温泉の恵み。

2004年9月1日
昨日は立春から数えて210日で忌み嫌う日。
稲の普通作の都城では稲穂の開花するを見計らったように16号台風の襲来を受けた。

稲穂に実の入ってない白穂にならなければいいが。・・・
月初めの今日は災害記念日であるが、浅間山が爆発したそうである。

奇妙な一致は憑き物の国たる我が国からして、気味が悪い。
東京に行くと必ず西郷さんの銅像のある広小路口から上がる。

浅草寺で道中の無事を祈った後ゆえ気持ちは楽である。
西郷さんをいただき、すぐヨコの記念碑をどれだけ注意してみることであろうか。

昭和10年9月東京市の建立とある。災害を忘れぬ為の記憶である。
大正12年1923年9.15皇太子たる昭和天皇は惨状をココより見たとある。

どのような思いで、関東大震災の惨状を見届けられらのか。
歴史は繰り返され、忘れた頃にやってくる。

関東大震災クラスのマグネチュウード7の地震が来る確立は70%と言う。知られてるのに首都移転等何ら対策はない。

こうなりゃ神に祈るのみ。せめて浅間山ぐらいで勘弁してほしいものだ。

ときに機敏な大型テーマパークは災害の国の裏返しで経営再建の切り札たる温泉施設を急いでいる。

豊島園はいまや絶叫マシーンだけでなく、「庭の湯」の温泉施設で賑わっている。投資額15億円。

大型アトラクション60〜100億にすればやすいもの。
この半径5kmには120万人を擁している。お客さん予備軍がある。
入館料2250円で客単価は4000円と客層をも増やした。

ビッグ・エッグ東京ドームの後楽園遊園地はジェツト・コースターの
後に「ラクーア}を開設。お台場には大江戸温泉物語。

今まで呼び込めなかった客層を呼び込んでいる目先を変えた少子化の姿がある。
全国の現象でもある。

小山遊園地。ラグーナ蒲郡、志摩スペイン村、ニューレオマワールド、やすらぎ伊王島・・・

全国のテーマ・パークの経営難からの脱皮策である。

ワンダーラクテンチは04年4月パノラマ温泉として別府ラクテンチからの変身振りである。

シーガイアはこの10月1万平方メートルの敷地に天然温泉「松泉宮」としてオープンする

温泉人気で全国の温泉は増加の一途である。
02年で245ヶ所増え2万7041ヶ所。

天然温泉を引いた施設は全国6738ヶ所。
10年前の2倍になっている。

02年に一割増え2287件公衆浴場形式は減り、テーマ・パークやスーパー銭湯が増えている。湧き出る温泉の総領は減っている。

最近あちこちにある偽表示が表ざたになっているが、泉源が枯れた為である。枯渇現象には泉源水位の低下がある。

地球環境問題から来る水位の低下が生じてるが明日検証してみたい。
温泉の繁盛には時代の変化もある。

IT産業発達による癒しの場の変化。
温泉利用の公衆浴場は7000ヵ所。
60歳以上の高齢者の若者との交流なしは52パーセントと
初の過半数を越えた。

東京都内の1117軒の銭湯は70年比の4割。
100軒に露天風呂が有り、天然温泉は3軒を数える。

名曲神田川の生まれる要素は微かには残っているが大型テーマパークの前に淘汰されている。

流通業界がおばちゃんの店を食いつぶし何処にもコンビニが乱立してる現象と同じである。

宮崎においてはスーパー銭湯のアリサカが3店舗で頑張っている。
シーガイアのオープンにに戦々恐々であろうが  
利用料金のわからぬリップウッド社のマイケル・グレーニーにして温泉がわかるはずがない。

大淀川左岸のホテル街のたまゆらの湯は料金を一考してほしい。
大淀川右岸の小松は中央眼科の医は算術で買収したが休業してる。
ご多分にもれず、老健施設となる。

県病院前ラグーンは女子専用の感有り。行きずらい。
神宮には料理前の風呂で大変ありがたい。

各町ごとに温泉が出来ている。
高岡はレジオネラ対策が過ぎている。
臭くてたまらぬ加減は出来ぬのか。田舎もん!

西都はよくなった。ヤクルトは再考してほしい。
こうなりゃシダックスをプロにしようか。ノムさん。

児湯郡は都農町以外は全部完備して何処もいい。

尤も川南町はどうにもいただけない。
隣りの牛舎はどうにかしてほしい。

高鍋、木城の立地選定のすばらしさ。

高千穂、野尻、串間どこもすばらしい。
えびの界隈の霧島は論評に値しないぐらい何処も太鼓判。

霧島温泉では硫黄谷温泉に総ては尽きる。
おそらく日本一の広さ、お湯の噴出量であろう。

日本人最初の夫婦旅行の竜馬夫婦はお目が高い。
この地のこの温泉で維新の構想を練ったようである。

青森の浅虫温泉には名より実を感じた。
名湯が次々に枯れてる野がさびしい。

国富には世界一のプラズマ工場が建設されるのに施設がない。
IT産業と温泉の両立は進行してるが休日に混雑はどうにもいただけない。

わが国におけるパーソナルコンピュータの
平成16年度第1四半期(16年4〜6月)出荷実績

平成16年度 第1四半期出荷実績内訳

【 1.台数 】(単位:千台)

総出荷 前年比 国内出荷 前年比 輸出 前年比
本体出荷台数 計 2,762 103% 2,561 102% 201 126%
内訳 サーバ/  1,124 103%  1,123    103%   1 107%
内   デスクトップ
訳 オールインワン 686 112% 686 112% 0 0%
単体 438 91% 437 91% 1 107%
ノート型 1,638 103% 1,438 100% 200  126%
内 モバイル
訳 ノート型    548  116% 374 109%  174 132%
A4ノート型その他 1,090  98%  1,064   98%   26   97%

【 2.金額 】 (単位:億円)
        総出荷 前年比 国内出荷 前年比 輸出 前年比
本体出荷金額 計 3,997  96%   3,735   95% 262 118%
  デスクトップ
内訳 サーバ/  1,559  95%   1,556   95%  3  67%

訳 オールインワン1,027  97%  1,027   97%  0   0%
単体        532  91%   529   91%  3   67%
ノート型     2,438  97%  2,179   95% 259  119%

訳 モバイルノート型 765 109%   575   106% 190  120%
A4ノート型・その他 1,673 92%  1,604   92%    119%

高城に飛んでいった。太陽光発電を生活に取り入れようとの話である。どうにかなるであろう。

グループ会社は慰安旅行。台風一過後なのに、バカ社長はAPAの何たるかがわかっていない。勇気をもって変更せねば。せめてAPAのみは。

残ったものは哀れなもの。飛んで回っている。
車庫の修理に屋根の補修。
16号のツメ跡は随所にある。お客さんの悩みはAPAの悩み。

常にお客さんを忘れないスケジュール管理が必要である

月末

2004年8月31日
台風一過、9/1朝4時過ぎのシーガイヤ近辺の土地利用計画は農業振興区域ゆえ、虫の音の大合唱。急遽秋真っ盛りである。

この暑さで秋が来るのを忘れており、慌てて秋を奏でてる感じさえ感ずる。

8月がおわった。大変な一ヶ月。最後の31日が総てを物語ってい。
朝から覚悟はしていた。昨日のあの風の強さの後である。

朝7時30分の関課長さん。
「おはよう!仕事しよる?」

「は〜い、もうすぐみなきます。台風どうでした?」

「それよ!車庫の屋根が・ぼ・ど・飛んだ。保険もあるし、
みちょってくんね。見積もり頼むわ〜」」

「了解しました。稼がせてください。」

「ばかが・・ぜんがあっか。保険の範囲でやっちょってくんね。」

これは大変な一日になりそうである。
今日は大塚台横山さんとこの4KWの太陽光発電所の建設で、パネルをあげる。

いつもの日に比べどうも連休気味であったので気合が行ってない。
水道やさんたる児○さん。

「おはようございます。今日はどこじゃったですか。」

「おれぇ〜○玉さんがこれじゃどうもいかんど。」

少し遅れて昨日も台風さなかに出社してた○藤さん。
「横山さんとこ、あぐっるじゃろ?」
「じやっどたのむわ〜」

「パネル、○央運輸じゃッたがな〜だれかきちょる?」
流石に連休でない人はしっかりしている。

その後続々メンバーが揃い始める。
「みんなどこですか。?」
19歳の力をつけてきてる二人さん。

「ばかがっ気合がいっちょらんど!」

私の言葉は厳しい。これから危険な屋根の上での戦場に出向く。
イラクに行く人たちと何ら変わらぬ。危険極まりないところでの作業。

気合を入れてやらねば、一生をだいなしにさせてしまう。
気を使っての荒治療に過ぎぬ。愛情の裏返し。

素直にすぐに先発隊に追いつこうとしている。
そのいきやよし。同世代の若者たちに見せてやりたいこの雄姿。
わたしの宝物である。

最古参の電気職人さん。
「ありゃっ!しもた〜おせしてんいっチャが〜と・・電話がきちょったっちゃが〜」

「茶でん飲んで、まっちょきゃい!」

そうは言いながらも吹き荒れた後のAPAの回りの清掃を
誰言うとなく始めている。

月末に加え台風明けである。

「せきやんさん支払の・ぜ・ん・たらんど〜100万ぐらい・・」社長。

○00万ぐらいの出入りの月末のはず。

「ソリャないでしょう。200万ぐらい残があるはずじゃっとじゃが・・」

「石○さ〜ん、ちょっときて〜ん」
急遽、照らし合わせ。

「スリー・ダイヤからの380万が抜けとるじゃね〜ですか」

「それさっき銀行に問い合わせたがはいっちょらんよ」

「あれは、すぐ部材費で払うっとじゃろ〜」

「なにいようっとな〜オレがきいてみる!」

確かに入金を確かめ万事メデタシ。それどころではない。
台風後のお客さんからの問い合わせはきてる。

先日太陽光発電のご設置を頂いた方。
隣りの方の雨漏りでの問い合わせ。

「了解いたしました午後一時に職人を行かせます」

どうも傾向的に言えることがある。
既に太陽光発電をつけておられる方は、人がいい。

上方でお人よし。江戸っ子では下町の人情家。
私共APAの生き方、心情とよくあう。そういえば誰でもそうである。

青島の工事代金で社長さんに電話。

「あ!すんませ〜んすぐとどけま〜す川南、日向に行くとこ」
「湯沸し器を移動したら川南・通浜地区で飛んでしもちょる」

「人に当たらんでよかったわ〜通浜じゃぁしかたねが〜」

「パネルの中に水がいったというちょるがどんげね?」
「バカいいなんな!そんげなわけね〜が。」

「そんこつだけで日向までよ・・・」
「ドライブ感覚でいきゃい!なんてぇこたねぇ〜が」

この方とは今月からのお付き合い。
それなのに何でも楽しい話し合いでやっている。

大体、太陽光発電の仕事仲間は天の授かりしもんのエネルギーに係ってるゆえか心が大きい。

「9月第1週にパネルをあげてほしい」
「今日は大変ゆえ明日参上させてください」

日頃ありえぬこと。備えあれば憂いなし。
この際親しき中の方は明日回し。

「天井が落ちヨル。蛍光灯の中まで水が・・」
「原因は・・・」「二階のベランダのごたる。」

「そりゃ田原さん、電話していってもらうわ〜」

仕事仲間で同じような苦情悩みを解決した経験を持つ方に依頼。
午後五時過ぎ遅れて到着の私共を現地で待っておられた。

お客さんは、お二人のお孫さんのおられる、極めて若いおばぁちゃん!
立ち歩きのできるかわいい盛り、ホンに目に入れても痛くはないわ〜

仕事なんかどうでもいい私。もともとボランテアみたいなもの。
儲けなんぞはほとんどナイジャン!

一部上場の商社の方に260万近い現金を届ける。
80万の元気を届ける。

もちろん銀行口座で都城、宮崎に振り込みは利用した。
現金支払があるときがお客さんの希望でおこるのである。

いやはや多忙!この他大先輩との都城の連絡。
日向延岡、都城の課長さんからの仕事の依頼。

メンテで川沿いの清武にいく。車庫の屋根グシャグシャ。
「明日修理しときます。」
「ボランテア価格です」

先日の土曜日のこの地区の祭りでのボランテアで照明、音響、発電、
運営を企画してあげた。

そのときAPAの若き社員が出くわしてるので、APAの存在はよ〜く理解して頂いている。

「やす〜しといてね〜。」

かかった費用払いである。この信用が嬉しい。
フジ棚も壊れていた。サービスでやらせよう。

夜、明日の行動の打ち合わせ。日向に行く予定を取り消した。
都城の手前の町長選に出た人のアポが取れる。

「解った。明日からパネルつけちょってくれ!」
「ちゃう!ちがう!まったくちがっちょります。」

まず、すぐにパネルは入荷しません。
APAほど早いとこはありませんがそれでも4日かかります。

高額商品ゆえ、よ〜く考えて決めてくださ〜い。

「いっちゃが。話ししちょるだけで、オマエがわかる。
間違いない人ごたる。」

「兎に角明日参上して説明を受けてからにしてくださ〜い。」

こんなことでいいんだろうか。嬉しい悲鳴だが、政治家は困る。

そんな・こんなで携帯電話の電気はパンク。
悲鳴をあげてるせきやんの月末で〜す。

メシ食わせろ!・・
ビロウデ恐縮・・代わりにションベンしといて〜

大雨の後ゆえ・・・水に流してください!

風たちぬ。いざいきめやも
秋はポール・ブァレリー。

恥じらいの蒼き季節を懐かしむ。
あの頃は時間がゆっくり流れてた。

時間がほしい。
このままでいいのか。何かから逃げている。

大停電

2004年8月30日
このたびの停電にはまいった。終日である。
神戸であんなに活躍できたもうひとつの政府たるネット社会も
「風台風」たる16号ではまるでダメ。

災害時の回復順序たるインフラの一番はどうも電気のようである。
お客さんの苦情に備え、ひたすら待機していたが、電気のいるグループ電話ゆえ不通。アナログの黒電話がいいワ〜これに変えよう。

朝から停電もようやく夕方9時過ぎに復旧。

昨日の日記も深夜12時過ぎ書き始めたわけだが元来書くのが苦手ゆえ
他人様より随分との違いで時間がかかりすぎる。
よって書きかけのままで終わってしまった・・・

点数制度の競技の最たるものの水泳のシンクロを考えながら日本民族の肌の色から来る採点基準を考えていたさなかの停電であった。

続きを書こうと今考えてみるがいかんせん中断した思考は帰ってこない。

あの山形由美なるアーテストが浮かんだ曲をすぐ書き留める・・消えるから・・と聞き流しのラジオで言ってたことと重なる。

私のような庶民の場合そのような大層なことではないが
思考能力のなささはどうもカバーしようも出来ない。

自らに課した原罪ゆえひたすら立ち向かっている。
人間、多面体、誰でも覆面被ってる部分あるでしょうから。

わかり易く言うなら偉人を挙げれば事足りる。例えばソロス。
シーガイヤが見えるので世界一の投機家たるこの人が第一に浮かぶ。

ジョージ・ソロスは最近は慈善事業家としてのほうが名を成してるようだが正体は推察できる。

食してる姿を見れば生い立ちがわかるものだ。
品格とは備わったものでどうしようもないと同じで慈善家たるこの人にもそれが出る。

ユダヤ系ハンガリー人。この人たちの生き様は壮烈を極めてるきらいがある。

ドーピングで室伏に金をもたらしたアドリアン・アヌシュ
もそうである。

良くぞJOCは室伏の意見を大切にしたものだ。民族性とはそう言うものだ。小泉を隠れ蓑に国家を牛耳る飯島にはその姿勢さえ微塵もない。 生い立ち品位が解ろうというものだ。

誤解めされるな。私は偏狭なる民族・差別主義者ではない。
あくまでも3000年続いてきた稲作民族たる勤労を尊ぶ我が民族との比較でのはなしである。人の上に立つには徳が必要といってるのみだ。

室伏の詳しくはこのホームで、どうぞ。
 全文を再度クリックすること

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/athens_games/kouji_murofushi/?1093848678

第二次大戦のブタペストで弾圧され、名を変えて生き延びる。
その後ソ連からの圧迫で英国へ。

ウオール街の小さな証券会社で頭角をあらわす。
独立して投機家として巨万の富を得た。

夢は哲学者ゆえに成功者ならぬ理屈を抱きつづけている。
自らを評して挫折した哲学者として数々の著書をものにする。

市場は一物一価のフラットな世界だがソロスは市場には必ず歪みがあるとする。  そのゆがみをみつけて大儲けする。 

ヤマト運輸の小倉昌男の福祉財団の自立経営に取り組んでるのと同じで
30ヶ国以上に50億ドル以上もの金を他人に任せず、自ら自立を目指し取り組んでいる。

何故このようなことをするのか。
その解く鍵は「戦場のピアニスト」のアウシュビッツ送りの場面に
ヒントが隠されている。

同胞を殴るユダヤ人・・ソロスとその家族はナチに協力した
原罪たるシオニストである。

トレーダーたる職業は第六感と読みが浮かんで投機として稼ぐのだが、彼はエスペラントを父親譲りで操れる。
国際主義、反宗派主義、世界主義の理想を体現する。

国際金融システムを中心とするグローバルな自由社会作りを目指してるゆえブッシュは最大の敵である。

国境無き政治家たるソロスにすれば、イラク戦争で米国を閉じた社会にしたブッシュは政敵である。

新規事業たる電気の自由化に乗り出してきようものならどうしようもできない。今回の停電の再現はもう懲りごりである。

一昨年三月から、電力小売りの一部が自由化された。
対象は大工場や百貨店、大型ビルなど二万ボルト以上の電気を使う大口顧客だ。

その理由の一つは、異業種の新規参入組にとって、大規模な発電所建設はコストがかかり過ぎて不可能に近いことだ。

九州地区の製鉄、ガラス、化学会社などが自家発電の余剰電力を供給。三菱商事系、NTT系の新規業者など、電力小売り新規参入は
全国でも一けたにすぎない。

 新規参入が進まないもう一つの理由は、送電線の問題だ。
新規参入業者は、電力会社の送電線を利用することになるが、
その料金・託送料が高過ぎるといわれる。

 それでも、電力会社の地域独占にちょっぴり風穴があいた。
福岡市庁舎、九州大学、鹿児島県庁舎、大分県庁舎、経産省本庁舎などの電力供給は新規業者が落札した。
ここんとこ九州電力は18連敗中である。

 日産自動車本社やイトーヨーカ堂、ジャスコ、高島屋などの一部店舗は、新興の電力小売業者から安い電力を購入している。

 電力会社の区域外参入の動きもある。
二十六日、仙台市が行う電力購入一般競争入札に、
東京電力が参加を予定している。

 仙台市は中央卸売市場と南蒲生浄化センターの二施設について、電力調達金額を入札にかける。

 東京電力は電力販売自由化を機会に東北進出を強めている。
東電の子会社が、郡山市に本社があるスーパーマーケット・ヨークベニマルの自家発電設備を受注した。

 東電進出を迎え撃つ東北電力は二月二十七日、七月からの電気料金引き下げ、四月から役員報酬カットなど決めた。

今後も、資材調達、設備関係などコスト削減に努め、経営改善が求められる。

 電力の自由化は今後進むだろう。
経産相の諮問機関である総合資源エネルギー調査会の電気事業分科会が、昨秋から月一回のペースで電力市場制度改革を論議、
中間報告をまとめる。

 論点は、小売り自由化の範囲拡大と段取り、送電事業の透明性確保、原子力政策との整合性、電力取引市場の在り方などだ。

 電力業界側は発電・送電・配電の分離論に難色を示し、もっと時間をかけた論議を求めたが、学者や消費者代表の委員側は、
改革ビジョンを急ぎ示すよう要請した。

 極端な自由化を進めると、昨年一月、米国カリフォルニア州で起きた電力危機に陥る。自由化の手法に問題があったと思われるが、
日本の電力自由化の流れに一石を投じたのは事実だ。新聞社説より引用

太陽光発電は24円で買い上げてもらっている。
使用するときは制度の差はあるが17円である。
よって、4KWの太陽光発電で月平均9600円の利益が出る。

ガスを止めるオール電化で7000円が浮く、
さらに電気代の節約で3000円計19600円となる。

4KWの施設費は2400000円だから月の払いは17000円
2600円の毎月の生活費の切り詰めで貯金できる。

支払完了後は月払いは当然なくなる。頭金・自払い無く自分のものだ。
換言すればいい業者に出会えればタダで太陽光発電が手に入る。
迫り来る電気の自由化で設置者は誰でも事業者。

電電公社の民営化が今日の携帯電話を産み出した。
電気の自由化が何を産み出すのか。夢は膨らむ。

地球環境を守る為だけでなく経済性からも
太陽光発電の設置は解くことができる。

地球環境問題までソロスに投機の対象とされてはかなわぬ。

宴のあと

2004年8月29日
度肝を抜く開会式で始まったアテネが終わる。

プロの参加が認められアマチャとの垣根が取り除かれスリリングさが常態化して観ててサーカス的な超人技が見れた。

中国の雑技段ロシアのサーカスを観る思い出、はじめてみた木下サーカスの空中ブランコを懐かしんだほどである。

メダル獲得の国別で評される国威発揚者から見る基準は悲喜交々、
資金を懸けた国ほど成果を出してるようである。

中国は166億元{1元は13円}の投入した結果が米国に継ぐメダル量産となった。メダル1個8000万元担ってるという。

日本は16、9、12=37個{つい先ほどの室伏の繰上げ金を含む}
ロスの32個を越え、金だけの数でも東京を越えいずれも新記録。

関係者は、はや祝賀ムードであろう
。日本もご多分にに漏れずのの資金をかけた成果である。

私見として言えるのは個人の活躍が目立ち、団体競技がいまいちが総決算としてあげられよう。

さらに国境を取り去ると見えてくるものがある。
採点のいる競技の取り扱いから来る見えなき皮膚の色の壁である。

シンクロの日本チームは可哀想である。
阿波踊りの水の精を感じさせる完璧さ8人の風車。

サムライ・イン・アテネ・・音楽の合間にある、
「えいっ、やっ」の気合は選手の声の録音したものだったという。
道理でピッタリ。

ところがどうにもならない壁を見た。

どうしても、ソ連との差には10.0と9.9の差が出てしまう。
ひどいのは9.8まで出している審判。

白人 黒人 黄色人 赤人さまざわな人種が見れる。

20世紀に解決すべき課題は皮膚の色の境界線である。
100年前のこの課題は変わらない。

黒人でも私共には見分けのつかぬ差異があるようだ。
主流派はアフリカ系であり、プエルトリコのカルブ系は
二重の差別を背負っているようである。

25号をホームランの松井。
の重圧とおなじである。
名大リーガーのクレメンテ34年〜72年の受けた目に見える差別。
食事も部屋も移動も大きな差別を受けた。

日本の軍事が発言で物議をかもしてるパウエル国長官はカリブ系である。どうにも政治的焦りを感じ取ってる野は私だけであろうか。

国境も人種も肌の色もないスペイン語圏プエルトリコのバスケ・チームがアメリカを破った。

来るならこい!

2004年8月28日
自然の猛威たる16号台風がまっすぐに刻々と近づいている。
怖いものの代名詞たる地震・雷・火事・親爺にはあがってない台風。

瑞穂の国に恵みをもたらすゆえに入ってないのかとは私流の考え方。
台風は怖い。風神、雷神より水も怖い。

有限の地球に無限の富を求める人間のおごりに対する神の啓示ではなかろうか。

自然のケガたる災害はどうにもならないとの諦観が生きる知恵。
実際来るものは仕方ないどうにもならないからであろう。

災害は忘れた頃にやって来るとはよくしたもので実にしばらくブリの宮崎直撃である。

経験の薄い若者は自然の恐ろしさを充分に知るがいい。
日本ほど物騒な国はない。

いたるところに温泉がある。
裏返せば火山の上に成り立ってる国土であるわけだ。

神戸、有珠山は当たり前で記念館で見るものではない。
慣れは恐ろしいもので自然への畏敬の念がなくなっている。

;えぇ〜二つ,いいことはないのでありまして・・;は芝浜の三木助である。

あらゆる場で昔は教えてもらったが便利さのみ教え、怖さは体験ではなくバーチャル的になれた世代ゆえに怖さが解っていない。

幼少期には台風というと何だかウキウキしてた。
働き者の一家のせきやん岩雄家もお休みである。

雨戸を出し昼なお暗き家内である。
大水、家屋の倒壊を考え隣り家の面々が一箇所の家に集まった。

さながら戦争時の空襲警報の再訓練みたいなものであったのであろう。
家族総出で家の補修をしてこの厄介なお客さんを迎えた。

特に記憶にあること、・・稲や草を刈る生活のシンボルたる鎌を
5〜6メートルの竹の先に縛り台風の向きに向けて立てた。

その長さが長ければ長いほど効果があるということで、それを又各々の家で競ったものだ。

過ぎた後に鎌をはずす時はナンカむなしさを感じてはいたが何らの疑問も湧かない時間が長すぎた。

必死の祈りを込めて・・・どうぞ風、雨を・・・教えられるもなく祈りを込めた。あの頃の何気ない信心が懐かしい。

日常の総てに信心があった、
朝餉の前の屋敷内の家屋の内外に存する神々。

それが外では水神さんの井戸・馬頭観音様の牛馬舎・代々お守りいただいてる南天木で囲まれた先祖様の氏神様。

内がひどい数になる。台所、大黒様、神棚、仏棚・・・
中でも厄介なのは高い位置に祭られてる大黒さんはセガ低いので届かない。
柱に登ってさかずき程度の小さきご飯杯を捧げる。

そのようにして向かえる台風であるが、雨や風が強かったりすると
「おお!」と感動し、逆に前評判の割にはぜんぜん大した事がなかったりすると、心底がっかりした。

小学生の高学年になるとそう単純に喜んでもおれない。
ガス燃料のない頃で、木が唯一の燃料で増水した川を流れて来る木々を泳いでまでして集めた。もちろん競争である。

電柱が一番の成果。流れるものの中には牛豚等もあった。台風一過後の大洪水は燃料集めで子供たちの競いの場であった。

9月1〜2日の社内旅行では球磨川下りが企画してあるがバカなものである。
自然への畏敬の念がない、ゆえ神々の怒りが静まる認識がないからであろう。

さて、鹿児島に上陸との報道予測があるがこういうときの正確な情報はアメリカ軍事情報の正確さを知るがいい。

九州の西岸を経て対馬との予測で宮崎直撃はない。

https://www.npmoc.navy.mil/jtwc/warnings/wp1904.gif

米の刈り取りで苦労するであろう普通作の一部の残る都城方面以外は何らの支障はない。
もたらす豊饒のお客さんで考えてみると多大な自然の水環境の神である。

稲作1反10a当り昭和25年・・・・207時間
       平成7年・・・・・38時間
幼少の頃は2・4ーDなる除草剤はなく水源の水路には小魚が溢れていた。

1945年の米  587万トン
平成の米  1000万トン人口一日200グラムで3兆円の価値。

一石は180キログラムで一年間の食する量。
1粒で10=13株に分結してw120〜130粒で1200〜1300になる
延岡の甲斐さんは特別。4日ごと田植え。話にならぬ。

年間降水量2000mmで世界平均900mmの倍。

全水田280万ha

整理済み140万haに30cmの水を張る
未整理140万haに30cmの水を張る60億トンの貯水能力となる。

日本のダム貯水能力は15億トンでナント4倍の貯水能力のダムである。



            発生 接近  上陸
台風の状況 平成15年 21   12   2
        14年 26   13   3
        13年 26   11   2
71年〜03年      26.7  10.8 2.6

 淡水・・・・2.24
 地表水・・・0.26
 海水・・・・97.5

食物は水で作る”穀物1トンが水 1,000 トンに相当する.

帆船は古くから使われ樽廻船とかの名で日本各地をつないだ、さらに
3本マストの御朱印船まで到達していた船舶技術も鎖国政策で中断。

帆掛け船の帆は風車の翼で言えば抗力型であり、西洋で発達した
マルチマストの帆船の揚力型に比べると風の利用効率が低かった。
太平の世を覚ました黒船の来襲はその姿の異様さにも合ったはずだ。

元寇の「神風」に代表される神国日本?を守る台風、
「風神・雷神図」に描かれた風神、日本は古くから風の強い国である。

中国語起源説、アラビア語起源説、ギリシア語起源説などがあり、はっきりしていない。

“説得力があるのが中国語起源説、
、昔は“颱風”と書いていた“風偏に台”、いかにも台風に相応しい。

“颱”という一文字だけで台風。大風(タイフーン)。
そこから英語の“typhoon”という言葉が生まれ、

明治時代に藤原中央気象台観測員の藤原が英語の“typhoon”をもじって“台風”・

風に聞き流す話。
幼子が風雨の強い日予定をかえた富山人
「た〜たちゃ風雨でな〜んばっちゃんこわし。」

と言っているのを耳にしたイギリス人が、冒頭の部分が転じ
「たいふーん」ちょっと無理がありスギ。

「神道」の祝詞「大祓詞」には、
「科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く、朝の御霧夕の御霧を朝風夕風の吹き拂う事の如く」と

風は人間が知らず知らずに犯す「諸諸の禍事罪穢」を祓い清める媒体の例えとして登場する。

菅原道真
「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな」拾遺集 や

藤原敏行
「秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」古今集のように、

風は情報伝達のメディアで偲びの「風の便り」もその類であろう。
ちなみに小倉百人一首では風が詠まれている歌は10首、嵐の2首、山おろしの1首を加えて合計13首だそうな。

先人は風の力によって動かされる雲や植物や水などの「物」を見て「心」の平静をたもった。

「和歌」の伝統は現代にも受け継がれ平成4年(1992年)の歌会始の御題は風。

「ピナツボの火山灰(よな)運び来し西の風今宵加州を金色に染む」 藤田 実在カリフォルニア州

「ビル風に巻き込まれたる盲導犬はあるじと共に足を踏ん張る」 山下アイ子神奈川在

地熱と風力とビル利用風車等々自然エネルギーを感じ取れる。
 今人類は、化石燃料を大量に使って貴重な地球のストックを消費している。

特に化石燃料資源に恵まれない日本の使命は重大で太陽光発電はその使命に答え得ねばならない。

小林、延岡の電気申請の準備で現地に・・よくやるワ〜

 

自然の猛威

2004年8月27日
朝4時頃から空をにらみつけている。
高城町の3.8KWの太陽光発電工事の強行を決めた。

実に因果な立場を自ら買ってでてる状況から逃げ出せ得ないでいる。
ひたすら,にらみつけてる様はさながら、弁慶の衣川の仁王立ちの
にらみ。

NHK大河ドラマの緒方拳の扮んした弁慶は白黒時代のテレビに歴史的一場面を残した。

にらみの極めつけの新之助改め十一代目市川海老蔵(26)の襲名披露の大阪・道頓堀の大阪松竹座でのにらみをおそらく越えてることであろう。

みたいなぁ〜,市川家代々に伝わる「にらむ見得」の披露。
スポーツ紙は伝えている。

・・・・「まだまだお恥ずかしい次第ですが、吉例にならい、ひとつ
にらんでご覧にいれまする」
と、カッと目を見開いて黒目を寄せ

“にらみ”を決めた。満席約1030人の客席からは
「成田屋!」「十一代目!」の声が飛びかい、大きな拍手が沸き起こった。

 口上では中村鴈治郎(72)、片岡仁左衛門(60)ら幹部13人も一列に並んで祝福。

「海老蔵の言動や行動に関してなかなか楽しい話題を提供してくれるが研究熱心な青年」(中村時蔵)

「阪神タイガース同様海老蔵に熱い応援をよろしく」尾上菊五郎)
などと笑いを誘う祝辞で沸かせた。

 なお父・市川團十郎(57)は「急性前骨髄球性白血病」で療養中で休演。

9月初めに退院し10月のパリが復帰舞台と伝えている。
團十郎・海老蔵の150年ぶりの揃い踏みは関西では実現してない。

「先祖の名に恥じぬよう芸道に精進いたします」と改めて決意を表明した新海老蔵。

夜の部では“お家芸”の「勧進帳」の武蔵坊弁慶、「弁天娘女男白波」の利平を演じ、“平成の海老さま”を強烈にアピール。
・・・・・・

朝日とともに一変する雲の色。美しき白雲とはまるっきり別物。
まっくろの大空の背景色は昼間に堂々と盗まれたムンクの叫びかもしれない。

自然の猛威たる台風は淀んだ水源たる河川をはじめいろんなものを浄化し恵みをくれる。

久々の宮崎上陸となるであろう16号は台風復活の宮崎の景気回復の起爆剤となりえないものか。

イオンの建設は槌音高く整備が進むが将来の見通しは、この近辺にはまったく届いていない。
嵐の前の静けさ、は今朝の天気状況と同じである。

昨夜専務が足場やさんは断ったはずなのに
その足場屋さんから、電話がきた。
「この天気状況ですが、やるんですか。」

あれっお断りの電話を昨夜してたはず、
「昨日の作業分はお支払いたしますので・・・」
「既に積み込んであるのでその分も・・・・」

「では作業してください」
小雨は降るであろうから、丁度いい。自分を納得さすが調子悪い。

災いを転じて福となす。
2メートル以上はもともと危険作業で足場はいる。
まして台風接近の中での作業。

太陽光発電完成までには胃袋が何回破れることであろう。
携わるのがいやになりそうな時がある。

精神的プレッシャーを賭けられた時である。
天気状況が悪い中での着工、それも足場無しは眠れぬ。

7時に職人さんは私のおまじないのお茶を飲んで出て行った
もちろん夕方には金田太陽光発電を総て完成させてのご帰還である。

のに、今日もあれほど行っても9時出勤。専務のバカッタレ!

一晩中天をにらみつける。パソコン画面の不思議な地球を見つめる。
実に神秘的。陸地があって、生命の源たる海がある。その比率のよさで雲が発生して生命に必要な水の恵みをもたらす。

台風なんぞはその最大のプレゼントのはずである。
各地に傷跡を残していくがそれは肥沃した土地を創りだし、食料たる植物群を作り出す。

生命体のない月は地球と比して大きさの少しの小ささから存在した生命の源たる水は、はじき飛んでいった。水その形跡はある。

雷は植物のミネラル源たる弱電子を方々に撒き散らす。
草を踏みつけるが、しばらくして元に戻るのは草の持つ電子たる電気の力。

家畜の餌で河川堤防の草を刈り、牛馬にえさをやってから、学校に行ってた。買った草を夕方観察すると生命の限りで復帰している。

先っぽには電子の作用たる水玉が成長点にあり、早期に復帰していた。
草刈作業に、新聞配達さえ入ってる日課をこなした。

新聞配達には合羽なしで、冬場の両手には手袋なし、
大自然に挑んでいたのは、よ〜く考えてみると
どうも天分であったのかもしれない。

まっさか、このような太陽光発電なる仕事に出くわすとはゆめゆめ考えられぬこと。

天職とは正にこのこと。生かされてる自分を精一杯いじめ、ギリギリでやらねばならぬ。

何故に荊の道を選択するのか自分にもよ〜くわからぬ。
歴史の見方も自虐的になってるものがあったのか。

この豊饒の時代は生きる目的さえ見失うものがある。
日記の皆様には凛としたものを感じただただ尊敬の念でいっぱいである。

向学心溢れ、常に向上しようとの前進する力、ひたすら脱帽。
この人たちが居る限り日本は大丈夫。

何もアテネでの金メダルの数だけが国威発揚ではない。
地道な毎日の一歩それだけが凄いことなので自分に金メダルを密かに上げればいい。

小津映画がクロサワ以上に評価されるのもこの観点からの民族性を見てのことであろう。
コツコツと辛抱強くこれがわが民族性。うまずたゆまずのの毎日。

ただ、歴史の流れの中での個人のあり方、自然環境たる、中で日常を過ごしてる中に不可思議はないのか、をも考えていかないと
生物体としての存続はない。

環境、エネルギー、平和な国。生きてる前提である。
異性愛、家庭、家族は個人的差異が生じよう。

歴史を学ぶのは何も為政者の名前を覚える為でなく今を生きる一人の人間の生き方をどうするのか。

その為の先人の知恵を借りるのに過ぎないはずだ。
その中に自分を投影してみて今の環境たる自分に置き換える。

生きるエネルギーはそこのところから沸き起こってくるハズ。
自分をみつめる。・・・その中での決断・・・さぁ〜やるぞ!

ここんとこ、APAの民間天気予報のほうがAPAには役に立っている。
気象庁に任せていたらどのくらいの仕事をこなしていたのかと思うと
ゾッとする。

営業におけるオーバートークが必要なのもうなずける。
ト〜ンと背中を突いてやる役割なんであろう。

地球を愛し、地球を知り、太陽光発電を普及させる。
どうも普遍的原則があるようだ。

そうすれば神のなせる技たる天候も味方してくれるのであろう。

真剣な態度、その繰り返し、。。どうも身が持たぬ。
癒しねぇ〜その時間をも作らねば自分を見失いそうである。

利幅がないための自転車操業的スケジュールになってるやも知れぬ。
やせ我慢。仕事があるだけで嬉しい。

形而上的になってるきらいがある。過去を見よ。
ますますのびゆくAPA。
螺旋状的発展とはゆえ立ち止まればいずれにせよ一点にすぎぬ。

一点の位置が違っただけ。
所詮繰り返しである。生々流転人生と同じであろうか。

自然の猛威は立ち止まらせて思考の時間をあたえてくれる。
いっそ、停電大洪水でも起こればいい。

日常の有り難さ、人の連鎖の大切さを身をもって学べるのかも知れぬ。
危ないあぶない、危険思想が頭を持ち上げる。

平和な時代に生きる常識を持ちましょうや、せきやんさん。
ゆっくり。人並みに。

それでは会社は持たぬ。理想と現実のギャップは埋まりそうにない。
嵐よ来るなら来い!

超・・・ご多忙!

2004年8月26日
台風17,16号のため日本近辺を包み込む地球環境の映像を徹夜ぎみで見つづけている。
ココ何日か同じ状況である。

危険極まりない高所作業たる屋根の上は微妙な変化が命取りになりかねないからである。

高校をこの春に卒業したばかりの2人の成長には目を見張るばかりだ。
こうゆう伸び盛りの時期こそ、彼らを取り巻く周囲のものが気をつけてやらねばならぬ。

ひとつの間違いが一生を不意にする大事故に繋がりかねないからである。

地球は実に不思議な生き物である。
この地球の生の状態を見てると誰でも哲学者になれる。

よって天変地異、気象観測にかかわる人々の各種のデーターは我らの生活の基礎になり、生命を左右している。

しかしながら予報はあくまで見通しで使うものしだいではどのような判断にもなる両刃の刃。魔性を秘めている。

19日の県の施設の太陽光発電のパネル設置の工事の着工時の悩みは天候であった。

21日の清武池田台団地のお祭りのセッテング中の雨も強行を支持した。

25、26日の天気の読みも非常に辛い状況の中の強行実施が結果的には当たっている。

17号が迷走しそうで、せず大陸へ向かい25日消滅したのが、リアルに映像で読み取れる。

16号は例の如くのご多分に漏れずマスコミ過敏症で大々的報道のため冷静な読みは誰もしてなく騒いでるだけである。

わがしゃの不貞のやからも大型を騒ぐだけ自分の生命にかかわることなのに理性に欠いている。

後から発生した17号がなくなってるのに16号が、存在してることだけがいかにエネルギーを蓄えているかわかろう事である。

暖まった太平洋の海水からの力をもらいしっかりともらい、雨をもたらす風雨の柱の目を持っており、

さしずめ一つ目小僧の形をした風雷神の輪ッかのいでたちで、
九州をめざしていそうであり、騒いでる。

天候の変化が急激で低い南洋のムクムクとした入道雲が沸き起こっている。

最後の夏空なんであろうか。
台風の運んできた太平洋南洋の空の状況である。

市内横山邸の太陽光発電の基礎になる架台を屋根にくみあげた。
午後は遠く離れた高城町の二階建ての基礎の架台を屋根にくみあげた。

7〜8メートルも有り一歩間違えば大変な惨事となろう。
見誤りが危険を招く。的確なる天気の読みが安全を決める。

死ぬほど辛い民間気象キャスターである。
もちろん無資格者なる気象予報士。

ここんとこそれが当たりっぱなし。そろそろ外れる頃のハズ、
仲間の安全確保が保てるか心配である。

そのような頑張りは夜聞くことだけで実際は体験してない。
私といえば別行動。大先輩と一緒である。

概ね400万になる2件の請求書を出し、九電申請、小林に回ったが昨日と同じで昼食抜き状態。

お目当ての田舎豆腐も売り切れで、ラーメンを食して、お客さん宅に向かう。

間違い見積を侘び、訂正された値上げ後の見積の提出を拒否して一昨日提示の額で契約の話を進める。

小林市陰陽石の里に3.8KWの契約が成立した。

日向のほうに緊急に行ってもらった図面取りの専務の方は何もしていない。

実に気楽なものである。名代は名代にぎぬのか。
では最初からしっかりしたものを作り上げてみろ!
貴方は一体何の部署に据えればよいのか。

せめて、けさのパネルがついてない状況を起こさぬような事前チャックも出来ぬのか。

出勤時間をかんがえてみろ!
何時もみんなが出た後のご出勤でいいのか。

昨日の60KW・450枚の見積変更を作成していない。
他人に指示すればいいのに指示が出来てない。

約束を守らぬ形の話をしてることも解り、私と大きな声でのやり取り。喧騒は絶えない。

居合わせた8名ぐらいの仲間はいつものパターンと
平然と作業してる夜9時30分頃の状況。

山口よりお見えのお客さん、どうこの不思議の状況をとってるのか。
草創期の太陽光発電の会社の一コマ。

神よりのプレゼントたる自然エネルギーを上手く生かした生活。
現代生活を支えてる主エネルギーは子や孫の世代には枯渇してる状況が生まれかなない。

石油
1兆160億バレル可能採掘年数43年
石炭
石炭9842億トン可能採掘年数212年
天然ガス
14兆7849億m3可能採掘年数62年

日本の海外依存度
石油99.7パーセント
石炭
97.7パーセント
天然ガス
96.6パーセント
原子力・・ウラン
100パ^セント

なにも地球温暖化のCO2削減とか省エネとかゴミ、綺麗な水とかだけでなく、地球に存在する総ての生態系問題も絡めた地球ネットワークで考えるしか解決の道はない。

自分でできること。
省エネとゴミ・・経済性ある太陽光発電の設置・・・高い値段は止めること!
詐欺まがいの高い値段が横行してるので注意が必要である。
どうも私共の 真摯な態度が壊されてる業者が多すぎる。
持って他山の石とすべし。

至芸?

2004年8月25日
泥酔。こんな状態で・・寝るのが先決・もう少しで仕事もはじまる・・日頃ははアルコールとはまったく縁がないが仕事となると呑めるのか、下戸なのか自分が解らない。

尤も、飲める人に比ぶればお遊び程度であろうが私にすれば鯨公の称号を密かに自分に冠して褒め称えている。

酒飲んでる自分を誉めて称えるのも変であるがアルコールを受け付けないのによくやってるゆえにである。

では何故呑むのか。実はコウなのである。
夕方7時頃大会社の所長さんから電話。

「仕事?でてこんな。大太鼓に居る。福岡からきちょる。」
「はぁい!」

九州男児はすべてこれ。この雰囲気がいい。
酒飲みは総てに最優先する。

山口からお見えのお客さんを放りだし、直ちにニシタチに向かう。
大先輩には申し訳なくタクシー変わり役をお許しいただいた。

そんなことではよっぽど嫌われているでしょうって!余計なお世話。
そうでもないんでス。

「たまにゃ、仕事を忘れ楽しんでください。」と応援を頂く。
どうも・・愚痴をエネルギーに生きてるきらいが強い私ゆえご迷惑をかけている。

それからという時間は別人の私。先ほどのしかめ顔は何処にもない。
よ〜そんなに〜変化できるわ〜。
ジキル博士とハイド氏どころの変化ではない。

すでに6名の方々は酩酊寸前の状態で通常なら追いつく事で大変だろうが、そこは違う。

ひととおり、の謙虚さの挨拶後は我意を得たりである。
自重ぎみながらも脱線状態なか笑いを取るに徹する。

太鼓もちの一八さんを越えるサービスぶりで腹に針でも打たせてでも
この座を盛り上げる状態。

手土産の自然薯山芋原産の「天らんぼう」 またたび原産の「またたび焼酎」・・・「百年の孤独」は・・おもむろに・・

どうもお持ち帰りだけのようでご披露の栄誉には浴すことが出来なく
可愛そう状態の差し入れ焼酎たち。

途中編隊の変更。補充される。実に偶然のことである。
、今日の午後から始めた太陽光発電の発注元の方そこのNO2の方と偶然顔を合わせて急遽大増強部隊である。

所長さん・・・酩酊状態の中・・・ブラカン・・・意味不明で
西銀座通りを探しあぐねている。

かって知ったるで、あいの手、
「ここらあたりにはそんな店あります?」・・

「店じゃなくビル・・・」「店じゃなくビル・・」雅、鶴丸・・
「それもっと向こう・・でしょう・・・地蔵さんの向こう・・」

むかしむかし通っていたブラウンカン・ビル。
そのとなりも含め広さんのご所有となってるようである。

税務署さんしっかり所得把握してるでしょうね。
名うての錬金術師のこの方は凄い方でもある。

お元気なのだろうか。
この方毎年所得10傑にご登場できるこの方の上がりも結構あるので
あろう。

二次会、三次会と深夜まで及びそれぞれ宴会技をご披露。
そりゃ〜ママさんも喜んでもらえるほどですわ〜な〜。

輝いてたのであろうな。あの頃・・新宿末広通りの末広亭かどを右に回り・・エェット〜となにビルだったか・・

・・屋号は・・・ココケット・・確かそう・寄席好きの集うところ・・
二つ目クラスの方でさえ、座を盛り上げる九州の素人芸に
お褒めを頂き楽しんだほどの折り紙つきですもの。

最後は3名での更科うどんの釜揚げうどんを汗びっしょりで
食してお開き。

うどん?ウヌッ・・だれだったか・・リプレイ・・
味は現地の雰囲気も含めていると思えるので書くのやめようット!

それよりもわれわれお年寄りには・・石・・硬すぎる・・・医師
問題である。
お医者さん不足の話も出た。

三十六年ぶりの大改革と言われる新研修医制度。
専門に特化した従来の研修制度が「病気は診るが、人を診ない」

などとの批判が出ていたことから、すべての医師が
初期診療(プライマリ・ケア)できるようにとスタートした。

研修医がアルバイトをせず研修に専念できるよう、研修医手当など処遇を適切に行うよう方針を出したのも新制度の特徴だ。
 
医師派遣中止など地域医療に波紋も広げているが、将来的な医師確保の面から県内医療関係者には期待する声が大きい。

「県内の研修医が増えれば、宮崎に根付く医師も多くなる」という考えだ。
 
「いまの学生は情報収集量がすごい。魅力的な研修をしないと来なくなる」と宮日紙の県立宮崎病院の豊田清一院長のことば。
 
 県、主要病院、医師会は昨年、運営協議会を設置。
今後は研修医の相談窓口を設置するなど県内の医療界全体で医師育成をバックアップする。
 
「うちの病院は大学派遣の一番若い先生に年収約千六百万円を払っている。しかし、給料は半分でも、大学病院に近い勤務がいいと言われる」

へき地の公立病院の事務長談と宮日紙。
 
別の病院事務長も「年収を二千万円に上げても医師が来るかどうかは別の問題だ」と言い切る。へき地を含む地域医療に不足する医師。

医師には経済的理由とは、別の価値観がある。
だから地方病院は医師確保に苦慮する。 
    
 「ぼくもそうだったが、大学病院の医局にいると、三十代後半でも
関連病院でアルバイトをしないと生活できない」県央の公立病院長の談・・

という実情でも情報や症例の多い都市部に
医師は残る。
 
 「技術修得には大きな病院にある期間いなければしょうがない。
へき地に行くこと自体が自殺行為に近い」と外科のは本音。  

医師の偏在 県内の医師数は02年12月末で2492人で、
98年に比べ100人以上増加している。

人口10万人あたりでは213・5人で全国平均206・1人を上回る。
しかし医師の50・2%が宮崎東諸県医療圏に集中。

同圏域の人口は県内全体の36・4%。比率を考えても
“一極集中”は顕著だ。これでは圏内の意思不足は解消できない。

麻酔科医問題で揺れた延岡病院立て直しのため昨年四月、熊本大から招かれた県立延岡病院の小川道雄院長の弁。
 
「医師が疲労困ぱいで医局に帰ってくる。システムを変えないと、医局が行けと言っても絶対に行く人がいなくなります」。
 
 「実際、麻酔科医がやめたのもそういう原因があると思う。この病院はものすごく忙しい」    
     
 教授時代も午前七時から午後十一時まで休みなしでやってきた小川院長が「忙しい」というのは数字にも表れている。
 
 重篤な患者を扱うことの多い脳神経外科、
心臓血管外科の手術数は年平均六一七・六件。
宮崎病院の五三八・八件より多い。

地理的、交通網整備の遅れから連携できる病院のない、
“逃げ場のない”病院の姿が浮かび上がる。
 
 これに加え「医師が四人いれば二つの手術を同じ時間帯にできるが、三人だと一つの手術を終えて、次の手術となる。拘束時間も長くなる」と小川院長は過重労働になっていた要因の一つを説明する。
 
 これまでの人脈や、宮崎大など県内医療機関の協力を得て心臓血管外科を三人から四人、神経内科を二人から三人、内科を十人から十一人と増員。麻酔科医問題の焦点となっていた救命救急センターは救急専門医二人を本年度までに確保した。

朝日紙による。全日本病院協会尼崎中央病院理事長吉田静雄先生。

地域病院の若手医師の不足が顕著化している。
大学院の重点化を進める文部科学省の弊害である。

医学部を卒業したばかりの新人医師にこの4月から2年間の臨床研修を必修化したからである。

医学の分野でも国際的に優れた研究業績をあげようとの意図である。
医学部の講座を大学院に移し定員を増…

つれずれに

2004年8月24日
早朝を問わず議論の場はまるで喧嘩調。そりゃぁそうでしょう。
作日の契約済みの延岡の図面のパネル枚数を勝手に2枚をも増やしてる。
これでは又もや私共の赤字幅が増える。
おそらく工事費予算額を削られた上の話となろう。

この専務にはまるで経済観念がない。
総額が決まってる、以上10万もの増額になる。

これで何回目である。このヒトには学習効果というものがない。
反省がないゆえこの繰り返しである。

ましてやこの課長さんは確信犯。
続けさまに、IHや増アンペア工事を現場で追加工事をタダでさせた。
その嫌いがある。

老獪さがにじみ出ているがそうは問屋がおろさない!。
APAはギリギリの見積でやっている。何処にも儲けてる要素がない。
そういじめないでくださ〜い。

小林に12時30分過ぎに2時のお客さんを目指して出発する。
陰陽石近くの弁当屋さん。説明を終え、2日後に結論という。

見積の中でIHが据え置き型になっていた。
現場はシステム型なのにである。

ヨ〜ミナイト見逃しそうな大変な違いで金額合わせをしただけのもの。
この事実、ゆめゆめ大企業を信用なさるな。
現場を見らづして見積ができるはずがない。

多忙すぎる中にうつろい行く季節。今年も、残りもアト4ヶ月。
新聞記事から見落としそうな、今年の夏を見てみた。

石油上昇が続いている。
需要が増えているのにつけ、サウジ、等の政治不安である。

イラクをはじめとするブッシュの作り出したる失政であろう。
5〜10パーセントは危険要因による上乗せ分、リスク・プレミアムと見られる。

世界経済が高いツケを払わされている。
ブッシュ値上げの人災である。

米国の原油輸入は1日1千万バーレル。

リスクプレミアを10ドルとすれば、毎日1億ドル、110億円。
年に365億ドル4兆円。

日本の原油輸入は一日400万バーレル。・・・・・          毎日4千ドル   44億円。年に146億ドル1兆6千億円。

忍び寄る物価高の諸要因、それも生活の基盤たる石油価格の高騰は深刻である。

原油価格の上昇ははいずれガソリン価格の高騰となり、
インフレの要因となりかねない。
あらゆる価格の基本だからである。

世界経済がイラク戦争の高いツケを支払わされていることは隠しようのない事実である。

安定した生活に暗雲が忍び寄っている。テロとの戦い何処ではない。

よくお世話になってる飲食店。わがAPAの営業の店舗みたいなほどの利用状況である。

殆ど毎日、それも複数回利用している。

九州を本社とするファミリ−・レストラン2社は6月中間決算を発表した。

ロイヤル1.4パセント減の474億円で13億円の黒字不採算店を閉め来客数は4.6パーセント減った。

期間限定メニュウーは5.5パーセント増と好調。

ジャイフルは売上高6.5パーセント増の286億円当期利益は
64.2パーセント減の5億7千万円

新たに直営店32点を出した為来客数は4.4パーセント増え、
既存店の売上も0.8パーセント伸びた。

消費税価格込での値下げで、客単価が3.4パーセント下がった。
下期は価格が高めのメニューの導入で客単価の回復が図られるという。

価格転化そんなのたまったもんじゃない。
カードいっぱいあるが、あんなもののだれでもあるじゃん。

無駄な経費だと思うけどな〜。
50円券だったか。

そういえば、ここの屋根にパネル載せる話があったが、どうなってるのか。

次にお世話になっているのがコンビニ。毎日のように利用している。
これでは既存の店は殆ど淘汰されていくこととなろう。

日本フランチャイズチェーン協会(JFA)が発表した7月の
主要コンビニエンスストアの既存店売上高は、猛暑効果で

アイスクリームなどが伸び、前年同月比6.8%増の6027億7800万円となった。

前年実績を上回るのは3カ月ぶり。
既存店の伸び率は1999年2月の同3.6%増を上回り過去最高となった。

7月は猛暑効果でアイスクリームやソフトドリンク、冷麺などが好調。
既存店ベースの来店客数は前年同月比7.6%増の10億1995万人と大幅に増え、99年10月の3.8%を上回り
過去最高の伸び率となった。客単価は0.2%増の571円だった。

やはり私の生活そのものなのかもしれない。
殆ど行ってないデパート。

所詮その程度の生活状況なんであろう。
あ〜あかっての中流生活に戻りたい。

九州百貨店協会19社30店舗の合計は673億円昨年比2.0パーセントの減。
衣料品4.6家庭用品1.9の減。

相次いだ郊外型大型店に家族が流れた。
「暑すぎて来店者数が減った」

デパートにはどうにも足を運びにくい状況がある。
車社会に対応していない。田舎では都会の状況がないので工夫が必要である。

暑さに対しての電力はいつも問題視される。
今年はニュースにならないがどうなっているのか。

見出しはこうである。
猛暑の割に電力伸び悩み 7月販売、省エネ意識か

 電力10社合計の7月の販売電力量は、前年同月比12・5%増の
775億3600万キロワット時だった。

昨年の冷夏の反動と今年夏の記録的猛暑の影響とみられるが、その割には過去最高だった2002年8月の833億7300万キロワット
時に及ばず、背景に省エネ意識の高まりなどがありそうだ。

 夏の日中の電力需要は、エアコン用が3割前後を占めるといわれ、
1日の瞬間的なピークに当たる最大電力は気温の変化に左右される。

都内で気温39・5度となった7月20日、東京電力は最大電力の更新が確実とみていたが、結果は過去最高を大きく下回った。

 原因として省エネ意識の高まりに加え、今年の夏は高気温でも湿度が比較的低く、エアコンの使用割合があまり高くならない点を
指摘する声がある。・・フムフム。確かに。

新聞は世相を映す鏡・・思わずウンウンと頷いている。
肝心のCO2の問題までは発展していないマスコミの限界。

その点、環境から見つめる記事もある。

水田10アールあたり1日に6.1トンの水が蒸発し気化熱として 
361万7300キロカロリーの熱量が奪われる。

冷房能力に換算すると6〜9畳エアコンの80台に相当する。
埼玉春日部市の 市街地で気温が35度に達した日でも水田地帯は
29.5度であった。

農家を応援する愉快な記事。
瑞穂の国の賛辞をおくる私の顔は絶好調。

絶好調といえば北海道。
夏はこの地に限ります。暑くてたまらない。

ところが地球温暖化は思わぬところにいい影響を出したとの面白い考察
なぜ高校野球に話題のことがおきたのか。

北海道苫小牧の昨年三月の平均気温冷夏0.7度30年前より
1.2度高い。11月も5.7度と1.9度上昇した。

昔は10月ごろにボールを握れなかったが今は11月頃まで外で握れる
冬は基礎体力を強く鍛えている。

日本ハムの選手も増えることであろう。

歯が痛み右頬が大きく腫れ上がり微熱となってる中の徹夜状況はどうにも辛い。

暫し休息を取れ!との暗示かも知れぬが休んでる暇はない。
今日は昼飯さえ取れない状況であった。

二つの台風をにらみどちらにパネルを上げるか。
何時間もにらめっこである。

この行事板を見つめることにより知恵が湧いてくる。
APAの生来を見据えて冷静になれるひとときである。

遠くで何番目かの鳥が鳴いている。
又もやこんな時間。

やはりあせってくる。老いは怖い。
いい夢を見させてもらった。
深夜の女子マラソンで野口みずきが爽やかに優勝。

シドニー五輪での高橋尚子に続き、2大会連続金メダルの快挙である。
第一声が象徴的である。

「生きて帰ってまいりました。」

それはそうであろう。いろんなことを連想させる含蓄ある言葉である。

気温35度の中行なわれた過酷なレースを2時間26分20秒のタイム。

世界記録を持つラドクリフらの先頭集団から、27キロ過ぎにスパート。

2位の前世界記録保持者キャサリン・ヌデレバ(ケニア)の追い上げをかわし、そのままゴール。

アテネの活躍の多くはどうも、女の祖国愛の力が光る。

日の本は岩戸神楽の初めより女ならでは夜の明けぬ国。

6代目円生のお血脈でさり気なく聞くのがいい。

あらすじは・・・神国にに仏教を広めた咎で命を奪われたが善光寺に
祭られる。

お釈迦様の生まれ変わりたる善光寺のオフだお血脈 を石川五右衛門が盗み出す話。

こりゃぁなんかいいことありそう。
ルンルン気分で仕事に望むべきである。

ところが朝から癇癪ダマがマジ切れ状態。
早朝、県の養護学校の太陽光発電の工事に職人さんを送り出した。

、高城町、宮崎市内の第二陣を送り出そうにも仕事に自信がなさそうなので、ある。

よって、高千穂まで50枚のパネルを持ち帰る仕事を依頼。
最後は屋根の測量で配置済み。

ようやく落ち着いた頃に、専務が今日の仕事の配置をしようと、
「みんなどうしょうか?」と言い出す。

このバ〜カ!専務!9時30分過ぎである。
昨日は夕方、高城の仕事を私はキャンセルした。

打ち合わせがあるのに休んで出てこない。これではローンが組めない。
諸事情を打ち合わせてないと、後日支障が生じた時、解消できない
為である。
そりゃぁ〜怒るであろう。

ところが感情の起伏はアテネのマラソンコースの起伏何処ではない。
10じに高○かちょうさんとの約束の時間に行くと

〜〜〜ジャ〜ァアン
ナント!60kwの太陽光発電の仕事の図面である。

「APAさん見積をお願いします。」

エェ〜ッ・・ありがとう、ございます。!
驚きと感動で言葉が出てこない。

おおよそ、36000000円を瞬間ではじく。

やった!パネル500枚弱。兎に角凄い!ドでかすぎる。

午後は日向の保育園で20KWの仕事の見積もり依頼を引き出す。
これまでの努力が実のろうとの瞬間である。

夕方延岡3.8kwの出北町の現場の屋根寸とり。

信頼おけるお客さんのご先祖様の初供養にお参りすべく城山の西側下
付近をよくも捜した。

これが不思議と見つからない。
最初お聞きしたところの2軒目隣りであったのだが教えてくれなかった。

これが迷子状態の始まり。探したわ 探したわ。
砂の中の砂金を捜すが如くである。どうなってるの町内会。

ところが不思議なことに私は何度往っても最初のところに行く。
これが所謂ナントかの知らせで実に不思議な現象。ついに探し当てた。

かってとったる・・
宮城、岩手をのぞき新潟の佐渡までの全国を走破した用地屋魂。
私には探せぬ家はありません。との揺らぎない自分への励まし。

線香を挙げさせて頂いてして辞去。
奥さんが遠くまで追ってこられファイト・一発の冷たいのをご相伴に
あやかる。

ご自宅は城山の城壁。
城山の城壁の上には鐘楼。

『なつかしき 城山の鐘鳴りいでぬ
をさなかりし日 聞きしごとくに』

エェッ!今日は若山牧水の生誕の日ではないかいな。

じゃぁあそこでのお誘いは・・・
ウソだろう・・・・エェツ!

「霊」ってjホントに出るのだろうか。

苔むした石垣には同じ西南の役の大分竹田の壮大な石垣さえ目に浮かぶ。

そういえば滝廉太郎の誕生日でもあった。

そんなかんやで10時30分過ぎ、ご帰還。
みんなでニワトリをやり大変ご満悦。

宮崎市内は晴れなのに90KM離れた延岡では大雨と流石に
まだまだ夏の季節。

昨日の甲子園が終わると今日から処暑。
優勝は北海道代表駒沢苫小牧。このチームの圧倒的強さが目立った。

チーム打率がナント448厘。当然新記録。
リーグ戦なるルールから運がつきまとうがそれがない。

日大三東京、横浜神奈川、と強豪チームを破っての誰もが認める堂々の優勝。
白川の関を越えるどころか青函さえ一挙に越えてしまった真紅の優勝旗

道産子のみのチームがいい。所謂PLくずれがいない。

立役者は・・・
九州男児の心意気。苦節10年の賜物。

香田誉士史監督は佐賀商の優勝の時の3番バッター、
確かあの時のホームランバッター

就任時の部員は20名だったとか。
初練習にはジーパンとかで現れた部員も居たとか。

それが現在は他チームのとの練習試合後の評価。
「グローブバットがきれいにしてあり、部室の清潔さ、さすが!」
と唸ったと道内の監督の評価。

日常生活の極めて当たり前のことから指導した。
礼儀・挨拶・感謝を基本に野球に取り組んで10年。悲願を達成。

丁度区切りのことを拾ってみると
・・・・・大会開始1915年90周年目
・・・・・甲子園完成より80周年目

甲子園にはこのようなチームには魔物も通用しない
堂々の優勝であった。

北海道代表ゆえ下馬評に上がらなかっただけ。来年からが面白い。

若さが目立つ夏の季節。
世界の若きアーチストたち。

アシュリー・シンプソン19歳

「オートバイオグラフィー」

・・ビルボード全米のトップを走る。・・
CD は ユニバーサルインターナショナル 2004/08/25 発売
¥2,100 「オートバイオグラフィー」
編集収録曲目
ピーシズ・オブ・ミー
シャドウ
ララ
ラヴ・メイクス・ザ・ワールド・ゴー・ラウンド
ベター・オフ
ラヴ・ミー・フォー・ミー
サレンダー
アンリーチャブル
ナッシング・ニュー
ギヴィング・イット・オール・アウェイ
アンディスカヴァード
ハーダー・エヴリデイ
ソーリー
エンドレス・サマー

どれか自分の持ち歌とせねば勝手の大黒マキのリズムに乗ったように。

妖艶なる姿は未来の大スターの予感を感じさす。醸し出すエロス。

カサブランカのイングリッド・バーグマンであり
モロッコのマレーネ・ディードリッヒを彷彿させるゾクッとするものがある。

難関のスクール・オブ・アメリカンに11歳で入学は
最少年齢のレコードでの秀才。ドウリデ。
テキサスの人はただの女ではない。

アグリル・ラヴイーン19才、
    カナダのロックの代表的存在に
  アンダー・マイ・スキン

スチインー・オリコ18才
R〆B
日本公演では10.000分400の超プラチナ・チケット

ケイデー・ローズ17歳
ロス   4がつに日本公演ロックの中心に

吉田兄弟
ストックホルムまで出かけての和音を奏でてきたようだ。

   右手愛美16歳
テイーンズ・ファッション雑誌
ピーチレモンNO1ジュニア
学研が86年に創刊常に33万部
くしゃ顔が癒すのか。

栄冠は君に輝くの甲子園歌が主役の座を降りる。
寂寥のメロデーからくる若さは、日本独特のもののようだ。

躍動する若さにも秩序と憂い、まだ日本は大丈夫のようだ。
地球環境はこの速さからして、あと、2世代しか持たない。

グローバル化した若者世代に賭けるしかない。
循環型社会の実現は唯一のプレゼントである。

60KWの太陽光発電所バンザイ!
躍動する若さは年齢だけではな…
開幕から続く日本選手の大活躍とメダルラッシュは、栄光の時代を全く知らない世代の感覚である。

我らの世代はお家芸として勝って当たり前の種目は柔道、体操、水泳、ハンディーを乗り越えての女子バレーどれでも金メダル。

陸上は仕方ない。他国にメダルをくれてやれ!であった。
長きになってしまった人生ゆえ凝縮しているのかもしれぬ。

それぞれ二世が活躍してるのに幾星霜の己の人生を重ね合わせられる。
私共は実に幸せな時代を生きてきた。

予選敗退のサッカーも唯一のメダルを杉山、釜本をメインにメキシコで取ったこともある。

アテネの日本選手の好成績の背後に、指導者の自信が見える。
それは「型」の復権、原則回帰があるのはまちがいない。

体操のコマネチ的曲芸的な技巧より鮮やかな身のこなし。
修練を積んだ型を覚えれば極限技も、神業たる様式美となる。

手加減とは頂点に達したものができること。王者の風格である。
なかでも柔道の基本は心技体が古来から言われている基本型。

シドニーの覇者で、アテネでも「金メダルに最も近い男」
といわれた柔道の井上康生が、散った。見かねるほどの敗北。

二度目の五輪、三度の世界選手権を通じ、初めて経験した
敗北。「不敗神話」の崩壊。

「実力がなかったということです」
「敗北を糧にしてもう一度、階段を上がっていきたい」

それでよし。これからも言い訳は一切しないだろう。
アテネで何があったのか。県民は一切を問わない。

しかし雪辱戦に立ち上がることは信じて疑ってない。
これからが「柔道家」井上康生の誕生である。

みよ!偉大なる日本柔道を築いた郷土の偉人を !
井上康生をめざす幼き柔道を愛するものを!。

延岡市では毎年9月九州各地から1000名以上の小中学生の
かわいい猛者が集う。

磯貝十段の功績を称え、郷土の生んだ先駆者に近づこうと、その精神を学ぶのである。

近代柔道は講道館柔道の創始者・嘉納治五郎の存在なくしては語れない。
多数の流派がしのぎを削る柔術から柔道へと進化する過渡期である。

戦前クロサワ映画の「姿三四郎」確か処女作で三船敏郎と月形竜之介がススキの野原で組あい落ちていくシーンを記憶している。
モデルは磯貝十段。

明治4年、延岡に生まれ、海軍士官学校の夢破れ、21歳のとき磯貝十段は講道館に入門。

明治、大正、昭和にかけて我が国の柔道界に大きな足跡を残した。
今日オリンピック種目になるほどの隆盛を極めている。

身長156cm、体重75kgに満たない小柄な身体で最高位の生前十段となり、まさに「柔よく剛を制す」という柔道の神髄を身をもって示し、
日本柔道史に不滅の光を放っている。

「正しい心で礼儀を尽くし、自己完成を図る」嘉納師範の考え方を、
第一の門下生として実践し広めた先駆者。
 
柔道は引き手と襟を取る組み手をしてから戦いは始まるが、
「賭け逃げ」に終始されると技を出さない!として指導を取られる。

スポーツ柔道にダイゴミはない。
康生には一本をとる柔道のこだわりがあったのかもしれない。

押したり引いたり寝ころんだりの小手先の駆け引きが、
あまり目立たなくなったアテネ。

試合の流れを他の試合と比べるがいい。審判も含めて異様である。
康生に関しては異様に目立った心理戦を挑まれたと感ずる。

一本気な日向人の気性を見抜かれたのかもしれない。

よ〜し、では我らに希望を与えてくれてる康生に
棘あるサンシュの木で出来た宮崎産の冠をかぶせよう。

サンシュの「月桂冠」。いいではないか。
この四年間、棘のある冠をかぶりつづけた康生の痛みをサンシュの冠は伝えるであろう。

伝説では桂は切られても元に戻り、永遠の命を備えた木であるという。

庭の山椒の木 鳴る鈴かけてヨーホイ
鈴の鳴る時ゃ 出ておじゃれよ

鈴の鳴る時ゃ 何と言うて出ましょうヨーホイ
駒に水やろうと 言うて出ましょうよ

お前ゃ平家の 公達ながれヨーホイ
おどま追討の 那須の末よ

那須の大八 鶴富おいてヨーホイ
椎葉たつ時ゃ 目に涙よ

「山椒」だと木の芽のことで葉を香辛料に使う。「サンシュ」は実が赤く秋珊瑚と呼ばれ、初春に黄色い花を付ける。全く異なる。

香辛料としての価値は絶大。若菜や若葉は両手のひらでパンとたたいて、煮物や汁、寿司に飾るとこれだけで春の香が満喫できる。

また、味噌、砂糖、みりんを加えてすり鉢ですりあわせての味噌は、 野菜や魚貝あえに用いる。

漢方の芳香性健胃薬、また、膿の吸い出しには葉の汁を滲みこませた布を患部に当てる。

青い果実と強度焼酎での果実酒もいい、。税務署さん内緒デスゾ!
冷え症、低温血圧、月経不順、胆石症のよろず薬。

自生として山地にあり、栽培もされる落葉低木。
岐阜県北部吉城郡上宝村は国内一の産地でもある。

サンショウの木はさほど大きくなく1mから3mほどが一般的だが、希に5mくらいになることもある。

葉の1枚1枚は小さく、幹には鋭い刺がる。
夏には青ザンショウと呼ばれる青い実を付け、秋には赤くなりはじけて黒い種子を見せる。

幹は堅く香りも良いことから、すりこ木として利用されている。
香辛料、薬料としてよく知られているが、なぜか家の敷地内に植えると病人を呼ぶという俗信もあるが知らずに植えられているのであろう。

洋の東西を問わず月桂冠には事欠かない逸話がある。

イギリスでは、19世紀の最高の自然派詩人ワーズワースや
イノック・アーデン岩波文庫の作者テニソンに桂冠詩人の称号が与えられている。
これらは、ギリシャ神話のアポロンとダフネの物語に由来する。

太陽神アポロンは、、恋多き神。  弓矢、予言、医術をつかさどり、姿はとびっきりの美青年。  これで女の気を引かぬはずはない。

エロスはアポロンにからかわれて、いたずら心を起こす。
黄金の矢と鉛の矢を二本同時に放つ

黄金の矢は、アポロンの胸を射抜く。これは恋心をそそる矢。
鉛の矢は、恋をはねつける矢でそれを受けたのは、ダフネという
川の神ペネイオスの娘

ダフネは恋愛に興味はなく野山を駆け回るほうが好きな女の子。

アポロンはこの娘に恋をした。
ダフネはうとましいと思うばかり矢の魔力も効いている。

ふたりの衝動に歯止めは効きぬ
 追うアポロン、逃げるダフネ
 追いつめられダフネは叫ぶ。

「おとうさま、、私を隠してください。それが叶わぬなら、恐ろしい目に合わないように、この姿を変えてください!」

父ペネイオスは、たとえ相手が主神ゼウスの息子のオリンポスでも指折りの実力者としても、いやがる娘に「よいではないか」とは言えぬ。

 ダフネの姿は一本のみずみずしい樹木となる。
 アポロンは、嘆き悲しみ、この樹を自分の樹と定める。

以後、彼の弓矢はこの樹からつくられ、神殿はこの樹に守られ、いまも神殿を覆っているそうだ。

枝から作られた冠は、アポロンの頭部をかざる。
この樹木が、月桂樹。その冠を勝利者に贈る習慣が今に伝わる。

では月桂樹とは・・
中国の伝説によれば・・月には、桂(けい)という木が植わっている。
地中海を原産地とする月桂樹の名はこの伝説による。

ドイツの詩人ビーバウムは歌う

「能ある香草/かぐわしく美味を醸しぬ/さればとて草の冠、黒髪に戴(人よ/ゆめ胸に忘るるなかれ、その枝に棘あることを」

女の刺す棘の一つは殿方を今も恐怖で包む。
げに、女は怖い。

言葉の断層線

2004年8月21日
博覧会の近づいてきたとある空港・・情報有り難うございます。
太陽光発電で充電中ですって。早速、営業トークに使おっと。

「こやぁ〜でなにをつるぶだがぁ〜」
何処とは言いません標準語の県。

なんかぎゃあ〜にゃあ〜言ってるとこ、
が〜が〜弁の富山弁に似てますな〜

「かたがる程の両手のお土産が、ひっさげたゆうが。」
「空港でそんげなでは、ざいしょのもんゆう感じやよね。」

「まんでもっさいと」
「さらにしよわしないじゃ、まんでだやいかいぜ。」

「けっとくそついてこい」
「小倉の食べ物キトキトしとったがけ」

「この・・たら!ハタハタもいいが」

ホント?日本人?出生、身分証明書みせて。

ウソでしょう。こんな会話する越中人はいるまいて。
これじゃ薬は売れず・・・油を売ってるだけジャン。

太陽で電気起こるんであろうか。本当に・・・。
ところで採算取れるの?

、・・・傾斜角度、に日射量、損益分岐点・・わかり易く説明しろ!

APAであれば宮崎一安いので・・・宮崎でなく富山はドウナンダ!
日頃真面目に取り組んでるのか。!遠く富山まできて工事できるのか。

えぇ・・遠山{富山}ゆえ背中{越中}に桜前線{電線}が満開{電開}です。

太陽光発電設置状況。
     
  平成13年度まで  14単年度 15年単年度
富山県  435件   212件   270件
宮崎県 1885件  1031件  1423件
全国 77503件 38262件 52863件

合計すると168628KW、で1件、5KWが平均ゆえ84万2140KWのダムに匹敵する。

エェツ!太陽光発電は・・ジヤァ・・日本一ジャン!

日本のアルプスの立山連峰は1500メートルに位置する日本一のアーチ式ダム黒四ダム。

31年から着工して7年後38年6月に完成した実に1000万人の労力。
513億の建設費。最大出力は33万5000kw。

ビデオで観ると言い「黒部の太陽」社会派の熊井啓監督。
この監督、私には三浦哲郎原作の72年の忍ぶ川が印象に残る。

原作者の推薦から男性諸氏は泣いて喜んだ。
サユリストに対する栗原小巻が見れたのである。

その後74年「サンダカン8番館」の娼婦での名演。
独り占め・・私の消えぬ喜びがある。過去の日記にも書きました。

シャンソンを生で聞ける宮崎の飲み屋街の西橘通り、通称にしたち・・
そこにパリを想わす雰囲気のソファレド・パリには、ほとんどのシャンソン歌手が来た。

宮崎公演2日間を利用してのプライベートタイムにお見えになりましたのですぞ!

この世の人ではありませんでした。まるで異惑星からのお客さん!
微笑みされ挨拶・会話で天にも昇る・・・スケベ爺々。
・・いい加減に・・ヤメロ!

そのときのことはニシタチとして書きました・・アレッ!・・過去の日記が消されてる。

サーバー管理者何してる!返せ私の日記。
バック・アップなんかあるわけナイジャン!

「黒部の太陽」出演者。このキラ星の如くのすばらしき名優たち・・
三船敏郎、滝沢修、志村喬、辰巳柳太郎、宇野重吉、芦田伸介、
佐野周二、高峰三枝子、樫山文枝が出演。

これ読んだ人でごった返しのビデオレンタル店。
これでは、貸し出し中になることでしょう。

時の過ぎるのは早いもの。覚えてますか?
テレビ初出演の02年の紅白、中島みゆきは「地上の星」を巌天下の
黒四ダムの現地から実況した。

最大の難所は大町からのルート。
扇沢駅から関西トンネルを経て220段の階段を上ること20分、展望台が拓ける

大町の7月28〜29日の王子神社の大祭のメインは流鏑馬。
わが宮崎神宮の流鏑馬と並ぶ三大流鏑馬。
管理事務所のあるところ。日向山高原。

なんかある・・・かなりの無理があります。

電力事情に非情なる差が生じている。
そこで、はじめたのが、キチガイ沙汰の自然の征服策。

長江、揚子江を堰きとめる三峡ダムである。
歴史財、文化財の貴重さも忘れ三国志の舞台の幽玄な渓谷美を其の湖底に姿を消そうとしている。

ダムの全長2,3KMはもちろん世界一。
3兆円の工事費で09年完成と言う。

発電量847億KWHは日本全部の水力発電施設
1600箇所の発電量に等しい。

その後の状況はどうするのか。
笑えるではないか。

熊野山々は南方熊楠の伐採反対を牢獄に繋がれながらも訴えた信念で残った。。
その熱意に打たれた時の中央官僚たる柳田国男の尽力がこの森を救い今日の地球的評価を受けた。

富山県という地域は方言研究の世界ではことばの東西対立を考える場合にたいへん注目されている。

後の民俗学の草分けたる柳田国男の著作『蝸牛考』の冒頭は、
富山県の「カタツムリ」というのはこんなにたくさんのバリエーションがあるのだというところから始まっている。

いかに柳田国男が富山県の方言に関心を抱いていたかということが分かる。

さて、岩波文庫の柳田国男の『蝸牛考』その解説の項。
富山県出身の方言学者、真田信治の解説は郷土愛溢れるものである。

明治30年代の調査。
全国の言語区域を東西に分かとうとする時は越中、飛騨、三河の東境に沿って線を引いて西と東に分けるといいとの結論。
明治30年代にいわれたことが大体今も継承されている。

宣教師ロドリゲスという人の「日本大文典」。
三河より東、今の愛知県の東部よりも向こう側というのはことば遣いが荒く、
西日本の方言とは違うと書かれている。
今から400年ぐらい前に既に明治38年に愛知県の東あたりで日本の西東が分かれるという外国人の結果。

もっと昔はどうなのか、万葉集の東歌の研究などから、奈良時代。
今から1200年前ぐらいに、三河あたりを境にして、

日本語が西と東に分かれていたことが推測される。
もしもそうだったら1200年前の西と東の境も400年前の西と東の境も現在の西と東の境もあまり変わっていないことになる。

日本海側についてはどうか。1200年ほど前、大和の国からこの越中にやってきた
大伴家持の記録。

家持は、東風をこの地の方言で「あいのかぜ」といっていると記す。
「あいのかぜ」は現在の富山県では「あいのかぜ」ブランドというか意味ある象徴的なことば。

このことばは山陰の出雲地方から東北地方日本海側に広く分布していることば。

日本海側の東西対立については、実は文献では新潟県と富山県の間で分かれるのだということは明治38年ぐらいまで分からない。
そして、明治38年と今もあまり変わっていない。

400年前の太平洋側の状況は明治38年の状況と変わっていない。
万葉集とも変わっていないと考えると、日本の西と東を分ける境界線というのは変わっていないと考えて間違いないとの結論がある。

全国の言語区域を東西に分かとうとする時は越中、飛騨、三河の東境に沿って線を引いて西と東に分けるといいとの結論。

言葉の糸魚川断層線のようなものである。

流れる月日

2004年8月20日
大安吉日はなんとなくハイテンション。
そりゃ・・そうでしょう。吉報!、きっぽう! 

号外の瓦版を配る江戸の配り人?の如くである。
日記のドクタさん生きている!こんな乱暴表現で・す・み・ま・せ・ん!・・と言って右手を額の三平師匠。

釈迦の解く生老病死のみが唯一の人生の真実。
唯、それのみ。だとするならば漂っていきましょう。

自分のおかれた環境をシャクだけど前提として精一杯の自分探しの
表現行為。ただただ、生きる!

そして知りえる、かくも長き、かくも短き人生。
生々流転ただ生かされる道に漂って生きていきましょうや!
悩みおおきご同輩!

口元には何時もコーチャンを偲びての
♪ケセラセラ〜なるよ〜ぅになるさ♪
リズムは癒し、生きる希望。友と手を携えともに生きらん!

大安の日たる今日は総てがよし!の日だから信じてみる気持ちが湧く。

内藤藩たる90KM先の延岡の地に向かう。3.8KWの太陽光発電のご契約!

九○○のアポゆえ契約したのは、私でもあるのにAPAとしては
収入は工事のみ。

まあ〜これが社会のシステムしかたない。
納得、納得 ご納得。エェイ!

急いで西都から高速乗り継いで19.30には宮崎の則○さん。
IHご契約!これAPAの成果。
昨日の現場打ち合わせで得たアポである。

アポ契約率100パーセント。凄いぞ!せきやん。
さらに貴重なる農業の偉人に会えた。

これだけでも私には大きな成果。
こんな凄い人いるんだ〜

延岡・行縢で農業されてる方は12町歩の米を作っておられる。
ナント苦汁を使い毎日が田植え。4日で播種から田植え。エェッ!!

分結の根っこの状況が異様に大きく、反収がまるっきり違う。
田んぼにはタニシが雑草を食べている。
きゃつ、稲を食う大敵であったはず。エェツ!
何度驚いているのか解らない!

これでは百姓出の血が騒ぐ。その昔稲作技術を競い合ったものである。
反あたり何俵の米が取れるのか。

全国規模で競われた稲作技術。減反なる施策は施策とは言わない。
米を作らなければ税金を使い補助金を出すとの愚策をなんと言おう。

その施策にどれだけ希望を失い衰退する国の食料政策の担い手たる農家をこの棄民政策で死なせたものか。

正直言って堕農家がホンの少しは居るにはいた。
勤労は国の宝。勤勉は美徳。稲作民族たる日本人の誇りである。
どうしてもバカンスに馴染めぬ民族性。

よって、我が国では、婚礼や契約、様々な行事ごとに大安や仏滅からなる 「六曜」と関連付ける風習でいきてきた。
六曜」は六曜・六輝とも呼ばれ鎌倉末期中国から伝わったと言われている。

中国では六壬時課(りくじんじか)とか小六壬(しょうりくじん)
と呼ばれ時刻の吉凶占いに用いられていた。

これらを記した『事林広記』や『万宝全書』は、江戸時代に出版されている。、

中国式の時刻占いとして天保年間(1830年〜1844年)頃まで日本でも
使われていた。

現在使われている「六曜」は貞亨年間(1684年〜1687年)頃から上記の時刻占いを元に独自に変化した。

もともとは泰安・留連・速喜・赤口・将吉・空亡と伝わったものを、
語呂合わせ大安・友引・先勝・赤口・先負・物滅(仏滅) と表現。

実に詳しき便利なホームページがある。

http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/reki_doc/doc_0410.htm

「六曜」の暦は実に簡単に旧暦の日付にもとづいて配置されてる。、

旧暦の  
1月・7月の1日は先勝  
2月・8月の1日は友引  
3月・9月の1日は先負  
4月・10月の1日は仏滅  
5月・11月の1日は大安  
6月・12月の1日は赤口

と定められており、1日以降は月末まで上記の順番で繰り返していく。

旧暦では暦が規則的に来るので、江戸時代はあまり「六曜」は重視されず庶民には「十二直」(日々の吉凶をしるし、生活の指針とした12の

言葉)の方が人気があったようである。

明治6年1月1日現在のカレンダーの新暦、
いわゆる太陽暦(グレゴリオ暦)になってから暦の違いにより

時々不規則な変化をするように見え、それがかえって占い好きの庶民に珍重され、 本格的に広がったと言われている。

世間で広く信じられてきた言い伝えの俗信による「六曜」の吉凶というのは次の通り。  

先勝(せんしょう・せんがち):午前は吉。急ぐことは吉。  
友引(ともびき):友を引く。葬式は不可。祝い事は良し。朝晩は吉で                       あるが正午は凶


先負(せんぷ・せんまけ):午後は吉。平静を保って吉。  
仏滅(ぶつめつ):万事凶であるが、葬式は構わない。  
大安(たいあん):大いに吉。特に婚礼・旅行・移転には良い。  
赤口(しゃっく・しゃっこう):火の元・刃物に注意。正午は吉だが
朝晩は凶。

日取りを決める時にいろいろな暦注がついていて悩む人がおられる。
本来の暦の吉凶というのは、何日か候補があって、

どれでもいいような場合に、迷わないで決める手段として使うと
いうのが、 一番良とわれている。

良い日を選択し、都合を変えてまで、こだわる程、重要な事ではなく、
仏滅の結婚式も会場次第でOKのはず。日曜日がいいわ〜。

又、このような庶民への広がりは、副次的効果として
全国民の勉学意識を、育てた。

文芸春秋「司馬遼太郎対話選集」によると林子平が著した
地誌「三国通覧図説」が海外で日本の書物が最初に翻訳された例で
1785年(天明五年)のことという。

「読み、書き、そろばん」は生きる知恵たる手に職をの基本パターン。
江戸の中期に始まった「寺子屋」は、農漁村にも広がった。

明治政府の学制も士族と平民を同じ教室で競わせたのもこの「寺子屋」の経験からである。

殖産興業、脱亜入欧の新政府の大成功は植字率の高き庶民の状況が
幸いした。

シベリアに漂着した日本船に本が積まれてあり、ロシア人が内容を
たずねると、船頭は読んで聞かせた。

それがロシア語の翻訳書になったという。
武士でも学者でもない庶民が書物を読めたことに驚いているロシア人。

外にも庶民層にまで歴が使用された。
二十四節気は、太陰暦を使用していた時代に、季節を現すための工夫として考え出されたもの。

1年を24当分にしその区切りに名前をつけた。
現在でも季節の節目節目に、これを示す言葉として使われている。

元来、歴は何処の国でも支配者の象徴で為政者が決めた。
農耕民族たる日本に置いてはそれが生活の隅々まで浸透し、     結果的には向学心の強い民族に鍛え上げた。

300年の鎖国で取り残されていたのに直ぐに追いつき、 
太平洋戦争で廃墟に帰したが、今日の興隆を築いた。

これらの総ては、日常の生活の中に自然にある歴を使用した生活意識から 生まれた稲作民族の大和人たる民族性に由来する。

そのような私共を育てた自然に感謝。
江戸期をモデルの循環型社会こそが地球環境を救える唯一の策。

太陽光発電の普及!これも一つの循環型社会の実現である。
しばらくは、延岡通いが続きそうである。

町を流れる五ヶ瀬、大瀬、北川、ほうりのヤナにもうすぐ鮎が踊る。
川面で食する鮎は四季の日本の風物詩。

もう秋はそこまできている。

暑い!せきやん!のうそつき!暑い!どうにかしてくれ!

地名の変遷

2004年8月19日
新築のご紹介を頂いた。
宮崎市と境界を分ける佐土原町井上集落の方である。

ゴルフ場開発をめぐり集落内の対立は裁判騒動にまでなった。
事業用地の売却をめぐり統一価格の売買に異議を唱え、4軒が協定以上の価格で売る協定破りの行動に出たためである。

宮崎市内とは山があり、佐土原町の方が何かと都合がよかった。
10年前やまを横断する道路が出来宮崎市役所までホンノ15分でつける。

ご多分にもれぬ市町村合併案。
この地区は当然宮崎市を希望しているようである。

いまどき100年以上前の異物たる明治の残滓を垣間見る思いである。
群割。

一昨日は宮崎県西諸県郡、高崎町、にいったが、宮崎県の後がなかなか読めない。

宮崎郡、佐土原町はまだその呼称に違和感は少ないがいまどき郡はないであろう。行政の怠慢である。

そのくせして、杜の鎮守様の破壊は土地改良事業なる名目で進み、史を伝える大字、小字に連なる名称は勝手に変更されている。
それは全国規模で進んでる課題である。

江戸の下町の薫り高き名称が江東区上野何丁目名○○番地と変わった如き現象である。

黒門町とか稲荷町での落語家の大師匠の呼ばれ方は、昭和の大名人たるお歴々が亡くなり、志ん朝までもが鬼籍に入る時代の変遷で
仕方ないのかもしれない。

それにしても吉原が消え、新を冠しての8丁目から12丁目筋を歩くと
昭和32年の赤線廃止の市川房江女史に代表される方々が恨めしい。
おとこに生まれしかぎり一度は大門はくぐりたかった。

象徴的であった、大門をくぐると、・・そこは一晩何千両の吉原・・・の大門はいまや史跡。

そこの別れ際の代表的建造物ならぬ巨木たる・・見返り柳・・
今はガソリン・スタンドの一角に何代目かが鎮守されてるのみ。

銀座の柳と歌われし、当時の柳もなく、山手線脇の公園記念碑をみ纏めてあった。

宮崎もイオン進出で車社会を目指した新しく町の変化が劇的に起こる予測が私にはある。

宮崎のメインたる橘通り商店街は消え行くであろう。
今でさえ閉じたシャッターがある。

近年訪れた町のシャッターの閉まってる割合の尤も多いのは
鹿児島県出水市であると思う。九州一ではなかろうか。

それに比して、山鹿市は逆転の発想で寂れた町が復活した。
今では観光客が溢れている。

古き芝居劇場を再生した。「玉三郎」の尤もお気に入りの場所で
今では年間定期公演会場でもある。

伝わっていた財産はそればかりではなく温泉があった。
中心部の足湯には大勢がいた。熱海の足湯とは大違い。

あそこも閉じた旅館の多いこと。
寛一お宮の海岸沿いの寂れ様の変遷には戸惑った。

宮崎市もあぶない!
地下駐車場の建設ができぬのが致命傷であった。

観光県なる重みもよくなかった。アレは決して甦っては来ない。
まちの再生は生活者たる県民に活路を求める街づくりしかないはずだ。

だとすれば、誰が駐車場のないところに寄り合おうか。
全国一マイカーに頼っている率が高い県。

裏を返せば公共的脚が確保されていない県である。
車の運転免許がなくては生活が成立しない。

この状況を命題に街創りを分析すれば未来は見えてくるはずだ。
イオンに対する策はない。

このままでは宮崎の顔たる橘通りは消えるであろう。
昭和35〜6年ごろの全国一の観光県のメインは新婚さん。

個人資産は1300兆円で米国の3300兆に次ぐ所得階層の多くは老人層である。誰しもが20万円ぐらいの年金で暮らしている。

この人たちをターゲットにした再生作業も10年余り街は持つであろう。いかに時代の変遷があろうとふるさと・おもいで回帰のノスタルジックの考え方は人生の根底にあるようである。

もう一度訪ねてみたい町。には新婚の地もあるはずだからである。
古き町並み・・シーガイヤが観光のメインになって以来橘通は県の施策から消えた。

大淀川沿いのホテル街には観光鳥が飛び出した。
郊外たるおおあざ芳士にシーガイヤはポッリと突っ立っている。

その数百メートル先の農業振興区域たる畑地に、
わがAPAはポツリとある。

大阪福岡大企業のお歴々さんもお見えになる状況にひたすら恥かしき状況である。
宮崎市の再生のなかにAPAも組する事ができるものになりたい。

あさの喧騒たる事件の原因である、養護学校のパネル挙げ工事の愚作ほどのことを知らない。
何度も打合せしてきたのにこれである。

昨夜10名の職人を派遣しようとしてきめ、派遣したのに、
2名のみが作業に残れた。事前手続きミスとの口実。

これでは発電所は完成しない。
全員引き揚げてくればいいものを、2名のみの残して引き揚げてくる
愚作にはただただあきれるのみ。

能力もないくせに何故連絡をしてこぬ!現場はパニクッてるので
冷静な判断は出来ぬ。よって連絡を取り合い知恵を出し合わねば
生き残れるし、出来ない作業は出来ぬ。判断もつかぬ。

何時も繰り返していることであるがなかなか進まぬ。
理解しようとしないのが生けない。

急遽、現場探しで市内のオール電化の工事に9名を回した。
強引なる日程変更である。

準備をすすめるのに時間がかかったこともあり、夜の9時過ぎに終了。
コンビニ経営の為、店舗のあるニシタチに行き説明。11時過ぎである。

IH用のナベ類がないため急遽買ってきてプレゼントなのにお母さんのみの対応で本人とあわせようとしない。

「深夜の当番ゆえ寝てるのは起こせない。」
11時に交代と言ってるくせにである。

ナベを持って帰ろうとすると、
「それは置いて行け!」

「11時が過ぎてるではないか。」
私の猛烈なる反発が始まる。

最後は先方ががお詫びをなされ、買う予定であった弁当はプレゼントというぐらいに和解出来た。

我らの年代は初期民主主義世代。
堂々と意見を言い合う風潮である。

理解し会えば今日の友、誠心誠意の心は必ず通ずる。
この時間に、誰が、無料でIHナベ類を届けようぞ。
私はソンナ給料はもらっていない。誠意それのみである。

災いを転じて福となす。がんばれ!営業せきやんさん。
プラス思考!プラス思考!

日向の風土

2004年8月18日
明治維新の偉業のひとつに廃藩置県がある。
私の感ずるところ公家出身たる岩倉卿の発案であろう。

長年の武家社会の絆の圧力を一番感じ取っていた立場にいたからである。
天皇毒殺の張本人或いは荷担した疑いも消えず、南北朝以来の
錦の御旗なるものを考え出したほどだから

御茶の子さいさいそのくらいの姦計は当然である。
策士の策士たる所以である。

その弊害をもろに受けてるのが日向の国たるみやざきけんである。
30年前の日本に何処に新幹線があり、床に高速道路があったか。
然るに04年の今はどうだ。

我が日向の国以外は何処も二つのアクセス手段は整っている。
離島県たる沖縄をのぞき降雪記録がない唯一の県日向は土地維持経費
価値は一番のはずなのにである。

私はその原因を廃藩置県後における処置の差と考える。
旧藩時代は5藩が割拠統治した。

徳川の歪な支配体制をもろに受けた我が県である。
昨日は島津藩たる都城であった。

今日は内藤藩たる日向をメーカーの課長さんと営業である。
細島は海運のみが運搬手段の唯一たる頃の重要な地域であった。

この地の一角には高鍋、秋月藩の領地があるから不思議である。
藩内に良港を持たないため窓口として確保していたのであろう。

呉越同舟で良くぞ統治できたものである。
そういえば南の日南は伊東藩の領地である。

9月NHK放映開始の「わかば」の舞台となるこの地の更に南の串間はやはり秋月藩の領地であった。

このように飛び地を持つ藩も珍しいのではなかろうか。
流石に福岡・甘木市が旧領地で渡来人の先祖を持つ家系から来る
世渡り術なのであろうか。

明治維新時の藩主秋月種樹{タネタツ」は書をよくし、
明治の三蹟といわれた。
明治帝を教えた今で言う侍従長である。

さらにさかのぼれば米大統領たるケネディー来日の時、
「尊敬する日本人?」を聞かれ、

「上杉鷹山」と答え記者を困惑させて依頼有名になった人は
秋月家から大藩たる上杉家に養子入りした人である。

ともかくも日向はごっちゃ混ぜの中でひとつの県を強要された九州では唯一の県で、県都宮崎市には統治の象徴たる城跡がない。

私の言う後進県たる始まりはここにある。
圏内を回ると解るがまるで気候・文化が違う。

我が県の年降水量は2,400mmを超え、多雨だが、、梅雨期や台風期に集中するため季節的な偏りが大きく、干ばつも発生する。

安定的な畑地営農のためには、水源の確保が不可欠であるのを昨日
都城でかんじた、

中心部ではほとんど稲刈りは済んでいるのにこの地では稲穂はこれからであった。

 我が県には32,500haの畑地が広がっているが、そのほとんどが火山灰土壌の特殊土壌地帯のうえに、多くの畑作地帯は安定した水源を持たず安定的な畑作経営が困難な状況にあル事をも都城でよく理解できる。

その一方で、畑地かんがい施設が整備された地区では、農業用水の安定供給により、施設野菜や花、茶などの水を活用した収益性の高い作物への転換が進み、全国有数の優良農業地帯となっていた。

地域によっては 大規模畑作の産地づくりや施設園芸、新品目の導入が進み、我が県の食料供給基地としての地位をさらに高めるため、

県央から県西部に広がる広大な畑地帯たる一ッ瀬大地では、畑地かんがい施設がすすんだ。

雨水に頼った農業から脱して農業用水が確保されている。
また、日照りによる干害、霜による被害を防止でき、安定した農作物の栽培により収益性の高い農業が可能となっいている。

天神ダムは伊東領たる田野地区の畑地を潤し、また水源確保のためのダム である。

我が国で使用される年間水量約900億立方メートルのうち、農業用水が約3分の2を占めている。

農業用水の約95%が稲作などに用いられる「かんがい用水」である。

日向の人々は、水田稲作が盛んとなっていった弥生時代から、農業用水を確保しようと今日に至る約2000年にわたり、その開発と保全に
尽 してきた。

一ッ瀬川からの農業用水を確保した児玉久ヱ門は西都市の偉人である。
内藤藩には藤江監物・図書父子の御用金横領の汚名をかぶり農業用水を完成させた。

鋳物時代の改革は生活そのものの見直しである。
生活の改善は電気が欠かすことのできないエネルギー資源である。

我が県では、山間部の割合が高く、豊富な降水量を生かして、
水力発電所が数多く建設されており、九州地方の電力供給の重要な一翼を担っている。

ダムが建設されると、ダム近郊に発電所が装備され、発電がなされる。
そのためダムの個数と発電所の個数はほぼ同数である。

管理種別 発電所数

宮 崎 県 ・・・・・・・・9
市町村(第3セクターを含む) 3
九州電力(株)・・・・・・ 27
その他の事業所・・・・・・ 6
合  計・・・・・・・・・45
  
九電によると、大分県の32発電所、鹿児島県の30発電所に対し、
我が県は27発電所と発電所数では3位で、電力供給量は、九州1位。

我が県は古くから水力発電の開発が行われ、その歴史は、明治31年に三菱鉱山により建設された槇峰第一発電所に始まり、

戦前の土木技術の粋を集めて建造された塚原ダム、
わが国初のハイアーチダムを有する上椎葉発電所のように
水力発電史に残る重要なものが数多くある。

日向の地はよくよく考えさせられるところである。
今は太陽光発電のNEDO申請が今回だけで4ヶ所もある。

どうにも遅れての営業のようでこれからが大変である。
豪雨の中の移動で宮崎の自然豊かさを縁り深く理解できた。

自然は人間を立ちなおさせてくれるしばしの休息の時間かもしれない。
仕事しながらの癒しとはAPAはたまったもんじゃない。

13日から17日までの稼ぎは「0」である。
これで大集団たる職人が食えるはずがない。

朝の○水さんの現場のドタキャンで急遽、高城町の現場に換えた。
ひどいどの瞬間労働力である。

あ〜あ、いきてるのが辛いほどの重荷だ〜。

眩しき尊き生き物

2004年8月17日
暑い!は四季のある日本ゆえ感じる感覚かもしれない。
他の時期との比較があるゆえの感覚である。

南国の暑さは中途半端ではない。ましてや屋根の上での作業。
太陽光発電の普及のお題目はいいが、さ〜て設置までの経過は骨が折れる。

まずはお客さんへの説明・説得が容易ではない。
複雑怪奇なガスをも含むエネルギー制度の説明。

そして高所たる危険場所での火傷さえする高温の場所での作業。
非常に安い労働賃金。

日曜日もないほど忙しく、これでは普通の奴なら音を上げる。
されど、営業の立場からにしてみれば、そこまでこぎつけるに 
幾多の苦難を乗り越え、現場を確保したのである。

「仕事があるだけでも喜べ!」である。。

我欲な人間生活の残滓たる生命体・地球の環境破壊は混沌としている。
その元凶たる気温上昇の主原因の温暖化ガスたる二酸化炭素・CO2。

江戸期をモチーフにした循環型社会にしかその活路を求めるしかない。
エネルギーは石油に頼らず、自然エネルギーを活用すべきである。

そこに従事する者の勤務条件も改善してほしい。
このテーマは常に古くて新しい問題であろう。

為政者は「聖職者」なる尊称語をつけ公務員の多数を占める教員の給与を抑えた。

大多数の教員は生活が出来ない状況がついこないだの
昭和40年前半頃まで続いた。

闇米に手を出さない裁判官は餓死でこの世を去る時代なる時事ニュ〜スもあるご時世であった。

自らの生活改善とさらに平和な世界で生活する戦争の危険のない
社会作りに奔走する為、

働く他の労働組合と手を取り合い「日教組」なる生活助け合いの組織を作った。

今日の憲法9条が残ってるのはこのかたがたの昼夜を問わぬ活動の賜物である。

軍事費に組しない国家は大いなる発展を遂げた。
そうりゃそうでしょう。

日露戦争100年たる今日ですが、その当時の国家予算の半分が軍事費であった。

110万の兵隊で20万の犠牲者を出し大国ロシアに戦いを挑んだ
名も無き小国。

この戦いには私のじいちゃん袈裟助も参戦した。
2.26事件に反乱軍で参加した5代目柳家小さん、さえ第二次大戦に参加したから負けた。・・・は三平師匠や談志師匠のクスグリに使われるほどである。

1904年明治37年である。
戦後処理は米国ポーツマスで行われ時の外相日向の小村寿太郎が
あたった。

読書本を決める時、案外書名のイメージで決める時があり、中味との 乖離の大きさに再度題名を考える時がある。

「雲は天才である」もそのひとつであろう。

この作品は雲を主題にしたものではなく、自由な校風を求めて校長と 相対立する代用教員時代の自分をオーバーラップさせて、
苦悩を描いた。
大逆事件での大杉栄や伊藤野江の虐殺に触発されてである。

啄木の「雲は天才である」とは雲のような自由を求ようとしたのかもしれない。

日向の夏は入道雲。 空いっぱいに怪獣であったり、孫悟空であったりそのときのバイオリズムで見るる人で違う。

ともかく青空をカンバスに自然が描く雲と風と太陽とが織りなす   数分事との変化には感動させられる。

今日は都城の帰りの夕方、高速入り口には今年始めてみる大きな虹 がかかってた。
この地は明治維新を成し遂げた、意思と財力を生み出した島津の領地。

同行の19歳の岩○さんでさえ、しばし運転を中止し、
見入ったもので、一大パノラマであった。

雲は何時も白く・唯無心に・雲は浮かぶ
雲は通り過ぎる・何処へも・雲は又来る
雲は怒る精一杯・力の限り・雲は泣けり
雲は笑う腹の底・己の声で・雲は微笑む
雲は電気を創る・循環の力・雲は天才だ

24歳で「一握の砂」なる私でさえ諳んじて言える慣れ親しんだ
国民的歌集を出版した。

東海の小島の磯の砂浜に 我泣きぬれて 蟹とたわむる。

郷里での教員生活に生活できない現実で見切りをつけ、
上京し朝日の記者をしてふぼ二人の子供を養うとしたが大変であった。

「せつこさ〜ん」は、なのも三平師匠の専売特許ではない。
啄木の妻節子は貧乏に泣かされた。

石川啄木は26才で赤貧洗うが如しの貧乏の失意のうちにこの世を去った。
看取ったのは日向の国民的歌人若山牧水である。
啄木の日露戦争時は8才ぐらいになるはずである。
 
滝のような強い雨が暫時降る。台風の来る前兆だったろうか。
その余波であろう。数日前の夕方、雲の影となっておぼろに霞んだ太陽が赤みを増しながら、鉛色の空を次第に茜色に染めていた。

ノーベル賞作家川端康成は日向の日暮れを大淀川から見つめ予定を変更する長期滞在となり、NHK朝の連続ドラマ「たまゆら」を書いた。

西南戦争で敗北した西郷軍は、熊本・人吉から日向を目指し、日向灘を高岡で見て「日向はあかるいな〜」と太陽溢れる日向を称えた。

5月2日から約1ヶ月、対岸の大淀川の官軍をにらみ対峙した。
日向で西郷札なる軍票を発行しての軍事費を捻出して過ごした程だ。

このところ異常に多忙である。
都城の太陽光発電のメンテをして、鹿児島県末吉のお客さんたるお宅を訪ねお悩みを解決した。

雑事に追われると、いらだちが募る。
いずれ時の過ぎ行くまま。万事、ケセラ、セラ。気楽が大事。

私以外が今の生活を続けると誰でも神経性胃炎になること請け合い。
無事生きてるのが不思議なほどである。
・・・・・
頑張ろう。
最初から前を向くなんて無理だけど、いつかは前を向けるように。
いつかは、沢山の命を救えるように。
  ・・・・・・
開けられない扉をあけてくださった
ドクタさん!有り難うございます。

ほんの偶然に地球に生きてるホスピタル。
苦しいけれど何とか生きていきましょうや。

私は地球環境を守る為全力投球で余生を過ごします。
ドクタ先生!生命を守る為余生を全力してください!
本当に、有り難うございます。
脅迫めいて書かざる得ないのでしょうか。
8月1日にも赤裸々に書きました。

神は私にはお宅様ほどの能力と勉学に道にいざなう努力する勇気を授けてはくれませんでした。

貴方は選ばれし人です。
何もその能力を埋もれさす必要はありません。

わたしの再度幼少期を綴りますので、ご奮起いただけませんでしょうか。はずかしながら、この今の状況にある環境を書きます。

存在が意識を決定するというヘーゲル哲学の典型な見本みたいな人生でありました。

どうにか元気を出して天職たる仕事を再開してください。

仕事には貴賎はないはずですが、命にかかわる仕事ほど大切なものはないはずです。

ところで、私の選ぶ洋画ベスト100には必ず、「ドクトル・ジバコ」が入ります。

そして最近はドクタさんをはじめとする日記にリンクするお医者様方やそれを目指していらっしゃるかたの・岩をも砕く信念・で勉学に取り組まれる姿に落涙の連続です。

自分の努力の足りない日々を振り返ってつくずくそう想います。
そこでせめともののことと、易しき行動たる映画で自分を投影して慰めています。

さて、原作者パスチルナークはノーベル賞に選ばれながら、プロレタリア革命を否定する内容であったため受賞が出来ませんでした。

今の北朝鮮みたいなソ連邦であったがゆえです。
60年に亡くなりますが87年名誉回復がなされたばかりの不遇な一生でした。

また映画のテーマ音楽がいい。
作曲家をめざしていたフランスのモーリス・ジャールの手になる。

『アラビアのロレンス』での赤い砂のネフド砂漠をラクダが行く
シーン、『ドクトル・ジバコ』での広大な雪のシベリア。

デヴィッド・リーン監督とのコンビで映画音楽の世界を切り開いてきた。

モーリス・ジャールの旋律は演歌調の環境でしかなかった私でさえ感動で荒れた心を癒してくれた。尤もそれは社会人となってからである。

戦後の南国の山間の封建的風習が残る集落では生きるのがやっとであった。

貧乏人の子沢山の通り、長女一人のみで7人のおとこばかりの中に、
生を受けた。
明治生まれの父母の厳しき躾の中に育った。

勉学にいそしむには程遠く、生きるのに必死で家族旅行の記憶はまったくない。

日本国の時代の要請たる換金できる輸出品たる養蚕。
それさえも私には苦い記憶である。

蚕の飼育が来る4〜8月はキリストの如きで馬屋の上の藁の中に寝泊りしたからである。

小学校に上がる前から一人前の労働力であった。
牛馬を使い田畑を耕した。

尤もガソリンを使う動力の作業機械は集落中の何処にもなく、何処の農家でも、総て家畜が人間を手助けした。

家屋内に牛馬は人間とともに生活した。
どう説明すればよいのであろう。

さしずめ、時代劇映画か農耕アジア諸国の「ビルマの竪琴」にみる風景みたいなものであろう。

羽田からモノレールで浜松町に向かう時、大井競馬場で嗅ぐあの臭いが家中満ち溢れ私は極めてその環境が不快であった。

酷い時は食事時に放尿が始まる。
その長い時間に耐え生きた心地がせず、それでもお腹をすかしている
ゆえ、黙々とと食事をした。

時間がもったいないのであり、食事の楽しみなどまったくなく
生命維持のためだけの食事に過ぎなかった。

古川柳に言う
 「やれことだ、馬の小便 渡し船」

人間国宝米朝師匠の演ずる30石船の場面はまだユーモアの域で明るい。

道中、今で言う旅行中ということも有り、極めて楽天的であるが連続的である日常生活ではこれは辛い。

機械化された農業での田植え機を初め、いまの巨大なトラクターとか
稲刈り機械、それをミックスした大型コンバインなど夢みたいなことである。

いっぱしの農業をする自信はあるが機械化農業は、からっきしダメで
ある。

後に耕運機なる動力機械が入ってきたが水冷式のエンジンで、
良くぞ火傷をせず過ごせたのが不思議である。

小川で牛馬を洗い農作業の疲れのご褒美を上げた。
夏の水浴びは人間ならずともそりゃ嬉しいものである。

喜びいさみ人馬一体となれるものである。
五感は足らずとも地球に生きる家族である。

学校や、遊びからかえると私の顔ほどもある大きな目の馬が牛が見つめる。泣き声で水か餌か、寝床のやり直しなのか解るようになる。

牛では男の威勢良さが出ぬ。
乗ったときの高さがまるで違う。

「風とともに去りぬ」でバトラーの愛娘が落馬で死ぬのはあたりまえで、リアリティーを感じたものである。

牛は、所詮公家の乗り物であることの知識はまったくなくとも体験で知りえていたから不思議なものだ。

このように暑い夏は水浴びをさした。
よちよち歩きから少しすぎた幼子が巨大な馬を引くときに
集落の人々から「えらいね!」と声をかけられる。

ときは貧乏を恥ず気持ちと有頂天になってる屈託した幼き身なりの
ませた大人がそこにはあった。

偽りのある世なりけり、神無月、貧乏神は身をもはなれず は「死神」の落語の六代目円生の一席。

「あお」なる名のうまに話しかけるのはどの映画であったか
わたしの日常そのものであった。

「綴りかた教室」か「にあんちゃん」なる映画であったか、はたまた
娯楽の山城新吾主演の白馬童子であったかは知らぬが、

そこまで馬には思い入れがあり、ギャンブル何でもござれの流石の
私でさえとても競馬にはかわいそうで興味が持てない。

6歳で家畜の世話をしていた。馬、2頭、牛は7〜8頭いたと想う。

今想えば、兄のお下がりのふせのあるズボンには肥後守なるナイフを常に忍ばせ緊急なる食糧確保に役立った。

学校に持参してもそうきついお咎めはない頃でもあった。

小倉で休暇中であろうと、うどん先生に見つかると飛んでこられることでしょう。まぁ〜そのときは重のやうどんで誤魔化すけど。

息子も山口で教師をやってるがとんでもないことであろう。

尤もその凶器に変わる性格を知り抜いているので
喧嘩をするときはポケットの品々は纏めて置いて

決して刃物を使う気は毛頭その気はしなかった。
それをもち、山に立ち入ればすかした腹を慰める食料の宝庫であった。

もちろん多感で初恋もある。
これほど想うにもし添われずば実も宝の持ちぐされ
悋気は女のつつしむところ疝気は男の苦しむところ

これは やはり江戸弁の歯切りのよさの志ん朝の小言幸兵衛 で聞きたい。

私は6歳で左手親指を・わらきり・で落とした。
牛馬にえさをやるときである。

縫接合で当時の医療技術でさえ、実現できていたのに医者の少なき
辺地はそれをやってくれなかった。
つぎの地元紙宮日が書く相澤病院のお父さんの時代である。

しかしこれは平成16年である。

 「医師が足りない」。
県内の医療機関で悲鳴に近い声が上がっている。

これまでも医師不足が問題となっていた本県は、本年度から始まった
新医師臨床研修制度の影響で医師確保がさらに厳しくなった。

加えて国の医療制度改革で、病院経営の在り方も改革を求められている。

 引き揚げ 新研修医制度が影響
04年7月28日
 「医局員の数が足りない。外科医二人の派遣を中止させてほしい」。
 
 昨年五月、西都救急病院の院長を務める大塚直純医師会会長の元を訪れた大学の助教授と医局長は切り出した。

「医師引き揚げ」の話だった。

大学へ出向いての要請は
 「うちも苦しい」「出せない」。同じ回答が返ってきた。
全国公募もしたが…

彼 岸

2004年8月15日 映画
ここんとこにないお盆の日はよきお湿りの日であった。
縁らぬ末弟を想っての姉の涙雨・敗戦の英霊の涙・

九州最後の甲子園球児たる佐土原ナインの汗混じりの涙。
いや・・ご先祖・・父母の不肖なる息子を想いての慟哭の雨であろう

コンだけ揃えば雨の一つは降るワイナ〜。
吹き抜ける夜風は恐怖で体が律してしまいそうである。

死者がよみがえるる恐怖が幽霊となり、
この生臭い風が怖かったものである。

さらなる抱える悩みが恐怖心さえ超越して因果話さえ恐れるぬ心に
やましさをもつものになっているのであろうか。

美浜原発の事故で揺れる日本の遙かなたのアルプスが国土の6割を占めるスイス。
世界遺産の文化遺産が4、自然遺産が2つを数える。

この美しき世界の避暑地にはアラン・ドロンやソフィア・ローレン、
ジャンヌ・モロー、ミハエル・シューマッハ、

フィル・コリンズやデヴィット・ボウイなど今も多くの有名人がスイスに暮らす。

かつてのヘップバーンやチャップリン、ヘッセがそうだったように、
ニーチェやブラームス、トーマス・マンなど、雄大な大自然に

インスピレーションの源泉を見いだしたように
誰もが穏やかな安らぎの時をスイスに求めてやってくる。

10数年前にユングラフ登山の帰りは今では夢の世界で
2時間余りをハイジの世界を徒歩で下山した。

首に鈴をつけた牛がお供となったりのハプニング。
エーデル・ワイスの種子を密かに持ち込んだものであった。

このような中のスイスで原発の技術がこの国で造られている。
ウラン濃縮に使う遠心分離器にかかせない技術のひとつが真空を作り
出す事業である。

超高速で回転する円筒が空気との摩擦で過熱しないよう容器の中を真空にしておく必要があるからだ。
スシス・ライン川峡谷の真空の谷にその企業が立地する。

スイスのイタリア語圏であるティチーノ州の中心的存在のLUGANO。
イタリアのミラノにちかい。

サン・ジョルジオ山 は2003年7月に貴重な化石の宝庫で世界自然遺産に選ばれたことでも注目を集めた。

アイガ、メンヒ、ユングラフそのアレッチ氷河 を抱え360°の
パノラマ 。
グランデ野外劇場でのロカルノ映画祭はつとに有名である。

その映画祭で14日市川準監督の「トニー滝谷」でスイス・ロカルノ国際映画祭の審査員特別賞を受賞したとの報道がなされた。

詳しくは
http://www.mainichi-msn.co.jp/geinou/cinema/news/20040816k0000m040004000c.html

あらすじ

http://www.eiga.com/buzz/031007/12.shtml

そして出演者の名に・・、宮沢りえ、・・をみいだす。
最近はつとに各映画賞に名を連ねる原節子を超える大女優である。

お盆である。この人と宮崎はナンカ因果を感ずる。

国策から地元高鍋での甲類焼酎の宝酒造の復活は擂リ
りんご、
缶チュウハイのCMはこの人でなされ焼酎ブームに火がついた。

ナンタッテ貴乃花を奪い取った宮崎美人の景子との確執。
そういえば実家の火災は昨年であった。

黒木和雄監督の「TOMORROW/明日88年、」「美しい夏03年」
は全国ロードとはならなかった。

「大手は戦争映画に振り向かない」の全2作に比べ「父と暮らせば」は
製作会社6社が揃い制作費は都合1億円が出来た。

反戦映画の仕上げの3作目の「父と暮らせば」は
「宮沢りえんさんの出演が決め手であった」
と宮崎はえびの出身の黒木和雄監督の弁である。

これでは浄瑠璃師も「恐ろしきは女の情念〜」と語れまい。

ウルフルズのヘッド・ファッションデザイナーの幹田卓司(32)
との浅草の仲見世通りでのツーショットはファンをヤキモキさせて
いる。・・好々爺の助平親爺のオマエさんだけだろ〜バレタ!〜

7月31日の井上ひさし氏の封切り時の挨拶の一部

・・・ちょっといいですか 30秒ぐらい。広島ではその日のうちに
9万人の方が亡くなりまして、その年の間に14万人の方が亡くなって、

それからずっと毎年だいたい3千人、多い時は四千人、去年は二千七百人ぐらいですかね。

長崎もそうです。ずっと毎年亡くなっています。つまりこの爆弾はまだ静かに爆発を続けています。

今世界にある小型の核弾頭は広島型の20倍の威力だそうです。一番小さいものでも。それがまだ3万発世界に残っています。

ですからこの映画が、監督さんや俳優さんやスタッフの皆さんの結晶がですね、静かに世界に出かけていって、そしてその核弾頭を
少しでも減らす、

その核弾頭の爆発量をこうせいの火薬に換算した人がいまして、
そうすると実は60億の地球上の人間が、一人づつ背中に1トンのTNTと
いう火薬をしょって生きているという勘定になるんですね。

ですからまだまだ危ない世界で私達は生きていますので、この映画がきっと、私たちの背中にある1トンのこの火薬を減らしてくれるだろうとそれだけの力がある、
力のこもった作品で、本当に原作者としてはこの上ない光栄です。

7月31日の詳しい舞台挨拶はココをクリック。

http://www.pal-ep.com/chichitokuraseba/htm/syoniti-repo-to1.htm

あの岩波ホールの高野悦子さんの声も聞こえてくる。

宮崎映画祭にもお見え頂いた市川準監督。
Copyright 1996 MIYAZAKI FILM FESTA All right reserved

監督 市川準のプロフィール

 1948年東京都生まれ。75年よりテレビCMの演出を始める。81年に独立。その間に演出したCMは約4百本に上る。独立後は市川準事務所を設

立し、「NTTカエルコール」「タンスにゴン」等のヒットCMを次々と手がけ、85年にはカンヌ国際広告映画祭金賞を受賞。87年「BU・SU」で

初めて劇場映画を手がけて以降コンスタントに劇場映画を発表。90年「つぐみ」と93年「病院で死ぬということ」で毎日映画コンクール監

督賞を「病院・・・」では、日本映画批評家大賞作品賞をそれぞれ受賞。他に、94年ベルリン国際映画祭批評家連盟賞を
、97年「東京夜曲」では日本人として初めてモントリオール国際映画祭監督賞を受賞するなど、受賞暦は枚挙にいとまがない。
常に新しい才能と組み、様々な題材に挑みつづけている。

●市川準作品
87「BU・SU」
88「会社物語」
89「ノーライフキング」
90「つぐみ」
91「ご挨拶」(第2話 佳世さん)
93「病院で死ぬということ」「クレープ」
95「東京兄妹」
96「トキワ荘の青春」
97「東京夜曲」
98「たどんとちくわ」
99「大阪物語」

この監督は今後もっと楽しませてくれるであろう。
老齢の域きの私には時間がない.
ドクタさんが日記に復活されておられる。

生きる躍動感をどこかから汲み取って
その凄い能力を生かしてほしいと心より想ってる次第です。

それこそが魂の供養になり、一番喜んでもらえると思えるからです。

その一つに世界の祭典オリンピックがある。
きっと、みておられないことであろうからここに記してみたい。

オリンピックの開会式を見たが流石に海洋国ギリシャ古代ギリシャを
醸し出していた。

火を使用することで霊長類の頂点に立った人間。
火で出来た五輪の輪が海に浮かび上がる。

人類の前進たる生命の発祥たる海、そのギリシャの海たる「エーゲ海」をメイン会場いっぱいに再現し、そして忽然と消した。

これをみていたらミスター・マリックもビックリであろう。
もちろんこれには秘密があって次のようなことらしい。

「エーゲ海」の水面には216万2000リットルの水が使用された。
選手団の入場行進前に突然、水が消えて驚かせたが、

毎秒3000リットルを吸い込む直径50センチの排水溝が10カ所あり、
3分間ですべての水を地下にあるドーナツ状の貯水槽に移す
仕掛けだった。なあ〜んだ! そーダッタンダ!

アテネは開会式に間に合うのかとのマスコミだったが、
どうりでやきもきさせた訳である。

ギリシャらしい演出の式典では

ギリシャ人以外に14カ国の7歳から70歳までのボランティア2428人が
出演し、幻想的なムードを盛り上げたのは1800個のライト。

出演者のほかにも31カ国の約2200人のボランティアが後方支援。
練習時間は85日間で600時間に上ったそうな。
神話や歴史を表現する衣装に使った布は1万メートル。

忽然と消えた水の開会式をみていて思い出すのは
地球環境の激変である。生命の根源の突然の消失。・・

・・海も山も危ない。
それぞれ、特徴的に挙げてみる、ネパール、ツバル、フィジー
そして日本である。

NHKスペシャル「ヒマラヤ 氷河湖が決壊する」と言う番組があった。

ヒマラヤには多くの氷河があるが、その氷河が溶け始めており、多くの氷河湖ができている。

その一つのかなり大型の氷河湖が決壊の危機に瀕していると言うことである。

大量の水が200mほどの土手で支えられているだけで決壊すると
4000万トンの水が10分ほどで一気に麓の集落を直撃し、
被災者一万人以上と予測されている。

ネパールは急遽国家プロジェクトとしてこの氷河湖の水抜きをしようとしている。

過去にも氷河湖の決壊を経験しており土石流で埋まってしまった村もあるとか。

聞いているとネパールではこれは明らかに国家的大問題である。
洪水に備えて村の人間がやっているのは人力による手で石を積み上げての堤防作り。

果たして本当にどの程度役に立つかは怪しいもの。
避難できる時間はたった15分。非常に厳しい条件である。

そこで水路を造って湖の水を排出する計画を立てた。
これが、地勢上から実現できない。

あまりにもの高地だけに大型機械は持ち込めず、
ほとんどが手作業なのだ。

迫る決壊に対してどう見ても工事が追いついていない。
その挙げ句に雨期が来ると湖が増量して水漏れが始まる。

こうなると水路を造るどころか下手するとその水路自体が「蟻の一穴」になって堤防崩壊を促しかねない。

地球温暖化の原因を作っているのは先進国である。
そのツケがこのような発展途上国にかかってくるとは理不尽である。

地球温暖化は海面上昇を招き21世紀に消えるツバルでは避難してる。

同様のフィジーはシーガイアで行われた地球温暖化会議に参加され宮崎にも来られていた。

日本文理大に留学中で、女子78キロ級のナイシガラソキオキが旗手を
務めた。

今年6月の全日本学生女子優勝大会の3人制では初優勝に貢献し、アテネ五輪での活躍が期待される。

フィジーの民族衣装に身を包んで行進し、さかんに笑顔を振りまいていた。

入場はアルフアペット順だが統一韓国が日本より遅いのにクレームをつけた笑い話がある。

KOREAゆえjapan寄り遅くなるのでCOREAにしたかったという。
さきのサッカーのアジア大会の時の開会式の日本国家に対しての

ブーイングといい、どうしようもない。
まっさか閉会式の中国のように監督のボイコットはないでしょうね。

ネパールはどの順番で入場してたかな〜

日本の入場である。

昨年9.24に発表された高田賢三 のデザインになるものをまとい日本の入場。

個性と制服を両立させ、同一デザインでなく何種類かのバリエーションを作った。

『色や、柄を変えたり、そざいをかえたりしたい」とアイデアを述べていたケンゾウー。

作成は「ユニクロ」を展開する、 ファーストリテイリング。
ほしい人かえるよ〜。

素敵な宇宙船地球号「温暖化と向き合う〜日本はどうなる〜 」
わが心の富士山が消える」
 
富士と言えば冠雪のイメージがあるのだが、ここ数年、富士の雪解けが異常に早くなっているのだという。

富士の冠雪のポイントとなっているのは富士山に存在している
永久凍土。

永久凍土は日本には存在しないと言われていたのだが、富士の山頂にはその永久凍土が存在していることが分かったのだという。

 しかしこの永久凍土が溶け始めているという。
この30年間で永久凍土層が300メートルも高度が上がっているというのだ。

さらに永久凍土が溶け始めることで、土砂を保持できなくなって
山の崩落さえ進みつつあるという。

富士山を守れというのは、温暖化防止のスローガンとして
は日本人のメンタリティに訴えるテーマになりそうである。

生命の尊さ、不思議さを生命の根源たる海が忽然と消失した時感じた。
NHKの「驚異の小宇宙・人体」放映された時のことをである。

イギリスBBCの製作によるドキュメントで未知なる生命・ヒト 
「いのちの誕生」で似た企画があった。
 
排卵の瞬間を映像化し、この番組を見ていると妊娠というものがいかに困難なことかというのが感じられる。

女性が排卵するのは一月に一回、そして卵子が受精の能力を持っているのは排卵後24時間。

よくも妊娠などが起こるものだと感心する。
それにしても無事受精した卵子も5/6が子宮着床後8週目までに死んでしまうなどと言うことである。、

我々は誰もがこの難関を潜り抜けて誕生したことを考えると
生命の驚異、神秘を考えさせられてしまう。

医療技術が入り込んでる現状を憂いを感じた。
その後の妊娠・出産というものが母体にとってどれだけ負担なものか。

子宮に押されて内臓やら心臓まで変形するというのは驚きの現象を
映像で科学的に示していた。

それ以前としても人の誕生までの進化の問題もある。
育んでくれたのは総て豊穣なる海、生命の起源たる海。

忽然と消える演出は私に循環社会たる太陽光発電の普及に賭けてる
応援歌となった。

古代ゼウスの神を尊びオリンピックは開催された。
紀元前776年から起源393年間での間である。

1503年後にピエール・ド・クベルタンが近代オリンピックを開催した。
1896年「明治29年」弟1回は13ヶ国285人。

第28回アテネは202ヶ国2万人が28競技301種を競い合う。
29日までの17日間である。

宮崎からは9人が参加し、金メダル1個は確実だ。

自分に代わって闘われる競技、命を感じる瞬間かもしれない。
辛い!確かに辛いが、生きるしかない。

与えられた命の不思議さを感じる。
この人た…
なにをやってるのかな〜
日記サーバーの一部は復旧していない。

復旧は遅々として進まずしたがって外の方の日記から侵入して
アクセス元を開き、自分の日記を見つけ出し書いてる状態である。

デレクトリーのテーマ別の仕事はダメで、就職とかは動いているようである。

私は仕事に区分け登録されている為、故障の表示で何時まで続くぬかるみぞ!である。

何事も敵を欺かずして勝利の道はないようである。
経済状態もよくわからぬ状況が続いている

かってのミスター・エンの?原英資{63}日本経済の仏魔殿たる
大蔵を取り仕切っていたこの人物は慶応教授に収まっている。

この人の言葉をかりればどうにもはっきりしてる内容なのである。

GNPは前年比で3パーセントであった昨年だが、本年での4半期では
6パーセントになっているにもかかわらずである。

中味はリストラで回復したに過ぎないと切り捨てる。

本年度予算でみると30兆以下の国債発行目標は36兆に間延びしている。

14兆7600億の買い越しである。
竹中ショックといわれてるものの中味の実態である

頼みの綱のアメリカ経済は、8月で0.25で
プライム・は1,8〜2パーセントである。

1パーセントの国債は安い金利で資金調達してるに過ぎなく
借金が多いことの裏返しに過ぎない。

クリントン時代の財務長官のルービン、サマーズは口をそろえて
同じ答えの・・強いドル・・の復活である。

円安での輸出がのびてるが生産拠点を海外に移してる為その効果は望めない。

公債残は、GDPの・・148パーセントで
 2020年には・・287パーセントとの予測も有り、
国家の破綻状態である。

名目金利から物価上昇率をひいた実質金利は変化しない状態。
名目から物価上昇をひいた実質金利はここのとこの低迷である

何処が景気がよいのやらわからぬ状態。
UFJ銀行をミツビシ、住友が争奪するのもわからぬではない。

メガ・バンクの二分化に収斂されていく資本の集中の果てに在るものは暴走する資本の本性であろう。

政治的には平和憲法9条を残すのみ。それも風前のともし火。
イラクでアレルギーは取り除けたので・・後はきっかけ。

外圧たるアメリカの発言待ち。・・・・
そうだわな〜国連常任理事の資格を得ること。・・・かな?

まっさかジェンキンスさんで試してるんじゃなっかろうか。

曽我ひとみさんは得をしている。
日本人に同情を買いやすい直向さ、喋りかたを知らぬうちに兼ね備えてるようである。

本人も知らないうちに持ち合わせてるもので天分であろう。

拉致家族問題は日本人のほとんどの問題となっている。
政治的意図があるとすればこの上ないプロパガンダであろう。

その実は小泉純一郎の陰たる飯島秘書の仕組んだ権力維持のための政治ショウのひとつにすぎぬ。

それに気付き世論の風は表面的なる疑問が提示されだした。
ジエンキンスさんまで税金を使って「帰国」させてよいのか。
家族たる曽我ひとみさんから切り離されての話である。

飯島勲のシナリオ上にはなかったのか。そうとはおもえぬ。
脱走兵がどんなに重い罪であるのか調べてかからぬはずはない。

思いつきばったりだったとしても用意周到に仕組まれた高支持率維持のための
年間プログラムに沿った政治ショウーにすぎぬ田舎芝居。

衣のしたにはニョロニョロと何かが見えている。

8月は平和を語る季節。
戦争のきっかけは何処から拡大していったのか。

満州事変に繋がる契機は張作霖列車の爆破で戦火を拡大していく。
関東軍 石原莞爾の知恵であったのは知られるところ。

ジェンキンスさんの問題の起源。
40年前の8月、トンキンワン事件なるもが新聞の一面を飾った。

ベトナム軍のアメリカ軍艦に攻撃を仕掛けてきたとの報道である。
後でわかったことではかなりの部分が創作された虚構であった。

「イラクの大量破壊兵器所持」での戦争勃発と同様である。

このことによる米国の回答が出された。
「北爆」である。

議会は大統領に武力攻撃の権限を事前に認める決定をしていたのは当然の策。

アメリカが初めて敗北するベトナム戦争は仕組まれて始まっていく。

大衆的支持を集めるにはこのトンキン湾を契機とするプロパガンダが
利用され気をつけてみなければならない。

このように、この短き50数年の人生の中でも戦争を見てきた。
日本軍が始めて係っているイラク戦争。ベトナム戦争である。

「フオッグ・オブ・ウオー」が戦争に対する回顧的回想である。
我らの世代には馴染んだ国防長官マクナマラは
「避けられた」と述べた。

ベトナム戦争は多くの戦死者を出し
政治不信・価値観喪失症候群と言うトラウマが根強く支配した。

ベトナム反戦は世界の良識、勇気の証でもあった。
私の青春の多くの時間を・・否!総てを・・支配し、愛しき人さえ捨て去った。

ジェンキンスさんはそのときの脱走兵なのである。
時代の寵児であり、世界中の良心をどれだけ勇気つけたものか。

追訴、軍法会議は報道されても
ベトナム戦争時の脱走の罪は、報道されない奇に
国への忠誠心たる軍人の本性が見え隠れする。

ジェンキンスさんの胡散臭い病状は見透かしてる
堂々とベトナム反戦の脱走兵を自ら名乗るべきである。

北朝鮮の問題は日航機よど号乗っ取りがまだ残っている。

政治の時代を生きてきた私共の青春の残滓が、
そのときの良心が、痛みよみがえり、

何度となく青春してる自分が見え隠れしてくる。

市内の中島発電所の連携であった。
{わ〜・す・ご・い・」「電気を売ってるンですか〜」

奥様の感激は私の感激でもあった。
太陽光発電での循環型環境を作るお手伝い。

せめてもの罪滅ぼしとしよう。

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