の橋本がこの派閥を今に引き継いでいる。
今日手にした11月号には残念ながらその記事は無い。
田中は知っての道を歩き、児玉は翌75年5月ガンでこの世を去り、
立花は大先生に納まりその気迫は無い。
田中真紀子の行動の原典は総て執念としてココに由来する。
さ〜てその国会はどうなる事やら。
お隣中国には仏国大統領が訪中されており、ハイ・ビジョンで全世界に天安門が映し出されるデモ・ストレーションがあった。
中国新幹線は日本の新幹線方式となり、仏国T/G/V商戦は日本の前に
敗北した。テクノ日本の勝利である。
オリンピック・万国博と続くのに併せ、デヂタル・ハイビジョン商戦を先行したのであろう。
小泉はその中国との会談さえ設定できないでいる。
何が国連常任理事国入りぞ!
アジアの盟主は「難波のことは夢のまた夢」と太閤のことの如しで
ある。
今次の国会でイの一番に議論されなければならないのに
マスコミに媚びる「橋本追求」のみの ・て・い・た・ら・くをきっと演じることだろう。
どうしようもない日本!
スキャンダラス追求のみで品が無い。
国の行く末を論じるのが政治の要諦。
これでは、議員バッチの遺伝子総ての交換が必要だ。
人間の遺伝子たるDNAはJ・D・ワトソンの研究成果になり、ノーベル賞の栄誉に浴した。
ノーベル賞は京大が相場の日本だがその教授上田三四二は俳号名。
「細胞の分子生物学」は院生のABC必読の書と長田和弘教授は先生の
印象を岩波図書に書く。成人病に精力的に取り組んでいる。
聖路加大学の日野原重明は生活習慣病という言葉を始めて使かった人で、90歳を越えても今も矍鑠、診察・診療をしている。
この聖路加病院は日向の高岡は穆佐の出の高木覚兼が創立者。{ダッタハズ。?調べる時間が無い}
脚気は不治の病の感で陸軍の時の軍医総監は森鴎外。
我が宮崎の海軍の雄、高木覚兼は病気のあった航海コースをたどり、ビタミンの不足を奇病の原因と突き止めた。
主流医学に一矢を報いたのである。
高所恐怖症たる私はめまいに悩む。名のひろみの性ではなかろうが婦人病たるめまいが襲うがこれも生活習慣病である。
「目からうろこ」とは常道に逸した状態に遭遇した時の感動の言葉であろう。
神の使わせし人・・半田和憲先生の名刺を飾った。
個人崇拝を忌み嫌う私にしてである。
正しいテクノロジーで地球環境蘇生と話しが始まったのは午後2時前、途中の休憩もありながらもその終了した18時まで不思議に包まれた。
買ったばかりのノートは残りが無いほどである。
この手の催眠商法はしている。実体験もしてきた。そうではないもだ。
誕生前の体内の羊水で地球を包み込むのである。
蘇生水とは、水に含まれる歪んだ情報を修復し、蘇生させ、本来のものに取り戻す、宇宙のエネルギーを取り込む水である。
それは、健康な母体の羊水・脳の中の95%の水・生命誕生の水などと同じ結合角度165度で出来ている。
つまり、機能的には、通常、物質の持つ「発酵」・「分解」・「合成」・「蘇生」という4チャンネルを無限に回転させるプログラムを持
っている。
生態系非結晶ランダム物理学の応用により、過度な作用を必要な作用に軽減し、また不足している場合はその作用を増幅するといった特性
を持ち、良い方向のみを残すという機能を持っている。
それだけで、宇宙エネルギーと同じ特性だということになる。
この水を体内に取り入れれば、、体内の血流を浄化し正常に戻す役割を果たすことになる。
またこの水は、生命環境を蝕むウイルスなどをよせつけない生命エネルギーを持っていることから、身体に害悪をもたらす細菌類を排除するという機能を併せもっている。詳しくは明日に触れたい。
、「口まめ」だけはいけませんよ!の戒めがある。
大妻女子大の創立者の故大妻こたかさんは卒業式でいつも同じ話ばかりだったとある卒業生の方の記事を読んだ。
「皆さん、私の話をよーく聞きなさい。女性は社会でも、家庭の中でも、お塩の如くあれ。ききすぎてもいけませんよ、きかなくても駄
目ですよ」と。
ききすぎても料理の味をこわすし、うすあじでもいけない。
当時の日本の社会では女性は常に控え目がよいという教訓をされたのだろう。
さらに続けて、女性は「手まめ、足まめ、耳まめ、目まめ」でなくてはならない。
しかし、「口まめ」だけはいけませんよ、と。
往年の日本の賢母、賢婦教育のイメージがくっきりと浮かんでくる。
「私は、そのいけないと言われた『口まめ』の仕事をすることになってしまって…」というのが、私の反省の毎日である。ひたすら自戒である
パリーグ天王山・ダイエー対ライオンズの福岡対決となると我らの年代はどちらを応援してよいかわからない。
名勝負を評して・・手に汗を握る・・の形容詞をつける。
福岡を拠点に九州中、燃え滾っていのだろうか。
20度を越えている。22時16分劇的な試合は終了した。
悔しくてこの時間に書店に行き、文芸春秋を買った。
芥川・直木賞を創設して文士仲間を救った菊池寛の興した文芸春秋。
11月号の表紙はNHK「わかば」の飫肥を彷彿させ一面の菊の花が満開でこぼれるが如くで港の街を見下ろしている。
10月号の銀のお月とは趣を異にして描いているが何時も楽しみな大和の国の雑誌の表紙である。
いずれも秀作一服の名画である。
賢明な日記の諸君ご覧あれ。!表紙から詠める得な雑誌だ。
文芸春秋11月号といえば歴史に残る不滅の金字塔を打ち立てた昭和49年11月号の記憶は鮮明である。
立花隆の「田中金脈の追求」?と児玉隆也「越山会の女王」?題名はいずれも記憶によるので正確ではない。
今でもこの国の持つ異常性は外圧から事は始まる。外で認められて、始めて気づき、認める傾向をもつ民族である。
外国人記者クラブで会見してこの雑誌記事に答えてから2ヵ月後、
正確には48日後、改造内閣から15日後に退陣。2年後には逮捕と繋がっていく。
政治は数、圧倒的な力を誇った今太閤と評された田中角栄の退陣の嚆矢となった。
明日から始まる国会の最大焦点、「日歯連一億円疑惑」の最大派閥・元総理の橋本がこの派閥を今に引き継いでいる。
今日手にした11月号には残念ながらその記事は無い。
田中は知っての道を歩き、児玉は翌75年5月ガンでこの世を去り、
立花は大先生に納まりその気迫は無い。
田中真紀子の行動の原典は総て執念としてココに由来する。
さ〜てその国会はどうなる事やら。
お隣中国には仏国大統領が訪中されており、ハイ・ビジョンで全世界に天安門が映し出されるデモ・ストレーションがあった。
中国新幹線は日本の新幹線方式となり、仏国T/G/V商戦は日本の前に
敗北した。テクノ日本の勝利である。
オリンピック・万国博と続くのに併せ、デヂタル・ハイビジョン商戦を先行したのであろう。
小泉はその中国との会談さえ設定できないでいる。
何が国連常任理事国入りぞ!
アジアの盟主は「難波のことは夢のまた夢」と太閤のことの如しで
ある。
今次の国会でイの一番に議論されなければならないのに
マスコミに媚びる「橋本追求」のみの ・て・い・た・ら・くをきっと演じることだろう。
どうしようもない日本!
スキャンダラス追求のみで品が無い。
国の行く末を論じるのが政治の要諦。
これでは、議員バッチの遺伝子総ての交換が必要だ。
人間の遺伝子たるDNAはJ・D・ワトソンの研究成果になり、ノーベル賞の栄誉に浴した。
ノーベル賞は京大が相場の日本だがその教授上田三四二は俳号名。
「細胞の分子生物学」は院生のABC必読の書と長田和弘教授は先生の
印象を岩波図書に書く。成人病に精力的に取り組んでいる。
聖路加大学の日野原重明は生活習慣病という言葉を始めて使かった人で、90歳を越えても今も矍鑠、診察・診療をしている。
この聖路加病院は日向の高岡は穆佐の出の高木覚兼が創立者。{ダッタハズ。?調べる時間が無い}
脚気は不治の病の感で陸軍の時の軍医総監は森鴎外。
我が宮崎の海軍の雄、高木覚兼は病気のあった航海コースをたどり、ビタミンの不足を奇病の原因と突き止めた。
主流医学に一矢を報いたのである。
高所恐怖症たる私はめまいに悩む。名のひろみの性ではなかろうが婦人病たるめまいが襲うがこれも生活習慣病である。
「目からうろこ」とは常道に逸した状態に遭遇した時の感動の言葉であろう。
神の使わせし人・・半田和憲先生の名刺を飾った。
個人崇拝を忌み嫌う私にしてである。
正しいテクノロジーで地球環境蘇生と話しが始まったのは午後2時前、途中の休憩もありながらもその終了した18時まで不思議に包まれた。
買ったばかりのノートは残りが無いほどである。
この手の催眠商法はしている。実体験もしてきた。そうではないもだ。
誕生前の体内の羊水で地球を包み込むのである。
蘇生水とは、水に含まれる歪んだ情報を修復し、蘇生させ、本来のものに取り戻す、宇宙のエネルギーを取り込む水である。
それは、健康な母体の羊水・脳の中の95%の水・生命誕生の水などと同じ結合角度165度で出来ている。
つまり、機能的には、通常、物質の持つ「発酵」・「分解」・「合成」・「蘇生」という4チャンネルを無限に回転させるプログラムを持
っている。
生態系非結晶ランダム物理学の応用により、過度な作用を必要な作用に軽減し、また不足している場合はその作用を増幅するといった特性
を持ち、良い方向のみを残すという機能を持っている。
それだけで、宇宙エネルギーと同じ特性だということになる。
この水を体内に取り入れれば、、体内の血流を浄化し正常に戻す役割を果たすことになる。
またこの水は、生命環境を蝕むウイルスなどをよせつけない生命エネルギーを持っていることから、身体に害悪をもたらす細菌類を排除するという機能を併せもっている。詳しくは明日に触れたい。
、「口まめ」だけはいけませんよ!の戒めがある。
大妻女子大の創立者の故大妻こたかさんは卒業式でいつも同じ話ばかりだったとある卒業生の方の記事を読んだ。
「皆さん、私の話をよーく聞きなさい。女性は社会でも、家庭の中でも、お塩の如くあれ。ききすぎてもいけませんよ、きかなくても駄
目ですよ」と。
ききすぎても料理の味をこわすし、うすあじでもいけない。
当時の日本の社会では女性は常に控え目がよいという教訓をされたのだろう。
さらに続けて、女性は「手まめ、足まめ、耳まめ、目まめ」でなくてはならない。
しかし、「口まめ」だけはいけませんよ、と。
往年の日本の賢母、賢婦教育のイメージがくっきりと浮かんでくる。
「私は、そのいけないと言われた『口まめ』の仕事をすることになってしまって…」というのが、私の反省の毎日である。ひたすら自戒である
阿波岐原
2004年10月10日阿波岐原森林公園を地元民は親しみを込め「市民の森」と呼ぶ。
古事記、日本書紀の記紀の
「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」の伝承地である。
神式の結婚式を挙げられたときの祝詞で聞かれたことがあろう。
あの神の子たる契りの冒頭部分の地であるのだ。
天孫降臨後のイザナミ・イザナギのイザナギが禊をした御池も含んでいる。
シーガイヤに隣接してることで多くの人が知ることとなった。
海岸の松林と雑木林からなっている。
南北に5,6KMもあり、390,9haにも上る広大な広さ。
ほかにシーガイヤの共用部分も含めると176,2haも増えることになる。
今年もタイガー・ウッズが来るダンロップやトム・ワトソンコースの
二つのゴルフにテニス。野球場。
夏の野外ジャズインはココを発祥とする人もいる。・・・・
これらを含んだ日本で第1号のリゾート法に元ずく施設である。
一人身ではどうにもならぬ行事がダブリ「三十六計逃げるにしかり」でひたすら、この地で遊んだ。
若者が去っていくのがどうにも理解できず
己の中で消化出来ていないためだ。
高城の約束も果たせず、至極に残念無念。致し方ない。
シーガイヤには松泉宮なる温泉が10/1日オープンしたが反省が
いかされてない。
11時〜3時までしか利用できなく県民1500円 県外人2000円は
チョト高い。
これではあくまで県民無視の宿泊者用である。
折角6時〜24時まで利用できるのなら何故、その時間に出来ないのか。
これでは初心者経営である。
初心者といえば悪罵をなげる立場には無い。
このように日記の文を書くのが苦手で恥文を綴っている。
PC初心者ゆえ許してもらっている。
「城崎にて」の志賀直哉を名文と真似てみるがとても似ても似つかぬものとなっている。
それにしてもこだわりたい。
文の基本は最初の5行で心を掴むことである。
目的、日時、場所、対象を的確に手短にかく。
それは相手のニーズをよく掴むことである。
事象を的確に把握し、自分の誠意をどれだけ示せるかである。
共感は相手を行動させる。
時間管理の大事さは営業にも繋がる。やることは決まっているのだ。
ルーテング・ワークを効率的にこなし、スケジュールに余裕をもち、
突然の要請にもに対応できる余裕ある日常である。
今の月400〜500万を契約する事は大変だ。
体は一つで優先順位を付け動いている。
実感として仕事を抱え込むのが一番危ない。
ムリと判断したら応援を頼む。そのことがなされていない。
かってセキスイ・ハイムで5分遅刻した。解決するにあたり、
土下座でもなかなかであった。
遅刻で土下座はもうこりごりである。
これらの経験則は修羅場をくぐるなかで身につく。
何も若者の結論が、APAより逃げ出すことではないはずだ。
仕事に関する職人仕事が嫌いでは致し方ない。
そうでないのだから心配する。
未来がある若者ゆえである。
何かの信号を発してるのであろう。
昨日のサタデー・日経の記事。
何の仕事になりたかったか。
男の場合
1パイロット
2教師
3学者・博士
4お医者さん・歯医者さん
5宇宙飛行士
6コンピュウター関連
7野球選手
8電車の運転手・駅員
9健二・弁護士
10青年実業家・会社社長
女の場合
1教師
2歩位気炎・幼稚園の先生
3芸能人タレント・歌手
4作家・小説家
5お嫁さん
6通訳
7ツアー・コンダクター
8お医者さん・歯医者さん
8花屋さん
10スチュワーデス
日経紙10/9インフォシーク9月の調査20〜60歳男女500人54項目から3ツ選んでの結果である。
私の場合もかなりの夢を捨てているのに気づいた。
まだ間に合います。夢、追ってますか。
古事記、日本書紀の記紀の
「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」の伝承地である。
神式の結婚式を挙げられたときの祝詞で聞かれたことがあろう。
あの神の子たる契りの冒頭部分の地であるのだ。
天孫降臨後のイザナミ・イザナギのイザナギが禊をした御池も含んでいる。
シーガイヤに隣接してることで多くの人が知ることとなった。
海岸の松林と雑木林からなっている。
南北に5,6KMもあり、390,9haにも上る広大な広さ。
ほかにシーガイヤの共用部分も含めると176,2haも増えることになる。
今年もタイガー・ウッズが来るダンロップやトム・ワトソンコースの
二つのゴルフにテニス。野球場。
夏の野外ジャズインはココを発祥とする人もいる。・・・・
これらを含んだ日本で第1号のリゾート法に元ずく施設である。
一人身ではどうにもならぬ行事がダブリ「三十六計逃げるにしかり」でひたすら、この地で遊んだ。
若者が去っていくのがどうにも理解できず
己の中で消化出来ていないためだ。
高城の約束も果たせず、至極に残念無念。致し方ない。
シーガイヤには松泉宮なる温泉が10/1日オープンしたが反省が
いかされてない。
11時〜3時までしか利用できなく県民1500円 県外人2000円は
チョト高い。
これではあくまで県民無視の宿泊者用である。
折角6時〜24時まで利用できるのなら何故、その時間に出来ないのか。
これでは初心者経営である。
初心者といえば悪罵をなげる立場には無い。
このように日記の文を書くのが苦手で恥文を綴っている。
PC初心者ゆえ許してもらっている。
「城崎にて」の志賀直哉を名文と真似てみるがとても似ても似つかぬものとなっている。
それにしてもこだわりたい。
文の基本は最初の5行で心を掴むことである。
目的、日時、場所、対象を的確に手短にかく。
それは相手のニーズをよく掴むことである。
事象を的確に把握し、自分の誠意をどれだけ示せるかである。
共感は相手を行動させる。
時間管理の大事さは営業にも繋がる。やることは決まっているのだ。
ルーテング・ワークを効率的にこなし、スケジュールに余裕をもち、
突然の要請にもに対応できる余裕ある日常である。
今の月400〜500万を契約する事は大変だ。
体は一つで優先順位を付け動いている。
実感として仕事を抱え込むのが一番危ない。
ムリと判断したら応援を頼む。そのことがなされていない。
かってセキスイ・ハイムで5分遅刻した。解決するにあたり、
土下座でもなかなかであった。
遅刻で土下座はもうこりごりである。
これらの経験則は修羅場をくぐるなかで身につく。
何も若者の結論が、APAより逃げ出すことではないはずだ。
仕事に関する職人仕事が嫌いでは致し方ない。
そうでないのだから心配する。
未来がある若者ゆえである。
何かの信号を発してるのであろう。
昨日のサタデー・日経の記事。
何の仕事になりたかったか。
男の場合
1パイロット
2教師
3学者・博士
4お医者さん・歯医者さん
5宇宙飛行士
6コンピュウター関連
7野球選手
8電車の運転手・駅員
9健二・弁護士
10青年実業家・会社社長
女の場合
1教師
2歩位気炎・幼稚園の先生
3芸能人タレント・歌手
4作家・小説家
5お嫁さん
6通訳
7ツアー・コンダクター
8お医者さん・歯医者さん
8花屋さん
10スチュワーデス
日経紙10/9インフォシーク9月の調査20〜60歳男女500人54項目から3ツ選んでの結果である。
私の場合もかなりの夢を捨てているのに気づいた。
まだ間に合います。夢、追ってますか。
・う・だ・つ・をあげる
2004年10月9日 読書
台風を予測しての天気予報に打ち勝ち高岡町でパネルを揚げた。
僅か4名での発電所作り。
足場掛け、と作業準備からだからたまらない。
それでも夕方には、川越発電所の完成。
私といえば、電話の応対と資材の手配と何にも美味くいかない。
夜は日南に向かう約束をさせられ先ほどご帰還。何時も後始末でたまったものじゃあない。
若者のとの接点探しに加え挙句の果てに集金が重なっている。
ストレスどころかまったくAPAの行事に感知しそうも無い姿を見ていて怒りも頂点。
胃袋に穴があきそうで悲鳴をあげている。
朝のNHKドラマの「わかば」は日向・飫肥に舞台を移し佳境を迎えていくことであろう。
消え行く日本の減風景たる街並み、運河、棚田と全国にノスタルジーを届けることになろう。
私なりの日向三大旧町並みは美々津、飫肥、高鍋とあげつらう。
町並み保存は高鍋をのぞく地域で取り組まれ今に伝え将来に残されるであろう。
美々津は古く古事記、日本書紀まで由来する。
統一国家の神国日本はこの地より大和国の東征に始まる。
その初代天皇神武のお船出の地と記紀は伝える。
その後江戸期は参勤交代の起点として隆盛を極めた。
今に残る町並み群はこの頃にタイムスリップさせ古代に誘う。
家父長制の残滓たる多産系のおさの父・岩雄は11人の伯父叔母があり、それに匹敵する兄弟があった。
口減らしで美々津の地に養子入りした警察官に奉職した伯父の故郷でもある。
十五夜祭りや多くの廃れた祭りがここにはある。
小京都飫肥は酒谷川が大きくSカーブした中島にお城とともに発展した。川は自然の要害。その中は経済の中心でもあった。
明治の外務大臣小村寿太郎を輩出しその兄指した、小倉処平を育んだ。
いずれも大儒学者安井息軒の薫陶を受けた。
西南戦争で散ったものとアメリカ留学で難を逃れた二人の歴史的評価は分かれるが、いずれ劣らぬ日向の生んだ逸材である。
その飫肥の町の入り口に小玉豆腐店はある。赤い鳥井が目印である。
太陽光発電を取り入れ豆乳を持って再建を計ろうとしている。
先日、商談にしくじりつつありナントか繋いでいた。
先ほど夜半どうにかローン契約書を作成できた。
チン・グワラからの出発で倍のエネルギーがいったがどうにか調印できた。本当に困ったAPAの営業の人である。尻ふき係は、もういい!
旧街で思い起こすは3年前熊本は山鹿に遊んだ。
かっての街道の宿場町がそのまま残り寂れていた。
レトロ調で街並み再現。山鹿灯篭に温泉を生かした。
玉三郎お気に入りの八千代座は日本に残る三大名劇場。
香川の金丸座、飯塚の嘉穂劇場と歴史 に残る全国の芝居小屋の代表的伝統を受け持つ。
名優が名舞台に立つ歴史的文化を提供している。
小津、クロサワ溝口健二亡き邦画界。保存の研鑚を見事に昇華させたこれらの芝居小屋。
カメラ・アングルを「寅さん」から時代そのものに変えた山田洋次監督の映画は「虹を掴む男」。
舞台は徳島県の吉野川の河畔の脇町。
うだつが残る街として全国にその名を馳せている。
この映画は、うだつの上がらぬ数奇な人生を歩いている私の応援歌やも知れぬ。
今の私のように何時までも発展・成長、財をなすでなき出世できない
者を「うだつがあがらぬ」と大和言葉は言う。
江戸期に出世の存在を誇り、豪壮華美なうだつを揚げ競った。
富裕でなければ出来なかった。
吉野川河畔の交通の要所の徳島県北部の脇町のうだつの街。
機能性の二階にピッタリの本うだつ
装飾の化粧のうだつ
うだつがめざし進化した江戸、明治、大正、昭和初期の多様に渡り、うだつがあちこちに残る。
となりまちの貞光町には、さらに趣を増した二重うだつがある。
映画のストリーは名画上映にかける西田敏行扮する映画人の話である。
ニュー・シネマ・パラダイスをリメークした筋立て。?
その映画館は今にも残る「オデオン座」で、昭和9年の芝居小屋の後の映画館。
花道、周り舞台、鶉座敷、本格的設備を兼ね備えている。
これでは、隣県、愛媛の内子座しか勝るものは無い。
うだつのある家にパネルを上げたい。
伝統と現代デザインの融和である。
アンバランス?
ノン!・・私の答えである。
フランス・パリのルーブル博物館のガラスのピラミッドが当初どれほど批判されたか。
それが今は採光口のモデルともされてるではないか。
このように書いてきたが何故であろうか。
歌舞伎の団十郎は病魔を克服して十一代目市川海老蔵襲名披露で
パリ・国立シャイヨー劇場で公演中だがそれが何かの縁であろうか。
パリは世界芸術の宝庫。国立シャイヨー劇場はセーヌのほとり
コンコルド広場の近くにあり、ルーブル博物館やノートルダム寺院
とともにパリのシテ島にある。
シャイヨー宮 はナポレオンがローマ王の宮殿として建築をこころみたが、帝政の崩壊で工事が中断。
1937年万博を目的として、工事を完成とある。
宮殿は羽根をひろげた形であり、エッフエル等を背景に建てられている。宮殿内には、
・人類博物館、(セーヌからみて左翼)
・海洋博物館 (左翼)
・アンリ・ラングロワ記念映画博物館
・フランス文化財博物館、(右翼) イースター島の遺跡
・国立シャイヨー劇場、
・シネマテーク・フランセーズ 映画の聖地。
前は トロカデロ庭園。夜はライトアップが美しい。
近くのコンコルドバス停車場はスリ、多発エリア。
ぼーっとエッフェル塔をみているとよろしくない。やられてしまう。
腰のポーチなんぞ何のその。
幼き二人組みで、その姿さえ痛々しい。
が、そのスリぶりは見事!。まるで芸術の域。
ちゃんとチャックを〆て抜いていっている。。現金のみをである。
赤い大事なパスポートは残していてくれた。
将来が楽しみな?仕事ぶり?である。{お〜バ〜カ・・さん}
交通の便は、メトロ: 6、9号線
バス:バスルートはこちら 凱旋門〜サン・ラザール駅〜アルマ橋〜サンジェルマン〜 の地名を目指せばよかった。
国立シャイヨー劇場を探すには、パリは徒歩で十分である。
何もメトロに頼る必要は無い。セーヌを眺め歩くのが最高。
♪♪シャンゼリゼを歌いながら・・♪
僅か4名での発電所作り。
足場掛け、と作業準備からだからたまらない。
それでも夕方には、川越発電所の完成。
私といえば、電話の応対と資材の手配と何にも美味くいかない。
夜は日南に向かう約束をさせられ先ほどご帰還。何時も後始末でたまったものじゃあない。
若者のとの接点探しに加え挙句の果てに集金が重なっている。
ストレスどころかまったくAPAの行事に感知しそうも無い姿を見ていて怒りも頂点。
胃袋に穴があきそうで悲鳴をあげている。
朝のNHKドラマの「わかば」は日向・飫肥に舞台を移し佳境を迎えていくことであろう。
消え行く日本の減風景たる街並み、運河、棚田と全国にノスタルジーを届けることになろう。
私なりの日向三大旧町並みは美々津、飫肥、高鍋とあげつらう。
町並み保存は高鍋をのぞく地域で取り組まれ今に伝え将来に残されるであろう。
美々津は古く古事記、日本書紀まで由来する。
統一国家の神国日本はこの地より大和国の東征に始まる。
その初代天皇神武のお船出の地と記紀は伝える。
その後江戸期は参勤交代の起点として隆盛を極めた。
今に残る町並み群はこの頃にタイムスリップさせ古代に誘う。
家父長制の残滓たる多産系のおさの父・岩雄は11人の伯父叔母があり、それに匹敵する兄弟があった。
口減らしで美々津の地に養子入りした警察官に奉職した伯父の故郷でもある。
十五夜祭りや多くの廃れた祭りがここにはある。
小京都飫肥は酒谷川が大きくSカーブした中島にお城とともに発展した。川は自然の要害。その中は経済の中心でもあった。
明治の外務大臣小村寿太郎を輩出しその兄指した、小倉処平を育んだ。
いずれも大儒学者安井息軒の薫陶を受けた。
西南戦争で散ったものとアメリカ留学で難を逃れた二人の歴史的評価は分かれるが、いずれ劣らぬ日向の生んだ逸材である。
その飫肥の町の入り口に小玉豆腐店はある。赤い鳥井が目印である。
太陽光発電を取り入れ豆乳を持って再建を計ろうとしている。
先日、商談にしくじりつつありナントか繋いでいた。
先ほど夜半どうにかローン契約書を作成できた。
チン・グワラからの出発で倍のエネルギーがいったがどうにか調印できた。本当に困ったAPAの営業の人である。尻ふき係は、もういい!
旧街で思い起こすは3年前熊本は山鹿に遊んだ。
かっての街道の宿場町がそのまま残り寂れていた。
レトロ調で街並み再現。山鹿灯篭に温泉を生かした。
玉三郎お気に入りの八千代座は日本に残る三大名劇場。
香川の金丸座、飯塚の嘉穂劇場と歴史 に残る全国の芝居小屋の代表的伝統を受け持つ。
名優が名舞台に立つ歴史的文化を提供している。
小津、クロサワ溝口健二亡き邦画界。保存の研鑚を見事に昇華させたこれらの芝居小屋。
カメラ・アングルを「寅さん」から時代そのものに変えた山田洋次監督の映画は「虹を掴む男」。
舞台は徳島県の吉野川の河畔の脇町。
うだつが残る街として全国にその名を馳せている。
この映画は、うだつの上がらぬ数奇な人生を歩いている私の応援歌やも知れぬ。
今の私のように何時までも発展・成長、財をなすでなき出世できない
者を「うだつがあがらぬ」と大和言葉は言う。
江戸期に出世の存在を誇り、豪壮華美なうだつを揚げ競った。
富裕でなければ出来なかった。
吉野川河畔の交通の要所の徳島県北部の脇町のうだつの街。
機能性の二階にピッタリの本うだつ
装飾の化粧のうだつ
うだつがめざし進化した江戸、明治、大正、昭和初期の多様に渡り、うだつがあちこちに残る。
となりまちの貞光町には、さらに趣を増した二重うだつがある。
映画のストリーは名画上映にかける西田敏行扮する映画人の話である。
ニュー・シネマ・パラダイスをリメークした筋立て。?
その映画館は今にも残る「オデオン座」で、昭和9年の芝居小屋の後の映画館。
花道、周り舞台、鶉座敷、本格的設備を兼ね備えている。
これでは、隣県、愛媛の内子座しか勝るものは無い。
うだつのある家にパネルを上げたい。
伝統と現代デザインの融和である。
アンバランス?
ノン!・・私の答えである。
フランス・パリのルーブル博物館のガラスのピラミッドが当初どれほど批判されたか。
それが今は採光口のモデルともされてるではないか。
このように書いてきたが何故であろうか。
歌舞伎の団十郎は病魔を克服して十一代目市川海老蔵襲名披露で
パリ・国立シャイヨー劇場で公演中だがそれが何かの縁であろうか。
パリは世界芸術の宝庫。国立シャイヨー劇場はセーヌのほとり
コンコルド広場の近くにあり、ルーブル博物館やノートルダム寺院
とともにパリのシテ島にある。
シャイヨー宮 はナポレオンがローマ王の宮殿として建築をこころみたが、帝政の崩壊で工事が中断。
1937年万博を目的として、工事を完成とある。
宮殿は羽根をひろげた形であり、エッフエル等を背景に建てられている。宮殿内には、
・人類博物館、(セーヌからみて左翼)
・海洋博物館 (左翼)
・アンリ・ラングロワ記念映画博物館
・フランス文化財博物館、(右翼) イースター島の遺跡
・国立シャイヨー劇場、
・シネマテーク・フランセーズ 映画の聖地。
前は トロカデロ庭園。夜はライトアップが美しい。
近くのコンコルドバス停車場はスリ、多発エリア。
ぼーっとエッフェル塔をみているとよろしくない。やられてしまう。
腰のポーチなんぞ何のその。
幼き二人組みで、その姿さえ痛々しい。
が、そのスリぶりは見事!。まるで芸術の域。
ちゃんとチャックを〆て抜いていっている。。現金のみをである。
赤い大事なパスポートは残していてくれた。
将来が楽しみな?仕事ぶり?である。{お〜バ〜カ・・さん}
交通の便は、メトロ: 6、9号線
バス:バスルートはこちら 凱旋門〜サン・ラザール駅〜アルマ橋〜サンジェルマン〜 の地名を目指せばよかった。
国立シャイヨー劇場を探すには、パリは徒歩で十分である。
何もメトロに頼る必要は無い。セーヌを眺め歩くのが最高。
♪♪シャンゼリゼを歌いながら・・♪
焦り・妬み
2004年10月8日だるい。気だるい。焦りから来ている。
受注の仕事を誰れにも期待できない。
10月1日からのトップが乗り出してからというものまったく
進まなくなった。
受注に向けての動きの緊張の意図がプッツリと切れた。
「集金!」「集金!」それのみが仕事とでも思いこんでいるのか。
誰もがまったくのびのびとやっていない。
高所の危険職場であるがゆえ、事故が一番の敵である。
専務などは蛇ににらまれたカエルの如く動かない。
動けば失敗がついて廻る。何もせぬがまし。
これでは行く末知れている。
行動してのみ受注の仕事に繋がる。
ひたすら会社にこもる。社長の目に届くところにいれば社長は安心のようだ。
公務員以下の状況・・・これではお客さんを求めて飛び回る活力が出るはずが無い。
「外回りは、なにやっちょるかわからん! チェックできないでしょう!」
このようなトップの言葉が蔓延して顔色伺いの無事一日を過ごす姿勢となったのであろう。
労務管理の何たるか太陽光発電という特殊工事の受注の仕方がまるで
理解できていない。
かく言う私でさえ試行錯誤で仕事をもってきているお寒い状況。
この職人集団を毎日配置することほど大変なものは無い。
そうたやすく仕事はもらえない。
そこのところがまるでわかっていない。
最低1週間でもいいから職人の配置をやってみろ!
死に物狂いではいずりまわらねばできる技ではない。
営業を超えた技の域きである。
台風襲来中の最中明日の太陽光発電の屋根の工事を先ほど決めた。
大博打である。
APA予報官は明日は屋根の仕事ができると見た!
ヤン坊・マー坊の転記予報に挑戦である。
絶対、はれさせて見せる!。先哲は言うであろう。キチガイ沙汰!
稼がねばならぬ会社の宿命。
日南をぶっ壊してくる奴もいる。
焦りは頂点を極めている。
日南より豆乳の差し入れを頂き昨日来より愛飲してみた。
植物のお肉たる、大豆が悪いわけは無い。
若き人々に勧めるが誰も飲もうとはしない。
パッケージとかに一考とかが必要のようだ。
日本人の体型をDNAを形作ってきた唯一のタンパク源。大豆。
流体ゆえ飲みやすいがイマイチの工夫は必要である。
牛乳がこれまでの安定をしてきた如くである。
そういえば豆乳と牛乳は総てが似通っている。
アメリカでのG8初参加の中華の国が地球のすべてを引き回す状況になっている嫌いがある。GNP第2位の経済大国である。
後進国援助国のODA対象国のはずなのにこの恥知らず国!
さぞや指導部は溜飲を下げていることであろう。
中華の国の国威発露ココに極まり。
さて、その牛乳であるが、中国の牛乳消費量が急激に伸びた。
1990年を100とすると、02年は340だという。
国策として牛乳の消費拡大に取り組んだ成果だ。
「学生飲用牛乳計画」とは2億人の小中学生に、毎日牛乳を飲ませようという計画である。
中国が牛乳をもっと飲もうと旗をふるようになったわけが面白い。
北海道大学の渡辺浩平助教授によれば、中国人は日本人より背が高いはずなのに、いつのまにか抜かれたのでショックを受けたせいだという(中国情報サイト「21世紀中国総研」)
国家体育委員会という政府機関が97年、中国初の全国的な身体測定をした。
それと日本のデータを比べると、男性で40歳以上は中国人の背が高いが、それより若いと日本人が高い。
7〜22歳では1.96センチ、
7〜14歳では2.28センチ
も日本人が上回っていた
確かに、日本人の身長は戦後、急速に伸びた。
男子17歳の平均身長は50年に
161.8センチ だったが、03年は
170.7センチ と9センチも伸びている。
食生活の向上の成果だろうが、中国政府はとりわけ、学校給食による 牛乳の効果を評価したようである
それにしても、たかが身長、されど身長だ。
背が高いか低いかは、人間の値打ちになんの関係もない。
アテネ五輪の金メダリスト野口みずき選手は、身長は150センチ。
日露戦争の戦時処理の外務大臣わが宮崎の英傑小村寿太郎もそうである。
中国の対日感情は複雑微妙で、中国にとって日本より
平均身長が低いことが問題。
サッカーのアジア・カップでは、興奮した中国人サポーターたちが、「小日本」とののしった。
国土の狭さや背の低さを揶揄する侮言のようだ。
牛乳の飲み方が足りないのかもしれない。
牛乳はカルシウムをたっぷり含み、興奮を静める働きがある。
牛乳の癒やし効果で、肩の力を抜いたほうがいい。
しかしながら大量の植物群と大量の水を必要とする。
今の中国の自然事情からはどだい無理である。
必然輸入となる。
限られた地球環境の中での大量消費はこれからは無理からぬこと。
最近のG7では国名こそ明示してはいないが、大規模な相場介入や資本
流出規制で1ドル=8・27元前後に固定している中国に対して
柔軟性を持った為替レートに転換することを求めている。
とりわけ、中国貿易で膨大な赤字を計上している米国では、
大幅な元切り上げや変動相場制への早期移行を求める声が高まっている。
今回のG7でも大統領選を意識して、資源も知恵も自給自足できると思う社会は「中華思想」に陥る。
米国と中国の間に生きる日本にとって最大関心事。
この50年、185カ国・地域に実施してきた政府開発援助ODAの
総額は2210億ドルに達する。日本円で26兆にもなる。
70年代後半からのODA重視で、90年代には世界一の援助国。
財政状況の急速な悪化でODA予算も減少に転じたが、
03年時点では米国に次いで2位となっている。
ただ、欧米諸国が国連のミレニアム開発目標決定や02年の持続可能な
開発に関する世界首脳会議などをふまえて、援助の増額を図っており、2、3年後にはフランス、ドイツ、英国にも追いつかれる可能性がある。
7日からベトナムのハノイで開かれるアジア欧州会議ASEMの期間中に日中両政府間で実現の可能性が探られていた小泉首相と温家宝首相の
首脳会談が、見送られることになった。
1年ぶりの首脳交流が期待されていただけに残念である。
日中首脳の相互訪問は01年10月の小泉首相の訪中以来途絶えたまま。
このため、政府はASEMと、それに続いて11月下旬にチリで開かれるAPEC、さらにラオスでの東南アジア諸国連合ASEANプラス3会議という国際会議の場をとらえて首脳会談を実現したい考えだった。
今回の会談見送りについて、小泉首相は
「もともと予定していなかった」と述べたが、
実は中国側に断られたというのが真相であろう。
胡主席も先月訪中した河野洋平衆院議長に
「当面の急務は靖国神社参拝問題を妥当に処理することだ」と日本側の新たな対応を求めている。
中国側が「日程上の都合」として首脳会談を断った真の理由は、
小泉首相が靖国神社参拝の姿勢を変えていないことへの反発にあるのは疑いの余地がない。
政府は中国トップとの会談実現を11月のAPECとASEANプラス3会議を想定している。
しかし、靖国参拝問題に変化がない以上、会談が実現する保証はない。
、中国側の拒否は、胡主席・温首相体制でも歴史問題という根幹部分では譲れないという姿勢を示したものる。
打開のカギは日本側にある。
、中国側の変化を期待するなら「新たな追悼施設が必要」とした福田康夫前官房長官の提言もある。
小泉首相の個人の行動が原因だとしたら、首相が知恵を出すしかない。
APAも同じである。
受注の仕事を誰れにも期待できない。
10月1日からのトップが乗り出してからというものまったく
進まなくなった。
受注に向けての動きの緊張の意図がプッツリと切れた。
「集金!」「集金!」それのみが仕事とでも思いこんでいるのか。
誰もがまったくのびのびとやっていない。
高所の危険職場であるがゆえ、事故が一番の敵である。
専務などは蛇ににらまれたカエルの如く動かない。
動けば失敗がついて廻る。何もせぬがまし。
これでは行く末知れている。
行動してのみ受注の仕事に繋がる。
ひたすら会社にこもる。社長の目に届くところにいれば社長は安心のようだ。
公務員以下の状況・・・これではお客さんを求めて飛び回る活力が出るはずが無い。
「外回りは、なにやっちょるかわからん! チェックできないでしょう!」
このようなトップの言葉が蔓延して顔色伺いの無事一日を過ごす姿勢となったのであろう。
労務管理の何たるか太陽光発電という特殊工事の受注の仕方がまるで
理解できていない。
かく言う私でさえ試行錯誤で仕事をもってきているお寒い状況。
この職人集団を毎日配置することほど大変なものは無い。
そうたやすく仕事はもらえない。
そこのところがまるでわかっていない。
最低1週間でもいいから職人の配置をやってみろ!
死に物狂いではいずりまわらねばできる技ではない。
営業を超えた技の域きである。
台風襲来中の最中明日の太陽光発電の屋根の工事を先ほど決めた。
大博打である。
APA予報官は明日は屋根の仕事ができると見た!
ヤン坊・マー坊の転記予報に挑戦である。
絶対、はれさせて見せる!。先哲は言うであろう。キチガイ沙汰!
稼がねばならぬ会社の宿命。
日南をぶっ壊してくる奴もいる。
焦りは頂点を極めている。
日南より豆乳の差し入れを頂き昨日来より愛飲してみた。
植物のお肉たる、大豆が悪いわけは無い。
若き人々に勧めるが誰も飲もうとはしない。
パッケージとかに一考とかが必要のようだ。
日本人の体型をDNAを形作ってきた唯一のタンパク源。大豆。
流体ゆえ飲みやすいがイマイチの工夫は必要である。
牛乳がこれまでの安定をしてきた如くである。
そういえば豆乳と牛乳は総てが似通っている。
アメリカでのG8初参加の中華の国が地球のすべてを引き回す状況になっている嫌いがある。GNP第2位の経済大国である。
後進国援助国のODA対象国のはずなのにこの恥知らず国!
さぞや指導部は溜飲を下げていることであろう。
中華の国の国威発露ココに極まり。
さて、その牛乳であるが、中国の牛乳消費量が急激に伸びた。
1990年を100とすると、02年は340だという。
国策として牛乳の消費拡大に取り組んだ成果だ。
「学生飲用牛乳計画」とは2億人の小中学生に、毎日牛乳を飲ませようという計画である。
中国が牛乳をもっと飲もうと旗をふるようになったわけが面白い。
北海道大学の渡辺浩平助教授によれば、中国人は日本人より背が高いはずなのに、いつのまにか抜かれたのでショックを受けたせいだという(中国情報サイト「21世紀中国総研」)
国家体育委員会という政府機関が97年、中国初の全国的な身体測定をした。
それと日本のデータを比べると、男性で40歳以上は中国人の背が高いが、それより若いと日本人が高い。
7〜22歳では1.96センチ、
7〜14歳では2.28センチ
も日本人が上回っていた
確かに、日本人の身長は戦後、急速に伸びた。
男子17歳の平均身長は50年に
161.8センチ だったが、03年は
170.7センチ と9センチも伸びている。
食生活の向上の成果だろうが、中国政府はとりわけ、学校給食による 牛乳の効果を評価したようである
それにしても、たかが身長、されど身長だ。
背が高いか低いかは、人間の値打ちになんの関係もない。
アテネ五輪の金メダリスト野口みずき選手は、身長は150センチ。
日露戦争の戦時処理の外務大臣わが宮崎の英傑小村寿太郎もそうである。
中国の対日感情は複雑微妙で、中国にとって日本より
平均身長が低いことが問題。
サッカーのアジア・カップでは、興奮した中国人サポーターたちが、「小日本」とののしった。
国土の狭さや背の低さを揶揄する侮言のようだ。
牛乳の飲み方が足りないのかもしれない。
牛乳はカルシウムをたっぷり含み、興奮を静める働きがある。
牛乳の癒やし効果で、肩の力を抜いたほうがいい。
しかしながら大量の植物群と大量の水を必要とする。
今の中国の自然事情からはどだい無理である。
必然輸入となる。
限られた地球環境の中での大量消費はこれからは無理からぬこと。
最近のG7では国名こそ明示してはいないが、大規模な相場介入や資本
流出規制で1ドル=8・27元前後に固定している中国に対して
柔軟性を持った為替レートに転換することを求めている。
とりわけ、中国貿易で膨大な赤字を計上している米国では、
大幅な元切り上げや変動相場制への早期移行を求める声が高まっている。
今回のG7でも大統領選を意識して、資源も知恵も自給自足できると思う社会は「中華思想」に陥る。
米国と中国の間に生きる日本にとって最大関心事。
この50年、185カ国・地域に実施してきた政府開発援助ODAの
総額は2210億ドルに達する。日本円で26兆にもなる。
70年代後半からのODA重視で、90年代には世界一の援助国。
財政状況の急速な悪化でODA予算も減少に転じたが、
03年時点では米国に次いで2位となっている。
ただ、欧米諸国が国連のミレニアム開発目標決定や02年の持続可能な
開発に関する世界首脳会議などをふまえて、援助の増額を図っており、2、3年後にはフランス、ドイツ、英国にも追いつかれる可能性がある。
7日からベトナムのハノイで開かれるアジア欧州会議ASEMの期間中に日中両政府間で実現の可能性が探られていた小泉首相と温家宝首相の
首脳会談が、見送られることになった。
1年ぶりの首脳交流が期待されていただけに残念である。
日中首脳の相互訪問は01年10月の小泉首相の訪中以来途絶えたまま。
このため、政府はASEMと、それに続いて11月下旬にチリで開かれるAPEC、さらにラオスでの東南アジア諸国連合ASEANプラス3会議という国際会議の場をとらえて首脳会談を実現したい考えだった。
今回の会談見送りについて、小泉首相は
「もともと予定していなかった」と述べたが、
実は中国側に断られたというのが真相であろう。
胡主席も先月訪中した河野洋平衆院議長に
「当面の急務は靖国神社参拝問題を妥当に処理することだ」と日本側の新たな対応を求めている。
中国側が「日程上の都合」として首脳会談を断った真の理由は、
小泉首相が靖国神社参拝の姿勢を変えていないことへの反発にあるのは疑いの余地がない。
政府は中国トップとの会談実現を11月のAPECとASEANプラス3会議を想定している。
しかし、靖国参拝問題に変化がない以上、会談が実現する保証はない。
、中国側の拒否は、胡主席・温首相体制でも歴史問題という根幹部分では譲れないという姿勢を示したものる。
打開のカギは日本側にある。
、中国側の変化を期待するなら「新たな追悼施設が必要」とした福田康夫前官房長官の提言もある。
小泉首相の個人の行動が原因だとしたら、首相が知恵を出すしかない。
APAも同じである。
惜別の涙
2004年10月7日7月より故障していて、できてなかったメール・アドレスが復旧できました
apa1793@ybb.ne.jp
実にさまざまな経過を経ての更新窓口の閉鎖が解除できたことに大きな喜びを感じております。
どうぞ、ご連絡がありましたらこちらのほうまでお願い致します。
apa1793@ybb.ne.jp
ロビンソークルソーじゃあ、あるまいにまったくの片側通行の不気味さを味わってきました。
焦燥感で堪えられない反省の一日。
仕事をしなくては会社ではない。
仕事をとることに一日の行動の総てをかけてきたのに
この何日かの動きには呆れるばかり。
どうしようもない。
若者がいきずマリを感じて喘いでいる。
悩み無き者に成長なしなどと暢気なばかりでは
会社の未来などと語れる資格は無い。
去るものは追わずといいたいが大切な宝者を無くしてしまった。
どうしようも無い・・気だるさ。
集金に躍起。福岡での液晶テレビ未収金や工事代金分と小口の回収を計り、支出が近い10日を迎えようとしている。
通常はローンの一ヶ月ご支払を利用して1〜2軒集金すれば大丈夫であったが、だし変え金が殆ど回収されており、非常手段は出来ない。
こんなことをしていては今月は売上が上がらないであろう。
大変な事態を迎えてしまう。
しかしながら集金のみというそのことのみを考えてるゆえ会社とは何かがわかっていない。
総てが済んでいる日南はしくじっているようだ。
これで契約が取れずして何処で契約が取れようぞ。
だがまったくお咎めなし。
実に暢気な集団ゆえ呆れるばかり。
一晩中若者のために費やした。
日記の時間なんかあったもんじゃない。
親の心、子、知らず!
言葉はこんなに空しいものであったのか。
言霊に物申す。
どうしろというのか。
何があったというのか。
何がどうしたというのか。
芥川ではあるまいし・・なんとなく・・ボンヤリと・不・安・
「いろんなことがやってみたい。」
「決めたのですから。」
「責任に耐えられません。」
笑わせるんじゃあない!
私の苦労からしたら・・・私のつめの垢でも呑んでてみろ!
少しは苦労が解ろうと言う者を・・・
せめて一人前にしてから送り出してやりたかった。
半人前の職人でドウ生きていけるというのか。
どうしようも出来ない責めを感じ散る。
「ゆくすえはるかなるもの」の一つに
「産まれたるちごの大人になるほど」を挙げたのは枕草子の清少納言.
人が大人になるのは誰にとっても長い道のりである。
生き馬の目を抜くというほどの厳しき世の中。
チョットの誤解が大きな分かれ道に迷い込ませる。
人生の道、若者の行く手、その先にはどこへ続くとも知れぬ分かれ道や迷い道、危険な道が待ち受けている。
細心の注意をしてなくては生きてはいけない。
なぜって?
私自身がその生き証人。
総てを私に聞け!それを他山の石として生きよ!
何をしようというのか。
働く意思も学ぶ意思もない「ニート」と呼ばれる若年無業者が社会問題になっている。
労働経済白書は昨年平均で52万人と初めて推計した。
実際はその倍はいるハズだ。
豊かさの中で若者の働く意欲が低下しているのは社会の病巣。
夏の間遊んでいたキリギリスが冬、アリに食物を乞うイソップの寓話がある。
ギリシャの「セミとアリたち」の話が、セミのいない北欧でキリギリスやコオロギに変わり、ロシアではトンボとなっている。
結末もアリがキリギリスをもてなしたり、追い返したり、殺して食べたりとお国柄で様々だ。
働くことがいかに大切か。
古来、昆虫の生態を通して親から子へと教えられてきた。
日本の若者たちが働く意欲や生命力を高めるために、どう語りかけていけばいいのか。秋の夜長、虫の声を聞きながら考えさせられそうだ
地球という限られた環境の瞬間の出会い。
考えてみれば不思議な時間を共有したことであるよね。
祝福を送ろう!
19歳の輝かしき気味の未来に乾杯!
どうぞ、夢であってほしい。
夢なら覚めてほしい。
apa1793@ybb.ne.jp
実にさまざまな経過を経ての更新窓口の閉鎖が解除できたことに大きな喜びを感じております。
どうぞ、ご連絡がありましたらこちらのほうまでお願い致します。
apa1793@ybb.ne.jp
ロビンソークルソーじゃあ、あるまいにまったくの片側通行の不気味さを味わってきました。
焦燥感で堪えられない反省の一日。
仕事をしなくては会社ではない。
仕事をとることに一日の行動の総てをかけてきたのに
この何日かの動きには呆れるばかり。
どうしようもない。
若者がいきずマリを感じて喘いでいる。
悩み無き者に成長なしなどと暢気なばかりでは
会社の未来などと語れる資格は無い。
去るものは追わずといいたいが大切な宝者を無くしてしまった。
どうしようも無い・・気だるさ。
集金に躍起。福岡での液晶テレビ未収金や工事代金分と小口の回収を計り、支出が近い10日を迎えようとしている。
通常はローンの一ヶ月ご支払を利用して1〜2軒集金すれば大丈夫であったが、だし変え金が殆ど回収されており、非常手段は出来ない。
こんなことをしていては今月は売上が上がらないであろう。
大変な事態を迎えてしまう。
しかしながら集金のみというそのことのみを考えてるゆえ会社とは何かがわかっていない。
総てが済んでいる日南はしくじっているようだ。
これで契約が取れずして何処で契約が取れようぞ。
だがまったくお咎めなし。
実に暢気な集団ゆえ呆れるばかり。
一晩中若者のために費やした。
日記の時間なんかあったもんじゃない。
親の心、子、知らず!
言葉はこんなに空しいものであったのか。
言霊に物申す。
どうしろというのか。
何があったというのか。
何がどうしたというのか。
芥川ではあるまいし・・なんとなく・・ボンヤリと・不・安・
「いろんなことがやってみたい。」
「決めたのですから。」
「責任に耐えられません。」
笑わせるんじゃあない!
私の苦労からしたら・・・私のつめの垢でも呑んでてみろ!
少しは苦労が解ろうと言う者を・・・
せめて一人前にしてから送り出してやりたかった。
半人前の職人でドウ生きていけるというのか。
どうしようも出来ない責めを感じ散る。
「ゆくすえはるかなるもの」の一つに
「産まれたるちごの大人になるほど」を挙げたのは枕草子の清少納言.
人が大人になるのは誰にとっても長い道のりである。
生き馬の目を抜くというほどの厳しき世の中。
チョットの誤解が大きな分かれ道に迷い込ませる。
人生の道、若者の行く手、その先にはどこへ続くとも知れぬ分かれ道や迷い道、危険な道が待ち受けている。
細心の注意をしてなくては生きてはいけない。
なぜって?
私自身がその生き証人。
総てを私に聞け!それを他山の石として生きよ!
何をしようというのか。
働く意思も学ぶ意思もない「ニート」と呼ばれる若年無業者が社会問題になっている。
労働経済白書は昨年平均で52万人と初めて推計した。
実際はその倍はいるハズだ。
豊かさの中で若者の働く意欲が低下しているのは社会の病巣。
夏の間遊んでいたキリギリスが冬、アリに食物を乞うイソップの寓話がある。
ギリシャの「セミとアリたち」の話が、セミのいない北欧でキリギリスやコオロギに変わり、ロシアではトンボとなっている。
結末もアリがキリギリスをもてなしたり、追い返したり、殺して食べたりとお国柄で様々だ。
働くことがいかに大切か。
古来、昆虫の生態を通して親から子へと教えられてきた。
日本の若者たちが働く意欲や生命力を高めるために、どう語りかけていけばいいのか。秋の夜長、虫の声を聞きながら考えさせられそうだ
地球という限られた環境の瞬間の出会い。
考えてみれば不思議な時間を共有したことであるよね。
祝福を送ろう!
19歳の輝かしき気味の未来に乾杯!
どうぞ、夢であってほしい。
夢なら覚めてほしい。
環境を考える会社
2004年10月6日いい会社、悪い会社の見分け方。発展する会社とはなんなのか。
戦場たる厳しき社会情勢に鑑み経験談を披瀝し考えてみるとこうである。
武田信玄の家訓や、のぼり竿にある風林火山をみるまでもなくひとを大事にすることである。
人は石垣人はしろ、さらに確固たる会社理念があることに尽きる。
組織は人である。そのところにごたごたがある会社には将来性はない。
その状態に近ければどうしなければならないのか。
浜崎あゆみの所属するプロヂュース会社が内紛の末方向性を出し
新規やり直しで再出発をした如くである。
大和の国は三位一体改革で大揺れ。定まるまでの揺籃期のようである。
丁度、人の誕生前の羊水に揺られて10つき10日の時期のようである。
これからも大揺れは続くであろう。
議論や大いによし。大器公論に決すべし。
若き社員が一人前の職人さんになろうとしている。
成長過程からの仕事感に更なる飛躍を目指す為の動揺があるようだ。
少し遅れてきた五月病だ。悩まぬものに進歩はない。
いい方向に結論を出せるような環境が必要である。
押し付けでない自らが結論、方向を出すことである。
傷は全体に残ろうが飛躍のための一つの過程であろう。産みの苦しみ。
延岡からのお客さん大企業の課長さんと太陽光発電の未来を語った。
前途洋々たるAPAである。
騒がしき問題を含んでいるが、着実な一歩を歩むことに徹したAPAにしなければならない。
意見の相違は議論を深めて処理する以外に解決法がないことの確認である。
時代の流れは実に速く情報量に差異が起こってないかの確認作業である。
組織の綻びがないかどうかの日頃のチエックが肝要であろう。
若きバイト生がきているが他を圧倒するような行動がとれてるかも
活力ある職場かどうかの試金石。
時代の変遷で企業理念の当面の目標は変わるものがある。
そのメール・マークの一つは時世の流れから「環境」がある
秋の彼岸を過ぎてもクーラーが廻ってる今日のこの状況の変化は何であろう。
「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉も、いずれ死語になるのであろう。
温暖化対策に関する国際交渉は京都議定書以来、死伏9年ロシアの動きを経て、ようやく動き出した。
未来の大和人が、花鳥風月を慈しんできた祖先の季節感を
理解できなくなる事にはしたくない。
そのような思想背景があるや否やは知らないが理想に向かって動きだした。
環境への負荷が少ない買い物「グリーン購入」を世界へ広げようと、10月6〜7日、仙台市で
「第1回グリーン購入世界会議」が開かれる。
地球温暖化、ごみなどのさまざまな環境問題は、元をただせば私たち
一人一人の消費行動が原因といえる。
その自覚が基本である。
グリーン購入の優れた取り組みを表彰する「グリーン購入大賞」
(グリーン購入ネットワーク主催、毎日新聞社など後援)で、
今年の経済産業大臣賞に選ばれたのは「イオン」、
中央市場に槌音高く建設の進むイオン。
県民は驚異の目で見てるがこの荒治療が宮崎の中心地を変えよう。
しかしながらそこから悲鳴も聞こえてくる。
橘通り商店街の解体は間じか、駐車場がほしいとの声を無視したがためで、自業自得の感は否めまい。
先端をいく市街地車両乗り入れ禁止は安藤県政ではとても とれる
政策でないための窮余の策たる駐車場の解決さえ出来なかったからだ。
「ジャスコ」などを全国展開するイオン(本社・千葉市)は、
環境負荷を低減した商品の開発から、店舗建設の資材選びまで幅広い。
環境と安全に配慮した自社ブランド「トップバリュ」の売り上げが、全体の9%を超えるまで伸びていると毎日新聞記事である。
どう他者と違うのかは祇園町の「トップバリュ」で買い物をすれば一目瞭然である。
流石に尊敬する「うめこうじ」もこれにはおよぶまい。
うめこうじの社長さんはエコ派に徹しておられる脱サラからの企業理念を生かした経営者。ご意見を陳べれば改善されるであろう。
イオンは02年から顧客が店舗経営に参加する「お客さま副店長」制度をも導入した。
ジャスコ副店長の小林淳子さんは
「トップバリュは環境配慮だけではなく、価格も安い。だから毎日の買い物で利用でき、自然にリサイクルの輪へ加われる」
「生産履歴が開示されているので、安心して買い物できる」と話す。
イオン環境・社会貢献部の上山静一部長は
「環境配慮はイオンのDNAに組み込まれている」
と表現する。
三重県で創業したイオンは 四日市ぜんそくなどを間近で見てきた。
65年に県外へ初めて出店した際は、開店祝賀会の代わりに、近くの公園にサクラを植樹したという。
「トップバリュ」は94年から発売。
日用品から食料品、衣料品まで、今年2月時点で2400品目になった。
農薬や化学肥料の使用を抑えた農産物、店頭で回収したペットボトルなどから作るリサイクル商品など、環境に配慮したライフスタイルを提案している。
品質に加え適正な生産工程を管理するため、契約した企業や工場にスタッフを送ったり、第三者監査を実施する。
農産物の生産履歴開示(トレーサビリティー)、レジ袋の抑制を目指す「マイバッグ運動」も、他社に先駆けて取り組んできた。
これらの環境配慮活動は、企業にとって負担ではないのか。
上山さんは自信を持って言い切る。
「初めはお客さまに受け入れられるか不安もあったが、実際の反応は予想を上回るもの。企業への評価が高まれば来店客数も増える。
環境に配慮した活動と経済性は必ず両立する」
日本に「グリーンコンシューマー(環境を考えて商品を選ぶ人)」という言葉を最初に紹介したのが「環境市民」(事務局・京都市)だ。
前身団体が91年、京都市でガイド第1号
「この店が環境にいい」を発行。
「グリーンコンシューマーガイド」は全国で100種類以上。
当時はリサイクルが急速に進む一方、大量生産・大量廃棄の経済システムが疑問視されるようになっていた。
「消費者が生産者や販売者に影響を与えよう」と考え、地域の店舗に足を運び、環境配慮商品の取り扱いなどを調べた。
「グリーン購入ネットワーク」や「グリーンコンシューマー全国ネットワーク」の活動にも参加し、その取り組みは各ネットワークのお手本になった。
「環境のために高い商品も我慢して買う」という考え方や、小売店が環境配慮商品をまとめて陳列する手法には批判的だ。
堀孝弘事務局長は「環境破壊の危機感をあおっても、環境嫌いの人を生むだけ。店の情報と消費者のニーズには、まだ溝がある。
『旬のものほど安くておいしい』など、豊かな暮らしにつながるエコ商品が自然に選ばれる情報を発信したい」と話す。
グリーンコンシューマー・10の目安
1 必要なものを必要なだけ買う
2 ながく使えるものを選ぶ
3 包装の少ないものを選ぶ
4 エネルギー消費の少ないものを選ぶ
5 自然や健康を損なわないものを選ぶ
6 作った人に公平な分配がされているものを選ぶ
7 化学物質の少ないものを選ぶ
8 再生原料から作られたものを選ぶ
9 近くで作られたもの、旬のものを選ぶ
10 環境対策に熱心な店で買う
「グリーンコンシューマー全国ネットワーク」によるこのような、
企業理念からAPAが学ぶことは大である。
作業後のゴミの処理は必ず当然の如く完全に持ち帰り、ホウキで掃く
ことが作業の終了としている。
戦場たる厳しき社会情勢に鑑み経験談を披瀝し考えてみるとこうである。
武田信玄の家訓や、のぼり竿にある風林火山をみるまでもなくひとを大事にすることである。
人は石垣人はしろ、さらに確固たる会社理念があることに尽きる。
組織は人である。そのところにごたごたがある会社には将来性はない。
その状態に近ければどうしなければならないのか。
浜崎あゆみの所属するプロヂュース会社が内紛の末方向性を出し
新規やり直しで再出発をした如くである。
大和の国は三位一体改革で大揺れ。定まるまでの揺籃期のようである。
丁度、人の誕生前の羊水に揺られて10つき10日の時期のようである。
これからも大揺れは続くであろう。
議論や大いによし。大器公論に決すべし。
若き社員が一人前の職人さんになろうとしている。
成長過程からの仕事感に更なる飛躍を目指す為の動揺があるようだ。
少し遅れてきた五月病だ。悩まぬものに進歩はない。
いい方向に結論を出せるような環境が必要である。
押し付けでない自らが結論、方向を出すことである。
傷は全体に残ろうが飛躍のための一つの過程であろう。産みの苦しみ。
延岡からのお客さん大企業の課長さんと太陽光発電の未来を語った。
前途洋々たるAPAである。
騒がしき問題を含んでいるが、着実な一歩を歩むことに徹したAPAにしなければならない。
意見の相違は議論を深めて処理する以外に解決法がないことの確認である。
時代の流れは実に速く情報量に差異が起こってないかの確認作業である。
組織の綻びがないかどうかの日頃のチエックが肝要であろう。
若きバイト生がきているが他を圧倒するような行動がとれてるかも
活力ある職場かどうかの試金石。
時代の変遷で企業理念の当面の目標は変わるものがある。
そのメール・マークの一つは時世の流れから「環境」がある
秋の彼岸を過ぎてもクーラーが廻ってる今日のこの状況の変化は何であろう。
「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉も、いずれ死語になるのであろう。
温暖化対策に関する国際交渉は京都議定書以来、死伏9年ロシアの動きを経て、ようやく動き出した。
未来の大和人が、花鳥風月を慈しんできた祖先の季節感を
理解できなくなる事にはしたくない。
そのような思想背景があるや否やは知らないが理想に向かって動きだした。
環境への負荷が少ない買い物「グリーン購入」を世界へ広げようと、10月6〜7日、仙台市で
「第1回グリーン購入世界会議」が開かれる。
地球温暖化、ごみなどのさまざまな環境問題は、元をただせば私たち
一人一人の消費行動が原因といえる。
その自覚が基本である。
グリーン購入の優れた取り組みを表彰する「グリーン購入大賞」
(グリーン購入ネットワーク主催、毎日新聞社など後援)で、
今年の経済産業大臣賞に選ばれたのは「イオン」、
中央市場に槌音高く建設の進むイオン。
県民は驚異の目で見てるがこの荒治療が宮崎の中心地を変えよう。
しかしながらそこから悲鳴も聞こえてくる。
橘通り商店街の解体は間じか、駐車場がほしいとの声を無視したがためで、自業自得の感は否めまい。
先端をいく市街地車両乗り入れ禁止は安藤県政ではとても とれる
政策でないための窮余の策たる駐車場の解決さえ出来なかったからだ。
「ジャスコ」などを全国展開するイオン(本社・千葉市)は、
環境負荷を低減した商品の開発から、店舗建設の資材選びまで幅広い。
環境と安全に配慮した自社ブランド「トップバリュ」の売り上げが、全体の9%を超えるまで伸びていると毎日新聞記事である。
どう他者と違うのかは祇園町の「トップバリュ」で買い物をすれば一目瞭然である。
流石に尊敬する「うめこうじ」もこれにはおよぶまい。
うめこうじの社長さんはエコ派に徹しておられる脱サラからの企業理念を生かした経営者。ご意見を陳べれば改善されるであろう。
イオンは02年から顧客が店舗経営に参加する「お客さま副店長」制度をも導入した。
ジャスコ副店長の小林淳子さんは
「トップバリュは環境配慮だけではなく、価格も安い。だから毎日の買い物で利用でき、自然にリサイクルの輪へ加われる」
「生産履歴が開示されているので、安心して買い物できる」と話す。
イオン環境・社会貢献部の上山静一部長は
「環境配慮はイオンのDNAに組み込まれている」
と表現する。
三重県で創業したイオンは 四日市ぜんそくなどを間近で見てきた。
65年に県外へ初めて出店した際は、開店祝賀会の代わりに、近くの公園にサクラを植樹したという。
「トップバリュ」は94年から発売。
日用品から食料品、衣料品まで、今年2月時点で2400品目になった。
農薬や化学肥料の使用を抑えた農産物、店頭で回収したペットボトルなどから作るリサイクル商品など、環境に配慮したライフスタイルを提案している。
品質に加え適正な生産工程を管理するため、契約した企業や工場にスタッフを送ったり、第三者監査を実施する。
農産物の生産履歴開示(トレーサビリティー)、レジ袋の抑制を目指す「マイバッグ運動」も、他社に先駆けて取り組んできた。
これらの環境配慮活動は、企業にとって負担ではないのか。
上山さんは自信を持って言い切る。
「初めはお客さまに受け入れられるか不安もあったが、実際の反応は予想を上回るもの。企業への評価が高まれば来店客数も増える。
環境に配慮した活動と経済性は必ず両立する」
日本に「グリーンコンシューマー(環境を考えて商品を選ぶ人)」という言葉を最初に紹介したのが「環境市民」(事務局・京都市)だ。
前身団体が91年、京都市でガイド第1号
「この店が環境にいい」を発行。
「グリーンコンシューマーガイド」は全国で100種類以上。
当時はリサイクルが急速に進む一方、大量生産・大量廃棄の経済システムが疑問視されるようになっていた。
「消費者が生産者や販売者に影響を与えよう」と考え、地域の店舗に足を運び、環境配慮商品の取り扱いなどを調べた。
「グリーン購入ネットワーク」や「グリーンコンシューマー全国ネットワーク」の活動にも参加し、その取り組みは各ネットワークのお手本になった。
「環境のために高い商品も我慢して買う」という考え方や、小売店が環境配慮商品をまとめて陳列する手法には批判的だ。
堀孝弘事務局長は「環境破壊の危機感をあおっても、環境嫌いの人を生むだけ。店の情報と消費者のニーズには、まだ溝がある。
『旬のものほど安くておいしい』など、豊かな暮らしにつながるエコ商品が自然に選ばれる情報を発信したい」と話す。
グリーンコンシューマー・10の目安
1 必要なものを必要なだけ買う
2 ながく使えるものを選ぶ
3 包装の少ないものを選ぶ
4 エネルギー消費の少ないものを選ぶ
5 自然や健康を損なわないものを選ぶ
6 作った人に公平な分配がされているものを選ぶ
7 化学物質の少ないものを選ぶ
8 再生原料から作られたものを選ぶ
9 近くで作られたもの、旬のものを選ぶ
10 環境対策に熱心な店で買う
「グリーンコンシューマー全国ネットワーク」によるこのような、
企業理念からAPAが学ぶことは大である。
作業後のゴミの処理は必ず当然の如く完全に持ち帰り、ホウキで掃く
ことが作業の終了としている。
成吉思汗
2004年10月5日早朝7時には高千穂を目指して出発した。
、途中高千穂の所長さんより携帯がいる。でがけの電話は不吉な予感。
「サンヨーのパネルのカタログがほしい。」
「比較した他のメーカーとのサンプル・デモ器もありますが・・・貸し出しており、清武です。」
「是非それもかしてほしい」
何十キロ進んでたのにバック。
こうなりゃ本店課長さんにも会いたくなる。
連絡をとり昨日頂いた現場の見積書を提出。
その後清武でデモ機器を返してもらう。
ご持参しておられた冬虫夏草を始めて服用してみる。
効果の程はどうも午後に出たのかもしれない。
新装開店の事務所を決断して連絡してあげる。
さぁ〜一歩踏み出してあげるぞ!
それから高速・西都を経て高千穂を目指せばよかったものを
知恵が働かない田舎者。
日向の神武お船出の地の美々津。
明治期には県庁が置かれた権勢の中心でもあった栄枯盛衰の地区でもある。
まったく1−2時間動かない美々津大橋のうえである。
先日の21号台風の折には延岡より宮崎に向かわれていた広永氏は逆にこの地からユーターンされたイワク地でもある。
太陽光発電に携わる神の元の仕事には不思議がつきまとう。
この地は物の怪が住み真摯な態度をとらないと祟りがあろう。
日向を島津に追われリし領主たる伊東の弔らい合戦に負けた大友。
この先祖様の霊のある地はAPAはいけない。
平岩地区での交通事故が原因であった。
それから先も2、3ヶ所ラッシュ。
腹が減っては戦は出来ぬ。
諦めが肝心。お金が浜で昼食を取ると決め居直り・開き直り。
600円昼食はそれが豪華である。
揚げたてのカツに、カニ汁、カブト煮の鯛、等々と少食の私でさえついニンマリ。
緑茶もタイミングをみてか丁度のときにでる心地よさ。
サービスの原典の極みを見る想い。
お倉が浜と違う、先哲、弘法の教えはお金が浜のこのお店に脈々と受け継がれているのであろうか。
アレッ!お金払ってない。!
「ご馳走様でした。」
2時過ぎ高千穂着。こんなに約束を破った営業マンはいまい。
ズーッと運転をお願いした大先輩には申し訳ない。
協議を終え、延岡の太陽後発電の新規のお客さんの会社にお伺いする。
アポ無でも応対いただいた。
その後に城山の下の広永さんたくで実印を頂き、帰路ににつく。
ハンドルは持ってないときほど居眠りがおこる。
180KMの行程実に申し訳ないことであった。
大遠征を一人にお願いしたわけである。
過去にも大遠征での英雄がいた。
今朝の久々にヒット記事の農業新聞たる宮日紙トップ。
ジンギ・スハーン。私共は「成吉思汗」と書いたものだ。
その扱い方やよし。
時の横綱も少しは文化の違いから来るプレッシャーを取り除けたかも知れぬ。
仁義も知らない横綱では困る
相変わらずの左手のきりは治らぬようだが、これを機に直してほしい。親方との中相撲社会の仁義を覚えて異文化を乗り越えてほしい。
疲れたので座布団がほしいところ。
仁義しらづの朝青龍。
仁義・スカーン・・・・・蒙古よりの大遠征。
そのジンギ・スカンの霊廟が発見されたとの事である。
ウランバートルより東250kmニ位置するアウラガ遺跡は(ジンギスカン)の霊廟であった。・・・
中国やペルシャの記録には宮殿たる大オルドが登場する。
その地域には霊廟に動物を焼いたことが記録されている。
遺構も同じ。次の皇帝オゴタイを含め歴代皇帝が祭られてきた。
半径12KM以内に成吉思汗の墓はある。ホント?
大和民族の母なる血を、司馬遼太郎さんはモンゴル人に求めた。
このモンゴルでは土を掘るのはタブーだと習ったそうだ。
司馬さんはその話を紹介しながら、モンゴル人が遊牧を営む草原は土壌が薄く、一度掘り返すと草が生えにくくなるのだと語っている。
遊牧民の移動式住居ゲルは土を掘らなくとも出来る。
“何もない草原”こそが財産であり、土を掘って建物を作ったり、耕すのはモンゴル人にとっては文明破壊になるわけである
(草原からのメッセージ・「司馬遼太郎全講演5」朝日文庫所収)
モンゴルの草原のどこかに潜むチンギス・ハンの墓。
世界の謎とされてきた。
日本とモンゴルの合同調査団が墓の近くにあったとされる霊廟跡を確認したとの報道である。
読売も同時に書いた。
大草原の国ゆえ目印ひとつないといわれる墓そのものの発見へ大きく前進した。
白石典之・新潟大助教授は「生きるために大切な草原に物をつくらないのが遊牧民の正しい姿で、チンギス・ハンはそれを守った」
“何もない草原”から世界史に躍り出たチンギス・ハンは、
またそこへ戻ったわけだ
彼の生んだモンゴル帝国も結局は草原へ帰った。
元の末期、支配民族のモンゴル人は「土地に執着せず、
風のように騎馬で北の草原に帰って行った。
そういうふしぎな滅亡の形を当時、北帰とよんだ」(「韃靼疾風録」中公文庫)。これも司馬語録。
島国でわずかな耕地にとりつき、富を蓄えてきた
日本人の発想とは対照的な草原の美学だ。
地元では外国人の発掘に反対する声が強いのも分かる気がする。
世界史的謎の解明には胸躍るが、ここは文明間の対話も一段と深めたい。
「成吉思汗の遺骸は山中の大きな森の一隅に葬られた。この森林は二、三年のうちに樹木が生い茂り、全くの密林と化し二、三十年を経ないうちに、成吉思汗がどこに眠っているか、その墓所を見定めることすらできなくなった」「蒼き狼」井上靖。
成吉思汗は西夏攻略の途上、病に倒れた。余命いくばくもないことを子らに告げた時、全軍が故国に帰還するまで喪を秘すよう指示したと
小説にある。あれ?信玄坊主?
その墓所の所在地は今もなお不明で世界史上最大級の謎であった。
〈蒼き狼〉はこれまでの研究によって墓所を「ブルカン嶽の山中」と描いたが、霊廟発見で平地の推定も有力になった
ユーラシアを席巻した英雄、その墓所の謎もまた広大だ。
騎馬民族たるモンゴルは大和人の祖でもある
DNAのらせんの記憶の彼方には爽やかな草原の風が吹いているハズだ。
わが息子、娘は小学生児にたった二人の幼子同士でゲルの文化を体験してる。
もちろん幼き頃には蒙古ハンの青あざがお尻にあった。
適齢期たるいまこの記事をドウ読んでるのか語るすべさえ知らない。
ご努力いただいた、外山県議のご努力にはただただ感謝である
政治語るものこのような無比の夢で育てる人格者が必要である。
外山県議は地方政治家ではもったいない。
なぜにこのような方が知事選に負けるのかがわからない。
人材を発掘せず潰すマスコミが信じがたい。
秋のじき特有の人を恋いしうる時期が到来したようである。
、途中高千穂の所長さんより携帯がいる。でがけの電話は不吉な予感。
「サンヨーのパネルのカタログがほしい。」
「比較した他のメーカーとのサンプル・デモ器もありますが・・・貸し出しており、清武です。」
「是非それもかしてほしい」
何十キロ進んでたのにバック。
こうなりゃ本店課長さんにも会いたくなる。
連絡をとり昨日頂いた現場の見積書を提出。
その後清武でデモ機器を返してもらう。
ご持参しておられた冬虫夏草を始めて服用してみる。
効果の程はどうも午後に出たのかもしれない。
新装開店の事務所を決断して連絡してあげる。
さぁ〜一歩踏み出してあげるぞ!
それから高速・西都を経て高千穂を目指せばよかったものを
知恵が働かない田舎者。
日向の神武お船出の地の美々津。
明治期には県庁が置かれた権勢の中心でもあった栄枯盛衰の地区でもある。
まったく1−2時間動かない美々津大橋のうえである。
先日の21号台風の折には延岡より宮崎に向かわれていた広永氏は逆にこの地からユーターンされたイワク地でもある。
太陽光発電に携わる神の元の仕事には不思議がつきまとう。
この地は物の怪が住み真摯な態度をとらないと祟りがあろう。
日向を島津に追われリし領主たる伊東の弔らい合戦に負けた大友。
この先祖様の霊のある地はAPAはいけない。
平岩地区での交通事故が原因であった。
それから先も2、3ヶ所ラッシュ。
腹が減っては戦は出来ぬ。
諦めが肝心。お金が浜で昼食を取ると決め居直り・開き直り。
600円昼食はそれが豪華である。
揚げたてのカツに、カニ汁、カブト煮の鯛、等々と少食の私でさえついニンマリ。
緑茶もタイミングをみてか丁度のときにでる心地よさ。
サービスの原典の極みを見る想い。
お倉が浜と違う、先哲、弘法の教えはお金が浜のこのお店に脈々と受け継がれているのであろうか。
アレッ!お金払ってない。!
「ご馳走様でした。」
2時過ぎ高千穂着。こんなに約束を破った営業マンはいまい。
ズーッと運転をお願いした大先輩には申し訳ない。
協議を終え、延岡の太陽後発電の新規のお客さんの会社にお伺いする。
アポ無でも応対いただいた。
その後に城山の下の広永さんたくで実印を頂き、帰路ににつく。
ハンドルは持ってないときほど居眠りがおこる。
180KMの行程実に申し訳ないことであった。
大遠征を一人にお願いしたわけである。
過去にも大遠征での英雄がいた。
今朝の久々にヒット記事の農業新聞たる宮日紙トップ。
ジンギ・スハーン。私共は「成吉思汗」と書いたものだ。
その扱い方やよし。
時の横綱も少しは文化の違いから来るプレッシャーを取り除けたかも知れぬ。
仁義も知らない横綱では困る
相変わらずの左手のきりは治らぬようだが、これを機に直してほしい。親方との中相撲社会の仁義を覚えて異文化を乗り越えてほしい。
疲れたので座布団がほしいところ。
仁義しらづの朝青龍。
仁義・スカーン・・・・・蒙古よりの大遠征。
そのジンギ・スカンの霊廟が発見されたとの事である。
ウランバートルより東250kmニ位置するアウラガ遺跡は(ジンギスカン)の霊廟であった。・・・
中国やペルシャの記録には宮殿たる大オルドが登場する。
その地域には霊廟に動物を焼いたことが記録されている。
遺構も同じ。次の皇帝オゴタイを含め歴代皇帝が祭られてきた。
半径12KM以内に成吉思汗の墓はある。ホント?
大和民族の母なる血を、司馬遼太郎さんはモンゴル人に求めた。
このモンゴルでは土を掘るのはタブーだと習ったそうだ。
司馬さんはその話を紹介しながら、モンゴル人が遊牧を営む草原は土壌が薄く、一度掘り返すと草が生えにくくなるのだと語っている。
遊牧民の移動式住居ゲルは土を掘らなくとも出来る。
“何もない草原”こそが財産であり、土を掘って建物を作ったり、耕すのはモンゴル人にとっては文明破壊になるわけである
(草原からのメッセージ・「司馬遼太郎全講演5」朝日文庫所収)
モンゴルの草原のどこかに潜むチンギス・ハンの墓。
世界の謎とされてきた。
日本とモンゴルの合同調査団が墓の近くにあったとされる霊廟跡を確認したとの報道である。
読売も同時に書いた。
大草原の国ゆえ目印ひとつないといわれる墓そのものの発見へ大きく前進した。
白石典之・新潟大助教授は「生きるために大切な草原に物をつくらないのが遊牧民の正しい姿で、チンギス・ハンはそれを守った」
“何もない草原”から世界史に躍り出たチンギス・ハンは、
またそこへ戻ったわけだ
彼の生んだモンゴル帝国も結局は草原へ帰った。
元の末期、支配民族のモンゴル人は「土地に執着せず、
風のように騎馬で北の草原に帰って行った。
そういうふしぎな滅亡の形を当時、北帰とよんだ」(「韃靼疾風録」中公文庫)。これも司馬語録。
島国でわずかな耕地にとりつき、富を蓄えてきた
日本人の発想とは対照的な草原の美学だ。
地元では外国人の発掘に反対する声が強いのも分かる気がする。
世界史的謎の解明には胸躍るが、ここは文明間の対話も一段と深めたい。
「成吉思汗の遺骸は山中の大きな森の一隅に葬られた。この森林は二、三年のうちに樹木が生い茂り、全くの密林と化し二、三十年を経ないうちに、成吉思汗がどこに眠っているか、その墓所を見定めることすらできなくなった」「蒼き狼」井上靖。
成吉思汗は西夏攻略の途上、病に倒れた。余命いくばくもないことを子らに告げた時、全軍が故国に帰還するまで喪を秘すよう指示したと
小説にある。あれ?信玄坊主?
その墓所の所在地は今もなお不明で世界史上最大級の謎であった。
〈蒼き狼〉はこれまでの研究によって墓所を「ブルカン嶽の山中」と描いたが、霊廟発見で平地の推定も有力になった
ユーラシアを席巻した英雄、その墓所の謎もまた広大だ。
騎馬民族たるモンゴルは大和人の祖でもある
DNAのらせんの記憶の彼方には爽やかな草原の風が吹いているハズだ。
わが息子、娘は小学生児にたった二人の幼子同士でゲルの文化を体験してる。
もちろん幼き頃には蒙古ハンの青あざがお尻にあった。
適齢期たるいまこの記事をドウ読んでるのか語るすべさえ知らない。
ご努力いただいた、外山県議のご努力にはただただ感謝である
政治語るものこのような無比の夢で育てる人格者が必要である。
外山県議は地方政治家ではもったいない。
なぜにこのような方が知事選に負けるのかがわからない。
人材を発掘せず潰すマスコミが信じがたい。
秋のじき特有の人を恋いしうる時期が到来したようである。
言論統制
2004年10月4日名古屋が熱い。ドラゴンズの中日の優勝・・・ジャアないんだな〜
その栄誉のほとんどをイチローが浴していると言って過言ではない。
愛知県出身で愛工大名電高から91年オリックスへ。
しかしながら94年210安打を放ちプロ野球記録をいきなり達成した。
では、デビューまでに期間があるのはなぜか。
号外が舞ったのに報道されない事なかれ主義の偏向マスコミ。
ココで明らかにしよう。単刀直入に言うと・・虐めにあっていたのである。コーチとの確執であった。
振り子打法に異議を唱え修整を迫られる。
二軍に落とされるが振り子打法で活躍し、一軍昇格も使われない。
コーチとは誰か。
昭和40年 読売巨人軍入団40年から48年までの巨人軍V9のメンバーとして活躍。不動の二番バッター。
昭和53年 現役引退平成3年 オリックスブルーウェーブ監督就任
わかりました。・・・そうです。土井正三。
ジャイアンツの不動の2番バッターが大失敗をしていたのです。
監督たる草魂の鈴木啓二が野茂英雄のトルネード投法の修正を迫ったが野茂は受け付けなかった。
結局海外に活躍の場を求めたが、渡米にさえ邪魔したが如くである。
しかしながら神は、ほおってはおかない。
出会いが待っていたのである。
仰木監督が94年ドラフト4位の鈴木一郎を「イチロー」の登録名で売り出した。
それが才能を開花させた。
愛工大名電高と言えば、才能を活かしつづけてる巨人軍工藤投手である。
彼は持ち前の県民性から現役最高記録を塗り替えている。
何処の人?県北は宮崎県の北浦の人。エェツ!
昨日は世界の三振奪取記録の国鉄の金田投手が串間にきた。
巨人軍工藤投手こそ宮崎の財産である。この人を何故招待しない!
クロサワ映画の志村喬が日之影槙峰から延岡中で学んだ如くを知らない人が多い。
マスコミの怪しさ危なさの典型をココに見る。
共通することは自分の可能性を信じ信念を貫くことである。
誤解を解くにはひたすら対話と出会いを求めガマンすることである。
長い時間がかかるということ。
これがキー。
うまずたゆまぬ議論を深めて解決するしかどうにも方法がないのである。
傲慢で横柄なものが人の上に立つのは何もDNAのせいばかりではあるまい。
目を世界に移してみても同じである。G7主要7カ国の財務省中央銀行総裁会議が閉幕した。
存在感を増した中国の存在が浮き彫りとなった。
中国の国内総生産GNPは1兆4千億ドルで世界7位。カナダを上回りイタリアに迫る。
貿易額は8500億ドルで3位の日本に並ぶ水準。
04年には1兆ドルとなり、日本を抜くことになろう。
原油の消費量は米国についで2位。3分の1を輸入に頼っている。
2003年GNP
米国108,816
日本 43,264
独逸 24,007
英国 17,949
仏国 17,480
伊国 14,650
中国 14,090
スペ 8,361
カナ 8,344
今やこの国を抜きには世界の問題は解決できない。
かっての封じ込めでは物事は解決しないのである。
解決に向けてひたすら対話をする以外に解決法はない。
世の中の変化に合わせた解決法しかない。
狭くなった同じ地球に住むものとしてのモラルは対話しかない。
熱い名古屋のパワーだけでは解決するわけはない。
ココは日向・宮崎である。宮崎流の解決法である
人を見抜く術が通用しない人が横行しているがそれさえも従うえないのか。
多くの出来事が月曜日は起こる。
高岡、日南の発注を済ませ、ニシタチの軍鶏の屋根寸をとった。
日本庭園にはメダカが泳ぎ群れ遊ぶ。
カワニナがいる。これではホタルが飛ばせる。
選定木のミス・マッチが気になる。
改修を一手に引き受けよう。
4,0KWを設置いただいた方の御宅にまいり、お兄さん宅のご紹介をいただける旨のご報告を頂く。
夜は勝手の親しき人に会い、会話が弾む。
どうにも厳しき環境ゆえ愚痴っぽい内容に終始。
これではいけない。夢多き未来。
遠慮ない対話で切り開いていくしかない。
鈴木康三陸軍少佐は内閣情報局情報官として思想界の言論統制に当たった。
紙の配給権を盾に出版社まで自由に操った。
言論弾圧の元凶といわれているのが定説である。
傲慢と無教養とは相関関係にあるようだ。
しかしながら戦争に向かう時世の中それぞれ制限される側は、
戦争にドウ立ち向かったかの反省がないことが問われてない。
そして言論統制の総てを鈴木康三陸軍少佐に被せているのはどうにも進歩がない。
本質を見極め解決に向けて時流を見て努力する。
会社の発展は唯一それしかない。
関係者全員の総意での解決法である。
物言わぬでは何の解決にも繋がらない。
同じものを目指して歩いてきた同志。
解決法がないはずがない。
かけがえのない命を育むため今できること。
何度となく困難を乗り越え生きてきた生命力。
自然は偉大な力を持っている。
冬虫夏草の話もあったことだ。
太陽光発電ゆえのことであったのだろう。
瑞穂の国の創立者としての日向人の知恵が試されている
その栄誉のほとんどをイチローが浴していると言って過言ではない。
愛知県出身で愛工大名電高から91年オリックスへ。
しかしながら94年210安打を放ちプロ野球記録をいきなり達成した。
では、デビューまでに期間があるのはなぜか。
号外が舞ったのに報道されない事なかれ主義の偏向マスコミ。
ココで明らかにしよう。単刀直入に言うと・・虐めにあっていたのである。コーチとの確執であった。
振り子打法に異議を唱え修整を迫られる。
二軍に落とされるが振り子打法で活躍し、一軍昇格も使われない。
コーチとは誰か。
昭和40年 読売巨人軍入団40年から48年までの巨人軍V9のメンバーとして活躍。不動の二番バッター。
昭和53年 現役引退平成3年 オリックスブルーウェーブ監督就任
わかりました。・・・そうです。土井正三。
ジャイアンツの不動の2番バッターが大失敗をしていたのです。
監督たる草魂の鈴木啓二が野茂英雄のトルネード投法の修正を迫ったが野茂は受け付けなかった。
結局海外に活躍の場を求めたが、渡米にさえ邪魔したが如くである。
しかしながら神は、ほおってはおかない。
出会いが待っていたのである。
仰木監督が94年ドラフト4位の鈴木一郎を「イチロー」の登録名で売り出した。
それが才能を開花させた。
愛工大名電高と言えば、才能を活かしつづけてる巨人軍工藤投手である。
彼は持ち前の県民性から現役最高記録を塗り替えている。
何処の人?県北は宮崎県の北浦の人。エェツ!
昨日は世界の三振奪取記録の国鉄の金田投手が串間にきた。
巨人軍工藤投手こそ宮崎の財産である。この人を何故招待しない!
クロサワ映画の志村喬が日之影槙峰から延岡中で学んだ如くを知らない人が多い。
マスコミの怪しさ危なさの典型をココに見る。
共通することは自分の可能性を信じ信念を貫くことである。
誤解を解くにはひたすら対話と出会いを求めガマンすることである。
長い時間がかかるということ。
これがキー。
うまずたゆまぬ議論を深めて解決するしかどうにも方法がないのである。
傲慢で横柄なものが人の上に立つのは何もDNAのせいばかりではあるまい。
目を世界に移してみても同じである。G7主要7カ国の財務省中央銀行総裁会議が閉幕した。
存在感を増した中国の存在が浮き彫りとなった。
中国の国内総生産GNPは1兆4千億ドルで世界7位。カナダを上回りイタリアに迫る。
貿易額は8500億ドルで3位の日本に並ぶ水準。
04年には1兆ドルとなり、日本を抜くことになろう。
原油の消費量は米国についで2位。3分の1を輸入に頼っている。
2003年GNP
米国108,816
日本 43,264
独逸 24,007
英国 17,949
仏国 17,480
伊国 14,650
中国 14,090
スペ 8,361
カナ 8,344
今やこの国を抜きには世界の問題は解決できない。
かっての封じ込めでは物事は解決しないのである。
解決に向けてひたすら対話をする以外に解決法はない。
世の中の変化に合わせた解決法しかない。
狭くなった同じ地球に住むものとしてのモラルは対話しかない。
熱い名古屋のパワーだけでは解決するわけはない。
ココは日向・宮崎である。宮崎流の解決法である
人を見抜く術が通用しない人が横行しているがそれさえも従うえないのか。
多くの出来事が月曜日は起こる。
高岡、日南の発注を済ませ、ニシタチの軍鶏の屋根寸をとった。
日本庭園にはメダカが泳ぎ群れ遊ぶ。
カワニナがいる。これではホタルが飛ばせる。
選定木のミス・マッチが気になる。
改修を一手に引き受けよう。
4,0KWを設置いただいた方の御宅にまいり、お兄さん宅のご紹介をいただける旨のご報告を頂く。
夜は勝手の親しき人に会い、会話が弾む。
どうにも厳しき環境ゆえ愚痴っぽい内容に終始。
これではいけない。夢多き未来。
遠慮ない対話で切り開いていくしかない。
鈴木康三陸軍少佐は内閣情報局情報官として思想界の言論統制に当たった。
紙の配給権を盾に出版社まで自由に操った。
言論弾圧の元凶といわれているのが定説である。
傲慢と無教養とは相関関係にあるようだ。
しかしながら戦争に向かう時世の中それぞれ制限される側は、
戦争にドウ立ち向かったかの反省がないことが問われてない。
そして言論統制の総てを鈴木康三陸軍少佐に被せているのはどうにも進歩がない。
本質を見極め解決に向けて時流を見て努力する。
会社の発展は唯一それしかない。
関係者全員の総意での解決法である。
物言わぬでは何の解決にも繋がらない。
同じものを目指して歩いてきた同志。
解決法がないはずがない。
かけがえのない命を育むため今できること。
何度となく困難を乗り越え生きてきた生命力。
自然は偉大な力を持っている。
冬虫夏草の話もあったことだ。
太陽光発電ゆえのことであったのだろう。
瑞穂の国の創立者としての日向人の知恵が試されている
ラムネ・・過ぎ行く季節
2004年10月3日季節の変わり目。ボーッとする時間は必要なのかもしれない。
思考しない、他者の目で考えない人に必要なことである。
残り僅かの時間となってきてるのでどうやって死ぬのか死期を考えなければならない。
そのためには宿題の解決である。
まずは先日の大先輩の宿題から答えてゆく事からはじめよう。
昨日の展示会は実に暑かった。秋の2日と言うのに真夏日。
懐かしきラムネを飲んだ。専務にいたってはラムネの空け方さえ忘れてるほどのノスタルジックな飲み物。
空瓶を振ると懐かしき音。
この音には、たしかに思い出が詰まっている。
命題は
「ラムネのビンにはビー玉が入ってるが、いったいどうやって入れるのだろうか。」
であった。
まっさか春日三球・照代の地下鉄漫才。
「地下鉄は何処から入れるのか」を寄席で聞かれたわけではあるまいに真面目を書いたように生きておられる大先輩はときとして面白い。
綾町のガラス工房での事を思い起こせばいい。
ガラスは薩摩切子の時代は別として、熱加工することで変形はいとも簡単な素材でもある。
そこで答えは簡単
「実は、の瓶の口は、もともとビー玉が入る大きさになっており、
ビー玉を入れてから加熱して口を細くしぼめている。」
どうもこれでは面白くもない答えである。
ラムネびんのさわやかな色合いと独創的なカタチ、そしてどこか温かみのあるあの手触り…。
明治、大正、昭和そして、平成と飲み継がれ、時代を超えて愛されてきたラムネ。その愛らしい姿と味には誰もがノスタルジーを感じる。
ラムネとは、びんの口にビー玉で栓(せん)をした炭酸飲料のこと。
業界団体のラムネについての伺いに対しては、昭和53年に公正取引委員会景品表示指導課から、の回答がある。
「ラムネに係わる表示で消費者が誤認するおそれがある等の事態が生ずることは好ましくないと考える。
なお、『ラムネ』とうい名称は、玉詰びんに詰められた炭酸飲料について使用されてきたと理解している」
ラムネは、150年近くも中小企業の工夫と努力により育まれてきたもので、にっぽんのソフトドリンクの元祖と言える。
「日本清涼飲料史」によると、わが国に初めて炭酸飲料たるラムネの元祖がやって来たのは、あのペリーが浦賀に来航したとき
(1853年・嘉永6年)に、艦上で交渉に当たった奉行たちにラムネが振る舞われた時だそうな。
このペリー来航の際には、ラムネの栓を開けたときのポン!という音を銃声と勘違いした江戸幕府の役人たちが、いっせいに刀の柄に手を掛けたという開国を象徴するようなエピソードも伝えられている。
ちなみに日本では、1865年(慶応元年)長崎の藤瀬半兵衛という人物が「レモン水」の名で売り出したと伝えられている。
しかし「レモン水」という名は広まらず、その後に“レモネード”がなまった『ラムネ』の呼び名が一般化。
ラムネの製造販売をはじめたのは、東京の千葉勝五郎という人物で、1872年(明治5年)の5月4日とも言われている。
ここから5月4日は「ラムネの日」とされているが、長崎の藤瀬半兵衛が初めて製造販売した日がはっきりしていれば、その日がラムネの日になった?。
ラムネの特徴でいちばんに思い浮かぶのは、やはりビー玉。
西都ではラムネん玉。
ラムネん玉のとりこ遊びで自分のものとして増やしていった。
かりこは練習ゆえ自分のものにならない。
このビンの中のラムネん玉がほしかったものだ。
このビー玉入りのびんが日本に登場したのは1888年(明治21年)頃のことで、それまではコルクで栓をしたものであったとの事。
では、どういう仕組みでビー玉が栓の役目をするかというと、製造段階でビー玉が落ちた状態で原液と炭酸を入れ、
それから急激にびんを下向きにすると、びんの中のガス圧でビー玉が口に圧着。
すると口にあるゴムがパッキンとなり、押し上げられたビー玉が口に密着するようになっているのである。
もちろん、ラムネ製造の機械で製造している。
ビー玉も、びんの形も、そしてなんともかわいらしいあの軽やかな音色も、実用が生んだデザインなのである。
本来ラムネは、びんを回収すれば100%近くリサイクル可能な、いまの時代にとっても優秀な飲み物。ラムネびんはリサイクル時代の優等生
最近はペットボトルタイプのもあるそうだがゲス・ゲサク。
●ラムネビンはイギリス生まれであり、ビーダマで栓をする方法は150年前にイギリスで発案。
●日本には幕末長崎に持ち込まれ、製造が始まった。明治20年代からビーダマ栓ラムネは流行。
子の昼寝ラムネ持つ手がほどけゆく 進藤 勝彦
【選 評】
「子の昼寝」で、暑い、蒸し暑い夏の昼下がり。
風が通り抜ける居間で子供が寝ている姿が遠景で捉えられる。
「ラムネ持つ手が」で途端に子供に接近して、ラムネ瓶を持つ手がクローズアップされる。
この展開の良さ。そして、子供の手に視点は静止する。
「ほどけゆく」で静止し、ラムネ瓶を握っていた指が徐々にほどける様を注視。
作者は、子供の眠りが深くなるのを「手がほどけゆく」で表現した。
「寝たよ、寝たよ!」と囁いている大人の声が聞こえませんか。
選者 菊地都さんの選評である。
ラムネビン覗けば逢いたい人多し 太田 勝彦
ラムネ玉鳴らす僕らはフォルテッシモ 箱崎 美月
ラムネ飲む祖父は天下を取る話 竹重 満夫
ラムネのみもいちど海へかけ出す子 中尾 菊子
縁日の裸電球ラムネのむ 箕輪 まこと
満点の星を借り切りラムネ飲む 今井 忠雄
広げたる風の絵地図にラムネ置く 朝利 晃士
ラムネ玉くるりと回り沖青し 矢崎 昌
ラムネ持つ指先ばかり見てをりぬ 惟村 香代
失恋をして掃除してラムネ乾す 山口 淳也 (高校生)
コンクリにこぼるるラムネ風冷す 佐渡 里恵子(高校生)
ラムネ抜くただいま第二反抗期 正岡 伸之 (中学生)
ラムネだま その向こうには わたし せきやん
さて、炭酸飲料といえば、何を思い浮かべるか。
コーラ・・・ファンタ・・・スプライト・・・ジンジャーエール・・・
1965年2月発売のなんたって オロナミンC デスヨ。
120CCダイヤモンド・カットのビンは太陽光をさえぎる黄色
変わらぬパッケージがいい。
昭和38年頃、高度成長と共に健康管理意識が高まる中、
栄養アンプルブームが巻き起こる。
広範な人々に親しみやすく爽やかな性格のドリンクが従来のものにはみられなかったことから、オロナミンCは、
「誰でも飲めるおいしい炭酸栄養飲料の開発」をコンセプトに誕生。
大塚製薬の看板商品であったオロナイン軟膏とビタミンCを豊富に含んでいることを踏まえて、ネーミング。
オロナミンCドリンクの黄色はビタミンB2本来の色で着色料は一切使ってないらしい。
「“全ての行為は、不快感から生まれる”。これが商売の基本なんです」談志師匠にしての名言。
狂牛病にテロ、東海大地震に惑星衝突と、不快を煽れば新聞は売れる。昔は中国を攻撃した新聞が、今は中国の肩を持って靖国参拝を叩くが、それは主義主張でもなんでもなく、政府に対する国民の不快感を利用して新聞を売るため、と喝破。
「国民は国民で、国の悪口を言ってないと、自分の生活のウソに耐えられないんでしょ? どっちもウソつき!」。
太陽光発電にウソは馴染まない。
思考しない、他者の目で考えない人に必要なことである。
残り僅かの時間となってきてるのでどうやって死ぬのか死期を考えなければならない。
そのためには宿題の解決である。
まずは先日の大先輩の宿題から答えてゆく事からはじめよう。
昨日の展示会は実に暑かった。秋の2日と言うのに真夏日。
懐かしきラムネを飲んだ。専務にいたってはラムネの空け方さえ忘れてるほどのノスタルジックな飲み物。
空瓶を振ると懐かしき音。
この音には、たしかに思い出が詰まっている。
命題は
「ラムネのビンにはビー玉が入ってるが、いったいどうやって入れるのだろうか。」
であった。
まっさか春日三球・照代の地下鉄漫才。
「地下鉄は何処から入れるのか」を寄席で聞かれたわけではあるまいに真面目を書いたように生きておられる大先輩はときとして面白い。
綾町のガラス工房での事を思い起こせばいい。
ガラスは薩摩切子の時代は別として、熱加工することで変形はいとも簡単な素材でもある。
そこで答えは簡単
「実は、の瓶の口は、もともとビー玉が入る大きさになっており、
ビー玉を入れてから加熱して口を細くしぼめている。」
どうもこれでは面白くもない答えである。
ラムネびんのさわやかな色合いと独創的なカタチ、そしてどこか温かみのあるあの手触り…。
明治、大正、昭和そして、平成と飲み継がれ、時代を超えて愛されてきたラムネ。その愛らしい姿と味には誰もがノスタルジーを感じる。
ラムネとは、びんの口にビー玉で栓(せん)をした炭酸飲料のこと。
業界団体のラムネについての伺いに対しては、昭和53年に公正取引委員会景品表示指導課から、の回答がある。
「ラムネに係わる表示で消費者が誤認するおそれがある等の事態が生ずることは好ましくないと考える。
なお、『ラムネ』とうい名称は、玉詰びんに詰められた炭酸飲料について使用されてきたと理解している」
ラムネは、150年近くも中小企業の工夫と努力により育まれてきたもので、にっぽんのソフトドリンクの元祖と言える。
「日本清涼飲料史」によると、わが国に初めて炭酸飲料たるラムネの元祖がやって来たのは、あのペリーが浦賀に来航したとき
(1853年・嘉永6年)に、艦上で交渉に当たった奉行たちにラムネが振る舞われた時だそうな。
このペリー来航の際には、ラムネの栓を開けたときのポン!という音を銃声と勘違いした江戸幕府の役人たちが、いっせいに刀の柄に手を掛けたという開国を象徴するようなエピソードも伝えられている。
ちなみに日本では、1865年(慶応元年)長崎の藤瀬半兵衛という人物が「レモン水」の名で売り出したと伝えられている。
しかし「レモン水」という名は広まらず、その後に“レモネード”がなまった『ラムネ』の呼び名が一般化。
ラムネの製造販売をはじめたのは、東京の千葉勝五郎という人物で、1872年(明治5年)の5月4日とも言われている。
ここから5月4日は「ラムネの日」とされているが、長崎の藤瀬半兵衛が初めて製造販売した日がはっきりしていれば、その日がラムネの日になった?。
ラムネの特徴でいちばんに思い浮かぶのは、やはりビー玉。
西都ではラムネん玉。
ラムネん玉のとりこ遊びで自分のものとして増やしていった。
かりこは練習ゆえ自分のものにならない。
このビンの中のラムネん玉がほしかったものだ。
このビー玉入りのびんが日本に登場したのは1888年(明治21年)頃のことで、それまではコルクで栓をしたものであったとの事。
では、どういう仕組みでビー玉が栓の役目をするかというと、製造段階でビー玉が落ちた状態で原液と炭酸を入れ、
それから急激にびんを下向きにすると、びんの中のガス圧でビー玉が口に圧着。
すると口にあるゴムがパッキンとなり、押し上げられたビー玉が口に密着するようになっているのである。
もちろん、ラムネ製造の機械で製造している。
ビー玉も、びんの形も、そしてなんともかわいらしいあの軽やかな音色も、実用が生んだデザインなのである。
本来ラムネは、びんを回収すれば100%近くリサイクル可能な、いまの時代にとっても優秀な飲み物。ラムネびんはリサイクル時代の優等生
最近はペットボトルタイプのもあるそうだがゲス・ゲサク。
●ラムネビンはイギリス生まれであり、ビーダマで栓をする方法は150年前にイギリスで発案。
●日本には幕末長崎に持ち込まれ、製造が始まった。明治20年代からビーダマ栓ラムネは流行。
子の昼寝ラムネ持つ手がほどけゆく 進藤 勝彦
【選 評】
「子の昼寝」で、暑い、蒸し暑い夏の昼下がり。
風が通り抜ける居間で子供が寝ている姿が遠景で捉えられる。
「ラムネ持つ手が」で途端に子供に接近して、ラムネ瓶を持つ手がクローズアップされる。
この展開の良さ。そして、子供の手に視点は静止する。
「ほどけゆく」で静止し、ラムネ瓶を握っていた指が徐々にほどける様を注視。
作者は、子供の眠りが深くなるのを「手がほどけゆく」で表現した。
「寝たよ、寝たよ!」と囁いている大人の声が聞こえませんか。
選者 菊地都さんの選評である。
ラムネビン覗けば逢いたい人多し 太田 勝彦
ラムネ玉鳴らす僕らはフォルテッシモ 箱崎 美月
ラムネ飲む祖父は天下を取る話 竹重 満夫
ラムネのみもいちど海へかけ出す子 中尾 菊子
縁日の裸電球ラムネのむ 箕輪 まこと
満点の星を借り切りラムネ飲む 今井 忠雄
広げたる風の絵地図にラムネ置く 朝利 晃士
ラムネ玉くるりと回り沖青し 矢崎 昌
ラムネ持つ指先ばかり見てをりぬ 惟村 香代
失恋をして掃除してラムネ乾す 山口 淳也 (高校生)
コンクリにこぼるるラムネ風冷す 佐渡 里恵子(高校生)
ラムネ抜くただいま第二反抗期 正岡 伸之 (中学生)
ラムネだま その向こうには わたし せきやん
さて、炭酸飲料といえば、何を思い浮かべるか。
コーラ・・・ファンタ・・・スプライト・・・ジンジャーエール・・・
1965年2月発売のなんたって オロナミンC デスヨ。
120CCダイヤモンド・カットのビンは太陽光をさえぎる黄色
変わらぬパッケージがいい。
昭和38年頃、高度成長と共に健康管理意識が高まる中、
栄養アンプルブームが巻き起こる。
広範な人々に親しみやすく爽やかな性格のドリンクが従来のものにはみられなかったことから、オロナミンCは、
「誰でも飲めるおいしい炭酸栄養飲料の開発」をコンセプトに誕生。
大塚製薬の看板商品であったオロナイン軟膏とビタミンCを豊富に含んでいることを踏まえて、ネーミング。
オロナミンCドリンクの黄色はビタミンB2本来の色で着色料は一切使ってないらしい。
「“全ての行為は、不快感から生まれる”。これが商売の基本なんです」談志師匠にしての名言。
狂牛病にテロ、東海大地震に惑星衝突と、不快を煽れば新聞は売れる。昔は中国を攻撃した新聞が、今は中国の肩を持って靖国参拝を叩くが、それは主義主張でもなんでもなく、政府に対する国民の不快感を利用して新聞を売るため、と喝破。
「国民は国民で、国の悪口を言ってないと、自分の生活のウソに耐えられないんでしょ? どっちもウソつき!」。
太陽光発電にウソは馴染まない。
補助金政策
2004年10月2日小泉三位一体改革の綻びがこれまで続いてきた自民党的手法たる補助金漬けの政治手法に出てきている。
お湯を作るのは、電気温水器であったが、CO2を圧縮して熱源に変えるエコキュートなる商品がこの2〜3年前に売り出されこの世界のヒット商品となっている。
省エネ、CO2対策の施策に合った商品でもあり、よく売れている。
電気温水器は160000円〜350000円でエコキュートは500000円〜720000円と随分と違う。
ココでお国の推奨品にマジックが生じる。
補助金が昨年で180000円で今年が130000円である。
つまり、実際のお客さんの手出しは370000円〜590000円でいい。
ところで家電商品ほど定価販売が出来ない業種はない。
常に大幅値引きで赤字業界である。ヤマダ電機・ベスト電気・100万ボルトとかの大量量販店が跋扈してる業界である。
よって値引きは常識である。
電気温水器は80000円〜180000円で
エコキュートは250000円〜360000円が最低価格の通常値である。
国の補助金がでるのでエコキュートは120000円〜180000円である。
月の維持費は電気温水器は3500円でエコキュートは1000円。
故に2年で経済性は逆転する。
その補助金の募集が昨日開始されたが今日の2日のホーム・ページを見ると僅か一日で100パーセントである。
第1期 平成16年5月26日(水)〜 平成17年2月28日(月)
(注2) 平成16年5月31日をもって募集終了
第2期 平成16年10月1日(金)〜 平成17年2月28日(月)
(注2)平成16年10月1日をもって募集終了
http://www.hptcj.or.jp/ecocute/apply/gaiyo_annnai1.html
このような国の補助金制度があるのであろうか。
国会での議論が沸き起こることを望むことしかないのか。
明光社のフェアーの太陽光発電のコーナーを受け持った一日。
1300名の来訪者でわいた。オール電化の成約者が50名にも登った。
太陽光発電の成約者は実績「0」である。
「何をやってた!」
「ガンバッタ・・」んだって。パチンコ台を太陽光発電で回すAPAのコーナーは盛況であったもの。
開会の挨拶になかったAPAへの謝礼の挨拶が、閉会時に、社長さん自ら発せられたのが何よりの証明である。
APAの社長がようやく実務を始めた。
これまで専務が勤めてきたポストが埋まった。
中国の故事に「伏すこと久しき者は飛ぶこと必ず高し」がある。
長い間うずくまって力を蓄えた鳥は、いったん飛び立てば必ず高く舞い上がるという教えだ。
功を焦らない方が良いとの意味がこめられていると私は見る。
私共が全力をあげてる間にアポを1件とっている。
凄い!僅かに二日目である。どれほど凄いか。
シスラーの名を高めた「後一本のイチロー」が3安打となったことに
匹敵する快挙である。
さあ〜利益率の高い営業戦略の変更が急がれるぞ〜
どうも、職人さんの仕事を欠かさぬやり方はダメである。
私の役目も終わったのかもしれない。
老兵は静かに去るのみ。自覚せねばならぬ。
APAの経営策の改善は私のこれまでの仕上げであるのだが
路線は出来つつある。
APAの究極の改善策はないのが気がかりではあるが居場所はないのかもしれない。
ココで昨日のビッグ・ニュースを想起してほしい。
京都議定書は05年にも発効へ「ロシアが批准へ閣議決定 」である。
いよいよ地球温暖化防止に向けて各国の温室効果ガスの削減目標の京都議定書が実行される。
議定書発効には、55カ国以上が批准し、批准先進国の90年時点の排出量が先進国全体の55%以上になる必要がある。
日本や欧州連合(EU)、カナダなど125の国・地域がすでに批准したが、排出量合計はまだ44%。最大排出国の米国が01年に離脱したため、発効には17%のロシアの批准が不可欠となっていた。
ロシアが批准すれば90日後に発効する。
ロシアはすでに議定書に署名しているが、産業界の反対もあり、批准をめぐる政府の対応が決まっていなかった。
批准と世界貿易機関(WTO)への早期加盟とを取引する動きも見せたが、EUなどの強い働きかけに加え、引き延ばし続ければ国際世論の
反発が強まると懸念したプーチン大統領が、政治決着を図ったと見られる。
議定書の発効で、批准各国は、08〜12年の温室効果ガス削減目標の忠実な履行が求められる。
未達成なら、13年以降の第2期間に超過分の1.3倍を削減することのほか、国際的な排出量取引が制限されるなどの罰則が科せられる。
米国、中国、ロシアに次ぎ世界第4位の排出国の日本は、02年度の排出量が13億3100万トンと90年比で7.6%も上回り、
6%削減の目標達成が危ぶまれる状況だ。
02年に策定した地球温暖化対策推進大綱による削減策では、目標達成はほぼ不可能で、政府は見直しに入っている。
環境省は8月、化石燃料へ課税する環境税の導入を要望した。
日本経団連など経済界は
「国際競争力が失われ、産業の空洞化が進む」などとして反対、05年度に導入予定の自主参加型の排出量取引制度にも批判的だ。
議定書発効の見通しが立たなかったため、国内対策の見直し作業は停滞気味だった。
環境省は、ロシア政府の決定を「大きな前進」と受けとめ、今後の議論に弾みがつくと期待している。
EUでは05年1月から排出量取引市場が発足し、温暖化ビジネスをめぐる世界的な動きもいっそう加速しそうだ。
一方、米国は「経済成長と雇用に悪影響を及ぼす」などとして議定書への反対姿勢を変えていない。
政府税制調査会の石弘光会長は1日、環境税について、
「環境対策はほかにも手段がある。温暖化防止の大きな枠組みを作ってから、議論を進めるべきだ」と述べ、来年度の環境税導入に難色を示した。
ロシア政府が9月30日の閣議で京都議定書を批准する方針を決め、
05年前半にも発効する見通しで、日本も温室効果ガスの削減目標達成に向けた取り組みが急務になっている。
環境省は来年度税制改正で、環境税の導入を要望している。
石会長は京都議定書の発効にめどが立ったことについて
「歓迎する。日本にも国際的な責任が発生し、削減目標の達成を考えないといけない」とも語っている。
「排出権取引などの手段もあり、環境税をどう位置づけるか、本格的な議論の前に準備的な議論が必要だ」と指摘。
環境省の税制改正要望では、課税方法や税収規模、使途など肝心な点にまったく触れていない。
「議論の材料がなく、来年度導入は非常に厳しい」と財務省幹部。
〈京都議定書〉 97年に京都で開かれた気候変動枠組み条約第3回締約国会議(温暖化防止京都会議)で採択され、先進国に
、二酸化炭素(CO2)、メタンガス、代替フロン類など6種の温室効果ガスの削減を義務づけた。
各国の90年時点の排出量を基準に、08〜12年の年平均排出量を日本は6%、米国は7%、欧州連合(EU)は8%削減することなどを約束。先進国全体では5.2%削減する。 [編集する]
お湯を作るのは、電気温水器であったが、CO2を圧縮して熱源に変えるエコキュートなる商品がこの2〜3年前に売り出されこの世界のヒット商品となっている。
省エネ、CO2対策の施策に合った商品でもあり、よく売れている。
電気温水器は160000円〜350000円でエコキュートは500000円〜720000円と随分と違う。
ココでお国の推奨品にマジックが生じる。
補助金が昨年で180000円で今年が130000円である。
つまり、実際のお客さんの手出しは370000円〜590000円でいい。
ところで家電商品ほど定価販売が出来ない業種はない。
常に大幅値引きで赤字業界である。ヤマダ電機・ベスト電気・100万ボルトとかの大量量販店が跋扈してる業界である。
よって値引きは常識である。
電気温水器は80000円〜180000円で
エコキュートは250000円〜360000円が最低価格の通常値である。
国の補助金がでるのでエコキュートは120000円〜180000円である。
月の維持費は電気温水器は3500円でエコキュートは1000円。
故に2年で経済性は逆転する。
その補助金の募集が昨日開始されたが今日の2日のホーム・ページを見ると僅か一日で100パーセントである。
第1期 平成16年5月26日(水)〜 平成17年2月28日(月)
(注2) 平成16年5月31日をもって募集終了
第2期 平成16年10月1日(金)〜 平成17年2月28日(月)
(注2)平成16年10月1日をもって募集終了
http://www.hptcj.or.jp/ecocute/apply/gaiyo_annnai1.html
このような国の補助金制度があるのであろうか。
国会での議論が沸き起こることを望むことしかないのか。
明光社のフェアーの太陽光発電のコーナーを受け持った一日。
1300名の来訪者でわいた。オール電化の成約者が50名にも登った。
太陽光発電の成約者は実績「0」である。
「何をやってた!」
「ガンバッタ・・」んだって。パチンコ台を太陽光発電で回すAPAのコーナーは盛況であったもの。
開会の挨拶になかったAPAへの謝礼の挨拶が、閉会時に、社長さん自ら発せられたのが何よりの証明である。
APAの社長がようやく実務を始めた。
これまで専務が勤めてきたポストが埋まった。
中国の故事に「伏すこと久しき者は飛ぶこと必ず高し」がある。
長い間うずくまって力を蓄えた鳥は、いったん飛び立てば必ず高く舞い上がるという教えだ。
功を焦らない方が良いとの意味がこめられていると私は見る。
私共が全力をあげてる間にアポを1件とっている。
凄い!僅かに二日目である。どれほど凄いか。
シスラーの名を高めた「後一本のイチロー」が3安打となったことに
匹敵する快挙である。
さあ〜利益率の高い営業戦略の変更が急がれるぞ〜
どうも、職人さんの仕事を欠かさぬやり方はダメである。
私の役目も終わったのかもしれない。
老兵は静かに去るのみ。自覚せねばならぬ。
APAの経営策の改善は私のこれまでの仕上げであるのだが
路線は出来つつある。
APAの究極の改善策はないのが気がかりではあるが居場所はないのかもしれない。
ココで昨日のビッグ・ニュースを想起してほしい。
京都議定書は05年にも発効へ「ロシアが批准へ閣議決定 」である。
いよいよ地球温暖化防止に向けて各国の温室効果ガスの削減目標の京都議定書が実行される。
議定書発効には、55カ国以上が批准し、批准先進国の90年時点の排出量が先進国全体の55%以上になる必要がある。
日本や欧州連合(EU)、カナダなど125の国・地域がすでに批准したが、排出量合計はまだ44%。最大排出国の米国が01年に離脱したため、発効には17%のロシアの批准が不可欠となっていた。
ロシアが批准すれば90日後に発効する。
ロシアはすでに議定書に署名しているが、産業界の反対もあり、批准をめぐる政府の対応が決まっていなかった。
批准と世界貿易機関(WTO)への早期加盟とを取引する動きも見せたが、EUなどの強い働きかけに加え、引き延ばし続ければ国際世論の
反発が強まると懸念したプーチン大統領が、政治決着を図ったと見られる。
議定書の発効で、批准各国は、08〜12年の温室効果ガス削減目標の忠実な履行が求められる。
未達成なら、13年以降の第2期間に超過分の1.3倍を削減することのほか、国際的な排出量取引が制限されるなどの罰則が科せられる。
米国、中国、ロシアに次ぎ世界第4位の排出国の日本は、02年度の排出量が13億3100万トンと90年比で7.6%も上回り、
6%削減の目標達成が危ぶまれる状況だ。
02年に策定した地球温暖化対策推進大綱による削減策では、目標達成はほぼ不可能で、政府は見直しに入っている。
環境省は8月、化石燃料へ課税する環境税の導入を要望した。
日本経団連など経済界は
「国際競争力が失われ、産業の空洞化が進む」などとして反対、05年度に導入予定の自主参加型の排出量取引制度にも批判的だ。
議定書発効の見通しが立たなかったため、国内対策の見直し作業は停滞気味だった。
環境省は、ロシア政府の決定を「大きな前進」と受けとめ、今後の議論に弾みがつくと期待している。
EUでは05年1月から排出量取引市場が発足し、温暖化ビジネスをめぐる世界的な動きもいっそう加速しそうだ。
一方、米国は「経済成長と雇用に悪影響を及ぼす」などとして議定書への反対姿勢を変えていない。
政府税制調査会の石弘光会長は1日、環境税について、
「環境対策はほかにも手段がある。温暖化防止の大きな枠組みを作ってから、議論を進めるべきだ」と述べ、来年度の環境税導入に難色を示した。
ロシア政府が9月30日の閣議で京都議定書を批准する方針を決め、
05年前半にも発効する見通しで、日本も温室効果ガスの削減目標達成に向けた取り組みが急務になっている。
環境省は来年度税制改正で、環境税の導入を要望している。
石会長は京都議定書の発効にめどが立ったことについて
「歓迎する。日本にも国際的な責任が発生し、削減目標の達成を考えないといけない」とも語っている。
「排出権取引などの手段もあり、環境税をどう位置づけるか、本格的な議論の前に準備的な議論が必要だ」と指摘。
環境省の税制改正要望では、課税方法や税収規模、使途など肝心な点にまったく触れていない。
「議論の材料がなく、来年度導入は非常に厳しい」と財務省幹部。
〈京都議定書〉 97年に京都で開かれた気候変動枠組み条約第3回締約国会議(温暖化防止京都会議)で採択され、先進国に
、二酸化炭素(CO2)、メタンガス、代替フロン類など6種の温室効果ガスの削減を義務づけた。
各国の90年時点の排出量を基準に、08〜12年の年平均排出量を日本は6%、米国は7%、欧州連合(EU)は8%削減することなどを約束。先進国全体では5.2%削減する。 [編集する]
天高く・・
2004年10月1日大和の国には二つの言葉が存在する。
国際化にあわせた姿と民族固有の共通語・共通認識である。
残り三ヶ月。今日から10月で「神無月」と呼ぶ陰暦十月の呼び名がある。
この月は全国の神々が出雲大社に集まり,神国たる国の地域の神々がいなくなる。
暑くもなく寒くもなく、「読書の秋」「スポーツの秋」と四季の中でも一番いい季節である。
読書の季節を表せれば、灯火親しむ・・「灯火ようやく親しむべし」、唐の詩人韓愈(かんゆ)の詩句は日常語である。
韓愈は同じ詩に、「時、秋にして積雨(長雨)はれ」と詠う。
台風の大活躍する今年は、十月の声を聞いても積雨の上がったすがすがしい気分にはほど遠い。
変わりやすい空模様を我ら俗人の言う「女心と秋の空」である。とかく女は怖い。
太陽光発電は神々の在する自然が相手。感謝を捧げる日々である。
そこに飛び込んできたビッグ・ニュース。
2004/10/1 読売新聞による報道である。
[CO2削減]を「ロシアの批准」である。
「京都議定書」の採択から七年。紆余曲折を経て大きな前進である。
いよいよ、先進各国に、二酸化炭素など温室効果ガスの削減を義務付けた議定書が、発効する。
これでイラクで国際的寵児となった米国がさらにこの国抜きで発効する見通しになった。
北朝鮮に挑みかからんとしてる米国だが、両国はともに「CO2削減]では同じ穴のムジナ、国際的異端児である。
議定書は、日本など百二十四か国と欧州連合(EU)が批准している。
発効するには、批准した先進各国の二酸化炭素の排出量(一九九〇年)の合計が、先進国全体の排出量の55%以上になることが必要だ。
ロシア議会が批准すれば、この条件を満たすのだ。
議定書が発効すれば、日本が世界に公約した二酸化炭素などの削減が現実の課題となる。
政府は早急に、実効ある削減対策を打ち出し、国内対策の道筋をつけなければならない。
議定書の発効により日本は、2008〜2012年の温室効果ガスの平均排出量を、1990年の基準年比で、6%削減する義務を負う。
ところが、九〇年以降も温室効果ガスの排出は増え続け、二〇〇二年度には基準年比で7・6%上回った。
6%と合わせ13・6%もの削減を迫られている。
省エネ先進国である日本は、これ以上の省エネには限界がある。
6%の削減でも厳しい。
13・6%の削減となると、省エネ策や革新的な環境技術の導入などが中心の現在の対策では、目標達成は極めて困難だ。
日本が取り組むべき対応策として参考にしたいのは、先進国が進めている「排出量取引制度」だ。
EUは来年一月からスタートさせ、カナダ、ノルウェーなども導入予定だ。
この制度は、企業が温室効果ガスの排出量を新設の市場で売買するものだ。
基準量を上回って削減した企業は、削減分を目標の達成に届かない企業に売却できる。
市場機能を活用し、低コストで排出削減が可能になる。
環境省は来年度から企業の自主参加でこの排出量取引を試行的に行う。
宮崎県でも本県独自の議案が審議され始めた。
この結果を踏まえ、日本版の効果的な排出量取引制度の整備を目指す。現実に効果が期待できる手法だ。
この制度を通じて各国との排出量取引も可能になり、国際連携で排出を削減する道につながる。
温室効果ガスの排出の八割は企業が関連している。
各企業の正確な排出量の把握が削減対策の前提になる。
企業が排出量を公表する制度作りも欠かせない。
化石燃料に課税し、使途を温暖化対策にあてる「温暖化対策税」
「環境税」の本格的な検討もが急がれる。
太陽光発電は省エネから創エネと挑戦的な有力な施策となろう。
これに加えてエコキュートを含めここんとこ日記のアクセスが多くなっている。
エコキュートの補助金は今日より受付が始まるが40億円もの予算が僅か一日で終了すると予測されるほどの活況ぶり。
途中中断。。この時間なのに何だ!。
国際化にあわせた姿と民族固有の共通語・共通認識である。
残り三ヶ月。今日から10月で「神無月」と呼ぶ陰暦十月の呼び名がある。
この月は全国の神々が出雲大社に集まり,神国たる国の地域の神々がいなくなる。
暑くもなく寒くもなく、「読書の秋」「スポーツの秋」と四季の中でも一番いい季節である。
読書の季節を表せれば、灯火親しむ・・「灯火ようやく親しむべし」、唐の詩人韓愈(かんゆ)の詩句は日常語である。
韓愈は同じ詩に、「時、秋にして積雨(長雨)はれ」と詠う。
台風の大活躍する今年は、十月の声を聞いても積雨の上がったすがすがしい気分にはほど遠い。
変わりやすい空模様を我ら俗人の言う「女心と秋の空」である。とかく女は怖い。
太陽光発電は神々の在する自然が相手。感謝を捧げる日々である。
そこに飛び込んできたビッグ・ニュース。
2004/10/1 読売新聞による報道である。
[CO2削減]を「ロシアの批准」である。
「京都議定書」の採択から七年。紆余曲折を経て大きな前進である。
いよいよ、先進各国に、二酸化炭素など温室効果ガスの削減を義務付けた議定書が、発効する。
これでイラクで国際的寵児となった米国がさらにこの国抜きで発効する見通しになった。
北朝鮮に挑みかからんとしてる米国だが、両国はともに「CO2削減]では同じ穴のムジナ、国際的異端児である。
議定書は、日本など百二十四か国と欧州連合(EU)が批准している。
発効するには、批准した先進各国の二酸化炭素の排出量(一九九〇年)の合計が、先進国全体の排出量の55%以上になることが必要だ。
ロシア議会が批准すれば、この条件を満たすのだ。
議定書が発効すれば、日本が世界に公約した二酸化炭素などの削減が現実の課題となる。
政府は早急に、実効ある削減対策を打ち出し、国内対策の道筋をつけなければならない。
議定書の発効により日本は、2008〜2012年の温室効果ガスの平均排出量を、1990年の基準年比で、6%削減する義務を負う。
ところが、九〇年以降も温室効果ガスの排出は増え続け、二〇〇二年度には基準年比で7・6%上回った。
6%と合わせ13・6%もの削減を迫られている。
省エネ先進国である日本は、これ以上の省エネには限界がある。
6%の削減でも厳しい。
13・6%の削減となると、省エネ策や革新的な環境技術の導入などが中心の現在の対策では、目標達成は極めて困難だ。
日本が取り組むべき対応策として参考にしたいのは、先進国が進めている「排出量取引制度」だ。
EUは来年一月からスタートさせ、カナダ、ノルウェーなども導入予定だ。
この制度は、企業が温室効果ガスの排出量を新設の市場で売買するものだ。
基準量を上回って削減した企業は、削減分を目標の達成に届かない企業に売却できる。
市場機能を活用し、低コストで排出削減が可能になる。
環境省は来年度から企業の自主参加でこの排出量取引を試行的に行う。
宮崎県でも本県独自の議案が審議され始めた。
この結果を踏まえ、日本版の効果的な排出量取引制度の整備を目指す。現実に効果が期待できる手法だ。
この制度を通じて各国との排出量取引も可能になり、国際連携で排出を削減する道につながる。
温室効果ガスの排出の八割は企業が関連している。
各企業の正確な排出量の把握が削減対策の前提になる。
企業が排出量を公表する制度作りも欠かせない。
化石燃料に課税し、使途を温暖化対策にあてる「温暖化対策税」
「環境税」の本格的な検討もが急がれる。
太陽光発電は省エネから創エネと挑戦的な有力な施策となろう。
これに加えてエコキュートを含めここんとこ日記のアクセスが多くなっている。
エコキュートの補助金は今日より受付が始まるが40億円もの予算が僅か一日で終了すると予測されるほどの活況ぶり。
途中中断。。この時間なのに何だ!。
秋真っ盛り。
2004年9月30日「ホント雲ひとつない。何処を探しても雲ひとつない」
「日本晴れ」とはこの状態をいうのであろう。
「日本晴れ」は運動会の時、聞いた来賓や校長先生の言葉である。
大先輩は私の速射砲に対して常に冷徹に言葉を選んで喋られる。
会話の達人で一言が実に重い。
その方が何かはしゃいでおられる。
冒頭の言葉を何度も繰り返されるのである。
合図知を打つのに下手な私ゆえ、黙していると空を見て探される。
運転をしながらでもあり、危険このうえもない。
「今日は秋晴れで実に空が高い…」「秋はやっぱり日本晴れ」である。「天高く馬肥ゆる秋」は、秋のいい時節を言う表現。
空が澄(み渡り広々と高く、馬は肥えてたくましくなるという農耕民族たる共通の認識。
例年なら肌寒い季節であるが この暑さおそらく真夏日であったろう。
台風一過の高気圧が日本列島をすっぽり覆い高層の雲さえない
「日本晴れ」
何処までも澄んで高く見える秋の空。
秋の名句を鑑賞するにはチト早い。
古今和歌集の名句。
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
藤原敏行
昨日の方。はこういっておられる。
金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日のをかに
与謝野晶子
秋晴れ」とはどんな空?気象庁の方々考え方である。
「日本晴れ」は 「気象用語ではないので、私たちは使いません」。
「日本晴れ」は、あくまで一般の人が使う言葉。
気象庁の基準の「晴れた空」。
「快晴」見える範囲の空を十とすると、雲の量が全体の一割以下。
「晴れ」見える範囲の空を十とすると 雲の量が全体の二〜八割。
つまり、空の八割を雲が覆っていても「晴れ」となる。
私たちはどんな時に「秋晴れ」や「日本晴れ」と言うのか。
広辞苑では、「秋晴れ」を「秋のすっきり晴れ渡った空」と定義。
「日本晴れ」は、「空に一点の雲もない好天気」とある。
、十月は「秋晴れ」
気象台によると、一ミリ以上の雨が降(ふ)る日は、
九月が九・八日、
十月は六・六日。
逆に、空全体を占める一日の雲の量の平均が一・五割未満の日数は、
九月の二・一日、
十月は四・八日。
「快晴」もしくは「快晴に近い晴れ」の状態が、一年で最も
多い月といえる。
湿潤で、暖かい空気を伴った夏の太平洋高気圧は、九月に入ると南の海上に後退。
代わって、乾いた冷たい空気を伴う移動性高気圧が大陸からやって来る。
今日のように大きな移動性高気圧に日本列島がすっぽり包まれることもある。
上空に高気圧の中心があると、西日本は快晴になる。
夏は、空気中に多く含まれる水蒸気やちり、ほこりなどが太陽の光を乱反射し、空が白く見えやすい。
秋は空気が乾いているため、澄んだ青空となる。
夏や冬は同じような気圧配置が続くが、春と秋は低気圧と高気圧が交互に通過。
そのため、雨が空気の汚れを洗い流した後、乾いた空気を伴った移動性高気圧が再びやって来て、澄んだ空がみえる。
丁度台風一過の今日がそうである。
道理で大先輩でさえはしゃいでいるわけだ。
「秋と同じように空気の乾いている冬も、高気圧と低気圧が交互に来る春も、澄んで見える」
科学的には、澄んだ空は秋だけの特徴ではない。
それでは「高い」と言われるのはなぜか。
「特に秋には、上空の高い所にできる雲がよく見える。一つの要因ではないでしょうか」
「運動会や行楽、稲刈りなどで、晴れを期待する季節。
「空を見上げる回数が特に多いからそう見えるのでは…」と推測される専門官。
秋の夕焼け鎌を研げ。幼き頃から知っていた実体験の言葉である。
西都市の上田発電所の3,OKWの発電所を完成させた。
僅か4人で一日で完成させた。
他にも電気工事等があり、この人数で遣り上げた野は凄い!
足場は台風明けゆえ今朝の早朝につけたばかり。
元請さんの担当官は切り込み砂利が運べないので
「直ちに足場を壊せ!」と安全教育など上の空。
挙句には「仕事をださんド〜」と恫喝。
してもいないのに電話の向うでガナリ立てている。
「協議どおりにしていない!」
ばかにつけるクスリ誰か下さい!
桐一葉 落ちて天下の 秋を知る。
関が原後の、滅び行く豊臣家の唯一のこった忠信 <片桐勝元>。
実力のある徳川に対してただ過去の栄光だけの
プライドのみの高い豊臣家の面々。
方広寺<京都の三十三間堂前から徒歩5分>に寄進した
鐘の碑文「国家安康君臣豊楽」は
家康の名を2分して
<国安らかに豊臣を君として子孫繁栄を楽しむ意味>だと家康を怒らせ
大阪冬の陣が起きるきっかけとなったものである。
その過程には、、両家の交渉に豊臣の代表として片桐が当たったが淀君や豊臣の仲間から裏切り者扱いをされる。
日露戦争のポーツマス条約を結び、国民的批判を受けた我が宮崎の名・外務大臣小村寿太郎と合い通じるものがある。
ニ百数十万の金を届けた月末のわが身を振り返るにつけ、虫の音に殺伐としたAPA。
この中国の漢の頃?の准南子のこの歌がピッタリである。
秋の夕暮れ鎌をとげ。
暗くなってもまだ農作業である。
あかあかと 日はつれなくも 秋の風 芭蕉
幼少の頃は不安のみで過ごした紅い光の夕暮れの時期。
田舎の家は恐ろしかった。
家の中の薄暗さは魔物のすむとこで一人で家には居れなかった。
重苦しい空気は怖い思いのみにしか記憶は働かなかった覚えがある。
多感な私は死んだ袈裟助爺、
ワカ婆さんが両手を上げ、手首を曲げて妄想の中に出るのである。
窓のうえの唯一のガラスの明り取りの夕焼けの紅さは不気味で
残照の感情がなく眺めているのは恐怖感を忘れるだけのすべであった。
大人の今感じる、もの悲しさ、大人のアニマル的な感情を「秋の風」からは感じ取ることを
知らず幼かった。
白い夕顔さえ幽霊の正体見たり枯れ尾花で恐怖の対象であった。
風呂は板塀で囲んだだけの野天の五右衛門風呂。
竹やぶが完璧な目隠しになってなく西側の羽目板が
一切に紅く染まるむこうを
村の人々が歩いているのさえ見えた初秋の夕暮れ。
井戸の中からお化けが出てきた・・・・
水を汲む釣瓶はギロチンの死刑台。
断頭台に消えるマリー・アントワネットである。
これまでの昼の残暑を思い出し、見た目の暑苦しさとうらはらの肌に触れる秋の風。
宗教がほしかった。幼いのに死をいつも考えていた
心身症の自分がいた。
悩み苦しむは宗教の課題、釈迦も立ち向かった数々の邪悪は瞑想に打ち勝ち仏陀となり得たのだ。
自らが自らを幸福になる為、
飾らず、殺生せず、うそをつかず、修行の中で、それは真理となった。
生きとし、いけるものは幸せであれ!の命題は時代に合わせた答えとなり、解脱しえて、
永遠に光を照らしている宗教たる仏教。
その象徴が床の間に祭られている。
私には先祖様の悲痛な叫び怨念にしか聞こえなかった。
死の霊の溜まり場である。
神棚には日清、日露の戦いの戦場のお守りの背嚢が飾られ
累々と横たわる日本人の魂が救いをを呼びかけていた。
一人夕暮れにいるとどこまでも深い淵に、引き込まれる。
生への不安と絶対孤独たる死への恐怖で包まれるのであ…
「日本晴れ」とはこの状態をいうのであろう。
「日本晴れ」は運動会の時、聞いた来賓や校長先生の言葉である。
大先輩は私の速射砲に対して常に冷徹に言葉を選んで喋られる。
会話の達人で一言が実に重い。
その方が何かはしゃいでおられる。
冒頭の言葉を何度も繰り返されるのである。
合図知を打つのに下手な私ゆえ、黙していると空を見て探される。
運転をしながらでもあり、危険このうえもない。
「今日は秋晴れで実に空が高い…」「秋はやっぱり日本晴れ」である。「天高く馬肥ゆる秋」は、秋のいい時節を言う表現。
空が澄(み渡り広々と高く、馬は肥えてたくましくなるという農耕民族たる共通の認識。
例年なら肌寒い季節であるが この暑さおそらく真夏日であったろう。
台風一過の高気圧が日本列島をすっぽり覆い高層の雲さえない
「日本晴れ」
何処までも澄んで高く見える秋の空。
秋の名句を鑑賞するにはチト早い。
古今和歌集の名句。
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
藤原敏行
昨日の方。はこういっておられる。
金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日のをかに
与謝野晶子
秋晴れ」とはどんな空?気象庁の方々考え方である。
「日本晴れ」は 「気象用語ではないので、私たちは使いません」。
「日本晴れ」は、あくまで一般の人が使う言葉。
気象庁の基準の「晴れた空」。
「快晴」見える範囲の空を十とすると、雲の量が全体の一割以下。
「晴れ」見える範囲の空を十とすると 雲の量が全体の二〜八割。
つまり、空の八割を雲が覆っていても「晴れ」となる。
私たちはどんな時に「秋晴れ」や「日本晴れ」と言うのか。
広辞苑では、「秋晴れ」を「秋のすっきり晴れ渡った空」と定義。
「日本晴れ」は、「空に一点の雲もない好天気」とある。
、十月は「秋晴れ」
気象台によると、一ミリ以上の雨が降(ふ)る日は、
九月が九・八日、
十月は六・六日。
逆に、空全体を占める一日の雲の量の平均が一・五割未満の日数は、
九月の二・一日、
十月は四・八日。
「快晴」もしくは「快晴に近い晴れ」の状態が、一年で最も
多い月といえる。
湿潤で、暖かい空気を伴った夏の太平洋高気圧は、九月に入ると南の海上に後退。
代わって、乾いた冷たい空気を伴う移動性高気圧が大陸からやって来る。
今日のように大きな移動性高気圧に日本列島がすっぽり包まれることもある。
上空に高気圧の中心があると、西日本は快晴になる。
夏は、空気中に多く含まれる水蒸気やちり、ほこりなどが太陽の光を乱反射し、空が白く見えやすい。
秋は空気が乾いているため、澄んだ青空となる。
夏や冬は同じような気圧配置が続くが、春と秋は低気圧と高気圧が交互に通過。
そのため、雨が空気の汚れを洗い流した後、乾いた空気を伴った移動性高気圧が再びやって来て、澄んだ空がみえる。
丁度台風一過の今日がそうである。
道理で大先輩でさえはしゃいでいるわけだ。
「秋と同じように空気の乾いている冬も、高気圧と低気圧が交互に来る春も、澄んで見える」
科学的には、澄んだ空は秋だけの特徴ではない。
それでは「高い」と言われるのはなぜか。
「特に秋には、上空の高い所にできる雲がよく見える。一つの要因ではないでしょうか」
「運動会や行楽、稲刈りなどで、晴れを期待する季節。
「空を見上げる回数が特に多いからそう見えるのでは…」と推測される専門官。
秋の夕焼け鎌を研げ。幼き頃から知っていた実体験の言葉である。
西都市の上田発電所の3,OKWの発電所を完成させた。
僅か4人で一日で完成させた。
他にも電気工事等があり、この人数で遣り上げた野は凄い!
足場は台風明けゆえ今朝の早朝につけたばかり。
元請さんの担当官は切り込み砂利が運べないので
「直ちに足場を壊せ!」と安全教育など上の空。
挙句には「仕事をださんド〜」と恫喝。
してもいないのに電話の向うでガナリ立てている。
「協議どおりにしていない!」
ばかにつけるクスリ誰か下さい!
桐一葉 落ちて天下の 秋を知る。
関が原後の、滅び行く豊臣家の唯一のこった忠信 <片桐勝元>。
実力のある徳川に対してただ過去の栄光だけの
プライドのみの高い豊臣家の面々。
方広寺<京都の三十三間堂前から徒歩5分>に寄進した
鐘の碑文「国家安康君臣豊楽」は
家康の名を2分して
<国安らかに豊臣を君として子孫繁栄を楽しむ意味>だと家康を怒らせ
大阪冬の陣が起きるきっかけとなったものである。
その過程には、、両家の交渉に豊臣の代表として片桐が当たったが淀君や豊臣の仲間から裏切り者扱いをされる。
日露戦争のポーツマス条約を結び、国民的批判を受けた我が宮崎の名・外務大臣小村寿太郎と合い通じるものがある。
ニ百数十万の金を届けた月末のわが身を振り返るにつけ、虫の音に殺伐としたAPA。
この中国の漢の頃?の准南子のこの歌がピッタリである。
秋の夕暮れ鎌をとげ。
暗くなってもまだ農作業である。
あかあかと 日はつれなくも 秋の風 芭蕉
幼少の頃は不安のみで過ごした紅い光の夕暮れの時期。
田舎の家は恐ろしかった。
家の中の薄暗さは魔物のすむとこで一人で家には居れなかった。
重苦しい空気は怖い思いのみにしか記憶は働かなかった覚えがある。
多感な私は死んだ袈裟助爺、
ワカ婆さんが両手を上げ、手首を曲げて妄想の中に出るのである。
窓のうえの唯一のガラスの明り取りの夕焼けの紅さは不気味で
残照の感情がなく眺めているのは恐怖感を忘れるだけのすべであった。
大人の今感じる、もの悲しさ、大人のアニマル的な感情を「秋の風」からは感じ取ることを
知らず幼かった。
白い夕顔さえ幽霊の正体見たり枯れ尾花で恐怖の対象であった。
風呂は板塀で囲んだだけの野天の五右衛門風呂。
竹やぶが完璧な目隠しになってなく西側の羽目板が
一切に紅く染まるむこうを
村の人々が歩いているのさえ見えた初秋の夕暮れ。
井戸の中からお化けが出てきた・・・・
水を汲む釣瓶はギロチンの死刑台。
断頭台に消えるマリー・アントワネットである。
これまでの昼の残暑を思い出し、見た目の暑苦しさとうらはらの肌に触れる秋の風。
宗教がほしかった。幼いのに死をいつも考えていた
心身症の自分がいた。
悩み苦しむは宗教の課題、釈迦も立ち向かった数々の邪悪は瞑想に打ち勝ち仏陀となり得たのだ。
自らが自らを幸福になる為、
飾らず、殺生せず、うそをつかず、修行の中で、それは真理となった。
生きとし、いけるものは幸せであれ!の命題は時代に合わせた答えとなり、解脱しえて、
永遠に光を照らしている宗教たる仏教。
その象徴が床の間に祭られている。
私には先祖様の悲痛な叫び怨念にしか聞こえなかった。
死の霊の溜まり場である。
神棚には日清、日露の戦いの戦場のお守りの背嚢が飾られ
累々と横たわる日本人の魂が救いをを呼びかけていた。
一人夕暮れにいるとどこまでも深い淵に、引き込まれる。
生への不安と絶対孤独たる死への恐怖で包まれるのであ…
十六夜
2004年9月29日台風一過というがまさにそうである。
昼間の疾風怒濤は何であったのか。
今夜の十六夜(いざよい)の月はひときわ大きく青空に白い雲を従えさせて悠然と輝いている。
列島全体で月を愛でる農耕民族の風流を楽しんでいるのであろうか。
楽しき夢を、重ねるもよし、恋人の行く末に思いをはせるもまたよし。
心のひだをふやす思索に思いをこなすに最高の条件でがんぜんと頭上に輝いている。
昼の12時丁度の時には私の感情は次のようであった。
台風21号は日向を通過したようだが渦巻きたる中心の目はハッキリしなかったのではないのか。
シーガイヤのあるAPAの上空に一瞬、台風の目の通過を見た。
雲雲はニッコリ笑って去っていった。励ましととるべきか。
僻み妬みでなければよいのだが。
黒々とした雨雲の一部に青空を見たのだが、ひがみ目の冠をつけた。
昨夜の十五夜お月さんたる中秋の名月は望めなかった。
一日前に月夜を楽しんではいたがやっぱり、どうにもシックリこない。
どだい今回の台風21号の動きは怪しかった。
東シナ海からとって返して90度も曲がり列島にその矛先を向かわした
なんとなく人為性さえ感じる動きをとった。
時同じ時間イチローは残り試合6にヒット3本をかけると大リーグ新記録に迫った。
十六夜の満月に願をかけてあげよう。
合間にある曇りが又いい。これだからこそ力が出せる。
もしこの青空がなくとも、この国の習いは、雲に隠れた名月でも、
どこかほの明るく見えるのを「無月」と呼んで尊ぶ。
雨に降り込められて姿を見せない名月には「雨月」の名をつけて、その薄明かりの神秘的な風情を味わう。
台風で泣いてる地方の皆さんの楽しみ方となろう。
雲も雨も、月に寄せる人々の思いをさえぎることはできない。
眼光は雲のかなた、はるか宇宙を見据えている。
先祖伝来伝わる農耕民族に備わっている平和を気宇する血である。
昨夜の28日の十五夜がだめなら、今日の十六夜(いざよい)のように、ためらいがちに出る月を待つのが風流の道。
十六夜が雨でも、次の夜の立待月に期待し、それも姿を見せなければ、翌日はずっと居待月(いまちづき)。
さらに次の日は床で待つ月、臥待月(ふしまちづき)。
さらに、名月から5日目には深更まで更待月(ふけまちづき)。
稲作民族はなんとも辛抱強く月を待つ。
めいげつを とってくれとは わがこかな。
この深夜の情景を一人楽しめばわたしでも詠めるワナ〜
待つをいとわず、待つを楽しむのも、事と次第による。
名月の前夜に誕生した第二次小泉改造内閣。
目玉がないので探してみると与謝野馨衆議院の起用ぐらいである。
幹事長に武部勤、山崎拓の側近、
総務会長に久間章生、最大派閥・旧橋本派
政調会長に与謝野馨元通産相をそれぞれ起用。
与謝野鉄幹の祖先の礼厳は、京都出身で、明治の初め、丹後の国
(現在の京都府)、与謝郡出身ということから「与謝野」と名乗る。
その子の鉄幹・晶子は東京の千駄ヶ谷麹町富士見町荻窪などの借家を転々とする。
与謝野馨衆議院は九段に住んでいるときに誕生した
父は外交官。
祖父与謝野鉄幹は、明治6年に京都の寺の息子として誕生。
祖母晶子は、明治11年に堺の町の菓子屋の娘として生まれて育ち、
鉄幹が主催する文芸結社東京新詩社に加入し『明星』に登場。
その後、鉄幹に師事するために上京し、明治34年に結婚。
鉄幹・晶子が落ち着いた先は北多摩群渋谷村大和田というところで、
今は渋谷の繁華街の中心。
妻を捨て、親の反対を押し切っての駆け落ちだった。
文学を志すものはその時代貧しい生活を強いらる。
鉄幹・晶子も例外ではなく借家を転々。
四谷に一番近いところに住んでいたのは千駄ヶ谷。
与謝野晶子は、そこからよく歩いて四谷のまちに買い物に来ていたといわれている。
晶子の歌には恋を歌ったものが多いといわれていますが、故郷を想う歌も数多く残されており、商人の町堺を思い起こさせる四谷の街を愛していたのではないのか。
与謝野晶子は生涯にわたって十万を超える和歌を詠んでおり、四谷にゆかりのある歌を発見できるはず。
全国で、今は150以上の場所に与謝野鉄幹・晶子ゆかりの歌碑が建てられていて、村おこしや観光の名所になっている。
伯父の光は四谷の鍼灸学院の学長を務めてた。
与謝野鉄幹の父親の礼厳という人は京都府与謝群与謝村出身で、
もともとの名前は細見。
明治維新の前に丹後ちりめんを織っている貧しかった村の故郷を捨て京都の街に出る。
身分制度のやかましかった時代でどこにも行き先がなく、
結局はお寺に奉職。細見という俗名を捨て僧名を名乗る。
明治維新の苗字を持つことが出来、自分の故郷の与謝という字を取って、?与謝野?
晩年の晶子は、病に臥して、子供たちにこんな言葉を残した。
「ごめんなさい、教育しか残せなくて・・・なんにも財産など残すことは出来なかったけど、せめて学校の教育だけはさせたから、それで勘弁して」。
鉄幹・晶子夫婦は、渋谷川(新宿御苑の湧水と玉川上水の余水を水源とし、内藤町・大京町・霞岳町を通り、古川に流れていた)
のほとりを散策しながら、苦しい文学者生活の中で子供たちに何か人並みに与えられるものはないかと話し合っていた。
与謝野鉄幹は日本近代浪漫主義運動の中心的存在で、北原白秋・吉井勇・石川啄木ら多くの秀才を育てた。
四谷 第52号 2002年3月発行 四谷地域センター運営委員会広報部「四谷編集委員会」( 坂部 健)より孫引き。
中山参与は辞任し夫たる文部科学大臣中山 成彬(なかやま・なりあき)は宮崎の人。61歳。衆院当選5回。(森派)
http://www.nakayamanariaki.com
ほかに鹿児島県より二人の入閣。
南野 知恵子氏(のおの・ちえこ)
68歳。鹿児島県出身。参院当選3回。(森派)
厚生労働(初)
尾辻 秀久氏(おつじ・ひでひさ)63歳。鹿児島県出身。
この人事も面白い。
行政・規制改革(初)
村上 誠一郎氏(むらかみ・せいいちろう)
曽祖父、父も衆院議員を務めた政治一家。
岡田克也民主党代表の義兄。52歳。愛媛県出身。
それぞれお月様に感謝してるのであろうか。
この満月、残念ながら太陽光発電は作動しない
月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月
昼間の疾風怒濤は何であったのか。
今夜の十六夜(いざよい)の月はひときわ大きく青空に白い雲を従えさせて悠然と輝いている。
列島全体で月を愛でる農耕民族の風流を楽しんでいるのであろうか。
楽しき夢を、重ねるもよし、恋人の行く末に思いをはせるもまたよし。
心のひだをふやす思索に思いをこなすに最高の条件でがんぜんと頭上に輝いている。
昼の12時丁度の時には私の感情は次のようであった。
台風21号は日向を通過したようだが渦巻きたる中心の目はハッキリしなかったのではないのか。
シーガイヤのあるAPAの上空に一瞬、台風の目の通過を見た。
雲雲はニッコリ笑って去っていった。励ましととるべきか。
僻み妬みでなければよいのだが。
黒々とした雨雲の一部に青空を見たのだが、ひがみ目の冠をつけた。
昨夜の十五夜お月さんたる中秋の名月は望めなかった。
一日前に月夜を楽しんではいたがやっぱり、どうにもシックリこない。
どだい今回の台風21号の動きは怪しかった。
東シナ海からとって返して90度も曲がり列島にその矛先を向かわした
なんとなく人為性さえ感じる動きをとった。
時同じ時間イチローは残り試合6にヒット3本をかけると大リーグ新記録に迫った。
十六夜の満月に願をかけてあげよう。
合間にある曇りが又いい。これだからこそ力が出せる。
もしこの青空がなくとも、この国の習いは、雲に隠れた名月でも、
どこかほの明るく見えるのを「無月」と呼んで尊ぶ。
雨に降り込められて姿を見せない名月には「雨月」の名をつけて、その薄明かりの神秘的な風情を味わう。
台風で泣いてる地方の皆さんの楽しみ方となろう。
雲も雨も、月に寄せる人々の思いをさえぎることはできない。
眼光は雲のかなた、はるか宇宙を見据えている。
先祖伝来伝わる農耕民族に備わっている平和を気宇する血である。
昨夜の28日の十五夜がだめなら、今日の十六夜(いざよい)のように、ためらいがちに出る月を待つのが風流の道。
十六夜が雨でも、次の夜の立待月に期待し、それも姿を見せなければ、翌日はずっと居待月(いまちづき)。
さらに次の日は床で待つ月、臥待月(ふしまちづき)。
さらに、名月から5日目には深更まで更待月(ふけまちづき)。
稲作民族はなんとも辛抱強く月を待つ。
めいげつを とってくれとは わがこかな。
この深夜の情景を一人楽しめばわたしでも詠めるワナ〜
待つをいとわず、待つを楽しむのも、事と次第による。
名月の前夜に誕生した第二次小泉改造内閣。
目玉がないので探してみると与謝野馨衆議院の起用ぐらいである。
幹事長に武部勤、山崎拓の側近、
総務会長に久間章生、最大派閥・旧橋本派
政調会長に与謝野馨元通産相をそれぞれ起用。
与謝野鉄幹の祖先の礼厳は、京都出身で、明治の初め、丹後の国
(現在の京都府)、与謝郡出身ということから「与謝野」と名乗る。
その子の鉄幹・晶子は東京の千駄ヶ谷麹町富士見町荻窪などの借家を転々とする。
与謝野馨衆議院は九段に住んでいるときに誕生した
父は外交官。
祖父与謝野鉄幹は、明治6年に京都の寺の息子として誕生。
祖母晶子は、明治11年に堺の町の菓子屋の娘として生まれて育ち、
鉄幹が主催する文芸結社東京新詩社に加入し『明星』に登場。
その後、鉄幹に師事するために上京し、明治34年に結婚。
鉄幹・晶子が落ち着いた先は北多摩群渋谷村大和田というところで、
今は渋谷の繁華街の中心。
妻を捨て、親の反対を押し切っての駆け落ちだった。
文学を志すものはその時代貧しい生活を強いらる。
鉄幹・晶子も例外ではなく借家を転々。
四谷に一番近いところに住んでいたのは千駄ヶ谷。
与謝野晶子は、そこからよく歩いて四谷のまちに買い物に来ていたといわれている。
晶子の歌には恋を歌ったものが多いといわれていますが、故郷を想う歌も数多く残されており、商人の町堺を思い起こさせる四谷の街を愛していたのではないのか。
与謝野晶子は生涯にわたって十万を超える和歌を詠んでおり、四谷にゆかりのある歌を発見できるはず。
全国で、今は150以上の場所に与謝野鉄幹・晶子ゆかりの歌碑が建てられていて、村おこしや観光の名所になっている。
伯父の光は四谷の鍼灸学院の学長を務めてた。
与謝野鉄幹の父親の礼厳という人は京都府与謝群与謝村出身で、
もともとの名前は細見。
明治維新の前に丹後ちりめんを織っている貧しかった村の故郷を捨て京都の街に出る。
身分制度のやかましかった時代でどこにも行き先がなく、
結局はお寺に奉職。細見という俗名を捨て僧名を名乗る。
明治維新の苗字を持つことが出来、自分の故郷の与謝という字を取って、?与謝野?
晩年の晶子は、病に臥して、子供たちにこんな言葉を残した。
「ごめんなさい、教育しか残せなくて・・・なんにも財産など残すことは出来なかったけど、せめて学校の教育だけはさせたから、それで勘弁して」。
鉄幹・晶子夫婦は、渋谷川(新宿御苑の湧水と玉川上水の余水を水源とし、内藤町・大京町・霞岳町を通り、古川に流れていた)
のほとりを散策しながら、苦しい文学者生活の中で子供たちに何か人並みに与えられるものはないかと話し合っていた。
与謝野鉄幹は日本近代浪漫主義運動の中心的存在で、北原白秋・吉井勇・石川啄木ら多くの秀才を育てた。
四谷 第52号 2002年3月発行 四谷地域センター運営委員会広報部「四谷編集委員会」( 坂部 健)より孫引き。
中山参与は辞任し夫たる文部科学大臣中山 成彬(なかやま・なりあき)は宮崎の人。61歳。衆院当選5回。(森派)
http://www.nakayamanariaki.com
ほかに鹿児島県より二人の入閣。
南野 知恵子氏(のおの・ちえこ)
68歳。鹿児島県出身。参院当選3回。(森派)
厚生労働(初)
尾辻 秀久氏(おつじ・ひでひさ)63歳。鹿児島県出身。
この人事も面白い。
行政・規制改革(初)
村上 誠一郎氏(むらかみ・せいいちろう)
曽祖父、父も衆院議員を務めた政治一家。
岡田克也民主党代表の義兄。52歳。愛媛県出身。
それぞれお月様に感謝してるのであろうか。
この満月、残念ながら太陽光発電は作動しない
月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月
北方町発電所
2004年9月28日昨夜は一晩中台風情報のインター・ネット画面を見ていた。
自然の猛威たる21号台風がまっすぐに刻々と近づいている。
北方町の3KWの有田発電所を着工するや否やのギリギリまで情報を収集していた。
「午後三時ごろまでに終了すれば雨には遭わない!」
せきやんAPA予報官の決断である。
朝6時30分にはAPAを出発。現地ははるか80km彼方。
9時前には到着した。
普段は足場工事は外注であるがどうにも緊急の足場屋さんはいないのでAPAで施工。これでは計画が狂ってしまう。
この時間が読めない。
作業進捗を描きながら、高岡の屋根寸とり、都城、小林を移動する。
都城では新規の仕事を頂く。大先輩とこの元請・副所長さんは馬が会うのであろう。私の出る膜はない。
ただ難問であるエコキュートの申込み事務を賜る。これは難題である。
エコキュートの申込みは非常なる技術を要する。
初日の10月1日で補助金が切れるからである。
速達の期日指定郵便の最終日は今日である。
小林では担当さん宅で田舎豆腐を食する。遅き昼じき。
原寸とりと副所長さんとお話を2時間。
太陽光発電の研究者である。
柔和で温厚な語り口の中に漲る情熱を感じる。
同好者同士が感じる熱きものをヒシヒシと感じた。
途中北方の情報が入る。3時きっちりに雨との事である。
怖いぐらいの的中率。この後は1時間降った跡に作業はできる。
Tだし本格的な雨になってくる。・・・・
このまま雨で暴風雨状況となり、明日は台風である。
どうやら有田発電所を遣り上げたとの事である。
この職人集団はやり手。凄い職人集団である。
にっくき雨とほしき降雨量。
1999年北京の地下水位は2.5m下がったが、1965年以来、同市の地下水位は59mも下がっており、中国の指導者に対しいずれ中国の地下帯水層が枯渇すると警告している.
水理的には、中国には2つの領域がある.
湿潤な南の揚子江を含むベーズンとその南方の全て、
そして揚子江北方の全ての地域である.
南の地域には7億人が住むところで、中国全土の3分の1の農作物、
4分の1の水を供している.
北の地域は5.5億人が住む、3分の2の農地と5分の1の水を持つところである.
この2地域は対照的で、単位面積当たりの北域の水供給量は南の8分の1でしかない.
中国の北方地域では、水の需要は供給を上回り干上がりつつある.
そして地下水位は下がる一方、井戸は枯れ河川、湖沼は消滅しつつある.
北方の平原、上海北辺から北京のかなり北に至る、広大な地帯は中国穀物の40%を生産しているが、水位が年平均で1.5mも下がりつつある.
北部の農民は、帯水層の減少と都市と工業への給水によって、
灌漑用水の不足に悩まされている.
現在と2010年の間、中国人口は1億2千万人増加すると見込まれており、世界銀行は中国の都市の必要水量は現在の500億立方mから800億立方mに達すると見ている.これは60%の成長である
、工業用水は1270億立方mから2060億立方m、62%も増大するという.多くの北方地域で農業向けの灌漑用水を回すしかない.
この灌漑用水に起こることが、未来の中国農業を直撃することになる.
因みに米国での穀物生産では、灌漑農地からのそれは15%程度以下である.中国ではこれが殆ど70%にも達しているのである.
このため農業、都市、工業間で水の取り合いとなるが、水経済は農業に味方しない.
それは中国では1000トンの水が1トンの小麦を作るが、これは200ドルの価値しかない.
これが工業で使われば、14000ドルー70倍の価値を生むのである.
経済成長に必死で雇用確保が焦眉の中国のような国で、水は農業に流れず工業に向かうのは必然なのである.
黄河、この中国の二大河川の最北の河、黄河では水が過剰に使われている.
古代から何千年もの間中国文明を、絶えることなく支えてきた黄河も今では乾いて、1972年には年間15日程度しか海に辿り着けなかった.
その後、1985年まで黄河はしばしば干上ったが、その後は毎年ある時期、黄河は水が流れなくなった.
1997年は乾燥した年であったが、黄河は一年の内226日も海にたどり着けなかった.
実際、1997年の殆どの期間は黄河は山東省、海に至るまでの8地方の最後の省、に到達することすら出来なかった.
山東省は中国のトウモロコシの5分の1、小麦の7分の1を生産するところ、
米国で言えばアイオワ、カンサスを一緒にした地域よりも重要なのである.
山東省では灌漑用水の半分は黄河から来るが、いまではこれが細りつつある.
残りの半分は地下の帯水層から取水している.
これが今年1.5mの早さで下がりつつある.
何百とある黄河上流の取水プロジェクトの中で、内モンゴルの首都(Hohhot)へ水を引く運河計画は2003年にスタートする.
この水は増大する一般向けの水としてだけでなく、この地方で拡大しつつある羊毛の紡績工業にも使われる.
山西省の、人口400万人の太原市向けの運河計画がある.ここでは最近水の配給制を始めた.
今も増え続ける黄河上流での引き水計画を見ると、遠からず山東省には水が全く行かなくなる.
これは山東省が潅漑用水の半分をが失うことを意味し、膨大な穀物生産の喪失の可能性は中国の米国の穀物輸入依存度を高めることになる.
黄河のすぐ北、海河ベーズンには1億人以上が住む、
北京、天津の工業地帯が拡がる地帯である.
現在、このベーズンの水需要は年550億立方mに及ぶが、持続可能な水の供給量は340億立方mでしかない.
この不足分210億立方mは過度に地下水を汲み上げしかない.
帯水層が干上った時には、当然ながら持続可能なレベルである、
40%の水カットをするしかない.
急速な都市化、工業化することを前提とすると、大局的には潅漑用水に頼るこの地方の農業は、2010年までに消滅することになる.
その時、より効率の悪い雨水に頼る農業だけが残る.
一方、経済成長率を年7%と見込む中国で、いま人口は年1200万人増え、しかも穀物で飼育する肉食が増えている
.このため中国の穀物消費は更に伸びることとなる.
この傾向が続けば、中国では水不足が更に深刻となり、カギとなる穀倉地帯での生産量が更に減少することになる.
中国が日本をも凌駕する大穀物輸入国となる日も遠くはない.
長期間続けたきた穀物自給政策から正式に撤退する道がある.
1994年から続けた、ほぼ42%の思い切った穀物価格維持策は、穀物の自給が目的だが、
北京の指導者は財政負担が大きすぎるとして穀物価格を世界市場のレベルまで下げることを容認するようになった.
更に水の需給に競争原理を取り入れると表明しているが、これは都市、産業が水の獲得において優先に立ち、農業が置いて行かれることを意味するものである.
水不足に悩むのは、中国一国だけではない.
水不足で穀物の輸入が増える、或いは増やさざるをえない国には、
インド、パキスタン、イラン、エジプト、メキシコなどがあるが、これに加わる小さな更に多くの国々がある.
中国ほぼ13億の人口を擁し、
米国に400億ドルもの貿易黒字を有するのは中国のみである.
中国が世界の穀物市場を乱すだけの力を持っているのである.
以上を要するに、中国の低下する地下水位が、近い将来、世界の穀物価格をつり上げるかも知れないというのである.
自然の猛威たる21号台風がまっすぐに刻々と近づいている。
北方町の3KWの有田発電所を着工するや否やのギリギリまで情報を収集していた。
「午後三時ごろまでに終了すれば雨には遭わない!」
せきやんAPA予報官の決断である。
朝6時30分にはAPAを出発。現地ははるか80km彼方。
9時前には到着した。
普段は足場工事は外注であるがどうにも緊急の足場屋さんはいないのでAPAで施工。これでは計画が狂ってしまう。
この時間が読めない。
作業進捗を描きながら、高岡の屋根寸とり、都城、小林を移動する。
都城では新規の仕事を頂く。大先輩とこの元請・副所長さんは馬が会うのであろう。私の出る膜はない。
ただ難問であるエコキュートの申込み事務を賜る。これは難題である。
エコキュートの申込みは非常なる技術を要する。
初日の10月1日で補助金が切れるからである。
速達の期日指定郵便の最終日は今日である。
小林では担当さん宅で田舎豆腐を食する。遅き昼じき。
原寸とりと副所長さんとお話を2時間。
太陽光発電の研究者である。
柔和で温厚な語り口の中に漲る情熱を感じる。
同好者同士が感じる熱きものをヒシヒシと感じた。
途中北方の情報が入る。3時きっちりに雨との事である。
怖いぐらいの的中率。この後は1時間降った跡に作業はできる。
Tだし本格的な雨になってくる。・・・・
このまま雨で暴風雨状況となり、明日は台風である。
どうやら有田発電所を遣り上げたとの事である。
この職人集団はやり手。凄い職人集団である。
にっくき雨とほしき降雨量。
1999年北京の地下水位は2.5m下がったが、1965年以来、同市の地下水位は59mも下がっており、中国の指導者に対しいずれ中国の地下帯水層が枯渇すると警告している.
水理的には、中国には2つの領域がある.
湿潤な南の揚子江を含むベーズンとその南方の全て、
そして揚子江北方の全ての地域である.
南の地域には7億人が住むところで、中国全土の3分の1の農作物、
4分の1の水を供している.
北の地域は5.5億人が住む、3分の2の農地と5分の1の水を持つところである.
この2地域は対照的で、単位面積当たりの北域の水供給量は南の8分の1でしかない.
中国の北方地域では、水の需要は供給を上回り干上がりつつある.
そして地下水位は下がる一方、井戸は枯れ河川、湖沼は消滅しつつある.
北方の平原、上海北辺から北京のかなり北に至る、広大な地帯は中国穀物の40%を生産しているが、水位が年平均で1.5mも下がりつつある.
北部の農民は、帯水層の減少と都市と工業への給水によって、
灌漑用水の不足に悩まされている.
現在と2010年の間、中国人口は1億2千万人増加すると見込まれており、世界銀行は中国の都市の必要水量は現在の500億立方mから800億立方mに達すると見ている.これは60%の成長である
、工業用水は1270億立方mから2060億立方m、62%も増大するという.多くの北方地域で農業向けの灌漑用水を回すしかない.
この灌漑用水に起こることが、未来の中国農業を直撃することになる.
因みに米国での穀物生産では、灌漑農地からのそれは15%程度以下である.中国ではこれが殆ど70%にも達しているのである.
このため農業、都市、工業間で水の取り合いとなるが、水経済は農業に味方しない.
それは中国では1000トンの水が1トンの小麦を作るが、これは200ドルの価値しかない.
これが工業で使われば、14000ドルー70倍の価値を生むのである.
経済成長に必死で雇用確保が焦眉の中国のような国で、水は農業に流れず工業に向かうのは必然なのである.
黄河、この中国の二大河川の最北の河、黄河では水が過剰に使われている.
古代から何千年もの間中国文明を、絶えることなく支えてきた黄河も今では乾いて、1972年には年間15日程度しか海に辿り着けなかった.
その後、1985年まで黄河はしばしば干上ったが、その後は毎年ある時期、黄河は水が流れなくなった.
1997年は乾燥した年であったが、黄河は一年の内226日も海にたどり着けなかった.
実際、1997年の殆どの期間は黄河は山東省、海に至るまでの8地方の最後の省、に到達することすら出来なかった.
山東省は中国のトウモロコシの5分の1、小麦の7分の1を生産するところ、
米国で言えばアイオワ、カンサスを一緒にした地域よりも重要なのである.
山東省では灌漑用水の半分は黄河から来るが、いまではこれが細りつつある.
残りの半分は地下の帯水層から取水している.
これが今年1.5mの早さで下がりつつある.
何百とある黄河上流の取水プロジェクトの中で、内モンゴルの首都(Hohhot)へ水を引く運河計画は2003年にスタートする.
この水は増大する一般向けの水としてだけでなく、この地方で拡大しつつある羊毛の紡績工業にも使われる.
山西省の、人口400万人の太原市向けの運河計画がある.ここでは最近水の配給制を始めた.
今も増え続ける黄河上流での引き水計画を見ると、遠からず山東省には水が全く行かなくなる.
これは山東省が潅漑用水の半分をが失うことを意味し、膨大な穀物生産の喪失の可能性は中国の米国の穀物輸入依存度を高めることになる.
黄河のすぐ北、海河ベーズンには1億人以上が住む、
北京、天津の工業地帯が拡がる地帯である.
現在、このベーズンの水需要は年550億立方mに及ぶが、持続可能な水の供給量は340億立方mでしかない.
この不足分210億立方mは過度に地下水を汲み上げしかない.
帯水層が干上った時には、当然ながら持続可能なレベルである、
40%の水カットをするしかない.
急速な都市化、工業化することを前提とすると、大局的には潅漑用水に頼るこの地方の農業は、2010年までに消滅することになる.
その時、より効率の悪い雨水に頼る農業だけが残る.
一方、経済成長率を年7%と見込む中国で、いま人口は年1200万人増え、しかも穀物で飼育する肉食が増えている
.このため中国の穀物消費は更に伸びることとなる.
この傾向が続けば、中国では水不足が更に深刻となり、カギとなる穀倉地帯での生産量が更に減少することになる.
中国が日本をも凌駕する大穀物輸入国となる日も遠くはない.
長期間続けたきた穀物自給政策から正式に撤退する道がある.
1994年から続けた、ほぼ42%の思い切った穀物価格維持策は、穀物の自給が目的だが、
北京の指導者は財政負担が大きすぎるとして穀物価格を世界市場のレベルまで下げることを容認するようになった.
更に水の需給に競争原理を取り入れると表明しているが、これは都市、産業が水の獲得において優先に立ち、農業が置いて行かれることを意味するものである.
水不足に悩むのは、中国一国だけではない.
水不足で穀物の輸入が増える、或いは増やさざるをえない国には、
インド、パキスタン、イラン、エジプト、メキシコなどがあるが、これに加わる小さな更に多くの国々がある.
中国ほぼ13億の人口を擁し、
米国に400億ドルもの貿易黒字を有するのは中国のみである.
中国が世界の穀物市場を乱すだけの力を持っているのである.
以上を要するに、中国の低下する地下水位が、近い将来、世界の穀物価格をつり上げるかも知れないというのである.
月を愛でる
2004年9月27日深夜12時、昔のこの時間は怖かった。
夜は恐怖でその漆黒の暗闇に畏怖の念、
だって「ガモジン」が出るんだもの。
満月に青空さえ恥かしそうに見える中、夏特有の雲が沸き起こってきて左右で今まさに取っ組みかからんが如き、一大スペクタルを
はちきれん如く描いている。
これでは真昼と変わらない。存分に中秋の名月を楽しんだ。
明日が中秋の名月であるが、何が起こるかわからないので一日早い鑑賞会である。
2時過ぎ急遽ドンヨリとなり、辺り一面の雨。なんと言う激変。
自然界の現象を短時間で総て楽しめた。
今日一日を思い出さすが如くの変化。
朝7時には久々のタクシー・バスを乗り継ぎ、空港へ。
パネル代金を支出せんが為の社長からの了解を得るためである。
初めて取引でお客様のローン払いとした
ところが、大会社が別にローンを組んだため、二重になる可能性が考えられる。
その是正には現金で私共APAが立替払いである。
どうにも割が合わないが社会的正義が守られない。
月末入金予定の300万を,あてがいたいのでその了解を求めたのである。
ジャックス・元請さん・入金予定の会社の課長さん関係機関の了解を取付け方向性を打ち出した。
その間パネルメーカーからは、連続の電話。
こちらの調整中でおおわらわのことも知らずに。
陽は沈み、陽は又昇る・・委ねとけばいいのに、せからしい。
おかげで新規のお客さんを逃した。田野町の現場である。
請求書を出したり、治めたパソコンの修理など、営業にならない仕事のみ。ホント楽である。こちらに職種変えを希望したい。
都城で電気工事。30日似の基礎現場。を見た、
明日は延岡のパネルあげ、段取りも大変である。
十五夜は、「中秋」つまり陰暦(太陰太陽暦)の八月十五夜に行われるのが一般的。
ただし、よく知られた「中秋の名月」というのは、単に十五夜の月ので、 この月が必ずしも満月(望)であるとは限らない。
因みに、1870年以降の150年間で 中秋の名月と満月が同じになるのは56回(約37.3%)。今年はその満月にあたる。
「中秋」の意味は、8月15日が陰暦の秋である七月、八月、九月のちょうど真中にあたることに よるが、同じ読み方でも「仲秋」となると、こちらは陰暦八月のことをさす。
日本では、明治5年(1872)に太陽暦(グレゴリオ暦)に改暦されて以来、中秋は毎年変化して います。
これは、それまでの太陰太陽暦がある約束事によって32〜35ヵ月ごとに閏月を加えて 1年を13ヵ月としなければならなかったためで、
これにより、現行暦では中秋は早い年で9月上旬 から、遅い年では
10月までずれ込むことになる。
富士山には月見草がよく似合うと言った先哲がいる。
御坂トンネルを出ると突如富士山が目の前に現れる
日南海岸の起点の堀切峠を越えると眼下一面に日向灘の視界が開ける如くである。
御坂旧道 富士山には月見草がよく似合うで有名な天下茶屋のある峠。
御坂旧道(県道708号)に入るには国道137号の藤野木にある分岐路を左へと入っていく。
旧道とはいっても分離帯のある2車線で良く整備されている。
下茶屋は古くは富士見茶屋、天下一茶屋と呼ばれていたそうである。
天下茶屋を有名にしたのはなんといっても太宰治の一節、
「三七七六の富士の山と、立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんと云うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。富士山には、月見草がよく似合う」
太宰治が天下茶屋に滞在したのは昭和13年9月13日から11月15日。
天下茶屋からの富士は美しい。だが、この一節がなければ果たしてこれほど有名になったかどうか。
中国の江蘇省等では、八月十五夜に中秋節として月を祭った。
各家庭では、 祭壇をつくって月餅や芋の煮物、柿、栗、蓮根、菱などを供えたと書いたホーム・ページがある。
幼かりし器頃の風習はどうも中国譲りであったようだ。
各々集落内では、、十五夜の晩にはススキが飾られ、さらに供え物を添えた。それが、全国的に一般化 した行事のようだ。
団子、まんじゅう、おはぎ・・のつくりもの。
サトイモ、サツマイモ、マメ類、ダイコンなどの畑作物
柿、栗、梨、りんごなどの果物
この品々のこの記憶は楽しき思い出として忘れぬことで三つ子の魂百までである。
貰い歩きと盗みの自由な夜。天真爛漫の子供の能力を存分に発揮できた一日。
かつて十五夜や十三夜の供え物は村々の子どもたちが貰い歩くのが一般的。
ただ「貰う」と いっても、家の人に見つからないように盗むのである。
、家の人が黙認するかたちで持っていく場合、 さらには家の人に許可を得てから持っていく場合など、その家によりさまざまなパターンがあった。
また、十五夜の晩には、どこの畑の芋でもとってかまわない、十五夜には、よその家の柿を盗んでよい
等悪事が公然と認められた。いずれも主役は子どもである。
このような習俗は先ほどの通り、中国南部の地方にあり、
日本の場合と少し異なるのは盗みの目的が 子を授かることに由来していることだそうである。
十五夜にとってススキ(カヤ)は欠くことのできなもので、秋の七草のひとつ(尾花)でもある。
わが川原集落でも かつて、ススキは屋根を葺く素材として大量に利用された。
蓑としてレイン・コート農作業時の、背中の日よけのすだれが割りよろしくその素材でもあり、、炭俵を編む 材料としても使われるなど、人びとの生活に有用な植物として位置づけられてきた。
半栽培的な カヤトの維持・管理を山の急斜面で行ってきた。
ススキには本来的な役割として呪術力をもつとする見方があり、こうしたいくつもの流れが 互いに影響を及ぼしながら、収穫儀礼の象徴として十五夜行事の主役をつとめてきたようである。
よって十五夜におけるススキは欠かせないものであった。
、十五夜に供えられるススキは適当な空きびんか花びんにさすのが一般的。
「ハクチョウ」と呼ばれる注ぎ口の長い徳利が利用された。
ススキの本数は、、多くは5本 (十三夜は3本)まれに15本というのが一般的。
「芋名月」は十五夜の別称で、この行事に縁の深いサトイモ(里芋)に因んだ呼び名。
日本では、十五夜ばかりでなく正月にもサトイモを食べる地域が西日本を中心にある。
日本では、明治5年(1872)に太陽暦(グレゴリオ暦)に改暦されて以来、中秋は毎年変化して いる。
これは、それまでの太陰太陽暦がある約束事によって32〜35ヵ月ごとに閏月を加えて 1年を13ヵ月としなければならなかったためで、
これにより、現行暦では中秋は早い年で9月上旬 から、遅い年では10月までずれ込むことになる。
年 中秋の名月(旧8月15日) 満月の日
1999年 9月24日 9月25日 (旧8月16日)
2000年 9月12日 9月14日 (旧8月17日)
2001年 10月1日 10月2日 (旧8月16日)
2002年 9月21日 9月21日 (旧8月15日)
2003年 9月11日 9月11日 (旧8月15日)
2004年 9月28日 9月28日 (旧8月15日)
2005年 9月18日 9月18日 (旧8月15日)
2006年 10月6日 10月7日 (旧8月16日)
2007年 9月25日 9月27日 (旧8月17日)
2008年 9月14日 9月15日 (旧8月16日)
夜は恐怖でその漆黒の暗闇に畏怖の念、
だって「ガモジン」が出るんだもの。
満月に青空さえ恥かしそうに見える中、夏特有の雲が沸き起こってきて左右で今まさに取っ組みかからんが如き、一大スペクタルを
はちきれん如く描いている。
これでは真昼と変わらない。存分に中秋の名月を楽しんだ。
明日が中秋の名月であるが、何が起こるかわからないので一日早い鑑賞会である。
2時過ぎ急遽ドンヨリとなり、辺り一面の雨。なんと言う激変。
自然界の現象を短時間で総て楽しめた。
今日一日を思い出さすが如くの変化。
朝7時には久々のタクシー・バスを乗り継ぎ、空港へ。
パネル代金を支出せんが為の社長からの了解を得るためである。
初めて取引でお客様のローン払いとした
ところが、大会社が別にローンを組んだため、二重になる可能性が考えられる。
その是正には現金で私共APAが立替払いである。
どうにも割が合わないが社会的正義が守られない。
月末入金予定の300万を,あてがいたいのでその了解を求めたのである。
ジャックス・元請さん・入金予定の会社の課長さん関係機関の了解を取付け方向性を打ち出した。
その間パネルメーカーからは、連続の電話。
こちらの調整中でおおわらわのことも知らずに。
陽は沈み、陽は又昇る・・委ねとけばいいのに、せからしい。
おかげで新規のお客さんを逃した。田野町の現場である。
請求書を出したり、治めたパソコンの修理など、営業にならない仕事のみ。ホント楽である。こちらに職種変えを希望したい。
都城で電気工事。30日似の基礎現場。を見た、
明日は延岡のパネルあげ、段取りも大変である。
十五夜は、「中秋」つまり陰暦(太陰太陽暦)の八月十五夜に行われるのが一般的。
ただし、よく知られた「中秋の名月」というのは、単に十五夜の月ので、 この月が必ずしも満月(望)であるとは限らない。
因みに、1870年以降の150年間で 中秋の名月と満月が同じになるのは56回(約37.3%)。今年はその満月にあたる。
「中秋」の意味は、8月15日が陰暦の秋である七月、八月、九月のちょうど真中にあたることに よるが、同じ読み方でも「仲秋」となると、こちらは陰暦八月のことをさす。
日本では、明治5年(1872)に太陽暦(グレゴリオ暦)に改暦されて以来、中秋は毎年変化して います。
これは、それまでの太陰太陽暦がある約束事によって32〜35ヵ月ごとに閏月を加えて 1年を13ヵ月としなければならなかったためで、
これにより、現行暦では中秋は早い年で9月上旬 から、遅い年では
10月までずれ込むことになる。
富士山には月見草がよく似合うと言った先哲がいる。
御坂トンネルを出ると突如富士山が目の前に現れる
日南海岸の起点の堀切峠を越えると眼下一面に日向灘の視界が開ける如くである。
御坂旧道 富士山には月見草がよく似合うで有名な天下茶屋のある峠。
御坂旧道(県道708号)に入るには国道137号の藤野木にある分岐路を左へと入っていく。
旧道とはいっても分離帯のある2車線で良く整備されている。
下茶屋は古くは富士見茶屋、天下一茶屋と呼ばれていたそうである。
天下茶屋を有名にしたのはなんといっても太宰治の一節、
「三七七六の富士の山と、立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんと云うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。富士山には、月見草がよく似合う」
太宰治が天下茶屋に滞在したのは昭和13年9月13日から11月15日。
天下茶屋からの富士は美しい。だが、この一節がなければ果たしてこれほど有名になったかどうか。
中国の江蘇省等では、八月十五夜に中秋節として月を祭った。
各家庭では、 祭壇をつくって月餅や芋の煮物、柿、栗、蓮根、菱などを供えたと書いたホーム・ページがある。
幼かりし器頃の風習はどうも中国譲りであったようだ。
各々集落内では、、十五夜の晩にはススキが飾られ、さらに供え物を添えた。それが、全国的に一般化 した行事のようだ。
団子、まんじゅう、おはぎ・・のつくりもの。
サトイモ、サツマイモ、マメ類、ダイコンなどの畑作物
柿、栗、梨、りんごなどの果物
この品々のこの記憶は楽しき思い出として忘れぬことで三つ子の魂百までである。
貰い歩きと盗みの自由な夜。天真爛漫の子供の能力を存分に発揮できた一日。
かつて十五夜や十三夜の供え物は村々の子どもたちが貰い歩くのが一般的。
ただ「貰う」と いっても、家の人に見つからないように盗むのである。
、家の人が黙認するかたちで持っていく場合、 さらには家の人に許可を得てから持っていく場合など、その家によりさまざまなパターンがあった。
また、十五夜の晩には、どこの畑の芋でもとってかまわない、十五夜には、よその家の柿を盗んでよい
等悪事が公然と認められた。いずれも主役は子どもである。
このような習俗は先ほどの通り、中国南部の地方にあり、
日本の場合と少し異なるのは盗みの目的が 子を授かることに由来していることだそうである。
十五夜にとってススキ(カヤ)は欠くことのできなもので、秋の七草のひとつ(尾花)でもある。
わが川原集落でも かつて、ススキは屋根を葺く素材として大量に利用された。
蓑としてレイン・コート農作業時の、背中の日よけのすだれが割りよろしくその素材でもあり、、炭俵を編む 材料としても使われるなど、人びとの生活に有用な植物として位置づけられてきた。
半栽培的な カヤトの維持・管理を山の急斜面で行ってきた。
ススキには本来的な役割として呪術力をもつとする見方があり、こうしたいくつもの流れが 互いに影響を及ぼしながら、収穫儀礼の象徴として十五夜行事の主役をつとめてきたようである。
よって十五夜におけるススキは欠かせないものであった。
、十五夜に供えられるススキは適当な空きびんか花びんにさすのが一般的。
「ハクチョウ」と呼ばれる注ぎ口の長い徳利が利用された。
ススキの本数は、、多くは5本 (十三夜は3本)まれに15本というのが一般的。
「芋名月」は十五夜の別称で、この行事に縁の深いサトイモ(里芋)に因んだ呼び名。
日本では、十五夜ばかりでなく正月にもサトイモを食べる地域が西日本を中心にある。
日本では、明治5年(1872)に太陽暦(グレゴリオ暦)に改暦されて以来、中秋は毎年変化して いる。
これは、それまでの太陰太陽暦がある約束事によって32〜35ヵ月ごとに閏月を加えて 1年を13ヵ月としなければならなかったためで、
これにより、現行暦では中秋は早い年で9月上旬 から、遅い年では10月までずれ込むことになる。
年 中秋の名月(旧8月15日) 満月の日
1999年 9月24日 9月25日 (旧8月16日)
2000年 9月12日 9月14日 (旧8月17日)
2001年 10月1日 10月2日 (旧8月16日)
2002年 9月21日 9月21日 (旧8月15日)
2003年 9月11日 9月11日 (旧8月15日)
2004年 9月28日 9月28日 (旧8月15日)
2005年 9月18日 9月18日 (旧8月15日)
2006年 10月6日 10月7日 (旧8月16日)
2007年 9月25日 9月27日 (旧8月17日)
2008年 9月14日 9月15日 (旧8月16日)
苦難のレース
2004年9月26日延岡の展示会と高城町の会合と行事が重なり、専務は県北に飛んだ。
随分と実績をあげたらしい。
オール電化は50件を超えたという。
九州電力の今年の目標と達成率はまたもや大幅な伸び率となろう。
エネルギーの変化は確実にこの後進県さえ進んでいる。
CO2の増加に拍車がかかろう。
それに比しての太陽光発電の普及にはならなかったようだ。
しかしながらかなりの実績をあげたようである。
その際の基準は隣近所もひとつのファクターになってるようだ。
どうしてもお隣さんにあるメーカーの三洋パネルがいいという。
確かに単結晶は発電量がいい。しかしながら128,000円と
パネル1枚あたりの単価が高い。
4ツの製造メーカーがあるが先行したシャープの独演場の感がある。
パネル1枚の単価は70,000円を割っている。
さらに架台も改良を重ねかなりのコスト・ダウンを計っている。
それぞれ、特徴があるが、APAのみが県内唯一どのメーカーでも
施行出来る。
考えるにつけ、施工業のみの仕事はどうにも経済的に成立しない。
常に下請けの立場であり、単価引き下げの悩みが付きまとう。
セールス専門の会社のみが、うのこ、たけのこの如きの伸び率で増えている。
apaも会社のあり方を論じ合わねば潮流に乗り遅れていてはたまらない。
スタッフの配置の見直しである。
さらにこの数字の厳然たる事実にドウ向き合うかである。
策のないものでなかなか遂行は無理であろう。
日ごとの経営に対する精進がないと発案できぬ。
マァ〜そこんとこが宮崎人。
自らの不勉強は棚上げ。機転が利く奴は、どうにもお目の邪魔。
会社経営の展望を持つでもなし。夢を語ることが出来ない。
どうしようもない金額を数次で示されると現実立ち行かなくなることを頬被りでは未来がない。
現実を直視して明日を見据える。大切なことである。
九電オール電化目標
4月 5月 6月 7月 8月 計
本年 121 215 350 474 631 1791
昨年 91 176 282 381 499 1429
女子マラソン>渋井陽子が日本新記録で優勝 INNベルリン
上州の空っ風が名ランナーを生んだ。
栃木県黒磯市、立那須拓陽高校 出身で昭和54年(1979年)
3月14日生まれ 25歳
身長 164センチ血液型 O型。
有名人になるとココまで明らかにされるんじゃたまった門ではない。
それどころかこれはドウだ。
6段に割れる腹筋がチャームポイント 。
まだまだベールは脱がされる。
■ しぶちゃんの好きなもの 食べ物 / にくじゃがの汁ぶっかけご飯
色 / 水色
好きなこと / 騒ぐこと
モットー / 根性
環境条件の良いベルリンは好記録が生まれる、
渋井陽子は2時間19分41秒の日本新記録で初優勝した。
従来の記録は高橋尚子(スカイネットアジア航空・本社宮崎)が01年9月のこの大会でマークした
2時間19分46秒(当時は世界最高記録)で、3年ぶりに更新した。
女子の日本勢は00年の松尾和美(天満屋)以来、5年連続の優勝。
2位には大南博美(UFJ)。
◇女子マラソン世界歴代10傑◇
(1)2.15.25 ラドクリフ(英国)03年ロンドン
(2)2.18.47 ヌデレバ(ケニア)01年シカゴ
(3)2.19.39 孫英傑(中国)03年北京
(4)2.19.41 渋井陽子(三井住友海上)04年ベルリン
(5)2.19.46 高橋尚子(スカイネットアジア航空)01年ベルリン
(6)2.20.43 ロルーペ(ケニア)99年ベルリン
(6)2.20.43 オカヨ(ケニア)02年ボストン
(8)2.21.06 クリスチャンセン(ノルウェー)85年ロンドン
(9)2.21.16 カスター(米国)03年ロンドン
(10)2.21.18 野口みずき(グローバリー)03年大阪
※所属は現在。カスターは旧姓ドロシンの時の記録
▼渋井陽子の話 (高橋尚子の日本記録を5秒更新して)5秒かー。ま、いいか。
(ゴールの)門(ブランデンブルク門)が待ち遠しかった。
今までの苦しさが、きょうのバネになった。まだまだ、これからです。
再度【略歴】渋井陽子(しぶい・ようこ)
97年、三井海上(現三井住友海上)に入社。
01年大阪国際女子で当時の初マラソン世界最高となる2時間23分11秒で優勝。
その年の世界選手権(カナダ・エドモントン)は4位。
02年10月のシカゴは3位。
その後は左ひざなどの故障に苦しみ、アテネ五輪代表選考会を兼ねた
今年1月の04年大阪国際女子では9位に終わり、代表を逃した。
02年5月にマークした一万メートルの30分48秒89は日本記録。
太陽光発電の普及となんか似通ってるものを感じている。
苦難の跡の勝利。
APAは胸突き八町の38km付近に達している。
ど〜する、どうする。ただ走る抜くしかない。 [編集する]
随分と実績をあげたらしい。
オール電化は50件を超えたという。
九州電力の今年の目標と達成率はまたもや大幅な伸び率となろう。
エネルギーの変化は確実にこの後進県さえ進んでいる。
CO2の増加に拍車がかかろう。
それに比しての太陽光発電の普及にはならなかったようだ。
しかしながらかなりの実績をあげたようである。
その際の基準は隣近所もひとつのファクターになってるようだ。
どうしてもお隣さんにあるメーカーの三洋パネルがいいという。
確かに単結晶は発電量がいい。しかしながら128,000円と
パネル1枚あたりの単価が高い。
4ツの製造メーカーがあるが先行したシャープの独演場の感がある。
パネル1枚の単価は70,000円を割っている。
さらに架台も改良を重ねかなりのコスト・ダウンを計っている。
それぞれ、特徴があるが、APAのみが県内唯一どのメーカーでも
施行出来る。
考えるにつけ、施工業のみの仕事はどうにも経済的に成立しない。
常に下請けの立場であり、単価引き下げの悩みが付きまとう。
セールス専門の会社のみが、うのこ、たけのこの如きの伸び率で増えている。
apaも会社のあり方を論じ合わねば潮流に乗り遅れていてはたまらない。
スタッフの配置の見直しである。
さらにこの数字の厳然たる事実にドウ向き合うかである。
策のないものでなかなか遂行は無理であろう。
日ごとの経営に対する精進がないと発案できぬ。
マァ〜そこんとこが宮崎人。
自らの不勉強は棚上げ。機転が利く奴は、どうにもお目の邪魔。
会社経営の展望を持つでもなし。夢を語ることが出来ない。
どうしようもない金額を数次で示されると現実立ち行かなくなることを頬被りでは未来がない。
現実を直視して明日を見据える。大切なことである。
九電オール電化目標
4月 5月 6月 7月 8月 計
本年 121 215 350 474 631 1791
昨年 91 176 282 381 499 1429
女子マラソン>渋井陽子が日本新記録で優勝 INNベルリン
上州の空っ風が名ランナーを生んだ。
栃木県黒磯市、立那須拓陽高校 出身で昭和54年(1979年)
3月14日生まれ 25歳
身長 164センチ血液型 O型。
有名人になるとココまで明らかにされるんじゃたまった門ではない。
それどころかこれはドウだ。
6段に割れる腹筋がチャームポイント 。
まだまだベールは脱がされる。
■ しぶちゃんの好きなもの 食べ物 / にくじゃがの汁ぶっかけご飯
色 / 水色
好きなこと / 騒ぐこと
モットー / 根性
環境条件の良いベルリンは好記録が生まれる、
渋井陽子は2時間19分41秒の日本新記録で初優勝した。
従来の記録は高橋尚子(スカイネットアジア航空・本社宮崎)が01年9月のこの大会でマークした
2時間19分46秒(当時は世界最高記録)で、3年ぶりに更新した。
女子の日本勢は00年の松尾和美(天満屋)以来、5年連続の優勝。
2位には大南博美(UFJ)。
◇女子マラソン世界歴代10傑◇
(1)2.15.25 ラドクリフ(英国)03年ロンドン
(2)2.18.47 ヌデレバ(ケニア)01年シカゴ
(3)2.19.39 孫英傑(中国)03年北京
(4)2.19.41 渋井陽子(三井住友海上)04年ベルリン
(5)2.19.46 高橋尚子(スカイネットアジア航空)01年ベルリン
(6)2.20.43 ロルーペ(ケニア)99年ベルリン
(6)2.20.43 オカヨ(ケニア)02年ボストン
(8)2.21.06 クリスチャンセン(ノルウェー)85年ロンドン
(9)2.21.16 カスター(米国)03年ロンドン
(10)2.21.18 野口みずき(グローバリー)03年大阪
※所属は現在。カスターは旧姓ドロシンの時の記録
▼渋井陽子の話 (高橋尚子の日本記録を5秒更新して)5秒かー。ま、いいか。
(ゴールの)門(ブランデンブルク門)が待ち遠しかった。
今までの苦しさが、きょうのバネになった。まだまだ、これからです。
再度【略歴】渋井陽子(しぶい・ようこ)
97年、三井海上(現三井住友海上)に入社。
01年大阪国際女子で当時の初マラソン世界最高となる2時間23分11秒で優勝。
その年の世界選手権(カナダ・エドモントン)は4位。
02年10月のシカゴは3位。
その後は左ひざなどの故障に苦しみ、アテネ五輪代表選考会を兼ねた
今年1月の04年大阪国際女子では9位に終わり、代表を逃した。
02年5月にマークした一万メートルの30分48秒89は日本記録。
太陽光発電の普及となんか似通ってるものを感じている。
苦難の跡の勝利。
APAは胸突き八町の38km付近に達している。
ど〜する、どうする。ただ走る抜くしかない。 [編集する]
古きを訪ねて新たらしきを知る
2004年9月25日国の借金が公表され魔や膨れ上がってることがわかった。
何処に小泉の三位一体改革の成果があると言うのか。
竹中の誇らしげな財政改革が空しく思い出す。
何をやってきたのやら。スタンド・プレーでしかない。
過去最高の借金!「数字は総てを物語っている。」
国の発行する国債や借入金は729兆で一人当りの借金は570万になる。
なお、地方が204兆円もあり、合計は933兆円にもなる。
一体借金はどれだけあるのか。
この三ヶ月で3,7パーセントも増えている。これは何か。
ここに選挙対策を感じる。
また低金利のうちに長期の借り入れをしたことが読み取れる。
それが意図するところは何か。
米国の金利引上げを絡めて考えると見えてくるものがある。
つまり日銀を金利引上げに誘導してることである。
冷酷なる数字の裏側から今後の展開が読めてくる。
APAも12月の決算を控え、いよいよ仕事の取り組みを利益本位で考えねばならない。
利益率の薄い経営からの脱却である。
さらには公共事業の受注企業を目指しての営業に入ってるが
APAの理念の確立が遅れている。
どうにも中小企業にありがちの社長専制がいまだまかり通る古き企業である。
このままではいづれ社会の波にもまれ淘汰されていくであろう。
会社の私物化で社会的企業の認識に欠けている企業には発展はない。
情報公開で確実に進歩していく姿が出ない限り発展する要素は欠落している。
隠蔽されたままで発展していく企業はない。
国にある特殊法人なりの58兆円もの行方とか、表に出てきてない
保証債務、最近の金融再生機構のシュツピした額の回収状況。
この国を愛するがゆえにこの国の未来を憂える。
黙して語らずで先人に学ぶがいい。静かなる対話で未来を見据える。
大淀川べりに立つ11階のマンションの電気温水器を取り替えた。
投入人数と考えて完全なる利益率の悪い現場。
昨日無理に頂いた現場ゆえ仕方ない。
ところが続け様2件を頂いた。これで経理上は美味くいく。
これぞ!食いつき商法。
マンションの部屋の中ゆえ取替えは困難を極め慎重に進めなければならない。
工事中の切断された配管の切り口を見て驚いた。
本管の錆が集中して溜まりまったく水の通る空洞がない。
自然界は摩訶不思議が起こる。西都市に27日からの準備の下見に行くと、その日はコンクリートを張るという。
元請の担当さんに言うと
「かってに現場に行くな!」
と問題のすり替え。
てメェさんの責任はどうなってるのか。
私共が出向かなければどうやって、27日を迎えていたことであろう。
大企業の痒きところに届かない限界である。
夕方は電気工事の現場に行く。不思議な霊気のある家。
このあたり生目は確かに霊感新たな地区。
神宮の平和台からの景清廊も存在し浄瑠璃の世界が展開している。
だが、お寺さんの培われた歴史は国家の手で破壊された。
信長の比叡山焼き討ちの限定された犯罪どころの比ではない。
「心頭を滅却すれば、火もまた涼し」。
塩山・恵林寺の快川禅師が武田軍の生き残りを匿った為、
織田信長軍の火攻めの中で最後に残した言葉としてつとに有名。
各地の文化を支えた偉人たちは消え入ったのであろう。
寅さんの葛飾柴又がイイのは帝釈天が今も残りこれがあるからである。
明治の廃仏毀釈なる民族破壊の欧化政策の実情がこの地に披瀝されている。
平安時代の頃からの脈々と受け継がれてきたことの明治国家の犯罪!。
妙円寺なる古刹があったようである。
法華宗の本勝寺として藤元智明師が祭られ始めたのは昭和の10年である。
36年9、28に78歳で逝去されてるので智明院日徳上人となられお話をすることはかなわぬ。
現在のお坊さん日高妙浄師は西都市に中武道明として在籍され大字三宅でどうやら重複管理のようである。
このお守りの家は不在であった。
仕事の合間にドンよりの夕方、妙円寺跡の石塔墓標を見て歩いた。
平成16年3月27日に建立された教育委員会の説明版。
よくも今までほおっておいたものだ。
県指定有形文化財とある。
南北朝時代の681基は5輪の塔、546は板碑、10はその他で
1237基がパノラマ状に段々と地形に合わせて配置されている。
天空に伸び行く様である。
1363年は貞治年間、1385年至徳年間に建立されたようである。
日蓮宗の日向伝播を知る上で貴重な資料であろう。
本拠地たる黒貫寺、大安寺ともあわせ考えることとしたい。
ただ、放置されてきたことで墓碑銘は苔むして読み取れないのが殆ど。
その中で門川伊東の伊東祐景あの猛将5世祐武の五輪の塔があった。
さらに祐重公とココは伊東氏の略系図が必要である。
こんなところに何故と考えてみた。
生目神社の勢力があり、武士社会の発展が新旧勢力の力の拮抗の中でお互いが監視しあったのではないか。
丁度小泉が秘書・飯島の策略の下ドンキホーテよろしく旧守派のレッテルをはり、挙句には棟梁たる橋本竜太郎を司直の手に落ちさせようとの戦いを見るが如くである。
ふるきを訪ね・・・は歴史だけでいい。
曙のK−1は今日も無残。昨日のスポーツ紙ではプロレス転向が書いてあったが正鵠である。
厳しき現実に立ち向かうには正確なる己の把握である。
太陽光発電にも適用できる課題でもある。
何処に小泉の三位一体改革の成果があると言うのか。
竹中の誇らしげな財政改革が空しく思い出す。
何をやってきたのやら。スタンド・プレーでしかない。
過去最高の借金!「数字は総てを物語っている。」
国の発行する国債や借入金は729兆で一人当りの借金は570万になる。
なお、地方が204兆円もあり、合計は933兆円にもなる。
一体借金はどれだけあるのか。
この三ヶ月で3,7パーセントも増えている。これは何か。
ここに選挙対策を感じる。
また低金利のうちに長期の借り入れをしたことが読み取れる。
それが意図するところは何か。
米国の金利引上げを絡めて考えると見えてくるものがある。
つまり日銀を金利引上げに誘導してることである。
冷酷なる数字の裏側から今後の展開が読めてくる。
APAも12月の決算を控え、いよいよ仕事の取り組みを利益本位で考えねばならない。
利益率の薄い経営からの脱却である。
さらには公共事業の受注企業を目指しての営業に入ってるが
APAの理念の確立が遅れている。
どうにも中小企業にありがちの社長専制がいまだまかり通る古き企業である。
このままではいづれ社会の波にもまれ淘汰されていくであろう。
会社の私物化で社会的企業の認識に欠けている企業には発展はない。
情報公開で確実に進歩していく姿が出ない限り発展する要素は欠落している。
隠蔽されたままで発展していく企業はない。
国にある特殊法人なりの58兆円もの行方とか、表に出てきてない
保証債務、最近の金融再生機構のシュツピした額の回収状況。
この国を愛するがゆえにこの国の未来を憂える。
黙して語らずで先人に学ぶがいい。静かなる対話で未来を見据える。
大淀川べりに立つ11階のマンションの電気温水器を取り替えた。
投入人数と考えて完全なる利益率の悪い現場。
昨日無理に頂いた現場ゆえ仕方ない。
ところが続け様2件を頂いた。これで経理上は美味くいく。
これぞ!食いつき商法。
マンションの部屋の中ゆえ取替えは困難を極め慎重に進めなければならない。
工事中の切断された配管の切り口を見て驚いた。
本管の錆が集中して溜まりまったく水の通る空洞がない。
自然界は摩訶不思議が起こる。西都市に27日からの準備の下見に行くと、その日はコンクリートを張るという。
元請の担当さんに言うと
「かってに現場に行くな!」
と問題のすり替え。
てメェさんの責任はどうなってるのか。
私共が出向かなければどうやって、27日を迎えていたことであろう。
大企業の痒きところに届かない限界である。
夕方は電気工事の現場に行く。不思議な霊気のある家。
このあたり生目は確かに霊感新たな地区。
神宮の平和台からの景清廊も存在し浄瑠璃の世界が展開している。
だが、お寺さんの培われた歴史は国家の手で破壊された。
信長の比叡山焼き討ちの限定された犯罪どころの比ではない。
「心頭を滅却すれば、火もまた涼し」。
塩山・恵林寺の快川禅師が武田軍の生き残りを匿った為、
織田信長軍の火攻めの中で最後に残した言葉としてつとに有名。
各地の文化を支えた偉人たちは消え入ったのであろう。
寅さんの葛飾柴又がイイのは帝釈天が今も残りこれがあるからである。
明治の廃仏毀釈なる民族破壊の欧化政策の実情がこの地に披瀝されている。
平安時代の頃からの脈々と受け継がれてきたことの明治国家の犯罪!。
妙円寺なる古刹があったようである。
法華宗の本勝寺として藤元智明師が祭られ始めたのは昭和の10年である。
36年9、28に78歳で逝去されてるので智明院日徳上人となられお話をすることはかなわぬ。
現在のお坊さん日高妙浄師は西都市に中武道明として在籍され大字三宅でどうやら重複管理のようである。
このお守りの家は不在であった。
仕事の合間にドンよりの夕方、妙円寺跡の石塔墓標を見て歩いた。
平成16年3月27日に建立された教育委員会の説明版。
よくも今までほおっておいたものだ。
県指定有形文化財とある。
南北朝時代の681基は5輪の塔、546は板碑、10はその他で
1237基がパノラマ状に段々と地形に合わせて配置されている。
天空に伸び行く様である。
1363年は貞治年間、1385年至徳年間に建立されたようである。
日蓮宗の日向伝播を知る上で貴重な資料であろう。
本拠地たる黒貫寺、大安寺ともあわせ考えることとしたい。
ただ、放置されてきたことで墓碑銘は苔むして読み取れないのが殆ど。
その中で門川伊東の伊東祐景あの猛将5世祐武の五輪の塔があった。
さらに祐重公とココは伊東氏の略系図が必要である。
こんなところに何故と考えてみた。
生目神社の勢力があり、武士社会の発展が新旧勢力の力の拮抗の中でお互いが監視しあったのではないか。
丁度小泉が秘書・飯島の策略の下ドンキホーテよろしく旧守派のレッテルをはり、挙句には棟梁たる橋本竜太郎を司直の手に落ちさせようとの戦いを見るが如くである。
ふるきを訪ね・・・は歴史だけでいい。
曙のK−1は今日も無残。昨日のスポーツ紙ではプロレス転向が書いてあったが正鵠である。
厳しき現実に立ち向かうには正確なる己の把握である。
太陽光発電にも適用できる課題でもある。
焦り?ネットワーク・ビジネス
2004年9月24日予定していた西都市穂北の新築の現場が中止になぅた。
すわ〜っ事である。
職人集団を遊ばせることにはならない。
日程をくんで動いているので、このようなことが生じるのが一番辛い。
大会社の課長さん頼み。
「なんか仕事ないですか。」
「救急にあるもんか!」
当然のことである。
これからが食い下がり方の真髄。
そう簡単には秘中の秘はばらせまい。
「エアコン室外機の移設を今日行い、明日マンション6Fの電気温水器の取外し新設工事を頂いた。
正に神業。すれすれである。
どうにも不景気が10数年も続くと仕事がない。
かって悪名をはせたネズミ講の天下一家の会。
いまだ名を変え姿を変えて多角的に存在している。
その残業を見たければ天神山のところの無残な食いつぶしの後を見るがいい。あこがれのホテル。
建物でわかりやすいが関係した人間の荒廃は、いかほどであろうか。
夜はその組織の一端を垣間見た。
別にそのネズミ講の組織に足を好んで入れたわけではない。
APAはまったく無縁である。
「銀行員や先生も来るので、太陽光発電の説明をしてほしい」
との依頼があったからである。
先般もポリシーが同じと感じ取って人を介して来宮中の東京の社長さんに会った。
電球を替え、消費電力を抑える商品のお話であった。
ところがマージンの何パーセントかはその人を会した人が取るのである。そこまでは納得しよう。なぜ納得いかないのか。
それは昨夜説明会があったのにその会場には案内せずに今日である。
これではいただけない。
なんてぇ事はない私共を組織の中に巻き込むだけである。
中国で生産され、国内メーカー商品に立ち向かう商品での姿勢をかったのにこれでは致し方ない。
きっぱり、
「ネズミ講ではないのか。」
鋭く追及するがこたえるはずはない。
この呪文の言葉「ネズミ講」を「南無阿無陀仏」と唱える如く唱へ
邪気を払うのである。
この組織にかかわってる人の撃退法、逃げ出す方法である。
ネット・ワークビジネスと名前を変え数多く存在している。
上場企業でもあるアムウェイの名は余りにも有名である。
アメリカのネットワークビジネス業界の総売上は10兆円以上とも言われ、全米で2000万人以上の人が組織にかかわる専門的立場と言う。
日本のネットワークビジネス市場は1兆円以上と言われ、国内では総人口の13%、1500万人との数字がある。
80年代のネットワークビジネスを悪徳ピラミッド商法と言ったが
名前を変えたネットワークビジネスを紳士、淑女のビジネスと言うのだからたまらない。
コンサル界の神様、カリスマを備えてきた、
株)船井総合研究所 船井幸雄の言葉。
「私は21世紀は「クチコミと自主性の時代」になると思っています。すでに数百万人が日本でネットワークビジネスに携わっており
これから10年、最も注目でき,伸びるビジネスのような気がします」
謳い文句も純な方々にはたまらない。
誰でもが小額の資金で大きな可能性のビジネスに参加ができる
自分のペースで自由な時間に活動できる
あなたに合った多彩な方法論、戦略がある
あなたの仕事は開拓するだけ、あとは会社がすべてを行う
学歴、性別、年齢、家柄などは必要ない!
月収5万円? 月収1000万円?選ぶのはあなた!
収入だけではない、楽しみがいっぱいのネットワークビジネスの世界
人生の成功者になる為の近道がある
ネットワークビジネス業界には隙間ではなく、空間がある
私がはまりそうでもあるきわめの言葉がこんなにも並ぶ。
参加してる中で自分のみが異端児扱いの雰囲気。
確信をして、真剣に取り組めば、収入的な成功以外にも人間的な成功、成長が得られるビジネスである。と追い討ちをかける。
持参した太陽光発電の説明資料はする雰囲気ではなく、その時間もなかった。
私以外のAPAの社員のみにサンプルが渡された。
どうも素直さがナイと判断されたようである。
所詮二頭を追うものは一頭も得ずのようである。
焦りがあるのかもしれない。
自戒と自責のねんでいっぱいである。
すわ〜っ事である。
職人集団を遊ばせることにはならない。
日程をくんで動いているので、このようなことが生じるのが一番辛い。
大会社の課長さん頼み。
「なんか仕事ないですか。」
「救急にあるもんか!」
当然のことである。
これからが食い下がり方の真髄。
そう簡単には秘中の秘はばらせまい。
「エアコン室外機の移設を今日行い、明日マンション6Fの電気温水器の取外し新設工事を頂いた。
正に神業。すれすれである。
どうにも不景気が10数年も続くと仕事がない。
かって悪名をはせたネズミ講の天下一家の会。
いまだ名を変え姿を変えて多角的に存在している。
その残業を見たければ天神山のところの無残な食いつぶしの後を見るがいい。あこがれのホテル。
建物でわかりやすいが関係した人間の荒廃は、いかほどであろうか。
夜はその組織の一端を垣間見た。
別にそのネズミ講の組織に足を好んで入れたわけではない。
APAはまったく無縁である。
「銀行員や先生も来るので、太陽光発電の説明をしてほしい」
との依頼があったからである。
先般もポリシーが同じと感じ取って人を介して来宮中の東京の社長さんに会った。
電球を替え、消費電力を抑える商品のお話であった。
ところがマージンの何パーセントかはその人を会した人が取るのである。そこまでは納得しよう。なぜ納得いかないのか。
それは昨夜説明会があったのにその会場には案内せずに今日である。
これではいただけない。
なんてぇ事はない私共を組織の中に巻き込むだけである。
中国で生産され、国内メーカー商品に立ち向かう商品での姿勢をかったのにこれでは致し方ない。
きっぱり、
「ネズミ講ではないのか。」
鋭く追及するがこたえるはずはない。
この呪文の言葉「ネズミ講」を「南無阿無陀仏」と唱える如く唱へ
邪気を払うのである。
この組織にかかわってる人の撃退法、逃げ出す方法である。
ネット・ワークビジネスと名前を変え数多く存在している。
上場企業でもあるアムウェイの名は余りにも有名である。
アメリカのネットワークビジネス業界の総売上は10兆円以上とも言われ、全米で2000万人以上の人が組織にかかわる専門的立場と言う。
日本のネットワークビジネス市場は1兆円以上と言われ、国内では総人口の13%、1500万人との数字がある。
80年代のネットワークビジネスを悪徳ピラミッド商法と言ったが
名前を変えたネットワークビジネスを紳士、淑女のビジネスと言うのだからたまらない。
コンサル界の神様、カリスマを備えてきた、
株)船井総合研究所 船井幸雄の言葉。
「私は21世紀は「クチコミと自主性の時代」になると思っています。すでに数百万人が日本でネットワークビジネスに携わっており
これから10年、最も注目でき,伸びるビジネスのような気がします」
謳い文句も純な方々にはたまらない。
誰でもが小額の資金で大きな可能性のビジネスに参加ができる
自分のペースで自由な時間に活動できる
あなたに合った多彩な方法論、戦略がある
あなたの仕事は開拓するだけ、あとは会社がすべてを行う
学歴、性別、年齢、家柄などは必要ない!
月収5万円? 月収1000万円?選ぶのはあなた!
収入だけではない、楽しみがいっぱいのネットワークビジネスの世界
人生の成功者になる為の近道がある
ネットワークビジネス業界には隙間ではなく、空間がある
私がはまりそうでもあるきわめの言葉がこんなにも並ぶ。
参加してる中で自分のみが異端児扱いの雰囲気。
確信をして、真剣に取り組めば、収入的な成功以外にも人間的な成功、成長が得られるビジネスである。と追い討ちをかける。
持参した太陽光発電の説明資料はする雰囲気ではなく、その時間もなかった。
私以外のAPAの社員のみにサンプルが渡された。
どうも素直さがナイと判断されたようである。
所詮二頭を追うものは一頭も得ずのようである。
焦りがあるのかもしれない。
自戒と自責のねんでいっぱいである。
彼岸の果て。
2004年9月23日敬老の日から今日のご先祖様を偲ぶ彼岸と続き、活力溢れた夏が終わっていく。
言われてきた暑さ寒さも彼岸までの言葉も満ち溢れたCO2の影響で何週間かズレが生じてるようである。
忌みを払う季節の変わり目の節目の行事も少しはずれて行くのであろうか。私には丁度いい。
今日も真夏日。私の背中をふるさとに行くように推し進める。
既に奇人となりし、人でなし、には今日も休まず、営業せきやん何処へ行くとご縁など、どこ吹く風。
ここんとこ、まったく人の道を外れている。
いずれ罰当たり野郎にはお天道様が許されるはずがない。
早朝怪物先生さんからの電話指示でシーガイヤ近くにお住まいの
琴古流・尺八の青木鈴慕直門の宇土益夫氏宅に伺う。
APAの若様○藤さんも同行してくれる。
あちこちに連れまわされる栄誉を同じくする為である。
営業の極意はまず、盗むことから始まり、自己流にアレンジすればいい。
職人集団は清武の病院のエコキュート基本管のやり直しである。
夜の報告では無事圧力の復帰が出来たようで他社の施工ミスのカバーを見事にこなしてくれた。
尺八のニ大流派は琴古流と都山流で、他に明暗流、竹保流、上田流などがあると先日書いた状況である。
よって今日は前回とは趣、心構えがやや違う。
ところがドウだ。いきなりのご挨拶には驚いた。
宮城道雄の「春の海」の直伝の披露曲で、すっかり幽玄の奏る笛の虜。
これでは中能島欣一による曲「赤壁の賦」「さらし幻想曲」
「ひぐらし」と続く期待ももたれたか、お墓まいりの身内の方がこられ
退散。
捜し求めたレコードのこの方の吹き込まれたドーナツ盤はビクターでなくCOLUMBIAであった。PCP−720
奈須稔、大矢美保子のひえつき節の次には刈り干し切歌で宇土益夫と確かなる刻印。一度は出したいレコーデング曲を成し遂げておられる。
B面には折小野良一監修と民社党王国の延岡の政治史さえ思い起こされる刻印。ばんば踊りの曲は村田英雄が歌っている。
時代の移ろいはこれらも現代曲というよりは古典的な扱いになっているのかもしれない。
青葉の笛・・・なんか聞き覚えがある
平安時代の末期、平治の乱に破れ、再起を目指す源義平。
朝日の里に落ち延びてるなか、里の娘”おみつ”と恋に落ちる。
娘は子供を身ごもる。再起をあきらめ、里で平和な暮らしを望みはじめた義平であったが、父の訃報を耳にして上洛。
その時、娘に
「男が生まれたら自分の志を継がせ、女子が産まれたら母娘ともに笛を 吹きながら自分を偲んでくれるように」
と横笛を託した。
チョツトまて!これってひえつき節ヂャン。
鶴富と奈須大八の悲恋そのもの。
かくして、義平は京で奮戦したが、落命。
女子を産んだ娘は尼となり、生涯横笛を吹きながら義平を弔った。
その笛が「青葉の笛」として今に語り継がれている。
場所/神戸市須磨区須磨寺町
須磨寺の境内の宝物殿には「青葉の笛」がある。
青葉の笛は、館の中央のガラスケースの中の黄金製ズシの中に納められている。
笛は2本あり、1つは高麗笛で、もう1つが「青葉の笛」。
前名を「小枝の笛」といったもの。
青葉の笛は須磨寺のいい伝えによると、昔弘法大師が唐へ留学したときに作ったものだそうだ。
不思議なことに、その笛から3本の枝と葉が、芽吹いた。
非常に珍しいということで帰国後嵯峨天皇にさし上げた。
時代が変わり、父から平敦盛は青葉の笛をゆずりうけた。
歴史はイラクでわかる通り、勝者の作るものがここにもある。
音が発生するときに音の波長は管の長さより少し長くなり、
これを物理では開口端補正という。
尺八は開口端から息を吹き付けますので、この補正量を息で調節することができる。
ですから、息で音の高さを調節して自由に音色をあやつることができる(メリカリ)というわけである。
アカエの工場、空港、シーガイヤの現場ととびまわり、ようやく解放。
これで今日はこのご仁とはおわかれ。?・・・
○藤さん高岡町に設計に出向く。ところがまたもやここに登場。
あっさりと恋も生命も捨て諦めるの心境。
野尻町の開拓地の記念碑のある山頂に立つ。
87坪の牛御殿は、オール電化だが
所詮そこまでの浅知恵のようであった。
車やさんでご夫婦にお説明をしてご契約。
大工さんの仲間入りと紹介の要請をお願いした。
欲、名誉を捨ててまい進すれど大願成就にはまだである。
順当なここんとこの組織力に加え販売力が出来上がっている。
そろそろ潮時も近いのか。
秋風が吹き始める頃までの再建APAも後一歩。
水道の職人さんより兄の負傷事故や眼球の治療を初めて聞く。
慟哭の嗚咽は見られてしまったのか。
今日一切は無常。唯一人精進する、常に流るるが如く生き、手をあわせる。
一年が短い。朽果てる如く腐っていく。
我ココにおり、後悔せず。
捨て身で生きる独行動。武人の決意。
我一人孤高の歩き。
何故に仕事は一人しかとってこないのか。
若者が気づき始めたのか明日も同行してくれると言う。
どうも教える相手を間違っていたようである。
今一歩でとりあえずの完成の域に達してるのか。
引き際がカンジン。優秀の美でAPAの発展に賭けたい。
太陽光発電。日増しに伸び行くAPA。
五感の総てを感じて成長振りが見て取れる。
抹香臭くなってきた。秋はそこまできてるのか。
いっこうにその気配のない宮崎の残夏の一日。
あれ!めし。昼は今日もなし。よくやるわ〜
彼岸の果ての何もない世界。
心の空虚さ、未来を作らねばこの場は終わらない。
言われてきた暑さ寒さも彼岸までの言葉も満ち溢れたCO2の影響で何週間かズレが生じてるようである。
忌みを払う季節の変わり目の節目の行事も少しはずれて行くのであろうか。私には丁度いい。
今日も真夏日。私の背中をふるさとに行くように推し進める。
既に奇人となりし、人でなし、には今日も休まず、営業せきやん何処へ行くとご縁など、どこ吹く風。
ここんとこ、まったく人の道を外れている。
いずれ罰当たり野郎にはお天道様が許されるはずがない。
早朝怪物先生さんからの電話指示でシーガイヤ近くにお住まいの
琴古流・尺八の青木鈴慕直門の宇土益夫氏宅に伺う。
APAの若様○藤さんも同行してくれる。
あちこちに連れまわされる栄誉を同じくする為である。
営業の極意はまず、盗むことから始まり、自己流にアレンジすればいい。
職人集団は清武の病院のエコキュート基本管のやり直しである。
夜の報告では無事圧力の復帰が出来たようで他社の施工ミスのカバーを見事にこなしてくれた。
尺八のニ大流派は琴古流と都山流で、他に明暗流、竹保流、上田流などがあると先日書いた状況である。
よって今日は前回とは趣、心構えがやや違う。
ところがドウだ。いきなりのご挨拶には驚いた。
宮城道雄の「春の海」の直伝の披露曲で、すっかり幽玄の奏る笛の虜。
これでは中能島欣一による曲「赤壁の賦」「さらし幻想曲」
「ひぐらし」と続く期待ももたれたか、お墓まいりの身内の方がこられ
退散。
捜し求めたレコードのこの方の吹き込まれたドーナツ盤はビクターでなくCOLUMBIAであった。PCP−720
奈須稔、大矢美保子のひえつき節の次には刈り干し切歌で宇土益夫と確かなる刻印。一度は出したいレコーデング曲を成し遂げておられる。
B面には折小野良一監修と民社党王国の延岡の政治史さえ思い起こされる刻印。ばんば踊りの曲は村田英雄が歌っている。
時代の移ろいはこれらも現代曲というよりは古典的な扱いになっているのかもしれない。
青葉の笛・・・なんか聞き覚えがある
平安時代の末期、平治の乱に破れ、再起を目指す源義平。
朝日の里に落ち延びてるなか、里の娘”おみつ”と恋に落ちる。
娘は子供を身ごもる。再起をあきらめ、里で平和な暮らしを望みはじめた義平であったが、父の訃報を耳にして上洛。
その時、娘に
「男が生まれたら自分の志を継がせ、女子が産まれたら母娘ともに笛を 吹きながら自分を偲んでくれるように」
と横笛を託した。
チョツトまて!これってひえつき節ヂャン。
鶴富と奈須大八の悲恋そのもの。
かくして、義平は京で奮戦したが、落命。
女子を産んだ娘は尼となり、生涯横笛を吹きながら義平を弔った。
その笛が「青葉の笛」として今に語り継がれている。
場所/神戸市須磨区須磨寺町
須磨寺の境内の宝物殿には「青葉の笛」がある。
青葉の笛は、館の中央のガラスケースの中の黄金製ズシの中に納められている。
笛は2本あり、1つは高麗笛で、もう1つが「青葉の笛」。
前名を「小枝の笛」といったもの。
青葉の笛は須磨寺のいい伝えによると、昔弘法大師が唐へ留学したときに作ったものだそうだ。
不思議なことに、その笛から3本の枝と葉が、芽吹いた。
非常に珍しいということで帰国後嵯峨天皇にさし上げた。
時代が変わり、父から平敦盛は青葉の笛をゆずりうけた。
歴史はイラクでわかる通り、勝者の作るものがここにもある。
音が発生するときに音の波長は管の長さより少し長くなり、
これを物理では開口端補正という。
尺八は開口端から息を吹き付けますので、この補正量を息で調節することができる。
ですから、息で音の高さを調節して自由に音色をあやつることができる(メリカリ)というわけである。
アカエの工場、空港、シーガイヤの現場ととびまわり、ようやく解放。
これで今日はこのご仁とはおわかれ。?・・・
○藤さん高岡町に設計に出向く。ところがまたもやここに登場。
あっさりと恋も生命も捨て諦めるの心境。
野尻町の開拓地の記念碑のある山頂に立つ。
87坪の牛御殿は、オール電化だが
所詮そこまでの浅知恵のようであった。
車やさんでご夫婦にお説明をしてご契約。
大工さんの仲間入りと紹介の要請をお願いした。
欲、名誉を捨ててまい進すれど大願成就にはまだである。
順当なここんとこの組織力に加え販売力が出来上がっている。
そろそろ潮時も近いのか。
秋風が吹き始める頃までの再建APAも後一歩。
水道の職人さんより兄の負傷事故や眼球の治療を初めて聞く。
慟哭の嗚咽は見られてしまったのか。
今日一切は無常。唯一人精進する、常に流るるが如く生き、手をあわせる。
一年が短い。朽果てる如く腐っていく。
我ココにおり、後悔せず。
捨て身で生きる独行動。武人の決意。
我一人孤高の歩き。
何故に仕事は一人しかとってこないのか。
若者が気づき始めたのか明日も同行してくれると言う。
どうも教える相手を間違っていたようである。
今一歩でとりあえずの完成の域に達してるのか。
引き際がカンジン。優秀の美でAPAの発展に賭けたい。
太陽光発電。日増しに伸び行くAPA。
五感の総てを感じて成長振りが見て取れる。
抹香臭くなってきた。秋はそこまできてるのか。
いっこうにその気配のない宮崎の残夏の一日。
あれ!めし。昼は今日もなし。よくやるわ〜
彼岸の果ての何もない世界。
心の空虚さ、未来を作らねばこの場は終わらない。