理系政権の目指すべきもの
2009年11月9日 お仕事今日の誕生日の花は・・・・コウヤボウキ
花言葉は・・・・・・・・・働き者
キク科高野箒は蔓状ゆえ草本のようであるが、落葉低木に分類されてるしキク科も不可解。
関東以西の日当たりよくやや乾いたところに分布、特にアカマツ林に生育する。
その昔、和歌山県の高野山には竹、梨、胡桃、桃などの竹木がなかった。
利潤を得る行為を戒めるという意味で、商品作物の栽培が禁じられていた故である。
それで竹箒が作れず、代わりにこの木の枝を束ねて箒を作ったことから「高野箒」の名らしい。
一年目卵形二年目細長い葉と変化する。
田舎の農家は幾つもの家が敷地内にあった。
厠、たい肥小屋、ニワトリ小屋そして湯殿。
祖父がいるころにはコタツ利用風習はなかった。
冬場はズッ~と囲炉裏の薪が燃え不在のときは灰の中で火の気は残っていた。
囲炉裏の薪が燃え尽きると残った薪は湯殿かかまどに移す。
残りのオキリになると箱枠に毛布をかぶせ炬燵にする。
これは動きが弛緩でポワッ~となり庭の端の湯殿に行くに寒く
風呂にいるのが体が冷えるのでいやで眠った素振り。
庭の中央部で夜空を見上げると満天のギラキラ星
アッ!流れ星・・・
ウソ!いうなぁ~
兄から怒られたものである。
湯に行くと 初冬の星座 ふりかぶる
物騒なる事件が相次いでいる。
思考形態もそれに似てしまう。
8日夜に共同のニュースでホッ!としたア~
新潟県村上市で、山にキノコ採りに出掛けたまま行方不明になっていた
上相川の土木作業員鍋倉忠夫71歳。
1週間ぶりに自力で下山し無事保護された。
「水を飲み、キノコや山ブドウを食べていた。葉を集めて敷き詰めて寝て寒さをしのいだ」
体力消耗になるエネルギー消費を避け必要最小限動かなかった。
降雪のあるのによくぞ生き抜いたものである。
八条島付近で転覆漂流で5日も生き延びた4人。
科学者の割り出しでは空間の広さから大人4人分の空気量は2日持つ量もなかった。
何故生き抜けたか。
台風で波が荒れ海水表面に酸素分が空間部分に炭酸ラムネサイダーがはじけるごとく補給された
と解析されていた。
台風で転覆したわけだがその台風影響があったゆえ転覆後は生き延びたということである。
途中恐怖心で絶えられず船底から脱出した人は放り出された船長と同じで、いまだ不明のまま。
その脱出した人がアッたればこそ結果空気消費量からすれば4名を生き残させるたことになる。
前のほうは捜索してた警察あるいは家族が奇跡であるという。
後の方は奇跡の言葉でさえ語れない。<超>奇跡である。
科学を超えた神がかりである。
この悠久の時間経過の地球の歴史に同じ空気を吸ってる偶然性のご同胞の慶事にお会いしたことはないが爺はこんなのに弱くダメで涙が満ち溢れてとまらない。
大阪大学の菊池誠教授がNHK視点論点で放送したことがある
「まん延するニセ科学」
ニセ科学の問題点や本来の科学との違いについての内容である。
ニセ科学は、英語では「pseudoscience」=「疑似科学」という訳語をあててた。
マイクル・シャーマー著「なぜ人はニセ科学を信じるのか」早川書房刊から
「疑似」という言葉には価値判断が含まれない
「ニセ」という言葉は否定的な意味合いを強く含むゆえ「ニセ科学」にしたと解説されていた。
実例を挙げられる。
小学校の道徳の授業で「水にありがとうと声をかけるときれいな結晶ができる」という説を説く、
「テレビゲームをしすぎると、脳の機能が壊れる」といういわゆる「ゲーム脳」説の講演会があったりする。
権威、信頼アル教育関係者やPTAが主催したりしている。
それらの説を流布してるのは善意から行動の正義の押しつけなんである。
科学も流布するには厄介である。
円楽師匠のお別れ会は22日らしい。
これに悩んでいる。
他に目的を探しているとあった。
丸善・丸の内本店の「松丸本舗」である。
洋書の専門店が何故・・松丸?・・本舗?・・
爺って横文字ダメっ!ジャァ~ン・・洋書って無理ジャァン!
10月23日東京駅前オアゾビルの丸善・丸の内本店4階
、「松丸本舗」がオープンしたとご教示いただいた。
松は松岡正剛、丸は丸善での「松丸本舗」の本の店という意味らしい。
松岡正剛「千夜千冊」を軸にした「本殿」の2万冊。
ほかに季節ごとにテーマを立てて展示替えする「本集」の1万6000冊など、5万冊が曲がりくねった書棚に並ぶ
「まだ誰も見たことがない本棚」と宣伝文句にある。
松本清張記念館の全面協力で松本清張の蔵書棚を再現した「懐本」コーナーもある。
紀伊の国の知の巨人南方熊楠の博覧強記ぶりは知られている。
昭和天皇が現地に行かれたときあの当時に直に説明、ご同行をいっさいされた畏怖の人。
のちの同じ独学で学問を打ち立てた高知の植物学の巨人牧野富太郎さえスケ-ルでは及ばぬであろう。
松岡正剛は平成の知の巨人その凄まじさは相当な非凡人でも到底及ぶところではない。
1夜に1冊ずつ1000冊を系統立てて読みこなして書評を書く「千夜千冊」
よくぞ死なずに1000冊をやり通しやり遂げたモノだ。
「千夜千冊」読みたい?
おやめになることお勧めします。
なにしろ本体である「千夜千冊」の方はあまりに大部で、
どこから読み始めたらいいか途方に暮れてしまう代物
なんせ購入しようにも10万円ですっせ!
7巻+1に編集した全集「千夜千冊」のリスト眺めるに限ります。
なんとかならないの?
こうあります。
ちょっと本気な千夜千冊虎の巻―読書術免許皆伝
アンチョコならぬ特別ダイジェスト版!
人生を変える読書術。
この「一冊」で「千冊」が読める。「虎の巻」一冊である。
松岡 正剛(1944年)は京都のひと。
日本文化、経済文化、物語、デザイン、文字文化、図像学、自然学、生命科学など多方面におよぶ研究成果を
情報文化技術に応用する編集工学を確立。
東京大学客員教授、帝塚山学院大学教授などをへて、編集工学研究所所長、ISIS編集学校校長。
購入者が読後感を含めお薦めされる
これがまた恐ろしきひと。
この爺の齢にして馬齢を重ねたのがお恥ずかしく知らないことばかり。
「本をノートにする。」
「著者の人生はできるだけ知ったほうがいいね。」
「(日本の古典五冊に、)ぼくは迷わず『雨月物語』を入れる」
「『リア王』『パンセ』『エチカ』が三種の神器」
「『カラマーゾフの兄弟』でしょう。ぼくはこの作品を読まないですませている文芸者や宗教者を、
とうてい信用する気になれないね。」
「読書はリラックスするときも、忙しいときも、悲しいときも、疲れきっているときもすべてがチャンスなんです。」
暗号読書法は、「プロトタイプを使って読むという方法・・・二つの対比しあう概念やタイプを並べて
論じている本を下敷きにする・・・『千夜千冊』のヘッドラインを参考に」
目次読書法は、「目次をアタマに入れる・・・(次に)
各章の最初のところとか、その章の流れのなかでちょちょっとキーワードのようなものを追うだけです。」
マーキング読書法。
要約読書法は、
「各章をそれぞれ三ヶ条にまとめるということをする。・・・そもそも読書するとは(中略)要約するとい
うこと」
図解読書法は、「要約三ヶ条をちょっとしたフローチャートやダイヤグラムにする。」
「(一番身につまされた本は、)大原富枝の『婉という女』です。」
・・「『リア王』『パンセ』『エチカ』が三種の神器・・・
『エチカ』が解らずウィキペディアに教えて頂いた。
チョット長いが一部をあげるとこうある。
オランダの哲学者・スピノザバールーフ・デ・スピノザ( 1632年11月24日 - 1677年2月21日)の著作で思い出した。
スピノザはデカルト、ライプニッツと並ぶ合理主義哲学者
その哲学体系は代表的な汎神論と考えられてきた。
また、ドイツ観念論やフランス現代思想へ強大な影響を与えた。
肖像は1970年代に流通していたオランダの最高額面の1000ギルダー紙幣に描かれていた。
アムステルダムの富裕なユダヤ人の貿易商の家庭に生まれる。
両親はポルトガルでのカトリックによるユダヤ人迫害から逃れオランダへ移住してきたセファルディム(マラーノ)。
幼少の頃より学問の才能を示したが、家業を手伝うために高等教育は受けなかった。
伝統から自由な宗教観を持ち、神を自然の働き・ありかた全体と同一視する立場から、当時のユダヤ教の信仰のありかた
や聖典の扱いに対して批判的な態度をとった。
1656年7月27日にアムステルダムのユダヤ人共同体から破門・追放される。
追放後はハーグに移住し、転居を繰り返しながら執筆生活を行う。
1664年にオランダ共和派の有力者、ヤン・デ・ウィットと親交を結ぶ。
この交際はスピノザの政治関係の著作執筆に繋がっていく。
この前後から代表作『エチカ』の執筆は進められていたが、オランダの政治情勢の変化などに対応して
『神学・政治論』の執筆を優先させることとなった。
1670年に匿名で『神学・政治論』を出版。
1672年にウィットが虐殺され、スピノザは生涯最大の動揺を示したという
「野蛮の極致」とスピノザは形容した。
1673年にプファルツ選帝侯からハイデルベルク大学教授に招聘されるが、思索の自由が却って脅かされることを
恐れこれを辞退した。
1674年には『神学・政治論』が禁書となる。
スピノザの哲学史上の先駆者は、懐疑の果てに「我思う故に我あり(cogito ergo sum)」と語ったデカルト。
これは推論の形をとってはいるが、その示すところは、思惟する私が存在するという
自己意識の直覚である。
懐疑において求められた確実性は、この直覚において見出される。
これをスピノザは「我は思惟しつつ存在する(Ego sum cogitans.)」と解釈している「デカルトの哲学原理」
伝統から自由な宗教観を持ち、神を自然の働き・ありかた全体と同一視する立場から、当時のユダヤ教の信仰のありかた
や聖典の扱いに対して批判的な態度をとった。
恐らくそのため1656年7月27日にアムステルダムのユダヤ人共同体から破門・追放される。
追放後はハーグに移住し、転居を繰り返しながら執筆生活を行う。1
1675年に『エチカ』を完成させたが、出版を断念した。
スヘーフェニンヘン(ハーグ近く)で44歳の短い生涯を終えた。遺骨はその後廃棄され墓され失われてしまった。
エチカの議論によれば、理性はたしかに感情を統御できる。とはいえ
「すべて高貴なものは稀であるとともに困難である」。
感情に従属する現実の人間は、闘争においては仲間を圧倒することに努め、そこで勝利した者は自己を益した
より他人を害したことを誇るに至る。
他人の権利を自己の権利と同様に守らねばならないことを教える宗教は、感情に対しては無力なのである。
「いかなる感情もいっそう強い反対の感情に制止されるのでなければ制止されるものでない」とする立場からは、
スピノザは国家の権能によって人民が保護されることが必要であるとする。
そしてそのためには臣民を報償の希望ないしは刑罰への恐怖によって従属させることが必要であるとしている。
たしかに精神の自由は個人の徳ではあるが、国家の徳は安全の中にのみあるからである。
統治権の属する会議体が全民衆からなるとき民主政治、若干の選民からなるとき貴族政治、一人の人間の手中にあるとき
君主政治と呼ばれる。この統治権、あるいは共同の不幸を排除することを目的として立てられた国家の法律にみずから
従うような理性に導かれる者ばかりではない現実においては、理性を欠いた人々に対しては外から自由を与える
ことが法の目的であるとしている。
また言論の自由については、これを認めないことは、順法精神を失わしめ、政体を不安定にするとしている
デカルトは神を無限な実体として世界の根底に設定し、そのもとに精神と身体(物体=延長)という二つの有限実体を立てた。
しかし、スピノザによれば、その本質に存在が属する実体は、ただ神のみである。
スピノザにおいては、いっさいの完全性を自らの中に含む
神は、自己の完全性の力によってのみ作用因である ものである(自己原因)
。いいかえれば、神は超越的な原因ではなく、万物の内在的な原因なのである。
神とはすなわち自然である。
これを一元論・汎神論と呼ぶ。
神が唯一の実体である以上、精神も身体も、唯一の実体である神における二つの異なる属性
(神の本質を構成すると我々から考えられる一側面)としての思惟と延長とに他ならない。
また、神の本性は絶対に無限であるため、無限に多くの属性を抱える。
この場合、所産的自然としての諸々のもの(有限者、あるいは個物)は全て、能産的自然としての
神なくしては在りかつ考えられることのできないものであり、
神の変状ないし神のある属性における様態であるということになる
スピノザは、「人間精神を構成する観念の対象は(現実に)存在する身体である」と宣言する。
なぜなら、「延長する物および思惟する物は神の属性の変状である」以上、二つは同じものの二つの側面に他ならないからである。
これによって心身の合一という我々の現実的なありかたを説明できる、とスピノザは考えた。
精神の変化は身体の変化に対応しており、精神は身体から独立にあるわけではなく、身体も精神から独立となりえない。
身体に先だって精神がある(唯心論)のでもなく精神に先だって身体がある(唯物論)のでもない。
いわゆる同一存在における心身平行論である。
その上、人間の身体を対象とする観念から導かれうるものだけを認識しえる人間の有限な精神は、
全自然を認識する或る無限の知性の一部分であるとしており、この全自然を「想念的objective」
に自己のうちに含むところの思惟する無限の力によって形成される個々の思想と、この力によって
観念された自然の中の個々の事物とは、同じ仕方で進行するとしている。
すなわち思惟という側面から見れば自然は精神であり、延長という側面から見れば自然は身体である。
両者の秩序(精神を構成するところの観念とその対象の秩序)は、同じ実体の二つの側面を示すから、一致するとしている。
二つの事故で生き延びた人々を考え合わせると
よく理解できないこれらの記述の正しさがわかる
沖縄の21000人大集会は別項の国家論でも読み解けるがここに引用した部分でも読み解ける
「まん延するニセ科学」は通用しない
科学者いっぱいの鳩山政権の出すべき道もここにある。
↓ ↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
↑ ↑ ↑
・よ・ろ・し・く!。
[2012]
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091109-00000006-natiogeop-int.view-000
花言葉は・・・・・・・・・働き者
キク科高野箒は蔓状ゆえ草本のようであるが、落葉低木に分類されてるしキク科も不可解。
関東以西の日当たりよくやや乾いたところに分布、特にアカマツ林に生育する。
その昔、和歌山県の高野山には竹、梨、胡桃、桃などの竹木がなかった。
利潤を得る行為を戒めるという意味で、商品作物の栽培が禁じられていた故である。
それで竹箒が作れず、代わりにこの木の枝を束ねて箒を作ったことから「高野箒」の名らしい。
一年目卵形二年目細長い葉と変化する。
田舎の農家は幾つもの家が敷地内にあった。
厠、たい肥小屋、ニワトリ小屋そして湯殿。
祖父がいるころにはコタツ利用風習はなかった。
冬場はズッ~と囲炉裏の薪が燃え不在のときは灰の中で火の気は残っていた。
囲炉裏の薪が燃え尽きると残った薪は湯殿かかまどに移す。
残りのオキリになると箱枠に毛布をかぶせ炬燵にする。
これは動きが弛緩でポワッ~となり庭の端の湯殿に行くに寒く
風呂にいるのが体が冷えるのでいやで眠った素振り。
庭の中央部で夜空を見上げると満天のギラキラ星
アッ!流れ星・・・
ウソ!いうなぁ~
兄から怒られたものである。
湯に行くと 初冬の星座 ふりかぶる
物騒なる事件が相次いでいる。
思考形態もそれに似てしまう。
8日夜に共同のニュースでホッ!としたア~
新潟県村上市で、山にキノコ採りに出掛けたまま行方不明になっていた
上相川の土木作業員鍋倉忠夫71歳。
1週間ぶりに自力で下山し無事保護された。
「水を飲み、キノコや山ブドウを食べていた。葉を集めて敷き詰めて寝て寒さをしのいだ」
体力消耗になるエネルギー消費を避け必要最小限動かなかった。
降雪のあるのによくぞ生き抜いたものである。
八条島付近で転覆漂流で5日も生き延びた4人。
科学者の割り出しでは空間の広さから大人4人分の空気量は2日持つ量もなかった。
何故生き抜けたか。
台風で波が荒れ海水表面に酸素分が空間部分に炭酸ラムネサイダーがはじけるごとく補給された
と解析されていた。
台風で転覆したわけだがその台風影響があったゆえ転覆後は生き延びたということである。
途中恐怖心で絶えられず船底から脱出した人は放り出された船長と同じで、いまだ不明のまま。
その脱出した人がアッたればこそ結果空気消費量からすれば4名を生き残させるたことになる。
前のほうは捜索してた警察あるいは家族が奇跡であるという。
後の方は奇跡の言葉でさえ語れない。<超>奇跡である。
科学を超えた神がかりである。
この悠久の時間経過の地球の歴史に同じ空気を吸ってる偶然性のご同胞の慶事にお会いしたことはないが爺はこんなのに弱くダメで涙が満ち溢れてとまらない。
大阪大学の菊池誠教授がNHK視点論点で放送したことがある
「まん延するニセ科学」
ニセ科学の問題点や本来の科学との違いについての内容である。
ニセ科学は、英語では「pseudoscience」=「疑似科学」という訳語をあててた。
マイクル・シャーマー著「なぜ人はニセ科学を信じるのか」早川書房刊から
「疑似」という言葉には価値判断が含まれない
「ニセ」という言葉は否定的な意味合いを強く含むゆえ「ニセ科学」にしたと解説されていた。
実例を挙げられる。
小学校の道徳の授業で「水にありがとうと声をかけるときれいな結晶ができる」という説を説く、
「テレビゲームをしすぎると、脳の機能が壊れる」といういわゆる「ゲーム脳」説の講演会があったりする。
権威、信頼アル教育関係者やPTAが主催したりしている。
それらの説を流布してるのは善意から行動の正義の押しつけなんである。
科学も流布するには厄介である。
円楽師匠のお別れ会は22日らしい。
これに悩んでいる。
他に目的を探しているとあった。
丸善・丸の内本店の「松丸本舗」である。
洋書の専門店が何故・・松丸?・・本舗?・・
爺って横文字ダメっ!ジャァ~ン・・洋書って無理ジャァン!
10月23日東京駅前オアゾビルの丸善・丸の内本店4階
、「松丸本舗」がオープンしたとご教示いただいた。
松は松岡正剛、丸は丸善での「松丸本舗」の本の店という意味らしい。
松岡正剛「千夜千冊」を軸にした「本殿」の2万冊。
ほかに季節ごとにテーマを立てて展示替えする「本集」の1万6000冊など、5万冊が曲がりくねった書棚に並ぶ
「まだ誰も見たことがない本棚」と宣伝文句にある。
松本清張記念館の全面協力で松本清張の蔵書棚を再現した「懐本」コーナーもある。
紀伊の国の知の巨人南方熊楠の博覧強記ぶりは知られている。
昭和天皇が現地に行かれたときあの当時に直に説明、ご同行をいっさいされた畏怖の人。
のちの同じ独学で学問を打ち立てた高知の植物学の巨人牧野富太郎さえスケ-ルでは及ばぬであろう。
松岡正剛は平成の知の巨人その凄まじさは相当な非凡人でも到底及ぶところではない。
1夜に1冊ずつ1000冊を系統立てて読みこなして書評を書く「千夜千冊」
よくぞ死なずに1000冊をやり通しやり遂げたモノだ。
「千夜千冊」読みたい?
おやめになることお勧めします。
なにしろ本体である「千夜千冊」の方はあまりに大部で、
どこから読み始めたらいいか途方に暮れてしまう代物
なんせ購入しようにも10万円ですっせ!
7巻+1に編集した全集「千夜千冊」のリスト眺めるに限ります。
なんとかならないの?
こうあります。
ちょっと本気な千夜千冊虎の巻―読書術免許皆伝
アンチョコならぬ特別ダイジェスト版!
人生を変える読書術。
この「一冊」で「千冊」が読める。「虎の巻」一冊である。
松岡 正剛(1944年)は京都のひと。
日本文化、経済文化、物語、デザイン、文字文化、図像学、自然学、生命科学など多方面におよぶ研究成果を
情報文化技術に応用する編集工学を確立。
東京大学客員教授、帝塚山学院大学教授などをへて、編集工学研究所所長、ISIS編集学校校長。
購入者が読後感を含めお薦めされる
これがまた恐ろしきひと。
この爺の齢にして馬齢を重ねたのがお恥ずかしく知らないことばかり。
「本をノートにする。」
「著者の人生はできるだけ知ったほうがいいね。」
「(日本の古典五冊に、)ぼくは迷わず『雨月物語』を入れる」
「『リア王』『パンセ』『エチカ』が三種の神器」
「『カラマーゾフの兄弟』でしょう。ぼくはこの作品を読まないですませている文芸者や宗教者を、
とうてい信用する気になれないね。」
「読書はリラックスするときも、忙しいときも、悲しいときも、疲れきっているときもすべてがチャンスなんです。」
暗号読書法は、「プロトタイプを使って読むという方法・・・二つの対比しあう概念やタイプを並べて
論じている本を下敷きにする・・・『千夜千冊』のヘッドラインを参考に」
目次読書法は、「目次をアタマに入れる・・・(次に)
各章の最初のところとか、その章の流れのなかでちょちょっとキーワードのようなものを追うだけです。」
マーキング読書法。
要約読書法は、
「各章をそれぞれ三ヶ条にまとめるということをする。・・・そもそも読書するとは(中略)要約するとい
うこと」
図解読書法は、「要約三ヶ条をちょっとしたフローチャートやダイヤグラムにする。」
「(一番身につまされた本は、)大原富枝の『婉という女』です。」
・・「『リア王』『パンセ』『エチカ』が三種の神器・・・
『エチカ』が解らずウィキペディアに教えて頂いた。
チョット長いが一部をあげるとこうある。
オランダの哲学者・スピノザバールーフ・デ・スピノザ( 1632年11月24日 - 1677年2月21日)の著作で思い出した。
スピノザはデカルト、ライプニッツと並ぶ合理主義哲学者
その哲学体系は代表的な汎神論と考えられてきた。
また、ドイツ観念論やフランス現代思想へ強大な影響を与えた。
肖像は1970年代に流通していたオランダの最高額面の1000ギルダー紙幣に描かれていた。
アムステルダムの富裕なユダヤ人の貿易商の家庭に生まれる。
両親はポルトガルでのカトリックによるユダヤ人迫害から逃れオランダへ移住してきたセファルディム(マラーノ)。
幼少の頃より学問の才能を示したが、家業を手伝うために高等教育は受けなかった。
伝統から自由な宗教観を持ち、神を自然の働き・ありかた全体と同一視する立場から、当時のユダヤ教の信仰のありかた
や聖典の扱いに対して批判的な態度をとった。
1656年7月27日にアムステルダムのユダヤ人共同体から破門・追放される。
追放後はハーグに移住し、転居を繰り返しながら執筆生活を行う。
1664年にオランダ共和派の有力者、ヤン・デ・ウィットと親交を結ぶ。
この交際はスピノザの政治関係の著作執筆に繋がっていく。
この前後から代表作『エチカ』の執筆は進められていたが、オランダの政治情勢の変化などに対応して
『神学・政治論』の執筆を優先させることとなった。
1670年に匿名で『神学・政治論』を出版。
1672年にウィットが虐殺され、スピノザは生涯最大の動揺を示したという
「野蛮の極致」とスピノザは形容した。
1673年にプファルツ選帝侯からハイデルベルク大学教授に招聘されるが、思索の自由が却って脅かされることを
恐れこれを辞退した。
1674年には『神学・政治論』が禁書となる。
スピノザの哲学史上の先駆者は、懐疑の果てに「我思う故に我あり(cogito ergo sum)」と語ったデカルト。
これは推論の形をとってはいるが、その示すところは、思惟する私が存在するという
自己意識の直覚である。
懐疑において求められた確実性は、この直覚において見出される。
これをスピノザは「我は思惟しつつ存在する(Ego sum cogitans.)」と解釈している「デカルトの哲学原理」
伝統から自由な宗教観を持ち、神を自然の働き・ありかた全体と同一視する立場から、当時のユダヤ教の信仰のありかた
や聖典の扱いに対して批判的な態度をとった。
恐らくそのため1656年7月27日にアムステルダムのユダヤ人共同体から破門・追放される。
追放後はハーグに移住し、転居を繰り返しながら執筆生活を行う。1
1675年に『エチカ』を完成させたが、出版を断念した。
スヘーフェニンヘン(ハーグ近く)で44歳の短い生涯を終えた。遺骨はその後廃棄され墓され失われてしまった。
エチカの議論によれば、理性はたしかに感情を統御できる。とはいえ
「すべて高貴なものは稀であるとともに困難である」。
感情に従属する現実の人間は、闘争においては仲間を圧倒することに努め、そこで勝利した者は自己を益した
より他人を害したことを誇るに至る。
他人の権利を自己の権利と同様に守らねばならないことを教える宗教は、感情に対しては無力なのである。
「いかなる感情もいっそう強い反対の感情に制止されるのでなければ制止されるものでない」とする立場からは、
スピノザは国家の権能によって人民が保護されることが必要であるとする。
そしてそのためには臣民を報償の希望ないしは刑罰への恐怖によって従属させることが必要であるとしている。
たしかに精神の自由は個人の徳ではあるが、国家の徳は安全の中にのみあるからである。
統治権の属する会議体が全民衆からなるとき民主政治、若干の選民からなるとき貴族政治、一人の人間の手中にあるとき
君主政治と呼ばれる。この統治権、あるいは共同の不幸を排除することを目的として立てられた国家の法律にみずから
従うような理性に導かれる者ばかりではない現実においては、理性を欠いた人々に対しては外から自由を与える
ことが法の目的であるとしている。
また言論の自由については、これを認めないことは、順法精神を失わしめ、政体を不安定にするとしている
デカルトは神を無限な実体として世界の根底に設定し、そのもとに精神と身体(物体=延長)という二つの有限実体を立てた。
しかし、スピノザによれば、その本質に存在が属する実体は、ただ神のみである。
スピノザにおいては、いっさいの完全性を自らの中に含む
神は、自己の完全性の力によってのみ作用因である ものである(自己原因)
。いいかえれば、神は超越的な原因ではなく、万物の内在的な原因なのである。
神とはすなわち自然である。
これを一元論・汎神論と呼ぶ。
神が唯一の実体である以上、精神も身体も、唯一の実体である神における二つの異なる属性
(神の本質を構成すると我々から考えられる一側面)としての思惟と延長とに他ならない。
また、神の本性は絶対に無限であるため、無限に多くの属性を抱える。
この場合、所産的自然としての諸々のもの(有限者、あるいは個物)は全て、能産的自然としての
神なくしては在りかつ考えられることのできないものであり、
神の変状ないし神のある属性における様態であるということになる
スピノザは、「人間精神を構成する観念の対象は(現実に)存在する身体である」と宣言する。
なぜなら、「延長する物および思惟する物は神の属性の変状である」以上、二つは同じものの二つの側面に他ならないからである。
これによって心身の合一という我々の現実的なありかたを説明できる、とスピノザは考えた。
精神の変化は身体の変化に対応しており、精神は身体から独立にあるわけではなく、身体も精神から独立となりえない。
身体に先だって精神がある(唯心論)のでもなく精神に先だって身体がある(唯物論)のでもない。
いわゆる同一存在における心身平行論である。
その上、人間の身体を対象とする観念から導かれうるものだけを認識しえる人間の有限な精神は、
全自然を認識する或る無限の知性の一部分であるとしており、この全自然を「想念的objective」
に自己のうちに含むところの思惟する無限の力によって形成される個々の思想と、この力によって
観念された自然の中の個々の事物とは、同じ仕方で進行するとしている。
すなわち思惟という側面から見れば自然は精神であり、延長という側面から見れば自然は身体である。
両者の秩序(精神を構成するところの観念とその対象の秩序)は、同じ実体の二つの側面を示すから、一致するとしている。
二つの事故で生き延びた人々を考え合わせると
よく理解できないこれらの記述の正しさがわかる
沖縄の21000人大集会は別項の国家論でも読み解けるがここに引用した部分でも読み解ける
「まん延するニセ科学」は通用しない
科学者いっぱいの鳩山政権の出すべき道もここにある。
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・よ・ろ・し・く!。
[2012]
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