今日の誕生日の花は・・・・アジサイ
花言葉は・・・・・・・・・移り気・乙女の愛

紫陽花剪(き)る
なお美(は)しきもの
あらば剪る

標高1400M・ブルームフォンテーンで世界ランキング19<VS>45と随分と開きがある対戦。
▽GK 川島
▽DF 駒野、中沢、闘莉王、長友
▽MF 遠藤、長谷部、松井、本田、阿部
▽FW 大久保

前半を終えようとしてもまったくシュートのない日本。
GK 川島がガッチリ止めたあと
いきなりである。
前半39分、ジャパン・ブルーの選手がゴール・ポストを揺らした。
日本の本田が先制ゴールを挙げた。

攻勢を受けた後すぐにサイドを上がってきた松井
大久保がセってー左の松井ー右いる本田。
本田の右足にトラップそれが利き足の左足の前に落ちてきた
 神のプレゼント。
いわゆる持ってるものが呼び寄せたプレー。
昨日が24歳の誕生日のお祝い。

ジャパン・ブルーがピョンピョン飛びはねる。
それにしてもアフリカらしい。
ズ~~ッとなにかズーっと音が鳴る。
情況が違うアウェイの怖さ。
球場全体に沸き起こる
「ぶ~~~~」
アフリカ知らずゆえに爺目も流石に好い感じではない。
ただ遊ぶ余裕はある。
世の中は
  澄むと濁りで大違い
  ハゲに毛がなく
  刷毛に毛があり。
落語を聴いたこともなき言葉狩り論者がアラをみつけようか。
ただしこれは耳学問で残る古典の孫引き。次は爺目の自作
世の中は
  澄むと濁りで大違い
ブルセラで目をふさぎ
ブルゼラで耳をふさぐ

14日国会代表質問
「谷垣総裁から2時間前に頂いた質問にお答えします。」
イラ菅じゃぁなかった・・
ブラウン菅向こうはなんら変わらない。
「ぶ~~~~・・・・」

13日深夜のテレビ。病に伏せてた野村監督が復帰。
W杯サッカーを聞かれて言うのに笑った。
お話し振りからフリーキックの場面だと思う。
「蹴りますよねぇ~何故GKは右とか左とかボールがくるのがわかるんですかねぇー」
やはり長嶋がヒマワリで野村監督は月見草なんなんだー。
爺目もその程度ゆえのにわかサッカー党ゆえ、よくわかる。
  ブログ以前はまったくダメであった。
プロ職業人の方のブログに綴られるに触れてサッカーを教えていただいた。
仕事の達人で教え子にさえ慕われる熱心なるサポーターの方で
「この方・・何ナノのこの情熱ッ!」
  の生き様に学んだ。
それ以来サッカー記事を見るようになった。
今回も東京FC愛媛西条の人長友、キャプテン長谷部のことなど事前に情報チェック。
13日NHKテレビはエトーを中心にカメルーンのことを報じてたのを興味を持って前知識で楽しく観た
大分中津江村・坂本休元町長はカメルーンのため現地に飛んでいるmm。草食人種は思考に幅がある。
幅広き雑学知識があったほうが楽しいのはこのブログの方に教えていただいた。
サッカーの師である。
多忙すぎた社会人現役時代には仕事に熱中しすぎ余裕がなかったので砂が水を吸い込む如くで老いにも丁度好い。
我以外はみな師。
実に有り難い。
 ・・・・・
後半も攻められる。
残り5分
矢野のがんばり、イナモト投入、長谷部に代わり腕に巻きなおし中沢。
「ぶ~~~~」
場内はスタンディングのままに両手を右左全員である。
なんか連続3失点を思わす。
「ガンバッー」
遠藤岡崎・・みな守レッ
ロスタイム4分。
スキあらば・・アフリカの雄・不屈のライオンである。
「あああああー」
「はいったか??」ゴールポストが救った。
繰り返される。
「あああああっ!」
・・・GK・川島ビッグプレー
「やった!ああああ」
「ぶ~~~~・・・・」
ホィスルさえかき消す
「やったー勝ち点3」
後半攻めれず完全に押されていたが逃げ切った。
随分とシュート数の差があろう
2大会ぶりのW杯での勝利、外国の地で初勝利。
次はどこだ。
さぁーこいオランダッ!
民族が一つになるが俄然いい。
この力あれば国難にこの民族はいかようにも大丈夫である。

歴史は為政者の、勝利者の都合いいように書き換えられる。
それは洋の東西をとわない。
この国の国造りの古事記日本書紀の話でさえ源流は二つある。
宮崎北の西部の山間部の高千穂<VS>鹿児島を分ける宮崎西部県境高千穂の峰
薩摩が伊東氏を滅ぼし本城・都於郡を押さえたのもその地に由緒あることに由来する
海幸山幸の石のお棺がいわゆる本宅があった跡であるゆえ。
さらには時代が下り熊襲征伐の本拠地景行天皇御所地が都於郡であるゆえ。
たんなる時代が生んだ山城時代ゆえだけで語れない。

紀元2600年昭和15年。
日本中の国学者が宮崎か鹿児島かで天孫降臨の地本家地を競って争った。
薩摩が史実を書き換えたからでアル。

ところで参議院選挙まで残り27日。
奇兵隊内閣はどぅなるのか。

ここでも歴史の改ざんが行われている。
庇を貸して母屋をとられてる情況にある。
状況的の鳩山・小沢体制から略奪菅内閣状態と同じである。

久ぶりに下関弁を聞いた。
社会人としての旅立ちの地の教えは大きかったものと見える。
あの40年前の下関大和町の頃の日々が彷彿とする。
鎌倉孝夫先生の著作は今ここから出ている。
お元気とのコト。
福田豊先生との共著から培われた向坂逸郎先生が伝え残した労農派思想運動が分散していく社会党を支えてきた社会主義協会。
宇野弘蔵・向坂逸郎先生のドイツ留学中に仲良くボートでの写真を見てるが福田鎌倉と受け継がれたことに思いをはせる。
我が田中慎一郎先生も同じ行動にあった。
55年体制の崩壊は重層的に検証されねばならないこと。
二大政党制というがあの自社の時代とは大きく異にすること。
明治維新を絶対封建制の革命vs資本主義的萌芽社会体制からの革命とするいわゆる講座派VS労農派厳しき論争の申し子の学者先生たちの名は懐かしく今でもなんら変わらぬ社会様相にある。

奇兵隊の生みの親・高杉晋作の東行記念館が1日にオープンした
管理者が地元氏子有志でなく下関市が管理するようになった
地元吉田地区の住民はその展示内容を見て驚いている。
東行記念館というのに、高杉史料は2点しかない。
展示していた年表と高杉の漢詩のパネルもとりはずされてどこへ行ったかわからない。

だいたい地元に伝わるは口伝にまつわるものを後に体系付けたものが
のちに書物に興こされ伝わってるのが国学史にはママある。
学術的とか言うが現実生活にはその程度でなんら支障があるわけでない。
いわゆる歴史のロマンである。
「おらが国サー」のお国自慢である。

高杉晋作の東行庵をめぐっては、高杉史料の泥棒問題からさまざまな事件が起こってきた
が、今回とうとう市が高杉晋作を顕彰する東行記念館に乗り込み、
高杉評価の内容に踏み込んでその改ざんをするという、かなり大それたことを始めている。

これはどういうことなのか、
だれがなんのためにやっているのか。

教育委員会管轄だから
文科省課長から天下りした嶋倉教育長は承知のことであろう。
「嶋倉教育長は新潟出身だから、長岡藩の恨みではないか」とさえ揶揄される。
以前聞いている
 嶋倉教育長が下関に来るなり、在日朝鮮人の前で
「朝鮮侵略の歴史はなかった」
といって大反発を食った。
朝鮮人や明治維新は下関ゆえの独自の歴史
確か・・関釜フェリーは1970年に就航して国内が騒然としたものであった。
爺目の社会人原点の山口下関。
今は何故だろう
愚息が山口の教壇にある。
職業プロにありながらの熱狂的サポーターの方のサッカーの爺目の師の情熱にはまるで不足している。
教育とは・・人を育てるとはその道の職業プロは全身全霊のブログでさえ手にとるように解る情熱であろう。

7年前の2003年2月、徳島藩の出の一坂太郎学芸員と一緒に高杉史料が萩市に持って行かれるという事件が起きた。
東行記念館から突如として高杉史料が泥棒されたのである。
東行庵を140年にわたって守ってきた地元吉田の人たち
この間高杉晋作子孫の高杉勝氏や地元吉田の人たちが萩市を相手に何度も交渉を進めてきた。
 そのうち158点は昨年、東行庵に返ってきた
 ただし69点は萩市が返さないということで今裁判になっている。

この過程で一昨年末頃から江島元市長が親切な顔をして乗り出しす。
、下関市教育委員会が「高杉勝氏が“管理状態が悪い”といっているので展示室を整備しよう」といい出して、
2階を市が借り受けて市立東行記念館にする方向で動き始めた。
 しかし記念館が開館してみると、地元の人たちは高杉が消えてしまったことに驚いているというわけ。

やはり狭山丘陵を守るトトロふるさと財団の方式しかないのか。
この度あらたに所沢市に3700万で雑木林5000平米を購入。
12ヶ所目で合計2万4000平米の所有管理地になるという

高杉を顕彰しない東行記念館になっている。
これまで地元が長年にわたって高杉と奇兵隊を顕彰してきた歴史が覆されている。

 東行記念館館長を兼務している三井正憲・長府博物館館長
「今までは素人がやっていた展示で、パネルの内容を見ても学術的に確定していないことが書いてある。
市立の博物館としてオープンしたからには、専門家の目で見て学術的に裏づけられるものとして展示をおこなう」

笑わす出ない。
 展示のあらたなることにまず高杉の史料そのものがない。
158点は裁判が終わるまでは展示できないという。
158点以外にも高杉とされてきたが、それを裏づける史料はなく史実とはいえない。
それは今の歴史学会の主流=学術界の評価だという。

「奇兵隊や諸隊は倒幕のためにたたかったのではなく、報奨金がしっかりしていたから農民たちが志願した」
「高杉はあくまでも毛利の家臣として、主君のためにたたかった。倒幕と日本の独立を守ったということ
を業績の中心にするのはまちがい」

これらが歴史の言われて来たことの改ざんの中心的コト。

 他の市の文化関係者が口を併せる
「これまでは宗教法人や郷土史家がやってきたもので、学術的とはいえない」
「高杉評価を見直すというのは、公立になってからの当然の使命」

「学術的」と称して歴史を改ざんしている

徳島藩の出の一坂太郎が東行庵に潜り込んで歴史の改ざんをはじめた。
 高杉や明治維新について誇りをもって語り伝えられてきたものを
「勝者の栄光の物語」
「ニセ物の歴史」といって侮蔑
、「本物の歴史は敗者のなかにある」と唱えた。

そして、
幕府や俗論派との妥協を主張して高杉の決起に反対して逃亡し
、その後新選組の手で送り込まれて処刑された赤根武人の墓をつくったりした。

昔は役所が文化とか教育とか歴史評価とかに口を
出すのは恥ずかしいことだという基準があった。
「官製文化」「官僚統制・国家統制」といっていた。

担当の溝口学芸員は鎌倉・戦国期の古文書研究が専門
明治維新の研究は初めて。
下関や山口県の人間こそ実体験を持って維新の歴史を継承してきており
、一番の玄人のハズ。

「奇兵隊に志願したのは金ほしさのためだった」
といいふらすことが、どれほど子孫、また市民・県民を怒らせることになるか。
そういうものに対する恐れを知らない。
明治維新革命の一番のハイライトである高杉の功山寺決起は、諸隊解散命令の後で藩財政からの援助はない。
そのなかで諸隊全体が決起して藩政府軍とたたかった。

奇兵隊・諸隊の諭示に
「農事の妨げをしてはいけない。牛や馬がきたら道縁によけてすみやかに通すこと」
などとあることと統一したものだ。
それは百姓、町人の支持を得て世直しと独立をやるという目的と一致する。

 下関でも県内でも、自分たちの父祖が徳川を倒すために身を挺してたたかったんだという誇りが語り継がれている。
その実体験がウソだという。
世のため人のために命をかける者がいたことが信じられない。
奇兵隊がそう見えるということは、自分たちが金のためしか基準がないことの裏返しではないか。

「高杉は主君のためにたたかった」という
日本の独立のため、近代統一国家をつくるためにたたかったし、
歴史はそのようになった
そのことをなぜ否定するのか。
高杉は功山寺決起の直前
「自ら不忠不孝の人となり/国政をして維新たらしめんと欲す」と詠んでいる。
「忠・孝」を捨てて国のためという決意であアル。
封建領主としての毛利はいなくなった。

 彦島の割譲問題も抹殺 史実でないと主張 し「彦島割譲問題」をかなりこだわっている。
伊藤博文が回顧録で書いているだけで、史実でないという。
回顧録は伊藤が殺される直前の明治42年の話で
、そこからこの話が広まったというのは通用しない。

それよりもはるか以前、講話談判の体験から
みんなのなかで語られている話。
アーネスト・サトウが書いてないから伊藤のは史料にならないという。

彦島割譲はイギリスがあとの三国に出し抜いてやったこと
失敗したことを書くわけがない。

史料しか信用しない、書類不備という
大衆の経験、その伝承のなかにある真実を、認めない。
それで歴史がわかるわけがない。

 インドも中国も植民地になるなかでなぜ日本は植民地にならなかったのか。

徳川幕府は不平等条約の日米修好通商条約を結び、
外国隷属のもとでの開国をやろうとした。

長州藩は馬関攘夷戦争をやった。
独立のもとでの開国だ。
この戦争は直接には敗北だった。
続いた・・・
日向親藩の薩摩は戦争をやった
見事に敗北し鹿児島の街中を占拠された。

しかし歴史全体から見たら、唯二つの両国は、外国の侵略とたたかう意志と力を示した、
それが・・
この国の植民地の道を断ち切った。
彦島割譲を否定するのは、それだけではなく外国の侵略とたたかったという事実を否定したいのだ。

この間NHKを含めてそうである。
坂本龍馬を称え、
新選組を称え
篤姫を称えて
高杉晋作を抹殺してきた流れの中心がその点だ。

一昨年のこと。
、明治維新史学会が全国大会を萩で開き、その基調講演は北海道大学の井上勝生名誉教授。
「日本植民地化の危機はなかった」
「日米修好通商条約は不平等条約ではなかった」
「馬関戦争で大砲を撃った長州藩が悪い。
 それを止めた毛利の家来を再評価しないといけない」 

山口県史編さんの中心にいる田中彰は、90年代末に『幕末学のみかた。』という本を朝日新聞社から出している。
「未発の可能性に満ちた時代」というテーマ
、それは
「幕府が勝ったかもしれない可能性の時代」
という意味。

そのなかで開国に対する外圧論から「勝者・敗者の見方」などを展開している。
他にも井上勝生や家近良樹など12人

アメリカの日本支配の意図性で改ざんしている。
だから彦島割譲問題、独立・革命という点を否定する
現在の問題として考えている。
だから明治維新革命の歴史を継承させてはいけない、ぶっつぶせという観点でやっている。
歴史を学ぶという場合、現代を理解し、未来を展望するエネルギーをくみとっていくためだ。

現代を理解するのに、現代の資本主義社会が始まった明治維新という出発点を見ないで理解できるわけがない。

明治維新は何だったか
第二次大戦は何だったかを理解せずに、
現代日本を理解することはできない。

そうした歴史的で社会的な見方を破壊し、好き勝手、目前バラバラに分断して、なにがなにかわからなくしてしまう。
目先の利益だけを追い求めるアメリカ流プラグマティズムを押しつける。
つまり歴史学の否定だ。
アメリカが日本侵略支配を続けるためだ。

 マスコミが坂本龍馬を持ち上げている
が、龍馬は幕府でも薩長でも自分がもうければいいという路線だ。
ジャンセンは
「龍馬の流儀は自分たちと同時代的な共通の価値観だから、龍馬はものすごく大事だったんだ」という。

今の市場原理主義の先駆者で、アメリカにぴったり。

 「明治維新は革命ではない」というが、実際は内戦だ。
戊辰戦争で新潟から函館まで行って戦っている。

そうして徳川の武力を解体したことによって、徳川をはじめ諸侯の領地を没収できたし、
士農工商の身分制度の廃止、商業の自由の保障などをやって、資本主義へと進んだ。

近代化というのは開国して工業をやることみたいにいうが、
そういう社会制度を改革しないで近代化するわけがない。
徳川の方がよかった、敗者の方がよかったというのは、近代化反対の思想だ。

馬関攘夷戦の前田砲台を世界遺産に登録しようという運動がある。
〇七年から江島市長が取り組み始め、県や国も動いている
。推進しているのはハーバード大ケネディスクール卒の加藤康子
「四国連合艦隊に長州藩が負け、攘夷を反省して、開国と近代化の方向をとった」
「大砲を撃たれたおかげで目覚めた」といい、その記念碑をつくるという。
これは日本人の発想ではなくアメリカのいい分だ。
屈辱的だ。

長崎にある話。
町衆が振遠隊を組織して戊辰戦争に参加した話
海援隊がならず者と見られていた話、

薩長同盟の前に五代友厚と高杉が花月で会談して銃取引の約束をしたなど、
記録には残っていないが証拠がある事実がさまざま出てきた。

薩摩と長州が平戸で密会していたというのも語り継がれていた。
彼らは非合法で動いており、記録を残すはずがない。
「実証的」と称するプラグマティズム学問が、歴史をバラバラにし
て、非常に恣意的であり、しかしそこにちゃんと歴史の真実を否定するという政治目的が貫かれている。

明治維新の独立と革命の歴史を現代に継承されたらアメリカが困るということだ。
歴史学はそういうのと一切関係ないところで、ひからびた、頭をこねくり回してやっている学問だというのが暴露された。

六五年間アメリカの軍事基地をおかれたうえに全土に拡張された。
政治も経済も文化も教育もぶっつぶされ再び原水爆戦争の戦場にされかねない植民地状態にアル。

アメリカから独立し、売国奴をうち倒して次の新しい社会をつくっていくことが直接の課題になっている。
明治維新の真実を大論議するチャンスだ。

古城春樹学芸員著『龍馬とお龍の下関』の出版記念会
「志士の杜」も90年代から動いているが、
あるかぽーとに建てた妙な石碑も高杉と龍馬だ。

それをやるぐらいなら日向の親藩薩摩がお世話になった下関の豪商白石正一郎
高杉晋作と白石正一郎をやればよいではないか。

維新の誇りを守るのは日本全体の問題であり、
下関市民、山口県民の使命だ。
これは日本人としての継承すべき精神を守る課題でもある。
沖縄報道が鳩山の首をとったらピタリと止んだ。
菅総理は沖縄について鳩山前総理の政策をそのマンマ受け継いでいる
おかしいではないか。
マスメディアの正体が何であるのか示していること。
米属国にあり65年変わらず国富を持ち出させられている。
さらなる従属国化継続のための歴史の改ざん
危うし!東行庵、高杉晋作・・菅奇兵隊内閣ッ!

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