大丈夫か菅内閣人事(1)
2010年6月6日 お仕事今日の誕生日の花は・・・ネジバナ
花言葉は・・・・・・・・思慕
捩花の別称ミジズリこれでもユリ科
良く観察するとその花形はこの小ささの中に凛と主張している。
芝生の中ナゾにも生えてくる背が低くピンクの花をつける
ねじれは右巻き左巻きとあるので鑑賞も楽しい遊びにあるハズ。
ねじばなの まことねじれて ゐたるかな
NHKラジオ深夜便6日早朝4:00~
いきなりの読経で驚いた。
驚きとは通常のそうではない。
ただ爽やかで耳に良い驚きナンデアル。。
それが女学生でなく54歳という
流石に詩人
詩のボクシングに出て欲しいわ~
「私は、昔から、さまざまな悪いことを行ってきました。
それはすべて、遙かな過去から現在にいたるまで、
貪りと、怒りと、愚かさゆえの迷いがさせたことです。
身体と言葉と心のはたらきによる悪行を、 ...
仏教経典には、こうした懺悔文(サンゲモン)がある。
「お経再発見の日々から」詩人…伊藤比呂美
アメリカに住んでるのに熊本の両親の介護
サンヂィエゴに英国人と娘と暮らす。
アメリカ人思考は今の家族が第一、それから生みの親。
施設に入れるに抵抗がない米国人あるいは米国でクラス日本人
それでも母を介護しつくし亡くし86歳の父を米国在住にありながら介護中。
仏壇がないことや家を見渡すと父母はどうやって死んでいくのかさえ知らない。
読み解き般若心経を朝日から刊行す
生まれは板橋ゆえ巣鴨の刺抜き地蔵によく行った経験がある。
死が迫り両手両足の意識がない
それが医術で4年半引き伸ばされた。
鬱にもなる
それが現代人の死に行く姿。
伊藤比呂美著「読み解き 般若心経」の書評が載っていた。
母親の介護を通して「死」を見つめた詩人が、お経を自分の言葉で置き換えたくて書いた本ということ。
「色即是空」は次のように訳している。
「『ある』と思っているものは じつは 『ない』のである」
ちなみに岩波文庫の訳だとこうなっている。
「およそ物質的現象というものは、すべて、実体がないことである」
う~ん、詩人と宗教学者の用いる言葉の差は実に大きい。
色即是空がそうであるならたぶん、空即是色はこうなるのだろう。
「『ない』と思っているものは じつは 『ある』のである」
詩人の般若心経風に言えば、
自分の「死」も実は「ない」のである。
「生」もまた「ある」と思っているだけかもしれない。
とはいえ、生は死につながり、死は生につながる。
人の死に直面するたびに、そんな感慨も抱いたりする。
何度も出てくる
「故」
接続詞で解いた。
いま26歳の娘が3年ぐらい前に般若心経が理解できるという
12才までは日本にいた。
自分が好きなことだけの人間の娘が
宗教人ナンに成るという
何年かして成らないと決める。
般若心経を理解できたという
電話で会話して理解できた。娘カラ教えられた般若心経
著書にしようとした。
漢文の知識がいる。
近くの本屋さんに言ったがない。
苦労の連続ではあった。
爺目も
玄侑宗久著の「現在語訳般若心経」は済ましたが
これは知らなかった。
今年1月刊行されている。
明日7日朝4時から第二回目が待たれる。
聖書コヘレトの章新たな発見という
ヨブ記とは余りにも違う考えで、これが聖書かと驚かされる。
. ダビデの子と自称するコヘレトはイスラエルの王(ソロモン王)としてエルサレムに君臨
神から与えられた知恵を極めようと努力します。
ただ コヘレトは、決して禁欲的な厭世家ではない。
『コヘレトの言葉』というのは旧約聖書に含まれている三十九の文書の 一つ
この中に仏教とおなじ言葉を見つけられたといわれる
なにか
「すべて空である。」
これをコヘレトの言葉から翻訳している著者。
仏経からではない。
キリスト教のなかに仏教の空がある。
ガザ゙もイスラエルでも
ネパール人もインド人も
オアシスで水を飲みながら
「オ~イ面白いことはないか」
「ウ~ンこんな面白い宗教があるよ」
お釈迦様という方おられてネェ~・・・
言葉を交わし合ってたのではと
ロマンをかきたてられる。・・といわれる。
詩人のはしゃぎようはお人柄がよくわかりラジオを通じて胸がキュ~ンとなる爺目。
読み解き「般若心経」 伊藤比呂美 / 朝日新聞出版. 発売日:2010-01-08.
ネットをみるとこうある。
解説が、とても丁寧で、奥深い。
それに、「宗教とは、語るべきものではなく、歩むべきもの」といった、
応用の効きフレーズ
「散ればこそいとど桜はめでたけれ」など、
教えを含んだいくつもの歌が紹介されている。
高校の同級生だった医師。
やっぱりその頃から感性は抜群だったらしい。
ミッキー・カーチスと野中のTBS日曜放談
が始まった。
明日から組閣というからして珍しく実況のようである。
「とんじんち 氷見」は富山・氷見市にある麺屋
そうではない。
貪瞋痴(トンジンチ)は人間の心を蝕む三毒三悪。
貪(とん)、むさぼる心。 欲しがる心、欲我先自分だけのことしか考えない
トリシュナーダ=かつ渇愛
瞋(じん)怒り怒すぐに腹を立てるキレル
癡(ち)知らないわかろうとしない気がつかない愚かなこと無智
貪瞋痴(トンジンチ)を大きくしてしまうのは自分の心(意)、言葉(口)、行動(身)。 ...
凡人たる庶民の私たちが失敗をやらかすのはしかたがありません。
悟っていない人間の宿命。
失敗は、目に見えるできごとばかりではなく、
誰かを憎んだり、
怨んだりすることもまた、
霊性を曇らせる失敗。
霊性に汚れがまとえば、すべて、仏性に生きるべき人間としては、
「み仏の子」としての失敗。
しかし、だからといって性悪説で姿勢を斜めにし、
性悪(ショウワル)になったり落ち込んだりする必要はない。
四苦八苦に悩めばこそ、懺悔(サンゲ)の心が起こり、
五体投地を実践する意志力がでてくる。
「無始(ムシ)よりこのかた 貪瞋痴(トンジンチ)の煩悩にまつわれて 身と口と意(ココロ)とに造るところの
もろもろの つみとがを みな悉く懺悔したてまつる」
「我昔所造諸悪業(ガシャクショゾウショアクゴウ)
皆由無始貪瞋痴(カイユムシトンジンチ)
従身語意之所生(ジュウシンゴイシショショウ)
一切我今皆懺悔(イッサイガコンカイサンゲ)」
こうした懺悔につき、『入菩薩行論(ニュウボサツギョウロン)』に有名な一句があり、
チベット仏教はとてもわかりやすく説いている
「無始以来、輪廻において今生(コンジョウ)と他生(タショウ)に私が知らずに犯した罪
、あるいは他者に強いたこと、
無知の過ちにより私が挫けたこと、
すべての過った随喜、このような過ちを目のあたりにして、心より救世者(グゼシャ)へ懺悔します」
トラブルの元誤解の元
思い違いの元は
無意識に出てしまう身口意の愚かしさ。
しなければいい・ものを→身
いわなければいいものを→口
思わなければいいものを→意
小さな過失
身口意を無意識にしてしまう業
貪(とん)瞋(じん)癡(ち)の芽を刈って
仏の教えで心を耕し慈悲と感謝の種を撒きましょう
悪趣は仏教用語三悪童
悪いところ
悪行の結果として衆生がいかねばならないところ。
悪行の
地獄
餓鬼
畜生
を三悪趣という
これに修羅を加えて四悪趣
人間天上に三悪趣をくわえて五悪趣=五道
五悪趣にしゅらを加えて六道
人間はこの六道を輪廻する
現実世界で言うと
地獄→怒り
餓鬼→貪欲
畜生→愚かさ
修羅→争い
人間・天上→喜悦
三悪趣は三悪道で地獄餓基畜生に迷うこと
現実世界でどこに在るか思えば自らを省みる懺悔が必要になる。
三悪道がハッスルは身口意
良い言葉は言霊音霊で福を呼ぶ
相手の心に伝わる言葉を発していけばトラブルは生じない。
発した一つの言葉で醜い争いになる
言葉はも;つとも反省懺悔がいる
口先だけの裃
kち自慢の仕事下手
口では大阪の城もたつ。
三有・四恩.
三有は「欲・色・無色」。
四恩は「父母・国王・衆生・三宝」
「上は四恩に報じ、下は三有を資け」とは利益一切衆生
自己中心的な我欲「トンジンチ」 「楽をしたい」 「飽きるまでむさぼりたい」 「怒りの欲望」
この闘いだとのこと。
宇宙の原則と自己中心欲が闘うと. 苦しみ「四苦八苦」が出現する。
正に混沌とした現代を見事に言い表わしている。
黙せよに徹したいが・・・
5日日経では枝だの幹事長とある。
日曜放談でも言っている。
枝の幹事長はなかろう
大丈夫か菅内閣
エエッ!
正気かい。
有楽町のパルコとかパルスコとかパナソニック政経塾言ってた爺目は反省多謝
樽床演説を聞き政策を見ると社民との三党連立に立ち返る沖縄見直し
ナニが七奉行なんだろう。
菅内閣菅の民主党人事のいい加減さからして
すべてが小沢けしで選挙に臨むで果たして小沢ははどう出るのか。
実に樽床演説が光る。
2000000人が昭和19年ノルマンディー海岸に投入された史上最大の作戦は6月6日。
テレビ・コンバットの第一回はノルマンディーで長きテレビ映画の序章
空撮の空前の画面がテレビの水曜日20時から~21時に描き出された。
いや~実に凄かった。
もちろん我が家にテレビ無きゆえ庄屋さんチで魅せていただいた。
菅直人は本当の大丈夫なんだろうか。
山口宇部だったよな~
長州人おいしっかりしろ。
そんなに宗主国に立てついでの小沢鳩山が苦しんだ強制捜査が怖いのか。
あのお遍路はナニを悟ったのだろうか。
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花言葉は・・・・・・・・思慕
捩花の別称ミジズリこれでもユリ科
良く観察するとその花形はこの小ささの中に凛と主張している。
芝生の中ナゾにも生えてくる背が低くピンクの花をつける
ねじれは右巻き左巻きとあるので鑑賞も楽しい遊びにあるハズ。
ねじばなの まことねじれて ゐたるかな
NHKラジオ深夜便6日早朝4:00~
いきなりの読経で驚いた。
驚きとは通常のそうではない。
ただ爽やかで耳に良い驚きナンデアル。。
それが女学生でなく54歳という
流石に詩人
詩のボクシングに出て欲しいわ~
「私は、昔から、さまざまな悪いことを行ってきました。
それはすべて、遙かな過去から現在にいたるまで、
貪りと、怒りと、愚かさゆえの迷いがさせたことです。
身体と言葉と心のはたらきによる悪行を、 ...
仏教経典には、こうした懺悔文(サンゲモン)がある。
「お経再発見の日々から」詩人…伊藤比呂美
アメリカに住んでるのに熊本の両親の介護
サンヂィエゴに英国人と娘と暮らす。
アメリカ人思考は今の家族が第一、それから生みの親。
施設に入れるに抵抗がない米国人あるいは米国でクラス日本人
それでも母を介護しつくし亡くし86歳の父を米国在住にありながら介護中。
仏壇がないことや家を見渡すと父母はどうやって死んでいくのかさえ知らない。
読み解き般若心経を朝日から刊行す
生まれは板橋ゆえ巣鴨の刺抜き地蔵によく行った経験がある。
死が迫り両手両足の意識がない
それが医術で4年半引き伸ばされた。
鬱にもなる
それが現代人の死に行く姿。
伊藤比呂美著「読み解き 般若心経」の書評が載っていた。
母親の介護を通して「死」を見つめた詩人が、お経を自分の言葉で置き換えたくて書いた本ということ。
「色即是空」は次のように訳している。
「『ある』と思っているものは じつは 『ない』のである」
ちなみに岩波文庫の訳だとこうなっている。
「およそ物質的現象というものは、すべて、実体がないことである」
う~ん、詩人と宗教学者の用いる言葉の差は実に大きい。
色即是空がそうであるならたぶん、空即是色はこうなるのだろう。
「『ない』と思っているものは じつは 『ある』のである」
詩人の般若心経風に言えば、
自分の「死」も実は「ない」のである。
「生」もまた「ある」と思っているだけかもしれない。
とはいえ、生は死につながり、死は生につながる。
人の死に直面するたびに、そんな感慨も抱いたりする。
何度も出てくる
「故」
接続詞で解いた。
いま26歳の娘が3年ぐらい前に般若心経が理解できるという
12才までは日本にいた。
自分が好きなことだけの人間の娘が
宗教人ナンに成るという
何年かして成らないと決める。
般若心経を理解できたという
電話で会話して理解できた。娘カラ教えられた般若心経
著書にしようとした。
漢文の知識がいる。
近くの本屋さんに言ったがない。
苦労の連続ではあった。
爺目も
玄侑宗久著の「現在語訳般若心経」は済ましたが
これは知らなかった。
今年1月刊行されている。
明日7日朝4時から第二回目が待たれる。
聖書コヘレトの章新たな発見という
ヨブ記とは余りにも違う考えで、これが聖書かと驚かされる。
. ダビデの子と自称するコヘレトはイスラエルの王(ソロモン王)としてエルサレムに君臨
神から与えられた知恵を極めようと努力します。
ただ コヘレトは、決して禁欲的な厭世家ではない。
『コヘレトの言葉』というのは旧約聖書に含まれている三十九の文書の 一つ
この中に仏教とおなじ言葉を見つけられたといわれる
なにか
「すべて空である。」
これをコヘレトの言葉から翻訳している著者。
仏経からではない。
キリスト教のなかに仏教の空がある。
ガザ゙もイスラエルでも
ネパール人もインド人も
オアシスで水を飲みながら
「オ~イ面白いことはないか」
「ウ~ンこんな面白い宗教があるよ」
お釈迦様という方おられてネェ~・・・
言葉を交わし合ってたのではと
ロマンをかきたてられる。・・といわれる。
詩人のはしゃぎようはお人柄がよくわかりラジオを通じて胸がキュ~ンとなる爺目。
読み解き「般若心経」 伊藤比呂美 / 朝日新聞出版. 発売日:2010-01-08.
ネットをみるとこうある。
解説が、とても丁寧で、奥深い。
それに、「宗教とは、語るべきものではなく、歩むべきもの」といった、
応用の効きフレーズ
「散ればこそいとど桜はめでたけれ」など、
教えを含んだいくつもの歌が紹介されている。
高校の同級生だった医師。
やっぱりその頃から感性は抜群だったらしい。
ミッキー・カーチスと野中のTBS日曜放談
が始まった。
明日から組閣というからして珍しく実況のようである。
「とんじんち 氷見」は富山・氷見市にある麺屋
そうではない。
貪瞋痴(トンジンチ)は人間の心を蝕む三毒三悪。
貪(とん)、むさぼる心。 欲しがる心、欲我先自分だけのことしか考えない
トリシュナーダ=かつ渇愛
瞋(じん)怒り怒すぐに腹を立てるキレル
癡(ち)知らないわかろうとしない気がつかない愚かなこと無智
貪瞋痴(トンジンチ)を大きくしてしまうのは自分の心(意)、言葉(口)、行動(身)。 ...
凡人たる庶民の私たちが失敗をやらかすのはしかたがありません。
悟っていない人間の宿命。
失敗は、目に見えるできごとばかりではなく、
誰かを憎んだり、
怨んだりすることもまた、
霊性を曇らせる失敗。
霊性に汚れがまとえば、すべて、仏性に生きるべき人間としては、
「み仏の子」としての失敗。
しかし、だからといって性悪説で姿勢を斜めにし、
性悪(ショウワル)になったり落ち込んだりする必要はない。
四苦八苦に悩めばこそ、懺悔(サンゲ)の心が起こり、
五体投地を実践する意志力がでてくる。
「無始(ムシ)よりこのかた 貪瞋痴(トンジンチ)の煩悩にまつわれて 身と口と意(ココロ)とに造るところの
もろもろの つみとがを みな悉く懺悔したてまつる」
「我昔所造諸悪業(ガシャクショゾウショアクゴウ)
皆由無始貪瞋痴(カイユムシトンジンチ)
従身語意之所生(ジュウシンゴイシショショウ)
一切我今皆懺悔(イッサイガコンカイサンゲ)」
こうした懺悔につき、『入菩薩行論(ニュウボサツギョウロン)』に有名な一句があり、
チベット仏教はとてもわかりやすく説いている
「無始以来、輪廻において今生(コンジョウ)と他生(タショウ)に私が知らずに犯した罪
、あるいは他者に強いたこと、
無知の過ちにより私が挫けたこと、
すべての過った随喜、このような過ちを目のあたりにして、心より救世者(グゼシャ)へ懺悔します」
トラブルの元誤解の元
思い違いの元は
無意識に出てしまう身口意の愚かしさ。
しなければいい・ものを→身
いわなければいいものを→口
思わなければいいものを→意
小さな過失
身口意を無意識にしてしまう業
貪(とん)瞋(じん)癡(ち)の芽を刈って
仏の教えで心を耕し慈悲と感謝の種を撒きましょう
悪趣は仏教用語三悪童
悪いところ
悪行の結果として衆生がいかねばならないところ。
悪行の
地獄
餓鬼
畜生
を三悪趣という
これに修羅を加えて四悪趣
人間天上に三悪趣をくわえて五悪趣=五道
五悪趣にしゅらを加えて六道
人間はこの六道を輪廻する
現実世界で言うと
地獄→怒り
餓鬼→貪欲
畜生→愚かさ
修羅→争い
人間・天上→喜悦
三悪趣は三悪道で地獄餓基畜生に迷うこと
現実世界でどこに在るか思えば自らを省みる懺悔が必要になる。
三悪道がハッスルは身口意
良い言葉は言霊音霊で福を呼ぶ
相手の心に伝わる言葉を発していけばトラブルは生じない。
発した一つの言葉で醜い争いになる
言葉はも;つとも反省懺悔がいる
口先だけの裃
kち自慢の仕事下手
口では大阪の城もたつ。
三有・四恩.
三有は「欲・色・無色」。
四恩は「父母・国王・衆生・三宝」
「上は四恩に報じ、下は三有を資け」とは利益一切衆生
自己中心的な我欲「トンジンチ」 「楽をしたい」 「飽きるまでむさぼりたい」 「怒りの欲望」
この闘いだとのこと。
宇宙の原則と自己中心欲が闘うと. 苦しみ「四苦八苦」が出現する。
正に混沌とした現代を見事に言い表わしている。
黙せよに徹したいが・・・
5日日経では枝だの幹事長とある。
日曜放談でも言っている。
枝の幹事長はなかろう
大丈夫か菅内閣
エエッ!
正気かい。
有楽町のパルコとかパルスコとかパナソニック政経塾言ってた爺目は反省多謝
樽床演説を聞き政策を見ると社民との三党連立に立ち返る沖縄見直し
ナニが七奉行なんだろう。
菅内閣菅の民主党人事のいい加減さからして
すべてが小沢けしで選挙に臨むで果たして小沢ははどう出るのか。
実に樽床演説が光る。
2000000人が昭和19年ノルマンディー海岸に投入された史上最大の作戦は6月6日。
テレビ・コンバットの第一回はノルマンディーで長きテレビ映画の序章
空撮の空前の画面がテレビの水曜日20時から~21時に描き出された。
いや~実に凄かった。
もちろん我が家にテレビ無きゆえ庄屋さんチで魅せていただいた。
菅直人は本当の大丈夫なんだろうか。
山口宇部だったよな~
長州人おいしっかりしろ。
そんなに宗主国に立てついでの小沢鳩山が苦しんだ強制捜査が怖いのか。
あのお遍路はナニを悟ったのだろうか。
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