今日の誕生日の花は・・・フユベゴニア
花言葉は・・・・・・・愛の告白
シュウカイドウ科フユベゴニアはクリスマスベゴニアの別称でも呼ばれる。
華やかの中に小さく可愛らしき秋から冬に花をつける。。
50種類もの品種がありこの時期はピンク系列が好まれる丈夫で可憐なる花。
本年も残りも僅か。
新しきカレンダーと二つのカレンダーが同居している不思議なる時期にアル。
これもこの国の文化か。
大安の 日を余しけり 古暦
この国の歴史は深い。
アチコチに由来、民族独特の伝承が伝わる。
その国の人にしかわからない深い魂である。
民族の受け継いだDNAは何代変わろうとも普遍である。
品格ある国家の要素の一つでもあろう。
冷戦からアメリカ一極の20年わたる覇権世界支配。
其れが崩壊して多様化する情勢の中に我らは生きている。
二つの戦争の何千万人の死者を出した主戦場はいずれも欧州。
其れがEUとして一つの極になりつつある。
デンマークのCOP15にみられるBRICs・途上国の強固なる一同一団での主張
南米諸国の一体化
トヨタ方式の部品さえ総て持ち込み現地組み立てて地元に技術移転しないからと追い出そうとする暴れん坊指導者チャベスの民族心。
世界は多極化でそれぞれ一極にまとまりつつある。
そして東アジア経済圏構想
遅らせながらの自主独立の気運の民主党政権が誕生した。
国富をアメリカに貢ぐ小泉純一郎的政治の失われた10年は実にムダなるこの国の時間の歴史。
急ぎこのようなる志向を追放しなければならない。
ゲンダイに記事がある。
朝青龍は何考えてるんだ
野村沙知代夫人に「“横審委員”ラブコール」
「そもそも朝青龍が横綱審議委員会のメンバーをうんぬんすること自体が間違っている」
こう言うのは相撲ファンで税法学の北野弘久日大名誉教授の北野弘久。
22日、朝青龍は横審の内館牧子委員の後任に野村監督の沙知代夫人の名前を挙げ、
「大好き。ぜひ横綱審議委員会に入って欲しい」
と発言した
横審は相撲協会理事長の諮問機関。
諮問を受けて大関の横綱昇進を審議し、委員の3分の2の賛成があれば理事長に横綱推薦を答申する。
最近では横綱の品位、品格などについて意見を言ったりすることも多い。
いずれにしろ委員には当然のことながら、相撲に対する情熱や深い知識、識見が求められる。
朝青龍は沙知代夫人が陰で野村監督を支えるテレビ番組を見て感動。
それで委員にと思ったという。
沙知代夫人が相撲に関心があるとは聞いたことがないし、
脱税で逮捕されたこともある。
「日本相撲協会は文科省認可の財団法人。また相撲は国技。そうした公の法人の審議委員は一横綱が自分の好き嫌いで
選ぶものではありません。また野村沙知代さんも委員にふさわしいとは思えません。横審の委員は相撲協会を監督、指導するべき立場でもある。相撲協会が公正な立場で、相撲ファンが納得する人を選ぶべきです」(前出の北野氏)
横審のメンバーは日本相撲協会の理事会で決められる。
いくら朝青龍に甘いといわれる協会でも、まさかそんなことにはならないだろうが……。
ちなみに朝青龍はこの日、朝稽古を休みテレビに出演。
ニュースで放映していた。
レスリングの全日本選手権で吉田沙保里を応援した
これらのことがアチコチに満ち溢れてるのも国家の危機の根底にある。
御出いただいた皆さんはどう思いであろう。
この国の権力の象徴たる政権の中枢はどこにあるか。
??
今・政権実務は民主党にはない。
??
国家運営の実務は旧政治勢力の自民党俗人的には小泉純一朗の手にある。
??
一族の繁栄、身の安全、小市民的幸せを求めるなら関わらない方がいい。
政治とはドロドロと深く横たわり実に恐ろしい。
文学哲学経済と確固たる自己信念がいる代物である。
急遽生じた政治献金疑惑の鳩山由紀夫総理が25日、身に振りかかってきた火の粉を振り払いきった。
それ以前の西松事件は総選挙が目前の旧政権下3月に起きたがついには自民の二階に飛び火。
さらに自民党全般に向い始めそのブーメランゆえ収束。
漆間長官の「自民党議員には及ばない」は
政権交代でシナリオが狂った。
宮内庁事件は新政権が発足後の12月これも中曽根がそもそもの発起のブーメランでオジャ~ン
ところがそれでも往生際悪く売国旧政治勢力は怯まない。
再度小沢一郎に牙を向けている。
第三の権力のメデアも必死である。
明治以来の共同配信制度の利権あるゆえそれを脅かす新政権を認めない。
小泉純一郎との争闘で勝ち得た他の諸国にない新たな24時間取材できる「ぶら下がり取材」利権の恩義と自らの食い扶持確保に必死である。
これは、ニッポンの官僚機構と新政権との命がけの暗闘。
これらに登場してきた人々が自民党政治の実務を仕切ってきた官僚組織に君臨している。
こうである。
検事総長:樋渡 利秋:任期2008年7月1日~
宮内長官:羽毛田信吾:任期2005年4月1日~
駐米大使:藤崎 一郎:任期2008年4月1日~
この人々に共通項がある。
お役人さんの、国家公務員の出世頭で総理が任命して、天皇が認証する認証官。
其れを成しえた背後の力が共通人にある
小泉純一郎政権時代にそのコースの規定路線が敷かれてることにある。
履歴に傷の有る樋渡が出世レースの軌道修正されたとき、
羽毛田が01年宮内庁に次官に滑り込んだとき
長い米国生活なのに共和党にしか人脈なき藤崎が先輩を追い出した時点
これら人脈がすべて小泉純一郎の布石である。
認証官とは官僚の最高峰たる事務次官の上がりのポスト。
国家経営実務を決めるは明治以来営々と続いていた事務次官会議にある。。
その事務次官会議は新政権で廃止された
副大臣が国家経営の基本たる税体系と軍事に対する思考がしっかりしてくれば・・・
明治以来のニッポンの官僚機構のトップの事務次官制度さえ副大臣に取って代わられよう。
急ぎ成長させるための中華の国の盟主との対談で自信を付けさせようとしている荒教育の小沢学校。
這えば立てたてば歩けの親こころ
政治主導の新政権も今だ100日政権ゆえの未熟なる過渡期にある。
現在の認証官は、大臣などをのぞいてほとんどすべてが旧政権によって任命された面々である。
総てが小泉純一郎の仕掛けた旧政治勢力の自民党の息がかかった顔ぶれになりがちなのは当然である。
戦後ニッポンの55年体制と日米同盟のなかで地位を獲得した群れたちである。
いわば、ヒロヒト天皇とマッカーサーが並んだ有名な写真に象徴される日米関係と天皇制が、彼ら認証官の身体を流れている血だということになる。
宮内庁と外務省との歴史的な結びつきは、その意味で非常につよい。
濃い血で結ばれている。
政治と別とすれば天皇・習副主席会見事件の背景に見えかくれするのもこれだ。
天皇ヒロヒトはニホン人のアイデンティー的メエルク・マール的要因。
確固たる自己なくゆえの民族であるからだ。
国民的文学者はそれらを含めて日本人をどう描いたか。
奇異に写る外国人の目線。
吉川英治は国家を英雄史で描く英雄史観
司馬遼太郎は前進ある夢で描く回顧史観
生誕百年の松本清張にはどうみても史観がない
自らが律してたフシがある。
天皇ヒロヒトに対するニホン人
外国人のみる等しきニホン人論
ユングの言う集合的無意識を恐れていたからかもしれない。
イデオロギー的な史観に染まるでない自己の確立。
思想言論の自由の個と国家との自立
もっとも警戒してたゆえの凛とした主張が松本清張の作品にはある。
検事総長と宮内庁長官とが、民主党・小沢一郎をつぶしにかかった。
自民党自主独立指向の愛国の政治家は宏池会崩壊の歴史に重なる。
田中角栄をはじめ自民売国派政治勢力・CIA・メデアの仕組んだ罠に嵌った。
春名幹男 国際情報を読む日刊ゲンダイ 12/17
「経世会(旧田中派)」VS「清和会」
(田中派) 田中角栄 逮捕 ロッキード事件 (←東京地検特捜部)
(経世会)竹下登 失脚 リクルート事件 (←東京地検特捜部)
(経世会)金丸信 失脚逮捕 佐川急便献金・脱税 (←東京地検特捜部&国税)
(経世会)中村喜四郎 逮捕 ゼネコン汚職 (←東京地検特捜部)
(経世会)小渕恵三 (急死)(←ミステリー)
(経世会)鈴木宗男 逮捕 斡旋収賄 (←東京地検特捜部)
(経世会)橋本龍太郎 議員辞職 日歯連贈賄事件(←東京地検特捜部)
(経世会)小沢一郎 西松不正献金事件 (←東京地検特捜部)
(経世会)二階俊博 西松不正献金事件 (←東京地検特捜部)
(清和会)岸信介 安泰
(清和会)福田赳夫 安泰
(清和会)安倍晋太郎 安泰
(清和会)森 喜朗 安泰
(清和会)三塚 博 安泰
(清和会)塩川正十郎 安泰
(清和会)小泉純一郎 安泰
(清和会)尾身幸次 安泰
実に明快に、この国の支配構造が分かる
外務省=アメリカ・ルートの線上から第3のスキャンダルがいずれまた仕掛けられよう。
不可解なる藤崎一郎駐米大使どころの陰謀ではない。
鳩山一郎・フリーメーソンさえ惹起してこよう。
心配性の爺には軍隊たる防衛省もからむかもしれない。
さらに資金が保管されてる天皇家の資金が表面化するやも知れない。
日米関係と天皇制という、不可触領域を舞台にした、まさしく最後の聖戦に発展しようか。
今回の鳩山献金疑惑をもともとのことを考えるがいい。
マスメデアのどこに「鳩山由紀夫を告発する会」と名乗る団体が出てくるのか。
起きた時からそうだが8月31日の総選挙を前にした7月のことである。
政治資金規正法違反・虚偽記載など容疑で 元公設秘書のほか、鳩山総理や団体の会計責任者だった政策秘書の計3人を告発したことを受けて始めたと。
ではとわん。
「鳩山由紀夫を告発する会」と名乗る団体の責任者の名前が今もって公表されていない。
東京地検特捜部が自己演技で告発した???
長崎の市長を刺した同一人物が政治組織を名乗り告発してるだけ。
当て馬である。
その程度のやつが告発しての今の国家を揺るがす大騒ぎにあるんで有る。
CIA・官僚=検察・マスコミの旧政治勢力が、民主党の民衆革命への反動勢力として立ち現れているだけだ。
25日朝日新聞、5面にある署名入り記事「首相は責任果たしたのか」の「冨名腰隆」記者。
堂々と「鳩山首相は辞職すべし」と主張したらどうだ?
1面に、大見出しを付けて。
もちろん、朝日新聞の社運をかけて。
権力の監視がマスコミの存在意義であることはもちろんだが、しかしもう、陰でこそこそと人の足を引っ張るようなやり方ばかりでは立ちいかなくなってきている
朝日新聞自身が一部の署名入り論説で認めるようになってきていたではないか。
同じだけの責任を自覚し、具体的な対案を示せるようにすること。
ひとのあらを探すのではなく、定見を示すこと。
そういう、言論者としての独り立ちをすること。
「パラサイト・メディア」であることを脱皮すること。
そういうことができないメディアは、もういらない。
現に、今、「スーパーモーニング」は、「パラサイト・メディア」でしかないことを自覚してか、
早々とこの話題についてのコーナーを15分程で切り上げた。
様子見を決め込んだのだろう。
無責任にも。
26日ミノモンタは今だ姿勢をかえない。
自慢げに大臣を相手に喋り何が近経を学んだか
いずれ内閣調査庁の売国名簿にその名を搭載されよう。
後で述べるが売国奴田原はようやくテレビから退場する。
24日の報道、
「内閣官房で諜報活動を担う内閣情報調査室が、外国のスパイやマスコミなどへの機密情報漏洩を防ぐため
、職員用のカウンターインテリジェンス(防諜)マニュアルを作成していたことが24日、分かった。」
職務に忠実に当たり前にやっていなければならないことな筈で、何で今更こんなことが報道されるのかは不思議
大臣や政務三役、事務方役人には特に徹底してもらいたい。
辣腕は小沢一郎だけでない。
連立政権はバランスがいい。
亀井静香がこことゾとばかり吼える
「私が小泉・竹中路線を終わらせる!」
そして明確に言う。
「国家の役割は、富の分配
今のシステムは、一部の人間のみにしか富は配られていない
みんなへ分配されるシステムに変えていかなければいけません 」
爺は涙目で愛国溢れる70を過ぎた老政治家の政治的信念に頭をたれる。
この国を支配してた自民党元幹事長野中広務が民主党の軍門に下った
この人は政治家である。
小泉一派と違い潔い。
読売25日記事。
土改連の南部氏、参院選で自民公認辞退
自民党が来年夏の参院比例選候補として公認していた、全国土地改良政治連盟顧問の南部明弘氏(元農水省九州農政局長)は
24日、同連盟に公認辞退届を提出した。
民主党が2010年度予算に土地改良事業費の半減を要求したことを踏まえ、野党からの出馬は得策ではないと判断したとみられる。
毎日新聞24日記事
<自民党>機関誌「月刊自由民主」来春休刊 広報戦略転換へ
自民党は党の機関誌「月刊自由民主」(7万部)を来年3月号で休刊することを決めた。
毎週発行しているタブロイド判新聞「自由民主」(68万部)と、月刊女性誌「りぶる」(20万部)は内容を一新する。
野党転落に伴う広報戦略見直しの一環で、党員以外にもアピールしなければ支持層の拡大につながらないと判断した。
「月刊自由民主」は1974年創刊。
党の理論誌と位置付け、毎号、党三役の講演や有識者の論文、党大会の記録などを掲載してきた。
しかし、内容が硬く、定期購読など読者層も限られているため休刊に踏み切る。
国会議員が支持者への報告などに使うことが多い新聞「自由民主」と「りぶる」は存続させる。
与党時代は党の政策や国会議員の活動の紹介が中心だったが、今後は鳩山政権の問題点や自民党と民主党の違いの解説などに重点を置く。ただ、「具体的な内容の検討はこれから」(党関係者)で、読者開拓の妙案は手探り状態だ。「坂口裕彦記事」
産経新聞25日記事
テレビ朝日は25日、毎週日曜日に放送されている報道・政治討論番組「サンデープロジェクト」
が来年3月に放送が終了すると発表した。
4月からは新たな報道番組としてリニューアルされる。
新番組のキャスターには、平日の夕方のニュース・ワイドショー番組「スーパーJチャンネル」のキャスター、小宮悦子さん(51)
が起用される。
サンプロは平成元年4月、「日曜の朝から、ニッポンを考えよう!!」のコンセプトで始まった。
今月20日までの1042回の平均視聴率(ビデオリサーチ調べ・関東地区)は7.6%だったが
、今年に入ってからは平均6.6%だった。
キャスターを降板するジャーナリスト、田原総一朗さん(75)は毎月最終金曜の深夜に放送されているトーク番組
「朝まで生テレビ!」には今後も出演する。
民主党の時期のリーダーを注視している。
松下塾出身が政治家群を築きつつある。
永田町に石を投げれば松下塾ファミリーにあたる具合である。
資本の総本山経団連会長は御手洗キャノンの後継者は電気の松下の中村との爺の予感さえする。
鉄は国家なりの国家の基盤の長厚重大産業からの転換振りがうかがえる。
25日のミノモンタの朝ズバッ!には原口総務大臣と元民主党代議士松沢 成文松沢神奈川知事が激論を交わしてたが
ともに松下塾の出である。
その前原建設大臣が動いた。
永田メールで小泉純一郎に貶められた苦い政治遍歴がある。
永田代議士は今年逝ってしまった。
小泉政権に逆らって逝った政治家ジヤーナリスト官僚関係者は数知れない。
25日新聞記事
25日の午前の閣議で、本保芳明観光庁長官(60)を来年1月4日付で退任させた。
後任にJリーグ大分トリニータ(来季から2部)運営会社前社長の溝畑宏)氏(49)を充てる人事を承認した。
前原誠司国土交通相が目指す「観光立国」実現に向け人心を一新する狙いがあるとみられ、事実上の更迭と言えそうだ。
前原大臣
「海外からの観光客を増やして数字として表さないといけない」
ところでこの本保芳明観光庁長官は何故更迭されたのか。
小泉人脈の一掃人事が始まった爺はそう見る。
2001年(平成13年)は小泉内閣である。
その7月6日 国土交通省大臣官房審議官 からナント建設官僚が
日本郵政公社理事 に就任している。
ハハァ~ンである。
おそらく第一号人事であろう。
他方後任の溝畑宏新長官は元総務官僚はNHKテレビでその情熱ブリが伝えられた人。
1990年自治省財政局公営企業第一課企画係長から大分県庁に出向し本省に帰った
2004年大分県企画文化部長から参事に進み再出向大分トリニータでも代表取締役に就任
2006年に会社業務に専念するため公務員を退職した。
昨年Jリーグカップ優勝などチームの躍進に手腕を振るった。
2009年に入り大分フットボールクラブの経営不振が深刻となり、11月20日の記者会見で公式戦終了後に引責辞任することが発表され
、12月5日辞任した。
2010年1月4日付けで観光庁長官に就任する
京都の人もともと学者閨閥で父君溝畑茂も数学者
東大法から1985年に自治省に入省のキャリア。
「観光立国」実現に向け人心を一新。
民主党の若きリーダー前原誠司国土交通相はしたたかである。
ところでこの長官は初代で驚いた。
観光は古くからの行政課題ではなかったのか。
本来昭和5年(1930年)浜口内閣の時国際観光局は創設された。
「観光立国」の筆者である手塚岸衛の進言による。
周時代の易学書「周易」の「観国之光尚賓也」から観光の意味と文字を定めた。
1912年東京ステーションホテル内に、ジャパンツーリストビューロが設置されている。
宮崎県の木はフェニックス
このフェニックスを校章にしている学校がある。
フェニックスはエジプト神話の霊鳥、深紅と金色におおわれた不死鳥。
500年ごとにアラビアの砂漠から飛来し、自ら神壇の霊火に身を投じ、その灰から再び新しい生命を得て飛び立つ不死永生の象徴。
無限の生命力と若人の純真な情熱、何ものにもくじけない全身と創造を表現している。
科学者でも有る手塚治虫はライフワークとした。
ところでこの校章のことと観光のお話である。
栃木の人手塚岸衛(1880年7月13日 - 1941年10月7日)はたいしたもので反骨の気骨有る教育者であった。
1926年、千葉県大多喜中学校校長となるが、配属将校の扇動で校長排斥運動を生徒らが起こし、
それが元で辞職に追い込まれる。
学会のアカデミズムに馴染まず、また迫りくる軍靴の足音にも半身に構える反骨思想の持ち主だったゆえ
1930年(昭和5年)、東京世田谷に自由主義教育を掲げ自由ヶ丘学園を創立。
人に親しまれ信頼される人間になれ
実行力があり、人間味豊かな人格の形成を目的とする。
野草の如く強くたくましい人間になれ
一握りの土と数滴の水さえあれば、大地に根を下ろし、春になれば新しい生命力を得て、芽を吹き出す野草のごとく
、力づよい人間となり、社会に貢献できる人材の育成を目的とする。
礼儀・体力・友愛の精神の養成
学校設立と同時に町名及び駅名が自由ヶ丘に改称される
道半ば手塚が病の床に臥せる。
1935年(昭和10年東大で教鞭をとっていた藤田喜作が男子中学校として新しく出発継承した。
藤田 喜作(1887年3月13日 - 1973年)は、自由ヶ丘学園中学校高等学校初代理事長。社会学者。
眼が輝き、足取りも軽く、明日も学校に行こう。
学校には何かがある筈だと思えるような魅力ある教育が出来ればその時生徒は宝物になるはず。
すべての人がエリートだろうか。
社会はエリートを必要としているのか。
そのようなコースがあるかの如く競わせ狭い道を漸く辿りついた一握りの人々が果たして良い社会を作れたか。
心の欲する所に従えども矩を超えず。
人生は草紙にあらざれば書き直しを許さず。
一日一日が清書なれば若き友よ常に真剣であれ
この自由が丘駅の前の駅名は
「九品仏前駅」で「九品仏」(くほんぶつ)に由来する。
世田谷奥沢七丁目にある、浄土宗の寺で山号は「九品山」の浄真寺。
この寺の本尊は9体の阿弥陀如来像の九品往生で浄真寺は通称「九品仏」
この寺のサギソウ園から世田谷区の花になっている。
浄真寺には、「お面かぶり」と呼ばれる仏教行事がある。
正式には「二十五菩薩来迎会」といい、3年に一度、本堂と上品堂の間に渡された橋を菩薩の面をかぶった僧侶らが
渡るというものである。
菩薩の来迎の様子を表すものだという。
都の無形文化財に指定されている。
世田谷区奥沢には奥沢城があった
豪徳寺にあった城世田谷城の支城である。。
平城で奥沢城土塁が残る
都天然記念物のイチョウ、カヤが地理不案内には目標になる。
加藤楸邨の句碑
しづかなる力満ちゆきはたはたとぶ
この浄真寺豪徳寺以前のそれぞれの城は赤穂浪士の吉良家のお城跡である
吉良家は四国吉良奥州吉良さらに三河吉良家とある。
四国吉良家は長曽河部に滅ぼされた。
三河吉良家は元禄赤穂事件打入り事件後期間をおいてお家取り潰し改易。
奥州吉良家が吉良家を残した。
吉良家は屈指の名家である。
その昔鎌倉時代、足利義氏の長男・長氏が三河国吉良荘に興した家。
三河国吉良荘の吉良の語源は、荘園内に雲母(大和言葉で「きらら」)の鉱山を古くから有したためにつけられたもの
現・愛知県西尾市・幡豆郡を本拠としたのを契機に、「吉良」を名乗りとしたことに始まる
家系は清和源氏の一家系河内源氏の流れを汲む足利氏の一門。
足利義氏の庶長子 吉良長氏及びその弟 吉良義継より出る。
兄 長氏の家系は『三河吉良氏』となり、弟 義継の家系を『奥州吉良氏』
吉良氏は足利一門において名門中の名門とされ、
分家の今川家とともに足利将軍家の連枝としての家格を有した。
その格式は「御所(足利将軍家)が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」とまで言われ、
足利将軍家の血脈が絶えた際には足利宗家の家督を継承することが許されていた。
江戸時代秀忠将軍の頃、吉良家は幕府饗応高家(こうけ)として江戸幕府における儀式や典礼を司る役職に就いた。
元和元年(1615年)に足利家の縁故である石橋家、吉良家、今川家の3家の登用に始まるとされる
主な職務として伊勢神宮、日光東照宮、久能山東照宮、寛永寺、鳳来山東照宮への将軍の代参、
幕府から朝廷への使者、京からの勅使・院使の接待や、接待に当たる勅院使(饗応役の大名)への儀典指導などがあり、朝幕間の諸礼に当った。
天正18年(1590年)の小田原の役で廃城となった世田谷城の主要部は同地にあったとされる
江戸城改修に石材を利用したという。
寛永10年(1633年)彦根藩主井伊直孝が井伊氏の菩提寺として伽藍を創建し整備した。
寺号は直孝の戒名である「久昌院殿豪徳天英居士」による豪徳寺。
世田谷区豪徳寺二丁目にある曹洞宗の寺院。元は臨済宗。山号は大渓山。
一説には招き猫発祥の地とされる。
キャラクターグッズが評判の渦中にある。
火をつけたのが三河のひこにゃん。
ひこにゃんとは2007年に築城(開始)400年を迎えた彦根城の記念イベント「国宝・彦根城築城400年祭」のイメージキャラクター
井伊家由来の赤備えの兜をかぶった猫をモデルとしている
これは豪徳寺の「招福猫児(まねぎねこ)」と称し招き猫発祥の地とする説による。
、招猫観音(招福観世音菩薩、招福猫児はその眷属)を祀る「招猫殿」を置く。
招猫殿の横には、願が成就したお礼として、数多くの招福猫児が奉納されている。
ちなみに、招福猫児は右手を上げており、小判などを持たない素朴な白い招き猫である。
豪徳寺の招き猫発祥の地とする説はこうである。
井伊直孝が猫により門内に招き入れられ、雷雨を避け、和尚の法談を聞くことができたことを大いに喜び、
後に井伊家御菩提所としたという。
いつも長文にお付き合いいただいてる方にお詫びとお礼
とりわけ五匹のニャンコちゃんご紹介のお礼として
あっちこっちから引っっぱってきました。
ご笑納くだされ。
クリスマスの一神教の聖なる日に多神教の国からものをいう。
自主独立、従属国からの脱却を主張することを国家を挙げて64年の沈黙を破り宣言する。
いつまでも支配されっぱなしのアメリカ軍の軍靴で汚されたままにはせておかない。
品格なき国は滅ぶ。
未来ある国を子々孫々に伝え残したい。
爺ら団塊の世代からの遅ばせながらのクリスマスの日の誓いである。
ニャンにゃぁ~んゴロにゃぁ~ん
決してポチたるワンワンではない。
↓ ↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
↑ ↑ ↑
・よ・ろ・し・く
花言葉は・・・・・・・愛の告白
シュウカイドウ科フユベゴニアはクリスマスベゴニアの別称でも呼ばれる。
華やかの中に小さく可愛らしき秋から冬に花をつける。。
50種類もの品種がありこの時期はピンク系列が好まれる丈夫で可憐なる花。
本年も残りも僅か。
新しきカレンダーと二つのカレンダーが同居している不思議なる時期にアル。
これもこの国の文化か。
大安の 日を余しけり 古暦
この国の歴史は深い。
アチコチに由来、民族独特の伝承が伝わる。
その国の人にしかわからない深い魂である。
民族の受け継いだDNAは何代変わろうとも普遍である。
品格ある国家の要素の一つでもあろう。
冷戦からアメリカ一極の20年わたる覇権世界支配。
其れが崩壊して多様化する情勢の中に我らは生きている。
二つの戦争の何千万人の死者を出した主戦場はいずれも欧州。
其れがEUとして一つの極になりつつある。
デンマークのCOP15にみられるBRICs・途上国の強固なる一同一団での主張
南米諸国の一体化
トヨタ方式の部品さえ総て持ち込み現地組み立てて地元に技術移転しないからと追い出そうとする暴れん坊指導者チャベスの民族心。
世界は多極化でそれぞれ一極にまとまりつつある。
そして東アジア経済圏構想
遅らせながらの自主独立の気運の民主党政権が誕生した。
国富をアメリカに貢ぐ小泉純一郎的政治の失われた10年は実にムダなるこの国の時間の歴史。
急ぎこのようなる志向を追放しなければならない。
ゲンダイに記事がある。
朝青龍は何考えてるんだ
野村沙知代夫人に「“横審委員”ラブコール」
「そもそも朝青龍が横綱審議委員会のメンバーをうんぬんすること自体が間違っている」
こう言うのは相撲ファンで税法学の北野弘久日大名誉教授の北野弘久。
22日、朝青龍は横審の内館牧子委員の後任に野村監督の沙知代夫人の名前を挙げ、
「大好き。ぜひ横綱審議委員会に入って欲しい」
と発言した
横審は相撲協会理事長の諮問機関。
諮問を受けて大関の横綱昇進を審議し、委員の3分の2の賛成があれば理事長に横綱推薦を答申する。
最近では横綱の品位、品格などについて意見を言ったりすることも多い。
いずれにしろ委員には当然のことながら、相撲に対する情熱や深い知識、識見が求められる。
朝青龍は沙知代夫人が陰で野村監督を支えるテレビ番組を見て感動。
それで委員にと思ったという。
沙知代夫人が相撲に関心があるとは聞いたことがないし、
脱税で逮捕されたこともある。
「日本相撲協会は文科省認可の財団法人。また相撲は国技。そうした公の法人の審議委員は一横綱が自分の好き嫌いで
選ぶものではありません。また野村沙知代さんも委員にふさわしいとは思えません。横審の委員は相撲協会を監督、指導するべき立場でもある。相撲協会が公正な立場で、相撲ファンが納得する人を選ぶべきです」(前出の北野氏)
横審のメンバーは日本相撲協会の理事会で決められる。
いくら朝青龍に甘いといわれる協会でも、まさかそんなことにはならないだろうが……。
ちなみに朝青龍はこの日、朝稽古を休みテレビに出演。
ニュースで放映していた。
レスリングの全日本選手権で吉田沙保里を応援した
これらのことがアチコチに満ち溢れてるのも国家の危機の根底にある。
御出いただいた皆さんはどう思いであろう。
この国の権力の象徴たる政権の中枢はどこにあるか。
??
今・政権実務は民主党にはない。
??
国家運営の実務は旧政治勢力の自民党俗人的には小泉純一朗の手にある。
??
一族の繁栄、身の安全、小市民的幸せを求めるなら関わらない方がいい。
政治とはドロドロと深く横たわり実に恐ろしい。
文学哲学経済と確固たる自己信念がいる代物である。
急遽生じた政治献金疑惑の鳩山由紀夫総理が25日、身に振りかかってきた火の粉を振り払いきった。
それ以前の西松事件は総選挙が目前の旧政権下3月に起きたがついには自民の二階に飛び火。
さらに自民党全般に向い始めそのブーメランゆえ収束。
漆間長官の「自民党議員には及ばない」は
政権交代でシナリオが狂った。
宮内庁事件は新政権が発足後の12月これも中曽根がそもそもの発起のブーメランでオジャ~ン
ところがそれでも往生際悪く売国旧政治勢力は怯まない。
再度小沢一郎に牙を向けている。
第三の権力のメデアも必死である。
明治以来の共同配信制度の利権あるゆえそれを脅かす新政権を認めない。
小泉純一郎との争闘で勝ち得た他の諸国にない新たな24時間取材できる「ぶら下がり取材」利権の恩義と自らの食い扶持確保に必死である。
これは、ニッポンの官僚機構と新政権との命がけの暗闘。
これらに登場してきた人々が自民党政治の実務を仕切ってきた官僚組織に君臨している。
こうである。
検事総長:樋渡 利秋:任期2008年7月1日~
宮内長官:羽毛田信吾:任期2005年4月1日~
駐米大使:藤崎 一郎:任期2008年4月1日~
この人々に共通項がある。
お役人さんの、国家公務員の出世頭で総理が任命して、天皇が認証する認証官。
其れを成しえた背後の力が共通人にある
小泉純一郎政権時代にそのコースの規定路線が敷かれてることにある。
履歴に傷の有る樋渡が出世レースの軌道修正されたとき、
羽毛田が01年宮内庁に次官に滑り込んだとき
長い米国生活なのに共和党にしか人脈なき藤崎が先輩を追い出した時点
これら人脈がすべて小泉純一郎の布石である。
認証官とは官僚の最高峰たる事務次官の上がりのポスト。
国家経営実務を決めるは明治以来営々と続いていた事務次官会議にある。。
その事務次官会議は新政権で廃止された
副大臣が国家経営の基本たる税体系と軍事に対する思考がしっかりしてくれば・・・
明治以来のニッポンの官僚機構のトップの事務次官制度さえ副大臣に取って代わられよう。
急ぎ成長させるための中華の国の盟主との対談で自信を付けさせようとしている荒教育の小沢学校。
這えば立てたてば歩けの親こころ
政治主導の新政権も今だ100日政権ゆえの未熟なる過渡期にある。
現在の認証官は、大臣などをのぞいてほとんどすべてが旧政権によって任命された面々である。
総てが小泉純一郎の仕掛けた旧政治勢力の自民党の息がかかった顔ぶれになりがちなのは当然である。
戦後ニッポンの55年体制と日米同盟のなかで地位を獲得した群れたちである。
いわば、ヒロヒト天皇とマッカーサーが並んだ有名な写真に象徴される日米関係と天皇制が、彼ら認証官の身体を流れている血だということになる。
宮内庁と外務省との歴史的な結びつきは、その意味で非常につよい。
濃い血で結ばれている。
政治と別とすれば天皇・習副主席会見事件の背景に見えかくれするのもこれだ。
天皇ヒロヒトはニホン人のアイデンティー的メエルク・マール的要因。
確固たる自己なくゆえの民族であるからだ。
国民的文学者はそれらを含めて日本人をどう描いたか。
奇異に写る外国人の目線。
吉川英治は国家を英雄史で描く英雄史観
司馬遼太郎は前進ある夢で描く回顧史観
生誕百年の松本清張にはどうみても史観がない
自らが律してたフシがある。
天皇ヒロヒトに対するニホン人
外国人のみる等しきニホン人論
ユングの言う集合的無意識を恐れていたからかもしれない。
イデオロギー的な史観に染まるでない自己の確立。
思想言論の自由の個と国家との自立
もっとも警戒してたゆえの凛とした主張が松本清張の作品にはある。
検事総長と宮内庁長官とが、民主党・小沢一郎をつぶしにかかった。
自民党自主独立指向の愛国の政治家は宏池会崩壊の歴史に重なる。
田中角栄をはじめ自民売国派政治勢力・CIA・メデアの仕組んだ罠に嵌った。
春名幹男 国際情報を読む日刊ゲンダイ 12/17
「経世会(旧田中派)」VS「清和会」
(田中派) 田中角栄 逮捕 ロッキード事件 (←東京地検特捜部)
(経世会)竹下登 失脚 リクルート事件 (←東京地検特捜部)
(経世会)金丸信 失脚逮捕 佐川急便献金・脱税 (←東京地検特捜部&国税)
(経世会)中村喜四郎 逮捕 ゼネコン汚職 (←東京地検特捜部)
(経世会)小渕恵三 (急死)(←ミステリー)
(経世会)鈴木宗男 逮捕 斡旋収賄 (←東京地検特捜部)
(経世会)橋本龍太郎 議員辞職 日歯連贈賄事件(←東京地検特捜部)
(経世会)小沢一郎 西松不正献金事件 (←東京地検特捜部)
(経世会)二階俊博 西松不正献金事件 (←東京地検特捜部)
(清和会)岸信介 安泰
(清和会)福田赳夫 安泰
(清和会)安倍晋太郎 安泰
(清和会)森 喜朗 安泰
(清和会)三塚 博 安泰
(清和会)塩川正十郎 安泰
(清和会)小泉純一郎 安泰
(清和会)尾身幸次 安泰
実に明快に、この国の支配構造が分かる
外務省=アメリカ・ルートの線上から第3のスキャンダルがいずれまた仕掛けられよう。
不可解なる藤崎一郎駐米大使どころの陰謀ではない。
鳩山一郎・フリーメーソンさえ惹起してこよう。
心配性の爺には軍隊たる防衛省もからむかもしれない。
さらに資金が保管されてる天皇家の資金が表面化するやも知れない。
日米関係と天皇制という、不可触領域を舞台にした、まさしく最後の聖戦に発展しようか。
今回の鳩山献金疑惑をもともとのことを考えるがいい。
マスメデアのどこに「鳩山由紀夫を告発する会」と名乗る団体が出てくるのか。
起きた時からそうだが8月31日の総選挙を前にした7月のことである。
政治資金規正法違反・虚偽記載など容疑で 元公設秘書のほか、鳩山総理や団体の会計責任者だった政策秘書の計3人を告発したことを受けて始めたと。
ではとわん。
「鳩山由紀夫を告発する会」と名乗る団体の責任者の名前が今もって公表されていない。
東京地検特捜部が自己演技で告発した???
長崎の市長を刺した同一人物が政治組織を名乗り告発してるだけ。
当て馬である。
その程度のやつが告発しての今の国家を揺るがす大騒ぎにあるんで有る。
CIA・官僚=検察・マスコミの旧政治勢力が、民主党の民衆革命への反動勢力として立ち現れているだけだ。
25日朝日新聞、5面にある署名入り記事「首相は責任果たしたのか」の「冨名腰隆」記者。
堂々と「鳩山首相は辞職すべし」と主張したらどうだ?
1面に、大見出しを付けて。
もちろん、朝日新聞の社運をかけて。
権力の監視がマスコミの存在意義であることはもちろんだが、しかしもう、陰でこそこそと人の足を引っ張るようなやり方ばかりでは立ちいかなくなってきている
朝日新聞自身が一部の署名入り論説で認めるようになってきていたではないか。
同じだけの責任を自覚し、具体的な対案を示せるようにすること。
ひとのあらを探すのではなく、定見を示すこと。
そういう、言論者としての独り立ちをすること。
「パラサイト・メディア」であることを脱皮すること。
そういうことができないメディアは、もういらない。
現に、今、「スーパーモーニング」は、「パラサイト・メディア」でしかないことを自覚してか、
早々とこの話題についてのコーナーを15分程で切り上げた。
様子見を決め込んだのだろう。
無責任にも。
26日ミノモンタは今だ姿勢をかえない。
自慢げに大臣を相手に喋り何が近経を学んだか
いずれ内閣調査庁の売国名簿にその名を搭載されよう。
後で述べるが売国奴田原はようやくテレビから退場する。
24日の報道、
「内閣官房で諜報活動を担う内閣情報調査室が、外国のスパイやマスコミなどへの機密情報漏洩を防ぐため
、職員用のカウンターインテリジェンス(防諜)マニュアルを作成していたことが24日、分かった。」
職務に忠実に当たり前にやっていなければならないことな筈で、何で今更こんなことが報道されるのかは不思議
大臣や政務三役、事務方役人には特に徹底してもらいたい。
辣腕は小沢一郎だけでない。
連立政権はバランスがいい。
亀井静香がこことゾとばかり吼える
「私が小泉・竹中路線を終わらせる!」
そして明確に言う。
「国家の役割は、富の分配
今のシステムは、一部の人間のみにしか富は配られていない
みんなへ分配されるシステムに変えていかなければいけません 」
爺は涙目で愛国溢れる70を過ぎた老政治家の政治的信念に頭をたれる。
この国を支配してた自民党元幹事長野中広務が民主党の軍門に下った
この人は政治家である。
小泉一派と違い潔い。
読売25日記事。
土改連の南部氏、参院選で自民公認辞退
自民党が来年夏の参院比例選候補として公認していた、全国土地改良政治連盟顧問の南部明弘氏(元農水省九州農政局長)は
24日、同連盟に公認辞退届を提出した。
民主党が2010年度予算に土地改良事業費の半減を要求したことを踏まえ、野党からの出馬は得策ではないと判断したとみられる。
毎日新聞24日記事
<自民党>機関誌「月刊自由民主」来春休刊 広報戦略転換へ
自民党は党の機関誌「月刊自由民主」(7万部)を来年3月号で休刊することを決めた。
毎週発行しているタブロイド判新聞「自由民主」(68万部)と、月刊女性誌「りぶる」(20万部)は内容を一新する。
野党転落に伴う広報戦略見直しの一環で、党員以外にもアピールしなければ支持層の拡大につながらないと判断した。
「月刊自由民主」は1974年創刊。
党の理論誌と位置付け、毎号、党三役の講演や有識者の論文、党大会の記録などを掲載してきた。
しかし、内容が硬く、定期購読など読者層も限られているため休刊に踏み切る。
国会議員が支持者への報告などに使うことが多い新聞「自由民主」と「りぶる」は存続させる。
与党時代は党の政策や国会議員の活動の紹介が中心だったが、今後は鳩山政権の問題点や自民党と民主党の違いの解説などに重点を置く。ただ、「具体的な内容の検討はこれから」(党関係者)で、読者開拓の妙案は手探り状態だ。「坂口裕彦記事」
産経新聞25日記事
テレビ朝日は25日、毎週日曜日に放送されている報道・政治討論番組「サンデープロジェクト」
が来年3月に放送が終了すると発表した。
4月からは新たな報道番組としてリニューアルされる。
新番組のキャスターには、平日の夕方のニュース・ワイドショー番組「スーパーJチャンネル」のキャスター、小宮悦子さん(51)
が起用される。
サンプロは平成元年4月、「日曜の朝から、ニッポンを考えよう!!」のコンセプトで始まった。
今月20日までの1042回の平均視聴率(ビデオリサーチ調べ・関東地区)は7.6%だったが
、今年に入ってからは平均6.6%だった。
キャスターを降板するジャーナリスト、田原総一朗さん(75)は毎月最終金曜の深夜に放送されているトーク番組
「朝まで生テレビ!」には今後も出演する。
民主党の時期のリーダーを注視している。
松下塾出身が政治家群を築きつつある。
永田町に石を投げれば松下塾ファミリーにあたる具合である。
資本の総本山経団連会長は御手洗キャノンの後継者は電気の松下の中村との爺の予感さえする。
鉄は国家なりの国家の基盤の長厚重大産業からの転換振りがうかがえる。
25日のミノモンタの朝ズバッ!には原口総務大臣と元民主党代議士松沢 成文松沢神奈川知事が激論を交わしてたが
ともに松下塾の出である。
その前原建設大臣が動いた。
永田メールで小泉純一郎に貶められた苦い政治遍歴がある。
永田代議士は今年逝ってしまった。
小泉政権に逆らって逝った政治家ジヤーナリスト官僚関係者は数知れない。
25日新聞記事
25日の午前の閣議で、本保芳明観光庁長官(60)を来年1月4日付で退任させた。
後任にJリーグ大分トリニータ(来季から2部)運営会社前社長の溝畑宏)氏(49)を充てる人事を承認した。
前原誠司国土交通相が目指す「観光立国」実現に向け人心を一新する狙いがあるとみられ、事実上の更迭と言えそうだ。
前原大臣
「海外からの観光客を増やして数字として表さないといけない」
ところでこの本保芳明観光庁長官は何故更迭されたのか。
小泉人脈の一掃人事が始まった爺はそう見る。
2001年(平成13年)は小泉内閣である。
その7月6日 国土交通省大臣官房審議官 からナント建設官僚が
日本郵政公社理事 に就任している。
ハハァ~ンである。
おそらく第一号人事であろう。
他方後任の溝畑宏新長官は元総務官僚はNHKテレビでその情熱ブリが伝えられた人。
1990年自治省財政局公営企業第一課企画係長から大分県庁に出向し本省に帰った
2004年大分県企画文化部長から参事に進み再出向大分トリニータでも代表取締役に就任
2006年に会社業務に専念するため公務員を退職した。
昨年Jリーグカップ優勝などチームの躍進に手腕を振るった。
2009年に入り大分フットボールクラブの経営不振が深刻となり、11月20日の記者会見で公式戦終了後に引責辞任することが発表され
、12月5日辞任した。
2010年1月4日付けで観光庁長官に就任する
京都の人もともと学者閨閥で父君溝畑茂も数学者
東大法から1985年に自治省に入省のキャリア。
「観光立国」実現に向け人心を一新。
民主党の若きリーダー前原誠司国土交通相はしたたかである。
ところでこの長官は初代で驚いた。
観光は古くからの行政課題ではなかったのか。
本来昭和5年(1930年)浜口内閣の時国際観光局は創設された。
「観光立国」の筆者である手塚岸衛の進言による。
周時代の易学書「周易」の「観国之光尚賓也」から観光の意味と文字を定めた。
1912年東京ステーションホテル内に、ジャパンツーリストビューロが設置されている。
宮崎県の木はフェニックス
このフェニックスを校章にしている学校がある。
フェニックスはエジプト神話の霊鳥、深紅と金色におおわれた不死鳥。
500年ごとにアラビアの砂漠から飛来し、自ら神壇の霊火に身を投じ、その灰から再び新しい生命を得て飛び立つ不死永生の象徴。
無限の生命力と若人の純真な情熱、何ものにもくじけない全身と創造を表現している。
科学者でも有る手塚治虫はライフワークとした。
ところでこの校章のことと観光のお話である。
栃木の人手塚岸衛(1880年7月13日 - 1941年10月7日)はたいしたもので反骨の気骨有る教育者であった。
1926年、千葉県大多喜中学校校長となるが、配属将校の扇動で校長排斥運動を生徒らが起こし、
それが元で辞職に追い込まれる。
学会のアカデミズムに馴染まず、また迫りくる軍靴の足音にも半身に構える反骨思想の持ち主だったゆえ
1930年(昭和5年)、東京世田谷に自由主義教育を掲げ自由ヶ丘学園を創立。
人に親しまれ信頼される人間になれ
実行力があり、人間味豊かな人格の形成を目的とする。
野草の如く強くたくましい人間になれ
一握りの土と数滴の水さえあれば、大地に根を下ろし、春になれば新しい生命力を得て、芽を吹き出す野草のごとく
、力づよい人間となり、社会に貢献できる人材の育成を目的とする。
礼儀・体力・友愛の精神の養成
学校設立と同時に町名及び駅名が自由ヶ丘に改称される
道半ば手塚が病の床に臥せる。
1935年(昭和10年東大で教鞭をとっていた藤田喜作が男子中学校として新しく出発継承した。
藤田 喜作(1887年3月13日 - 1973年)は、自由ヶ丘学園中学校高等学校初代理事長。社会学者。
眼が輝き、足取りも軽く、明日も学校に行こう。
学校には何かがある筈だと思えるような魅力ある教育が出来ればその時生徒は宝物になるはず。
すべての人がエリートだろうか。
社会はエリートを必要としているのか。
そのようなコースがあるかの如く競わせ狭い道を漸く辿りついた一握りの人々が果たして良い社会を作れたか。
心の欲する所に従えども矩を超えず。
人生は草紙にあらざれば書き直しを許さず。
一日一日が清書なれば若き友よ常に真剣であれ
この自由が丘駅の前の駅名は
「九品仏前駅」で「九品仏」(くほんぶつ)に由来する。
世田谷奥沢七丁目にある、浄土宗の寺で山号は「九品山」の浄真寺。
この寺の本尊は9体の阿弥陀如来像の九品往生で浄真寺は通称「九品仏」
この寺のサギソウ園から世田谷区の花になっている。
浄真寺には、「お面かぶり」と呼ばれる仏教行事がある。
正式には「二十五菩薩来迎会」といい、3年に一度、本堂と上品堂の間に渡された橋を菩薩の面をかぶった僧侶らが
渡るというものである。
菩薩の来迎の様子を表すものだという。
都の無形文化財に指定されている。
世田谷区奥沢には奥沢城があった
豪徳寺にあった城世田谷城の支城である。。
平城で奥沢城土塁が残る
都天然記念物のイチョウ、カヤが地理不案内には目標になる。
加藤楸邨の句碑
しづかなる力満ちゆきはたはたとぶ
この浄真寺豪徳寺以前のそれぞれの城は赤穂浪士の吉良家のお城跡である
吉良家は四国吉良奥州吉良さらに三河吉良家とある。
四国吉良家は長曽河部に滅ぼされた。
三河吉良家は元禄赤穂事件打入り事件後期間をおいてお家取り潰し改易。
奥州吉良家が吉良家を残した。
吉良家は屈指の名家である。
その昔鎌倉時代、足利義氏の長男・長氏が三河国吉良荘に興した家。
三河国吉良荘の吉良の語源は、荘園内に雲母(大和言葉で「きらら」)の鉱山を古くから有したためにつけられたもの
現・愛知県西尾市・幡豆郡を本拠としたのを契機に、「吉良」を名乗りとしたことに始まる
家系は清和源氏の一家系河内源氏の流れを汲む足利氏の一門。
足利義氏の庶長子 吉良長氏及びその弟 吉良義継より出る。
兄 長氏の家系は『三河吉良氏』となり、弟 義継の家系を『奥州吉良氏』
吉良氏は足利一門において名門中の名門とされ、
分家の今川家とともに足利将軍家の連枝としての家格を有した。
その格式は「御所(足利将軍家)が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」とまで言われ、
足利将軍家の血脈が絶えた際には足利宗家の家督を継承することが許されていた。
江戸時代秀忠将軍の頃、吉良家は幕府饗応高家(こうけ)として江戸幕府における儀式や典礼を司る役職に就いた。
元和元年(1615年)に足利家の縁故である石橋家、吉良家、今川家の3家の登用に始まるとされる
主な職務として伊勢神宮、日光東照宮、久能山東照宮、寛永寺、鳳来山東照宮への将軍の代参、
幕府から朝廷への使者、京からの勅使・院使の接待や、接待に当たる勅院使(饗応役の大名)への儀典指導などがあり、朝幕間の諸礼に当った。
天正18年(1590年)の小田原の役で廃城となった世田谷城の主要部は同地にあったとされる
江戸城改修に石材を利用したという。
寛永10年(1633年)彦根藩主井伊直孝が井伊氏の菩提寺として伽藍を創建し整備した。
寺号は直孝の戒名である「久昌院殿豪徳天英居士」による豪徳寺。
世田谷区豪徳寺二丁目にある曹洞宗の寺院。元は臨済宗。山号は大渓山。
一説には招き猫発祥の地とされる。
キャラクターグッズが評判の渦中にある。
火をつけたのが三河のひこにゃん。
ひこにゃんとは2007年に築城(開始)400年を迎えた彦根城の記念イベント「国宝・彦根城築城400年祭」のイメージキャラクター
井伊家由来の赤備えの兜をかぶった猫をモデルとしている
これは豪徳寺の「招福猫児(まねぎねこ)」と称し招き猫発祥の地とする説による。
、招猫観音(招福観世音菩薩、招福猫児はその眷属)を祀る「招猫殿」を置く。
招猫殿の横には、願が成就したお礼として、数多くの招福猫児が奉納されている。
ちなみに、招福猫児は右手を上げており、小判などを持たない素朴な白い招き猫である。
豪徳寺の招き猫発祥の地とする説はこうである。
井伊直孝が猫により門内に招き入れられ、雷雨を避け、和尚の法談を聞くことができたことを大いに喜び、
後に井伊家御菩提所としたという。
いつも長文にお付き合いいただいてる方にお詫びとお礼
とりわけ五匹のニャンコちゃんご紹介のお礼として
あっちこっちから引っっぱってきました。
ご笑納くだされ。
クリスマスの一神教の聖なる日に多神教の国からものをいう。
自主独立、従属国からの脱却を主張することを国家を挙げて64年の沈黙を破り宣言する。
いつまでも支配されっぱなしのアメリカ軍の軍靴で汚されたままにはせておかない。
品格なき国は滅ぶ。
未来ある国を子々孫々に伝え残したい。
爺ら団塊の世代からの遅ばせながらのクリスマスの日の誓いである。
ニャンにゃぁ~んゴロにゃぁ~ん
決してポチたるワンワンではない。
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